冬枯れのヴォカリーズ vol.5後半

冬枯れのヴォカリーズ vol.5後半

 都内の女子大に通う、理美の、大学生活の日常を描く、恋愛小説。

 霊山に戻った頃には、六時半を過ぎていた。

 日はとっくに沈んで、辺りには、カンタンやコオロギなどの虫の音が鳴り響いている。

 温泉に行っている間に父が来たらしく、玄関の脇に、大根、白菜、人参、牛蒡、葱、京菜、春菊が、きれいに洗って新聞の上に並べられていた。


 それを見て早苗が、

「理美のお父さんってまめだねぇー」

 と野菜に近付いて、しげしげと眺めている。

 買ったものは、すぐ使うものがほとんどだったから、飲み物と朝食の材料だけを冷蔵庫に入れた。

 早苗と奈歩が材料を切り、土鍋を火にかけ、だしを入れる。

 男性陣はカセットコンロを用意し、炬燵で寛いでいる。

 「こんな合宿みたいなのは、二年の夏の苗場以来だな」

 池上くんが大きな伸びをしながら、眼鏡を外し、目をこする。

 「あの時はもっと大人数だったけどね。バス貸し切りだったし」

 と修平が言って、無意識にTVをつける。チャンネルはNHKになっていて、ローカルニュースをやっていた。しばらくすると天気予報になった。松崎が珍しがってにこにこしながら観ている。

 私はコップや皿や箸を念のためもう一度洗って、布巾できれいに拭いて炬燵に並べる。気持ちは弾んでいた。親戚にしか会わないこの場所に友達がいるなんて、なんだか皆が一気に近くなったみたいな気分だったからだ。

 残りの材料を大きな皿に並べて、土鍋をカセットコンロに移し、鍋が始まった。松崎の隣に私、池上の隣に早苗、そして修平、奈歩が向かい合わせの席順だ。

 私はまずお玉で松崎に帆立や鱈、蛤、それに野菜などをきれいによそってあげる。

 大きな家で、天井も高いので、湯気はすぐ消え、換気もしなくてよかった。

 どんな時でも食事っていいものだ。ここに来る間、実は複雑な想いだった。今回の旅行は最初松崎と二人で来るつもりだった。だけど、二人だけの時間に自信がなくて、結局みんなを誘った。松崎がそのことについてどう思っているかも、まだ聞けずにいた。今、鍋を目の前にして、そう言ったことを取りあえず考えるのをやめることができて、食べる事に集中している自分にほっとしている。親しい友人との他愛もない時間……。松崎が近いようで遠かった。


 鍋奉行は早苗だ。

「鱈と帆立と海老は全員分あるんやけど、蛤は四つしかないんよねぇー。どうする?」

「じゃあさ、松崎以外の三人は、クイズに正解した人からもらうことにしようぜ。まずはオレから問題出すよ、誰も当てらんなかったら出題者の勝ちね。」

 修平がそう言って食べる手を止めて、ビールをゴクンと一口飲んだ後、問題を出した。

「オレのかけもちしてるバンドのサークルのやつらでさ、去年の冬、闇鍋やったんだよね。でさぁ、五人がそれぞれ変なの持ち寄って入れたんだけどさぁ、納豆、魚の頭、チョコレート、とうがらし、あと一つ何だったと思う?ヒントはナマズのヒゲみたいなの」

 修平はにやにやしながらみんなの顔を見渡している。

「さあ、スルメの細長く切ったのとか?」

 私が言った。

「いや、ちがう。ぜってい当たんない自信ある!」

 修平がにこにこしている。

「うーん、スパゲッティとか?」

 早苗が言う。
 
 「いや、違うね。」

 修平は得意気だ。

 「わかった!ハーブ系でしょう。ローズマリーとか。」

「げ…どんぴしゃ。奈歩ちゃんすごい…」

 修平は食べる手をぴたっと止めて、真っすぐ奈歩を見つめている。

「じゃあ蛤もーらいっ」

 こんなことをしながら次に池上くん、最後の一個は私が当てた。

「でもさぁ、この家、普段誰も住んでないなんてもったいないよな。オレのおばあちゃんちも、将来はこんな風になるのかなぁ」

 池上くんが、真面目な顔をして言う。

「日本ってさぁ、いい田舎いっぱいあるんよね。でもさ、うちらみたいに東京とかに集まっちゃってさ。過密状態で。かたや、こんなに空気もお水も美味しい田舎が空き家で…」

 早苗もしんみりとした表情。

「それにしてもこの鍋美味しいね。美味しいお水と、理美のお父さんの野菜のおかげだね」

 奈歩が、止めていた箸を、再び動かす。

「ぽん酢入れると美味しいよ」

 私はぽん酢派だ。

「鍋を囲むとさぁ、なんか『家族』って感じしない?」

 と修平。

「うちもな、ちょうど今そう思っとったとこや」

  早苗が同調した。

 私も、うんうん、と頷いた。

 切った材料は、ほとんど残さず、皆お腹いっぱい食べた。

「これで終わりやないねん」

 と、早苗は席を立ち、台所からご飯と卵と葉葱の刻んだのを持ってきた。

「じゃじゃ~ん、雑炊だよー」

 早苗は少し残っていた鍋の中の具をすくって、汁だけにした後、ご飯を豪快に入れ、汁に馴染ませて、煮立ったところに卵を回し入れ、葉葱を加え、すばやく火を止める。

「できたよ。さあさ、どんどん食べて」

 早苗がみんなに取り分けてくれた。卵が半熟ですっごく美味しかったが、お腹がはちきれそうだった。

 ご飯の後、お酒はワインや日本酒に変わり、おつまみなどを出して、皆で寛いだ。  そこへ修平が、新宿ルミネの吉本グッズ売り場で買ってきた、というトランプを出してきた。それで、二年の夏、苗場合宿で皆がマスターしたセブンブリッジをすることになった。

 松崎はあんまり乗り気じゃなさそうだったが、取りあえず参戦する。

「じゃあ、親は四月生まれの理美ちゃんで」

 と修平が言ったのであきれて私が、

「私は四月っていっても一日よ。だから一番若いのよ!」

 「あっ、そうだっけ…」

 結局親は、六人の中で唯一浪人組の早苗になった。

 五回戦で、意外にも松崎が一位になった。三回目の時なんて、最初からいいカードだったらしく、一周する前に松崎が、

「オレ、勝っちゃうけどいい?」

 とかわいく笑って、ジャンジャ~ンとポンとチーを一組ずつ、それにハートの7を並べて上がってしまった。この時ばかりはもう皆びっくりし、無念さをかくしきれず、それぞれ、

「えーもう?」

「あちゃー」

「ぐおー」

 などと口々に不平をもらした。

 意外に楽しいトランプ大会だった。


 明日は午前中、紅葉ドライブ、午後からは父の実家のりんご園でりんご狩りをして帰ることにしていたので、もう寝ようということになり、部屋割りを決めた。部屋数はたくさんあったが、シンプルに下の階だけを使い、男女三人ずつに分かれることにした。

 時計を見ると11時少し前だった。さっきトランプ中にTVでやっていた天気予報では、明日もまた晴れるらしい。誰か晴れ運の強い人がいるんだろう。松崎かな…とふと思った。彼は真夏の8月2日生まれだからだ。それに、いつもどこかにデートに出かける時は、雨に降られたことがほとんどなかったように思う。

 顔を洗いコンタクトを取り、布団を敷き、男三人におやすみを言って戸を閉めた。

 今日は、松崎と居ながらにして松崎と居ないような一日だった。昨日の、久しぶりに一緒に寝た、手をつないだ感触が、まだ体に残っていた。


 「電気消していい?」

 と早苗が言ったので、

「一番暗い電気はつけといてくれる?」

 と私が言って、三人は寝床に就いた。

 男女を分ける戸は簡単なふすまだったけれど、音が漏れるほどではなかったので、私たち三人は、横になりながら、小声で色々と語り合った。


 「奈歩さあ、修平のこと、どう思う?」

 早苗が露骨に聞き出した。

「ただのサークル仲間よ。それ以上でも以下でもないわ。ただね、好きか嫌いかって言われれば、好きな方かな。私にはあんなユーモアないし、そういうとこけっこう尊敬してる、実は」

 三人でクスクス笑った。

「早苗こそ、池上くんのどういう所が好き?」

 奈歩が尋ねる。

「あのオタクっぽいとこ。知的な感じが私にはセクシーに映るんよ。彼、眼鏡を取ると、驚くほどハンサムなんよ。精悍な眼差しで…。それとな、精神年齢が高いとこ。池上んちは母子家庭やからな、池上はお母さんをしっかり支えとる、自活しとるとこがかっこええなと思うんや」

 早苗が、池上くんを素直にほめている、そのことが、奈歩と私に距離を感じさせず、同じ女の子としての早苗を見た気がした。

「理美は、松崎のどこが好きなん?」

 早苗は私に話題を移した。私は、しばらく考えた。少しの沈黙があった。


  「ピュアなところ、かなぁ…。松崎ってね、人を素直にさせる力があるの。彼の前では、どんな仮面もたちどころにはがされちゃうの。心が裸になるの。その感じが、好きなんだ。彼と対面してると、細かい煩わしいこと、悩み、なんかが一気に解決しちゃうの。なんていうのかな、彼と会うと、ニュートラルに戻るっていうのかな。私、そういう彼が好きなんだと思う」

 松崎の良いところを、こんな風に具体的に口に出して言ったのは、初めてだった。三年になって研究に没頭する彼に、もの足りなさを感じ、心が離れていく、そのことが寂しかったけれど、本質的な部分では、今でも彼が好きなんだと言うことが、早苗と奈歩に話したことで、自分の中で再確認できたような気がした。

「恋愛ってさ、当人以外には到底わかんないような『秘密の絆』があるんよね。それをさ、二人だけがわかっていることをさ、外のわかんない人があれこれ言える権利はないんやと思う」

 早苗は、今日はすごく優しかった。

 頭の中には、冬ソナの軽快な挿入歌が流れていた。

「三年になってから、実は松崎に距離を感じていたんだ。彼、専門の研究に没頭しててあんまり会えなくなって。でもね、なんか今、解決した感じ。今度、研究のことも、もっと聞いてみようかな。それと、寂しいことをちゃんと言って、無理にものわかりのいいフリはしないかなって」

「そうや、理美。うちなんて、池上とは何でも話しとるよ。無理すると長続きしない、嫌なとこははっきり言うし、それでも譲れない部分ってあるから、そういうところは歩み寄ったりしてな」

 早苗は遠くを見るときのように目を細めて、そして微笑んだ。

「松崎はね、あんまり話し好きじゃないんだ。自分から何でも話すんなら、そんなに悩まずに済むのかもしれないけれど…」

「そこは理美の力量で、うまく話しを引き出してみるんよ。案外松崎も色々話したいのかもしれんよ」

「そっか。話しを引き出す…のね。なるほどね、ちょっと今度試してみるよ。ありがとう」

 早苗にアドバイスしてもらい、絡まっていた糸がほどけたように、気持がスッキリした。

 朝が早かったせいもあり、私たちは12時前にはもう夢の中だった。


 翌日も秋晴れのよい天気だった。朝食を済ませ、家の中をきれいにして、九時過ぎ霊山を後にする。

 今日も私がナビをするということで運転手は松崎だ。私たちは、磐梯吾妻スカイラインを目指して出発した。

 霊山から県道をしばらく走り国道115号線に出て阿武隈川の橋を渡り、国道四号線を南下し、福島市街を横切って高湯街道に入る。高湯街道はさすがに連休中の行楽日和だけあって混んでいた。

「まだ十時前なのにね」

 やっとスカイラインの料金所に着いたのはそれから一時間が経過した11時過ぎだった。

 それにしても、道中素晴らしい眺めだった。真っ青な空に、紅や黄色や緑や、それらの中間色が贅沢なほどにちりばめられていて、(おそらく錦色とはこういう色を言うんだろう)、山々はただ目で見ているだけではもったいないような見事な紅葉で、私たちは車の中から身を乗り出し、無我夢中でシャッターを押しまくった。写真を撮るにはのろのろ運転でちょうどよかった。

 松崎もオートマ車なので運転も楽みたいで、ぱっちりした目で嬉しそうにその爽快な眺めを味わっているようだ。

 スカイラインをしばらく行き、浄土平で車を停めて木道を散策した。家族連れや老夫婦や、犬を連れた若いカップルやシニアの団体客など、がいる。私たちは興奮しながらシャターを押す。デジカメなので無駄にたくさん撮れる。便利な世の中になったものだ。

 木道の周りには、高山植物と思われる、白い小さな花やブルーベリーのような木の実がなっている。それから、びっくりしたのは、水が湧いているところがあったことだ。  木道の行き止まりの所に、こぢんまりとした湖があり、ものすごく深い青色をしていて、その群青色と、周囲の錦色とのコントラストが絶妙で、私たちはそこで記念撮影をした。修平が近くにいた年配の女の人に、シャッター押してもらうようにお願いしてくれたのだ。

 お昼は、ドライブインで、地元の人たちが振る舞っていた豚汁といそべもちを食べ、それからスカイラインを反対方向に下り、土湯峠を抜けて父の実家の『夏木りんご園』へ向かった。

 りんご園は、父の兄、誠一おじちゃんが継いでいて、到着すると笑顔で迎えてくれた。なんとそこには家の両親もいた。母には話しだけはよくしていたけれど、松崎と両親が会うのはこれが初めてだったのだが、松崎が、背筋をピンと伸ばし丁寧にお辞儀をしてくれたのにはびっくりした。そこにはいつもの、のほほんとした松崎の姿は全く見受けられず、育ちの良さが全面に現れていて、私は誇らしかった。

 到着して早速、かごを片手にりんご畑に向かう。試食用にナイフと剥いた皮を入れるナイロン袋を持っていく。

 池上くんも松崎も東京出身だし、修平は神奈川だし、早苗は関西だし、奈歩は埼玉だと言うことで、りんごがなっている木というのが珍しいらしく、皆、目がりんごに釘付けになっていた。

 私の実家にはほぼ一年中りんごがある。中学の友人には、

「理美の家はりんごの匂いがするよね」

 とまで言われたこともある。そのくらいりんごは日常的な代物で、私は正直食べ飽きていた。りんごがこんなに皆を喜ばせられるものとは、全く予想していなかった。

 畑を周りながら誠一おじちゃんは、りんごの品種や味、育てる上で心がけていることなどについて講釈を始めた。

「この甘酸っぱいパリパリした食感のがジョナゴール。これはゴールデンと紅玉をかけ合わせたもので、酸味があり実が硬く、若い世代の人に好まれる品種だ。こちらの木は世界一。サクサクして味も淡白だ。こっちの木は清明と言って、上品な甘味が特徴の、男性に人気のりんごだ。今の時期だとこのあたりが食べ頃で、あとは一般的なのが富士。富士はもう少し後に収穫するので、今は葉つみや玉まわしをしていい商品にしている。この、一見酸っぱそうな青りんごは、王林と言って、香りが良いのが特長だ。ゴールデンデリシャスと印度をかけ合わせたもので、食べてみると分かると思うが、見た目と違って甘いんだ……」

 私も知らないようなこともあった。皆にとってりんごとはりんごであって、りんごにこれだけの種類と味の違いがあるっていうこと に、カルチャーショックを受けたようだった。

 松崎はどうやら清明が気に入った様子だ。修平は、

「…マジっすか!」  完全におじちゃんの話にのせられている。

 
  皆がりんごに夢中になっていると、いつのまにか、そばにリリーがスクッと立っていた。リリーはりんご園で飼っているシャム系の猫だ。その走り方は野性的で、サバンナのジャガーのようにかっこいい。リリーは必要以上に人なつっこくもなく、かと言って臆病な訳でもなく、近頃は夏木りんご園のちょっとした人気者になっているらしい。

 松崎はリリーに気付くと、中腰になって口笛を吹きながら手招きをしている。

 お昼が少なめだったので、りんごの試食は、皆ほぼ全種類制覇した。

 皆、思い思いに気に入ったりんごを木からもいでかごに入れる。一人暮らしの早苗はその手を少しセーブしている。

 畑を一通り廻った後、倉庫に戻り、誠一おじちゃんがみんなのりんごを量って値段を付けてくれた。かなりサービスしてくれたようだった。奈歩は親から頼まれたということで、倉庫に置いてあったりんごを足して箱で買って、郵送する手配をしてもらっている。

 家の両親は、終止笑顔だった。久しぶりで会えたことに加え、私の仲間が皆いい学生だったからではないだろうか。誠一おじちゃんもすごく満ち足りた表情をしている。若い衆に講釈をするというのは気持のいいものなのだろう。

 帰り道は、池上くんと修平が交替で運転してくれた。松崎と私は一番後ろに乗った。

 松崎が眠ってしまうと、私は右手をそっと松崎の左手の上にのせた。車の中から紫色と橙色の交じった素敵な夕焼けが見える。両親が松崎と会った瞬間を反芻した。そこにはやわらかな空気があった。松崎は、あの大きな目でめいいっぱい親しみのある表情をしてくれた。そしてあんなにも礼儀正しかった。それに昨日の夜は早苗とも親密な話しができたし、結果的には今回の旅行は成功だったかな、そう思った。

 私も那須インターを過ぎた辺りから急に睡魔が襲ってきて、ミスチルのバラードを子守唄にしながら、目を閉じた。

冬枯れのヴォカリーズ vol.5後半

 ご拝読、ありがとうございました。

冬枯れのヴォカリーズ vol.5後半

  • 小説
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  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-11-02

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