こんなにも雪の降る日だから

 こんな吹雪の日には、あっちとの境界が曖昧になるんだってさ―――。


   ◇◇◇


 僕の横で、たけちゃんが意味ありげに呟く。教室の隅っこの机に腰を下ろし、たけちゃんは窓の外を重々しい表情で眺めていた。僕はといえば、たけちゃんのよくわからない発言よりも、『よくわかる日本史B』という参考書に意識を置いている。
「なあ、コウスケ。聞いてる?」
 構ってほしそうにたけちゃんが言うので、僕は仕方なく顔を上げた。
「またお前の大好きなオカルトか」
「オカルトなんかじゃないよ。本当だ、本当。ばあちゃんが言ってた」
 どれだけおばあちゃんに絶対の信頼を寄せているのだ、コイツは。僕はそう思いながらも、たけちゃんの視線につられて外に目をやる。外は一面の白。今朝、気象予報士が言っていた通りの大雪だ。風がない分歩くのには問題ないだろうが、電車が止まっていないか心配だ。
「大雪が降るのは、あっちの世界との境目が曖昧になっているからなんだってよ」
「あっちの世界って、なんだよ」
「ばあちゃんも、あっちとしか言わねえんだよな。きっと、あの世、のことじゃないかなと思うんだけど」
 まさかそのおばあちゃんは呆けてはあるまいな、とはさすがに聞かないでおく。僕とたけちゃんの仲とは言えども、流石に失礼だ。代わりに別の質問を投げる。
「あの世、はあるのか。そもそも」
「あるだろう。なかったらどうすんだよ。死んだらどうなるんだよ」
「死んだら死ぬだけだろう。その後もなにも、死んだ時点で意識がないから認識できないはずだ」
 たけちゃんは眉間に大きなしわを寄せ、数秒間唸ったあと顔を上げて「難しい、分からん」と投げ出した。

 下校を促すチャイムがなり、僕は身支度をはじめる。たけちゃんも自分の座席までカバンを取りに戻り、教室を出てふたり揃って下足箱まで来た。ちょうどスニーカーに手をかけたあたりで、たけちゃんが「あっ」と漏らす。
「やばい、物理の課題出してない」
 やばい、やばい、何度か口にしたあと、たけちゃんはカバンの中身をあさり始める。数秒の後に、しわくちゃになったプリントがカバンの底の方から登場した。
「わりい、これ出してから行くから、先帰っててくれ」
 はいよ、僕はそう小さく返事をして靴を履き始める。外では未だ、音の聞こえてきそうな勢いで雪が降り続けている。
「あっちに迷い込んじゃ、ダメだぜ」
 たけちゃんが後ろから声をかけてくる。
「あっち、ってどっちだ」
「あっちだよ、あっち。大雪の日は境目が曖昧らしいからな」
 ああその話か、と僕は得心する。一応たけちゃんなりに忠告のつもりかもしれないが、あまりそのたぐいの話を信じない僕には意味がないような気がする。「まあ、気を付けて歩いてるよ」と漠然と返事をして、僕は外へと歩き出した。

 雪は思っていたよりも強く降っていた。粒が大きく湿った雪は、もうくるぶしのあたりまで積もっている。未だ止みそうな気配がないのを見ると、明日の朝にはかなりの積雪になりそうだった。
 学校の正門を抜け、正面の交差点を右に曲がり、街灯の少ない路地へ入る。ほとんどが住宅で店が少ないためか、ほとんど雪かきもされておらず、僕はタイヤの走った跡に足を入れてちょうど平均台を歩くように進んでいく。陽はすっかり沈んでいつもなら真っ暗な時間だが、雪が街の灯りを反射するためか、そこらじゅうがぼんやりと明るい。不思議な雰囲気だ、と僕は思う。輪郭の曖昧な明るさはどこか幻想的に思える。雪の踏みしめる音しか聞こえないほどあたりは静かで、耳をすませば雪の音が聞こえるのではないかと思ってしまう。見ろ、あの世とつながっているからだ、などとたけちゃんあたりがいい始めそうだなと思い、思わず含み笑いをした。
 あの世はあるのか。
 心に浮かんだ疑問を、僕はあたりに聞こえないようにそっと口に出してみる。その響きを舌の上で転がしてみたところで、答えが降って湧いてくるような気配はない。

 しばらく足元を見て歩いていたが、向こうの方から車のエンジン音がしたので、僕ははっと顔を上げた。と同時に、車の強烈なライトが目に突き刺さり、視界が白んだ。僕は足の踏み場を探しながら道路の傍らへと避ける。
 雪道のせいか、車はゆっくりと進む。のろのろと路地を進み、やがて僕の横を通り過ぎる。車の中には、運転席に男が、助手席には男と同じぐらいの年代であろう女性が座っていた。ちらっと視界に入った運転手の顔が、どこか見覚えのあるような気がして僕は首をかしげた。さて、誰だったか。中年ぐらいの男に見えたが。僕は頭の中を隅から覗き込みながら、記憶の断片を探した。
 そして見つける。ハッとする。確証はない。
 僕は思わず後ろを振り向く。そこにさっきの車はもういない。
 背筋のあたりが凍りついたような気がした。
 ―――あれは、おととし死んだ祖父ではないか?
 確信ではない。なぜなら、僕は祖父のシワの深く刻まれた顔しか知らないからだ。若い頃の顔は、写真でしか見たことがない。だが僕の記憶の隅にあるそれと、先ほどの男の顔は酷似しているような気がした。
 だとすると、と思う。助手席に乗っていたのは祖母ではないか。祖母に関しては、僕が物心つく前に亡くなっているはずなので、全く印象がない。こちらもせいぜい写真を見せてもらった程度だ。
 まさかな、と僕は自分を納得させる。さっきのは見間違えだろう。きっと。
 今度は何やら足音がした。僕は驚いて、視界を再び前に戻す。
今度はちゃかちゃかという足音とともに、犬が走ってきた。ハッ、ハッと息を白くしながら犬が走っている。そして一目散に僕の横を駆け抜ける。首輪はついていて、リードもついているのになぜか引手がいない。
 散歩の最中に逃げてしまったのだな―――とは僕は思わない。
 なぜか。
 知っている犬だからだ。
 ペロだ。去年の夏、老衰で死んでしまったうちのペット。今度は見間違えるはずもない。
 僕は慌てて振り返りそのあとを追おうとするが、やはりそこにペロの姿はない。

 何だ。
 何が起きている。
 僕は自分に問う。そして、学校でのたけちゃんの言葉を思い出す。
 ―――こんな吹雪の日には、あっちとの境界が曖昧になるんだってさ―――。
 まさか。迷い込んでしまったとでも言うのか。そんな馬鹿な。
 若干頭を抱えながらも、僕は三度視界を前に戻した。すると前面から、なんとぞろぞろと人だかりが歩いてくるではないか。こんな雪の中を、大勢の人たちが。なかには明らかに今の時代の服装や髪型ではない者もいる。
 顔から一気に血の気が引き、呼吸が荒れるのを感じる。どうすることもできず、僕はただただ表情を固めたまま身動きが取れなくなっていた。

「どうしたの、コウスケ」

 背後から声をかけられ僕は思わず飛び上がる。心臓が止まってしまったのではないかと思うくらいだ。振り向くとそこには、たけちゃんが不思議そうに首をかしげているだけだった。
「何、そんな怖い顔して。こけた?」
 あっけらかんとした表情のたけちゃんの頬を、僕は思いっきりつねる。
「痛いたいたいたいたい!」
 痛がるたけちゃんを確認して、僕は手を離した。周囲にも先ほどまでの人影はない。僕はほっと胸をなでおろす。
「ちょい、何!? いきなり」
「夢じゃないよな」
 僕の問いに、たけちゃんは軽く涙目になりながら、必死に言葉を探して言った。
「え? そういうのって自分の頬で確認するんじゃないの?」


   ◇◇◇


 結局、この時の出来事がなんだったのか分かることはなかった。たけちゃんに言えば、おばあちゃんにでも確認がとってもらえたのかもしれなかったが、彼のオカルトマニアっぷりに拍車がかかってしまいそうでやめた。
 あの世につながっていたのだろうか、あそこはちょうど、あの世とこの世の境目だったのだろうか、と僕は疑問に思う。そしてこの疑問はさらなる疑問を呼ぶ。

 あの世とは果たして存在するのか。

 ないと思う。少なくとも僕は。
 あの世とか、天国とか、そういったものは、死を恐れた人間が作ったただの概念だ。死んだら無になる、という、人間の理解を超えた想像を補うための代替物だ。死んだら無になる、というのはわからない。わからない、は怖い。だから、死んだら無になるという概念の代わりに死んだら天国に行く、神のもとに行くという概念を作った。そうすれば、わかる。分かれば、そこまで怖くない。
 死んだ人間がどうなるとか、そういった議論は本質的に無意味だ。死んだら燃やされて、墓の下に入るだけ。ああ、キリスト圏だと燃やされないのか。

 でも、あの世があって欲しいと考えないこともない。
 若くてエネルギッシュだった頃の祖父と話がしてみたいとも思わなくもない。会ったことのない祖母とあってみたいと思わないこともない。ペロの柔らかな毛並みにもう一度触れたいと思わなくもない。
 そして、もし本当に死後の世界があるとしたら、もう一度会いたい人、会ってみたい人もそこにいるのかもしれない。もしそうならば、あの世があればいいのにとも思う。
 今でさえ―――18歳の今でさえ、こうなのだ。今後何十年か生きていけば、会いたくても会えない人、もう一言交わしたかったのにかなわなかった人、いろんな後悔が蓄積されていくことだろう。そしてその時に、あの世があればと、いつかまた逢えるのだと―――僕は考えるのだろうか。

 大空からしんしんと雪が降り積もる。ぼんやりと輪郭の曖昧な灯りに包まれたこの街は、やがては雪に埋もれる。境界線が曖昧になるなどとは、よく言ったものだと思う。雪がすべての境目を包み込んで、境界を漠然とさせる。
 もしかしたら今もどこかで、誰かだが境目に迷い込んでいるのかもしれないと、僕はくだらない想像をする。そして誰かがびっくりしているんじゃないかと思い、思わず笑みを漏らす。
 もしかしたら、僕もまたどこかで、出会えるだろうか。

 ―――なんて、性に合わないことを考えてしまうのも、きっと今日がこんなにも雪の降る日だからだ。

こんなにも雪の降る日だから

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

こんなにも雪の降る日だから

大雪の日。もしかしたら、どこかで不思議な体験をするかも。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-02-15

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