the Deathwing【再編集】

璃玖

  1. 咲良と境介
  2. 羽柴
  3. 隼杜と京紫

彼の背後に気配が降り立つ。
その禍々しさに、全身に鳥肌が立った。「お前、誰だ?」

「私か」気配は声を発すると同時に、その姿を彼の前に晒す。
眉目秀麗、だがその顔色には生気がない。
まるで人形だな、と彼は思った。

「私は、貴様ら人間が言う所の ”死神”という類のものだ」
生気のない薄い唇が、更に言葉を吐き出す。


「私は、貴様を迎えに来たのだよ」

…死神だ。
今、俺の後ろにいる。
ただならぬ悪寒と並ならぬ倦怠感。

彼には記憶があった。前にも一度、同じ経験をしているからだ。
忘れもしない、あのどしゃ降りの雨の夜。
あの瞬間間違いなく、選ばれたのは彼だったはずだ。

死神に選ばれし尊い魂。
横転したバイク。スズキの名車〝隼〟が見るも無残に雨に打たれていた。
愛機から漏れるガソリンと共に
その脇に倒れる彼の体内からも、おびただしい量の血液が流れ出して雨と溶け合う。

ああ…俺はこうして死んでいくのか。
薄れていく意識の中で、何処か他人事の様にそう思う。かすむ視線。
失われていきつつある聴覚が最後に捉えたのは、
一つの足音。
気が付くと、一人の男が彼を見下ろしていた。
このどしゃ降りの中、何故か男の姿は全く濡れているように見えなかった。

     ◆

「…いるんだろう、〝京紫(きょうむらさき)〟」
隼杜(はやと)はうんざりした様に声を掛ける。
後ろの正面など振り返らなくとも判る。しんと静まり返った当直室にただ独り、彼の声だけが響く。
頼りない照明は、机の上だけを照らしている。周りは徐々に闇へのグラデーションを織りなす。
その一番暗いエリアから、返事が返って来た。
「―よく気がついたな」
声を確かめると、隼杜はゆっくり椅子を後ろに向ける。
視線の先に、『通常見えるはずのない姿』を認めた。

「気づいて欲しくて、そんな濃ゆ~い殺気を発したんだろうが」
すると相手は、皮肉な笑みを浮かべた。異世界のモノらしい、生気のない笑顔だ。
「お前さんにいい事を教えてやろうと思ってな」
『京紫』という名を、彼は何処で見つけてきたのだろう。優美な色の名前など、およそ似つかわしくもない。
死神であるこいつが。
だが、その出で立ちは悔しいくらいに秀麗で
そういう意味では、確かに名前に相応しい。
勿論、見た目だけの話だ。

「また、誰か捕まえにきたのか」
自分が苦い表情をしているのがよく解る。
こいつが姿を現したってのは、そういうことだ。
「今日中に、一人」
京紫が告げる。
「今日は珍しく静かな夜だったのになぁ…」
隼杜はやるせなく天井を仰ぐ。
今の今まで、読みかけの本に没頭できるほど急患のコールがなかったのだ。
死神の宣告は、あまりにも非情だ。

この静かな夜に、死を迎える誰かがいるというのか…。

咲良と境介

咲良(さくら)は独り、立ち尽くしていた。
今、彼女の全身を覆い尽くすのは絶望と悲しみと、
これ以上ないくらいの無気力。

その後ろ姿を見下ろす最愛の人と死神の姿は
彼女に限らず、誰の目にも映らない。

どうしてこんな事になってしまったのだろう。
つい先日まで、彼は
一番近くで咲良を見つめていたのに。
いつだって彼女を
何処へでも連れて行ってくれたのに。
自分のお気に入りの愛機で。

     ◆

「信州へ行こうか」
久々に取れた休暇を利用して、何処か遠出しようと彼が言った。
「ほんと?」
咲良が目を輝かせる。
その反応が嬉しくて、彼もまた笑顔を輝かせた。
「旨い蕎麦食いに行こう。高原目指していい道いっぱい走ろう」
「やった!嬉しいっ」
彼とのタンデムツーリングなんていつぶりだろうか。
ここのところ仕事が忙しくて、咲良はほとんど相手をしてもらえなかった。
それは、彼の愛機であるカワサキバルカン900も同じだ。
少しでもタンデムしやすいように、彼はシートポジションの低い車種を選んでくれた。
元はニンジャに乗っていたのだから、きっと物足りない事だろうと思う。
それでもバルカンはよく走ってくれている。
彼は、新しい相棒を心底気に入っていた。

「しばらくほったらかしだからなぁ。少しメンテしといてやらないと」
一週間後に控えた幸せな時間が待ちきれない、
そんな声音だ。咲良も嬉しくて仕方なかった。

白樺高原に向かうビーナスラインは快晴で、快適だった。
アメリカン独特のゆるやかで力強い排気音に身を委ねて、咲良は初夏の風を堪能する。
愛機は快調だ。
彼もまた、久々の走りを噛みしめるようにスロットルを開けていく。
バイクで走るのは海もいいが、咲良は山へ向かう方が好きだった。
深い緑の中へ、高みへと吸い込まれるように登って行く一本道が、夢のような時間を与えてくれる。
ずっと、このまま何処までも走って行きたい。
二人で何処までも…
咲良はその時何故だか、切実に祈っていた。

     ◆

「…え?」
その連絡を受けたのは、旅から帰ってまだ一週間も経たないうちだった。
「―どういうこと?」
相手の話を聞くうちに全身から力が抜けていく。
汗をかいていた。
手が滑って、何度も受話器を取り落としそうになった。
『とにかく、今から迎えの車をやりますから
乗って病院まで来てもらえますか』

『…咲良さん?』
姿が見えない分、彼女を気遣い相手も心配そうに呼びかける。
気を取り直して咲良は返事をした。
「ええ…、大丈夫です」
気丈な返事は無理をしてのものだと察した相手は、こう言って励ますしかなかった。
『大丈夫。お父さんは必ず、助かりますよ』
例え万に一つの可能性だとしても、人はそれにすがって祈る事しか出来ないのだから。


病室に眠るひとつの魂。
京紫は、じっと彼を見下ろしていた。

今夜、一人。
『また、捕まえに来たのか』
少し前に投げられた台詞を思い出す。
捕まえに来たのは、彼の魂。まだ、若いな。

これから起こるであろう悲劇を想像して、死神はまたいたたまれない気持ちになった。

この男の周囲にいるかけがえのない存在たちが
これから彼の元へ駆けつけ、悲しみの底へ突き落されていくのだ。
それが自分の仕事だと承知している。
自分は、現世の生物たちとは、相容れない存在なのだ。
「解っているさ」
京紫は、まるで自分に言い聞かせるように独りごちた。


廊下をパタパタと走る足音。人の気配が近づき、ざわついてくる。
「申し訳ありません!」
手は尽くしたのですが…と言う隼杜の声が聞こえた。
そんな…、どうして…
もう一つの声。女の子だ。こいつの娘だろうか。

仕方ない。死神は『仕事』をすべく、横たわる男の身体へ手を伸ばした。
「おい、起きろ。迎えに来てやったぞ」

     ◆

父親の隣で咲良はただ、立ち尽くしている。
不思議と涙は出てこない。
浮かんでくるのは、たくさんの疑問符だけ。
どうして、こんな所にいるのだろう
どうして、こんな事になってしまったのだろう
どうして

長距離の運転手を生業としていた父は、
いつだって事故に遭う危険性と隣合わせだ。帰りが遅い時は常に覚悟を決めて待っていた。
けれど、こんなに早くその場に出くわしてしまうなんて。
「ありえないよ」
信州行ったばっかじゃん。
さすが俺の愛機は調子いいって、子供みたいにはしゃいじゃって。また近いうちに来ようなって
言ってたじゃない…。

「―咲良」
京紫は迷っていた。
少しだけ、こいつに娘と話をさせてやろうかと。
そうでもしないと、この男は俺について来ないだろう。


起こされた男は状況を聞かされた途端、彼につかみかかった。
「なんでだよっ!
俺は、まだ死ぬわけにはいかないんだよ!」
「死ぬ瞬間は誰しも思っている」
「俺がいなくなったら、あいつは…
咲良は、たった独りになっちまうんだっ!」

やわな人間の事情になど構っていられない。
死神としての鉄則だ。飽きるくらい言い聞かされていたというのに、どうしても捨てきることが出来ない。
それが京紫の悪い癖だ。現世に首を突っ込みすぎる。
いつも言われていたじゃないか。
限りない好奇心と少しだけ持ち合わせた優しさは、死神にとって何の価値もない。自分の首を絞めるだけだ。

死神が声を発するその直前、
ガチャリ
と、霊安室の重い扉が開かれる。
入ってきたのは、一人の男。
死神が見つめるその男の口が、小さな声で彼に話しかけてきた。
「―境介(けいすけ)さん、いるんでしょう?」
そして、おもむろに天井を見上げる。明らかにこちらに気が付いている様子だ。
境介と呼ばれたのは、多分こいつだろう。京紫は隣の魂を見つめる。
「…羽柴(はしば)?」
「あ、やっぱりいらっしゃいましたね」
銀縁の眼鏡を外して、羽柴と呼ばれた男がこちらに笑顔を向けた。

「お前、こんなとこで何してんの?」
「お言葉ですねぇ。咲良さんをお連れしたのは、僕ですよ」
どうやらこいつら、知り合いらしいな
京紫はひとまず、この二人のやりとりを見ていることにした。
「ああ…、それはありがとな」
「彼女には今、まりあさんが一緒についていますから。
―それと、これからもずっと」
「…は?」

静寂が包みこむはずの地下の一室に、不思議な気配が感じられた。
隼杜は〝奴〟が来ている事を察した。
死神以外にも…、誰かの話し声?

「こんな事、簡単に言ってしまえる話じゃない。それは解っています。
でも、僕たち二人で話し合って、覚悟して決めたんです。
咲良さんのこと、僕たちに任せてもらえませんか」
羽柴の眼差しは強くて真剣だ。痛いくらいに気持ちが伝わってくる。
境介はその視線をまっすぐに捉えて、見つめ返す。

そうしてしばらく、重い沈黙が続いた。
「―解った」ようやく、境介が口を開く。
「どういう方法を取ってくれてもいい。
ただ、絶対に咲良を守ってくれ。あいつがいっぱしになるまで」
「―お約束します」
そして、羽柴は付け加えた。
「境介さん…、ありがとう」
羽柴の言葉に少しくすぐったそうな表情をして、境介はついでのように付け加えた。
「…あ、それとな。俺のマシンも、頼んでいいか」
羽柴は一瞬きょとんとしたが、すぐに笑顔で返す。
「勿論です。でもそちらは、まりあさんに一任しますけどね」

京紫は不思議な思いで彼らのやり取りを聞いている。
こんな簡単な会話で大事なものを託し、こいつは成仏しようとしている。
私の説得は不要そうだな。

人間というのは不思議な生き物だ。
だからこそ、興味が尽きない。

羽柴

夢を見ていた。
随分昔の夢だ。羽柴はそう思いながら、光景をぼんやりと眺めている。
自分と、隣にいるのはまりあだ。
学生の頃だろうか。そして正面に対峙しているのが、彼女の父親だった。

―これは、結婚を許された日の光景。
ただ、ひとつおかしな点に思い当たった。
羽柴は考える。
そうだ。お義父さんに許されたのは、卒業した後だったっけ。


そこで、目が覚めた。
「あ…、あれ」
気がつくとそこは病室で、見るとまりあがベッドに寝ている。
その向こう側、羽柴と反対の位置に椅子を置き、そこで眠りこんでいるのは咲良。

あの後、羽柴は咲良をまりあに任せて霊安室に向かった。だが咲良を慰めている間にまりあが急に痛み出し、倒れたのだ。
境介の死のショックと、無理をして病院まで駆けつけたせいだろう。
まりあは妊娠五カ月目。安定はしていたものの
旧友の死を受け止めるのには、やはり身が重すぎた。


まりあは羽柴より三歳年上だ。
境介とまりあは同い年で、バイク好きという共通の趣味をもっていたので親しくなった。
羽柴は境介の高校の後輩だった。まりあと境介は、羽柴を介して知り合った事になる。
全く性質が違う彼を、境介は何故か弟のように可愛がっていた。
もしかしたら、まりあがいたから…かも知れなかった。
―いや、きっとそうだ。
今はそう確信している。


小学校の恩師がまりあの父親で、それで二人は知り合ったのだが、通う学校が同じだった事はない。
まりあは大型二輪の免許を取得してすぐ、カワサキの〝Z(ゼット)〟買い、走り回るようになる。
そしていつの頃からか、羽柴を学校まで迎えに来るようになっていた。
男子校だったせいもある。周りの視線は半端ではない。
けれど羽柴は特に気にする事もなく、
だからといっておかしな優越感を感じる事もなく、迎えの〝Z〟に乗って下校する。

まりあの存在は、姉というより兄のようだった。
男らしい性質のせいもあるが、幼少の頃から知っているせいもある。
まりあの父親も、羽柴を生徒というより自分の子供のように扱った。
時には、本当の親よりも厳しく叱責を受けた事もある。

羽柴は彼女の父親が好きだった。
彼みたいな先生になりたい
そう思って、自分の将来を決めた。

が、まさか
まりあと結婚することになるとは、全く思っていなかったのだ。


「羽柴くん」
顔を上げると、まりあが目を開けていた。
「あ…ごめん、起しちゃったかな」
「ううん、大丈夫。それより、ごめんね。あたしがしっかりしてなきゃいけなかったのに」
その手は柔らかく握られたまま、まりあは済まなそうな表情を向ける。
「いや。僕が離れてしまったのがいけなかった。二人ともに悪い事をしたよ」
幸いお腹の子に影響はなかったが、やはり負担をかけてしまったのは事実だ。
しかし彼女は首を横に振り、強く言った。
「何言ってんのよ。境介の最後の声を聞いてきたんでしょう?
それが出来たのは貴方しかいないのよ」

驚いた。
まりあにはそんな話をしたことがないのに。
「…知ってたの?」
羽柴に霊感的な能力があることは、まりあには話したことがない。
話す必要もないと思っていたし、羽柴自身話したいことではなかった。

彼女は、ただ黙って笑った。

「―咲良さんのことは僕たちに任せてくれた。
 絶対に守ってくれ、と。
 それから、彼の愛機を頼むと言っていたよ」
「私に?」
「その点は、僕は門外漢だからね」
「全く…あいつ、私がアメリカン乗らないの知ってて言ってるわけね」
現在まりあが駆るのはオフロード車だ。
ダートコースを好む近頃の彼女に、大陸的なアメリカンタイプのバイクは、確かに性に合わない。
「まぁまぁ」羽柴は苦笑する。
「多分、彼は咲良さんを乗せて走って欲しいんだと思う。
結局、数える程しかタンデムできなかったからね」

まりあは傍らの娘を見つめた。
始めは眼を真っ赤にして泣きじゃくっていたが、
まりあが倒れた後は実にしっかりと彼女を支え、逆に励ましてくれもした。
頼もしい子に育った。
父親にも、母親にもそっくりだ。
「でも、この子…あと一年もすれば、きっと自分で走り出すと思うわよ」

咲良は来年十六になる。
だれの手も借りず、きっと自分で走り出す。
「―そうだね」
子どもというのは、そうやって
いつしか親の元を巣立っていくものだ。

いつかうちの子も、立派になって僕を送ってくれるのかな…
何とも気の早い事を、羽柴はこっそり考えていた。

隼杜と京紫

「―さて」
京紫は人間がするように、膝を叩いて腰を上げた。
そういう些細な仕草は、何処で覚えたものなのだろう。隼杜は無性に可笑かった。

「今夜は忙しい。次の迎えに行かねばならない」
「…また、連れて行くのか?」
どんなに面白い奴でも、こいつは死神なのだ。
解ってはいても、やはり眉をひそめてしまう。

が、その彼から返ってきたのは 意外な話だった。
「お前さん達は人の半面だけを見て、誤解するようなきらいがある。
せっかくだから覚えておくといい。
死神(われわれ)には、『死を迎える魂を迎えた』あとに
『新しい命に送り出す』という役割もあるのだ」

「え?そうなの?」
隼杜の予想通りの反応に、京紫は少し笑んだ。
「知らなかっただろう」
「知らなかったな」

「ひとつの魂が旅立てば、代わりに新しい生命が生まれ、降り立つ。
そうやって世の中動いているだろう?あれは誰のおかげだと思っていたのだ?」
死神は、とても誇らしげに言う。

「…そうか、お前は『神』だったな」
隼杜が納得するように発した言葉は、
京紫に強烈な懐かしさを与え、生ぬるい感情が彼をくすぐった。

「新しい命が生まれるってのは、死んだ人の魂が生まれ変わるってことなのか?」
思い切って聞いてみる。
返ってくる答えは、何となく予想がついたが。
「…さぁ、どうだろうな」
…やっぱり。

死神は、今夜に限って何故こんな話をしたのだろう
それが隼杜への救済の言葉であったような気がしてしまうのは、自らのエゴでしか無いことは解っている。
―けれど

「俺は今、こうしてアンタと話していたって、アンタの事を完全に信じちゃいないよ。
けど、もし世の中がそうやって回ってるってんなら…
ちょっと、救われるのかな…
勿論、医者としてそんなこと言っちまったら
終わりなんだけどさ」
それは独り言のように吐き出された、彼の本音だ。
京紫が聞いていたかどうかは分からない。

気がつけば 宿直室に隼杜は独り。
もうすぐ夜が明ける。


     ◆◆◆

「あたしは やっぱりこれだと思うのよね」

待合室でそう言った咲良の手には、バイク雑誌。開かれたページの見開きに大きく載った一台。
このことを言っているのだろう。
…が。
「何が?」
隼杜は率直に疑問を投げる。
「もーっ!何でそう他人事なのよーっ」
「だって」
彼はてっきり、咲良自身が選ぶ相棒の話だと思っていたのだ。
「だってじゃないよ!
先生の新しい『相棒』の話してんのに!」
「…そうだったの?」
と、そこへ始業のチャイム。

それまでざわざわと無秩序に動いていた周囲の空気が、次の授業の為の一斉の移動に変わる。
たくさんの足音が、『教習カード』を手に外のコースへ出ていく。
「やば、行かなきゃ」
咲良もそれに倣い、雑誌を置いて立ち上がる。
「一時間後にまた来るから」
隼杜は後ろ姿に声を掛ける。
「うん」
頷いた後で咲良が振り返り、「あっ」
「考えといてよ!」
と、誌面を指差した。
俺のバイクの話なのに、何故主導権は俺にないんだろうか。そう思わずにはいられないが、
「はいはい。頑張ってらっしゃい、坂道発進」
ひと先ず手を振って追い立てた。

     ◆

咲良が二輪免許を取得すべく教習所に通い始めた。
幸いセンスが良いらしく、順調に単位を獲得し、スムーズに一段階をクリアしている。
やっぱり親父さん譲りか。
二年前に亡くした父の愛機に自分で乗るべく、せっせと教習を重ねていた。

その間、件の愛機は隼杜に託されている。
最愛の父と別れた後、咲良は羽柴の家に『居候』という形で引き取られた。
院内の産科に入院していたまりあの見舞いに来るついでに、咲良は何度か隼杜の元にも訪れていた。

隼杜には拭えない贖罪の気持ちがあるものの、当の咲良の方ではそれを気にする風でもなく
むしろ隼杜自身を気に入っているかのように、何だかんだと関りを持ち続けようとしているようだ。

更に入院中のまりあが、隼杜がバイク乗りであることを聞きつけ、
加えて現在は所有していないことも知ると、境介の愛機・バルカンを半ば強引に押し付けてきた。
「私には合わないのよね、あーゆう大陸タイプ」
そう言って、「咲良が免許取るまで、乗っててやってくんないかなぁ。…あの子付きでさ」
と、意味深な一言を付けて打診してきたのだった。

まりあは元気な男の子を無事に出産、退院した。
羽柴の家に来た新しい生命が、境介の『生まれ変わり』かどうかは、隼杜には判らない。
死神にも「さぁ、どうだろうな」とはぐらかされた。


「検定が終われば、晴れてお役免除か」
振り返ると、意外と久しぶりに会う死神の姿。

「…何しに来たんだ」
「お言葉だな、『先生』。
安心しろ。そう警戒しなくても、今日は『仕事』で来たのではない」
「ん?ああ、そうなの」
むしろ仕事以外で来てもらう方が気味が悪いのだが、隼杜は敢えて言わなかった。
京紫がそれを察したようだったからだ。
「今宵はいつになく暇が余ってな。
 お前さんに昔話をしてやろうと思ったのさ」



教習所の近くに小さな公園があった。
彼らは人気のない暗い滑り台の脇に、これまた暗くひっそりとしたベンチを見つけ、腰掛ける。
もっとも死神に腰掛ける概念はなさそうだが、目線を隼杜に合わせる為か、座るような素振りを見せた。

「そろそろお前さんの身内に法事があるだろう」
そう切り出されて、隼杜は正直に驚いた。
「うちの婆ちゃんの十三回忌だ。アンタ何で知ってんの?」
ふん、と鼻で笑う。そして静かに言い放つ。

紫乃(しの)の迎えに行ったのは、私だからだ」
「―え?」


「あいつはえらく辛抱強いと言うか、それこそ往生際が悪いというか、臨終の際までかなり通わされた」
確かに、覚悟を決めてから何週間か、祖母はもちこたえていた。
隼杜はその頃、受験で追い込みの時期だったのだ。
思うように取れない時間の中で何とか最期を看取る事が出来たのは、奇跡的だったと思っていた。

「あいつは俺にもう少しだけ待ってくれ、と頼んでいた。
孫の顔が見たい、孫が出発するのを見届けたい…と」
「出発…」
隼杜が大人になる為の
医者として一歩踏み出す為の。
受験合格の時期を待っていたのだと、すぐに察することが出来た。
実際、合格通知を持って大急ぎで駆け付けた隼杜を待ちわびたかのように、祖母は逝ったのだ。

「待っている間に色々な話をした。もっぱら、彼女の子供や孫の話ばかりだったがな」
何故だか楽しそうに、京紫は思い出す。
「お前さんの話は特に長かった」
「俺は婆ちゃんのお気に入りだったからね」
照れもせずに隼杜は言う。猫かわいがりとはこういうことか、と随分言われたものだった。

「俺も婆ちゃんが大好きだったよ。大事なことを決める時は、親より先に相談したし。
医者になるんだってことも、確か…彼女の話もしたなぁ」

「連れていこうとした時、あいつは言ったんだ。
 仕事の合間でいい、出来たら孫の様子を見に行ってやってくれないかーとな」
「…アンタに?」
余りの衝撃に隼杜は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「私もな、耳を疑ったぞ」

『貴様は誰に向かって頼んでいるか、解っているのか?
死神に生きている孫の面倒を見てくれ、なんて。…お門違いにも程がある』
当時、死神は半分呆れながらそう言った。

それからしばらくは、その事を忘れていたらしい。
再び思い出したのは、

「―あの事故の日…」
隼杜が何か思い至ったように、呟いた。
「―そうだ」
「血だらけのお前さんの顔を見て、思い出した。ああ、あいつの孫だ…と」
隼杜の中に、忌まわしい記憶が嫌でも蘇る。ついでに全身にほとばしった痛みすら、鮮明に思い出せる。

「…だから、俺を生かしたのか?」
恐る恐るだが、隼杜は聞かずにはいられなかった。
もしかすると自分は今、生きているべき存在ではないのかも知れない。そう思った。

が、死神はきっぱり否定する。
「まさか。いくら頼まれたって、死を迎えるべき魂を生かしたりはしない。
―第一、私の何処に利益があるというのだ」
…確かにそうだ。けれど。
「いまだに原因は分からないが
死に行く魂の独特の匂いを辿っていったら、確かにお前さんを見つけた。…だが
何故か、お前さんの前で匂いが消えた」

死神って、犬みたいなんだなと隼杜は思う。
同じような出で立ちをしている目の前のモノが、急に遠くの生き物であるかのように思えた。
―いや、『生き物』じゃないか。
「何か別の魂がいたのかな?人間じゃない何か…」
そこまで言って、隼杜はふと思い出す。

「なぁ、マシン…ってことはないかな?」

しばしの沈黙。
やがて死神は珍しく、声を上げて笑い出した。
「…な訳ないか」
隼杜は口に出してしまった事を激しく後悔した。
「―いや、すまない」
考えを打ち消そうとする彼を、京紫の手が遮った。
「そういった発想を私は持ち合わせていなかった。
―だが、考えられないことではない」
「え?」
「物には魂が宿る…などと聞いたことはないか?」
「あるよ。婆ちゃんはよく言ってた。
だから、自分が手にしたモノたちだけでも大事に扱えって」
「確かにそういう傾向はあるのだ。持ち主が愛着を持って接していた物には、魂のようなものが生まれるのさ」
「ほんとに?」

京紫が穏やかな笑顔を見せた。
死神である事を忘れてしまうような彼の表情に、何故だか隼杜は気恥ずかしさを覚えた。
「だが、確実なものではない。
実際に我々の仕事で機械を『迎え』に行った試しはないからな」

「それでも呼ばれる事があるのかも知れない。
きっと、あの時がそうだったのだろう
それで、お前さんを見つけることが出来た」
本当のところはもはや誰にも分かる術はない。
それでも、信じたい。隼杜はそう思った。

あいつが
愛機(ハヤブサ)が、京紫を呼んだのだ…と。
そして、俺の命を救ってくれたのは。

「―おっと、お呼びがかかった。油を売るのもここまでだ」
そう言い残して、死神は風の中に紛れていった。
暗い公園にはもう、誰もいない。


彼はそれでも、誰にも聞こえない程度の声で呟く。
もしかしたら、あの死神に聞かれてしまうかもしれないと思ったからだ。
何しろああいった類は、地獄耳だろうから。

「―ありがとう、ハヤブサ
婆ちゃん…
それから、京紫」


隼杜ははたと思い出し、咲良を迎えに行こうと
再び、明るい通りを目指して歩き出す。

the Deathwing【再編集】

随分と長い間書いているお話です。
4つの短文だったものを入れ替えたり差し替えたりして、一つの話(みたいなもの)にしています。
※更に加筆・修正しました。

the Deathwing【再編集】

死神の人が見る人間世界のエピソードを綴るお話。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2014-02-15

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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