冬枯れのヴォカリーズ vol.3

冬枯れのヴォカリーズ vol.3


次の日は冴えない土曜日だった。

 誰からの遊びの誘いもなく、ブランチの後、昼間からジュリア・フォーダムの『哀しみの色彩』をかけながら、趣味のビーズをやっていた。今は、12月10日が誕生日の緑の為に、とびっきり難しいネックレスに挑戦していた。

「そうだ、緑に電話するんだった」

 ケイタイは八回呼び出し音が鳴った後、留守電に切り変わった。
 その後、緑の目白のアパートにかけたが、こちらも留守電だった。

  緑は島根から上京し、二年までは大学の寮にいたが、今は目白のアパートで一人暮らしをしている。
 まさか、と私は思った。まさか、島根にいるのでは……。そう思い、普段はあまり開かないクラスの名簿を取り出し、緑の実家の番号を調べる。午後二時だ。自宅にかけるには悪くない時間帯だろう。緑の実家にかけるなんて初めてだな、と思いながら、CDのボリュームをおとし受話器を手に取った。

「はい、永井でございます」  お母さんが出た。

 私はちょっと緊張してとりあえず名乗る。

「あの、私、緑さんの大学のクラスメートの夏木と申します。あの、緑さんは…」

「ああ、夏木理美さんね。いつも緑がお世話になっております。緑は、今、ちょっと体調を崩して戻ってきてるんです。ご心配おかけして申し訳ございませんねぇ」

「…そうですか。少しかわっていただけませんか?」

「それがね、実は入院していまして…。お電話あったこと伝えておきますね。本当にどうもありがとうございます」

「わかりました。緑さんによろしくお伝え下さい」

 緑…。電話を切った後、色々な思いが頭をよぎった。三年後期のテストは、学部学科を問わず盛り沢山だ。一月のテストまでに、なんとか元気になって戻ってきてくれるだろうか。

 奈歩にメールを打った。デート中なのか返事はすぐには来なかった。

 私はその日、ネックレス作りもほどほどに、ロフトで音楽もかけずにボーっと横になって過ごした。


 気がつくと七時を回っていた。どうりでお腹が空いたわけだ。
 外は寒そうだったが、土曜日に一人分の夕食を作る気がしなかったので、ギンザ通りのドトールに行くことにした。
 ちょうど母に葉書も書こうと思っていたので、絵葉書とペンケースをバッグに入れて、普段着にメガネのまま、フリースを着込み、家を出た。

 豆腐屋のおばちゃんが、近所の人と立ち話をしていた。みすぼらしい格好で出てきて、まずった、と思ったが、笑顔を作り軽く挨拶をする。

 日はとっくに落ちて、どこからともなくカレーのいい匂いがしてくる。

 早稲田通りに出て、2~3分高田馬場方面に歩いて行くと、ギンザ商店街はある。東中野駅まで150mくらい続く商店街だ。ドトールは、その真ん中よりも駅側にある。

 店内に入り、まず二階の窓側の一人用の席を確保する。そしてまた下に降り、ジャーマンドッグとブレンドコーヒーを注文し、ジャーマンドッグの出来上がるのを待つ間、ちょっと店内を見回した。

 学生風の男の子、若いカップル、60を過ぎていそうな新聞を読んでいるおじさん、土曜なのに紺のスーツを着ている20代後半の女性…。私以外は、土曜のディナータイムということを気にしている人は、誰もいないようだ。

 急な狭い螺旋階段を、用心して上り、席に着き、フリースは着たまま、まずコーヒーに砂糖を入れかき混ぜ、そこにミルクを落とし、一口飲む。


 窓の下の八百屋さんをぼんやり眺めた。
 近くに大きなスーパーがあるとは言え、その八百屋さんにはひっきりなしにお客さんが入っていて、品物とお金の交換が忙しく行われている。お金を天井から吊るしたざるの中に入れているのは、結構合理的だ。

 ケイタイをいじる。松崎に、何度もメールしそうになった。

(今日は何してた?)
(研究忙しいのは分かるけど、土曜ぐらい連絡くれたっていいんじゃない?)
(明日どこか行かない?)

 色々な言葉が頭に浮かんだし、実際文面にしてみたりもした。でも、結局出さなかった。返事が来なかったらどうしよう、と思うと出せなかったのだ。迷惑女にだけはなりたくなかった。こういう時は、相手の立場にならないと。ひょっとして土曜日も研究室行っているのかもしれない。

 とにかく松崎にメールを送るのは諦めて、立ち上がり、フリースを脱いだ。

 活気のある八百屋さんを眺めながら、ジャーマンドッグを食べる。声は聞こえないけれど、きっと威勢のよいかけ声や挨拶を交わしているんだろう。お客さんも店の人も笑顔だ。ちょっとだけ元気をもらったような気がした。

 食べ終わると、コーヒーをまた一口飲み、母に葉書を書いた。



 拝啓  

  萩も咲き終わって、そろそろ庭の木も色付いて来た頃でしょうか。
 その後お変わりありませんか?食事療法やマッサージもちゃんと続けていますか?
 私の方は相変わらずで、授業も難しいですが、なんとか頑張っています。
 先日はデンマーク体操の発表会に来て頂きありがとうございました。頑張って練習していたのでとても嬉しかったです。あれからお姉ちゃんの所には寄ったのですか?
 前から話していた通り、今度の連休に友達を連れて福島に行きます。よろしくお願いします。
 それではまた。お体くれぐれも大切に。 
                           かしこ      理美


   私の母は乳ガンを患って丸五年になる。忘れもしない、私が高校一年生の秋に、検査で右のおっぱいに小さなガンが見つかり手術をしたのだった。
 母は、運良く早期に発見されたので、乳房は残し、ガンとその周囲だけを取り除く、いわゆる温存手術というのをしたので、おっぱいは今も健在だ。
 その後、二年ぐらいホルモンの注射とかを受けに定期的に病院へ行っていた他は、仕事にも復帰したし、まだ一度も再発はしていない。
 けれどもガンにかかってから、食事は玄米中心に変え、動物性のタンパク質を極力とらないようにしているし、最近は健康茶などを意識的に飲んでいる、とこの間の葉書には書いてあった。

 母は、福島市にある設計デザイン事務所に勤めている。インテリアコーディネーターだ。ショートカットでシックな色の服を好んで着るので、女優の樋口可南子に雰囲気が似ているし、今脚光を浴びているかっこいい職業をしているお母さんはパイオニアだなぁ、と誇りに思っている。

 おっぱいを全部切らなくて良かった、と母は振り返る。全部取ってしまうと、取ってしまった側の腕がむくんでしまったり、力が入らなくなったりするのだという。

 母は昔から、穏やかだけれども辛抱強い、というところがあって、それは言い換えるならば、真の女の強さみたいなのを持っている人だな、と子どもながらに感じていた。物腰が柔らかく、どっしりしているのだ。母は、兄や姉にはどうかわからないが、少なくとも私には、とても寛容だった。基本的にやりたいことをやりたいようにさせてくれた。
 もしかしたら母は、兄や姉の子育てに一段落して、母親として成長したのかもしれない。私はすぐ上の姉と五才も離れているから。今の私なら、遠くからそんな分析もできるようになった。

 平日は多忙だけれど、週末になると、よく一緒にお菓子を作ったり、天気が良ければ、家族でドライブに出掛けたりした。
 父も母も農家出身だからか、自然が大好きだ。母は本や新聞も大好きだ。

 仕事に行く時はおしゃれをほとんどしない。おそらくインテリアを扱っているから、自分自身は極力シンプルにしていよう、というポリシーがあるのだろう。ちょっと明るめの服を着るのは、私たちの入学式や卒業式、それと年に1~2回お友達と温泉にお泊まりの時くらいだ。

 両親は演劇が好きで、演劇鑑賞会なるものに入っている。熟年カップルになっても、そうやって二か月に一度夜二人で出かけ、食事などをする両親は、とてもオシャレだなと思う。それから母は、とても筆まめだ。私も負けないくらい筆まめなので、こうやってよく葉書の交換をしているのだ。


 兄の厚太はロンドンでロックミュージシャンをしている。昔から独自のワールドを持った人で、中学ぐらいからエレキギターを四六時中かき鳴らしていた。そんな兄を見て育ったからか、すぐ下の姉は模範的な人間に成長した。私は小さい頃、てっきり姉の方が年上だと思っていたほどだ。姉は地元の中学ではもちろんのこと、高校でも常にトップだった。マンガやTVを観ている姿はほとんど記憶にない。


 メールが立て続けに二通来た。受信箱を開けると、奈歩と姉からだった。
 奈歩は、緑のことの返事、姉は明日新宿に出るから少し会わないか、ということだったので、明日も何も用事がなかったから、姉と会う約束をした。

 明日の予定が入ったので急に嬉しくなって、まだ閉店までは時間があったが、いそいそと片付けてアパートに戻った。

冬枯れのヴォカリーズ vol.3

ご拝読、ありがとうございました。

冬枯れのヴォカリーズ vol.3

都内の女子大に通う、理美の、大学生活の日常を描く、恋愛小説。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-10-27

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