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Team84支援物資

 観測史上最大の暗さの二連星の発見に、ぼくは成功した。2、3週間前か、あるいはすでに月をまたいでいるかもしれない。カレンダーを気にしない生活が長いからね。そんなあいまいな記録で、観測と言えるのか、なんてみんなはぼくを責めるだろうけど、あいにくぼくは世間には負けない自信がある。世間とはもう戦わないからね。
 ぼくは確かに内向的なところがあると思う。でも、問題になっているアレとは違うから、夕方や昼間に散歩くらいはするんだ。そりゃちょっと億劫だとすぐに取りやめるけどね。 そこで、ぼくはマンションの周辺をぐるっと回ったりすると、ときどきというかけっこうというか見かけるなと思う人がいた。気づいたのはまだ春だったと思う。
 そして、2、3週間前に確信した。この人、ぼくと同じなんだなって。秋とはいえまだ温かい、多くの人が半袖を着ているとき、彼女も半袖だった。黒いTシャツから真っ白な腕が、自家製のこんにゃくより少しだけ固そうに揺れていた。Tシャツ全体は少しだけ張っていて、特にウエストのあたりは絶妙なあまり具合だったと思う。
 目を下にやると黒いパンツが、ウエストから太ももまで張り付きそうな余っていそうな具合にもっさりして、キャンバス地の靴もやはり黒かった。
 ようやく目を上げると、青い耳掛けのヘッドッフォンがまぶしく輝いていて、音楽が好きなんだななんて感想が出る前に、しっかりと膨れた艶のない下唇と、もうしわけなさそうに乗っている上唇、楕円からなんの工夫もされていないようなメガネの奥に、フレームより細い目があった。
 きっと彼女とぼくは、このマンションという重心のまわりを近づいたり遠ざかったりしながら回っていたんだろう。そう考えると、なんだか嬉しくなった。ぼくだけじゃないんだ。
 そんな喜びを見つけたある日、ぼくは怒った。冷蔵庫を開けるとコーラがなかったのだ。買い物はあまり好きじゃないけど、家族がいない以上、買い物に出なければならない。
 面倒に思いながらもエレベーターに乗って降りて、一階のロビーの自動販売機までたどり着いた。
 ようやく買えると思ったけれど、他にも自動販売機に向かっている人の気配がした。彼女だ。
 ぼくの怒りは収まっていたし、最近いい思いをさせてもらったので、ぼくは彼女に「んっ」と言った。もちろん音では伝わらないことを、ぼくはちゃんと分かっていたから右手を自販機の方に差してうつむいた。
 彼女はそんなぼくの気持ちをちゃんと理解して、やはりうつむきながら機械の前に立った。そして、さらにうつむいた。
 赤いランプが付いている。彼女もコーラを買いに来たんだ。でも、ダイエットコーラはおいしいとは思えないけどな。これが女性らしさというものなんだろうか。
 ぼくはひらめいた。ぼくが買いたい普通のコーラは売り切れてないけど、もう少しだけぼくと彼女の違いについて観測しておかなければならない。道路を渡ったところにあるコンビニにでも一緒に行こう。
 「ん。コンビニどうです、か」
今度は彼女の方に目を向けた。
「…そうですね」
ぼくと同じくらい小さな声が帰ってきた。
 二人して信号待ちをしているぼくらは、なんだか他人のように見えたことだろう。他人だけど。だって、結構距離をとって立ち止まったのだから。ぼくは重心であるマンションから二人して遠ざかることに少しだけ怯えていたのだ。そういえば、役所の近くの橋、あのあたりで昼間、食事を取りに出ているおじさん達はこんな距離感でゆったりと歩いている気がする。ぴったりとひっついて歩かなくても、周りから見れば同じグループなんだなって、すぐに分かるものなのだろう。
 そして、いらっしゃいませと二度言われるか言われないかのタイミングで二人してコンビニに入った。そういえば、ぼくは普通のコーラを買いたいけど、ここで普通のコーラを選ぶとナンパ目的だと思われることに気づいた。嫌々ダイエットコーラを手に取った。
 彼女はというとコーラを買おうと扉を開けたけど、そのまま閉じて紙パックの飲み物が置いてあるコーナーに行った。そして、なんだかおしゃれな飲み物を手にとって、今度は振り向いてプリンか何かを探している。最後にチョコレート菓子を探しに大きく回りこみ、なにか子供を抱えるようにして商品を大変そうに抱えていた。
 彼女もいつかはああやって子供を抱えるのだろうか。ぼくは、先に会計を済ませて店を出た。
 待つべきか先に帰るべきなのか。迷いながら店の前でダイエットコーラを開けて一口飲んだ。やっぱりおいしくないや。彼女は思ったより早くでてきた。
 帰り道、間が持たなくてあちこちを見ていると、彼女が急にパンツの後ろのポケットに手を入れた。スマートフォンを出してチェックし始めたのだ。気持ちの悪いうさぎが、お尻から顔をこちらに向けている理由が今わかった。
 見ているのがなんのサービスがわかったぼくは、緊張しながらも
「ん。誰かフォローしてるんです、か」
「あの、いろいろと」
なんの手がかりにもならない言葉が帰ってきた。ぼくは、少しだけ悔しくなったので
「フォローワーがいないんです。その」
というと、彼女がはっとしたような顔で
「アカウントは。その」
答えてくれたので。ぼくもジーンズのポケットからスマートフォンを出して。画面を出した。趣味がバレそうで恥ずかしい。
 ついでに部屋番号も教えあって別れた。今までは配達の目印にしかなっていなかった数字が、何かに志願して与えられた番号のように思えた。ぼくの部屋番号は彼女の心の掲示板に残ってくれるのだろうか。
 ぼくは家に着いた。戦ってきた。こんな風に戦ったのはたぶん小学校5年生以来だと思う。ひ弱なぼくを心配して母親が道場に通わせるよう手配してくれた時だ。
 初めて道場に行った日、ぼくは先生にあいさつをしようとはしなかった。先生はとても優しい人で「なんで、あいさつをしないんだい?」と訪ねてくれた。
 ぼくは胸を張って「これから戦うかもしれない人に、あいさつなどできない」とうつむいて答えた。
 先生は「君、ブドウとはどういう字を書くか知っているかい?そうだよ、これは武の道なんだ。人の道として礼儀作法こそ大切なことなんだよ」と教えてくれた。
 「でも、先生、道より武が先に立つのでしょう。ぼくは先生のことは大変尊敬しています。でも武のためにはこの場所で頭を下げるわけには行きません」と答えた。
 先生はぼくの目をじっと見て、それから後ろに立っている母親に言った。「息子さんは武道には向いていないようです。お母さん、水泳でもさせてあげてください」と言った。
 新たなことに挑戦できなかったことが、ぼくは少しだけ残念だったけれど、あの時ぼくは戦ったと思う。今、ぼくはどこかの公園を借りきって櫓でも組んで騒ぎたい。だけど、ダイエットコーラの味が、ぼくを目覚めさせた。
 ぼくの観測はより精度を増した。今やマンションをうろうろしなくたって彼女を見ることができるんだから。
 『新しい服を買った』暗い色なんだろうな、なんて思ってたら、壁にかけられたセーターの色は思ったより明るかった。少しだけ写っているテレビには苗字みたいなメーカー名が書かれている。『前髪を切った』よほど放っておいたんだろうな。この時期は寒いから髪なんて切りたくないな。観測に推測を交えて、ぼくは楽しんでいた。
 しかし、彼女の以前のつぶやきを眺めてみても、こんな個人的なものは見当たらない。何かぼくへのメッセージなんじゃないか、そんな風に思ってしまった。
 8階から見える景色は、ぼくの4階の窓とは違うのかい?見てみたいな。そんなことをつぶやこうとも思ったけれど、なんだかそれまでの発見が思い込みからきたものなんじゃないかと不安になった。
やはり推測より観測に重きが置かれるべきだ。
 二連星というのはぼくの勘違いだったのかもしれない。重なって見えるけれど、本当は何光年も離れている星だってある。ぼくと彼女はどうなのだろうか。彼女の発言を押し流し、新たなつぶやきが画面に広がっていた。

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  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2011-10-26

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