時をかける浦島太郎

 昔々、あるところに浦島太郎という心優しい青年がおりました。
 太郎は元来お人好しで、困っているものを見ると放っておけない性格をしておりました。
 ある日、太郎は浜辺へ釣りに行くと、悪戯小僧で名の通る田吾作、魚吉、牛兵衛の三人が一匹の亀をいじめているところを見かけました。
 太郎は元来人が良かったものですから、小僧たちの悪戯を見逃してはおけませんでした。
 なんとか三人を説得し、傷ついた亀を治療してやると、なんと驚いたことに亀がお礼をしたいと口をきいたのです。
 おっかなびっくりと言った様子の太郎でしたが、そこは人の良い太郎のことで断ることが逆に無礼ではないかと亀の誘いを承諾いたしました。
 そして深い深い海の底、竜宮城へと招かれた太郎はそれはそれは美しい乙姫様に持て成され、幸福の一時を過ごしたのでございます。
 三日三晩の後、人の良かった太郎は村人たちが心配するのではないかと思い別れを惜しむ乙姫様に丁寧にお辞儀をして、竜宮城を後にしたのでございます。
 その時、乙姫様は太郎のように心優しい方であればと、ある贈り物をしました。それは、太郎の背丈ほどもある四角い箱に入れられておりましたので太郎は再び何度も頭を下げたものでした。別れの最後に乙姫様は告げられました。どうか、この海とこの世界をいつまでも大切にしてくださいと。元来人の良い太郎はその言葉に力強く頷きます。
 かくして、太郎は陸へと戻ってきたのでございますが、何やら様子がおかしいのでございます。
 浜辺で戯れている幼子たちは珍妙な柄の着物に袖を通しており、村から自宅へと続く足場の悪い山道は鼠色の固く平らな石の道に変化しており、何分いっそう驚いたのは自宅がまるで見たことの無い石造りの巨大な建造物になっていたのでございます。
 戸惑いながらも致し方なく入り口らしき門を通ろうとするも、これまた奇妙な透明の壁が太郎の行く手を阻みました。
 困った太郎は道を引き返しました。
 浜辺まで戻って来るとそこに腰を落ち着け太郎は考えました。
 ふと、自分が背負っていた四角い箱のことを思い出したのでございます。
 悩んでいても仕方がなかったので、太郎は箱を下ろし蓋を外しました。
 箱の中にはなにかよく分らない形のものが入っておりました。一目見て太郎は『ござ』のようにも思いました。ですがその『ござ』らしきものは固く、冷たく、床に敷いて使うには些か不適切なようにも感じました。
 箱の中には『ござ』と共に巻物が一つ入っておりました。
 太郎は封を解き、中に書いてあることを丁寧に読み理解しました。
この巻物は『ござ』についての説明書きだったのでございます。
 そして、巻物には太郎にも読める文字でこう書かれていたのでした。
 これは、タイムマシンである、と。



 太郎は一晩かけて、巻物の説明書きを読破いたしました。
 タイムマシンの使い方やその用途、使用例などが簡潔に、かつ分かりやすくまとめられていたのが幸いしたのでございます。
 それに伴い、太郎は今、自分が置かれた現状を理解しました。
 タイムマシンに備え付けられた測定器と自分が居た時代との差を計算したところ、おおよそになりますが約千年と言う時が経っていたのでございます。
 その事実に太郎は驚きましたが、すでにタイムマシンの使用方法も理解していた太郎は大して狼狽えはしませんでした。それならば、測定器をいじって千年前に帰ってしまえば済む話なのですから。
 それならば事はついでにと言った様子で、太郎は再びタイムマシンを担ぎ千年後の浜辺をぶらぶらと歩いてみました。
 季節が秋ということもあって、昼間だというのに浜風はいささか冷たく感じたものでした。海の向こう側、白波の立つ方に板きれにうつ伏せ腕で水を掻く男たちの集団を見つけました。何やら黒く日の光を反射するもので目元を隠しているので、その表情は望めませんが男たちがあまりにも楽しそうに水を掻くので、これは千年後の漁なのだなと太郎は推測してみたりしました。
 少し歩いたところで完全に人気のない岩場へと太郎はやってきました。
 そろそろ元居た時代へと帰ろうかと思った矢先、岩場の向こうから少年たちの声らしきものが聞こえたので太郎は顔を覗かせたのです。
「こいつめこいつめ」
 少年たちは三人がかりで、笑いながら木の棒で亀をつついておりました。
 驚いたことに、彼らは太郎の村で悪戯小僧として有名な、田吾作、魚吉、牛兵衛に瓜二つだったのでございます。
「やめないか田吾作」
 太郎は元来人が良かったものですから、少年たちの悪戯を見て見ぬふりなど出来ませんでした。
 すぐに止めに入るものの、少年たちはきょとんとしています。
「だれこのおっちゃん」
「田中くんの知り合い?」
「ホームレスの知り合いなんていないよ」
 太郎はハッとしてすぐにここが自分が居た時代ではないことを理解しました。
 だからと言って、亀をいじめることを見逃すわけにもいかなかったので太郎は表情を真剣にして少年たちに問い詰めたのでございます。
「なぜ亀をいじめてる?」
 太郎の問いに少年らは顔色を変えました。
 三人が三人、顔を見合って「やべーよ」ですとか、「ホームレスじゃなくて漁師の人じゃない?」ですとか、「海上保安庁の覆面巡察官かも」ですとか、ひそひそと言い合っておりましたが、太郎にはなんのことだかさっぱり見当もつきませんでした。
「なぜ亀をいじめているんだ」
 理由らしい理由が返ってこないので、今度は語気を緩め優しく少年たちに問い質してみることにしました。
 すると、ようやくその内のひとりが
「うちのおじいちゃんがもうすぐ病気で死にそうなんだ。だから長寿の象徴でもある亀を捕まえて食べさせてあげれば、元気になってくれるかと思って」
 しゅんとした顔で田吾作似の少年はしょんぼりと言いました。その後ろで二人の少年はげらげらと笑っていました。
 少年の告白に太郎は腕を組み、ふむと唸ります。
「なるほど」
 そう一言つぶやくと、太郎は一歩前へ歩み出て背中にかけていた銛を使い亀の柔らかい首の部分を狙って突き刺しました。
 一突きで、亀は絶命しました。
「ほら、これをじいさんに食わせてやれ」
 元来人の良かった太郎は祖父を想う少年の言葉に感動して、銛に突き刺さった亀の死骸を笑顔で少年たちへと向けました。
 しかして少年たちは何やらわーっと喚いて一目散に走り去ってしまったのです。
 太郎はまたしても、はてと唸ります。
「これでは足りなかったか」
 暫し悩むも、太郎は名案を思い付きます。
 自分には、タイムマシンがあるではないか、と。
 タイムマシンで数分前の過去に戻ればまたしても亀が取れる、と太郎は意気込み、さっそくマシンを箱から取り出して十分前の過去へと戻ったのでございます。
 先ほどと同じように、太郎は亀の柔らかい首根っこ辺りを銛で一突きしました。
 亀は数秒間ぴくぴくと動きましたが、やがて死にました。
 少年たちはまたしてもわーっと走り去ります。
「まだ足りないか」
 これと同じことを五回ほど繰り返して、太郎は気が付きました。
 過去に戻って亀を何度突き刺そうが、亀の数自体はいっこうに増えてはいないということを。
 この方法では埒が明かないと悟った太郎はもう一度考えました。
 そして、過去が駄目なら未来へ飛べば良いのだと思い立ちます。
 過去で取ったものが未来では無くなってしまうのなら、その逆であれば問題はないと思ったのです。
 そうして太郎はタイムマシンを操作し、未来へと向かいました。
 測定器の値は百年後と設定しました。



 百年後、太郎は先ほどまでいた浜辺と同じ場所に現れました。
 辺りを見回してみると、それほど変化はないように感じました。
 少なくとも、竜宮城から戻ってきて千年経過していた時と比べると特に変わった点は目立たないようでした。季節も変わっていないとするなら、少しだけ蒸し暑く感じるくらいでした。
 とりあえず亀を探そうと、岩場の付近を捜索していたところでまたしても田吾作や魚吉、牛兵衛によく似た少年たちの姿を見かけたのです。
「こいつめこいつめ」
「ゴーサ、早いとことっちめろよ」
 彼らはまたしても亀を囲ってなにやら執り行っている様子でした。
 太郎は意気揚揚と片手を振り上げ、三人に声をかけます。
「やべぇ、ばれたか」
「Freeze!!  Get down!!」
 田吾作似の少年が呪文のようなことを怒声で口走り、黒光りする筒の口を太郎に構えました。反射的に太郎は背筋をびくっとさせ、不安気に首を左右に振ります。
「なんだ、一般人か」
 ちっ、と唾を吐いて田吾作似の少年は黒い筒を下げました。
 おずおずと太郎は問いかけます。
「なにを怒っているんだ田吾作、亀は取れたのか?」
「ゴーサの知り合いかい?」
「こんな時代遅れの格好したジャップの知り合いなんていねぇさ」
「見たところ同業者みたいだが」
 少年たちは目付きを悪くして、各々が見定めるように太郎を睨みました。
 三人の奥には、のろのろと動く亀の姿が見えました。
 元来人の良かった太郎は、やれやれと言った風に肩を揺らし、銛を片手に亀の方へと近付きます。
「任せておけ、私が亀を取ってあげよう」
「おいおい、そんな貧弱な武装じゃ危ないぞ」
 少年たちの忠告は届かないまま、銛の先端を亀の柔らかい部分へと狙い、太郎は突き刺しました。しかし、銛は亀の肌に触れるまえに、木で出来た留め具部分に噛みつかれ、あろうことか無残にも噛み砕かれてしまったのです。
「どういうことだ」
「言わんこっちゃない」
 口元に煙の出る丸くて白い紙のようなものを咥えた田吾作似の少年が太郎の前へと進み出ました。そして、黒光りする筒を向けると、雷鳴が轟いたのかと錯覚するほどの轟音が浜辺に響いたのです。
 とっさに太郎は目を瞑っていました。瞼を開けると、そこにはぐったりとした亀の姿がありました。
「今のはいったい何をしたんだ」
「何って、銃で撃ったに決まってるだろう」
「銃?」
 そう言って田吾作似の少年が、先ほどの黒い筒を太郎に放り投げます。
 ものが焼けるような臭いが、筒の口から漂っていました。
「ここ数十年の間に狂暴化してるっつー亀の密猟者ともあろう奴が、銃の一つも持たずにどうするってんだよ」
「これが、さっきの雷鳴を起こしたって言うのか」
 まじまじと銃を見つめ、太郎は感激したように息を漏らしました。
 少年たちと言えば太郎にはすでに目もくれず、射殺した亀を袋へと詰めているところでした。
「獲物は貰っていくぞおっさん。そいつは餞別だ、くれてやる」
「絶滅寸前の亀一匹いれば、何万丁って銃が買えるからな」
 げらげらと笑いながら、少年たちは去っていきました。
 呆然とする太郎はハッと我に還ると、本来の目的を思い出し再び亀を探し始めました。
 しかし、三日三晩探そうとも亀が見つかることはなかったのでございます。
 太郎はまたしても考えました。
 もう少し先の未来へといった方が手っ取り早いかもしれない。
 どうせなら、うんと遠い未来に行ってみよう、と。
 タイムマシンを取り出し、太郎は進める時間を設定します。
 測定器は、千年後を指していました。



 千年後に到着して、太郎は驚愕しました。
 周囲は酷い臭いに包まれ、空は山火事のように紅蓮に燃え、海の水は血溜まりのように真っ赤に染まっていたのです。辺りには草木の一本も無く、分厚い雲の隙間からは稲光が走っておりました。地獄絵図とはまさにこのことだと、太郎は感じました。
 絶望した面持ちで足取りも覚束ず、太郎は海へと近付きました。
 赤く染まった海水に片足を突っ込んだ途端、激しい痛みが太郎を襲いました。
 とっさに飛び退いて、浜辺へと退散し尻餅をつきました。そして自分の足を確認してみると、履いていた草鞋が枯草のようにぼろっと崩れ、皮膚は赤く腫れ上がっていたのです。酷い箇所によっては皮膚が剥がれ、肉が爛れていました。
「いったい、ここは何だというのだ」
 太郎は我目を疑いました。
 そして次にこれが自分たちの未来だと理解すると、恐怖が襲ってきました。
『驚いたな、生き残りだ』
 背後から到底人間の声とは思えないような、濁った声が聞こえてきましたので、太郎は焦って振り返ります。
 そこには全身をワケの分らない着物に包んだ人型のものが三体、ぴかぴかと体と手に持った銃のようなものを発光させて太郎を見ていたのでございます。
『こちら特殊地球降下部隊TA=539隊、汚染惑星破棄より二二六日、降下作戦開始より00四七時間、民間人の生き残りを発見。保護を開始する』
 どうやら彼らは自分に危害を加える様子ではないことを太郎は悟り、ほんの少しほっとしました。それも束の間のことでございます。
 背後の血の池地獄とも言える海から、地響きが聴こえたのです。
 再び振り返ってみると、そこには太郎が住んでいた家よりも遥かに巨大な亀が大口を開いて雄叫びを上げたのでございます。
『メガ・タートルだ、気を付けろ!』
『TA=539隊長! レーザーライフルの使用許可を!!』
 三体の光る人間たちは、太郎の前に散開すると銃の先端から本物の稲妻を発射し巨大な亀の化け物に命中させていきました。
太郎はもはやパニック寸前です。
 恐怖に慄く掌をきつく握り黒光りする銃を構え、亀の柔らかい首の部分へと目がけて引き金を引きました。
 しかして、いくら元来人の良さがウリであった太郎と言えども、家よりも大きな亀相手では相手になりません。鉛の弾丸は柔らかい首の皮膚ですら貫くことは出来なかったのです。
『無駄だ、そのような骨董品では歯が立たん』
『こういう時はこれを使うのだ』
 光る人間たち三人のうち、まずは二人が稲妻を発射する銃で亀の顔面を攻撃します。
 鬼の断末魔とも思えるような声を張り上げ、亀が顔面を下げたところで最後の一人が小さな白い団子のようなものを開いた亀の口に放り込みました。
 すると、どうしたことでしょう。亀は苦しそうに喚き散らし、穴という穴から泡を噴き、みるみる体が腐り落ちていったのです。
 やがて、亀は完全に姿形無く消滅しました。
「教えてくれ、ここはどこだ」
 太郎は懇願するように男たちに縋りました。
 三人は太郎を哀れむように見つめ、首を左右に振ります。
『可哀想に、記憶が錯乱してしまっている』
『よほどの恐怖に陥ったのだろう』
『無理もない。このように放射能と数多の悪性物質に汚染され、尚且つ絶滅したはずの亀が突然変異した化け物が襲ってくるような星に取り残されていたんだ』
『覚醒浄化剤の開発がもう少し早ければ、こうはならなかっただろうに』
 結局、彼らの言っていることの半分も太郎は理解できはしなかったのでした。
 しかし、何らかの要因で世界が地獄と化したことだけは理解出来たのです。浄化剤、と呼ばれるものがあればそれを阻止できたのだということも。
『キミ、すまないが我らはキミを救助するためのロケットを運搬して来なくてはならない。浄化剤を撒いたここに居れば安心だろうが、念のためキミにも一つ預けよう。良いか、絶対にここを離れてはいけないぞ』
 そう言って、彼は太郎に先ほど投げていた白い団子を手渡したのです。
 三人組の姿が見えなくなると、太郎はすぐさま過去へ戻る準備を始めました。
 測定器に、二千百年前と打ち込むとタイムマシンは鈍い音を立てて動き出します。
 太郎の心は、もう決まっておりました。



 二千百年前。太郎はようやく、永い時間の旅から自分が元居た時代へと帰ってきたのでございます。
 タイムマシンを箱にしまうのも忘れ、太郎は浜辺へと駆け出します。
 鳥が鳴き、木々が揺れ、白い雲と蒼い海が目の前に広がっておりました。
「こいつめこいつめ」
 浜辺では、例によって三人の悪戯小僧が亀をいじめておりました。
 太郎はその三人を跳ね除け、いじめられていた亀をゆっくりと抱えたのであります。
 亀は心底ほっとしたように溜息をつき、太郎にお礼を言いました。
「ありがとうございます、親切なお方。お礼と言ってはなんですが、貴方様を」
「黙れ、この悪逆非道な怪物め」
 太郎は手に持っていた銃を亀の柔らかい首の部分に押し付けると、問答無用で引き金を引きました。雷鳴のような発砲音と共に、亀は即死してしまいました。
 そしてその死骸を海へと放り投げ、そのうえ更に手にしていた覚醒浄化剤を海に投げ入れたのでございます。
 浄化剤はみるみるうちに溶けて消えていきました。
 次第に海からは蒼さは失われていき、死んだ魚たちがぷかぷかと浮き上がってきたのでございます。
 その様子を見て、太郎は安心したように微笑みました。
 これで、未来の世界は滅ぶことはないだろう。そうだ、タイムマシンを使って確認しに行くのもいいかもしれないと思い立ち箱の元へ戻ってみました。
 しかし、そこにはタイムマシンはおろか箱さえも見当たらなかったのです。
 太郎は少し残念がりましたが、それでも良いかと納得しました。
 なぜなら太郎は元来あまりにも人が良かったので、自分がこの世界を救ったのだなどと人々に自慢するつもりは、毛頭なかったのですから。

時をかける浦島太郎

時をかける浦島太郎

亀をめぐる浦島太郎と少年たちの話です。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-01-19

CC BY
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