未来銃口

未来銃口

2010年発表SF短編集セレンより。

 夜の街に銃声が響いた。
 その音は、裏社会の組織同士が抗争を開始する合図である。
「兄貴! こっちです!」
 二人の男が追手から逃れ、路地裏へと身を隠す。
「なんとか撒きましたかね」
「やれやれ、まさかあんな単純なミスを犯すとはな」
 兄貴と呼ばれた男が悔しそうに顔を歪める。彼の弟分らしき青年がシュンと頭を下げた。
「すいません、こっちの情報に間違いがあったばっかりに」
「気にするな、必要なモンは手に入ったんだ」
 ポケットから取り出したのは一枚のディスク。
「さすがです兄貴。まっすぐ逃げ出してきたのに、いったいどうやって?」
「コツがあるんだよ」
 自信満々に、男は自分の腕を叩いてみせる。
 それを見て、弟分は安心したように笑った。
 ――数日前のこと。男は単身、敵対する組織のアジトへと乗り込んだ。組織の新人とすり替わり、本来の仲間に情報を流す。そう、いわばスパイ任務である。上手く敵陣に入り込んだまでは良かったが、その後のチェックに引っかかってしまった。用意されていた偽の書類に矛盾が生じていたのである。
 敵に拘束されてしまった男を助けに来たのは、長年連れ添った弟分の青年。
 親のいない二人は幼少時、施設で出会い共に育ってきた。彼らはこの利己と裏切りがはびこる街の中で唯一、互いを信頼しあって生きてきた。
「とにかく、早いとこ仲間と合流しなくちゃまずいのは変わらんさ」
 結果的に収穫はあったとはいえ、事態は悪い方向に向かっている。
 呼吸を整え、期を見て二人は歩きだした。幸い、どこにも外傷は負っていない。慎重に辺りを見渡して、曲がり角を飛び出した。
「あ、兄貴!」
 二人が路地を飛び出したと同時に、物影から追手たちが姿を現す。
「どうして」
「掴まされたか」
 男は持っていたディスクを地面に叩きつける。ダミーだった。そのディスクが発信機の役割を果たしていたのだろう。
「どうりで簡単に抜け出せたはずだぜ」
「絶体絶命……ってヤツですね」
「まさか」
 窮地に立たされながらも余裕を見せる男。
 懐から取り出した拳銃をすぐさま構えると、追手の頭上めがけて発砲した。弾丸は商店の木箱を直撃し、中から穀物の粉が勢いよく撒き散る。
「走れ!」
 合図と共に、二人は追手の間を駆け抜ける。
「野郎!」
「待て、撃つな」
 追手の一人が闇雲に銃を構えたが、すぐに仲間に止められる。乾燥した粉の舞っている中で銃を扱えば、すぐさまそれを起因として粉塵爆発を起してしまうからだ。そうなってしまえば、相手はおろか自分たちまで全滅しかねない。
 ここまでいえば上手くいったかに思えるが、追手はその先にも潜んでいた。
「しつこいヤツらっすねぇ!」
「おい、ここは二手に分かれるぞ」
 退路を左右に指差し、男が指示をする。
「あ、でも兄貴、そっちは……!」
 弟分の声をかき消すように、前方から銃弾の雨が降り注ぐ。
「お互い生きてたら、アジトで落ち合おう」
 そうして男は、真っ暗な細道へと姿を消していった。


 銃声と足音が混ざり合う音が、街中にこだまする。
 弟分と分かれた男は、夜目を聞かせ、暗く深い道のはるか向こうを睨む。すぐ目の前のことに気付くことができなかったのは、そのせいだろうか。
「おっと」
 懐になにかが衝突した。目の前で少年が尻もちをついている。
 男は一瞬迷ったが、無視できなかった。転んだ少年の腕を掴み、ゆっくりと立たせてやる。
「すまない、大丈夫か」
「いえ、こちらこそ……」
 少年は碧色の綺麗なガラス玉のような瞳を丸めて、男を見上げた。
 育ちの良さそうな格好をしているが、なぜこんな時間にこんな場所をうろついているのだろうか。そんな疑問もあったが、ひとまず後回しにすることにした。
「なるべく早くここいらから離れろ。さっきの発砲音を聞いただろう?」
「しかし……」
 少年は困った表情をして考え込む。
「時期に戦場だぞ」
「帰ろうにも、帰れないんです」
 どうにも事は円滑に進まないらしい。こういう日もあるのだろうと、男は腹を括ることにした。なにより、自分のミスで他者を巻き込むのが嫌だった。
「訳を聞こうか」


「僕はこの時代よりはるか未来からやってきたんです」
 少年のいう『探し物』とやらを一緒に探す最中、唐突にそれを知らされる。
 ――未来だって? そりゃ一体なんの御伽話のことやら。いや、この場合はサイエンス・フィクションってやつか。
 ただ頷くだけで男は余計な詮索をしなかった。自分の撒いた種だ、最後まで付き合うしかない。
「どうやら時間軸の調整を誤ってしまったみたいで」
「それでこんな面倒な時代にってか。運がなかったな坊主」
「そうでもないですよ」
 どこか他人事のような男の言葉。それに調子を合わせたのか、少年の返答も軽い。そんなおかしなやりとりに二人して苦笑う。
「で、未来ってのは今どうなってんだ」
「平和ですよ、すごく」
「そりゃなにより」
「でも、これでもし帰れたとしても、僕は逮捕されてしまうでしょうけど」
 夜道を注意深く探索しながら、少年はさらりと呟く。
「なんで」
「あなたと、関わってしまったから」
 なるほど、と男は悟る。よくある話だ。時を超えた先の場所で、その時代の人物とは関わってはならない。歴史の改変だとか、タイムパラドックスだとか……平和な未来では、それこそ大犯罪だろう。
「退こうが進もうが、結果は同じか」
「そのようです」
 少年とぶつかったあの時。手を伸ばしてしまった瞬間。男はすでに過ちを犯してしまったのだ。
 分厚い雲の裂け目から、月の光だけが彼らを照らしていた。


 二人はなるべく人通りの少ない道を選び移動していく。敵の追手が目につくようになってきたからである。確実に当初の数倍近くの人数だ。
「たかだかネズミ一匹探すのに大げさな。同じ探し物でもこっちは二人だぞ」
「いったいなにをやらかしたんですか?」
「大人の仕事だ。坊主にはまだ早い」
 少年の身をコートの中に包み隠し、壁を背に男は街路の端から端を見渡す。敵の数こそ多いものの、それだけに油断と隙も大きい。
「いくぞ」
 タイミングを出して、二人は大通りを横切る。少年の反応がいささか鈍かったが、どうやらここまで上手く切り抜けられているようだ。
「なんだか昔を思い出すな」
 人気の感じない寂れた商店の連なる道を歩きながら、男はふと口にした。
 もう何年も昔の話である。男がまだ駆け出しのチンピラ同然だったころ、大きな組織の抗争に巻き込まれたことがあった。
 その時も男は弟分と共に街から脱出した。
「思えばあの時もあいつに助けられたっけか」
 逃げ腰で勤まる裏社会ではないものの、命あってこそのものでもある。そう考えると、弟分の青年がいなければ、男はとっくにこの世にいなかっただろう。
「仲間の方のためにも、必ず生き延びませんと」
「ああ、そうだな」
 励ます少年の頭を撫で、男は心強く笑ってみせた。


「ありました!」
 街灯もない道端で、月光を反射している僅かな煌きがあった。
 注意深く辺りを警戒しながら、男と少年はそこに近付いて、ようやく目的の物を発見する。
「なんだいこりゃあ」
 それは指輪のようだった。
「これを使って時間を超えることができるんです。ちゃんと回数も決まっていて……ああ、よかった。どうやらあと一回は使えそうです」
「そうか。じゃあここでお別れだな」
「大変お世話になりました」
 少年が指輪を手にはめると、男に向かって深々お辞儀をした。
「気にするな、元はといえば俺の責任だ」
 少年の遊びに付き合う義理も終わった。あとは自分から敵の前に現れ、奴らを引き付け逃げさえすれば、少年は無事家にも帰れるだろう。
「一人で帰れるだろう? 危ないからまっすぐ家に向かうんだぜ」
「あ、あの」
 背中を向けて立ち去ろうとした時、男は呼び止められた。
「まだなにかあんのかい」
「……」
 少年は俯き、無言のまま佇んでいる。
 その傍まで近づいて、男はしゃがみ込んだ。少年と男の目線が、同じ位置にくるように。
「どうした、坊主」
「……ありがとう、ございました」
 改まって礼をいう少年の肩を、男が小突く。
「死なないで、くださいね」
「当たり前だ」
 男の毅然な言葉に、少年は安心したように微笑んだ。
 ――その瞬間であった。
 銃声と共に、一発の弾丸が放たれる。
 その鉛で出来た死神は、まっすぐ男の背後から近付いてくる。
 男の右腕に激痛が走った。焼けるように熱い、血液の沸騰。
 少年の端整な顔に、紅の飛沫が付着する。
 腕を押さえ、男は振り返る。
 拳銃を構える、敵の姿。
 迂闊だった。普段ならここまで接近を許すことなどない。
「くそっ、今日は厄日か!」
 咄嗟に立ち上がり、男は少年の前で壁となるよう腕を広げた。
「逃げろ、坊主!」
 右腕は悲鳴をあげ、そこに出来た風穴からは鮮血が止めどなく滴る。
「早く! どこでもいいから遠くに!」
 がむしゃらに叫んだ。この少年だけは、せめて……。
「さっきの言葉……ありゃ聞いてやれそうにねぇが、許せ」
 再び、弾丸が放たれる。今度は二発同時に。
 一発は外れたが、もう一発が男の足を貫いた。
「うおおっ……!」
 視界が揺らぎ、地面に膝をつく。
 男の傍に、少年が走り寄る。
「お前、逃げろって……」
「――必ず」
 少年が男の肩を掴み、碧色の瞳を向けた。
「僕が必ず、あなたを助けます!」
――だから決して、諦めないで。
「……ああ、わかったよ」
 男は死を覚悟していた。それでもなお、少年の言葉に微笑んで返した。その幼い頬に付いた、赤い汚れを指で拭ってやって。
「必ず……助けに行きます」
 指輪の中央に装飾された宝石が閃光を発する。少年の身体は光の中央へと包まれていく。その眩しさに、男と敵たちは瞼を開けていられなかった。
 光が弱まっていくのと同時に、男は目を開く。
 そこに少年の姿はなかった。
「……なんだよ。本当に未来から来たってのか」
 肩透かされたように、ただ茫然とするしか男には出来なかった。
 兎にも角にも、少年は無事に逃したのだ。これより先の結末はすでに決まっている。
「あばよ、坊主。平和な未来で楽しく暮らせ」
 すべての枷から放たれた、清々しい気持ちであった。
 男はゆっくりと力無く、瞼を閉じて死を待った。
 心残りなのは、ただ一つ。
『お互い生きてたら――』
 少年との約束も、弟分との約束も、守れなかったこと。
 そして、銃声が鳴り響いた。
 ……。
 …………。
 ――空気が変わった。
 痛みも感じない。
 違和感だけが男を襲う。
 目を開くと、敵の一人が倒れている。
 銃声は、背後から聞こえた。
「……そっちは駄目だって、言おうとしたんですけどねぇ」
 男の後ろには、弟分の青年が立っていた。右手に持つのは、一丁の拳銃。そして、二人が出会った当初から付けていた、見覚えのある指輪。
「必ず助けに行くって、約束しましたから」
 彼の瞳には、綺麗な碧色の光が宿っていた。

未来銃口

未来銃口

2010年発表SF短編集セレンより。 とある組織に属するふたりの男の奇妙な物語。

  • 小説
  • 短編
  • アクション
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-01-18

CC BY
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