*星空文庫

ホワイトシティ・セレナーデ

ALTVENRY 作

 自叙伝的小説「TOKYO EARLY 10 YEARS」の最初の3年だけは、「TOKYO EARLY 3 YEARS」としてすでに公開しているが、それに続く1984年、1985年頃をまとめて、フィクションを挿入することで、自分なりに消化できた気がする。1983年頃までの明るさが急に暗い方向に進んでいくので、いかに明るく出来るかをこころがけた。「ゼームス坂マンションストーリー」の続編に位置するところか。とにかく電気工事に比べるとボイラー管理自体が地味でたいくつな仕事なのだ。当然話も暗くなろうというものだ。唯一、上京して初の恋らしいものを経験するが、まあお決まりの展開だろうか。


 中学生でギターを手にして以来、音楽、それもロックに魅了され、いつのまにか、これで飯を食おうという目標になった。才能はあるのだと勝手に思い込み、引っ込み思案な性格も何とかなると思っていた。ただ情熱さえあればいつか叶うと思っていた。
 才能を磨くのは、良い音楽を聴き、読書をして、楽器の練習をすれば良いと思っていた。自分の性格を鍛えるためには自信をつけることと体験したことがないことにチャレンジして、慣れない環境に身を置くことだと考えていた。昨年末に辞めた電気工事も結局自分を鍛えるために違う環境に身を置き、新しい体験をしたということに他ならない。
 それとは別に、「アーティストはハングリーでなければならない」「欲望に左右されてはいけない」「恋愛にうつつを抜かしてはいけない」の3か条も自分に課していた。ハングリーの部分は、誰もが取り上げるポピュラーな項目だ。あとの二つは恋愛べたな自分自身を正当化するお題目だったというのが本当のところだ。
 実際、恋愛というのは一つのところに落ち着いてないとなかなか出会いはないもので、当時、どの仕事も1年は持たなかったから、ちょっと気になる相手がいても、仲良くなる前には、そこからいなくなってしまうのが常だった。そしてもし大金を持っていれば、それはそれで他の欲求のはけ口を見つけてしまうだろうが、「アーティストはハングリーでなければならない」という条文によってそれも抑えられていた。
 多分、そんな僕のような人間は決して特別でなく、同世代の半分くらいはそんなものではなかっただろうか。20代前半で彼女がいて、やることはやってるなんて輩がそんなにいるとは思えなかった。
 断っておくが、もしそんな奴がいてもたいして羨ましいとは思わなかった。それよりもやっぱり夢を実現することの方が凄いことだと思った。だからこその3ヶ条だ。恋愛などもってのほかじゃあ……。

 ところが僕の周りがにわかに変化を見せ始め、正体不明の熱病に襲われて倒れたのは、1週間前の事だった。
 倒れたといっても、精々部屋で寝込む程度だから、たかが知れている。それでも数日寝床でうんうん唸りながら、変な夢を見ていた。
 レッド・ツェッペリンのコンサート会場でジミー・ペイジが「アキレス最後の戦い」のイントロを引き出した途端、会場上空にあった飛行船から「プレゼンス」のジャケットにあった黒い不思議な物体が無数に飛び出してきて、それは生命体のように姿形を変えて、多くの人の無意識に入り込み、本来の方向性ではない新たなる地平に立たざるを得ない状況を作り上げてゆく。
 ふとコンサート会場に来ていたのだと我に帰ると、100万といた聴衆が消え失せ、ステージさえなくなり、ただのだだっ広い月夜の荒野で、一人寒さに震えていた。さてはあの黒い箱が巻き起こした壮大なるマジックなのかと疑ってはみたが何の証拠もない。
「疑ってはいけない。ただ信じることが尊いのです」
一人修行僧が突然現れて傍らを歩いてゆく。ここに一人寒さをこらえて残るべきか、かの修行僧についていくべきかという選択を迫られる。
 コンサートの続きを期待して、その場を動けないでいると、あたりは日本家屋と日本家屋の隙間、いわゆる路地という場所に変わっていて、去ったと思われた修行僧が前方から歩いてくるが、良く見ると髪は、長髪にパーマがかかったソバージュという髪型に、ワイン系の上下のスーツを纏っていた。
「3か条などくそくらえだ!」
ととっくに消えたステージの方向に向かって叫んだ。
 大声で叫んだところで、目が覚めた時に何か違う自分に生まれ変わったようだった。そして一つ気が付いたことがあった。

「僕は恋をしている」

そう、相手はある宗教団体の熱心な活動家で、最初はただ彼女に興味を持って近づいていっただけなのに、いつのまにか誘われるまま、集会に顔を出すようになっていった。
 集会といっても、普通の家に人が集まって、人生とか幸せとか悟りとかを話し合っている。宗教というとやたら金集めが目的だったりするが、そんな臭いはしなかった。年寄りだけでなく、働き盛りのサラリーマンもいれば、彼女のようなOLもいるのだ。
 そうはいっても気を許すとズケズケと白線の内側に侵入してきて、僕の情報を根掘り葉掘り聞こうとする輩も存在するので、距離感は大切である。常にアウトサイダーでいるに越した事は無い。
 ところで彼女との出会いは、些細な事であった。地下鉄「方南町」駅の階段を上り終えた時に、路上でビラを配っている彼女が微笑んで近づいてきたのだ。
「どうぞ、良かったら来て下さい」
あんまり、可愛かったので、ついビラを受け取ってしまった。「生き様を考えよう」と書かれた青い紙切れだが、捨てる事も出来ず、持ち帰ってしまった。それだけでも不覚なのに、その催し物がある当日、彼女に再会してしまうのだ。
 地下鉄「方南町」駅の階段を上りながら、デジャブか、もしかして……なんて思っていると、外は雨が降っていた。残念、傘を持っていなかった。雨は勢いを増して、徒歩数分の帰宅さえも許してくれなかった。
 偶然というものは存在するもので、傘を差した彼女が目の前を通り過ぎたのだ。ほとんど同時にお互いを認識したような感じだった。
「あっ!」
「きっと縁があるんですよ。この前の入場券持ってますか?ええっ、これからなんですよ。ああ、もし無くても私予備持ってますから……」
というわけで、会場までの彼女との相合い傘と引き換えに集会に初参加という形になってしまった。
 その集会は、一般の住宅より少し広い会場で、30人くらいの老若男女が集まっていた。「ここに座ってて下さい」
彼女は、僕を座敷の空いているところに座らせて、同世代の男女数人と打ち合わせをしながら、マイクを使って集団を大人しくさせると自己紹介を始めた。
 彼女は、戸石やいこという名で、商事会社で経理を担当しているらしかった。年齢は2つ年下なのに、話し方は自信に溢れ、雲一つない晴天のような笑顔をそこにいる全員に振りまいていた。
「今日、初めて参加していただいた方、どうぞお立ちください」
いきなり振られたうえに、彼女が、その真っすぐな瞳を僕に向けているものだから、立たないわけにもいかず、渋々腰を上げると他にも数人いて、皆取りあえず名前だけ名乗って
いた。
「初めまして、富立恭一です」
順番でそれだけ言って座ろうとすると、彼女が質問をぶつけてきた。
「富立さんですね。お仕事は?」
「ロック・ミュージシャンです」
アマチュアだけどね、それ以上は答えたくなかった。びっくりさせるなあ。
 ロック・ミュージシャンと言った時に下を向いていた大多数の人が一斉に顔をあげてこっちを見た。知ってる顔かと思ったんだろう。残念だったねえ。まあ、これが最初で最後だから、もう会う事もあるまいて……ねえ、戸石さん。
 まあそれが最初の出会いだったわけだけど、結局それだけで済まなかったというわけなんだよねえ。その集会で会った他の会員の方にも顔を覚えられてしまい、スーパーに行っても、喫茶店に入っても、「この前はどうも」と声をかけられる始末で……しまいには、アパートも知られてしまい、時々訪ねてくるようになった。
 訪ねてくるのは、同世代か、少し上の男性、さもなくばおばさんが多かった。当然ながらうら若き乙女が男やもめを訪ねる事は無いのだったが、彼らと接する事で彼女に近づけそうな予感もあって、何となく邪険には出来なかった。
 彼らの話は、正直よく分からなかった。詰まる所、教祖を信じれば誰でも幸せになれるというのだが、この信じるというのがいったい何の事なのか、皆目さっぱりで、眼に見える問題じゃないから、なおさら信用出来ず、かといって、騙して彼らが得をすることもなさそうなので、話半分で「すごい、すごい」を連発すると、話し終わって安心するのか、笑みを浮かべて引き上げていった。
  



  


 1年ほど前、ミュージシャン仲間の口コミで、あるビル管理会社を訪ねて、ボイラー管理を紹介された。何となくでっかい缶焚きの印象だった。
「資格はいらないんですか」
「代表が一人持っていればいいんだよ」
そう説明を受けた。
 派遣先の池袋のシティーホテルは、3人一組のチームで、所長という50歳前後の人が、ボイラー管理1級を所持していた。もう一人は40少し手前で、趣味はアイススケートで、言葉遣いはオカマだった。
 8時50分に出勤してタイムカードを押す。勤務時間は翌日の朝9時までだ。そう、24時間労働だが、夜はよっぽどの事がなければ普通に睡眠が取れる。そして朝9時に上がったあとは丸々好きに使えるし、翌日は休日だ。あと9時出勤5時上がりの日が1日あって、それで1週間が構成されている。つまり週休2日であり、朝9時から自由に過ごせる日が2日あるというわけだ。使い方によっては何でも出来るというものだ。
 さらにこの仕事の素晴らしいことには、勤務中も特に仕事らしい仕事はないということだ。ボイラーはほぼ24時間稼働しているので、始動、停止の作業をすることはなく、2時間に1回、温度や運転状況を確認してノートに記入するくらいだった。ただしボイラーだけでなく、同じく地下2階にある受水槽、屋上にある高架水槽の水量確認、あとなぜかホテル内の電球交換も仕事に入っていて、各作業同様2時間に1回同時に隈無く電球切れのチェックも行う。しかしどう粘っても15分もあれば、それら全作業は終了してしまうのである。
 ほとんどの時間は、地下2階にあるボイラー室の中にあるプレハブ小屋で過ごす。ボイラー室はテニスコート1面くらいはあって、小屋の広さは3畳間程度だ。ここには机もあれば、ホテルのフロントや各階に繋がる電話が1台、折りたたみのベッド、それに小型のクーラーが置いてある。ボイラー室そのものが、かなり真夏の暑さなのだ。
 勤務時間は3人交代制で、昼は一人の時もあれば二人の時もあるが、夜は必ず一人だった。最初の夜はさすがに「何も起こらないでくれ」と祈る事ひとしきりだった。
 最後の点検が夜10時で、12時までは机に座っているが、日が変わったあたりで、ベッドを広げて横になる。目覚ましをセットして朝の点検が退社前の最後の仕事で、朝9時に所長かオカマに引き継ぎして終わるのだ。
 最初の夜が終わってオカマにバトンタッチした時だった。
「富立くーん、甘いの好き?」
見ると手にダンキンドーナッツの袋を持っている。
「はー、はい」
「一緒に食べようと思って」
そう言って折りたたみの椅子を一つ広げて、隣にやってきた。ドキッとしたが、特に手を出しそうな雰囲気でもなかった。でも折りたたみベッドはたたんでおいて正解だと思った。「いただきまーす」
「召し上がれ」
まあ、この人は言葉遣いがいわゆるオネエなのであって、男色ということではなさそうだった。とはいえ、謎に包まれた部分も多く、深入りは禁物だった。
 彼と比較するなら所長は普通だった。サラリーマンらしかった。定時出勤、定時退社、残業はいっさいお断りだった。だから所長から引き継ぎの時は、気を利かせて、
「業務ノート見ときますから……」
といえば、着替えも早々に自宅へ帰る所長だった。
 そして一人になると、おもむろにドラムスティックを取り出して、少年ジャンプをスネア代わりに練習を始める。時にはラジカセの音楽に合わせて叩く。この頃はデビッド・ボーイの「モダン・ラヴ」とかパティ・スミスの「フレデリック」を好んで流していた。
 叩いているのが少年ジャンプとはいえ、そこそこ騒がしい事が出来るのも一人だからこそであって、二人出勤だと相手が帰る5時までは、少年ジャンプを本来の目的で使用するのが関の山だ。さもなくばゴシップ系の週刊誌か……。ちなみにそれは購入したものもあれば大概は拾いものである。館内巡りをやっているとボイラー室に戻る頃には、2、3冊は戦利品があったりする。
 あからさまなのはオカマだった。
「今日は多いわよ。現代でしょ、文春でしょ、新潮にフライデーまで、大収穫!」
「やったじゃないですか!」
話を合わせるだけのことだった。心の中でどこか馬鹿にしていた。そのくせ、収穫したものには一応眼を通すので、ちょっとしたゴシップ通にはなった。
 ボイラーがフルで稼働しているのは、このホテルの2階3階が24時間サウナになっているせいで、なおかつ当時としては流行のカプセルルームが利用出来た。4階から上がいわゆるシティホテルで、サウナもカプセルもホテルもフロントは2階にあり、館内点検の第1歩はそこから始まった。
 ただし基本的には、ボイラーが絡むサウナがある2階3階の点検という事になる。電球が切れているという情報は、フロントを訪ねた時に教えてくれたりする。また4階から10階までの客室は、一々点検はしないが、連絡を受けた時に地下から這い上がってくるのだ。
 最後に屋上に出て、高架水槽の蓋を開けて、水の溜まり具合などを見る。一般の家庭と違って、水道局から流れ着いた水は、地下の受水槽にまず溜められる。これをポンプで屋上の高架水槽に送られ、そこから枝分かれして各フロアに水が届くのだという事が分かった。
 屋上点検が終わると、外の非常階段を下りて1階まで戻ってくる。地下1階にパチンコ屋の入り口があるが、見向きもせずそのまま関係者以外立ち入り禁止のドアを開けて、さらに階段を1フロア降りた地下2階に戻ってくるという流れだ。
 



   

 
 ボイラー管理を始めた年、アメリカでマッキントッシュが産声を上げたが、まだ僕の耳には届かなかった。また15年ぶりに新札が誕生して1万円には聖徳太子に代わって福沢諭吉の顔が載った。少年ジャンプに「ドラゴンボール」が連載された。
 職場は、変則的だが、自由時間が多かったせいで比較的長続きしていた。過去の仕事は1年保った事がなかったが、記録更新かと思われた。アーティストとしても、専念する時間が増えたせいで、充実した作品を作りはじめていた。バンドメンバーも抜けたり、足したり、変わったりしながら、多少浮上する気配を見せていた。
 思い切って、シンセサイザーと4チャンネルデッキに手を出したのもこの時期だった。昨年エレキギターを買った吉祥寺の楽器店だった。店員がいきなり流行ってたのヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」のイントロを弾いたので、その手元を見るとコルグのPOLYー800が、「俺だよ」と自慢げにアピールしていた。
「す、すごい、これだ」
それとダビングならおまかせの4chデッキが、その隣で「僕も見てみて!」と主張していた。
「買うしかあるまい。ローンで30回!」
仕事は、ただ安定してただけで決して給料が良かったわけではなかったのだ。
 多分これが一世一代の大勝負だったのだと思う。人生を賭けた買い物はこれ1回きりだ。後に車を買おうが、マンションを買おうが、この時の危機感は半端じゃなかったように思う。スリリングだぜい、ロックだぜい、とやたら大声を張り上げていたのは、とにかく不安だったからにほかならない。まあ、これによってデモテープの完成度は上がり、メンバーの受けも良くなったのは事実だったが……。
 まだまだ人生を振り返る年代ではなかったが、上京して4年、一貫して続けているのは音楽だけだった。まあそれがあるからと言い訳したいところだが、その間に仕事は転々と変わった。これがまるで一貫性が無い。普通の喫茶店、マクドナルド、同伴喫茶、カラオケテープの卸、電気工事……。なかでも電気工事は正社員だったりする(詳しくはゼームス坂マンションストーリー参照)。
 今のところに越してきたのは、その電気工事の影響だったが、新宿が最も近い繁華街で、出来ればその辺で仕事を見つけたかった。まあ池袋とて、そんなに遠くはない。ただし国電の乗り換えと山手線の混雑には辟易した(JRに変わるのは3年後で、当時は「国電」と呼んだ)。
 今も状況は変わらないと思うが、新宿が一番自分の肌に合うと感じていた。渋谷はお洒落すぎてとっつきにくい印象だった。池袋はというと、雑然としていて、行った事は無いが大阪のようなイメージだと勝手に思った。
 ヨドバシカメラのCMで、
「不思議な不思議な池袋、東が西武で西、東武…」 
と歌われたように、その事実をずっと気にはしていた。最近まで知らなかったが、西武池袋線がまだ武蔵野鉄道と名乗っている頃、東口にある菊谷というデパートを買収、一時武蔵野百貨店と呼称したが、後に西武百貨店にしたということだ。東武デパートは元々東横百貨店池袋店だったということだ。
 僕が勤めるシティーホテルは、東口の西武側であった。当時はもうサンシャインシティーがある方とか、ビックカメラがある方という言い方をしていた。
 サンシャイン60は1978年に、日本一の高さのビルとして登場したが、1990年に都庁第一本庁舎がその座を奪った。その都庁も1993年横浜のランドマークタワーに抜かれることになる。
 ビックカメラは、その前身の会社を群馬で起ち上げた創業者が、1978年社名をビックカメラにして、池袋に東京支店を構えたのだった。
 朝9時に仕事から解き放たれると、職場ならびのビックカメラの前を過ぎ、大通りを駅に向かうが、まっすぐ帰ることは無い。たいがい西武の上の階にある結構大きな書店で、情報を仕入れるのだった。
 フラフラとフランス書院を手に取りそうな疲れた心身に喝を入れるべく「欲望に左右されてはいけない。恋愛にうつつを抜かしてはいけない」という金言で方向修正するのだった。
 ロックミュージシャンとしてのボキャブラリーを増やすために、文学に触れようと努力していた。創作活動に必ずプラスになるはずだと信じていた。
 分からないなりに、実存哲学、ニーチェ、サルトル等を読みあさる。アルベール・カミュの「異邦人」が、分からない中でも小説であるせいか、なるほどと思わせるものがあって、続けて彼の「シーシュポスの神話」を読んだ。ギリシャ神話に興味を持ち、阿刀田高の「ギリシャ神話を知っていますか?」を読んだ。まあおもしろおかしく料理してあるので飲み込みやすかった。その流れから、フランツ・カフカの「変身」「城」「審判」等を読んだ。そのあとがきから安部公房の名前を知り、「砂の女」「箱男」と安部公房迷路に迷い込んでいくのである。
 人間、根を詰めていくといくらか軽いものも嗜好したくなるもので、ビッグコミックスピリッツで掲載されていた「めぞん一刻」がコミック単行本として4巻まで発売されていて、その軽妙なやりとりとあの「うる星やつら」とは違う穏やかさで何だかずるずる引きずり込まれていった。設定でいくと主人公五代裕作は同じ年のはずで、彼がヒロインを追いかける気持ちになんだか感化されたのかもしれない。「うる星やつら」も嫌いではない。この高橋留美子という人のこの両極端な漫画に共通する雰囲気に何だかうっとりとさせられてしまうのだ。
 
  


 


 地下鉄丸ノ内線は池袋が始発なので、定期を気にしなければ、丸ノ内線で寝ながらゆっくり帰ってきた。睡眠時間は取れてるとはいえ、仕事中であることは間違いがなく、熟睡はしてないのかもしれない。また稀ではあるが、睡眠中の夜中の2時とかに起こされることもある。
 稀といいながら割に多いのが、客室の方で警報が鳴って、フロアの換気口が遮断されてしまうというもので、原因はシャワーである。浴室のドアを開けたままシャワーを浴びるとそれによって発生した湯気が、部屋の煙感知器を鳴らしてしまうのだ。そして火災を拡げないために自動的に空気ダクトのダンパが遮断されるのだ。
 まず2階のフロントに行って、客室を確認して感知器の予備を持ってゆく。あらかじめ部屋には連絡が行ってるので、ノックをすれば、部屋が開く。
「どうも、すいません、何だか警報なっちゃて……」
決して反省している様子はない。女の子などは笑っている。
 取りあえず、シャワーはバスルームを閉め切って使用することを伝え、脚立に乗って感知器を交換し、ほぼ半裸のカップルを横目で見ながら部屋を出る。最後にフロアの隅にあるバンパーの復旧処置をして2階フロントに戻り報告をする。
 週に1回はあった。ただしほとんどが就寝前の10時、11時であって、寝ているところを起こされるのは、仕事とは言えさすがにきつかった。
 上京して4回目の年末年始だったが、仕事が仕事なのと、正月手当に眼を奪われて、この年は実家へ帰らなかった。開けて1985年元日に僕は仕事をしていたのである。
 2月頃だったか、オカマの明るさは常軌を逸していたが、世界フィギュア選手権が今年は東京で行われ、あのカタリナ・ヴィットが来日するのだと騒いでいた。オカマは自分でもスケートを嗜むので、あこがれの存在なのだろう。
「富立くーん、これあげる」
もらったのは、世界フィギュア選手権のエキシビションの無料券だった。
「えっ、僕、分かんないですから」
「見てるだけでいいのよ、テレビでは絶対分からない氷の削れる音とか、スピード感が生で伝わってくるから……。それにエキシビションだから、緊張しないでリラックスして見れるのよ」
と、結局断れずにもらってしまったから、取りあえず、やることもなく、3月の第2日曜日だったかに、国立代々木競技場に出かけた。 実際自分の眼で、スケートリンクを滑る氷上の妖精を見ていると、実に可憐で力強いかが伝わってきた。やっぱりなんであろうと生はいいのだ。この時ばかりは、オカマサンキューと思った。
 
 戸石やいこ嬢に初めて会ったのが、ちょうどこの頃だった。
 いつものように朝9時に仕事を終えて、西武の本屋に立ち寄って、丸の内線をぐるり遠回りで帰ってきて、中野富士見町で乗り換えのため眼を覚まし、方南町行きに数分揺られて、進行方向側の出口を出る。そこがちょうど環状7号線と方南通りの交差点になっている。
 例の集会ビラをもらったのが、そもそもの始まりだったし、運命に引き寄せられるように、その集会に参加してしまって、他の人にも顔を覚えられてしまうという結果を招いたのであった。
 よく顔を出してくれる一人は、一つ年上の安岡さんで、最近結婚して奥さんは妊娠中だった。僕なんかと違って、ずっと地元で暮らしている。
「安岡さんは、真面目ですね。いつも一生懸命じゃないですか」
「いや、俺、ずっと悪かったの、でもそんな俺をずっと何も言わないで、祈っていてくれたから……親には頭が上がらないんだ」
いわゆる2世という奴で、親がすでに信仰していた環境で育ち同じ信仰をする者をいう。戦後に入会したものが多く、僕らの世代には、この2世が多いようだった。
「戸石さんのところのやいこちゃんもそうだね……」
「そ、そうなんですか。彼女も地元なんですね」
出来る限り彼女の情報を聞き出そうと躍起になっていたが、学生時代やんちゃだったという話だけで、それ以上はあまり語ろうとしなかった。
 さすがに付き合っている人がいるとか、好きなタイプを聞いたりするのは憚られた。そう言うのは男らしく本人に直接聞くべきかもしれなかった。気にはしていたが、恋だと気づくには、風邪で倒れるあの日まで、少々時間がかかった。
 それにしても、今大きな課題は、常に顔を出してくれる会員の方に、必ず最後に「一緒にがんばろう」と入会を誘われることだった。その段になると決まって、お茶を濁してしまうのだった。
 そのうち、また集会の案内が来て、どうしても彼女が気になって、足を運んでしまうのだった。決まって最後は、皆から「一緒にがんばろう」と切り出されるのは分かっているのに……。いつまで断り続けられるか、段々自信がなくなってきていた。
 そんな集会を2回ほど経験し、2回目の日の帰りに偶然彼女と一緒に近所の夜道を歩いていた。珍しく他の人たちは散り散りに消えていき、二人並んでとぼとぼと歩いていた。
「富立さんは、今まで会ったことがないタイプですね」
「えっ、どういうこと?」
「やっぱり音楽をやってらっしゃるせいか、発想が柔軟で、なんていうか……個性的です」「そ、そうかなあ、結構、どこにでもいそうじゃないですか。それより戸石さんですよ。聡明で元気で明るくて……きれいで」
言ったとたん、火がついたように顔が赤くなったが、彼女には気が付かれなかった。
「そんなことないんです。私これでもいっぱいいっぱいで……元々そんな器じゃないんです。高校生のときは、悪いグループに参加して、学校へは行かないし、タバコは吸うは、薬はやるわで、ほんとに廃人ギリギリまで行ったんだけど……戻って来れたのは、やっぱりこのおかげじゃないかしら」
そんな過去の汚点をさらりと言いのけてしまうのは彼女の「剛胆さ」なのだろうか。それを聞いた後で、自分が何を喋ったのか、あるいはどうやって部屋までたどり着いたのかをまるで覚えてないということは、剛胆さと言ってみたものの、それだけで消化しきれない何かがあったのだと言える。
 そんな出来事が原因だったかは分からないが、その数日後に熱が出て倒れたのだった。その時見たのが例の夢だった。
 レッド・ツェッペリンのコンサート会場でジミー・ペイジが「アキレス最後の戦い」のイントロを引き出した途端、会場上空にあった飛行船から「プレゼンス」のジャケットにあった黒い不思議な箱が無数に飛び出してきて、それは生命体のように姿形を変えて、多くの人の無意識に入り込み、本来の方向性ではない新たなる地平に立たざるを得ない状況を作り上げてゆく。
 レッド・ツェッペリンのコンサート、ましてや野外なんて……それも「プレゼンス」というあまり評価の良くないアルバムだ。「アキレス最後の戦い」は確かに名曲で、代表曲であるのは間違いがないのだが……。さすが夢のなせる技だ。ついでに書くがジミー・ペイジよりはジェフ・ベックの方が好きだ。
 さて、それからコンサート会場に来ていたのだと我に帰ると、100万といた聴衆が消え失せ、ステージさえなくなり、ただのだだっ広い月夜の荒野で、一人寒さに震えていた。さてはあの黒い箱が巻き起こした壮大なるマジックなのかと疑ってはみたが何の証拠もない。
 突然一人になる夢は、幼少の頃から見ることが多く、古くは夜中にふと目が覚めた時に家族が寝静まっているのが妙に怖くて、早く眠りの世界に戻ろうと焦っている夢だ。夢の中で目が覚めるという二重構造になっているわけである。
 レッド・ツェッペリンに戻るが、「プレゼンス」のジャケットは、リビングあるいはダイニングのテーブルに家族4人が座っていて、テーブルの上にある箱というよりは黒いオブジェ取り囲んで微笑んでいるという図である。
 この黒いオブジェは、モノリスだとかオベリスクだとか諸説あるが、意味不明のものに意味付けするようなおかしな宗教観も感じてならない。
「疑ってはいけない。ただ信じることが尊いのです」
修行僧に限らず、宗教者全員の言い分がそうなのだと思う。特に人間が孤独に晒された時に、究極までそれを全う出来なければ、見えない橋を渡ってみようと考えるのだ。
 人間が孤独を全う出来ないだろう一つの理由は欲望である。特に種の保存に関する欲望だから、いわゆる恋愛なのだ。恋愛といえば聞こえはいいが、結局異性との交歓にほかならない。
 果たして誰がそれを責められよう?僕は聖人君子ではないし、生涯独身を貫く修行僧ではないから、恋愛がないと橋を渡れないのだ。逆に言うと、恋さえしなければ橋を渡る必要はなかったわけだが、その容姿と雰囲気にプラスして、意外性のある過去に心を奪われて、彼女のために信仰に身を投じる覚悟だった。
「3か条などくそくらえだ!」
そう叫んだところで眼を覚ましたというわけだ。さっそくハングリーを打破すべく、飯を食いに出た。  




 なんとなく悟りを開いた境地だったが、そんな簡単に生活が変わるわけではなかった。相変わらずやっていることは同じで、朝9時に出勤、2時間に1回程度の館内及びボイラーを含めた機器の点検をして、その合間には少年ジャンプを相手に……ドラムの練習はしなくなったかな。あとは、簡単なランチで済まさず、ボリュームのある内容と栄養を十分取るよう心がけた点が変わったか。文芸、哲学的な本を持ち込んでもみたが、漫画やゴシップ雑誌も相変わらず読んでいた。
 この頃のゴシップネタだが、「投資ジャーナル事件」という、証券ジャーナリストを名乗る某氏が、不当に他人の金をだまし取った事件が起こった。この某氏、少し前にある女性アイドルとの交際を公に発表した。話題になったのが、某氏が彼女に7千万円の豪邸をプレゼントしたというもので、彼女が否定すればするほど、疑惑が膨らんでいって、結局その疑惑の重圧に潰されて芸能界を去っていったように見えた。
 今では、彼女の潔白が証明されているし、芸能界とは別の道で十分活躍されていることを知り、ほっと胸を撫で下ろすのである。彼女がデビューした時に高校3年だった僕はすぐにファンになった。今彼女のファンでいて良かったと思う。

 しばらくして、その年最大の事故が起きた。「日航機墜落事故」である。ちょうど仕事のない日で、夕方7時頃部屋にいたのだが、テレビでその第1報「レーダーから消えた」というニュースが流れたあと、気になっていると、墜落したのではないか、という情報も錯綜して、どのチャンネルも特番を組んでこれに対応していた。
 結局520名の死者を出す大惨事となった。犠牲となった人の中には、歌手、坂本九やハウス食品の社長等の名前があった。その中で4名の生存者がいたことが驚きでもあった。

 次の事件は僕の職場でのことである。深夜の三時か四時頃、警報が鳴っているので眼をさました。一番睡眠が深いときだから、甚だ不快である。警報が鳴っている場所を確認すると同じ地下二階にある受水槽の異常減水警報だった。
 初めての事態に遭遇だったが、なぜか慌てなかった。受水槽は高さ三メートルくらいの立方体で、僕は設置済みのはしごを上って上蓋をあけると、いつもは八分目くらいある水位が、実際に底の色が見て分かるほど低くなっていることに気が付いた。この段階でもなぜかそう慌ててはおらず、何だか探偵のような気持ちで館内を見に行った。何かピンと来るものがあったのか、真っ先にサウナの大浴場を調べると、複数の洗い場の蛇口が見事に散開された状態で解放され、出しっ放しになっていた。人為的なものだったが、悪意というよりは怠惰、あるいは酔っぱらいの仕業かと思われた。
 2階のフロントにその旨を報告して、水の使用を制限するよう依頼したが、時間が時間なので、その心配はないだろうということだった。確かに大浴場に行った時には誰一人、利用客はいなかったのだから……。
 ボイラー室に戻って、受水槽の水位メーターと実際の水量を静かに見守っていると徐々に復活の兆しを見せ始め、安定位に達したところで、ホッと胸を撫で下ろした。
 外の空気を吸いに地下1階を通っていくと閉店したパチンコ屋の明かりが付いてて新台の入れ替えをしていた。外に出て深呼吸をしてから、タバコに火をつけた。それはいつになくおいしいタバコで、東の空がうっすらと明らんでいた。
 この事件を通して、少し自分に自信を持ち、きっと戸石やいこに自分の気持ちをぶつけても分かってもらえるのではないかと勝手に思うようになっていた。この前のように自然に二人になれるチャンスを窺うが、ああいった偶然は滅多に訪れるものではなく、もやもやした状態で数日を過ごすことになった。
 頑に入会拒否を貫いてはいたが、安岡さんを始めとする温かい人々に嫌悪感はなかった。むしろ訪ねてくれることで、宗教以外の話で盛り上がることしきりだった。仕入れたゴシップネタもそうだし、音楽の話も分かる人には分かった。
 安岡さんと同じ会員の一人、竹中さんは音楽通で70年代のフォーク・ロックに精通していた。安岡さんより少し年上というから30歳前後だと思うが、後退した髪が中年の雰囲気を醸し出していた。特にフォークが好きだという竹中さん、時々ギターを背負って現れて、吉田拓郎やら井上陽水、ボブ・ディラン等を披露する。お返しに僕もオリジナル曲を披露する。
 この頃書いていた曲は秀作が多く、太宰治や安部公房にかぶれて書いた「ゴミ」は「無意味なもの、そのすべてをゴミというのさ」というフレーズがキャッチーだし、自分自身の存在意義を問うた曲でもある。「うわさ」という曲は、投資ジャーナル事件の犠牲となったアイドルをモチーフにし、誰かが勝手に流した噂が、人を葬ってしまうという内容を歌にしている。また「NEWS」という曲では飛行機事故で多くの死者が出ればマスコミも大きく取り上げるが、身も知らぬ個人の自殺など決して誰も相手にしないのだ、と命の重さを問題提起している。
 数年後、かのイエロー・モンキーが「JAM」と言う曲で、外国で起きた飛行機事故で、乗客に日本人がいなかったことをうれしそうに話すニュースキャスターを取り上げた時に何だか「やられた」とは思ったが、すぐに共感に変わり、この曲は名曲だと思った。
 このように音楽は切っても切れない縁で、恋に向かってまっしぐらというわけにもいかなかった。それでもこの恋愛騒動に一応のピリオドが打たれることになる。



 
6 
 
 
 相変わらず入会は遠慮していたが、彼女の願いなら考えなくもないという姑息な考えに支配されはじめていた。しかしそれもまた安岡さんや竹中さんに対しては失礼であるし……結局進展のないまま秋になった。
 ある日竹中さんに、会員同士が集まってバンドを作るので、リーダーになってくれないかと誘われた。竹中さんちのマンションの一部屋が防音になっているとかで、狭い部屋に6人くらいが集まった。
 僕に対する組織への懐柔作戦であるのは疑いがないが、こんな狭い地域にそんなに隠れミュージシャンがいたのには驚いた。そして純粋な会員ではなく、僕と同じように集められた照本さんがいた。彼はプロのスタジオミュージシャン、ベーシストだった。
 僕が、なぜこんな作戦に飛びついたかといえば、恋のために音楽を捨てることなく、恋のために音楽が出来るという円満解決の道だったからである。この企画にはもう一つおまけがあって、数曲のうちの1、2曲は戸石さんを含む女性メンバーが歌うことになっていたのだ。飛びつかないはずはない。
 10月にある杉並区をあげての大集会があって、そこに登場するというお膳立ても出来上がっている。練習時間は1ヶ月なかった。バンド名は、竹中さんが言いだした「JUZZ」に決定した。「JAZZ」と数珠がかかっているのだという。まあ、いいさ。「JUJU」ならスージー・アンド・ザ・バンシーズのアルバムなのだが……。演奏曲はほとんだ当時の流行歌だったが、まあいい。
 例えばレベッカの「フレンズ」、これは間奏部のギターソロを完璧にこなす貝原さんが一押しの曲だった。ノリが良いところではアン・ルイスの「六本木心中」、ハウンド・ドッグの「フォルテシモ」等あと数曲、珍しいところでは不倫の曲「恋に落ちて」で、この曲、当時ヒットしたドラマ「金曜日の妻たちへ」の第3シリーズのテーマ曲だった。流行ものとはいえ、内容はどうなんだ、と思うが歌うのが戸石さんだったから、何も言えなかった。
 ベーシストもドラマーもいてギターも3人いたものだから、キーボードをやるしかなく、コルグのPOLYー800を持ち歩いて「フレンズ」やら「フォルテシモ」の特にイントロや間奏や目立つ部分を念入りに練習する日々だった。
 週に2回は全体で音合わせ的にセッションするのだが、この時ばかりは音楽の素晴らしさを実感せずにはいられなかった。年齢や立場、あるいは思想といったものまで越えて、一体となれるこの音楽というマジックに僕は感動していた。
 全体の音合わせに彼女が参加したときは、必ず差し入れを持ってきてくれた。また竹中さんちの台所を借りて、簡単な食事までこしらえてくれて、練習の合間にごちそうになったりした。
「いい奥さんになるよ、きっと」
そう誰かが言った時に、顔を赤くして、
「こんなんじゃ、まだまだですよ!」
と照れくさそうにしている彼女だったが、その中でもう一人赤い顔をしたことに気が付いたが、その時は想像する力さえ失っていたのだ。
 偶然というのは時折忘れた頃にやってくるもので、休憩中、練習部屋になぜか彼女と二人になった。急に誰かが入ってきてもかまわないと思って、気持ちを伝えようとした。
「戸石さん、僕ずっと考えてたんです。入会してもいいなあ、って……そうすれば、戸石さんと一緒になることもできるわけでしょ」決して良い言い方でないのは自分でも気が付いていたが、予想以上に彼女の反応は冷静で、至極当然だった。
 彼女は、今まで僕に向けてくれていた顔つきとは違う軽蔑に近い表情を見せた。
「富立さんは、入会することと私と付き合うことと同列に考えていませんか?それは大間違いです。入会するというのは、それはもう尊いもので、それに比べたら私と一緒になるなんて、つまらないことですよ。そんなつまらないことのために入会するなんて、情けないですよ」
 彼女が部屋の外に出て行ったのと入れ替わりに竹中さんが入ってきた。
「さっ、練習しよっ!」
妙にハイテンションだった。
「ええ……」
それに対して、僕の声は断末魔のように自分には聞こえていた。言い返す言葉もなく、まさにそのような気がして、彼女と信仰を天秤にかけていた自分にものすごく嫌気がさしていた。
 練習が終わって、皆で居酒屋に繰り出した。仕事帰り後の練習だったから、その時間には環状7号線にある居酒屋くらいしか、行くところがなかった。音楽の話で皆が盛り上がる中、一人ビールをあおっていた。竹中さんが妙にやさしく絡んでくるが、生返事を返すくらいしか能がなかった。本番は数日後だった。
  
 まさか、そんな大きな建物がその団体の所有するものだとは思わなかった。青梅街道沿いにあるその建物に乗用車2台でバンドメンバーが到着して設営の説明を受けた。演奏場所はメイン会場じゃなく、駐車場のある一角であった。メイン会場で行われる集会が圧倒的に中心行事であるが、その中で我々の出演があるわけではなかった。それを知った時にかなり拍子抜けしてしまった。それでも先に運んでおいた機材を自分たちで組み立てると、音をチェックしてから待機することにした。 メイン会場の方でもこの団体に所属する某有名歌手が、ちょうど我々の演奏時間にバッティングしていて我々のために集まった聴衆は、ほんのわずかだった。そこまで来ると、どうでも良くなっていった。自分たちが楽しめれば良いのだ。「フレンズ」「六本木心中」等アップテンポが続き、彼女が歌う「恋に落ちて」の番が来た。
 彼女はいつになくお洒落を決めていて、この前僕に見せた軽蔑した表情は消え失せ穏やかな顔つきをしていた。イントロを弾く僕は歌に入るところで視線を送った。それを笑顔で返してくれた彼女は、ゆっくり歌いはじめた。
 ワンコーラスが終わって、ツーコーラス目だ、ここは英語だ。思ったところで歌が出ないので歌詞を忘れたのかと思っていたら、彼女が普通に話を始めてしまった。
「今日は、この場をお借りして、皆さんにお伝えしたいことがあります。私と竹中さんは結婚することになりました」
数人は知っていたみたいで会場からは拍手が沸いた。アコースティック・ギターを弾いていた竹中がボーカルの横に並んで、夫婦漫才のように頭を下げた。とんだ茶番だ。
 演奏は続き、ボーカルも途中で元に戻って、歌い終わるとまた竹中と二人そろって頭を下げた。早くこの場を立ち去りたいところだったが、次は僕のボーカル担当曲の「フォルテシモ」だった。
 もうこうなればやけだった。イントロも自分で弾いて、弾き終わるとスタンドマイクに向かって、ワンコーラスを歌う。間奏を弾いたらツーコーラス目に入るが、急に周りが暗くなったと思ったら、だだっ広い荒野に一人立ちすくんでいる。白昼夢だろうか。バックから演奏が聞こえてきて、斜め後ろを振り返るとジミー・ペイジがツェッペリン風のバッキングを決めている。力強いツインバスは、ジョン・ボーナムだ。ジョン・ポール・ジョンズベースを弾きながら、僕のキーボードパートもこなしている。
 もう僕のやるべきことは一つだ。スタンドマイクからマイクだけ外して、ステージ前面に躍り出ていって、ロバート・プラントさながらのステージアクションで、舞台狭しと歩き回った。100万の聴衆が僕を煽っている。
終いには、ロバート・プラントも飛び越えて、アクロバティックに宙を舞いながら、最高のステージを決めていた。

数日後、憔悴しきった僕は仕事を辞め、何度目かのニートな生活に戻ることになる。職場でオカマに「頑張ってね」などと言われて、地下2階のボイラー室から、朝9時過ぎの池袋の街に放り出される。
「もう、しばらくは来ないだろう」
加え煙草で、空を見上げると太陽がやたら眩しかった。
「さよなら、ホワイトシティ」
そう言ってビルの袖看板に眼を移した。



終わり

『ホワイトシティ・セレナーデ』

 タイトルの「ホワイトシティ・セレナーデ」は、クリストファー・クロスの名曲「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」のもじりだが、「ホワイトシティ」は主人公が働いていた職場で、ネット情報では、つい数年前になくなったらしい。小説内に出ては来ないが、ランチを買いにいった個人でやってるお弁当屋さんや、今は無き「森永ラブ」はかなり利用させてもらった。朝9時に仕事が終わった後、池袋界隈は足を棒にするくらい隈無くさまよったが、西口の外れの方は、ちょっとした欲望産業のメッカであった。歌舞伎町ほどではないけれど、今思えば、無防備に闊歩していた気がする。
 宗教団体のマドンナに惚れてしまうケースは、今でもあると思う。石原さとみとか……きれいだしね。でも確かに動機が不純なのは問題だと思う。この話の続きはまた単体の小説の中で語られていくだろうが、この当時20代半ばだから、現在の2011年にたどり着くまでは長い。
 とりあえず、失恋のどん底にたたき落とされて、復活して真に就職活動を始め、お金をためてこの地域から脱出するまでか、あるいはもっと後の離婚した頃の話とか、ネタには事欠かないが、まとめる時間がないのだ。何するわけでもないのだけど……。

『ホワイトシティ・セレナーデ』 ALTVENRY 作

 主人公、富立恭一はアマチュア・ロック・ミュージシャンで、定職に就かず、いろんな仕事で食いつないでいた。新しい仕事は、ボイラー管理、地味な仕事の中での数々の出来事を体験し、また彼に執拗に入会を迫る宗教団体の会員達の純粋な姿と、彼を虜にするある女性会員への恋心を描きながら、新たなる境地に旅立つのだった。当時話題となった「新札発行」「世界フィギュアスケート東京大会」「投資ジャーナル事件」「日航機墜落事故」などに触れている。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2011-10-21
Copyrighted

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