ずっとあなたが好きだから

プロローグ


目の前で手足をパイプ椅子に縛り付けられているその男は、必死で四肢を手錠から解放しようともがいている。もう何時間もその行為を試し、無駄な足掻きと分かりつつも、目の前の恐怖から逃れようと理性を無視し手足が主人を逃がそうとしている。
口元に頑丈につけられた猿ぐつわからは、うーうーと情けない悲鳴と共に、だらしなく涎がこぼれていた。素晴らしくみっともないその姿に、満足する。
「助かりたいのか?」
その呼びかけに一縷の希望にすがりつかんと激しく首を上下する。
「ふふ、そうかそうか。」
横に置いてあるドリルを手に取る。片手で扱える軽量なタイプで、拳銃の引き金をひく要領でスイッチを押し込むと、キュインキュインと回転音が心地よく奏でられる。そんな音に合わせるかのように男が悲鳴を上げるのがまた堪らなく愉快だ。
かつかつと、わざとゆっくりと男ににじり寄る。
今から何をされるのか、そういった想像を膨らませるだけでもとてつもない圧を感じているだろう。
首をぶるぶると横に激しく振りながら、今まで以上に手足をガチャガチャと暴れさせる。
そして、男の後ろに周り、手にしたドリルを男の右肩付近にぴたっと添える。
声を出せば刺激すると思ってか、男は嘘のように静かになった。
「怖いか?」
小さくだが男は肯定を示した。
「怖いなー。怖いよなー。でも、もっと怖がって欲しいなー!!」
引き金を思いっきり引く、回転音と共に、肉を突き破る感触が手に伝わってくる。
男の断末魔は猿ぐつわのせいで思うように響かず、その代わりに大量の唾液が分泌されぐりぐりと動く首の動きに合わせて周囲に飛び散る。
ドリルの刃がぐりぐりと男の肩を抉っていく。より大きく穴を開けるために、大きく手の動きも加えながら掘り進めていく。
十分に穴を開けた所で、ドリルを停止する。男はひゅーひゅーと息を漏らし長く続いた苦痛の時間が終わった事に一息ついていた。
ドリルを置き、ゴム手袋を着用し、今度は近くに準備しておいたバケツを手にまた男の背後に戻る。
「これで終わりなわけねーだろ。足りないんだよ」
当時の記憶が蘇り、男に対しての殺意が急速に加熱する。
バケツの中に手を突っ込み、そいつを取り出す。油断すると手元から抜けそうになるのをなんとか必死で抑える。
「これが何かわかるか?」
男に見えるようにそいつを見せてやる。男の顔は恐怖というよりも怪訝といった様子だ。
「お前、うなぎは好きか?」
質問の意味が分からないのかその問いにも男は反応しない。
「うなぎってのはちょっと面白い習性があるんだ。それはね、穴に入りたがる習性があるんだ。」
男の顔から一気に血の気が引いていく。
「おや?こんな所にちょうどいい穴があるね。」
先程開けた入口にうなぎをあてがう。
「ううぅぅぅううううぅ!!!」
一際大きく男が呻き声をあげた。
うなぎの働きは予想以上のものだった。うねうねと器用に体を動かしながら、男の中に潜りこもうとしていく。
男の口からはぶくぶくと泡がこぼれ始める。
「壊れろ、壊れろ!」
生きてきて良かった。こんな最高の瞬間に立ち会えるなんて。頑張って生きてきて本当に良かった。

やがて、男はぴくりとも動かなくなった。今こいつの体の中には何匹のうなぎが入っただろうか。
「さて、と。」
後片付けをして帰らなければ。
まだまだやる事は山積みなのだから。

須藤健二

(1)
硬質な球体が勢い良く自分を狙ってくる。抉りこむような角度でバウンドするそれを須藤健二(すどうけんじ)は寸での所で切り返す。
打ち返された球は向いにいる相手に向かって新たに牙をむく。しかし彼女は難なくそれを打ち返す。あっと思った時にはもう健二の動きは間に合わず、囲われた白線上のラインぎりぎりにすさまじい速度で着地し、そのままごろごろと地面を駆けずっていった。
「くそっ!またやられた!」
悔しくて健二は思わず地団駄を踏む。
「あはは、先輩子供じゃないんだからそんな悔しがり方ないでしょうに。」
「うるさい!悔しいもんは悔しいんだよ!」
今のショットでゲームセット。でこれで一体何連敗目だろうか。
向かいのコートから癪に障る程颯爽とした足取りで眞崎由香(しんざきゆか)はこちらにやって来た。
「はい、これで私の13連勝でーす。」
「そんなに負けてたのか俺。今回はいけると思ったのになー。」
「まだまだ修行が足りないですね。」
トレードマークのポニーテールをわざとらしくゆさゆさ揺らしながら、由香は健二をなじる。後輩のくせに、なかなかに小生意気な女だ。まぁ学年的に後輩なだけで実は同い年なのだが。
「見てろよ。今にぶっ倒してやるからな。」
「期待してますよー。」
余裕綽々といった素振りで由香は走り去っていった。
「また負けちまったな健二。」
審判役をしてくれていた、上原茂樹(うえはらしげき)は愉快そうに審判台から降りてきた。
「そんなにムキになるなよ。所詮サークルだぜ。」
「とはいえ、やられっぱなしは気にくわねぇんだよ。」
今日も今日とて悔しさを胸に健二はラケットを片付け始めた。


気付けばもう大学四回生。ちらちらと就職活動を終えているものもいた、健二も来年からはアパレル関係の会社に勤める予定だ。
決まったカリキュラムの中で過ごしてきた小中高とは違い、最低限の単位さえ獲得すれば後は自分の好きなように過ごす事が許されたこの環境は健二にとっても非常に居心地のいい場所だった。
打ち込んでいるというレベルではないが一回生の頃より入部したテニスサークルではそれなりに真面目に活動している方だった。
多方面からは名ばかりでテニスは一切行わず、合コンばかりしていると専ら噂されているような軽薄感漂うサークルとして有名だったが、実際はそこまでひどいものではない。確かにそういったメンバーがいる事は認めざるを得ないが。
そんな中でそれなりに練習をしていた健二が後輩の由香に負けるのはとてつもなく悔しい事であった。
なんにせよ卒業までに必ず勝つ。そう強く思っているものの、毎度敗北を喫しているのが現実であった。
そんな毎日も後残す所僅かか。


(2)
大学を後にし、健二はいつもの場所へと向かっていた。
大学に入り、健二は一人暮らしを始めた。新しい我が家は大学から二駅程離れた場所だ。
大学近くに下宿先もあったが、住居と共にバイト探しをする際、今住んでいる場所の方がいろいろと選択肢が多そうだったのでそちらに住む事を決めた。おかげで家から出てものの二分で辿り着く古着屋でのアルバイトに辿り着いた。
そのバイト先を通り過ぎ、近くにあるスーパーの中に入っていく。入ってすぐの憩いのスペースに腰を下ろし、鞄から小説を取り出す。

「お待たせ。」
健二を見下ろす形で一人の女性が目の前に立つ。
茶色がかったロングヘアー、シャツにジーンズといったシンプルな服装が映えるのはスタイルの良さあってのものだろう。
「おう、お疲れ」
本を鞄に仕舞い、その場から立ち上がる。
「よし、じゃあ今日は何を食べようか。」
健二の彼女である江ノ上理沙(えのうえりさ)と改めて店内へと入っていった。


理沙との付き合いは中学時代からなので、周りにいる者に比べるとその付き合いは相当に長いものだった。
付き合い始めた頃はここまで長続きするとは思っていなかったが、もうここまで来るとお互いそこにいて当たり前の存在だった。
健二とはそう離れていない別の大学に通っており、お互いの時間を縫ってこうして会っている。同棲はしていないが、住んでいる場所は近いので日によってこうやってスーパーで食材を買い、一緒に食事をとる事も多かった。
今日のメインディッシュは豚の生姜焼き。白飯が進みそうだ。


(3)
数日後。
「ねぇ、健二。」
いつになく真剣な顔つきをしている理沙の様子に健二は身構える。
こういった顔をしている時は、たいてい良くない事があった時だ。
「どうしたんだ、そんな顔して。」
「拓海君、覚えてる?」
「拓海・・。ああ、石崎拓海(いしざきたくみ)の事か。」
唐突に出てきたその名前には同じ中学に通っていた健二にも理沙にも馴染の深い名前だ。

石崎拓海。二人と同じ椚(くぬぎ)中学出身で、中学二年の時に同じクラスだった男だ。
悪ガキの代表格ともいうべきか。校則が彼を縛ることはなく、髪は真っ赤に染め、たばこを吸い、そういった素行から校外でも黒い付き合いがあると噂をされていた札付きの不良。しかし、だからと言って無駄に皆に偉そうにしていたわけではなく、以外と人懐っこくお喋りでクラスのムードメーカーでもあったせいで、教師達も彼の素行を注意するもどこか憎めず、強く叱責するのをためらいってた節もあった。
そんな男の名前が今このタイミングで何故出てくるのだろうか。

「あいつが、どうかしたのか?」
「信じられないんだけどね。死んだらしいの。」
「え?」
死んだ。あんなに元気でいつも騒いでいたあの男が。しかし、健二を本当に驚かせたのは理沙の次の言葉だった。
「どうも、殺されたらしいの。」
「なんだって!?」
事故や病気ではなく、何者かに殺された。普段ニュースで見る凶悪事件も所詮は他人事でしかなかったものが、初めてリアリティを持って健二に降りかかってきた。
「そんな・・どこから聞いたんだ、その話。」
「さゆりから。拓海君の取り巻き達と付き合いがあったから。」
健二はあまり話した事はなかったが、そんな気の強そうな女子がいたなとおぼろげながらも記憶には残っていた。
「誰に殺されたんだ。」
「犯人はまだ捕まってないって。ほんと最近にあった事件だったみたいだから。」
「そうか。」
誰かが誰かを殺す。惨い話だが、世界のどこかでそれは今も当たり前のように起こっている出来事なのだ。信じたくはないが、自分の周りにもそういった非道な人間がいる事も。

藍城涙

(1)
今日も朝日が出迎える。もう長らく朝と夜が逆転した生活が続いているせいで、藍城涙(あおしろるい)にとって朝日はいつしか皆が眠りつく様子を見届ける月の役割を果たしていた。途端に猛烈な眠気に襲われるが家にはまだ少し足を動かさなければならない。
早く布団に入って安息につきたいという思いから自然と足早になる。
住み慣れたアパートの鍵を開け、部屋に入りそのまま布団に流れ込む。
「おやすみなさい。」
誰にとはなく呟き、程なくして涙は眠りへと落ちた。


水商売を始めてもうずいぶんと立つ。最初は中年達のぎとついた顔の脂や手の感触、虫唾が走るようなセクハラまがいのトークに自分の精神は持つのだろうかと危惧したが、生活の為にはやむを得なかった。
そういった割り切りが涙の感覚を麻痺させ、次第にそういった客の相手には慣れていった。
慣れ始めるとどうすれば気に入られるかも分かっていくようになり、懐はどんどんと暖かくなっていった。しかし、それに反比例するかのごとく生活と精神は排他的になっていった。ゴミ屋敷寸前の部屋からは少し異臭が漂い始めていた。片付けねばと思うが、どうせ他の誰かがここに来るわけではないと思うと、煩わしく感じ手は動かなかった。
暮らしていくにも十分。欲しいものだって躊躇する事なく買う事も出来る。
でも、この空虚感はなんだろう。
私の人生、何の為に存在しているのだろう。
今の涙にとって、人生に希望などというものはまるでなかった。


(2)
休みの日は死んだように眠る。何をするでもなくただひたすら泥のように。
そして腹が空けばインスタント食品をかきこみ、再び眠る。涙にとっての休日はただひたすらに体力と精神を休める時間として消費されていた。
その日も涙は死んだように眠り、本能的に食糧を求め目を覚ました。
外はすっかり真っ暗だが、昼夜が逆転した生活を続けている涙にとっては慣れた景色である。すっかり夜型の体が出来上がっている事に嫌気が差しながらも適当にそこらにあったトレーナーに肌を通し、暗闇の中へと溶け込んでいった。
しかし、今日は少し寝過ぎたようだ。もはやコンビニで何か買う以外の選択肢はなさそうだ。
近くのコンビニまで歩き、栄養など度外視した単純に食べたいものをカゴに放り込んでいく。
膨らんだコンビニ袋を片手に帰路へと再び歩き始める。

アパートの近くまで戻ってきた時、涙は視界に入ってきたものに不審を抱き、足を止めた。
アパートの前にある塀の所に何かがうずくまっている。真っ黒なその物体が何か分からず恐る恐るそれに近付く。
最初は黒猫か何かと思ったが、それにしても大きすぎる。だんだんと物体がはっきりと認識出来てくると、それが人間である事に気付いた。
頭を膝にうずめ、膝を抱えるように体育座りをしている。見る限り中高生ぐらいだろうか。
真っ黒の髪、真っ黒の衣服の中で何故か足元は裸足で所々真新しい生傷が確認できる。
涙は思い切って声をかけた。
「ねぇ、大丈夫?」
涙の声にびくっと体が一瞬震え、ゆっくりと顔をあげた。
その顔にもいくつか傷がついていたが綺麗な顔立ちをしている。女の子だろうか。
しかし、それ以上に涙は驚きを感じていた。こんな事もあるものなのか。
涙はある種の運命を感じ、この子を助けなければという衝動に駆られた。
「君、怪我してるみたいだし手当したげるよ。私ん家、このアパートだからとりあえず入ろう。」
その呼びかけにどうやら戸惑っているようだったので、
「いいから、入りな。こんな所で座りこんでたら警察に連れてかれるよ。」
と多少強引に腕を掴み彼女を立たせた。彼女も警察の厄介はごめんだったのだろう、素直に涙の後に従い部屋にあがった。足を痛めているのだろうか。右足を少し引きずるようにして歩いている。

「ごめん、汚くて。とりあえず奥に行って適当に座っててよ。」
返事はないものの彼女はそのまま部屋の奥に進み、床の上に体育座りをした。
手間取りながら救急箱を見つけ、手当を始めた。思った以上に怪我をしているようだったが大きな傷はなさそうなので、応急手当でなんとかはなりそうだ。右足もひどく腫れたりはしていないようなので捻挫程度だろう。
「服もえらく汚れてるわね。これに着替えな。で、悪いけどその服は捨てるわよ。」
着れそうな服と下着を適当に見繕い彼女に手渡す。しかし彼女は渡された衣類を見て、何か困惑しているようだった。
「うん?どうかした?まだどこか痛む?」
しばらく無言のままだったが、やがて彼女が口を開いた。
「下着、こんなの着れない。」
ここに来てようやく涙は気づいた。彼女から発せられた声は、思っていたよりも低いものだった。いや、違う。
彼女は男だ。
確かにそれでは私の下着は着れないだろう。
「あ、ごめん。あなた男だったのね。参ったな・・じゃあとりあえず服だけでも着替えな。お風呂も使ってくれていいから。」
「ありがとうございます。」
蚊の鳴くような声だったが、お礼と共に少年は風呂場へと歩いて行った。

普段なら人の為にここまで何かをしてあげるなんてあり得ないのに。
少年がシャワーを浴びている音を聞きながら、涙は苦笑した。
これも何かの縁なのだろう。
少年の顔は3年前に亡くした、妹の面影を感じさせた。

須藤健二

(1)
拓海の葬式はしめやかに執り行われた。中学を卒業してからも慕われていたのだろう。
多くの人間が彼の死を弔いに来ていた。
周囲から聞こえてくるすすり泣きに、健二の心痛も増していった。
身近な者の死。それは生きていれば誰しもが通る道だ。だが、拓海は殺されたのだ。
正直な所、悲しいという気持ちよりも恐れといった感情の方が大きく感じられた。
自分がこうならないとは言い切れないのだ。
「健二。」
「理沙。」
同じく参列していた理沙の表情も重々しいものだった。
「最後に、ちゃんと顔ぐらい見ておきたかったよね。」
「そうだな。」
遺影に映る拓海はおそらく中学時代のものだ。やんちゃそうな雰囲気といじわるな笑顔がやけに眩しく見えた。今の拓海の顔を拝む事は出来なかった。それが残念でならなかった。


「しかし、一体何があったんだ。」
「さぁ。当時からあんな感じだったから、ひょっとしたらそういう黒い付き合いでもあるんじゃないかって思ったけど、さゆり達から聞いている限りどうやらそうでもなさそうなのよね。」
参列後、健二と理沙は近くのファーストフードで軽食をとっていた。どうにも心が落ち着かなくてお互い何か話していたかった。
「あいつも成長してたって事か。」

真面目な拓海の姿を想像しようしたが、どうにも上手くイメージ出来なかった。
「あいつが死んじまったのは本当に残念だよ。でも、あんまりこの事を考えるのはやめよう。きっと警察が犯人を捕まえてくれるさ。」
「そうだね。」
口ではそう言うものの、心からこの出来事を払拭するのは難しいだろう。それでも、そう言っておかなければ心が休まりそうになかった。
「行こうか。」
二人は店を後にした。

*

「なんだよこれ!何のつもりだよてめぇ!これ外せよ!」

全くうるさい男だ。あいつ同様同じように手足を拘束してやった。
だが、前回の経験から今回は猿ぐつわは外してやることにした。
あまり大声を出されてもし何かあったらと危惧した上での配慮だったが、やはりあれは必要なさそうだ。こんな誰もよりつかないような廃墟の中で泣こうが喚こうが、誰も助けに等こないのだ。
それに、しっかりと悲鳴を聞かせて欲しかった。唸り声と汚い唾液を飛ばしてる様は笑えたが、やはりもっと断末魔というものを轟かせてくれた方が満たされる。
そう思っていたが、ここに連れてきて意識が戻ってからというもの、五月蠅くてかなわない。
だがまあ、これが悲痛な叫び声に変わると思えば、この喚き声も前菜のようなものだ。
味わい甲斐がある。

無言のまま、準備にとりかかる。用意しておいた部品をわざと見えるように組み立てを開始する。
「お、おい。何だよそれ。何するつもりだよ。」
男の声のトーンが下がった。それでいい。自分の身に何が起きるか、しっかりとその出来損ないの脳みそで考えるがいい。
置いてあるガス缶の先端部分に噴射用のパーツを取り付ける。
ガチッとジョイントが完了し、トーチ部分のスイッチを押し込む。
ごおおおと青白い炎が噴射される。
手軽に使用出来るトーチバーナー。アウトドアでは大活躍の一品だろうが今日燃やすのはもちろん木材ではない。

「まさか・・冗談だろ・・。」
「さっきまでの元気はどうしたんだい。怖くなった?」
「いやだいやだいやだ、いやだー!」
「いやだじゃねぇよ。」
そしてバーナーを男の固定された右手の指先に構える。
「やめろ!やめてくれ!」

「怖いかどうかを聞いてんだよ!!」

ごおおおおと炎が男の指を焼いていく。
「あああああああああぎぎあぐああああ!!」

喉を突き破らん程に男の悲鳴が散布される。耳が痛い。だがなかなかにいい悲鳴を出す。
だんだんと肉の焦げる匂いが漂ってくる。
汚らしい匂いだ。腐った性根が炎によって化学変化を起こし有害ガスとなって外気に放たれているようだ。

指を一通り焼ききった所で一度バーナーを止める。
男は大量の脂汗をかいていた。この汗を燃やしたら顔面から蒸発した気泡が見れるのかなと思うと少し面白かった。

「は・・・ああぁ・・・なん・・でだ。俺が、お前に、何・・したってんだよ・・。」
「あーまぁ分かんないか。そりゃそうだよね。でもこっちはお前の事を忘れたことなんて一度たりともないんだけどな。なんだか片思いみたいで不愉快だけど。」
そう言って男の目の前に一枚の写真をちらつかせる。その瞬間、男の目はぎょろっと見開かれる。そして写真とこちらの姿を何度も確認する。

「お前・・まさか・・!!」
噴射口を男の眼球に向ける。

「じろじろ見てんじゃねぇよ。」

須藤健二

(2)
拓海の悲劇から胸のざわつきが納まらなかったのはこれを予見しての事だったのか。
彼の死から僅か二週間後、またもや椚中学の犠牲者が現れた。
風間健一(かざまけんいち)。拓海と同じクラス出身。つまり健二と理沙とも同クラス。
風間といえば拓海の側近的な立ち位置の一人だ。拓海にとって有能な右腕として君臨していた。一見明るく振舞ってはいたが、何を考えているのか本心が見えない不気味な男だった。
二人の死。果たして偶然なのか。しかし同中学、同学年、同クラス。加えて拓海の友人という点でそこに意図を感じずにはいられない。
拓海の死は、始まりに過ぎなかったのか。

そんな胸に何かがつっかえたような時間を過ごしている中、理沙と自宅で食事をしていると、部屋の呼び出し音が鳴った。
「はい。」
「突然の訪問で申し訳ないのだが、俺は刑事の君塚という者だ。石崎拓海君、風間健一君の件で何話を聞きたい。今時間はとれるかな?」
「え、あーはい。大丈夫です。」
「あがらせてもらっても?」
「あ、ちょっと待ってくださいね。」
電話口を塞ぎ、理沙に警察が来た旨を伝えた。警察という響きに緊張は感じたものの理沙も大丈夫と首を縦に振った。
「大丈夫です。」
「ありがとう。」

しばらくして玄関の戸がとんとんとノックされる。鍵を開けて扉を開くと一人の背広の男が立っていた。ネクタイは付けておらず、全体的にだぼっとした着こなしからどこかだらしなさを感じたが、その顔つきは刑事そのもので、強い眼光を備えていた。年齢は40前半といった所か。
「初めまして、君塚だ。今回の事件を担当している者だ。」
そう言いながら警察手帳を掲げる。改めて本物なんだと緊張感が強まった。
「なんだ。彼女さんも一緒か?」
「ええ。でも彼女も同じ中学のものなので。」
「そうか、それは好都合だ。」
理沙とも挨拶をかわし、どかっとあぐらをかいた。あまり遠慮がない人物のようだ。
「で、早速なんだが君らはどこまで彼らの死について知っているかな?」
仕事モードに入ったのか先程にも増してきっと眼光が鋭くなる。
「どこまでと言うと、殺されたといった情報しか。」
「それは誰から?」
「あ、私です。さゆりという中学からの友人がいるのですが、そこから又聞きした情報です。なので詳しい事は私もよくは知りません。」
「なるほど、では改めて2人の件について説明しようか。」
そう言って君塚は手帳も見ずに空で話し始めた。

拓海、風間、いずれもどこか別の場所で殺害された上、まるでごみでも捨てるように空地に放置されていた。捨てられていた場所は別々だが、双方の距離が健二達の今いる地域の半径3キロ圏内にあった事から、犯人はそう遠くない場所に潜伏している可能性がまずあるという事。
そしてこの2人の殺人については同一犯の可能性が極めて高いという事。それはやはり椚中学の同クラスで当時から親しい仲であったという共通点の多い所にある。そして何よりその殺害方法だ。

この点にについて君塚は、なるべくオブラートに話すつもりだが少々覚悟して欲しいと言った。
健二と理沙は身構えて君塚の話に耳を傾けたが、その内容は想像を絶するものだった。
拓海は全身穴だらけ。風間は全身大やけど。
この事から犯人はかなり強い恨みを持って犯行に及んだ事が窺える。
以上の点から今同様に椚中学出身のものに話を聞いて回っているとの事だった。
ちなみに犯行時刻についてはどちらも深夜2~4時の時間帯に犯行が行われたと思われるが、両犯行時刻ともに幸い健二の部屋で理沙と共に眠りについていたのでアリバイの点は一応問題ない事に君塚は納得した。

「でだ、ここまでの話の中で何か思いついたことはあるかな?彼らに深い恨みを抱えていそうな者はいないか?たとえば、ひどいイジメを受けていた者がいたとか。」
「イジメ・・。」
その響きに微かに健二の頭に記憶がよぎる。そう言われてみれば、そんな事があったかもしれない。しかし、はっきりとは思い出せない。
「ちょっと思い出せないですね。理沙はどうだ?」
「うーん・・結構昔の事だから、あったと言われればあった気もするし・・。」
「すみません、今すぐに思い出せるものはありません。」
「そうか。」
君塚は少し残念そうな顔をしたが、すぐに表情を戻し、
「では、何か思い出したり気付いたことがあったら俺に連絡をくれ。些細な情報でも非常に助かる。それに、これは怖がらせる訳ではないが。」
「はい?」
「もし君達の元クラスメートが犯人だとすれば、君達の身に危険が及ぶ可能性もある。そういった意味で、こちらも早く犯人を捕まえたいんでね。協力をお願いするよ。」
「分かりました・・。」
じゃあまた何かあったらと言い残し、君塚は部屋を後にした。

俺たちのクラスに犯人がいるかもしれない。
途端に背筋が寒くなった。同じ学び舎の中で生活を共にした者が殺人に手を染めている。しかも明確な恨みを持った上で。君塚は気づかって詳しくは話さなかったが2人共相当に惨い殺され方をしている。
しばらく何か思い当たる事がないか思案していると

「あのさ。」
理沙の声で我に返る。彼女も記憶を必死で掘り返していたようだ。
「どうした?」
「君塚さんが言ってた事。2人に恨みを抱いているような人物。」
「何か思い出したのか?」
「確信はないけど、健二も何か思い出さない?特に、イジメって所に。」
確かに君塚の言葉を聞いたとき、記憶の片隅に何か嫌なじめっとした想い出が残っているような気がしたのだ。イジメ。俺達のクラスでそんな陰険な事を・・。

いや、あった。はっきりとその現場を目撃した事はほとんどないが。
おぼろげな記憶の中に浮かぶ、とっくの昔に死んでしまったと思われた生徒。
「あいつか・・。」
記憶の中に現れた彼の表情は弱々しく、儚げなものだった。
「久崎信也(くざきしんや)。」
健二達と同クラスであり、僅か半月程で行方をくらました、同級生だ。

藍城涙

(1)
少年との奇妙な同居生活にも慣れてきた。少年も最初に比べれば打ち解けてはくれたが多くは語らなかった。ただ名前すら教えてくれなかった。なので君という意味合いを含めて、”ゆう”と呼ぶ事にした。少年もそれに納得してくれたようだった。

何があって少年はあの日うずくまっていたのか。色々気になるといえば気になるが、涙からすれば妹の面影を残すゆうの存在は新しい家族が増えたようなもので、彼の世話をしたりご飯を作ったりしてあげるのがまず楽しくて仕方がなかった。

最初は物静かにぼーっと座り込み、出された食事を喉に通し、睡眠をとるといった生存本能に従った行動しかとっていなかったが、元々勉強好きだったのだろう。しばらくすると本が欲しいと言うので、さっと1万円を渡してやった。
すると少し悲しそうな顔して、
「ごめんなさい。外に出るのは怖いんです。」
そう言うので、インターネットで好きなだけ買ってもいいよ。お金だけなら腐るほどあるからと背中を押してやった。
すると間もなく家に大量の本が届いた。学校の勉強に使う参考資料や、小説、エッセイ等ジャンルを問わない様々な本達に囲まれゆうは満足気だった。
ゆうは本を読むか、熱心にネットをしているかのどちらかだったが、頑なに外に出たがらない点を除けば、二人の生活は平和だった。

ある時仕事から帰ってくると、ゆうは一点をぼーっと見つめたままお決まりの体育座りを決め込んでいた。
「ゆう、どうしたの?」
「この子、誰?」
ゆうの見ている先には一枚の写真があった。
「ああ、玲(れい)ね。私の妹。」
「妹?」
「うん、もうこの世にはいないんだけどね。」
そう言うとゆうはばつの悪い顔した。
「あ・・ごめんなさい。」
「いいのよ。もう昔の話よ。」
「あの。聞いてもいいですか?」
「何?」
「どうして死んじゃったんですか?」
涙は少し戸惑まった。あまり人に話すような過去ではないと思ったからだ。
でも家族同然のゆうに隠すのもどうかと思い、涙は話してやる事にした。
「イジメよ。」
「え。」
「ひどいイジメを受けてたの。それを苦に自殺。今でも、玲を死に追いやったやつらを、私は許さない。」

涙が当時高校3年だった時、玲は中学1年生だった。涙とは違い勉強が出来た玲は親から公立ではなく私立を薦められていた。本人は乗り気ではなかったが、きっと親を喜ばせたかったのだろう。玲は難関私立を受験し、見事に合格をもぎとった。

だが、幸せは一瞬だった。周りになじむ事も出来ず、周囲のレベルについていけなくなった事で玲の心は日に日に疲弊していった。そしてそれに加え、勉強が出来ないことで周りからイジメを受けるようになった。実際にどんな事をされてきたのかは涙も詳しくは知らない。ただ一度、上履きが汚れてしまったから新しいのが欲しいと親に相談していた時があった。両親は特に疑問に思っていなかったようだが、その日こっそりとずたずたに切り裂かれた上履きを捨てる玲の姿を、涙は偶然にも目撃した。
「玲、あなたイジメられてるんでしょ。もっと姉ちゃんの事頼ってくれていいんだよ。」
その夜たまらず玲にそう投げかけたが、
「心配してくれてありがとう。でも私イジメられてなんかないよ。うまくやってるもん。」
と断固してイジメを受けている事を認めなかった。

そして、次の日。彼女は学校の屋上から飛び降りた。家族への謝罪を記した遺書を残して。
玲は遺書の中にも、自分を追いつめた加害者の事については一切触れていなかった。そのせいもあって学校側もイジメがあった事を認めず、結局うやむやにされてしまった。

殺してやる。そう思った。だけど、それはきっと玲の気持ちと反する。
だから、悔しかったがそれ以上この問題に首を突っ込む事はしなくなった。
「今でも犯人が誰か分かれば、親子共々殺してやりたいと思う事がある。でもそれはきっと玲も喜ばない。」
しかし涙の怒りはおさまらなかった。結果その刃は両親に向いた。
お前達が私立になんて行かせなければ。玲自身は望んでいなかったのに、お前達のステータスの為に玲は死んだんだと。

涙は高校を卒業後、家を出た。貯まったバイト代を基に、違う地で一人で暮らす事に決めた。しかし、生きていくという事は想像以上に難しかった。その結果水商売という形で生計をたてる事になり、今に至っている。

「どこに行っても、強者は弱者を虐げたがる。腐ってるけど、それが人間なのよね。」
ゆうは黙って涙の話を聞いていた。その顔は無表情で何を考えているのかいまいち読み取れなかった。
「それは辛かっただろうな。」
まるで独り言のようだった。
「僕と、一緒だね。」
ゆうはぽつりとそう言った。
「ゆう。」
私はこの子を守らないといけない。そんな義務感が強まった。
「あなたは、玲とは違う。」
「え?」
「ゆうは、生きてる。」
この子と私は、出会うべくして出会ったのだ。
その時少し、人が神様を信じる気持ちがわかったような気がした。

須藤健二

(1)
バイトが終わり、携帯を確認すると由香から着信が入っている事に気付いた。
「どした?」
「今暇ですか?ちょっとご飯でもどうかなーと思いまして。」
「そうだな。腹減ったわ。なんか奢ってくれよ。」
「そのお願いは私に買ってからにして下さい。しかも後輩の女子に奢らせるなんてナンセンスです。ちょうど今車ですから迎えに行きますよ。」
「後輩だなんてよく言うぜ。」
しばらくして由香が運転する軽自動車がやって来た。
「お待たせしました。何がいいですか?」
「飯が食いてぇ。」
「了解―。」

由香の車が軽快に発進向かった先はインド料理専門店。様々なカレールーを楽しめるのが売りの店だった。辛さもお墨付きだ。
他人から見れば、彼女もいる身で他の女性と食事なんて非難されそうだが、由香については理沙公認の仲だ。理沙と由香の二人でショッピングを楽しんでくるなんて事もしばしばだ。
「しかし、急だな。何か用事でもあったのか?」
「ないですよ。ただちょっと気になりましてね。」
「気になる?」
「最近先輩、元気なさそうだからさ。どうしたのかなって。」
級友が殺された、なんてとても言う気にはなれなかった。
「そうか?まぁ言われてみれば風邪でもひいたのかもな。なんとなく体はだるいし。球のキレもそういや良くないな。」
「それはいつもの事です。」
「うるせえよ。」
最近は気詰まりを感じる事の方が多かった。本来一番安心感のある理沙との時間さえ、同じ事件の境遇にいるせいで、どうしてもその事が頭につきまとってしまう。それだけに由香との当たり前の日常会話が今の健二には新鮮で、気が安らいだ。
「ちゃんと言って下さいよ。」
「は?」
「なんだかんだ、心配してんですから。前から顔に出るタイプだなーとは思ってましたけど、今の先輩の顔、ひどいですよ。頼りたい時は、ちゃんと人の事頼ってください。」
「そう・・だな。ありがとう。」
由香からそんな言葉が出てくるのが以外で、照れくささを感じたが素直にその言葉に健二の心は幾分か救われた。
口の中が火だるまになるのを感じながらもカレーを腹いっぱい楽しみ、そのまま由香の車で家まで送ってもらった。
「今日はありがとうな。」
「いいって事ですよ。」
なんだ、結構いい奴なんじゃないか。改めて部活のライバルでもある存在に健二は感謝を抱いた。


(2)
あくまでも可能性の話であり、そんな事があるのかといった疑念は残る。しかし被害者の共通点という部分でその可能性はあった。

久崎信也。わずか数か月しか生活を共にしていないのではっきりとした記憶はあまり残っていない。線が細く、中世的な雰囲気のある生徒だった。よくよく思い出してみれば拓海や風間の取り巻きが信也をからかっていた覚えがある。しかしあれがイジメだったのかどうかまでは分からない。表だって何かひどい事をされているような記憶はない。だが本人からすれば耐え難いものだったのだろうか。それとも実は裏で酷い仕打ちを受けていたのだろうか。

とりあえずこの記憶について君塚には連絡を入れておいた方がいいだろう。
早速もらった名刺に連絡をいれると、君塚はすぐに着信を受け取った。そしてひょっとしたら信也が関わっているかもしれない事を伝えた。君塚はすぐに調べると言って電話を切った。
これがきっかけで事件が解決してくれればよいのだが。


後日、君塚から連絡が入った。まさかこんなに早くに消息を掴んだのかと期待したが、電話口から聞こえる君塚の声は重いものだった。
「どうしたんですか?まさか・・。」
「ああ・・面目ない。またやられちまった。」

なんて事だ。犯人どころかまた犠牲者が出てしまうとは。
殺されたのは、嘉山聡(かやまさとし)。やはり拓海の取り巻きの一人だ。あまり目立つタイプではなかったが、拓海とは違い性質の悪いタイプの不良で、暴走族まがいの事もしていた。死んだ信也の亡霊が復讐を果たしているのか、もしくはどこかでひっそりと生きていて暗殺者のように昔の加害者達を屠っているのか。どちらにしても健二には信也の仕業としか思えなかった。
彼についてもやはり凄惨な殺害方法だった。頭髪からまつげに至る全身の毛という毛が無理矢理毟り取られていたようだ。しかし決定的にそれで命を奪う事が出来なかった為か、死因は最後に首を掻っ切られての失血死だった。
「犯人は、昔うけたイジメに従って被害者達を殺しているのだろうか。」
「分からないですが、信也が犯人だとすればそういう事もあり得るかもしれません。」
「とにかく彼の消息について早急に調べる。ちなみに君は彼に対してイジメを行った記憶は?」
「いえ・・記憶の限りでは。」
「そうか。念のために周囲には気を付けてくれ。また何か分かり次第連絡する。」
君塚も相当焦っている様子だった。これ以上犠牲者が出れば、警察として面子が立たない所もあるのだろう。とにかく、早くこの事件が終わる事を願うのみだった。


君塚から連絡があったのはその翌日だった。
「もしもし、須藤君か?」
「はい、信也の事、何か分かりましたか?」
「ああ、その事で連絡したんだが。」
「で、どうだったんですか?」
「彼は既に死んでいる。8年前に死亡を確認されている記録が残っていたよ。」


頭が真っ白になる。信也が犯人ではないというのか。
彼が死んでいたとしたら、一体他に誰がこんな事をするというのだ。悪霊の仕業?馬鹿げているが、信也の強い念がこの悲劇を引き起こしている。そう思えてならなかった。

「ただ・・気になる点はあるんだ。」
君塚は少し間を置いてから話し始めた。そして彼が語る内容に健二は黙って聞き入った。君塚の話が本当だとすれば、壮絶なものだ。
「分かりました。何か進展があったら教えてください。こっちも何か分かったらすぐに連絡します。」
「宜しく頼む。」
信也。お前は今この世にいるのか、あの世にいるのか。どっちなんだ。

久崎信也

ずっとそういった人生を歩んでいたわけではない。女の子ようにかわいらしい顔立ちをした信也の事を母親や近所のおばさん、親戚の皆がかわいがってくれたし、友達だってそれなりにいた。

だが、人の運命なんて簡単に狂う世界なんだと中学二年の時に信也は思い知った。

今までかわいい、かわいいと持て囃される事はなくなり、その代わりに気持ちが悪いといった悪口へとそれが変わった。自分が何かを悪い事をしたわけじゃない。今まで通り生活をしているだけなのに、それがこのクラスでは通用しなかった。
決まって信也をなじってきたのは所謂不良の類の面々だった。その一部の面々は毎日執拗に信也を攻撃した。そして周りが助けてくれることはなかった。

教室にいるときはまだたいした事はされない。言葉での攻撃と軽くこつく程度の暴力と呼ぶにはほど遠いからかい。
しかし学校が終わってからが本当の地獄だった。
殴り、蹴られ、それに飽きたらず、髪の毛を切られたり、ライターで炙られたりもした。大量のへびが入ったバケツを頭からかぶせられた事もある。
死んだ方がましじゃないか。何度もそう思った。しかし、親や教師に言えば更なる報復に合うかもしれない。そう思うと誰にも助けを求める事が出来なかった。

しかし、一人で抱えきるのに限界が来てしまった。そして遂に信也は親に相談を持ちかけることにした。

自分は学校でひどいイジメを受けている。もうあそこに行きたくない。

母親は泣いていた。父親も難しい顔をしていた。
そして泣き止んだ母親はこう言った。

「辛いのはよく分かる。でも学校には行きなさい。中学を卒業するまでの辛抱よ。」

絶望した。あんな所にもう2年も行き続けろと言うのか。どれだけ苦しいか、どれだけ辛いか分かっているのか。信也はもうここに救いはないと感じ、家を飛び出した。
「待ちなさい!」
父親が後を追ってきた。信也はあてもなくただひたすら走り続けた。
もういい、もう無理だ。どうにでもなってしまえ。
やがて信也は山の深くまで走ってきたが、とうとうそこで父親に捕まった。
「落ち着け、信也!」
ぜえぜえと呼吸が乱れている。お互いにもう走る気力は残ってなかった。
「信也、辛いだろうが学校には行きなさい。」
「・・・。」

いつもそうだ。この人は自分の言葉は常に正論で有無を言わせずねじふせようとする。
仕事柄なのかもしれない。常にそういった権力を鎧として身にまとっているような人物だった。
「返事をするんだ。」
「・・・。」
「何とか言いなさい。俺の息子ともあろう者がこんな事で不登校だなんて情けない。」

信也の中で何かが壊れた。
いつも感じていた。母親はいつでもかわいいと言ってくれたが、父親は一度足りともそんな事を口にはしなかった。それどころか、男の癖に情けないと叱責するばかりだった。
そんな父が嫌いだった。でも怖くて逆らえなかった。

だがもう、どうでもいい。

「・・死ねよ。」

「なんだと。」

「お前なんか死んじまえ!」

勢いよく父の体を押す。父はバランスを崩し崖から足を滑らせた。
やってやった。そう思った矢先、信也の体がぐんと前のめりに引っ張られる。
父がばたつかせた腕が信也の腕を掴んでいたのだ。
訳も分からぬまま視界が回転する。そしてそのまま勢いよく何度も体が衝撃を受ける。
全身が砕かれていく感覚が無限に続く。
でもそれでよかった。これで死ねるなら。
信也の意識はそこで途絶えた。

須藤健二

(1)

「健二、最近変なメールが来るんだ。」

君塚から信也の件について話を聞いてからしばらくして、理沙は深刻そうに健二に自分の携帯を見せてきた。
アドレスはでたらめな英数字の羅列で、それぞれ異なるアドレスから何通かのメールが送信されている。中身を開き、その不気味さに健二は言葉を失った。

“いつまでも幸せでいられると思うな。”
“お前に今の人生は相応しくない。”

総じて理沙の不幸を願うような、粘着性の高い文面がいくつにも分けて送られている。
「これ、ひょっとして久崎君かな・・。」
理沙の顔色は事件以来日に日に悪くなっている印象だったが、もはや今にも倒れかねない程血の気が引いている。
「そんなまさか。仮に生きていたとしても、どうして理沙に。理沙、お前信也に・・。」
その先の言葉を健二が言いあぐねていると理沙の形相が激しいものへと変化した。
「してない!私は何もしてないよ!健二、私がそんな事する人間だって思ってたわけ!?」
「違う、そんな事は思ってない!ただ、理沙にそのつもりがなくても、あいつの中でそう解釈された事があったらって思っただけだ。」
「何よ。何もしてないわよ。あんななよなよしたヤツと関わるわけないじゃない。」
「おい。陰口でもそんな事言ってたんじゃないだろうな?もう何がきっかけで命を狙われるか分からないんだぞ!」
「知らないわよ!私が悪いっていうの!?そんな事で殺されないといけないわけ!?健二だって何一つ心当たりがないわけじゃないでしょ!」
「俺は・・何もしてない。何も。」
「そう、それは良かったわね。あなたが殺される心配はないわけね。そんな人に、私の気持ちが分かる訳ないわよね。」
理沙はすたすたと自分の元から離れて行った。
「おい、待てって!今こんな事で言い争ってる場合じゃないだろ!」
それでも理沙が足を止める様子がない。
「なんだよ・・。何かあったら必ず連絡しろよ!」

理沙の背中に呼びかけた声がちゃんと届いているか、自信はなかった。


(2)

“久崎君からメールが来た。やっぱり彼は生きている。”

理沙のもとに不可解なメールが来た後日、彼女から送られてきたのは衝撃的なメールだった。
あらかじめ君塚には理沙に不審なメールが届いている事は連絡済みだったので彼女の身辺でもし久崎らしき人物が現れたら守ってもらえるようにと要請はしておいた。
しかし、こんなに早くに動きだすとは。あわてて理沙へ電話をかける。

1コール、2コール・・・。
コール音だけが虚しく鳴り続け一向に出る気配はない。

「くそっ!」
乱暴に自宅の扉を蹴りきけ、理沙の家へと猛然と走る。
君塚にも連絡を入れておかなければ。そう思い、手にした携帯で電話をしようとしたその時、手の中で携帯がぶるぶると震えだした。
着信画面には理沙の文字が浮かび上がっていた。慌てて着信を受け、携帯を耳にあてがう。
「理沙!無事か!」
しかし、携帯からは無音しか伝わってこない。
「おい、理沙!返事しろ!今どこだ!」


「久しぶり。須藤君。」


背筋がぞわっとする。そしてその声は健二の意識を一瞬で少年時代にまで無理矢理に引っ張っていく。意識の中に浮かぶのは弱々しい一人の少年の顔。
「・・信也なのか?」
「自分の目で確かめに来なよ。想い出の場所で待ってる。」
ぶつりと一方的に携帯を切られた。
「おい!信也!」
くそ、くそ!急がないと理沙が危ない!

想い出の場所。健二と信也、そして理沙。これまでの被害者達。

全てを結ぶ集約点は一つしかない。

椚中学。

藍城涙

(1)

「そろそろ、自立しようと思うんだ。」
ゆうはいつでも唐突だ。素振りも見せずにいきなり自分の決意を語る。
今更驚きはしないが、さすがに自立の言葉に涙はたじろいだ。
「自立って、ここを出るの?」
「うん。」
「でも・・。」
「分かってる。今すぐには無理だし、もうしばらく涙さんには迷惑かけると思う。でもせめて一人で暮らせるようにはなりたいと思ってるんだ。」
「迷惑だなんて。私はゆうの事ずっと支えてあげるよ。だから遠慮なんてしないでって言ったじゃない。」
「ありがとう。とりあえず、大学には行こうと思うんだ。」
「大学か。ゆうの頭だったらなんともでなるよ。何かしたい事でもあるの?」
「うん。会っておきたい人がいるんだ。」
「それだけ?」
「いや、そろそろ外の世界に出なきゃと思って。」
「そうか、応援するよ。お金の事は心配しなくていいから。」
「ありがとう。本当に、ありがとうございます。」
「だから、ゆうは家族なんだから、気にしなくていいって。」
我が子が巣立っていくような寂しさもあったが、それと同じぐらい嬉しさもあった。この子の人生を助けてあげれたんだなと。

ずっと内にこもっていた一人の少年が外に出る。それだけでも相当な覚悟が必要だろう。

だから、言っておかなければならない。彼の為に。

「ねぇ、ゆう。」
「何?」

ずっと言うのを躊躇ってきた。しかし、いつかその時が来たら彼に伝えなければと思った。そして、それが彼に出来る最大の私からの援助だと思った。
「私、ゆうの事分かってるつもりだよ。」
ゆうは一瞬疑問を顔に浮かべたが、すぐに観念したように苦笑した。
「そっか。気付いてたんだ。」
「うん。」
「・・気持ち悪いかな。」
「ううん、そんな事ない。」
「・・皆も、そう言ってくれるかな。」
「言ってくれる。言わせてみせるよ。」
「え?」
「決断すべきだと、私は思うんだ。」
全ては彼の為。彼の心を真に解放する為。

「ゆうの人生にとって、必要な事だと思うんだ。」

須藤健二

(1)

「くそっ!なんで出ないんだよ!こんな時に!」
先程から何度も君塚に着信を入れているが、一向に連絡がつかない。
何をやってるんだ。
まさか、君塚もすでに信也に・・。
だとしたらもう頼れるのは自分だけだ。健二はかつての学び舎に急いだ。
ここからだと電車と合わせて1時間以上はかかる。理沙の無事に間に合うだろうか。
もはや祈るのみだったが、乗り込んだ電車がスピードを上げることはない。
歯がゆいを思いを抱きながら健二は電車に揺られていた。

椚中学に着いた頃には外はすっかり真っ暗闇だった。
酷くさびれた校舎に感慨を受ける暇すらなく、健二は理沙の元に急いだ。すっかり息は切れ、足も思うように動かなくなっていた。
校舎の中はじっとりとしており、独特の不気味さが漂っている。もう何年も前にいた建物だったが、思い出は体にしっかり染み込んでおり、健二の足は迷うことなくクラスへと足が向く。
階段を登っていると、ポケットの中で振動を感じた。取り出すと、君塚からの着信だった。
「君塚さん!何やってるんですか!」
「すまない・・不意を突かれてしまったがなんとか無事だ。」
徐々にクラスが近づいてくる。
「須藤君、今どこに?」
「久崎から連絡がありました。椚中学にいると。今まさにそこにいます。」
「何だと!?いや・・俺がしっかりしていれば、気を付けるんだぞ!俺もすぐにそちらに向かう!」
「頼みます!ところでやはり久崎にやられたんですか?」
「いやそれなんだがな、俺にもさっぱり意味が分からないんだ。」
「どういう事です?」
「車で張り込んでいたんだか、誰かが窓をノックするもんだから車から降りたんだ。そしたら・・。」
「そしたら?」
「女性がいたんだ。そしてそいつにいきなり鈍器で頭を殴られて、俺はそのまま意識を・・。」
「女性?」
「ああ。一応君達の身辺は基本的に洗っていたから見覚えのある顔だったんだが。」
「誰です?」


「眞崎由香だよ。彼女に殴られた。おそらく江ノ上君を連れ去ったのも彼女だ。」

眞崎由香

長かった。振り返ればあっという間の時間だったけど。

本当に今の世の中に溢れる文明の進化には感謝しないと。

ネットさえあれば、なんでも情報を手に入れる事が出来る。彼がこの大学にいると知ってから、私は必死で勉強した。そしてついに出会えた。

嬉しかった。すっかり大人になってるけど、あの頃と変わらず、優しくてかっこいい。

でもそれと同時に、うちに秘めていた憎悪が勢いよく溢れ出した。

彼を見ていると、どうしても昔を思い出す。

憎い、憎い、憎い。

排除しなければ。

もはや制御は不可能だった。そして、私はそれに従う事にした。

愉快で、楽しい時間。

それももう、そろそろ終わりかな。

藍城涙


ゆうが何かと葛藤している事はなんとなく初めの頃から感じていた。
しかし、その違和感が何かに思い当たるには時間がかかった。
そしてその疑問が解決される瞬間は偶然に訪れた。

仕事が終わり、いつものように昼過ぎまで眠っていた涙は、部屋の奥から聞こえる物音で目を覚ました。何の音だろうか。風呂場近くから聞こえるその物音に涙は静かに近づいた。
そこに立っているゆうの姿に涙は言葉を失った。そして、やはりそうだったのかと納得した。

置いてあった化粧道具の位置が変わっていたり、下着が違う場所に移動していたり。
疑問に思う点は今思えばいくつもあった。

立ち尽くすゆうの後姿には、涙の下着が身に着けられていた。

須藤健二

(1)

「遅かったね、須藤君。」
椅子に縛り付けられ、口には猿ぐつわが着けられ、自由を奪われた理沙の姿。その横に立つ由香の姿。
何がどうなっているのか、健二の理解は追いつかない。
「僕の事、覚えてるよね?」
由香の口に合わせて、その姿に似つかわない男性の低い声がかぶさってくる。
「お前、誰だ?」

「誰って今更。分かってるんでしょ。僕は久崎信也。君の元同級生。そして君の大学の後輩、眞崎由香ですよ。」
前半部分は男性の声音、そして後半部分は聞き慣れた由香の声。一人なのに二人いる奇妙な構図。
「答えになってねえよ。ちゃんと説明しろ。」
目の前にいる人物を信也と呼ぶべきか、由香と呼ぶべきか。健二には分からなかった。

「性同一性障害。耳にした事はあるでしょ。」
言葉自体は何度か耳にした事がある。肉体と精神の性に対しての意識が合致しない精神障害。
「今思えば、顔立ちとか、いじめられた原因ってそういう事だったんだよね。」

中世的な顔立ち。なよなよした言動。思い返せば信也の存在はどこか女性的な部分を感じさせていた。

「だからね、思い切ったんだ。女性になっちゃえばいいんだって。」
「って事は・・今までずっと。」
「そう。君の横に私はずっといたんだよ。」

猛烈な吐き気が襲いかかり、健二はその場に崩れ落ちた。ずっと、こんな事になる前から久崎信也は俺の横にいた。眞崎由香として。
「世間的には死んだことになっちゃってたみたいだけど、なんとか生き延びたよ。神様からのお情けかな。」
健二は、君塚からの話を思い出していた。


(2)

「ただ・・気になる点はあるんだ。」
「何ですか?」
「記録上は確かに死んだことになっている。だが見ている限り、それはあくまで制度上の話だ。」
「というと?」
「実際に死体が見つかったわけではないんだ。8年前、彼の住む近くの山から彼の父親の死体が発見された。」
「父親の?」
「争った形跡があった。急激な斜面から落下し、頭を強打した父親は即死。そして彼の血痕以外に、久崎信也のものと思われる血痕も多数残っていた。争った結果両者とも転落したと思われる。」
「それで?」
「その後周囲を隈なく捜索したのだが、彼の足取りは掴めなかった。結局一年操作を続けたものの生死が確認できなかった為、死んだものとされていたんだ。そして8年という月日が経過し正式に死亡認定されたのはつい最近の事だ。」
「という事は、どこかで生き延びている可能性はある。」
「現実的には低いが、無きにしも非ずだ。」


(3)

「一体今までどうやって。」
「当てもなくさまよってたら、偶然にも心優しい女性が僕を保護してくれてね。余計な詮索もせずに、ただただ献身的に支えてくれたよ。本当に彼女には感謝しているよ。こうやって女性になれたのも彼女のおかげだからね。」
「拓海達を殺したのも、お前なのか。」
「そうだよ。やっぱり生かしておけないと思って。簡単だったよ。念のために君や理沙の携帯からデータをコピーしてそれも使ったけど、今の世の中ネットで自分の情報を当たり前に曝け出すんだね。恐ろしいったらないよ。」
「どうやってあいつらを呼び出したんだ。」
「それも簡単。捨てアドを使って、お前が久崎信也にした事を覚えているぞって脅迫をかけた。その後また別の捨てアドで妙なメールが送られてきてないかって。信也の知り合いのものだけど、あなたの身が危ないかもしれないから一度会って話をしたいって。こんなので引っかかるなんてね。まぁ、もともと脳みそがないような連中だったからびびっちゃったんでしょうね。皆間抜け面ぶら下げてやってきたわ。そこで待ち合わせをして車に乗り込んだ所で眠らせて、後は適当な人目のつかない廃墟でやりたい放題。なかなかに楽しかったな。」
「復讐か。そんな目に合っていたかなんて知らなかったよ。」
「そりゃそうさ。あいつらは表立って目立ったいじめは絶対にしなかったからね。酷いもんだったよ。だからそれぞれやられた事をちょっとアレンジしてお返してやった。ヘビのバケツを頭にかぶらせた拓海には体に穴をあけてうなぎを流し込んでやった。ライターで肌を焼かれた健一はじっくり体をバーナーで焼いた後に全身火だるまにしてやった。両方のもみあげをばっさり切られた聡は全身の毛をひきちぎってやった。あの世で一生後悔すればいいさ。あんな奴ら。」
「なんて事を・・。」
「でもね、唯一須藤君は違った。」
「え?」
「君は覚えてないだろうな。あんな札付きの悪どもにからまれている僕なんかには誰も近寄ろうとしなかった。理由は僕の障害の部分にもあっただろうけどね。でも君はそんな僕に一度優しく声をかけてくれた事があったんだ。」
思い出そうとしたが、健二の記憶には思い当たる節はなかった。
「ま、君にとっては想い出のかけらにすら残ってないと思うけどね。でも僕は本当に嬉しかったよ。そして、その優しさに僕は心底惹かれた。」
信也の顔は若干紅潮しているように見えた。
「戸惑ったよ。だってその頃僕はまだ自分の障害に対してはっきり理解してなかったんだ。僕は男だ。男が男に好意を持つだなんて、いけない事だ。それなのに僕の心は君の事でいっぱいになってどうしようもない。毎日張り裂けそうで耐えられなかったよ。でも、その想いを君にぶつける勇気は、当時の僕にはなかった。」
「・・・。」
「僕が皆のもとから消えた後もずっとその事が頭から離れなかった。正直死んでしまった方が楽だと思った。でもある時ふと抑えられない気持ちから君の事をネットで検索した。するとどうだ。簡単に君の情報に辿り着けるじゃないか。そして君のページを僕は毎日チェックした。そしてどの大学に通おうとしているかも知った。」
健二の知らない所で俺の生活はこいつにずっと監視されていたのか。
「だから勉強したよ。空白の時間を埋める為に、一つ問題だったのが性転換についてだ。あれは成人以上じゃなければ両親の承諾がいる。もう僕にとって両親と呼べる存在はいない。だからそれまでは待つ必要があった。そしてその一年後、完全に女性になった状態で君と同じ大学に入学をし同じサークルに入った。」
「その執念には恐れ入るな。」
「どう?すっかり可愛くなったでしょ。復讐も遂げてこれで君にも想いを伝えられる。でもそうなった時に邪魔な存在が一人残っている。」
「それが、理沙か。」
「その通り、僕の人生を邪魔したものをぶち殺して、新しいスタートを切るにはこの女がどうしても邪魔なんだ。君は当時からこいつと付き合ってたよね。あの頃は分からなかったけど、この女がどうしても気に食わなかったのは嫉妬の感情だったんだ。訳もなく憎くて仕方なかったよ。」
「・・理沙を、どうするつもりだ。」
「分かってるんだろ。想像通りだよ。」
「待て。待てよ!目的は俺だろ?お前は、どうしたいんだよ。お前が俺に求めるものはなんだ。それを叶えてやる!だから彼女を殺すな!見逃してやってくれ。」
「あーあ。なんだよそれ。何にもわかっちゃいない。」

信也は着ているジャケットの胸ポケットをまさぐる。引き抜いたその手には銀色の棒状のものが握られている。そして器用に手首を振ると、カシャっという金属音と共に刃が現れた。バタフライナイフ。人を殺すには十分すぎる武器だ。

「おい、やめろ。待てって。」
「彼女を殺すな。見逃してくれ。それなのに、僕の願いを叶えてくれる?」
空気が凍りついていくのを感じる。
「結局この女が大事なんじゃないか。そういうのが・・。」

「やめろ!!」

「鬱陶しいんだよ!!」



ナイフが理沙の首元を通る。すーっとその首元に線が刻まれていく。
教室に赤い雨が降り注ぐ。瞬く間に周囲が朱に染まっていく。


「あ・・・ああ・・。」

ずっと一緒にいた。あの頃からずっと。いつだって、健二の横で微笑んでくれていた。

でももう、彼女は笑わない。怒らない。悲しまない。

殺された。


「君が悪いよ。女心を理解せずに、傷つけるから。でもかわいそうだから、代わりに君の願いを叶えてあげるよ。」
「・・俺の。」
「結局、僕の想いは通じない。よく分かったよ。だからせめてもの優しさとして、誰も邪魔出来ない、理沙と一緒の世界に連れて行ってあげるよ。」
「・・死ぬのか、俺も。」
「それがいいだろ。」
信也はナイフを高々と掲げる。



「ずっと。ずっと好きだったよ。須藤君。」

彼女の声は、泣いているように聞こえた。

「さよなら。」

久崎信也 須藤健二

今日もひどくやられた。体中が痛い。
とぼとぼと一人帰路を歩く。
味方なんて誰もいない。助けてくれる人は一人もいない。
いつまで僕は、こんな生活を耐え忍べばいいんだろう。
信也はそのまま家には帰らず、古本屋へと向かった。

ここであてもなく気になった本を立ち読みをするのがほとんど日課のようになっていた。
何も買わずに帰るのは悪いので、たまに100円程度の安い本を買って帰ることにしていた。
ここで本読みにふけるのが、信也にとって一時の安らぎでもあった。
気になった本を見つけ、早速ページをめくっていく。

「あれ、信也か?」
声の方に顔を向ける。

「あ・・須藤、君?」
「なんだ、うわー難しそうな本読んでるなー。お前すごいな。」
「いや、そんな事ないよ。」
「駄目だわ。絵のない本は俺にはまだ無理だな。信也こういう本ばっかり読むのか。」
「ううん、ゲームとかも好きだから、ゲーム雑誌とか攻略本とか読んだりも、するよ。」
「ホントか!俺もゲームは大好きなんだよなー。なんか面白いゲームあったら貸してくれよな!じゃあな!」
そう言うとさっと別のコーナーに向かったのか、健二の姿は信也の視界から消えた。

信也は茫然と健二の消えた先を見つめていた。
健二にとっては何気ない会話だっただろう。でも、そんなふうに喋りかけてもらえたのはいつぶりだろう。


なんだろう、この感じ。

健二の屈託のない笑顔が、信也の心から離れることはなかった。

ずっとあなたが好きだから

ずっとあなたが好きだから

大学生活を謳歌する須藤健二(すどうけんじ)。ある日、健二が通っていた椚(くぬぎ)中学の同級生、石崎拓海(いしざきたくみ)が何者かに殺された事を知る。そしてそれを皮切りに次々に殺されていく同級生達。 彼らの死に健二は、かつてイジメを受けていた久崎信也(くざきしんや)が関わっているのではないかと疑念を抱くが、彼は既に死んだと思われた人物だった。凄惨な事件の先に健二を待つものとは。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • サスペンス
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-12-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. プロローグ
  2. 須藤健二
  3. 藍城涙
  4. 須藤健二
  5. *
  6. 須藤健二
  7. 藍城涙
  8. 須藤健二
  9. 久崎信也
  10. 須藤健二
  11. 藍城涙
  12. 須藤健二
  13. 眞崎由香
  14. 藍城涙
  15. 須藤健二
  16. 久崎信也 須藤健二