江戸留守番ショウ

ネタが古くなってる。春に人前に出す予定だったのがなくなったから。

 首都東京。日本のすべてが集まる、そんな場所でぼくは働いている。ぼくが働くオフィスは50階を越える高層ビルに入っている。ビルにはオフィスだけじゃなくて質の高い商業施設もあり、まあぼくにはそんなに用はないんだけど、6階に病院があるのでそれには助けられている。このビルは東京の、つまりは日本のジオラマなんだろうと思う。東京に遊びに来ることがあったら、ぜひ立ち寄ってみんなに見て欲しいと思う。さらにぼくの勤務先は外資系だから、まわりでは英語が飛び交っている。そういう国際色も、ここが東京なんだなとのぼくの自信を強める。付け加えると、ぼくは派遣だ。ジオラマ日本、東京という街はここに完成していると言って間違いないだろう。
 さて、なんでも手に入る街、東京だと思っていたけれど必ずしもそうではないらしい。人情が薄れてきたなんて昔は言っていたけど、最近では水と電気に少し不自由している。これはあくまでもぼくの推測だけれど、水と電気の不足と人情の薄さは無関係じゃない。なんせ人体の60%は水でできているという。さらにその水のかたまりは、微弱な電気信号によって支配されているわけだ。実は水と電気の不足は、少し前からはじまっていて、存分に供給されていなかったため、結果として人体は機能不全に向かい、人の情という高度な生体反応が出てきにくくなっていたんだろう。ぼくは学生時代、環境情報工学を学んでいたこともあり、この持論には大変自信があった。
 天変地異が起き危機に面する時、まず小動物から逃げ出す。そうよく言われている。しかし、ここ東京ではそうではないようだ。ぼくがたっぷり休息をとっていた週末の間に、電力に不安にある東京の機能は一時、関西に移されていた。ほとんどの正社員は関西へと旅立っていたわけだ。とりあえず出来る範囲で作業を行ってください、なんてありがたいメールが届いた。
 いつもは鳴り止まないコール音もほとんどしない、空席も目立つオフィス。時を経て成長しすぎた大木が水を吸い上げることができずに枯れていく、かどうかは知らないけれど36皆のこのオフィスは立ち枯れしているといってもいいだろう。
 ぼくもビルの葉っぱのような存在だから、当然のように枯れかけていた。停電の影響によるダイヤの乱れが、帰宅時間にかかるため希望者には早期退社を認めるというメールも追い打ちをかけてくる。なんとありがたい。正社員の方々と違いぼくは時給制だ。早く帰宅して受け取る賃金を減らすか、定時まで会社にとどまり、夜の街から明け方の町まで楽しい遠足をするか。愉快な二択に心を踊らせて窓の外に目を向けると、左隣りの席が空いているせいでよく見える。とはいえ左隣の藤岡は小柄な女だ。そこまで視界を妨げていたわけではないだろう。
 しかし藤岡は目障りな女だと思う。小さな背を更に丸くしていつも静かにディスプレイに向き合っている。というのは見た目だけで、いつもマウスのホイールをカリカリさせながら、花粉症のためか鼻をスンスン鳴らしていた。二つの異なったリズムを同時に刻むことはなかなかに難しいらしい。ホイールを転がす音と鼻を鳴らす音は不思議と連動していた。その小さなビートはぼくの注意を奪うのに十分だった。舌打ちでもしてやるかと思ったけれど、舌打ちなんて行儀が悪いからできなかった。なんとかして邪魔だと伝えたかったけれど、眼鏡の奥にある藤岡の目は、マウスのボタンの隙間のくらいだったから、こちらの様子が見えないんだろう。気づいてはくれなかった。
 別にちょっとの騒音だけで文句を言っているわけじゃない。丸い背中を小さくして座る姿は自信のなさを伺わせるけれど、電話口での対応は、線の細さを感じさせる声とは裏腹にいつもしっかりと言い切る強さがあった。また備品類をよく人に貸し与えていて、「付箋ありますよ。そろそろ切れそうだったから頼んでおきました」などと用意周到な自分への演出をいつも付け加えていたのだ。「さすが藤岡さん」なんて周りに褒められて、小さな胸をわずかに張り、ご満悦の様子を何度となく目にした。そんな二十代も終わり頃の落ち着きを持った、小さなデキる女はぼくにとって快いものではないのだ。
 ところが、こうして目障りなものが無くなって仕事をする環境が整った時には、するべき仕事が無い。そりゃ、機能は関西に行っているからね。世の中のしくみとはうまく出来ているものだ。袋から尖った頭を出そうにも袋には入れてもらえそうにない。ぼくはいつまで経っても派遣のままだろう。こうして過ぎて行かない時間と変わって行かない状況を、覚える気のないマニュアルをぱらぱらとめくりながら潰したり踏みとどまったりするのだった。仕方がないから藤岡のデスクの上に残されたステープラーに、替芯を補充してやった。二本もね。
 東京はすぐに調子を取り戻したらしく、正社員の方々も来週には戻ってこられるらしい。 さて、おみやげ品といえばだいたい人の目を引くようなインパクトのある包装が多いと思っていたけれど、今の流行は違うらしい。関西から戻ってきた人たちは、普段なら相手にされない、ただの茶色いダンボールから無色透明の水をありがたそうに出して配っている。印象が薄く、見向きもされなかった水が、あんなにちやほやされているところを見ると、ぼくにもいつか好機が訪れんるんじゃないだろうかと、ささやかな期待が胸に訪れた。たとえ、ぼくだけ一本も水を貰えなかったという事実があったとしても。
 みんなは水はケースで買うと本当に重いとか、スーパーの店員に在庫は本当にこれだけかと尋ねてもそれ以上出てこなかったとか、わかりきった話をおもしろそうにしていたけれど、藤岡はそんな会話は加わっていなかった。ちょっと変わった状況に飲まれて皆が上気している中、ただ変わらず仕事をしている。関西での話と言えば「向こうには水色封筒がなくて。締めに間に合ってよかった。送ってもらおうかリーダーと相談してたんですよ」くらいのものだった。
 ぼくにもみんなの高揚感が伝わってないわけじゃないけど、カリカリスンスンと日常の音が戻って来たのでなんだか落ち着いてしまった。もちろん仕事の量も戻ってゆっくりできないだけかもしれないけど。
 しかし今日はいつもよりよくホイールが回る。丸い小さな背中はいつもどおりだけれど、実は藤岡は何か心配をかかえているんじゃないか、なんてちょっとだけ思った。とはいえ藤岡と親しくない、まあ誰とも親しくないから、ぼくには気持ちを組んであげることはできない。本当は自分の持ってるなにかの不安を藤岡に押し付けているだけかもしれないし。月初めとは違う高揚感に包まれている職場が、どうもぼくをおかしくする。実は藤岡も飲まれてしまっているのだろうか。いや、つまらない女だ、仕事が溜まっている、ただそれだけなんだろう。
 午前中ずっとこの浮ついた空気に接していたからか、なんだか外の空気が吸いたくなってきた。もうパンを買ってあるけど、何か外で食べようと思い、エレベーターホールへと向かった。でもぼくは見通しが甘い人間なんだな。結局みんな昼は外に行くから、オフィス内の空気も一緒に外に移動しているのだ。ぼくには自分の思ったとおりに、状況を変えることはできないんだな。
 結局下まで降りたところで、立ち止まってしまった。いろんな人が降りたり登ったりしている。ふと、降りてくる人の中に藤岡を見つけた。いつも弁当を持ってきている藤岡にしては珍しいと思った。だからつい口からこぼれてしまった。「今日は外なんですか?」ってね。藤岡は少しだけ驚いた様子だったけど、「戻ってきたばかりなんで。朝作る間が無かったんです。ああでもゆっくり食べる暇もありません。急に関西行ったからスケジュールが厳しくなりましたから」と事務的に答えてくれた。ぼくはつまらない返事に腹が立ったから、仕返しでもしてやりたくなって「急ぎなら、そばでも行きませんか?回転速いですよ」と意地悪を言った。
 これはなかなか効果的だったらしい、藤岡は顔を下にむけ「ええ」と答えるのが精一杯だった。そして鞄を少しだけ開くと、小さなペットボトルの水をぼくに向けて差し出す。「おみやげです。水って重たいもんですね」少しだけ藤岡は笑った。今気づいたけれど、ぼくはもう喉がからからに乾燥していて、今すぐにでもキャップをひねって一本飲み尽くさんばかりだった。けれど、ペットボトルがキラキラとあまりにも眩しくて、直視するのが辛くなって、仕方なく鞄に収めるのだった。「それでは案内してくださいね」藤岡は電話口のようにはっきり言った。

江戸留守番ショウ

江戸留守番ショウ

東京、日本の中心で働く主人公。でも、主人公はちょっぴり外に押し出されがち。そんなところでも、いいこともあったりなかったり。

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2011-10-06

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