My World

プロローグ

手段はいくらでも目の前に転がっている。
そして何千何万回と用意されたその手段という退屈を手に取り、既存の方法に従って成すべき事を執り行う。
繰り返し繰り返し繰り返し。終わりなどなく。
「まーたろくでもない奴が来たみたいだぜ。」
横にいるダルマのようににずでんとした先輩が自分の腹を重々しく抱えながらぼやいている。
「えーと、じゃあいつも通り適当に処理っすかな。」
ずっとこの調子だ。俺なんかはまだ歴が浅いから諸先輩方に比べればまだまだなんだが、よくもまぁ文句を言わずにこんな事を続けていけるもんだと半分感心し、半分呆れ返っていた。
「先輩、ちょっといいすか?」
「なんだー?」
ダルマ先輩が鬱陶しそうに返事を返す。
ずっとそうだ。これを始めた時から俺の中で、ぐつぐつぐつぐつと形容しがたい感情が長い時間をかけて煮込まれてきたがもうそろそろいいだろう。
何事にも、変化という刺激は必要だ。
「あれの処理、俺がやってもいいですか?」
「なんだ?そりゃ手間が省けてありがたいがな。」
ずっと考えていた。ただ正直リスクを恐れている自分がいた。だから言い出すことも出来ずに、悶々と毎日を繰り返していた。失敗すればどうなるか、その代償は小さくはない。
しかし、リスクに飲み込まれこの日常を受け入れていく方が、何よりの恐怖じゃないか。
だから始めるんだ。
「上手くやれさえすれば、俺なりにやってみてもいいんですよね?」
とうとう俺は、その思いを放出した。
不気味に、しかし愉快そうに先輩の口元が歪む。
「別にいいぜー。ただし・・。」
「ただし・・?」
「失敗すりゃ、それだけのリスクがてめぇに返ってくる事だけは気を付けるんだな。過程も大事だが、結果が全てだ。しくじれば立場が入れ替わるぞ。」
そんなもの、今の俺には脅し文句にもなりゃしない。楽しむんだ。それこそが全てだ。
「おい。」
歪んだ口元がきっと引き締まる。先輩の真顔がここまで威圧感のあるものだとは知らなかった。すこしばかり緊張が走った。
やがてしばらくして、その顔が破顔する。
ほっとした。このダルマだってそうなんだ。
飽き飽きしてるのは皆一緒なんだ。

「せいぜい、楽しめや。お前の世界を。」

一章 日常


桜の花も勢いをなくし、これから始まるであろう灼熱地獄の兆しが見え始める季節の中、鬼島悟(きじま さとる)はゆったりと学校へと歩み出していた。
少し前までは少々肌寒さを感じる空気だったが、もう半袖に移行しても良い気候になってきた。
鞄からipodを取り出し、お気に入りバンドの曲をかける。今日も最高の朝だ。
朝のこの時間が好きだった。自分のペースで歩き、自分の好きな曲を聴く。歩いて15分程度で着く距離がまだ調度よかった。程なくして校門が視界に入ってくる。

神下高校。
学力でいえば標準的な学校だろう。なんせ自分のような平凡な学力を持った者が入学出来たのだから。
少々田舎の方に位置している事もあり緑に囲まれたその空間は、平穏を感じる落ち着いた環境である。

この学校に入った理由は至極単純。自分でも入れると思ったからだ。
悟は飛び抜けて頭が良かったわけでもないが、悪くもなかった。ただそれなりの偏差値の学校に入るに越した事はないし、中学の進路面談時にでも神下ならきちんと受験勉強さえすれば問題はないだろうという言葉を受けた事もありこの学校に決めたのだ。
たいした理由もない。しかし逆に言えばこの年代で明確な目標を持って高校を選ぶのはエリートとなるべき者達や確固たる夢や目標を持つものといったマイノリティな存在だ。自分にはそんなものはなかった。
しかし、満足はしていた。入学時は中学の頃の知り合いもそれ程いなかったし、新たな環境という中で多少の不安を抱いてはいたが、スタートした高校生活は思いの外円滑なものであった。部活こそ入っていないものの、友人には恵まれてはいるし、勉強もついていけないと思うこともない。自分のペースも乱されることなく毎日を楽しめていた。

そんなこんなで一年が過ぎ、二年になった今も特に大きな変化はない。相変わらずの日常だ。


2-2、ここが悟のクラスだ。
「おはようーさとるー。」
「おう、おはよ!」
クラスメイトからの挨拶に迎えられながら自分の席につく。
鞄から教科書類を取り出し自分の机に収めていると、ふいに頭上に違和感を感じた。
「ん?」
なんだ?奇妙な感覚がしばらく続いたので手を頭上にかざそうとした腕をあげたその時、
「まだ動いたらあかんよー。」
その声を聞いた瞬間、嫌な予感が全身を駆け巡った。さっきまでの朝の登校で感じていた幸せ気分は一気に底へと沈んでいく。
「操。今日はなんだよ。」
「へっへっへっー。」
はぁ、と思わずため息が漏れる。一体今日は何をやらかすのか。
相変わらず髪の毛の感触は続いているが、それに加えて頭皮を引っ張られる感覚も追加されている。
じょぎぎ。
「え、おい!?まさか!」
「はいオッケーでーす。」
かちゃんと俺の机の上に小さ目のはさみが置かれる。それだけでも今操にされたことがおおよそ把握できたが、それに加え黒く短い糸くずのようなものが目の前を駆け下りていった。
「おい、ざけんなよ!いくらなんでもやりすぎだろ!笑えねーよ!」
勢い良く振り向き、怒声を浴びせてやるが、この犯人はそれを待ってましたと言わんばかりに満足気な顔を惜しまず、高笑いを決め込んでいた。
「ひゃー!今日もいい朝でございますなー!たまらんたまらん!」
「たまらんじゃねえよ!こっちは髪の毛切られてんだぞ!」
それにも構わず笑い続ける操だったが、
「よう見てみ。さすがにそこまでひどい事せんわ。」
と俺の机を指差しながら言うので、改めて机に目を落としてみる。
「あ、これ・・。」
そうか、どうりであんなに落ちるのが速かったのか。
そこにあったのは黒のシャー芯の欠片たちだった。
「焦ったー!毎度毎度やってくれるなーお前は。」
これまた操は満足げににんまりして見せるが、一つ腑に落ちなかった。
「でも、あの音は何だよ?シャー芯切ってもあんな音しねぇだろ。」
そう言うと、にんまりと無言のままシャツの胸ポケットから切れ込みが入ったノートの切れ端を取り出した。
「あーそゆ事ね。」
そんなとこまで無駄に凝らなくても良いだろうに。
「びびったやろ?ほなまたな。」
やり切ったと言わんばかりに足取り軽く教室を出て行った。
周りの皆からは、またやられたなーとか、さすがにひやっとしたなんて色々言われたがこれもまた俺の日常の一部だ。

冠無操(かんなし そう)。
悟とは別クラスだが、一年の頃から親交があり今では一番よく遊ぶ友人の一人だ。
短髪でウニみたいにとんがった髪型が特徴的で、顔はあっさり目ではるがバランスの良い顔立ちからか女子からもそれなりには人気だ。

一年の頃、友人の家に遊びに行った際、その中にいた一人が操だった。
もともとは西の方に住んでおりこちらに引っ越す都合上でこの神下高校に入る事になったそうなのだが、西独のノリと人当りの良さで、すっかりと周りの人間を自分の空気の中へと取り込んでいるようだった。
ふと、その中の一人が、「ここにいるさっとんって奴、ルービックキューブすごいんだぜ。」なんて勝手に悟の紹介を操にするものだから、流れ上それを披露する事にした。
悟の唯一の自慢でもあったので気は悪くなかった。なんせ六面体を10秒もあれば完成させられるほどにまでその技術は磨かれていたからだ。
ぐちゃぐちゃに組み替えられたキューブを渡される。
「よーい、スタート!」
掛け声と共に、両手の指を巧みに動かす。十指全てに意識が宿り、それぞれの情報を共有しながら完成へと繋げていく。一面ではなく全体を意識する。これが基本であり全てだ。
「はい、完成。」
おぉーという歓声と共に拍手が巻き起こる。何度も見ているはずの友人達も完成の瞬間を見せられると毎度新鮮なリアクションを返してくれるのであたりも悟にとって爽快な瞬間だった。

その日の帰り、偶然にも操の家が自分の近くだと知り、操と一緒に帰る事になった。
操は相変わらずのノリだったので気まずさもなく、おめぇーあれすげぇなぁーとか、素直に俺の事を称賛してくれた。そして別れ際、
「おめぇ、なんかおもろいし、仲良くなれそやわ。今度また遊びにいこや。」
なんて真っ直ぐな言葉をかけてくれた。
何がそんなに気に入られたのか悟自身にとっては謎だったがそれ以来つるむ機会は増え、今に至っている。
今日みたいないたずらもよくある事だったが、度々冷っとさせられる時もあり正直心臓には悪い。チャイムが鳴り担任が入ってきた事でざわつきが静まる。
「はーい、じゃあこの間の小テスト返却するぞー。」
そしてまたクラスがざわつく。
いやはや、今日も平和な事で。




放課後、操と二人校内でだらだらと過ごしていた。
学校の外周を走る運動部や合唱部から響くコーラス、吹奏楽部の管楽器の轟がこだます中で俺たちはそれをただ悠然と眺める。
しかし悟達は決して帰宅部というわけではない。非公式ではあるが、ある部活動に所属している。
顧問もいないので何者にも縛られず、自分たちが活動したい時に活動する。
素晴らしい待遇の部活なのだ。
悟と操以外にもう一人部員がいるのだが、その部員は正式な部活動を勤しんだ上でこちらの活動にも顔を出してくれているというなんともバイタリティ溢れる人物だ。ただ悟達のやっている事を考えると少々奇特という表現の方が正しいかもしれない。
「しっかし、新ネタでもあるんか?もう最近ネタ尽きてる感あるやん?」
「確かにな。まぁ別に活動にこだわる必要はねぇよ。集まる事に意義があるんだ。」
「なんだそりゃ。」
確かにここ最近はネタ不足なのだ。そういう意味で新ネタが舞い込んでくれるとありがたいのだが、なかなかそうもいかないのが現実だ。
日も暮れだしてきた。そろそろ終わる事か。
「楓ちゃん、ぼちぼち迎えに行こや。」


体育館の近くまでくると、
「お疲れ様でしたー!」
と快活な号令と共にバタバタと大勢が移動する足音が外まで響き渡ってくる。。
いつも通り体育館の裏口の方で待機し、大量の女子生徒達が部室へと雪崩れ込んでいく様子を眺めていた。
顔見知りも多く、自分たちの姿を見て「今日も姫様のお出迎えか?」とからかってくる先輩もいれば、「お疲れ様でーす。」なんてこっちの生温い活動に比べたらとんでもないと恐縮するようなお言葉をかけてくれる後輩達がぞくぞくと通り過ぎていく。
適当に後輩を捕まえて、
「楓、まだかな?」
と声をかけ、その後輩があっと口を開こうとしたとほぼ同時に、
「ごめん!すぐ行くからもうちょっと待ってて!」
こちらの姿も確認せずに一人の女子が部室へと颯爽と消えていった。
それを見た後輩がふっと微笑みながら
「だそうです。」
と言って同じく部室へと向かっていった。
「あんだけ運動してなお、あの元気。若いねー。」
なんて操は横で親父くさいセリフを吐いていた。


「お待たせー。」
ほどなくして制服に着替えた楓が現れた。
「じゃあ行くかね。」
部員が全員揃った所でいつもの場所へと向かう事にする。
悟、操、そして女子バスケ部と掛け持ちでこちらの活動にも参加してくれている西行楓(さいぎょう かえで)。これが我が部員メンバーである。
楓にとっては少々ハードスケジュールではあるが、「部活何て言うほどの事してないじゃない。」と、言い返しようもない正論を放ってからは悟自身も特に気にすることはなくなった。

三人が部室としているその場所は高校を出てすぐそばの山の中に存在している。鬱蒼と茂った山道を少し進んでいくと、古ぼけた小さな小屋が姿を現した。
少々暗いので携帯の明かりを頼りにこの建物の光源となるランプを見つけ、用意しておいたライターで火を点けるとぼわっと小屋が明るさを帯びていく。
この小屋が本来何の用途で存在しているのかは知らないが、定期的に自分達で掃除したりと整備は心掛けているので休憩がてら使用する分にはなかなかに心地の良い空間に仕上がっている。
問題があるとすれば、気候の温かい時は良いが冬場はさすがに暖房器具もない為、その期間は使用できない点だろう。
「さて、と。部長、今日はどのようにいたしますか?」
両手を金をせびるようにこすりながら操が悟に話しかける。
「まぁ俺も操も新ネタはないしねー。楓なんかある?」
「なんで私より時間のあるあんたらがネタを仕入れてこないかねぇー、全く。」
そう言いながら自分自身は何かネタを仕入れてきているようで、口元が多少にやけている。
早く話したくてたまらないのだろう。
「お、なんや?聞かしてみーや。」
「まぁ怪談って類の話ではないんだけどね。」
そういって楓が得意げに語り始めた。



俺達の部活。恐怖蒐集クラブ。
字面にすると物騒な部活名だが要は怖い話や、心霊スポット。そういうオカルトチックなものに首をつっこみ楽しむ、ざっくりとだがそれが俺達の活動内容だ。
単純にこんな怖い話があったとかを話してみたり、肝試しに行ってみたりと楓が言うように確かに部活動と呼べるほど高尚なものではないが、三人それぞれそういった怖いもの好きだという共通点から始まったのがこの部活だった。
一応悟が部長、操が副部長、楓が部員兼マネージャーという事にはしていたがだからと言って明確に役割が決まっている訳ではない。部活っぽさが欲しいという操の意見からじゃあ形だけでもという事でそうしたに過ぎないのだ。
元々の起源は中学にまで遡る。
悟と楓は同じ中学に通っており、ある時放課後に友達から、バスケして遊ぶんだけど、男が一人足りないから入ってくれないかと言われ参加する事にした。
運動自体嫌いではなかったので快く引き受け体育館に引き連れられた。そこにいた男子メンバーは皆顔見知りであったが、女子はほとんど分からず楓ともこの時が初対面であった。
ショートカットで、肌は浅黒く見るからにスポーティーだなというのが最初の印象だった。
男3女3の形式でいざ試合が始まると予想外に女子メンバーの動きが良く翻弄され、結果的には負けてしまったが、なかなかに白熱した楽しい試合だった。
たまには運動も悪くないなと一息ついていた所に、楓がどうぞとスポーツ飲料を手渡してくれた。
「結構バスケ上手いじゃん。」
「ありがと、そっちこそ動き良すぎ。」
それが最初の会話だった。

それから時々楓達とバスケをするようになった。そしてそのメンバーで夏休みに皆で集まって怪談話をしようという話になった。
ただ話をするだけじゃ面白くないので、雰囲気を出すため地元でも有名な心霊スポットである廃病院でやろうという事になった。
夜の病院という絶好の環境にそれまでは盛り上がっていたメンバー達もいざ現場に来ると、だんだんと不安げな表情へ変わっていった。
そんな中で楓だけはこれよこれ、この雰囲気!なんてさらに勢いづいていたのが印象的だった。
ただ結局その日、まずは病院を見て回ってみようと院内を散策している時に一人の女子がすさまじい悲鳴をあげ、出口へと走って逃げてしまうという事態が起きた為、怪談話どころではなくなってしまったのだが。
その悲鳴をあげた女の子は仕切りに針みたいなのを持ってた!殺される!
とよく分からない事を喚いていたが誰一人そんなものは見ていなかった。

後日またバスケメンバーで集まり、あの日は怖かったなーなんて話をしていた。
何かを見たという女子もすっかり落ち着いてはいたが、もう二度とあんなのはごめんだと本気で嫌な顔をしていた。その後バスケで一汗かいて休憩していた所にいつものようにジュースを渡しに楓が来た。
「あの日は惜しかったなー。」
と残念そうにつぶやいた。
「え、何が?」
「肝試しよ。私も彼女が見たものが見えれてればなぁ。」
「西行さん、怖くなかったのか?」
そう言うと頭をぽりぽりとかき、なんだか気恥ずかしそうに
「少しはね。でもそれより・・わくわくっていう好奇心の方が強いかな。あたし結構ああいうの好きなんだよね。幽霊とか、怖いやつ。」
「そうなんだ。なんか心霊スポットにいるにしちゃ、表情がきらきらしすぎてるなとは思ったよ。」
自分がそこまであからさまな表情をしてた事とそれを見られていた事がよほど恥ずかしかったのか、楓の顔はみるみる赤くなり両手を顔の前でパタパタと振りだした。
「嘘!?うーわーすんごい恥ずかしいわー・・。はた目から見てたらだいぶキモかっただろうね、私。あーやだやだ!」
そんなに卑下しなくてもいいだろうに思うほどの狼狽っぷりとその仕草がなかなかに可愛らしかった事もあり思わず悟は笑い出してしまった。
「ちょっとー。そんなに笑わないでよー。」
「いや、ごめんごめん。別にキモくなんてなかったよ。そんなの世の中にはもっとマジな心霊マニアとかいるだろうし、それに比べりゃ全然だろ。」
「そうかねー。まぁいいわ。」
「にしても、西行さんがオカルト好きとはな。じゃあいろんな怖い話とか知ってるの?」
「まぁ怖いもの好きだと、おのずとそういうのは探しちゃうよね。鬼島君はそういうのあんまり?」
「普通かな。西行さんほどの熱はないね。」
「そっかー。じゃあ最近仕入れたんだけどさ。」
気付けば楓の顔は肝試しの時に見せたあの表情と同じ顔をしていた。
「こんな話、知ってる?」

そんなこんなでその後すっかり楓の影響で悟もオカルトにはまり中学時代は度々その手の話題で楓とよく盛り上がった。
その後偶然にも同じ高校に入ったものの、楓はバスケ部に入部。
今までのように話す機会も減ったが、悟は悟で気ままに過ごしている中で操もオカルト好きだという事を知り二人でちょこちょこそういった活動をしていた。
それをどこかで小耳に挟んだ楓が「なぜ私を混ぜないんだ!」とえらい剣幕で直談判してきたのをきっかけに楓を向かい入れ3人体制でこの恐怖蒐集クラブを始めることとなったのだ。



「あらら、お二人とも見事にサイコパスですね。そりゃもうお手本かと思うくらい。」
「こんなのホンマにあてになるんか?」
「実際の死刑囚達に今の問題を出したら死刑囚みーんな同じように答えたんだってさ。
一般人ではまず出ないような答えを。怖くない?死刑囚みんな揃ってだよ?」
「うーん、そうなると確かにちょっと怖いな。」
「怖いのはこっちの方よ。私の目の前にそのサイコパスが2人もいるんだから。」
「ははー、どや悟。今からでもその方面で俺と活躍するか?」
「バカな事言ってんじゃねーよ。」
こんな風に各々が仕入れた情報を披露し合う。今日は完全に楓のペースの日だった。
日もすっかり落ち、そろそろお開きですなという操の一言をきっかけに帰る準備を始めた。
それにしても最近活動が本筋からずれている事が多い。
今日にしても最初は楓のストックがあったからよかったものの、後半はほとんどただの雑談だ。
どこだかのヤツが万引きで捕まりそうになったとか、どこぞの教師が実は援交してるらしいとか、それこそ根も葉もないような噂話であったり。
結局の所、日常なんてそんなものなのだ。本当の怪異が身に起こるなんてのは稀な事で、一生に幾度と経験する事など普通はないのだ。

「じゃあ、またね。さすがにちょっとぐらいはなんか仕入れといてよね。」
「はいはい、ほなまた。」
「また明日な。」
「明日もやるんなら、ネタね。」
「はいはい。」
楓とは途中で別れ、そこからは操と夜道を共にする。そろそろテストも近くなってきたなとありふれた会話を続けていた。
悟の家が見えてきたのでじゃあまた明日と言った所、操が唐突に、

「なぁ、悟。この話知っとるか。」

と言い出した。真顔だった為、ふざけた話題ではなさそうだ。
「なんだよ。」
「あるカップルがさ、古ぼけたアンティーク店で妙なパズル見つける話。」
ここまで聞いて悟はあぁ、あの話かと分かった。
それなりのオカルト好きなら一度は耳にした事のある話だろう。

話の内容は確かこんな感じだ。
あるカップルが偶然立ち寄った古いアンティークショップで正二十面体のオブジェを見つける。
店主によるとこのオブジェはパズルの一種であり、三種類の動物に変形するという。
渡された説明書をもとに彼女はその後数日パズルと格闘し変形をすすめていく。
しかし変形を重ねるごとに彼女の身の回りで怪異が起こり始める。異様な気配を感じたり、誰もいない室内でざわざわ声が聞こえたりと。
やがて最後の動物への変形がほぼ完成しかける所までくると怪異はますますひどくなる。
これに不安を覚えた彼氏が有名な占い師に見てもらおうとした所、占い師は彼女に向かって
「それを完成させてはいけない!」
と忠告を受ける。パズルを捨てると今までの怪異は嘘のように納まった。しかし、もしあれを完成させていたら・・・。

そんな不気味な話だ。しかし不思議なのは何故改めて操がこの話を持ち出してきたかだ。
正直言って、こんな話を楓の前で披露しようものなら使い回しなんてと呆れられる事だろう。
そんな感情を読み取ったのだろう。
「待て待て、分かっとるがな。その話をしようとしとるんちゃうよ。」
慌てるなと言わんばかりに両掌を前に出す。
「あの話、終わり方憶えとるか?」
「終わりって・・。」
もう一度よく思い出してみるが、そんなオチらしいオチがあっただろうか。うーんと悩んでいると、「あの話はな。」と操から切り込んできた。その声はやけに深く落ち着いたものだった。
「彼氏のこの言葉で締めくくられるんや。“こんなものがこの店以外にもどこかで存在していない事を心から願ってる。”ってな。」
背中に氷をあてられたかのようなぞくっとした感覚が走った。やけに外気が寒く感じられる。
「操。それって・・。」
「まぁ、こっからは噂やし確かめてないんやけどな。」
と操はまたいつもの調子で話し始めたた。
「どうやら、あるらしいんや。それと同じようなパズルっちゅーのがな。」
「まじかよ!」
「分からん。なんせ噂や。信憑性なんてあらへんよ。この話自体かて本当かどうか疑わしいぐらいや。パズル一つで地獄の扉がこんにちは、なんてな。ただこっから少し離れた古い雑貨屋さんにそれが置いとるらしい。もうちょい詳しく調べとくけどや。」
なんとなくこの話を悟だけにした理由が分かった。
「本物だったら、楓もぶっとぶな。」
「そゆ事や。」
今おそらく俺はなかなかに悪党じみた笑顔をしている自信がある。操のニヒルな悪党スマイルが悟にそう思わせた。
「情報集まったらまた教えたるわ。ほなな。」
「おう、また。」
久々にわくわくしてきた。
最近活動らしい活動が出来ていなかったが、やはりフィールドワーク。自分の足で動いて現場を確かめに行く方が面白い。そこに楓を加えてやれないのが少々残念だが、仕方ない。
例え本物じゃなくたって、楽しみがあればそれでいいのだ。

二章 開門


「早速やけど、場所分かったで。」
操との会話から一週間弱、思いの外操の動きは早かった。
悟自身もネットなどを駆使して探ってみたがなかなかそういった情報は見当たらなかった。
一体どういう情報経路を使ったのだろうかと思うが、操は人を取り込む能力の高さ故その人脈はかなり広い。
本気を出せばどこぞの社長とも繋がることも出来るだろう。
そういった独自のルートでその情報を仕入れたのだろう。
「なんや以外と近いとこにあるみたいやで。こっからやと2,3時間もあれば行けるわ。」
その場所は隣県にある雑貨屋「件(くだん)」という場所だそうだ。
店の名前もオカルト好きなら反応してしまうようなネーミングだ。
少し遠出にはなるが、日帰りで十分行ける距離だ。
「今週の休みにでも覗きに行ってみるか。」
「せやな。」
順調に事は運んで行った。

しかし、当日になって問題が起きた。
昼過ぎ、集合場所である駅のホームで待ち合わせをしていた所、操が急用で行けなくなってしまったというのだ。もうすぐ電車が来てしまう事もあり少々迷ったが、悟一人で確かめに行くことにした。
慣れない電車の乗り継ぎだった事もあり件のある最寄駅に辿り着いたのはもう夕方手前だった。
下町感溢れる、風情のある街並みと商店街が特徴的な場所だった。
件は商店街を抜けて少しした所にあった。最初ただの民家ではないかと疑ったが店に掲げられた看板には間違いなく”雑貨 件”と書かれていた為、間違いはなさそうだった。
入口は引き戸になっており、開けようとするとだいぶ古びているのかスムーズに開かず、途中ガッガッと引っかかり店内に入る段階で出鼻をくじかれるような形になった。
やっとの事で入店を果たし、店内の景観に目を向ける。
雑貨屋なので色んなものがあるのは当然なのだが、日本、米国、英国、どこの物かも検討がつかないような品が狭い店内にずらずらと並べられている。特にレイアウトも考えられていないのだろう。本当にただ単に置いてあるという印象だった。
しかし、そういった雰囲気だからこそ期待感は高まった。オリジナルの話と同様の古びれた店内。こんなよくも分からない店の主人が遊び半分で始めたような雰囲気。偶然にもそういった品を仕入れていても不思議ではない。
早速店内を見回っていく事にした。
店内が狭いので一周するのにもそこまでの時間はかからなそうだ。
しかし本当にいろいろな商品が置かれている。
よく分からないキャラクターのマトリョーシカ、葉っぱを傘替わりにしたアマガエルの置物、英字新聞を便箋にしたようなもの、時代劇で出てきそうな案山子傘。
しかし、注意深く一品一品に目を向けていくが当のパズルはなかなか見つからない。
そしてとうとう一周した所でそのようなものはないという落胆の結果が待ち受けていた。
思わずため息がもれる。しかしそんなに気を落としても仕方がない。所詮は噂だったのだ、帰ろう。そう思い、引き戸に手を掛けようとした時に、
「もうお帰りで?欲しいものは見つからなかったかい?」
声の主を見やると、ふくよかな体型の豊かな白髪と白髭を携え、小さな丸眼鏡をかけた老人がカウンター越しに佇んでいた。
見た目だけでいえば川底に落とされた某ファーストフード店の創始者のようだった。しかし、いつの間にそこにいたのか。
店に入った時にはそんな人物はいなかった。真剣に商品を眺めているから気付かなったのだろうか。
「どうも。いや、あのえーっと・・。」
なんと説明しようか。地獄の門が開くパズルを探しているんですなんて言うわけにもいかないだろう。
そう思案している時、悟の目線はある一点を捉えた。
カウンター越し、ちょうど老人の背後にある木棚。そこにもいくつかの品が並べられているのだが、その最上段に琥珀色の長方形の物体が置かれていた。
真ん中には切れ込みが入っており、ちょうどその切れ込みの中心の左右にそれぞれドアノブのように丸い水晶がついている。
不思議と気になったの
「おじいさん、それなんですか?」
と指差すと
「これかい?」
とそれを手に取り自分の前に置いてくれた。
なんだろうかこれは。思ったより奥行きがあり、中が開けるようになっている。
「これはね、一種のパズルだよ。」
パズル。そのキーワードにもしやという予感がよぎる。まさかこれが?
「ある輸入業者の方と懇意になってね。その方には度々おもしろい商品を紹介してもらっていたんだが、ある時いい物が入りましたよといってこれを取り出したんだ。なんて事ないパズルだったから特に興味もなかったんだが、小さい子供なら気に入るかとも思ってね。」
「でもなんでそんなカウンターの後ろに置いてるんですか?」
そう言うと、老人は苦笑しながら
「いや、以前はちゃんと商品棚に並べていたんだよ。だがまぁーったく売れんくてな。商品の入れ替わり上、見込みのないものをいつまでも並べていても仕方がない。そういった商品は破棄したりする事もあるんだがなんだか捨てるのももったいない気がしてな。とりあえずここに置いてあるんだよ。」
という事は売り物ではないという事か。そうなると入手する事は難しいかもしれない。
興味深そうに見ていると
「開いてごらん。」
と後押しされたので遠慮なく中を開いてみた。
「へー。スライディングブロックパズルか。」
6×6で仕切られた正方形の枠にそれぞれ何かの柄が入った正方形のピースが埋め込まれており、右下の一枠だけ空白になっている。
この空き枠を上手く利用しながらピースをスライドさせ目的の絵を完成させるといったものだ。
見た所ちぐはぐな図になっているので完成はしていないようだが、角のようなものが見えるので、おそらく動物の絵になるのだろう。
「面白そうですね、おじいさんは触らなかったんですか?」
「ああ。パズルには興味なくてね。少し触ってわしにはやっぱり向かんと思ってやめたよ。」
なるほど、にしてもこれだけのパズルにこの奥行き必要かと思うほどそこが深い。
すると老人は悟の違和感に気付いたようで、
「変だろ?。こいつにはもう一つ仕掛けがあるんだ。箱の横を見てごらん。」
言われて横側を見てみると、箱を上段、中段、下段と三分割するような僅かな隙間があった。その見た感じは箪笥に近い。
「押し込んでご覧。」
そういわれ上段部分をぐっと押し込んでみると、カチッと音が鳴り、押し込む前より上段が少し出っ張るような形になった。どうやらそのまま引き抜くことが出来そうだ。
老人に目をやると、そのまま引いてみなさいといった顔していたので、遠慮なく引き抜く。
そして、改めて箱を上から覗いてみると、どういう仕掛けなのか納得した。
「ステージ2のお出ましだよ。」
そこには先程と同じスライドパズルが姿を現していた。
唯一違うのは正方形の柄だったのでまた違う絵が出来あがるようだ。この様子だと下段にも同じパズルが待ち構えているのだろう。
「ところでおじいさん、このお店には他にもこういったパズルは置いてるんですか?」
「いや、これだけだね。」
「そうですか。」
これがこの店唯一のパズルという事は情報通りであれば、やはりこれなのだろう。駄目元で頼んでみるか。
「これ、譲ってもらう事ってできないですか?」
「えっ?」
突然の申し出に老人は驚きを感じたようだが、悟もここで引くわけにはいかなった。
「僕、これを探してここにきたんです。ここならあるって聞いて隣の県からここまで来たんです。今こうやって触れるまで半信半疑でしたけど、これは間違いなく本物です。」
そこまで一気に言うと、老人はほーわざわざねーと感心したように声を漏らした。
そしてうーんと唸りながら老人は悟に話しかけた。
「先程も言った通りこれは商品ではない。なので君にこれを売るわけにはいかんのだ。」
悟は落胆した。しかしこの老人の言う通りだ。
ここは店であり、老人は店主で、自分は客に過ぎない。
「これは売り物ではなく、わしの所有物だ。どうしてもこれが欲しいかね?」
ここを逃したら最後だ。悟は強く頷いた。
「はい、欲しいです。」
「ははっ。素直でいい返事だ。これを大事に出来るかね?」
「もちろんです!」
「では、わしと君は今から友達だ。」
「え?」
予想もしない老人の言葉に急に勢いが挫かれる。
「どういう事ですか?」
「店主と客じゃ、物は売り買いでしか成立しない。」
そして老人はにこっと笑いながら
「だが友人に物を贈る事は何も不思議な事ではなかろう?」
「それじゃ・・!」
「君に、これを贈ろう。友から友へのプレゼントだ。」
「やった!」
老人の意図は分からないが、これで目的は達成できそうだ。
「ありがとうございます!絶対大事にします!」
「ははっ、周りくどい事をしてすまないね。もうこの歳でこんな爺さんと関わってくれるような者などあまりおらんくてな。ついつい少しでも話がしたいと思っていらん事をのたまってしもうたわ。まぁ今の話はわしと君との契約とでも思っておいてくれ。わしにとっても多少は思い入れのある品だ。大事にしてやっとくれ。」
まるで孫に話しかけるように暖かい笑顔を湛えながら悟に語りかけた。
「ええ、友達からのプレゼントですもの。」
悟のその言葉に心底嬉しそうに老人は頷いた。
「ありがとうございました。ではまた。」
「また遊びに来てくれ。」
新たに出来た友に別れを告げ、帰路を急いだ。気付けばもういい時間だ。家に着くころにはもう真っ暗だろう。しかし、悟の中には満足感で一杯だった。




「これがねぇ。ただの噂や思うてたけどあるっちゅうのはホンマやったんやな。」
自分で掻き集めた情報とはいえ、本当にそのパズルがあるとは思っていなかったらしく、操は目の前の物体を興味深そうにじろじろと見ていた。
週明け、放課後操と落ち合い雑貨屋での成果を聞かせて、今こうして操にその品を見せている所だ。
ネット上の話だと思っていたものが今自分の手元にある。なんだかぞくぞくした。
「ただ話に出てくるパズルとは似ても似つかないけどな。」
「確かに。ま、とりあえずそのパズル完成させたったらええんとちゃうか。パズル得意なお前にとっちゃ造作もないやろ。」
「任せろ。出来上がったら写メで送ってやるよ。」
「頼んだで。」
「で、どのタイミングで楓に報告するよ?」
「もちろん全てのパズルが完成した後やろ。完成させちまったっていう絶望のおまけ付きでな。」
「悪くねぇ。」
実物が話とかけ離れている点ではパンチが弱いかもしれないが、新ネタとしては十分だろう。
そして、もしこれが本物ならその瞬間に地獄の門が開く。俺達は相当な悪に手を染めようとしているのかもしれない。しかし男子高校生二人の旺盛な好奇心の前ではそんな悪行も霞んでしまうのだ。

その日から悟は暇さえあればパズルの解読を進めた。
楓の前では何食わぬ顔で過ごしていたが、心の中でにやにやが止まらなかった。お前の知らない所でとんでもない事が始まってるんだぞと。
パズルは順調だった、手に入れて3日後にはまず一面が完成し早速操にも写メでそれを伝えた。
最初の一面の完成図はどうやら山羊のようだ。しかも無駄にリアルな絵だった為に、少々不気味さも感じられた。
一週間後には二面が完成。しかしこれがまた意味が分からない。正直作り始めてすぐに完成形が見えたのでパズルの難易度より、完成図の気持ち悪さが先行し手が思うように進まなかった。
二面の完成図は、人間の脳みそだった。
でもこれで後一面だ。
しかしここまできて悟にはある不安があった。
完成が進むにつれ現れるはずの怪異がまだ一切起きていない。三面まで完成させないとだめなのだろうか。
しかし三面を目の当たりにした時、思わず「うわっ!」と悲鳴が漏れた。なんだこれは。二面の脳みそなんて比じゃないぞ。
まず目を引いたのは盤面の色使いだ。
一面二面は白地のピースが使用されていたのに対し、三面のピースは真っ黒だ。黒というか闇に近い程深い黒。
そして絵を構成する為の柄は赤一色。この時点でこの三面が放つ異様な空気にすでに圧倒されていた。
これを完成させるのか・・。
悟の気分は暗く落ち込んでいく一方だった。

結局完成までには更に二週間を費やした。何しろ触ろうという気が削がれたのが時間のかかった一番の要因だった。
なんとか完成までこぎつけたが、出来上がりを見てもただただ困惑するだけだった。
鮮血で構成されたそれは恐らく頭部から首元を描いた人間の姿だった。
いつだか顔面を青一色で塗りつぶしたミュージシャンがいたがそれの赤色バージョンに近いものがある。
しかし目、口、鼻がない。その癖口元だけは妙にリアルで歯並びまでしっかりと描かれており、何故か前歯が妙に多かった。
趣味の悪いプレゼントを受け取ってしまったと後悔すら感じていたがようやく辿り着いた。
写メと共に操に「とうとう地獄の門を開いた」と一文を添えて送ってやった。
「あー疲れたー。」
勢いよくベッドに倒れ込む。集中しすぎたのか脳がとても疲労している。すぐに眠気が襲ってきた。楓への報告が楽しみだな。見たか、俺達だってそれなりに出来んだよ。
そしてそのまま深いまどろみへと落ちて行った。



アカ、アカ、アカ。
モット、アカ、ガ、ミタイ。
テ、ヲ、チギル。アシ、ヲ、モグ。
アタマ、ヲ、ツブス。
ノウ、ガ、トロトロ。
モッタイナイ、モッタイナイ。
オレノモノ、オレノモノダ。
ジュル、ジュク、ング、ゴグ。
ウマイ、アマイ。モット、モット、ホシイ。
モット、モット。
カラカラ、イヤダ。キライ。

・・・・ツギ、キメタ。




「ああああああああああぁ!!」
悟はベッドから飛び起きた。全身汗でびっしょりと濡れている。
電気が点けっぱなしになっていた為、部屋は明るかったが時計はすでに深夜の3時を過ぎていた。
なんだよ。なんなんだよ今の。
全てが赤と黒で彩られた世界。
そこに散らばる人間らしき黒い物体。原型を留めていない見るも無残な黒山のなかで、たった一人能動的に動いている者がいた。
黒のシルエットの為、顔や恰好は分からず、胡坐で座り込んでいる為正確には分からないが、異様な肩幅や丸太のような腕から相当な巨体という事が判断できた。
視点はどんどんそいつに近づいていく。
近づいていくにつれそいつの声とおぼしきものと何かを咀嚼している音が耳に流れ込んでくる。

ウマイ、モット。

そう言っているように聞こえた。そして徐々にやつの頭部がこちら側に向いてくる。
やつが素手で掴んで口に放り込んでいるのは、脳味噌だ。
やがて顔が完全にこちらを向く。
赤と黒の世界の中でその部分だけ色彩を取り戻しているかのように鮮明に映る。
灰色がかった岩を彷彿とさせる肌の色、異様に吊り上った口角、歯並びはぐちゃぐちゃで特に奇妙だったのだ前歯だ。二本ある前歯の上からさらに同じように前歯が上から生えている。なんて歯並びだ。
口元がくちゃくちゃと動く。口に入りきらなかった脳がこぼれ、床にびちゃっと音をたてて落下していく。そして最後にハッキリとこう言ったのだ。

ツギ、キメタ。

とんでもない悪夢だ。
なんとか吐き気はこらえたものの全身の寒気が止まらない。
あのパズルの影響か。完成させた途端にこれだ。乱れた呼吸を整える。
落ち着け。あんな気持ちの悪いパズルとずっとにらめっこしてきたんだ。
頭にこびりついてこういう悪夢を見る事は何も不思議じゃない。
深呼吸を繰り返して、ようやく落ち着きを取り戻した。
そうだ、いいじゃないか。いいネタが出来たと思えばいい。加えてこの悪夢のエピソードを話せば、ますますオカルト色が強まる。
俺も根っからのオカルト好きになったもんだ。
「寝よう。」
電気を消し、再びベッドに横たわる。恐怖が完全に去ったわけではないが落ち着きを取り戻した事でしばらくして眠りにつく事が出来た。
先程の悪夢を見ることはなかった。

三章 脳無


三人は部室に集合していた。
来る途中楓に、「いいネタを見つけた。」と伝えた所、
「暇なあんたらがいつもそうやってネタを集めてくれたらねー。」
と不満を漏らすものの、「で、どんなの?どんなの?」
とすでに興味津々なご様子だった。

「さて、そのネタとやら聞かせてもらいましょうか?」
待ってましたと言わんばかりに悟は鞄からパズルを取り出した。
「あら、なんか立派な感じね。お化粧箱?」
言われてみればそうも見えなくはないなと思った。
「古いアンティークショップ。正二十面体。形が変形。」
操がヒントとなるキーワードだけぽつぽつと伝える。
楓はすぐに何の話かを理解したようだった。そして同時にそれが意味する事にまでに辿り着いたようだ。
「え、まさか・・。」
「その通り。形は全然違うけどな。」
悟は答えながら、中を開いて三枚のパズルを見せる。
「本当に。しかし趣味の悪い絵だこと。」
そしてこのパズルを手に入れた経緯、完成させた時に見た悪夢を交えて話した。
悪夢の経緯は操にも話していなかった為、この部分には操も「まじかいな・・」と衝撃を受けているようだった。
「どうだ、ついに俺達はとんでもない物を手に入れちまったわけだ。」
「しかしそうなると・・。」
わざとかと思うほど深刻そうな顔をして操がつぶやく。
「ほんまの始まりはこっからっちゅー事やな。これで地獄の門が開かれたわけや。」
「うん、今後どんな事が起こるかだね。」
楓も操に同調する。
「ただし、生きてりゃええ事も悪い事もある。この流れでいくと、なんか悪い事があった度に全部こいつのせいやって思い込んでまう。たいていの怖い話っちゅーのは体験した人間の意識によってどうしてもそういう尾びれがついてまう所があるからな。」
確かに操の言うとおりだ。
おみくじで大凶を引いた年に何かついていない事が起こると“あー今年は大凶だからな”という意識が自然と働く。それに伴って今年はついていないという意識が強くなり、些細な出来事でもそこにつなげてしまうようになる。人間の意識なんて簡単にねじ曲がってしまうのだ。
「まぁでも、ネタとしてはかなり面白いね。」
悟にとってオカルトの師匠である楓からここまで言われせれば十分だろう。操も楓の反応に満足しているようだった。
その日はこのパズルの話題でひとしきり盛り上がった。
しばらくはこういうネタには出会えない平穏な活動が続くんだろうと勝手に思っていた。
そんな考えはあっという間に崩れ去っていく事になるのだが・・。



パズルの件から二週間ほどたった頃。操が妙な話をしてくれた。

ある男が夜中一人で道を歩いていると目の前に何かが散らばっているのを見つける。
暗くてよく分からず近づいてみると男はそれが何かに気付き悲鳴を上げた。
それは両手両足をちぎられ頭をつぶされた人間の死体だった。男はすぐに通報。殺人事件と見て警察が捜査を開始した。
これだけ凄惨な死体にも関わらず犯人につながる決定的な証拠は掴めなかったが、一点特徴があった。
死体には脳味噌がなかった。周辺を調べてもどこにも存在しない。そっくり脳だけ消えているというのである。
「気持ち悪い話ね。スプラッターは苦手だわ。」
楓はおえーと分かりやすいリアクションしながら顔をしかめた。
「それ本当にあった事件なのか?」
「人づてに聞いただけやから、ただの都市伝説的な話やろな。」
確かにあまり信憑性があるとは思えない内容だ。作り話にしても程度が低いし噂になるようなレベルの話でもないだろうと思う。ただ・・。
「ただな。」
悟の考えを汲み取ったのか、操がそれを代弁するかのように続ける。
「この話、なんか身に覚えあらへんか?」
そうなのだ。この話に出てくる死体の特徴点は悟にとってあまりにも身近なものなのだ。
「俺の見た悪夢と、似てるな・・。」
「うん、そうね。」
「そう。やからこの話聞いたとき、自分らに話さなって思うたんや。まぁ話した所でどうせいっちゅー事もないんやが。関係がないとは思えんでな。」

そしてこの日を境に、この奇妙な事件を学校中で耳にするようになる。
クラスメイトはもちろん、通り過ぎる後輩、先輩、学校にいれば必ずどこかでこの話をしている者がいるのだ。
異様な状況だ。なんだってこんな話がここまで浸透する。
そして日が増すにつれ、更に内容に変化が出始めた。多少の違いがあれ共通するのは、自分の周りにいる人物がそいつの被害にあったというものだ。あるものは母親の友達の息子の学校のクラスメイト。あるものは兄の大学のサークルの先輩の彼氏の友達と。
周りといっても当人にとっては他人だが、だんだんと殺人鬼が自分達に近づいているように感じられた。
しかし話をしている者達、それに耳を傾ける者達にそのような危機感はない。所詮は他人事なのだろう。
この状況には楓も操も不穏な空気を感じていた。何か良くない事が迫ってきている。



「No-meっていうらしいで。」
操が急に言った言葉の意味が理解できず問い返すと、
「ノーム。例の変態殺人鬼の名前。」
その話か。ここ最近異常なまでに耳にする頻度が多い。
休憩時間になれば誰しもがその話をしている。今一番ホットな話題だが、それにしてもこの流布ぐらいはなんなのだろうか。
「ノームってどういう意味なんだ?」
「そのままや。脳があらへん。脳が無くなっとるから脳無。それでノームやと。何の捻りもないアホらしい名前やで。誰がそんなんつけたんやろか。」
いい加減こんな事件の話を毎日毎日聞くのはごめんだ。しかしどいつもこいつも違う話題を振っても最終的にはまたNo-meの話題をぶり返す。これじゃもはやNo-meのパンデミックだ。
部室に行ってもあまりいい空気ではなかった。皆思ってる事は悟と同じなのだろう。
無理をして別の話題を話していても、どこかで自分たち自身もNo-meの事が気にかかっている。そんな感じだった。

そして、事態は急転する。
とうとうヤツがすぐそこまで近づいている事を知らされる事となる。
楓の友人、つまり悟達の高校のクラスメイトがその毒牙にかかったのだ。

四章 記憶


葬式の参列を終え、悟はそのまま自分の部屋に戻ってきていた。目の前には泣き疲れてぐったりとなっている楓もいた。
葬式が終わり、外で待っていた悟と操に目もくれず楓はすたすたと過ぎ去っていこうとした。思わず追いかけて肩をつかんだ。
「そっとしといてよ!」
涙でぐちゃぐちゃになっていた顔は悲しみと怒りにまみれていた。しかし呼び止めたのが悟だった事に気付き、「ごめん」と掠れそうな声で謝った。そして、
「ごめん・・ちょっとだけ今日は悟に甘えてもいいかな。」
というので今こうやって部屋にいるという訳だった。
冷蔵庫を確認したがあまりろくなものがなかったので適当な菓子とお茶を用意して楓に差し出した。
「ありがとう。」
とかろうじて返事は返ってきたが、手は付けてくれなかった。
しばらくはその状態が続いていたが、やがて楓が顔を上げた。
「ごめんね。ちょっとさすがにショックが強すぎて。」
「いいよ。気にすんな。」
「でもちょっと落ち着いた。ありがとね。」
「そうか。なら良かったよ。」
ふと、自分の左手の甲に目を落とす。今も消えずにしっかりと残っている直径5㎝程の切創。
「なんだかんだ、頼もしいからね、悟は。」
悟にとっても楓にとっても、忘れられない記憶。
そして出来れば忘れ去りたい記憶。
「そんな事ねぇよ。でも。」
「でも?」
あんな怖い目に楓をまた会わせるわけにはいかない。
「お前がまた危険な目に合いそうになったら、絶対助ける。」
中三の春。
やわらかく穏やかな季節にはあまりにもそぐわない、悲しい出来事だった。



バスケ、オカルトを通じすっかり楓と馴染んだ悟は自然とお互い一緒にいる時間が増えた。
2人で遊んだりする事もあり、周りからは冷やかしを受ける事も多かったが、不思議とお互い恋愛に発展する事はなかった。
そりゃそうだ。出てくる話題といえばやれ口裂け女やテケテケといった都市伝説から、地元にまつわる怖い話だとかほとんどオカルト一色。
そこに色恋沙汰が入ってくる余地などどこにもなかったのだ。
ただ毎日が楽しくて仕方がなかった。人生を楽しめているなという充実感もあった。だが悲劇は突然訪れた。

その日、マイナーなジャパニーズホラーの映画があるのでそれを観る為、悟は映画館で楓を待っていた。
しかし、約束の時間になっても楓は現れない。時間にルーズなやつではないので珍しい事もあるなと思っていたが、その後も一向に現れず、こちらから電話しても連絡が返って来ない。さすがにおかしいと思い、事故にでも巻き込まれたのかとも心配しとりあえず楓の家まで向かう事にした。
楓が来るであろうルートを辿ったがパトカーや救急車は見られなかったのでおそらく事故は起こしていない。
息を切らしながら家の前までたどり着き、インターフォンを押そうとした瞬間、
「このガキィイイイイイイイイイイ!!」
という甲高い怒声が家の中から響き渡った。ただ事ではないと思いおもむろに戸を開け中に入った。
「やめて、母さん!もうやめて!」
楓の声だ。声の方向へと急ぐ。
くそっ。こんな事ならもっと早くに来ればよかった。
頼む、最悪の事態だけは・・。
「楓!!」
平穏な日常しか見てこなかったものには拒絶したくなる世界が目の前に広がっている。
腰がくだけているのか、座りながら脅威から後ずさりをしている楓の姿。
その前に佇む脅威。
横からだった事と傷みきったばさばさの髪の毛のせいで顔は確認出来ないが、これが楓の母親なのだろう。恐ろしいほどに体の線が細い。
そして右手には包丁が握られており、その刃には真っ赤な塗料がべったりと塗られたように赤く染まっている。
まずい、今にも襲いかかる勢いだ。
「やめろー!!」
悟は全力で楓の母に体をぶつけた。凄まじい横からの衝撃にか細い体は軽々と吹き飛び、壁に強く激突し床に倒れ込んだ。うっという呻き声をあげているものの立ち上がる様子はない。
「楓!!」
「悟・・。」
ゆっくり楓のもとに近寄ると、余程の恐怖だったのだろう。悟の体にしがみついた。悟はそれを優しく包んでやった。
「大丈夫か!?」
「私は・・でも兄ちゃんが・・。」
くそっ。あの血は楓の兄のものか。
その時、背後でカシャッと音がした。
見ると楓の母親が立ち上がりこちらを睨みつけていた。もはや人間の目をしていなかった。
ただ誰かに刃を向ける事しか考えていない。
「殺してやるううううううぅ!!」
猛烈な勢いで包丁を振り上げながらこちらに向かってくる。
「いやー!!」
楓の悲鳴が真横で響く。だめだ。よけられない。もしよけられても楓に当たってしまう。
「うわああああああああ!!」
両腕で顔面を守りながらそのまま前に突っ込む。再びの突進が炸裂する。
そのまま自分もろとも壁際まで突っ込み、全体重を預ける。
「っげ・・・!!」
さすがに効いただろう。悟が体を引くと、そのままずるずると床に倒れ込んでいった。
白目を向いて泡も吹いている。しばらくは起き上がれないだろう。
「はぁ、はぁ・・。」
一気にいろんな事が起き過ぎた。ふっと体の力が抜けそのままどすんと尻もちをつく。
「悟!!」
まだ足に力が入らないのか、手で這うような形で楓がこちらに来る。助けてやれた。よかった。
「悟・・その手・・。」
自分の手に目をやる。
あぁ、突進の時にやられていたか。
左手の甲からドロドロと血が流れ出していた。かなり深くやられてしまったのか止まる様子がない。アドレナリンのおかげか痛みは感じないが、なんだかぼーっとしてきた。
「あー・・まぁ、大丈夫・・だ。」
楓の呼ぶ声がする。徐々にそのリフレインが小さくなり、悟の意識は途絶えた。



次に目を覚ました時、悟は病室にいた。
周りにはクラスメイトが数人。そこには楓の姿もあった。
「起きたか、さっとん!」
「大丈夫かよー。良かったなー無事で。」
「たいした怪我じゃなくて良かったね。」
思わず悟の顔に笑みが浮かぶ。
「いっぺんに喋んなよ。病人だぞ。」
「なーにが病人だ。手切られただけだろ。」
そういった男子が言い終わってからまずいといった顔したが
「そうだな。五体満足で生きてて何よりだよ。」
そう言ってやるとほっとした顔をした。
「じゃあ俺達そろそろ行くわ。明日には退院出来るってよ。また学校で待ってんぞ。」
と皆病室から出て行った。楓は一人残っていたが、その事には誰も触れなかった。
「楓、無事でよかった。」
「悟も。本当にありがとう。」
楓はすっかり疲弊しきった顔をしていた。あれだけの事が起きたんだ。仕方ないだろう。
「お兄さんは?」
「・・だめだった。」
「そっか・・残念だ。」
何度か会った事があるが、気さくで礼儀正しくさわやかな笑顔が印象的なお兄さんだった。
いつだったか、楓と三人でバスケをした事もあった。全く歯が立たなかった記憶がある。
楓も兄の記憶が頭を駆け巡っているのだろう。瞳が潤みだし、今にも涙が零れ落ちそうだった。
「楓。」
「何?」
「あんな素敵な兄さんの代わりにはなれないけど、でも、俺の出来る限りでお前の力になるから。」
何か言ってやらなきゃと思って咄嗟に出た言葉だった。後から思い出すと告白ととられてもおかしくないセリフだったので恥ずかしさはあるが、決して嘘の気持ちではなかった。
母は発狂し、兄は帰らぬ人となった。楓の心がいつ壊れてもおかしくない。
「ありがとう・・!」
堪え切れずにベッドに顔を埋め涙を流す楓の姿が痛々しかった。

今回の一件の原因は楓の母親の情緒不安定によるものだった。
悟は知らなかったが、楓の母は慢性的なうつ病を抱えており、薬やカウンセリングの治療でなんとか自分を保っていたが、度々泣き喚いたり自殺未遂を行ったりといった行動を起こしていたようだ。
しかし今までその矛先を家族に向ける事はなかったのだが、限界が来てしまったのだろう。ついには我が子の命を奪う事になってしまった。
その後楓は父親の両親と共に過ごす事となった。
今の住まいとそこまで場所が変わらなかったので転校する事はなかったが、しばらくは楓自身の心のケアもあり学校には来なかった。
そしてケアの甲斐もあって一か月後、元気な姿でまた中学校に戻ってきた。
しかし、悟への態度は以前に比べよそよそしくなっていた。
あの事件を思い出してしまうのだろう。悲しかったがこれも楓の為だと思い、悟の方から楓に近付く事はしなかった。
月日はあっという間に流れ、中学を卒業し神下高校に進学した。
入学してまもなく楓も同じく神下高校に進学した事を知った。それでも悟は自分から会いに行こうとは思わなかった。
自分のせいでトラウマが蘇ってしまう事もあり得るし、同じ高校にいればいずれどこかですれ違う事もある。その時はその時で考えればいいだろう。
そう思っていた。
高校生活にも少し慣れ始めた頃、学校の帰りに本屋へ寄り道をした日の事だ。趣味のコーナーを見つけ、そちらに歩を向ける。
あったあった。
コンビニでも一冊二冊は置かれていそうな、実録怪奇系の雑誌を手に取る。
しばらく雑誌を読み込んでいるといつからか自分の右隣に女性が立っている事に気付いた。
制服のスカートから同じ高校の生徒だと分かり、顔をあげてちらっと確認してみる。そこには、
「あっ・・。」
「オカルト熱は冷めてないようね。」

いつぶりだろうか、こんな風に屈託なく笑う楓の顔を見たのは。それだけで胸が熱くなり、涙がこみ上がってくる。
だが、こんな所で泣くわけにもいかない。悟はぐっと涙をこらえた。
「お前の方こそ。」
楓の手には今悟が読んでいたものと同じ雑誌が開かれていた。



どうかしてるのか。
なぜこんな状況にも関わらず学校へ来る必要がある?
名目としては校内の者が事件にあったので緊急で全校生徒を集めてこれからの対応について連絡するとの事だと担任から悟へ直接伝えられた。
しかし何よりも腑に落ちなかったのが親の反応だ。
身近にこんな凶悪事件が起きているというのに、普段と変わらない素振りばかりか事件の事を認識すらしていないのだ。
その話をしても、急に何を言ってるんだと訝しげな顔をされ、「笑えない冗談はいらない。」
と言われ聞く耳すらもたない。
結局訳も分からずとりあえず学校に行く事にした。
「おはよー、さっとん!」
「お・・おはよう。」
元気なクラスメイト達の声。それは今までと変わらない風景だ。ぞっとするほどに。
「なぁ、楓の友達の事だけどさ。」
クラスの友達に話をしてみると、
「え、何それ?ってかそれ誰だよ。」
信じられない答えが返ってきた。その後何人か他の者にも聞いてみたが、総じて同じ反応だった。
悟は混乱した。もしかして夢を見ているのかとも思った。そうでもなければこの状況の説明がつかない。
しかし、全く夢から覚める様子がない。その時、急激な頭痛が襲ってきた。
「っぐ・・あっ!!」
あまりの痛みにその場に倒れ込んでしまう。
「ぎ・・!!」
意識が急速に遠のいてく。そして頭の中が瞬く間に赤一色に染まっていく。
・・ちゃ・・。
何かが聞こえる。これは・・
・・ぐちゃ、くちゃ・・。
赤の世界に黒のシルエットが徐々に浮かび上がる。
・・ット。
また、あの時の・・。
・・モット。・・・・モット、ホシ・・。
そこにいるのは、またあいつだ。

モット、モット。



「じゃあ、これから全校集会だから全員体育館の方に移動するように。」
担任の声で現実へと意識が引き戻される。
あれ・・さっきまで俺は・・。
先程床に倒れ込んでいたはずが、いつの間にか悟は自分の席に座っている。
居眠りでもしていたのだろうか。だからまたあの悪夢を見たのだろうか。それにしてもたちの悪い夢だ。
「おい、さっとん何してんだよ。行こうぜ。」
級友に肩を叩かれ、まだふわっとした意識のまま教室を後にする。
体育館には既に大勢の生徒が集まり整列していた。集会はまだ開始されてない為、皆好き勝手にざわざわと騒いでいる。
整列に加わり前方を見上げると、校長はすでに檀上に上がっている。何かこれから話す事についての資料に目を通しているのだろうか、自分の手元に目を落としている。
そしてしばらくし、顔を上げ目の前のマイクに向かって、あーあーとマイクの感度を確かめる。そろそろ話が始まる事を察知し、周りがすっと静かになる。
「えー、みなさんおはようございます。」
おはようございます、全校生徒の声が館内に響き渡る。
「そろそろ夏休みも近くなってまいりました。体調管理にはしっかりと気を付け・・。」
時候の挨拶のように、その時期に合わせた定型的な文言を述べていく。本題の前の軽い前置きかと思っていたが、その後もだらだらとおよそ生徒達からすれば退屈で右から左へと抜けていくような話が続き、一向に事件に関して触れる様子がない。
そして、結局そのまま「では、また新学期に。」と話を締めくくってしまった。
今日ここに集められたのは、事件の事があったからじゃないのか。
進行役の教師の「礼!」の号令に従い、頭を下げる。その時
ごっ、ぐじゃっ。
檀上の方から何か音が聞こえた。そして
「いやあああああああぁ!!」
と女生徒達の悲鳴が次から次へと覆いかぶさるように続く。
なんだ、と顔を上げる。
檀上から降りる階段へと移動しようとしていたであろう校長であったはずのものは、膝を折る形で檀上に留まっていた。
着用していた白地のワイシャツはペンキをこぼされたように赤一色に染まり、そして・・。
首から上にあるはずの頭部がちぎられるようにそこから奪い去られ、噴水のように血液が噴射していた。
前方にいた生徒や教師達は突然の事態に錯乱し、体育館の出口へ我先にと疾走する。
一気に出口に群がった群衆は標的を殺そうと一匹の虫に群がる蜜蜂のようだった。
しかし、周りが発狂し逃げまどう最中、悟はその場を動けなかった。
噴水をあげる校長の後ろに、もう一人誰かがいた。
これは悪夢の続きなのか。それとも現実なのか。
他を圧倒する巨体、全身ボロボロの黒地の衣服、灰色がかった顔面には神の悪質なイタズラのように左右まるで大きさの異なる眼球。鼻があるはずの部分には鼻自体はなく、雑に穴だけが存在し、異様なまでに口角がつりあがっている口元。
「ノーム・・。」
思考が鈍っていく。ただその中ではっきりと一つだけ、悟の中に浮かんだものがあった。
やっぱり、本物だったんだ、あれ・・。

俺は、地獄を開いちまったんだ。

五章 地獄


逃げなきゃ。とにかく今は逃げなきゃ。
でも、足が動かない・・!
「何やっとんや悟!」
その時、後ろから悟の体が激しく揺さぶられる。
「操・・!」
「逃げるで!ぼさっとしとったら殺されるわ!」
操の横には楓の姿もあった
「あ、ああ!」
急いで体育館から出る。足がもつれそうになる。訳が分からなくて頭の中はぐちゃぐちゃだったが、とにかく今は逃げる事だけを考えよう。
先に逃げて行った生徒達からはかなり遅れをとっている、体育館を出ても他の生徒は見当たらない。
「とりあえず玄関やな。」
操の足取りに悟と楓は必死になってついていく。そして曲がり角の先にもうすぐ玄関が見えるところまで来た時、急に先を走っていた操の足が止まった。
玄関の方を茫然と見つめ、その顔色は絶望を帯びた悲壮なものになっていった。
「嘘や・・嘘やわ、こんなん。」
「操、どうし・・!?」
「・・いや。何よ、これ・・。」
目の前に広がる光景は、もはや日常のかけらもない、ただの地獄だ。
そこらじゅうに打ち捨てられた、生徒、教師達の残骸。人体から漏れ出た血は一つに集まり、まさに血の海状態だ。先に逃げたはずの者達はまとめて無残な姿へと変えられてしまったようだ。
「うっ・・えぁ!!」
楓は堪えきれず、胃の中のものを放出した。無理もない。悟もいまにも吐きそうだった。
「楓、大丈夫か?動けるか?」
「うん、辛いけど、そんな事言ってる場合じゃないしね・・。」
足元が少しふらついている。貧血を起こしているのかもしれない。
「ちょっとそこで待ってろ。」
外に、外に出ないと。操と共に玄関の扉の方に近付く。しかしどの扉も開けられておらず、扉にすがるような形で大量の死体が転がっており地面に足をつけられないよう状況だった。ここから出る前に夢叶わずやられてしまったようだ。
この中には級友だったものもいるだろう。そう思うと悟はやり切れない気持ちでいっぱいだった。今自分はさっきまで人間だった者達の上を踏みしめながら進んでいるのだ。
そしてやっと扉の前まで来た。
扉を押してみる。
「?」
びくともしない。というよりも、押している感覚すらない。鍵がかかっていたとしても数センチ程動いてがちゃがちゃと音がなってもいいようなものの、それがまるでない。
試しに引いてもみたが結果は同じだ。
「なんだよ、くそっ!」
今度は力任せに思いっきり蹴ってみた。
「・・なんでだよ・・。」
蹴った感触は確かにある。それなのに扉からは何一つ音がしなかった。
この理不尽な状況はなんだ。突然周りの人間は無残に殺され、扉からは出れない。
「くそっ、くそ!」
爆発した感情のままに扉を蹴り、殴り続けた。結果は変わらない。
「落ち着けや悟!」
操の怒号が轟く。
「無駄や。こっからは出られんみたいや。」
「・・そうみたいだな。」
「携帯はどや?」
ポケットに手を入れ、携帯を取り出す。思わず笑ってしまう。ホラー映画でよく見た光景だなと思った。やっぱり圏外だ。
「だめだ。」
こんな形で終わるのか。俺の人生。
「やっぱあのパズルのせいかな。これ、俺のせいなのかな。」
はは、もう笑うしかない。何もかも無茶苦茶だ。説明のつけようがないじゃないか。
「あほな事ぬかすな。」
操の声は低く落ち着いていた。
「まだや。非常口とかもあるし、保障はないけど屋上に行けば多少電波は戻るかもしれん。」
こいつ、こんな時にまで何冷静に喋ってやがるんだ。
「悟、死ぬなら勝手に死ねや。」
「あぁ?」
「もう無理や、もうあかんて諦めて惨めに死んだらええわ。」
「んだと、てめぇ・・!」
「ただな、楓ちゃんどないすんねん?」
「・・!?」
操の目は今まで見たこともないほど、澄んだ真っ直ぐな目をしていた。
「お前があいつの力になったるって決めたんちゃうんかい!」
「・・!!」
そうだ、そうだよ。あいつをあの時みたいな危険な目にもう会わせないって。
そう決めたじゃないか。
「生きるで。こんな所で終わりとうないわ。」
「・・あぁ。そうだな!」
生きるんだ。そして、楓を守る。
「楓、いくぞ!ここから出るんだ!」
悟の声に、楓が頷く。玄関を離れ、楓の元へと戻る、よし、行こうと力んだその時、
「あかん・・まずいで!」
操の声に振り向くと、いつの間にか悟達の背後にノームが佇んでいた。
近い。ヤツが手を伸ばせばすぐに捕まる距離だ。これだけの巨体のくせに音もなくいつの間にそこに現れたんだ。なんにしても、この距離はまずい。
「・・行け。」
「操?」
「俺が引き付ける。先にお前らで出口探しといてくれ。」
「はぁ!?太刀打ち出来る相手じゃねぇだろ!死ぬぞ!」
「俺は死なんわ!」
嫌だ。嫌だ。大事な友人を失うかもしれない。楓も大事だが、操だって大事な友人だ。見捨てるなんて・・。
「悟、行こう。」
「楓?でも・・。」
「ごちゃごちゃやかましいねん!行け言うたらさっさと行かんかい!」
くそ・・。嫌だ、嫌だ!でも、こいつの覚悟を踏みにじってはいけない時なんだ。
「操、待ってるぞ!」
「おう!」
悟は楓と共に走り出した。決して振り向かない。皆で必ず生き残るんだ。



「ここもだめか。」
出口となる扉を探しながらも悟達は屋上を目指していた。
悪夢なら早く覚めてくれ。そう願っても目の前の世界は変わらない。目が覚めて、いつものような朝が来ることはない。今ここにあるこの異常な空間が現実だと認めざるを得なかった。
「3階。屋上は確か5階だったよな。」
「うん。」
「電波は?」
「だめね。」
「そうか、外に出ないとやっぱりだめなのか。」
2階の探索を行うも、窓ひとつ開く様子がない。非常口も同じくだ。逃げ切れなかった生徒達の死体はこの階にも所々に転がっていたが、感覚が麻痺しているのか慣れてしまったのか。もう死体を見ても何も感じなくなってきていた。
「進もう。」
三階へと向かい、急いで階段を登っていく。操の身も心配だ。早く脱出出来る場所を見つけないと。階段を登り終え、壁に貼り付けられた地図を確認する。非常口の場所を確認し、足を踏み出した。
その時、急にぐんっと体が後ろに引っ張られる。
「え?」
気付いたときには悟の足は地面から離れていた。体が浮いている。周りの景色がスローモーションで映っていく。
こちらを見て驚愕の表情を見せる楓。そこに、そこに・・。
楓の真後ろにぴったりとノームが寄り添っている。
そしてゆっくりと右手を振り上げていく。
そのまま、その右手は、勢いよく楓の頭に振り下ろされる。
「やめろーーーーーーーー!!!」

六章 世界


やだ、やめてよ。
友達でしょ?そんなもの下ろして、ね?
・・なんで、そんな怖い顔してるの。
お願い、分かってあげたかったのよ。
ずっと苦しかったでしょ?辛かったんでしょ?
大丈夫だよ。
わたしはそんな目で見ないよ。
だって、友達なんだから。
ねぇ。
だから・・。
お願い・・・。

殺さないで。



「うっ・・・。」
背中がズキリと痛む。
くそ、楓・・楓は?
階段の上に目を向けるが、そこにはヤツの姿も楓の姿もなかった。
「楓・・・。」
守れなかったのか・・俺は・・。
むくりと体を起こす。叩き落された事で動くたびに全身を鈍い痛みが駆け巡る。
ゆっくりと再び階段を登っていく。先程まで楓が立っていた場所。
おそるおそる上まで登り切った。
楓は、やはりいない。ただ幸いにも楓らしき死体もなかった。
「楓・・助けるぞ・・絶対。」
ピリリリリリリリリリリリリリ。
「?」
唐突に電子音が鳴り響く。電話の音のようだ。そしてその音は悟のポケットから鳴っているようだ。
こんな無機質な着信音に設定した覚えはない。それに、圏外だった携帯が何故に今になって。
ポケットから携帯を取り出し、ディスプレイを見つめる。
「操?」
着信画面には操の名前と番号が表示されていた。
「無事だったのか!」
慌てて着信を受け取る。
「操!無事なのか!」
「俺は死なんて言うたやろ。」
良かった。本当に。
「とりあえず屋上来いや。助けも呼んどいた。はよこい!」
「屋上?なんで?」
「俺もちょっと調べたけど、窓も扉も全く開く様子あらへんからな。屋上行って頼み綱探す方かええか思うて。」
「そうだったのか・・・それより、楓が!楓があいつに連れ去られたみたいなんだ!」
「は?楓が?」
「そうなんだ!探さないとまずい!」
「その必要はあらへんよ。」
「なんで?」
「だって今横におるもん。かわったろか?」
「そこにいるのか!無事なのか!?」
「おう。大丈夫やで。」
「そうか、分かった!すぐ行く!」
助かる。しかも三人揃って。死んだ級友も多い。終わったと絶望しかけたが、希望を捨てなくてよかった。急げ!こんなとこ一秒でも早く離れたい!
痛みをこらえながらも屋上への道を駆け抜ける。あともう少しだ。
そして、屋上へと繋がる扉の前まで辿り着いた。
悪夢ともおさらばだ。

そして希望へと繋がる扉を開いた。




「お疲れさんやでーさとるちゃーん。」
状況が、飲み込めない。
空は夕焼けのような鮮やかな赤ではなく、この世の終わりを示すようなどす黒い赤で埋め尽くされている。
目の前には、操がいる。へらへらしながらこちらを眺めている。
その後ろに、楓もいた。
楓のそばには、ノームが3人。
それぞれ楓の右手、左手、頭をおさえ動けないようがっしりとつかんでいる。
楓は無表情で悟を見つめている。
「操、これは、なんだ・・?助けは・・?」
「まぁそうあせんなや。順序良くいこや。着替えるからちょい待ち。」
突如、操の体が水風船のように勢いよく膨らみだす。すぐにその体は元あった時よりも2倍3倍近くまで膨張する。着ている制服はちぎれ、むき出しになる肉体も悲鳴をあげ、肉がみちみちとちぎれていく音が聞こえる。全身から血液が多量に溢れ出し、そしてとうとう、
ばしゃっ。
操の体がはじけ飛んだ。周りにいる悟達にまで肉片と血が飛び散る。
「初めまして、悟君。いや、一度お会いしているかな。」
夢だ。やっぱり夢なんだこれは。少し長くて趣味の悪い夢なんだ。
操の体がはじけ飛び、代わりにそこにいるのはゆうに3メートルを超えるほどの長身。
その身にはあまりに場違いとも思える、黒のタキシードというぱりっとした正装で構えている。
しかしその袖口から見える手足には焦げ茶色の剛毛に埋め尽くされた手足が露出している。鋭い爪も備わったそれはまさしく獣そのものだった。
そして、その顔を見た時、悟の脳裏に一つの記憶がよぎる。
「お前は・・。」
手足同様の茶色い毛並、獲物を見据える鋭い目つき、頭部から禍々しく伸びる角。
それは、老人からもらったパズルにあった山羊の顔そのものだった。
「思い出してくれたようだな。」
もういい。もう十分だよ。ほら早く目覚めろよ。面白い夢だったよ。
ほら、早く。そんでこの話を操や楓に話してなんだそれって笑ってもらいたいんだ。
だから、もう勘弁してくれ。
「その様子では、何一つ気付いていないようだな。」
「・・どういう事だ。」
「まあいい。まず、根本の説明をしてやろう。お前が今まで見てきたこの空間。これは・・。」

「お前だけの為に構築された世界だ。」



「お前は、何の変哲もない平和な日常を過ごしてきたつもりだろう。だが違う。それは全て用意されたものにすぎない。」
「何を言ってる。」
「まず、今ここにいるお前という存在は、お前であって、お前ではない。」
「なんだそれ。俺はこうして生きてるだろうが!」
「死んでいるんだよ。すでに本来のお前は現世での命を終えている。」
「え?」
「頭がまわらんやつだ。仕方もないか。もっと分かりやすく表現してやろう。
ここはお前たち人間がいう所の、地獄そのものなんだよ。」
「地獄・・。」
「お前は現世において、残虐の限りを尽くしてきた。結果地獄行きだ。多少同情はするがな。」
こいつはずっと何を言ってるんだ?残虐?俺が地獄行きだと?
「百聞は一見にしかずだ。一度見てくるがいい。」
そう言い終わると同時に、悟の頭をまたあの頭痛が襲ってくる。
「あぁああぁぁ!」
「今から見せるものが、お前の本来の姿だ。」

意識が目覚め始める。
ここは、公園か?真っ暗だ。
「ねぇ、落ち着いて。お願い。」
声が聞こえる。声の方に近付く。そこにいるのは、髪の短い幼い少女だ。
しかし何かにひどく怯えている様子だ。
「きみ、大丈夫?」
声をかけるが、こちらを全く見ようともしない。俺の声が聞こえていないのだろうか。
それにしても、どことなくこの光景に懐かしさを感じるのは気のせいか。
「ぼく、ぼく。」
少女とはまた別の声が聞こえてきた。低くくぐもった声。男性のものに聞こえる。
悟は後ろを振り向いた。
トレーナーに膝丈のカーゴパンツ。恰好だけを見れば少年のようだったが、その体は高校生並みのでかさだ。
「うっ・・。」
その顔が露わになると、悟は思わず言葉に詰まった。
アンバランスな目と吊り上った口角。あまりにも醜悪な見た目。
この容姿、まるでノームそのものだ。・・いや、まさか、こいつはノーム自身なのか。
「ほしい、ほしいんだ。」
そう言いながら少年はじわじわと少女に近付く。
「欲しい?何が欲しいの?ねぇ、教えて。」
少女も不穏な威圧感からか後ずさっていく。そしてとうとう壁際まで追いやられてしまう。
「ほしい、ほしい、ほしい!」
だんだんと2人の距離をが縮まり、少年の声量も増していく。凄まじく、嫌な予感がした。よく見るとその手には錐のようなものが握られている。
「やめろ、やめるんだ!」
少年の歩みは止まらない。少女は体がすくんでもはやその場から動けなくなっている。
「やめろって言ってんだろ!」
悟は少年を取り押さえようと手を伸ばす。
捕まえた!
・・はずだった。しかしその手は少年の肉体をそのまますり抜けた。まるで幽霊になってしまったかのように。
「ほしいいいいんだあああああああ!!」
「いやああああああああぁぁあ!!」
少年の左腕が真っ直ぐ、少女の頭へと突き出される。
がごっ。
「はぁ、あああ、いや・・。」
少年の左手が壁にめり込む。握っていた錐はひしゃげている。
少女は間一髪の所で地面に倒れ込み難を逃れた。だがもうそれが限界のようだった。
「ねぇ、お願いやめて!友達でしょ!お願いだから・・殺さないで!」
少女に向かって容赦なく再び拳が振り下ろされた。
ごぐっ。
固いものが強いで力で瞬時に圧力をかけらような鈍い音が響く。
少女は地面に伏していた。目はいっぱいに開かれていたが、もうその視線は何も捉えていない様子だった。
「ほしい・・。」
少年は少女のもとにかがみ、何かを始めた。手にもった錐状のものを少女の頭部に向ける。
「おい、よせ!」
そして何の躊躇もなく錐は振り下ろされた。
思わず目を背けた。こんなのもうこれ以上見ていられない。なんて拷問だ。
更に何度も少女の頭を潰していくような音が聞こえてくる。
ぐちゃ、くちゃくちゃ、ずず、ずずず・・・。
不快な音は一向にやまない。悟はおそるおそる目を開いた。少年はずっと何をやってるんだ。
覚悟はしていたつもりだった。だが少年の行為を見て、すぐに後悔が襲ってきた。
少年は、少女の脳を引きずり出し、自分の口元へ一心不乱に運んでいたからだ。
こいつ、やはりノームなんだ、間違いない。
その時、急に口の中に何かぐにゅっとしたものが溢れ出した。
「?」
あまりの気持ち悪さにそれを手元に吐き出す。
「うわ!」
これは、脳みそか!?
やがて視界がかすみだし、次に目を開いたとき、目の前に少女の無残な姿が映し出された。
そして何者かの手が少女の頭を掻き出すようにせわしくなく動く。
少年から見た目線か!?
そして容赦なく口の中に脳が入ってくる。
吐き出してしまいたい。しかし悟の意思とは無関係にその手は一向に止まらない。

やめろ、やめてくれ・・。



「どうだ、気分の方は?」
あの山羊紳士の声だ。また屋上に戻ってきたようだ。
「なんだよ、あれは?」
「言っただろう。お前の本来の姿を見せてやると。少女を惨殺し、その脳を喰らったのはお前自身なんだよ。」
「嘘だ!」
「本当だ。彼女は第一の犠牲者。お前がその醜悪な見た目から周りにさんざんいじめらている姿に同情し、手を差し伸べた天使だ。しかしそんな天使をお前は殺し、そこからは乾きを潤すように大量の少年少女を惨殺した。初めの頃は錐で頭に穴を開け脳をすするだけだったが、手を染めるごとに人体を完膚なきまでに破壊するようにまでに行動はエスカレートしていった。地獄に来て当然だろう?」
信じたくない。信じたくなどなかった。
だが残念な事に、あの光景を見たときに懐かしいと感じた事も事実だ。
「最終的にお前は現場で警察に射殺された。小学生とはいえ、近年稀にみる猟奇殺人犯だ。野放しには出来ないと判断されたのだ。」
山羊紳士は一呼吸おいてから、つまりこういう事だと切り出した。
「そんなクソ野郎を裁くのが俺達地獄の処刑人の仕事だ。血の海に沈め、針の山で貫く。だがな、俺はもう飽きたんだよ。地獄ではまだまだ若造扱いだがな、こんな肉体的なダメージしかないような見ていてもおもしろくもない処刑方法はこりごりだ。だから考えんだ。新しい処刑方法を。」
「・・それが、この世界か。」
「その通り。お前だけの為に用意した世界。そして俺自身が楽しむために創った世界。
お前の精神を揺さぶり、絶望にのみこみ、やっと希望を見つけたと思った所で更に深い絶望へ突き落とす。刺激的だろう?
操としてお前の横にいるのもなかなか楽しいものだったよ。
だがそれだけじゃ刺激が足りなくてね、遊び心でヒントを散りばめておいた。
今回この世界を創る上で俺が自分に課したルールはお前の"殺人鬼としての現世の記憶はそのままにしておく"事。思い出そうと思えば、お前は途中で答えに辿り着く事も可能だったんだ。それ以外は俺がいろいろと設定させてもらったがね。よく思い出してみるといい。」
悟は自分の記憶を辿ってみる。俺がこの世界で見てきたもの。聞いてきたもの。

―――――――――――――――
アカ、アカ、アカ。
モット、アカ、ガ、ミタイ。
―――――――――――――――
ずっと苦しかったでしょ?辛かったんでしょ?
大丈夫だよ。
わたしはそんな目で見ないよ。
だって、友達なんだから。
ねぇ。
だから・・。
お願い・・・。
殺さないで。
―――――――――――――――

あれは、悪夢なんかじゃなくて、本来の俺自身の記憶だったのか。


―――――――――――――――――
「あらら、お二人とも見事にサイコパスですね。
そりゃもうお手本かと思うくらい。」
―――――――――――――――――

楓が俺と操に向けた言葉。現世で殺人鬼だった俺、地獄の処刑人である操。
楓・・それじゃ・・。
「楓との記憶も・・。」
「もちろんつくりものだ。お前は小学生で死んでいるんだ。中学以降の記憶も全て俺が用意したつくりものだよ。」
左手のこの傷。これにも何の意味もない、あいつの飾りだったってのか。

―――――――――――――――――
「お前があいつの力になったるって決めたんちゃうんかい!」
―――――――――――――――――

操が俺に飛ばした檄。あの時何故不信に思わなかったのか。
俺も楓も、あの出来事について高校の人間には話していなかったのに。操があのセリフを言えたのは、自分がその記憶を創った張本人だから。
「そしてお前に解かせたあのパズル。あれが引き金の役割を果たした。この地獄は失敗する可能性もあった。地獄の劇が開くきっかけであるあのパズルが出来なかった場合、お前が途中で現世の罪に気付いた場合、それは失敗とみなされ俺自身が変わりに裁きを受ける可能性もあった。なにせ処刑は仕事だ。仕事を誤ればペナルティが伴う。それでもお前自身がこの地獄を引き起こす形にしたかった。つくりものとはいえ、お前はこの世界でも大量の罪なき人間を巻き込んだのだよ。罪な奴だ。」

―――――――――――――――――
「ほんまの始まりはこっからっちゅー事やな。
完成によって地獄の門が開く。」
―――――――――――――――――

楓に目を向ける。楓の顔に感情はない。
俺がしていた事はなんだったんだ。のうのうと過ごし、地獄を開き、全てを巻き込み。その実現世では救いようのない殺人鬼。
「いい顔をしている。多感な高校生の精神を植え込んだのは正解だったようだ。」
受け入れよう。こいつの言う事が全てなんだろう。
「分かったよ。俺はもういいさ。でもいつまで楓をあの状態にしておくつもりだ。あれもどうせお前の人形だろ?もう使う必要もない。さっさと俺を処分しろよ。」
「人形?くくく。どこまでもクズ。救いようのないクズだ。お前何を見てきたんだ?」
「?」
「そろそろ、全てを終わりにしようか。」

「楓は、実在する人物だよ。」
「実在する?」
「教えてやれよ。楓。」
楓の真後ろにいたノームが手を振り上げる。その手には錐。
錐が楓の頭部に勢いよく刺さる。
みるみるうちに、楓の顔が真っ赤に染まる。開かれた両目はそれぞれが別の生き物のようにぎょろぎょろと動き回っていた。
「ワタシ、ハ・・ワタシハ、タスケヨウ、ト、シタノニ・・・。」

「サトルウゥゥ。アンタのセイヨ。」

「アンタがワタシを殺シタンダヨオオオオオオオオ!!!」



楓は実在する。そしてその楓を殺したのは俺。
「ここにいる楓は、お前が殺さなければあるべき姿だったものだ。よく思い出せ。」
だんだんと現世の記憶が蘇ってくる。
ああ、そうだ。
ずっと、つらかったよなー、そういえば。

自分の顔を鏡で見るたびに嫌気がさした。
学校に行けば、誰も自分の周りには近寄らず、その癖危険が及ばない距離から罵倒だけは浴びせ続ける。
ずっとそれに耐える日々。ノロマ、デカブツ、バケモノ、ノウナシ。
でかい図体と醜い顔立ち、それに加え、重度の学習障害から日常における対人とのコミュケーションも満足に図る事が出来なかった。
学校が終わり、夜になると近くの公園でぼーっと空を眺めている時だけが唯一の安らぎの時間だった。
「鬼島君、だよね。」
最初その声を聞いた時、悟は絶望した。とうとうこの時間さえ奪われてしまうのかと。
「隣座っていいかな?」
悟が承諾する間もなく彼女は横に座った。一度も見かけたことのない少女だった。
「みんな、ひどいよね。ごめんね、何も出来なくて。」
「あ・・う・・。」
「ねぇ、お友達にならない?」
「・・え・・。」
「いつもここにいるんでしょ?前に偶然見かけてさ、それで今日もいるかなって来てみたら、やっぱりいたから。前も今みたいにずーと空眺めてたでしょ。私も夜空見るの好きなんだ。」
ほとんど少女が一方的に喋っていたが、悟は嬉しかった。自分に何の隔てもなく話しかけてくれる。こんな事は初めてだ。
「だからさ、ここにいてよ。そしたら私もここに来るから。一緒に空を眺めましょ。」
「・・・う、ん。」
「あ、あたしの事知らないよね。ごめんごめん。あたし、西行楓。よろしくね。」
こんな自分に手を差し伸ばしてくれた、その姿はまさしく天使だった。初めて生きていて良かったと思った。
悟は夜が待ち遠しくなった。学校では相変わらず色々言われるが、そんなものはもう気にもならなかった。
一緒に空を眺める。ただそれだけの時間が愛おしくてたまらなかった。
だが、その気持ちは徐々に歪に歪みはじめた。
夜に見る楓と、学校でたくさんの友達に囲まれる楓。
悟は楓の存在、そして楓を取り囲む環境を羨ましく思い始めた。
自分も普通でいたかった。普通の人間として、過ごしていきたかった。
楓の生活には当たり前のようにそれがある。
楓のようになりたい。どうすれば、楓のようになれる。

そうだ、自分の中に入れてしまえばいいんだ。
食べ物を食べれば、体が大きくなる。もし、頭を食べれば、頭が良くなるかもしれない。
頭が良くなれば、普通になれる。
そう思い始めると悟の頭はその事で一杯になった。
そして、幾度目かの夜。悟はそれを実行した。
楓は怯えていた。
でも大丈夫だよ。これできっと僕の頭は良くなるし、こうすれば楓もずっと僕の頭の中にいてくれる。良い事づくめだ。
しかし、何も変わらなかった。だからこう思った。足りないんだ。もっともっと食べなければと。
ほしい、ほしい。もっと欲しい。

「俺は・・なんて事を・・・。」
「今更懺悔した所で天使は蘇らないがな。自分がしてきた事の罪の深さを実感したか?」
「楓・・・。」
楓を救うためについた左手の傷。
だが本当は、それは楓を殺そうとした際についた傷だったのか。
何が、助けるだ。
「鬼島悟君。一週目、ご苦労様。」
「・・一週目?」
「まさかこれで本当に全てが終わりだとでも?お前には、今後この世界をループしてもらう。日常が壊され、友を失い、自分が犯した罪を無限に償い続ける。失われた命に詫びるにはそれだけの誠意が必要なのだよ。」
「そんな・・こんなのをずっと・・。」
「次からは全てシナリオ通りに動いてもらう。記憶はそのままに、ただただ抗う事も出来ずに悲劇を繰り返す様を見続ける事だな。」
「いやだ、いやだ!」

「それでは、ごゆっくり。」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

エピローグ

「まどこっろしい地獄だな、おい。まぁでも最後のあいつはいい顔してたよ。あれは、悪くなかった。」
「ありがとうございます。」
「ところで、あいつにパズルを渡す店主だがよ。まさかあれ、モデルは俺か?」
「ええ、気に入ってもらえましたか?」
「ふざけんな、あんなダルマみてぇなじじい!馬鹿にしやがって!」
「すんません。」
「まぁいい。ところであの操ってガキの代わりはどうすんだい?お前がやるわけじゃないだろ。」
「もちろんです。次以降はあらかじめ用意した人形に全て任せてあります。毎度毎度説明なんてさすがにやってられませんからね。ヤツには今後決められた世界を無限に歩んでもらいますよ。」
「そりゃそうだわな。ありゃ。こりゃまた、救いようのないやつがきたぜ。」
「お任せしますよ。ちょっと疲れちゃったので。」
「なんだよーめんどくせーな。」
「すみません。また考えておきます。」
「あ?」

「俺の世界を。」

My World

My World

神下高校に通いオカルトものを扱う非公式の部活、恐怖蒐集クラブとして活動を行う悟、楓、操。 ある日操が持ちかけたある都市伝説にまつわるパズルの話をきっかけに、想像を絶する恐怖にのみこまれる事に。 地獄の門を開くパズル、奇怪な悪夢、殺人鬼Nome。 全ての果てに待つ、悍ましい真実とは。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • ミステリー
  • ホラー
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-12-20

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. プロローグ
  2. 一章 日常
  3. 二章 開門
  4. 三章 脳無
  5. 四章 記憶
  6. 五章 地獄
  7. 六章 世界
  8. エピローグ