幸せハンス

グリム兄弟 作

みなみ乃 訳

 ある者は、幸運に恵まれた人生を送るように生まれてくる。そういった人々がする事なす事はすべて、うまくいくものだ。結構な稼ぎが入ってくるし、飼うのもガチョウなんかではなく白鳥だ。手札だってすべて切り札――望むところにそのカードを出せば、必ず望み通りになる。それはあたかも、猫が自分の後ろ脚をふと見つけて、捕まえようとするが脚も捕まるまいと動かし続けるように、予想通りの事が起きる。彼らが自分では幸せ者だと思っても、世間の人からしたらそれほどでもないかもしれない。しかし、いったい世間の何に目を向けて、それで何が見えているのか、とはもしかしたら気になっていることだろう。
 近所に住むハンスも、そんな幸運な人間の一人だ。七年もの長い間、ハンスは奉公先でせっせと働き、こう申し出た。
「旦那様、私はこれまで十分に働いてまいりました。故郷に帰り、弱った母の具合をいま一度みなくてはなりません。ですのでどうか私に賃金をお支払いのうえ、帰宅をお許しください」
 するとハンスの主人はこう答えた。
「ハンス、お前は忠実でよき使用人だ。報酬ははずんでやるとしよう」
 そしてハンスの頭の大きさほどもある銀の塊を主人は与えた。
 ハンスはハンカチを取り出して銀塊を包むと肩に担ぎ、進む足取りも軽快に家路を歩きだした。しかし銀のあまりの重さに、一歩踏み出してはまた一歩、足をズルズルと引きずりながら進んでいた時のこと、かくも見事な馬にまたがり、軽快な歩調で陽気に進む一人の男が視界に入った。
「ああ、馬の背にまたがっていくとは、なんて快適なことだろう。まるで家にいて、暖炉のそばで椅子に身を預けて暖をとっているみたいだ、あの人はゆったりと幸せそうに腰かけている。石につまずくことはないし、靴が磨り減ることもない。その苦労がどんなものかも知らなそうだ」
 ハンスは思わず声に出して言った。それが、十分聞き取れるほどの声だったので、馬乗りには全部聞こえていて、こうたずねてきた。
「おや、そこの人、それではどうして歩き旅をしているんだい?」
「それは、運ばなくてはならない荷物があるからなんです。実を言うとこれは銀なのですが、あまりに重くて身は持たないし、おかげで肩もひどく痛くてしかたがありません」
 すると馬乗りがこう提案をした。
「ここはひとつ、交換をするというのはどうだろう。私は馬をきみに渡して、きみはその銀を私に、といった具合にね。そうすれば、そんなに重たい物を抱えて歩くなんて面倒なことを手放せるでしょう」
 するとハンスは答えた。
「心から喜んでお渡ししましょう。と言いたいところですが、そんなにも親切にしてくださるので一つ言っておきたいのですが――この銀をもらったらつらい歩き旅になって、うんざりすることにもなりますよ」
 けれども馬乗りは馬から降りると、銀を取ってハンスを助け起こした。さらに手綱を片方の手に、そして鞭をもう片方の手に渡した。
「いきおいよく速く進みたいときは、唇を大きく鳴らして『ヤー』と声を上げるんだよ」
 ハンスは馬にまたがると嬉々とした。姿勢を正すと手綱を持つ手を構え、をしっかりと踏み込み、鞭を鳴らして陽気に乗り出した。ある時は明るい調子の口笛を吹き、またある時はこんな歌を歌った。

「明日は明日、
 気にも嘆きもしはしない。
 笑い浮かれてヒヒンといななき
 ほいさ、二人で歌うのさ」

 しばらくするとハンスは、もう少し速く馬を進めたくなり、唇を鳴らして「ヤー!」と叫んだ。馬はどんどん全速力で駆けて行った。そして気が付くとハンスは馬から振り落され、道端に背中を強く打ちつけていた。そこに偶然、雌牛を追い立てている羊飼いが出くわして馬を止めてくれたが、もしそうでなければ、馬は駆け去っていたことだろう。ハンスはすぐに意識を取り戻すとふたたび自分の足で立ち、いら立ちをあらわにした。
「馬に乗る機会を得たけれども、主人を振り落すようなこんな馬に乗るのはまっぴらだ。首の骨が折れてしまう。この一回こっきりでもう乗らないぞ。それにひきかえあなたの牛はいいですね。私にこんな悪さをして、ほら、そこの水たまりで私の一番の上着をだめにしたこの生意気な馬よりも、うんとましだ。ついでに言うとこいつは、においもちっとも良いもんじゃない。その雌牛なら、その後ろをゆっくりと歩いていけて、うまくやっていけるぞ。おまけに、牛乳やバターやチーズも毎日食べられる。そんな申し分ないものを得るには、私は何を差し出しだせばよろしいでしょう」
 羊飼いは、こう答えた。
「そうだな、そんなにこいつが気に入ったっていうんなら、俺の牛とあんたの馬を交換したっていいぜ。たとえ自分が損をしようとも、人の役に立つことをするのが俺は好きなんだ」
「決まりだ!」と、ハンスは声を弾ませると、心の中でこうつぶやいた。
 ――このお方は、なんて素晴らしい心の持ち主なのだろう。
 そして羊飼いは馬にとび乗ると、ハンスと雌牛に素晴らしい朝が訪れるようにと祈り、馬を進めて去っていった。
 ハンスは上着の汚れを払い落として手と顔も拭うと、しばらく休憩を取った。そして雌牛をやさしく追い立てると、この取引はとても運がいいものだと思った。
「パンがたった一つあれば(いつでも手に入るのは確かだけど)、好きな時にいつだって、バターとチーズと一緒に食べられるぞ。それにのどが乾いたら、この雌牛から乳を搾って牛乳が飲めるんだ。他には何ができるだろう?」
 宿に着くと、ハンスはそこで食事休憩をとることにした。すっかり平らげると、最後に残ったわずかな額を一杯のビールに出した。しっかり休息を取ってからまた出発し、母親のいる村に向けて牛を進めた。しかし正午になると気温はすぐに暑さを増した。横切るのに一時間以上はかかりそうな、ヒースの茂った荒地に自分がいると気が付いた時には、舌が上あごにくっつくほどに体はほてり、のどもからからに乾き始めていた。
 ――こういう時の頼みの綱だ。さて、牛乳を搾ってのどの渇きをいやすとしよう。
 ハンスは木の幹に雌牛をつなぎ、乳を搾り入れようと革製の帽子を手に持った。しかし、しずく一滴すら出てこない。この雌牛はハンスに牛乳やバターやチーズをもたらすはずだった。しかし馬と交換をしたのは驚いたことに、もう乳をまったく出さない雌牛だったのだ。ハンスはまさか、そこまでは考えもしなかった。
 不器用ながらもなんとか絞り出そうとしている間、雌牛は落ち着かず、ハンスをうるさく思い始めていた。するとついに、気絶させるほどの強烈な蹴りをひとつ。頭を蹴られたハンスは長いこと、意識を失って倒れた。幸いにもすぐにそこへ、肉屋が手押し車に豚を乗せて近くまでやってきた。
「おいきみ、いったい何があったんだ」
 肉屋はハンスを助け起こしながらたずねた。ハンスは彼に、何が起こり、自分が今どれほどまでにのどが渇いていて牛乳を搾り出したかったか、でもその雌牛もまた乳が出ないほどに乾いていたことを話した。すると肉屋はビールが入った瓶を差し出した。
「ほれ、これでも飲んで元気だしな。あんたさんの雌牛はもう乳を出しはしないよ。年をとっていて、あとはもう肉になるしかつかえないように見えないのかい?」
「そんな、なんてことだ!」ハンスは驚いて声を上げた。「誰がそんなことを思いつくものか。私の馬を取って、もう乳を出さないこんな雌牛をよこすとは、なんて恥知らずだ! こいつの命を奪ったとして、何の役に立つというんだ。私は雌牛の肉は嫌いだ。私にはかたくてしょうがない。もしこれが豚だったなら、そう、あなたが載せて運んでいる太ったそいつみたいな豚だったら、私も何かしらはできたでしょうに。すくなくとも腸詰めは作るでしょうね」
 すると肉屋は言った。
「そうだな、俺でよければ何かものを頼まれたらさすがに断れねえや。それでよければ、あんたさんの雌牛と交換でおいらのよく肥えた豚をあげようじゃないか」
「ありがとう! 天は必ずや、自分をかえりみないあなたの親切な行いに報いてくださることでしょう!」
 肉屋に雌牛を渡しながらハンスは感謝をした。そして豚を手押し車から降ろすと、脚に結んだ紐を引いて連れて歩いた。
 進む足取りも速くなる。その時、何もかもが自分にうまくいくように思えていた。確かに、いくつかの災難には見舞われた。でもそれらすべてで、十分な埋め合わせは得ていたのだ。このとき連れ立っていた旅の供なんかはまさに、それまでの馬や雌牛と違い何の問題もなく、何も言うことがなかった。
 次にハンスが会った男は、素晴らしい白いガチョウを抱えて歩く田舎の者だった。田舎の男はハンスに、いま何時かたずねようと足を止めた。しかしそこから会話ははずみ、満足いく取り引きをハンスはこれまでにどれだけたくさんしてきたか、そして世間の人はみな、自分にどれだけ明るく笑顔で接してくれたか、といっためぐり合わせをありありとその人に話した。それから今度は田舎の男が自分のことを話し始め、ガチョウを洗礼式に連れて行くところなんだ、と言った。
「こいつがどんなに重たいか持ってみなよ。これでもまだ、孵ってからたったの八週間なんだ。だれがローストにして食べようと、したたる脂を十分堪能できるね。立派に育ったもんだよ」
 ハンスは渡されたガチョウを抱えて重さをみた。
「本当ですね。でも脂の話をするなら、私の豚なんかこいつの比ではありませんよ」
 だが田舎の男は深刻そうな面持ちになり頭を振った。そして重々しく口を開いた。
「聞いてくれ。あんた、いい人間のようだから言わないではいられないよ。その豚はもしかすると、あんたを面倒なことに巻き込むかもしれないぞ。おいらがちょうどさっき来た村で、大地主のところで豚小屋から一頭、豚が盗まれていたんだ。あんたがその大地主の豚を持っているとわかったとき、いやにこわくなったよ。その豚を持っていたばかりに捕まっちまったら、あんたにはひどい仕打ちだろうね。少なくともあいつらがやりそうな事といったら、あんたを馬を洗う池に投げ入れることだろうな。あんた、泳げるかい?」
 あわれなハンスはひどく驚くと、声を上げた。
「どうしよう! お願いです、どうにかしてください。この豚がどこで飼育されていたかも生まれたかも、私はなんにも知らないんです。そう言われたら、こいつは本当にその大地主のものだったのかもしれない。あなたはこのあたりの土地を私よりもよく知っていらっしゃる。この豚を持って行って、代わりにそのガチョウを私にください」
「その取引に応じるのがいいみたいだね。確かに、太ったガチョウを豚の代わりにあげるとするよ。他に誰かが、それほどあんたによくしてくれるだろうとも限らないしね。面倒なことに巻き込まれてるんだもんな、おいらはあんたを無下にはしないよ」
 そう答えると田舎の男はハンスが握っているひもを受け取り、豚を追い立てて去って行った。そしてハンスは厄介ごとから解放され、家路を先に進み心の中でこう思った。
 ――何はともあれ、あの豚っころは無事引き取られた。誰の豚かなんてのは気にしないけど、どこから来たにしろ、あいつはとてもいい旅の連れだったなあ。それに、脂ののったガチョウと交換だなんて、かなり最高の取引をさせてもらったぞ。まずは、舌のとろけるローストだな。それからガチョウの油は軟膏にして、六ヶ月は持つぞ。あとは、真っ白できれいな羽もある。枕の中に入れるとしよう。そしたらきっと、寝返りも打たないでぐっすりと眠れるぞ。母さんはどんなに喜ぶことだろう! 豚のことは絶対に話して聞かせてあげよう。まん丸と太ったガチョウをもたらしてくれたんだから。
 次の村に到着すると、刃物研ぎ屋が車輪を動かして研ぎ石を回し、歌いながら働いているところを目にした。

「丘を越えて谷も越え
 幸せをお供にぶらつき歩いて、
 軽く働きほくほく生きる。
 この世すべてが俺の家。
 こんなに陽気で楽しい奴は他にいまい」

 しばらくの間見物をしてから、ハンスは話しかけた。
「研ぎ屋の旦那、あなたはさぞ裕福なんでしょうね。自分の仕事にとても幸せを感じているご様子で」
「そうさ。俺の商売は繁盛、繁盛。いい研ぎ屋っていうのは、ポケットに手を入れれば、いつだってそこに金が入っているもんなのさ――しかし旦那は、どこでそのきれいなガチョウを手に入れたんだい?」
「買ったわけではないんです、ガチョウと交換で豚をあげたんです」
「それじゃあ豚は、どこで手に入れたんだい?」
「代わりに雌牛をあげたんです」
「それじゃあ雌牛は?」
「交換で馬をあげました」
「じゃあ馬は?」
「私の頭ほどに大きい銀の塊を、交換であげました」
「で、銀は?」
「ああそれは、この七年もの間ずっと苦労して働いたんですよ」
 すると研ぎ屋が言った。
「旦那は今まで、結構うまくやってきたんだね。あとは、ポケットに手を入れたらいつでもそこに金が入っていれば、旦那は成功したようなもんだ」
「まったくその通りです。ですがどのようにしたら、それはできるものなのですか?」
「どうやって? そりゃあれだ、旦那も俺みたいに研磨機を回さないとな。旦那は研ぎ石を求めるだけ。あとは向こうからひとりでにやってくるさ。ほら、俺が使うにはもう価値がないようなやつだが。これに旦那のガチョウ以上の額を求めたりはしないよ――買うかい?」
 研ぎ屋の問いにハンスが答えた。
「問われるまでもありません。もし、ポケットに手を入れていつでもお金があれば、私は世界で一番幸せな人間だろうな。そのお金で何ができるだろう? はい、ガチョウをお渡しします」
「じゃ、これが最も重要な石だ」
 研ぎ屋は、自分のそばに置いてある、どこにでもありそうなざらざらした石をハンスに手渡した。
「かなりうまく扱いさえすれば、古くなった釘を尖らせるくらいはできるぞ」
 ハンスはその石を受け取ると、心軽やかに家路を先に進んだ。目を喜びで輝かせて独り言をつぶやいた。
「きっと私は、幸運をもたらす時間に生まれたに違いない。あると嬉しいありとあらゆるものが、ひとりでにやって来たんだもの。人々もみんな、とても親切だったな。私こそ彼らに良い思いをさせてもらっているのに、逆に私が親切な行為をしてあげていると心から思っているみたいだ」
 一方でハンスは疲れを覚えはじめ、お腹もすきはじめていた。雌牛を連れていたときに、残り少ない身銭を一杯の喜びに使い果たしてしまったために、ものを食べるお金がもうなかったからだ。
 とうとうハンスは疲れ切り、一歩も先に進めなくなってしまった。石はあまりにも重かった。川でなら水を飲んで、しばらく休めるかもしれないと思い、そばまで足を引きずって行った。そうして土手まで来ると、自分のかたわらに石を慎重に置いた。しかし川の水を飲んでいる間にハンスはそのことを忘れて石を少し押してしまい、川に転げ落としてしまった。
 しばらくの間ハンスは、すんだ水の底深くに沈んでいる石をながめていた。それから跳ね上がるとうれしさのあまり踊りだし、そしてもう一度、膝から崩れ落ちると、ただ一つのやっかいなもの、重くて重くて仕方がなかった石を取り除いてくれた天の計らいに、目に涙を浮かべて感謝をした。
「私はなんて幸運なんだろう! 私ほどに運のいい人間は、これまでにいないぞ」
 ハンスは声の限り叫んだ。
 やがて、あらゆる問題から解放されて心軽やかに立ち上がると、休みなく歩き続けた。そして母親の住む家に到着すると、幸福への道のりはどれほどまでに簡単かと話したとさ。

幸せハンス

原文はこちらになります↓
http://www.gutenberg.org/files/2591/2591-h/2591-h.htm#link2H_4_0003

幸せハンス

グリム童話。原題『Hans in Luck』。 ハンスは幸せへと帰る。

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  • ファンタジー
  • 冒険
  • 全年齢対象
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