蒼昊

蒼昊

表紙絵をイラストレーターのトネリコ氏に描いていただきました。
http://www.pixiv.net/member.php?id=1615849
http://www.tinami.com/creator/profile/48053


 ―――奇跡である。

 その星を見た時、そう思った。
 恒星の膨張により母なる星を捨てなければならなく、自分たちの生命を維持できる温度の上昇まであと百年しか残っていなかった。
 その百年の間に自分たちの子孫が生きていける場所を探さなくてはならず、世界中の英知を集め、宇宙開発に全てを注ぎ込み、そして、とうとう見つけた。
 生きていく環境の全てが酷似している上、進化過程と姿形が良く似ており、早速、その星での生存が可能かあらゆる実験を始めた。
 だが、まもなく問題は明らかになり、それは細胞の変化であった。
 異常に新陳代謝が促進され、赤子はすぐ成長し、その後の老化が著しい。
 それを改善する研究がすすめられ、実験用の細胞をその星のあらゆる場所に置き、成長と特性について監視を行っていく中、あるひとつの結論を得る。
 それは、その星の人間の生殖行動による体液を体内に受けると代謝の活性化が鈍化するということだった。
 まだ確証を得られないその仮説の検証に、女性の細胞が盛んに使われた。


 ******


「私の細胞を使って実験してくれる? アル」
 アルは同じ研究者の妻にそう言われた。
「え?」
 その妻は意を決したような表情をしており、思いつきで言っているわけではなかった。
「気味悪くないのかい? いいじゃないか、冷凍したもので。まだ豊富にある」
 賛成しかねるが、妻は譲らず、自分の身体から採取した生命体をカプセルに入れ、その行き先を前から気に入っていた弓形の島の国に送った。
 それを見届けると程なくして心臓発作を起こして逝ってしまった。

 アルはその死をどうしても受け入れられなく、悲しみに暮れ、数ヶ月の間、仕事を休み、ただ妻との思い出に浸りながら日々を過ごし、自堕落な生活を送っていた。
 そんなある日、家の扉の呼び鈴を鳴らされる。
「おい。アル。母星からいい酒が届いたぞ。一杯付き合え」
 同僚が勝手に部屋に入ってくることに憮然とする。
「いらない。放っておいてくれないか」
「ちぇ。いつまでそうやって泣き暮らすつもりだ。いつまでも悲しみに浸っている余裕はないぞ。実験の報告も全然していないと皆怒っているんだ」
「お前にはわからんさ。大勢の造人と遊んでばかりの奴にはな」
「おい。造人と言うな! それは差別用語として禁止されているだろう!」
「うるさいな!」
 いきり立つ同僚を突き飛ばしながら家を飛び出し、通路に出る。
 自給自足のできる母船の中は森が広がっていた。植物は水と光があれば成長する。水は完全に循環させ、排泄物も全て再利用されている。重力も調整され地上と何ら変わりのない生活を送ることができるのだった。無理に目の前の青き星に降り立たなくともこれで生きていけるではないかと苦笑する。
 ……どうでもいい。
 何もかもどうでもいいという自暴自棄の心の方向転換は難しかった。
 さっさとあの造人の死亡報告を出して、仕事もやめてしまおうと思った。母星に帰還し、頻繁になった天変地異に巻き込まれてしまえばいいと。
 研究室に入り、システムのスイッチを押し、猫と呼ばれている監視用の機械を起動させ、妻が命名した「かぐや」の様子を見る。
 人の良さそうな夫婦に慈しまれ、幸せそうに暮らすその姿は微笑ましいものだった。
 それまでの造人と等しく成長が早く、このままではすぐに大人の姿になってしまうだろうと思った。
 大人になったら………。
 妻と同じ顔になる………。
「は……ははは……」
 あの美しい妻と同じ顔ならば、さぞかし男どもの引く手あまたとなるだろう。
 ならばこの実験は有意義なものになる……。
「………………………」
 これからそれを見るのかと思うと、落ち着かなくなる。
 いや。男に抱かれなければ早死にするのだ。
 そうだ、そんなものを見せられるのならば邪魔をして……。
 だが、その実験結果に我々が生きのびるヒントがある……。
 私心だけでそれを見過していいのか。何のために自分はここにいるのだ。
 どうでもいいと思いながらも、いざ造人を目の前にすれば研究者としての興味と責任感が湧いて出てくる。
 ……混乱する。
 忌々しさのあまりモニターを叩く。
「お前は…!」
 何という試練を私に与えたのだ……!


 ******


 観察を始めてから一年以上の月日が流れていた。 
「もみじ。こっちに来て」
 それが機械とは気づいていないかぐやはそう言って手招きする。
「お前はいつも寝ているのね。ふふふ。とても気持ち良さそうね」
 床に広がる長く豊かな黒髪を指で掬いながら近寄る「猫」を撫でる。
 すっかり娘に成長していた。
 翻訳される前のかぐやの声は、妻のものと同じでやはり顔もそのままである。
 画面に映し出されるその顔を見て騒いでいく心を止められない。
 そして予想通り、大勢の男性から求愛されるようになり、見たくない場面が近づいていると日々覚悟していた。
 邸は賑わっており、その求婚者たちに養い親たちが対応しているようだった。
 日が暮れた部屋の中、かぐやは溜息を吐いていた。
「ねえ。もみじ。みんなはわたくしを美しいと言うの。そしてね、わたくしを妻にしようと競い合っているのよ」
 機械の背中を撫でながら話しかける。
「おかしなことよね。わたくしが物の怪だと知ったらどうせみんな逃げてしまうくせに」
 その言葉から自分の生い立ちについて疑問に思っていることを察し、孤独に耐える悲しみが突き刺さってくる。
「わたくしは、どうしたらいいの……」
 そう言いながらさめざめと泣く姿に動揺する。
 泣くほどいやならば……。
 しかし、早く誰かと結婚させなければ、かぐやは老いてしまう。
 その姿をもっと長く見ていたいと思うようになっていた。
 そんな身勝手な思いとそれを拒絶していくという矛盾に葛藤していく。
 ………どうしたらいいのか………。
 かぐやが月を見上げる。
「もみじ。わたくしね、月を見ているととても心が落ち着くのよ」
 手をすっと伸ばす。
「夜空に浮かぶお月さま……」
 月に向かって。
「呼ばれているような気がして。わたくしを待っているような気がして」
 どきりとした。
 ちょうどいま、月との一直線上に自分がいたからだ。
 そうして見上げられたその先に自分がいるのかと思うと、息苦しくなってくる。
 ねえ。不思議でしょう? と言いながらぽろりと涙を零す。
 ……もしかしたら……。
 お前は……何か感じているのか……。
「……まさか……そんなはずはない……」
 ぽつりぽつりと零れる涙が内蔵の映写システムを濡らしていく。
 そんなはずはないが……。
「しかし……」
 自分の望む方に思考が傾いていく。
 滑稽なことだとわかっているが、妻の細胞には心が刷り込まれているのではないかと。
 しかし、そう思うと止まらなかった。
 だとしたら……。
「お前は……私に会いたいのか……?」
 頬に涙が伝っていく。
 指先が震えて機器を操作できず拳を握る。
 お前は……、

 ―――私を待っているのか……。

 
 ******
   
    
「アル。気は確かか」
「ああ。正気だ。志願した」
「この星に降りたら、身体が……」
「そろそろ誰かが命を懸けてやらねばならんということだ」
「……お前は……。なあ。長居するな。とにかく早く離れろ、そうすればきっと助かる」
「分かっているさ。心配するな。せいぜい不老不死の謎解きをしてやるさ」
 上司は体液を身体に残した状態で持って帰ることを命じた。
 なるべく無表情にそれに返事をしながら、着陸用の船に乗る。

 弓形の島の国の……原始的な営みをする素朴な人々のところを目指す。
 大気圏に突入する時は、あまりに久しいその衝撃に心が痛んだ。
 船が無事に設定通りの場所に到着すると、造人たちを送り込むための施設で衣類を着替え、カツラを被り、現地の者と同化できるよう支度をする。
 そして、闇夜に紛れながらその家に近づいていった。
 家の中は知り尽くしていた。かぐやがどこにいるのかよくわかっている。
 しかし、いきなり忍び込んで嫌われたりしないだろうかと思うと足が止まってしまい、その部屋の前でしばらく立ち止まり、様子を窺う。
 庭の池には水面に浮かんでいるような普段は昼に咲く白い花が開いており、いざなわれているような気がした。
 風が立ち、いつまでもその場にいられないと告げられているかのような気がし、風と共に甘く神秘的な花の薫りが漂うと甘美な思いに包まれる。満月が背中を押すように青白く辺りを照らしていった。
 固唾をのみ、思うように動かない足に命令しながら一歩一歩近づいていく。
 部屋の中は花の薫りとは違う芳香に包まれており、小さな明かりが醸し出す幻想的な雰囲気に惑わされていくようだった。
 寝ていると思っていたかぐやは起きており、暗い部屋の中に白い顔を浮かべていた。
「……ああ……」
 何も考えられなくなる。

 ――会いたかった!

 駆け寄り、その身体を抱き締める。
 ……こうしたかった……。
「愛しい人よ」
 唇を重ね、突き上げていくものに素直に従う。
「ずっとこの時を待っていた」
 熱い息とともに苦しい思いを吐き出すように言葉を出し、そして、知っている身体を、知り尽くしているその身体を、熱く、狂おしく求めていった。
 かぐやは艶かしくそれに応えていく。
 ……待っておりました……。
 わたくしも待っていたのです……。
 悦びに震える身体はそう訴えていたのだった。
 これ以上の幸せなどあるはずがないと思える至福の時に、このまま時を止めてほしいと願った。

 互いの冷めぬ熱を分け合うように抱擁し、白い肌に花弁が落ちたように色づく薄紅色の頬を撫でると、かぐやは寂しそうに微笑んだ。
「……そんな顔をして……もしかしたら後悔しているのですか」
 首を左右に振る。
「いいえ」
 切ない表情をする。
「どうかわたくしを連れて行ってください。このままでは後宮に行かされてしまうのです」
 情欲に貫かれて熱を帯びたままの身体でしがみつきながらそう言うかぐやはこの上なく美しく、心が燃え上がっていく。同時に自分の役割など遥か彼方に吹き飛んでいた。
「お願いです。わたくしは貴方様のそばにいたいのです」
 それでも一瞬躊躇する。
 そして他の男と交わることを想像する。
 すると身体から血潮が吹き出していくかのような嫉妬が心を縛り上げていった。
 渡せるはずがない。他の男などに渡せるはずがない。誰にも渡したくない……!             
「ならば私とともに行こう」


 *******


 人里離れた場所に二人で暮らし、数年経っていた。
 かぐやの老化の進行は加速していくばかりだった。
 それに比べて自分は老化せずに過ごせていた。
 かぐやを抱けば抱くほど、かぐやは衰えていくのだった。
 この星の食物を食べて育てられたかぐやは、同じ体質を持ち始めていたのか、しかしそれを自分に生かすことができず、交わった相手の為になるものなのか生殖のための本能として、この星の男を求めるように身体が順応しているのではないかと推測してみたが、それを実証することはできない。
 すでに女体としての盛りを過ぎたかぐやは、日に日に精気を失っていくのだった。
 そして、もはや身体を動かせぬほど弱ってしまった。
「かぐや……」
「どうかそんな顔をなさらないでください。わたくしはとても幸せだったのですから」
「お前の笑顔を見たいと……いつでも微笑んでいてほしいと……」
 ぼとっと涙が横たわるかぐやの顔に落ちる。
「わたくしはいつも笑っておりましたでしょう?」
「……かぐや……」
「それに、こんなに老いて醜くなったわたくしでも捨てずにいてくださって嬉しいのです」
「お前は醜くなどない。変わらず美しい」
 手を握り締める。
「お前が愛しい。この思いは変わることはない。そして消えることはないのだ」
 かぐやがその言葉を受け取るように瞼を閉じた。
「わた……く……し………も……」
 舞台の幕を閉じるかのように。
「……か…」
 閉じられた瞼は再び開かれることはなかった。
「……か…ぐ…」
 絶望が迫ってくる。
「……待ってくれ……」
 まだ、話したいことが山ほどある。
 まだ語り合いたいことも、まだ……まだ……。
「待ってくれ……!」
 自分を吞み込もうと全身を縛り付けるように奈落の底に突き落としていく。
「かぐや……!」
 闇が自分を取り囲む。
 二度までも妻に先立たれるという悲しみに、自分はどれほど罪深いことをしたのかと問いたくなる。
 この罰はどんな罪ゆえのものなのか。
 身を千切られるような痛みと息もつけぬ苦しみから赦される術を知りたいと切望する。
 いったいこの罰は誰が与えたものなのか。
 容赦なく襲う逃れられようもない痛みに悲鳴をあげる。
 助けてくれ……。
 武器を手にし、頭につける。
 これから逃れるにはそれしか方法はないと思った。
 助けてくれ………。
 奥歯を噛み締める。
 すると、歯がぼろりと抜ける。
 それと同時に髪もはらりと抜け落ちていく。
「……な……なんだ……これは………」
 皮膚が干涸びてくる。
 急激な老化が始まったようだった。
「ふ……なんと……」
 出した嗄れた声が老人のもので、それを聴いて笑いが込み上がってくる。
「もしかしたら………」

 ―――お前を愛したこと、それ自体が罪なのか――――
 
 悲痛な笑い声をあげる。
「はははは……。なるほど。ならばこの身体、せいぜい役に立たせてやろうか。よい標本になるだろう」
 武器を放り投げ、船の通信機を取り、現状報告をして帰還の意思を告げた後、かぐやを荼毘に付し、船に乗る。
「いかなる罰をも受ける」
 発車準備をすると、船体が浮いた。

「それは、勲章である」

 上昇するスイッチを押して、一気に上空を目指した。
 蒼昊(そうこう)に消えていくように。


 ―終―

蒼昊

蒼昊

辰波ゆう氏企画の「競作かぐや」への出品。 表紙絵、トネリコ氏。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-12-05

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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