お弁当


 「早く起きなさい!遅刻するわよ!」
朝6時50分。
いつもの母の金切り声で起こされる。
高校へは自転車で15分、いつも8時に家を出るからまだ十分間に合う時間だ。
今まで一度も遅刻はしたことはないし、10分後には目覚ましも鳴る。
私は朝は強いほうだから、起こされればすぐに起き上がる。
それでも毎朝6時50分、第一声からは母は金切り声だ。

 顔を洗ってダイニングに入ると、母がいつものようにキッチンでお弁当を作っていた。
うちはキッチンが狭いのでダイニングテーブルにお弁当を広げ、母が1品ごとにキッチンで作ったおかずを運んできて詰めていく。
お弁当は3人分、パートをしている母自身のものと、中学生の弟のものと、そして私の分。
お弁当箱は6つ、うち3つにはふりかけご飯がぎっしり詰まっていて、残りの3つに詰めるゆで卵の殻を母が今キッチンでむいている。
私はそのお弁当箱たちの横で自分で焼いたトーストとインスタントコーヒーの朝食にありつく。
「いい加減にしなさい!早く起きなさいって言ってるでしょ!」
母が怒鳴りながら、弟の部屋まで廊下を歩いて行った。

 寝癖をつけた弟も起きてきた。
冷蔵庫からジャムと野菜ジュースを出してきて、私の向かいに座る。
半分目を閉じたまま食パンにジャムを塗る。
 母はまだ黙らない。
「兄さんにメールまでしておいたのにまだ連絡が来ないの。困るのよね。こっちも暇じゃないのに。いったい何考えてるのかしら。」
おじさんは母とは全く違っておっとりとした人だ。
車の保険関係の仕事をしていて、うちの車もおじさんの会社の保険に入っている。
先日母が、車をガードレールにぶつけて傷つけてしまったので、その手続きのことなどでお世話になっているのだ。
昨日の夜に母がおじさんに電話をすると留守だった。
折り返し電話をくれるように伝言を入れて、1時間経っても連絡が来ないと母はいつものように寝るまで文句を言っていた。
睡眠を挟んでも母の文句は続いているようだ。

 テレビをつけてチャンネルをNHKのニュースにする。
民放は朝からハイテンションだったり、何か事件について専門家たちが渋い顔で長々とコメントをしていたりで疲れる。
昨日騒がれていたストーカー殺人事件の犯人逮捕をアナウンサーが伝える。
被害者の女性の写真が映し出された。
けばけばしいお化粧をした派手なプリクラ写真だ。
「うわ。お水仕事だ。きっと男遊びが激しかったんだろうね。性格も悪そう。」
母が軽蔑したように言った。
いくら性格が悪くたって殺される理由にはならないだろうと思う。
 母が一つ目のゆで卵をむき終わって、それを自分のお弁当箱に詰めた。
つるんときれいで白くて丸いゆで卵だ。
 モザイクのかかった被害者の高校時代の友人が取材を受けている映像になった。
あからさまにちゃらちゃらした若者だ。
編集された音声が余計に話し方のバカっぽさを助長している。
母が何か言う前にリモコンを取ってチャンネルを変える。
 民放では最近相次いだ、いじめを苦にした小中学生の自殺についてタレントやどこかの大学の教育学者たちが議論していた。
「やたらといじめは悪い、悪いっていうけれど、いじめられる子も悪いのよね。最近の世の中、そういう弱い子ばっかりね。」
弟がため息をついて食パンを皿に置いた。
いい加減馴れればいいのに。
男のくせに繊細だ。
私は今日の漢字の小テストについて考えることにした。
出題範囲は67~70pで出る漢字は傍若無人、卑劣、辟易…

 「あーあ、こっちの方が汚くなっちゃった。」
見ると今度は2つ一緒に剝いたゆで卵を母が持ってきた。
片方は殻むきに失敗したらしく、白身がぼこぼこになっている。
母は自分のお弁当箱からきれいなゆで卵を取り出して、私のお弁当箱に入れた。
弟の方にも今持ってきたきれいな方のゆで卵を入れて、ぼこぼこのゆで卵を自分のお弁当箱に詰めなおした。
朝ご飯を食べ終わった私は、食器を洗ってセーラー服に着替えて身支度をすます。

 7時50分。
「ほら、ぐずぐずしてると遅刻するよ!早く出なさい!」
また金切り声が聞こえた。
お弁当を取りにダイニングに戻る前に先週の誕生日に彼氏からもらった、もこもこの赤いマフラーを巻く。
正直、もらった時は派手すぎて制服には合わないと思った。
でも「セーラー服は首が寒い。」とちらっとぼやいたのを覚えててわざわざ暖かそうなものを選んでくれたらしい。
彼はそういう人なのだ。
 ダイニングに入ると母が私のマフラーに目を止めて顔をしかめた。
「げ、何それ、悪趣味!やめなさいよ、そんなもの巻いていくの。」
お弁当箱はすでにそれぞれのお弁当用の袋に入れられて机の上に置いてあった。
お弁当箱の上にお箸とバナナが置いてある。
うちはいつもお弁当に果物も1つ持っていく。
バナナは昨日買ってきたばかりで黒い点が一つもない、鮮やかな黄色だった。
弟のお弁当袋からも鮮やかな黄色がのぞいている。
ふと母のお弁当袋を見ると、半分くらい皮が黒くなった、熟しすぎたバナナが入っていた。
先週買ってきた分のバナナがまだ1本残っていたらしい。
手に取ると新しいものと比べて少し柔らかい。
私はそれを自分のお弁当箱に入れて、代わりに自分の方に入っていた新しいバナナを母の方に入れた。
 7時59分。
母の金切り声にせっつかれて、家を出た。

お弁当

お弁当

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-12-04

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