創作 口蹄疫 「トロントロンの水音」

 本書は最初ルポルタージュを意図して執筆したのですが、現地で農家の方にお会いして話をお聞きしたり、新聞、ブログなどの材料集めをしていくうちに、このままに放置しておいて良いのか疑問に感じました。つまりこの口蹄疫の事件の背後には多くの農家が疑問としている事実隠蔽があると感じたのです。大規模牧場、県の役所、国の方針に対し、一般農家が振り回され悲惨な状態になったのは事実です。それで国と県の調査報告書、それに宮崎県児湯郡獣医師会の報告記事3部を基本資料として、もう一度一年前のその事実を洗い出しているところでした。
 調査、執筆中に東日本大震災が発生したのです。ご存知のように多くの方々が地震と津波の被害に遭われました。また福島第一原子力発電所による放射能汚染の問題も起きました。その後の推移を一市民としてじっと見ていて気づいたことがありました。それは口蹄疫で起きたことと震災とに不思議と多くの類似している点が見られることです。一例を挙げますと国と東京電力による情報の隠蔽、早期対応の遅れ、マニュアルになかった、あるいは想定外という言葉等です。本文ではそういったことにも触れています。
 口蹄疫に関しては、すでに多くの方がコメントされ書籍も出版されています。本書では農家の方に接触しながら「被害者の農家がどんな疑念を今現在も抱えているか」という事実を中心に纏めています。それゆえ前半部分は、1 年前のことをルポ記事的に書いています。
 主人公の伊達は事実を丹念に追いながら推理していきます。事件解明に当たっては「何時起きたのか」ということが一番大事なキーワードになります。それによって真実が180度変わってくるからです。それから「どこで」というのも大きな問題です。
 その2点に付随して、誰が判断(指示)したのかということと、「なぜ?」「どういう目的で」という動機が明らかにされねばなりません。それらを関係者の証言や行動を推理しながら、後半部分は小説に纏めてみました。
 問題は大規模牧場、県や役所の行動をどう描くかということですが、本文では震源地の川南町で農家が信じていることをベースに創作して書いています。現実には未解決になっていますがここでは、あえて現実には起きていない「殺人」や「告発」という事態が発生することで解決にまで持っていきました。お断りしておきますが大規模牧場に関しては後半部はかなり現実と異なります。それから登場人物は当初実名にしていましたが、支障があるため仮名としその発言、行動も小説らしく変えてあります。その意味もあって創作としました。

プロローグ

 肉牛組合の理事長である河田徹は、国が平成22年11月に発表した口蹄疫の調査報告書に納得がいかなかった。そんな馬鹿な! こんな報告で終わるなら世の中真っ暗じゃないか。殺処分された29万頭の牛や豚は無駄死にか? 自分の牛や豚を生き埋めにして殺した、あの農家の血の涙はどうなる。
 平成22年には、使命感に燃えて10回も宮崎へ出向き現場で被害農家の生の声を聞いた。そしてその声を国政に反映してもらうべく、養豚協会の都築会長共々、農林水産省や関係大臣に頻繁に陳情した。むろんその成果はあった。現地に政府が対策本部を設置したことや農家への補償問題への取組、法律改正への動きなどだ。だが国の報告書には真実の解明を期待していただけに、怒りを抑えきれなかった。
 年が明けて1月。今度は宮崎県独自の口蹄疫調査報告書が発表された。マスコミが注目した点は初発農場に関する見方であり、それは国の報告内容とは異なっていた。国の疫学調査では第六例目の水牛飼育農家が初発であると推定していたが、地元の意見は第七例の大規模牧場であろうというのが大多数であった。県の調査委員もそれを無視する事はできず、初発を結論づける明確な根拠がないとしてどちらの可能性もあり得るとされた。
「結局玉虫色の決着だ」ため息をつき河田は想いに沈んだ。

 それから2週間後の平成23年1月末、河田は川南町の牧場主宅に久しぶりに立ち寄った。その折り気にかけていたことがあった。口蹄疫の流行で一時自分が係わった牛の事だ。夕暮れは迫っていたが、かまわず河田は牧場主にことわり出かけた。
 そこは車で10分ほどの距離だ。河田は農道を運転し、平原の中程まで進むと車を止め、歩き始めた。気がつくと河田は川南の埋却地にある2メートル余の慰霊碑の前に立っていた。あたりに人気は全くなかった。空を見上げる。ふんわりと浮かんでいた白い雲は灰色に変わり、その流れは前よりも速まっている。少し視線を落とすと、尾鈴山を中心とした山々のすそ野が幾重にも広がり、田畑の間を農家がぽつんぽつんと点在している。
 河田が立っている場所はもともと牧草地が生えていたところだが埋却場に変わり、いまでは枯れて茶褐色となった雑草に一帯を占拠されていた。そこは牛飼いが涙を流した所だ。
 
 思い返せば、あれは9ヶ月前のことだ。口蹄疫が拡大をはじめやむなくワクチンを打った。農家は泣きながら数十頭から数百頭の牛を殺処分しなければならなかった。農場主達には無念としか言いようがなかった。河田はその悲惨な現実を直視していた。
 河田がそんな感慨にとらわれていた時だ。一陣の突風が異様な音とともに平原に吹き込み、慰霊碑近くに植えられた数本の立木を揺るがせた。河田はあまりの風の強さに立っていることが苦しくなって座り込んだ。コートを着ていても冬の寒さがじんわりと身体全体に浸透してくる。
 立ち上がり車に戻ろうとしたが、ふと頭痛と吐き気に襲われた。両手を交差するかたちでコートを押さえながら進もうとしたが吹き付ける風に負け、河田は再び座り込んだ。周囲を赤く染めていた太陽は沈みかけ夕闇は間近だ。思い直しよろよろと立ち上がった。そして風圧をよける為少し前屈みになり、風になびく草を踏みしめた。車まで後数歩の距離に来たときだ。血の気が急速にひいていく。前方の車がなぜか白くかすんで見え、河田の意識は螺旋状の渦がくるくると巻くような感じで次第に消えていった。
 河田は幻想の世界に踏み入った。不思議なことに地中の暗黒の世界が俯瞰できるのだ。
 埋却地の地中の中で1頭の黒毛和牛の大きな目が開いた。牛はそっと周囲をみまわす。
すると1頭、また1頭と続いて他の牛が首をもたげてきた。そのなかの雌牛が骸となっている小骨を舐めはじめ数分が経過した。やがてその小さな骨は少しずつ骨格を形作りいつの間にか以前の子牛の姿に戻った。その子牛は周囲の牛たちの足下をすり抜けよろよろと立ち上がる。そして角でビニールシートを突き破りなんとか3メートル先の地面の上にはい上がろうともがいた。他の牛たちはその動きを助けるかのように子牛の踏み台になったり、周囲の土を角で外側にかきだしはじめた。土が少しずつ盛り上がってきて子牛は、はじけるように地表に飛び出す。その余波で消毒のために撒かれていた白い石灰の小さな凝固片があたりに飛散した。
 河田は唖然として子牛をじっと見つめた。子牛の目もじっと河田に注がれている。その目は血走っていたが襲ってくる気配はない。
 河田は耐えきれず叫んだ。
「お前は何が言いたいんだ」
 子牛は無反応でじっと河田を見つめ続ける。わずか数秒間の対峙であったがすごく長い時間に思えた。
 やがて動きがあった。子牛が大きな灰色の舌を出したのだ。ところどころに発疹が起き、一部は水泡が破れ真っ赤にただれている。異様な光景に河田は、はっとし後ずさりした。それは口蹄疫の典型的症状なのだ。頭がくらくらし痛みを感じた。
 突然視界は真っ黒に反転し場面が切り替わった。ワクチン接種された牛がトラックに満載され処分場に運ばれてくる。周りがざわめいた。涙を浮かべながら河田は牛が暴れないよう全身で押さえる役割を分担した。殺処分を本能で察知した牛は手元が離れると逃げ回って、追うのに苦労することになる。獣医師が子牛の頚静脈を探りあてパコマという消毒薬を注射する。
 10数秒経過した。ドサッと大きな音を立てて子牛は横倒しになり動かない。その大きな黒目は見開かれたままじっとこちらを見ている。その目には強い怨念が感じられた。河田はその視線に耐えられず目を背けた。当惑していた。どうすればいいのか。呆然と立ち尽くした河田は子牛の処理を見守るのが精一杯だった。殺処分された子牛はダンプキャリーに移され、親牛たちが放擲された掘削溝へと無造作に投下された。
 河田の意識はそこで途絶えた。後に牧場主は次のように説明した。
 戻りが遅いので心配した主人は河田が慰霊碑に行くと聞いていたのでそこへ直行した。車のライトをロングにして付近を照らすと、何やら横たわるものが見えた。車から降りてあたりを見回す。やがて夜露の湿り気を帯びて倒れている河田を発見し抱き起こした。主人は冷たくなった河田の背中を辛抱強くさすった。やがてその顔は赤みをさしてきた。そのときは安堵のため息をついたと。
 意識を回復した河田は、あの子牛の目は忘れていなかった。河田が頼まれて埋却地の確保に奔走したのは確かだ。そして口蹄疫にかかった牛の写真を入手し事実の究明にうごいていたことも。だが小牛が掘削溝へ投じられた場面は見たことがない。いずれにせよ貧血で幻覚症状に陥ったと河田は考えることにしたが、この強烈な印象は以降記憶から消え去ることはなかった。

初発農場の謎

 平成23年2月下旬、午後5時過ぎ、丸の内のオフイスで50歳台前半とおぼしき男がカシミヤのコートに腕を通しながらビルから現われた。口ひげを生やしたその男はダークブルーのスーツに黄色と褐色で織りなされた縞模様のネクタイを締め、茶褐色の事務鞄を小脇に抱えていた。2月の底冷えがビル風とともにその体格の良いその身体に吹きつける。
 男は身震いしながらあたりを見回すと一呼吸おいた。やがて意を決したのか早足に交差点へと進む。   
 その姿をビルの角から認めた探偵の伊達賢二は思った。5時前に張り込みをして正解だったと。今回の仕事は歩合の営業がとってきた不倫調査で緊急案件だった。

 男の名は向井伸吾、年齢52歳。勤務会社名は大和田商事で勤続16年、肩書きは営業部長。千葉県幕張市在住で夫婦と子供一人が構成員。調査依頼者は奥さんの芳子さんで46歳。調査内容は不倫調査……。 
 伊達はあまり気乗りはしなかったが、生きる糧を得るためには文句は言えない。少しくたびれた黒革の手袋をポケットから取り出し両手に身につける。その間も伊達の視線は前方を歩む男の姿を追っている。10メートルの距離が開く。尾行の開始だ。バッグから黒ぶちのめがねを取り出してかけると、伊達は何食わぬ顔で一定の距離を保ちながら男の背後についた。信号が変わり交差点を渡ると、男は立ち止まり右方向を凝視する。褐色の革ジャンに右手を突っ込んだまま伊達も急いで信号を渡りきり、斜め後方からじっとその挙動を観察した。
 しばらくして男は右手を高く挙げ素早くタクシーに乗り込んだ。伊達は落ち着いて車道ぎわによりタクシーを止める。この日は雨も降らず、幸いにタクシーは簡単に拾えた。肩にかけていた黒色のショルダーバッグを座席に置きながら運転手に言った。
「あの前の車を追ってくれ。但し間隔は少し空けて」
 運転手はバックミラーで伊達の顔を確認したあと、無言でうなずいた。2台のタクシーはつかず離れずの距離を保ち、やがて渋谷のセンター街の手前で止まった。通りは若者たちであふれ、いつもの喧噪があたりを支配している。
 男は近くの銀行にしばらく立ち寄った後、足早に街路灯が並ぶ道玄坂を上り始めた。しばらく直進した後男の足が止まる。どうやら横断歩道を渡って右手に進むようだ。
 今日で3日目か。伊達は男から五人ほど置いた後方にいる。背後を振り向くとぼそっと呟いた。伊達の横には30歳代のパートナーの女性がいつの間にか接近していた。伊達は男を追跡しながら、携帯で適宜情報を入れていたのだ。犬飼美智子はこの道5年になるベテランで、最近はコンビを組むことが多くお互いの気心がわかっていた。
 平行して歩きながら伊達が囁いた。
「早かったね」
「丁度恵比寿にいましたから。水曜日の今日あたりではないかと思っていたけど」
 犬飼美智子は答えながらあごをしゃくった。伊達が振り返ると男は歩道を渡り始めていた。伊達と犬飼はさも夫婦のような格好で肩を並べ男の後を追った。
 この周辺はホテル街だ。不景気でも利用者が減らないのか不夜城の様に林立している。
男は躊躇せず、その一角では地味でこじんまりとした喫茶店に入っていった。犬飼は相棒の顔を探った。伊達は無言で一ブロック先のビルの谷間に犬飼を誘導する。できるだけ目立たないところで、寒い夜風も避けたかった。伊達はショルダーバッグから赤外線カメラを取り出すと、街灯の明かりを頼りに撮影準備に入った。
 20分待った。若い女が男の腰に腕を回し喫茶店から現われる。二人はうつむき加減で
 沈黙したまま肩を並べて歩きだし、やがて吸い込まれるようにホテルの玄関をくぐった。
 伊達はカメラを革ジャンに包む様にして隠し、冷静に数回シャッターを切った。犬飼が先に追跡を開始する。伊達は機敏にバッグを肩にかけ後を追った。

 ホテルから少し離れた先ほどの喫茶店で待機していたときだ。マナーモードにした携帯が、ズボンのポケットの中でぶるぶると振動する。伊達は発信人を確認すると犬飼と顔を見合わせた。
「鎌田社長からだ」
 伊達が電話に応じると、年配女性独特の神経質な声が耳元に響いた。
「調査はどう?」
「はい、先ほど現場を押さえましたよ。証拠写真もOKです」
「そう。よくやったわね。ところで明日朝事務所に寄ってくれる。話があるの」
「わかりました」
 携帯をポケットにしまいながら伊達は犬飼の顔を見た。
「一体なんだろう。現場にまで電話をかけてくるなんて」
「さあ何かしら、最近社長は機嫌良くないから」
 犬飼はけげんな顔つきで首をひねった。

 翌日の早朝、伊達が出社の準備をしていると社長の鎌田から連絡メールが入った。

 尾行調査は相方の犬飼に任して至急、肉牛事業組合の河田理事長を訪問して下さい。住所及び電話番号は下記の通り……。最後に、すまんね。
 伊達は朝の気分が損なわれ思わず愚痴った。
「くそ! 社長は本当に勝手なんだよな。人が何とか案件の目処をつけたというのに」
 不倫調査は、報告後のクライアントの修羅場となる状況を想像すると好きではなかった。
しかし今回はやっと現場を押さえたのだ。できれば相手の女性を特定し報告まで持っていきたかった。中途半端な気持ちのわだかまりを抱えたまま伊達はマンションを出た。
 新橋駅前の汽車を展示している公園を抜けると、10分ほどで肉牛事業組合の古いビルを見いだした。携帯に記載の住所を頼ってここまできたのだ。内容は全く見当がつかなかった。かといって事務所に電話をかけて、鎌田の威圧的な声を聞く気にもならなかった。
 二階の応接室に案内され着席すると、すぐに河田が入ってきた。浅黒でひき締まった顔立ちの河田は真っ白い頭髪をし、60歳過ぎと思われた。挨拶もそこそこに河田は用件を切り出した。
「昨年宮崎県で起きた口蹄疫の調査をお願いしたいのです。結構報道されましたので、内容はご存じかと思いますが」
 伊達はうなずいた。本当は「多少は」と言うべきだったのだが体が反応していた。
 やむなく伊達は切り返した。
「私にどんな調査を?」
「なるほど。面識もないのにどうして、ということですな。実は二日前、あなたが書かれた鳥インフルエンザの資料を鎌田さんから見せて頂きましてね」
「はあ」伊達はいぶかった。
 社長の鎌田と河田理事長の関係が分からなかったのと、急に鳥インフルエンザが登場してきたからだ。
「ええ、かなり前ですが」
 鳥インフルエンザは一時期ヨーロッパや中国、韓国で感染が拡大し、学者の間ではパンデミック(感染爆発)が起きる可能性があると論じられていた。そのころに鎌田の指示で伊達は調査リポートを纏めたことを思い出した。
 河田は伊達の困惑を見て取ったかのように説明した。
「鎌田社長さんとは、議員会館の食堂で隣どうしの席になったんです。そのご縁でおつきあいがあります。宮崎県では今、鳥インフルエンザが発生していますね。それと同じウイルス感染の口蹄疫ですが、納得いかない点がありまして」
「それは確か昨年8月に、県知事の終息宣言が出されたのでは?」
 伊達はかすかに残っていた記憶を何とか引きだした。
 河田はうなずいた。
「それは形式的なものです。肝心な問題は未解決のままです。それは二点あります。一つは初期の発生農場はどこか、ということです。これがはっきりしないと感染ルートが明確になりません。なぜ初発となったのか、又そこからどういう経路で伝播していったのかということです。二つ目は責任の問題です。児湯郡の川南町を中心に広がった今回の出来事は、偶発的な面と人為的ミスが複合しているんです。事前予測の仕方、危機管理能力、初動の迅速な対応があれば、少なくとも29万頭もの家畜を犠牲にしなくてもすんだのです。それなのに宮崎県の施政者は誰一人として、被害者に謝罪もしていないし、責任も取っていないのですよ」河田の言葉には、怒りを感じさせるものがあった。
「確かに……」伊達は添える言葉を失った。
 河田は穏やかな顔でじっと伊達を見つめている。
「口蹄疫の終息後に、国と県から報告書が出されました。地元の被害者は国が推定した結論には怒っていました。最初の発生農家を都農町の水牛飼育農家としていたからです。今年1月に公表された県の報告では他の牧場も可能性があるとしていますが、はっきりしません。状況証拠からいえば後者が疑われてしかるべきだと思います。しかし残念ながら物証がないんです。更に悪いことは県の監督官庁が十分な調査をしていません」
 河田はそっとタバコを取り出して火をつけるとゆっくり煙を吐き出した。
「それで何とか真実を明らかに出来ないものかと考えてみました。鎌田さんにお話すると、あなたの資料があると思いつかれましてね。お借りし少し読ませて頂きましたよ。ウイルスという関連性から私はあなたにこの問題を探って頂きたいのです」
自信はなかったが河田の言い分は理解できた。
「分かりました。お引き受けします。ところで鎌田社長には?」
 河田は微笑んだ。
「ああ、鎌田さんはあなた次第だとおっしゃっていましたよ」
「そうですか。わかりました」
「ところで宮崎へは何時行かれます?」
「えー、そうですね。明後日にでも」気合いで返していた。
 河田は机の引出から一枚のメモを取り出し帰り際の伊達に手渡した。
「氏名と電話番号です。彼は口蹄疫被害者協議会の幹部です。私の方から連絡しておきますから、コンタクトを取って下さい。きっとお役にたちます」
 伊達は受けとるとメモにある氏名を頭に刻み、素早くスーツの左内ポケットにしまい込んだ。

 翌日の朝、新浦安の事務所で。
「はい、鎌田探偵事務所で御座います。ええ、業務内容としては離婚調査、浮気調査なども致しますよ。それに…… あ、そうですか。場所は京葉線の新浦安駅を降りて頂いて徒歩10分の所です……」
厚手の赤い派手なセーターを着込んだ女社長の鎌田綾子は愛想良くクライアントの電話に応対していた。だが受話器を置くと、人が変わったように眉間に皺を寄せ伊達に向き直った。
 伊達の容貌はやや太めの眉に、時に人を射るような黒い瞳、鼻と口は一体となって意思の強さを思わせた。しかし目尻の皺と鼻の下の無精髭が妙に調和していて、人に警戒心を起こさせるのを抑制している。鎌田は探るような目つきで背の高い伊達を見あげた。
「昨日、肉牛事業組合の河田理事長にお会いしたの?」
「ええ」
「それで、牛や牧場に関する知識はあるの?」
「いえ、あまり。ただ理事長からは牧場主のリストとその電話番号を書いたメモを頂いています」
 伊達は思った。いやらしい質問をする上司だ。俺の経歴は分かっているはずなのに。
「ふーん。それであんた、現場の児湯郡って知っているの?」
「いや、今から調べようと」
 鎌田は少しいらだってきた。
「宮崎へ行ったことはあるでしょう。土地勘って言葉があるからね」
「いえ、まったく」
 口答えをしたくなったが抑えた。申し訳なさそうに首を振ってみせた。宮崎県に足を踏み入れたことはなかったが、伊達としても成算がないわけではない。地元の新聞社の社会部に属している大学の先輩、矢澤にはすでにコンタクトをしていた。
 鎌田は返事を保留して、窓から見える公園の風景をじっと見入っていた。鎌田が何を考えているかは窺うすべもない。やむなく伊達も鎌田の視線の先に目を転じた。
 雲の隙間から射し込む朝日が風でひらひらと舞い落ちる幾枚かの葉を赤く染める。、公園内部は、昨日の昼間子供達が歓声をあげて遊んでいたとは思われない静寂さを保っている。風でかすかに揺れる古びたブランコの踏み台がきしんだ。沈黙の重くるしい空気に耐えきれず、伊達がことばを発しようとした時だ。
 鎌田が振り返った。
「いいわ、行ってらっしやい。河田さんがそれでいいと言うんだから。そのかわり結果を出さなきや、来月の給料はないよ」
そう言うと大きなため息をつき、ほっそりした事務の横山みずきにうなずいた。そして80キロ近い巨体を揺さぶりながら社長室に戻っていった。
「いやー、ほんとにうるさいな」
 伊達が横山みずきのデスクに進もうとしたとき、鎌田が部屋のドアを半分開けたまま伊達を見ている。
「何か言った?」
「いえ、なにも」
 伊達は色白で小柄な、23歳になったばかりの横山にウインクしながら答えた。身長1メートル80センチの伊達は、大学生の頃サッカー部に所属しフォワードを分担していた。その時期は赤黒い顔で太股のあたりは筋肉が盛り上がっていたが、20年近くも経過すると、その後の運動不足で肌は白くなり最近では下腹が目立つようになっていた。長い独身生活での自由勝手な食事スタイルがそうしたともいえる。
 ドアの閉まる音を耳にすると、横山は伊達のほうに向き直り少し厚めの封筒を見せた。
「宮崎市までの往復の航空券と、仮払金ね。それとホテルは高鍋町の葵を予約しました。あ、それから宮崎県の地図を買って中に入れてありますから」
 伊達はうなずき横山が差し出した柔らかな細い指先からそっと封筒を抜き取りながら、謝謝と中国語で返す。中身をあらためていると、鎌田がドアを開けて言った。
「これを持って行きなさい。郷田という政治に詳しい土地の古老への紹介状よ。相手の名刺のコピーを入れといたから。住所と電話番号は分かるでしょう」
 今度は「感謝します」と鎌田に両手をあわせ、伊達は明日の準備のためそそくさと同じ新浦安にある築20年のマンションに帰った。事務所は連絡場所としての扱いで、伊達の本拠地は2DKの一室であった。その夜は遅くまで、一昨日河田徹から受け取った国と県の口蹄疫に関する分厚いコピーにじっくり目を通さねばならなかった。

宮崎へ
 2月25日、空港につくと先輩の矢澤に指示されていた通り、伊達はトヨタのレンタカーを借りると一路宮崎市内のレストランに向かった。当日は冬でも宮崎は16度とその時期の気温としてはひどく暖かい。重いコートを手に提げないで動ける車に感謝だ。またナビのお陰で無事指定された場所に到着した。何せ伊達は方向音痴であり、昨夜の心配事の一つでもあった。懸念することは実はもう一つあった。それは矢澤、その人の性格だ。
 一年前に会った時はシニカルな印象を抱いた。確かに知性を感じさせる言い方なのだが、どことなく人を突き放して見る。しかも伊達の考え方とは、少し角度が異なるものの考え方をする。そのあたりが多少気障りであった。しかし少し時間をおいて考えると、表現の仕方はともかく、正論だなと思わされる事があったのも事実だ。そんな肌合いの異なる人間にスタートでうまく自分を調和させることが出来るか不安だった。
 11時半きっかりに車を予定地に駐車させたとき、矢澤が笑顔で玄関口に出てきていた。
 ゴルフで日焼けしたあから顔で矢澤が言った。以前より貫禄が出てきて野太い声だ。
「一年ぶりですかね。ところでおまえさん少し太ったな」
「いや先輩こそ」
 一年前大学の懇親会が新宿の中華飯店で開かれ、そこで再会して以来の事だった。
「ま、中に入りましょう」矢澤が伊達の肩を軽く叩いた。
 二人は奥の仕切られた座敷に上がると、テーブルをはさんで向かい合った。
 先輩後輩といっても年月がたっている。矢澤は以前より丁寧な口調で伊達に対応した。
「宮崎は初めてなんですって」
「ええ。でもあったかいですね。とても2月末の気候とは思えないですよ」
「そうなんだ。この温暖な気候が宮崎人を作っているんだけど」
 矢澤は何か言いたそうだったが、口をつぐんだ。
 伊達は内部を一瞥した。どちらかというとファミリーレストランに近い造作だが、幸い客は少なかった。ここで3泊4日の旅程を検討するのだ。赤子が泣いたり、子供が店内を走り回っては話にならない。
 矢澤はゆっくりと話を始めた。
「問題の口蹄疫の流行は、4月20日から8月の終息宣言までの4ヶ月間だった。ですが7月からの一ヶ月は大事を取った様子見期間として実質3ヶ月間です。もし全体像を探るとなれば少なくとも3回は現地訪問が必要だろうね」
「1ヶ月分を一回の訪問で調べるということですか?」
「そうなるね」
 伊達は頷く。矢澤の言葉は覚悟して取りかかれという意味に受け止めた。
「初の訪問だと地理を頭に入れとかないと」
 矢澤は手近にあった紙ナプキンを一枚無造作に取り、児湯郡と書いた。
「ことうぐん」と読むんですか? の問いに矢澤は薄笑いを浮かべる。
「いや、こゆぐんだ。宮崎では独特の地名、人名があるんですよ。注意する点だね」
「はあ」伊達の声に力がなくなった。
 矢澤はお構いなしに簡単な地図を書き、伊達の顔を見ながら説明した。
「児湯郡は人口約7万4千人で五町一村から成り立っている。車だと宮崎市内を大分県に向かって北上していけば簡単です。その幹線道路は10号線。宮崎市を過ぎると新富町、次が高鍋町、更に進むと川南町だ。そのやや左上に都農町が位置し、高鍋と川南の左手に両町を挟むように木城町。今回、西米良村は感染していないので無視していいでしょう。口蹄疫の感染は都農町、川南町、高鍋町へと順次進行していった。本丸は川南町でその中心が山本地区です」
「国の資料を見ましたが、確かに川南町の被害はすさまじいものでしたね」
「ええ、そのとおり」
 矢澤は天井を見上げて言った。まるで往時を回想しているかのようだ。
「戦争なんだ、当時はね……」数秒だが矢澤は沈黙した。
やがて思い直したように、これは牛の基礎知識だとして知っておくべき事を話始めた。その方面にうとい伊達への配慮だ。
「ここは黒毛和牛が中心ですよ。また、神戸牛とか言うのは、子牛を20ヶ月以上飼育した場合にその地区の名が付けられることになっていて神戸で出産から育てた牛ではないんです。その役割は宮崎が受け持っているということ」
「なるほど。わかりました。ところで畜産関係の宮崎県における行政組織はどう……?」
「獣医師から話しましょうか。資格試験があって、合格すると個人で動物病院を経営することが出来ます。そのうえ個別に各農場と契約すれば、獣医師として牛や豚などの健康管理に従事できる。一方で県の職員として家畜保険所などに勤務する者もいるね。そういった獣医師や家畜保健所を指導、支援する立場にあるのが県の畜産課ですわ」
「そういうことですか、畜産課は畜産行政の統括部署という立場ですね」
「その通りなんだが……」
 右手を首すじにあてたまま矢澤は話題を変えた。
「初発場所を特定するということだったけど、何か手がかりは?」 

 口蹄疫の初発場所の解明について、伊達は昨夜それなりの調査方針を決めていた。
資料として国と県の調査報告書を丹念に読み込めば、その中から何か「引っかかることが」必ずあるはずだ。そこを深堀していこうと。ついで現場を見ること。現場で得た直感と被害農家の証言から浮き上がってくるものがあるはず。さらに各農家には獣医師がついている。その獣医師の証言からも得るものがあるのではないかと。
 そうした伊達の考えを説明すると、矢澤は賛意を示した。
「だが一言注意点がある。これはキーワードと言っても良いかもしれない」
 一体何だ。伊達はいぶかった。
 矢澤はきっぱりと言った。
「日付が重要なんです。これに最大の注意を払って欲しい。もしそれが前後すると真実は180度違ったものになる可能性も」
「日付がポイントに」
 伊達はその言葉をじっと胸にしまい込んだ。
 足音がする。中年の女性だ。二人があまりに真剣に話合っているので、オーダーを取るのをためらったらしい。矢澤が胸肉使用のチキン南蛮をというので伊達も同じものを依頼する。飲み物はコーヒーをオーダーした。そのとき一組のカップルが通路を隔てた向いに席をとった。伊達は矢澤との会話をしばらく中断した。

 矢澤はブラックのコーヒーを飲む手を止め伊達に尋ねた。
「今日の泊まりは?」
「高鍋町の葵を取ってあります。一応3泊です」
 矢澤はナイフとフォークを器用に動かしてチキン南蛮を口にいれながらつぶやいた。
「高鍋町か。ここを寝城に都農、川南と調べるのは効率的だな。ところで現地の案内はどうなってるの?」
「河田理事長から現地の牧場主を紹介してもらっています」
「そう、いいね。闇雲に動いても相手にされないだろうから」
 伊達は頷いた。
「それに口蹄疫では初動の遅れが問題視されている。このあたりの事情もつきつめたほうがいいかも。最も当時の知事はそのことを否定しているがね」
「わかりました」
「ところでちょっと失礼」
 矢澤が手洗いに起った。
 伊達の食事は進まなかった。事前の調査が不十分な事は明白であった。せめて一週間後に来るべきかとも考えたが笑って打ち消す。九州の問題を関東で考えて解決出来るわけがない。確かに不安もあった。果たしてこの任務を達成できるのか?
 矢澤が戻ってきた。
「思い出した。川南町というのはね、開拓村だったんだ。いつ頃からか全国からやってきた人々が荒れ地を開拓していったんだな。 そして高地で牧場を始めた。もっとも、日向灘に面した海岸線は漁港ですよ。山地の牧場に立って見る眺めは爽快だ」
「せっかく観光の町に来たんですがね」
 伊達は始めて笑顔をみせた。
 出口で矢澤は言った。
「何か困ったら名刺に書いている携帯に連絡して。すぐ対応できるかわからないが、極力応援するから。それと川南町の大規模農場とは大和田牧場のことだ。これについては別途資料をそろえておくよ。時間が空けば届けましょう」
 駐車場で感謝の握手を求める伊達の手に軽く触れると、矢澤は「じゃあ、また」と言って去っていった。伊達はリア・ミラーで遠ざかる矢澤の姿を追いながら、安堵のため息を吐いた。気難しいと感じていた矢澤の協力が得られた。初め良ければ終り良しだな。そうつぶやきながら車を発進させた。


現地調査(石井の案内)
 伊達は10号線を一路北上し、ナビのお陰でさしたるトラブルもなくホテルに到着した。
チェックインをすませるとしばらくロビーにいた。ビジネスホテルなので、初っぱなから狭い部屋に引きこもる気にならなかったのだ。旅行カバンから昨夜おさらいした国の調査報告書をとりだし、発生確認日ごとの事例をまとめた資料に目を通す。伊達は嫌な予感がした。292事例のうち、所在地がほとんどのページに川南町と書いてある。ざっと見ても200例以上が川南か。実態が分かってくると内心の弱気がささやく。国や県が調べてはっきりした結論がでないものを、個人がいったいどうやって解決するというんだ。しかも3泊4日で。もし失敗したら物見遊山の旅として、鎌田社長はなんと言うだろう? 他方で強気が脳細胞を刺激した。馬鹿だなお前は。今までも何とかやってきたじゃないか。無鉄砲でも楽天的なところがお前さんのとりえだろ。自分を信じてグイグイ押していけ! 
 とりあえず的を絞れ。本丸を攻めろ。伊達は心のアクセルを強く踏み込んだ。

 宮崎市内を出る時電話で依頼していた時間通り、午後2時に男がホテルに現れた。上背はないが、牧童らしいがっちりした体格の男が笑みをかえす。伊達は軽く手を振って確認した。
「石井さんですか?」
浅黒い角型の顔で太い眉毛が特徴的な男は答えた。年齢は50歳前後か。
「木城町の石井です。河田理事長から伺っています」
 伊達はほっとした。思わず口元がほころぶ。今後の行動をすり合わせる為、伊達はホテル内の瀟洒なカフェに誘った。石井はうなずく。レストラン兼用のやや狭く感じる室内だが客はいなかった。内部に足を一歩踏み入れたとき伊達は壁に飾られた絵画に興味を惹かれた。中央に位置する白色の壁にルドンの複製画が2枚並んでいる。1枚は黒色の巨大な目玉が描かれた奇抜なものだ。その横の絵は目を閉じた女性が描かれ、かしげた首筋から下は湯船に浸かっている。一瞥後、石井に手前の窓際の席をすすめた。目玉にじっと凝視されては落ち着かないと思った。
 二人は洒落た北欧風の丈が高い赤褐色の椅子に座る。すぐに伊達は確認した。
「木城町はそれほど被害はなかったんですよね」
「ええ、牛で1件、豚で2件の発生が確認された程度ですわ」
「そんなものですか。ではウイルスの伝播経路全般についてお話を伺いたいのですが」
 石井は淡々と語った。
「国の疫学調査によると4月20日に都農町、そして川南町で21日に発覚しました。その後飛び火して、かなり離れたえびの市で28日に、次いで高鍋町に拡大したのが5月16日です。そのころ中心地の川南町は騒然としていましたがね」
 一呼吸置いて石井が続ける。
「それから翌々日の5月18日に新富町が、そして21日に西都市と私がいる木城町に感染しました。この2町の発生数自体はたいしたことはないです。次いで宮崎市、都城市、日向市に広がり、それで終息しました」
「児湯郡が中心だったというのがわかりますね。それでは石井さんの牧場に関し、その当時の状況を」
 石井は頷いた。
「感染拡大を恐れ、木城町の役場は5月20日に町内全部の牛、豚にワクチンを打つ苦渋の決定をしました。私の家に県から派遣された二人の職員が訪れたのは23日です。症状は何も出ていませんが、ワクチンを打つのは殺すということの告知なんです。実はこのときが一番辛かった」
 石井はじっと伊達を見つめ言った。
「そして6月17日ですよ。ついに殺処分の日が来ました。前もって頼んでいた獣医師他二名と、県からは三名の担当者が牧場内で殺処分を行いました。このときは腹をくくっていたので、私はその処理の支援に回ったんです」
「殺処分は何頭に?」
「子牛、親牛をいれて196頭でした」石井は平然と言う。
 
 伊達は当時の石井の胸中を想像していた。牛がいなくなった。それは何を意味するのだろうか? これまでやってきたことが全くの無に帰すだけではなく、今後の生活をどうするかということ。具体的には従業員の処遇、借入金があればどうやって返済するか、獣医師や飼料の業者とのつきあいはなくなり、継続していた肥育牛の取引自体を喪失することを意味する。いや、それ以前に重要なことがある。それは愛情をかけて世話した対象物がいなくなるということだ。残念というより情けない、悔しいという思いだ。途方に暮れ何をすることもなく家で終息を待ち望み、農家は毎日酒を飲んでいたという。
 中年の女性が運んできたコーヒーが二人の丸テーブルの席に置かれる。伊達は砂糖を入れながら石井の顔を窺った。
「補償金はきちんと支払われましたか?」
「ええ、補償はワクチン接種農家と発生農家になされ、共済保険に六ヶ月以上加入していた人には規定に従い支払われました。また有難いことに全国からの義捐金も分配されています」
「そうですか。よかったですね」
 伊達は素直に喜んだ。
 石井がコーヒーの香りを嗅ぎながら一口飲んだ。そっと受け皿に置き伊達に確認する。
「今回の目的は初発の解明ということでしたかね?」
「そうです。第一例から七例の農場を回ってみたいと考えています」
「では、まず整理してみましょうか。これは友人が作った自農場を防疫したときの川南町の地図です」
 石井は持参したA4のコピー紙をファイルから取り出すと、そっと机の上に置いた。
「山本地区は県道40号線と307号線が交差する付近にあります。そのあたりは平地でして、農場と畑が広がっています。で、ここが生活道路と言われる道路です」
 石井は人差し指で示した。
「その道路の両側に左から順に二、七、三、一一例目と短時間に発生しています」
「4ヶ所も」
「ええ、さらに二例目の一区画上には四例目が、またそれと向き合うように五例目がね」
 伊達はコーヒーのカップを口元に持っていった。そのカップの横には柄のついた2粒の赤いチェリーが愛らしく描かれていたが、一瞥しただけで目は発生場所を順に追っていた。
「要するに半径2百メートルの円周内に6ヶ所の現場がほぼ連続的に発生ですか」
 伊達は自分でも驚いていた。理解度は調査報告書の文字を目で追うのと図を見るのとでは格段の差だ。それで気がついた。確か国が作った報告書の最後に図がついていたはずだ。ぱらぱらと頁をめくって伝播経路図を探り当てた。それは第1例から第十三例目までの関連図だ。
 石井がうなずいた。
「うん。これだと感染ルートの近景と遠景の比較ができますね」
「そうです」コーヒーカップを元に戻し、図を見ながら付け足した。
「石井さん、七例目と9百メートルの距離に八例目の農場がある。しかし70キロメートル離れたえびの市での発生は九例目だ。なにか変だね」
 石井は鼻息を出した。
「ふーん。離れていますね」
 伊達は報告書の経路図を手元に引き寄せ見つめた。
「いや、よく見るとこれは七例目の関連農場ですよ。ほら、ここに七例目の運搬車が立ち寄ったと書いてある」
「どこに?」
「ここ、この小さな枠の小文字で」
 石井は目を見開き頷いた。
「なるほどそうだ」
 伊達は都農町と書いてある書き込みに目を移す。
「第一例と第六例の間は350メートルですか。ここと第七例の川南の現場とは2キロメートルとなっていますね。なんだ、町名が変っても大した距離じゃないわけだ」
「都農と川南とは隣町ですから」そう答えながら伊達の顔を見た。
「もしよければ今から見に行きますか?」
 伊達は頷いた。
 高鍋町から北に10号線を進むと川南町に入る。右手の川南町役場を過ぎたところで前方を走っていたバスが停車した。バス停の看板が目に入りトロン、トロンとの表示。珍しいので予定を少し変更して役所内にある観光協会に立ち寄ってみた。笑顔のかわいい20歳前後の女性が説明してくれる。
「地名の由来は江戸時代の参勤交代の折、行列がこの地を水のみ場として利用したんです。そのとき水音がトロン、トロンと聞こえたんですね。その語調が長旅の疲れを癒してくれるとして名づけられたそうです」
「水音がトロン、トロンですか。トロン、トロンの水音」
 伊達はゆっくりと2度繰り返しながら情景を想像してみた。
半分に切った竹筒の中を、小さな滝から流れ出た清流がゆったりと流れていき水飲み場に落ちていく。その近くで待合いの人が大きな岩に腰掛け相手が来るのをじっと待っている。そんな平和な光景が思い浮かんだ。もっともそれは、一年前の騒然とした川南町の状況とは対極をなすものであったが。

*国の調査報告書「口蹄疫の疫学調査に係る中間取りまとめ」
 資料7の図を参考とした。番号は発生確認日




 川南から都農へは2キロメートルの距離だが、現場へは地図にない道を行くという。
だが石井の運転ですぐに移動出来た。都農の町中を過ぎ、トラック1 台が通れるほどの杉並木の山道を登っていくと、傾斜が緩やかな上りになる。そのあたりには農家は一軒も見当たらない。聞こえてくるのは風で揺らぐ木々の葉ずれの音、それに時折鳴く鳥の声だけだ。石井は助手席の伊達の横顔を見やった。
「もうすぐです」
 その分れ道を左折すると六例目の農家に行き当たるはずだった。
 石井の甲高い声が響いた。
「あかん、どげんすと。残念ながら通行止めですわ」
 助手席の伊達は左手先にある看板を見た。
「仕方ないですね。諦めて第一例に行きましょう」
 第六例目は問題となっている感染初発農場なのだ。実地に現場を見れないのは残念だが伊達は断念した。
さらに進むと道が狭くなった。車は二股の道を右折、そのすぐ先を左折して下りの道を進む。余計なことだがこんな場所に人が住むのかという気もする。山道はさらに細くなり
 このあたりは小型車しか通れない。伊達は車酔いに近い感覚を感じていた。我慢していると急坂を下ったところでやっと一例目の農家に行きついた。
 車から降りたった二人を見つけると2匹の子犬が狂ったように吠え、飛び跳ねてきた。
あいにくご主人は不在で奥さんが対応してくれる。山里で、人を見ることが少ないため犬が興奮しているのだという。伊達はじゃれる犬をかまいながら、60歳ぐらいの小柄な奥さんに質問することにした。一年近く前の話であるにもかかわらず、奥さんは当時の状況をよく覚えていた。伊達は牛の発症状況、獣医師や家畜保健所の対応について質問しながら、メモに書き取った。不在の専属獣医師には別の機会に聞き取りをすることにした。
 一区切りつくと、伊達は家の前庭に立って周囲を見回す。決して大きな牧場ではないのにあたりに閑散とした空気が漂っていることに気づいた。興奮した犬に気を取られていたのも一因かもしれない。
 住居の正面にある8頭いた牛舎はがらんとしており、右手の3百坪ほどの急な傾斜地にある牧草畑には雑草が生い茂っている。庭の左手に位置する牛舎でも同じく8頭飼っていたというが、今はそこも白い石灰が薄汚れて残っているだけで、主の姿を見ることは無かった。
 伊達にはなんともいえない寂寥感が残る。2匹の子犬がなぜあんなに狂ったようにじゃれてきたのか、原因がわかった気がした。木々の間をひんやりとした風がよく通る。ここは山の中腹でも、くぼ地にあたる。近隣であれば風でウイルスが伝播するのは容易であろう。だが伊達には腑に落ちない思いが残った。気さくな奥さんに礼を言って2人はその場を去った。
 帰途、伊達は石井に尋ねた。
「見れなかった第六例への対応は?」
「農家は水牛の放牧をあきらめたのかも知れません。専属の獣医師に話が聞けないか、帰って確認します」
「それはありがたい。しかしこんな山中に口蹄疫が初発で起きるとは、とても思えないが」
「そうですよ……」
 石井は答えつつも言葉を飲み込んだ様子。どこかで彼の言い分は聞かねばならないとは考えたが、それ以上突っ込まなかった。
それよりも伊達は体の異常を感じ取っていた。先ほどからやけに目が痛い。鼻がつまり、くしゃみがでる。何かを考えようとする力も、鼻づまりのせいで出てこない。体がやばいと訴えていた。原因は杉花粉だ。
 冬の夕闇が迫ってきた。車は307号線に戻り、碁盤の目のように区画整理された川南町の田畑の間を走った。しばらくして高くそびえた鉄塔の近くで止まる。車内から石井は指さした。
「この角地が十一例目です。その20メートル先の右手が第三例目だな」
話しながらもゆっくり車は進んだ。そして100メートルぐらい行ったところで停車した。石井は伊達に下車する合図を送りながらドアを開けて降り立ち、そっけなく言い放った。
「ここが大和田の第七牧場です。県内に13ヶ所牧場を持っていますがその一つですよ」
「第七例目で700頭以上の牛が殺処分された、あれ」
「ええ、問題の」
 ここが初発地かもしれない牧場か、小声でつぶやきながら伊達は柵の周囲を歩いた。牧舎は静まりかえり牛や人の気配は全く感じられない。車のサーチライトが、柵の向うに撒かれた白い石灰を不気味に照らした。
 宮崎と言えど夕刻からは冷えが厳しい。伊達は寒気を感じていた。石井はそれを察知して車内に戻りましょうと言った。石井は車を暖房に切り替えながらアクセルを軽めに踏み、数十メートル過ぎたところで話した。
「あ、今通過しましたが左手の牛舎が第二例目です。たしか、七十頭弱の被害だったと思います」伊達は軽くうなずいた。
車は高鍋町のホテル葵に到着した。時間は午後6時を回っていた。石井は食事に行きましょうと誘ってくれたが、花粉症がひどく鼻詰まりがおさまらない。心遣いは感謝して、食事も取らず早々とベッドで寝入った。
 伊達は夜ふけに目覚めた。目の痛みを取るため顔を洗い、うがいを3回すると鼻への空気の通りは良くなった。だが今度は寝付けなくなる。「作用があれば反作用もか。 自然の法則だな」ぽつんと呟いた。やむなく室内のバスタブに目一杯湯を注ぎ、その中にどっぷり浸かる。その湯水は音を立てて周囲へ勢いよく溢れた。

2日目
 早朝伊達は、都農町の第一例を担当していた30歳台前半とみえる緑川獣医師とホテルで会っていた。石井が調査の趣旨を相手に伝え、伊達の単独会見をセットしたのだ。  
小柄でほっそりした、見た目に神経質そうな獣医師だったが、伊達の要請に快く応じてくれた。伊達はワクチンに関する疑問をぶつけてみた。
「どうしてワクチンを打って殺処分するのですか? 人間の場合は治療薬ですよね」
 逆に緑川獣医師が尋ねる。
「ウイルスの恐怖ってわかりますか?」
「いや」伊達は頭を振った。
「牛の場合、風邪と同じく放っておけばやがて完治します。だが口蹄疫に一度でも感染したら、それはウイルスを持っていることになる。その後はいつどのような条件が引き金となって他に感染するか分からないんです。それで蔓延を防ぐ意味でも殺処分するわけです」
「予知はできないのですか?」
「口蹄疫ウイルスは見えない敵です。残念ながら、感染が発覚するまで簡単に感知できる方法は無いということです。」
「いつ、どういう経路で侵入してくるのかがまったくつかめないと聞きますが?」
「そうですね。目に見えないという、そのことが人間には脅威だし、また同じ畜舎の家畜でも全頭一斉に発生するわけでもない。牛の場合だと、感染後1週間は体調が悪くなるが、2週間目には風邪の症状が落ち着くように一旦引いていくので、うまく対応できません。その時の農家や関係者の不安と恐怖は大変なものです。それらが積み重なって心身ともに追い込まれてしまうんです」
「はあ、そうですか」
 そう調子をあわせてみても、その目に遭わなければ怖さを実感できないことはわかっていた。緑川は淡々と当時のいきさつを語った。伊達はその質問内容と回答を録音していった。最後に貴重な時間を費やしてくれたことに礼を述べる。
緑川を見送った後、会話の中で気になることがあった。奥さんと緑川の話に、少し食い違いがあることに気づいたのだ。
 インタビューは真実や本音を相手からどれだけ引き出せるか、聞き手にかかるという。時間があけば記憶違いもあるし、勘違いもあったかもしれない。詳細は後日整理することに決めた。
 その後、伊達は河田が紹介した川南の大森農場へと車をとばした。予定は10時到着だったが雨で渋滞していたこともあって5分ほど遅れてしまった。沿線周辺では茶畑の畝が延々と広がっている。後にこの当たり一帯はお茶の特産地と聞いた。
途中、道路脇で鳥インフルエンザの消毒を示す立て看板を見かける。川南町はついていない。口蹄疫の次に鳥インフルエンザとは。時に神様は一方向への試練を連続的に与えるものだが、それにしてもと伊達は思う。

 大森は川南町で牧畜業(肉用牛の繁殖、肥育)を営んでいる。川南町に口蹄疫が発生すると心配で深夜まで牛舎の牛達を見回ってチェックした。しかし4月下旬に自農場の感染を知らされる。その時には「これで解放された」と張り詰めた気持ちが吹っ切れたという。この農場は国の報告では全体で五例目、川南町内で4番目の発生となったところだ。
 昨年の4月から5月初めにかけ、大森は情報に飢え苦悩する仲間達を電話で慰め励ましもした。相手からかかって来た電話は、多い時は20回から30回に及んだ。
 大森の屋敷で伊達は単刀直入に尋ねた。
「まず、経過を教えていただけますか」
60歳以上と思われる小柄な農場主は気さくに質問を受けた。
「口蹄疫発生の時点で県はマニュアルを作成しました。それは10年前の手順を踏んでいて撲滅が目的でしたが、予防の観点が欠けていた。一例目は4月19日に都農町での発生です。20日には川南で二、三例目が発生しました。そして21日、隣家で発生したとのこと。かれらは消毒作業を行いました」
 大森はお茶を一口すすると続けた。
「五例目は22日に起きました。自分のところです。朝方突然牛に異変が起きたんです。牛は涎を垂らし、40・3度の発熱がありました。私はすぐに川南の契約コンサルタントに相談します。それから家保(家畜保健所)が11時半に来てくれました。家保は牛の血液を採って、翌日夕方に陽性と連絡してきました。さすがにこの時はパニックになりましたよ」
だが伊達も混乱した。大森の話は国の報告書よりも一日早いのだ。後から分かったが国は検査結果の確定日を基準としている。大森は症状が現れた日を言っているのだ。
 同様なことは材料を集めているうち何度か起きた。
 伊達は質問を続けた。
「殺処分はされたんですよね」
「24日に家保と殺処分の段取りを打ち合わせ、午後石灰を散布しました。25日に76頭を3ヶ所に分けて、埋設したんです。場所は二例目、三例目と同じ場所です」
「隣家で口蹄疫が発生した時点で、何らかの情報はもらえましたか?」
「いえ、家保からは何もありません」
 大森は苦渋の笑いを漏らした。個人情報の保護ということだそうだ。
「どうしてわかりました?」
「白い保護服を着た人間が多数その家を囲んで消毒していたからね。そりゃあ、わかりますよ」大森は苦笑した。
「何かカチンと頭にきたことはありますか?」
「もっとも頭に来たことは、前日の21日ですね。町長と話し中に、牛乳配達の車両が目の前の道路を通ったんです。そのときは運転手に大声で怒鳴りました。こんな状況で、役所は道路規制をかけていないんです。ウイルスがどんどん蔓延している時ですよ。このあたりは牧場の観光スポットになっていました。それで町の定期バスなどが、私の牧場の目の前を走っている。車や人がウイルスを拡散するというのに……」
 信じられないという顔つきだ。
「それで、規制はいつから?」
「通行止めとなりバスが運行をやめたのは、25日昼からです」
 伊達は冷静に事態を整理する。
「ちょっと待って下さい。21日に口蹄疫が隣家で発生し、翌22日にお宅で異変が起き、24日に口蹄疫だと確定したんですよね。それで規制が25日ですか?」
 大森は無言でうなずく。その目は役所の不作為への怒りを現している。
この間ウイルスは増殖し蔓延しているかもしれない。いや事実そうであった。それはその後の川南町における悲惨な事実が証明していることだ。
「口蹄疫では初動の遅れが問題視されている」と澤田が語った言葉を伊達は思い出す。それと同時に「マニュアルに予防の観点が欠けていた」と冒頭に大森が言った意味が徐々に飲み込めてきた。
 大森は笑えない話だと言って話題を変えた。
「消毒薬は強い酸性か、アルカリ性のものを使えばよいものを、石灰をまいた後強酸性の消毒薬も散布していたんです。念押しの意味で」
「それはわかります。中和して薬の効果がなくなるんですね」
「そうなんです。農家は必死でしたから笑えないんです」
「まあそうですね」
 伊達は現状の様子を尋ねた。
「現在の飼育状況は?」
「牛は現在15頭を保有しています」
「76頭が0になり、今15頭に」
「そうです」
「ずいぶん頑張られたですね」
 伊達は理解できた。比喩が適切ではないかもしれないが、こういうことだ。会社に問題が起きて76百万円の売上げが全く無くなり、再起して15百万円の売上に戻したと。その間の農家の不安と苦労はどんなものか想像出来る。頃合と見て伊達は大森に礼を述べホテルに戻った。
 夕暮れになると、石井から連絡が入りやんわりと食事に誘ってくれた。
「今日はお付き合いくださいよ」
 花粉症がひどくなってきたが伊達に否応はない。ありがたく受けることにした。
 高鍋町のホテルをすぐ左手に出ると、ネオンがきらめき、あたりに食事処と飲み屋が広がっている。しかし口蹄疫が拡大していたころは、このあたり一帯は閑古鳥が鳴いていたという。口蹄疫の恐ろしい点は、単に畜産家に被害を及ぼすだけでなく、観光業や商工業全般にまで拡大するということだ。
 石井は伊達を連れてビルの一階角にある小料理屋に入った。暖簾をくぐるとアルコールとタバコ、それに人息が絡み合う独特のにおいを感じた。
「いらっしゃい」適度に張りのある板前の声が返ってくる。
 縦7メートルほどの細長いコの字型のカウンターが入り口に向かって張り出していたが、それらの席はほとんど満席だった。奥に6、7畳程度の座敷があり、折良く角があいていた。二人はそこに腰を下ろす。
生ビールのジョッキを手にして伊達は話を始めた。
「ニュースで知ったんですが、新燃岳の噴火はどうですか?」
「20年前に雲仙の普賢岳で火砕流が発生したこともあるので心配しましたね。今回の新燃岳の噴火はテレビで見ました。黒煙を上げながら、赤い灼熱の溶岩が流れ落ちていくさまは怖かったです」
「何か被害はありましたか?」
「いえ、こちらでは空気の振動が伝わってきたり風に乗って灰が舞い落ちたりしましたが、そんな程度で今はなんとか収まっています」
「ところで河田理事長とのお付き合いは何時から?」
「河田さんとは昨年5月中旬にかけて、口蹄疫の実態把握に新富町と木城町を回ったんです。その縁で以後もおつきあいさせてもらっています」
「国が関与する口蹄疫の情報は河田さんから得たんですか?」
「はい。行動力があり頼りになる方です
「なるほど」
このときアルバイトとおぼしき女の子が地鶏の炭火焼きとカツオのたたきをテーブルに置いた。石井はピッチが早い。ビールのお代わりを申し出た。
 伊達は話を続けた。
「話は変わりますが、奥さんとはテレビが縁だと聞いていますが」
 石井は笑っていた。
「40歳のとき嫁さんと結婚したんですが、それは島田紳介のテレビ番組に出演したのが縁でした。現在二人の子どもがいます」
「はあ、テレビ結婚ですか」
 伊達はそう言ってカツオのたたきを口に入れながら思わずうなずく。
「これはうまい」
テレビに映った島田紳介の軽快な語り口と神妙な顔をした石井の顔を瞬間想像した。
「そうですか。それは東北の気仙沼から送られてくるそうです」
「ほう、宮城県から」
 伊達の顔には赤みが差していた。アルコールには弱いのだ。そのせいか、いつの間にか仕事の話に移っていた。
「ところでゴールデン・ウィーク以降の話ですが、感染情報が開示されていなかったとか、それは県では個人情報の保護と言ってますね。しかし実態は情報規制ではないんですか」
「一部の発生農家が中傷や誹謗されたのは確かです。またマスコミの態度も悪かった。
勝手に農家の庭先に大挙して押しかけたり、取材のヘリで騒音をまき散らしたりしましたからね。でも都会と違って隣と言っても田畑がありますが、隣で起きてることが連絡されない事態は異常ではありませんか?」
 伊達はうなずいた。
「制限区域内では感染を恐れ、農家の皆さんは自宅に引きこもることを余儀なくされていましたからね。情報が入らないということは恐怖を増幅しますね。今回の県の対応には皆さん不満だとか?」
「私は不満です。たとえば事業団や農業大学、畜産試験場など公的機関でも口蹄疫が発生したのがわかった時です。そうした機関は模範にならねばならん所でしょう。県の管理の杜撰さにはあきれましたよ。あまりのいい加減さに、自分は単なる牛飼いだがあなた方は何なんだ? と感じたほどです」怒りからか石井の声が大きくなった。
「その通りですが、それでも責任を認めないのは公務員の責任逃れでは」
「そう。民間の会社ではありえないでしょう」
 伊達と違って石井は酒に強い。お代わりしたジョッキを飲み干しても態度はほとんど変わらなかった。
「昨年の出来事には畜産を引退していたお年寄りもがっかりされたとか?」
「はい、年寄りは出荷を考えるのではなく、育児とか家族と言った形で牛との付き合いをするんです。経営は赤字でもいいんですよ。それを殺処分したわけですから」
 石井は寂しく笑った。伊達は無言で頭を振るだけだ。それでも聞いてみた。
「今の経営状況は?」
 質問した瞬間、伊達は恐れを抱いた。自分は人の心を傷つけるようなことを、平気で尋ねているのではないかと。言い換えれば、過去の忘れたいことをあえて蒸し返しているのではないかと。
 石井は、そんなことは通り越したよと言わんばかりに笑みを浮かべた。
「以前いた牛の70%ぐらいの数まで戻ってきましたよ。それは借金がなかったからですけど」
「ほう、それはよかったですね」
 正直伊達は安堵した。

 深夜急に目覚めて、ベッドのそばのスイッチを手探りであたる。人差し指に引っかかりを感じ、幸い押すとライトがついた。出張中には良くある、ベッドが変わると眠れなくなるという習性だった。こうなると深夜の静寂ばかり感じてしばらくは寝付けない。
伊達はやおら起きあがって時計を見た。「まだ2時か」ぼそっと呟き、パソコンの電源を入れた。インターネットで「宮崎県・口蹄疫」を検索する。何か参考になる記事が欲しかったが、それらしいものがない。やむなく検索の表題をいじくり回しているうちに気になるブログを見つけた。
 川南町の牧場主が5月10日ごろの状況をつづった詩のようなブログだ。「地獄・……」と題されたそれは、風評被害を恐れての報道規制、それによる農家の不安の増幅,役所の初期対応の遅れへの批判、政治家への不信感の表明など口蹄疫の見えない恐怖と役所への訴えが見事に表現されている。体験はしていなくとも、訴える真実はわかった。
伊達は興奮して余計に寝付けなくなる。それに花粉症が追い打ちをかけた。結局睡眠時間は3時間となった。

3日目
 翌朝はやく、ナビをセットし伊達は木城町へ車を走らせた。石井の家で第六例目の須藤獣医師に面談できると聞いていたからだ。木城町は宮崎県の中央部にあたり、尾鈴山脈、大瀬内山脈があるなど8割を超える領域が山林地帯だ。そのため牧草地として、ソルゴ、エン麦、とうもろこしなどが植えられるという。しかし冬場なのでこの日はみかんの木が目立った。目的地に到着し車外に出たとき、心地良い寒さを伊達は感じ取った。大きく伸びをし石井宅の呼び鈴を押そうと近づいた時。石井がにゅーっと玄関口から顔をのぞかせる。
「あ、伊達さん。申し訳ない。昨日コンタクトしたんですが、須藤獣医師はあいにく東京出張中だそうです。何でも学会だとか」
「いやー、それは」
「まあ、待って下さい。その代わりと言っては何ですが、宮崎県獣医師会が編纂した『2010年口蹄疫の現場から』という資料に、須藤さんの文章が掲載されているとのことで、それを持ち帰っています」
 石井は一冊の冊子を取り出し伊達に手渡した。
 伊達はそれを受け取り、石井が貼り付けたと思われる付箋の箇所を開いた。
「外ではなんですから」そう言って石井は玄関を入ってすぐ横の土間の応接に伊達を通す。伊達は勧められた長椅子に座ると、須藤が書いた部分を読み始めた。第六例の状況が4頁程度にまとめられている。最後に次のような記述を目にした時、伊達は目を見開いた。

 その後、国の疫学調査チームの中間報告を読んで自分は愕然とした。それは「水牛農場が早くから疑わしい症状が出ていたのを隠していた」という報告だった。自分は家保と疫学調査関係者だけに対応していた。それが、いつのまにか体制の都合に合わせたうわさや中傷が飛び交う事となり、真実が伝わらないと……。
「これだよ、石井さん」伊達は思わず叫んでいた。
「須藤獣医師の文章と、国の該当報告部分を比較して見ればおもしろいかもしれないね。この獣医師はひどく怒っている」
 石井は報告書を覗き込んだ。
「なるほど『体制の都合に合わせたうわさや中傷が飛び交う』というのは尋常ではないですね。問題は誰れが、何の目的でそんなことをするのかということです」
「体制というのも意味深だ」
 二人は顔を見合わせた。
 伊達にとっての僥倖は、この資料が多くの現場に携わった獣医師による生の感想が記されていることだった。簡潔に書いた第一例の若い獣医師の文章も目に入った。はっきり畜産課の現場対応に不満を述べている文章もある。それは獣医師たちが監督官庁に反旗を翻したようなものだ。実際ここまで書くには相当な勇気がいったと思う。逆に言えば彼らも追いつめられていたのかもしれない。なにせ獣医師のクライアントは牧場主なのだから。いずれにせよ、伊達は宝物を入手した。伊達は内心の喜びを胸に秘め、第六例の獣医師の文に再度戻り注意深く読んだ。そして感じたことを石井にそのまま言った。
「都農町の二つの例では、双方の牧場主は牛の異常に早くに気づいてますね。獣医師に何度も往診を依頼していますから。それに国の報告書では県による初動の遅れが指摘されています」
「その通りですよ」
「県知事はマニュアル通り職員(家畜保健所)が処理したと言い張っている。では、責任は誰が負うんですかね」
 石井は言いたい言葉を抑えていた。当事者ではない伊達だが事実が明らかになるにつれ、さすがに行政に対する不信の念がこみ上げてくる。

第七例の検証
 次に伊達は第七例となった大規模農場の検討にとりかかかった。持参したホルダーから資料を引き出す。それは農林水産省の中間報告から伊達がまとめた大和田農場に関するメモだ。
「4月8日から4月24日までの牛に関する記述ですが」伊達がそう言って手渡すと、石井は黙って目を通した。
 
 児湯地区では同一系列の13農場(発生9農場、非発生4農場)があり、全体で約1万5千頭の牛を一名の専属獣医師が担当していた。
(大和田の関連農場は川南、都農、高鍋、新富、木城、西都の五町一市にあるという)
獣医師は通常第二二七例目の農場に詰めており、系列農場間を行き来していることからウイルス伝播の要因となった可能性がある。また従業員が同様に系列農場間を行き来している。
七例目農場はウイルス侵入推定4月1日、推定ウイルス排出日4月5日
         推定発症日4月8日、   発生確認日4月25日    
 川南町ではここが一番目の発症地とされた。但し都農町の二例があるため県全体では発症3番目とされている。以降は発生状況の推移である。
4月8日頃
道路側牛舎の複数頭に食欲不振が確認された。
4月9日以降
多頭数に食欲不振改善薬を投与。
4月13日
食肉処理施設に肥育牛9頭を出荷。当該農場で9頭を積載したのち、同じ車両を用いて九例目(えびの市)で肥育牛3頭を積載した。
4月17日
農場全体で咳・鼻水等の風邪の症状を示す牛が発生。
4月18日~20日
4月8日からの食欲不振と風邪の症状を示す牛が増えたことから、飼養牛全頭に抗生物質を投与。
4月22日午前
道路側牛舎にて発熱、微熱、食欲が落ちた十数頭に流涎、びらんを確認し、本社に報告。
4月23日夜
本社より家保への通報を許可する趣旨の連絡あり。
4月24日朝
家保に通報しようとしたところ、家保から農場に立入検査の連絡(二例目農場と飼料運送車を介した疫学関連農場だったため)があり、その電話で異常牛について報告した。
4月24日午前
家保が立入検査し、半分程度の牛房(畜舎の中を柵などで囲った牛の飼養スペースで肥育牛の場合には、一牛房で数頭から十数頭の牛を飼養するのが通常である)において流涎を示す牛の存在を確認。鼻腔・鼻鏡の潰瘍・びらん、舌の粘膜剥離を確認した5頭について、血液及び鼻腔スワブ(鼻腔内のぬぐい液)を採材する。なお、蹄には異常は認められなかった。
死亡獣畜処理業者はトラック3台で小丸川以北の各農場を回っており、今年に入って1月25日、2月19日、22日、3月5、6、22日、4月7日に立ち入っている。この4月7日に二例目農場にウイルスが伝播した可能性がある。またわらや堆肥の運搬に使用された自社トラックが、八例目農場への伝播の要因となった可能性は否定できない。
当該農場は三例目と道路を挟んで斜め向かいに位置している。4月24日に家保が立入検査をしたさい、全体の半分程度の牛房で発症牛を確認しており、かなりのウイルスが排出されていたことから、第三例目農場への近隣伝播がウイルス伝播の要因となった可能性は否定できない。結局第七例は4月25日が確認日となった。翌日、同じ川南町の大和田関連牧場が第八例として確認された。

 石井は何回か読みかえして、伊達の顔を見た。
「死亡獣畜処理業者が4月までに7回も立ち寄っていますね。しかも3月は3回、これは異常ですよ」
「そうですね」
 石井は牧場主だ。自信を持って言い切った。
「そうなんです。変です。牛が725頭いたにしても」
「この年3月の飼育記録を見たいな。死亡理由も」
「残念ながら……大和田はそれを出さないですよ」
やむなく伊達は国の報告書に触れた。
「4月7日に死亡獣畜処理業者がきているのに、国の報告は『発生の経緯』の欄を4月8日頃からと始めていますね。どうも腑に落ちないな」
「ああ、それはこの報告では当初なぜか3月25日以降にウイルスが侵入したと推定しているからですよ。この牧場の初発を4月8日頃として、侵入推定日を4月1日と最終的にこじつけたような気がしますわ」
 その発言に伊達は右手を顎に当て、少し考えて答えた。
「あり得るね。死亡獣畜処理業者だけど、最終的にどこかへ届出をしているはずでは?」
「そうですが、死亡理由をまさか口蹄疫だと業者は書かないですよ」
 石井は証拠がないもどかしさを言いたいのだ。
 伊達はかまわず続けた。
「国の報告では、ウイルスの侵入推定一番目が都農町でしたね」
「ええ。六例目の水牛農家ですが」
「国の報告書では、その農家に関し3月26日を発症日として、3月19日がウイルス侵入日と推定しています」
「牛は感染して発症するのに、平均1週間だそうですから合致します」
「微妙なところですね」
「なにが?」石井は伊達の顔を見た。
「いえ、こだわるようだけど2月19日、22日及び3月5、6、22日と死亡獣畜処理業者がこの牧場にたて続けに入っています。もし2月下旬から3月初旬にこの牧場が感染していたと仮定すると」
 石井がかん高い声を出した。
「あ、あいますね。第六例は3月19日が侵入推定日だからウイルスは大和田から伝播した可能性がある」
「証拠がないのに、うかつなことは言えないですが……」
 伊達はジレンマに陥っている自分がもどかしかった。

 2台の車で昼食を近在の山菜を主とする小料理屋で済ませた後、石井の用事で川南町の役場まで行くのに付き合った。運転途中に 石井は車を止めて伊達に言った。
「ここはトロン、トロンという通りです。聞きなれないでしょうが」
「そうですか」石井の話の腰を折りたくはなかった。
 伊達は初日に観光協会に立ち寄りこの語句の由来を聞いていたが、トロの語感に興味をもったのでネットで調べた。まず頭に浮かんだのは、埼玉県秩父の荒川中流にある長瀞だった。そこは変成岩のなめらかな壁面で知られる景勝地だ。ちなみに「長瀞」という地名は秋田県や山形県にも存在することが分かった。さてこの「瀞」の意味だが辞書で引くと「川の水が深くて、流れのほとんどない所」とある。とすると、時期によるが待合で小流から引いてきた水がかすかに流れる音と解釈しても無理はないと思った。
 石井は続けた。
「ゆったりとした語感がいいんです。何でも流れ落ちる水音を表現したと言うことですが、私はあせらず、着実に進めなさいというようにとっていますよ」
「なるほど、心穏やかに粘り強くですか」
 伊達は再度自分が描いた情景を思い浮かべた。
「はい」と木城町の石井が笑みをもらす。
 川南町は人口一万七千人の町だという。「トロン、トロン通り」自体は片側一車線のローカルな通りだが、町民は付加価値をつけていた。夏には3千発の花火大会、冬場は11月に電飾をきらびやかに飾ったフェスティバル、そして12月にモーツアルト祭と称して内外の音楽家を呼び寄せての演奏、合唱会と各シーズンにわたり集客に努力している。また時に、百台にも及ぶ軽トラックを通りに駐車して朝市を定期的に開催しており、そこを訪れる観光客は一万人を超える時もあるという。皮肉なことに、ウイルスはそんな活性化した町を直撃したのだ。
 二人は休憩をかねて役場の近くにある二階の喫茶店に入った。この時伊達は車の燃料が少ないことに気づいたが、石井との行動を優先させた。その喫茶店は見た目にもローカルな店だとわかっていたが、伊達は内部に入った瞬間やはり後悔した。人の気配がないからではない。昔のゲーム喫茶のような座席の配置に、土産ものコーナーがおいてあるが……  場違いだった。それでも時間が惜しかった。紅茶を注文して伊達と石井は席に着いた。伊達は第八例から十三例までの流れを、第七例との関連で辿ることにした。
「第八例は1019頭飼養していた大和田の関連牧場です。そして第九例は70キロメートル離れたえびの市ですが、これも関連牧場。十一例目は第二例から伝播したらしい。問題は、4月28日に確認された第十例目でした。衛生管理の手本となるべき公的機関ですから関係者は相当な衝撃を受けたのでは?」
「まさかと思いましたよ。県の畜産試験場ですからね。しかも豚486頭を飼養していたんですから」
 伊達はうなずいた。
「その後第十二例は豚1473頭が、また5月に入ってすぐに第十三例の豚(3882頭)が確認されていますね。豚は飼養数でこなすといいますが、これは爆発的な数字ですよ」
「悪いことに豚のウイルスは、牛の3千倍ぐらい排出されるそうです。このとき川南町の農家は絶望的になりました」
 伊達は唇をかみしめた。
「ターニングポイントは第十例目でしたか。この前後で総力を挙げた対応策が実行されていれば29万頭という被害は防げたと思われます。さらに4月29日からのゴールデン・ウィーク(GW)も致命的でした。人と車の往来を規制すべきだったんでしょう」
「それは消毒ポイントの設定の時期と場所の問題なんですが」
 石井の返事は歯切れが悪かった。このあたりのことは行政の問題だろうと見当はつく。これ以上話の進展は望めない。伊達は切り上げホテルに戻ることにした。

関係組合の動き 
 都内新橋に本拠を置く肉牛組合は、組合員に対し肉用牛の預託事業、生産資材の共同購買、経営向上支援対策等を行っている。理事長の河田は就任して7年になる。4月20日宮崎県で口蹄疫が発生したとの情報を初めて入手したとき、河田はテロかと考えた。まさしく寝耳に水であったからだ。
「10年ぶりの発生だな」そう呟くとスタッフに情報の確認と、追加情報の入手を指示した。頭の中をよぎったのは宮崎の組合員を支援する事。それに、小規模なもので終わることを願った。
 第一例から九例まで感染の拡大は早かった。河田は牧場主の石井や大森たちから電話で日々コンタクトをとり、その悲惨な状況を把握していた。川南町の一帯はウイルスの蔓延防止のため、農家は用事を除き外出することはままならなかった。情報は農家どうしが電話でなんとか入手するような有様。感染拡大に対する不安と対処できない焦り等で、県に対する不満は次第に高まっていた。
 河田は毎日のように、桜田門通りに面した霞が関の農林水産省に出向いた。事態の早期収拾と畜産農家の要望を訴えていたが、結果は芳しいものではなかった。このとき政府は口蹄疫発生の第一報を受け対策本部を設置するが、その後の対処は県の当事者に任せるかたちで遅れていた。
 一方養豚協会の都築会長も、国との交渉を行っていた。宮崎県の養豚事業は全国で第二位の飼養を誇っており放置は出来なかった。それに豚に感染すると大変な事態になるのは承知していた。このような経過から立場が同じ牛と豚に関する二つの機関は協同して行動するようになる。
 しかし国の判断は、「県からの状況報告によると対応の必要が無い」という回答だった。この時二人は、県が真実を国に報告していないからだと実感する。初動の遅れは明らかだったのだ。
 4月25日大和田牧場での感染が判明した。川南町で分散飼育している大規模牧場の一部農場でここは第七例目となる。これまでにない725頭の牛が殺処分となった。更に28日にはその関連農場で感染が確認され1019頭が殺処分とされる。
周辺農家の緊張と不安は一挙に高まった。いろんなところで風説や流言がささやかれる。また悪いことに同じ日、県畜産試験場(第十例)で初の豚の感染が確認された。関係者が心配していた豚の感染第一号である。公的機関での感染は農家に衝撃を与えた。その豚の飼養数は486頭だったが、心理的インパクトが大きかった。

 河田の不安が的中する。4月29日から始まる、9日間のGW期間中に生じた感染数は6万頭強、うち牛の感染は1278頭なので豚が圧倒的に多い。県は宮崎の観光に影響がでるのを恐れていたのではないか。そのためマスコミの報道は規制され、情報が極度に制限された。
 9日に書かれた県知事のブログでは川南町と都農町の2町で封じ込めが出来ていたと安心していた。5月6日、7日の現場の状況を考えれば、そのような発言がでるわけがない。
実際は防疫対策が後手に回り人や資材、薬品が不足していた。それに圧倒的な豚を埋却する土地も不足していた。そのため死亡牛や豚が、長い所では2週間も死体のまま現場に放置され、ウイルス蔓延の原因にもなった。
 処理ノウハウも不十分であった。防疫対策は人と車の規制が重要なのだ。消毒ポイントを設定し、徹底的に消毒を実施する。ところが、その県による規制の動きは5月5日から起きたが実施は5月11日からだった。それは高鍋町の役所にたいし、規制理由を納得できるように説明出来なかったからだ。

 5月9日には民政党の大物が宮崎へ、また5月10日には総理が宮崎入りした。この日県知事は農林水産大臣と県家畜改良事業団の種牛移動を議論している。現地本部に農林水産省の役人が詰めた。この後対策が軌道に乗り始めるが、時すでに遅い。感染範囲は拡大し畜産農家の国や役所に対する不満や不信感は頂点に達していた。さらに近隣の鹿児島県などへの説明も不十分であった。風評被害により宮崎ナンバーの車は鹿児島県に立ち入ることを拒否される事態も起きる。

 5月連休明けからの怒濤のウイルスの伝播で県はお手上げ状態になった。事実が少しずつ明らかになると、河田は怒りがこみ上げてきた。県は国に対しても農民に対しても、真実を伝えていない。マスコミは報道規制をさせられている。唯一ローカル紙が気をはいていた。なぜか農協は県と同じく動かない。
 いたたまれなくなった河田と都築は5月13日、16日とたてつづけに農林水産副大臣へ訴えた。そしてその翌日彼らは首相官邸で総理と面談していた。棚橋県知事からの要請もあったが、このとき一千億円の国の対策費が決まる。河田理事長はことの実態を農林水産省に報告した。
 県側が理事長に反発したのは想像に難くない。このころ誰が指示したのか、嫌がらせの電話やFAXが日に何通も、新橋の事務所に送られてきた。だがこれで怯むことはなかった。河田は宮崎に飛ぶ。そして連絡を取り合った石井と高鍋町のホテルで落ち合った。
「4月28日までの処分数は約3千頭、GW期間中は6万頭強、そしてGW明け3日間に1万8千頭の殺処分は異常だな」
 石井は返事に窮した。
「5月11日、川南町の視察で知事は実態を把握したはずなんですが」
「それでも県は非常事態宣言をだしていないぞ」
 その問いかけに答えられない石井には、ため息をつくのが精一杯だったようだ。

養豚農家
 河田は若い神原隆という養豚農家に接触し、豚における口蹄疫の軌跡を追った。肉牛組合と業務上は直接の関係はないが彼らも同じ被害者だ。神原は川南町の初期の出来事を次のように語った。
 4月20日朝8時ごろには口蹄疫の第一例が出たとの情報を神原は聞いていた。だが対応は移動自粛という中途半端なものだった。そのため午後からJA尾鈴の養豚部会長などと携帯で連絡を取り合い、情報把握に努めた。その日の夕方6時のニュースで口蹄疫が確定したとの報道を耳にする。しかし19日深夜には確定していたはずなのに今頃どうしてという疑問を持った。この時は感染拡大はしないだろう。まだ大丈夫だと社員にも、自分にも言い聞かせていた。
 ところが翌日の新聞を見て驚いた。川南町で二例目の発生という大きな見出しがついていたのだ。あわてて川南町の地図を広げて現場から牧場までの距離を測った。およそ5キロメートルあるので少し安心する。
「4ヶ所の消毒ポイントを通過すれば、移動制限区域から屠殺場に直行する牛、豚の移動を認める」と、このころ県は防疫会議で特例を出していた。正しくは制限区域内での移動は厳禁としなければならなかったのにだ。県がいかに事態を甘く見ていたか。
不幸にもそのまた翌日には、川南町内で三例目、四例目と被害が続発した。神原の胸中は、今後感染はどこまで広がるか分からないという大きな不安を抱えていた。それで、4月30日に養豚協会の都築会長に次のような要望書を出し、その中で具体的な事項を挙げ農水省に取り次いで欲しいと依頼した。

 口蹄疫発生に関して、4月20日の発生から、10日が過ぎようとしています。その間に毎日のように発生事例が続き、今日で十二例の発生を見ています。その中に、国内ではじめての豚の発生が宮崎県の畜産試験場でみられました。また本日豚での二例目が確認されました。(飼養数1473頭)こうした悲惨な事態の進展を目の前にしますと、果たしてこのままで終息を迎えることができるのか不安に感じています。さらに出荷できずにいる肉豚が日に日に大きくなっていることを考えますと、経営を続けられるか心配になります。私は国家防疫の立場から考えれば、半径3キロメートル以内の淘汰も考えなくてはならない時期に来ているのではないかと感じています。
 農林水産省の方針がいつの段階から変わるのか不明ですが、移動制限内で発生しているうちは想定内という県の考えでは、その中と搬出制限内で経営している生産者にとって、蛇の生殺しに等しい状況です。現状を打開するにはもっと大胆に行動を起こさない限り収まりそうに無いと思っています。

 河田は手紙を読み終わると神原にそっと戻した。
「なるほど大変でしたね」
「いいえ」
 神原は恐縮していた。
「これで発生時の経過をよく知ることが出来ました。有難う御座います」
 礼を述べながら河田は養豚協会の、早い動きの一端をかいまみた思いがした。
 養豚協会は農林水産省を主務官庁とする社団法人である。都内渋谷に本拠を置き養豚の振興と証明事業を行っている。そして宮崎県の養豚事業は鹿児島県についで全国第二位の位置づけである。都築は現地からの情報を確認するや、4月23日早くも行動を起こした。前日宮崎県で第四例が発生し、豚の発生は見られなかったときだ。農水副大臣と面談し、口蹄疫の恐ろしさを訴えたのだ。都築の予見は正しかった。案の定4月28日に畜産試験場で豚の感染第一号が出る。
 5月の連休前に恐れていたことが起きた。川南町全体に感染が広がり、4月28日には宮崎県の畜産試験場川南支部の豚が感染したのだ。第十例目だ。(豚の飼養状況は486頭) 畜産試験場の業務は
①豚の系統造成と飼養管理、
②宮崎地頭鶏の改良・増殖と飼養管理、
③家畜排泄物の処理が主な業務である。
この農場はセミ・ウインドウレスの豚舎で飼養し、車両の消毒槽、消毒液噴霧装置、豚の飼養エリアに入出場する際のシャワー室等の防疫関連施設、設備を備えていた。
 農家の驚きは、県の畜産課の管轄農場が感染したということ、またついに豚に感染したということである。畜産試験場へのウイルスの侵入ルートは近くに第十二例目の豚舎があり、そこの堆肥からではないかと想像されている。
 2000年の時には豚への感染は無かった。よってマニュアルにも記されていない。川南町を含む児湯郡には牛だけでなく大規模な養豚農家が存在していた。それゆえ4月27日に知らされたこの情報は大きな衝撃を畜産関係者に与えたのだ。
この時川南町の豚専門の獣医師は感染爆発を防ぐため、ワクチンの使用を獣医師会に訴えたという。だが採用されることは無かった。そのためか、この4月28日の十例目からGWをはさんだ百例目までは早かった。そして5月16日には第百一例目の感染確認が家畜改良事業団(高鍋町)でなされる。


 伊達は石井と別れ、石井の紹介で養豚業を営む山本栄一と会うためにホテル葵に帰った。仕切はないが、少しは外部と隔絶できるラウンジに山本を誘った。山本は下腹の出た肥満ともいえる体格でインテリタイプの中年男性だ。席に着くと山本は牛と豚の生産の違いを言いたかったのだろう、次のように伊達に語った。
「牛と豚とは同じ家畜ですが生産方法は違います。和牛の場合は、霜降り牛にみられるように高品質の追求が主目的となります。従い数量は限られています」
「それはブランド牛というものですね」
「そうです。一方養豚は生産性や効率性が大切です。白豚、黒豚の違いがありますが牛のような個体差はそれほどありません。従って数で勝負するんです」
「差がないだけに、経営上は豚を効率的に管理、飼育するという必要性があるんですね。なるほど、それで豚の被害が多数に上った理由がわかりました」
「確かに今回豚の被害数は多いですよ。普段から牛に比べ疾病も多いことから、逆に農家の防疫意識は高いんですが・・・・・・」
 伊達はうなずきつつ会見の趣旨を説明する。
「昨年5月に入ってからの豚の感染状況と行政の対応について、かいつまんでお聞かせ願えませんか? 牛については資料が得られたのですが、豚については手掛かりがないんです」
 山本は経過を物語るものを持参していた。伊達に促され、山本は該当部分を開いた日記を伊達に手渡した。伊達の目に、山本の人柄を表すかのように几帳面な文字が飛び込んできた。
 
 5月1日、豚では第三例目(全体では第十三例)の感染だ。場所は経済連原種豚センター川南市場である。当時の飼養数3882頭、桁違いの多さである。殺処分は5月1日開始、埋設は5月2日に終了が法の定めているところだ。
だが畜産課の責任者はパニックに陥っているように思われた。第十二例とあわせると5300頭以上の豚を処分しなければならない。予算は底をついており、人手が足りないだけでなく疲労困憊していた。またこれだけの豚の殺処分は未経験であり、埋却場所の問題一つとっても簡単ではなかった。地下水に影響が及ばない場所で地主が土地の汚染に執着しないエリアなど短期間に探せなかった。
やむなく原種豚センターは埋設する場所に穴を掘り、そこに殺処分した豚を腐敗した状態で5日~6日放置したという。5月8日になってやっと穴の埋め戻しがなされた。そのセンター長は言ったという。「ウイルスがいるから早く埋めてくれ!」

 日記には山本がマスコミ宛に出した手紙が同封されていた。多くの農家はマスコミの取材を受けている。マスコミを頼りに現在の窮状を手紙に託した人は多い。伊達は山本の許可を得てその手紙に目を通した。

 今、口蹄疫ウイルスのすさまじさに恐怖を感じています。私の農場にも昨日口蹄疫が侵入してきました。鼻の頭に鉛筆の少し大きい水泡を見つけ、契約獣医師に連絡し家畜保健所へ報告してもらいました。
当日は近隣の畜産農家から朝早く次々と発症の連絡が入り、もしかしてと思う気持ちと、うちは大丈夫だという気持ちが交錯していました。そのような状況下、従業員の一人から肉豚に異常があると連絡を受け、私は現場へ飛んでいきました。その豚を観察して、水泡を見たときの何ともいえない気持ち。やるせない虚しさ、虚脱感。これからどうなるのだろうという不安に襲われました。
今はどうにかなると言い聞かせながら作業をしていますが、何がここまで感染を増やしてしまったのかと自問自答している状況です。川南町の畜産農家の多くが感染してしまった。こういう事態になるまでなぜ手を打てなかったのか、行政不信になってしまいます。畜産にかかわっている者なら、スタンプアウト法(摘発淘汰)は、知っている方が多いと思います。イギリスでは患畜が出れば24時間以内の殺処分がとられます。国内の家畜伝染病予防法では72時間以内とうたわれていますが、農家の中で処分が終わっているのは約40戸という状態であり、長いところでは10日もかかっています。スタンプアウト法自体の原則が壊れているのに、これを続けることにより被害が爆発的に増えてしまっている。これは国の判断ミスであり、人災でしかありません。畜産農家は、被害者以外の何者でもありません……。
 
 伊達は手紙を日記の中に戻すと山本に礼を述べた。
「いやありがとうございます。当時の状況がよくわかりました」
「何かご質問があれば?」
 伊達は少し考え、口を開いた。
「そうですね。役所が動き出したなと感じられる時期はいつからですか?」
「5月17日に国の現地対策本部ができ、そこからですね。事態打開の目処が見えてきたのは。それまでは国と県の関係は気まずいものでした」
「ワクチン接種して殺処分を行うことはいつ決まりましたか」
「ご質問の答えですが、5月18日県知事は非常事態宣言を出しました。その翌日ですね」
「なるほど。それでワクチン接種の対象エリアは?」
「川南町、新富町の発生農場を中心とした半径10キロメートル以内です。この内容は、すでにそれまで殺処分対象となっていた8万5千頭以外に、新たにワクチン接種される20万頭以上の家畜が殺処分されるというものです」
 伊達は2、3度瞬きした。
「それは大変な決断でしたね」
「そうです。農家には反対する声も多数ありました。苦渋の決定ですがこの時点ではやむをえない措置でした。獣医師の方もその効果は認めておられます。何せ当時は宮崎だけでなく九州全域に感染するのではと、恐れたほどでしたから」
伊達は左腕の時計を見た。約束の時間を5分超過している。残念ながら山本には次に会合へ出る予定が入っており、彼との会話はこれで終わった。

第六例と第一例の分析
 伊達はホテルの自室に戻った。そして獣医師会が編纂した口蹄疫の資料などを使って、都農町の二つの例を次のように報告書の一部として整理した。資料をもとに仮説を生みだそうと。それに合理性があれば結論が導かれるかもしれない。

O 第六例目の須藤獣医師の記録
3月25日 農場主が須藤に電話した。「ボーっとして様子の変な水牛がいます。明日往診してほしいんですが?」
3月26日~28日 須藤が往診。2頭が40度前後の発熱で元気も食欲も無い。うち1頭は乳量が低下していた。須藤は風邪を疑い抗生物質と解熱剤を投与する。 
3日目には2頭とも食欲をやや回復し元気も出てきた。

29日 更に9頭が発熱する。元気が無い。食欲乳量とも低下。
須藤は「心当たりが無いか調べてみてください」と農場従業員に指示した。
30日 農場主は説明した。
「新たに3頭が発熱しました。5棟ある牛舎のうち4棟でおがくずを変えたのですが、その変えたところから異常がみられました。そのおがくずは仕事中にでたということですが、今回に限って知り合いの大工さんがいつの間にか運んでくれていたものです」
1頭の臀部皮膚に、小さな白っぽい硬い丘疹が散在しているのを発見した須藤は、病性鑑定を家保に依頼することに決めた。

3月31日 この日新たに3頭が発熱。須藤は家保(家畜保健所)職員3名とともに水牛21頭の健康チェックを行った。1頭跛行事業団の感染状況するものあるが、蹄の周囲は異常がなかった。家保は3頭から鼻腔スワブ、血液、便を採材した。

4月1日 微熱の3頭を除き全頭が平熱に戻る。翌日には先の3頭も平熱となる。しかし平熱に戻った1頭に小さな白っぽい硬い丘疹が乳房に散在しているのを発見。また他の1頭の上唇基部に大豆の大きさの潰瘍を一個発見する。

4月2日~4日 全頭平熱となるも、丘疹の散在や跛行する水牛を見る。
4月5日 心配になった須藤は家保に3月31日の検査結果を問い合わせた。その返事はBVD、牛コロナ、ロタ、アデノウイルス、寄生虫、細菌検査、すべて陰性とのこと。

4月14日 家保がサーベイランスにて再度立ち入り検査。水牛は全頭が回復し、異常が見られず。但し被毛が薄毛となり、脱毛が多量に出ている。
4月19日 農場主は獣医師に申し入れた。「食の安全の観点から、病気の原因究明をしたいんです」
4月20日 農場主が隣家との電話で、第一例の口蹄疫が発生したとの情報を入手し須藤に報告。須藤獣医師は水牛では流涎が見られなかったが、他の症状は共通していることから、「もしかすると」との疑念を持つ。それですぐに家保にサーベイランスの結果を問い合わせた。それに対し家保でできる抗体検査の結果はすべて陰性との報告あり。この時点で須藤は、家保が口蹄疫の検査をしていないと確信する。それで須藤はすぐに農場主に要請した。
「無理にでも、家保に口蹄疫の検査を依頼したほうがいいです」
4月21日 農場主は家保職員に口蹄疫検査を依頼する。翌日家保職員が5頭から採血していく。
4月23日 家保より須藤に夕方電話があった。
「感染を防ぐため自宅待機して下さい」
 程なく家保の職員が須藤の医院を訪問して言った。
「3月31日採材の検体からPCR陽性が出ました」
 その晩、家保よりここが六例目と発表される。

O もうひとつの第一例に関し若い緑川獣医師は次のように記録していた。(伊達が直接訪問して聞いた牧場主の奥さんによる話も挿入している)

4月7日 牧場主が訴えた。
「一頭の牛がボーっとして、じっと見ている。熱もあるし餌も食べない」
 往診以来を受けた緑川は、午後11時に山中の牧場に到着。口腔内には異常はない。体温は39・3度。風邪ではないと思いつつビクタスを注射して終わる。翌日は15時2分に往診。熱は平熱。ビクタスを注射する。左下顎のリンパ節が少しはれていた。また流涎もあるし放線菌も疑ってマイシリンを打つ。

4月9日 牧場主が再度訴えた。
「熱はないが牛が食べない。震え涎を流す」
 緑川獣医師は16時半に往診した。口腔内を見る。上唇基部に小さな潰瘍を発見。その横にある丘疹を手でこすった。するとそれは脱落して潰瘍を形成した。舌の先端部では粘膜の脱落が認められ真ん中は色あせていた。その瞬間に緑川は、口蹄疫ではないかと考えたが、とりあえず抗生剤を打つことにした。気になったのでその家を出たところで宮崎市の佐土原にある家保(家畜保健所)に連絡する。
「三日前に熱が40度以上あったけどすぐに下がりました。今日は口の中に小さな潰瘍があるんだけど・・・・・・。 口蹄疫ではないと思うんですが、この牛をどう扱えばいいですか?」
緑川はこの牛の経過や他の牛の症状など家保が尋ねたことに答えた。最後に家保の担当者が告げた。「しばらくしたら、行って直接見ます」
18時半ごろ緑川と家保の職員は農場を訪れた。家保は口の中や乳房を見、足の爪を洗った。血液も3回採った。心配した奥さんは「そんなに採って大丈夫?」と尋ねる。結局病変は口の中だけだった。家保の担当者は、安堵していた。「10年前からの経験から大きな問題ではないですよ。もし大問題なら今日は帰宅しないです」
また緑川には、「今後同様な症状が出たときはすぐ連絡ください。またここへの往診は一日の最後にしてください」と伝えた。

 翌12日 家保の人間が数人来た。傾斜地がある牛舎横の草原を何度も往復し、写真に収め帰って行った。(奥さんの話)その後、牛の食欲は漸次改善していった。

4月16日 臨月だった2頭目に症状が出た。(奥さんは分娩のため一晩中添い寝した)やはりボーッとして40度の熱があった。涎を出し食欲がない。奥さんはあわてて緑川獣医師を呼んだ。
緑川は最後に立ち寄ると答え、16時半家保に連絡する。家保の対応は「牛の様子を連絡してください」とのこと。
17時12分到着。熱は39・3度。口腔内異常なし。このとき緑川の頭には口蹄疫の不安は消え去っていた。それで抗生剤を注射してから牧場主に告げる。
「何らかのウイルス伝染病でしょう」
 また緑川は家保に電話し症状を伝える。
 その返事は、「他に異常は出ていませんか?」だった。
緑川は「巡回していて、餌は食べているが流涎の牛を見つけました。だが口腔内に異常はありません」と報告。家保の担当者が伝えた。
「その3頭は放牧しないで下さい」
 緑川はその趣旨を牧場主につなぎ、手と体温計、長靴を消毒液で洗い帰宅した。
 翌17日 不安にかられ奥さんが緑川獣医師に電話をした。
「昨日涎だらけの牛が今日は食べないんです。熱は41・5度あります」
15時ごろその牧場に出かける前に、獣医師は家保に連絡する。家保の担当者の返事。
「そこへは、昼間診に行きました。農家さんに他の牛と接触しないよう、放牧しないよう念押ししてください。農家さんが不安だろうから、何のウイルスかはっきりさせましょうと伝えてください」家保は検体を採取の上、消毒液ビルコンSを農家に手渡していた。

4月19日 家保が持ち帰った検体検査の結果はすべて陰性だった。しかし県の畜産課と協議の上、国に報告するとともに動物衛生研究所に検査材料(16頭分)を送ることにした。農場へは大勢の白装束の人間がやってきて、問題の2頭を採血し家保へ持ち帰った。午前11時ごろ獣医師は家保からの電話を受けた。
「例の農家。検査で口蹄疫が否定できないのでこれからの往診は控えてください」
4月20日 朝7時45分に往診に出かける。子牛に静脈注射中に携帯が鳴る。家保からだ。「検査の結果が出ました。陽性でした。大臣会見が予定されています」
 陽性が3頭だ。緑川は驚いた。とっさのことで声にならない。
「え?ええっと…… クロですか?」
「はい、クロです。もう往診には出ないで下さい」
「今もう往診中です」
「えっ! それでは往診は中止してください」
 この時まで緑川はことの重大性を認識していなかった。事態が急変するのは夕方だ。児湯支部長との電話で、「他の場所で涎を流し餌を食べない牛を診た」と聞くまでは。緑川は人気がない山奥の中だから本件は隔離できると考えていたのだ。

 この第一例に関し、伊達は次のような疑問を抱いた。
 4月9日に家保が尋ねてから4月20日に口蹄疫と確定した。この初動の遅れはなぜ生じたのか? 獣医師によると4月19日になるまで、家保の役人は決して「口蹄疫」という言葉は使わなかったと言う。想像すれば、それは彼らにとってタブーの言葉だったのだ。家保だから当然知識はある。当時韓国でも口蹄疫は感染していた。2000年に宮崎で起きた口蹄疫の経験者もいた。なのになぜ?
 もしこれが口蹄疫なら宮崎県は大きなダメージを受ける。伊達はその恐怖が彼らをして検体を早期に動物衛生研究所に送ることを逡巡させたと考えた。もちろん過去10年間未発生という事実もあったが。
家保から畜産課への情報の流れは、家保の所長から家畜対策監という太いパイプで繋がっている。実務的にはこのあたりが判断、意思決定機関だろう。伊達はどの時点で家保が疑念を持ったか考えてみた。すると浮かび上がったのは16日だ。翌17日の家保の言動が腑に落ちないのだ。ちなみに20日早朝にクロと判明したことは、17日に採った検体を動物衛生研究所に送ったものと推定できる。(この説に獣医師も賛成した)さらに言うなら判明したのは19日だ。大勢の白装束が農場へ行っている。

 次いで伊達は都農町の第一例と第六例を見比べてみた。まず共通点は何かだ。牧場主はそれぞれ各4回、牛たちの異常を獣医師に訴えている。しかし獣医師は当初口蹄疫の疑いを抱いていない。それはなぜ……?
次に判明するまでの経過を整理してみた。
第六例
3月25日 最初の異常が見られ獣医師に報告した。
3月31日 家保への報告。家保による調査。
4月14日 家保による調査。
4月20日 家保は口蹄疫の検査をしていないとの疑念。
隣家との電話で、第一例の口蹄疫が発生したとの情報を入手
4月22日 家保が5頭から採血。
4月23日 3月31日採材の検体からPCR陽性が出た。

第一例
4月07日 最初の異常が見られ獣医師に報告した。
4月09日 家保への報告。家保による調査。
4月12日 家保による調査。
4月16日 家保と電話で対応。
4月17日 家保による調査。採った検体を動物衛生研究所に送った。
4月19日 白装束の家保調査。
4月20日 陽性が3頭。これは4月19日に判明していた。

 第六例に関しては第一例と比較してみればわかりやすい。
 都農町の山奥で、わずか3百~4百メートルしか離れていない2ヶ所でウイルスと思われる症状が出ている。共通する症状は、ぼーっとして熱があり食欲がないが、じきに回復する。また丘疹に異常がみられるという点だ。第一例に特異な点は上唇基部に小さな潰瘍と舌の先端部で粘膜の脱落が認められたということで、より口蹄疫の症状に近い。このような環境で一方が確定したら他方もと考えるのが自然だ。調査しているのは家保の職員だ。プロがやっていることだ。もし両方の農家を同じ獣医師が診ていたらどうするか? 答えは自ずと出てくる。
 第一例には4月9,12,17,19日とほぼ連続して家保は現地調査に入っている。これに対し、第6例には3月31,4月14日のたった2回だ。そして牧場主が家保職員に口蹄疫検査を依頼してはじめて、3回目の調査に入ったのは4月22日だ。
第一例は4月17日に採った検体をすぐ動物衛生研究所に送り19日に結果を得ている。それなのに第六例は3月31日採材の検体を4月21日に送り23日に結果を得たとの家保の動きは不自然だ。またなぜ3月31日の検体を?

 伊達は初発がどこかという肝心の問題に戻った。
 六例目の水牛農家について国の報告は3月26日を発症日として、3月19日がウイルス侵入日と推定している。これは牛の異常を認めて3月26日にはじめて獣医師が往診した日であり、そこから一週間前を侵入日としている。その根拠は3月31日にクロと判定された牛の症状が26日と類似しているからだ。また26日の一週間前をウイルス侵入日としているのは潜伏期間がその程度との通説に従ったもの。
 一方第七例の大和田牧場に関しては、4月8日を発症日として4月1日がウイルス侵入日と推定している。これは大和田牧場の証言をそのまま認めたものであり、客観性に欠ける。検討材料が不足していてこの時点では結論は出なかった。

謎の女

 問題点の整理が終わると伊達は宮崎市内の佐土原に車を向けた。10号線に沿って家保(家畜保健所)に向かったのだ。新富町を過ぎ佐土原に入ってすぐだった。嫌な予感がした。すぐに燃料計を見つめる。
「あー、やった」伊達は思わず声をあげた。表示はすでに0を指している。歩道側へ何とか車を寄せた。唖然としている間にのろのろ動いていた車は停止した。しばらく頭を抱えた。調査に頭が集中し他のことが見えなくなるいつもの悪い癖が出たのだ。動揺していた。
気づくと車外に立っていた。振り返って背後を見ると緑の畑が延々と広がっている。
「わかっていたのに」大きなため息をついた。
 伊達の横を車が次から次に追い越していく。それらの車両を横目で見ながら、しばらく自分の愚かさと孤独感にさいなまれていた。右手でこぶしを軽く握ると頭を3度こつこつと叩く。解決策はあるにはあったが逡巡していた。馬鹿だなと言われるのは自明のことだ。
 5分ぐらい経過した。伊達は意を決すると携帯を取りだした。こうなれば自尊心とかはあったもんじゃない。
それから15分ほど経過した。道端でぼんやり立っていると目の前を車が急停車する。車の窓が少し降ろされたので伊達はそれに顔を向けた。運転席に見覚えのある男の顔がいる。再度目をこらして確認した。助かった。矢澤は苦笑いしていた。伊達は頭を下げた。
矢澤は事態を理解すると近くのガソリン・スタンドまで行き、ポリ缶に10リットルのガソリンを入れて戻ってきた。スタンドで借りたジョウロを添えて手際よく給油する。一段落すむと二人はスタンドに寄って礼を述べた後、近くの喫茶店に入った。
伊達の声は多少上ずっていた。
「やー本当に助かりました。まことにお恥ずかしい次第で」
「いや、それはいい。丁度取材で佐土原の近くまで来ていたからね。ところでそちらの方はどう?」
「はい。今のところなんとか」
「そう、安心だな」
「ちょっとお聞きしたいことがあるんですが?」
「ああ、いいよ」
「昨年の口蹄疫に関してはゴールデン・ウィークがポイントだった、との指摘がありますね」
「そうだね、5月6日かな? 保守党は感染封じ込めのため、殺処分強化等の6項目を追加提言したが入れられなかった。この時川南町は危機的状況であるにもかかわらず、依然として政府の腰は重かったんだ」
矢澤はレモンを紅茶に入れて、少しかき混ぜながら続けた。
「その後、事態の一層の深刻化からついに5月10日に農林水産大臣は宮崎入りし、県庁との意見交換を始めた。その結果5月17日に政府現地対策本部ができた。同時に遅まきながら、宮崎県は口蹄疫非常事態宣言を出したんですわ」
「5月18日ですか。それは遅かったのでは」
「そうなんだ。4月20日に口蹄疫防疫対策本部を作ってから、ほぼ1ヵ月が経過していたんですが、この時には既に川南町を中心にして56ヶ所に牛や豚の被害が拡大していた」
「そのころに報道規制があったとか?」
「確かに個人情報の保護ということで口蹄疫の発生地に関しての規制はかけられた。しかしこれは諸刃の剣でね。流言飛語が飛び交ったのはまだしも、ある農家の牛が発病したのにその隣家では状況がつかめないことになった」
 伊達はうなずいた。矢澤は続ける。
「その結果、牧場主や獣医師は不安をいたずらにかき立てられたんです。そのため、自衛上畜産農家は、個々人のネットワークを通じて情報収集せざるを得なかった。情報の真偽は別にして」
「混乱が起きたわけですね」
「その通り。次に大和田牧場に関する報道だけど、途中から一部ローカル紙のみの報道となった。これは大和田側が大手広告会社を通じ大々的なコマーシャルを流したこと、また政治的圧力があったのではないかとも噂されている」
「そうなんですか」
 矢澤は視線を伊達からそらして、話を続けた。
「大和田牧場については第一発生農場だとの疑いがある。家保がその牧場に対しあいまいな態度をとっている点は、マスコミがもっと追求すべきだったとの声は大きいがね」伊達は黙っていた。現状でもマスコミの報道には不満があったが、それを口にすれば間接的に矢澤を批判することになる。
伊達は話題を変えた。
「今回自衛隊が出動しましたね」
「ちょっと待って」と言って、矢澤は手持ちの褐色をしたバッグから少し汚れた厚手のノートを取り出した。
それをぱらぱらとめくった後「これだ」と言って貼り付けていた新聞の切り抜きを伊達に見せた。伊達はその字面を無言で追った。
「5月1日12時に宮崎県知事は陸上自衛隊、第四三普通科連隊長へ災害派遣要請を行った。その後には都城、北熊本、川内の部隊及び新田原の第五航空団も出動した。
活動場所はまず川南町に投入され、感染の拡大に伴い高鍋町、新富町と順次拡大された」
 目を通すと伊達は尋ねた。
「具体的には自衛隊はどんな活動を?」
 少し考えて矢澤が答える。
「埋却場所の掘削、埋め戻し、埋却場所の消毒、それに汚染畜舎内の汚染物除去などかな……。それに車両消毒ポイントの支援や現地対策の本部要員を派遣している」
「派遣の効果はあったのでしょう」
 矢澤は頷いた。
「人心がゆれていた時の自衛隊投入は人々に安心感を与えたね。整然と秩序を保って行動する態度に人々は感謝している。だが有事が終わると忘れ去られるのも気の毒だ」
言い終わると矢澤は窓から外を眺めた。
彼らは一担命令があると、すぐに出動しどんな事態にも不服を言わずにもくもくと業務に励む。昔のことだが伊達は思いだした。地下鉄サリンの消毒を彼らがやったことを。
伊達は矢澤より先に喫茶店を出た。執務時間は過ぎていたが、一度家保の内部を見ておきたかった。しばらく車を進めたところで携帯が鳴る。開くと矢澤からだ。
「お前さん美人秘書を雇ったのかい? 気をつけろ、後をつけられてる」
「はあ?」伊達には何のことかわからなかった。それでもリア・ミラーで背後を探った。
 伊達は数台の後部車両から一台に見当をつけた。おそらくあの黒色のホンダ車だ。アクセルを踏み込み、右から白いワゴンを追い抜くとすぐに右折した。この時家保に行くことは断念していた。案の定、ホンダのインサイトが距離を置いてついてきた。
伊達はわざと山手側の細い道に入った。リア・ミラーにはその車しか映っていないことを確認する。
伊達は不意にいぶかった。なぜだ、なぜわかるようについてくる。山道に入る手前でUターンすると道をふさぐようにして車を斜めに止めた。インサイトも5メートルの距離を置いて停止した。まわりは、畑地の間を農家が数軒点在しているだけだ。
車のドアが開く。伊達の視線はまず、すらっとした長い足を、続いて女性の全身を確認する。色の白い美人だ。背丈は170センチメートルぐらい。年齢は30歳前後か、ボーイッシュなヘアースタイルをしている。ジャガード織を縦、横に奔放な線で表現したプリント柄のワンピースを着て、その上からトレンチコートを羽織った女の姿は、どことなく上品さを感じさせた。女は伊達に近づくと名詞を差し出した。
伊達は黙って受け取り視線を走らせた。「斉藤佳子」と書いてある。
「東洋新聞社宮崎支部駐在か」 
「そうです、斉藤といいます」
「それで」
伊達は催促した。斉藤佳子は笑った。
「せっかちね」
「なぜ俺をつけた」
「興味があったから」
伊達は次第にいらついてきた。
「俺は忙しい。具体的に言ってくれ」
 女は改まった口調に変えた。
「実は私も口蹄疫に興味があって調べています。出来ればあなたが取材した内容を参考に出来ないかと考えましたの」
「俺がどうして口蹄疫を調べていると」
「わかったのか、ですか? 宮崎市内のレストランでお食事されたでしょう。そのとき近くの席に偶然私も食事していたんです。いえ、盗み聞きしたわけではないわ」
斉藤は楽しそうに言った。
「嘘だ。本当は矢澤さんだろう」
「嘘ではないわ。そのレストランにいたのはね。確かに矢澤さんを追っていたけど」
「なぜ彼を?」
「今でも大和田牧場に関心を持って調べていると聞いたから」
「なるほど。では次の質問だ。なぜ俺をつけた」
「わからない。さっき言った通りよ。たぶん、いい男だからかな?」
 斉藤は混ぜ返した。いつまでもこんな問答を繰り返すわけにはいかない。伊達は苦笑し、少し間をおいて提案した。
「もう午後の4時過ぎですよ。ここで話しても寒いだけだ。どうです、明日午後7時に一緒に食事でも」
「明日の7時ね。いいわ。で、場所は?」
「高鍋町の葵ホテルはどうかな。その近くのレストランを探しておくから」
斉藤はうなずいた。
「それでは」と言って、伊達は車に戻りながら背広から携帯を取り出した。斉藤はインサイトを後退させ角地でUターンすると、もと来た道を帰っていった。それを見届けたあと、伊達は斉藤の名刺から拾った番号をたたく。しばらく待つと、留守番電話が応対した。
「発信音の後ご用件を……」
「一人駐在か?」伊達はつぶやいた。
 ホテルに帰り着くと、部屋で上着を脱ぎすぐベッドに寝ころんだ。ガス欠騒ぎで疲れていた。しばらくすると先ほどの斉藤の顔が浮かんできた。丸顔で、つんと鼻が突き出ていて右上唇に小さなほくろがあったな。


4日目
 朝8時半、レストランでの食事後ロビーを歩いているとき、ホテルのフロントから呼び止められた。
「伊達さんですか。ファックスが入っています」
それは横山みずきからのもので、口蹄疫関連でおもしろい記事を見つけた。それでその要約を送ると書いてあった。それはビルコンというウイルスの特効薬に関する情報だった。

 牛や人への害が少ないビルコンは殺ウイルス力が強く持続性がある。それはドイツのバイエルン社が開発したものだが、日本国内の在庫はあまりなかったという。それで農水省は全国の農政局に命じ在庫を中央に集めた。結果5千本のビルコンがそろったというが、この使途がはっきりしない。
当時火山の影響でアイスランドでは空港制限が継続していて貨物機はほとんど飛べない異常事態だった。これを理由に、日本は民間に任せきりで無策の状況。それに対し中国や韓国は国家的対応として貨物船や大型輸送機を準備し、1万本以上を確保した模様だ。
 一方バイエル日本支社の社長は、なんとか1500本を調達し農水省に報告した。ところが民政党の有力政治家は、500本を中国・韓国に無償で提供、500本を東北に、九州には残り500本を配布した。そのうち250本は数万頭規模の大手が独占し、宮崎市内の農家に50本配分される。最終的にJA尾鈴に届いたのは、なんと20本だったという。

一読すると伊達は怒りを通り越し苦笑した。中国・韓国に恩を売り、利権に関係する商社を助け、肝心の川南に残りかすを配分する、東北の政治家の名前は推測できた。伊達は思った。それにしても宮崎県が事態の深刻さを正しく国にあげていれば、こんな結果にはなっていないだろうにと。

伊達はGW期間前後の県の対応についてホテルの自室で検討する。まず昨年5月6日から11日までの棚橋県知事のブログを拾い、まとめてみた。

5月6日  大変な状況だ。もはやパンデミックといえるのではないか。
      現場の疲弊、埋設場所も限界。 感染源、ルートは不明
      農場間の人やものの移動はストップ。
5月7日  県内の市場がストップ 埋設場所の不足
      防疫対策本部の人員不足  消毒剤、資材の確保が必要だ。
5月9日  都農と川南町以外は発生していない。
      封じ込め、拡散防止対策は一応の成果がでている。
5月10日 農林水産大臣と会見 県家畜改良事業団の種雄牛の移動を議論
 家畜伝染病法に基づく補償金の支払いを要請。
      このままでは宮崎の畜産は崩壊する。隣県や九州全体に波及する懸念。
5月11日 川南町の防疫作業の現場に入る。

次にこのブログ内容と、感染の拡大状況とをつき合わせてみた。それは県による初期対応の是非を検討するためだ。ブログによると知事は絶望的な言葉を5月6日、7日、10日と3回も発している。異質なのが5月9日だ。「封じ込め一応の成果」と記しているが現実には対応出来ていなかった。すでに5月7日ごろには畜産課の田中対策監はびびっていたのだ。県の役人がどこまで知事に実態を報告していたかは疑問が残る。「一応の成果」という表現は首相や農林水産大臣が宮崎を訪問したことを意識したものかもしれない。いずれにせよ楽観と悲観、施政者にも微妙な心の揺れが起きていた。

地元の古老の話
 小丸川は九州山地の三方岳北麓にその源を発し、東へ流れでて木城町で大きく蛇行する。そのとき緑色の水は、町のほぼ中央を通過したあと高鍋町へとすすみ、やがて日向灘に注ぐ。豊富な水量を利用して要所にはダムが造られ、中流部では九州最大の水力発電所が存在するという。伊達はその小丸川にかけられた2キロメートル余の大橋を渡った。左折すると高速道路に入り、一路宮崎市内に向かう。そして郷田和夫という古老の家に立ち寄った。郷田には事前に電話を入れ、鎌田社長の紹介状を持参していた。
大きな邸宅の玄関口に現われた郷田は、伊達から見れば好々爺という感じの80歳になるおじいさんだ。一見して額の皺と眼窩のへこみが際だつ。噂では株取引によって一代で富を築いた成り上がり者とも言われる。そして長らく宮崎県の県会議員を務めたが、引退して数年がたつ。郷田は客を荘重な応接間に通し、妻に茶を注文した。
 紹介状を一読すると話し始めた。
「時折政界の聞きたくもない情報が勝手に飛び込んでくるんだな」
郷田は笑みを浮かべながらダミ声で語ったが、眼光は鋭かった。
「儂には墓場まで秘密を保持する義務はない。なんでも気楽に聞きなさい」
 伊達は郷田の顔を直視した。
「口蹄疫が起きてからの政治の動きを追って見ようと考えているんですが」
「ふん、そうか……」
 老人は少し考え、お茶を一口含んだ。
「口蹄疫の報告を受けた保守党の動きは早かったな。4月21日には農村部会長を団長とする現地調査を行った。更に4月30日、保守党内に口蹄疫対策本部を作っている。そして42項目の対策を政府に要請した。ところが、民政党の政府はこれを無視した」
「地元選出の代議士はどうなんです」
「それには昔の話に戻らねばならんて。保守党の熊谷は畜産業界のドンだった。それにはぶら下がりの構図ができていたんだ。熊谷は家畜改良事業団のトップであり、全国家畜商組合のトップでもあった。それで従業員の子供の就職の世話や、退職者を事業団に送ったりして、見返りに選挙を有利に戦った。世話されているからその人たちは、熊谷の悪口は言えないんだよ。その後、弟が兄の後を継いだ。今回その熊谷が動いたのは間違いない。しかし今は民政党の内閣である。民政党としては自分たちの地盤ではないし、都農町の山中で起きた口蹄疫ということで最初は軽視したと思われる」
老人は入れ歯を上下に噛みしだき、奇妙な笑い声を出した。
「5月連休頃から報道が規制されたと関係者が言ってますが」
「特に大和田への突っ込んだ記事が少なくなったね」
 そう話すと郷田の金歯がきらりと光った。
「連休明けだと思うが、やたらと関東地区を中心として大和田のCMが流れた。某大手広告会社が受けたCMだと言うがね……」
「そんなもんですか?」
「メディアもスポンサーには弱いと言うことだ。食っていかねばならん。これで大手の新聞の筆先が鈍ってしまった。しかし一部ローカルの新聞は執拗に追いかけているがね。週刊誌やテレビも取り上げたが、結局散発的で、成りを潜めてしまった。何かのきっかけから、大きな事件に発展しないと無理みたいだな」
「ところで、この規制の出所はどこから」
「個人情報の保護ということで、県が要請したのは間違いない。また何らかの政治的圧力もあったとみるね。それに家保の上部機関である畜産課の動きも不可解だな」
「その通りです。何かありますよ、大和田牧場とは」
「狐の尻尾か」
郷田は意味不明なことをつぶやき、何か考えている様子だ。ふと顔を上げて言った。
「だがね、大和田牧場にとって、幸いなこともあった」
「いったい何の話です?」
「口蹄疫が家畜改良事業団に飛び火したことだ。畜産課は大変だったと思うが。農家やマスコミの目が特例措置や民間の種牛の問題にそらされてしまった」
「確かにそうですね。結果として攻撃の焦点がぼけてしまいました」
 伊達はお茶を口にした。苦い味がする。
「さて、この間の県知事の動きを郷田さんはどうみられます」
 郷田はためていたことを一気に吐き出すように話しはじめた。
「前の県知事は官製談合、汚職事件で逮捕された。その出直し選挙では県民は清新な空気を望んだ。そんな状況で棚橋県知事は『宮崎をどげんかせにゃ』と県民に訴えたんだな。その動きに対し県民は『あれに入れるとよ。それでよか。どげんかなるっちゃ』と言いながら投票した。結果、棚橋は第52代の宮崎県知事に選ばれる。
 就任後公務員の汚職事件が発覚したり、鳥フルインフルエンザの先例を受けた。苦難の船出ではあったがその後マスメディアを活用して、宮崎の物産アピールに努めたことで県民からは高評価を得たよ。ところが総選挙で保守党から出馬を打診されると、いきなり総裁への意欲を示した。これはさすがに世間のひんしゅくを買ったな。
『宮崎の建て直しを図るとして県知事に就任したのに、4年の任期も全うしないで放りだすとは何事や?』ということだ。結局斜陽の保守党から出馬することは得策ではないとの周囲の勧めもあり、出馬を断念した」
「そうなんですか」伊達は老人の額の皺に目を遣った。
 老人は質問を待っている。
 伊達は手元のノートに視線を移し質問した。
「棚橋県知事とマスコミの関係ですが」
 郷田はにやりと笑う。
「奴には野心があったんだ。それで全国版の記者会見を利用していた。テレビ宮崎や宮崎放送といったローカル放送局は相手にしなかったという。棚橋知事はいつも記者会見でこう言ったというぞ。『テレビは何台きてる?』」
「地元日刊紙が行った知事の支持率は90%を上まわっていますが」
「宣伝パフォーマンスなんだな。彼のやり口は。それにころりと県民が乗っかってる。彼の本心は国政か都知事だった。結局任期中、宮崎の観光と物産の宣伝に終始したが、考えてみれば地元に根を張った業績は何もないでしょう」
「たしかに観光以外はね」
「今回口蹄疫の騒動で畜産業だけでなく県内の商業や、運輸業などは大打撃を受けた。以前の水準に戻るには豚で3年、牛で5年かかると言われるが他の産業もそれぐらいかかる。初動防疫の大幅な遅れが宮崎県を窮地に追い込んだんだよ。県にその責任はあるんじゃ。あなたはどう思います」
「その通りです。農家が言うように、知事が政治家としての責任を果たしたとは言えないですよ」 老人は笑みを浮かべた。

斉藤との食事
伊達はホテル近辺を散策し、適当なレストランがないか見て回ったが、これというものがなかった。思い返しホテルのフロントに尋ねてみた。数カ所の中から、伊達は日向灘に面した海辺のレストランに決めた。斉藤佳子が来るか来ないかは、確信が持てなかったが予約だけは入れておいた。
午後7時、約束通りワンピースの上にさりげなくはおった茶褐色のダウンジャケット姿で斉藤がロビーに現われた。伊達はソファーから立ち上がると声をかける。
「やあ、どうも」
「約束通り来ましたわ」
 伊達は提案した。
「海鮮料理はどうですか? ここから20分ぐらいの海辺にあるんだけど」
「すてき。いいですね」
「来てくれて助かったな。一人だと味気ないからね」
斉藤はふふと小笑いした。
伊達は感じた。斉藤の表情がはっきりしている。気が強い人間はそうなのか。
「じゃ、行きますか」
伊達はトヨタの助手席に斉藤を誘うと、日向灘に向かう道を進む。レストランに到着するまでにふと気づいた。斉藤のふとした仕草や横顔が意外にかわいいのだ。
 雑木林の小道を少し行くと、公園を前面にして蔦にからまれた白い建物が現われた。そこが目的のレストランで、波打ち際の海岸線に沿ったところに建っている。まわりの松林は海風のせいで一方向に曲がっていた。
夜間なので風は冷たい。車を降りると、風除けを考え斉藤の斜め前を歩み店のドアを開いた。室内は造花を飾り、アンチークな椅子やテーブルを配置した田舎らしくない個性的な作りになっていた。2組の家族連れと若いカップルが席を占めている。
伊達は大窓のある海辺側のテーブルを選んだ。店の照明が、海岸目指して押し寄せる白い波濤の連続する様を浮かびあがらせる。若いウエイトレスに注文の品を依頼すると、しばらく二人は海を眺めていた。
斉藤が伊達の顔を見た。
「ここはよく来るんですか?」
「いや初めてです。いつもは、もっと手近なところですませます」
 斉藤が笑顔で頷いた。ウエイトレスが現れ、手際よく注文の品をテーブルに並べた。
伊達は海鮮スパゲティをフォークで器用に巻き取ると斉藤の顔を見た。先日の出会いを確認してみた。
「あなたの名刺には東洋新聞社宮崎支部駐在とあるけど」
 斉藤は食事の手を休め伊達に答える。
「ええ間違いないわ。駐在というのは支局がないし、本社もお金をかけられないからそういう立場なの。期限も3ヶ月と限られているわ」
「口蹄疫の特別取材か」
「そうよ。このままで終わるとは会社も考えてはいないわ。きっと何か出てくると」
「それで期限を切ってと」
 斉藤はまじめな顔つきに変わった。
「口蹄疫の調査は単独では限界があるとわかったの。澤田さんにお願いしようとも考えましたが、同じ業界の人ですから諦めました。それでどうしようかと……?」
 伊達は薄笑いを浮かべた。
「なるほど。そのとき都合よく私が現れたと……」
「まあ、失礼かも知れませんが、そんなところですが」
「うーん。そうなの」
 伊達は腕組みした。できすぎている。斉藤が嘘をついているのは明らかだった。だが伊達はおくびにもそんな気配は見せなかった。斉藤も空気は読んでいた。
「私も必死なの。お願いしたいんです」
 斉藤の顔を一瞥した伊達はその言葉に嘘はないと思った。
「それだったら助けてもらおうかな。但し条件がある。無償協力ということでよければ」
「いいわ。ありがとう」
 斉藤は素直に礼をいって、新鮮なウニのパスタを口元に運ぶ。
「まあ、おいしい」
 それは本音の言葉だ。伊達は真近に女の笑顔を見て、尋ねてみる気になった。それは宮崎を訪れてから思っていたことだ。
「宮崎県は温暖な土地柄だよね。それで日南などにはプロ野球がキャンプを張っている。土壌は黒土で肥沃だし果実の収穫も多い。そういった厳しい北国の寒さを感じさせない気候が県民をゆったりとした性格にさせたのかな。だから争いごとは好まない。そんな風土が汚職を発生さす土壌を作ったのではないだろうか?」
「前知事のことを言ってるのね。そう、県民性でいえばハングリーではないと思うわ」
「それにしても口蹄疫や鳥インフルエンザがなぜ他県に比べ多く発生しているのか、わからない」
「中国や韓国に近いという意味では鹿児島もそうですしね。私もわからないわ」
伊達はワインを少し口にした。
「口蹄疫の二次被害として風評被害が上げられているよね。初期の発生者もそうだけど、発生地域では家畜や食肉だけでなく野菜やあらゆる物流品、人間に至るまで徹底的に敬遠されたというけど。このことで強く傷つけられた人や地域に不信感を抱いた人は多いのでは?」
「その通りです。今でも後遺症を抱えている人も結構いると聞いています」
「この風評はどうして起きたの?」
「それは当初宮崎県内、特に児湯郡で十分な消毒がされていないことが原因でした。『宮崎県内の車両は消毒していない。川南町では自由に往来できる』などと県外へ情報が広がったんです」
「なるほどね」
「このため『宮崎ナンバーの車は信用できない。だから入るな』と宮崎の運転手は他県の者に怒鳴られもしました。そのうち運送トラックや重機類のほか、農作物や肉などにも風評被害がひろがり、県産品の出荷が激減するようになったわ」
「そうなんだ」伊達は斉藤の情報に感心した。本題の口蹄疫に話題を変える。
「昨年の口蹄疫の第一発生地はどこだと思う?」
「国の報告書では都農町の水牛農家だと書いていますが、違いますね。やはり大和田牧場でしょう」
「僕もそう思う。そこで働いていた唯一の獣医師が武藤と言うんだが、聞いたことはあるかい?」
斉藤の目が光った。
「ええ、聞いています。今回の事件のキーマンですよね」
 怪訝な顔つきの斉藤を見て、伊達はあわてて付け足した。
「いや、君を馬鹿にしている訳ではないんだ。誤解しないで」
 伊達の手は思わずワイングラスを探していたが、車で来ていることを思いだし途中でやめた。伊達は詮索することを放棄した。そして大和田牧場と第六例を比較した経緯や感じたことをかいつまんで話した。
斉藤は食事の手を休め、真剣にその内容を手帳にメモっている。その姿を目にして伊達は賭けに出た。澤田から得たばかりの情報を女にぶつけた。
「そこの武藤だがアルコール中毒らしい。大和田はその口封じに本社の大阪へ移動させたようだ。しかしその後はなんの手がかりもない」
「それで」斉藤は伊達を上目遣いに見上げた。
「それで、君に探して欲しいんだけど」
斉藤は右手を頬にあてた。少し考えるそぶり。やがてボソッと言った。
「わかりました。難しいけど……」
「頼みます」伊達は頭を下げた。
 その後二人はとりとめもない料理の話に終始した。せっかくのリゾート地で食事する伊達にとって、つかの間の休息なのだ。野暮な詮索でせっかくの雰囲気を壊したくなかった。
 食事を終え店を出る。深閑とした暗闇の中を柔らかな霧雨が降り注いでいた。気の効いいた店主が竹製の傘で二人を車まで送ってくれた。
伊達は斉藤の車を駐車しているホテル葵まで送り届けた。
別れ際伊達は斉藤の目をじっと見た。
「私は明日早朝千葉に帰ります。何かあったら」
途中で斉藤が引き取った。
「電話ですか?」
伊達は軽くうなずいた。
「では近日中に東京でお会いしましょう。お電話します。それと、今夜はありがとう」
そう言って笑顔をみせると、女は軽快にインサイトのドアを閉め発進した。
伊達には斉藤の右上唇の小さなほくろが妙に印象に残った食事会だった。

 翌朝9時前、宮崎空港で。矢澤がJALのターミナルに約束通り顔を現した。伊達は笑顔で迎えた。矢澤はバッグから大きめの茶封筒を手渡した。それは矢澤が集めた大和田牧場関連の資料だ。
「時間が少しあるなら」と言って矢澤は二階の喫茶店に誘った。人の往来が気ぜわしいのと、ゆっくり調査経過を聞きたかったのだ。伊達はかいつまんで調査内容を説明した。途中ウイルスの話になり矢澤は熱くなった。最近読んだという「経営に活かす戦争論」の知識を披露した。
「これは戦争なんだと思う。戦争は総力戦だ。人、物、金に戦略と戦術というノウハウがいるんだ」
「残念ながら役所ではそのすべてが不足していましたね」
「敵を知って己を知らば百戦危うからずということわざがあるだろう。ところが彼らにはも戦術もなっていなかったし、敵の実態がつかめていなかった。相手は目に見えない敵だから始末に負えない」
「結果的にウイルスはあっという間に拡大しましたからね」
「いやそうは言っても、物事にはターニングポイントがある。何時だと思う?」
「それは第七例を確認した時だと思いますね。そこから5月に入る前までに手を打っておけば、こうはならなかったでしょう」
 矢澤はうなずいた。 
「おっしゃるとおりだ。」
「それと、問題は豚に感染したことと、ゴールデンウィークを間に挟んだことでしたね」
「いわゆる天王山での戦術が間違ったという事だな」
「その通りですよ。ウイルスの攻勢にたいし、本来どう守るべきだったかということですが」
「結果論から言えば局地戦で終わらすべきだった。戦線が拡大した時点では手遅れでしょう。あの時点でやるとすればいわゆる包囲殲滅作戦だ。感染を拡大させたのは人、車、風と限定してみよう。風には対応出来ないが、人と車は移動を制限し消毒するという手段があった。この点GW前後の県の対応はお粗末だ。この後から人と車の移動規制を検討、実施している」
「そのときは百一例目の家畜改良事業団への感染を恐れたからでしょう?」
「そんな気がするね。ワクチン接種に追い込まれ殺処分の数が膨大になったが、結果これが最後の決め手になった」
「やはり、規制ポイントは川でしたね。小丸川で徹底した封じ込めをはかっていれば」
「そうなんだよ」
 伊達は初動に触れる。
「県は都農町での対応に問題があったが、なぜか初動ミスを認めませんね」
「そう、すべては事態を甘く見たこと。防疫措置の遅れから始まった。そのためウイルスの蔓延に対し後手、後手にまわった。家保は手一杯で大混乱していた。古いマニュアルでノウハウがない。獣医師の使い方も誤った。薬品の不足、資材や人手の不足、埋却地の確保に手こずった。豚が感染してからは、司令塔であるべき県の畜産課はパニックだ。それに自治体の長のリーダーシップによる差が出たのも確かだ」
「川南町の町長の対応は、言っては何だがお粗末でしたね。要所に石灰を撒くという初歩的行動もとれなかった。畜産家と言うより商工業者のことを考えていた節があります。これに対し、西都市、えびの市は市長が県に頼らず率先して防疫策を講じています」
 矢澤は話題を変えた。
「畜産課については隠蔽体質もある。極度の混乱を恐れ必要な情報を開示しなかった。そのため風評被害まで起こり、近県からの不評を買ったのは余分だったよ」
「県知事のブログを見ればわかリますが、強気と悲観の感情が日により異なっている。知事は観光への影響を恐れていたのではないですか」
「それもあるかもね。知事へ正しい情報を畜産課がつないでいたかも疑問だ。また国と県の確執もあった。国は県に最後まで不信感を持ったんだ」
 二人で議論に熱中しているといつの間にか搭乗時刻が近づいていた。
 伊達は矢澤と別れ、足早に手荷物検査までたどり着く。ふと安堵した。昔シカゴのオヘア空港で重い荷物を引きずりながら、搭乗時間に追われ空港ロビーを走り回った記憶を思い浮かべたのだ。あの時間との冷や汗の戦いは思い出したくはなかった。
 機内では鎌田社長の顔が浮かんできた。その幻影を無理矢理振り払い、疲れもあったので少し仮眠した。

社長への報告
 伊達は事務所で鎌田社長に調査報告をした。前日には矢澤が集めた大和田牧場の関連資料をなんども読み返し自分のものとしていた。
「初発場所は川南の第七牧場と断言していいと思います。このころ、本社専務の近藤が電話で所長の吉田を指揮していましたが、2月に入って死亡獣畜処理業者を2回呼びよせています。所長の吉田は業者が処理場に戻る姿を見送りながら、不安な気持ちを隠せなかったはずです。3月になっても状況は改善しません。5日、6日と連続して死亡牛を処理しているんです。さすがに吉田所長も現実を無視できなくなり家保に確認を依頼しています。その20日後にも業者は死亡牛を運び去っています。遅くとも3月のこの段階で、家保は大和田牧場の異常を察知していたはずですよ」
 鎌田は首をかしげた。
「死亡獣畜処理業者は家保に届け出をするの?」
「このときの家保と大和田のやりとりは定かでないですね。届けはしても、事実を記入していないでしょう。大和田で記録の閲覧も出来ないし、責任者の証言もとれないんです」
「ではどうして家保は動けなかったの?」
「私の推理では、家保にとり大和田はアンタッチャブルな世界だったんです。わかりやすく言えば、畜産課と特定の政治家が関与していたのではないですか。4月7日にも処理業者が来ているから、1月からはじめて都合7回死亡牛を処理したことになる。畜産関係者に聞いても、これはよほどの事態で通常ありえないといいます。さらに、この牧場が3月に都農町の山中で死亡牛を埋却したとの情報もあります。動機としては、これ以上死亡獣畜処理業者を呼ぶわけにはいかないからだと推定できます。4月初め同じ牧場で涎を大量に流す牛が発見されていますが、このころが大和田の混乱の頂点でしょう。間違いなく近藤専務は口蹄疫に感染したことを自覚したはずです。彼は現場に踏みとどまり適宜本社と連絡を取りながら、現場を指揮しています。獣医師は一人しか置いていません。武藤という名ですが、1万5千頭を見れるわけがない」
「大和田は利益優先で効率化をはかったと?」
「その通りです。大和田牧場での発生の経緯として、国の調査チームは左記のように書いています。
 4月8日  複数頭に食欲不振 
 4月9日  食欲不振改善薬を投与
 4月17日 風邪の症状
 4月18日 抗生物質を投与

 しかしこれは当てにならない。疫学調査チームは相手から出された資料に基づき分析しています。元になる資料が意図的に変えられていれば意味はないでしょう。最初から第6例が初発と疫学調査チームには結論ありきなのだから。4月10日から牛舎は病牛であふれかえったというが、それ以前のはずです。おかしなことにこの時現場は石灰を撒くよう提案したが、近藤専務はコスト高になるとか言って拒否したらしいんです」
 聞いている鎌田の顔が歪んだ。
「川南町の半径2百メートルの円周内で、6ヶ所がほぼ連続的に発生したとか?」
「はい。この時期に大和田の近隣で第二例、三例が続発しました。第七牧場が発生源であることは間違いないでしょう。この間に大和田は13日に肥育牛を出荷している。えびの市に立ち寄ったためこの預託農家が九例目になりました。4月20日には、牛が1頭死亡したことを隠す為、翌日に関連牧場で処理したとの話もあるんです。都農町で第一例目に発生が確認された時ですよ」「そうすると都農町の事例と大和田の関連はどう見るの?」
「そうですね。国の調査チームは都農町の第一例の推定ウイルス侵入日を3月29日、第六例は3月19日としています。第七牧場に死亡獣畜処理業者が2月から3月にかけて5回入っていることから、大和田からの感染を推測することは無理ではないと考えます。
 国の調査報告は第七牧場の発生状況を次のように書いています。
 4月22日 十数頭に流涎、びらん 本社に報告
 4月23日 本社が家保への通報を許可
 4月24日 朝家保から、『疫学的理由から立ち入り検査をする』との電話 そのときになって、大和田から異常牛の報告があった」

「変だわね。4月24日、なぜ家保はこの時期大和田に電話したの?」
「4月22日家保は都農町の六例目の農場に立ち入り検査をしています。なぜか臨床的異常は見られないのに検体を採取し、3月31日に採取した検体と併せ、動物衛生研究所に送付しているんです。その結果3月31日採取の鼻腔スワブ3検体中1検体でPCR陽性と23日に判明しました。また4月22日に採材した血液で5検体中すべてが抗体陽性でした。このような状況がバック・グラウンドとしてあったと思われます」
「それが『疫学的理由から立ち入り検査をする』という背景なんだね」
「そうとらえました。24日家保の立ち入り検査時には、大和田側はその調査員が牧場に入るのを阻止して時刻をずらしたと聞きました。こうした小細工を行って、一説には母牛2頭を隔離していたが、それがばれるのを恐れ、ワクチン接種時に他の牛の中へ混入した
との話があります。4月25日を第七例としての確定日として第一感染源を免れたと。なお、この報告では大和田のウイルス感染推定日は4月1日となっていますが、これは諸般の情報から疑問です」
「問題は家保の調査内容だね。どこまで踏み込んだかだわ」
「国の調査報告書によれば、『半分程度の牛房で、流涎を示す牛の存在を確認.異常な5頭について血液及び鼻腔スワブを確認、採材し、蹄には異常は認められなかった』とあります。それだけの調査しかしていないのでは問題ですよ」
「どうして?」
「『異常な5頭』というのがミソです。1、2頭であれば何だということになりますね。
5頭を検査したと言えば十分な感じがします。これが曲者なんです」
「もっと具体的に説明して……」
 伊達は取り上げた理由を次の内容で指摘した。

1 大和田の第七牧場は、牛を700頭以上飼養していた。零細農家ではない。
2 ここを起点に初期の段階で数箇所の大和田関連農場が感染している。
3 大和田は家保への発生報告を意図的に遅らせている。
4 大和田は調査員の入場を一時阻止した。
5 川南町では牧場従業員の話をもとに農家による疑惑の声が上がっていた。
6 殺処分時それに従事したものの話では、ほとんどの牛が一時的に治癒しているか罹災している状況だった。

 こうした点を考慮すれば家保の調査は不自然であると伊達は説明した。
 鎌田は青白い顔で聞いていたが、途中で伊達の話をさえぎった。
「ちょっと聞きたいんだけど、疫学調査の意味は?」
「生物の健康事象の頻度と分布を調べてそれらに影響を与える要因を統計的に探っていく調査です。今回の疫学調査チームの肩書きは素晴らしいですが、実質一週間程度の調査で実地見聞も限られていたとのことです。事前に調査項目を上げそれらを回収、分析して出した結果にすぎないと思います。方法に間違いがあるとは言えませんが、調査に深みがないとは言えるのでは?」
 言い終わると伊達は鎌田の顔を窺った。
 鎌田は時計を見た。12時近くになっている。
「あら、もうお昼だわね。込むと嫌だから早めに食事に行きましょう。事務の横山さんが予約をしてるから、彼女も一緒にね。ところで、お寿司で良かったよね」
「はあ、有難うございます」やっと伊達の顔に笑顔が戻った。
鎌田たちが暖簾をくぐるといつものように「いらっしゃい」と気合いの入った声で職人が挨拶をした。昼前というのに店内はほぼ満員だった。横山みずきは奥の座敷を予約していた。調査会社の手前、会話から情報が漏れるのを警戒していたからだ。鎌田の横に横山が座り、その対面に伊達が着席した。三人は掘り炬燵形式のテーブルで足をのばした。
 若い女性があがりをテーブルに並べる。その店員に鎌田が声をかけた。
「いつもの上握りを三つね」
 店員は笑顔でうなずくとカウンターへ戻っていった。
お茶を一口すすると伊達にほっと安堵の気持ちがでた。
「社長、宮崎出張前の調査はどうなりました?」
「えーと、何の件だっけ?」
 横山が小声でささやいた。
「犬飼美智子さんと組んでの、あの不倫調査ですよ」
 鎌田は薄笑いを浮かべた。
「あーあれね。ごめんなさい。次から次へ難題が舞い込むもんだから記憶があいまいになってね。あれは無事クライアントに報告できたわ。早めに現場を押さえてくれたから」
 横山が口添えした。
「伊達さんの写真もうまく取れていましたよ」
「そうですか。それは良かった」
「宮崎の気候は如何でしたか?」
「いや、それが暖かかったので驚きました。真冬なのに16度もありましたから。FAX送ってもらって助かりました。有難う」
 鎌田がお茶を飲みながら尋ねる。
「何か困ったことはなかった?」
「ええ。都農町の山中で花粉症をもらいまして」
 横山が同情する。
「それは大変ですね。今年はあたり年だそうで皆さん困っていますよ」
「そうだよね。うちとつきあいのある銀行の職員も鼻が詰まると言ってこぼしてたわ」
「そうなんですよ。薬を買っても治らないですね。この苦しさは罹った人しかわからないだろうと思います。何せ、思考力がなくなっちゃいますよ」
 笑いながら、ふと伊達は思いついた。
「困ったことといいますと、都農町の第六例の水牛農家なんですが、牧場主に面会出来なかったんです。獣医師のコメントは資料から取れたんですが。横山さん何とかインターネットで、この農場主のコメントを検索出来ないかな?」
「調べてみます。とりあえず、宮崎県口蹄疫から検索してみます」
「大変だと思うけどお願いします。おそらくキー・パースンだと思う」
 横山は伊達の顔を見つめうなずいた。
 そのとき店員が「お待たせしました」と言って上にぎりを運んできた。

事務所に戻ると鎌田と伊達は再び社長室に入った。
「はい、お茶をどうぞ」
事務の小柄な横山みずきが応接テーブルに二人分のコーヒーを置いた。
それを一瞥した後、鎌田は伊達に質問した。
「あなたの報告書によれば、そのころ大和田の第3、4農場(高鍋町)では牛数頭が行方不明になったようね。感染牛の隠蔽との話もある。また5月連休明け直後には、延岡市の牧場に、好条件で和牛200頭の受け入れを打診していることが判明したと書いてるわね。
「川南町一帯は移動禁止区域であったはず。どこから、延岡に移動するつもりだったのか疑問が残るわ」
「その内容は、矢澤さんから得た資料を使っています。大和田の行動には不可解なことが多いんです。それらはローカルの地元紙がスクープとして取り上げています」
「大和田の第七牧場が初発としてその原因は?」
「それについては諸説が流れているが確としたものはないんです。中国、韓国などの東アジアから、人などを媒介としてウイルスが侵入したと考えるのが一般的です」
「そうなんだ。大和田の管理面はどうなの?……」
「牧場の管理体制はずさんなものだったようです。従業員や飼料の運搬、糞尿処理などについての防疫体制は不十分で、いったん一ヶ所で発生すれば感染拡大は避けられなかった。川南町の第七牧場だけで済むなら問題はないのです。実際はその横が生活道路となっていて、多くの車が往来していました。また周囲は 牧場の密集地帯でしたからね」
 鎌田は少し考えて言った。
「国の調査では、初発がどこかという問題はすでに結論が出ていた。つまり推定発生日が3月26日の第六例の水牛農家だね」
「ええ。しかし、これに対し県の調査は猛反発しています。第六例と第七例の大和田牧場を、並列して初発の可能性があると言及しています。児湯郡の大多数の農家が、大和田が初発と考えている現実を変える訳にはいかなかったんですよ」
「初発が大和田の第七牧場として、なぜ都農町の山中にある農家で発生したの?」
「これは被害農家の推測ですが、大和田が山中に数頭の牛を引き連れて放牧地か、分散しての避難場所かを検討していたといいます。その時に吹いた風がウイルスを運んだのかもしれない。また一説には、死亡牛を運んでその山中に埋めたという話もあり、事実かどうかは不明です。 第六例ではチーズ工房を併設していて、川南町の農家が従業員として通っていたし、観光客も往来していた。何かの加減で大和田牧場の関係者が立ち寄った可能性も否定出来ないというのが国の報告ですが」
「都農町の二つの事例の関係はどうなってるの?」
「第六例と第一例は数百メートルの距離だから、国の調査チームが推定しているようなことで伝播したと思われます」
「なるほどね。後は物的証拠だわね」
「そうなります」
「その後の大和田牧場は?」
「現在高鍋町の第三牧場などを運営しています。しかし川南町は閉鎖したままで従業員は北海道や東北、栃木などに分散配置されたらしい。解雇すると爆弾発言が出るから。現実に覆面発言が出ていますが、解雇や報復を恐れて沈黙を保っている人はかなりいます。大和田牧場にとっては、きっかけがあればいつでも噴火する火山のようなもんです」
「問題の獣医師の所在は?」
「本社で隔離されていると聞いていますが、その後はわかりません。調べます」
 会議はこれでお開きとなった。鎌田は調査に満足したようだ。横山みずきは午後から伊達が依頼した第六例の水牛農家の牧場主のブログがないか調査した。だがそれに該当するものは見あたらなかった。伊達は出張旅費の精算をしているとき横山からその連絡を受けた。欲しいものが手に入らない悔しさが残ったが時期を待つことにした。

翌日には鎌田社長を通じて肉牛組合理事長の河田に報告書が送付された。初発がどこかと言う疑問に対しての回答は、おおむね了承される。感染の拡大状況及び、県庁の対策が後手に回ったと言う結論に関して河田は伊達の報告を評価したとのことであった。この知らせを聞いて伊達はほっとした。

それから一週間後
家畜伝染病予防法改正との新聞見出しを見て鎌田社長は言った。
「県による、農場への立ち入り調査権は見送りとなったわね。これについてはどう思う? 個人の財産権への侵害となるのか、私は素人だからよくわからないわ」
 伊達は事情を説明した。
「組合として河田理事長は強く要望したのですが、認められなかった。もしこの案が通っていれば、そして遡及して調査出来るのであれば大和田農場の実態が明らかになっていたはず。今後同様なことが起きた場合を考えれば、残念な結果です」
「しかし金融庁による銀行検査は、やられているんじゃないの?」
「それは問題が大きくなった時でしょう。それでも金融庁は銀行の定期検査をやっていますね」
「それはそうだけど」鎌田はまだ納得出来ないようだった。
伊達が外出しようとすると鎌田が止めた。
「ちょっと待って。話が変わるけどあんた結婚する気はないの? 端正な顔立ちで体格も立派なんだし、何時までも一人じゃもったいないわよ」
伊達は笑ってごまかした。鎌田はなおも迫った。
「何、それとも何か理由があるの。まさか、男が好きだとか言うんじゃないわよね」
「はあ? とんでもない」そういって伊達は退散した。

特例と種牛論争

 平成22年6月 河田は高鍋町にいた。
 河田が運転する車は高鍋町のホテルを出ると10号線に出て小丸川を渡ったが、この川は感染拡大を阻止するのに重要な意味を持っていた。口蹄疫の感染が広がっているとき、県は消毒ポイントを設定して車両の消毒を行った。(当初県が消毒対象にしたのは畜産農家の関係車両のみであり、一般車両はそれから一ヶ月後のことだ)しかしそのポイントが中途半端なものだった為車両は混雑を嫌う。運転手がクレームをつけたり別ルートに迂回したりして消毒は徹底できなかった。川を境に検問所を設置すれば、混雑は生じるが徹底できたのだ。事態を甘く考えていたために一部地域での封じ込めができず、感染被害を大きくしてしまった。
 GW明け後の感染状況は悲惨なものだった。日々増大する家畜の処分に、人手も埋却場も足りなかった。感染の不安には目をつぶり一週間以上死亡牛、豚を放置せざるを得なかった。こうした状況に河田のもとに届く被害農家の声は次第に弱々しいものに変わる。実際宮崎はおろか九州一円がウイルスの惨禍に見舞われると考える農家は少なくなかった。
 一方期待もあった。首相が宮崎県を訪問し農水副大臣が現地で実務を詰める段階で、16日には現地に政府の対策本部を作ることが決定した。これにより県と国の方針が異なり、対応策がちぐはぐであったものが一本化された。なにせそれまでは少数の国の職員が県からないがしろにされるケースも出ていたのだ。
 このころ県の畜産課が危惧することがあった。それはスーパー種雄牛を保有する家畜改良事業団への飛び火だった。そのため県は5月10日から内密に事業団が保有する主力の種雄牛6頭を移動制限区域外に移す特別許可を農林水産省に要請していた。
民間の家畜を蔓延防止の為移動禁止にし、ウイルスの発生が見られた農家の家畜は次々に全頭殺処分していた時期のことだ。県としては表沙汰になるのを避けたかった。
他方国としても被害農家の心情を斟酌し、さらにはOIEが納得する理由付けを必要としていた。
 河田は国の報告書の関連部分にじっと目を通した。
5月11日に動物衛生研究所が行った種雄牛6頭の結果が陰性であったことを理由に、国は13日にその6頭の移動を特例として認めた。ところが14日に4頭の検定用肥育牛に異常が見られた。口蹄疫の症状である発熱、流涎、びらんだ。急遽家保は検体を動物衛生研究所に送付する。
 結果は16日に判明した。遺伝子検査はすべて陽性、抗体検査はすべて陰性であった。
これは初期段階の発生を示しているとのこと。驚いた農林水産省は担当者を事業団に派遣し調査した。その結果14日の前には口蹄疫を疑われる異常牛はなかったとの結論を下した。
 ところが県は13日朝のチェックで検定用肥育牛1頭に発熱があったことを隠していたことが判明する。家保が送付した検体にそれが含まれていたと露見したのだ。このことが後に県の行為にいろんな疑惑を生むことになった。さらに5月21日、尾八重農場に移動した種雄牛6頭のうち1頭の検査結果が陽性となった為様々な憶測が流れた。
 国は16日に判明した牛の発症日を11日とし、ウイルス侵入日を4日とした。これで家畜改良事業団は第百一例目となった。
5月16日県は種雄牛と肥育牛とでは管理者が異なるとして、種雄牛の殺処分回避は可能と考えていたが、国の同一農場という見解により殺処分が決定した。
 この翌日には県は尾八重に移動した6頭を除き49頭の殺処分を、翌日の17日には実行しておかねばならなかった。だが感染力が強い豚の殺処分を優先するという理屈をつけ先にのばす時間稼ぎをする。ところが県の目論見どおりには、ことは進まなかった。5月28日事業団は種雄牛49頭のうち2頭が口蹄疫の症状を発症したことを明らかにする。その後5月31日になって漸く49頭の殺処分は実行された。

 こうした県の対応に農家が黙っているはずがなかった。
「種雄牛の件、13日に事業団は移動規制となっているにもかかわらず、特例を作って動かしました。民間の牛は殺しておいて勝手ではないですか?」
 ここにきて河田は実態を把握することを決意した。それは「初発はどこか」の問題と同じように、国の報告書や県の対応について批判的な目で真実を探るということだ。そのためには家畜改良事業団を見ておくべきだと思った。
川南町に進む前に10号線を右折して少し行くと平原に出た。その周囲では茶畑や、野菜を栽培する田畑が広がる。中ほどに広大な敷地を持つ家畜改良事業団が位置している。この敷地で308頭の種牛と肥育牛を育成管理していたという。だが今では閑散として死んだ様な静寂を保っている。地面を見つめると黒土の上を消毒した白い石灰が点在していた。
 この家畜改良事業団は資本金9千8百万円でうち4千万円は県が出資している。畜産課の管理下にあり、18会員を抱えている。高鍋町に種雄牛センターを、高原町に産肉能力検定所を持っている。事業部は2区分され、業務課と検定課に分かれ、主に業務課は肉用種雄牛の飼養管理、肉用牛凍結精液の製造、現場後代検定事業をとり行い、検定課は肉用牛産肉能力検査、県有候補の種雄牛育成管理を受け持っている。
 農家の指摘事項は次の四点だった。

1 種牛の特例処分に関し県は「虚偽報告」を行ったのではないか。国が条件として提示した関係者全員の賛成をとること、並びに移動場所の付近に牧場がないことの条件に合致しない点がある。
2 肥育牛の口蹄疫発生に関し事業団は虚偽の報告を行った。
 この最初の二点に関して河田は被害農家から寄せられた情報を元に、その事実を丹念に追う作業を行った。
事業団は「14日に4頭の検定用肥育牛に発熱、流涎、びらんが確認された」と言う。しかし関係者はその何日か前(10日か11日)既に症状が出ていたが事業団は隠していたとの疑問を抱いていた。その目的は5月13日の種雄牛の移動を実施するためだったと。またそのころに事業団で異常牛を見たとの情報もあった。
川南町の南隣に位置する高鍋町は城下町であり、当時の藩主は秋月氏である。桜祭りで名のある舞鶴公園は高鍋城址であり、天正一五年(1587年)より秋月氏が居住したという。高鍋町議会はその近くに建っている。議会はこの事業団における症状がいつ起きたかで紛糾する。12日前後に事業団の異常牛を見たという発言が町職員から発されていたからだ。古参の女性議員が舌鋒鋭く詰め寄ったが、職員が否定したことでうやむやに終わった。
さらに13日朝のチェックで発熱があった事実を県が隠していたのは農家の疑惑を深めた。種雄牛の移動はその日の12時半に行われたからだ。だが県はそれ以前から移動の話をしていたとして否定する。
 河田はあるルートから事業団で感染している肥育牛の写真を入手していた。それは問題の突破口にと考えていたものだ。写真を手に取り農家に河田が尋ねる。
「これは14日に撮影されたものです。水泡ができ、それが破れて表面が赤くただれています。このような状態になるには3日ぐらい要するでしょう。そうすると10日か11日には発熱とか、食欲不振の症状が出ていませんか? またそれ以前にもたとえば4日あたりに先駆して症状が出た牛がいたのではないかと私は考えているのですが?……」
 農家はその意見に賛同するも、写真だけでは決定打とはならなかった。

3 種牛・肥育牛の移動に関し法律に違反した。
当初県は種牛と肥育牛は別管理でしかも異なる場所で飼育していたから、6頭に限らずすべての種牛は生かしたいと言っていた。しかしこれは高鍋町の家畜改良事業団内の敷地で飼育していたことから国は認めなかった。同様に種雄牛は移動制限区域内では移動出来ないはずだ。それなのに県は国に要望して認めさせた。県はいろんな口実をつけて法の前の平等という正義を踏みにじった。
4 移動先(西都市尾八重地区)での発生を隠蔽 
 種雄牛6頭のうち忠富士が感染したのが5月21日となっているが、実はもっと以前ではないかという疑問を農家は持っている。さらに他の5頭も移動した尾八重農場にいたわけだから殺処分すべきではないかと言う主張だ。いずれにせよ県はその経済価値を強調してスーパー種雄牛を残すことに奔走し、結果として成功した。

 これに対し、事態の推移を見守っていた業界関係者は特例措置への反発を強め記者会見でその趣旨を説明した。
5月29日、肉牛組合理事長の河田と養豚協会会長の都築は6頭を除く49頭の速やかな殺処分を求める要請書を県知事と農林水産大臣に提出した。記者会見で河田は言った。
「宮崎の牛がいないと全国の銘柄が成り立たないと言われているが、私はそうは考えない。このまま殺処分しないでうやむやに終わらせては、他県の肉牛生産者は宮崎の牛、精液を怖くて買わないだろう。だから結局宮崎の生産者の為にはならない。またOIEによる清浄化に認定が遅れることにもなりかねない。県は大事な牛だから残したいと言うが、農家の牛は大事ではないのかということになる。感染して処分される農家、ワクチンを打たれて殺処分される農家、自分の牛を思う気持ちは皆同じです」
養豚協会の都築会長は、
「先進国では口蹄疫が出れば48時間以内に殺処分を実施している。それが遅れてきたことが、感染が広がった原因の一つだと思う。メディアの皆さんには今、種牛が大事か、畜産業が大事かを考えて頂きたい。種は多少の時間はかかっても取り戻せるが、ここで日本が口蹄疫汚染国に成り下がったら、日本の半値以下で生産される畜産物が輸入されるようになる。ただでさえ大変な国際競争にさらされている所に、我々の産業自体が成り立たなくなる」と訴えウイルスを封じ込める対応を最優先に、例外措置は許せないとの考えを強調した。
 他日、河田と石井は尾八重に向った。種雄牛が居るという牛舎を確認したかったからだ。高鍋町からは西都市に向かい、およそ1時間ほど進んだろうか。ひんやりとした山の冷気を感じた。山をかなり登ったところに牛が2頭いた。種雄牛6頭の居るところから直線で1キロメートル、道路を走ると3・5キロメートルの距離だ。
「確か種牛の移動条件には他の牛に感染しないところへ、という条件が付いていたはずなのに……」河田と石井はそのとき首をひねった。


第2回目の出張
県による種雄牛の対応に河田は納得できないため鎌田を通じ再度伊達に調査を依頼した。
「内容は家畜改良事業団が行った特例措置は不法であり、認めがたい。また県は事実を隠蔽していると言う農家の疑惑を明らかにして欲しい。このあたりは本来弁護士の業務かもしれないが、論点を取材し纏めてほしい」との意向だった。
伊達は了承し日程を河田とすりあわせ3月初旬と決めた。
鎌田社長は「そう、仕方ないわね」と言って次の仕事を他のメンバーに変え、不承ながらも了解した。伊達は平成23年3月4日早朝、羽田から宮崎に飛んだ。
伊達は県や国の調査報告書を抜粋してこの問題の推移を考えることにした。機内で自分が纏めた簡単な資料を読み返した。

*県の調査報告書
 移動制限区域及び搬出制限区域は防疫指針に沿って、国とも協議を行ったうえで設定された。移動制限は原則として発生農場から半径10キロメートル以内、搬出制限は半径20キロメートル以内と定めている。(これに対し、10年前の口蹄疫の発生時には20キロメートルで移動制限、50キロメートルで搬出制限が設定されていた)
県は国との協議を再度行ったうえで、家畜改良事業団の種雄牛の移動について特例承認を行ったがこれについては、県内外から多くの批判がある。検証作業において、移動制限違反の事実が確認されたこと、さらにこの事実を県の防疫対策本部がまったく認識していなかったのは、大きな問題である。

*国の調査報告書
5月13日 事業団は種雄牛を移動。しかし13日朝の健康チェックにおいて検定用肥育牛1頭に発熱(39・9度)が確認されたが、流涎等の症状が見られなかったことから口蹄疫を疑わずに抗生物質を投与した。
5月14日 別の4頭の検定用肥育牛に発熱、流涎、びらんが確認されたことから、12時30分に事業団から家保に通報した。家保は速やかに立ち入り検査を行い、発熱が確認された上記5頭の検体を採取して動物衛生研究所へ送付した。あわせて同日深夜、発症牛と同居していた10頭から殺処分を開始する。
(遺伝子検査の結果は16日に判明し、5頭すべてが陽性であったが、抗体検査の結果はすべて陰性であったことから、口蹄疫の発症は初期段階にあったと考えられる)
5月15日 農林水産省は事業団へ担当者を派遣し、牛の健康チェック表や業務日誌を確認するとともに、事業団に対する聞き取り調査を行う。種雄牛、検定用肥育牛ともに14日の前には口蹄疫が疑われるような異常は見られなかったことを確認した。
5月16日 県は種雄牛と肥育牛とでは管理者が異なるとして種雄牛の殺処分回避は可能と考えていたが、国の同一農場という見解により殺処分が決定した。西都へ移動した種雄牛6頭については一週間の経過観察とする。また同日、高鍋町の県立農業大学で牛の疑似患畜が確認された。

5月21日 尾八重農場に移動した種雄牛6頭については、1頭(忠富士)について口蹄疫の症状を示さないものの、検査結果が陽性となり口蹄疫ウイルスに感染したことが確認された。そのため同日殺処分。残る種雄牛については22日から2週間臨床観察及び遺伝子検査を実施するとともに、2週間目の抗体検査によって感染していないことを確認。事業団への感染要因としては、5月4日に2ヶ所の口蹄疫発生農場に飼料を搬入した車両が、5月5日の最初の配送先として事業団へ搬入していた。それでこの運送業者の車両または人の移動が疑われている。

 伊達は21日以降の出来事を次のようにまとめた。
5月24日 農林水産省は宮崎県が希望している種雄牛49頭の殺処分回避について特例を認めず、県に早急な処分を求めることを正式に決定。同日県立高鍋高校飼養の乳牛で疑似患畜が確認された。翌25日に飼養する牛・豚334頭が殺処分される。
5月28日 口蹄疫対策特別措置法が参議員本会議で可決成立した。事業団は種牛49頭のうち2頭が口蹄疫の症状を発症したことを明らかにした。
5月31日 事業団は管理している種牛49頭を殺処分した。その中に4月21日で21歳となった、伝説の種牛といわれた長高齢の安平もいた。この安平の精液を基に作られた子牛の肉は、霜降り具合やロース面積の広さが高い評価を得ていた。
種牛というのは、牛の繁殖や品種改良のために飼う雄の牛を言う。ここではスーパー種雄牛として、福之国、勝平正、秀菊安、美穂国、安重守、忠富士の6頭が有名だった。それらは棚橋県知事が「宮崎の宝」といった牛たちだ。だが今場所を変えて生きているのは忠富士を除く5頭のみで、残りの種牛や肥育牛は殺処分されてしまった。


 伊達は高鍋町のホテル葵でチェックインした後、人気のない家畜改良事業団に回った。車から降りると牧場の周りを少し歩散策する。周囲は平坦な平野が広がり、そのなかで茶畑や野菜が栽培されている。事業団の農場には散布された石灰が残っており、河田の話の通り、人や車が出入りする門は封鎖され牛のいない農場は閑散としていた。
 伊達はその後予約していた木城町の石井宅を訪問する。久方ぶりの対面に伊達は笑顔で石井と握手した。石井の右手は確かに骨太で牧童の手だった。玄関横の土間には年配の天野獣医師が待機していた。伊達は今回の目的が種牛の調査であることを説明した。
伊達は石井の太い眉を見ながら言った。
「家畜改良事業団での発生には驚かれたでしょう」
 石井は往事を思いかえした。
「事業団や農業大学、畜産試験場など公的機関で口蹄疫が発生したのがわかると、はっきり言って県の管理の杜撰さにあきれましたね」
「種牛の問題でいろんな疑惑が浮かんでいますが?……」
「そうなんです。農家の牛は簡単に殺せという。ところが事業団の牛は特別扱いで、こそくな手段で守ろうとする。全くやりきれんですよ」
 石井のこめかみには青筋が立っていた。
「その通りですよ」伊達は同意しながら背広から写真を取り出し天野獣医師に尋ねた。それは河田から預かったものだ。
「これは家畜改良事業団で見つかった写真です。患部の水泡が破れ赤く広がっています。
口蹄疫の発症過程から考えて、これは何日目と推測できませんか?」
青白い顔の天野は答えた。
「発熱、震え、水泡、びらんと漸次変化していきますが、何日目と断定するのは難しい。獣医師が毎日同一の牛を見ているわけではないのです。これは水泡ができ、それが破れた直後の写真ですが前日発症したものでないことは確かです。口蹄疫にかかった牛が当初食欲不振であっても、3~4日たてば食べ始めます。次第に治癒していくのです。発生過程の写真は、もしかしたら動物衛星研究所にあるかも知れませんが、日本で入手するのは困難でしょう」
「そうですか」
 伊達はもっと積極的な発言を期待していたが天野は慎重だった。
 話は大和田牧場のことに移った。天野が言う。
「県は大和田牧場に県外の獣医を4月26日に派遣しました。そこには725頭の牛がいたそうです。彼らが大和田の第七牧場で殺処分しました」
 伊達は獣医師の顔をじっと見た。
「なぜ県外の獣医師を? 川南町及びその近辺には獣医師が沢山いるのに」
そうなんだ、という風情で天野はうなずいた。
「これを見て下さい」天野は鞄からその時の一枚の写真を取り出し伊達に渡した。
「口蹄疫がピークだったころの写真です。最初の日、獣医師は5頭のみ採血しました。合計では15から16頭採決したと聞いています」
伊達は口蹄疫にかかった大和田牧場の牛を撮った写真に見いった。牛の口腔がこじ開けられ、その大きな舌の一部が真っ赤になっている。異様な雰囲気を伊達は感じ取った。天野によれば、殺処分を行う時ほとんどの牛がこのような感染に罹っていたか、その跡があったという。
 伊達は天野に獣医師の現状を尋ねてみた。
「今獣医師の方はどうされています?」
天野はふっと悲しそうな表情を浮かべた。
「多くの獣医は精神的に病んでいます。仕事がなく獣医師への補償はない。生活への不安でいっぱいなのです。今回の被害者の方はものを言えるでしょうに」
すがるような顔だった。話の途中だったが、天野は県が発行した獣医師への感謝状に怒りを隠さなかった。「見せて欲しい」伊達が頼むと天野は病院からFAXで取り寄せテーブルの上に置いた。手にとってみると確かにそうだ。ワープロで打たれた文章に知事がサインし、それをコピーしたものだ。各獣医師は郵送されたものを受け取ったという。
 伊達は言葉を失った。全く感謝の気持ちが見れない、「木で鼻をくくった」という表現がぴったりする仕打ちだ。県の事務方はいったいどんな気持ちでこの感謝状を作ったのだろうか? 石井が缶コーヒーを配り始めた時伊達は尋ねた。
「その後の事業展開に進展はありましたか」
 石井の顔は自信に溢れていた。
「お陰様で牛を買い入れ以前の規模に戻すことができました」
「それはすごい。よかったですね」
 伊達は感心した。そのやり取りを聞いていた天野は説明した。
「それは大変な努力です。一般の畜産農家は疲弊しており、今平均で4〜5割の水準に戻ったぐらいではないですか? 農業を放棄したり口蹄疫に不安を感じる人も多く、今後の伸びはあまり期待できません」
 口蹄疫の後遺症は一年経っても癒えていないことを伊達は実感した。


民間種牛農家
 この日は、今までとはうって変わった、どんよりとした曇り日だった。朝8時過ぎにホテルを出た伊達が運転する車は、同じ高鍋町の古川の家に向った。昨年河田は7月8日から11日間、民間種雄牛の処分をめぐる問題で宮崎を訪れていた。伊達はその問題のトレースをする目的だった。
 古川は民間種雄牛の保護を訴える種雄牛牧場の主であり、自分の信念を貫く反骨の士である。いかにも農家の屋敷といった風情の古川邸の前で伊達は車を止めた。
その入り口近くの小さな庭に新しい慰霊碑を見かけた。1メートルほどの高さの敷石上にある慰霊碑には6頭の種牛の名と年齢が、また他に408頭が犠牲になったと記されている。伊達は慰霊碑に向かって合掌した後、玄関へと足を向けた。
玄関の戸を開けると小太りのパグが狂喜乱舞といってもよいほどの勢いで伊達を迎えてくれた。一般に畜産農家の犬は人なつっこい。名前を聞くとマルという。古川は足を引きずりながら現れマルをなだめた。白髪の顔に刻まれた皺には、年輪に通じる経験、労苦を伊達に思い浮かばせる。
奥さんが控えめに現れ、お茶と茶菓子を差出した。のどに乾きを覚えていた伊達は礼を言って湯飲みの茶を半分一気に飲んだ。
話は事業の再建に向けた種牛の調達から始まった。
「鳥取の種を入れたい。気高系、糸桜系、安福系の三本柱で種牛をつくる」
 ひとしきり牛の購入予定の話が続いた。伊達には古川が過去は過去として新しい希望を求めていることがよく理解できた。その間パグが暴れまくっている。伊達はじゃれるパグを抱きかかえたのはいいが、なんとも言えぬ悪臭を感じた。それは犬や猫が発するホルモンだと言われたことを思い出した。
 古川は伊達の顔を見ながら、自分が運営する組合の話に移った。
「それと昨日優生研究会総会を行い40人が参加したですよ」
「そう、それはすごいですね。順調に事業が復旧に向かっているのは」 
「まあ、ぼちぼちとですよ。地道にね」
「皆さん、気持ちの切り替えが大変だと聞きましたが」
「ええ。がんばって建て直しをしても、もし口蹄疫が再発したらと考えますとね」
 伊達は古川の気持ちがわかる気がした。折れた心を何とか修復して自分を振るいたてながら、汗を流し金策を行い人手を集めても、一旦ウイルスが猛威を振るえば、そうした努力はガラガラと音を立てて崩れてしまう。その場合には年齢を考えても再起不能となるのは自明だった。
自然と共存し、あるときは闘いながら生きていくにしても、時に天はあまりにも過酷な運命を農家に与えるものだ。伊達は飛び回る犬に視線をやりながら聞いてみた。
「殺処分された牛の損失は大きかったでしょう」
古川は顔をゆがめた。抑えていた愚痴が思わず出たようだ。
「うちの牛の場合殺す必要はなかった。差し迫っている状況ではなかったですよ」
伊達はうなずくしかなかった。伊達は当時マスコミが大きく取り上げたという、古川が執念を賭けた県との戦いに思いをはせた。 家畜改良事業団が特例を楯に種牛の移動を強行したとき、県は古川の種雄牛をワクチンを打って殺処分するように命じたのだ。同じ高価な種雄牛をかたや法律で決めた移動制限を無視して生かすのに、民間の牛ということで畜舎内に発生もしていない牛を殺せと言うのは余りに理不尽ではないか。古川の熱い気持ちに火がついたのは伊達が想像するにかたくない。
 県との交渉の過程で、古川は自分の種雄牛を無償で差し出す代わりにそれらの生命を生かすことを知事に嘆願した。知事は無償提供という話を聞いて態度を変え、県のスタッフや国との協議を重ねていた。しかし農林水産大臣はOIEへの配慮や他の農民感情を考慮し知事の依頼をはねつけたのだ。
 古川を直視して伊達は切り出した。
「棚橋知事との交渉はどんな感じでした?」
「知事はそれは勧告だといった。本気で種雄牛を守ろうとしたことは間違いない。しかし農林水産部からも迫られあの人は最後に変わった。清浄国になれん、解除もできんと言われた」
時に金属音に近い高い声を出す棚橋知事を思い浮かべると伊達はその場に立ち会っているような錯覚さえ感じた。その後喉の乾きを覚え白い湯のみに手をかけながら、伊達は持論を言った。
「特例措置は問題です。民間の牛と県の牛を区別する理由は無いはずですよ」
「県の場合は忠富士が感染したとき殺すべきだった。移動するときと今回で特例を2度も出しています。家畜農業再生のためには種雄牛が必要だが、民間を県と同じ扱いにしてくれなかった。県は大和田牧場を指導するといっているが、県自体が姿勢を正さねばならんですよ」上ずった古川の声だった。
 伊達は河田から託された一枚の写真を見せた。
「家畜改良事業団は牛の発熱は14日と言ったが、13日に発生しています。この写真は14日撮影のものです。3日前に症状が出ているとして、12日には移動禁止、かつ牛は殺処分の対象だったはずですが」
この話が現実であれば、いやおうなしにスーパー種雄牛は6頭とも殺処分となっていた。古川は写真を手に取り顔に近づけた。
「そうですね。この写真の状態だと牛の舌の水泡がはげている。少なくとも2日前には何らかの症状が出ていたと思われますが」
「実は大和田牧場の同じような写真を獣医師に見てもらったのですが、写真だけでは弱いと……。 これを補強する証拠が必要だとのことなんです」
伊達はうつむいた。追い込むのに後一歩なのだ。目撃者の証言か、関係者の内部告発かそれとも物的証拠か何かがあれば…………。じれったい自分を抑える勇気がいった。
 古川は黙ったままだ。伊達は話題を変えた。
「優生研究会の由来は?」
「事業団は会員だけに種牛を与えたが、公正取引委員会は問題視しています。また事業団は種牛の血統を公開せず、農協と組んで品評会から我々民間業者を締め出した。それでやむなく研究会を作ったんです」
「なるほどそういう経緯ですか」
伊達は苦笑いしている古川の顔を見た。
「それでも宮崎では畜産家の95%が事業団の種を使っているんですね」
 古川はうなずき顔をしかめた。
礼を述べて玄関を出ると左手に川が流れていることに気づいた。正面には小山がある閑静な地域だ。帰りがけ、尻尾を振って追いかけてきた犬のマルがじっと伊達の顔をのぞく。伊達は犬の頭を優しくなでながら、「また来ますから」と小声で呟いた。

 高鍋町の古川の屋敷を出ると伊達は高速を使って車を宮崎市へと走らせた。それは矢澤から種雄牛関連の情報を得るためだ。すでにアポは取ってあった。落ち合う場所は初回一緒に食事したレストランで、ということになった。
矢澤はいつもと同じ笑顔で伊達を玄関で迎えた。店内は昼食時のためほぼ満杯状況だったが、矢澤は予約をいれており以前使ったと同じ場所に二人は腰を下ろした。
そこは話を盗み聞きされる恐れも少なく、背後が壁で囲まれ他人の話に邪魔されることもなかった。お互い、現在の状況を確認しあった後伊達が話し始めた。
「畜産課の田中対策監は農家に消毒徹底を言っている手前、早々に種牛を移動させることには抵抗があったようですね」
「そうだと思う。感染エリアが拡大すると、豚にも影響が及ぶのは自明のことだ。4月末に県は特例による種雄牛の移動を決意し、水面下で農林水産省に打診した。話し合いが動き始めたのは5月8日だったという」 
「種雄牛だけは守らんと築き上げた宮崎の畜産が終わってしまう。残っていれば経営再開に期待が持てる。県内の農家には避難に肯定的な意見が多かったと聞きます……が?」
「その通り。ただ突然の種雄牛避難は殺処分をしている現場に混乱を与えた。自分の牛は逃がしてうちの牛は殺すのか? と納得できない農家がいたんだ」
「事業団は種雄牛と肥育牛を飼っていましたね」
「当時高鍋町は移動制限区域に入っていた。そして同町内にある家畜改良事業団には黒毛和牛の種雄牛55頭と肥育牛259頭の合計314頭が飼育されていた。5月10日棚橋知事は宮崎を訪問した農水大臣にスーパー種雄牛6頭の移動制限区域外への避難を認めるよう懇願し、異例の政治決着で認められる。これに国は次の三つの条件を課したんだよ。
 1 6頭の清浄性の確認
 2 移動先における清浄性の確認、防疫管理の徹底
 3 被害農家の同意を得ること」
「農家の共感を得ないと矛先は国に向かいますからね」
「そう。結果5月13日に種牛6頭は西都市の標高8百メートルの山中にある尾八重に移動した。この話は緊急事態下にあって法令違反だとの声が強いがね。この特例が後に起こる民間種雄牛論争の起爆剤になったんだ。
 翌14日に事件が起きる。事業団の肥育牛4頭で発症が確認されたんだ。検査の為、動物衛生研究所に送られた5頭の検体すべてが擬似患畜と認定された。このケースでは、本来スーパー種雄牛を含め314頭がすべて処分されてもおかしくない状況だった。それに14日に発症があったとされる件は、実は13日に発熱があったことが発覚した。種雄牛6頭の移動はそれを知っていて、事業団が急遽移動したのではないかとの疑惑が農家の間に深まったんです。4頭の発熱が確認されたのだけど、5頭の検体を検査に送った。その1頭は何なんだということだ」
「思わぬところから足がついたんですね」
 矢澤はうなずきながら続けた。
「畜産課と事業団は一体で事実をぼかしている。この組織に乗っかった棚橋知事は奇妙な論理で49頭の殺処分を免れようとした。当初種雄牛は尾八重に移動した6頭をあわせると55頭が飼育されていた。感染が確認された肥育牛と49頭の残った種雄牛は、同じ敷地内とはいっても離れた場所で、扱う人も違っていた。だから別条件だからと命ごいを国に申し出た。これに対し国は、あくまで同居家畜だとして308頭の殺処分を要求したんだな」
「往生際が悪いと言うのか?……」
「まもなく肥育牛はすべて殺処分されたが、49頭の種雄牛は1週間たっても生きている事が確認された。さらにその1週間後の5月21日、6頭のうちの1頭忠富士が発症していることが確認された。ルールから言えば残りの5頭はこの段階で忠富士とともに殺処分されねばならなかったのだが……」
「6頭が個別に仕切で隔離されていたというのは詭弁ですね」
「そうなんだが、不思議なことに国はしばらく黙認した後、経過観察という第2の特例を県に与える。だが、5月26日に49頭のうち2頭、感染が疑われる症状が確認された。
これを受け県は翌日に殺処分の決定を下す。30日には49頭すべてを殺処分とした」
「話はコロコロ変わりますね。そうした中で知事はどういう動きを?」
「知事は世論の流れをくみとる本能をもっている。どうも時間稼ぎをして牛を殺処分することへの同情心がわき起こることを狙っていた節がある。だがそれもついえてしまった。
そこで次なる戦術を考えた。知事は、49頭に続き5頭が処分されると種雄牛を失って、その回復には7年を要すると触れ回った。マスコミもその広報をもとにした報道を繰り返す。だが実際には、比較的短期間で種雄牛として稼働出来る牛が存在していた。それは16頭の候補種雄牛で高原町の畜産試験場に係留されていたという話だ」
「それではまるで天邪鬼の世界ではないですか」
 伊達はため息をつきながら、次の質問に移った。
「その後、種牛はどうなりました?」
「現在種雄牛5頭は2カ所に分散管理されている。西都市の仮説牛舎と、高原町の産肉能力検定所だね」
「なるほど。分散管理は、リスクは分散されますがコストは高くつきますね。経営者にとっては痛し痒しですか?」
「その通り」
 これで矢澤との会話は終わった。矢澤は来週東京への出張が予定されているとのこと。せっかくだからと伊達は河田と三人の対談を矢澤に提案した。矢澤は心よく快諾した。

 都農、川南、高鍋と伝播したウイルスは南下し新富町を襲っていた。矢澤との会談を終えると伊達は10号線を下り新富町に向かった。河田が新富町の農場主である池永健一に話を聞くよう勧めていたからだ。池永は小柄で浅黒く日焼けした畜産農家である。彼が発する強い言葉を聞いていると、意思強く生きてきた人のようだ。
 一通り河田から聞いていた話を池永に確認した後伊達は尋ねた。
「その後、県との話は進んでいますか?」
「今は鳥インフルエンザがはやっているということで、県は苦情を受け付けません。古川さんの弁護士と話をして早く決着を付けて欲しいですね。県が模範とならねばどうにもならんのです。被害者協議会との話し合いの場で、県の対策監は知事に、口蹄疫の症状は一日でも口腔内が赤く腫れてただれるといったがそれは正しくない。念のため7月9日に糞も血液も持ち帰ったが、独立法人の検査機関はその検査を拒否したんです」
 伊達は丸顔の池永の顔をじっとのぞき込んだ。
「農場の牛の処理はどうされました?」
その問いかけに池永が胸中の不満をぶつける。
「48頭殺生しましたよ。それで平茂勝の後継牛がいなくなりました。優良品種3頭が全滅です。5月25日にワクチンを接種し、6月19日にトラック7台で家から500メートル離れた共同埋設地へ送ったんです。牛飼いは自分の屋敷では殺さないですよ。
神社に鎮魂碑を作り今でも拝んでいます。それでも、安糸福の妹はなんとか難を逃れましたが……」
一呼吸おいて伊達は質問する。
「牛の殺処分はどうされました?」
 池永は2、3度瞬きした。
「6月18日から末まで近隣の応援を得て殺処分をしました。殺処分は一番にしてくれと頼みました。庭先で血を見なくてよかったと思っています」
「県の初動の遅れが非難の対象になっていますが?」
「今でも、口蹄疫の対応に行政は手ぬるかったと思います。緊急の折は土地収用法で埋設地は確保できるはず。それに、状態が悪い牛を中抜きにして飛び火を防ぐようにと県に要請したんですが、聞いてもらえなかった」
「それは難しい判断ですね。ところで今池永さんが困っていることは?」
「現在の問題は補償がはっきりせんことです。それは今後の対応を考えるには必要なことなんです。役所は県有牛を優先し、民間の優秀な牛を差別していると思うよ」
 池永はお茶を軽く飲んで続けた。
「県は特定疾病のない地区が目標といっているが、なんら特定の対策をしていません。人や車が牛に触れなければ、台湾の事例では感染していない。簡単に言えば家から出ないとか、人がいないときに買い物に出るとかすればいいんです。情報は電話で取れますから」

 個々人がそれぞれの意見を正しいと思って述べる。それを整合して納得させるのが政治なのだが、いかんせん、今回は決断が遅れ判断が迷走してしまった。池永の自宅を辞してからも、彼のいらだちの残滓が伊達の耳に残った。当面の業務を終えた伊達はその日に羽田に向けて飛び立った。斉藤佳子からの連絡が何かあるかと思いもしたが、その後音信はなく、大和田の獣医師の調査は半ば諦めた。

第二回報告と検討
 約束通り上京して来ていた矢澤を河田と伊達は二人で迎えた。新橋の小料理屋で昼の食事を終えた後、肉牛組合の応接室で報告を兼ねての検討会が行われた。話題は種雄牛論争に関することに集中した。
 最初に河田が口火を切った。
「ご存じのように種雄牛論争というのは5月13日に県が事業団の種雄牛を特例で移動させたことが発端です。県の事業団が認められるならば、3ヶ所の牧場を営む古川さんが自分たちの種雄牛も同ような措置をと、県に依願したものです」
 矢澤が話を受けた。
「知事が事業団の種雄牛を移動制限区域から逃したこと、また、そのうちの1頭が感染していることが判明しても同居牛の殺処分を回避させた、という二つの特例をたてにとって、古川さんは自分の種牛の除名を求めたんです。しかし県はそれをむげに断り、古川さんにワクチンを打つよう命じた。古川さんも事業団同様、種雄牛と肥育牛の両方を飼育していた。肥育牛の殺処分は受入れたが種雄牛についてはあくまで県と同じ状況ではないか、と言うのが彼の主張なんです。これに対し、県は民間と公費を投じた牛では事情が違うと説明した」河田が反論する。 
「それはおかしい。優れた種雄牛は何万頭もの子牛を一度に改良できるが、そこに至るまでに大変な苦心があると言うのが県の言い分ですね。しかし感染する牛に変わりはないわけでしょう?」
 矢澤は河田の意見に同意した。
「その通りです。ところが養豚農家にとっては、こんな馬鹿な話はないと怒っています。牛も豚も家畜に変わりはないということですよ。口蹄疫の感染を防ぐために、つまり防疫措置をとるということでは牛も豚も同じじゃないですか。特例自体が間違っていると主張しています」
 伊達が頷く。矢澤は話を先に進めた。 
「ともあれ、牛生産者の間では民間種牛の処分に関し、賛否両論が巻き起こった。県を代表したのが知事であり、知事は当初強行に古川さんにワクチンを打つよう要請していた。ところが、古川さんも負けてはいなかった。訴訟に持ち込んででも、自説の正当性を主張するとマスコミに訴えました」
 河田が裏話を披露した。 
「国も県も早く事態を収束し、OIEの清浄国に復帰したかったようだね。裁判になれば二年遅れる事になる。知事としてはそれは避けたかった。そこで県の役人が古川さんに、牛を生かすための方策として県に無償で供与することを提案したという。悩んだ古川さんは結局その案を受入れる。その舞台として知事との直接面談が用意されたというわけだ」
 そうなんだという風情で伊達は相槌をうつ。
 一呼吸おいて、矢澤は国と県のいざこざの内情を語った。 
「まあ、そうでしょう。しかし今度は国が怒った。知事の豹変にあきれもした。国は国際獣疫事務局(OIE)による清浄国認定を重視する姿勢をとり続けました。農水大臣は特例はやむなく承諾したものであり、その後いっさい認めないというスタンスをとった。もともと農水省としては、宮崎県による口蹄疫への対応に不信感を持っていたんです。そのため今度は農水大臣と県知事との大げんかとなった。県が言うことを聞かないのであれば、国が強攻策をとると公言するに及んで知事も力尽きたんです」
 河田は足で集めた農家の意見を披露する。 
「ある農家は自分の牛はワクチン接種の上処分された。なぜ古川さんの牛が生かされるんだという感情が入った。他方優秀な種牛の価値は分かるし、自分たちもその種牛で生活している。だから生かしてやってくれとの意見もでました。この議論にマスコミが乗って大騒ぎとなったんです」
 矢澤は声を落として言った。
「元々畜産課の管理下にある家畜改良事業団と古川さんとの関係はよくなかった。宮崎県の種牛を集中管理してブランドイメージの定着化をはかるのが県の立場です。これに対し、会員だけのストロー供給により閉鎖的で利益を独占しようとする事業団の体制を打破せん
とする古川さんとでは経営理念に大きな差があったんですよ。県の立場からすれば、今回彼をつぶす好機と映ったかもしれない」
 黙って聞いていた伊達が口を挟んだ。
「似た問題が鹿児島県でも起きていましたよ。5月20日、迫り来る口蹄疫の恐怖から、鹿児島県の種雄牛だけを県は離島へ避難させようとした。これを知った民間で作る種雄牛協会は県に支援を求めましたが、鹿児島県は拒否しました。理由は宮崎県と同じ公費を使
っているか否かでした。結局一部の会員だけが自費で避難したといいます」
 矢澤がさもありなんといった顔つきで付け足した。 
「蔓延防止を目的として、ワクチン接種をした家畜を殺処分する勧告権限を県知事に与えた口蹄疫特別対策法が6月4日に成立しましたが、これは国にとって諸刃の剣でしたね」
 河田はそれに同意する。
「結果的にそうなったですな。棚橋県知事はこの法律に基づいて古川さんに殺処分勧告を行った。普通はこれで泣き寝入りするが、古川さんは違ったね。真っ向受けて立つた。訴訟に持ち込もうとしたんだから」
 伊達が頷いた。 
「反骨心が強い人でしたね」
 河田がその詳細を解説した。
「確かにそうだ。6月18日以降は感染が確認されていない。それで県は非常事態宣言の解除を検討していた。それなのにワクチン対象地域にいるだけで、『感染していない牛に殺処分勧告』とは何事だということです。県は訴訟をちらつかされ、泥沼化するのを恐れたんです。そのため事態は膠着した」
「それはこんな話らしいですよ」
 矢澤が河田の話を受けた。
「状況打開のため県の幹部が動いたそうです。その男はささやいた。古川さんの意図が牛を生かすということであれば、県に寄付し特例措置を得たらと。それで勧告期限が切れた7月8日古川さんは自宅に知事を招き会談した。このとき古川さんは『種雄牛の無償供与』を持ち出した。棚橋知事の脳裏には様々な思いが去来したでしょう。他の被害農家にどう説明するか、県の農政水産部の説得、自分の変身理由をいかに国に対し話すかなど……」
 伊達が机を軽く叩いた。
「この話でマスコミは大騒ぎしたんですね」
 河田は悩ましい顔つきで語った。 
「このとき私は農水省と古川さんの間に立って妥協案を模索していたんですが、妙案はなかった。今後一切特例は認めないと大臣は強硬だった。初動が遅れたこと、スーパー種雄牛の特例に関する県の疑わしい行動などで、農水省は宮崎県に対し強い不信感を抱いていました」
 矢澤が結論づけようとした。 
「結局国を説得できなかった棚橋知事は、7月15日古川さんに対し殺処分の受け入れを要請し、翌日古川さんはそれを受入れました。国は安堵しそれに伴い県東部における家畜の移動・搬出制限は一部を除き解除されました。結果から言えば種雄牛論争は古川さんのワンマンショーで、意地を通して終わったがうるものはなかったのでは?」
 それに伊達は反論する。
「いや、得をしたのは棚橋知事ではないですか。口蹄疫では後手を踏んだが特例問題と種雄牛論争でメディアの脚光を浴び、存在感を県民にアピールすることが出来た。辞職する前の宮崎県の世論調査では、90%以上の支持率がでています」
 矢澤は苦笑する。
「だが畜産課の事務処理能力には、新聞からも疑問符が付けられている」
 うなづきながら河田が話を締めくくった。
「古川さんとしても一人で戦った訳ではないんです。隣県の民間種雄牛農家の支援があった訳だし。というのは、鹿児島だって何時同じ事が起きるかわからない。官尊民卑の先例が出来ては困るわけだよ」
この対談は、翌日伊達が取りまとめ鎌田社長に報告した。伊達が出張報告をまとめきれていなかったので鎌田は順序が逆ではないかとむくれていたが、河田が満足しているとの報告で矛を収めた。



被害者協議会の設立
 昨年4月20日から発生が確認された口蹄疫に関し、農家の個々人が県にたいし要望や改善依頼をおこなっても限界があった。門前払いとされたり、問題として取り上げてもらえなかった。それで彼らは取材にきた新聞やテレビなどのメディアの力を利用することを考えた。しかし施策を国に提言するには彼らの力では迫力に欠ける。そこで行政を熟知している河田は、農家に対し「被害者の会」を結成するよう説得した。
 口蹄疫被害者協議会は全農家対象の任意団体で農家の情報の一元化や意見集約を行うために設立された。その協議会の総会を開くことが決定すると会長、事務局長他役員5名が奔走する。そして10月26日、口蹄疫が発生して6ヶ月目に被害者協議会の設立総会は開かれた。当日会場内では質疑応答に入っていた。
 西都市の市長により県の種雄牛の特例につき問題だとの発言が出る。さらに「県による殺処分が遅れた。OIEはどう判断するのだろうか?」などの発言や「今後5年以内に発症したら県、国の責任だ」等厳しい意見も出る。こうした雰囲気のなかで大森は痛烈に県を批判した。
「農家はまじめに県に事態を報告している。それにもかかわらず、大和田牧場それに家畜改良事業団や県畜産試験場など、公的なところが事実を隠蔽しているではありませんか!」
 この時、一瞬会場は静かになった。
 議事が進行して高鍋町の消毒ポイント設定に関する議事録が変更された趣旨、県が答えると女性の町会議員は大変な剣幕で否定した。その剣幕に県の担当者は沈黙する。
養豚農家からは補償金の支払い遅れなどの質問があり、総会は活発な質疑のうちに終了した。この総会を取材にきたローカル紙は概略次のように知事を批判した。

 棚橋知事は行政の責任者として結果責任を負わねばなりません。宮崎の物産を宣伝するのが、行政府の長である知事の本質的仕事ではないはず。大きな政策課題を見い出し解決するのが知事の仕事であるべきだ。

 その後被害者協議会は県に対し10月、11月には事業団の殺処分に対する疑問など14項目にわたる疑問の提示を行う。また家畜の補償金の早期支払いや、家畜の評価などに対する要望・疑問を県に提示し回答を受け取った。だが残念ながらその回答は彼らの満足いくものではなかった。

大慰霊碑の建立
 8月27日に終息宣言が出されたから3ヶ月経つ。宮崎では復興に向けての動きが本格化しつつあった。家畜の再導入も始まっている。だがその頃河田が危惧していたことがあった。それはこのまま歳月が過ぎていけば口蹄疫の恐怖、事実が風化していくのではないのかという思いだった。さらに多くの牛は感染したのではなくワクチンを打たれて殺処分されたのだ。その牛たちの霊を鎮める必要があった。
 河田は養豚協会の都築会長と相談の上、犠牲となった家畜の霊を慰めるために慰霊碑の石を準備した。それは石井の案内で地元の石材店から調達したものだ。その石は重さ15トン。当初農水省におく予定であったが巨大すぎてあきらめ、交通の便もよい福島県西白河郡西郷村に決定した。
 11月29日。当日は午後になると那須おろしが吹き込み、参会者が震えるほどの寒さだったが、西郷村の家畜改良センターにて、肉牛事業組合と養豚協会などが共催する口蹄疫被災家畜慰霊碑の除幕式が厳かに行われた。来賓には農林水産大臣の他三人の関係代議士をはじめ、農林水産省、各府県の畜産関係者ら200人以上の参列があった。無論その中には宮崎県の口蹄疫被害者協議会会長、事務局長等の関係者も列席していた。河田は慰霊碑の前に立つと無言で碑文を読み、じっと手を合わせた。

 被害者協議会は年が明けた1月5日、行動に出た。初動の遅れによる感染拡大の責任など4項目をリストアップし、県の責任の所在を問う公開質問状を出したのだ。この文章は県議会議長やマスコミにも配布された。それは「もう逃がさないぞ」という思いつめた協議会の意思表示でもあった。彼らは13日に役員会を開き、過去の活動内容の報告と今後の活動方針を決め足元を固めた。この手順を踏んで、1月14日に県庁における知事との公開討論に臨んだ。

 平成23年3月初旬、河田は被害者協議会が集録したその討論のDVDを新橋の事務所で見ていた。それは入手後何度も繰り返し見ていたものだが、伊達に調査を依頼したことから再度見直したのだ。会議室に入室し、一人河田はDVDを早送りしながら、ポイントの箇所で通常の速度に戻した。
 会長の趣旨説明の後を受けて、川南町の大森が質問する。
5月、県家畜改良事業団の肥育牛の中に発熱があったこと、それは種雄牛の避難直前であったこと等事業団の隠蔽疑惑を指摘したのだ。彼は証拠として牛の写真を県知事に提出した。写真はかさぶたがはげている状態だが、それ以前に食欲が無いとかの前症状があったはずだと鋭く突っ込んだ。
 棚橋知事は「熱があったのは知っているが経過観察をしていると聞いた。しかしこの写真は見ていない」とつき返す。そばにいた田中対策監は「一日で変化した」と付け加えた。これを聞いて協議会の面々は怒りを抑えることができなくなった。
農家は毎日朝、夜と少なくも2回は家畜の健康状況をチェックしている。口蹄疫の症状がどのように推移したかはその目で見ているのだ。しかも畜産課が県知事に正しい報告をしていないことが知事の発言から明らかになった。
 会場は騒然とした雰囲気に変わる。田中対策監につめ寄る農家や、知事の発言に反発し大声でなじる者もいた。知事はメガネをはずして気色ばんだ顔で応対する。それに対し「結果責任」を取れとの発言が農家から出た。怒りで声が上ずったある農家は「家保の職員の失態だ」と声高に指摘する。
 さらに「ボランティア活動をした民間獣医師に対し、知事の感謝状を出すべきだ」と要求する者もいた。これに対して畜産課が「お金は払っている」と発言するも、すぐに「手続き中です」と訂正。混乱に拍車をかけた。
開催後約40分経過したぐらいだろうか、紛糾した議論は後味悪い時間切れとなった。結局知事は「マニュアルや国の指針にのっとって行動した」という繰り返しで、責任の所在を明確にしなかった。最後に協議会の会長は、県に対し「水際での防疫措置を徹底するよう」念押しして幕切れとなった。
 会談終了後、疲れきり目元に隈を作った小太りの会長は、廊下でゆっくりと記者団に語った。
「今日はみなの思いを話してもらうつもりでいた。これで苦情は最後だと思っている。過去をいつまでも振り返ってもきりがない。これからのことは新しい知事にやってもらわねばならない」

 河田はDVDを見終わると右手で顔をぬぐった。情けない思いと悔しさが心の中に湧きあがった。興奮した被害農家は感情的になってしまった。そのため追求の矛先がにぶり、当初もくろんだ知事の責任追及とその結果の謝罪を得ることは出来なくなった。棚橋県知事は逃げ切った。そして一週間後の1月20日に副知事にバトンを渡し退任した。

 その後数ヶ月が経つと協議会の内部に変化が起きる。団結と会員数が陳情にはものを言う。だが補償金をもらった被害者の中には、当面の生活不安から開放されてこれでよしとする風潮が出始めた。石井によれば会員は1000人を見込んでいた。だが今や協議会の土台自体が揺れている。
しかし河田は「最悪の場合、骨のある人たちだけでも存続するよう」メンバーにアドバイスした。民間では責任者は経営責任を取る。29万頭という家畜が処分されたのだ。誰もその責任を取らないという、「なあなあ主義」には決して納得がいかなかった。

大きな変化 東日本大震災

 大地震のまえぶれ
 建物が揺れている。伊達が住む築20年のマンションが。それは気づかない程度に緩やかに。二階に住む伊達に錯覚だろうかと思わすほどに。しばらく間をおいてまた揺れがきた。全体が少しだが。右についで左とスイングする。
やはり地震だと伊達は確信した。動いていれば気づいていないかもしれない。
少し気持ちが悪くなった。目をつぶる。また揺れがきた。でも先ほどの激しさはない。ふと思った。それはいつか来るのだ。以前アメリカ映画でこんなタイトルを見たなと思い出した。「今そこにある危機」か。
 気がついてテレビをつける。テロップには宮城県で起きた地震とのこと。このとき伊達はのんきに、 これはいつものと同じ一過性のものだと思っていた。

 それから2日後。3月11日 金曜日 午後2時46分。伊達がパソコンに向い、調査報告書の文案を検討していたときだ。激しい揺れを感じた。最初は縦揺れだった。天井からぶら下がった照明の傘が大きく揺さぶられる。ガタガタとそこかしこで大きな物音。やがて横にからだが振られるのを感じた。こどものころ乗ったブランコに似ている。部屋全体がそんな感じで振れるのだ。伊達は逃げ場を考えた。外に出るか、トイレに駆け込むか、机の下か? だが、体は動かない。動けないのではなく。
 伊達はじっと壁際で立ちすくんでいた。「あっ! そうだ」伊達はふと気づいて暖をとっていた傍らの小さなストーブの電源を切った。その後大きな揺れは5分ぐらい続いた。

 情報を取りたくて、揺れる身体を壁で支えながらテレビをつける。今回も震源地は宮城県で震度7と伝えていた。女性アナウンサーが早口で津波が起きる可能性があると何度も報じている。伊達は音声のボリュームを上げた。
 画面が変わり、ヘリからの中継か都内お台場付近の高速道路が映り、そのあたりを真っ赤に吹き上がる炎ともうもうたる黒煙が目を引く。「テレコムセンターの最上階が火事です」と繰り返しせっぱ詰まった声でアナウンス。この間も余震は断続的に発生した。止まったかと思うと再び揺れが…………。
 伊達の心もどう動けばよいのかわからず揺れていた。
 数分後伊達はチャンネルを切り替えた。他局の報道と比較したかったからだ。画面は岩手県宮古だという。路上に海水がおし寄せ、車が次々に流されている。アナウンサーは高さ10メートル以上の津波があった模様と報じている。政府は緊急対策本部を設置し、宮城県知事は自衛隊の出動を要請したとのこと。今回の地震は速報ではマグニチュード8・8で、これは観測史上最大と言っている。現在死者は三十二名との報道。
 伊達は息苦しくなり、大きく息を吐くと視線を窓の外に向けた。錯覚なのか外の木々がまだ揺れ動いているように感じる。
 それから3分ぐらいたった頃だ。アナウンサーの大きな声が聞こえる。伊達は食い入るようにテレビ画面を見つめた。場所は仙台市名取地区付近だ。区画整理された広大な畑の上を、土砂を巻き込んだ濁った海水が画面一杯に広がった雑多な瓦礫とともに数十台の車をすごい速さで押し流していく。その中には炎上する家屋も。それは瞬間の出来事だった。怒張したかのような自然の猛威は、人間の築いてきた小さな世界を木っ端みじんに打ち砕いていく。1秒間に10メートル進むと言われる津波のすさまじい威力に伊達は息をのんだ。3メートルの高さで平地を進んだ激流は農業用水の土手をかるがると乗り越えると、その用水をも埋め尽くし次の区画された田畑に進んだ。細い農道で渋滞していた自家用車が数台停車している。なかにはUターンして、もときた道を戻ろうとする車も。しかし、それらはすべてあっという間に濁流の餌食になってしまった。しばらくアナウンサーは絶句し、画面だけが淡々と進行していった。車内にいた人たちの動向をテレビがそれ以上報道することはなかった。

 3月11日 大震災の日。関東圏でもパニックが起きていた。地震の影響で関東一帯が停電になったのだ。首都東京は交通が麻痺し大混乱に陥った。電車がストップして足止をくらい、およそ300万人が家に帰れない状況に陥ったという。
 新橋の肉牛組合の事務所も例外ではなかった。電車通勤の者は都内の自宅に歩いて4、5時間かけてやっと帰宅した。河田は北茨城に行くため、途中体育館で雑魚寝する羽目となり、結局12時間かけてふるさとに戻ることが出来た。
 翌朝のニュースでは岩手、宮城、福島各県の合計で死者は100名を超したと報じられた。余震はやむことなく断続的に続く。
伊達はやっと理解した。東北地区の道路、橋、鉄道、電線、水道管、都市ガスの配管まで使用不能の事態となった。そして通信も。
一方パニックが引き起こした酷い話も伝わった。東京では買いだめで水やトイレットペーパーまでも品不足になったという。こうして平成23年3月11日は歴史に残る悲惨な日となった。

 翌朝伊達は事務所に向かったのだが、そこへたどりつくまでの光景は悲惨だった。道路は砂が吹き出し水道管が破裂し、それで通り道は水浸しだ。歩きながら道路際を見てみると電柱やそこかしこの家は傾いている。おまけに横断歩道の陸橋はゆがんで通行できなかった。気のせいか風で運ばれる空気には、何時もと違う塩くささを感じる。テレビの報道は少なかったが新浦安も規模はともかく東北3県と事態は変わらなかった。
 悪いことは重なり、関東地区ではしばらく計画停電が続いた。伊達が何とか出社すると社内は騒然としていた。京葉線は不通となり通勤出来ない者が数名出た模様。仕事にならないのでスタッフはテレビの前に釘付けになっていた。
 鎌田社長は非常にご立腹だった。伊達を見つけると八つ当たりした。
「東北のかたには気の毒だけど、どうして新浦安にいてこんな状況になるの?」
「残念ですがここらあたりは埋め立て地です。砂地なので液状化現象が起きたということです」
「事務所のビルは特に影響はなかったけれど、自宅と道路の間に段差が出来、少し自宅が傾いた気がするわ。まずいことに地震保険には加入していなかったの……」
「それは困りましたね」
「ええ。でも、こういうのは国が補償してくれるのかしら」
「これからの対応待ちですね。大勢のかたが被害に遭われていますから……」
 ベテラン探偵の犬飼美智子が鎌田の顔を見た。
「被害者の方は体育館の一畳ほどの広さの床に毛布を敷いて、家族単位で縮こまっていますよ。食べるものはどうするのかしら?」
 事務の横山が不安な顔で続けた。
「現地は雪模様で夜間は零下以下ですって。かわいそうに」
 鎌田の声が急にトーンダウンした。
「そうね。命があるだけ私たちは幸せだわね」
 横山が鎌田に伝えた。
「ガソリンが不足して、車があっても動けない事態が想定されるとのことですが?」
 鎌田は慌てた。
「大変だ。私ちょっと給油しとくわ」
 鎌田は巨体を揺すりながら急ぎ車庫に向かった。
 数日後、今回の地震の大きさはマグニチュード9に訂正された。

古川宅を訪問
 3月中旬の東日本大震災直後だが、伊達は短時日で宮崎を訪問した。当初河田とともに出向く予定だったが河田はそれどころではなかった。東北地区を中心とした畜産農家の支援に紛争していたからだ。また北茨木の自農場も大きな打撃を受けていたこともあった。
 伊達は民間種牛問題のその後を気にかけていたので、まず古川宅を再訪した。ところが車で近くまで行きながら伊達は道に迷う。不安になって祠の前で携帯電話を取り出し確認するとすぐそばだった。自分の記憶のいい加減さをぼやきながら伊達は家屋に挟まれた細い路地に入る。10メートルほど抜けると、前回訪問した時認めた古い牧舎が目前にあった。小庭に梅の花が咲き2羽の小鳥がせわしく飛び交っては梅の花粉をついばんでいる。ドアを開けると、パグが飛びついてきた。白と黒のぶちで、少し出眼で鼻口部が短い。お茶目で愛嬌たっぷりだが番犬にはとてもむきそうに無い。それでも辛いとき古川夫婦がこの犬に癒されたであろうことは容易に想像できた。
 久しぶりに会った古川だが、3月14日に青森にいて地震に直面したと言う。伊達は人の運命はわからないものだと感じた。話をしてみると古川は支援金の支払いに不満を持っていた。
「種牛は補償が未決定のまま殺処分した。畜産課の評価方法が疑問で補償金は受領していない。場合によっては裁判で決着をつけるつもりだ。そこまでとも考えたが、同じ鹿児島県の民間種牛業者からはっぱをかけられた」
 伊達は尋ねた。
「再建は順調ですか?」
 額の幾重にも重ねた波立つ皺を寄せながら古川は伊達の顔を見た。
「衝撃で当初は何も手につかない。それで家でじっとしていました。1ヶ月、2ヶ月と無為に時間が過ぎていった。やる気が起きたのは3ヶ月経ったころですよ」
「それで牛の調達は?」
「子牛は、11月に青森や岐阜のせりに参加して購入した。また牧草は乾燥(オーストラリア産)、サイロ、ロールなどを考えているところです」
「なるほど。早く軌道に乗ればいいですね。今何か問題はありますか?」
 古川は考えながら口を開いた。
「全国でトップの種牛農家になるのが夢だが、口蹄疫の再発が不安です。当面の問題は借金がかさむことです。農協は補償金が入ると取り立てに回る。導入牛は値上がりして10万円ぐらい高くなっているし……」
 補償金をいまだ受け取っていない。資金繰りは頭が痛い問題だ。
やがて古川は雑念を振り払うように頭を振った。
「まあ、なせばなる。前向きに考えないと進まないですよ。その代わり防疫は徹底的にやるつもりです」
 あれこれ二人が話しているとき、池永が古川を訪ねてきた。
 伊達は池永を横目に見ながら聞いてみた。
「牛の管理は大変でしょう?」
 池永は生真面目だ。難しそうな顔できちんと答えてくれる。
「牛の世話は時間が決まっている。朝と夕方3時間程度世話をすればいい。作業効率から言えば、これほど割がいい仕事は無いね」
なるほどそんなものかな、素人の伊達は思った。
「どうですか。牛がいれば張り合いが違うでしょう」
 池永の丸い顔に笑みが戻った。
 「そうです、牛がいれば気分が違う。癒しになります」
 伊達はうなずいた。池永は続けた。
「以前はすることが無くて酒を飲み食べるから、皆さん体重が増えたようだ」
 口蹄疫が発生したときは他に感染させないよう、各農家は家に閉じこもっていなければならなかった。買い物ですら遠慮して最低限の外出をしていた。それでストレスが鬱積したのだ。
「心に傷を負った人もいるようですね」
 顔が曇った。池永は空咳をして言った。
「後遺症で今でも結構うつ病の人が多いと聞きます」

 その池永に誘われて、伊達は高鍋町から新富町へ移動した。池永の自宅は脇道を少し入った平地にぽつんと建っている。周囲は畑で覆われている静かな環境だ。
 庭先に車を止め、小さな小道から家に向って右手を見るように言われた。伊達はあたり一面を真黄色に咲き誇る菜の花の群生に眼を奪われる。茎部の緑と黄色い花が絶妙なコントラストとボリューム感を与え、そこで吸い込む空気さえも新鮮な感覚をえた。久々に観る田園風景に伊達は腰を落としてしばらく見とれる。この菜の花はやがて実になって食用油として活用されると聞いたが、死亡した牛たちにささげる花束のようにも感じられた。
 その後池永は慰霊碑を是非見て欲しいと伊達を誘った。池永の自宅近くの神社に登って行くと境内の左手に立派な石材の慰霊碑が目に入る。池永は毎週ここに来て拝んでいるという。伊達もその慰霊碑の前に立ち、しばらく黙祷した。
 二人は帰路につき、家の土間に入ると池永は言った。
「民間種雄牛6頭は7月17日に処分されたが事業団の種雄牛5頭はまだ生きている。 不公平だと思うが致し方ない。こちらの再建にはまだ時間がかかると思いますが、日本一の和牛生産に向って地域全体で頑張っていかねばと思っているところです」
 そう言って用意した新聞投稿記事を伊達に手渡した。伊達はその紙面を読み進んだ。

 我が家には46頭の家族がいます。5月25日にワクチン接種を受けました。死の宣告です。日本の畜産を守るための犠牲です。せめてものお礼に、精一杯の世話をして旅立たせてやりたい。
小学校一年生の孫は『一頭、一頭、頭をなでながら牛さんとお別れしたい』と言います。いま牛さんを大切にしてくれた孫にと写真を撮っています。アルバムにまとめて送ってやりたい。今の自分そして家族があるのはそうした牛さんのおかげ。旅立つ家族に感謝。ありがとう。

 非常に簡略で言いたいことが的確にまとめてあるいい文章だと伊達は感じた。とくに文中の「日本の畜産を守るための犠牲です」の言葉は伊達の胸をうった。ワクチン殺処分という荒療治を農家に強いていなければ九州一円、悪ければ日本全国に口蹄疫が拡大していたかもしれないのだ。
 後日池永から丁重な手紙とともに、お孫さんが牛と共に写ったアルバムを送って頂いた。早速開封させてもらう。内容は9枚の画用紙にまとめられている。めくるとそれぞれ5~6枚の写真が貼り付けられ、お孫さんが書いた紙が所どころに配置してある。タイトルは「まいのおじいちゃんちの、うしたち」となっていた。母親が書いたのだろう。几帳面で綺麗な字だ。それに子供の利発そうな顔。赤いジャンパーを羽織って仲良しの牛、「富ちゃん」と頬をくっつけあってポーズを決めている。おじいちゃんの池永にとっては目の中に入れても痛くない孫なのだ。
 アルバムを開いていくと白装束の大人が牛を引っ張っている。富ちゃんがトラックに乗るところだ。ついでトラックに載せられスチールの枠に括り付けられて悲しそうな目をした富ちゃんの写真…………。
このトラックは牛小屋を出るとすぐ消毒をして、処分場に出発したそうだ。お孫さんのまいさんは書いている。

 仲良しの富ちゃんがトラックに乗るときはぜんぜん見れませんでした。トラックに背中を向けて、お母さんに抱っこされたままずっと泣いていました。富ちゃんを引っ張っていくおじさんが、「ごめんね…………」と言って連れて行きました。
読み終わった伊達は思わず目頭を抑えた。

 昨年7月9日、池永が住む新富町の町長は、6月30日でもってワクチン接種を行った家畜の処分と埋却が終了したと発表した。このため新富町には牛、豚が一匹もいなくなった。平成22年8月12日、町民は犠牲になった家畜の冥福を祈るとともに町の畜産復興を誓った。新田にある町営牧場内に「畜魂 やすらかに」と書かれた立派な畜魂碑が建立される。それは御影石を使い、高さ約2メートル、最下部の幅が0.5メートルのオベリスクの形をしていた。オベリスクの意味は、二度と口蹄疫を起こさないということだ。今後は消毒等の防疫措置を継続し終息宣言を待つことになる。
その後に、町長は畜産業の復興と地方経済の建て直しのため町民一丸となっての協力を要請した。


 原発の問題
 今回の大地震はその地震や津波の被害だけではなく、原子力発電所による2次被害をもたらしたことで従来の被害以上の惨禍を国民にもたらした。
 3月中旬伊達は本屋で買ってきた週刊誌の最初の頁(カラーのグラビア)に見いっていた。それは望遠で撮った福島第一原子力発電所の爆発場面だ。プロの写真だったが、ピントはぼけていた。理由はわかる。放射能に被爆するおそれがあるため、かなりの遠隔地か、ヘリから写したのだ。だがそのぼけがよけいに噴火の不気味さを増していた。
うすら青い空に灰色の煙が600メートルはあるだろうか上空にわき上がり、その形状は怒張したペニスのようだ。地上にある一帯の白い発電所の建家群は噴煙にかき消され両翼の煙突状のものと、手前の建家以外は識別出来ない。グラビアの1/6をしめる近景は濃紺色で覆われていて全く判別出来ないが、伊達は山の緑と推理した。噴煙の左側には「制御困難」という大きなテロップが……。伊達は言葉を失ってしまった。

 結局1号機から4号機まで相次いで爆発し、繰り返し安全だという東京電力や政府の報道は国民の不信に変わってしまった。東京電力は今回の原発事故を想定外のことだと言って説明している。その理由の一つには津波の大きさで東電はチリ津波の経験から最大の高さを4.2メートルとして対策していた。二つ目に非常用ディーゼル発電機が故障して電源が喪失し冷却不能から爆発が起きたという。伊達は真実がさらけ出されるのは時間の問題だと思った。

 3月19日には放射能の汚染による情報が探偵社の社内を駆け巡った。
 横山が鎌田の顔色を伺うように話した。
「テレビニュースで茨城県のほうれん草、福島県の牛乳の一部で規制値の3倍以上の放射線量が測定されたと言っていますが」
 鎌田は平然としている。
「官房長官は直ちに健康を害するものではないと説明してるけど……」
「でも甲状腺に集まり、癌になる可能性があるそうですよ」
「そう。風評被害が怖いわね」
 そこに伊達が話に参加した。
「昔の話ですが、ソ連のチェルノブイリでは放射性物質が多数拡散されました。牛乳を子供が飲み続けた結果、甲状腺がやられたそうです」
 伊達は一冊の本を鎌田に差出した。
「これはおよそ17年前に発行された柳田邦夫氏の『事故調査』という本です。その中にソ連のチェルノブイリ原子力発電所の事故について書かれたところがあります」
 鎌田は伊達から本を受け取ってぱらぱらとめくった。
「あら、それで図書館に行ったのね。でもずいぶん古い話ね」
「ええそうなんですが、そうでもないんです」
 鎌田は表情を変えた。
「何それ、ずいぶん込み入った話なの?」
「いや、ちょっと聞いてください」
「いいわ」
「今回日本政府が行った原発事故の対応は、当時のソ連政府や現地責任者がとった対応とそっくり同じなんです。本来国は一刻を争って正確な情報を国民に連絡しなければならないはずですね。放射能被曝の危険から発電所内の従業員や周辺の住民を守るためにね。ところがソ連政府や現地責任者はその重大性について認識できず、大事故ではないと国民にも国外にも報じたんです」
 これを聞いて鎌田は強烈なジョークを放った。
「あら、それってどこかの国と同じじゃない」
 伊達は顔を歪めた。
「けれど内外の批判が厳しくなり、ソ連政府はやむなく放射能についての現状を小出しに発表したということです」
この時鎌田は着信した携帯を耳に当てながら「ごめん」と言って社長室に戻っていった。
 かわって横山が相槌をうった。
「本当にひどい話ですね」
「そうなんですね。20年近く前のソ連で起きたことと同じことが今日本で起きている。残念ながら国の体制は変わっても人間の世界は何も変わってはいないんです」
 伊達は一呼吸おいて続ける。
「それとね。柳田邦夫はこうも書いてます。日本は役所の意思決定過程が分析されて追及されることはないって。そして必ず組織は温存されるようになっていると」
 横山が尋ねる。
「それって宮崎県の口蹄疫の問題じゃありませんか?」
「そのとおりです。県知事は責任を認めない。県の畜産課や家畜保健所は初動の遅れを指摘されてもおとがめなし。逆に責任者は昇進している」
 伊達には怒りのはけ口がなかった。

 日が経つに連れ被害の規模が明らかになると、政府はその救援に10万人規模の自衛隊員の出動を命じた。一部にこれだけの規模の出動は国防に問題が生じるとの話もあったが、現時点が実は一種の戦争状態であった。原発事故による放射能汚染を恐れた外国人は我先にと日本をあとにした。これについて海外の報道は日本人の整然とした行動に賞賛を寄せ、日本人の復元力を確信しているとの好意的コメントを寄せる。
 福島第一原子力発電所の様相は時々刻々と変化し解決の糸口はなかなか見出せなかった。汚染水が海洋に流出し、海外からは情報の開示が遅いとのクレームや情報の隠蔽疑惑までうわさされるようになった。やがて米、仏から技術支援を受け汚染水の除去作業が始まるが、現場で毎日のように問題が起き解決にはほど遠かった。
 しばらくすると被害の実態が明らかになった。メルトダウンが起きていたことが判明したのだ。東京電力と政府はそれを公式には否定していたことから、信用は失墜し東電の株価は大幅に下落した。政府自体も総理のリーダーシップが疑われるようになった。またマスコは、電力会社が偽りの安全神話を作りだしていたことを暴き始め、東電、官僚、財界、政治家による日本特有の癒着構造も明らかになっていった。

 こうした状況下、久しぶりに伊達は宮崎の矢澤に電話を入れた。
「大変な事態になりましたが、解決の糸口が見えないですね」
「そうだね。被害を受けた方たちは本当に大変だ。売り切れになった某社のカラーグラビアに掲載された写真を見たが、想像を絶する被害だ」
「ああ、それは私も見ました。テレビ画面では描けないスケールの津波被害の写真でした。自然の怖さを実感しましたよ」
「今回はそれだけじゃないから厄介だ」
「福島第一原子力発電所の問題ですね」
「その通り。今回は原発との複合汚染だ。想定外だったといっているが、実際はリスク管理ができていなかったんだ。その証拠に使用済みの核燃料の処理が解決できていない。被爆国なのに利権が絡んだ偽の経済合理性に国民はだまされていたってことだよ」
「でも一部の学者や識者はその危険性を指摘していましたね」
「確かにそうだ。けれどもそうした声は、各階層が連鎖した癒着構造によって権力者から遠ざけられてきたんだ」
「残念ながら、それが事実ですね」
「さらに問題は現状の政治だよ。保守党も与党の民政党も政争ばかり行って肝心の対応策が進んでいない。いつになったら瓦礫の処理や避難住宅から退去できるのかね」
「もう国民からも見放されているんですよ」
「それだけじゃないぞ。諸外国があきれている。最近は日本国民に対してもこんな政党を選んだことで眉をひそめる外国人も多いそうだ」
「それは大変だ。一昔前だったら軍部によるクーデターが起きていましたね」
「当時と状況が似通ってきている。その可能性は大いにありだ。昔ならね。反省してほしいよ」
「これが中国だと対応は早いんでは?」
「一党独裁だからね。号令一つで物事がすすむ。早いさ」
「けれどあとから、汚職や不正それに住民の不公平に対する不満が山のように出てくると?」伊達の発言に澤田は笑い声で答えた。
「そうなんだ。けれど非常時には強い権力者が必要とされるのも歴史だ。ナポレオン、ヒットラーなどね。彼らがいいとは決して思わないが、一年ごとに首相が変わる国も異常だ。いい加減国民が考えねばならないことだよ」
「最後に風評被害はどう思われます。宮崎でも起きましたが……」
「今回の放射能汚染は難しい。口蹄疫のように一過性の問題ではないから。蓄積していくと怖いし。土壌と海水の汚染だけでなく、大気によって神奈川や静岡などの域外にも影響が及んでいる。現実に人によって放射能への関心は大きく違うようだね」
 矢澤との電話はこれで終わった。これで伊達は胸のつかえを少しは解消できたと感じた。

獣医師を捜して
 斉藤佳子は伊達に言われ何とか大和田牧場にいた武藤獣医師の所在を把握しようと動いていた。確かに武藤はアルコール中毒になって大和田の大阪本社に拉致されていた。だが、それ以降の情報は何もなかった。川南町に残された住民票は7年前大阪から移動してきたことを示していたが、手つかずだった。顔写真はない。獣医師免許の取得場所と経歴は不明。なぜか本籍は(旧)福井県坂井郡丸岡町だ。今は坂井市になっているが。
 武藤の特徴は左足が不自由だと言うことだ。年齢は伊達に近い。斉藤は大和田の本社にまで足をのばした。数日所在のビル近くに張り込んで従業員の出入りを監視していたが、それらしい男は見あたらなかった。
一方川南町の牧場主である大森は、武藤と一緒に本社へ移動した人間とコンタクトを間接的にとっていた。しかしその後の所在は全くわからなかった。伊達は矢澤にも情報提供を依頼したが、その結果は不明だとの返事しか受け取っていなかった。

 鎌田探偵事務所で横山みずきと話しているときだった。伊達の携帯が鳴る。伊達は何気なくそれを手に取った。伊達の耳元に聞こえてきたのは今朝の天気と同じさわやかな声だった。「お久しぶりです。斉藤です」
 伊達は笑みを浮かべた。
「斉藤さんか、一ヶ月ぶりですかね」
「はい。どこかでお会いしてお話ししたいんですが」
「いいですよ」
 伊達は中途で横山との話を打ち切ると、「例の獣医師の話で」と言い残して京葉線の新浦安駅に向かった。
 10時過ぎ斉藤と有楽町駅の中央西口で落ち合ったあと、伊達は斉藤佳子を日比谷公園に誘った。二人はゆっくりと歩きながら有楽町1丁目のビル街をまっすぐ進んだ。紺の背広に身を包んだ数名の新人のグループとすれ違うとT字路に差しかかった。右手奥は堀を挟んで皇居だ。時折3月下旬の風がビルの谷間を抜けて二人の背後から吹きつける。
 伊達と斉藤は左手の丸の内警察署を左折すると内堀通りに面した緑が広がる日比谷公園を眼前に見た。内堀通りは以前伊達が訪れた時と全く変わらずタクシーや高級車、観光バスがせわしなく流れていた。その間伊達は空白の時間を埋めるように種雄牛の調査で宮崎に赴いたことを語った。斉藤はその話に口を挟むことなく黙って聞いていた。裾を少し折り曲げた薄い紺のデニムをはいて、透けるような白のレースブラウスを身にまとった長身姿は目立つのか、すれ違う歩行者がその都度目をやった。伊達は苦笑する。
 公園の内部に人はまばらだった。伊達は赤、白と咲き誇るバラ園まで歩くと、こぎれいなベンチを探し腰を下ろした。爽やかな微風が二人の前を通り過ぎると花びらが数枚空中で舞いながら足もとに落ちた。斉藤はハンカチを敷いて伊達の横に座った。日差しは波打つような雲の間に入り気温を和らげた。伊達はしばらく無言で公園を散策する若いカップルを眺めていた。斉藤は少し傾げた頭を右手で受け止めしばらくバラを物憂げに見ていたが、やおら伊達に向き直った。
「口蹄疫も種牛も結局同じだわ。役所に振り回されている」
 伊達は前方を顎で指し示した。
「その霞ヶ関はこのすぐそばだがね」
「そう。国民が選んだ人達なんだけど」
「皮肉なもんだ。こんなことばかりだ。だけど宮崎の人は言っていたよ」
「何て?……」
「古いが、お天道様は見てるって」
 斉藤は笑みを浮かべた。
「でもすぐ桜が咲きますよ。ほらあんなにつぼみがついているんだから」
 伊達は斉藤の視線を追った。
 桜並木の横を老夫婦がゆっくり散歩をしている。その右手にジャンパーを羽織った男が一人ベンチに座って新聞を読んでいた。伊達はその男を凝視しながら斉藤に尋ねた。
「大和田牧場の獣医師の調査だけど、どうなっている?」
「武藤の置かれた状況次第です。生きていれば福井県に居るかも」
「そうでなければ」
「土の下か、海の底でしょう」
 伊達は苦笑した。
「それはあり得るけど、どうして福井県と?」
「簡単だわ。本籍は(旧)福井県坂井郡丸岡町となっているから」
「え、宮崎じゃないんだ」伊達は息をのんだ。てっきり宮崎の人間と思いこんでいた。
 斉藤は探るような目で伊達の顔を窺った。
「私は探しに行こうと思っていますけど」
「是非。僕も行きますよ」
「でも手がかりはそれだけなんです。それで躊躇していたの」
 斉藤は伊達に大阪での調査をかいつまんで説明した。
「いや、それはこちらも同じことさ。やるだけやってそれで駄目なら……」
「賭けてみますか?」
 伊達はうなずいた。周囲を見回すと新聞を読んでいた男は姿を消していた。

 4月初旬、伊達と斉藤は羽田から福井空港に降り立つと空港でレンタカーを借りて30分ほどで丸岡町に入った。丸岡町は福井県の北端で福井市から北約10キロに位置する人口三万人ほどの旧城下町だ。その西部は福井平野の平坦地が開け、東部には400から1000メートル級の山々が広く分布する。現在は福井市のベッドタウンとして県内でも人口増加は高い。産業は繊維工業で特に人絹の細幅織物の産地である。伊達が初めて見た丸岡の風景は区画整理がなされた広大な平野が広がり、川南町の高原での田畑とは全く趣が異なっていた。昼近くなので二人はおろしそばで簡単にすませ役場に向かった。戸籍の住所を示し場所を尋ねると、年配の職員が親切に教えてくれた。
「地名は古くからのものが結構残っていますが、そのあたりは再開発によって昔とは全く様相が様変わりしています。大変だと思いますが……」
 二人は疑心暗鬼ながら現場に赴く。
「1年以内に引っ越してきた40歳前後の左足が不自由な男」というのが武藤の唯一の手がかりだ。二人は武藤の特徴を説明しながら、手分けして周辺の民家に聞いて回った。
 30分毎に携帯で連絡を取り合い経過を相互に確認したが、芳しい情報は得られなかった。2時間経過した。その後も伊達は背広を小脇に汗を拭きながら周囲を歩き回ったが、徒労に終わったことで疲労感は強かった。そのうちに斉藤から連絡があった。最寄りの古びた神社が合流地点だ。お互い疲れた顔を見合わせても結論は決まっていた。結局諦めて福井空港へ戻った。
羽田へ戻る機内で伊達は斉藤の横顔を眺めた。斉藤は尋ね人が見つからず、疲れてシートの手すりに左腕を置き、軽く寝入っていた。伊達は斉藤に初めて出会ったときの印象を思い出す。丸顔で、つんと鼻が突き出ていて右上唇に小さなほくろがあった。伊達はそっと斉藤の横顔を覗き、その小さなほくろを見つけた。

 羽田からモノレールに乗り換え、浜松町で無言のまま二人は別れた。今回の結論としては得るものは何もない。「これでは正体不明な女と福井への単なる日帰りの旅行じゃないか。福井行きの調査費は横山みずきに請求できないな」伊達は頭を右手で掻いた。

支援活動
 震災のその後の推移を見守っていた河田は意を決し畜産農家のため農水省と掛け合ったが、それは空ぶりに終わった。「彼らはまるで他人事のように言う」疲れ切った顔で伊達に言った。無理もないこれだけの大きな被害だ。東北3県だけでなく茨城、千葉の一部にも地震と津波の被害が及んだ。河田の出身地である北茨城も例外ではなかった。それに原発が追い討ちをかけた。
政府の対応はお決まりのように後手にまわり、官僚は民政党の施策をお手並み拝見とばかり見ていた。それは脱官僚主導をうたった政党へのしっぺ返しでもあった。
 大震災から2週間たった3月25日には、与党の農林水産部会に肉牛組合名で河田は東日本大震災の被害対策の要請文を送っている。その内容は生産用の資材供給体制の整備や肥育牛の出荷遅延等に対する補償措置の要請、原発事故による風評被害等の対策を実施することおよび肉用牛経営救済制度資金の創設等である。
 その後4月中旬まで河田は精力的に動いた。各メディアが競って報じた東北の惨状に対し全国から支援活動が行われたが、肉牛組合も早くに立ち上がった。道路が十分に復旧していない時に、全農茨城県本部の協力をえて牛肉、玉葱、ジャガイモ、白菜、醤油、卵、白滝などの主としてすき焼きの具材を東北・関東地域の避難者に対する救援食料として調達した。それらは河田自身が運転して現地へ送り届けた。
 また肉牛組合関係者からの救援物資の提供もあった。青森、秋田、山形、栃木、長野、宮崎の各組合員からは主として食料品が、また兵庫県の賛助会員からは子供の衣類やフォークリフト、建設機械の提供である。これらは各県の市役所や避難所に配分された。
他方宮崎県の農家からも動きはあった。被害者協議会並びに川南町の有志は口蹄疫支援に対する恩返しとして、支援物資を集めトラックに一杯積んで福島へ数回往復していた。

 4月8日に河田は農林水産省に要請文を提出している。その内容は農家救済のための一時金の交付や損失補填、資金融資制度の創設、風評被害に対する強い指導の実施が主なものだ。翌4月9日には福島県の家畜改良センターで肉牛組合のブロック会議を開催した。
それは組合員二十二名との意見交換会で、福島原発の被害状況や国に要請する緊急対策の要望事項を取りまとめるものだった。
 さらに4月の初旬から中旬にかけて、風評被害にあった茨城・福島県の農家を応援するキャンペーンを有楽町の交通会館横で張った。具体的には従業員を事務所からかり出し、茨城、福島の牛肉販売を実施したのだ。常陸牛、須賀川牛、磐梯牛がその対象となった。


 伊達がマンションの一室で書類整理をしていたとき池永から伊達に送られた分厚い資料が目に止まった。以前既に読んではいたが、思い返して中身をあらためた。その中には次のような「願い書」もあった。

10キロ圏内のワクチン接種が5月26日ほぼ終了。ワクチン接種したものは殺処分される。国は殺処分を条件として、20キロメートル圏内の家畜を処理しようとしている。食肉処理、飼料、肥料に利用しようとしているが、こんなことで良いのかと考えます。防疫、蔓延防止策を完全に実施すれば感染は防げると思う。川南町があのような状況になったのは人、車、豚、堆肥等で拡大していったのではないか? というのも繁殖牛農家の発生が少ないからだ。私の地区は繁殖農家7戸、酪農2戸で今のところ発生は見られない。口蹄疫発生からできるだけ外出を控え、人や車の出入りを遮断した。また牛の健康管理、消毒を徹底的に実施し電話で励ましあった結果として口蹄疫の発生は見られなかったのです。
幸い周りに養豚農家が無かったことも一つの要因として挙げられる。今回の口蹄疫は養豚農家においては全般的に、肥育牛と酪農では点々と発生しました。蔓延の原因はすでに述べたとおりです。
 20キロメートル圏内では豚を処理することは必要かもしれないが、牛については様子を見てから対応したほうが良いのではないか? 感染力の強い豚を速めに処理しておけば川南町のような事にはならなかったと思う。口蹄疫が近所に発生したにもかかわらず、未発生の農家の意見を集約して今後の対策を実施すべきです。口蹄疫を早急に収束させるために10キロメートル圏内で土地の確保ができた所から埋却処理すべきです。その処理に当たっては埋却地の近くで生きたまま搬送し、農家の見えないところで処理して頂きたい。家で処理されたらいつまでも感情的なものが残り、再建する意欲の低下につながると思います。
今ワクチン接種した農家は毎日が針のむしろです。かわいそうで仕方ありません。何のため今までやってきたのか? 殺処分されることを知りながら管理するのは苦痛です。できるだけ早めの処分をお願いします。また再開のためには一日でも早く補償の内容を明確にしていただきたい。繰り返しますが、20キロメートル圏内の牛の処分について再考のほどお願いします。

 伊達は文章を読みすすめている内に、放射能被害で半径20キロメーターの範囲内にいる、避難を余儀なくされた畜産農家のテレビに映った人々の姿が脳裏に浮かんできた。今現在も飼い主は避難し牛はその場にやむなく放置され、放射能を浴び続けているのだ。東北の家畜はどうしているのだろう? ふと気になり伊達は地震発生後一週間で伝えられたニュース(新聞情報)をネットで調べてみた。

3月14日
信濃の栄村では傾いた畜舎から家畜を救出する作業が13日から始まっていた。初日は肉牛約200頭を飼育する畜産農家から19頭を運びだした。畜産農家5軒、肉牛2軒と豚1軒が大きな被害を受けていた。
3月17日
東北の太平洋沿岸にある配合飼料工場が相次ぎ操業不能になった。国土交通省は北海道や九州から飼料を集めた上で被災していない日本海側の港に海上輸送する。交通網が途絶されたため、その港から東北の畜産家に送り届ける迂回作戦だ。
3月18日
山形県内の畜産農家も危機的状況だという。牛や豚に与える餌がそこをつき、家畜が餓死するおそれが生じている農家もあると。

 危機的状況じゃないか!…… 字面を追っていた伊達の口から思わずため息が漏れた。


大和田牧場の内紛
 決算期を前に大和田牧場本社で内紛が勃発した。近藤専務は大きな声で怒鳴った。
「何でだ!」
 一族のワンマン経営に嫌気がさしていた主要投資家の一部が経営の改善策を提案したのだ。東日本大地震により、岩手、宮城、福島の海岸線に展開していた多くの牧場は、港の破壊と道路の不通により飼料の手当が出来ず閉鎖に追い込まれた。特に福島については、宮崎で得た補償金の6割をつぎ込んで規模拡大を図っていたところであり、放射能汚染によるダメージは大きかった。このため、一部有力投資家はこの際規模を縮小し、割り増し退職金の支払いによって、従業員のリストラをするよう主張した。
 近藤専務は規模縮小がじり貧に繋がるとしてその提案に反対したが、事故の影響で会社の収支は思わしくなかった。また一時期の勢いもなくなり、牧場への投資家も次第に減少していた。そのためテレビを通じての広告活動を展開したが、収支的にはいっそう厳しくなった。
 近藤が従業員のリストラに反対したのは、宮崎県の川南町などの牧場を閉鎖して配置転換した百人ほどの従業員が、東北3県に分散配置してあったからだ。彼らは川南に家族を残し単身移動した人質であった。
だが近藤には口蹄疫の発生から一年経過した安心感もあった。それでその投資家の意見を受入れた。つまり被害を受けた東北の牧場を中心に効率が悪い所での従業員削減が実施されたのだ。

 その中には宮崎県から移動してきた従業員、48歳の水谷も含まれた。水谷は納得いかなかった。大和田牧場専務の近藤は会社が存続する限り生涯雇用だと言った。だから家族を川南に残し山形の農場まではるばるやってきたのだ。
水谷も昔は自農場を持っていたが経営に失敗し、わずかだが農協からの融資を完済してはいなかった。大和田がそれを立替てくれたことに恩義を感じていたが、それもこれまでの給与で返済出来ていた。それを待っていたかのような今回の雇用解除の通知だ。
水谷は元々大和田の牧場経営には不満を持っていた。合理的経営という意図は理解できたが牛に対する扱いは個人事業者のそれとは全く異なっていたからだ。獣医師は循環でやってくる程度で、実際彼らの仕事は書類の作成だった。薬の投与や治療は飼育係に丸投げ状態だった。それに繁殖肥育一貫経営と宣伝でうたっているが、大和田が子牛市場で何十頭もの肥育用の去勢牛を買っているのは市場関係者を通じて水谷は知っていた。
 今回の口蹄疫発生時、水谷は川南の第七牧場で牛の世話をしていた。当時吉田所長や近藤専務が何をしていたかは、すべてとは言わないにしてもある程度知っていた。さらに3月初めから口蹄疫の症状が出ている牛を彼らが始末していることも。
大和田農場の近藤は従業員に対し外部に口外することを厳しく禁じていた。話せば解雇されることは明らかだ。水谷とて生きていかねばならない。一部の人間は外部に情報を流し真実が公になることを望んでいたが、家保や畜産課はなぜか及び腰だった。
彼らは他県に転勤しても真実が明らかとなることに望みはもっていた。それは国の報告書だったが、その内容は水牛農家が初発農場とされている。
 結局これ以上大和田のことを話す人間はいなくなった。人づてに大和田牧場に百億円程度の補償金が支払われたと聞いて驚いた。大和田が家伝法に違反しているのは明白なのに。    
  水谷は考えた。もしこれを公に話せば、大和田は百億円もの金を返還しなければならない。すると大和田は倒産する。そして従業員や投資家はどうなるんだ。路頭に迷う羽目になる。だが29万頭ものなくなった牛や農家の苦しみは放置したままで良いのか? 小心の水谷の心は揺れ動いた。
 数日経過して水谷は宮崎に送る最後の身の回り品を梱包し終わると、飛行機のチケットを買いに町に向かった。

獣医師の死
 新浦安の探偵事務所で事務の横山が新聞を片手に叫んだ。
「キーマンの大和田の獣医師が死亡だって。伊達さん知ってます?」
「え、何だって」伊達は横山からひったくるようにして新聞を取り上げると、その小記事を食い入るように見つめた。伊達は現地新聞社に電話をいれ内容を確認すると所轄の警察にコンタクトをとった。そうして得られた情報は次のようなものであった。
――東尋坊で身元不明の水死体が漁船により引き上げられた。警察の撮った写真と聞き込みから大和田の獣医師武藤の死体と確認された。外傷は岩で傷ついた身体が確認されたものの、遺書などの自殺らしき遺留品もないことから、警察はその死に不審な点があるとして検死を行った。その結果、遺体からはアルコールと微量の睡眠導入剤が検出された。
 警察の調べで武藤は大和田の監視下のもと福井バイパスに沿った新興住宅地の一角に建つ小さなマンションに住んでいた。その住宅地の南側には九頭竜川が流れている。警察は睡眠導入剤に関心は示したものの酒に酔ったせいでの転落死ではないかという。


 だが伊達は確信していた。違う。奴は間違いなく殺られたと。
 横山にその情報を手渡しながら思わずつぶやいた。
「事件の秘密を知る人間を抹殺するなんて」
 横山は顔を曇らせた。
「これからどうします」
「間違いなく不審死だよ。生前の武藤の足取りを調査するしかない」
そう強がってはみたが、あてはなかった。伊達は既に斉藤とともに福井県の丸岡町を捜索していた。だがそれは生きている人間を求めてのものだった。武藤の証言が欲しかった
からだ。伊達は目標を見失った喪失感にとらわれた。
 1時間後、体制を立て直しとりあえず矢澤に連絡をとった。
「ご存じですか?」
「何が……」
「武藤が発見されました」
「なに武藤が! 彼はどこで?」
「福井県の東尋坊です」
「まさか自殺では」
 東尋坊は自殺の名所だった。それでとっさに矢澤の口からその言葉が出たのだ。
「いえ、はっきりしません。外傷は海に落ちたときの傷らしいですが、解剖の結果、アルコールと睡眠導乳剤が確認されています」
 澤田は冷ややかに言った。
「殺られたな」
「そのようですね。残念です」
 矢澤はしばらく沈黙していたが、思い返したように言った。
「終りだ」
 1時間前に伊達が感じたことを矢澤が言ったのだが、不思議と伊達はこの言葉に反発した。「違います。これが始まりです」
「おいしっかりしろ! 武藤は唯一の手がかりだったんだ。それがいなくなれば……」
「だからこそです。相手は動いてきたんです」
「何か別に手立てでもあるの?」
「いや、今特には……」
「いい加減にしてくれ。悪いが、今俺は忙しいんだ。いつまでも口蹄疫にかまっておれないよ」
 伊達は必死だった。
「このままだと真実はうやむやになってしまいます。それでもいいんですか?」
「仕方ないよ。被害農家だって、補償金をもらっておさまっているようだし……」
「それとは違う問題です」
「これで畜産課と大和田の関係が掴めなくなったのは残念だがね」
 澤田は淡々としていた。
だがこの日の伊達はなぜかむしゃくしゃしていた。そのため普段しまい込んでいた鬱積が爆発した。言わなかったが、マスコミの報道規制に対し矢澤が是認することが気に入らなかった。同じ新聞社の宮崎の旬刊紙は頑張っているではないか。
 伊達は矢澤にあたった。
「大和田に対しメスを入れないのは畜産課ですが、それらを放置しているのはマスコミではないですか。問題が摘発されれば、蜂の巣をつついたように正義の味方のようなスタイルをとる。良い例が大相撲の八百長問題ですよ。週刊誌はずいぶん前から問題視していた。実態を現場の担当記者が知らなかったとは言えないでしょう」
「そうなんだけどな」
「武藤だって助けるべき方策はなかったんですか? 確かに警察ではないからね。新聞は単なる報道機関だ。与えられた材料のね。それだったら御用学者と変わらないじゃないの。もちろん報道の限界はわかっているつもりだけど」
「もうよせ! それだけ言えば充分だろう」
 澤田はそう言って、電話を叩きつけるように切った。
眉間に皺を寄せ、険しい表情の澤田の顔が脳裏に浮かんだ。伊達に残ったものは、二日酔いの後のような後味の悪さだけだった。
しばらくして伊達は斉藤の携帯に電話したが、応答がないため伝言メッセージを残しておいた。「東尋坊で武藤が死体で見つかった」と。

 鎌田社長はいつものように巨体を揺すりながら伊達のそばに歩み寄った。今日はいつもとは違って、化粧は濃いめで赤を基調とした派手な衣装だった。顔は笑っていた。
「獣医師が死んだと聞いたけど」
「そうなんです」
「どこで?」
「福井県の東尋坊です」
「あら、いやだ。自殺でしょう」
「いえ、警察は事故ではないかと言ってるようですが……」
「そうじゃないの」
「私は不審死ではないかと思っています」
「どうして?」
「大和田が大阪本社に拉致して、その後の武藤の足取りが掴めなかったんです。調べると福井県の丸岡町が彼の本籍地でした。東尋坊はその近くです。車だと一時間もかからないでしょう。遺書とかの遺留品はなかったようです。ただ遺体からアルコールと微量の睡眠導入剤が検出されたということです。彼はアル中気味だったと聞いていますのでアルコールはともかく睡眠導入剤が気になっています」
「ふーん、そうなの。だけど今回のことは事故死だったんじゃないの? 彼が存在しないとなれば、本件はこれで終了だわね」
 鎌田はあまり関心がなさそうだ。
「そうですが」伊達は頭を抱えた。
「ま、よく考えて。私はこれから会合に渋谷へ行かなきゃならないから」
 鎌田は悩む伊達をその場に残したまま出かけた。

斉藤の悲しみ
 その夜伊達の携帯が鳴った。斉藤からだ。少しかすれた声が響く。
「お願い。会って欲しい」
それは搾り出したような切ない声だった。
「おい何だ。どうした」
「なんか、人生が嫌になって」
「良しわかった」
 直感で異変が起きたと感じる。武藤の件は会って話そうと考えた。
 伊達はすぐに行動した。時計は午後7時を過ぎている。斉藤と伊達は東京駅の丸の内口改札で落ち合った。伊達は西浅草2丁目のキ・ボンへ行くのにタクシーを拾った。
 キ・ボンはブラジル料理の専門店で知る人ぞ知るといったマニアックな店だ。毎週定期的に生演奏も行っている。狭い店内はディナータイムの時間帯と重なって結構込んでいた。今夜の客はブラジル人も混じっているせいかポルトガル語が飛び交う異国情緒にあふれていた。斉藤は食欲がないという。伊達はグラスビールを二人分オーダーした。
 入店して小1時間たった。その間斉藤には、武藤の件について伊達が知り得た情報を包み隠さず話していた。斉藤は気のない素振りをしながら要所は伊達に確認してきた。伊達はその変調に気づいたが、いきなりその理由を問いただすのではなくゆっくり心を開いてもらう作戦に出た。
 斉藤の、動きやすいストレッチ素材にラメが輝くクロコ(鰐)プリントのワンピースは、優美さを感じさせる一方、大きく開けた胸元に伊達はあえて視線をそむけた。少し酔いが回ってきたのか、中ヒールで薄いピンクのパンプスを無造作に脱ぎ捨てると斉藤は伊達にもたれ掛ってきた。伊達は片腕を差出し女の首にそれをあてがった。そして目を細め、話題を変えて、昔の頃を思い出しつつ語った。
「俺は学生時代サッカーをやっていた。それでブラジルに行きたかった。何せ本場だからね。あのころはブラジルが一番強かった。ワールドカップで何度も優勝してね」
「それでブラジルには?」
「行かなかった。いやいけなかった。才能がないことがわかったのさ。だがな、夢を持つのは何歳になっても必要だ」
「どうして?」
 伊達は斉藤の目をじっと見つめた。
「目が違ってくるのさ。人間必死になれば」
「サッカー以外では何をしたの」
 伊達は趣味の世界を語った。
「音楽はラテンを聞くのが好きだ。特にブラジル音楽。ギター弾き語りのボサノバ、打楽器が乗りよく響くアップテンポのサンバなんか良いね」
「そうなんだ。私はアメリカのビリー・ジョエルの歌が好きだったわ」
「だが俺は性格上のめり込みほどではない。初めて聞いたのはアストラッド・ジルベルトの英語バージョン『イパネマの娘』だった。俺が20代の頃でね、ジャケットの若い水着姿の女性が、湾曲したコパカパーナのビーチを裸足で歩く姿が曲調とマッチして印象的だったよ。彼女はこれがアメリカでヒットして、結局夫と離婚することになった。まあ、夫のジョアン・ジルベルトの方が、ブラジルではずっと有名だったけどね」
「そう、ラテンが好きなんだ。お酒もそうなの」
「この音楽には、ブラジルの代表的なカイピリーニヤというカクテルがあっている」
「カイピリーなんとか?」
「カイピリーニヤだ。飲んでみるかい。田舎の女性と言う意味らしいけど味はいける。サトウキビから作ったカシャーサにライムと 砂糖それに氷を加えたものだ。これに焼きたてのシュハスコ、バーベキューだけど、それにむしゃぶりついて食べる。ワイルドな感じがこれまたいい」
 伊達は右手を軽く上げ、ボーイにカイピリーニヤを二人分オーダーした。
「おいしそうね。演奏会にはよくいったの?」
「そうだね。演奏会は時々行ったな。最近では西浅草のキ・ボン、六本木のノチェーロ、あと丸の内のコットンクラブだ。多く100人ぐらいの客が、薄暗く狭い店の中でだんだんと乗ってくるのがわかる。あれは独特の雰囲気だ。もし行くんだったら予約が必要だ」
「他には?」
「それと浅草では毎年サンバ・カーニバルが催される。これは正直つまらなかった。動機が不純だったからね。裸に近いコスチュームで踊る女性を見たかったから」
 斉藤は笑みを浮かべた。伊達は、女の目から光るものが落ちていくのを見ていた。
「どうした?」
 斉藤はハンカチをバッグから取り出し、顔を繕った。
「いえ、なにも」
 斉藤はなにか言いたいそぶりだが、自分では言い出せそうにないそんな感触だった。 伊達は無言でそっと斉藤の肩をさすった。その後10分待ったが沈んだ雰囲気の斉藤を慰めるすべもなく伊達は、今夜の出会いをお開きとした。


斉藤佳子は福井へ
 斉藤は一時的に脱力感に襲われ、生きる気力が失せてしまった。だから昨夜伊達に電話を入れたのだ。孤独な気持ちを支えてくれる人間が欲しかった。武藤が兄であることは伊達には秘密にしておいた。それは武藤の実像が知りたかったからだ。
川南町で武藤の住民票は妹と言って斉藤が受け取った。案の上、兄の評判は芳しいものではなかった。それでもよかった。自分にとっては、父母が交通事故でなくなってからは唯一の肉親だったから。そのとき中学2年生だった自分は親戚筋の斉藤家に養女として引き取られ、それ以降兄と会う機会はなかった。
 斉藤にとって記憶にある兄は優しかった。その兄が故郷の福井で死んだ。しかも不審死だという。その知らせを聞いた斉藤は伊達に救いを求めたが、素直に武藤が自分の兄だと告白する勇気はなかった。それには少し時間を置きたいと思った。それよりもすぐ動かねばならないことがあった。

 翌日福井に行き警察を尋ねた。兄は独身で家族はいなかった。実の妹であることを名乗り、死体が引き上げられた状況について詳しく聞いた。死後3日はたっているという話だ。 死因は依然として不明であり、事故死として処理される雰囲気だ。死体は大和田牧場がひきとり居住していた所にあるはずだという。急ぎその住所を尋ねた。そこは以前伊達とともに手分けして探した地区の隣町だった。斉藤は運命の不運を嘆いた。もしあの時点で兄を見つけていればこんなことにはならなかったのだ。今までの捜索は無駄になってしまった。
 無理にでも気を奮い立たせ大和田から死体を引取り、簡単な葬儀を済ませた。それらが一段落すると斉藤は東尋坊に向かう。兄が生前最後に目にしたであろう場所を確認したかったからだ。三国港から北西におよそ3キロメートル行ったところにそれは姿を見せた。
 13百万年前にマグマが噴出し輝石安山岩が冷えて固まる時にできた5、6角形の柱状節理の奇岩が一キロメートル以上にもわたり日本海と接している。車から降りてスニーカーに履き替え、ごつごつした岩肌を足元に感じながら転ばないように用心深く進む。
やがて三段岩まできた。斉藤は切り立った岩から25メートルもある崖下を見下ろした。思わず足がすくんだ。
 4月、その日の海は時化模様で荒れている。次々と寄せる波が白い波頭を上げながら岩に砕け散った。海から吹きつける強い風が斉藤の体を揺さぶる。強風が運んだ波のしぶきが顔にあたり、強い塩の香がする。斉藤は無言でそうした自然の中にたたずんでいた。
やがて遠くに見えた船が2重写しになった。手で涙をぬぐいながら斉藤は心のなかで強く誓った。口蹄疫の真実は突き止めると。

伊達の執念、
 武藤の死は衝撃だった。それでも伊達は諦めなかった。深夜1時過ぎ、伊達は自分で作った数直線を見ながら大きく両腕を真上にあげ伸びをした。そして疲れた脳をいたわるように頭を軽く揉みほぐしながら呟いた。「わかったぞ」
 その数直線には3月と4月の日付が入っており、第一例、第六例、第七例のそれぞれに対する家保の動きを書いたものだ。目的は、家保がそれぞれの事例にどう対処したかを比較、確認する為だった。そしてそれらを集約したものが次に記載した伊達の結論だった。
 まず第一例だがすでに述べたとおり、家保では4月19日に口蹄疫だと判明していた。白装束の家保がその日現場調査に入っているのだ。当然同じ都農町の近隣である第六例の牛もそうであると家保(少なくとも第6例を調査した担当者)は推理したはずだ。だが第六例に対して家保はすぐに行動していない。
 20日に牧場主からの依頼を受けて22日に現場調査に向かっている。それも牧場主が家保職員に口蹄疫検査を依頼してはじめて行動した3回目の調査だ。それはなぜか?
一つには20日ごろから川南町の大和田第七牧場近くで確認される第二例から第五例の対応に家保が忙殺されたことだ。もう一つの理由は4月20日に第六例の獣医師から検査の照会があり、せっつかれたように検体を4月21日に送っている。家保は動いてはいたのだ。
 第一例は4月17日に採った検体をすぐ動物衛生研究所に送り19日に結果を得ている。それなのに第六例は3月31日採材の検体を4月21日に送り23日に結果を得た。この家保の動きは不自然だ。なぜ3月31日の検体を?
それは家保の診断ミスであり、当時その必要がないとして送らなかった。ところが第一例の事例から危機感を持った責任者が判断を修正し4月21日に動物衛生研究所へ送らせたのだ。なお、この時点で第一例の黒毛和牛と、水牛とを区別したとは考えられない。
 次に第七例の大和田牧場だ。
 3月の5、6日と死亡獣畜処理業者に牛の死体処理を依頼した時、大和田の吉田所長が家保に症状の確認を依頼したとの内部情報がある。これが事実とすればこのとき対応した家保の担当者はそれなりに責任ある人物のはずだ。ところが口蹄疫という判断はしなかったと思われる。なぜなら家保によるその後の大和田への対応に変化がないからだ。
 しかし大和田は遅くとも3月中には異常に気づいたと思われるが、意図して家保への報告を怠り内部処理ですまそうとした。それは従業員の告発や経過状況を勘案すれば明らかだ。
 第六例の結果(4月日23日確認)を受け4月24日朝家保から、『疫学的理由から立ち入り検査をする』との電話が大和田牧場に入る。そのときになって、追い込まれた大和田は異常牛の報告を家保に行った。家保はなぜこの時期に検査の通告をしたのか?
川南町は狭い町だ。何でも噂はすぐに広まる。当然大和田牧場の動きも。つまり家保の担当者は無論、上層部も知っていたが動かなかったのに。
 その理由は? 1997年に児湯地区に大和田牧場を誘致した経緯がある。その政治力が働いたと考えるのが自然だろう。よく言われる「強制立ち入り検査権」がないからというのは詭弁だろう。
4月24日家保がこの時期に大和田に電話したのは、第六例まで発生が確認されており、都合が良いからだ。大和田を第一例とするのは家保として避けねばならない事情があった。その理由として、3月の6日ごろ吉田所長が家保に症状の確認を依頼した時、口蹄疫という判断を担当者が見誤ったからだと考える農家もいる。これとは違う見方もある。この時点で黒毛和牛と、水牛とを区別したとは考えられないだろうか。
 それに農水省だ。国は種牛問題を見てもわかるように個人や私企業の問題は国家レベルの観点では大きな問題ではなかった。つまり国や県はOIE(国際獣医事務局)の判断を恐れたのだ。清浄国の指定を受けるためには水牛の肉の方が牛肉よりも初発としては通りがいい。この点で国の疫学調査は始めに水牛ありきの結論にもっていったと考えられる。これは家保や畜産課にとっても都合が良かった。この論理は奇妙に思われるかもしれないが、原発に揺れる政界と経済界、官僚、学者の癒着構造を参考に考えればあり得る話だ。東京電力は放射能という致命傷を出したから徹底的にマスコミに叩かれたが……。
 
一方大和田牧場の専務は4月10日以降は第七牧場に常駐し、事態の推移を見守っていた。関係者の証言にあるように、その頃は150頭から200頭の異常牛が観測されている。国の疫学調査では「4月8日に食欲不振複数頭」を第七例の初発としているが、それはあきらかにねつ造されたものと考える。近藤専務が川南町の口蹄疫の発生状況を見ながらシナリオを書いたのだ。4月22日に川南町で第四例が確認されているが、その日を第七例では「獣医師が異常を確認した日」としている。しかし武藤獣医師は3月、4月と第七牧場に立ち寄っていないという。そういった書類を作らされたのに過ぎない。近藤専務の方針は出来るだけ遅く家保に報告し、「宮崎県での初発」という冠をかぶることを避けたかったのだ。

  翌日、強力な伊達のアシスタントである横山みずきが瞳を輝かして伊達に告げた。
「ブログをチェックしていて、本文の中に第六例の農場主の発言が出ていました」
それは民政党所属で岡山県の次期衆議院選挙に立候補を予定されている女性のものだ。彼女はその中で「宮崎県の検証委員会は結論を回避し、国の疫学調査チームは水牛農家を初発とするため、意図的に事実誤認をした」と書いている。伊達はにんまりしながら続きを読んでいく。ある箇所から伊達の目が輝いた。そこはブログの著者が第六例の農場主の発言を引用して意見を述べているところだ。伊達は当事者の話を重視しており、第六例の水牛農家とのインタビューが実現していなかったので、その喜びは相当なものだった。
 伊達はその箇所から拾った農場主の主張を次のようにまとめた。

1「3月31日の検体には抗体はできていなかったとのことです」と家保は言っているの   に「鼻腔スワブPCR陽性」のみで初発とした。第一,六,七例目の全検体についても抗体値を発表すべきだ。そうすればどれが初発か判明する。
2 3月31日の症状について
「涎、口内炎、乳房の皮膚に一部剥離があった」と書かれているがこんなことはなかった。
「足に異常。餌を食べず、乳が絞れないです」
「だって家保の三名の職員さん! あなたたちと一緒に、全頭柵に入れて一緒にチェックしたじゃないですか!……」
3 県がなぜ検体を東京へ送らなかったか?
「3月31日と4月14日、私は家保から東京へ送ると言われています。これは従業員がつけていた日記に書かれています」
4月14日時点で家保と畜産課は気づいていたと思われる。家保は被害拡大(市場閉鎖と移動禁止)を懸念して検体送付を躊躇したのではないか。
4 4月24日家保が大和田に立ち入り検査
第7例目の大和田農場は家保が査察に入ると既に治癒したものが多かったという情報がある。725頭中5頭の症状の出ている牛から検体をとっているが、既に治っている牛から検体をとっていれば大和田でのウイルス侵入時期は早まるのだが。
5 水牛問題は国と県が示し合わせ、国際獣医事務局対策として、水牛農家を初発とした。 
6 6月25日 新富町のワクチン接種農家で牛の殺処分をしていたが、その中に口蹄疫の症状が出ているのに、家畜防疫員はあえて見逃し殺処分を行なった。これは上司と相談の上で行なった措置だった。これが家保と畜産課の体質ではないか?

 なんどもこれらの項目を読み返し伊達は不思議に思った。自分の読み筋が水牛農家が言っていることと全く一致しているのだ。そして確信した。初発は水牛農家ではなく、彼は嵌められたのだと。


関西山崎興業 インテリやくざの出現
 大和田牧場は大口投資家を招いての懇親会を北新地の料亭で年2回定期的に開催していた。その懇親会がお開きとなった後、小太りで体格のわりに大きめな顔の近藤は参会者を見送り、車に乗り込もうとしたところで色白の男に呼び止められた。髪の毛が薄くなった恰幅の良い50歳代の男で黒みがかった紺のスーツ姿だ。
「申し訳ありまへんが、ちょっとつきあってもらえませんか」
「は、失礼ですがどなたでしたか」
「水野投資会社です」
 近藤は首をひねった。
「水野さんは先ほどお帰りになりましたが」
「知ってます。あれは私どもの代理人です」
 近藤はいぶかった。
すると相手は名刺を差出した。
 近藤は受け取りじっと見つめた。
 ”関西山崎興業 山崎眞”となっている。
「そうですか。でどんな御用事で?」
「ちょっと細かいことなんで、私どもの事務所でお話を」
 近藤は腕時計をちらっと見る。午後9時30分だ。
 ちゅうちょしていると、山崎はさらに言葉を添えた。
「お忙しいでしょうから、そんなにお時間は取らせません。場所はこの近くです」
 近藤は少し考え、目と顎を使って待機していた社員に車ごと引き払うよう合図した。それを待っていたかのように山崎は外車に近藤を押し込み、自分は助手席に座った。近藤の横には若い体格の良い男が座っていた。結局近藤は車のなかで三人の男に囲まれる形となる。車はすぐに発車し、ネオンが光る夜の街に吸い込まれていった。
 このとき近藤は事態を飲み込んでいた。山崎はヤクザで水野投資会社はダミーだと。しかしこの投資会社との取引に問題があるとは思えなかった。過去3年間この会社は大和田への投資額を増加し、今では8億円の投資額になっている。近藤専務が知る限り大口優先できちんと配当は支払ってきた。遅延はないはずだ。
やがて車は古風なビルの前で停車した。
 山崎は先頭に立って二階の事務所に近藤を案内した。部屋は60坪程の大きさで整然と家具が配置されている。近藤は山崎とともに応接室に入った。長方形の大型テーブルを挟んで山崎と向かいあう。応接室内には二人だけだ。
 山崎が丁重に話を切り出した。
「先ほどは失礼しました。この方が手っ取り早いと思いましたので」
 近藤は頭を少し下げると次の言葉を待った。相手が何を言い出すのか不安がよぎる。こういう場合に癖が出る。近藤は意味なく左手で後部の首をしきりに撫でた。
「そう心配しないで下さい。話は出資のことです。できたら2億円の追加投資を考えているんですが」
 とりあえずほっとした。
「さようで御座いますか。それはありがたいことで」
「ただ条件があります。期限一年で配当利回りは1%上げて下さい」
 近藤は頭の中で計算した。負担は200万の配当アップか。東日本大震災の後なので資金繰りは楽になる。「わかりました。それで結構です」
 山崎は笑みを浮かべる。
「承知いただけましたか」というと手を軽く叩いた。
ドアがノックされ、車の中で近藤の横に座っていた若い男がグラスに入れたビールを運んできた。ハイネケンだ。
 中腰になって二人の手元にグラスを置くと、すぐに引き下がった。
 山崎は近藤にビールを飲むよう勧めながら言った。
「念のため申し上げますが、これで配当負担は年1千万増えますよ」
「は、何のことで、200万では……」
 近藤に最後まで言わせなかった。
「現在8億円投資させてもらっていますね。それに2億円追加出資しますと10億円ですわ。その元本の1%ですから1千万になりますわな」
 近藤は困惑の表情で言った。
「え、そんな」
「心配しないでええです。同じ一年後に8億円の元本のうち3億円は解約しますから」
「すると一年後に5億円回収されると」
「まあ、そういうことですわな」
 山崎はシガレットケースからタバコを取り出すと、2,3度テーブルの上でトントンと叩いた後口にくわえた。ライターで火をつけながらも鋭い目線はじっと近藤に注がれている。「わかってますやろう。今の配当では投資効率が悪いんです」
 近藤はのどの渇きを覚えた。目の前のグラスを手に取ると一口流し込む。さらにもう一口。冷えたハイネケンがのど元をごくごくと通過する。どう対処したらよいものか近藤は迷っていたが取り乱した態度を取るのだけは抑制した。
「出来たらこの件は持ち帰って検討させて……」
 今度も山崎は近藤の言葉を最後まで聞かなかった。
「いや、今返事が欲しいんです。時間は無駄にしたくないですから」
 やむおえない。とぼけてみた。
「はあ」
「もしこれが破談になれば、今預けてある8億円も即回収と言う事態になりますが。よくお考えになって下さい」
 近藤は苦渋の顔を隠さなかった。
「それはちょっと」
 山崎はタバコを灰皿にぐりぐりと押しつけ火を消す。
「ほな、合意されるんですな。ありがとうございます」
 山崎は白々しく頭を下げた。決めるときは強引だ。鋭い眼光で近藤を睨みつけた。
「銭も大事だが、もっと大事ものもありますからな」
「はい」近藤は神妙に同意した。
 近藤は数年前の事件を思い出した。確か福岡で金のトラブルから玄海灘で死体が発見された。抵抗するのは野暮なことだ。ここは素直に相手の言いなりになっておく方が得策だ。
 山崎は笑みを浮かべた。
「勘違いせんといてください。私は信頼が大事だと言ってるんです」
やむなく近藤も追従の笑みで返した。
ドアがノックされる。先ほどの男がジョニ黒の水割りを持参した。
 山崎はそれを見て顔色を変え、男を大声で怒鳴りつけた。
「馬鹿もん! 今からミナミへ繰り出そうと思っとるのに」
 男は平身低頭している。
「いえ、もう私はここで結構です。明日は早いもんですから……」
「そうですか。それはすまんですね」
 山崎は右手で男に退散するよう指示した。男は頭を下げ退いた。
 山崎は手の平を変えたように穏やかな声色を出した。
「このたびの大震災は大変だったですな」
「そうなんです。今夜の会合でも申し上げたんですが、丁度東北地区を立ち上げ、これからという時期だったもんですから」
「なるほど。すると口蹄疫の補償金も行って来いですわな」
 近藤は相手の目が光ったのを見逃さなかった。
 次に何を言い出すか戦々恐々としていたが山崎は話題を変えた。
「話変わりますが、宮崎のほうはどうなってます。落ち着きましたか?」
「高鍋町など一部地区を除いて撤退しています。折を見て再開する腹積もりですが……」
「いつまでもあそこを遊ばして置くわけにはいかんですわな」
「そうです。ただ今は時期が悪いので」
「何か困ったことは?」
 近藤は言うべきか少し躊躇したが、結局山崎の話術に乗った。
「実は変な探偵が、うちのことをかぎまわっているようで」
「探偵が?」
 近藤は自身が会ったこともない男の名を口にした。
「はい。伊達賢二とかいう男です。千葉県の探偵事務所に勤務しています」
「ほう、千葉からわざわざ宮崎へ」
「そうなんです。それも口蹄疫が起きて一年近くたつというのに」
「それで何か都合悪いことでも?」
「場合によってですが……」
「どういうことです?」
「もし蒸し返されたら、最悪貰った補償金を全額国へ返納しなければなりません」
 山崎は顔色を変えた。
「なんだと!」
 近藤は話したことを後悔したが、すぐにとりなした。
「いえ、それは申し上げたように最悪のケースのことで。その場合でも御社からの投資額は最優先で返還いたしますのでご心配ありません」
 相手は気を取り直した。
「そうだよな。そうならないように手を打たなきゃね」
「おっしゃるとおりです」
二人は、それから5分ほど小声で会話した後に散会した。

 自宅に帰り着くと12時を回っていた。明かりを落とした自室で近藤はワイシャツ姿でソファーに横たわり往時を回想していた。それは平成22年2月中ごろか、――その時は韓国で口蹄疫が発生して一ヶ月がたっていたが――川南町の第七農場の風景が頭に蘇る。

 当時その牧場は風雲急を告げるといった状態だった。身長が1メートル80センチを超える体格がいい所長の吉田は頭をひねった。2月19日に続いて22日にも死亡牛が出たのだ。症状は発熱、食欲不振、風邪の症状を示し、その後容態が回復せず死亡したと報告を受けた。飼育担当に聞くと、その後は同じ症状を呈しても一週間もたてば多くは治ったという。専属の武藤獣医師は児湯地区全般を診ているため電話での連絡にとどめていた。牧舎には730頭もの牛を飼育していたが、吉田は3月には改善するだろうと楽観していた。
 ところが3月3日、飼育担当が異常牛の報告を吉田にもたらした。数頭が流涎、びらんの症状を呈したという。まさか? 不安に駆られ、すぐに現場に直行した。
その担当者によれば、最初は2月同様風邪の症状を示していたが、朝方に牛舎を覗くと数頭が異常な症状を呈していたという。電話で武藤獣医師に相談すると口蹄疫かもしれないとの話だ。吉田所長は決断を迫られた。とっさの判断で飼育担当に該当牛を隔離するよう命じると同時にすぐ大阪本社の専務に電話を入れた。近藤専務も早めに宮崎へ飛ぶと言う返事。それでも吉田は落ち着かなかった。
 果たして吉田の不安は的中する。昨夜見回り中に、同じ飼育担当者が牛房で異常牛2頭を発見したと報告してきた。大和田の場合1牛房で十数頭飼育している。もし口蹄疫ならば牛房全体がウイルスに感染してしまう。吉田は該当牛の隔離を命じた後、その飼育担当以外のものが現場に接近することを禁止した。所長室から部下が退出すると腰の力が効かなくなって、へなへなと床の上に座り込んだ。吉田もさすがに現実を無視できなくなり、昼食時、極秘で知り合いの家保職員に状況確認を依頼した……。

 翌日夕刻専務の近藤が宮崎に到着した。近藤は吉田とともに隔離した牛舎に急ぎ駆けつけ、うめき声を上げた。そばには呼び寄せた獣医師の武藤がいて家保に届けるよう進言している。吉田はこれまでのいきさつを説明し対応策を近藤専務に問うた。
 近藤は厳しい顔で答えた。
「疑惑の牛は夜間に殺処分しろ。分かっているだろうがこの件は機密事項だ」
 武藤が言いかけた。
「しかし家伝法では……?」
「馬鹿だなお前は! もしこれが口蹄疫なら全頭殺処分せねばならん。700頭以上の処分をされてみろ、会社は倒産するんだぞ。従業員も路頭に迷う。わかっとるのか!」
 それを聞いて吉田は武藤獣医師を制した。
 近藤は向き直って吉田所長に命じた。
「一般の従業員にはこのことは秘密だ。また記録文書に書くことは厳禁だ。今後のことは二人で処理をする。それから不審な牛を見つけたらすぐにあなたに連絡するよう関係者に徹底してくれ」
 落ち着くと近藤専務は吉田に尋ねた。
「どうして口蹄疫がこの牧場に?」
「今年流行している中国か韓国からでしょう……」
「そうだろうな」
しばらく間を置いて、近藤はうつむいたまま吉田に告げた。
「ともかく、目立たずこのまま何とかやり過ごすしかない」
 殺処分した牛は3月5日、6日と2回に分けて死亡獣畜処理業者を呼んで処分した。これで事態が収まるかに見えたが3月中旬に数頭、下旬にも異常牛が発見された。初期症状が涎、びらんの様子を示すものはすべて隔離、殺処分の対象とした。
 吉田がうろたえた様子で近藤に告げる。
「これ以上死亡獣畜処理業者を呼ぶことは出来ません。怪しまれます」
「わかった。夕方敷地内に埋却しよう。その日は従業員を早く帰宅させることだ」
 だがすべてを埋めることは出来ず、リスクを承知で22日に死亡獣畜処理業者を招いた。

 武藤獣医師はこうした状況を恐れていた。口蹄疫のウイルスが第七牧場だけで収まるはずがないと確信した。というのは大和田の関連牧場が児湯地区に集中しており、従業員はその周辺に住み、糞尿処理業者、飼料の運搬車両が相互に往来しているのだ。しかも第七牧場の横は生活道路が通っており他の牧場が多数隣接していた。もしこの事態が家保にばれたら、自分は獣医師免許を剥奪され二度とこの世界で生きることは出来ない。武藤は誰にも相談できず、鬱々たる気持ちを紛らわすには酒を飲むしかなかった。その結果4月にアルコール中毒状態となった武藤を恐れた近藤は隔離状態にして外部との接触を禁じた。

 4月初め他の従業員からも涎を垂らす牛が報告される。4月10日、事態はいっそう悪化した。牧場内部では150頭以上の異常牛が観察され従業員の間では既に公然の秘密になっていた。ペニシリン系の薬を大量発注して牛に接種してみたが効果はなかった。さすがの近藤も心労から体重は5キロも落ち、頬はこけて見えた。だが気力だけはあった。とにかく今を乗り切るんだ。会社を守る一心で他のことは頭になかった。
4月15日 従業員の一人は石灰散布などの提案をするも吉田は聞き入れなかった。
 近藤は悩む吉田所長に言った。
「こうなれば初発農場になるのだけは避けるんだ」
 吉田はうなずいた。
4月20日、吉田が風邪だと言って従業員に説明したうちの1頭が死亡した。やむなく秘密裏に西都市の関連牧場へ死体を移送する。同日朝、都農町で第一例が出たとの連絡がはいる。近藤は事態の推移を見守りながら家保と接触するタイミングを窺った……。

 その後数ヶ月が経過した。口蹄疫が終結し、国の補償額が決定する。近藤はほくそ笑んだ。ワクチン接種により殺処分となった(13ヶ所の)総頭数14、421頭の補償額は百億円以上だ。周囲から疑惑は抱かれたが経営は安泰となった。終戦処理として近藤は事務員を除き、封鎖した牧場で職を失った従業員を他県に異動した。これは秘密漏洩を防ぐ意味も持っていたが併せて東北地区に新規進出し、その基盤を築くのが狙いであった。

伊達に警告
 朝方事務所に寄って鎌田から新しい案件の指示を受け取ると、伊達はそそくさと駅に向かった。調査に出向くため京葉線のホームで朝方電車を待っていたときだ。見知らぬ男が伊達に近づいてきた。濃紺のジーンズに焦げ茶色のジャンパーを羽織っていた。伊達の顔を一瞥すると、にやっと笑って言った。かすれた声だ。
「伊達さんですか?」
 うなずくと30歳前後とおぼしき男は続けた。
「今度の件からは身を引いた方が良いですぜ」
 伊達が問い直そうとすると、男は無視して階段を下りていった。
 そのとき丁度東京行きの電車が姿を現した。伊達は無理に男を追いかけようとも思わなかった。男の背中を目で追った後は電車に乗り込んだ。車内は満員でつり革に捕まるしかない。伊達は電車の揺れに足を踏ん張りながら、先ほどの男が言った言葉を思い返していた。過去の探偵業でのことはともかく、心当たりとなることは口蹄疫関連の調査しか思い当たらなかった。脳裏に武藤の死のことが思い浮かんだ。
 

頻発する事件

 東日本大震災が起きて一ヶ月がすぎる。伊達はその間の出来事を振り返ってみた。
九州からの桜前線が北上し関東地区でも桜が咲き始めたが、自粛という名で浮ついたものはなかった。交通網は徐々にだが整備されつつある。しかし政治は混迷していた。被害住民は避難所生活を続け、現場での瓦礫撤去は進んでいない。
 福島第一原子力発電所における放射能漏れは依然解決の目処が立たないだけでなく放射能汚染水の除去も懸案事項のままだ。それにかわって風評被害の拡大とともに浦安他各地の液状化現象の実態が明らかになってきた。
 不評だったテレビのAC広告は内容を変えて継続している。伊達はこの件では賛成だ。同じ内容を繰り返す以前の広告には辟易していた。海外では日本の放射能の行く末を注視している。残念なことに日本は危険な国となり観光客は激減していた。いったい誰がこんな事態を想定しただろう。東日本大震災による経済への打撃も大きかった。分散配置された自動車の部品工場は壊滅的打撃を被った。だがその影響は日本のみならず世界の自動車産業に影響を与えた。

 こんな状態では探偵業もお手上げだ。鎌田社長は毎日のように愚痴を言っている。伊達は昔見た映画のタイトル名を呟いた。「日本沈没」だと。
 前半、後半と2区分された統一地方選挙の結果がでた。前宮崎県知事は都知事選挙で現職知事に破れるも善戦した。170万票もの票を獲得したのだ。彼は確実に次期総選挙に向けての足場を築いた。しかし川南町では現職町長が大差で落選している。
 こうした中でも、震災にあわなかった宮崎は徐々に口蹄疫の災禍から脱却していた。河田は伊達に4月20日の一周年セレモニーへの出席を勧めた。それは被害者協議会が主催するシンポジウムで、川南町のシンボルであるトロントロンホールという多目的施設で行われた。ここでは毎年12月に数十万球の電飾を飾り、光りのカーテンとして観光客を呼び込んでいるという。伊達は現地に到着して大きなホールを見上げながら想像した。昨年末には4月に起きた町の暗いイメージを明るい電飾で吹き飛ばしたことだろう。

 650席入るというホールはほぼ満席だった。来賓で出席していた新知事は挨拶の中で、口蹄疫の被害者に対する謝罪を初めて口にした。それは前任者が拒否していた事で、画期的なものであった。東京大学卒で自治省出身のこの若き知事は、「ノブレス・オブライジ」が座右の銘だと言っている。その意味は、「高い地位にあるものはその責任を負わねばならない」と言う意味だ。この新知事は前知事と農水省との確執を反省し、自分と同じ総務省の人間を副知事に起用した。
 ついで挨拶にたったある市長は、被害者協議会の名称を復興・復旧協議会に変更する事を提案した。協議会は新しい段階に入っていた

土地の古老の話
 武藤の件で伊達が怒りをぶちまけた矢澤と関係を修復する機会がやってきた。それは河田が再度郷田と会って宮崎の政状を確認してはどうだと言ったからだ。伊達はこの機会を利用した。郷田にアポが取れるとすぐに電話を入れる。案の定、矢澤は興味を示したのだ。当日宮崎市内で矢澤と落ち合うとすぐに謝罪したが、先輩は過ぎた話だと言って気にもとめていない風情だ。伊達は気が楽になった。
 二人は郷田和夫という古老の家に立ち寄った。郷田は以前使ったと同じ荘重な応接間に通した。伊達は、前回気にもしなかった床の間の掛け軸に目を遣った。それは流れ落ちる滝壺から昇竜する場面を描いた有名な山水画だった。横に生々流転と書かれている。老人は伊達がじっとその絵を直視する姿を見て、笑みを浮かべながら解説した。
「この絵は横山大観が描いた絵の一部なんだ。実際は40メートルに及ぶ巨大なもんです。大正12年9月に関東大震災が起きた。その時古い美術館で展示されていたんだが、奇跡的に助かったというエピソードがあります。この絵にはいろんな解釈があるようですわ。自分としては『生きとして生けるものを生かし、自ら生きて流転する』と捕らえる説が簡単で良いと思うている」
 伊達と矢澤はじっと聞き入っている。二人の難しそうな顔を見て取った郷田は付け加えた。「意訳すると、ものを言うには誠をもってし、施政は治めるを善とするですかな」
 飛躍した意訳に禅問答のような違和感を伊達は感じたが黙って聞いていた。着席すると、伊達は数点の項目を挙げ、これらに関する郷田の意見を拝聴したいと述べた。郷田老人と矢澤が入った話の要旨は次のようなものだった。

1東京電力の事例を見ればわかるように、電力の安定供給を名目として独占を認められた  
電気事業会社の力は非常に大きい。財界、政治家、官僚と繋がって反対勢力を一掃した。
学者の世界も同じだ。放射能に危険性を説くものは多数派になりえず、遠ざけられた。肝心の住民は金の力に屈服した。偽物の安全神話と、他の方法によるよりも安い電力料という宣伝が世の中をまかり通った。実は九州電力も宮崎のあるところに原発を作ろうと躍起になっていたがね……。
2地方選挙の結果は納得いくものだった。都知事選で前宮崎県知事の棚橋は出馬したが、現職知事に大差で破れた。これには裏があった。一つは東日本大震災の影響だ。メディアにクローズアップされることで選挙民による認知度を増幅してきた棚橋に取って大きな誤算だった。マスコミが都知事選を取り上げ報道する機会は制約されたからね。もう一つは、当初現職知事は引退し神奈川県の前知事が出馬する意向だった。ところが事前の世論調査の結果、その人物では、棚橋に勝てないと言う結果がでたのだ。それで保守党はあわてた。渋る現職知事を必死で説得し選挙に打って出た。破れたとはいえ棚橋は相当な得票数を獲得したから、この戦いは次回の選挙に大きな財産となったと思う。
3宮崎県は早めに知事選が実施されて副知事が選挙を経て繰り上がった。空いた副知事の席は同じ総務省の人間が就任したね。これは結果としてポストを獲得した官僚の勝利といえるだろう。
 ローカルだが川南町の町長選挙は特に注目していた。口蹄疫の初動対策に大きな責任を持っていた現職町長を町民がどう判断するかということでね。結果は農民の判断が勝り、大差で落選した。
4今回の原発事故の対応を見ているとつくづくグローバルな世界になっていると感じる。
アメリカ、ドイツ、フランスや中国、韓国といったアジアの国々をすべて巻き込む問題になった。大気や、海洋汚染にとどまらず経済の面でも他国への影響は大きかった。部品生産をとれば、世界における日本経済の力が証明されたということでもある。
5東京一局集中の危うさは以前から問題になっていた。今回も話題には上ったが先送りされるだろう。日本人は痛い目に遭わないと懲りない民族なんだと思う……。 いつか痛い目にあうだろうよ。
6宮崎の産業振興は観光はともかくとして、独自の視点でできないものかと思う。前知事は観光に力を入れていたがね。たとえば港湾をさらに整備し一帯を経済特区としてアジアとの交易における一大中間加工地区を作るとかね。東北のダメージを補強するエリアとして運動しても良いんじゃないか。中国、韓国にも近いしな。県庁の人間に大きな企画力がないというのが弱点じゃ。
7癒着の構図が戦後の安定期にできあがり、新興勢力がこの壁を打ち壊すことは容易ではない。であるけれど、閉塞化した日本の社会を変革する時期になっているのは確かだ。それには既存の秩序、体勢をぶちこわす大爆発が必要なんだよ。その意味で今回の原発問題は、ひいては政治は日本国民の英知が問われているんだ。芸術だけじゃないんだな爆発は。

 話し終わって郷田は伊達に弱弱しく告白した。
「私は後、余命1年ないかも知らん。タバコを吸い過ぎた報いか、肺癌になってしもうた。だからこうして話せるんじゃ」
 伊達と澤田は丁重に郷田に礼を述べ屋敷を後にした。その後澤田は新聞社に戻り伊達はいつもの高鍋町のホテル葵に向かった。


危機一発
ホテルで少し早い食事を摂ると伊達は室内に戻った。外気を吸うためバルコニーに出てみた。午後六時半ごろのことだ。空を見上げると、一帯が白っぽい青色の空を背景に山の陵線から西の方角に一気に大筆を引っ張ったような、柔かいあかね色のすじ雲が流れている。そのさらに上空には、筆先のような形をした二層のうす灰色の雲が被さっていた。
 伊達はそのコントラストの美しさに思わず見とれたが、勢いを増す灰色の雲が気にさわった。夕暮れが闇に向かう自然な流れなのだが、光明を求めている自分に何か起きる不吉な予兆のように感じとったのだ。そのときホテルに設置してある電話が鳴った。伊達はあわてて室内に戻り、受話器を握った。
 電話の声は聞き覚えがなかった。相手は口蹄疫に関する情報を伊達に聞いて欲しいという。川南町に入った山本地区の農家を面会場所として指定してきた。山本地区は口蹄疫が拡大したホットスポットだ。そのあたりは土地勘があったので応諾した。
駐車場に向かうとき伊達はふと空を見上げた。あたりの景色は様変わりして、先ほどのあかね色の雲は灰色に変わり、地上の建物や木々は黒いシルエットに変色している。
 夜は人通りのない農道だ。道幅は自家用車がやっとすれ違える狭さだった。気を配って車を走らせていると前方から使い古したダンプカーが現われた。直進してくる。徐行するか、バックするかと見ていたがどうもその気はないらしい。伊達はパッシングしてみた。反応はない。きちがいめ! 思わず伊達は窓から叫んだ。相手は本気だ。スピードがどんどん増している。このまま行けば自分の運転席は鋼鉄に破壊され命はない。
迷った。減速して車から飛び降りるか、それとも加速して少し先を左折するか。
 だが躊躇する時間はなかった。決断しアクセルを思い切り踏みこむ。轟音とともにダンプの姿が大きく迫る。伊達はとっさに左へハンドルを切った。
がくんと曲がり角で後部タイヤが隙間にとられる。大きな衝撃とともに身体は左に傾いた。伊達はすぐにハンドルを立て直してなんとか角を曲がることはできたが、脇道の側溝に車の前部が突っ込んでしまった。ほんの一瞬の間だった。ダンプは砂塵を上げながら猛スピードで通り過ぎて行った。車は大破しエンジンだけがうなっている。
 大きなため息と安堵感。伊達はしばらく動けなかった。少し時間がたつとじわりと胸の痛みを感じる。シートベルトはしていたが、ハンドルで打撲したのだ。体勢を立て直しエンジンを切ると携帯で大森に連絡した。あたりは森閑とした沈黙に包まれていた。伊達は露を帯びた草原に座り込んでどうするかを思案した。良案はない。やむなく起き上がって暗い夜道を歩く。時折胸の痛みが襲ってくる。

 しばらく進むと10メートル先に神社の街燈の薄明かりが見えた。伊達はそこで大森を待つつもりで足を速める。先のほうで数名の足音がした。たちどまり一息つく。
対面が車でないのが不安になった。大森ならば車で来るはずだからだ。薄明かりながらも相手の容姿が確認できる距離になった。人相はどう見ても良いとは言えない連中だ。伊達は本能による警戒信号を感じ取った。迷ったが引き返すのも面倒に感じ、突っ切ることにした。しかし先が二差路のところで三人組が追いつき伊達は囲まれてしまう。

 じんわり相手は間合いを詰めてくる。見回すとどれも腕っ節が強そうだ。その中で一番強そうな奴を見極める為、交互に男たちに視線を向ける。腹を決め右端の革ジャンの男にあたりをつけた。伊達は身体を少し右側に向けると同時に、少しかがみ右手を土につけた。
 革ジャンの男はせせら笑った。
「どうした。おじけづいたか?」
 その言葉を無視して男の後方に目を向ける。枝葉の茂った大きな木が見えた。他の二人も迫ってくる。伊達は身体を起こすと同時に右手に握りしめていた砂を革ジャンの男に向けて投げつける。同時にその男に近づき股間に向けて左足でトーキックをぶちかました。一瞬の事だ。男はうめき声を上げ、右手を股間にあてたまま地面に弱々しく崩れ落ちた。その隙に素早く男のそばをすり抜け、 伊達は走った。すぐ先は古びた神社が建っている。
二人が並んで追ってきた。敏捷な小男が追いつき息切れした伊達の腰をつかもうとする。伊達は大木の前でその手を払いのけながら、くるりと半回転した。
 ぜいぜいと息を吐きながら追ってきたその小男は伊達が回転しながら放ったキックをあごに受け吹っ飛んだ。だがうまくいったのはそこまでだった。視野に入っていなかった三人目に捕まった。この眼鏡をかけた屈強な男は背後から伊達の身体をはがいじめにして叫んだ。「この野郎、ふざけやがって!」
 伊達は必死にふりほどこうとしてもがいた。伊達のスーツのボタンが飛び散る。
その間に股間をけられていた革ジャンの男が追いついた。男の形相は怒りで真っ赤になっている。その右手にはナイフが。
笑みを浮かべ一歩二歩と次第に男が近づいて来る。
 伊達は丸太のような腕を解き放とうとしたが、相手の力が上手だ。味方が来て心強くなったか、腕の締め付けはさらにきつくなった。その眼鏡をかけた男は言い放った。
「やっちまえ」
 そう言われた革ジャンの男の目が一瞬光った。
 ナイフが心臓に向かってくるのが見えた。伊達はその刹那左足で背後の男の足を思い切り踏みつけ、右に身をよじった。自然左腕は心臓をカバーするため右側にくる。伊達を羽交い締めにしていた男は小さなうめきを発し、踏みつけられた痛みで手を離した。
ナイフは伊達の左肩に突き刺さった。鮮血があたりに飛び散る。革ジャンの男も返り血を浴び一瞬たじろいでナイフから手を離した。そのすきに伊達は歯をかみしめ、ナイフを肩から引き抜いた。素早くナイフを握り直すと正面の革ジャンの男をにらみつける。だがその間に出遅れた小男と背後の眼鏡をかけた男にも囲まれてしまった。

 その時だ。空気を引き裂くような大きな声が辺りに響いた。「おい、お前ら何してんだ」
 伊達の視界に年配の男が二人入った。目を凝らすと大森がいる。伊達は大声でその名を呼んだ。その声に三人組はひるんだ。そして顔を見合わせると革ジャンの男を先頭にして走り去った。伊達は助かったという安堵の気持ちと同時に肩に鋭い痛みを感じた。

 伊達は大森によって病院に運ばれ治療を受けた。左肩の傷は止血され何針か縫合されたが大事には至らなかった。また胸の打撲は数日で痛みが取れると医者は診断した。大森の隣人は現場に残り警察に応対した。警察はこの件を傷害事件として取り上げる。
包帯を巻かれた伊達は病院のベッドで息消沈気味であった。忙しさにかまけ忘れていたが京葉線のホームで警告を受けたことを思い出した。あの時の30歳代の男が三人組の一人に似ている気もしたがはっきりした記憶は残っていなかった。
 一晩病院で過ごした伊達は大森の助言に従い、翌日を休息日として終日ホテルに滞在することにした。午前中は警察の事情聴取にあい、午後からは知らせを聞いて矢澤、石井、池永が交互に見舞いに来た。


行政の監視役(オンブズマン)
 山形の大和田農場をリストラされた水谷は川南町の家族のもとに戻っていた。最初の1週間程度は畑仕事などで気を紛らわしていたが、やがて以前の仲間たちとの付き合いが復活するにつれ、あえて見ないように顔を背けていた事実が明らかになった。家族も大和田の従業員ということで直接非難されることはなかったが、肩身が狭い思いをしていたのは確かだった。ワクチンで全頭殺処分となった牛や豚の事業復活に5年から3年を要すると聞かされて、自分もその責任の一端を担っているのだと痛感した。早い時期に内
部告発を行なっていればこれほどの惨事には至っていなかったからだ。だが48歳の水谷は慎重な男だった。二日ほど、どう動くか考えてみた。そのころにオンブズマンと称する男が水谷に接触してきた。川南町のオンブズマンは大森に従来から口蹄疫に関する情報を提供してきたという。
 水谷はその男の手引きで、大森を紹介してもらった。狭い町だから大森を知らないことはない。彼が大和田に対し強硬な意見を持っているのも知っていた。水谷は正直そこまで行動出来る人間がうらやましかった。それで気恥ずかしい思いもあったが、相談に乗ってもらうことにする。場所は川南を避け宮崎市内の小ホテルを大森が手配してくれた。このとき水谷はまだ半信半疑だったが……。

 午後3時、ホテルのロビーで水谷は大森に会うなり頭を下げた。
「大和田の件に関しては、ご迷惑をおかけしました」
「いえ、あなたこそご苦労でしたね」
 水谷はその言葉にホッとした。逆に今まで事実にほうかむりをして逃げ回っていた自分が気恥ずかしくなった。心の気負いが取れ正直な気持ちとなった。
 大森は付属の小さな喫茶店に水谷を誘って入り、道路際に面した場所に腰を落ち着けた。
 二人分の紅茶を注文したあとガラス越しに外を見る。片側2車線の道路の反対側に黒いホンダ車が停車しているだけで、いつもの交通量の多さで渋滞していた。
 水谷は紅茶にレモンを一切れ入れて、少しかき混ぜると話し始めた。
「川本のことは何時も気にかけていました。夢を何度もみましたよ」
「そうですか。私も被害農家の方も、あなたのような人が現われるのを実はじっと待っていました。残った傷跡は深く精神的にダメージを受け自殺された方もいるんです。真実は明らかにされねばなりません」
 水谷は目頭を押さえ、少しばかり考え込んだ。確かに大森は信頼出来る人間だと感じた。
だが家族には今日のことは話していなかった。今後のことを考えればその同意をとっておきたかった。
「誠に申し訳ありませんが、今日はお話しする内容の整理が出来ていません。何せ古いことなので。しかし明日ならば……」
 大森は水谷の顔をじっと見つめた。思い出してはいても口にするのには勇気がいるのだ。
 大森は相手の感情を理解し新たな提案をした。
「それならば明日ここで伊達さんという方にも同席してもらってもいいですか? その人は探偵社の方で、我々の力になってもらっており、きっとお役に立ちます」
 そう言って大森は伊達の行動内容や人となりを細かに説明した。
 水谷は黙って話を聞いたのち了承した。
「わかりました。それでは明日ここで」
 大森はほっとした。
 ホテルは水谷が先に出た。その顔は当初会ったときの緊張したものとは違い、穏やかな感じに見えた。大森は車で自宅に向かう水谷の様子をホテルの玄関から見送った。水谷の動きと同時に黒いホンダ車に男が戻り運転を始めたことに違和感は感じなかった。

 ホテル葵の客室にいた伊達は、夕方大森からこのことを知らされた。解雇された恨みから水谷が接触してきたという。伊達はついに証拠をつかんだと弾む気持ちを抑えることが出来なかった。窓から見渡す茜色の夕日が心持ち明るくなったように感じられる。幸い刺された左肩の痛みもほとんどなくなっていた。


高鍋町のバーで
 夜8時過ぎ、伊達は室内に一人籠るのも陰気くさいと思い、ぶらっと高鍋の夜の町を10分ほど散策した。やがてホテルから少し足を伸ばした、雑居ビル二階にある小さなバーの赤いネオンが目に留まる。伊達は吸い込まれるように階段をのぼっていった。
ドアをそっと開け、薄暗い店内をのぞく。客はテーブルに三人一組み、カウンターに一人といった殺風景な店だ。昔流行ったようなブルースが気に触らない程度な音量で流れている。足を踏み入れると、カウンターの角を選び背の高い丸いすに腰掛けた。
頭髪をオールバックにした細身のマスターは一見の客の顔をちらっと見ると黙ってスコッチの水割をつくり、グラスを伊達の目の前にそっと置いた。普段一人で飲むことはめったにない。今夜は暇な時間を潰すつもりで訪れただけで、深酒するつもりはなかった。
2杯目からはドライマティニーに切り替え乾き物を肴に喉を潤した。ドライマティニーはジンとベルモットの微妙な配合が辛さを決めるためマスターの腕が問われるカクテルだ。

 30分ぐらいたったころか、女が一人ドアを開けるとゆっくりカウンターに近づいてきた。伊達は中年のマスターの顔を一瞬かいま見る。その態度から同じ初見の客だと判断した。伊達が空のグラスを置くと、耳元で女がささやいた。
「お久しぶり」
 伊達は会釈して女の顔を見た。
 斉藤は足を組んで伊達の右横に座るとオンザロックをオーダーした。薄いピンクの膝にかかる程度のミニスカートだったが、足を組むと白い太股が露わになった。伊達は一瞥しただけでマティニーのお代わりをした。
 伊達はぶっきらぼうに尋ねた。予期せぬ来訪者に、正直驚きもし不愉快だった。
「どうしてここが?」
「聞いて欲しい話があったから探したの。昨夜東京から戻ってきました」
 伊達は再度同じような質問をぶつけた。
「どうやってここを……?」
「携帯に電話を入れても通じなかった。それでホテルに電話を入れてみたら30分前に一人で出られましたという返事。私はホテル葵に立ち寄りフロントで再度確認したの。そしたら洋酒が飲めるところを探していたと聞いたのね」
「確かに俺は尋ねたよ。でもここは偶然探したんだ」
「簡単だわ。歩いて出かけたということはこの近くだわ。それに一人で洋酒を飲めるところはこの街ではあまりないはず。ネオンを頼りに探せばすぐに見つかったわ」
 合点がいった。それにしても頭がいい。
 斎藤は話題を変える取っ掛りをみつけた。
「その肩はどうしたの?」
 伊達は何でもないといなしたが、しつこく聞くので1昨日の顛末を簡単に話した。
 斉藤佳子が暗い顔をした。
「大変だったわね」
 伊達は頷いた。
「相手を甘く見すぎていたようだ。慎重に動かねば……」
 伊達は斉藤に合わせオンザロックを頼んだ。
 寡黙なマスターは二人の話を遮ることなく承知した。
「ところで何だい? 話したいことって」
 伊達はやっと相手の意図する本題に戻った。
 斉藤は改まった顔つきで伊達を見つめる。
「実は謝らなければならないことが」
「なんの話?」
「私は嘘をついていました……」
「東洋新聞社宮崎支部駐在の名刺かい」
「知ってらしたの……」
「ああ。でも君が何者かはわからなかった。でもいつか正直に話してくれると思っていた」
 斉藤は最初困惑していたが神妙に語り始めた。
「お話しょうと思いました。武藤が死んだと聞いた時です。でもできませんでした」
 伊達は思い出した。その時の斉藤は取り乱していた。話を聞くため「キ・ボン」というブラジル料理の専門店に連れていった。だがその時の斉藤は涙を流しただけで、なにも真実を語らなかった。
 意を決したように斉藤は伊達の顔を見つめた。
「東洋新聞社には実際在籍していました。口蹄疫が宮崎で問題となり武藤の情報が伝わってくると私は放置できませんでした。それでいたたまれず会社を退職し宮崎で情報収集を始めました。でも結局一人では何もできなかった。武藤は私の実の兄です」
 そう話し始めると斉藤は自分の生い立ちや家族構成、武藤の葬儀や後処理を淡々と説明した。伊達は納得した。
「それで私に近づいたわけか。一度嘘をついたものだから引っ込みがつかなくなったわけだね。それで今日まで連絡してこなかった理由も分かったよ」
 斉藤はごめんなさいと言って頭を下げた。
 伊達はこの女がいとおしくなった。片手を差し出し白く細い手を握り締める。だがあいにく左肩が少し痛みを訴えたため手を離す。斉藤が不安な表情で聞いた。
「兄が死んでは、この問題は解決しないのでは」
 その言葉には反発した。
「そんなことはないさ、手がかりは在る」
オンザロックを飲んで再度斉藤の手を軽く握った。
「明日何とか手がかりがつかめるさ。もし何もなければ俺は千葉へ帰る」
 この夜の斉藤は饒舌だった。昨日のことで疲れていたが、誰かに話を聞いて欲しかったのかもしれない。元来伊達は酒が強いわけではなかった。それで酒はゆっくりと効き始めていた。またこの日の相手は聞き上手でもあった。武藤が死んだ時の様子とは全く別人のようだった。適当に合いづちをいれ、話の腰を折るようなことはしなかった。
 伊達は斉藤の女として妖艶な魅力は認めたが性的交渉相手としてではなく、軽快な受け答えに興味を持ったからだ。伊達は必要があればプロの女性を相手にしていた。それも特定の相手は作らないように自制している。なぜなら情が映るのを嫌ったからだ。

 午前2時を過ぎていただろうか、マスターに背中を揺すられて伊達は目覚めた。周囲に客は誰もいなかった。斉藤佳子も。代金は先ほど女性が払って帰ったと言う。瞬間伊達はやばいと感じたがどうにもならなかった。ホテルまですぐの距離だったが、階段をなんとか降り、千鳥足で道路を渡ったまでは覚えている。翌朝は二日酔いで頭が痛かった。それに昨夜のことはあまり記憶に残っていなかった。


水谷の死
 早朝川南町の農道で泥にまみれた50歳前後と見られる男の撲殺死体が発見された。口にはマスクがとってつけたようにかぶさっている。目撃者は付近の農家で、警察がすぐに呼ばれた。死因は木材で頭部を何回も殴打されたことだという。現場付近の草原で赤い血にまみれた丈夫な角材が2本発見されたことから複数の者による犯行とみられた。
 被害者が水谷であることは、現場に集まった者の証言からすぐに判明した。
 急を聞いて駆けつけた水谷の妻は夫の変わり果てた姿に狂ったように泣き叫んだ。川南町の大森にもこの情報は伝わった。水谷の家に弔問に駆けつけた大森に水谷の妻は食って掛かった。奥さんの罵倒を浴びながら大森は内心忸怩たるものがあった。殺人まで追い詰められた犯人の心情が理解できず、また彼の告白を一日伸ばしたことを後悔していたからだ。大森は水谷の妻に昨夜の夫の様子を聞きたかったがそんな雰囲気ではなかった。
警察は疑念を深めた。伊達に続いての事件であり、口蹄疫との関連が予見された。周囲への聞き込みから警察の調査が始まった。当然大森もその対象となった。
この事件に関連するうわさは瞬く間に広まった。それは川南にとどまらず児湯郡全般に。
そして人々は恐れた。マスクの意味はしゃべるなという犯人からの暗示と受け止めたのだ。
 だが一部の人間は怒りに震えた。伊達や大森にとっては今回の出来事は大和田の関連であることは、はっきりしていた。それは彼らに告白する当日というタイミングから判断できた。他に水谷が殺される理由は考えられなかったのだ。
 大森はホテルにいる伊達を訪問して尋ねた。
「水谷さんの死亡は当日予定していた我々の会見に関連していたと思うがね」
「そのとおりです。犯人も大和田の関係者に違いないでしょう。おそらく私を襲った奴らと同じかと思います」
「でも昨日の今日のことだ。どうしてそれが相手に分かったのか? 私は妻にも言っていない」
「私も誰にも」伊達は大森の疑問に答えた。
 大森は首をかしげた……。

 だが伊達には思い当たることがあった。もしかして昨夜酒を飲んだ拍子に、斉藤に水谷の話をしたのではないか。伊達の頭の中で疑念が白紙にうす墨を流したように広がった。不安を払拭するため伊達は携帯で斉藤と連絡をとりホテルに呼び寄せた。ホテルの玄関に現れた斉藤は、ジャージ素材で濃紺の腰高ワンピースを着てサンローランのバッグを片手に持っていた。伊達は空いていたのでホテルのロビーを利用した。 
 斉藤に向き合ってソファーに腰掛けると、まず昨日の非礼を述べた。
「忙しいときにすまない。それと昨日は済まなかった。それに勘定までしてもらった。いくらだったかな」
「それはいいけど、どうしたの急に?」
「まだ知らないのか? 川南町で水谷という元大和田牧場の従業員が殺されたんだ」
 斉藤は驚いた表情だ。
「大和田の元従業員が?」
「そう。今日その人と会って大事な話を聞く予定だった」
「そうなの。で犯人は?」
「まだ分かっていない。警察が調査している」
 伊達はじっと斉藤の顔を見つめた。
「ところで俺は昨夜どんなことを話した? 酔いつぶれて覚えていないんだ」
「何も。普段と同じ」
 斉藤は首をかしげる。
 伊達は婉曲に問いただした。
「口蹄疫に関することでどんなことを話した?」
「あなたのことよ。三人の男が追いかけてきて死にそうになったことぐらい。後は雑談だったわ」
「すまん。酔っぱらってしまい、自分がわからなくなった」
「そうね。結構酔っていらしたわ」
 伊達は不信感を抱えたくなかったので、はっきり表現した。
「昨日君は俺を監視していた」
「私がスパイしてるって。勘違いもはなはだしいわ。昨夜私が話したことを覚えてないの。
いい加減にしてよ」
やむ終えない。伊達は正直に打ち明けた。
「水谷が死んだ。その原因は昨夜俺が彼のことを君に話したせいではないかと考えている。他に心当たりがないんだが?……」
 斉藤は驚いた顔つきだ。伊達をじっと見つめ首を振った。
「誓っていうけどその人の死に私は関係してないわ」
「しかし」
「いい加減にして下さい」
 本気で怒っていた。これ以上伊達の話を聞く必要はないと言わんばかりに、いきなり席を立つとあから顔の斉藤はそのまま帰っていった。
 伊達は唖然とした。これは勘違いだ。斉藤ではない。
では、誰が?………… 
 自分に対する自信もぐらつき、斉藤に対し気まずい思いだけが残った。

 落ち込んでいる時大森から電話が入った。
 それは暗い沈んだ声だった。
「郵便受けに封筒が置いてあった。中身は手を引けと…………」
 さすがに強気の大森も声が震えていた。
「え、なんですって」
「脅迫状です。文章は新聞記事の切り抜きで作られていた。家族が危ないので悪いがしばらくじっとしますわ」
「そのほうがいいですね。一応指紋照合の必要が生じた場合に備え、素手でそれ以上触らないでください」伊達はアドバイスした。
 大森は思い出したように付け足した。
「それから水谷の件ですが、前日彼と話をしたあと、前方の道路にホンダ車が止まっていたのに気づいた。よく考えるとそこは駐停車禁止なんです。それに水谷が動いたあとその車も動いた。ひょっとすると彼は尾行されていたのかもしれない」
「とすると、相手はそれなりの組織で動いている訳ですね」
「そう思う。あなたも注意したほうがいい」
「わかりました。ありがとう」
 電話を切ると寒気がし震えが起きる。
 伊達はこれまでのことを振り返ってみた。武藤の死、伊達への脅迫、襲撃そして水谷の撲殺と大森への脅迫状……。 相手はこちらの動きを全てつかんでいる。伊達は袋小路に陥った。だがいまさら放り投げるわけにもいかなかった。

 先日矢澤と土地の古老を尋ねたときだ。矢澤が途中トイレに立ったときに、郷田老人が話した内容を伊達は思い返した。
郷田はある事件から話を切り出した。
 肉牛の問題では2008年8月、食肉偽装事件が起きている。それは北海道苫小牧市の「ミートホープ」という食品加工卸会社が起こした。羊頭狗肉と言うが、牛肉の代わりに鳥や豚などの肉を使って調理したものを牛肉100%と偽って20年以上にわたり販売していた。その事実は常務などによる内部告発によって明らかになったのだが、給食センターや保健所へ持ち込んでも相手にされなかった。それで常務は北海道の監督官をたずねたが、彼らも意見を採り上げようとしなかった。いかに役所が腐っているか、この事例を振り返れば明らかだよ。さらに大手のメディアに持ち込んでも同じだった。唯一朝日新聞が取り上げこれが決め手になったという。結局その会社の社長は息子の反乱に遭い逮捕され、会社は倒産し従業員は全員解雇された。常務は正義感もあったが、反旗を翻した主たる理由は自分が代表者として逮捕されるのを避けたかったという。その後、従業員に対し申し訳ないというトラウマが長く続いたそうだよ……

 長い話を切り上げると郷田はじっと伊達の顔を見つめた。
「わしが言いたいのはな、誰かが今回のことも同じようにやらねばならんということじゃ。誰もがこのままでええとは思っておらん。しかし誰も動かん。文句は影で言うとるがな。だがいないようでいるんじゃ」
「え、誰が?」
 しばらく沈黙が続いた。
 やがて老人はほくそ笑んだ。そしておもむろに陽に焼けた人差し指を伊達に向けた。
 郷田は伊達の調査能力を評価し、その心情にほれていた。
 伊達は息が詰まった。声がかすれた。
「私が……どうして?」
「よそもんじゃからな」
「なるほど、よそもんが」伊達は息を吐いた。
「だからいいんじゃ。身に降りかかる被害は小さい。だが効果は大きい」
 そう言って老人は目を細めた。
 伊達は納得した。「よそもんだから出来ることがあるんだ」と。

瞑想
 翌朝カーテンの隙間から差し込んできた一筋の強い太陽の光に促されて伊達は目を開けた。睡眠不足から目に隈を作り、ぼさぼさの頭に無精髭の姿を鏡に映す。目に力がなく焦点がぼけている。何かふやけた顔だ。にやっと口を半開きにして鏡と対話する。
「俺は嫌な野郎だ。斉藤佳子を疑ってしまった」
 伊達は鏡から目をそらして歯を手荒く磨き、なんとか頭を整えた。髭は剃る気がせずそのままだ。心に空洞があき、陰鬱な空気が室内を被っているように感じた。不安がよぎる。何もかもうまくいかない。果たしてこの調査をうまく終結させることが出来るのか。食欲はあまりなかったが、自分を追い立てるようにして階下のレストランに足を運んだ。

 朝方の客は中年の夫婦二人組と出張者とおぼしき三人の男連れがいただけだ。
 伊達は入って少し進んだ窓際の席を選択する。外を眺めると朝方からの雨が激しく降っている。タクシーが水しぶきを上げて過ぎ去る以外、人通りはなかった。
 赤色の椅子に腰掛けコーヒーを注文すると、立ち上がって奥に進み壁をじっと眺めた。そこには伊達が以前興味を惹かれた、2枚並んだルドンの複製画が掛かっている。幻想的な眼球だけを描いた絵と閉じられた目の絵を対照的に真横に掲示しているのだ。
 伊達は30歳の前後に絵画をよく鑑賞した。それは当時交際していた女性が連れ廻したからだが……。
 展覧会があると特に国立近代美術館、ブリジストン美術館等にはよく足を運んだ。ルドンに関する知識は、象徴主義の画家でありその時代の画家とは全く異なる個性的な作風の絵を描いたといったものだ。それぞれの絵の下には簡単な説明文が貼り付けてある。先程から伊達は交互に絵を見つめていた。
 向かって右手には木炭で黒色の巨大な一つの目玉が描かれている。誰も思いつかないであろうグロテスクな絵だ。いったいその瞳は何を凝視しているのだろうか。じっと見入っていると、逆に自分の内心を見透かされているようで伊達は目をそらした。
ルドンは「見る、見抜く能力」を重視したという。彼は19世紀から20世紀初頭にかけて生きた。伊達は思った。今生きている時代を見抜けと言うのか。
 他方は「目を閉じて」というルドンの代表作だ。現在パリのオルセー美術館に展示されている、首筋から下が湯船に使っている目を閉じた女性の絵だ。顔の真下の湯船に光が反射し顔を間接的に強調している。全体が淡い色彩で描かれ、顔を少しかしげた、もの思う半裸の40歳代の女性。目を閉じているのに不思議と穏やかで安らぎを感じさせる。軽く閉じた細い目が、見えないものをしっかり見ているのだろうか。
 伊達は瞑想し静寂な絵の世界に浸っていた。数分経過して伊達は目を見開いた。視界に入るものは何も変わっていない。そうなのだ。「考え方次第で見えるものが変わるのだ」と気づき落ちつきを取り戻した。
年配の女性がコーヒーをテーブルに置いたことを告げに来た。伊達は手をあげ、急いでコロンビアコーヒーの甘い香りが漂う席に戻った。

 勘定を終えたとき、久々に木城町の石井から携帯に電話が入った。伊達は剛直な石井の顔を思い浮かべた。最初は水谷の死亡に関することや伊達の安否に関することだった。その後に石井は久しぶりにいい情報を伝えた。要約すると次のようなものだ。
 都農町の山中で一年ぶりに道路の補修工事が始まった。付近に町の施設を作るためダンプなどが頻繁に往来し、道路が悲鳴を上げていた時のことだ。業者が地面の下にあったビニールシートをはぐると土中から白骨化した骨が現れた。
 担当者が経営者に報告すると事務所は騒然とした。うわさ話として大和田が牛を土中に埋めたという話と附合したからだ。事実を確認するためショベルカーなどの掘削機械や必要な器具それに人夫が追加で現場へ派遣された。

 この日は風が強く雨模様の天気だった。そうした条件下で、山中での掘削作業はたやすいものではなかったが複数のポイントから数頭の牛の骨が発掘された。現場では一瞬ため息がもれた。鑑定に出したところ確かに牛の骨で死後一年程度経過したものとのこと。噂は本当だったようだ。だが残念ながらそれを実行した業者は依然として不明だった。

 次に口蹄疫に対する新技術が開発されたニュースだ。それは45分で口蹄疫を診断出来るというもの。宮崎大学准教授の山崎渉氏が開発したもので、現在採用されているPCR法(ポリメラーゼ連鎖反応)は診断に約5時間かかるが、新技術は感染初期のごく微量なウイルスでも最短45分で感染の有無が判断できるという。この技術は早期封じ込めのツールとして大いに期待される。
 石井からの携帯を切ると、やっと伊達の顔に笑顔が浮かんだ。この技術が正しく運用されれば初発がどこかといった問題に煩わされることはなくなる。

生命の息吹
 大森は早朝奥さんの声で目を覚ました。子牛が生まれそうだという。急ぎ牧舎に駆け込み黒毛の雌牛を見る。麦わらの上に巨体を乗せじっとしている。雌牛の目はうつろだ。心配で大森は牛のそばに屈み子宮に手をいれた。ひやりとした触感がそれに答えた。最初驚いたがやがて合点がいった。体内の子牛が手を舐めたのだ。大森は驚きつつも笑みを浮かべた。
 その日水谷の奥さんが大森の自宅を尋ねてきた。過日の非礼を詫び大事そうに風呂敷に包んでいたものを大森に見せる。
「これは生前の水谷が大事にしていたものです」
「はあ、何でしょう」
「大和田牧場の川南第七牧場に勤めていた時の日記です」
 大森は受け取って中身をあらためた。いかにも几帳面な字が並んでいる。
 突然大森は大声をあげた。
「すごい。これは平成22年3月から4月にかけての牛の管理日誌じゃないですか」
 水谷の妻は頷いた。
「お役に立てればと思いまして。犯人はまだわかりませんが、その解明に役立てば主人も満足でしょう」
「これは口蹄疫の初発がどこかという問題の解明に役立ちます。ありがたい」
 大森は水谷の妻に感謝した。依然身の危険を感じていた大森は伊達を自宅に呼び寄せ、経過を説明して日記を託した。
「伊達さん、これは決定的な証拠だと思うので大事に保管して欲しい。わしが持っていては危ないと思ってね」

 ホテルに持ち帰って伊達が読み込むと家保は3月に大和田に入っていた。その日記には家保の職員の名前も出ていた。さらに文中には都農町での牛の死体処理が書き込まれてある。伊達はこのことを警察に届けるのは保留した。東尋坊の海岸で発見された武藤獣医師の死体の捜査も進展していないし、自分を襲った犯人も確定できていなかったからだ。
 それらを補強するもっと決定的な証拠がほしかったが、それには強い信念を持った協力者が必要だった。考えた末に穏やかで理論派の広瀬獣医師の顔が浮かんだ。その獣医師は須藤獣医師の同僚であり、ある程度大和田と家保の癒着構造の秘密を握っているのではないかとにらんでいた。伊達はその獣医師に接近する。 

家保の職員
 家畜保健所のベテラン職員である野口。彼は伊達が接触した広瀬獣医師とほぼ同じ年代の男だ。長身だがやせて普段は無口だという。野口は最初武藤の死を聞いて動揺した。武藤が大和田の実態を知り小心者だとのうわさは耳に入っていた。そして次はもと従業員水谷の死である。野口は3月初旬大和田牧場の吉田所長と或ことで接触したことがある。そのためか自分がマークされているのに気づいていた。だから何時自分の番になるか気が気ではなかった。そうかといって良心の仮借にさいなまれてもいた。野口はこの不安を誰かに話すことで現実から逃避したいと考えた。水谷の死が報じられた翌日に野口は友人の広瀬に相談を持ちかけていた。広瀬は驚き何とかしてやらねばと思った。そのとき折良く伊達がコンタクトしてきた。その獣医師は、自宅で野口を紹介した。
 伊達は硬い表情の野口に小声で言った。
「なくなられた水谷さんの日記にあなたの名前が書いてありました」
 野口の顔は真っ青に変わった。それでも唾を飲み込みながら尋ねた。
「どのように書かれていましたか?」
 伊達は下を向きしばらく無言でいた。
しびれを切らした野口は怒ったかのように語気をあらげた。
「はっきり言って下さい! 何と…………」
 伊達は、やおら頭を上げ野口を直視する。
「あなたは3月に大和田牧場に呼ばれて出向いていましたね?」
 野口はガクッと肩を落とした。うつむき、しばらく沈黙していた。
 伊達は追い打ちをかけた。
「お願いします。正直に話して下さい。3月はじめに大和田で起きたことを……」
 野口の膝が少し揺れていた。だが、意を決したかのように 野口はゆっくりと話し始めた。伊達は確認した。
「そういったことは上司に報告しましたよね?」
 野口は勿論ですと肯定した。伊達は広瀬と顔を見合わせた。その内容は確かに伊達の推理を裏付けるものだった。
 広瀬の自宅を出たところで携帯が鳴った。伊達は車を一端路肩に止め携帯を取りだした。
 鎌田社長から電話が入ったのだ。疲れた声色だった。
「今どんな状況か聞きたいんだけど……?」
 伊達はこんなことは、普段ないことなので理由を聞いた。
「社長が電話されるのは珍しいですね」
「いえ、ちょっと気になって」と言うのが返事だ。
 やむなく伊達は川南町で起きた事件の概要と今後の予定を報告した。伊達が負傷した件については、無理をすることはないとのアドバイスを受けた。電話が切れると河田理事長にも同じ報告を入れた。
 宮崎県警は水谷、伊達の事件についてその関連を調べる。それは必然的に大和田につながることだ。警察は伊達や大森の証言から加害者のモニター写真を作り目撃者に聞き込みを開始した。これは児湯地区の農民に衝撃を与えた。今更蒸し返さなくともと考えるものもいた反面、従来の玉虫色の解決に不満を抱いていた被害農民は大きな期待を寄せた。

 大阪本社で近藤は危機に直面していることを実感した。宮崎での捜査の状況は系列農場から情報を入手出来た。丸岡にいた武藤獣医師の処理は山崎組が処理した。水谷の処理もしかり。その代わり伊達と大森の関連は近藤が受け持った。
だが動きすぎた事への反動を今かみしめていた。発端は東日本大震災だ。これが起きなければ、近藤の青写真は全く変わっていたのだ。現実は引き返せない深みにはまっていた。
 一方山崎組長は近藤と連絡をとりながら、伊達の動きを追っていた。気が付けば先手をとって動いていたものが後手に回っていることに気がついた。大和田関連の従業員である武藤、水谷を始末したことで、この件は収束しているはずだった。だが事態は警察の介入を許し、マスコミも何か情報を得ようと嗅ぎ回っている気配だ。そもそも大和田については資金洗浄で利用していたはずが、深入りしすぎたのだ。今さら近藤と手を切ることもできないが、心中する気もなかった。今後のことは近藤に任し距離を置こうと考えた。そして時期を見て、投下した資金を早めに回収することだと。そのうえ用心深い山崎は、万一を考え身のまわりの身辺整理も始めていた。

斉藤の誘拐
 伊達と斉藤は宮崎空港で落ち合って羽田に戻る約束をしていた。早朝の空港付近はさわやかな風が吹いていたが途中から日が陰り雨模様の気配だ。伊達がレンタカーをトヨタに返し空港のロビーに入った時には、斉藤は先に到着し待っていた。伊達は斉藤に断り先に郵便物を千葉へ送付する。その後二人はチェックインを行った。出発までは時間があり伊達は用足しに席をはずす。斉藤は土産物の選別に動いていた。
 その時一組のカップル―― 車イスに乗った男と手荷物を持った小柄な男――が目の前を通り過ぎたのち斉藤の前で立ち止まった。そして男が声をかけてきた。
「すみません。ちょっと手をお借りしたいんですが……」
 どうやら立ち上がるために、その補助を求めているのだと解釈した。見ればそばの小柄な男は両手がふさがっている。斉藤は頷いて男の椅子を固定するように支えた。男はよろよろと立ち上がった。すると小柄な男は相手の視界から外れ、荷物を床に置くと素早く背後に回った。車イスの男は立ち損ねて斉藤の肩に手をやるそぶり。
斉藤が異変を感じたときは遅かった。車イスの男の拳が斉藤のみぞおちを打撃した。その瞬間に激しい痛みを感じた斉藤を背後にいた小柄な男が後から抱きつき、麻酔薬のしみたガーゼで鼻を覆った。車イスの男は斉藤を素早く車イスに乗せると急いでリフトのある離れた場所に移動する。同時に小柄な男は斉藤の所持品を持ち去った。それは瞬間の出来事で周囲に気がついたものは誰もいなかった。
 用をたして伊達が現われた時、あたりに斉藤の姿はなかった。伊達は当初どこかの土産物屋にいると信じて動かずにいた。だが幾ら待っても姿を見せない。腕時計を見て時間がないことがわかると、当惑しながらもゲート内を探して歩く。その間に搭乗予定だった飛行機の最終案内が耳に入った。そのコールは2度繰り返され伊達は痺れた。
 その時携帯が振動する。当然斉藤だと思いなじろうと思った。だが聞こえてくる声は男のもので意表を突かれた。
「伊達さん。ご苦労だが幾ら待っても斉藤は現われないよ。こちらに確保している」
「お前は誰だ!」
「そんなことは誰でもいいじゃないか。よく聞け、女はお前さんが持っている日記と交換だ」
「日記とは何だ?」
「とぼけるな! 水谷の日記だよ」
 伊達は黙り込んだ。なぜ彼らが日記のことを知っているのか?……
「驚いたようだな。こちらはお前さんの行動はすべてお見通しだ。フライトはキャンセルし次の指示を待て。十分後にまた電話を入れる」
 電話を切ると伊達は現実を再確認する。斉藤が拉致され、相手の交換条件は水谷の日記の提供だった。伊達は腹を決めた。
 その後とりあえずカウンターまで歩き二人の予約はキャンセルをかけた。こうなれば仕方ない。相手は切り札を握っている。相手の指示通りに動くしか選択の余地はなかった。考えれば伊達の身辺には不可解なことが連続しておきていた。牛のように過去の出来事を反芻する。京葉線での警告、水谷の死、川南町での襲撃事件、大森への脅迫、そして今度は斉藤の拉致だ。おかしい。相手はなぜ俺の行動をつかんでいるんだ。まるで先回りをされている。尾行されているような気配は感じていなかった。
 伊達は再び自問した。なぜだと。伊達は思い返し澤田の携帯へ電話を入れた。だが呼び出し音が鳴るだけで応答はなかった。じりじりしていると携帯が鳴り響く。先ほどの男の声がした。
「わかっているだろうが、警察へは通報するな。女の命が大事ならな。それから待ち合わせ場所だ。青島はわかるか?」
「わかるが青島へ?……」
 男はふくみ笑いをした。
「残念だがその途中だ。空港で車を借りそれから国道220号線を南下する。ナビは曽山寺駅にセットしろ」
「曽山寺駅?……」聞いたこともない名称の駅だ。
「そうだ。日南線の無人駅だ。飛行場からだと20分もからないと思うがね。木花駅と子供の国駅の間だ。そこで会おう」そう言うと男は一方的に電話を切った。
 携帯を切ると伊達は自問自答する。日記は空港到着時に自宅へ郵送していた。そうでなければ斉藤と引き換えに日記を渡したかも知れない。相手は日記が欲しいのだから自分に危害を加える恐れはないだろう。逆にこちらは相手の正体を確認できる。
伊達は警察に日記の件は何も話していなかった。この段階で警察に状況を話しても相手が現われなければ無意味だ。澤田と連絡が取れない今は個人で動こうと考えた。
 トヨタに立ち寄り返却したのと同じ車を借りた。受付の女性には追加の用事が出来てと言い訳して。
曽山寺駅は無人駅だった。駅舎がない片側使用のホームが乗降客の少ないことを物語る。赤茶けた鉄道の線路がまっすぐに伸び、南側には丘と言っても良い小山が見える。周囲には民家が4,5軒あるだけの閑静な田園地帯だ。
 相手はまだ来ていなかった。用心深いな。伊達は独り言を漏らす。生暖かい突風が吹き込み身体を揺らした。

 10経過したところで相手が現われた。だが黒いセダンの中に斉藤の姿は見えなかった。50歳台前半とおぼしき口髭を蓄えた男が車から降りて伊達にのもとに現れた。そして顎で少し先のベンチを指し示した。男と伊達は黙って白いペンキがはげかかったベンチに腰を落とす。相手の運転手は車のそばで突っ立って周囲を見回している。不思議とこの年配の男とはどこかで会った覚えがある。何時、どこで……? 
 しかし伊達の脳は回転が効かなかった。あきらめて伊達は尋ねた。
「どうしてここに?」
「飛行場は目立つからな」
「なるほど」
 男は伊達の手元をまじまじと見つめた。
「日記はどうした?」
「斉藤は?……」
 間髪を入れず伊達は聞き返した。気合い負けはいやだった。陽ざしが次第に強くなり、それに合わせるように伊達の気持ちがじりじりと高ぶった。
 男は口元に笑みを浮かべた。
「日記と交換だ。女は別の場所に預かっている」
「そうか。日記も同様だ。こうなるとは思わなかったが、安全を考えて千葉に送った」
「馬鹿な!」男は舌打ちをした。
「交換条件だ。斉藤は返してくれ。その代わり俺が人質になる」
「お前さんを人質に……? そんな無駄なことは考えもしないし、第一時間がない。話が本当ならここにいても無駄だ。千葉で話をつけよう」
「斉藤はどうする?」
「心配ない。こちらから移送する。だがわかっているな! 警察が動き出せば女の命はないぞ」最後の言葉にドスを聞かせて男が言った。
 伊達はうなずいた。
 話がすむと男は腰を上げ「安」と言って運転手にドライブの合図をした。彼らの乗ったセダンはあわただしく220号線にとって返した。見送りながら伊達は必死に男の記憶を呼び戻そうとしていた。同時に背広の内ポケットに下げていたライターサイズの超小型カメラをとりはずし、会話が録音されているのを確認すると黒鞄にしまった。

 伊達は千葉に戻った。出社してみると鎌田はなぜか不機嫌だった。伊達が挨拶しても、うわの空だ。伊達は横山みずきの顔を見た。
「このところ、結婚前の調査が立て込んできて忙しいんでしょう」
「絆婚とか言う特別需要か?」
「そうなの。伊達さんにも早く本職に戻って欲しいって」
「うーん。やばいよな」
 今の伊達は探偵家業どころの騒ぎではなかった。電話で鎌田社長には大筋の話はしてあった。機嫌をさらに悪くさせる恐れのある斉藤の誘拐については、その日は何も語らなかった。

捜査、救出
 それは出張報告を纏めていたときだ。昼前に口髭の男から伊達の携帯に連絡が入った。
 否応言わせないドスの聞いた声が耳元で響いた。
「日記はどうした?」
「明日手に入る」
 男の舌打ちの声が聞こえる。かまわず伊達は尋ねた。
「斉藤は今どこだ?」
「都内にいる。俺たちと一緒だ。明日夜8時なら充分だろう。日記を持って竹島桟橋に来い。時間がない」
 相手は焦っている。
「斉藤を電話口に出せ。でないと信用できない」
「よかろう。ちょっと待て」
 相手は予測していたようだ。10秒後に弱々しい声が聞こえた。
「伊達さん…… 助けて!」
 それ以上は聞き取れなかった。相手が電話を取り上げたようだ。だがどうやら斉藤は無事のようだ。直感でこの勝負は伊達の勝ちだと思った。
「わかった」
「念のため言っておくが、この電話は使い捨てだ。調べても無駄だ」
 男はすぐに電話を切った。
 その時様子を伺っていた横山が伊達に伝えた。
「隠しカメラで取った写真の現像が出来たそうです」
 それは伊達が近くの写真屋に特急でと頼んでいたものだ。横山にも斉藤の件は伝えていなかった。
伊達は急ぎ写真屋を訪ね現像された写真を入手した。50歳台前半とおぼしき、口髭を蓄えた男の写真をいくどか眺めて頭をひねる。間違いなくどこかで見た覚えがあるのだが。
 水が入ったコップをとろうと伊達が動いた拍子にファイルから写真が落ちた。あわてて拾いあげようとした伊達を遮って、横山はその写真を手に取った。そしてまじまじと見つめて言った。いつもとは違う甲高い声だ。
「この人、見た覚えがあるわ」
「え、どこで?…… 実は俺もそうなんだが」
「伊達さん知らないの? 以前あなたが撮った人よ」
「なんだって」
「宮崎に行く前、ほら犬飼美智子さんと……」
 伊達は右手の親指を高くひき上げ中指をすり合わせてぱちっと音を出した。
「ああ、思い出したよ。渋谷で尾行したカップルの男、それか」
判明した。伊達は数ヶ月前の記憶をたどった。あれは宮崎に出向く前に行っていた不倫調査だ。夕方丸の内のオフイスから出てきた男の姿が目に浮かんだ。
「横山さん。すまないがあのときの資料ファイルを……」
 最後まで聞かずに横山は動いていた。キャビネットをあけ該当ファイルを探し出すと、伊達の手元に差しだした。
 伊達はファイルをめくりながら必要な事項を頭に入れた。数ヶ月前の案件であり、途中で宮崎に行くことになった為全容は理解していなかった。

―男の名は向井伸吾、年齢52歳。勤務会社名は大和田商事で勤続16年、肩書きは営業部長。千葉県幕張市在住で夫婦と子供一人が構成員。調査依頼者は奥さんの芳子さんで46歳。調査内容は不倫調査。交際相手の女性は26歳、白木ひとみ……。 
 
 伊達は頭をひねった。
「この大和田商事ってどんな営業をしているんだろう」
「ちょっと待ってください」
 横山は添付資料に目を通していたが、突如奇声をあげた。
「え、えー……」
「どうした?」
「その会社ですが、大和田牧場の系列会社で関東地区の営業を担当しています」
「本当に」
「はい、間違いありません」
 伊達は思わずため息をついた。
「灯台もと暮らしとはこのことだ」
「本当に不思議。でもこれで手がかりが掴めましたね」
「そうなんだけど、明日までにこれをどう活用するかだな。それと斉藤佳子がどこにいるかということ」伊達はじっと天井を見つめる。だがいいアイデアは浮かばなかった。

 伊達は横山に詳細を語り、考えを整理するために場所を変えた。そこは時々利用する近くの喫茶店だ。客が少なく年配の未亡人が趣味のように経営している。室内では映画のサウンドトラックを気にならない程度のボリュームで一日中流していてあきない。ブレンドと一言いえば、あとは無言で気兼ねなく一人の世界に浸ることができる。伊達は横長の店内を歩き最奥に席を占めた。
 伊達は順を追って考えをまとめることにした。まず今の時点で相手は斉藤に手出しをしないだろう。日記は明日、昼前後には自宅に到着する。午後6時までには日記を持って相手のもとに行かねばならない。その間の時間をどう活用するかだ。
第一に向井伸吾は宮崎に現れ斉藤の誘拐に関係していることが明らかとなった。これは営業部長が判断できることではない。おそらく近藤の指示があるに違いない。
 次に斉藤はどこにいるかだ。向井の勤務地と住所から判断すれば土地勘が働く場所として東京または千葉が浮かび上がる。どこかのアジトに斉藤を閉じ込めているはずだ。そこは自宅やホテルなどではない。秘密が保持できないからだ。ならばそこは会社の関連施設ではないだろうか。苦悩していると映画タイタニックのサウンドトラックが流れてきた。
伊達はしばらく考えるのをやめ、音楽に聞き入る。焦っても出てくるものはいらだちだけだ。しばらくしてひらめいたのは大和田商事のパンフレットだ。今は小さな会社でも宣伝用に作っているはず。だがこれを手に入れるには?
思いつかないので伊達は奥の手を使うことにした。簡単だ。他の人に迷惑にならない様、トイレに行って、便器に5分ほど座り無心でいればよい。伊達は早速実行しその成果を得た。
 丸の内の会社に直行しそこで得るのが早い。電話で聞くことは相手に疑念を起こさせる。
伊達の顔は相手に見られているから、非番で自宅にいる犬飼美智子に電話をかけた。幸い犬飼は自宅にいた。向井の名前と不倫調査のキーワードを告げると犬飼は以前の調査内容を思い出してくれた。事件の概要をかいつまんで話し伊達は応援を頼んだ。
 犬飼は伊達に質問した、
「それで社長は了解したの?」
「今回は非常時だ。社長や警察に相談している時間はないんです。それに話したにしても」いい顔はしないだろうし」
「そうね……」
 伊達は悲痛な声をあげた。
「お願いだ。今日一日だけでいい。先手を取りたいんだ」
「わかったわ。で、どこで落ち合うの?」
「東京駅の丸の内口で。2時に。ただ今回は危険を伴うので、護身具を携帯した方がいいでしょう」伊達は犬養にアドバイスすることを忘れなかった。
 無論伊達もそれなりの装備は準備した。
 伊達と犬飼は東京駅で待ち合わせると目的地へ急いだ。二人は目指すビルの手前百メートルの地点で立ち止まる。そこは以前伊達が向井伸吾の動きを監視していた場所だ。大和田商事の事務所には投資家名目で犬飼だけを向かわせた。期待して待つ時はたいてい長い。この時も例外ではなかった。およそ20分後笑みを浮かべた犬飼が姿を現わした。
 今年43歳になる犬飼美智子は伊達の3年先輩で生命保険の外務員をしていたときに鎌田社長からスカウトされこの道に入ったという。身長が1メートル60センチと女性としては背が高く、多少合気道の心得があった。容貌はそれほど人目を引くものではないが、かといって下品ではない。性格は、はっきりしており無駄口は叩かないという、まさに鎌田社長好みの人物だ。ご主人とは5年前に離婚し、大学生の子供が一人いる。
 犬飼は伊達に説明した。
「うまくいったわ。この商事は新木場に肉牛の貯蔵用倉庫を借りているの。そこは冷凍庫はもちろん加工品や輸入飼料も置いているみたいだわ。それとやはり向井伸吾はいなかった。所在を尋ねると出張中ですって。そしてこれがパンフレットよ。その裏側に倉庫の説明と住所が書いてあるでしょう」
それは2ページのカラー刷りパンフだった。伊達は手に取ってじっと見つめる。
「新木場か。東京駅から近いね」
 犬飼は頷いた。
 地名の木場とは貯木場の意味で埋め立てにより内陸となったため「新たな木場」と名付けられた。材木商の事務所や工場が多いが物流の拠点施設も進出している。80年代からは急速に開発され大企業のオフイスビルが立ち並び、臨海部のビジネス街になっている。
 二人は東京駅から京葉線に乗って新木場に急いだ。駅に到着した時は午後4時を回っていた。この間伊達は面が割れているのでダミーの口髭をつけ日よけの帽子をかぶり、黒縁眼鏡をかけた。靴は音に配慮し樹脂製のものを履いていた。
 一帯の倉庫通りの中で、大和田商事の倉庫はすぐには見つからなかった。それは貸し倉庫の二階ということと、地理感が働かなかったせいだ。番地を頼りに行き着くと鍵がかかっている。伊達はその二階にある鍵がかかった玄関口に発信器を取り付けた。相手が扉を開閉すると手元の機器が反応するのだ。二人は少し離れた角地で機器が反応する瞬間を待つことにした。
 小1時間が経過し夕暮れ時になった。伊達の目の前を、がに股歩行で食料らしきものを小脇に抱え、作業着姿の男が通過した。伊達はぴんときた。犬飼の肩を軽く叩いて尾行の合図をする。男の行くえを目で追う。大和田商事の方に向かって歩いている。
10メートル程の間合いをおいて後をつけた。通りはトラックの往来や帰宅する者もいて先ほどよりも混雑してきた。
 セットした機器が点滅した。伊達と犬飼は急いだ。男はドアを開けると吸い込まれるように中へ入っていく。伊達はドアが開かれた瞬間の内部の明るさに注目していた。内部は薄暗く感じた。中で作業はしていないようだ。二人は物音をたてないよう階段をそっと踏みしめながら進んだ。ドアの前にたつと内部のもの音に聞き耳を立てる。しんとして何も聞こえてこない。まず伊達がドアノブに手をかけた。ゆっくりまわす。抵抗がない。内側から鍵をかけていないのだ。 
 伊達は決断を迫られた。目の前のドアを開けて踏み込むか、男が出てくるのを待つかだ。
 犬飼の目を見る。彼女はかぶりを振った。待てのサインだ。
 静寂が時を刻む。伊達は動くことに決めた。待っていて男の相棒とここで鉢合わせしてもまずいと判断した。二人はそっとドアを開け、素早く中に押し入った。
 想定したとおり内部は薄暗く最奥の事務所だけ蛍光灯が点灯されている。
 伊達はパンフレットに書いてあった200坪ほどの内部を目で点検していく。鍵のついた小型のフォーク・リフトが1台目に付いた。日産の1・6トン用の座って運転するタイプだ。このフォークは自由に移動でき、限られたスペースを有効に活用できるサイドシフト機能を持っている。伊達は以前この手のフォークを運転したことがあった。
 暗がりに次第に目が慣れると中の様子が把握出来た。幅5メートルの通路が真ん中に配置され、その間に、肉牛用の大型冷凍庫が数台、それに整然と区分された加工品や輸入飼料の保管棚が見える。左角には荷物用の昇降機、壁には古い金属チェーンが飾られていた。
 戸口付近に犬飼を残して、伊達は身をかがめ、通路伝いに少しずつ事務所に近づいた。事務所まで5メートルほどの距離に近づいたとき、内部がはっきり見え、話し声が少し聞き取れる程になった。男は通路に背を向け斉藤と対峙している。斉藤は、猿ぐつわはされていないがL字型のイスに腰回りをロープで固定されていた。二人の横には長方形の会議テーブルと小金庫が置かれている。伊達は、男の背中を見ながら、ほふく前進の要領で少しずつ前に進んだ。伊達が頭を上げると灯に照らされた斉藤の顔が浮かび上がった。心持ち頬が少しこけてはいたが、背筋は伸ばしている、気丈な女だ。
 作業着の男が斉藤に言った
「明日夜になれば解決するさ。それまでの辛抱だ」
 斉藤は無言でじっと男の顔を見ている。
「食べたくないのはわかるが、それまでは元気でいてもらわなければ俺たちが困るんだよ。何せ大事な切り札だ」
 男はそう言って立ち上がり、斉藤の顔に毛深い手を近づけた。思わず斉藤は顔を背けた。
「何するの! 汚い手でさわらないで!」
 その言葉に自尊心を傷つけられた男は斉藤の首筋を捕まえ、自分の正面に向けた。
 その時斉藤の双眸は戸口で立ち上がった伊達の姿をとらえていた。
「明日になれば天国に行けるんだ。強がるのもいい加減にしろ。全く手を焼かせやがって」
 斉藤も負けてはいなかった。悲痛な声を搾り出した。
「私の兄を殺したんでしょう? 東尋坊で……」
「武藤のことか…………? その件は俺は知らない。どこかの組の人間が絡んでいるとか言う話だ。聞けばアル中でどうしようもない男だそうじゃないか。死んだ方が世のためさ」
 男はせせら笑った。斉藤は至近距離にいたその男の向こうずねを自由になる足でけり上げた。はずみで男は大声を上げ、腰からひっくり返った。
 伊達は時期を逃さなかった。一直線に事務所に駆け込む。顔をしかめて床に倒れていた男の顔色が変わる。だが伊達の姿を認識したときには遅かった。伊達は男のみぞおちあたりを思い切り踏みつけた。男は呼吸できない苦しさと痛みに苦渋の表情を浮かべた。
 その間に伊達は斉藤のロープをほどき、かわりに男をイスに縛りつける。物音を聞きつけた犬飼が小走りに部屋に入ると、すぐに事態を飲み込んだ。
 時を同じくして倉庫の扉を開く音が聞こえた。つかつかと二人の男が現われる。伊達には見覚えがあった。曽山寺駅で会った向井伸吾と安と呼ばれた運転手だ。
 向井の手には3メートルほどの金属チェーンが握られていた。威嚇するようにだらんと手から垂らすと揺さぶって見せた。
 伊達は気後れすることなく、、向井を睨んだ。
「私はお前を知っている。もう逃げられんぞ」
「貴様は誰だ」向井は大声をあげた。
 伊達は変装を解いた。日よけの帽子を脱ぎ口ひげを無造作にはがす。黒縁眼鏡をとりさると向井の顔色が変わった。
「伊達か……」
しばらく絶句したのち向井が口を開いた。
「どうしてここがわかった?」
 伊達は笑みを浮かべはぐらかす。
「2月下旬、渋谷の道玄坂を歩かなかったか?」
 男は無言だった。伊達の言う意味が理解できないようだ。
「さらに言うなら、20歳台の女性と同伴でホテルへ」
 思い出したらしく男の顔が変わった。
「そうか、お前か。俺の家庭をぶち壊したのは」
「いやそれは違う。俺は依頼されて調査を行い報告しただけだ。家庭を壊したのはあんた自身の行動じゃないか」
 向井の顔は怒りで真っ赤に変わった。
「やかましい!」
 そう言いながら片手でチェーンをぐるぐると回し始めた。その先端が床に当たると、衝撃音とともにタイルが剥げ落ち破片が中を舞った。伊達は恐怖の顔を隠さない斉藤を背後に置いて構える。その間安はイスに縛られた作業着の男の戒めを解き放ち、立たせた。 向井が第一撃を斉藤に見舞う。伊達は安全の為、斎藤を横に突き飛ばしながらステップバックした。よろけた斉藤の腕を作業着の男がつかみ羽交い絞めにする。伊達の顔がゆがんだ。
 犬飼美智子は護身の基本は戦うよりも逃げることと教わっていた。だがこの際は非常時だ。バッグから取り出し手の中にあった、リップクリーム型催涙ガスを相手の顔に吹きつけた。シューッという音と異臭が広がる。その瞬間に犬飼は、ガスを浴びた作業着の男から斉藤を取り戻す。そしてガスの噴射とは逆の方角に斉藤を向かせてハンカチを渡し、自分は瞬間目を閉じ息をつめた。エアゾルが舞い上がり、あたりにガスの臭気が漂う。顔面にスプレーされた相手は目や鼻をこすりながらひりひりとした痛みに耐えようとしていた。やがて咳や鼻水が止まらなくなる。その間に犬飼は斉藤を連れて出口に走った。
 伊達は向井をにらみながら大声で叫んだ。
「扉を閉めろ。そして警察に連絡を!」
 10秒後ガタンと大きな物音がして扉が閉まった。
作業着の男はガスを浴びせられてへたり込み、安は女たちを追いかけてドアを開けようとした。だが女二人が表から必死に体重を扉にかけて押さえている模様。安も無理だと知って諦めた。
 女たちには構わず、向井は再度チェーンを振り回し始めた。伊達は左右に動きかわす。ビューンと言う空気の重い振動が伊達の顔を掠めた。向井はサドなのか笑みを浮かべながら速度を上げて激しくチェーンを振り回した。伊達には後退するしか手段はなかった。その結果部屋の隅に追い詰められた。
 向井が気合の入った声でチェーンを振った時、かわしそこなった伊達の背中から鈍い音が響き鮮血が染み出た。伊達は痛みにひざをついた。作業着の男はそのチャンスを見逃さなかった。縛られた腹いせとばかりに伊達の顔に拳骨をふるい、なんども足蹴にする。 伊達は口から血をだしながら、うめき声を上げ床にうつぶした。
なおも足蹴を繰り出そうとした男を向井は制止した。
「そこまでだ。女が逃げたからにはサツがくる。その前に逃げるんだ!」
 男たちは三人固まって移動した。
 伊達はひそかに防弾チョッキを身につけていたことに感謝した。これがなければ相当なダメージを負っていたはずだ。伊達は口元の血を手で拭いながら、はいずって起き上がりフォーク・リフトの運転席によじ上る。運転席へのステップが低かったことは痛みを抱えた伊達に大きな助けとなった。次いでキーを回して始動させる。フィンガーチップといって指で荷役レバーを操作し三人が移動した昇降機の方へ向かった。
 体は痛みを訴えたが、気力は萎えることはなかった。逆に怒りが伊達を制御不能にしていた。リフトを走らせながら、天井の高さまで持ち上がる1連2段のマストを伸ばし、2本のつめで相手を威嚇することを思いついた。
 三人のターゲットは昇降機の横に固まっていた。男たちの目に恐怖が走った。リフトの運転台に血だらけの伊達の姿を見とめたからだ。その目は怒りで燃え上がっていた。

 昇降機は二階に到着しようとしていた。それを見た伊達は昇降機めがけて突進した。
男たちは悲鳴を上げて散開する。フォークは昇降機のドアに激突し、あたりに轟音が響いた。ドアのガラスが飛散し伊達の頬を掠める。一部は安のひざに刺さった。安は流れでる血を見ておびえている。向井は唖然とした顔で破損した昇降機を眺め、その横にいた作業着の男は腰を抜かしていた。
 だが伊達の反撃はこれで終わらなかった。作業着の男に向かってフォークを反転させると直線的に進んだ。向井は回避したが腰を抜かした男は動けなかった。2本のつめが男の身体の真上で停止し、徐々に下降していく。男の顔は引きつり声が出ないほど青ざめた。
 これを見た安が足を引きずりながら、伊達の足に手を掛けた。伊達はつめの下降を停止し、足をひきつけて男の手を思い切り蹴飛ばした。男は空気を引き裂くような声をあげると、後ろに倒れ後頭部を打った。ひざの切り口が開いたのか血が床に広がる。
 出口に犬飼と斉藤が轟音を聞いて駆けつけていた。
犬飼が背後を見ろと伊達に手で合図している。伊達は指示に従った。
 そこにはチェーンを振り回している向井の姿があった。リフトにいた伊達が運転台に身を伏せると同時にチェーンの端が運転台の柱を打撃し金属音が響く。伊達は態勢を立て直し、バックで向井の立っている場所を目指した。慌てた向井はチェーンを捨て、走って事務所に引き返す。伊達は急ぎ向きを変えて男を追った。
男は必死の形相で事務所に逃げ込むと、鍵を掛け伊達の動きを待った。倉庫内の事務所は簡易なプレハブ作りだ。そんなことをしても無益だったが、向井にはそれを考える余裕はなかった。伊達はフォークリフトを事務所に向け突進しようとした。
 そのときバタバタとした物音とともに数名の警察官が現れ、伊達の動きを押しとめた。伊達が振り返ると後部にも三、四名の警察官が待機している。その輪の中に、安と作業着の男が捕えられていた。
後に伊達は犬飼から話を聞いた。犬飼と斉藤が逃げ出したとき、犬飼は携帯を取り出して110番に事件の通報をしていたのだ。  犬飼は片目を閉じ小声で伊達に言った。
「警察へは殺人事件が起き、死体が三体ありますと通報したの」
 それは正解だった。それで大勢の警察官が来てくれたのだ。伊達は納得した。
午後8時過ぎ、お台場近くの湾岸署に移動した斉藤は疲労の色が濃かった。警察は簡単に経過説明を聞いた後、翌朝から詳細の話を聴取することにした。その間に伊達と犬飼に対して、湾岸警察の聞き取りは3時間以上に及び、伊達は大目玉をくらった。一方向井たちは誘拐容疑で警察の拘置処分となった。

鎌田社長に報告
 翌朝伊達と犬飼は会社への報告義務があるとして、斉藤を警察署内に残したまま一旦帰社した。そしてすぐに事態を詳しく鎌田社長に報告した。
 鎌田は話を聞いて烈火のごとく怒った。特に伊達に対しては、独断専行が目に余るもの
で有り、今後は逐一行動を報告するよう強い口調で言い渡した。組織としてはもっともなことであり、伊達も犬飼もただただ謝るしか方法はなかった。
「それで」怒りが収まると鎌田は尋ねた。
「今後はどうするの?……」
「警察による調査の進展を待つことになります」
「なるほど。でも相手が全面否認したら?」
「証人は斉藤を含め私たちであり、宮崎の曽山寺駅で取ったデジタル・ビデオレコーダーの記録も証拠となるでしょう」
「でも大和田牧場が組織的犯行ではないと逃げたら?……」
「そのあたりは難しいですね。宮崎県警と警視庁の連携も必要だし、長期の戦いになるかもしれません」
「そうかもね。探偵業は公安委員会から認可をもらっている手前、協力することにはやぶさかではないけれど」
「そうなんですよね」
 その返事に突然鎌田が真っ赤な顔で怒鳴った。
「馬鹿言うんじゃないよ。こっちは忙しくてヒーヒー言ってるのに、あんたはなんなのよ、全く!」
「はい、申し訳ありません」
 鎌田が怒るのも、もっともであった。伊達は平身低頭スタイルに戻した。
 横山は黙って事務を処理している振りをして聞き耳を立てている。伊達と目が合うとくすりと笑みを漏らした。だが伊達の肩口に血がにじんでいるのを発見し、驚いて傷の手当てにかかった。「大変。よくまあ、ご無事で……」
 緊張感が解けた伊達の背中にオキシフルの臭気と痛みが同時に走る。
 伊達は斉藤が気がかりで再度警察署に戻った。犬飼は業務日程の調整のため鎌田と引き続き会話を継続した。

 湾岸警察署内は緊迫した雰囲気になっていた。単なる誘拐事件かと思われていたものが、根っこは宮崎県の口蹄疫に関連している。すでに事件の詳細は宮崎県警にも報告されていた。宮崎からは担当官が急遽事情聴取に出向くという。警視庁側も驚いた。電話内容から宮崎では伊達の傷害事件、殺人事件も発生していたのだ。
 事情聴取を終えた斉藤は会議室の一室でぐったりしていたが、伊達の姿をかいま見ると弱々しい笑顔を見せた。伊達はそんな斉藤をいたわりながら、警察の追加質問に応じた。警察としても話の内容に矛盾点がないか、双方の話を突き合わせチェックするのだ。
向井たちは依然として黙秘を続けているという。伊達は捜査主任に最後の切り札を出した。「これが問題の日記です」
 伊達がバッグから取り出した日記を見ると数人の取調官の間からざわめきが広がった。
 湾岸署から開放されると伊達は斉藤の腕をとり、幕張のホテルまで送り届けた。未だ問題は解決されていず、安全とは言い切れないため斉藤は伊達の近くにいることを望んだ。伊達は2、3日決して外に出ないこと、ノックされても不用意にドアを開けないことを言い含めた。

 伊達は買い物をしてホテルに滞在している斉藤佳子に届け、その後の捜査状況を説明した。斉藤は納得する。誘拐された時の恐怖は次第に癒えてきた。鎌田から指示された仕事が待っていた為伊達は気がかりながらも戸口に向かった。 
 斉藤が甘えた声を出す。
「まだ行かないで。ここにいて」
 伊達は一舜たじろぎ振り返って斉藤の顔を見つめた。
 斉藤は無言のままドアまで進むと静かにドアを閉め、伊達の手をとりベッドに誘った。伊達は斉藤の動きに合せ、ベッドの端に静かに腰を下ろした。
「女一人のホテルに来て男が何もしないで帰るなんて、そんなのないわ」
 上目使いに伊達の反応を伺った。その目は伊達の心を射抜くように鋭く光っていた。
「私はそんなに魅力がないの?」
 斉藤は寂しそうな横顔を見せる。
 伊達は頭を振って心の奥底に秘めていた言葉を発した。
「いや、君はセクシーだよ。セクシーすぎる程だ」
 伊達の言葉を最後まで待たず斉藤は目をつぶり、伊達にもたれかかった。ジャスミンのような香りがほのかに伊達の鼻をくすぐり、斉藤の柔らかな体が伊達を刺激する。伊達は制御の限界を超えていることを自覚していた。ゆっくりとベッドの上に斉藤を押し倒し、そっと唇を合わせた。斉藤は右上唇に小さなほくろを付けている。伊達はそこを舌で舐めた。丸顔でつんと突き出た鼻がいとおしく感じられた。互いの鼻をこすり合わせたあと最初は上唇、ついで下唇を軽く噛み合せ、濡れそぼった舌で斉藤の唇の輪郭をなぞった。
 斉藤は一瞬ぴくっと反応したが、耐え切れず伊達の舌に自分のねっとりとした舌をからませてくる。伊達は相手の激しく動く舌に応じながら右手を斉藤の腰に伸ばした。もはや言葉は不要だった。行為そのものが生きている証だった。理屈は後からつければいい。ベッドがきしみ、最後に斉藤佳子は叫び声をあげた。…………
しばらくして伊達はシャワーを浴び服を着こんだ。ベッドに腰掛け繊細な斉藤の右手人差指を口に運ぶ。その第一関節までを丁寧に、軽く咬み、舐める、しゃぶるといった舌の動作でもてあそぶと開放した。斉藤は伊達のなすがままであり、けだるそうに薄笑いを浮かべていた。
 伊達はいつもそうだが、射精が終わるとなんとも言えない虚脱感に襲われる。子孫を残すための行為が終わればそれで用済みということかと解釈している。だがそのことは斉藤との情事に不満を感じたということではない。それどころか伊達は十分満足していた。一方女の方は快感がしばらく持続するという。余韻を楽しむということらしい。いずれにせよ男にはわからない生理だ。伊達は鍵をかけておくように言い含めると、そっとドアを閉め出ていった。斉藤は軽い笑みをうかべ、ベッドに横たわったまま伊達の動きを薄目で追った。
 時に女の行動は突飛に映る。斉藤の場合もそうだった。斉藤は伊達と結ばれた翌日にはホテルを引き払い、しばらく姿を消していた。唐突な斉藤の行動に当初伊達は戸惑った。だがその2日後に斉藤から連絡が入った。
「マスコミの目もあるし、もう安全だと思いしばらく福井に戻ります。兄のお墓も立てねばなりませんし」
「それがいいね」
 伊達は賛成した。嫌われたのかと詮索したが杞憂だった。

謎解き

 その夜仕事を終え自宅に戻った伊達はバーボンウイスキーの水割りを飲みながら考えた。伊達の頭を悩ましていた問題が未解決として残っていた。伊達の行動や日記に関する情報はどこから漏れたかだ。心当たりがあるのは河田理事長か鎌田社長しかなかった。なぜなら日記の話は二人にしか伝えていない。どちらかが他人に話す事も内容からして考えられない。頭の中は堂々巡りになった。 二人の顔が浮かぶ。悩む伊達。しかし動機は?
 明日は早い。ベッドの中でも過去の様々なことが頭に去来した。眠らなければと思うほど目が覚めてくる。不思議だった。疲れているはずなのに。そうだ疲れているんだ、俺は。自問自答を繰り返したが事態はかわらなかった。起きあがって睡眠薬を取り出し、3錠ほど飲み込んだ。あわてて水を飲む。やがて徐々に睡魔が押し寄せてきた。

 翌日事務所で伊達は鎌田に報告していなかった、今回のいきさつである宮崎空港で起きた概要を話して聞かせた。
「実は、今回の誘拐犯とは宮崎空港で接点があったんです」
「どんな?」
「斉藤佳子がいないのに気づいて探しているところに相手が私の携帯にかけてきました」
「何か条件を出してきたんだ」鎌田は怒りを抑えながら、一応話を聞くポーズをとった。
「そうです。空港から出て日南線の青島に向かう途中駅で落ち合おうと……」
「まあ。そんなへんぴなところで……」
 伊達は少し間を置いて答えた。
「ええ、曽山寺駅という無人駅ですが。相手は向井とその運転手でした。私が千葉に日記を送ったことを告げると、相手はこちらでの取引に変えたんです」
「むこうは相当焦っていた訳ね」
「イライラしていましたね」
 鎌田は険しい顔で伊達の目を見た。
「どうして私に報告しなかったの?」
「正直ゆとりがなかったんです。精神的に追い込まれていました。何とかしなければという思いで。それで警察にも連絡しませんでした」
 鎌田の目が光った。
「後付けだね。半分は私に言いたくなかったんじゃないの……」
「いえ、そんなことは」
「まあいいか。それで今斉藤は?」
「自宅に帰りました」
 伊達はわざと嘘をついた。鎌田は話題を変えた。
「でも向井が、以前あなたが尾行した男だったとはね」
「ええ、僕も驚いています。運命のいたずらってあるんですね」
 鎌田は頷くと社長室に戻っていった。
 伊達はその後ろ姿をじっと見つめながら思った。曽山寺駅の話は鎌田社長には話していなかった。鎌田は「へんぴなところ」とすぐに答えた。なぜ彼女が知っているのか? また自分の携帯番号をなぜ向井が知っているのか? 自分の動きを相手に漏らした犯人が分かった。多少の疑念はあり、報告を飛ばしたのは事実だ。だが信じたくはなかった。まさかだ。伊達は両手で顔を被った。
「狐の尻尾か」やがて伊達はつぶやいた。それは以前郷田老人から聞いた言葉だ。人間をたぶらかしてきた女狐が正体を表しただけの話と割り切ることにした。悩みながらも伊達はしばらくこのことは誰にも言わず、胸にしまっておくことにした。


その後の住民の動き 宮崎
 事実を偽ってはいけない。まして権力や暴力で、人を押さえつけるべきでない。関係者が事件に巻き込まれるに及んで、事実を知る者は怒りを感じ始めた。その結果大森の仕事を引き継ぐものが現れた。新富町の池永だ。池永はとっつきは悪いが全身正義感に満ち溢れたような実直な男だった。
 池永から相談を受けた河田は、秘密裏にオンブズマンを組成するよう勧めた。ホットスポットの川南町から距離を置いた新富町にいることが池永の利点だった。
 池永は熟慮の上大森の組織を継承し、家保や獣医師それに大和田牧場の元従業員など5人で構成される会合をもった。
 大森と交流のある川南のオンブズマンはこれまで証拠写真を関係者に提供し、匿名のブログで真実を訴え続けていた。彼らが所有する写真や、情報提供者が確証となりえた。それを聞いて川南町で大和田の実態を知る農家も気を変えた。協力するという。
こうして水谷の撲殺というひどい仕打ちに意を決した証言者がスクラムを組んだ。それは個人では失業や、報復をおそれて尻込みしていた人々であり、流れは完全に変わっていた。
 決め手は家保の職員である野口の証言や伊達が所有する大和田の元従業員水谷が書いた日記だ。

 宮崎県警は伊達が持参した日記を警視庁から入手すると、検討の上、ついに動いた。大和田牧場の本社がある大阪の難波に家宅捜査に入り、家保も事情聴取された。その結果、大和田の専務が逮捕される。これ以前に湾岸署に留置され黙秘を続けていた向井たちも警察の執拗な追求に罪を認めていた。
 宮崎県警の捜査に対し、近藤は大和田牧場で起きたことを素直に自白し、初発牧場であったことを認めた。マスコミは、堰を切った水のようにこのスキャンダルを報じる。
 この投資会社は規模が大きいことで弁護団が奔走し、投資家保護の観点から会社更生法の適用がなされ、存続することになった。従業員はいったん全員解雇されたが、7割は再雇用されることになった。会社に対しては家伝法違反ということで処罰が決定した。およそ百億円の口蹄疫に対する補償金は返還命令が下され、さらに罰金が課される。だが会社存続の観点から政治的調整が考慮された。
 事件の概要が明らかとなって農林水産省はコメントを出した。
「今回の結果はまことに遺憾であり、警察の全容解明を待って調査報告書の見直しを行いたい」
 一方宮崎県も事態を放置できなくなった。畜産課の隠蔽体質にメスが入れられる時がきたのだ。畜産農家の声に押され、県知事の命により内部で実態調査が行われる。
この後臨時の人事異動の発令と行政改革が議論された。孤軍奮闘といった感のあった地元ローカル紙は長きにわたる取材活動が報われ、発行部数を伸ばした。…………。

 伊達は後にオンブズマンが動いたことを人づてに聞いた。そして彼らに資金提供していた者が理事長だと知ってにが笑いした。河田は食えない人だ。

 久方ぶりに矢澤から伊達に連絡があった。
「水谷や君を襲った一味の正体がわかったよ。大和田牧場の死亡牛を闇で運搬していたヤクザだ。本業はダンプカーを使って砂利採石業を営んでいた。襲撃の指示自体は関西山崎興業が出していたそうだ」
「それで関西山崎興業はどうなりました?」
「警察が手入れを行なったんだが、山崎組長はいち早く東南アジアに高飛びしたそうだ。国際指名手配の準備がされている」
「大森さんは?」
「脅迫状を証拠として県警に提出し、元気だよ」
「それは良かった」
「お前さんも危なかったが、よくやったな。これでスクープ記事はいただきだ」
 伊達は思わず絶句し、一呼吸置いて答えた。
「ちょっと待ってください。探偵業は影の仕事です。先輩は私の仕事を奪う気ですか?」
 今度は矢澤が沈黙した。
「……………………」
「すくなくとも、名前は伏せてください」
「分かった。そうするよ」
 伊達はほっと胸をなでおろした。

近藤の事業
 後日伊達は近藤専務の弟から兄の生い立ちについて聞く機会があった。弟は涙混じりに次のようなエピソードを語ってくれた。

 兄は島根県の片田舎で高校を卒業すると親父の元で働きその死後、後を継いだ。親は農業の傍ら牛20頭を三瓶山の麓で飼育していた。貧しかったが故にその世界を抜け出ることを夢見ていた近藤は単なる農家で終わる訳にはいかなかった。日本の農政の問題は零細家族経営にある。これから脱却せねば。だが現実は厳しい。学歴も、金もない。家柄もない人間がどうやって這い上がるか? 近藤は欲望を現実化してきた歴史、事実に学ぶことだと考えた。お手本があった。成り上がりにまではい上がった田中角栄に学ぶことだ。コンピューターつきのブルドーザー。それが角栄に冠された称号だった。だが人には器がある。自分には田中角栄のような才覚がとぼしいことは自覚していた。なんとか自分なりの生き方を見つけねば……。
弟に農業の実務をまかせ、自分は出稼ぎに出た。最初は建設現場で働き、後にトラックやダンプの運転手を不眠不休のようにやって金をためた。苦労して節約し、資本金の3千万円ができた。本社は大阪市に置いた。近藤は弟を社長にし、自分は専務におさまった。なぜなら社交性は弟の方が勝っていたからだ。
 しばらくすると人生の転機が訪れた。バブル経済の発生だ。近藤は合理性を追求するアメリカ式の大牧場経営を夢見ていた。日本ではなじみがない牛の一貫飼育の方式はとれないのだろうか。多頭数を飼育すること。人件費を節約すること。飼料を安く調達すること。それには新しいシステムの構築が必要だ。だが現実にはその資金が不足していた。
近藤は当時はやりだした投資牧場に注目した。時流に乗って実際には牛の飼育をしない詐欺まがいの業者も現われたが、近藤は着実に牧場を拡大する道を選択する。
 その後大和田牧場は生き残りを賭けた競争に巻き込まれたが何とか企業として生き残ることができた。その為に弟を通した人的パイプの絆を深め、小額だが継続的に政治献金を行うことで政治家の後ろ盾を得た。その時代、日本農業の自立を考えていた農林水産省も育成に尽力した。規模拡大にあたり近藤は各地の農場を見て回った。北海道も考えたが遠かった。結局九州に進出することを決めた。 
 調査の結果宮崎県が候補にあがる。宮崎では基幹従業員は県外の人間を雇った。近藤の片腕は古くから大和田で働いてきた吉田所長にした。
 大和田牧場は政治家のつてを頼りに拡大していった。だがそこに口蹄疫が発生した。それは近藤にとっても全く想定外の出来事だ。結局その対応に経営判断を誤ったことが致命傷となったが、それまでに崩壊の萌芽は見えていた。
 一貫飼育による多頭数の飼育に関してはその管理技術の欠如と伝染病に対する備えが脆弱であった。結局自前の子牛ではまかないきれず、市場からの調達に追い込まれた。また飼料コストの上昇や牛肉価格の変動は採算の悪化につながった。こうした事態は高金利を謳い文句に集めた資金ぐりを悪化させる。それを乗り切るために広告を出して出資を募った。その結果は自転車操業だった。資金の回転がストップすると即倒産につながる。近藤は嫌でも規模の維持か拡大を迫られた。そのため当面操業できない宮崎から東北進出を考えたのだ。そうしたなかで再び想定外のことが起きる。東日本大震災の発生とそれに伴う福島県の放射能漏れだった。
 近藤はなんとか頑張ろうと動いたが、それは悪あがきにすぎなかった。

 こうして彼の理想とした生産モデルは崩壊しました。弟の近藤社長は、話し終えるとため息をついた。

鎌田の自白
 事務所の人間が出払って不在なのを確認した伊達は頃合いだと感じた。思い切って鎌田の部屋をノックし、踏み入った。書類に目を通している鎌田のすぐそばまで進み、立ち止まる。鎌田は不意の侵入者に驚き伊達を見上げた。
「一体どうしたの?」
「大和田に情報を流していた人間がわかりました」
「え、誰なの?」
「それが意外な人でした」
 鎌田は上ずった声で繰り返した。
「意外な?」
「ええ、そうです。残念ながらあなたとは」
 鎌田の顔は青ざめ、引きつっている。
「…………」
 沈黙を破るように伊達は質問した。
「どうして今回の調査をひき受けたんですか?」
 鎌田はため息をつくと前置きを置いた。。
「そう、わかったの。いつかはこうなると思っていたけど……」
 それから伊達の質問に答えた。
「最初はびっくりしたわ。河田理事長から話しを聞いたときのこと。お断りしようかとも考えた。でもそれではこの仕事は他社が受けるわね。そうなれば動きが掴めなくなる。それであなたに白羽の矢を立てたの。だって牛に関しては全くの素人でしょう」
「そうです」伊達は素直に肯定した。
「確認の為あなたに尋ねると宮崎県を訪問したこともないと言うし。でもそれなりに調査はやると思ったわ」
 伊達は苦笑した。鎌田社長が薄笑いを浮かべる。
「よくわかったわね。私だと。でもまさかあんたがここまでやるとは夢にも思わなかった。あんたがのこのこと宮崎に行った最初のころは、きっと失敗するだろうと踏んでいたのに。負けたわ、降参よ」
「宮崎でなぜ私を襲わせたんですか?」
 鎌田はぶっきらぼうに言い放った。
「あんたがやりすぎたのよ」
 伊達は返事に困りしばらく沈黙した。
「疑問があるんですが?」
「わかってるわ。どうして大和田を擁護するのか? と言うんでしょう」
「ええ」
「大和田牧場の専務は私の甥に当るの。この探偵社の運営資金は彼が半分だしてくれたわ。 だから大和田がつぶれては困るのよ。私は結婚して鎌田姓になったわけ。主人は5年前になくなったけどね」
「なるほど。縁戚と金ですか」
「そうよ。それしかないわ。私たちがはい上がるには」
「郷田老人を紹介したのは?」
「昔彼の窮地を助けたことがあってね。その貸しがあった。あんたが宮崎に行くのに私も探偵社の社長だからね。格好をつける必要があったの」
「そうですか。もう一つ確認したいことがあります。宮崎では本当に私の命を狙わせたんですか?」
「馬鹿なことを言うんじゃないよ! 誰が自分の部下を殺せといいますか。確かにあんたの情報は逐一近藤に伝えたわ。でも近藤は危害を加えるとは言わなかった。ただ脅すだけだと。あんたから襲われてケガをしたと聞いた時は、頭にきて近藤に食ってかかった。彼は、そのことは自分が手を下していないと言い切ったわ。何でもヤクザが動いたとか……」
「わかりました」
 最後まで聞く必要はなかった。鎌田が自分の殺害を意図してはいなかった。それが確認できたことで充分だった。伊達は救われた気持ちになった。
 鎌田はしばらく沈黙した。気持ちの整理をつけたのだろう。
「液状化現象は補償内容が固まって終わったけど、私の方も終わったようだね。だけどこれであきらめないわ。いつか復活するから」
 そんな強がりを伊達にぶつけると鎌田は寂しそうに背中を丸め、ゆっくりと社長室を後にした。伊達にはいつもの巨体が小さく見える。結局伊達は出資者の会社で働き、出資者を貶めるという奇妙な立場にあったことを知った。
 午後事務室でひとり残っていた横山が伊達から一部始終を聞いたあと言った。
「まさかと思いましたわ鎌田社長が一味に内通していたなんて」
「俺もだ。今でも信じられないよ」
「この探偵事務所はどうなるのかしら?」
「大丈夫みたいだよ。でも大手の系列に変わるって」
「あの、PCによく広告を出しているところ?」
「そのようだね」
「人の異動は?」
 伊達は顔をゆるめた。
「当面犬飼美智子さんが代行で運営するって」
「賛成だけど、その後は?」
「その後は新しい責任者が来るってことしかわからない」
「やれやれ、一難去ってまた一難ですか」
「まあね。でも震災の被害者のかたを考えれば」
「そうですね。でも今回の件で伊達さんも少し変わりましたね」
「そうかな?」
「そうですよ。たくましさが感じられます」
「へー、そうですか。生き方が変わったかな」
 横山は最近伊達が繰り返す言葉を使った。
「時代に流されず、ゆったりと静かに動くでしょう」
 伊達は笑った。
「とろん、とろんか……」
 横山にはその意味がわからず怪訝な顔つきをした。


類似点
 銀座のみゆき通りを背筋をぴんと伸ばして、わき目も振らず堂々と歩く姿は欧米の女性のようだ。ウールとカシミヤをブレンドしたグレイのVネックニットが首筋の白い肌を際立たせた。伊達はめざとくその女を見出した。伊達は斉藤の名を呼んだ。斉藤はその声を聞くと立ち止まり、声の主を捜した。伊達の顔を見るとかすかに白い歯を見せた。
 今日の出会いは斉藤から連絡してきた。久しぶりに声を聞きたいと。
 伊達は斉藤の方へ近づき声をかけた。
「久しぶりだね。どう都合がつけば喫茶店でも?」
「今日は電話で言ったように一時間しか取れないけど」
「いいとも」
 伊達のダジャレに斉藤は小笑いした。
 
 洒落た店内で伊達は斉藤の目を見て言った。
「何の関係もないように見えるものが、不思議と似ている事に気づいたよ」
「なんのこと?」
「今回の東京電力の原発事故と宮崎で起きた口蹄疫には何の関係もない。だがよく考えると共通点が多々発見できた。もちろんマクロから見れば、東日本いや日本全体に影響を及ぼした今回の大震災と、宮崎県の牛や豚などの家畜に対する被害は比べるべくもないけど」
「たとえば?……」
「たとえば見えない敵だよ。今回の放射能汚染と宮崎の口蹄疫ウイルス。いずれも人類にとっては脅威だけれど、それを過小評価していた」
「そうね安全神話と古いマニュアルを信奉していたって訳ね……」
「マニュアルといえば、想定内と想定外と言う言葉が、週刊誌でにぎわっていたな」
「豚に感染するという以前にはなかった事態と地震のスケールを見誤ったのね。備えは出来ていると過信していたのよ。想定外だから仕方ないと言うのは、役所の逃げ口上とも取れるわ」
「そう思うよ。二つの出来事は自然災害であることは間違いないが、人災の側面も持っている。両方とも初動の動きが間違っていたし、それを国や宮崎県は認めようとしなかった」
「特に福島原発のケースは、海外でも大きく騒いだ為にマスコミも必死で取り上げたわね」
「そう。特にアメリカやフランス、ドイツそれにアジアの近隣諸国がね」
「政府または役所による事実の隠蔽や、企業による情報のタイムリーな開示と言う面でも
 類似点があるのでは?」
「メルトダウンは早い時期に政府や東京電力は認識していたはずだ。民政党の首相はパニックを起こしたくなかったと後で言っている」
「それはいいわけですわ」
「それに役所と企業の癒着構造だ。通産省の安全保安院と東京電力の関係、天下りの構図は宮崎でも見られただろう」
「そうね。畜産課と大和田牧場、それに畜産課と家畜改良事業団ね」
 今度は斉藤が話をリードした。
「風評被害の発生も同じように起きたでしょう」
「そう、特に大震災のケースは国際的なスケールでね」
「国レベル、県レベルと違うけども、多大な経済への影響があったわね。それと精神的に後遺症を抱えた被害者も多いと聞いてるし……」
「口蹄疫は国際獣医事務局(OIE)が絡んでいた。一方、放射能は国際原子力機関(IAEA)だ。もう1カ国でどうこうするといった時代ではないんだね」
 斉藤はうなずきながらも追加した。
「口蹄疫の場合は、国際食糧農業機関(FAO)が専門要員の派遣を申し出たようだけど、国はことわったそうね。放射能のケースも同じ。当初アメリカが動いたのだけど、受入れていないわ」
「確かに身内だけで処理したいと言う気持ちと、事実が明らかになっては困るという意味からだろうね」
 斉藤は少し考えて言った。
「どちらかと言えば後者だと思うけど」
 伊達は話題を変えた。
「いいこともあった。積極的な国民による支援・義捐金活動が行われた。保償問題も出てるし」
「でも政治家の行動には不満が大きいわ」
「それに総理のリーダーシップが疑問視された。保守党だけでなく身内の民政党からも批判が出てる」
「こうして、拾い上げて見ると確かに、結構似通っているわ」
「ということはこれが日本の実態なんだよ。政治の混迷をそのまま映しているね。そうは言ってもマスコミの報道姿勢は、口蹄疫のケースとは大きな違いだね。良いことだけど」
「そうなのよね……」
 斉藤は首をかしげながら腕時計に目を向けた。
 伊達は東洋新聞社に斉藤が在籍していたことは密かに確認していた。だから小難しい政治や社会の議論をしても斉藤は話についてきた。
 楽しい一時間はあっという間に経過し伊達には未練が残った。今日は不思議なことにお互いの現況には触れていなかった。いや、あえてそうしなかったのかもしれない。以前とは違う意味で、斉藤は今も謎の女だった。
 伊達は自分のマンションの住所をメモし斉藤に渡した。斉藤佳子は黙って受け取り、バッグの中にしまった。


 5月20日伊達は自宅で午後7時のテレビニュースを見ていた。福島県の原発による汚染状況はセシウム134、137の拡散状況は深刻だがチェルノブイリと違いプルトニウムとストロンチウムは微量の発見ですんでいるという。今後は除染措置を緊急に取ることが必要と訴えていた。解説者は政府の対応があまりに遅いし、さらに2.3号機の汚染水処理が依然もたついていると訴えている。
 伊達はチャンネルを切り替えた。別の局では「復興への青写真を描くというのは結構だが、議論は空回りだ。予算の裏付けがないからね」と政治評論家がコメントしている。
少し前の新聞記事を思い出し苦笑いした。
 原発の安全神話そのものが作り出されたものだと、また施設の設計そのものが失敗であり行動に誤りがあったと関係者が発言していたのだ。総理は当初「パニックが起きては困るんです」と言って情報の開示を遅らせた理由を説明した。
「こりゃダメだ」伊達は吐き捨てるようにつぶやいた。経済面の地盤沈下も相まって日本の凋落が間違いなく起きているという実感をもった。 
 いずれにせよ問題解決は長期戦のようだ。伊達は外に出て静かな夜空を見上げた。昨夜は鮮やかだった天空の星は雲に遮られわずかしか見あたらない。一体この国はどこへ流れていくのか不安が募る……。
 伊達の内心を攪乱していた要因はもう一つあった。鎌田社長がどうして大和田商事の向井を調査していた伊達を河田の依頼により口蹄疫の調査に振り向けたかだ。その時の河田が発した言葉は「初発農場の究明」だった。当然大和田牧場が疑惑の俎上に上がるのは鎌田も推測していたはずだ。鎌田は言った。「まさかあんたがここまでやるとは……」と。舐められていたのは確かだ。だがそれ以上に彼女は絶対的な自信を持っていた。それは何か……だ。
 伊達が現地報告をすると思って、安心していたこともあるだろう。しかし伊達も途中から独自の動きをとり、報告が事後のことは数回あった。その割に鎌田の怒りは、あの激情家の人間にしてはおだやかだった。おかしい、何かある。再び物思いに沈んだ。
数分後に鎌田が会社を去る前に伊達に告白した場面を思い返した。鎌田が言った言葉を反芻する。
突然伊達の身体に電流が走った。たまらず夜露を帯びた草原の中にへたり込み、弱々しい吐息を吐いた。今度は鎌田が言った言葉を伊達が使った。「まさか?」
その人間には伊達も本音で話したし、得られるものも大きかったのに、それなのに……

 伊達は携帯を取り出し相手を呼び出した。数度のコールの後その人間が応対した。
「二股膏薬」伊達はそれだけを口にした。しばらく沈黙があって男は答えた。
「よくわかったな。さすが伊達さんだ。儂は鎌田社長に借りがあった。借りは返さねばならん。一方君の能力も買ったからアドバイスもした。大和田に関しては儂は無関係じゃ。癌で一年もたんと言ったのは真実だ。あとは君が好きにするがいい……」
 郷田老人はある程度覚悟していたのか、一気にそれだけ話すと電話を切った。伊達は屈辱感に打ちのめされ目頭を抑えた。鎌田は恐ろしほど巧緻であった。彼女の推薦者を信じた伊達が愚かだったということだ。精神的に立ち直るには2、3日要した。

 鎌田が去っても探偵事務所は大手の系列下に入り、顧客に迷惑をかけることもなく犬飼美智子を中心にして業務は継続されていた。無論伊達や横山の業務内容も従来と変わっていない。
 昼食後小箱に入れた苗を持っている伊達を見て横山みずきが尋ねた。
「どうしたの? それ」
「ゴーヤの苗だけど」
「いや、それはわかるけど4苗も買ったの」
「暑さ対策ですよ。ベランダに植えて緑のカーテンを作るつもり。気持ちいいぞ」
「節電協力はわかリますけど、肥料をやって毎日水やりするんですよ。世話出来ます?」
 横山は伊達の持続性を疑った。
「もちろん」
「土とその入れ物は?」
「近くのスーパーで……」
 横山は小笑いする。
「伊達さん。ゴーヤは蔓性植物でしょう。蔓を這わせるものがいるのでは?」
「いけねー。それを忘れてたな」
「それとネットも買った方がいいですよ」
「結構たいへんなんだ」
「そうなの」

 早引けして、伊達はゴーヤの植え込みにかかった。動機は日曜日のテレビで植物の特別番組を見てふと気分転換を図ろうと思ったのだ。テレビや新聞の情けない論説を毎日見聞きして落ち込むことはないと考えた。場所は二階のベランダ隅を選んだ。そこは東に面しているので日当たりは良いはずだ。
 深さ40センチ、幅50センチの2つのポットに土を入れ、その底あたりに化成肥料を入れ込んだ。それから10センチメートルぐらいの苗を各2個植え付ける。次に2メートルほどのビニールで保護された鉄線を各3本斜めに立てかけた。汗を拭きながら出来栄えを見る。よく考えると、それでは風で飛ばされる恐れがあると思いついた。
急ぎガムテープで鉄線の先2箇所をそれぞれ固定する。最後に長めのネットをはって完成した。初夏の日光を浴びてぐんぐん延びていく緑のゴーヤを想像すると楽しくなった。だが何か物足りないことに気づいた。苗のぎざぎざの葉を見ると元気がない。
いかん! 水を遣るのを忘れていた。
 頭をかきながらふと外に目を向ける。日差しが逆光になってよく見えないが、背の高い女がこちらを見上げている。伊達は目を細めて注視した。だんだんとその輪郭がはっきりしてきた。それは純白のワンピースを身に付けた斉藤佳子だった。

エピローグ

 8月初旬。肉牛組合の河田理事長は同組合が主催予定の九州ブロック会議を種雄牛の貸与式、新生みやざき畜産協議会の設立総会と同時に開催することを決め、新橋の事務所でその挨拶文の原稿を検討していた。熟慮の末、東日本大震災と放射能汚染の被害農家の実情説明からはじめて宮崎県の口蹄疫の話に移り、種雄牛の貸与で締めくくる3部構成とした。

1 東日本大震災に置ける畜産農家の惨状
「現在東日本はご存知のとおり大変な状況となっております。私も福島原発から約68キロメートルの所で畜産経営をしておりますので、放射能汚染を受けている畜産農家の惨状は身をもって体験しております。現在牛肉は東日本から出荷されず、また出荷できる地域は価格が大幅にダウンしており、畜産経営は非常に厳しい事態に直面しています。その対応に私は農林水産省や国会議員の先生がたに畜産経営存続のための支援対策をお願いしているところです。一方29万頭の牛を亡くされた宮崎県の農家の方は昨年大変な思いをされましたが、今は復興に向け頑張っておられます。この口蹄疫と放射能汚染による被害の問題は、私は人災であると思っております」

2 宮崎県の口蹄疫への対応を批判し、肉牛組合による政治への解決策の働きかけ並びに種雄牛の特例問題に対する疑問と真相解明の要望
「口蹄疫について言及しますと、昨年4月7日に獣医師は口蹄疫を疑い家畜保健所に通報したとのことですが、4月20日の公表まで放置されていました。このことから役所の初動が遅れたことは明らかです。実際県知事の防疫に対する対応は遅かったと思いますが、なぜそうだったのか私は今でも得心出来ていません。
 私は昨年5月15日、16日と宮崎に入り口蹄疫で騒然としている高鍋町、川南町を訪問しました。そこでは情報のなさ、消毒の不徹底、隣家で発生していても連絡がなく付近の農家は知らないという異常な状況でした。それで私は農水副大臣にお会いし、状況を報告しました。翌日には首相官邸で首相にその問題への迅速な対応措置をお願いしました。その結果、予備費1千億円を用意していただき、首相が口蹄疫対策本部長となり、農水副大臣が現地に入り、その日から本格的な口蹄疫対策が実施されたと思っております。
 その後殺処分した牛を埋却するにあたり用地が不足することから、農家の方から多くの相談を受けました。これに関しては農水副大臣をはじめ補佐官に連絡し、迅速に対処いただきました。種雄牛の特例問題でありますが宮崎県の家畜改良事業団では5月13日の移動以前に既に事業団内で口蹄疫が発生していたにもかかわらず事実を隠し、国に特例を認めさせたという疑いがあります。このような法律違反等では伝染病を防ぐことはできません。また、このことの真相解明と責任の所在を明確にされるべきだと考えます」
 
3 家畜改良センターより肉牛協会に払い下げられた種雄牛の活用と種雄牛の管理運営について宮崎県の体質改善を要望
「さて、話が変わりますがこのブロック会議後に種雄牛の貸与式が行われます。家畜改良センターという国の機関から優秀な種雄牛2頭が肉牛組合に払い下げられ、この種雄牛は新生みやざき畜産協議会を通じて宮崎県の肉牛農家のために活用されます。
 宮崎県の畜産農家は精液の流通に様々な制限があり、種雄牛の管理運営については宮崎県独特のやり方で行われています。しかし畜産農家が自由に宮崎県の種雄牛の凍結精液を種つけすることはできない等、こんな不条理なことが行われています。この為公正取引委員会からも改善命令を受けています。これをきっかけに古い体質の宮崎県を変えていただきたいと願うものであります」

 書き終わった河田の顔にはなんとも言えない満足感に溢れた。河田は20数回もこの問題で宮崎を訪問している。おもえば宮崎の個性ある農家の面々をここまでよく引っ張ってきたものだ。口蹄疫に関しては農林水産省との粘り強い交渉で国から補償をかちえ、県の責任を追求し、民間農家に失った種牛を供与することができた。これまでの活動の総括を行うとともに、これで幻想の世界で遭遇した子牛の霊が安らぐことを期待した。
       

終わり

創作 口蹄疫 「トロントロンの水音」

本分は事件小説と推理・ミステリー小説の混ざったものだと考えますが、エンターテインメントの要素も加味しました。初心者なので中途半端なものになったかもしれません。但し前半部分の口蹄疫に関する事項は順を追って書いていますので、初めてこの問題を理解せんとする方にはお役に立つかもしれません。執筆にあたっては特に全国肉牛事業共同組合の方々、旬刊宮崎新聞の責任者の方や宮崎県の獣医師の方の多大なご支援をいただきました。匿名の小説としたため、名前は出せませんが応接いただいた農家の方々にも厚く御礼申し上げます。なお記事は多くの出典によっており簡単に以下の文献の記載紹介にとどめます。

参考文献
 国の口蹄疫中間調査報告書
 県の口蹄疫調査報告書
 宮崎県児湯郡獣医師会報告
 旬刊宮崎新聞
 柳田邦夫 「事故報告」
 その他口蹄疫に関する新聞記事、ブログ記事他多数
 東日本大震災に関するテレビ・新聞・週刊誌記事など

創作 口蹄疫 「トロントロンの水音」

鎌田探偵事務所に勤務する主人公の伊達は、肉牛組合の河田理事長から宮崎県の口蹄疫の調査依頼を受ける。初発農場がどこか終息から半年経っても解明されていなかったからだ。この業界に無知な伊達は先輩の新聞記者や土地の古老から適宜情報をもらいながら被害農家や獣医師を訪ね、真実に迫る。その間1人駐在の美人記者が伊達に接近するが、女は疑惑の大規模牧場に勤務する獣医師の妹だった。1ヶ月たって東日本大震災が起きた。この想定外の出来事が起因して大規模牧場の資金繰りが悪化し、専務の近藤は、伊達の調査を暴力で妨害せんとするも失敗に終わる。伊達は彼らに内通していた人物を知り愕然とする。伊達の雇い主と、土地の古老が相手とつながっていたのだ。

  • 小説
  • 長編
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-09-29

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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  1. プロローグ
  2. 初発農場の謎
  3. 謎の女
  4. 特例と種牛論争
  5. 大きな変化 東日本大震災
  6. 頻発する事件
  7. 謎解き
  8. エピローグ