パラダイスツアー キャンセル待ち

 五日前に町内会長さん。
 三日前に二軒隣の斉藤さんちのばあちゃん。
 一昨日は後を追うように斉藤さんちのじいちゃん。
 昨日は角の花屋のおいちゃん。

 ここ一週間ほどの間に、次々とご近所さんが亡くなっている。


まるで、ツアーでも組んでるみたいだ。。。。。。。。。

 こんな日に限って、エレベーターの調子が悪く、ずっと点検をしている。
 コースケは、積み重ねた分厚いファイルの山を抱え、慎重に階段を下りてゆく。まったく、大変なのは見て分かるだろうに、誰ひとり手伝おうとはしてくれない。心の中で一人毒づきながら、足元を探るようにしてコースケはゆっくりと目的地の一階を目指した。注意深くなっているせいか、呼吸が止まり気味になっている。バランスを取るために無駄に力が入り、少し汗ばんでくる。そんな状態を保ったままいくつもの折り返しの末、狭まった視界の端っこに『1F』の文字と非常扉が見えた。よかった、やっと着いた。ここまで来たら、あとは目的の部屋まで運び入れるだけだ。
 そう思った次の瞬間、記憶がすべて途切れた。


 重苦しい空気の中、読経とすすり泣きが聞こえる。祭壇に掲げられた写真には黒いリボンが掛けられ、その周りを埋め尽くすように白い菊の花が飾られている。
 写真に写っているのは、他の誰でもないコースケだ。
 そして祭壇に手を合わせる人々、いや、祭壇がしつらえられた会場にいる人全員が、黒い服を身にまとっている。
弔問客が次々と焼香を済ませ、遺族に一礼をしてはその場を立ち去る。弔問客の大半は、会社の同僚や上司たちだ。いったい何があった?コースケは母の和子に近づきその肩に触れようとしたが、その手は虚しく空を切った。え?なんだ?
まさかと思い弔問客の流れに従って表に出ると、予想通り、見慣れた顔ぶれが声を潜めて話をしている。手には数珠と香典返し。少し離れたところには、会社が手配したらしいマイクロバスが2台見える。
これは・・・、マジかよ。
コースケの戸惑いなどお構いなしに式は粛々と進められ、やがて棺が霊柩車に納められた。
永遠の別れを告げるクラクションが一度鳴り響き、霊柩車は後続の車を引き連れ、ゆっくりと斎場に向け、その場を離れる。それと同時に後に残された一同が、深く頭を垂れた。

斎場の待合室。皆、火葬が終えるのを沈痛な面持ちで待っている。和子は嗚咽を交えながら、震える声で誰に語るまでもなく話をする。その背中を、和子の妹である叔母の幸子が優しくさすっている。
 「たしかにね、あの子は親の私でも呆れるくらいドジでさえない子だったわ。でもね、それでも私にとってはかわいい息子だったの。なのに、なんでこんなに早く逝くのよ。親よりも先に。まだ30になったばかりよ。せっかくいいところに就職もできて、これから見合いでもさせて、平凡でも幸せな家庭を築いて欲しいと思っていたのに。よりによってこんな死に方するなんて。」
 こんな死に方・・・。
 あの日、山積みのファイルを抱えたコースケは、やっとの思いで目的地の1階に辿り着いた。やれやれと次の一歩を踏み出したとき、悲劇が起きると同時にコースケは自分が勘違いしていたことに気が付いた。
 もうないと思っていた階段はあと一段残っていたが、そのことに気づいたときには後の祭りだった。コースケはそのたった一段を踏み外した。バランスを失うとともにファイルが宙を舞う。体勢を崩した身体はそのまま崩れ、階段の角に打ち付けられた。打ち所が悪かった。救急搬送されたが、二度と意識が戻ることなく命尽きた。
 そうか、俺、死んだんだ・・・。えっ、ちょっと待てよ! 俺、ここにいるじゃんか!
でも、葬式は俺のものだったし・・・。えっ、えぇーーーーーっ!?
 コースケがパニックを起こし始めたとき、背後に何かの気配を感じた。
 振り返ると、ドアが一つ。まばゆく光り輝いている。
 ドアを見た途端、コースケは何かに惹きつけられるような不思議な感覚を覚えた。そして、何を考えるでもなく、ドアのほうに向き直りゆっくりとノブに手をかけた。
 ノブは重くも軽くもなく、回すと音も立てずに扉が開いた。扉の向こう側は、明るい。明るいが、とりたてて何も見えない。眩しさのせいか?コースケはまるで何かに誘われるように、その向こう側に足を踏み入れた。踏み込んだ場所で辺りを見回す。何もない。と、今入ってきたドアが消えた。
 ここは、どこだ? これが俗にいうあの世ってやつ?
 えらく殺風景だなと思い始めたとき、遥か先にゲートらしきものがあるのに気が付いた。とりあえず、あそこまで行ってみるか。
 ゲートは見た目には遠く感じたが、意外と近かった。このゲートにもまばゆいドアが付いている。コースケは迷うことなく扉を開いた。

 人、人、人! 人が溢れ返っている。あれ、あそこにいるのは斉藤さんちのじいちゃんとばあちゃんじゃんか。わ、あれって昨日亡くなった世界的な映画俳優のジョン・ウェスタン!? すっげー!
 皆、無秩序に立っているように見えるが、どうやら列をなして並んでいるらしい。その証拠に、人並みの先には検問所のような施設が幾つかあり、係員と思しき人物がひとりひとりをチェックしリストと照合していた。
 ぼーっとしていても仕方がないので、コースケは適当に列を選んで並んでみた。それにしても、何日分の人だろう。随分といる。係員はさすがに忙しそうだな。
 相当な人数なので、しばらくは回ってこないだろうと思われた順番が、案外と早く回ってきた。結構合理化されているようだ。
 「名前と年齢は?」
 係員が愛想なく尋ねる。コースケが答えると、係員はモニターに手早く打ち込み検索を始めた。しばらくして、首をかしげながら係員が再度打ち込む。さらに二度三度と同じ動作を繰り返した。どうやら検索ができないらしい。うーん、と係員が考え込んだ。その間にも他の列では、滞ることなくどんどんと人が流れてゆく。すると、何か思いついたらしく、係員はモニターに何かを打ち込んだ。今度はヒットしたようだ。身を乗り出すようにしてモニターにかじりついていた係員は、「あー、あった」と言葉を漏らした。
 「あんた、困るねえ。なに今から来てんの。」
 は? なんのことやらさっぱりわからないコースケは、係員の次の言葉を待った。
 「とにかく、まだあんたのことは受付できないから。はい、次の人!」
 コースケのことを邪魔くさそうに手で押しやると、係員は何事もなかったように涼しい顔でどんどん仕事をこなしてゆく。受付できないってどういうことだよと、コースケが食ってかかっても知らん顔だ。流れてゆく人の中で、コースケは必死になって割り込むように係員に食い下がろうとする。十数人ほど人が流れたところで、諦めて引き下がろうとしないコースケをいかにも面倒くさそうに見やった係員は、手元の赤いボタンを押した。すると、どこからともなく別の係員らしき人物が二人現われ、コースケの両脇を抱えるようにして、その場から連れ去った。

 連れて行かれた先にあった椅子に座らされると、何もなかった空間がにわかに簡素な応接室のような小部屋に変化した。
 「どういうことだよ、受付できないって! 俺にどうしろっていうんだよ! なんとかしろよ!」
 わめきちらすコースケを係員の一人が手で静止し、告げた。
 「ただ今、原因を調査中ですので、しばらくお待ちください。原因が分かり次第、課長が説明に参りますので。」
 「課長?」
 「はい。担当部署の責任者です。あなた方人間界では、一般的に女神と呼ばれています。」
 女神、この言葉にコースケの相好が一気に崩れた。女神ということは、女だ。しかも、清楚で優しい美女だ。鼻の下が伸び、口元はだらしなく緩む。コースケは自他ともに認める面食いである。自分のことは顧みず、焦がれた女性は美女ばかりだ。はっきり言って、身の程知らずもいいところである。
 美女との対面を心待ちにしながら、落ち着きを取り戻したコースケは、ひたすらニヤついていた。そして、その時はやって来た。
 入口のドアがノックされ、開いた。来た! 期待で胸を膨らませながら、コースケは入口に向かって立った。が・・・。
 絶句。。。。
 メタボ気味の体を揺らすように入ってきた女性は、にこやかに微笑んではいるが、お世辞にも女神には見えない。詐欺だ! 心の中で叫ぶコースケに、メタボ女神は「どうぞ、おかけください」と着席を促した。納得がいかないまま椅子に座ると、向かいの席に腰かけた女神は、少し書類に目を通した後、申し訳ありませんでしたと頭を下げた。
 「コースケさん、落ち着いて聞いてくださいね。本来なら、あなたはまだ死んでいなかったはずなんです。事故で意識を失った後、二ヶ月ほど生死の境をさまよい、息を引き取る予定でした。ただ今回、担当者がミスをして扉を用意してしまったんです。そう、あなたが最初に開いたあの扉です。あれは本当は、死が確定してから用意するものなのですが、そのあたりの確認作業もずさんでした。すべては、最終的に許可を出してしまった私の責任です。申し訳ございません。」
 生きている頃、似たような光景を幾度となくニュースで目にしてきた。まさか、死んでから同じ状況を目の当たりにするとは思ってもみなかった。しかも、当事者で。
改めて深々と頭を下げるメタボ女神を前に、コースケは肩で一つ大きなため息をついて不機嫌そうな顔つきのまま尋ねた。
 「それで、俺、これからどうすりゃいいの?」
 「それなんですけれど、確実にあちらの世界に行けるのは、死の予定日以降となります。つまり、今からですと五十五日後ですね。」
 「あ、そう。それまで俺はどこで何すればいいわけ?」
 「ここでお待ちいただくしかありません。」
 「ここって、この世界ってこと? この世界の宿泊所かなんか?」
 「いえ、残念ながら、ここはあくまでもあちらの世界への通用門のようなものでして、宿泊施設や娯楽施設と言ったものは一切ございません。お待ちいただくのは、今いるこちらのスペースで、です。」
 この言葉に、コースケはキレた。テーブルを叩き、身を乗り出す。
 「ふざけんなよ! こんな何にもないところで五十日余りも過ごせって!? 退屈で死んじまうだろ!」
 「いえ、あなたはもう死んでらっしゃいますから。」
 女神が申し訳なさそうにボソッと答える。たしかに。コースケは妙に納得して、浮かしていた腰を再び椅子に戻した。
 「大丈夫ですよ。死んでしまったあなたは、空腹に困ることも睡眠不足や運動不足になることもありませんから。」
 そういう問題じゃないだろう? コースケは腕を組んで、恨めし気に女神をにらみつける。
 「なんとかしろよ。」
 「はい?」
 「なんとかしろって言ってんの。今の話だと、全部そっちの落ち度だろ?」
 こんな所で何もせずに時間をつぶすなんて、まっぴらごめんだ。コースケは再度女神をにらんだ。
 女神は肩をすぼめ、大きな身体を縮こまらせている。いかにも申し訳なさそうに視線を落としていたが、やがておずおずと言葉を発した。
 「・・・承知しました。それでは、キャンセル待ちをかけましょう。」
 「キャンセル待ち?」
 「はい。たまに、あちらの世界へ行くのをずらす方がいらっしゃるんです。あちらへ行くには定員いっぱいにならないとご案内できないシステムになっておりまして、欠員が出ればその枠に入り込めるかと。」
 「なんだ、方法あるじゃん。それ入れてよ。」
 「承りました。でも、ほとんど発生しませんよ。それでもよろしいですか?ちなみに前回キャンセル待ちが発生したのは十年ほど前でした。」
 嘘だろう。コースケは頭を押さえて、椅子の背もたれに力なくなだれた。どちらにしても、ひたすら順番が回ってくるのを待つしかないらしい。めまいがしてきた。
 「何か読み物でも用意させましょうか?」
 「俺、活字、嫌いなんだよ。」
 ぶっきらぼうにコースケが答えると、女神は黙り込んだ。
 どうせ待たなきゃいけないのなら、一か八かでキャンセル待ちをかけてみるか。奇跡が起こるかもしれないし、なんの当てもなく時間を無駄に過ごすよりはマシかもしれない。ふと、そんな思いにとらわれてコースケは女神に向き直った。
 「いいよ。キャンセル待ちかけてくれよ。」
 「よろしいんですか?」
 「この状態は耐えられない。ぞっとする。」
 「承知しました。」
 少しお待ちを、そう言って女神は席を外した。
 しばらくの後、ドアがノックされ再び女神が現れた。しかし、今度は一人ではない。誰かを連れている。
 「お待たせいたしました。ご希望通り、キャンセル待ちをかけてまいりました。結果は、欠員が発生した時点で連絡が入ります。それからですね・・・。」
 特例ですが、と前置きしてから、女神は話を続けた。
 「今回、キャンセル待ちの期間限定で、移動許可が下りました。あちらへの受付が可能になるまで、人間界に戻っていただいて結構です。姿を見せたり話したりすることはできませんが、親しい方の側にいることができますよ。いかがですか?」
 マジで!? そうできるのならそうしたい。急逝したせいで、家族は気落ちしているだろう。特に母の和子が心配だ。
 「そっちがいいっていうんなら、そうさせてよ。みんなのことも気になるし。」
 「はい。では、何かあった時のために、人をお付けします。2号、ご挨拶を。」
 女神が連れてきた女が、つと前に進み出た。
 「女神候補生2号です。これから先のご案内とお手伝いをいたします。」
 メガミコウホセイ? つまり、課長候補ってことか。紹介された女神候補生2号は、年若いが、色気も可愛げもない。長めの髪を無造作に後ろで一つに束ね、青白い顔に牛乳瓶の底のような眼鏡をかけている。今の時代にこんな眼鏡がまだあるのかと、コースケは変に感心してしまった。
 「それでは、これから後はこの2号の指示に従ってください。2号、これは大切な任務ですよ。この方に失礼のないように。あとはよろしくお願いしますね。」
 「お任せください、課長。」
 2号は上司に胸を張ってそう告げると、コースケに向かって言った。
 「さあ、では参りましょう。」

 2号に付いて小部屋を出ると、そこには再び何もない空間が広がっていた。そして、部屋から出た瞬間、今までいた部屋は跡形もなく消えてなくなった。どういう仕掛けになっているのだろう、必要に応じてドアやら部屋やら、出たり消えたりする。職員たちも、そうだ。
 「幻想です。」
 2号がさらりと言った。その言葉にコースケが尋ねた。
 「幻想?」
 前を歩いていた2号がふいに歩みを止め、コースケの方を振り向くこともなく言葉を続ける。
 「この世界で、今あなたが見ているものは、すべて実体がありません。幻を見ていると思ってください。」
 意味が分からない。背中を向けていた2号が振り返り、コースケに向かい合った。
 「便宜上、形が見えるようにしているだけです。その方があなた方も安心できるでしょう? 何もない空間と話すことを考えてみてください。今まで形あるものに囲まれてきて、それに慣れているあなた方にしてみれば、形のないものと接するのは不安がありませんか?」
 まあ、確かにそう言われてみればそうなのかもしれないが、いまひとつ腑に落ちない。そのとき、コースケはひとつ気が付いた。
 「ひょっとして、俺のこの身体・・・。」
 2号がうなずく。
 「意外と察しがいいですね。その通りです。あなたのその身体も実際は存在しないものなのです。安心感を与えるために、生きていたころの姿を映し出しているだけです。命を全うしてここに来た方たちは、皆、生前と同じ種の姿だけを目にするような仕組みになっています。たとえば、蟻だったら蟻だけ、鳥だったら鳥だけの姿しか目に見えません。そうやって、あちらの世界への受付を済ませるまでの短い時間、少しでも不安や恐怖を感じさせないようにしているのです。」
 へえ、なるほど。考えてみれば、俺の身体は焼かれて骨になってんだもんな。この姿のはずないよな。そう考えると妙に悲しくなってきた。それにしても、『意外と』は余計だ。
 「それじゃあ、ここで働いている奴らも、みんな本当は実体がないってことか。てことは、俺もお前も実際、なんなの?」
 「強いて言えば魂とか心とか、そういった言葉が一番近いですね。」
 なるほどねえ。しかし、光満ちたこの世界で働く職員たちの中に、未だまともな風体のやつを一人も見ない。女神に値するあの課長にしろ、目の前にいるこの女神候補生にしろ、もう少し見栄え良くできなかったのか。着ているものからして、どうにかしろよと言いたくなるような代物だ。先の課長は白いシャツにどんよりした雰囲気のグレーのスカート。2号は白いシャツに醤油を煮出したような色のスラックス。ご丁寧にシャツに至っては第一ボタンまできっちりと留めている。学校の実習でも今はこんなもの作らないぞ、といったセンスという言葉には程遠い服装である。いくら実体がないと言っても、手を抜きすぎだ。そんなことを考えながら2号を見ていると、コースケの思いを察知したらしく2号はこう告げた。
 「あなたのような人がいるからですよ。見栄えに左右される人がいるからです。私たち職員は、わざとこういう風体をしているのです。すべて、スムーズに事を運ぶために、あなたたちを第一印象で惑わさないようにしている。こちら側の配慮です。」
 「んじゃ、そのダサダサの眼鏡も?」
 「そうです。これは、課長から賜りました。いつもこれをかけているようにと。」
 念には念を入れろってことか。つまりは、この世界で美を求めても無駄ってことだな。
 「もう一つ質問。おまえ、2号だよな。2号ってことは1号もいるわけ?」
 「はい。1号は今、昇進試験に向けて猛勉強中です。」
 この世界でも、働くのはなかなか大変そうだ。
 「さあ、ではそろそろ行きましょうか30KSK1844771。」
 「さんぜろ・・・なんだ?」
 「30KSK1844771。あなたの認証番号です。」
 「ひとのこと番号なんかで呼ぶなよ。俺にはコースケって名前があるんだぞ。」
 「死んでしまったあなたは、もうコースケではありません。」
 「でもお前んとこの課長は、ちゃんと名前で呼んだぞ。コースケさんって。」
 「それは気を遣ったんですよ。そんなことも分からないのですか。」
 いちいち頭に来る。こいつ何様だ。コースケがカッカし始めたのを知ってか知らずか、2号は尚も事務的に質問をした。
 「どこに行きたいですか?」
 「家族の許に決まってるだろ。」
 「わかりました。」
 女神候補生2号が右手をすっと前に伸ばすと、扉が一つ現れた。

 これは、家族ではなく親族だ。
 墓の前でコースケはじろりと女神候補生2号をにらんだ。
 墓碑にははるか昔に亡くなった、顔も知らない先祖の名前が刻まれている。
 「これは、私としたことが。失礼いたしました。」
 2号は悪びれもせず、謝罪の言葉を事務的に口にした。
 まったく、しっかりしているんだか抜けてるんだか。コースケが何考えてるんだと言いかけたとき、人の気配を感じた。振り向くと僧侶を伴った黒い服の一団が、こちらに向かって来る。目を凝らしてよく見てみると、向かって来るのはコースケの身内だ。父の幸造を先頭に、母の和子、弟のコーヘイ、叔父、叔母、いとこたちもいる。
 コースケは改めて墓碑を確認した。そこには新しくコースケの名前が追加されている。皆で納骨に来たのだ。
 「2号、もう四十九日経ったのか?」
 「はい。あなたが亡くなってから四十九日経ちました。」
 ということは。コースケは期待を込めて2号の顔を見た。
 「言っておきますが、こちらとあちらの世界では時間の流れ方が違いますから。」
 え?という顔つきで尚も2号を見つめる。
 「つまり、五十五日までこちらではあと六日ですが、あちらではまだ当分かかるということです。」
 なんだ。期待して損した。気落ちを隠せないまま、コースケは目の前で行われている自分の納骨を、ただ何をするでもなくぼんやりと見ていた。
 この短い期間で母は少しやつれたようだ。幾分、白髪も増えたように思われる。弟は変わらず優しい瞳をしているが、心なしか憂いを含んでいる。父は顔色があまり良くない。皆、一様に沈んだ面持ちで焼香をし、手を合わせる。なんだか切なくなってきた。
 「かあちゃん、ごめん。」
 コースケは前を向いたまま、2号に尋ねた。
 「このまま一緒に家に帰ってもいいか?」
 相変わらず事務的な声で2号が答える。
 「ご家族と一緒に、ということですか?」
 「うん。車に乗り合わせて来てるはずなんだ。車に乗ることはできるんだろ?それとも満杯だったら無理なのか?」
 「できますよ。私たちはスペースを必要としませんから。」
 「わかった。じゃあ、みんなと一緒に帰る。」
 「では、そうしましょう。」

無事に納骨が終わり、僧侶に布施とタクシー代を渡して見送った後、親族たちは車でコースケの家に向かった。皆で精進落としをいただくためだ。たぶん今頃は手配した仕出しが届いているだろう。仕出しの受け取りは、おそらく、仲の良い隣家のおばさんに頼んでいるはずだ。
 コースケと2号を乗せていることも知らず、最初は静かだった車内が、コースケの思い出話がひとつ出たのをきっかけに、次から次へと話が飛び出し、家まであと半分を過ぎたころには妙な盛り上がりを見せた。
 幼稚園のお遊戯で、なぜかスキップがいつまでたってもできなかったこと。あまりの成績の悪さに、塾通いをさせたはいいが、科目を絞り込めず全教科対象にしたため、とんでもない金額が飛んで行ったこと。そして金をかけたにもかかわらず、その後も成績は全くふるわなかったこと。中学校のクラス別の水泳大会で、くじ引きで選手に選ばれ出場したが、まっすぐ泳げずに隣のコースに侵入してしまい、そこを泳いでいた隣のクラスの選手を思いきり掻き手で殴ってしまったこと。
 初めこそ、今では懐かしい思い出と思っていたが、話が盛り上がるにつれてコースケはだんだんと腹が立ってきた。皆の言っていることは事実だ。確かに事実だが、もっと他に話題はあるだろう?よりによってなんでそんな変な話ばかりするんだよ。
 隣にいる2号をちらりと横目で見ると、顔色一つ変えず座っている。
 「俺のドジ話、びっくりした?」
 「いいえ。すべてプロフィールデータを見て承知しておりますので。見事にシナリオ通りの人生ですね。」
 シナリオ?どういうことか2号に尋ねようとしたとき、家に到着した。2号に促されて車を降りる。つい最近まで暮らしていたはずの我が家にもかかわらず、とても懐かしい。
 思った通り、隣のおばさんが留守番を買って出てくれていたらしく、車の音を聞きつけ、お疲れ様と言いながら玄関まで出迎えに来た。皆が口々に、「お世話になりました」「ありがとう」と礼の言葉を述べる。和子が仕出しを二つ手渡し、再度礼を述べると、「お互い様だから」と言って、おばさんは自分の家に帰っていった。
 家の奥にある座敷に既に準備は整っていた。見慣れた座卓の横にこたつがテーブル代わりに並べられ、その上に仕出しと湯呑が整然と置かれている。皆、思い思いの席に座り、やれやれといった様子で男たちはネクタイを緩めた。
 「しかし、早いもんだねえ。もう四十九か。」
 「あのときは、ほんとびっくりしたわ。」
 「兄さんたち、少しは落ち着いた?」
 親戚連中がそんな言葉を交わす中、母の和子は台所で茶の用意をしている。弟のコーヘイがさりげなく、しかしてきぱきとそれを手伝う。
 昔からそうだった。いつもボーっとしているコースケに比べ、コーヘイはとても細やかな心遣いを見せる。かゆいところに手が届く、まさにその言葉は弟のためにあるんじゃないかと思っていたほどだ。女だったら、いい嫁になったのではないか。その優しさゆえに、コーヘイは小さいころから女の子にモテた。別段、イケメンというわけでも格好いいわけでもない。しかし、コーヘイに想いを寄せた女子に言わせると、女心をよく分かっているというのだ。どうもそれがモテる原因らしい。
 喋りに花を咲かせ始めた親戚たちを眺めながら、コースケは壁に寄り掛かるようにして部屋の隅に座った。2号は座ることはせず、コースケの横に立って壁にもたれかかる。
 「さっきの話だけどさ。」
 立てた膝に重ねた腕の上に顎を乗せ、コースケが2号に尋ねる。
 「シナリオって何?」
 2号は黙っている。コースケは重ねて尋ねた。
 「俺たちの人生にシナリオってあるの?」
 2号はやはり答えない。
 「生まれてくるときに、もうみんな決まってるのか?たとえば、今回俺が死んだことも。」
 そこまで言って、コースケはふとメタボ女神の言葉を思い出した。二ヶ月ほど生死の境をさまよって息を引き取る予定だった、と。そう、確かにそう言った。ということは、やはりあらかじめすべて決まっているのだ。誰かの描いたシナリオ通りに、皆生きて、死んでゆく。
 「シナリオを描くのは、他の誰でもないあなた方です。」
 ようやく2号が口を開いた。
 「シナリオ設定をあちらの世界から用意されることもありますが、筋書きは概ねあなた方に任されます。何に生まれるか、どのように生きるか、どのような性格か、細かな設定まで用意し、許可が下りた後、筋書きに応じた環境に生れ落ちるのです。」
 「まるでドラマだな。」
 「そうですね。いわば、あなたたちは役者というところでしょうか。」
 「でもさ、そんなことして誰が喜ぶんだよ。俺たちの演技を鑑賞する奴でもいるのか?」
 「それは、受付を済ませればわかることです。受付を抜けた段階で、あちらの世界での記憶が戻りますから。」
 「今知りたいんだよ。教えてくれよ。」
 「だめです。」
 「そんなこと言わずに、ちょっとでいいからさ。」
 「お答えできません。」
 「答えろよ!」
 しつこく尋ねるコースケに、2号は知らんふりを決め込んだ。コースケと目を合わせようともせず、まっすぐ前を見て押し黙ったままだ。コースケがしびれを切らした。
 「なんとか言えよ。」
 その言葉に、少し間をおいて2号は答えた。
 「守秘義務が発生しました。」

 夜になり親戚たちが帰ると、家の中は一気に静かになった。父と弟は居間に移り、黙ってテレビのスポーツニュースを見ている。弟のコーヘイは、どうやら今夜はここに泊るらしい。母がここにいないということは、おそらくコーヘイのために部屋を準備しているのだろう。
 コースケはずっと実家暮らしだが、コーヘイは就職が決まると同時に一人暮らしを始めた。
 「いつかは出て行かなきゃいけないんだからさ。」
 そう言って笑っていたのを今でも思い出す。
 コースケは、家のことは何一つできないが、コーヘイは綺麗好きで料理もこなす。何度か一人暮らしの部屋に泊りに行ったが、掃除は行き届き、部屋の中は綺麗に片付けられていた。実家暮らしの頃と何ら変わりはない。散らかし放大のコースケとは雲泥の差である。おまけに料理もうまく、部屋を訪ねるたびにちょっとした食事をふるまわれた。とても手早く段取りが良い。味付けも、はっきり言って母の料理よりも美味いような気がする。
 「おまえ、俺のところに嫁に来いよ。」
 コースケは、いつもそんな冗談を飛ばしていた。
 母の和子が居間に入ってきた。
 「いつでも寝られるからね。」
 和子の言葉に、コーヘイが呟くように「ありがと」と答えた。三人は、黙ったままテレビの画面を目で追いかける。空気が少し重苦しい。
 「俺、ここに帰ってこようか?」
 ふいにコーヘイが尋ねる。幸造と和子は急な話に目を丸くする。
 「なんかさ、最近一人暮らしに飽きてきちゃったんだよね。」
 幸造と和子が顔を見合わせた。
 「いいのよ気を遣わなくて。」
 「いや、そうじゃなくて・・・。」
 「あんたはあんたのやりたいようにやりなさい。」
 和子はそう言って寂しそうに微笑んだ。

 夜が明け、和子が用意した朝食を三人が摂っている。メニューはいつもの具だくさんの味噌汁を中心とした和食だ。一時期、パンを食べていたこともあったが、和食のほうが体調が良いという幸造の希望で、以来、全面和食に切り替えられた。と言っても、血圧が高めの幸造の健康を考えて、サラダや蒸した魚など、栄養のバランスを考えながら様々な食材や調理方法を取り入れ、味付けも塩分控えめに工夫されている。
 コースケは命を落としてから何も食べていないことに気が付いた。空腹に困ることはないとメタボ女神が言っていたが、確かに料理を目の前にしても食欲というものが沸いてこない。便利といえば便利だが、なにか味気ない。
 昨夜の沈んだ雰囲気はなく、三人は穏やかに食卓を囲んでいた。話の流れから察するに、コーヘイは今日は休みを取っているようだ。夜まで実家に滞在し、夕食を済ませた後、自分のアパートに帰るのだろう。今日は親子水入らずだ。コースケが亡くなってからバタバタしていただろうから、久しぶりのゆっくりとした時間となる。
 ゆったりとした三人の様子に少し安心したコースケは、2号に行きたいところがあると言った。
 「どちらでしょう?」
 「会社。俺が勤めてた会社だよ。あとでいいんだけど、行けるかな?」
 「もちろんです。」

 その日の午後、2号が出した扉を抜けて、コースケは生前勤めていた会社を訪れた。コースケが勤めていた会社は世間でも一流企業と呼ばれている大手の商社だ。本来ならばコースケなどが入社できるようなところではない。ところが、その年に限ってコースケが通っていた大学に求人票が舞い込んだ。何でうちみたいな三流大学にと誰もがいぶかしがったが、企業側にしてみれば、新しい風を吹き込みたかったようだ。コースケはダメもとでエントリーすることにした。応募に手を挙げたコースケに対して誰もが無謀だと言ったが、コースケにしてみれば最初から内定などあてにしておらず、ただ世に言われる一流企業というものの雰囲気を少しだけ味わってみたかっただけだ。ところが、なぜか採用された。肩に力が入っていなかったのがよかったのかもしれないが、たぶん企業の採用担当者にしてみれば一生の不覚だろう。
入社してみると、さすがに周りは名だたる大学の出身者ばかりである。留学経験者も多く、帰国子女もいる。博士号を持っている者も何人もいて、皆自分の強みを活かした仕事をしている。半年の研修期間中、コースケは同期社員たちと共に様々な部署を回らされた。そして半年後、コースケは営業部の顧客管理課に配属された。この部署は、クライアントからの要望に副った商品を紹介したり、ニーズに応えるような提案を行う。実際の商取引は営業課が行うが、社の窓口としてクライアントと関係企業や社内部署との橋渡し役を担う。
配属されてから、コースケは必死になって頑張ったが、元々マイペースで気が回る方ではなく、人と接するのも得意ではなかったため、全く芽が出なかった。それでも上司は、なんとかコースケを育てようと手を尽くしたが、結局すべて空振りに終わり、配属から2年ほどでコースケは異動となった。
新しく配属された先は、業務部にある業務分析室だった。本社はもちろん、国内外の支社の営業状態をデータ化し、それを分析して今後の経営に反映させる部署だ。高度な分析能力が求められるが、当然ながらコースケはそういった能力は持ち合わせていない。配属されてきたコースケを上司はしばらく観察していたが、ほどなくコースケに期待することは諦めた。
 しかし、異動をさせようとはしなかった。コースケが持ち合わせたたった一つの能力が異動を回避させた。コースケは資格こそ持っていなかったが、データ入力のスピードが人一倍速かったのである。データを打ち込み始めると瞬く間に文書に仕上げてしまう。仕上げた後の分析は同僚たちの仕事なので、業務分析室に異動となってから、コースケはほとんど残業というものをしたことがない。同僚たちにしてみれば、コースケがデータを仕上げる作業のほとんどをしてくれるおかげで、いままで入力にかかっていた時間が削減され、分析に没頭できるようになった。
 コースケは業務分析室を訪れた。部屋の中の雰囲気は、相変わらず慌ただしい。顧客管理課に比べると電話の数は圧倒的に少ないが、些細なデータの変化も見逃さまいと緊張感が漂っている。キーボードを打ち込む音、紙を送り出すプリンターの音、静かな部屋にそういった音が響いている。・・・はずなのだが、久しぶりに覗いた部署は少々殺気立っていた。
 「課長、コースケの後釜、まだ来ないんですかぁ?」
 同僚の坂上が課長の清原に尋ねる。
 「とうぶん無理だな。あてにするな。」
 「とうぶん無理って。冗談でしょう? 業務が全く追いつかないんですけど。」
 「そういうなよ。会社にしてみりゃ、コースケが死んだのは俺たちの落ち度からなんだ。そんな部署にほいほい人を回すはずないだろうが。」
 「ええーっ!コースケが死んだのは、全部うちの責任ってわけですか? やめてくださいよ。たしかに多少の責任はあるだろうけど。百歩譲ってうちの責任だとしても、それはそれ、これはこれでしょう? こっちが過労死しちゃいますよ。」
 「まあまあ。監査が終わったら、美味いもん食いに連れてってやるから。」
 清原が苦笑しながら坂上をなだめた。
 そうか、監査があるんだっけ。今月半ばに定期監査が控えていることを、コースケは思い出した。そのための資料作りでやたら忙しいのだ。
 データ作りにいそしむ坂上の後ろで、コースケは作業の状況をのぞきこんだ。
 坂上は、相変わらずぶつぶつと文句を言いながらモニターに向かっている。新規のデータを追加入力しているようだ。しかし、分析力には定評があるが、入力作業はあまり得意としないので作業効率が上がらない。じれったい思いをしながら、コースケは坂上の仕事を見守っていた。坂上が独り言をいう。
 「・・・ったく、なんで死んじまったんだよ。死ぬなら監査が終わってからにしろよな。」
 この言葉を聞いて、コースケは思わず坂上の頭をひっぱたいた。すると、坂上が頭の後ろを押さえる。頭を押さえたまま、辺りを見回す。清原がその様子に気づき尋ねた。
 「どうした、坂上。」
 「いや、今なんか、誰かに頭をはたかれたような気がして・・・。」
 頭を押さえたまま坂上が答えると、清原が笑いながら言った。
 「そりゃあお前、コースケの仕業だろう。死んだ人の悪口言ってるからだよ。」
 「もう、勘弁してくださいよ、課長。」
 頭から手を放した坂上は、再び入力作業に戻った。
 その時コースケは、坂上の後ろで、いま坂上を叩いた手を掲げたまま2号の方に向かってあんぐりと口を開いていた。驚きすぎて言葉が出ない。
 「やってしまいましたね。30KSK1844771。」
 やってしまったって?何?坂上を叩いたこと?
 「感情が先に立ちすぎると、たまにこういうことが起こります。あまり頻繁に起こすと、あちらの世界に行けなくなりますよ。気を付けてください。」
 「感情的になると相手にさわれるのか?」
 「すべての物体に対して力を加えることができます。俗にいうポルターガイストですね。はっきり言って、感心できることではありません。」
 「やりすぎると幽霊になっちまうってこと?」
 「平たく言えば、そういうことです。」
 なるほどねとコースケが自分の手を見つめていると、坂上を呼ぶ声がした。同僚の堀川だ。コースケが坂上の頭を叩いたとき、堀川はかかってきた電話の応対をしていた。
 「坂上さん、経営企画室が資料まだかって催促の電話がかかってきましたけど。」
 「あっ、いっけねえ。持ってくの忘れてたよ。」
 「ついでがあるから、わたし持ってきましょうか?」
 「いい? 助かるよ。」
 坂上は、ファイルボックスからクリアファイルに納めた書類をそのまま使用済み封筒に入れ、堀川に渡した。
 頼むという坂上の言葉にうなずき、堀川は行き先表示板の自分の名前が書かれたマグネットを『在室』から『経営企画室』に移動させたあと、清原に声をかけた。
 「経営企画室に行ってきます。」
 「ほいよ。」
 返事をした清原はにこやかに部下を送り出した。少し痩せたか? コースケが思わず口にすると、2号が答えるように言った。
 「この2ヶ月、大変でしたからね。」
 訊くと、コースケが労災死をしたことで、管理責任を問われ半年間の減俸処分を受けたという。もちろん、業務部の部長や取締役たちも処分対象となり、皆、減俸や降格の憂き目に遭った。他の役付者に対してはさほど気の毒とは思わないが、清原に対しては心底申し訳ないと、コースケは感じた。ひょうひょうとしたこの上司のことが、コースケは好きだった。コースケが同僚たちをイラつかせるような失敗をしても、清原だけは我慢強く不器用なコースケに向かい合ってくれた。減俸だなんて、高校生と大学生の子を抱える身には、堪えるだろう。大体、清原には何の落ち度もない。あの日、コースケが部屋を出るとき、清原は席を外していたのだ。もし清原が席にいたなら、ああいった事態にはならなっただろう。あの日、営業に呼び出しを食らっていた堀川から連絡が入り、参考書類を持って行かなければならなくなった。忙しいこともあって誰も名乗りを上げず、結局コースケが持って行くことになったが、あの時、坂上だけは余裕があったはずだ。しかし、コースケには目もくれなかった。
 思い出すにつれ、コースケはまた腹が立ってきた。坂上にもう一発、と手を上げたとき、その手を思いきり叩き落とされた。
 「何すんだよ、2号!」
 「あなたのためです、30KSK1844771。幽霊になりたいのですか?」
 「俺が死んだのは、こいつのせいでもあるんだぞ。」
 「誰のせいでもありません。シナリオ通りです。」
 「そうかもしれないけど、叩くことないだろ。上司から俺に失礼のないようにって言われてんだろ!?」
 「たしかに失礼のないようにと言われましたが、何をさせてもいいとは言われていません。」
 ああいえばこういう、なんとも腹立たしい奴だ。なんだかこいつをひっぱたきたくなってきた。でも、堪えろ。相手は女だ。女に手を上げる趣味はない。
 2号は何も言わずに手をすっと宙に差し出した。扉が現れる。
 「なんだよ。どこに行くんだ。」
 「家に帰ります。このままここにいては、何をしでかすか分かりませんので。」
 そういうと、2号はおもむろにコースケの脇をしっかりと抱えた。そして、いやだと抵抗するコースケを扉の向こうに引きずり込んだ。

 今日コースケは、朝からほとんどの時間を自宅のリビングで過ごしている。リビングを離れたのは、午前中の一時間程度、掃除をする母の和子に付いて回ったときだけだ。
 それにしても、和子は本当によく動く。
 朝五時に起床すると、朝食の準備をしながら幸造のために弁当を作る。朝食を摂る前に洗濯機を回して、朝食後、幸造を送り出し食器の片づけを終える頃、ちょうど洗濯が終わる。洗濯ものを庭に干すとそのまま庭の草木に水やり。その後、掃除に取り掛かる。普段使っている部屋はもちろん、今は使っていないコースケやコーヘイの部屋も掃除をして風を通す。やっと一息つけるのは昼前だ。
 昼食は質素で、ありあわせの物しか食べない。家族には栄養だのカロリーだのと気を遣うくせに、自分には無頓着だ。無頓着というよりも、すべてにおいて家族優先で自分のことは後回しなのだろう。
 和子は、コースケが中高生の頃、一時期太っていたことがあった。コースケはそれが嫌でたまらなかったが、この生活を見てみると、その理由が分かるような気がする。コースケとコーヘイどちらも基本的に好き嫌いはない。だが、気分で食べる所があって、食べるメニューがどうしても偏ってしまう。コーヘイよりもコースケの方がその傾向が強く、十代後半の頃は好きな物だけ食べて、食べたくないものはよく残していた。和子はその食べ残しをもったいないからと食べていたのだ。当然、カロリーオーバーとなる。和子が太っていたのは、いわばコースケが原因だったともいえる。
 昼食を終えると、和子は近所のスーパーに買い物に出かけた。コースケも付いて行く。母親の買い物に付いて行くなど、小学生の時以来だ。和子はここでも節約志向が働くらしく、安くてよいものを選ぶのに余念がない。家族からのリクエストがない限り、和子は食材の鮮度と値段を見てその日のメニューを決めているようだ。
 買い物を小一時間ほどで終え帰宅すると、乾いた洗濯物を取り込みアイロンがけを始めた。アイロンがけを終えたものは、綺麗に畳まれその場で幾つかの山に分けられてゆく。仕舞う場所ごとに振り分けているようだ。きっとアイロンがけが終わったら、そのまま夕食の支度に摂りかかるのだろう。
本当に息をつく間もない。かあちゃん、少しは休めよ。
 畳んだ洗濯物をそれぞれの収納場所に持って行くときも、コースケはその後ろに付いて行った。
 「まるでストーカーですね。」
 2号が相変わらず感情のこもっていない声で言葉を吐く。
 「人聞き悪いな。でも否定できねーや。」
 「おや、珍しく素直ですね。30KSK1844771。」
 「番号で呼ぶなって。」
 和子が食事の支度を始めた。朝起きてからろくに休憩もとっていない。この後も、風呂を沸かして食事をさせて片付けて、自分が入浴した後は風呂掃除をしてから出てくる。くつろいでいる幸造に茶を入れ、自分も少しだけテレビを観て床に就くのだろう。母は毎日、こんな生活を繰り返していたのか。コースケならとても耐えられない。
 思えば、和子は毎日心づくしの食事を用意して待っていてくれた。コースケはそれを当たり前のように思い、一度も「ありがとう」とか「美味しい」といった言葉を口にしたことはなかったのではないか。幼いころは美味しさや感謝の思いを体いっぱいに表していたように思うが、思春期を過ぎてからはそういうことは全くしなくなった。コーヘイはよく「美味しい」と笑顔で思いを伝えていたが、幸造とコースケはいつもだんまり、何も言わず料理をかき込み、あとはただくつろいでいるだけだった。こんなことになるのなら、もっと「美味しい」のひと言だけでも言ってあげればよかった。
 少し暗い表情をしているコースケに向かって、2号が声をかけた。
 「大丈夫ですか? 30KSK1844771。」
 「だ・か・らぁ。。。」
 コースケは2号のほうに向き直った。
 「番号で呼ぶなよ。俺はコースケだ。」
 「ですから、それはあくまでも生きていたころの呼び名であって、あなたはもう・・・」
 「分かってるって。」
 コースケは2号の言葉を遮り、続けた。
 「そんなことは分かってるって。でもさ、たまんないんだよ。番号で呼ばれると、なんかこう、自分を否定されてるみたいでさ。」
 2号は黙ってコースケを見ている。
 「ずっと番号で呼ぶなとは言わない。せめて、せめてここだけでいいからさ。頼むよ。」
 尚もコースケを黙って見つめていた2号は、少し間を置き言った。
 「こちらの世界にいる間だけですよ。」
 「ありがとう、感謝する。」

 夜も六時を回り、和子の家事も一区切りがついた。もうしばらくすれば幸造も帰ってくるだろう。コースケは、ふと職場のことが気にかかり会社に行きたいと2号に告げた。
 2号は黙って、じっとコースケを見つめている。どうやらいぶかしがっているようだ。昨日の今日だからしかたがないか。
 「大丈夫だよ。もう小野寺のことひっぱたいたりしないから。」
 「・・・本当ですか?」
 2号はまだ疑っている。
 「本当だよ。もしまた昨日みたいなことしたら、二度と会社には行かないから。」
 「・・・わかりました。」
 用意された扉を抜けて、コースケは再び会社に移動した。予想通り、職場の者たちは、皆残業をしている。監査前にはよくあることだ。どんなにきちんと業務をこなし、資料を管理していても、必ずどこかに抜けがある。そして、決まって監査員はそこに目をつける。
 資料を確認する者、ファイリングをし直す者、データの再発行を依頼する者。清原は次々と部下から提出される資料に目を通し、サインをしたり押印したりしている。そして時折、資料の作り直しを命じる。
 「ジャカルタからのデータは届いた?」
 海外支社の資料をチェックしていた堀川が、柿本に尋ねる。分析資料を整理していた柿本が手を止め、あっと声を上げた。
 「まだだぁ!」
 「早く出させないと。向こうもあと一時間足らずで今日の業務終わっちゃうよ。」
 「電話しなきゃいけないかぁ。苦手なんだよなぁ、奴らのこと。」
 「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。早く手を打たないと彼らだって暇じゃないんだし、こっちだって生データを資料に起こすの時間かかるんだから。」
 やり取りを聞いていた清原が書面にサインをしながら、誰にともなく声をかけた。
 「ジャカルタは俺が催促するから、資料作りに専念しろ。」
 そう言った清原は、慣れた様子で電話をし、ジャカルタの担当者と五分ほど英語でやり取りをした。
 「今日中に出すってよ。」
 清原がそう告げたとき、誰かがドアをノックした。
 「失礼します。」
 涼やかな声が部屋に響いた。この声は!部屋の入口を見ると、いつものにこやかな表情で総務部の小野優花(ゆか)が立っている。
 「ご依頼のあった清原課長の名刺をお持ちしました。」
 そういうと、優花はまっすぐ清原に向かって歩いて行った。
 「悪いな。連絡をくれれば取りに行かせたのに。」
 「このフロアにたまたま用事があったんです。ついでだと思いまして。」
 優花は清原に名刺を手渡した。
 「一応、ご確認願えますか?」
 清原はうなずくと、箱を開け中に入った名刺を一枚取り出した。表、裏と印刷された内容を確認する。
 「問題ないよ。ありがとう。」
 「お忙しいところ、お邪魔しました。失礼いたします。」
 優花は清原にお辞儀をして入ってきたドアに向かう。部屋を出るとき再度部屋に向かってお辞儀をした後、ドアを閉じた。いつもながら所作、言葉遣い、すべてにおいて美しい。コースケは、ただただ、みとれてしまう。
 小野優花は、コースケよりも三歳年下の二十七歳。男子社員のあこがれの的である。美人というよりも綺麗といった言葉のほうが似つかわしく、清楚で誰に対しても優しく接する。気配りも行き届いていて、この四年間、「お嫁さんにしたい女子社員№1」の地位を確立している。
 むろんコースケのあこがれの人でもあり、彼女が入社直後、この部署へ研修で来た時に一目ぼれしてしまった。しかし、そんなことを言い出せるはずもなく、五年間ひたすら遠くから見つめるだけであった。
 優花が分析室を出るとき、コースケはふらふらと優花の後を追おうとした。が、2号がコースケの服の裾をつかんで引っ張る。
 「どこへ行くつもりです?」
 「どこだっていいだろ。あー、相変わらずかわいいなー。」
 2号を無視してよだれを流さんばかりの風体で、コースケは尚も優花に付いて行こうとしたそのとき、コースケは思いきり前に突っ伏して倒れた。
 「お前、俺に恨みでもあるのか!?」
 2号がコースケの足を引っ掛けたのだ。
 「恨みなどとんでもない。ただ、いまのあなたに彼女の後を追う理由はないはずです。」
 鼻を押さえながらコースケが2号に食って掛かる。
 「付いてっちゃいけないのかよ!俺の自由だろ!お前はただ俺の近くで俺を見張ってろ!」
 「もちろん、あなたの自由です。自由ですが、彼女に憑りついてどうするんです。あなたが彼女に好意を寄せているのは分かっていますが、付いて行くのはおよしなさい。あなたがつらくなるだけですよ。どのみち・・・。」
 そこまでいうと、2号は慌てて口をつぐんだ。
 「どのみち、なんだよ!?」
 「なんでもありません。」
 「なんでもないこたないだろ。言いたいことがあるなら言えよ!」
 「言いたいことなど、何もありません。」
 「何か言いかけだじゃんか!」
 2号は、しまったというような雰囲気で押し黙った。口を滑らしかけたのは明らかだ。コースケはそれが気になって、ひとしきり2号を問い詰めた。しかし、2号の口は堅く、最後に口にしたのはこの言葉だった。
 「守秘義務が発生しました。」

 午後九時頃家に帰ると、入れ替わりにコーヘイが出て行った。以前は月に一、二度顔を出す程度だったのが、コースケがいなくなってから頻繁に顔出しをしている。両親、とりわけ和子のことが心配なのだろう。
 コーヘイが自分のアパートに帰ると、今までのにぎやかさが嘘のように家じゅうが静まり返った。若い者がいるかいないかでこうも違うものか。俺なんかでも、いれば取りあえずは何かの役に立っていたのかな。コースケは残された両親を見ながら、ぼんやりとそんなことを考えた。
 幸造と和子は、時折言葉を交わすだけで、特に会話らしい会話はしない。テレビの音だけがリビングの空間を包み、静かに過ぎてゆく時間を刻む。しかし、重苦しさはない。三十年余りの結婚生活で得た穏やかさが、そこには流れていた。
 生きていたころから両親のこのような光景を見るたびに、夫婦っていいな、などとコースケはよく感じていた。死んでしまった今となっては、自分には決して叶えられないこととなり、二人には本当に申し訳ない。だが、コースケはいなくなったが、まだ弟のコーヘイがいる。そう遠くない未来、コーヘイが家庭を築き、二人に孫の顔を見せてやれることだろう。
そんなことを考えていると、なぜか無性にコーヘイの顔が見たくなった。あいつが寝るのは、大体十二時前だから、まだ起きているだろう。2号に頼み、コースケはコーヘイのもとを訪れた。

以前と変わらず、コーヘイが暮らす八畳のワンルームは綺麗に片付いている。部屋の中にコーヘイの姿はなく、洗面所の方から音が聞こえる。どうやら風呂に入っていたらしい。
 ふうーっというため息とともに洗面所から部屋に現れたコーヘイの姿を見て、コースケはぎょっとした。コーヘイの顔面は、白い泥のようなもので覆われている。
 「パック中ですね。」
 2号がこともなげに言った。
 「パックゥ!?」
 パックって、あの女子が美容のためにやるあのパック?
 コーヘイはコースケが側にいることも知らず、パックをしたままテレビのスイッチを入れ、音だけを聞きながら小さなソファに身体をゆだねてくつろいでいる。確かにコーヘイは、以前から身だしなみには気を付けていた。男性用の化粧品などもいち早く使用して肌の手入れもしていたし、石鹸の香りがするコロンも愛用していた。しかし、パックまでやっていたとは。
 コーヘイは目を閉じたまま、まるで波にでも揺られているようにゆったりと時間に身を預けている。そのさまは、まるでエステを受けているマダムのようだ。コースケは言葉を失い、呆然として目の前にいる弟を見つめるしか他に術がなかった。
 十分ほどして、コーヘイは洗面所に戻り顔を洗った。タオルで優しく顔を拭きながら、コーヘイは鏡に映った自分を確認し、棚に並べた化粧水を手に取った。やはり棚に置いたコットンを取り出し、化粧水をたっぷり含ませるとゆっくりパッティングを始める。ひとしきり化粧水を肌に納めると、今度は乳液を取り出し顔に伸ばした。最後に掌で顔を包み込む。
 「綺麗になあれ。」
 初めて見る弟の様子にコースケは正直面食らったが、まあこれもいまどきの男子の流行りなのだろうと思うことにした。コーヘイにはコーヘイの考えってものがあるしな。
 その後三十分余り、コーヘイはテレビを観て過ごし、十一時半過ぎにベッドに入った。十分ほど文庫本に目を通す。明かりを消したのは、いつも通り十二時前だった。
 「いっけない!」
 コーヘイが慌てて明かりをつける。「忘れてたぁ」と言いながら手にしたのは、サイドボードに置いたリップクリームだった。コーヘイは、幼いころから唇が荒れやすい。気を付けていないと、すぐに唇が割れてそこから出血する。コースケは、コーヘイがまだ小さいころ、唇に付いた血をよく拭いてやっていたことを思い出していた。
 リップクリームを塗ると、コーヘイは再び明かりを消して眠りについた。
 「おやすみ、コーヘイ。」
 コースケは、2号と共にコーヘイの部屋を後にした。たっぷりと潤ったコーヘイの唇がピンク色に染まっていることに気が付かないままに。

 こちらの世界に帰って来てから、コースケはしょっちゅう会社に顔を出している。死んだ身であるから、当然、仕事もできないし同僚たちと話もできないが、それでも今の状況だからこそできることを楽しんでいるようだ。会長室に行って重厚感のある椅子に座ってみたり、社内でも評判の美女たちを鑑賞しに行ったりと、その時の気分であちらこちらに出没している。本来なら、絶対にできないことだ。
 数ある行動の中でも、特にコースケが気に入ったのが部課長以上が出席する定例会議の傍聴だった。この席では一般社員が知りうることができない情報も飛び交う。その情報の中にも半永久的に一般社員には知らされないであろう情報と時期を見計らって一般社員に下ろされる情報がある。コースケは席上で交わされる会話に聞き入り、時にこれを面白がった。普段偉そうにふるまっている現場の部課長たちが、取締役たちの前では途端におとなしくなる。叱責されると一切の反論もせず、ただひたすら平身低頭で謝り続ける。ちょっと小気味が良い。その反面、普段から温厚で部下に寛容な部課長たちが取締役に叱られているのを見ると、こちらまで縮こまってしまう。
 この日の会議も予定通り、三時に終了した。会議室から出てゆく役付者たちの波に乗るように、コースケも会議室から廊下に出た。コースケの前には総務部長の安倍と総務部課長の曽我が歩いている。
 「小耳にはさんだんだが、小野さん、結婚するのかね?」
 安倍が尋ねる。
 「噂をお聞きになりましたか。まだ確定ではありませんが、そうなりそうです。」
 優花の上司でもある曽我が答える。
 「相手は、あの三条か?」
 「そのようです。」
 「相手が三条ということは、退職・・・か。」
 「おそらく。三条家は格式のある家柄ですから。」
 「若奥様が働きに出るなど、もってのほか、か。」
 そこまでいうと、安倍はふと何か思いついたらしく曽我に尋ねた。
 「ひょっとしてこの間の主任への昇格研修を蹴ったのは・・・。」
 「このことが原因ではないかと。あの時すでに、二人の間では結婚の意思が固まっていたのでしょう。」
 安倍は天を見上げ大きく、ふうーっと息をついた。
 「惜しい人材を失うな。」
 聞き捨てならない話を聞いた。優花が結婚する? 相手はあの三条?
 営業の三条光(あきら)はコースケと同期である。旧家の出で、エスカレーター式の名門校に幼稚園の頃から通っていたが、高校卒業後、通っていた学校の大学には進まず、海外の名のある大学に入った。幼いころから短期留学やホームステイなどを数多く経験し、英語の他にも三か国語を操る。ずば抜けた交渉力と語学力から海外企業相手に営業能力を発揮し、押しも押されもせぬ海外営業のホープとなった。聞くところによると、二十代で課長への昇進の話があったらしいが、まだ現場で経験を積みたいという本人の意向でその話はお流れになったという。
 容姿端麗で人当たりが良く、金持ちで仕事ができる。まさに女子にとっては王子様だ。事実、光は「旦那さんにしたい男子社員№1」の地位をずっと独り占めしていた。
 その光と優花が結婚する。付き合っているという話は直接光から聞いていたが、やはりそうなったか。これが事実となれば、絵にかいたようなカップルである。事実は事実として受け止めたいし、いつかはこんな日が来るという覚悟はしていたものの、コースケにとってはとんでもない痛手である。
 「どのみちって、このことだったのか?」
 コースケが尋ねると、2号は「はい」とだけ答えた。
 そうか、2号はすべて知っているんだな。コースケのことだけではなく、ここで生きている奴らみんなのことを。
 それにしてもショックが大きい。今日はあこがれの優花の顔を見に行くつもりだったが、さすがにその気は失せ、家に帰ることにした。

 家に帰ってからしばらく、コースケは自分の部屋でごろごろしていた。何もする気がしない。といっても、何かできるはずもないのだが。2号は何も言わず、コースケとは少し距離を置いて部屋の隅に座りじっとしている。何も話しかけてはこない。今のコースケには、こうすることが一番だと思ってのことだろう。
 2号は不思議な奴だ。女神候補生というから、それなりの能力は持っているのだろう。実際、言葉も行動も常に冷静だ。悪く言えば事務的である。分厚い眼鏡に隠されて表情は全く読めない。感情の起伏も感じられず、コースケがどれほど熱くなっても、いつも淡々としている。そのくせ、今のような優しさも見え隠れさせる。あの世のことは未だによく分からないが、こいつのことはもっと分からない。いったい何を考えているんだろう。
 午後六時半を過ぎたころ、階下からコーヘイの声が聞こえた。一足先に帰宅していた幸造が声をかける。
 「すまんな。パソコンでどうしても分からないことがあってな。うちの若いもんにはちょっと聞きづらいんだよ。」
 そんな声と共に二人の足音が二階に近づいてくる。
 おかしい、コースケは思った。幸造は、仕事で毎日パソコンを使っている。特別な技術を必要とすることならいざ知らず、普通に使う分には特に困ることはないはずだ。コースケがまだ生きている頃、一度だけ幸造に頼まれて自分のパソコンを使わせたことがあるが、なかなかどうして大したものだった。
 二人がコースケの部屋に入ってきた。幸造がコースケのパソコンを立ち上げる。モニターをみつめながら、幸造はコーヘイに言った。
 「わざわざ呼び出したりしてすまん。」
 「気にしないでよ。で、何が分からないの?」
 「いや、違うんだ。」
 違うって何が?コーヘイの問いかけに幸造は静かに一呼吸してから答えた。
 「母さんの前では言えないからな。コーヘイ、お前、悪いけど家に帰って来てくれないか?」
 幸造の話によると、最近、和子の様子がおかしいことがあるという。普段はいつも通りに元気に家事をこなしているが、時折手を止めてぼんやりしているらしい。特にそれはコースケの部屋にいるときに多いらしく、思うにコースケがいなくなった喪失感から来ているのではないかということだった。
 「お前にコースケの代わりになれというようで心苦しいんだが・・・。」
 コーヘイはしばらく父親の横顔をみつめていたが、やがて「分かった」とだけ答えた。重ねて謝る幸造にコーヘイは明るく話しかける。
 「謝んないでよ。もともとそうした方がいいって思ってたんだからさ。俺も家のことする必要なくなるし。お互いさまじゃん。」
 そして、家に帰るのは、あくまでもコーヘイの意思ということで通そうと、声を落として言った。
 一階から、和子が二人を呼ぶ声がする。二人は和子に聞こえるように返事をし、パソコンの電源を落としてから、夕食を摂るためコースケの部屋を後にした。
 「やっぱ、俺なんかよりもよっぽどしっかりしてるわ。」
 ため息混じりにコースケがそう言って笑う。コーヘイがここに帰ってくれば、和子の気持ちも少しは落ち着くだろう。そして、いずれは嫁を迎え、平凡だが穏やかな日々を皆で送るのだ。自分は、この世界を退場してしまったけれど、残った人たちはそれぞれの場所で生きてゆく。そんなことを考えると、コースケの中で寂しさと同時に安心感が芽生えてきた。
 「よっし。明日も会社に行くぞぉっ。」
 おや、と2号が言う。
 「もう立ち直ったのですか?早いですね。」
 「いつまでうじうじしてても始まんないもんなー。ということで、明日もヨロシクッ!」
 呆れたように、しかし安心したように、2号がくすりと笑った。

 その日、光は三週間ぶりに本社に出社していた。このところずっと出張続きで、しかも行き先はすべて海外ということもあり、思うように優花と連絡が取れなかった。自動販売機が設置された社内奥にある休憩室で、人がいない時間を見計らって二人は落ち合った。そのとき、たまたま社内をうろうろしていたコースケは、その場に出くわした。二人とも声を押さえている。
 「それじゃあ、土曜日、十時に迎えに行くから。」
 「うん、お願いします。それはそうと、お母様、何かお好きな食べ物はある?」
 「いいよ、気を遣わなくても。」
 「気なんか遣ってないわ。ただ、お邪魔するばかりかお昼までごちそうになるなんて申し訳ないもの。気持ちよ、気持ち。ね、何がお好きなの?」
 光はほほえみながら老舗和菓子店の人気商品の名を挙げた。
 「分かった。」
 優花はそういうと、にっこりと笑った。
 「仕事中にごめん。」
 「いいのよ。こちらこそ時間を割いてくれてありがとう。そういえば今夜、海外からのお客様との食事会でしょ?行ってらっしゃい。」
 「ああ、ありがとう。また連絡するよ。」
 優花がうなずくと、二人は時間をずらして休憩室を離れた。
 結婚に向けて本格的に始動するようだ。どうやらこの週末に、優花が光の両親に挨拶に行くらしい。光の両親にとっては、三条家の花嫁候補との面接ということになる。光の両親はともかく、優花には大変なストレスだろう。コースケは優花に向けて、心の中で「がんばれ」とエールを送った。

 「どうしてあなたが同席する必要があるんです?」
 眼鏡に隠された2号の目から冷たい視線が投げかけられる。コースケは素知らぬ顔で、2号を伴い光の車に乗り込んだ。
 「ほら、俺たち同期だからさ。気になって気になって。うまくいってほしいんだよなー、二人には。」
 コースケは適当に御託を並べる。コースケの興味の対象は、もちろん二人の行く末にもあるが、それ以上に三条の家にそそられていた。入社半年後、同期社員全員の配属が決まったとき、お祝いにと三条の家に招待されたことがある。このとき、コースケは祖父の法要が入っていたため参加できなかったが、出席した他の同期たちの話を聞くと、三条の実家はとんでもない豪邸らしい。広い敷地の中に庭園ばかりか、昔ながらの蔵まであるらしく、その話を聞いた時から一度でいいからこの目で見たいと、コースケはそう思っていたのである。
 「でもさぁ、なんだかんだ言って、おまえだって一緒に来てるじゃん、2号。」
 コースケがにやりとしていうと、
 「それは・・・。」
と、言葉を詰まらせ、2号は眼鏡を指で少し押し上げた。
 光の実家は、はたして想像以上の立派さだった。いかにも格式を誇るような重厚な門構え。時代劇に出てくる武家屋敷のようだ。光の車が門の前に到着すると、年配の男性がさりげなく近づいて来た。一礼してドアを開け二人を車から降ろすと、運転席に乗り込みゆっくりと発進させる。車を駐車場に移動させるようだ。
中に入ると門から玄関まで連ねられた垣根沿いの細い小道に小石が敷き詰められ、その道なりに飛び石が配置されている。玄関に入り光が声をかけると、奥から静かにしかし小走りで年配の女性が出てきた。出迎えの挨拶もそこそこに二人を部屋へと案内する。光とのやり取りや振る舞いから察するに、ここで働いているお手伝いさんか何かだろう。コースケと2号も後に続いた。
 「ただいま。」
 光は両親に挨拶をする。六畳ほどの座敷には、光の両親と思しき男女が座っていた。二人とも穏やかな表情で佇んでいるが、名家の人らしく、圧倒されそうなほどの風格と気品を漂わせている。優花は部屋の入口の廊下に正座し、
 「小野優花と申します。本日はお招きいただき、ありがとうございます。」
と、うやうやしく頭を下げた。
 「堅苦しい挨拶は抜きにして、さあさ、お入りなさい。」
 光の母がほほえみながら促す。優花は、「失礼します。」と言って部屋に入り、光の隣に着座した。
 「お母様がお好きだと伺いまして。」
優花がそう言って風呂敷を開き手土産を渡した後、差し障りのない会話が交わされた。
コースケはしばらくその光景を眺めていたが、やがて何を思ったか光と優花の間にちょこんと座った。ぽかんとした表情で首をぐるりと回して部屋を見渡す。六畳間といってもコースケの実家のそれよりも広いようだ。昔ながらの造りのせいだろう。ひと時部屋の中を穴が開くほど見た後、次は対座した光の両親を眺める。光の父親は、幾分がっちりした体つきで顔立ちは柔らかいが、時折鋭いまなざしを見せる。一方、母親の方はかなりの美人だ。年齢を重ねてこの美しさならば若いころはもっと艶やかだっただろう。光の端正な顔立ちは、どうやら母親譲りらしい。光の両親をひとしきり観察すると、コースケはすっくと立ち上がり、座卓を回り込んで今度は光の両親の間に座った。
目の前に光と優花がいる。コースケはまず光を見た。本当に見事な美男子(イケメン)だ。整いすぎていて腹が立つ。殴ってやりたいほどだ。でもそんなことをしたら、2号にあの世へ強制送還されるのは目に見えているので、じっと我慢する。それに光自体に恨みもないし、そもそもいい奴だものな。仕事もできるし、このまま順調に行けば最高責任者だって夢ではないだろう。優花の将来は保障されたようなものだ。
続いて優花に目を移す。今日の出で立ちは白いレースの襟が付いた紺色のワンピースだ。デザインのシンプルさと白と紺の色合いが、清楚さをより一層引き立たせている。緊張した面立ちは抱きしめたくなるほど儚げである。でへへ、とコースケは鼻の下を伸ばした。
光の両親は笑顔を絶やさないが、息子の花嫁候補をぬかりなく観察している。言葉遣いやしぐさ、ひとつひとつ、すべてが採点の対象なのだろう。
ほどなくして、四人は昼食を摂るため別室に移動した。当然ながら、コースケは皆に付いて行き、2号もそれに続く。
用意されていたのは、和食だった。メイン料理は焼き魚で、切り身ではなく一尾が丸ごと供されている。
光の父が箸を取るのを確認してから、皆、食事を摂り始めた。コースケは最初、光の両親の間に座っていたが、すぐに光とその父親が座っている方の四人全員を見渡せる場所に席を変えた。
相変わらず光の両親は、にこやかにさりげなく優花の様子を見ている。魚を綺麗に食べるのは難しい。また、和食においての箸使いは育ちが出るというのを聞いたことがある。コースケも幼いころ、箸使いを徹底的に教え込まれた。だから箸の持ち方はきちんとしている方だが、魚を食べるのは苦手だった。どうしても、皿の中が小骨で散らかってしまう。よく和子に注意されたものだ。
 優花は、というと、とても美しい箸使いをする。魚も骨を綺麗に取り除き、食べ終わった後は、ひとかけらの身も残っていない。たとえは悪いが、猫も顔負けだ。コースケは手を叩いてひとり感動した。これなら、いくら光の両親といえども合格点を与えるだろう。
 「お持たせでごめんなさいね。」
 一通りの食事が終わった後、デザートとして優花が手土産に持ってきた和菓子がふるまわれた。少し緊張がほぐれたのだろうか、優花の表情から硬さが消えた。
 「優花さん。」
 光の母が声をかける。
 「お分かりとは思いますけど、もし、光と結婚ということになれば、お仕事は辞めていただくことになります。それはよろしいのかしら?」
 優花が、大きく目を見開いて光の母、そして父をみつめた。
 「はい、承知しております。」
 一呼吸して優花が答えると、光の母はにっこりと微笑んで言った。
 「そう、それはよかった。」

 緊張の時間が過ぎ、優花が帰宅することになった。玄関に続く廊下を歩きはじめると、すぐに光が呼び止められた。優花には先に車で待っているようにと告げる。優花の姿が見えなくなるのを確かめてから、光の母が言った。
 「お仲人さんを立てなくてはね。良いお嬢さんだわ。お父様は区役所にお勤め、お兄様は地方銀行で主任を務めてらっしゃる。お姉さまの旦那様は中堅だけれど、しっかりした家電メーカー。家柄はともかくとして、みなさん評判も悪くないようね。」
 「彼女のこと、調べたの?」
 光の顔色がさっと変わった。
 「当然だろう。」
 光の父が口をはさむ。
 「お前と結婚するということは三条家の人間になるということだ。三条家の人間になるということは、単に良いお嬢さんというだけでは困るんだ。わかるな。」
 なんだよ!息子の選んだ人を信用できないってのか!?コースケは光の両親の後ろで、がつんと言ってやれという風に、拳を振り上げて殴るような素振りをした。子どもがテレビカメラに向かって意味もなく行うパフォーマンスのように体中でアピールをする。しかし、その姿は2号にしか見えない。光は何か言いたげだったが、ぐっと言葉を飲み込んだ。

 三条家を後にしてから、コースケはずっと憮然としている。これでいいのだろうか。光と一緒になれば必ず幸せになると、ずっと、ただ単純にそう思っていた。でも、本当にそれで優花は幸せになれるのだろうか。光のもとに嫁げば、経済的には不安がないだろう。しかし、それと同時に家柄という重いものが一気にのしかかってくる。
 自分の部屋の中、コースケはベッドの上で膝を抱えた姿勢をとり、窓の外を見ながら机の前に座っている2号に声をかけた。
 「なあ、2号。おまえ、俺以外の人の運命も知ってるんだよな。」
 「ええ、まあ。」
 コースケは膝をほどき、2号の方に向かって座りなおした。
 「てことは、優花ちゃんのことも分かってるわけ?」
 「・・・一応・・・。」
 「そっかぁ。んで、どうなんだ。三条と結婚して、優花ちゃん、幸せになれるのか?」
 「それは。」
 2号が姿勢を正してコースケに向き合う。
 「幸せかどうかは本人が決めることでしょう。」
 「そうかもしれないけど、今日のあの雰囲気見る限りでは、優花ちゃん、この先気苦労が絶えないんじゃないか?それで幸せっていうのかな。それともそのうち、あの家風が当たり前になってくるのか?」
 「さあ?」
 「いや、さあ、じゃないだろ。どうなんだよ。この先、優花ちゃんはどんな運命をたどるんだ?」
 「さあ?」
 「さあ、って。聞いてるんだから、ちゃんと答えろよ。この先どうなるんだ?」
 「さあ?」
 コースケは、手を変え品を変え2号に尋ね続けたが、「さあ」としか返って来ない。
 「いいかげんにしろ!答えろってば!」
 2号が黙り込んだ。コースケが何を言っても返事もしない。
 「なんだよ!また、守秘義務か!?」
 「そうです。」
 「もういい!!」
 これ以上、2号に何を聞いても無駄だろう。コースケは優花の未来を聞くことは諦め、気分転換にコーヘイの所へ行くことにした。
 コースケにとってコーヘイは、幼いころから癒しを与えてくれる存在である。あの雰囲気に触れるだけでほっとする。この前顔を見せたときに実家に戻ることが決まったから、今頃は荷物の整理を始めているに違いない。部屋を訪ねると、案の定、コーヘイは持ち物の分別をしている最中だった。どうやら着るものと着なくなったものを分けているようだ。折りたたまれた衣類をいったん広げ、確認をしてから左右に分けた山にそれぞれ重ねてゆく。淡い色調をベースに赤や黄色の原色が混じっている。随分とカラフルだ。Tシャツにパンツ、スカートにワンピース。。。。えっ!? スカート!? ワンピース!? カノジョのものか?いや、違う。コーヘイは、ここ何年も付き合っている女の子はいないはずだ。
 そのとき、コーヘイのスマホが鳴った。
 「もしもし。ああ、山ちゃん?」
 片手を動かしながら、コーヘイが受け答えをする。
 「うん、いるよ。ううん、特に予定は入ってないけど・・・・。えっ、ほんとに?うん、分かった。じゃあ待ってるから・・・・。」
 どうやら誰かが訪ねてくるらしい。しかしコーヘイは、客を出迎える用意をすることもなく仕訳を続けた。様子から察するに、来るのは気の置けない友人なのだろう。
 五分ほど経った頃、玄関のチャイムが鳴った。「はーい」と返事をしながらコーヘイがドアを開ける。訪ねてきたのは、痩せ形の小男と背はあまり高くないが少し肉付きの良い二人の男性だった。が、何か普通と違う。なんだろう。
 「散らかってて、ごめんね。今、着る物を整理してたの。」
 コーヘイは二人を招き入れ、お茶の用意を始めた。手早く三人分の茶を淹れリビングの小さなテーブルに置くと、二人の前にゆっくりと座った。
 「実家に帰るって聞いたけど、ほんと?」
 一口茶をすすってから、小男が口を開いた。あれ?この声?コースケは今一度、小男をよく見る。
 「うん。」
 コーヘイがこくりとうなずく。
 「親には、ちゃんと打ち明けたの?」
 間違いない!こいつ、女だ!幾分、低めの声だが、男のそれとは違う。体つきも顔立ちも明らかにそうだ。コーヘイは女の問いに、ほほえみながらも寂しげに答えた。
 「ううん、言ってない。ってか、言えるわけないじゃん。」
 「言ってないって、どうすんの? ずっとこのまま男として生きてゆくつもり?」
 もう一人の客人が尋ねる。こちらは、どうやら見かけどおりの男のようだが、何かしっくりこない。それにしても、男として生きるって、どういうことだ?
 コーヘイは湯呑をゆっくりとテーブルの上に置きながら、伏せ目がちに諦めたような声で言った。
 「仕方ないよ。親にしてみれば、兄ちゃんが死んじゃって、もうアタシしかいないんだからさ。」
 コーヘイ、今、なんて言った?アタシ?
 「だからって、これから一生、自分に嘘をつきながら生きていくわけ?第一、あなたは亡くなったお兄さんとは違うでしょ?お兄さんの身代わりとして生きるつもり?」
 「そんなんじゃない」と言いながら、コーヘイは大きくかぶりを振った。
 アタシって、呆れるほどの兄ちゃんっこなんだよね、そう言ってコーヘイは顔を上げた。今度は二人にまっすぐ視線を向ける。
 「兄ちゃんは、ものすごくアタシのことを可愛がってくれたの。一度も喧嘩したことないし、いつもアタシのわがままを聞いてくれた。いつもいつも、アタシのことを気にかけて、心配して。何かと面倒見てくれた。ちっともカッコよくなかったし、アタマがいいとかスポーツ万能とか、そういうんじゃなかったけど、アタシにとっては、まさに理想のヒトだったんだよね。何よりも家族想いでさ。なのに、突然死んじゃって・・・。うまく言えないけど、恩返しっていうか、何かできたらと思ったの。生きてる間、アタシ、兄ちゃんになんにもしてあげられなかったから。甘えてばかりで・・・だから・・・。」
 コーヘイの頬を一筋、涙が伝い落ちる。それを皮切りに、次から次へと涙が溢れてきて、止まらなくなった。
 コーヘイの嗚咽だけが部屋の中を満たしてゆく。
 目の前で起きている出来事に絶句して、コースケの頭の中は、訳の分からないものでいっぱいになり、ぐるぐると回り続けていた。まさか、いや、そんなはずはない。でも、いや、違う。
 コースケの様子を見て取った2号は、おもむろにコースケに問いかけた。
 「弟さんは、性同一性障害なのです。気が付かなかったのですか?」
 気が付くも気が付かないもない。まったく予想もしなかったことだ。と、そのとき、コースケの頭に幼いころの記憶が、まざまざとよみがえった。
 コーヘイは物心ついたころから、よく従姉や近所の女の子たちのままごとの相手をさせられていた。それがあまりに頻繁だったので、あるとき、コースケは「嫌なら嫌って言ってもいいんだぞ」と言ったことがある。しかし、この言葉を聞いたコーヘイはきょとんとして、「なんで?僕、嫌じゃないよ」と答えた。
 そして、それからしばらくの後、コーヘイはままごとセットが欲しいと母にせがんだのだ。母の和子は、「男の子が、何言ってるの」と笑って相手にしなかったが、今思えば、あれはコーヘイが普通じゃないという兆しだったのか。
 「どうやら思い当たる節があるようですね。」
 2号がいつものように何の感情も込めず、言葉を続けた。
 「弟さんは、外見はまぎれもなく男性ですが、内面は女性なのです。」
 一瞬、コースケの頭の中が真っ白になる。
 「いやだ・・・。」
 「え?」
 コースケは、2号の方に向き合い勢いづけて言った。
 「嫌だ、絶対嫌だ!そんなこと信じられるかよ!」
 2号は、落ち着き払って受け答える。
 「信じられるも何も、これは真実なのです。認めざるを得ません。」
「認められるかよ!俺の弟がオカマだなんて!」
 「オカマではありません。性同一性障害です。」
 「同じことだろっ!」
 「違います。」
 コースケは、歯ぎしりをした。腹が立って仕方がない。
 「帰るぞ!」
 いら立ちを隠そうともせず、2号に向かってひとこと言うと、コースケは、その後しばらく口を利こうとしなかった。

 突き抜けるような青い空の中を、白い雲が、時折、漂うようにゆっくりと流れてゆく。コースケはベッドに寝転んだまま、ぼんやりとその様を眺めていた。家に帰って来てから、2号はしばらく部屋の隅で膝を抱えて黙ってコースケを見ていたが、さすがに飽きたのか、今は本を読んでいる。といっても、コースケの所持している本ではない。コースケが持っている本といえば、読み物とはいいがたい趣味まがいの本ばかりである。とても2号が関心を示すとは思われない。今朝がた、2号は自身の胸の前に掌をかざした。すると次の瞬間、その掌の上に本が一冊現れた。今読んでいるのはその本だ。本に目を通しながらも、2号はちらちらとコースケの様子をうかがっている。
 コースケは大きくため息をついた。帰宅してからため息ばかりついている。ため息をつきながら、コースケは何度も昨日のことを思い起こしていた。
 「2号・・・。」
 コースケが2号に声をかける。およそ半日ぶりの言葉だ。2号が返事をすると、コースケは視線を外に向けたまま尋ねた。
 「昨日、コーヘイの部屋に来ていた奴らだけどさ。あいつら、オカマとオナベか?」
 不適切な表現ですね、と言いながら、2号が答える。
 「女性の方は、弟さんと同じ性同一性障害です。既にカミングアウトをしていて、性転換手術も受けています。今は、男性として生きるべくホルモン療法もしていますよ。男性の方は、ゲイですね。幾分女性寄りですが、性転換は望んでいません。あのお二人が、どうかしましたか?」
 「いや、なんでもない。ちょっと聞いてみただけ。」
 コースケは、またもやため息をつく。何と表現すればいいのだろう、この気持ちを。もちろん、コーヘイが女として生きたがっているなどと、今も認めたくない。コースケは昨日まで、自分がいなくてもコーヘイがいるから大丈夫などとのんきに考えていた。コーヘイが両親のもとに帰ってくれば、すべて丸く収まると。しかし、事は、そう簡単ではないらしい。コースケとしては、このままコーヘイが今まで通り男として生きてくれることを願っている。それが一番平和に過ごせる方法なのだ。
 そのとき、コースケの脳裏に、昨日のコーヘイの涙がよみがえった。あの涙は、コースケを偲んでの涙だったのか、それとも自分の心とはうらはらの生き方をしなければならない嘆きの涙だったのか。およそ、自分の性別に違和感など持ったことのないコースケに、分かるはずもない。
 欲しくてたまらなかった弟がやって来たのは、コースケが五歳の時だった。真っ赤な顔をして泣くことでしか思いを表現できない小さな命を、コースケは、ただ、ただ、瞳を輝かせて見つめた。弟ができたことで、母がかまってくれる時間は激減し、それは不服だったが、弟の世話をする母の横で、コースケはひたすら、ひとつひとつの反応を、しぐさを、見守り続けた。母はそんなコースケを邪険に扱うことなく、それどころか、コースケにできそうなことを見つけては、子育ての手伝いをさせた。
 といっても、五歳の子どもにさせることだ。できることは多くない。そこにある物を取らせる、手伝いのメインはそれだった。手が届く範囲にあるにも関わらず、母はわざとタオルや着替えなどをコースケに取ってくれるよう頼んだ。コースケが母に頼まれたものを取って手渡すたびに、母は「ありがとう」と言って受け取る。そして赤ん坊に向かって、「お兄ちゃんが取ってくれたタオルできれいにしようね」とか「お兄ちゃんが渡してくれたお洋服に着替えようね」などと言ってコーヘイの世話をするのだった。
 母のそうした対応がよかったのか、コースケは誰よりも弟を可愛がるようになった。コーヘイが言っていたように、兄弟げんかというものをしたことがない。成長するにつれ、コーヘイは生意気を言ったり、拗ねたり聞き分けがなかったりということもあったが、なぜかコースケはそれさえも笑って済ませることができた。のんきなわりに気は長くない、そういった性格のコースケには信じられないことだった。
 長じてからもよく行動を共にし、コースケが服を買いに行く時などは、決まってコーヘイが一緒だった。コーヘイは、さりげなく流行を取り入れながらも、兄の雰囲気と好みに合ったコーディネイトを仕上げてゆく。そのおかげで、「センスが良い」とコースケの私服はいつも好評だった。特に女子には評判がよく、今思えば、コースケの服は男ではなく女目線で選ばれていたのだろう。
 コースケは、またひとつ大きなため息をつくと、寝返りを打った。

 コースケが会社を訪れたのは、一週間余り経ってからだった。あれ以来、口数が少なくなり、2号に対して憎まれ口も叩かない。
 会社に着くと、コースケは何も言わず総務課に赴き、ずっと優花の様子を見ていた。
 行き届いた接遇、的確な後輩への指示、処理しなければならない書類の山を次々にてきぱきと片付けてゆく。まったく普段と何ら変わりはない。
 時に、結婚が決まると浮ついた調子になる社員もいるが、優花からはそういった様子はみじんもうかがえない。と、その時、課長の曽我が優花を呼んだ。何か書面を手にしている。曽我は招くようなしぐさで、優花を別室へと誘導した。
 どうやら面接のようだ。
 コースケも当たり前のように二人に従った。
 小さな会議机を挟んで、二人は向かい合って座った。
 「まずは、おめでとうを言わせてもらうわね。」
 曽我がにっこりと微笑んで優花に告げる。優花は「ありがとうございます」と言って、軽く頭を下げた。曽我は微笑んだまま小さくうなずくとおもむろに書類を取り出し、雑談を交えながら面接を始めた。退職理由、希望退職日、退職後の連絡先など、ゆっくりと丁寧にひとつひとつを確認してゆく。
 優花も曽我に合わせるように、丁寧に受け答えをする。その顔は、いつもと同じく柔らかな笑顔だ。しかし、その笑みはどことなくぎこちない。緊張しているのか?いや、それはないだろう。聞くところによると優花は曽我をとても慕っており、私的な悩み事も相談していたらしい。実際、プライベートな場面で二人が街を歩く姿を、コースケも何度か目にしていた。
 今更、変に緊張するような間柄ではない。
 それは曽我も気が付いていたようだ。一通りの事務的な質問を終えると、軽くため息をついて笑いながら優花に言った。
 「こらあ、顔が固まってるぞ!」
 優花は、え?というような表情をした後、小さく「すみません」と言って頭を下げた。
 「どうしたの。女子社員の羨望を集める人が浮かない顔して。何か、気がかりなことでもある?」
 「いえ、別に」と答えたものの、やはり優花の表情は硬い。しばしの間の後、優花はおずおずと曽我に後任の人事について尋ねた。曽我は、何人かに振り分けるが、主だった業務は優花より二期後輩の大伴に任せるつもりだと告げた。
 肩を落とすように、優花は「そうですか」とだけ答え、笑みを浮かべながらも寂しそうに机の上にある書面をみつめた。
 曽我は、そんな優花の様子を少しの間黙って見つめていたが、やがて身を乗り出すようにして机に両肘をつくと、声を落として尋ねた。
 「小野さん。ひょっとしてあなた、仕事辞めたくないの?」
 落としていた視線をふいに上げ、優花は驚いたような瞳で曽我をまっすぐ見つめた。のどが小さくこくりと音を立てる。
 「やっぱりね。なんとなくそんな気がしてた。」
 これにはコースケもびっくりした。え?優花ちゃん、仕事辞めたくないの?でも、光の両親には辞めるって言ってたよな。コースケは2号の顔を窺う。何の反応もない。
 「三条君は、あなたの気持ち知ってるの?」
 曽我が尋ねると、優花は大きく頭(かぶり)を振った。
 「よ、ねえ。」
 曽我はそう言うと、腕を頭の後ろに持って行き、手を組んだ。何度も、「そっかあ」と繰り返す。
 しばらくの沈黙の後、曽我は再び腕を机の上に下ろし、優花に向かって言った。
 「なんとかしてあげたいけど、これはあなたと三条君の問題だから口出しできないわ。」
 曽我にとって優花は、有能な部下だ。失うことは大変な痛手である。かといって、結婚後のことに口を挟む権利はない。光と優花の二人で決めるしかないのだ。優花もそれは分かってはいるが、やはり頼りにしている曽我に突き放されたようで悲しい。優花の大きな瞳が、心なしか潤んで見える。
 「私の今の連れ合い、二人目だって知ってるよね?」
 いきなり曽我が切り出した。
 曽我は、バツイチだ。コースケが入社したころ、曽我は国内営業で主任としてバリバリ仕事をこなしていた。結婚後も営業職にとどまっていたが、一年ほどして総務へ異動となった。本人から異動申請があったらしい。クライアントあっての営業職は、どうしても超過勤務になりがちだ。また、出張も他の部署に比べると圧倒的に多く、プライベートは後回しになる傾向がある。ましてや主任ともなれば、家庭との両立も難しかっただろう。何事も冷静に見極め、判断する曽我ならではの決断だったと思われる。
 しかし、総務に異動して二年足らずで、曽我は離婚した。
 「たしか、最初のご主人は家のことは何もなさらなかったとか。」
 曽我の言葉を受けて、優花が言った。
 「そう、縦の物を横にもしないってタイプ!」
 笑いながら曽我が答える。
 「今のご主人は、なんでもご自分でなさる方なんですよね。」
 そうそう、と曽我がうなずく。
 「離婚ってお奨めできることではないけど、前のご主人とは別れて正解でしたよね。」
 うーん、と曽我が宙を見上げて腕組みをした。
 「周りのみんなにそう言われたし、自分でもそう思ってたわ。別れる前は、何でこんな人と一緒になっちゃったんだろうって思ったこともあったし。」
 でもね、と元の体勢に戻った曽我は言葉を続けた。
 「冷静になって考えてみれば、彼は何も悪くなかったのよ。」
 前の夫とは学生時代からの付き合いだったらしい。自分のこともろくにできない人で、付き合っている頃から彼の部屋の掃除や洗濯は曽我がやっていたという。そんな彼と結婚が決まったとき、仕事を続けたいと曽我はためらいなく告げた。彼はあっさり「いいよ」とだけ答えたという。
 「これが大きな勘違い!」
 曽我は、尚も笑いながら茶化すように言った。
 妻が働くことに納得しているのだから、当然、自分のできることくらいはしてくれるだろうと曽我は期待していた。しかし、相変わらず夫は何一つせず、曽我が残業で遅くなっても散らかった部屋でひたすら帰りを待ち続け、帰って来た妻に向かって「腹がすいた」を連呼するばかりだったという。コンビニで惣菜を買ってくることすらしなかった。
 曽我の苛立ちは日毎に募り、当然、喧嘩が絶えなくなった。ある日、喧嘩で
「私も働いているんだから、何かひとつくらい手伝ってもいいじゃないの!」
曽我がそう言ったとき、夫から帰って来たのはこんな言葉だった。
 「誰が働いてくれって頼んだよ!」
 それから二人の仲は日増しに険悪になり、転がるように別離への道をたどった。
 「思えば、あの言葉が私たちの温度差を如実に物語ってたのよねー。」
 曽我が呟く。
 環境が変わったからといって、そうそう簡単に考え方や性格は変わらない。ましてや、曽我は付き合っていたころから前夫の世話を焼き何もさせなかったのだ。結婚して共働きになったからといって、夫が考えを改めようはずがない。すべて自分が甘やかしてしまった結果なのだと曽我は苦笑した。
 「あの時は、好きっていうだけで結婚に突っ走っちゃったけど、もっとよく話し合うべきだったのよね。」
 だから、と曽我は話を続けた。
 「喧嘩してもいいから、三条君とありとあらゆることを話し合いなさい。あなたはなんでも穏便に済ませようとするところがあるけど、時にはぶつかることも必要よ。」
 優花は、大きな目を見開いたまま、じっと曽我をみつめている。曽我は、そんな優花に向かって、再びにっこりと微笑んだ。

 なんてこったい。まさに想定外!優花が仕事を続けたがっていると知り、コースケは何度も驚きの声を上げた。
 「仕事への欲が出てきたのでしょう。」
 2号がさらりと言ってのけた。
 「欲?」
 コースケがきょとんとした顔で聞き直す。
 「そう、仕事の本当のおもしろさが分かって来ていたのです。出世や周りからの評価抜きで、純粋に自分なりに仕事を楽しめるようになった。その矢先に結婚が決まって仕事を辞めなくてはならなくなったのです。」
 えー、でも・・・とコースケが2号に尋ねる。
 「光と結婚しちまえば、無理に働く必要ないだろ?それどころかお手伝いさん付きの生活じゃん。これって、女子の憧れなんじゃないの?」
 「一概にそうとも言えませんよ。たとえば、男性についても考えてみてください。皆が皆、仕事一筋ですか?家事の方が好きっていう人はいませんか?」
 あー、とコースケは、分かったような分かっていないような曖昧な声を上げた。
 それにしても、だ。優花のことといい、コーヘイのことといい、予想もしていなかったことばかりが起きている。というより、生きている頃はそういった微妙なことを感じていなかったし、考えもしなかった。実際は、コースケの知らないところで、そういったことはずっと起きていたのだ。
 「面倒くせーな。」
 曽我と優花の後から再び総務の事務所に戻ったコースケは、そう呟いてしばらく社員たちの仕事ぶりを見ていたが、ふと思いついたように、今夜、久しぶりにコーヘイの部屋に行くと言い出した。
 「別に、あいつのこと認めたわけじゃねーからな。心配もしてねえし。」
 言い訳がましくそんな言葉を発するコースケに、2号は口元だけで少しにやりとして
 「承知しました。」
とだけ答えた。

 引っ越すまでに日があるからか、コーヘイの部屋にはまだ荷物らしきものが見当たらない。しかし、家具のいくつかに小さな紙切れが貼り付けてあり、よく見ると名前らしきものが書きつけてある。実家に戻れば、持っている家具の大半は必要なくなる。おそらく、書き付けた名前の主に譲るのだろう。
 コーヘイはリビングのソファに腰かけて、ぼんやりとコーヒーをすすっていた。まだ、吹っ切れていないらしい。時々、小さくため息をついている。そんなコーヘイの姿を見て、コースケはぽつりと言った。
 「別に、今まで通り男として生きればいいだけじゃん。」
 2号が口を挟む。
 「そう簡単に行くでしょうか。」
 「今までできてたんだから、できるだろ。」
 「本人にしてみれば、想像以上にキツイと思いますよ。」
 2号が答えると、コースケはついと彼女のほうに向き直って言った。
 「えらくコーヘイの肩持ってね?」
 「なんとなく気持ちが分かるのです。私もある意味マイノリティですから。」
 この言葉を聞いて、コースケは、えっ、と引いた。
 「2号、お前、オナベだったの?」
 違いますよと答えた後、2号は静かに言葉を続けた。
 「私は、とんでもない出来損ないなのです。」
 あの世で職員として働くとき、皆、実体を与えられるという。いわば身体だ。それは、死者が不安がらないような怖がらないような、出来具合の物と決まっている。実体は、原則ひとりにつきひとつ。職員として採用された段階で、それは作られる。2号が職員となったときも、2号用に実体が作られた。しかし、出来上がったものは、前代未聞の不良品だったという。これでは、死者たちに悪い影響を及ぼすかもしれないと物議をかもしたが、結局、その不良品をあてがわれることになった。
 「作り直しはできなかったのかよ?」
 コースケがそう尋ねると、
 「実体ごときに、余分な予算はかけられませんから。」
 2号が静かに答える。予算か・・・。どこの世界も一緒なんだな。コースケは何気なく思った。
 出来損ないの実体を与えられた2号は、職場の配慮により、可能な限り死者たちの目に触れない業務に携わることになった。それでも、もしもの時に備えてと、メタボ女神は2号に眼鏡を渡して、常にこれを身に付けるようにと告げたという。
 自分のすぐそばでそんなやり取りがされていることなど知るはずもないコーヘイは、マグカップを両手で持ったまま、天井に向かってふうーっと大きく肩でため息をついた。コースケはコーヘイの隣に座り、じっとその様子を見ながらじれったそうに言った。
 「もう、観念しろよ。今まで通り男として生きろってば。」
 しかし、その声はコーヘイには届かない。暗い表情のまま、ひと口コーヒーを含んだ。
 思えば、コーヘイのこんな顔を見るのは初めてだ。コースケの知る限り、コーヘイはいつもくったくなく笑っていた。明るくてひょうきんで、愛くるしい性格は誰からも愛されていた。そのコーヘイが、今、重い悩みを抱えて沈み込んでいる。コースケの胸が、かすかに、きゅっ、と、うずいた。
 これも、シナリオ通りなのか?そうだとしたら、なんでわざわざこんな設定にしたんだよ。自分が苦しむのは目に見えているだろうに。弟が女になることは、どうしても納得できないし認められない。でも、悩み苦しむ姿は見たくない。コースケはコーヘイの隣で、なんとか男に戻るすべはないのかと考えた。
 2号にコーヘイの未来について聞きたかったが、守秘義務と言って、どうせ答えはしないだろう。コースケは、うーん、と頭を抱え込み、コーヘイと一緒になってため息をついた。

 定例の営業会議を終え、光は一服しようと休憩室に立ち寄った。椅子が置かれていない部屋の中、小さな丸いテーブルの上に置いたタブレットとノートをみつめながら、昨日の優花とのやり取りを思い出している。
 昨日、二人は休みを取って新居を探しに出かけた。といっても一から物件を探すわけではなく、光の親戚のつてで既にいくつかの候補は上がっていて、二人はそれらの物件すべてを半日あまりかけて見て回ったのだ。
 どの部屋に住むか、見終わったとき二人の気持ちはもう決まっていた。二件目に案内された2LDKの物件。交通や買い物の便もよく、部屋も広々としていて使い勝手も良さそうなのが決め手となった。昨日のうちに、二人は仮契約まで話を進めた。
 結婚してしばらくの間、別居しようと言い出したのは、意外にも光の母だった。何よりも格式を重んじる母の口から、別居という言葉が出ると思ってもいなかった光と優花は、正直驚いた。まずは、結婚生活というものを経験しなさい、と母は言ったが、夫の両親との生活に加え三条家のしきたりを会得しなければならない重圧から、優花を少しでも解放してやりたいという思いがあるのかもしれない。しきたりは追々覚えていけばいいのだからと言っていた。
 そして新居もほぼ決まり、二人で雑談をしていた時だ。優花がいきなり思いもしていなかったことを口にした。
 「私、仕事続けちゃ駄目かな?」
 光は驚いて優花をみつめると、澄んだ大きな瞳でみつめ返してくる。
 「何?僕の給料だけでやってく自信ないの?」
 「そうじゃなくて・・・。」
 「大丈夫だよ。優花は遣り繰りがうまいから、貯金までしっかりできるって。」
 笑いながらそう言った光は、
 「何があっても、絶対不自由な思いはさせないから。」
と付け加えて、その場は軽く流した。
 光の手取りはかなりある。同期の社員と比べても格段に多い。基本給だけでも十分な額なのに、それに出張手当が加算されるから、かなり余裕のある生活ができるだろう。優花もそのことは知っているはずなのに、なぜ、急にあんなことを言い出したのか。
 まさか、本当に仕事を続けたがっている?ふと浮かんだそんな考えを、光は慌てて打ち消した。結婚を意識し始めた段階で、光は前例に倣って結婚後は家に入ってほしいと優花に告げた。その時、優花は何のためらいもなく承諾したのだ。だから、今更、である。もし、辞めずに仕事を続けたとしても、そうしたらそうしたで、当然、責任ある仕事を任されることになるだろう。そうなると、時に非情な決断を下さなければならないケースも出てくる。どこまでも優しく、相手の立場に立って物事を考える優花には、まずできないことだ。
 そんなことを考えながら、光はコーヒーの入った紙コップを口に運んだ。自分の隣にコースケがいるとは知りもしないで。
 コースケは光の隣に立ち、テーブルに頬杖をついて下から見上げるようにして光をずっと見ていた。2号は少し離れた壁際に立ち、いつものようにその様子を見ている。
 「まだるっこしいな。」
 コースケがぽつりとつぶやくと、
 「なるようにしかなりませんよ。」
 相変わらず、2号が愛想なく答える。
 その時、男子社員の一団が休憩室に流れ込んできた。全員、コースケや光と同期の奴らだ。口々に、「お、やっぱり」だの、「あー、いたいた」などと言っている。どうやら光目当てでやって来たらしい。
 「日取り、決まったんだってな。おめでとう!」
 光は「ありがとう」と礼を述べて、
 「結婚式には来てくれるだろ?」
と尋ねた。
 皆、「もちろん」と答える。コースケの同期、中でも本社勤務の連中は、とても仲が良い。仕事がらみの情報を常に交換し合っているし、仕事以外でもよく遊びに出かけている。光の吉報を最初に受けたのも同期たちだ。
 「あー、楽しみだよ。綺麗だろうな、小野さん。」
 皆が、うんうんとうなずく。
 「え、何、そっち?」
 光が呆れたように聞き返すと、同期の一人が答えた。
 「当たり前だろうが。お前の花婿姿見て何が楽しいんだよ。」
 どっと笑いが起こる。光もつられて声を上げて笑った。
 コースケは、しばらく同期と光とのやり取りを聞いていたが、何か思いついたように2号に尋ねた。
 「俺たちがあっちに帰るのはいつごろになる?」
 え・・・と、と2号が少し考えて答えた。
 「ちょうど、お二人の結婚式の日ですね。」
 そっか、とコースケが言うと、2号が結婚式に出たいのかと尋ねた。コースケは小さく「うん」と返事をする。
 「では、お二人の晴れ姿を見届けてからあちらに帰ることにしましょう。」

 同期たちの会話は、その後もひととき弾んでいた。その時の会話から、コースケは光と優花の式場、新居への引っ越しの予定などを知った。どうやら、光は今住んでいる部屋を引き払い、先に新居に入るようだ。結婚に合わせて調達した家具類は、光が引っ越す日に合わせて搬入するらしい。そして、同期たちも男女を問わず、手伝いに駆け付けるという。
 そして引っ越しの当日、コースケも2号を伴って二人の新居を訪れた。見慣れた顔が行ったり来たりしている。ふとマンションの玄関口を見ると、女性が二人立っていた。一人は光の母、もう一人は光の姉のようだ。二人とも、およそ引っ越しにはふさわしくない格好をしている。様子を見に来ただけなのだろう。
 寿の文字が描かれたトラックから荷物が下ろされ、部屋に運び込まれようとしたとき、ふいに光の母がスタッフに声をかけた。
 「一番最初に鏡を入れてください。」
 皆の動きが止まる。光は慌てて母を制した。
 「母さん、そんなことどうでもいいじゃない。」
 光の姉も、光に同調する。しかし、母は譲らない。
 「鏡は女性の魂であり、命ですよ。一番最初に家に入れるのは、優花さんの命ともいえる鏡じゃないといけません。」
 「母さん」と尚も母を止めようとする光に向かい、優花が言った。
 「いいのよ、お母様のおっしゃる通りにしましょ。すみません、ドレッサーから入れていただけますか。」
 優花が告げると、スタッフは「わかりました」と返事をして、トラックの奥に積み込んでいたドレッサーを出すために、地面に広げたシートの上に他の家具を下ろし始めた。
 う、わ、面倒くせー。旧家のしきたりってやつか!やっぱ、優花ちゃん、この先苦労するぞ。
 次々と家具が地面に下ろされてゆくのを見ながら、コースケはため息をついた。手伝いに来た同期たちの動きも止まっている。光の母は、ドレッサーが部屋に運ばれるのを確認すると、皆に深々とお辞儀をし礼を言って、光の姉と共にその場を去った。
 朝から作業に取り掛かったのと、人手が十分あったことから、引っ越し作業は昼前にはすべて終了した。細々とした片付けと掃除を済ませた後、光は皆を引き連れ、近くの蕎麦屋に向かった。店に入って光が名前を告げると、2階の座敷に通される。皆が席に着くと、ほどなくしてお通しが供されたのを皮切りに蕎麦懐石がふるまわれた。この席は、どうやら光の母が手配したらしい。
話に花を咲かせながら一時間余りで食事を済ませると、光と優花の新居近くの駐車場に停めてあった3台の車に分乗した。最初に向かったのは優花の住むアパートだ。
「じゃあ、またあとで。」
降ろし際に光がそう告げると、優花はうなずき軽く手を振った。ふうん、あとでまた落ち合うのか。コースケがそんなことを考えていると、車は再び発進し、同じ方向へ走り出す。どこへ行く気だ?光の乗った車に便乗していたコースケは、やがて見慣れた風景の中を走っていることに気が付いた。あれ?ここって・・・?
 広い駐車場に、3台の車が整列する。車を降りると霊園の入口にある売店で、光はシキミと線香を買った。数人のメンバーは先に霊園に入り手桶に水を入れ、柄杓を携える。女子の手には箒や塵取りの掃除用具。雑巾を持った者もいる。光が霊園に足を踏み入れ皆と合流すると、迷うことなくひとつの墓石を目指した。
 コースケの一族が眠る墓までたどり着くと、各々墓の周りを掃き清めたり、雑巾で汚れを取りはじめた。一人がやかんの水を花活けに注ぐと、光は手にしたシキミを挿し込んだ。墓石に水をかけながら、「綺麗にしてるな」という声が聞こえると、「コースケのお母さん、マメだからな」そんな答えを返す者もいる。
 一通り浄め終わると、皆、墓に向かい、光が線香に火をつけ、たむけたと同時に手を合わせた。しばしの沈黙。コースケは言葉を失っている。やがてゆっくり顔を上げると、光が口を開いた。「遅くなったけど」と前置きをして、結婚報告をする。
 「コースケ、お前にも披露宴、来てほしかったよ。」
 皆、一様にうなずいた。少し間を置いた後、女子の一人が沈黙を破った。
 「でもさ、ヤツって結構ちゃっかりしてたじゃない。案外、当日は会場に来てるかもよ。」
 皆の間にさざめくような笑いが起きる。「そうかもな」と誰ともなく言う。
 座っていた光が立ち上がると、皆、霊園から借りた道具を再び手にし、立ち上がった。そして
 「じゃあ、またな。コースケ。」
そう告げると、元来た道を戻り始めた。
胸が熱い。
 「ああ、もう。なんなんだよ、あいつら・・・。」
 コースケはそう言いながら、2号から顔をそむけた。
 霊園の入口にゆっくりと消えてゆくコースケの同期たちの後ろ姿をじっと見つめていた2号は、ただ、静かに微笑んだ。

 家に帰るとコーヘイが来ていた。リビングで両親とテーブルを囲み、何かやり取りをしている。ずいぶんと賑やかだ。何事かとのぞいてみると、そこには図面らしきものが広げられていた。この家の物らしいが、その図面はやたら新しい。しばらく3人の話の流れを聞いて、コースケはやっとその内容を理解した。コーヘイが帰ってくるのを機に、家をリフォームするというのだ。
 この家は、コースケが2歳頃に建てられたものだと聞いている。屋根や樋など、今まで定期的に補修や修理を行ってきたが、やはりあちこちガタが来ている。良い機会だと思ったのだろう。間取りや広さを見直し、これから年老いてゆく幸造と和子の使い勝手も考えながら、手を加えるという。コーヘイが家に入るのは、すべての工事が終わってからだ。といっても改築するわけではないから、さほどの期間は必要としない。長くて、数か月といったところか。
 「いいぞ。その調子だ、コーヘイ。」
 コースケは心の中でつぶやいた。今まで通り男として生きてくれ。父ちゃんと母ちゃんに余計な心配をかけるな。しんどいかもしれないけど、ずっとそれでうまくやって来た。これからだって、うまく行くさ。
 それにしてもリフォームだなんて、いつの間にそんな話が進んでいたのだろう。コースケが不思議に思って首を傾げたとき、ひとつ思い当たった。ひょっとしてあのときか?コーヘイ普通の状態じゃないことを知った後、そのショックからコースケはしばらく部屋に引きこもってしまった。その間、コーヘイが来たことも知っていたが、顔を見たくない一心で下の階をのぞこうともしなかった。おそらくコーヘイが実家に足を運んだのは、この件で両親に呼ばれたのだろう。コースケの悩みなど関係なく、事は進んでいたのだ。

 夕食を食べた後、コーヘイは慌ただしく実家を後にした。
 自分のアパートに帰ると、大きめのマグカップにコーヒーを淹れた。そして今、そのマグカップを両手で包み込むようにして持ち、ソファにもたれかかって、時折ため息をつきながらコーヒーをすすっている。
 コーヘイが最初に自分の性別に不思議さを覚えたのは、小学校三年生の時だった。きっかけは些細なことだ。仲の良いクラスの男の子たちと自分との間に違いを感じた。それは、女の子に対する評価だった。自分が可愛いと思う女の子と、他の男の子たちが可愛いと思う女の子が明らかに違っていた。他の子が可愛いと言った女の子を、コーヘイは「?」と思うことが大半だったのだ。そして、突き詰めてゆくと、コーヘイの考えは女の子と共通していた。コーヘイは同性の目線で女の子の評価をしていたのである。
 それから二年余りが過ぎ、コーヘイはおかしな感覚を覚えた。特定の相手を前にすると、訳もなく胸がドキドキして、顔から火が出そうなほど恥ずかしくなる。初恋だった。誰もが通る道だが、コーヘイの場合、決定的に他の子と違っている点があった。相手が男の子、同性だったのである。
 幼いころから、みんな自分と同じなのだと思っていた。皆、コーヘイのように、男の子というだけでままごとセットやスカートを我慢しているのだと。兄のコースケも口に出さないだけで、実際は男の子であるために我慢していると。しかし、初恋をきっかけに、そうではないことが見えてきた。コースケは、既にそのころ高校生だったが、男性としての特徴がすべて現れていた。それをつぶさに見てきたコーヘイはパニックを起こす。男になることを、心が完全に拒んでいた。
 しかし、時は容赦なくコーヘイに真実を突きつける。声が低くなり、髭も顔をのぞかせる。背が伸びるとともに、肩幅が出てきた。自分が欲しいのはふっくらと丸みのある身体なのに、思いとは裏腹に正反対の方向に成長してゆく。どうあがいても事実には抗いようがない。人知れず苦しみもがいた末にコーヘイが出した結論は、「男として生きる」ことだった。
 それからのコーヘイは、少しでも男らしくなるために自分のことを「俺」と呼び、女っぽくならないように仕草のひとつひとつに気を配った。請われるがままに女の子と付き合い、カノジョを作ってもみた。とにかく必死になって、自分の心の声を封印し続けた。しかし、自分の本心を無視すればするほど、男であるという真実が辛くなり、女でいたいという想いが募ってしまう。もう、ひたすら耐えるしかなかった。
 転機は、職を見つけ、一人暮らしを始めた22歳の時にやって来た。その日は妙に疲れていて食事を作る気になれず、時々利用するビストロに仕事帰りにふらりと立ち寄った。いつものようにカウンター席に座り、サングリアを飲みながらピザをつまんでいると、ひとりの小柄な男性に声をかけられた。よく見る顔だが、話すのは初めてだ。隣に座ってもいいかと尋ねられたコーヘイは、断る理由もないので少し笑みを浮かべながら「どうぞ」と椅子を勧めた。男は常連らしく、席に座っただけでグラスが差し出され、なみなみとビールが注がれた。男の名は、山部といった。以前から、時々顔を出すコーヘイのことが気になっていたのだという。
 「いつもひとりだっただろ?最初は他人と関わるのが嫌なのかなって思ってたんだ。」
 しかし、幾度となく見ているうちに、そうではないことが分かって来たという。カウンター越しに、マスターやスタッフと冗談を交わすコーヘイは、明らかに他人を拒んではいなかった。
 その日は、自己紹介の類で話は終わった。が、それ以降、店で会うとお互いに気兼ねなく声を掛け合うようになった。山部は友人が多く、コーヘイに何人もの人を仲間だと言って紹介した。
 そして、何回目に顔を合わせたときだっただろうか。コーヘイは、山部から驚くような告白をされた。山部は、実は女だというのである。「性同一性障害」。コーヘイと同じだ。実際のところ、コーヘイに声をかけたのも、自分と同じだと感じたからだという。
 「同類は、なんとなくわかるんだよね。」
 そう言って笑った山部の表情に曇りはなかった。山部は既に家族や親しい人たちに事実を打ち明け、手術も受けている。今は戸籍を変えるための手続きをしているとのことだった。さらりと言ってのけたが、ここに来るまでには相当の軋轢や葛藤があっただろう。しかし、山部はそんなことはおくびにも出さなかった。
 山部と親しくなってから、コーヘイは次第にマイノリティーと呼ばれる人たちと交流するようになっていった。一番驚いたのは、ビストロのマスター自体もマイナーな存在だったことである。それを知ったとき、驚くコーヘイに向かって、マスターはおどけて片目をつぶって見せた。このビストロが最初からなんとなく居心地が良いと思ったのは、このせいだったのか。
 いつだったか、コーヘイは自分がどうすればよいか分からないといった類のことを打ち明けたことがある。
 「あせらず、ゆっくり。」
 そう言ったマスターの声に続いて、
 「時間をかけて答えを出せばいいさ。急ぐことはないよ。」
 コーヘイの横で山部が呟いた。
 それからのコーヘイは、何かに憑りつかれたように女の子の楽しみをむさぼり始めた。封印を解いたのである。化粧にファッション、興味があることに片っ端から手を出した。とはいっても、普段は男として生活をしているので、公の場でそういったことはしない。あくまでもプライベートで楽しむだけだ。親しくなった仲間たちは、マイノリティーが利用する店やサイトを紹介してくれ、時に商品選びに付き合ってくれもした。
 あれから3年。今、その生活が終わりを告げようとしている。あの日、コーヘイの決心を確認した山部は、
 「何かあったら、いつでも相談に乗るから。」
そう言って寂しそうに微笑んだ。あの笑顔が、なぜか今もコーヘイの胸を締め付ける。
 マグカップを両手で包み込んだまま、コーヘイは唇をかんで空(くう)をみつめた。

 月日が経つのは早いものだ。死んでから、余計にそう感じる。生きている頃よりも時間の経ち方がずっと早い。時間つぶしに帰って来たこの世だったが、もう何年も過ごしたような気がする。実際には、まだ半年も経っていないのに。
 コースケは総務課の壁に2号と共にもたれかかって、皆の様子を見ている。壁といっても、作り付けのロッカーになっているので、背中の向こう側には板を一枚隔てて書類が収められている。
 今日は、優花の最終勤務日だ。優花は、朝から身の回りの整理や挨拶に追われていた。今日はもう、業務はしていない。代わりに、後継の大伴がせわしなく動いている。週末に合わせて最終勤務日を選んだ優花は、明日から有給休暇に入る。そして来月、晴れて退職となる。
 今日の日に合わせて、業務終了後は優花の送別会が開かれる予定だ。誰からも慕われていた優花らしく、ほとんどの同僚、上司が、日程の都合をつけて会に参加するらしい。もちろん、コースケも付いて行くつもりだ。しかし、婚約者である光は、またもや海外出張中で、今日、優花に直接ねぎらいの言葉をかけることはできない。本当は、送別会の後どこかで落ち合って、ふたりでゆっくりしたいだろうに。
 いつものように、午後五時になると同時に終礼のチャイムが鳴り、社歌が流れた。社歌が流れ始めると、席についている者は立ち上がり、席を離れている者はその場に立ち止って姿勢を正す。電話中の者以外は、一切、私語もしない。やがて社歌が終了すると、皆、おもむろに退社の準備を始めた。
 「申し訳ありませんが、その件につきましては月曜日にまとめてご連絡いたします。」
 五時前から電話応対をしていた男性社員が、しびれを切らしたように電話口に向かって言った。どうやら、さして急ぎでもない用件を、今日中に処理するように要請をしてきているようだ。どこの部署にも、ひとりやふたり、せっかちなのがいて、他人の業務をかき乱す。生きている頃、コースケも何回か「ご無体な」と言いたくなるような経験をしたことがある。送別会があるので残業はできない、月曜日でも十分間に合う、というようなことを言って、その男性社員は、やっと電話から解放された。
 「ひょっとして、今のミスターS?」
 茶目っ気たっぷりに大伴が尋ねる。男性社員がぐったりとした面持ちでうなずくと、「やっぱりねー」と大伴が笑った。
 ミスターSとは、購買部係長の菅原(すがわら)の通称である。やたらせっかちで、他人の話を聞かない。そのくせ、自分の話は長くてくどい。しかも何が言いたいのかさっぱりわからないので、彼と関わると仕事が進まないことで有名だ。さらに、自分の思い通りに事が運ばないと、だれかれ構わずメールをCCで送り付けてくる。コースケも生きている頃、何の関わりもない業務内容のメールが送られてきたことがある。最初はどうしてよいか分からず戸惑ったが、慣れてくると、菅原から送られてきたメールは、読まずにそのまま削除するようになった。これはコースケだけでなく、菅原のことをよく知っている社員は日常的に行っている。菅原には気の毒だが、彼の長たらしく意味のないメールに付き合えるほど、皆、ヒマではないのだ。
 五時半を回った頃、ようやく挨拶回りを終えた優花が事務所に帰って来た。大伴が「おつかれさま」と笑顔で声をかけた。
 「あれ? みんなは?」
 大伴以外の女子社員たちが、全員いないことに気が付いた優花が尋ねる。
 「お・い・ろ・な・お・し!」
 目くばせをしてそう言った大伴は、「ああ!」と納得した優花と共に笑った。
 オイロナオシ? その言葉を聞いて少し考えたコースケだったが、すぐに化粧直しのことだと気が付いた。送別会とはいえ、人が集まる場所に行くとなると、さすがに気合が入るようだ。今頃、女子トイレは鏡に向かう女子社員達でごった返しているだろう。優花も大伴と共に、事務所を離れた。
 優花の送別会は、会社から十分ほどゆっくりと歩いたところにある繁華街の中のこじんまりしたダイニングバーで開かれた。この店は個室があるため、コースケの会社の社員たちがよく利用する。午後七時からの予定だったが、10分前にはほとんどの参加者が顔をそろえた。
 七時ちょうどに幹事が開会を告げ、曽我が乾杯の音頭を取った。和やかな雰囲気の中、談笑しながら会食が始まる。最初の方こそ、皆、おとなしく席に着き飲み食いしていたが、30分もするとあちらこちらで人が入り乱れ始めた。自分のグラスを持って、思いのまま、気の向くままに移動している。主賓なだけに、優花の所にはひっきりなしに人が集まって来ていた。優花はにこやかな表情を崩さぬままで、ひとりひとり、丁寧にやり取りをしている。少し酒に口をつけては、会話を弾ませていた。
 以前、光から聞いたところでは、優花はあまり酒が強くないということだった。それ故、いつも酒席では最初の一杯にちょっと口をつけるだけで、あとはソフトドリンクで通しているらしい。しかし、今日は自身のために開かれた会ということもあってか、ウーロン茶を傍らに置いてはいるものの、それにはほとんど手を伸ばしていない。
 優花ちゃん、だいじょうぶか? コースケは、心配でハラハラしながらその様を見ていた。
 午後九時を過ぎたころ、店員がラストオーダーを取りに来た。それに合わせるように、幹事が皆に声をかける。お開きの時間が近づいたのだ。
 幹事に促され、部長の安倍が優花にはなむけの言葉を述べた。それを受けるような形で、今度は優花が皆に向かって挨拶をする。優花の挨拶が終わると、昨年入社したばかりの女子社員が優花に花束と記念品を渡した。幹事が皆に起立を呼び掛け、最後の乾杯を行った。グラスを開けると同時に全員から拍手が沸き起こる。優花はその場で、花束を抱えたまま深々と頭を下げた。
 
 「えーっ、なんでぇ!? 行こうよぉ!」
 酔いが回っているらしき男子社員が、拗ねたような声を上げる。優花は、困った顔で微笑んでいる。
 「ね、小野さん。一時間、いや30分でいいからさ。」
 男子社員は、尚も優花に声をかけ続ける。二次会に誘っているのだ。優花は小さく「ごめんなさい」を繰り返す。それでも諦めようとしない男子社員を見て、曽我が助け舟を出した。
 「ダーリンから電話がかかってくるんだよ、ね?」
 優花が、はにかんだように小さくうなずく。
 その様子を見て、笑いながら他の同僚たちが男子社員を宥め始める。
 「ほらほら、困らせちゃ駄目でしょ。」
 「話なら結婚式の二次会でゆっくりすればいいんだから。」
 半ば強引に男子社員を両脇から抱え込み、同僚の一人が言った。
 「じゃあ小野さん、気を付けて。」
 「ありがとうございます。皆さんも気を付けて。」
 手を振りながら人ごみに消えてゆく同僚たちに向かって優花も小さく手を振り、姿が見えなくなるまでその場で見送った。
 同僚たちと別れた優花は、まっすぐ駅に向かって足早に歩き出す。その顔からほほえみは消えていた。5分ほど歩いて駅に着くと、優花はホームではなくコインロッカーへと向かった。バッグの中から鍵を取り出し、迷うことなくひとつの扉を開ける。中には大きなペーパーバッグがひとつ。優花はペーパーバッグと手にしていた花束と記念品、通勤用のバッグを入れ替え、コインを入れて再び鍵を閉めた。ペーパーバッグを手に、優花は女子トイレに入る。
 コースケは小首をかしげる。あれ、優花ちゃん、帰らないのか?
 優花がトイレに入って30分。まだ出て来ない。ひょっとして、酔いが回ってトイレの中で潰れているんじゃないか、コースケがそんな不安にかられたとき、トイレから人が出てきた。しかし、優花ではない。だいじょうぶか、ますます不安が募る。かといって、どうすることもできない。もやもやした気持ちでその場に佇んでいると、2号が声をかけてきた。
 「どうしたんです? 付いて行かないんですか?」
 「え? だって優花ちゃん・・・。」
 「早くしないと置いてかれますよ。」
 そう言いながら2号が目で追ったのは、今しがたトイレから出てきた女だった。コースケは、慌てて彼女の前に回り込む。
 「ウソだろ・・・。」
 重ね付けされたまつげ、青みがかったカラーコンタクトを入れた瞳。その周りは派手な色のアイシャドウと黒いアイラインで縁どられている。唇は真っ赤に染められ、髪はブラウンがかった金髪だ。ショルダーカットされたフェイクレザーの黒い短めのトップスと大きな花柄のショートパンツ。レースアップシューズのヒールは20センチ以上ありそうだ。首元と耳を飾った大ぶりのゴールドのアクセサリーが、時折じゃらじゃらと音を立てる。
 コースケは言葉を失ったまま、優花の後を付いて行く。と、前から見慣れた顔がこちらに向かって来る。さっき別れたばかりの優花の同僚だ。ヤバイ! しかし、二人は視線を合わせることなくすれ違った。どうやら同僚は、この派手な格好の女が優花だと気付かなかったらしい。それもそうだろう。優花にあこがれていたコースケでさえ分からなかったのだから。
 優花は繁華街を進み、三つ目の角を曲がって派手なネオンが競うように灯されている裏通りに入った。行きかう人の中、優花は通りの中ほどにあるクラブのドアを開け、滑り込むように店に入った。
 身体を突き上げるような低音が響き、暗い店内には鋭い光線が飛び交っている。カウンターでマティーニを注文した優花は、出された酒を一気にあおるとフロアに進み出た。曲に合わせて身体を揺らす。入れ代わり立ち代わり男たちが声をかけてくる。優花は返事もしない。ただ、身体を揺らし続けている。何人目かの男が優花に身体をぴったりと付けてきた。耳元に顔を近づけ、何かささやいている。瞬間、優花はくるりと身体を回転させ、男に背を向け距離を置いた。
 「お高くとまりやがって。」
 舌打ちをしながら男が離れてゆく。
 ひととき曲に身を任せた後、優花は再びカウンターに行きダイキリを頼んだ。スツールに腰かけることもなく、カウンターに背中を預け、フロアで身体を揺らしている他の客達を表情一つ変えず見つめながら、今度はゆっくりと酒を口に含む。
 優花はダイキリを飲み終えると、あっさりと店を後にした。店にいたのは、ほんの1時間足らずだ。元来た道をたどり、優花は駅へと戻ってきた。また、トイレに入る。しかし、今度は10分余りでトイレから出てきた。派手な化粧は落とされ、服装もシンプルなワンピースの上にジャケットというスタイルに戻っている。手にしたペーパーバッグの中には、さっきまで身に付けていた服やかつらが入っているのだろう。優花はペーパーバッグをこれでもかというほど押しつぶし、駅に据え付けてある可燃ごみのボックスに押し込んだ。そして、何事もなかったようにタクシーに乗り込み、家路についた。
 この1時間余りの間に、何が起こったのだろう。コースケは、呆然とするしか術がない。言葉を発することもできず、その場に立ちつくした。
 「一生に一度きりのお祭りですね。」
 沈黙を破ったのは2号だ。
 「祭り?」
 「そうです。祭りです。」
 分からない。コースケはゆっくりと頭(かぶり)を振った。

 スマートフォンが不在着信を知らせている。光からだ。自宅のアパートに着いた優花は、光へとかけなおす。優花からの連絡を待っていたのか、光はすぐに電話に出た。
 「ごめんなさい。マナーモードを解くの忘れちゃってた。」
 電話の向こうから、光がほっとしたように声をかける。
 「二次会には行かないって言ってたから、心配しちゃったよ。」
 「ちょっとね、コーヒーが飲みたくなって寄り道してたの。今日は少し飲んだから、酔い覚ましにもなるかなと思って。」
 大丈夫だからと告げ、優花は光と他愛もない会話を交わした。5分ほどで電話を切ると、冷蔵庫にあるミネラルウォーターを取り出し、そのまま冷蔵庫のドアに背中を滑らせて床に座り込んだ。ペットボトルのキャップを開け、水を喉に流し込む。冷えた水が身体に染み込こんでゆくのが心地よい。1/3ほど飲んだところで優花はペットボトルから口を離し、無表情なまま部屋の中を見渡した。数個の段ボール箱が積み重ねられている。五日後には、この部屋を出て行かなければならない。
 三条家では、女性が生家を出るのは嫁入りのときと決まっていた。そのしきたりを破ったのは、光の姉である。アメリカの大学に留学が決まったとき、大学に学生寮があるにもかかわらず、光の姉は両親の反対を押し切って一人暮らしを選んだ。学費は奨学金で賄い、生活費は一部両親から負担してもらったものの、そのほとんどをアルバイトで工面した。最初は、相当にきつかったという。お嬢様育ちで、身の回りのことはほとんど侍女任せだった娘が、なんの洗礼もなく世間に飛び込んだのである。しかし反面、毎日が発見の連続だった。ひとり生活する中で勉強に当てる時間を捻出するため、試行錯誤を繰り返し、いつしか生きてゆくための知恵を身に付けていた。
 卒業後、帰国した光の姉は、外資系企業の事務職に就いた。帰国後もしばらくは一人暮らしを満喫していたが、結婚が決まると同時に実家に連れ戻された。最後は、三条家のしきたりに従ったのだ。
 光との結婚が正式に決まったとき、優花もこのしきたりに従うことを要求された。三条家に入る時は生家から。アパートから直接婚家に入ることは許されなかった。
 この話を切り出されたとき、頑張って一人で生計を立ててきたのを否定されたような気がして、優花は少し抵抗を感じた。しかし、抗えるはずもなく、素直に従うしかなかった。
 積み重ねられた段ボール箱を見ながら、優花はまたペットボトルの水を勢いよく身体に流し込んだ。

 衝撃の一夜が明け、コースケは朝からずっとリビングに座り込んでいる。昨夜受けたショックから、まだ抜け出せない。一生に一度きりの祭り、2号はそう言って片づけたが、コースケは未だにそれがなんなのか、全く分からない。理解不能だ。
 家のリフォームは順調に進み、来月には終了する見込みだ。コーヘイが戻ってくるのは、再来月の頭あたりか。願わくば、残されたみんなが幸せに過ごせるように。この世界にいられるのもあと少しとなって来たコースケには、祈ることくらいしかできない。その時、コースケはふと気づいた。ここにいられるのがあと少しということは、目の保養ができるのもあと少しということだ。なにしろ、あちらの世界には実体というものがない。つまり、美醜というもの自体がないということになる。美女を見るなら今のうち、ということだ。コースケは、自分の隣に佇んでいる2号を見た。ぼさぼさの髪と分厚い眼鏡が顔の半分近くを覆い、横から見てもその表情は分からない。
 「せめて、こいつがもう少しマトモな容姿だったらな・・・。」
 思わず小さなため息が出る。
 コースケの視線に気づいた2号が、コースケの方に顔を向けた。
 「なんですか?」
 「いや、なんでもない。」
 コースケは、いかにも面白くなさそうな表情で前を向く。
 「なんでもないことはないでしょう。何か言いたいことがあるのでは?」
 「別になんもねえよ。」
 面倒くさそうにそう言うと、コースケは立ち上がった。リビングの入口に向かう。2号はその後を追いかけるように立ち上がり、慌てて付いて行く。
 「言いたいことがあるなら、おっしゃってください。」
 「だから、なんもねえって。」
 「気になりますね。なんなのですか?」
 コースケが、つと立ち止まった。
 「守秘義務!」
 そういうなりコースケは、小走りで自分の部屋に戻った。
 
 その日の昼下がり、コースケはコーヘイの様子を見に部屋を訪れた。今の時間帯ならば、昼食も摂り終え寛いでいるだろう。ソファに寝転んで本を読んでいるか、それともテレビでも観ているか。しかし予想に反して、コーヘイはパソコンの前に座っていた。リビングのテーブルの上に開いたノートパソコンで、ひとり黙々とソリティアをしている。右手でマウスを操り、左手に500mlの缶ビールを持って、ゲームをしながら時々口に運ぶ。よく見ると、テーブルの脇には空になったビールの缶が転がっていた。コーヘイ、お前、真昼間っから何やってんだよ!コーヘイは、見るからにイラついた様子でマウスをせわしなくクリックする。そして、新しいゲームをまともに開かないうちに、何度も新しいゲームを開き続けることを繰り返した。カチカチッ、カチカチッ。クリック音だけが静かな部屋に響き渡る。
 まだ、吹っ切れないのか?往生際が悪いな。もう、いい加減に腹くくれよ、男だろ!いや、男じゃないけど。いや、男だし。
 そのときだ。ばんっ!という音が響き渡り、マウスが部屋の隅に弾き飛ばされた。コースケは一瞬、雷に打たれたようにびくっとしたが、すぐに我に返ってコーヘイを見た。大きな音は、コーヘイがマウスをテーブルに叩きつけた時のものだった。その反動でケーブルがパソコンから外れ、マウスごと飛ばされたのだ。コーヘイはキーボードの上に突っ伏している。
 「い・・や・だ、・・・もう・・・な・に・・・も・・・・・か・・も・・・。」
 声こそ立てていないが、確かにコーヘイは泣いている。顔を伏せたまま、動かない。コースケは、その様子をただ見つめるしかなかった。
 自分が死ななければ、コーヘイはこんな思いをしなくてすんだのか?いや、遅かれ早かれ、いずれは直面しなければならないことだ。それでもコースケが生きていれば、跡を取るとか子孫を残すといった問題は、まず起こらなかったと容易に想像できる。そして何より、コースケが生きていれば、話を聴くことくらいはできるし、おそらく、コーヘイがこんなに泣くこともなかっただろう。
 コースケは、瞳を潤ませ、拳を握りしめた。

 コーヘイには、男として生きてほしい。その思いは、今も変わらない。でも、コーヘイの気持ちを少しでも分かってやりたい。なんだかんだ言っても、たった一人の可愛い弟なのだ。とはいえ、分かったところでどうすることもできないのだが。
 コースケは、ある日、2号にオカマバーに連れて行ってくれるよう頼んだ。「はぁ?」と答えたものの、2号は夜になるのを待ってオカマバーへのドアを開いた。
 店内には、当然のことながら女装した男がうごめいている。それでも、いかにも女装という気味の悪いタイプと、女と見まがうほど美しいタイプがいる。
 「すげーな。こいつらみんなオカマか。」
 コースケが呟くようにそういうと、2号が答えた。
 「皆が皆、そうではありませんよ。」
 「えっ?」と驚くコースケに対して、2号は手短に説明をする。
 「お金のためにここで働いている人もいるのです。たとえば、あちらのピンクのミニドレスを着た人ですが、彼は役者希望で小さな劇団に所属しています。でも、今の状態では食べていけないので、ここで働いているのです。役作りの勉強も兼ねているようですよ。」
 2号が指し示す方を見ると、華奢な体つきをした男が客と談笑している。小綺麗な顔立ちをしていて、ぱっと見は女に見える。
 「すっげーな・・・。」
 ため息交じりにコースケがそう言うと、2号は言葉を続けた。
 「すごいという観点で見るなら、あちらの黒いロングドレスを着た人の方がすごいですよ。なにしろ・・・。」
 「ちげーよ。」
 コースケが言葉を遮る。
 「俺がすげーって言ったのは、お前のこと。」
 「は? 私ですか?」
 2号が、いかにも意外そうな声を出してコースケの顔を見た。コースケが言葉を継ぐ。
 「だってさ、みんなのプロフィール、しっかり憶えてるじゃん。どんなアタマしてんだよ。」
 「ああ。」とコースケの言葉の意味を理解して、2号は別に憶えているわけじゃないと言った。
 「見えるようになっているのですプロフィールが。ひとりひとりを見たときに。タグが付いているとでも言いましょうか。だって、考えてもみてください。毎日、この世界にどれほどの命が生まれて来ていると思いますか。生まれてくるのは、あなたたちヒトなどの動物だけではありませんよ。植物もあるんです。いくらなんでも、それらひとつひとつの生きざまを憶えるなんて、到底無理です。」
 なんだ、そういうことか。感心して損した。と、そのとき、晴れやかな声がマイクを通して店内に響き渡り、ショータイムの始まりを告げた。
 店の正面奥に設置された舞台の上を、様々な色のスポットライトが駆け巡る。音楽が流れ始めると、舞台から離れた席にいた客たちの一部は、舞台の方へと移動してきた。皆、コースケと2号の身体をすり抜けてゆく。慣れたとはいえ、やはりあまり気持ちの良いものではない。
 舞台の上では派手な衣装に身を包んだパフォーマーが、次々と歌や踊りを披露してゆく。皆、ニューハーフのようだ。群舞あり、独演あり、どれも見ごたえがあり、はっきり言って変なタレントよりも余程上手い。コースケはしばらく目の前で繰り広げられるパフォーマンスに見入っていたが、やがて何を思ったのか自分も舞台に上がり、パフォーマーたちに張り付いて、時にその動きに合わせ、時に食い入るように彼女たち(・・・・)の表情を間近で見つめた。
 2号は、そんなコースケの様子を呆れきった顔つきで見ている。

 結局、コースケはオカマバーに閉店時間まで居座り、家に帰って来たときには既に夜中の二時を回っていた
 「まったく、何をやっているんですか。」
 2号が冷めた口調でコースケに言う。
 「いやー、面白いなー、オカマバーって!」
 妙に上機嫌のコースケに対し、2号はあくまでも事務的な口調で尋ねた。
 「それで、何か収穫はありましたか?」
 コースケが毎度おなじみの「あー」という曖昧な返事をする。いけねえ、本来の目的を忘れてた・・・。その後すぐ、コースケが2号からオカマバーやその類の場所への立ち入りを禁止されたのはいうまでもない。

 それから数日間、コースケはおとなしくしていた。何かを考えていることはその様子から明らかだったが、2号はあえて何も訊こうとはしなかった。そんなある日のことだ。コースケはいきなり2号に向かって、今の自分に着替えはできるのかと尋ねた。
 「できますよ。それが何・・・、まさか!」
 2号の顔色が変わる。コースケは、にっと笑った。
 そう、コースケはずっとこのことを考えていたのである。果たして、今の自分に着替えはできるのか。自身の身体をいじくることができるのか。
 今のコースケは、借り物の身体で過ごしている身だ。その姿は、この世に生きている者には一切見えない。実際には存在しないだけに、痛みやかゆみなどの感覚はなく、疲れや眠気などを催すこともない。自身の身体に触ることはできるが、生きている頃と比べるとどこか儚げで頼りなく、夢の中にでもいるようだ。当然ながら着たきり雀だし、入浴など身体を清潔に保つ必要もない。鏡で自分の姿を確かめることはできるが、必要がないので身だしなみを整えることもしない。
 「これで何が分かるんです?」
 2号の問いかけに答えもせず、コースケは用意された着衣をひとつひとつゆっくりと確かめながら着替えてゆく。
 「うわ! スカートってスースーするな。こんなもん、よく穿いてられるよな!」
 たっぷりとした裾のスカートを穿いたコースケは、感心したようにそう言ってくるりと回ってみせた。動きに合わせて裾が揺れる。スカートに合わせたトップスは、カットソーと呼ばれるものらしく、女性らしいラインに仕上げられている。しかし、男のコースケにそのようなラインが出せるはずもなく、微妙にきついところとゆるいところが混在していた。特に胸のあたりはスカスカである。
 今度は、穿き方を教わってストッキングに脚を通す。初めて身に着けたストッキングは滑らかで妙な温かさがあり、ちょっと癖になりそうだった。
 女性の服を身にまとったコースケは、鏡に映った自分の姿をしばらくまじまじと眺めていたが、やがて2号に向かってこう言った。
 「2号、次、行くぞ。」
 「やめておきませんか?」
 2号が懇願するような声でいう。
 「いいから、早く出せよ。化粧道具!」
 何を言っても無駄だ。2号は大きくため息をついた後、渋々と化粧道具一式を出し、コースケに手渡した。最初、2号は自分がコースケに化粧を施すつもりだったが、コースケは自分ですると言って頑として受け付けない。仕方なく、2号は指導役に徹することにした。
 化粧下地、ベース、ファンデーション・・・、鏡の前に座ったコースケは、2号の指示通りに化粧品を顔に塗ってゆく。しかし、初めて化粧道具を手にしただけに、肌に乗せるだけで伸ばすということをしない。2号が途中で何度も「塗るのではなく、伸ばせ」と言ったが、コースケにその加減が分かるはずもなく、ただ分厚く化粧品が重ねられてゆくばかりだった。最後に塗った口紅のキャップを閉めると、コースケは2号の方に顔を向けた。仕上がった顔は、幼い子供が意味も分からず塗り絵でもしたようだ。
 「アタシ、綺麗?」
 コースケは、2号についと歩み寄る。
 「やめてください。」
 「う~ん、冷たぁい。ねえ、アタシ綺麗?」
 「だから、やめてください!」
 珍しく慌てふためいた様子で逃げる2号を、コースケは追いかける。
 「アタシ、綺麗?」
 ひとしきり家の中を逃げ回り、再び鏡の前に帰って来た2号は身をひるがえしてコースケの後ろに回り込み背中を抑えるようにして、コースケの顔を鏡の前に突き出した。コースケの目に化粧をした自分の顔が映る。我ながらおぞましい。
 「・・・・・・。」
 「そもそも、根本的に意味が違いますから。」

 結局、何一つ成果を上げられなかったコースケは無駄な努力を止め、また日常に戻った。
 その日もコースケは、役員室の椅子で遊び、秘書室の美女たちを鑑賞した後、ぶらぶらと廊下を歩いていた。何人もの社員と行きかううちに、ふと「小野さん」という声が聞こえた気がした。振り返ると、声の主は人事部の社員たちだった。話の中に「小野」の名字が入っていたのだ。コースケは立ち止まって、思い出すような顔つきで考えた。しばらくの後、人事部の社員たちが「小野」と言っていた意味を理解した。今日付けで優花は退職となるのだ。
 コースケは、急いで総務に向かった。きっと優花が挨拶に来ているに違いない。退職に伴い、社員証や保険証を会社に返却しに来たのだ。優花が出社するのは、本当に今日が最後となる。
 総務の事務所に入ると、果たしてコースケが予想していた通り、優花が同僚たちに囲まれていた。手土産を持参したのだろう。談笑しているうちの一人の女子社員の手に、大きな紙袋が託されている。
 結婚を控えた優花は、その美しさに磨きがかかり輝くようだ。
 コースケがぼーっと優花に見とれていると、会議に出ていた曽我が帰って来た。
 「おっ、来てるな!」
 優花が軽く頭を下げる。曽我は、にこやかに片手を挙げた。
 女子社員の一人が手土産を貰ったことを告げると、曽我は優花に礼を言い、お茶に誘う。
 「何かあったら連絡して。」
 電話をする仕草をしながらそう言って、曽我は優花を外へと連れ出して行く。コースケも後に続こうとしたが、ふと、いつもと違う雰囲気に立ち止った。
 2号が、いない。
 いつも、片時もコースケから離れなかった2号がいないのだ。
 どこへ行ったのだろう。何かあったのか? コースケが疑問符を飛ばしているうちにも、優花は曽我と連れ立って、どんどん社外に向かって歩いて行く。コースケは、慌てて後を追った。
 2号のことだ。どこにいようと、居場所を察知して姿を現すだろう。
 
 午後のオフィス街。スーツや制服に身を包んだ人たちが忙しなく行きかっている。携帯電話で話しながら小走りに交差点に向かう人、立ち止まってビルを見上げ社名を確認する人。そんな人々のはざまを縫うようにして、曽我と優花は、自社ビル近くにあるカフェへと迷うことなく入った。オープンテラスのあるこの店はこの辺りでも特に人気が高く、コースケの会社の女子社員達の間でも一番評判が良い。二人は開放感あふれるテラス席には向かわず、店の一番奥にあるゆったりとしたソファをしつらえた席を選び腰かけた。着席してすぐ店員が水とメニューを持ってきたが、二人はメニューを開くことなくコーヒーを注文した。
 時間的なものもあってか店内には数組の客しかいない。いかにもビジネス客という感じで、スーツ姿で静かに、しかし身振り手振りを交えて何かを話し合っている。静かなBGMが流れる中、時折、笑い声が響く。
 席に着いてから優花の近況を柔らかな表情で聞いていた曽我が、言った。
 「覚悟はできたようね。」
 優花はその言葉にまっすぐな眼差しを向け、背筋を伸ばして、きっぱりと答えた。
 「はい。」
 コースケは優花のその表情にはっと息を呑んだ。
 美しい。と言っても、今までのふわりとした柔らかな美しさではない。一本芯の通った凛とした美しさだ。
 そう、このとき優花は決めていたのだ。
 もし、将来、女の子が生まれて、その子が仕事を頑張りたいと言ったなら応援しよう。もし、男の子が生まれて、その子の伴侶となる人が仕事を続けたいと言ったなら力になろう。たとえ親族全員を敵に回すことになっても、私だけは彼女たちの味方になろう、と。自分はここでリタイアしてしまうけれども、後に続く彼女たちには様々な可能性に挑戦してほしい。そのためにも自分はできうる限りのサポートをするのだ。
 優花の思いを察してか、曽我は小さくうなずきながら静かに、しかし力強く言った。
 「大丈夫。あなたなら、きっとできるわ。」

 店の前で二人は別れた。曽我は会社へ、優花は駅へと向かう。それぞれの背中を目で追いながら、コースケはほぉーっとため息をついた。いつのまにか夕暮れが近づいている。黄昏へと向かう空をぼんやりと見上げたとき、ふいに背後から声がした。
 「優花さん、気持ちが固まったようですね。」
 振り向くと2号が佇んでいる。
 「2号! お前、どこ行ってたんだよ。」
 コースケのその問いには答えず、2号は思いがけないことを口にした。
 「コースケさん、残念ながらお二人の結婚式に出席することはできなくなりました。」
 コースケは言葉を失い、2号をみつめる。2号はいつものように落ち着き払ったまま、まっすぐコースケと向き合っている。絶句しながらもその言葉の意味を汲み取ったコースケは、2号に尋ねた。
 「・・・ひょっとして。」
 「はい。キャンセル待ちが取れたのです。」

 聞いてみると、コースケが出社して間もなく連絡が入り、2号は取り急ぎあちらへと戻った。様々な手続きを経て、あの世に行く準備が整ったという。出発までにコースケ自身で手続きをしなければならない案件もあるので、今日中にはこちらの世界を後にしなければならないらしい。
 「その様子からすると変更はきかないんだよな。」
 「はい。規定でキャンセル待ちを二度かけることはできないのです。」
 2号が申し訳なさそうに答える。
 「そっか・・・。」
小さくため息をつきながら空を見上げて、コースケは呟くように言った。
 ひとときの間をおいて、おもむろに2号が口を開く。
 「どうしますか? 最後にどなたかにメッセージを残しますか?」
 「えっ。」と声を上げて、コースケは2号の方に向き直った。
 「ちょっと待てよ。そんなことしたら・・・。」
 「大丈夫です、許可が下りていますから。幽霊にはなりませんよ。今回は特別だそうです。」
 メタボ課長の配慮か? コースケは、強烈な印象を放つ彼女の姿を思い起こした。
 「いかがですか。ご両親の所に行きますか?」
 「そうだな。」と言いながら、コースケは少し考え込んだ。しばらく間を置いて、コースケは2号に告げた。
 「いや、コーヘイだ。コーヘイの所に行かせてくれ。」

 そう、コーヘイだ。コーヘイに会って両親のことを頼むのだ。それはつまり、男として生きてくれというメッセージになる。
 久しぶりに訪ねたコーヘイの部屋は、少しがらんとしていた。無くなっている家具もある。きっともう、友人に譲ったのだろう。スペースが空いた分、以前よりもずっと広く感じる。
 コーヘイはといえば、膝を抱えてバラエティー番組を観ている。時折笑い声を上げているが、その響きはどこか虚しい。コーヘイ本来の屈託のない笑い声ではない。何回目かの笑い声を上げたとき、まるで何かに引っかかるようにその声が途切れた。顔を膝にうずめる。小刻みに肩が震え、やがて小さな嗚咽が聞こえてきた。コーヘイひとりきりの部屋の中、コーヘイの泣き声とそれをかき消すようにテレビの音だけが響く。
肩を抱いてやりたい。ただただ、側に寄り添って話を聴いてやりたい。だが、今の自分にはそれは叶わない。じれったさともどかしさが入り混じり、胸をえぐられるようだ。
 唇をかみしめ、コーヘイの様子をしばらく見つめていたコースケだったが、やがて静かに目を閉じ、少しした後、覚悟を決めたようにゆっくりとうなずいた。それを合図に2号はテレビ画面に向かって手を差し伸べる。テレビがふっと消えた。が、涙にくれるコーヘイは、そのことに全く気付かない。コースケは呼吸を整えて、声を出した。
 「コーヘイ・・・。」
 テレビが消えても微動だにしなかったコーヘイの身体がびくっと動く。聞き覚えのある声に、顔を上げ恐る恐る後ろを振り返ると、そこには亡くなったはずの兄が立っていた。身体ごと向き直ったコーヘイは、這いつくばるようにしてコースケの方へと近づく。
 「兄・・・ちゃ・・・ん?」
 「なんて顔してんだよ。」
 ほほえみながらコースケが声をかける。と、コーヘイの目から見る見る涙が溢れてきた。
 「なあコーヘイ。そんなしけた顔、らしくねーぞ。」
 コーヘイは涙を抑えられない。
 「コーヘイ。誰になんて思われようと、誰になんて言われようと、かまわないじゃねーか。お前はお前だ。・・・お前らしく生きろ。」
 コーヘイは大きく目を見開き、こぼれる涙を拭うこともせず、ただコースケをみつめている。
 「兄ちゃん・・・。」
 コースケは弟ににこっと笑いかけ、やがてすっと姿を消した。
 「兄ちゃん!」
 コーヘイは慌てて、今、自分の兄が立っていた場所に行きその姿を、気配を、狂ったように探した。しかし、そこにコースケがいるはずもなく、ひとしきり兄の面影を追った後、コーヘイはその場にへたり込んだ。涙が止まらない。
 その夜、一晩中コーヘイの泣き声で部屋は満たされた。

違ーーーーーーーーーーーーーーーーーーう!!!!!
 こんなことを言いたかったんじゃない!俺はコーヘイに両親のことを頼みたかったんだ!ごく当たり前に結婚して、ごく当たり前に孫を抱かせてやってくれって言いたかったんだ!
 コースケは地団太を踏んだが、やり直しは利かない。そんなコースケの気持ちなどお構いなしに2号が言った。
 「さあ、では戻りましょうか。」
 ふざけんなよ!このまま戻れるわけねーだろ! この先コーヘイはどうなるんだよ! 思い余ったコースケは、激しい口調で2号に告げた。
 「俺、戻んねーからな!」
 「何馬鹿なこと言ってるんですか。さ、行きますよ。」
 2号がコースケに詰め寄る。
 「お前ひとりで戻れよ! 俺はここに残ってコーヘイの今後を見届けるんだ!」
 「コースケさん!」
 2号が少し強めの口調で名前を呼んだが、コースケは動じない。そうだ、俺はここに残ってコーヘイの行く末を見守るんだ。そのためなら地縛霊だって妖怪だって、何にだってなってやる。コースケの勢いは止まらない。
 2号は仕方なくコースケの腕をつかんだ。こうなったら強制連行するしかないと判断したのだろう。見かけによらず力のある2号に抗うために、コースケも力を込めた。
 「放せよ!!」
 思いきり2号の腕を振りほどこうとしたとき、コースケははずみで2号を突き飛ばしてしまった。2号が路上に叩きつけられるように倒れ込む。
 さすがにこれにはコースケも驚いた。熱くなっていた気持ちがたちまち落ち着きを取り戻し、慌てて2号の元に駆け寄る。
 突き飛ばしたときに外れたのだろう。足元に転がった眼鏡はレンズが割れ、フレームは歪んでいた。コースケは眼鏡を拾い上げ、2号に近付いた。
 「ごめん・・・、2号。・・俺・・・。」
 声をかけられて2号が、顔を片手で覆いながらゆっくりと上半身を起こした。
 「もう・・・、乱暴は止めてください。」
 壊れた眼鏡を受け取ろうと両手を差し出した2号の顔を見たとき、コースケの動きは止まった。そんな、、、ばかな、、、!
 う、美しい・・・。美しすぎる! 今まで会ったどんな美女も足元にさえ及ばない。
 この時コースケは、かつて2号が言っていた「できそこない」の意味をやっと理解できた。あの時は、顔に目が付いていないとか、付いていても極端に小さいとかひどい状況を想像していたが、実際はその逆でとんでもない美形に仕上がってしまっていたのだ。これほど美しいと、確かに心を惑わされる者も出てくるだろう。あくまでも死者たちに影響を及ぼさないという観点からすると、確かに美しいこと自体が「できそこない」になってしまう。
 コースケは、ごくりと喉を鳴らした。
 先ほどまでの思いはどこへやら、新たな決心が胸を占拠する。
 「2号、・・・俺、戻るよ。」
 「えっ、本当ですか!?」
 2号が嬉しそうに聞き返す。
 「うん。そのかわり、あちらの世界にも行かない。」
 「は?」
 「ずっとお前の側にいる!」



 どこに逃げても、ついて来る。実体を消し場所を変えても、どこで嗅ぎつけるのか、気が付くとコースケが横にぴったりと張り付いている。2号はほとほと困り果てていた。最近では、合間合間に職員の仕事を手伝い、皆に重宝がられ始めている。
 「だからあれほど言ったはずです。眼鏡を外すなと。」
 「ですから、事故なのです。わざとではありません。信じてください!」
 頼みの綱であるはずの課長も厳しい態度を取るばかりで、まったく相手にしてもらえない。そうしている間も2号の側には、でへへと鼻の下を伸ばしたコースケがひっついている。2号はなす術もなく頭を抱えた。まさしくお手上げ状態である。
 命をこの世からあの世へと引き継ぐ世界。相変わらず2号は逃げ、コースケはひたすらその後を追いかけ続ける。

 そして―――。
 その後、この二人がどうなったか?
 それはお答えできない。
 
 守秘義務が発生しました。



                            ―― 完 ――

パラダイスツアー キャンセル待ち

 暇に任せて書き始めたはずが、最終章を書き始めてほどなく就職が決まり、忙しさにかまけて今日に至りました。
 内容自体は、予想のつく展開だったのではと思っています。ただ、今回、初めて物語を文章にして紡ぎだすという試みを、自分でも驚くほど楽しむことができたことは全くの予想外であり、それが一番の成果なのかなと考えています。

 最後に、物語を完成させるに当たり、優しく背中を押してくれた友人のMタンに感謝します。

 Mタン、どうもありがとうね!

パラダイスツアー キャンセル待ち

仕事中に不慮の事故で亡くなったコースケは、あの世側の手違いであちらの世界に行けなくなる。あちらの世界へ行ける資格が発生するまで、監視役の女神候補生2号と共に人間界へと帰ってくるが。。。。。 連載形式です。気長にお付き合いくださいませ(^-^)

  • 小説
  • 中編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-11-28

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著作権法内での利用のみを許可します。

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