practice(4)





 『themselves』を寝転がって繰り返し口にするお風呂上りの二匹の猫は畳の上でクッキーを所望する。形はなるべくハート,そうでなければ丸のもので,どちらも欠けたところのないものとして共通している。その他の点についてはこちらにおまかせするのが猫の流儀,野暮は何より嫌いだそうだ。 短毛でありながら一毛たりとも地につけないと心掛けているその歩き方は,二匹揃っても変わらない。双子というわけでもないが,一匹一匹と数えられるほど見知らぬ他の猫でもないから猫は二匹の猫として,畳を正しく横切っている。
 尻尾は立って,大体が機嫌は良いのだけれど三週間に一日,その日の午前中にかけてすこぶる不機嫌に陥るのは右の猫だ(左の猫はそれを知らせにきてくれる。)。変調はその振る舞いに顕著に表れる。だから右の猫は自室にある長脚のアイロン台に近寄って,潜り込んでからまず出て来ない。そして近寄らせない。一匹も一人も変わらなく同じだ。それでボクと左の猫は一日を共に過ごす。ひと段落を置いたようにその日は朝食後からそうだった。左の猫は足下で鳴いた。
 畳の部屋には,そうして猫の一匹も居なくなる。カラーボールはあっても,ボクも特に拾って片付けたりしないから二匹の猫が遊んだままに放っとかれる。一日は無駄口なく進み,入ってきたのと同じようにとても自然に(たいへん静かに),光がベランダから出ていって部屋の灯りに頼る時間になれば,左の猫と夕食を済ませる。人のボクが食べるメニューに一品のツナサラダがあるのは偶然じゃない。それがいつもの決まりになって,どちらの猫にも了解を得ている(あるいは不平を言わない。)。二匹の猫にはいつもの食事を用意した。手抜かりなく,温かいもの。ただスープが無かった。要らないものと,思ったのだ。
 玄関のかけ上がりのすぐ側,右の猫のために置いておく夕食は少し残る。右から食べるから左に偏る右の猫だ。左の猫と片付けに向かえば,左の猫は必ずそれを嗅ぐ。食べていいのかな?と聞くように顔をあげる左の猫には,いつも「いいと思うよ。」と答えるだけれどそれを食べるところを見たことがない。その日も振り返り,台所に向かう左の猫を追ってボクは後からついて行った。台所につけば,まずはビニール袋を一枚とって捨てる。それから器を明日の朝のために洗う。左の猫は上手に顔を洗っている。ボクは器を洗い終わったら,それを片付けるところまでした。
 次の日の午前を迎えるまでにリビングにある壁に接着させたテーブルで,三脚あるうちの椅子に隣り合って左の猫は眠り,ボクは書き物をする。まだ必要な冷房はそれでも設定温度を上げてうなり,小音のラジオを聞くことの邪魔になる。時々だから消してもみる。けれども後から付けたりしている。冷えた紅茶を容れたカップにそれは害にならず,気が向いたら齧ってる,二匹の猫が好きなクッキーにだって何の支障もない。
 『一応』とか,『形の上』でとかついて来そうなものを片隅に寄せて,ボクはそのまま書き物を続ける。左の猫は眠っている。
 右の猫は,顔を見せる時に鳴かない。目が合ってもただ歩き,干し終わって乾いた衣服を背もたれに掛けた右隣の椅子の前に座ってから,ボクに向かってひと鳴きするのだ。ハンガーの先が座椅子部分に向いてるからだと思って衣服を取ると,一度のジャンプでそこに座る。それからボクを眺める。ボクは手に持った衣服を自分が座る椅子の背もたれに置き直す。ハンガーの先が背中に嫌に当たったり,場合によって刺さったりしないように気を付けて,書き物を再開する。右の猫は眺め続けてるんだと思うしかないのはボクがそれから一度も顔をあげないからで,右の猫が動いた気配がしないからだ。
 ボクは書き物を続けて,右の猫は眺めている。
 冷房もすっかり眠って,きちんとラジオから聞こえるのは聴き覚えのある何かだ。曲かも知れなく,または番組オリジナルのジングルなのかもしれない。早口にならずに,パーソナリティーを務める女性はそれに重ねて一足早いお得な情報を伝える雰囲気がある。住所まで述べられ,割引にもなるキーワードも教えられるが何に関してかということを聞き落としてしまっていた。行って見なければ分からない。そういう情報が耳に残る。左の猫は,確かに眠ってる。
 それで書き物は終わる。締められた一日とともにペンを置き,テーブルに落とすように一息を付いてから椅子から立ち上がり,衣服を持って自室に向かう。午前は一時間を過ぎて,家の片付けはまだ終わっていないから気持ちの上で急ぎ足になる。開きっぱなし,開ける必要のない自室に足を踏み入れて,立ったままのアイロン台の上に置いた衣服を選り分けては畳めるものを畳んで衣装ダンスに仕舞い,それから邪魔になったりしない配置で整理してあったアイロン取り出す。『ちゃぷっ』という水は流し忘れていた今朝のものであることを知りながら,そのままに電源を入れて,皺伸ばしのスチームを起こるのを待つ。数枚のシャツ,偶然のその一枚目をアイロン台に乗せながら既に変わった日付を目覚ましの,デジタル表示で目にする。数字の上で変わったもので,何年も大きな模様替えをしていない自室のように真新しさは感じないものの,今日は始まったということを約束事として確かめる。暫くして手元のランプが消え,アイロンが温まり,一枚目のシャツにあてれば今朝と同じくスチームが皺を伸ばす。ボタン付近のアイロンが上手くなった自分を褒めつつ,ついて来て,足下で眠る右の猫を踏まないように気を付ける。
 どちらの足で問題ない。
 短毛の鋭いセンサーに応じれば,それは難しいことじゃない。意味の変わったアイロン台の下に,これが終わるまで居るのだから。




「辞書を濡らしてしまってね。」
 その日のチチはその日にあった一連の出来事を話していく中でボクに言った。謝るようなニュアンスと,ただの事実として述べる高い父の声が混ざって耳から読もうとするその表情は複雑なものになった。チチは度々見えなくなる。電話に限っての話だけれども。
辞書は誰のものかということを聞き返したボクに,チチは「恐らく,(と一拍置いて手元を再度確認したようにしてアネの名前を言い,)ではないと思うんだ。」,という曖昧な返事を返した。「思うって,思うのは何で。」と,幾分変な形でボクが質問したのははっきりし切れないチチの推測のうねりに沿って,遡ろうと思ったからだった。はっきりする時ははっきりするのがチチである。はっきりし切れないときは,そのはっきりし切れない所にチチの意図を超えた意味がある。
 チチが言うには,家に辞書は三冊あった。うち一冊は確かにアネのだ。構成する全頁によって成る,書き込み可能な辞書の上部にマジックペンで豪快なアネの名前が書いてある。しかも漢字で達筆だったそうだから,したがってそれはアネのである。実際,アネがボクに譲ってくれた一冊は裁縫に関する本で,付箋紙の先にある『コツ』はアネの目に止まったのかどうかが疑わしいものだった。だから,やはりそれはアネのである。そこに疑問はない。
「でな,残った二冊なんだがまずどちらにも『名前』は書かれていないんだ。上から下からと見てみたが,綺麗なもんだった。使ったかを疑うくらいな。」
 綺麗に使ったんだという弁解は受け入れられたかは不明だけれど,その二冊は取り敢えず『ボクのもの』という可能性を残した。ボクは確かに名前を書かない。忘れることと混同することを出来るだけ気を付けるタイプなのだと,ボクを評するアネの言だ。
 「それで?」と先を促すボクに,チチはうねりの始まりを感じさせる一息をついた。
 問題は中にあった紙切れで,そこに書かれた文字と挟まれ方にあった。文字は茶色いインクのもので,記憶を助けるためのメモというよりは文章,しかも内容を思わせるものであった。そしてそれは紙片となっている。斜めに割かれて,二枚となっているのだ。それを滲ませて,ダメにしてしまったというのがチチの言葉だ(どうやらチチは,そのことについて謝ろうとしている。)。
「正直なところで,これをお前が書いたとは思えないんだがな。文章は日本語,それは滲ませてしまった今見ても分かる。筆跡は,よく分からん。(アネの名前を言って)と違ってお前の筆跡を覚えてないからな。だからお前が書いたものであっても変じゃない。そうでなくても可笑しくない。ただな,繋げた文面として見れば『そういう雰囲気』じゃないんだ。紙の上を流れる『雰囲気』が違う。何というか,拙いんだ。うん。下手じゃない。拙いんだよな,この慣れてない感じは。『異国が如実に表れてしまってる』という感じだ。」
 聞いて,ボクの推測もうねり始める。『異国が如実に表れてしまってる』文面?日本語であって下手でなく,けれど拙いというもので?例えば翻訳された小説とも違うのだろうか?いや,そもそも小説だったらボクは書いたことがない。レポートの下書きなら提出と同時に捨てたことはあっても,割くなんて手間はかけたこともない。何よりその割かれ方は真っ直ぐなもので折り目が付いた対角線に素直に従わず,縦書きの真ん中より数センチ上から行われていた。カッターか何かの道具を用いて,上手に引いたように割かれている。焦りなんて見えない。「その手口は穏やかそうだ。」とチチは断言する。処理を施すにしても,ボクはそこまでしないだろう。
 判読可能な分だけ電話口に向かって読み上げようかと聞いてくるチチに,書いた記憶はボクにも無いと伝えた。ボクがしない「こと」で断定した,記憶の曖昧を残さない判断だ。チチは「そうか。」と一言,当たった予想が期待通りだったのか,そうでないのか分からないような返事をした。期待に答えなきゃいけない訳もないのに,それに対するボクの返事も曖昧なものになった。結果としてはっきりとは言わずに,チチの謝罪を受け入れたボクになってチチとの電話は終わりに向かっていった。
 同時に,会話も終わりそうな頃合い,電話も切れてチチがこれから趣味の夜釣りに向おうとする流れに逆らうように聞いてもあまり意味はないと思っても,けれどしたかった質問をした。念のためにしておく戸締りの確認のように聞いておきたかったこと。チチが言うに家にあった辞書は三冊あって,うち二冊はボクのものかもしれない。そして二枚に割かれた紙片は辞書に挟んであった。そうなると一応浮かぶ疑問だ。それならその紙片は 「どちらの辞書に挟まっていたのか」。
 淀みなくチチは答えた。
「どちらも何もないよ。三冊とも出版社は同じ。うち一冊は名前入りで,残り二冊は名前なし。濡れたのは確かに一冊だが,二冊のうちどちらと答えるとすれば『濡れた方の一冊』としか言いようがない。区別は,他に無いのだからな。」
 ただチチは続けた。
「強いて言うなら,紙片が挟んであったのは右の辞書だ。私が右手で持ってるからな。もう一冊は受話器を持った方の左腕で挟んでる。」




 割かれた二つの紙面は一枚に貼り付けて送ってもらうことにした。住所を改めて言わなければいけなかったのはチチが連絡先を書いたメモを失くしたからで,それを早めに手帳に書き込まなかったせいだ(たまにかけるだけの電話番号は忘れていなかったのは,夜釣りに行く前に電話をかけると良い釣果がもたらされるというボクのおかげだろう)。
 紙面は後日届いた。きちんとしたぞ,と言わんばかりに濡れていた辞書も乾いて届けられた。紙面も元の位置に挟み直したらしい。対角線に沿っていない,聞いた通りに綺麗な直線となって割けられていた部分は器用にテープで貼り付けられて,紙面の文字を滲ませていた。見れば日本語,自分の書いた字でないようにも思えるけれど確信は持てない。内容を思わせる文章は判別し切れず,けれどきちんと消えずに残っている。だから目を通せば意思めいたものを感じる。崩れて,追い切れていないような文字は意味を特定するのに大切な部分だけ読み取れない。それで手つきは目立ち,筆先の,文字の滲みとは関係のない震えのようなものも拾ってしまう。慣れないものに悪戦苦闘して,一所懸命に書いたのかもしれない。それは道具で,言葉かもしれない。あるいはそうでないかもしれない。けれどそこには居たのだろう。意思をもった,主体と呼べるものは。チチはこれを『異国が如実に表れてしまってる』と言った。ボクはこれを『人のような歩み』だと思う。
 挟んだまま,手にも取っていなかった紙片を一枚として取り上げて,背景になっていた頁を見るのを忘れてそのままになっている辞書には『t』で始まるところに『themselves』がいまも見当たらない。その点について二匹の猫は特に何も言わず,ただ新たに『me』をそれぞれ口にしている。



 

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  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-12

Copyrighted
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