After two hours

ケース・1

『温情刑事・熊田三郎太の担当事件』


 一見してもすぐにそれとは分からない白い乗用車、いわゆる覆面パトカーから下りた熊田三郎太は、急な山道を駆け上がっていく。後ろには相棒、というにはまだまだ経験不足の新人、八木がついてきている。
「クマさん、間に合いますかね」
「だから、急いでんだろうが!」
 激しい息切れの合間に、熊田はなんとか声を張り上げた。しかし五七歳という年齢と、少しベルトに乗った下腹が体力を奪う。たまらず足を止めると、膝に手をついて背中で呼吸をする。
「おい、ハチ。お前、若いんだから先に行け。いいな、被疑者見つけたら、出来るだけ時間稼げ」
「クマさん。僕のこと犬みたいに呼ばないでくださいってば」
「いいから、早くいけ!」
 八木は「はい!」と元気よく答えて、急勾配の山道を軽快に上っていく。熊田はそれを少しうらめしそうに眺めながら大きく息を吐くと、早足で後を追った。
 熊田三郎太。通称、温情のクマ。白髪交じりの無精髭は体型も相まって、まさにそのあだ名通りだ。彼は今回の事件を思い返していた。 
 ことの始まりは三ヶ月前。新興の輸入販売業社の社長、尾上が自宅で殺され、放火されるという事件だった。
 二階で寝ていた母親も煙に巻かれて死亡。妻は一命を何とか取り止めたが意識不明の重体。高校一年生となる一人娘の修学旅行中に起きた惨劇だった。
 犯行現場は焼失したため、捜査は難航。自宅や社長にかけれていた高額の保険金を狙った妻にも容疑がかかった。事実、尾上には愛人がいて、妻が探偵に浮気調査を依頼していた。
 そんな中、またも殺人が起きる。被害者は尾上の友人、綿貫。表向きの繋がりはなかったが、裏の汚い仕事を受け持っており、強引な会社運営による恨みかと思われた。
 そして、懸命な捜査をする警察をあざ笑うかのように、第三の殺人が起こる。
 綿貫の恋人、立板知恵が殺されたのだ。
 しかし、この事件と尾上の妻の意識が回復したことや、熊田たちの捜査の甲斐もあり、バラバラになっていたパズルのピースが一気に組み合わさっていった。
「こないで!」
 耳をつんざく、中年女性の声。風が潮の香りを運んでくる。
「ま、待て! 落ち着いて!」
 熊田が木々の合間を抜けると、慌てた様子の八木が両腕を大きく広げて距離をとっている。
 中年の女性が社長の娘の喉元にナイフを突きつけている。二人の背後は崖になっており、はるか下はいくつもの鋭い岩が波を砕いている。
「金子、さんだね」
 熊田は息を整え、静かに話しかけた。尾上社長には一度の離婚歴があり、その元妻が彼女だ。
「こないで! でないとこの子と一緒にここから飛び降りるわよ!」
 元妻、金子は追いつめられているのを理解しているのだろう、非常に興奮し、背後の崖へと足をすり寄せる。
「そんなことはさせねえよ。金子さん、この一連の事件はやっぱりあんたが起こしたんだな」
「そうよ! 私が尾上を殺したのよ!」
「尾上がそれほど憎かったのかい?」
 鬼気迫る彼女とは対称的に、落ち着いた声で熊田は語りかける。
「ええ! 憎かったわ! 昔のことを忘れて幸せに暮らしているあいつが!」
「……昔、か。あんたには確か、娘がいたんだよな」
 熊田の言葉で金子の表情が少し緩む。過去のことを思い出し、落ち着きを取り戻しつつあるようだ。
「そうよ、尾上と私の子よ。でも、あの子は生まれた時から病気がちだった。お金の無かった私達は満足に病院にも行かせられなかった。離婚してからもお金のない尾上の養育費は生活の足しにもならなかったわ。そして、五年前、あの子は風邪をこじらせて、死んでしまった……」
「だからといって。尾上社長を恨むのは……」
 八木の呟きを熊田が手で制止する。「それで?」と熊田は金子に話の続きを求めた。
「娘を失って、私の生きがいはなくなったわ。でも、あの子が死んで養育費を払わなくなった尾上は新しい家族を作り、仕事は成功を治め、何不自由な暮らしていた。私は尾上に会いに行った。せめて、お線香の一本でもあげてくれと、頼みこんだわ」
 金子の顔が歪んだ。絞り出すように言葉を続ける。
「でも、あいつはお前らとは他人だ。自分は関係ないと言ったのよ。許せなかった。どうしても、許せなかった。……あの日、私は尾上の家に忍び込んだわ」
 熊田はなるほど、という感じで大きく頷いた。そして、今度は質問を返す。
「綿貫はなぜ?」
「偶然、あいつも尾上の家にいたの。そして私は脅された。殺すしかない、と思ったわ」
「立板知恵も?」
「あの女、尾上の遺産を狙って、この子を殺そうとしてたのよ。止めようと、もみ合っている内に気がついたらナイフが刺さって……」
 金子の返答に、熊田はため息を一つ吐く。
「あんた、これからどうするんだ?」
「どう……って?」
「もう復讐は終わったんだ。警察にもバレてしまっている」
 金子はうつむき、答えない。すでにナイフを持っていた腕は力なく垂れ下がっている。今は、その身を娘に任せるかのように抱きしめているだけだ。
「尾上の家から現金を盗んでいるのも調べがついている。その金を持って、海外にでも逃げるつもりだったか? 目撃者のその子を連れて? まさか、その子を殺すわけはないよな。だったら、助けはしない」
 そう言うと、熊田は目線を水平線へ向けてから、ゆっくりと真実を告げる。
「なあ、尾上社長が墓を建てていたのは知ってるか?海の見える丘の上に、娘さんのだ」
 一瞬の間があった。金子は目を見開き、驚きの表情を隠せない。
「う、嘘よ! 尾上がそんなことをするはずない! だ、だって……」
「冷徹な言葉は、あんた達を幸せにできなかったという罪悪感から、思わず出てしまったんだろうな。尾上社長の本心は別のものだった」
 抑揚なく、淡々と熊田は語る。
「つまり、やっぱり娘は娘だった、ということだ」
 金子の手からナイフが落ちた。その頬には涙が伝っている。
「そんな……」
「さあ、もう十分だろう。罪を償おう。まだまだやり直せる」
 膝をついた金子が無言で頷く。そして、両手で顔を隠すと、肩を振るわせて泣き出した。
 その後、遅れて到着した二人の巡査に両腕をつかまれて、金子は連れていかれる。その背中に熊田は言葉をかけた。
「金子さん、出てきたら、娘の墓参り、行こうな」
「はい。ありがとうございました」
 金子は振り返り、深々と頭を下げた。

 窓のない、広々とした清潔な部屋。そこにいる十数人全員が緊張し、一人の言葉を聞いていた。
「被告は反省しているとは言え、元夫を殺害し、さらに被害者の自宅に火を放ち、一人を焼死させ、もう一人を重傷を負わせ、現金を奪って逃げたことは事実であり、残酷極まりない。また、脅迫してきた相手を殺すという短絡的な犯行を重ね、たとえ、正当防衛として人を守ろうとも、これまでに犯した罪が贖えるはずはなく、極刑をもってあたる他にはない。よって、求刑通り、被告を死刑に処す」
 裁判官は主文を読み終える。
 二審は控訴を棄却。金子の死刑が決まった。



ケース・2

『文武両道探偵・賀修院有人(がしゅういんあると)のクライムファイル
 カラクリ蝋人形館連続殺人事件』


         *

「今回の事件は、被害者はまず、自分と同じ姿のカラクリ蝋人形によって死の状況を予告され、その後、同じように殺害される。……と、我々に思いこませたものでした」
「思いこませる?」
「はい。全てはたった一つの殺人のアリバイを得るためです」
「そ、それは?」
 警部、葉場のセリフに無言で一度頷き、そこにいる全員を一瞥する。
「その前に、今回の事件を整理しましょう」
 賀修院有人は落ち着いた口調で、話し始めた。
 人里離れた山奥の、十数キロにも及ぶ敷地内に雁由我(かりゆが)家の本宅である巨大な洋館がある。通称、カラクリ蝋人形館。敷地内には他にもいくつか建物があるが、洋館から少し離れた場所にある、鍛錬場と呼ばれる和風の平屋建築が一番新しい。
 その中、畳のひかれた柔道場に、関係者全員が集められていた。
 古くは戦国の時代より、代々受け継がれてきたカラクリ人形師の一族、雁由我家。
 それを蝋人形に組み込むことに成功し、さらなる技術の発展をさせた頭首、雁由我亥左ェ門。もう、八〇を超える年齢ではあるが、その腕が衰えることは知らない。
 そんな彼が行方不明だと、息子の龍一郎から県警の警部である葉場に連絡があった。
 以前から雁由我家と面識のあった葉場は話を聞くが、事件性は特に感じられなかったため、馴染みの探偵である、賀修院を連れてくる。
 二人が雁由我家に到着する頃には夜も更け、捜索は明日からということになった。洋館には、そこの住人である雁由我家の者達と同じ姿の蝋人形が飾られており、亥左ェ門が作ったものだそうだ。
 台風も近づき、小粒の雨が降り始めた、その日。
 惨劇は始まった。
 朝、見つけたのは執事の江藤だった。飾られていた雁由我家の蝋人形が消えていた。ただ一つ、バラバラに壊された龍一郎のものだけを残して。
 そして、夕刻。龍一郎が惨殺されているのが見つかる。その姿はバラバラに壊された、彼の蝋人形とよく似ていた。
 葉場が県警本部に連絡をするが、雁由我家へ向かう道が台風接近のため通行止めになり、さらに道路の一部に土砂が流出しているらしく、どうしても台風が通過してからしか行けない、ということだった。
 賀修院と葉場は雁由我家にいる人物を集める。
 殺された龍一郎の妻、陽子。そして、二人の子供たちである長女、飛鳥。長男、和馬。次男、(まさる)。次女、瑠美の四人。和馬の婚約者、井沼。龍一郎の弟、寅之介。その娘、美羽。二人のメイド、牛尾と日辻。執事の江藤。十一人、全員のアリバイがあった。
 犯人はその場にいない、狂気に取り憑かれた亥左ェ門ではないかと憶測が飛び交う。
 次の日、激しい雨音の中、メイドの牛尾が大広間からつり下げられた二体の蝋人形を見つける。一体は龍一郎の妻、陽子。もう一体は、誰でもない、すなわち雁由我家以外の人物を表していた。
 賀修院と葉場が全員の安否を確かめると、陽子の部屋にすでに冷たくなった二つの体が横たわっていた。
 犠牲になったのは、やはり陽子と、和馬の婚約者である井沼だった。二人とも睡眠薬を飲まされた後、首を絞められたことによる、窒息死だった。
 一連の事件の鍵を握ると思われる亥左ェ門を、一刻も早く見つけるべく、捜索が続けられる。
 そしてついに、地下の隠し部屋から亥左ェ門を見つけ出す。しかし、変わり果てたその姿は死後三日は経過しており、その傍らには彼の蝋人形も発見された。
 賀修院と葉場が地下から続くハシゴを上がると、洋館三階の部屋へと出た。そこは和馬の部屋であり、あまり丹念に捜索していなかった部屋だ。
 彼への疑いが深まった、まさにその時だった。
「助けてくれ」
 男の声が聞こえた。二人が廊下に出た、目の前でそれは起こっていた。風雨が吹き荒れる中庭を挟んだ、向かい側の廊下を逃げる和馬。そして今まさに、彼の背中にナイフを突き立てる、マントを羽織った人物。犯人は和馬をそのまま羽交い締めにし、近くの部屋に引きずり込む。
 賀修院と葉場が慌てて追いかける。飛び込んだ部屋には、ズタズタに引き裂かれた蝋人形が視界に入る。そして、割れんばかりの窓が開く音。その音に促されるように視線を送った先、奥の部屋には、血だまりに沈む、無惨な和馬の姿。
 何度も壁を叩く、開かれた窓の枠にはロープがくくりつけられており、激しい雨と風が絶え間なく、部屋の中に吹き込んでいた。
 さらに、数時間後。
 蝋人形製作のための小屋が炎に包まれる。降り続ける雨と懸命の消火活動で、火はすぐに消し止められたが、木材と油、蝋が置かれた作業場は火の周りが早く、全焼は免れなかった。そして、焼け跡からはメイドの牛尾の遺体が発見される。頭部には殴られた痕跡があり、撲殺された後に火をつけられたと思われる。しかし、遺体が完全に燃え切っていなかったことから、犯人は遺体ではなく、建物に火を放ったようだ。
 台風が去り、青空の広がる朝。自らの犯行を認める遺書と共に、部屋で首を吊る叔父、寅之介が見つかった。遺書にはこの一連の事件の全てが書かれており、龍一郎を殺害したときのアリバイトリックや、隠し通路を使っての移動など、彼が犯人であると証明されるものであった。
 事件はこれで終わりかと思われた。しかし、賀修院は真犯人が分かったと言って、みんなをこの柔道場に集めたのだ。
「でも、どうしてわざわざこんなところに? 大広間でもいいでしょう?」
「それは後ほど、説明します」
 長女の飛鳥の質問に答えると、続いて次男の優が聞いてくる。
「犯人は叔父ではないのか?」
「はい。犯人はこの中にいます」
 賀修院のその一言で空気が変わる。全員に緊張が走り、互いに猜疑の顔を見合わせる。
「一体誰なんだ? デマカセは止めてくれよ」
「もちろんです」
 優の問いに賀修院は自信をもって答えた。現在、この場にいるのは長女、飛鳥。次男、優。次女、瑠美。叔父の娘、美羽。メイドの日辻。執事の江藤の六人。
 賀修院の推理が始まった。
「寅之介さんのそばにあった遺書。これは真犯人の作った偽物ですが、それによると、龍一郎さんを殺害した際は、ベッドに蝋人形を置いて、美羽さんに眠っていたように思わせた、と書いています。ですが、もう一人不完全なアリバイを持つ方がいました」
 全員が息を呑んだ。一拍、間を置いて賀修院が口を開く。
「あの時、安全確認のために、江藤さんが洋館内を見回っていました。その時、彼が目視してなく、且つ、アリバイを証明できた、もう一人の人物」
 賀修院は手で指し示す。
「優さん、あなたです」
「俺?」
「はい。あなたはあの時、製作小屋にいたと言っていました。そして、それを裏付ける証言として、井沼さんが向かうところを見たと言っていました」
「ああ、それが?」
 優は落ち着いた様子のまま、変わらない。
「ですが、我々が到着したあの日は濃霧が発生しており、洋館三階の井沼さんの部屋からでは、地面は全く見えなかったはずです」
「と、いうことは井沼氏は共犯?」
 羽場が口を挟んだ。賀修院は大きく頷いて、話を続ける。
「はい、おそらくは。彼女は頼まれた通りに話しただけでしょう。そして、利用されていることに気づかずに殺されてしまった。陽子さんと共に、睡眠薬を飲んで」
「まてまて」
 と、優が二人の会話を止めた。苦笑混じりに話し出す。
「そんな推測だけで話されちゃ、たまったものじゃない。大体、兄貴が殺された時、あんたたちが見てたんだろ? 俺は兄貴の声を聞いて部屋に向かったんだから」
「そうですね。確かにあなたは、我々が部屋に入ったすぐ後に駆け込んできました」
「だろ? 犯人は窓から逃げたんだ。俺が犯人ならそんなすぐに戻っては来られない」
「犯人が本当に窓から逃げていれば、ですが」
 賀修院の返答に、「何?」と、優の顔が一瞬ゆがんだ。
「あの時、犯人は部屋から出ていないのです」
 言い直す賀修院に、葉場が聞いてくる。
「一体、どういうことだ?」
「犯人から逃げていた和馬さんは遂に捕まり、壊れたカラクリ蝋人形が用意されたこの部屋に引きずり込まれて、とどめをさされた。そして犯人は、ロープを使って窓から外へと逃げた。……確かに、状況はそのように見えます」
 葉場は何回も相づちを打って、話を聞いている。
「しかし、あの時すでに、和馬さんは殺されていたのです」
「何だと? じゃあ、我々が見たのは……」
「カラクリ蝋人形、です」
 賀修院の言葉に、葉場は驚きの表情を隠せない。淡々と賀修院は推理を続ける。
「和馬さんを殺した犯人は、用意していたカラクリ蝋人形を持って廊下に出ます。そして、目撃されるようタイミングを見測り、人形にナイフを突き刺し、部屋へと引きずり込んで壊す。その後、自分は部屋の扉の裏へと隠れ、誰かが入ってきた後に、たった今、来たかのように出てきたのです」
「なるほど……、いや、しかし、我々は和馬氏の助けを求めている声を聞いている。君の推理では和馬氏はすでに死亡してなければならない」
「あの声は、犯人が出したものです」
「な……」
 葉場の疑問を賀修院が即答する。葉場は言葉を出せない。
「考えてみて下さい。和馬さんが自身の命が危機的な状況で出す声はどんなものか、なんて我々は知りません。おそらく、家族の方でもわからないでしょう。せいぜい男女の区別くらいで、しかも大雨が降りしきる中で、です。重要なのは声の質ではなく、言葉の意味なのですから」
「なるほど。そうなると犯人は男。そして、カラクリ蝋人形に詳しい優氏、ということになるのか」
 葉場はそこまで言って、「ん?」と首を傾げた。新たな疑問が出たようだ。
「では、窓が開いたのは?」
「あれもカラクリを応用してできます。あの時、部屋への扉はわずかに開いていただけでした。窓枠に、軽く丈夫なカラクリ用の糸とバネで作ったものを繋ぎ、天井を伝わせて、扉の裏で固定します。我々が部屋に入ると同時に、それをはずせば……」
「バネで窓が開いて、糸はバネと一緒に窓の外へ落ちる……。なるほど、カラクリに詳しい、優氏ならではのトリック」
「はい。そして、声、カラクリ蝋人形、遺体、窓の開く音、という順番に人の意識を誘導させ、扉の裏に気をとらせない技術も見事です」
 賀修院と葉場で続けられる推理に、優は苛立ちを隠さずに声を荒げる。
「まてよ! そんなの叔父だってできただろ! なんで俺が犯人なんだ! 証拠なんてないだろ!」
「証拠、ですか」
「ああ、証拠だよ! あんたがそこまで言うのなら、俺が犯人っていう、決定的な証拠を見せてみろよ!」
 激高する優に対して、賀修院は冷静に「そうですね」とだけ言って、言葉を続ける。
「地面に落ちたカラクリを回収したあなたは、それを持って製作小屋へ向かいました」
「それが証拠だと? 残念だが、そんなものあっても、もう焼けてしまっただろ?」
「その通りです。ただ、あの火事は予定外だったのではないですか?」
「どういうことだ? じゃあ、あの火災は別の誰かが起こしたと?」
 再び、葉場が質問を挟んだ。
「いえ、火をつけたのは優さんです。ただ、火災を起こすことは元々の計画には入っていなかった、ということです」
 賀修院は視線を葉場から優へと移す。
「あの時、製作小屋に入ったあなたは、あるものを発見した牛尾さんと会ってしまった」
「あるもの?」
「まだ見つかっていない三名……、つまり、優さん、飛鳥さん、瑠美さんの姿をしたカラクリ蝋人形です」
 賀修院は優の態度を見定めるように、葉場の問いにも目を離さずに言葉を紡ぐ。
「そして、思わず殴って殺害してしまった」
 優は伏し目がちで、怒りの表情は消え、今は何の感情も見せていない。
「ここからは、本当に私の推測となるのですが、優さん、あなたは彼女のことが好きだったのではないですか?」
「どうして、そんなことが言える?」
 視線は地面のままで、吐き捨てるように優が聞き返した。
「火災の状況です。通常、証拠を消すための放火は遺体にも火をつけます。ですが、今回は明らかに建物にしか火はつけられていない」
「それだけで?」
「いえ、それからもう一つ。皆さんをこの柔道場にお招きした理由でもあります」
 賀修院はそこで言葉を止めた。全員の顔を見渡してから、話を続ける。
「先程、全ての方の履き物の裏を確認させて頂きました。優さんのものにだけ、カラクリ蝋人形で使われている蝋がついていました。ご存知の通り、カラクリの動きで剥離しないよう、この蝋は強度と粘着性が高く、一度冷えて固まると、なかなかとれません」
 賀修院は小さなビニール袋を取り出す。その中には何か小さな欠片が入っている。
「これは、寅之介さんが殺されていた部屋で見つけた、その蝋の破片です。優さんのクツの裏に付着していた蝋の中に、何本かの細い筋が入っています。そして、この破片にも、わずかですが見られます」
「何が言いたい?」
「牛尾さんを殴ってしまったあなたは、彼女が息を引き取るまで、さらに建物に火をつけてからも、しばらくは彼女の側にいたのではないでしょうか? そうして、いよいよ火の勢いが強くなってくると、あなたは製作小屋を後にした。……彼女の血が混ざった、溶け出した蝋を踏みつけて」
 ついに優が押し黙った。
「外は雨が降っていましたので、クツの裏についた蝋はすぐに冷えて固まります。……これが、決定的な証拠です」
 賀修院の推理が終わる。うつむいたままの優を誰もが注視していた。しばらくの沈黙の後、口元に自嘲の笑みを浮かべて優が口を開いた。
「……俺だけじゃない。彼女も俺のことを愛してくれていた」
「あなたが犯人だと認めますね」
「くく……、ははは……、ハーッハッハッハッハ!」
 賀修院の問いかけを容認するように、優は狂気じみた笑い声をあげた。側に立っていた飛鳥と瑠美が、怯えたように離れた。
「だがな! この家の財産は誰にも渡さない! 全部、何もかも! 俺のものだ!」
 優はそう叫ぶと、懐からナイフを取り出した。緊張が走る。
「それが動機ですか」
 一言、賀修院が言う。その目つきが鋭くなった。
「計画はまだおわっちゃいない! 次は姉さん、それから瑠美! そして、降って湧いたように出てきやがった美羽! 全員逃がさない!」
 言い終わると同時、優は飛鳥に向かって飛びかかる。が、先に飛び出した賀修院が彼の腕をつかみ、ひねりを加えてナイフを落とす。そしてそのまま、関節を極めて投げた。
 一瞬の出来事。柔道場の畳へと背中から落ちた優の腕を離さずに、賀修院はその腕だけで彼の体を操る。優を仰向けから腹ばいにし、背中に回した片腕だけで押さえつける。畳に押さえつけられた優の動きは完全に封じられ、手足をわずかにばたつかせるだけだ。
「う、うわああああ!」
 優が叫んだ。いくつもの感情が入り交じって膨れあがり、一気に爆発した、鬼気迫る雄叫びだった。
 気づけば、パトカーのサイレンがいくつも聞こえてきている。ただ、その音はまだまだ遠く、彼らが到着するには、もう少し時間がかかりそうだった。

          *

「まだだ……! まだ、終わっていない!」
 数名の警察官に連れて行かれながらも、優は言葉とも、うなり声ともとれない声をあげていた。
 優の乗せられたパトカーを見届け、カラクリ蝋人形館の前で、賀修院と葉場が立っている。台風も通り過ぎ、空は遠くまで晴れ渡っている。
「今回も見事な推理だったよ。賀修院君」
 言って、葉場は右手を差し出す。が、賀修院は手の平を見せるようにして、その行為を遠慮した。
「いえ、もっと早くに気づいていれば、被害を減らせたと思います」
「何を言う。この短期間では十分だよ」
 複雑な表情をする賀修院。その背後の扉が開き、飛鳥が顔を出した。
「そうです。私たちの命を救って頂きました」
 二人の話を聞いていたのだろう、飛鳥のお礼に、賀修院は口を真一文字にして頷いた。葉場は出していた右手を前へ、待たせている車の方へと向ける。
「では、我々も行こうか」
「はい」
 二人は飛鳥に深々と礼をして、車に乗り込む。彼女もまた、深く腰を曲げて感謝を示す。それは車が見えなくなるまで続いた。
「莫大な財産を欲するあまり、愛する人を失い、その財差をも失う……。皮肉なものですね」
 流れていく外の景色を眺めながら、賀修院は静かに呟いた。
「うむ。極刑は免れぬだろうが、それまでは自らの犯した罪を反省してもらいたいな」
 葉場の言葉を乗せて、車は山道を下っていった。


 数ヶ月後、雁由我優の裁判が開始された。敏腕の弁護士を雇い、無罪を訴えた彼の裁判は数年かかる。
 結果、七件の殺人の内の六件は証拠不十分、一件は心神衰弱の鑑定が採用され、雁由我優は無罪となった。
 なお、この裁判結果が出たとき、賀修院は電波塔が破壊された孤島で推理を行っており、その結果を知るのはまだ先のことである。



ケース・3

『現場デカ・最後の捜査』

         *

 潮風が吹き、船の警笛が遠くに聞こえる。人気のない、寂れた港の倉庫街。高く昇った真夏の太陽に照らされながら、男が走っていた。
 男は必死の形相で後ろを振り返る。が、そこには何もない。その表情が、にやりと不敵な笑みへと変わって、正面へと顔を戻した。
 その瞬間、倉庫の角から誰かが飛び出してきた。
 男は避ける間もなく、ぶつかる。
「ああ? いってえな! クソがぁ!」
「黙れ! 鹿金(しかがね)ぇ!」
 安物の、よれた背広を着た男は、彼が鹿金と呼ぶ男を地面へと押さえつける。そして、腰から手錠を取り出すと、その両腕へかける。
「ついに捕まえたぞ、鹿金弥太郎! 七四件の強姦、五八件の殺人、二二件の誘拐、五件の列車脱線、八件の爆弾テロ、お前が犯した罪、必ず後悔させてやる!」
 彼の名は読江幸雄。刑事だ。八年間、この凶悪犯罪者の鹿金弥太郎だけを追ってきた。
「知るか、ボケぇ! お前も死ね!」
 鹿金の言葉に、読江は眉間に深くシワの入った表情を、より苦々しく歪ませる。彼は右手で鹿金の頭をつかむと、その顔をアスファルトに押しつけて、黙らせる。左手は腰の無線をとり、連絡を入れた。
 数分後、何台ものパトカーがサイレンと共に二人を囲むようにやってきた。


「やったな! 読江!」
 鹿金の乗ったパトカーを見送り、相棒の井波が声をかけた。
「ああ」
 読江が正面を向いたまま、声を返す。
「……やっとだ。これで妻と娘の仇を討てた。俺も合わせる顔ができ……」
 そこまで言って、読江は激しく咳き込んだ。口を覆った手の隙間から真っ赤な血が流れ落ちる。驚いた井波が声をかける。
「おい! お前!」
「気にするな。もう医者にも行った。さじを投げられたよ。胃と肺、リンパにも転移しているんだとさ」
 咳が治まり、血に染まった手を握りしめて読江は背筋を伸ばす。
「後、どれくらいなんだ」
「半年、だそうだ」
「……そうか」
 落胆した声をこぼす井波だが、読江の声は明るい。
「これが俺の最後の事件だ。決着つけられて良かったよ。井波、長い間ありがとうな」
「ああ、体をいとえよ」
 あの険しかった表情はいつのまにかなくなり、清々しい笑顔を読江は返した。

         *

 読江が辞表を出してから一年半後、彼はこの世を去る。ただ、あまりに多い犯罪歴と、無罪を訴えた鹿金の裁判は長期間に渡り、その裁判結果を読江が知ることはなかった。
 結局、読江が捕まえてから五年経過し、ようやく、鹿金に死刑の判決が言い渡される。
 後日談ではあるが、鹿金は死刑確定後も無罪を訴えて、再審請求を繰り返した。
 再審請求が認められることはなく、鹿金は五〇年後、八八歳で死亡する。死因は老衰だった。


                    終

After two hours

After two hours

短編三本で一つの話。それぞれに話の繋がりはない。これをコメディというには疑問が残るが、ブラックジョークなのは間違いない。

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • ミステリー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-11

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted