すぅす

町内会というものがある。

これは、8~10世帯程度で1班というくくりで、回覧板を回したり
班行動などをする。
これは町内会により様々ではあるが、田舎であれば繋がりは
強固であり都会であれば希薄にもなろう。

私の住む町は首都圏内であり、都会寄りの住まいではあるが
田んぼや畑が住宅街の中に多く隣接しており、川の土手は
草木が生えて、昆虫や小動物たちの格好のすみかとなっている。

啓蟄にもなればバッタが目の前を横切る事さえ普通にあるし、
燕や足長蜂が家の軒下に巣を作る。
スーパーも結構な距離を自転車で漕がなければたどり着かない。

都内ではあるが、見事な田舎町である。
故に少々繋がりは土着じみていて、越してきたばかりの
我が家族には少々排他的な雰囲気だ。

と言っても私自体が対人があまり得意ではなく、
厭世的なのも手伝っていて、率先して関わらないのも
起因しているのだが。

そんな私でも、嫌でもご近所とやらと関わらなければ
ならない時がある。

班長という仕事だ。
これは希望制ではなく、年単位で必ず班の人間が順番に
やらねばならないもので、私のような新参者でも班の順番が
回ってくればやらざるをえないのだ。

必須な仕事ではあるから、必要最低限の事はやる。
まあたいていは回覧板の手配程度なもので、それほど
苦でもないのだが。

6月になると町会費徴収というものがあって、これを
各自班長がやらなければならない。
3年ほど前は各世帯が月に一度公民館に集まって、
400円弱を袋に収めて提出していたのだが
集まりが悪くなったのか、一年分をまとめて班長に集めさせて
町会長の家に持っていくシステムに一昨年から変わったようだ。

殆ど顔を合わせたことのない近所の人間から、
金を徴収するという行為が私にとってあまり気分のいい
ものではなかった。

生まれつきお金に不自由なく育ち、人に頭を下げる事など
ほぼ皆無に育った
いわばお嬢様であった自分にとって、人に頭を下げて
金をもらうという、例えただの形骸的な儀式めいたもの
だとしても、自分にはあまり気持ちの良くない行動なのである。

別にお高く止まっているわけではなく、なにか物乞いめいた
感覚に陥る為、明らかに違うと理解はしていても、
何故かどうしても肌に合わないのだ。

なのでさっさと終わらせてしまいたかったため、
この日に徴収しますと明記した紙と専用の封筒を近所に
投函していった。



私の担当班の世帯は自分含め8つ。
順番に投函していく。

そして最後の1つに辿り着く前に、班の1世帯の女性と会った。
母と同世代だろうその女性は、同い年の娘さんがいるという
観点からか、人付き合いが良くない私をそれとなく
心配してくれている人である。
彼女はその日に忙しいからと町会費を支払ってくれた。
私は一礼してそれを受け取る。
その時に彼女は少し心配そうに私を見つめた。

「そこの人ね、殆ど居ないから集めにくいかもしれない。
結構遅くに訪ねたほうがいいわよ」

私が配った紙面を見てくれたのだろう。
そこの世帯は働いている家庭が多いようだったので、
夕飯時に徴収すると書いたのだ。
だが、どうやら今から投函する家は夕飯時にも誰も居ないらしい。
彼女が班長であった時も徴収に苦労したと言っていた。

私は彼女にお礼をし、少し世間話や色々わからないことを
教えてもらって別れると件の家に近づく。

駐車場が完全に資材置き場のようになっており、
人が住む気配を感じない。
昔からそんな感じの家ではあったが、改めてその家を
まじまじとみる機会が訪れて率直に感じた感想がそれだった。

ポストに手紙と封筒を投函すると、私はさっさとその場を離れる。
徴収する時は居ればいいのだけど。と思いながら。


翌日になり、夕食を終えてそろそろ夫が帰宅するであろう
時間になったので、人気の最新ゲームに夢中の小学生の息子に対し
「ちょっと班長のお仕事してくるから。パパは5~10分くらいで帰ってくると思うから」と告げる。

息子は顔を上げて頷くと「気をつけてね」と告げ、
またゲームに目を落とす。
私は火の元を確認してから家の鍵を閉め、町会費の徴収を開始した。

予想では2日は掛かるだろうと思っていた徴収だったが、
7世帯分がものの5分で徴収できた。
皆来るのがわかっていたから、やりやすかったというのも
あったのだろう。
思惑通りに行って、これなら今日で仕事が終わると
浮き足立っていた私に立ちはだかるのは件の家だ。

私は家を見てげんなりした。やはり人の気配を全く感じない。
とはいえ、玄関を真っ暗にしていても居た家も数軒あったので
すくない期待を込めて、格子状の門戸の中に入り、
コンクリートの階段を上り扉の前にたどり着いた。

家の前に来て私は顔を少し顰めた。扉が妙だった。
8世帯ともに同じ時期に建設されたものであるためか、
個々の個性はありつつも、ほぼ同じパーツで出来た家ばかりで、
この家も例にもれずそうだった。
私の家も同じ、白い扉。

遠目から見た時はなんの変哲もなかったのだが、
近くに来て異様さに気づく。
扉一面に白いビニールテープが無数に貼られていて、
風に揺れていた。
緑のビニールテープを無理やりはがして残った跡のようなものが、
扉の四隅に残っていて、まるで何かを閉じ込めるように
していた忌まわしさを感じた。

駐車場が資材置き場になっていて、人気のない、妙な扉のある家。
ゴミ集め運動の時にここの家主に会ったことはあったが、
妙にリーダーシップを取りたがる人で、浅黒い肌の恐らく
還暦の近い男性だった。
そんなタイプの人間と家の取り合わせが全く噛み合わない為、
彼の別荘で本宅は別なんじゃなかろうかと訝しんだほどだった。

とはいえ世帯として存在している以上、別荘であれ町会費は
払ってもらわねばならない。
私はインターホンを押した。なんとなく予想がついていたことだが
見事にチャイムが壊れていた。はあ、と溜息をついて扉を叩く。

「すみません。2班の班長です。町会費集めに来ました」

割と大きめな声で問いかけてみるものの、やはり返事は
帰ってこない。帰ってないのかとも思ったのだが、
振り返ってポストを見るとそこは空だ。
手紙と封筒は目を通しているはずであることは確認できた。

8世帯の家でチャイムが壊れていて耳が遠いお年寄りが居て、
何度か声かけをしたら出てきた事例もあったので、
私はもう一度だけ訪ねてみる。

「すみません!」

先程よりも大きめに声を上げてみたものの、壁に張り付いていた
家守がびっくりして逃げ出した程度の成果はあったが、
当の家主からの返事はない。

明日もか、憂鬱だなあ。と小声で扉から背を向けた時。

【すぅす…】

扉の奥から何か衣擦れなのか、そういう音が聞こえたような
気がした。
居たのか、と思い振り返って見たが、誰かが出てくる気配はない。


【すぅす…すぅす…すぅす】

玄関あたりにいるのか、気配はするのだ。なのに出てくる
気配はない。

「あの、2班の班長です」

私が声をかけると音がぴたり、と止んだ。

『居留守?』

だとしたらこんな間抜けな居留守はない。
声をかけられて玄関先まで気配を出してしまうなんて。
居留守をするならじっと中で待っているものだろうと、
勧誘などに顔を出すのが面倒くさい居留守常習犯の私は思う。

「あの」

声をもう一度声を掛けた時、また衣擦れの音がしはじめた。

【すぅす…すぅす…すぅす】
【すぅす…すぅす…すぅす】
【すぅす…すぅす…すぅす】

―増えてる。
ふと、私はその家の明かりを確認する。
月からの自然光は見えるのだが、それ以外の部屋に電気がついてる
状態ではない。

『逃げろ』

脳の後ろの方で声がした。
小さい頃から感受性が鋭くて、金縛りや霊体験をしてきたことが
多い私が何か『まずい』事を感じ取ると、必ず聞こえる声がある。
その声を久しぶりに聞いた気がした。
子供を産んで以来、この声は聞いていなかった。

【すぅす…すぅす…すぅす】
【すぅす…すぅす…すぅす】
【すぅす…すぅす…すぅす】
【すぅす…すぅす…すぅす】
【すぅす…すぅす…すぅす】
【すぅす…すぅす…すぅす】

音が近寄ってくることに私は危機感を感じ、その場から踵を返して
駆け足で自分の家の前に到着する。
家には鍵がかかっていて、私はチャイムを鳴らしまくって
息子の名を呼ぶ。

いつもなら飛び出してくる息子が、反応が悪く、
何故か息子ではなく夫の声がした。

「今開ける」

私扉を開ける前に夫に塩を頼み、彼は塩を持ってから少しだけ
扉を開けて私に手渡す。
私は自身に振りかけ、周囲にもふりかけてからそのまま家に
飛び込むと、困惑した夫と、夫の背後で青い顔をして震えている
息子がいたのだった。


私が家を出て5分も立たぬうちに夫は帰宅していたようだった。
息子もその時は変わらず、私が町会費を集めに行っているから
鍵は掛けないで、といってくれたらしい。
彼もそれを聞いてそのまま家に入り、荷物を自分の部屋に
置きに行った。
夫は帰宅して荷物をおいてからパソコンのメールチェックを
するのが常で、息子もゲームに夢中だったことから1階の居間に
彼を置いて、普通にメールチェックしていた。
そんな時に火のついたように泣きだした息子が突然自分の部屋に
入ってきたと言うのだ。

「怖いものがくる!怖いものが!やだよ!」

息子が泣きはらして抱きつくので、夫は抱きしめてやってから
彼とともに1階に降りたが特になんの異常もなかった。

「パパ、鍵しめて」

本来なら自分で鍵を閉めることくらい可能であるはずなのに、
扉に一切近づこうとせず怯えきっている息子を見て、
夫は不審もあったが、私が帰ってきたら開けようと思いつつ
鍵を閉めたようだ。
それまではテレビを付けて二人ソファーに座って私の帰りを
待っていたらしい。

そしてあまり私の帰宅が遅いようだったら、実家の両親に
来てもらって様子を見に行こうとそこまで考えていたらしいのだ。
夫は霊感めいたものは無い人だが、息子の怯え方が異常であり、
私がそういった物に関わりやすい家系だということを知っていたので心配していたそうだ。

その日は何もなく、息子も私にべったりでそのまま眠ったが、
事のいきさつを一応夫には告げてはおいた。
夜はやめたほうがいいんじゃない?と夫に言われたのだけど
あの家主は遅くならないと居ないという話は、あの世帯では
有名らしいので、そうもいかないと私は告げた。
しかしまたあんな異常事態が起きたら、町会長には居ないと
告げて知らぬ存ぜぬを通そうと思って私も床についた。


翌日になり、当の家主が昼間、私に町会費を届けに来た。

「いや、ちょっと今日の夜から暫く開けるものでね」

気さくな感じで私に町会費を渡してから、軽く一礼すると
屈託ない笑顔で足早に去っていく。
家のことを聞こうと思ったのだけど、さすがに失礼にあたる気がして
私はそのまま町会費を町会長に届けて、捺印された各自の封筒を
渡される。

「これ、各家に配っといてね」

嫌です、とも言えないので、全ての玄関のポストに封筒を
入れていき、最後のあの家のポストにも封筒を投げ込んで踵を返す。

【すぅす…】

一瞬また耳元にそんな音がする。
昨日の事を思い出し、私は―頭にきた。

「やかましい!」

白昼誰も居なかったのをいいことに、私はここ一番に怒鳴った。

小さい頃から感受性が鋭く、こういう妙な体験をして小さい時は
泣いていたが、大きくなってからはただただうんざりする
だけだった。
あまりしつこいのを目の当たりにした場合、私は元々短気なのも
手伝って怒鳴ってしまう。
しかも悲しいかな自分の血を遺伝してしまった息子が怯えて
泣いたのが異常に腹立たしかった。
自分だけならまだしも、感の鋭い息子にまでイタズラを及ぼした
『こいつら』に対し。

すると一瞬にして気配が消え、私はわざと周囲につばを吐く。
こういうものは不浄なものが嫌いなのだ。品のない行為だが
仕方がない。

恐らくあの家主は連れてきてしまうタイプでありつつ
鈍感なのだろう。
別に変なものを飼うのは個々勝手なのだが、よその人間にまで
迷惑をかけてほしくないものだ。
人間だろうとも、妙な次元の何者であろうとも。



これだから人と関わるのは嫌いなんだ。面倒でならない。
私はそう考えてから、考えを変え今日は泣かせてしまった息子の為に
寿司にでも連れてってやろうと気分を変えて歩き出した。

すぅす

すぅす

本当にあった怖い話。

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-07

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