死花見

花冷えという言葉がある。

桜の咲く時期に高緯度地方から、冷たい空気をもった高気圧が南下し、
低温となる現象の事を指すが、もう春も盛りとなる卯月だというのに
それどころではない寒波が世界を包んでいる。

それはそうだ。

この世界に【春】が来たのは、もう随分前のことだ。
1600年以来の小氷河期以来になるそれの再来は、
私たち地球の生命体から暖かな春を、眩しい夏を奪いさった。

四月-

娘の知沙が三歳になり、幼稚園に入園しても、園の桜が咲くことはない。

「あなた。折角だから死花見に行きましょう」

入園式の帰りに寄ったファミリーレストランで、妻の美沙が提案をした。

「死花見か…気が進まないな」
「気持ちはわかるけど、知沙だって大きい桜は見たいと思うの」

お願い、と詰め寄られ、娘もクリームパフェを口に運びながら
期待の眼差しで私を見つめる。

「解ったよ」

死花見は好きじゃないのを美沙はよく知っている。
彼女もさほど好きではないはずだ。
けれど、知沙のためにもほんの少しだけでも親として折れてほしい。
そんな願いを無碍にできないし、私も知沙に【春】を体感してほしい。

私がうなづくと、知沙はパフェを食べる手を止めて、満面の笑みを見せた。


死花見は今の時代のトレンドだ。

昔の春一番といえば、暖かい嵐が吹き荒れた。それで桜が散る心配ばかりを
していたものだが、今の春一番は、名前ばかりの猛吹雪が吹き荒れる。
桜は蕾のまま、春の吹雪にへし折られ、公園には桜の死骸が無惨に散らばる。

そんな、ほんの少し芽吹いた無残な花片と木片の山の脇に
青いビニールシートを敷き、食事をしたり酒を飲んだりしながら
死んだ桜を悼む。それが死花見だ。

家族三人で公園に来てみると、死花見客が酔いどれて桜の木の幹に抱き縋って
歌を歌ったり、我々のように家族でピクニック気分でベンチに座って穏やかに
団欒をしていたり、幼い頃親に連れて行ってもらった花見と全く同じ光景が
繰り広げられている。

ただ違うのは、桜の花が無いことと、気温が十度近く低いことと、
皆が全て防寒対策をしっかりと決めこんでいることくらいか。

私は幼い頃、数回見たきりの生の桜の素晴らしさを想う。
美沙が売店でコーヒーとココアを買いに行っている間に、
私と知沙は桜の木片の山の一角にビニールシートを敷き、
簡易椅子を二つ開いて対面して腰掛けた。

「さくら、きれいかな?」

知沙はたどたどしく私に問う。

「綺麗だよ。本当に夢みたいに綺麗なんだ」

昔の満開の桜を知らない幼い我が子に、満開の桜の素晴らしさを伝える。

「・・・ほろぐらふよりきれいなの?」

知沙の無垢な瞳の光は、残酷で悲しく美しかった。
彼女は生の桜を知らないのだ。殆どの花はホログラフと
テレビの画面でしか、この世代は知らない。
殆どの花は咲かぬまま枯れ落ちるか、年を越すかしかしないから。

花冷えの言葉をふと、思い出す。
花が咲き、突然の寒気が襲い、花が散り、桜の絨毯が出来上がる。
【無残】と昔の大人は言っていた。
しかし、今の私達からすれば、それさえ素晴らしき夢の象徴。

私の子供たちはそんな思い出さえない。
三十半ばの私でさえ、【春】は記憶の彼方に追いやられている。

このまま春は形骸化して、ただの記号になっていくのだろうか。

当たり前のように感じていた、暖気と芽吹きが忘却されて
過去に追いやられていくのだろうか。

「ぱぱ、みて!さくら!」

俯いた私に知沙が元気いっぱいに声を上げて、頭上を指さした。

死花見のクライマックス。
夜の桜を完全再現した、巨大なホログラフで写し出された。
幻想的に蠱惑的に、漂う嘘の花片。圧倒されて飲み込まれ
吸い込まれそうになる花の洪水が頭上に広がった。

それと同時に美沙が頭上の桜を眺めながらこちらに歩み寄ってくる。

「きれいね、ちいちゃん」
「うん」

美沙に抱きかかえられて、無邪気に手を伸ばす娘に愛しさを感じ
それと同時にさわれぬ花片を掬おうとするその様に切なさをも感じた。

ホログラフは散る桜も舞う桜も、艶やかな夜桜さえも見事に再現するけれど、
美しさを再現するばかりで、やはり生命の息吹は再現できはしなかった。

死花見とはよくいったものだと、私は暗く微笑む。

「もう、知憲さんもいつまでもふて腐れてないで!」

どうやら寂寥感と感傷に浸っていたのが、不貞腐れていたと
取られてしまったようで、私は苦笑いしながら立ち上がって
知沙を肩車してやった。

「春、来るといいわね」

肩の上で喜びはしゃぐ娘と、偽の桜を眺めている傍らで美沙が小さく囁いた。

すべての人が春を忘れぬうちに、また春の隆盛が
世界を包むことを願ってやまない


―春よ、こい

死花見

死花見

小氷河期を生活する、ほんの少しだけ先の未来を生きる家族のお話。

  • 小説
  • 掌編
  • ホラー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-07

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