桃子さん(14年)

桃子さん(14年)

     桃子さん(14年)

                       


 福岡に居た。長野ではなかった。長崎でもなかった。僕は今、福岡に居た。長野から戻り、長崎で7カ月無収入の日々を送った後、自分は福岡の脳外科の病院の痴呆性老人病棟で働くことになった。福岡大学の鍼の先生が捜してくれた。そこで今、鍼をしながら精神科の患者をときどき診ている。院長はとてもいい人で、本当なら首になるはずの僕を働かせてくれている。給料は安いけど、税金や厚生年金を払っての給料なので長野のときよりも良いかもしれない。まだ結婚していない。もう35になっている。一人で新築のアパートに暮らしている。テレビは無いし、冷蔵庫も洗濯機もない。でも、冷房はもう2つ入れた。新築で、病院の近くで、まだ少ししか入居していない。そして僕の病気はやはりまだそのままだ。
 クスリを飲んだり、自分で自分の体に鍼をしたりしてなんとか過ごしている。そしてそのクスリがもう底を突きかけていた。そのため2週間前から福岡大学のすぐそばの小さな内科の病院からクスリを貰い始めた。
 どん底でも僕は負けない、中2の頃の自分を思い起こそうと努力している。中2の頃の自分に戻れば自分は負けない。しかしそれはとても激しい努力の日々になる。今の自分にできるか、倒れるかもしれない。中2の頃は元気だったからできたのだと思う。それにあの頃は心がとても純粋だった。今、自分は大人になっている。もうあの頃の自分に戻れるか、ただ努力して目指すしかないと思う。
 勝つしかない、勝つしかない、と毎日のお祈りのとき仏壇に向かいながら自らの心に言い聞かせていた。状況はやはり厳しい。院長と副院長が良い人だから自分は首にならずに3ヶ月半勤めてこられた。大学で研究するように言われたこともあった。でもこの病院で患者さんを相手に鍼をしながら自分の体や患者さんの体で充分研究ができていた。大学に行っても研究はあまり進まないことは目に見えていたし、そのことを院長の高校時代の友人である福岡大学の鍼の先生もそう言っていた。
 状況は厳しい、状況は厳しいから、まだ洗濯機を買わないでいた。そして3週間に1回ぐらい長崎の実家に帰っていた。始めの頃は毎週帰っていた。でもそれが2ヶ月目ぐらいから延びていった。運ぶ荷物ももうあまりないようになっていたし、この厳しい状況の中、アパートに荷物を運んで、それが無駄な努力に終わらないかと危ぶんでいた。いつ首になるか解らないからだった。

 ときどきアパートの裏の池からドボッ、と何かが池に飛び込む音がしていた。ドボッ、とだから大きなもののようだった。雨蛙でなくて食用蛙らしかった。夜になると豚のような鳴き声がしていた。
 アパートの周りは田畑だった。アパートのすぐ横を小さな川が流れている。


               完

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桃子さん(14年)

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桃子さん(14年)

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-08-22

CC BY-NC
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