小夜子姫へ(2004)

小夜子姫へ(2004)

     
    小夜子姫へ(2004)       
               ーー“うつ”との闘いの記録ーー
                               三船カメ太郎

                           

> ???007@nifty.comというアドレスに変わってしまいました。

新アドレスでよいのですか?

> 12月14日、妻と離婚しました。早く、2人目を捜さないと生活が不便です。

そうでしたか?丁度、1ヶ月、経ちますね。何かと不便でしょうね?
ちゃんとご飯は食べていますか?
>


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   小夜子姫  v(^。^)
     湘北・塚元 在住
     sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp
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こんにちわ。
お久し振りです。

> 小夜子姫の極く最近のメールが2つほど消えた。
> もし良かったらおそらくごく最近のメール一つだけ消してしまったようですので、ごく
> 最近のメールを再送してください。

最近といっても007先生からもずっとメールを頂いていないので送っていないと思いますよ。

> 小夜子姫、お元気ですか?
> 僕は昨日まで風邪を引いていました。

相変らず鬱々しています。私も先週、風邪を引いてしまいました。
寒くなりましたから風邪も流行っているようですね。
気をつけてくださいね。
>
>
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   小夜子姫  v(^。^)
     湘北・塚元 在住
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こんばんわ。

寒いですね。今日も特に寒いです。

風邪には気をつけましょうね。



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   小夜子姫  v(^。^)
     湘北・塚元 在住
     sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp
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差出人

sayoko&woshi<sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp>
題 名

Re: 小夜子姫へ
宛 先

toshiro<どんぐり@nifty.com>
送信日時

Fri 03/05/2004 17:43:36 JST
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こんにちわ。

3時間唱題をされたのですか?すごいですね!私はとても座れません。
私の事も祈って頂き、本当に感謝の思いでいっぱいです。地元の組織
でもそこまでして下さる方はいません。啓蒙用紙や署名などは持って
きて下さいますが・・・。
祈りはきっと届いていることでしょう。昨日、また一人の方に署名を
お願いすることができました。

私の信仰などそんなにりっぱなものではありません。しょっちゅう、
ユラユラしては落ち込んでいます。ただ何があっても病を克服したい
し、戦いたいのです。2時間まで座ることもできませんが、少しでも
祈っていきたいと思っています。
私が信仰指導などとんでもありません。

先生には色々、良くして頂き、本当に感謝しています。
有難うございます。心にかけて下さり、嬉しいです。



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   小夜子姫  v(^。^)
     湘北・塚元 在住
     sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp
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差出人
: sayoko&woshi<sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp>
題 名
: Re: こうです。
宛 先
: 007<どんぐり@nifty.com>
送信日時
: Fri 04/16/2004 22:56:27 JST
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こんばんわ。

その後、調子は如何ですか?ほんとに不思議な体験をされましたね。
でも鬱が治ってよかったですね。時が来るのを待つしかないのでしょうか?

実は主人がEDではないかと内科を受診してみました。「ストレスから来るもの
でしょう」ということでバイアグラを処方されたのはよいのですが、半シート、
6錠で8500円でした。妥当な値段ですか? 良く輸入しているような事を聞きますが、
やはり輸入した方が少しは安価で手にはいるのでしょうか? トラブルも多いと
聞きますが・・・。変な事を伺ってすみません。

007先生は眠剤は飲まれないのですか?

食事をちゃんととられてゆっくり休んで下さいね。

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   小夜子姫  v(^。^)
     湘北・塚元 在住
     sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp
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april, 21(wednseday)
 今日は昼から勤務だったので10時から1時まで勤行唱題をした。とても気合いが入った。
 
april, 28(wednseday)
 題目三唱のみを最近は続けている。喉の病気を治すためだ。
 
may,1(saturday)
 小夜子姫へ
 1ヶ月ほど、『勤行唱題の禁止』を守ってみてはどうだろうかと、思います。
 於保先生はきっと、小夜子姫に言われるでしょう。『勤行唱題・学会活動の禁止』と。
 しかし、自分は学会活動は行っても良いのではと言うへんてこりんな考えになっています。
 自分はこの頃は勤行唱題をしていません。広宣流布のために自分の病気を治すためです。
 医学書を読んでいて、自分はなんという変わった病気を持って居るんだ、と情けなくなるときが良くあります。自分の宿業が出てきているわけですが、勤行唱題をしないと宿業が出てこないのでは、という考えからです。喉の病気は中学一年の頃からですから、もう30年苦しんでいます。中一の冬に勤行唱題をし過ぎたためですが、自分の宿業として間違いないと思います。一時は大声で勤行唱題を行うことで治そうとしましたが、治りませんでした。
 題目三唱のみにして解ったことと言えば、題目三唱のみの方が勤行唱題をしているときより一念は定まっている、勤行唱題をしているときは『この信仰はきついなあ、辞めたいなあ。』という念が湧き上がってきますが、題目三唱のみのときは一念に揺るぎがありません。持続の信仰が大事とよく指導されます。『おまえの信仰は浮き沈みが余りにも激しすぎる』とよく言われます。浮き沈みを無くし、一念を定めるためにも、自分には題目三唱のみの方が合っているようです。
 壮年部では毎日、題目三唱のみでも上等です。壮年部で勤行唱題を行っている人はほとんどいません。10人に一人しか勤行唱題を行っていません。
 会合に出てくる人でさえ、題目三唱のみということが多いです。
 水の信仰の大切さをよく言われます。炎となって燃え続けて散っていった19歳の頃の苦い思い出が蘇ってきます。水になろう、炎にはなるまい、という考えで題目三唱のみにしています。
 創価学会の看板を背負ってこの病院中を歩いている自分は必ず勝って創価学会正義の実証を示さなければなりません。勝つためには何でもする、考えです。親戚中にも自分は創価学会の看板を背負って歩いています。
 病気を治さないことには広宣流布に役に立つことが出来ません。
 自分は今まで広宣流布のために生きてきました。19歳までは創価学会の看板を背負って毎日を生き抜いてきました。病気に悩み、病気に翻弄される毎日でしたが、『広宣流布』と思うと自分の悩みなんて何でもない、と思えてきます。
 自分のこの闘いは魔との闘いです。今のところ、題目三唱のみにしてから調子が良いです。悪知恵が凄く働く魔ですから、こっちも悪知恵をして魔と徹底抗戦してゆくつもりです。
 
                            三船カメ太郎

july, 24(saturday)
 毎日、仏壇を拭く。信仰深き僕。

sep,3(friday)
 小夜子姫、お久しぶりです。
 今は僕もうつ病性障害で苦しんでいますが、軽症うつ病です。4回目のエピソードになります。僕は勤行唱題・学会活動の禁止を守っています。精神科は当直は楽だから出来ます。そして僕が朝が苦手なことを今の事務長は知っているので午前中はすべてフリーです。今までになく、楽な日々です。
 ひたすら寝る、という具合です。日記を書こうにも書けない毎日が1ヶ月余り続いています。1回目が3年間(長かった)、2回目が3ヶ月半、3回目が1が月余り、そして今、4回目です。
 うつ病は再発するとそのうつ病エピソードの期間が短くなるのが普通ですから、もうそろそろ治ると思います。木曜日の午前中にブロック長の近田さんを病院に連れて行った昨日は「もう治った」と思うほど元気でした。でも金曜日の今日は「疲れた。あまりにも疲れやすい。」でまだ治っていないようです。
 夜御飯の準備は大変だと思います。引っ越しの少しの作業でも「疲れた。あまりにも疲れやすい。」となります。炊事は大変すぎます。実家の人が毎日手伝いに来るとか、ご主人さんが帰りに弁当を買ってくるとかしないと大変と思います。
 一家の謗法を一身に背負って闘っている小夜子姫を実家の人は助けなければいけないと思います。また、近所の学会員さんが夜御飯の準備でもしてくれたら立派な活動になるのになあ、と思います。
 2回目のエピソードのとき、疲労があるなら「ひたすら寝ていたら良い。当直中、電話を枕元に於いて寝ていたら良い。」ということに気付き、今も、それを実践しています。
 勤行唱題はしていません。ただ題目三唱を仕事に行くときと仕事から帰ってきたとき数回ほど行うのみです。勤行はしないようにしていますが、こっちの方が広布への一念が崩れません。勤行したら自分の場合は宿業が現れるのでしないようになりました。30代の頃はひたすら題目を唱えていたのに不思議です。
 今日も午前中は寝ていて、夜6時から当直に来て、これを書いています。午後は寝室のオーデオの設定を引っ越しの作業として行いました。
 身体の苦しさを忘れるためにアルコールを飲んで小さな会合に来ていたうつ病の男性の人の心が良くわかりました。自分もこの夏、ビールや酎ハイを毎日飲むようになりましたが、もう飲まないようにしようと思っています。たしかにアルコールを飲んでいる間は疲労感がなくなり引っ越しの作業を出来ますが、酔いが醒めたときの疲労感は大変でまた酎ハイを飲んでしまうという毎日でした。今は「アルコールは不味い」と思っています。そして「アルコールは体に良くない」と思っています。でも、週に2回ぐらいは勘弁して貰おう、と思っています。
 関西創価出身の妻は、急にはツアーコンダクターを辞められないということで今、大阪にいます。9月7日火曜日の昼に帰ってきます。電話は毎日です。良く掛けてくるなあ、良く喋るなあ、と思います。女性には「ペリカン」が多いです。以前、もう昔のことですが、僕の母の姉妹も週末に来て一晩中喋り続けていましたから女性は「ペリカン」なのだなあ、と思います。
 とにかく、この4回目の“うつ病”エピソードの今は眠れなくてもひたすら横になる方法をとっています。空想の世界に沈むのは自分は楽しいです。

  
 今、日曜日の朝です。日記のようにこれを書いています。今、当直中です。
 僕には以前、小夜子姫に書いたことがあると思いますが、自分はこの信仰をしなかったら幸せだったはずという強い悔恨があります。
 中学一年の秋、自分はどんぐり市の中等部員会の司会役に任命されました。それから、それまでは朝は題目三唱、夜は三座の勤行をして題目を20分程度、中等部の部員会には誘いが有れば参加する、座談会は親が熱心でないので連絡が自分まで来ないので参加しない、という信仰でした。でも、その弱い信仰のときが自分には一生の内で一番幸せでした。弱いながらも純粋に信仰してましたし、信仰を疑ったこともありませんでした。
 それが秋から司会をするには「一日2時間の唱題、それも気合いを入れて大きな声ですること」と言われ自分はその通りにしました。すると痙攣性発声障害(疑)になり、休み時間などに友達と騒いで遊べない、小さな掠れた声しか出ないようになり、苦しみ始めました。
 また、その冬は市場の2階から建て売りの住宅を親戚からお金を借りて購入して11月3日に引っ越ししました。朝、早く起きて冷たい水で手を洗い、朝の五座の勤行。唱題は時間ギリギリまでして口の中に食べ物を頬張って走って登校。登校には五分ぐらい罹りました。チャイムの音とともに音が鳴り終わるまでに入ればセーフ。自分はいつもチャイムが鳴り終わるまでにギリギリに教室に入っていましたが、クラスメートの友達(さんかく、というあだ名で呼ばれていました)はチャイムの音が鳴り終わってから教室に入ってアウトということが多かったです。そうして担任の先生から笑いながら叩かれていました。元気でした。中学一年の僕たちは元気でした。
 思えば、小学5年から小学6年の2年間は僕の人生の内で最も輝いていました。テストはほとんど百点満点。家などで勉強したことなどほとんどありませんでしたが、いつも一番でした。「こんなに算数の出来る子は始めてだ」と先生たちの評判になっていました。しかし小学二年から中学一年の途中まで蓄膿症で非常に苦しんでいました。蓄膿症と診断され、友達と学校が終わってから自転車に乗って隣町の耳鼻科に毎日のように通っていました。毎日の学校は蓄膿症に苦しむ毎日でした。授業中、鼻から濃い液体が流れてくるのを吸うことの恥ずかしさ、休み時間にでもトイレで鼻をかめば良いのに学校が終わって家に帰るまで鼻をかまない。家に帰るとすぐに鼻をかんで溜まった鼻汁を出す、という日々でした。限界まで溜め込んだ鼻水をちり紙(当時はまだチィッシュペーパーというのが無い時代でした)に吹く。その頃の自分にはトイレなどで鼻をかむということを知りませんでした。学校に行って1時間目は鼻汁は溜まっていない、2時間目辺りから溜まり出す、3時間目以降は鼻汁がたくさん溜まって苦しむ、という毎日の学校でした。ですから苦しく、信仰を自分から行っていました。親は母が勤行を眠りかけながら行う、父は全く題目三唱もしない、姉は信仰に全く関心無し、という状態でした。母が仕事に疲れ眠り掛けながら行う勤行の姿を見て小さい頃は育ちました。小さい頃、僕の家は島原で手広く農業をやっていたのに父が農業をしたくない、とでも言ったのでしょう、僕が3歳の時にどんぐり市のダムで有名な御手水に引っ越してきました。父はクルマのセールスマン、母は内職と5歳の姉と3歳の僕の子育て、父はその頃、クルマを買うからその代わりに創価学会に入ることと言われたようで父が最初に入会しました。父は始めの頃は勤行など行っていたようですけど、次第に会合などに行かなくなり、代わりに猛反対していた母が勤行唱題をするようになりました。1年半、本河内に住んで、日見に日見市場が建つと言うことで親戚に洋服屋をしているいて、その援助で洋服屋と果物屋の2つを始めました。洋服屋が母で、果物屋が父でしたが、父は朝の仕入れだけをして、そのあとはパチンコ・大村ボート・花札・飲み屋などに市場の仲間と遊び暮らす日々でした。飲む打つ買うの3拍子が揃っていました。
 僕も姉も父を憎んで育ちました。何かというと母を叱る、お金を母から取っては遊びに行く。僕や姉は怒られることはありませんでした。特に僕は全く怒られることはありませんでした。子供は叱らない優しさがありました。でも母の苦労を思い、僕も姉も父を憎んでいました。死んだらいいのに、と思っていました。僕と母と姉の3人で暮らしたらどんなに良いだろう幸せだろうと思っていました。
 僕は幼い頃から幼稚園を卒業するまでとても泣き虫で毎日一回は泣いていました。友達も母が頼んで遊んでくれていました。また、姉について遊ぶことも多かったです。
 これでは小学校に行けないと母はとても心配していました。僕は幼稚園のバス停でバスから降ろされて、いつも泣いていました。すぐ近くに家があるのに帰れないのでした。よく通りがかりの人が僕を市場の家に送ってくれてました。しかし、何故か、僕は小学一年になると自分一人で走って登校し、走って帰るようになりました。友達もクラスに何人か出来ました。それは幼稚園がキリスト教の学校という謗法があったからかもしれません。しかし、その頃、また今もそうだと思いますが、日見に住んで居る子供には何宗かのお寺が経営している幼稚園とキリスト教の幼稚園しかありませんでした。その幼稚園で僕は担任の先生からいつも集中的に怒られていました。その担任の先生は日見市場の近くに住んでいましたので母が僕を連れて「こんな泣き虫でどうしようもない子ですけれど、どうか宜しくお願いします」と頼みに行きましたが担任の先生が僕を集中的に叱るのは変わりませんでした。
 その頃、僕はとても不器用で8の字が書けない、8の字が真横になってしまう、またいろいろな工作で失敗ばかりして担任の先生から厳しく叱られていました。また、喋り方がおかしいと厳しく叱られてばかりいました。
 ある時、僕がいつも滑りたいな、と思っていた滑り台が雨の日でしたから空いていました。それで僕は念願の滑り台を滑りました。するとそれを見つけた他のクラスの先生が雨の日に滑り台を滑った自分を見つけ優しくパンツとズボンを乾いているのに替えてくれました。自分の担任の先生も、この先生のように優しくて綺麗だったら良いのにな、と思いました。
 小学3年の2学期、幼い心にも八方塞がりで地獄だ、と思い、自分から母の真似をして勤行を始めました。居眠りするのは真似しませんでした。方便品を読むのに20分ぐらい罹っていたと思います。自我解までは出来ていたか出来ていなかったか、解りません。朝は題目三唱だけでしたが夕方は遊ぶのを早く切り上げて夕方の勤行をしていました。夜になると父が帰ってきてお酒を飲み始めるので夕方にしないといけませんでした。
 しかし小学4年生になると勤行をしなくなり、題目三唱だけになりました。勤行をするのが辛かったからではないかと思います。
 小学5年の1月から再び勤行をするようになりました。それからは元気になって、友達と喧嘩したりもしました。この信仰は元気になります。しかし怒りやすくもなります。それまで喧嘩はもちろん友達を責めることも一回もしなかったのに友達を責めたりしたことが2回ほどした覚えがあります。
 小学2年のときも担任の先生から睨まれていました。鬼のような女の先生でした。小学2年生の僕たちの髪を掴んで振り回す、とんでもない先生でした。何故か、その年を最後に小学校の先生を辞めましたが、ちょっと異常な先生でした。自分が一番怒られていました。僕が忘れ物を一番良くしていたからです。家の人は仕事が大変で僕のことを構ってやる時間がありませんでした。それでいつも自分が忘れ物の一番でした。僕は髪を掴まれて振り回されても決して泣くことはありませんでした。幼稚園の頃までに泣き尽くしていたのでしょう。どんなにしても泣かない僕を先生は集中的に暴力と言って良いほどのことを行っていました。
 僕の家は母が仕事に精一杯でいつも月末、僕と姉の貯金箱は空になっていました。母は仕事が忙しくて、それに疲れていたのだと思います、夜の勤行が12時になるため居眠りしながら勤行するしかありませんでした。朝も早くから起きて仕事をしていました。母は農業の仕事で痛めた腰の痛みを我慢しながら仕事をしていました。僕が小学4年の頃まではとても優しかった祖母が「おまえたち、帰ってこんね。」と言っていたのを覚えています。しかし、父は遊びに夢中で、実家に帰ると遊べなくなるからか頑なに拒んでいました。母は「祖母はとても優しくて、嫁姑のことで悩んだことは一度もない」と言っています。
 夜逃げ寸前の我が家が経済的に恵まれてきたのは僕が小学5年生の頃からだと思います。小学5年からは担任の先生が贔屓してくれたこともあり、鼻の病気では苦しんではいましたが、小学6年の頃も同じ先生が担当で僕が一番幸せだったときと思います。勉強は全くしなくてもいつも一番で友達もたくさん居ました。鼻の病気で依然としてとても苦しんでいましたが、クラスの人気者でした。
 小学6年の頃からは少年部員会にクラスの同じ学会員であり最も親しい友人である「おっちゃん」という親友と出席していました。連絡はときどきしか来ませんでしたが、連絡が来るとその友人と一緒に参加していました。
 中学一年に鼻の病気で苦しむことは非常に少なくなりましたが、その痙攣性発声障害(疑)に罹り、今度はそれで苦しむようになりました。これが「宿命」というのであるのかと思いました。「宿命転換」のためには勤行唱題をしなければいけないと少年部員会か聖教新聞で読んで知っていましたから、もちろんしていました。折伏も親戚のおばあちゃんに手紙を書いたりしていました。そのおばあちゃんは遠い親戚にあたり、一度は創価学会に入会しましたが退転したということをずっと後になって知りました。創価学会の仏壇にお釈迦様の絵などが書かれた巻物が吊されていました。こんな御本尊様もあるのかなと、福岡のその親戚の家に行ったとき不思議に思いながらもその巻物の前で勤行唱題をしました。一晩、泊まりましたからその巻物の前で2回は勤行唱題をしたと思います。
 あの頃は元気でした。どんぐり市の中等部員会まで勤行はもちろん2時間の題目を挙げ続けましたし、部員会が終わっても一日1時間40分の題目を挙げ続けました。中学2年生の頃はクラブで帰りが7時半になるのとポインターと土佐犬の合いの子の犬の散歩をしなければなりませんでしたから8時ぐらいから御飯を食べ始め風呂に入ってから9時ぐらいから勤行していました。毎晩11時半ぐらいまで勤行唱題してそのあと聖教新聞や御書の研鑽をしていました。寝るのが2時半になるため睡眠時間が5時間ちょうどでした。まだ若かった自分には苦行でもありました。もちろんその頃はギリギリまで朝の勤行の唱題をして口一杯に食べ物を入れて走って登校していました。いつも鐘の音の鳴る最後頃に教室に入りギリギリで遅刻はしませんでした。
 中学2年の00会のとき、僕は英語の先生役をしなければならないようになりました。しかし僕は小さな声しか出ない病気に罹っています。僕のときだけマイクをと僕は提案しましたが、僕だけにマイクを使うことはできない、となり自分は悩み苦しみ仮病を使い風邪を引いて寝ているとなりました。本当に熱が40度ぐらいまで出て、しかし病院に行くと平熱になっていました。喉頭炎と診断されました。しかし心因性の発熱でした。
 10日ぐらい休んで学校に行くと担任の先生から「色の白うなって、よか男になったな」と言われました。
だれも10日ぐらい休んだ僕を責めませんでした。僕の代わりに「ざんぱん」という友達が英語の先生役をやってくれたそうでした。
 中学3年になると自分のようなのが創価学会員であることが知れると「法を下げることになる」と思い中等部会には出席しなくなりました。座談会は元から行っていませんでしたから学会の会合には全く出席しなくなりました。また、何故か中等部会の会合の連絡もありませんでした。そうして自分は悪い友達つまり「不良」と呼ばれる人たちと付き合うようになりました。でも、その人たちの半分以上は家が貧しく新聞配達をしており、中学を卒業したら就職する人たちでした。僕たちの時代にはまだ「いじめ」や「校内暴力」はありませんでした。
「不良」はしかし情の深い人たちの集まりでもありました。夜遅くまで遊んで帰らないので母が自分の家に来た友達に文句を言ったことがあります。僕の中学3年の頃の友達は大部分が中学を卒業したら就職しなければならない友達でした。勤行唱題も欠かすことがあるようになりました。でも、遊びで忙しくても、ときどきしか勤行は欠かしていませんでした。
 中間期末試験は急降下爆撃になりました。しかし実力テストになるといつも一番でした。過去10年間国立の医学部に行った者がいない田舎の中学校でした。秋頃から何故か「不良」の友達は離れていき、自分は本を読んだりして過ごすようになりました。そして東高へ行きましたが、柔道部に勧誘され入らされて柔道部に入り一年間苦労しました。他の人はきついことで辞めたがりましたが、自分には大きな声が出ないため掛け声を掛けることが出来ないことが最も辛いことでした。高校一年の3学期、吃音になってしまい、国語の本が読めないようになったため自分は登校拒否になりました。しかし、このとき、「自分のような病気で苦しんでいる人たちを助けるため医者になろう」と思いました。そして柔道部を辞めましたが「大検」というものがもの凄く難しいと本で読んでいたため高校中退することはしませんでした。高校の始めのテストでは学年で最後から5番でしたが成績は次第に上昇してゆき、高校2年の秋には学年で上から4番になりました。みんな、吃驚しました。しかし、その頃、運動会で応援隊の一人に選ばれクラスから2人のその応援隊の練習をしなければならなくなりました。それはちょうど僕が休んでいたときに、一人休んでいる僕が一番最後に代理の人がジャンケンをして負けたのでした。僕は苦しみ登校拒否を始めました。
 運動会が終わって登校したとき、何人かから詰(なじ)られました。運動会をサボってまでも勉強していると噂になりました。ちょうどその頃、自分がいきなり学年で4番になりましたから、これは「運動会を休んでまで勉強したからだ」となりました。妬み深い女性たちはそう言って陰口を叩きました。男性は妬み深くはないから、そんなことは言いません。その後も自分はいつも学年で4番でした。
 大学はセンター試験が良かったため九州大学の医学部を受けました。しかし、自分は2月の終わり頃、毎日気合いを入れた3時間の唱題を続けていましたが、突然、対人恐怖症になりました。そして2次試験では緊張して考えることが出来なくて落ちました。浪人の頃、毎日3時間の題目を挙げて勉強しました。もちろん、勤行を計算に入れずにの3時間でしたから実質は3時間40分くらい仏壇の前に座っていたことになります。
 対人恐怖症になり人の居るところでは考えることが出来なくなったため一浪してどんぐり大学の医学部に入りました。この対人恐怖症が主な原因となって大学を5年も留年してしまいました。
 そして一番大事なこととして、自分は一生懸命に信仰し大学入試が終わると福岡へ1週間、熊本へ1週間行き、高校時代の同級生に仏法対話をしていきましたが親しかった友人ほど話を聞いてくれなかったです。どんぐりに帰ってからも一日最低一人の仏法対話を3ヶ月半続けました。しかし11月終わり頃、200人近く仏法対話したにも拘わらず、燃え尽きたように退転してしまいました。復活まで魔が競い7年半も罹りました。
 大学最後の年に中型バイクで乗用車と正面衝突し、フルフェイスのヘルメットをきちんと被っていたにも拘わらず、頭蓋骨両側線状骨折(つまり頭蓋骨骨折)をし、4日半、意識不明になりました。その間、三蔵法師のお供をしてチベットなどを旅している夢ばかり見ていました。そして記銘力障害すなわち記憶力障害を後遺症として残しました。現場に駆け付けた警察の人は死んでいるとばかり思っていたのに1ヶ月後、生きている自分を見て吃驚していました。そのとき、事故の写真を見せられましたが良く生きていたと思います。
 記銘力障害を抱えながらも医師国家試験にはどうにか合格し医師としてスタートしました。しかし、薬の名前を覚えきれない、手術に使う器具の名前を覚えきれない、1年目、誰も入局者がいないと脳外科に入らせられましたが、手術の器具や薬の名前を覚えきれないのでは無理でした。2年目から精神科に変わりました。
 精神科の医師ながら精神科の薬を飲んでいる奴として白い目で見られていました。大学の4年目から飲み始めた精神安定剤は自分には必要なものでした。この緩和精神安定剤(マイナートランキライザー)が自分の対人緊張を和らげるのに必要でした。また吃音にも緩和精神安定剤は良く効いて?「ました。長野の病院に勤めているとき同じく精神的病で苦しむ男子部のリーダーが自分のリーダーでした。そして「宿命ではない。使命なんだ。」と指導されたことを聞き、自分も自分の病気が使命だと考えるようになりました。長野の男子部リーダーだった人は自分よりも重い精神疾患でありますが、今も毎年、真心のこもった年賀状を送ってくれます。
 長野から夜逃げして帰り、福岡の病院に勤務し始めました。そこは脳外科の病院ではありますが鍼で有名で相撲取りも噂を聞いて来るようなところでした。自分は「鍼による精神的疾患への挑戦」として自分は鍼に一心不乱に挑戦しました。自分の鍼は痛い、と悪評が立ちました。しかし中には自分の鍼が良く効く、として通い続けた人たちもいます。下腿にしか鍼を刺さない下腿鍼という鍼の確立を目指しました。「下腿にだけ鍼をして精神疾患を治す」このことに燃えました。しかし、ちょうどどんぐりの大学時代の友人から「俺たちの精神科の病院に来ないか」と勧誘を受け、迷った挙げく、どんぐりに帰ってきました。
 脳外科の病院に勤めていたころ、過労かストレスから軽症の“うつ病”を発病し、3年間、“うつ病”を抱えながら仕事を続けました。身体がきつくて溜まらないため仏壇の前にうつ伏して3時間題目を挙げたこともあります。“うつ病”というものは朝が非常に悪く、昼や夕方になるに連れ軽くなって行くものですが、毎日、朝、起床するのが大変で遅刻でした。しかし、この“うつ病”は丹田呼吸法を心懸けた勤行唱題で3年後、一日で治りました。
 しかし、福岡のその病院とどんぐりの精神科の病院掛け持ちで3ヶ月半休み無し、週3回当直、自分は福岡とどんぐりの間をクルマで走るとき、題目を唱えながら走りました。しかし3ヶ月半後、あまりにも無理をし過ぎたため“うつ病”が再発し、起床できなくなり福岡の病院にはとても行けなくなりなりました。どんぐりの病院もかなり休みを重ねてしまいました。しかし、これも3ヶ月半後、ある葛藤(悩み)が生じ、丹田呼吸法を心懸けた勤行唱題を土曜日夜、3時間ほど上げ、日曜日、朝起きることが出来て職場に行って働くことが出来ました。日曜日の夜も3時間近く丹田呼吸法を心懸けた勤行唱題をして月曜日からは何の支障もなく働けるようになりました。「“うつ病”のときは勤行唱題は禁止」とされているほど、勤行唱題を行うのは大変であります。こうして自分の“うつ病”の2回目のエピソードは3ヶ月半ほどで治りました。
 “うつ病”の3度目のエピソードは1ヶ月余り、そして今、4度目の“うつ病”のエピソードと闘っています。負けません。
 もう、丹田呼吸法を心懸けた勤行唱題で治す気力はありません。時間が治してくれることを願っています。

 今は月曜日の夜です。日記のように書いています。日記代わりでもあります。許して下さい。
 僕は自分の病気は信仰を真面目に始めるとともに出てきました。

 転重軽受法門 (文永八年10月 50歳御作)
「涅槃経に転重軽受と申す法門あり。先業の重き今世につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦しみぱっときえて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候、不軽菩薩の悪口。罵りせられ杖木瓦礫をかほるも故なきにはあらず、過去の誹謗正法の故かと見えて其罪ひっちと説れて候は不軽菩薩の難に値う故に過去の罪の滅するかと見えはんべり…………」

 佐渡御書(文永9年3月 51歳御作)
「涅槃経に曰く「善男子、過去に無量の諸罪・種々の悪業を作らんに是の諸々の罪報・或いは軽易せられ」
「及び余の種々の人間の苦報、現世に軽く受くるは、これ護法の功徳力に因る故なり」

 兄弟抄 (文永12年4月 54歳御作 与池上兄弟 於身延)
「横(よこしま)に死横(しおう)に罹(かか)り呵責(かしゃく)・罵辱(めにく)・鞭杖(べんじょう)・閉繋(へいけい)・飢餓・困苦(こんく)・是くの如き等(とう)の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず』等(とう)云々、般泥おん経に曰わく「衣服不足にして飲食楚々なり財を求むるに利あらず貧賤の家及び邪見の家に生まれ或いは王難及び余の種々の人間の苦報に遭う現世に軽く浮くるはこれ護法の功徳力に由る故なり」等云云…………、
「文の心は我等過去に正法を行じけるものに・あだをなして・ありけるが今かえりて信受すれば過去に人を障る罪にて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正法を行ずる功徳・強盛なれば未来の大苦を招ぎこして少苦に値うなり、この経文に過去の誹謗によりて・やうやうの果報を受くるなかに或いは貧家に生れ或いは邪見の家に生れ或いは王難に値う等云云」…………
「各々・随分に法華経を信ぜられつる・ゆえに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとえばくろがねをよくよくきたえばきず(疵)のあらわるるがごとし、石はやけば灰となる金は・やけば真金となる、此の度こそ・まことの御信用は・あらわれて法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ、雪山童子の前に現ぜし羅刹は帝釈なりしび王のはとは毘沙門天ぞかし、十羅刹・心みたまわんがために父母の身に入らせ給いてせめ給うこともや・あるらん、それにつけても、心あさからん事は後悔あるべし、…………」
その上摩河止観の第五の巻の一念三千は今一重立ち入りたる法門ぞかし、此の法門を申すには必ず魔出来すべし、魔競わずば正法と識るべからず、第五の巻に曰く「行解すでに努めぬれば三障四魔奮然として競い起こる乃至随う可らず之に随えば将に人をして悪道に向かわしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云々、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門下の明鏡なり」

 兵衛志殿御返事(三障四魔事) 建治元年11月 54歳御作 於身延
「潮のひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と秋と春のさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障り(さわり)いできたれば賢者は喜び愚者は退くこれなり」

 我が身は過去に謗法のものなりけること疑いたまうことなかれ

「すでに仏になるべしと見え候へば・天魔・外道が病を付けてをどさんと心み候か、命は限りあることなり、少しも驚く事なかれ、また鬼神奴らめこの人を悩ますは剣を逆さまに飲むか」

 上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)
「法華経を持(たもち)たてまつるものは地獄即寂光と悟り候ぞ、たとい無量億歳の権教を修行すとも、法華経を離れるるならば・ただいつも地獄なるべし」

 四条金吾殿御返事(此経難持御書)
「此の経を聞き受くる人は多し。まことに聞き受くる如くに大難来たれども憶持不忘の人は希なるなり。受くるはやすく持つはかたし。さる間、成仏は持つにあり。」

 御義口伝「末法に於いて今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり」

 開目抄
「我並びに我が弟子、諸難ありとも疑う心無くば自然に仏界に至るべし、現世の安穏成らざることを嘆かざれ、朝夕教えしかども皆捨てけん。拙き者の習いは誠のときは忘るるなるべし。」

 御義口伝下「娑婆とは堪忍世界と云うなり」

「又心の病・重重に浅深・勝劣分れたり」(治病抄)」【涅槃経】」

疲れました。小夜子姫、無理はしないで下さい。僕は今、勤行唱題を行っていません。“うつ病”を治すのが自分の闘いだからです。
では。
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しかし、3回目の“うつ病”エピソードから不眠が続いています。今日も2時間ぐらいしか眠れなかっただろう。いつもいつも2時間か3、4時間しか眠れない。しかし布団のなかでいろいろと考えにふけっている。

最近、クルマを運転しながらの方便品自我解は再開した。しかし、やはり喉の病気を思うと、考える。家の御本尊様に向かって題目三唱だけですますのが良いのではないかと。しかしクルマの中だけでも方便品自我解を唱えると心は決まるし元気になる。
しかし、その「元気」が交感神経過緊張となって自分の病気となっている。宿命とどう闘うか、最低でも御本尊様に向かっての題目三唱は続けよう。この信仰を疑わずに。宿業とどう闘うか? 今のように気功法を少しでも行い続けるか?
では。

september 7 2004,

 信仰とは殉教である

 小夜子姫へ。この前、お酒を飲んで書きすぎたようですみません。今、当直あけの朝です。
 適当に信仰している人には過去世の悪業は現れず、真面目に一生懸命に信仰している人には過去世の悪業が現れると御書に書いてあります。誰よりも純真に熱心に信仰している人に過去世の悪業が競い起こると御書には書かれてあります。小夜子姫のお母さんの掛かった精神的疾患は非常に治りやすいものなのです。放っていても治るのが普通です。それを小夜子姫と同一視するのは間違っています。
 過去世の悪業が競い起ころうと少しも疑わずに信仰を貫けば仏になれる。「我並びに我が弟子、諸難ありとも疑う心無くば自然に仏界に至るべし」とあります。
「信仰とは殉教である」と池田先生は同時放送のとき言われました。15年ほど前、岡山(兵庫?)の県青年部長が真夜中に高速道路で自動車事故を起こし亡くなりました。学会活動からの帰りで居眠り運転でした。この県青年部長も誰よりも純真に熱心に信仰していたに違いないと思います。
 どんぐり県の県青年部長も誰よりも純真に熱心に信仰していましたが、心臓疾患にかかり福岡の実家に帰って療養となりました。24年前、僕にとても良くしてくれた県青年部長ですので今度、手紙を書こうとも思っています。
 僕も中学時代、非常に熱心に信仰していて病気になりました。近田さんも社会性と人間性に溢れ、そして極めて熱心で将来を嘱望されていました。そして病気になりました。
 信仰は魔と仏の闘いであると言われます。「我並びに我が弟子、諸難ありとも疑う心無くば自然に仏界に至るべし」のような経験を自分は何度かしてきました。いつもギリギリのところで疑う心を出して幸せを逃す自分でした。
 ロヒプノールが含まれて一層強くなった眠前薬で眠れないとは女性では考えにくいことです。男でもロヒプノールが含まれていれば眠れるのが普通です。
 もう一度、無理はしないで下さい。僕は男ですから家事をしないで良いから寝てばかりいることも出来ます。そうすると元気が少しずつ湧いてきます。
 疲れました。すみません。

oct,7(thursday)
 御書を読むと、大聖人様は宿業と魔の区別を余りされていないと思いました。そのように魔と宿業を区別しない境涯に立たなければいけない、と思いました。「信仰とは殉教である」と池田先生も言われていたことを思い出しました。
 しかし、10年ほど前になるでしょう。聖教新聞に「外典を読め!」という言葉が頻繁に乗っていたときがありました。内典ばかり読んでいると考え方が狭くなってしまうということだったからでしょう。
 以前、「私の病気は魔ではありません。宿業です。」と強く言われた婦人部の方が居られましたが、大聖人様は魔と宿業の区別を余りされていません。病気を魔と言った自分が軽率だったとそのときは思いました。でも御書を読んでいると大聖人様は魔と宿業の区別を余りされていません。
 ある外典には「魔はその人の生命の一番弱いところを突いてくる、魔とは極めて悪賢いものだ」とありました。こうなると魔と宿業の区別が付かなくなります。「魔、競わずば、正法と知るべからず」と大聖人様も仰っております。
 魔と宿業を余り区別しない高い境涯、広宣流布に命をかけるとそのような境涯になれるのだと思いました。自分の病気は魔である、宿業である、とくよくよと悩んでいるのでは駄目なんだ、と思いました。
 自分も中学一年のとき、本気で信仰を始めたところ、魔か宿業が競い起こりました。それまでのように適当に信仰をしていたら良かった、そうしたらこの病気で20何年も苦しまないで良かった、と思っていました。そして、魔が競うようには信仰を熱心にするまい、と思いました。壮年部の多数の人がそう思って信仰を熱心にしないようになったのでは、とも思います。
 ある熱心な婦人部の方が聖教新聞を配達中に激しい交通事故をされて「一生、身体障害か、死か?」という危機になりました。しかしその婦人部の方は非常に熱心で有られましたから2ヶ月後には何もなかったように退院されました。魔である、宿業である、とはその婦人部の方は一言も仰らなかったと思います。魔と宿業を区別しない境涯とはこういうものか、とも思いました。
 我々は魔である、宿業である、とくよくよしがちですが、広宣流布という大目的に立つならば魔でも宿業でもどちらでも良い、となるのだと思いました。


oct,9(saturday) 出したかな?? start

 小夜子姫へ。この前は、山の上のサナトリウムのような病院からで電波の調子が悪くてすみません。
 睡眠障害は“うつ病”には必発と言って良いほど伴うものです。男性は過眠となることが多く、一日16時間も寝てしまう、ということが多いですが、女性には過眠はほとんど無いようです。しかし、男性も過眠よりも不眠が多く、過眠となっても一時的なことが多いです。男性には1週間寝ていないとか、一日1時間しか寝てないとかいう人が多いです。しかし、男性は体力があるのか、眠れなくても、比較的元気にしています。
 何故、過眠が男性だけに好発するのかは理由は解っていません。
 自分も“うつ病”のときはほとんど眠れなくなることが多いです。一睡もしなかった、ということが多いです。自分は週3回当直と当直専門のようになっているので眠れないことが多いです。最近は走ることを怠っており、良くないとは思うものの、仕事から帰ってきて走る体力も気力もなくて、家の片づけなどをしなければならないときは、酎ハイを飲んで力を付けてでなければできないことが多いです。勤行も欠かしがちです。自分は眠れなくても布団に寝て、朝まで空想の世界に浸っていることが多いです。眠れなくても寝た振りをしていたら疲労はかなりとれます。でも、最近は体力の衰えからか寝たふりでは翌日の倦怠感が激しいです。
 自分の良く知っている人が「うつ病」ということで数年間、内科で治療を受けていましたが、題目を3時間続けてできるなど“うつ病”ではないような感じでしたが、結局、血液検査を受けてGOT800と正常上限の4倍ほどで“うつ病”ではなく「アルコール依存症」と診断され、今、内科の病院にアルコール依存症として入院になりました。身体のどうしようもない倦怠感が“うつ病”ではなくてアルコール依存症ではなかったのか、その合併だったのか、解らない、という状態です。こういう患者さんが多く、見極めが非常に付けがたい、となっています。
 池田先生は「楽観主義で行け」といわれています。悲観主義は良くありません。「どうなってもいいや」という楽観主事が大切なのだと思います。またそれだけの生命力というか図太い精神が必要なのだと思います。
 僕は一度、勤行唱題を全くしないで居たら“うつ病”が1ヶ月で治ったという経験があります。魔があきれ果てて去っていったのでしょう。とにかく無理をしないことが魔につけ込まれない一番の方法だと思います。自分は睡眠薬でなくお腹一杯食べて寝る、という毎日を過ごしてました。でも、これは女性には勧められない方法と思います。(理由)女性はブタに変身するため

 三船カメ太郎
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oct,13(wednseday)
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 小夜子姫、こんにちは。
 ユーロジンはロヒプノールの強さの4分の1ぐらいです。ユーロジンは長く効くが20代、30代の男性には効き難いです。ユーロジンで眠れるのは女性や老人ぐらいです。以前の12時間から13時間の睡眠は眠り過ぎになります。確かに自分も“うつ状態”でこの頃、一日10時間寝ています。そうでないと身体が怠くてもちません。
 ロヒプノールは犯罪に使われるくらい良く効く睡眠剤です。ですからアメリカではロヒプノールを所有していると診断書がなければ一日投獄などになります。
 ロヒプノールが効かなかったそうですが、“うつ”が悪化していると考えて良いと思います。
 デパスやレキソタンを眠剤の変わりによく使いますが良く効きます。自分は前立腺肥大症(三環形抗うつ薬の飲み過ぎ)で夜中どうしても3回ぐらい起きます。そしてトイレへ行ってパソコンの部屋に行ってアイスクリームを食べたりしてインターネットをしているとすぐ又眠くなり寝ます。
 今は軽症うつ病でおチンチン君も軽症うつ病になっています。セックスしようにも倦怠感でできません。
 ロヒプノールが効かないと言うことは“うつ”が悪化していると考えて良いと思います。自分は“うつ病”のときはロヒプノールしか効きませんでした。一日2mgまでとなって居ますがどんぐりは特別一日4mgまでになっています。2mgでは効きませんが4mgだと良く効きます。
 胃痛があるなら胃薬も良く効くものを飲まなければ行けません。精神科の病院は9時10時に眠らなければ行けないようになっています。そして朝は7時頃までには起きなければならないようになっています。
 そのため睡眠剤を女性にもたくさん飲ませます。この前、40代の女性に、男性並みにレボトミン50mg錠が入っていることを発見し、患者さんはどうかというと「朝までトイレに行くこともできない、朝、他患から支えられて朝御飯を食べる。自分で歩くのは午前中は歩くことが無理」な女性の患者さんを発見しました。

oct,15(friday)

【症例】  ハワイには空想の中で何回も行ってきました
         (以下は新婚旅行に行こう行こうと言う妻に対してです?)

                             三船カメ太郎

 どうしようもない倦怠感が僕を覆っていた。「根性だ、根性を出せ」と自分を叱咤してももはや限界であった。「ただ何もなく寝ていたい」という思いだけがあった。世の中の瑣事さえ今の自分には億劫で憂うつであった。“うつ病”が悪化するとこのように「ただ寝ていたい」となります。
 “うつ病”は安静が必要です。旅行は“うつ病”を悪化させるだけです。今はSOS の直前です。やっと、仕事に行けている状態で、旅行中に倒れるか旅行後に倒れるか、解りません。今は“うつ病”の悪化のみです。
“うつ病”の人に落ちこんでいるから旅行に連れ出そう、とは反対の効果しか有りません。
 1時間半経つと目覚め、小便にいってそのあとアイスクリームを食べながらインターネットをして眠くなりまた寝る、の繰り返しです。病院当直でもアイスクリームなどを食べたりコーヒーを飲んだりの繰り返しです。身体は常に倦怠感に覆われ、チンポコ君も元気が無くて「きついきつい」と言って立ちません。完全な“うつ病”に少なくとも1週間前から覆われています。
 小夜子姫の例を見て、“うつ病”に「旅行は厳禁」と思いました。以前、福岡の病院で働いているとき病院一同の沖縄旅行がありましたが自分は怠くて怠くて旅行の間中、寝ていました。冷房の効いたホテルのベットの上は快適だったです。みんなは実際に泳ぎに行ってましたが、僕はあまりの倦怠感のため、ずっとベットの上に寝ていました。空想の中で泳いでいました。
 今の世の中には“うつ病”“うつ病もどき”がたくさん居ます。僕は“うつ病もどき”だったのですが、それが1週間前より悪化しています。
 小夜子姫は34歳時に空虚?エなど“うつ病”の発症がありますから、34歳時発症で、35歳時、結婚後に“うつ病”の悪化が起こっています。そして“うつ病”の悪化が何回か起こっています。今回のは“うつ病”が中等度から重症に移行した、と見るのが正しいです。
 僕はインド製のプロザックばかり飲んでいます。毎日5錠から10錠飲んでいます。始めて服用した頃、一粒でも眠気が強かったですが、今はほとんど眠気も何も感じません。一粒か二粒服用するのが一般的ですけど、プロザックに慣れてしまった現在、一度に5錠から10錠飲んでいます。小夜子姫にサンプルを送っても良いのですけど、どうしましょうか? アメリカ製などに比べかなり安価です。安価ですから食べるように飲んでも副作用を感じません。
 小夜子姫には睡眠導入薬ばかりが出されていましたが睡眠導入薬をあんなに出して保険に通るのか不思議です。普通はロヒプノール2mgで充分に患者さんは寝ています。レボトミン、ベゲタミンは強力な睡眠剤ですけどベゲタミンはレボトミンに劣ります。ロヒプノールからユーロジンに代わって具合が悪くなったのなら「ベンゾジアゼピン系薬物で最も強力なロヒプノールを飲み慣れたためベンゾジアゼピン系薬物に対して強い耐性が付き、ベンゾジアゼピン系薬物があまり効かないようになった」と考えるのが最も適応だと思います。強い耐性を弱い耐性に変えるにはベンゾジアゼピン系薬物の服用をなるべく控えるようにしたら変わります。欧米ではベンゾジアゼピン系薬物が習慣性を持っているため不眠症にも余り使用されません。代わりに抗うつ薬や抗精神病薬が処方されています。ベンゾジアゼピン系薬物の方が習慣性があるものの、身体への害は少ないです。
 僕は自律神経失調や精神的な疾患は大部分、背中の凝りに由来しているのではないか、と思うようになりました。今日か明日、知り合いの整体師の処へ行こうと思っています。そして週に1回はその整体師の処に通おうと思っています。
 そしてハワイには空想の中で何回も行ってきました。
 福岡・大阪のように医者が余っているところは1年目・2年目の医師を簡単に捜して当直に使えますが、どんぐりは医師の少ないところです。代わりの当直はなかなか見つかりません。佐野先生も土日を挟んで5日間で旅行に行っています。国元先生も土日を挟んで5日間旅行に行っています。土日を挟むと3日しか休まずにすみます。佐野先生、国元先生は当直がないのでそんな旅行に行けますが、当直がある人は代わりの当直を見つけ出すことが大変でまず旅行には行けません。
 それと自分の体調が現在かなり悪いことです。旅行に行っても寝てばかりになると思います。“うつ病”が悪化しています。旅行に行くだけでも無理です。“うつ病”が悪化しているに拘わらず檀那さんが小夜子姫を旅行に連れて行って、そして小夜子姫は“うつ病”が悪化しました。
 “うつ病”が悪化するとただ寝ていたい、となります。旅行は“うつ病”のときは気晴らしにはとてもなりません。本人は旅行が苦しいだけです。
 “うつ病”は休養が何よりも必要です。旅行は“うつ病”を悪化させるだけです。今はSOS の直前です。今は「やっと、仕事に行けている状態」で、「旅行中に倒れるか旅行後に倒れるか」つまり“うつ病”の悪化のみです。
 疲れました。この頃は、コーヒーだけでなくビールも飲まないとワープロを打てません。疲れました。目覚めと目覚めの間もきついです。さっき、無理してテレビを見てましたが、きつくてきつくてなりません。やはりベットに戻ります。
 低温相が高温相に代わる時期が排卵の時期ですから、その日を狙ってオナニーをして注射器にため、凍らせることなく、そのまま女性器に挿入・発射したら良いのです。しかし今の自分はオナニーしても精液が出ません。チンポコ君は「きついきつい」とばかり言っています。
 疲れました。

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oct,16(saturday)2004  女房は強い腕力で僕を会合に連れてゆきます。
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   窓の外を眺める 
      ----小夜子姫へ、激励の詩----
            ドクター五船


窓の外をぼんやりと眺める
何も考えず、ぼんやりと眺める
ウルトラマンが飛んでいる
怪獣・ガメラも飛んでいる


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 睡眠障害の件でした。ソラナックスを不眠に使用するという手段もあります。またはデパスを不眠によく使用します。ソラナックスは自分も始めて飲んだときは「具合が悪くなり、そして眠くもなり、どうしようもなくなった」経験があります。ところが数年して飲んでみると全く副作用無しでした。
 家にNo23No24No39などが困るほど有るため荷物整理を兼ねて小夜子姫の処に送ろうと思います。新しい女房は怖いですけど優しいです。『この薬屋さんのようなクスリは何ね!! 家の邪魔になるから棄てるわよ。ブーブー』と言います。『漢方薬は古くなっても効く。』『漢方薬は証が合えば劇的に効くことが多い。』『男性の青壮年には少ししか効かないが女性や老人には良く効く。』と説明しますが『ブーブー』と納得しないようなのでそのうちに小夜子姫に送ろうと思います。
 身体が虚証気味になると漢方薬は良く効くようになることが多いです。身体が元気だとあまり反応しませんが体力が衰えてくるとよく効くのが普通です。漢方薬は女性と老人には効くが男性にはほとんど効かない、と思います。
 今も山の上の病院で当直中です。女房は怖いけど優しいので良かったです。いろいろと文句を言いますが最後には折れてくれます。ハワイ旅行も僕は行かず、女房と女房の姪と甥たちで行くことになったようです。また過労で“うつ病”が再発すると大変ですし、僕は旅行は大の苦手ですから。
 今回のうつ病エピソードは軽症でしたが3ヶ月間続きました。今日の朝、4時間近くしか眠っていませんでしたがいつになく目覚めが良く、いつも僕の上を覆っていた黒いモヤモヤとしたものが去っていました。これで6回目の寛解になると思います。不眠症の方はどうなるかは解りません。僕の不眠症は“うつ病”とは関係ないような気がします。前の女房は重症の不眠性障害でありましたが歩くことを始めてから不眠症は軽症になりました。今はどうなのか、解りません。
 不眠で悩む人は多いです。夜昼逆転の仕事もたくさん存在するため、気にしないようにしようと思っています。僕の小学時代からの親友も内部ですが友人と経営していたシロアリ対処の会社が倒産したため、今はパン製造工場で働いています。夜8時から朝6時までの仕事です。不景気で会社が潰れたりした人たちは再就職先が無くてとても困っています。
 前の女房も2日に一度しか眠れないなど強い不眠症で、それは“うつ病”に由来すると診断されていましたが、どうしても“うつ病”は存在しなく、単なる強い不眠性障害だったと思います。福岡中の何処の病院に行っても良くなりませんでした。
 新しい妻は病気とは無縁です。明るくしっかりしていて怖いけど優しいです。年は僕より一つ年下なだけです。勤行はしませんが、強い腕力で僕を会合に連れてゆきます。


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PS:それから現在の状態では精神障害2級に該当するはずです?? こんど生殺し先生に聞いてみたら良いと思います。状態の悪い時がチャンスです。小夜子姫のは「うつ病」でもそれが表情や声にほとんど現れないという学会員特有のものですから、かなり軽症に見られやすいのです。電話ではほとんど「うつ病」のように見えません。精神障害2級を貰うと月8万支給されます。治ったら支給停止ですが、支給停止になったら困るので病気の振りをしている患者さんもたくさん居ます。僕は優しいので騙された振りをいつもしています。精神科の病気は病気の振りをしても解りにくい、という点があります。心理検査があるかも知れませんが、そのときは重症のように書けば良いのです。人生、正直すぎては生きていきにくい、点もあります。間違ったところですが、現在の医療福祉がこのようである以上、仕方のないことです。
 また、アルコールを飲んで眠ることはどの本にも「眠りが浅くなり、かつ、2・3時間で目が覚めてしまうので良くない」と言われています。自分もアルコールを飲んで寝ると浅くしか眠れません、また2時間ほどで目が覚めて、それから眠れません。また、翌日はアルコールのため、具合が良くありません。(これらが小夜子姫の体力減退に繋がっているような気もします?)
 ですから寝る前だけはアルコールを飲まないようにしています。アルコールから覚醒してから眠るようにしています。仕事から帰ってきてすぐなんかは飲みますけど。
 そして体力の激しい低下は「うつ病」からでなく肝機能障害から来ている可能性もあります。僕の知り合いで「うつ病」と診断され長年、治療を受けていましたが、良くならなく、血液検査をしたらGOT・GPT が非常に高く「アルコール依存症」と診断されて入院し、今、もう退院直前の人が居ます。今はもう元気になっています。
 そうでした。読み返すと、強い眠剤では起きられなくなっていたとのこと。だから睡眠導入剤だけにしていたのかと合点がいきました。ロヒプノールは中時間作用型でしかもベンゾジアゼピン系眠剤のなかで最も強力なものです。ロヒプノールを飲み始めると他のベンゾジアゼピン系薬物があまり効かなくなるという欠点を持っています(製薬会社から怒られたら困るので、持っているようです、に改めます)。

oct,20(wednseday)
 小夜子姫へ
「お酒を飲んだ後に牛乳を飲むと眠れるのですが、翌日がとてもしんどい為、止めていました。」
 という以前のメールの一部を見つけました。
「翌日がとてもしんどい為」はアルコールのためと思います。男性でもアルコールを5合ぐらい飲むと翌日、二日酔いで身体がとても怠くなります。そして、小夜子姫は女性です。男性の半分程度のアルコールへの強小夜子姫考えるべきです。
 眠れないとき牛乳を飲むのは、たくさんの人が知っている生活の知恵です。自分は叔母から聞きました。自分は今は前立腺肥大のため夜中トイレに2、3回行きますが、このときにアイスクリームを食べながらインターネットをしているとすぐに眠くなってまた寝ます。以前はシュークリームを食べて寝ていたな、と記憶しています。
 アルコールを飲むと2、3時間後に目が覚めてそれから寝付けないことは自分もたくさん経験しています。
 肝臓や膵臓の方、大丈夫でしょうか? 高額医療制度があります。その制度、自分は良く知らないのですが月何十万以上のときには支払われます。精神科の病院ではなくて肝臓や膵臓が悪くて内科の病院に入院するアルコール依存症の人が多くいます。僕の父親もアルコール依存症で糖尿病になり内科の病院に入院しました。
「うつ病」になったら運動するのが億劫になるので少し体力は減退しますが、少しです。アルコールと「うつ病」を得意とする精神科医に掛かるのが理想ですが、なかなか巧く行かないものです。精神科医にも得意不得意があります。自分は神経性食欲不振症は全く駄目です。神経性食欲不振症が苦手な精神科医は多く居ます。
 アルコール中毒の患者さんには「シアナマイド??」という液状のクスリを朝飲ませます。すると24時間ぐらいそれは効いて、もし24時間以内に「アルコール」を飲むともの凄く苦しくなり救急車要請となります。それは苦しむだけで死ぬことは滅多にないと言われていますが、福岡の脳外科に当直していたとき心臓が止まった人が居ました。僕は「家族のため死なせてやろう」と思いましたが、福岡の脳外科で鍛えられて(洗脳されて)いた自分は、心臓の上を叩いてしまいました。心電図上、心臓が止まっていたのは10秒余りでした。そしてその人は生きています。精神科のアルコール病棟に4ヶ月入ってアルコール中毒を克服しました。別人のように元気になりました。でも、未だ、アルコール病棟に入退院の繰り返しのようです。
 アルコール依存症やアルコール中毒の人は内臓などが滅茶苦茶になっている人が多いです。老化もとても早くから始まります。アルコール依存症の人は極めて老人性痴呆になりやすいです。しかも60歳ぐらいから老人性痴呆になってしまいます。早い人は50代に老人性痴呆になってしまいます。脳出血・脳梗塞は必発と言って良いほど起こります。これを論文に書いて投稿すると00000などから、もの凄い嫌がらせを受けますが、今度、論文として書こうと思っています。自分の身を守るため今日ぐらいから拳銃の学校に通おうとも思っています。たしかアルコール依存症で内臓などが病気になっても保険は降りないと聞いています。でも、黙っていたら大丈夫です。みんな、アルコール依存症のことは書きません。しかし、医師の診断書に「アルコール依存に依る肝硬変」と書かれたらアウトです。
『この病を信心で乗り越えられないことが、親がふがいなく思っているようで・・・。』病気で苦しんでいる大幹部はたくさん居ます。入退院を繰り返している大幹部はたくさん居ます。「ぎょうげ、既に勤めぬれば三障四魔憤然として競い起こる」からです。適当に信仰していると魔も宿業も出ません。壮年部の大多数がそう考えて適当に信仰しています。自分も少年時代、適当に信心していたらとよく悔やみます。痙攣性発声障害(疑)は中一の頃からです。苦しみました。対人恐怖症は高校3年の終わり頃からです。苦しみました。
「すでに仏になるべしと見え候へば・天魔・外道が病を付けてをどさんと心み候か、命は限りあることなり、少しも驚く事なかれ、また鬼神奴らめこの人を悩ますは剣を逆さまに飲むか」
 大聖人様はどのような難に遭われても「これで過去世の謗法の罪が消える」と逆に喜んでおります。その境涯に立たなければいけないのですが……

 今、木曜日の朝です。7時10分前です。病院では良く書きますが、家に帰るとパソコンが具合が悪いと言って出さないで居りました。長くなりました。今日の朝は嫁さんがクルマで迎えに来てくれます。
 
 三船カメ太郎 v(˛ ?˛?˛) 


oct,26(tuseday)

oct,27(wednseday)2004
  

うようにしようと思っています。
あとは対人恐怖(対人緊張)だけと思うようにしようと思います。対人恐怖(対人緊張
)も治ったと思うようにしようと思っています。

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Re[2]:大丈夫ですか??
Date: Fri, 11 Jul 2003 02:07:59 +0900
From: sayoko&woshi <sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp>
To: 007 <どんぐり@nifty.ne.jp>

こんばんわ。

今夜も当直ですね。お疲れ様です。
私も今日もダウンしていました。
どうも風邪のようです。夫が休んで
病院へ連れて行ってくれました。
(こんなこと、珍しいんですよ。寝坊したんだと
思ってます。)
少しは元気になると良いのですが・・・。

元々、コーヒーは好きです。特にカフェオレは
起きた時に飲んでいます。

2時間、唱題されたなんてすごいですね!!
やはり私はお酒に逃げているのかもしれません。>
ほんとに昼間は不調でどうしようもありません。
でもこんな生活を続けていたらほんとに負けてしまいます。

今度、クリニックに行ったら薬だけもらって来ようと思います。こんなに苦しんでいるのに黙り込んでしまうなんて進展は望めませんから・・・。

全てが意味のあることと捉えて生きていきます。

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   小夜子姫  v(^。^)
     湘北・塚元 在住
     sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp
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(sat,july,12,2003)
 どうしても唱題のとき、丹田呼吸法を巧く行えないことに再び気付いた。そのため、昨日より唱題を中止し、代わりに方便品自我解を幾回となく唱えるようにしている。一日、一時間半、方便品自我解を唱えているだろう。五座三座の勤行も行っているから方便品自我解は一日2時間以上、唱えていることになる。うつ病は寛解状態にあるのか、それだけ方便品自我解を唱えることが出来る。うつ病が寛解状態になったのは4日ほど前、2時間近く唱題をノンストップで行ったためかもしれない。
 2週間は続いた頑固な不眠症も治っているようだ。
 周りを創価学会で固めて貰いたい。そうしないと自分は退転してしまう。義理と人情でがんじがらめにして貰わないと自分は退転する危険性が高い。
 自分には創価学会の信仰が向かないのではないかという思いが再び湧いてきている。前世でも自分は退転を繰り返してきたのだろう。突き詰めて考える性格が災いして自分は退転を繰り返してしまう。呑気に考えるようになれば良いのだけれど。呑気に考えることが出来ない。思えば、題目を長時間上げたあとに、いつも魔は自分を襲ってくる。

 この法門申すには必ず魔出来すべし、魔競わずば正法と識るべからず、第五の巻に曰く「行解すでに努めぬれば三障四魔奮然として競い起こる乃至随う可らず之に随えば将に人をして悪道に向かわしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云々、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門下の明鏡なり

 しを(潮)のひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と秋と春のさかひ(境)には必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障(さわり)いできたれば賢者は喜び愚者は退くこれなり、

 「すでに仏になるべしと見え候へば・天魔・外道が病を付けてをどさんと心み候か、命は限りあることなり、少しも驚く事なかれ、また鬼神奴らめこの人を悩ますは剣を逆さまに飲むか」

 法華経を持(たもち)たてまつるものは地獄即寂光と悟り候ぞ、

 涅槃経に転重軽受と申す法門あり、先業の重き今世につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦しみぱっときえて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候、不軽菩薩の悪口。罵りせられ杖木瓦礫をかほるも故なきにはあらず、過去の誹謗正法の故かと見えて其罪ひっちと説れて候は不軽菩薩の難に値う故に過去の罪の滅するかと見えはんべり」【涅槃経】 

 魔が自分を退転させようと躍起になっている。

 方便品自我解を唱えるよりも題目を唱える方が楽しい。しかし病気を治すまでは題目の代わりに方便品自我解を唱えるという苦肉の方策で行くしかないようである。
 5人に一人くらい、この信仰が向かない人が居るのではないかと考えてしまうのです。

 本当に、小夜子姫の存在が自分の信仰を支えています。小夜子姫との出会いがなかったら自分はもう退転していると思います。男の信仰とはそんなに脆いものです。脆くない人もときどきは居ますが。
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広布のために、呑気になろう、図太くなろう
Date: Tue, 15 Jul 2003 15:27:11 +0900
From: #007 <どんぐり@nifty.ne.jp>
To: sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp

2日連続で寝込んでいます。勤行も布団の上から仏壇の置いてある部屋を向いて題目三
唱だけです。
明日(水曜)、(木曜)、(土曜)、当直です。

広布のために、呑気になろう、図太くなろう、
では。
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広布のため病気を治すことの方が大切と思い
Date: Tue, 15 Jul 2003 19:57:15 +0900
From: #007 <どんぐり@nifty.ne.jp>
To: sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp

無理して勤行唱題するよりも広布のため病気を治すことの方が大切と思います。うつ状
態が強いときは勤行唱題はとてもできません。
広宣流布が全てに優先すると思います。
早く病気を治して広宣流布に役に立つようになることが全てに優先すると思います。
(^?B^)では。(^。^)
4年ほど前、うつ病発症のとき、3ヶ月間(2ヶ月半?)、勤行唱題できませんでした

それから方便品だけ、方便品自我解1回だけ、と少しずつ増やしてゆきました。
では。


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勤行唱題より広宣流布です。
Date: Tue, 15 Jul 2003 20:32:20 +0900
From: #007 <どんぐり@nifty.ne.jp>
To: sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp

眠れないのがこんなに苦しいとは知りませんでした。
勤行唱題より広宣流布です。
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Re: 広布のため病気を治すことの方が大切と
Date: Tue, 15 Jul 2003 23:07:28 +0900
From: sayoko&woshi <sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp>
To: 007 <どんぐり@nifty.ne.jp>

こんばんわ。

鬱がこんなに辛いとは思いませんでした。神経症も辛かったですが、
体力が消耗しているせいもあるのでしょうが・・・・。
昼(朝)の勤行はできません。起きられません。
少し前までは何時に起きても方便・自我解だけはできたのですが・・・。
夜の勤行は苦ではありません。食事の支度の方が辛いです。

少し前からまた突然、胃痛もあり、薬を飲んでいます。

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   小夜子姫  v(^。^)
     湘北・塚元 在住
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どんぐりは今日も雨
Date: Sat, 19 Jul 2003 02:14:40 +0900
From: #007 <どんぐり@nifty.ne.jp>
To: sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp

どんぐりは今日も雨
小夜子姫からのメールは来ない
僕は寂しい
雨がシトシト降っている

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Re: どんぐりは今日も雨
Date: Sat, 19 Jul 2003 02:40:40 +0900
From: sayoko&woshi <sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp>
To: 007 <どんぐり@nifty.ne.jp>

こんばんわ。

先生がメールをくれないから・・・。

夫が最終電車でam1時40分に帰宅して食事して明日はam7時15分に
起きて三重まで出張だそうです。折角の休みなのに・・・・。
寂しいです。。。。。たこ!!

鬱になってからほんとに辛いです。起きられないし、家事もほんとに
辛いです。どこか入院させてくれる病院があれば家事を忘れて休養
したいと思っています。先生はどう思われますか??

日常のことが全て苦痛です。

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   小夜子姫  v(^。^)
     湘北・塚元 在住
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眠れない。
Date: Sat, 19 Jul 2003 05:03:09 +0900
From: sayoko&woshi <sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp>
To: 007先生 <どんぐり@nifty.ne.jp>

ねむれない。ねむれない。
死にたい。死にたい。

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   小夜子姫  v(^。^)
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眠れませんでした。
Date: Sat, 19 Jul 2003 06:56:48 +0900
From: sayoko&woshi <sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp>
To: 007先生 <どんぐり@nifty.ne.jp>

おはようございます。

とうとう眠れませんでした。
夫はam6時前に出張しました。それから眠れません。
このところこういう傾向が多いです。鬱のせいでしょうか?
洗濯してまた横になりますが・・・。

休みなのに一人ってとことん寂しいですね。

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   小夜子姫  v(^。^)
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パキシルを近くの学会員の内科の先生に貰っ
Date: Sun, 20 Jul 2003 22:13:27 +0900
From: #007 <どんぐり@nifty.ne.jp>
To: sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp

(sat,july,19,2003)
 蔗糖剤を服用したとき、そのクスリを「とても良く効くクスリ」と思って飲んだとき
、脳内に病気を良くするエンドルフィンが分泌されます。その反対に「副作用が酷いク
スリ」と思って飲んだとき蔗糖剤なのに「酷い副作用」が現れることが良くあります。
これをプラセーボ効果と言って被暗示性の強い人には強く起こります。自分は被暗示性
が強いので、そういう経験があります。
 以前、近くの学会員の内科の先生にクスリを貰っていたときは暗示作用で調子が良か
った、でも、学会員でない生殺し先生の処に変わってから調子が悪くなったのは、その
暗示作用が関係している可能性が高いと思います。
 パキシルを近くの学会員の内科の先生に貰って飲んだときと、生殺し先生に貰って飲
んだときでは効果が異なると思います。それほど医師患者関係は重要ということです。
 入院患者さんにもクスリをよく眠れるように変えた、と言うだけで良く眠れるように
なることは多いです(実際は変えていない)。
 不眠症の患者に蔗糖(ブドウ糖とほとんど同じ)しか入っていないクスリを与えるだ
けで良く眠れること良くあります。
 生殺し先生と波長が合わないようですから医師を変えた方が良いような気がします。
元の近くの学会員の内科の先生で良いかもしれません。難しいところです。これが医学
(とくに精神医学)の特徴です。
 入院も精神病院にはうつ病を余り扱わないところも多いですから(自分はこの前、日
曜日にうつ病の患者さんが入院依頼で来ましたが、この病院にはうつ病のことを良く知
っている看護婦・看護士が少ないし、入院がストレスになることもあるし、この病院は
運動療法が出来ない、ことで入院はしないほうが良いと言いました。)、うつ病に詳し
い医師が居る精神病院に入院するべきです。それは生殺し先生が良く知っておられると
思います。大学病院がうつ病の入院治療には最適と思います。大学病院では認知療法な
どが出来ます。一般の精神科の病院にも認知療法を行っているところもありますが精算
が合わないためか少ないようです。
 意外と評判がそんなに良くない医師と波長が合うことも多いと思います。
 近くの学会員の内科の先生に良く相談されるのが良いような気がします。生殺し先生
ともう一人紹介しようかと思った先生が良いかもしれません。難しいところです。
 このメール、近くの学会員の内科の先生に見せて良いです。
 難しいところです。
 そして精神障害2級の申請、今、行えば通ると思います(毎月8万円近く振り込まれ
ます)。調子が非常に悪いときに申請するのが一つの要領です。その申請は生殺し先生
が上手と思います。自分が書いても良いですが、通りにくいのではとも思えます。
 そうでした。社会保険だったと思いますので精神障害3級の申請もできます。国民保
険は2級からしか有りませんが。これは精神科を標榜する医師しか書けません(精神科
専門の医師でなくでなくても良いのです)。
 近くの学会員の内科の先生も精神科を標榜したら書けるようになります。でも、保健
所の精神科の医師が精神科専門の医師が書いたものでなければ意地悪をすることが多い
です。
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寂しいです。
Date: Sun, 20 Jul 2003 02:15:00 +0900
From: sayoko&woshi <sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp>
To: 007 <どんぐり@nifty.ne.jp>

今夜は当直ですよね。
誰からもメールも来なくて寂しいです。
ほんと、もうボロボロです。
生活もしていけません。
でも誰も鬱を理解してくれません。
どうしたらよいのか・・・めげてます。

お仕事、頑張って下さいね。

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   小夜子姫  v(^。^)
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Re: パキシルを近くの学会員の内科の先生に
Date: Mon, 21 Jul 2003 01:57:34 +0900
From: sayoko&woshi <sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp>
To: 007 <どんぐり@nifty.ne.jp>

 こんばんわ。

 鬱がほんとに辛くて生活できない状態です。

>  以前、近くの学会員の内科の先生にクスリを貰っていたときは暗示作用で調子が良か
> った、でも、学会員でない生殺し先生の処に変わってから調子が悪くなったのは、その
> 暗示作用が関係している可能性が高いと思います。

 調子は良くなかったです。急救に行ったか・・・副作用で苦しんだと思います。(パキシル
を飲んだ時のことですが・・・)


>  生殺し先生と波長が合わないようですから医師を変えた方が良いような気がします。
> 元の近くの学会員の内科の先生で良いかもしれません。難しいところです。これが医学
> (とくに精神医学)の特徴です。

 先日、胃薬をもらいに内科の先生に話しました。でも「今の先生の言うことに従った方が
良い」と言われました。もう口を出せないとのことでした。

>  入院も精神病院にはうつ病を余り扱わないところも多いですから(自分はこの前、日
> 曜日にうつ病の患者さんが入院依頼で来ましたが、この病院にはうつ病のことを良く知
> っている看護婦・看護士が少ないし、入院がストレスになることもあるし、この病院は
> 運動療法が出来ない、ことで入院はしないほうが良いと言いました。)、うつ病に詳し
> い医師が居る精神病院に入院するべきです。それは生殺し先生が良く知っておられると
> 思います。大学病院がうつ病の入院治療には最適と思います。大学病院では認知療法な
> どが出来ます。一般の精神科の病院にも認知療法を行っているところもありますが精算
> が合わないためか少ないようです。

 そうですか? 今のクリニックの先生がどこを紹介してくれるかわかりませんが、
 こんなに辛い症状でも鬱での入院は難しそうですね。。。。
 寝込んでいればいいということなんでしょうか??
 自分ではとても辛いのですが、大したことはないということなのでしょうか?

 なぜこんなに辛い思いをしなければいけないのでしょうか?
 生活がつらい為、病院が無理ならどこかの施設を探そうかと考えています。
 ここにいれば無理はしますから・・・。
 この苦しさ、誰も理解してくれません。

 ずっと胃の調子が悪く漢方は飲んでいません。

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   小夜子姫  v(^。^)
     湘北・塚元 在住
     sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp
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精神科の病院はうつ病を入院させてくれます
Date: Tue, 22 Jul 2003 13:12:49 +0900
From: #007 <どんぐり@nifty.ne.jp>
To: sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp

精神科の病院はうつ病を入院させてくれます。生殺し先生が紹介してくれなかったら電
話帳で探して電話して入院したら良いです。どの病院が良くてどの病院が悪いかは生殺
し先生なんかでないと解らないとは思いますが。酷く悪い病院は滅多にないと思います

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 うつ病の入院治療に向いている病院、生殺し先生が良く知っていると思います。大学
病院のような病院が認知療法なども行ってくれるためベストなのですけれど。
 精神病院によってアルコールが得意(アルコール治療に力を入れている)な病院、う
つ病(うつ病治療に力を入れている)が得意な病院など有るようです。
 しかし、自分の経験としてアルコールが得意(アルコール治療に力を入れている)な
病院は幾つか知っていますが、うつ病(うつ病治療に力を入れている)が得意な病院は
聞いたことがありません。平均的にうつ病治療に力を入れていると考えて良いのかもし
れません。
 それから精神障害2級の申請を調子が悪い今のうちに行うべきです。生殺し先生に精
神障害2級の申請を言うべきと思います。生殺し先生は神奈川のその地方の精神保健の
実態を良く知っているはずですので生殺し先生が巧く書けると思います。
 生殺し先生にアルコール依存のことも言ってアルコール依存症も一緒に治す病院が良
いと思います。アルコールが“うつ”に良くないことは余り知られていません。

「広宣流布の使命があるのに自殺願望がある、そこに魔が食い付く」と思います。
「広宣流布の使命がある人を狙って魔が食い付く」という先生の指導や御書の一節はな
いでしょうか?
 自殺願望に魔が食い付くと思います。先生の弟子ならば、どんなに苦しくとも自殺願
望だけは抱いてはいけないと思います。何事も楽観主義に行くべきと思います。女子部
の頃の元気な小夜子姫はどうしたのですか? 

「うつは頑張らないで治す」という本が今、手元にあります。著者は中村敬となってい
ます。一冊1300円のものです。
 自分も頑張らないで自然体で行こうと思います。

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三船カメ太郎
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   【“うつ病”を患っている会員に対する方針(暫定版)】

【始めに】
 最近、“うつ病”が日本を含め先進諸国に多発している。同じように学会員にも“う
つ病”は多発している。これを認識していない幹部は極めて多い。“うつ病”に罹患し
ている会員に対する方針を簡単に纏めてみた。

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1)心の重圧が“うつ病”を悪化させる故に“うつ病”に罹患している会員には役職を
一時的にでも解職するか副役職にするか、新聞啓蒙・選挙運動を行わせないことを原則
とするべきである。
 “うつ病”に罹患している会員に新聞啓蒙・選挙運動を行うように訪問する幹部が後
を絶ちません。“新聞啓蒙・選挙運動”この精神的重圧で一発で“うつ病”は悪化する
のが普通です。
「休養が“うつ病”の一番の治療薬です。」“うつ病”の人を怒ることは言語道断なこ
とです。励ますことも余り良くありません。“うつ病”の人に精神的肉体的負担を掛け
てはいけません。“うつ病”の人は真面目故に自分一人で精神的肉体的負担を背負おう
とします。“うつ病”の人に精神的肉体的負担を掛けてはいけません。

2)“うつ病”は精神的肉体的過労およびストレスから発病するものが大部分である。
激しい学会活動は“うつ病”を発生させやすい。活動家にも無理はしないように、余暇
と休養を充分に取るように指導するべきと思われる。

3)“うつ病”は真面目な人が罹患する。真面目でない人は罹患しない。それ故“新聞
啓蒙・選挙運動”を行うように言うと彼らは真面目に行おうとする。そしてその精神的
重圧で“うつ病”は一発で悪化する。

4)“うつ病”の人が勤行唱題を行うのは極めて大変である。“うつ病”の人は勤行唱
題を挙げることが出来るときに挙げるのみにするべきである。

5)“うつ病”の大部分の人には「朝悪く夜良い」という日内変動が存在する。“うつ
病”の初発の大部分は朝の起床困難と全身倦怠感である。

6)“うつ病”の人は物事を悲観的に考えがちである。また、物事を控え目に考えがち
である。“うつ病”の人に重大な物事の決断を行わせることは禁忌となっている。

7)“うつ病”治療のためには適度な運動を行うことが重要である。適度な運動はスト
レスを発散する。昔、行っていたスポーツを再び行うことも良いであろう。歩くこと・
ジョギングでも良いであろう。魚釣りでも良いであろう。
“うつ病”は心に比例して身体も衰弱してゆくものである。身体の衰弱を防ぐためにも
適度な運動は必要である。

8)心に余裕を持てるようになると“うつ病”は寛解(“治癒”という言葉は精神的疾
患には使用しないのが普通です)しやすい。真面目すぎる性格を少し不真面目にするこ
とが必要と思われる。

9)物事を人の所為にする心の横着さが必要である。厚顔になること、横着になること
、そうすると“うつ病”は寛解(治癒)しやすくなる。

10)“うつ病”は寛解しやすいが(治りやすいが)再燃しやすい(再発しやすい)心
の病気である。精神科の病気のなかでは最も寛解しやすい(治りやすい)と言っても過
言ではない。しかし再燃(再発)も非常に起こりやすい。よって、一度“うつ病”に罹
患した人は精神的重圧を避けるよう、また、肉体的過度の疲労を避けるように心懸ける
べきである。

11)再び言うが「“うつ病”を“怠け”と間違い怒る人が非常に多い」。一度は“う
つ病”に罹患しないと“うつ病”の苦しみを理解できないのであろう。
 学会の家庭で“うつ病”の患者に「勤行をせよ!」「新聞啓蒙をせよ!」「選挙運動
をせよ!」という家族が非常に多い。そうすると“うつ病”の患者をますます精神的に
追い込むことになり、“うつ病”は重症化する。禁忌である。

12)最近は副作用が少なく扱いやすい抗うつ薬が出てきました。精神科・心療内科で
なく一般の内科・外科でもその抗うつ薬を処方できるようになっています。しかし服用
し始めに「吐気・嘔吐」などに苦しむ人も多いです。
 ドイツでは極めて重症な“うつ病”でない限り、本格的な抗うつ薬を処方する医師は
ほとんど居ないということです。つまり「優しく見守る」という休養が“うつ病”の一
番の治療法です。家族などの“うつ病”に対する理解が“うつ病”治療の一番大切なも
のです。

13)最近の抗うつ薬は確かに進んでおり、抗うつ薬を1週間、服用しただけで良くな
るケースも有るものです。しかし、抗うつ薬に抵抗性の“うつ病”は多いものです。

14)御本尊様に「心を図太くさせて下さい」と祈るのも一つの方法と思われる。心が
図太くなれば“うつ病”に罹患しにくくなる。また、“うつ病”が寛解しやすくなる。

15)筆者は「丹田呼吸法」を“うつ病”など精神的疾患の治療に用いる予定である。
「丹田呼吸法」により交感神経過緊張状態は和らげられる。“うつ病”の人には交感神
経過緊張が存在すると確信する。
 筆者は自身の“うつ病”を「丹田呼吸法」により今まで2回寛解させた。今、3度目
の寛解を狙っている。一回は過労により、もう一回は精神的重圧により再燃した。

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 なお、自分も4年前より“うつ病”です。“うつ病”を見極める勉強が幹部の人には
必要と思われます。
 学会員には声や表情に“うつ病”を示唆するものが現れ難いという特徴があります。
創価学会の信仰は元気になる信仰です。ですから、そういう特徴が現れます。また、そ
れ故に“うつ病”を気付かれずに重症化するまで放置される例が多いようです。
 学会員の“うつ病”の大部分は最初いわゆる「仮面うつ病(朝の起床困難と全身倦怠
感のような身体的不調)」の病態を取ります。「仮面うつ病」の人は自分が精神的疾患
とは気付かず、内科を訪れるものです。そしてなかなか精神的なものと認めようとしな
いものです。幹部の人は「仮面うつ病」の本を買って読むか、「仮面うつ病」「うつ病
」をインターネットで調べるべきと確信します。

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紹介状は「今までの病気の経過と禁忌のクス
Date: Tue, 22 Jul 2003 14:53:14 +0900
From: #007 <どんぐり@nifty.ne.jp>
To: sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp

 精神病院は何処でも構わないと思います。紹介状は「今までの病気の経過と禁忌のク
スリ」が解れば良いだけです。自分が小夜子姫に送ったもので充分です。今からメール
で小夜子姫に送っても良いです。
 良い医師が担当になれば良いのです。そして看護士さんや看護婦さん、周りの患者さ
んが良ければ良いのです。
 では。
 
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RE:Re: 精神科の病院はうつ病を入院させて
Date: Tue, 22 Jul 2003 16:37:36 +0900
From: #007 <どんぐり@nifty.ne.jp>
To: sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp

 大学病院入院と言っても檀那さんが付いて行かなければいけないということは無いと
思います。親や兄弟(姉妹)で充分なはずです。
 個人病院は入院に際し(また退院に際しても)知り合いが付いてゆけば充分です。県
立病院もそうでした。大学病院だけ違うのでしょうか??
 大学の医師は儲ける必要はありませんから態度が悪いことで有名です。これが個人病
院になると儲けなければならないから態度が良くなります。悪い評判が個人病院にたつ
と今の激しい競争に負けてしまいます。
 大学病院も一年目二年目の医師は態度が良いです。それが10年目ぐらいの医師にな
ると態度が悪くなります。
 
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 三船カメ太郎
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『心の余裕』が大切なんだと。
Date: Tue, 22 Jul 2003 23:40:35 +0900
From: #007 <どんぐり@nifty.ne.jp>
To: sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp

 今夜、久しぶりに走りました、と言うか、走れました。そして走りながら思いました
。『心の余裕』が大切なんだと。
 明日は心の余裕で仕事を休もうと思います。でも、たしか、当直になっていると思い
ますから、当直だけ行こうと思っています。昼間はのんびりとしていようと思います。
妻はこの辺は心懸けてくれて、有り難いです?B妻は自称・うつ病でうつ病にとても理解
があります。僕には家が一番、心休まる場所です。
 夜の医局や夜の当直室も心休まります。昼間の医局はいがみ合いなんかでとってもス
トレスフルです。

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  三船カメ太郎
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『心のゆとり』でした。
Date: Tue, 22 Jul 2003 23:44:13 +0900
From: #007 <どんぐり@nifty.ne.jp>
To: どんぐり@nifty.ne.jp

『心のゆとり』でした。

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 三船カメ太郎
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Re[2]:Re: 精神科の病院はうつ病を入院させ
Date: Wed, 23 Jul 2003 00:17:41 +0900
From: sayoko&woshi <sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp>
To: 007 <どんぐり@nifty.ne.jp>

こんばんわ。

何度も書いている通り、親、姉妹は私の病気に関しては
全く理解しようとしてくれません。とても一緒に行って
くれるとは思えません。

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   小夜子姫  v(^。^)
     湘北・塚元 在住
     sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp
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一生涯、アルコールは一滴も口にしない。』
Date: Wed, 23 Jul 2003 14:09:28 +0900
From: #007 <どんぐり@nifty.ne.jp>
To: sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp

入院されるならば、これを機会に断酒することを勧めます。この機会を逃したら、生涯
、断酒の機会はないと思います。
『一生涯、アルコールは一滴も口にしない。』と決意しないと断酒は出来ません。アル
コール依存症を良く知っている人には解ります。『一生涯、アルコールは一滴も口にし
ない。』と決意しないと断酒は出来ません。

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 三船カメ太郎
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一般的には、うつ病よりもアルコール依存症
Date: Fri, 25 Jul 2003 10:45:30 +0900
From: #007 <どんぐり@nifty.ne.jp>
To: sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp

(thu,july,24,2003)
 今、当直中です。重ねて書きますが、アルコール依存症を軽く考えてはいけません。
小夜子姫の脳はCTやMRI上、すでにアルコールによる萎縮が起きているはずです。
アルコール依存症を今回の入院で必ず治すと決意するべきです。
「今後、一生涯、アルコールは一滴も飲まない」と決意しなければアルコール依存症は
克服できません。
 一般的には、うつ病よりもアルコール依存症の方が遙かに治癒困難なものです。大学
病院だったらアルコール依存症を専門にしている人も一人は居ると思います。アルコー
ル依存症の克服がどれほど困難なものかを知っていると思います。
 小夜子姫のうつ病がなかなか治癒傾向にならないのも大きな理由の一つはアルコール
依存症です。

 しかし、アルコールとうつ病の関連性を知っている精神科医は少ないはずです。

 では。
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睡眠時間が・・・・。
Date: Fri, 25 Jul 2003 01:40:52 +0900
From: sayoko&woshi <sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp>
To: 007先生 <どんぐり@nifty.ne.jp>

こんばんわ。

7/22 am6時に目が覚め、大学病院へ。調子は悪くないが、夕方から
4時間半程、爆睡する。telで起きる。

7/23 am8時半、起床。実家へ行く。やはり調子は悪くないが夕方から
4時間程、爆睡する。

7/24 胃痛の為、起きれない。1日中、寝てる。pm8時、telで起きる。
不調。ずっと食事の支度もできない。不調(胃痛)のため、今夜は断酒する。

さすがに昨日、一昨日の疲れでしょうか?牛乳と眠剤で寝てみます。

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   小夜子姫  v(^。^)
     湘北・塚元 在住
     sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp
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やはり眠れない。
Date: Fri, 25 Jul 2003 05:17:07 +0900
From: sayoko&woshi <sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp>
To: 007先生 <どんぐり@nifty.ne.jp>

こんばんわ。

昨日、1日中、寝てしまった(起きれなかった)のだから
仕方ないですが、やはり眠れません。
でも胃痛のため、飲酒はしてません。
また牛乳を飲みました。

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   小夜子姫  v(^。^)
     湘北・塚元 在住
     sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp
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(sat,july,26,2003)
 当直中です。信仰には功徳を表看板にしないと一般の人は入ってきません。ですから学会は功徳を表看板にしてきました。広宣流布のため、やむを得ないことです。広宣流布のため正しいことです。宿命に苦しんでいる一人一人を救うため、やむを得ないこと、正しいことでした。しかし、御書には「信仰を始めると魔が競い起こる」と書かれてあります。御書をよく勉強している大幹部以上の人は知っていると思いましたが、意外と認識が浅いようです。副会長以上になると良く知っておられます。元・どんぐり県ドクター部長で副会長のK先生も知っておられました。
「信仰を始めると魔との闘いになる」、それ故、信仰を始めるとともに宿業が競い起こったひとの相談を受けたこともあります。その人は勤行を始めるとともに不安障害(一般に言うノイローゼ)が起こりました。
 信仰浅い人はこの信仰を始めて精神的疾患に罹患した人が多数存在することを知ると信仰に疑いを持ちます。それ故、このことは内緒にされてきました。折伏闘争華やかなとき、多数の人が精神的疾患に罹患しました。その人たちは非常に熱心に信仰を行ったために罹患しました。治る人は「宿業の浅い人」および「適当に信仰を行っている人」たちでした。    

 壮年部ブロック長がうつ病に罹患して6年になりますが、壮年部ブロック長ほど熱心な人は滅多にいません。男子部時代、どんぐりで波動を起こしてきた人です。聖教新聞にも載りました。壮年部ブロック長がうつ病が治らないからと言って「信仰が弱い」とはとても言えません。どんぐりで一番頑張っていた人だから魔が競い起こった、競い起こっている、としか考えられません。
 適当に信仰している人には魔は競い起こりません。御書に書いてあります。
 兄弟抄に曰わく
「涅槃経に曰く「横(よこしま)に死横(しおう)に罹(かか)り呵責(かしゃく)・罵辱(めにく)・鞭杖(べんじょう)・閉繋(へいけい)・飢餓・困苦(こんく)・是くの如き等(とう)の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず」等(とう)云々」
「文の心は我等過去に正法を行じけるものに・あだをなして・ありけるが今かえりて信受すれば過去に人を障る罪にて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正法を行ずる功徳・強盛なれば未来の大苦を招ぎこして少苦に値うなり、」
「各々・随分に法華経を信ぜられつる・ゆえに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとえばくろがねをよくよくきたえばきず(疵)のあらわるるがごとし、」
「この法門申すには必ず魔出来すべし、魔競わずば正法と識るべからず、第五の巻に曰く「行解すでに努めぬれば三障四魔奮然として競い起こる乃至随う可らず之に随えば将に人をして悪道に向かわしむ、之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云々、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門下の明鏡なり」

 壮年部ブロック長もこれらの御文を肝に銘じて病魔と闘っておられます。

 それから今日、東海大学医学部付属病院の山本山先生から「詳細な紹介状ありがとうございました。」と病院に手紙が来ました。怖い変てこりんな先生でも礼儀はちゃんと行う先生のようです。 丁寧な内容でした。

 では。

(sun,july,27,2003)
 アルコール症者では悲哀感情が引き起こされるという。
 
 アルコールの代謝過程で生じるアセトアルデヒドとセロトニンの縮合体の5-hydroxytryptophol がレゼルピン様作用を示すので、抑うつが強化されるらしいとの説がある。

 アルコールによる不眠症

 「アルコール症者では悲哀感情が引き起こされるという説9)がある。また、アルコールの代謝過程で生じる産物が抑うつを強化するとの説20)もある。アルコールは止めるべきである」
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 Chronic alcohol abuse is often co-morbid with depression symptoms and in many case it appears to induce major depressive disorder.

慢性的なアルコール依存はうつ的傾向を伴う。そして本格的な“うつ病”を引き起こすことが多く見受けられる。
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Structual and functional neuroimaging has provided evidence supporting some degree of neuropathological convergence of alcoholism and mood disorders.

 顕微鏡的研究によるとアルコール依存症と“うつ病”には病理学的な一致も有ると指摘されている。
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 In order to understand the cellular neuropathology of alcohol dependence and mood disorders, postmortem morphometric

 アルコール依存症と“うつ病”の神経病理学的研究によると、

(力尽きました)
 アルコール依存症とうつ病性障害の関係は以前より注目されてきた事柄である13)。

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何かが違う。
Date: Wed, 30 Jul 2003 13:48:13 +0900
From: sayoko&woshi <sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp>
To: 007先生 <どんぐり@nifty.ne.jp>

こんにちわ。

7/22に大学病院に行きましたよね。それまでは、本当に鬱が酷くて
夜まで起き上がれなかったんです。何もする気にならないし、クリニック
へも一人では行けなかったんです。
先週、大学病院に行ってから、寝るのはam3時頃、なんですが、以前より
早く起きれるようになったんです。(起きてても眠いんですが眠れない)
am中には起きています。
ただ、pm5時頃になるとしんどくてちょっと横になると3時間位、爆睡して
しまうんですけど・・・・。なんだか変なペースになってしまって・・・。
これって何か意味があるのでしょうか?
鬱も軽くなったような気がします。
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   小夜子姫  v(^。^)
     湘北・塚元 在住
     sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp
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どうかされましたか?

Date: Mon, 04 Aug 2003 01:44:46 +0900
From: sayoko&woshi <sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp>
To: 007先生 <どんぐり@nifty.ne.jp>

こんばんわ、小夜子姫です。

最近、パッタリとメールも送ってもらえなくなってしまって・・・。
何かあったのでしょうか? それとも先日の私のメール「焦らせないで下さい」というのが原因なのでしょうか?
とりあえず2週間、起きれています。
でも医者には「また戻るかもしれない」と言われました。
絶対にイヤです。戻りたくないです。
なるべく無理しないようにしてこのペースを保っていきたいです。
どうしてメールを下さらないのですか?
私が言う事を聞かないからですか?

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   小夜子姫  v(^。^)
     湘北・塚元 在住
     sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp
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RE:どうかされましたか?

Date: Mon, 4 Aug 2003 02:42:20 +0900
From: #007 <どんぐり@nifty.ne.jp>
To: sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp

僕は今でも、小夜子姫を想っています。僕のお嫁さんに代わりに来てくれないかな、と
今でも思っています。僕は信仰がフラフラするところがあります。そのためにメールを
出していませんでした。フラフラするんです、僕は。すみません。

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こんばんわ。

Date: Thu, 14 Aug 2003 01:40:27 +0900
From: sayoko&woshi <sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp>
To: 007 <どんぐり@nifty.ne.jp>

こんばんわ。小夜子姫です。

その後、如何ですか?
離婚問題でもめているのですか?

私は2週間ほど起きれるようになりましたが、先週、夫が夏休みで
遊び歩いていたら土曜から突然、また起きれなくなってしまって、
以前の状態に戻ってしまいました。
起きれずに無気力でなんとなく不調です。
すっかりメールも頂けなくなって寂しいです。
まだ体調が悪いのですか?
私が言う事を聞かないで入院をしないからイヤになってしまいましたか?
一時的に元気になったのでこのまま少しずつでも元気になれればと思った
のですが、鬱は酷くはないですが、無気力感が強いです。
昼間は暑くてウォーキングもしてません。。。お陰で体重が増えて
しまいました。

先生も無理をされませんように・・・。

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   小夜子姫  v(^。^)
     湘北・塚元 在住
     sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp
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RE:こんばんわ。

Date: Thu, 14 Aug 2003 11:10:58 +0900
From: #007 <どんぐり@nifty.ne.jp>
To: sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp

こんにちは。
“うつ”には無理は禁物となっているから、どこで線を引いて良いのかとても難しいで
す。自分も無理したり、のんびりし過ぎたりの繰り返しです。
自分も離婚問題と仕事と大変です。この頃、仏壇の前で勤行をしていません。勤行は行
き帰りのクルマを運転しながらや、当直の部屋で行うだけです。
九州ではクルマを運転しながら勤行している人はとても多いです。一人で運転しながら
ですから、行き交う人は口をパクパクしていると思っていると思います。
最近は週3日当直ですので、病院の当直室で過ごす時間が多いです。でも、そこは論文
を書くにはとても良いところなので自分は好きです。家ではインターネットばかりして
います。

今、家かマンシオンを買おうかな、と思っています。

では。

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(sat,aug,16,2003)
 この前、3700円で認知療法のCDを買いました。壮年部ブロック長にはコピーして2枚あげました。でも自分のも壮年部ブロック長のもマックなので、たぶん、小夜子姫はウィンドウと思います。でも、ハイブリッドですのでマックのCDコピー機でコピーしてもウィンドウで使用できるのではと思いますが、ウィンドウがないので試していません。元・地区部長の処にウィンドウがあるのでそれで試してから小夜子姫の処に送ろうかなと考えたりしています。自分はその認知療法のCD、あんまり役に立たないと直感しました(でも、忙しくて、ほとんど見てもいません)。壮年部ブロック長は試しているかなあ、と思います。壮年部ブロック長に尋ねてみようと思いますが、今、当直中で電話は遠慮しています。

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Re: 小夜子姫から叱ってやってください。

Date: Tue, 19 Aug 2003 03:02:47 +0900
From: sayoko&woshi <sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp>
To: 007 <どんぐり@nifty.ne.jp>

こんばんわ。

どうしても納得がいかず眠れないのでメールしました。
なぜ私がB長さんを叱らなければいけないのでしょうか?
私は自分のことでいっぱいいっぱいです。

B長さんとメールのやりとりをするのは構いません。
でもお互い(007先生も含めて)5-6年、病んできて
完治しなくて苦しんで、どうして私とB長さんと話す理由があるのですか?
お二人がずっと接してきて、それでも完治しなくて・・・。
私がB長さんと話して解決法なんてあるのですか??
お話しても無意味だと思います。

お互い、病んでる同士、まったりとメール交換するならわかりますけど・・・。
私の意思も聞かずにうちのアドレスを他人に教えるのもどうかと思います。
007さんとB長さんとで解決すればよいのではないですか??
意味のあることと思えません。

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   小夜子姫  v(^。^)
     湘北・塚元 在住
     sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp
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----------------------------------------------------------------------- すみませんでした。軽率でした。 Date: Tue, 19 Aug 2003 08:44:15 +0900 From: #007 <どんぐり@nifty.ne.jp> To: sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp  すみませんでした。小夜子姫から話されたら納得されると思いました。こっちが、い くら説明しても解られません。「自分は身体がとてもきついだけで、心は少しもきつく も何ともない」……これが「仮面うつ病」なのだと説明しても、一例だけだから理解さ れようとされません。生殺し先生は「パニック障害」と診断され、“うつ”のことを全 く話されず、小夜子姫と同じくクスリに非常に敏感でドグマチールしか服用できず、6 年の月日が過ぎ去りました。そして今も“うつ”ではなく「パニック障害」であると主 張し続けています。「パニック障害」は二次的に起こったもので根本は“うつ”なのだ と幾ら説明しても生殺し先生の言うことを受け入れ、「自分はパニック障害」と言って 聞き入れません。“うつ”に対する養生もされません。公明党の議員さんの尽力で生活 保護になり6年が経ち、そして生活保護に満足しています。かつて整体の名人としての 名声も、整体の前チケットをたくさん発行されて店を閉じ、非難は挙がりました。創価 学会の看板を背負って整体をされていました。保険は効かず一回の施行料は高いにも拘 わらず患者さんたちは「あの先生しか自分を救ってくれない」と詰め掛けてきていまし た。壮年部ブロック長も突然、体の自由が利かなくなり、とても苦しみ悩まれたようで す。男子部時代、どんぐりの男子部を引っ張ってきた波動を起こしてきた人でしたが、そう いう人に魔は競い起こるのでしょう。 “うつ”というものがどういうものか、解って貰いたくて、小夜子姫にメールを書くよ うに言いました。軽率だったです。すみません。  男子部のU君は9年間、「自分は慢性疲労症候群であって“うつ”ではない」と言っ て大学病院に入院を繰り返してもその主張を繰り返し続けました。慢性疲労症候群とい う主張を受け入れてくれるところを探して自分たちの病院まで来たようなものでした。 9年目に始めて抑うつ気分・無気力がU君を襲い、始めて自分が“うつ”であることを 納得しました。発病は高校時代でした。創価学会の信仰したら絶対に治ると説得されて 入会し、そして頑張って信仰し活動しました。前原で生まれ前原で育ってきたこともあ り友人・知人は多く、新聞啓蒙の時には一人で10部など達成しました。選挙などの時 もいつも圏でダントツの成果を上げ続けていました。でもこれはすべて自分の病気を治 したいためだけであり、広宣流布のことは少しも考えていませんでした。「人を救う、 苦しんでいる人を救う。」そういう考えは無かったようです。御書のいろいろな御文を 挙げても、全く教学を行っていませんでした。そして「こんなに頑張っているのに何故 治らない?却って悪くなった。」と退転しました。御本尊を返却しました。  U君の例を挙げて壮年部ブロック長に言っても「パニック障害」の診断名の方が居心 地が良いのでしょう、“うつ”であることを頑なに拒否し続けます。 『“うつ”=気違い』こういう偏見がこの二人には有るのか、と疑いもしました。  小夜子姫のメールを壮年部ブロック長に教えたこと、軽率でした。すみません。 -------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------- Re: すみませんでした。軽率でした。 Date: Wed, 20 Aug 2003 01:36:01 +0900 From: sayoko&woshi <sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp> To: 007 <どんぐり@nifty.ne.jp> こんばんわ。 お気持ちはわかりますが、ちょっと言い過ぎたかと・・・。 B長さんとは症状も違いますし、私から言うことはありません。 逆に励まして頂きたいです。 メールを頂けたらレスはします。 気にしないで下さい。 ☆------*---------*---------*---------☆    小夜子姫  v(^。^)      湘北・塚元 在住      sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp  ☆------*---------*---------*---------☆ ------------------------------------------------------------------------ ---------------------------------------------------------------------- 抗うつ薬のため身体が怠いです。 Date: Wed, 20 Aug 2003 06:24:11 +0900 From: #007 <どんぐり@nifty.ne.jp> To: sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp 新しい抗うつ薬を個人輸入し飲んだら、昨日は寝てしまいました。今日はどうしてでも 病院へ行かねばなりません。クスリは、弱いのしか飲まない方針で行こう、運動をもっ と行うようにしようと反省しています。 最近は病院で看護婦さんに三船カメ太郎ファンクラブが出来て、嬉しいし面倒だし、複雑な 気持ちです。看護学生を中心としたもののようです。 薬剤師さんを中心とした三船カメ太郎ファンクラブは依然として存続していますが、看護婦 さんファンクラブと違ってあまり華やかさはないし大人しいです。 自分も最近は走るのではなく「歩くこと」を心懸けるようになりました。すると深い呼 吸が自然と出来ることを知りました。歩くとき、深い呼吸を行えば、日常生活でも深い 呼吸が出来ることを知りました。歩くのは一日1時間ほど行っています。走るのは15 分ぐらいでしたが、歩くのは長くできますし呼吸法を歩きながら行えます。 抗うつ薬のため身体が怠いです。 では。 ------------------------------------------------------------------------ ------------------------------------------------------------------------ どんぐりは今日も雨 Date: Thu, 21 Aug 2003 16:19:33 +0900 From: #007 <どんぐり@nifty.ne.jp> To: sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp 雨がしとしと降っている 小夜子姫からのメールは来ない 僕は寂しい 雨がしとしと降っている ------------------------------------------------------------------------ ------------------------------------------------------------------------ RE:Re: すみませんでした。軽率でした。 Date: Fri, 22 Aug 2003 12:56:55 +0900 From: #007 <どんぐり@nifty.ne.jp> To: sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp (aug, 21, 2003)  小夜子姫。早く電気ショック療法などを受けるべきです、と思います。小夜子姫は抗 うつ薬を飲めません。そういう人は電気ショック療法や頭蓋磁気療法などを受けるべき です。徒に時を費やしていてはいけません。これは生殺し先生もそう言われると思いま す。そう言われなかったら生殺し先生は疑問です。  また、これが学会員の悪いところでもあります。『勤行しているから大丈夫。信仰し ているから、学会活動しているから大丈夫。』という考えです。大聖人様はどう言われ るでしょうか?  大聖人様は下痢が治らないとき四条金吾に和漢薬を送って貰い、そして治されました 。鎌倉へ手紙を運ぶ費用、鎌倉から薬を運んでくる費用、当時としては安くはなかった はずです。  医者など休もうにも休めない人は藁にもすがる思いで電気ショック療法などを受けて います。 では。 ☆----*------*-------*-------☆ どんぐり・ドクター五船 http://www.nifty.com/???59876/007.gif ☆----*------*-------*-------☆ ---------------------------------------------------------- ---------------------------------------------------------- そして他に… Date: Fri, 22 Aug 2003 13:10:41 +0900 From: #007 <どんぐり@nifty.ne.jp> To: sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp そして他に…日本ではまだ販売されていないwellbutrin や Aurorix が安全ではないか と思います。でも、生殺し先生はそういうことは勉強してないと思います。若い精神科 医しか、そういうことは勉強しないものです。 “うつ”とは何もしないでも自然と治る病気ですから医者ものんびりと構えていますが 、中にはなかなか治らないものがあります。九州大学系ではそういうものに盛んに電気 ショックをしています。でも、やはり、僕も、電気ショックは怖いなあ、と思います。 丹田呼吸法です。今、自分が行っている、歩きながら大きな大きな呼吸をすることです 。歩きながら、丹田呼吸法を行うことです。それが一番です。うまく行うと一日で治り ます。 詳細はホームページを見てください。 丹田呼吸法で検索したら何番目かに出てきます。 ☆----*------*-------*-------☆ どんぐり・ドクター五船 http://nagasaki.cool.ne.jp/???598763/ ☆----*------*-------*-------☆ --------------------------------------------------------------------- --------------------------------------------------------------------- Re: そして他に… Date: Fri, 22 Aug 2003 23:17:07 +0900 From: sayoko&woshi <sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp> To: 007 <どんぐり@nifty.ne.jp> こんばんわ。 近田さんより心温まるメールを頂きました。あのような指導をしてくれる幹部は なかなかいません。近田さんも苦労されているから人の痛みがわかるのですね。 電気ショック療法は高額なのではないですか? そんなに良いものなら007先生はどうして受けられないのですか? クリニックの医者は「とりあえずは入院は無しということで・・・」ととても 嬉しそうに言っていました。 ☆------*---------*---------*---------☆    小夜子姫  v(^。^)      湘北・塚元 在住      sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp  ☆------*---------*---------*---------☆ ---------------------------------------------------------------- ---------------------------------------------------------------- 精神科は呑気なところだと思います。 Date: Sat, 23 Aug 2003 00:23:29 +0900 From: #007 <どんぐり@nifty.ne.jp> To: sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp  電気ショック療法は安いものです。副作用として健忘症を引き起こす可能性があると いう欠点があります。たしか、言ってなかったと思いますが、自分は大学最後の年にバ イクで大事故を起こし4日半意識不明でした。頭蓋骨はぼろぼろで死ぬのを待つだけで したが『五船は死なず』と生き返りました。  それ以来、人の名前を覚えきれないなどの後遺症を残しました。脳外科を続けられず 、精神科に移ったのは、そのためです。ですから、自分は電気ショック療法は受けられ ません。 今、U君から電話が有っていました。精神科は呑気なところだと思います。 では。 ☆----*------*-------*-------☆ どんぐり・ドクター五船 http://homepage2.nifty.com/???59876/007.gif ☆----*------*-------*-------☆ 妻は遂に近田さんに反旗を翻しました。もう、火曜日に近田さんのところに整体へ行か ないと言い始めました。黙認するしかないようです。 --------------------------------------------------------------------- Re: 失敗してでも、どんどん治そう派 Date: Sun, 24 Aug 2003 02:02:07 +0900 From: sayoko&woshi <sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp> To: 007 <どんぐり@nifty.ne.jp> こんばんわ。 007先生が仰るような医者を捜すのはなかなか難しいと思います。 心が元気になったら体も元気になりますか? 体が元気になったら心も元気になりますか? もしもっと近くにいたら良い病院を探して下さいますか? なぜ奥様の鬱、不眠は治らないのでしょうか? ☆------*---------*---------*---------☆    小夜子姫  v(^。^)      湘北・塚元 在住      sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp  ☆------*---------*---------*---------☆ --------------------------------------------------------------------- Re: 小夜子姫が怖い伯母ちゃんになっている Date: Mon, 25 Aug 2003 01:47:08 +0900 From: sayoko&woshi <sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp> To: 007 <どんぐり@nifty.ne.jp> こんばんわ。 確かにおばさんです!! 厳しいですか? 私だって早く元気になりたいです。でも一人で病院を探したり、 大学病院に行ったり、でればしたいです。 でも誰も連れて行ってもくれませんし、探してもくれません。 今のクリニックへ車で25分程ですが、それが精一杯です。 私は孤独です。 ☆------*---------*---------*---------☆    小夜子姫  v(^。^)      湘北・塚元 在住      sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp  ☆------*---------*---------*---------☆ ------------------------------------------------------------------------ ------------------------------------------------------------------------ Re: 『宿命ではない。使命なんだ。』 Date: Wed, 27 Aug 2003 01:34:24 +0900 From: sayoko&woshi <sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp> To: 007 <どんぐり@nifty.ne.jp> こんばんわ。 > 『今の苦しみは、宿命ではない。使命なんだ。』 > >  もう一回書きます。 > 『今の苦しみは、宿命ではない。使命なんだ。』 007先生も自分にそう言い聞かせていらっしゃるのですね。 6年も病んでいてほんとに辛くなることも度々です。 でも負けられない。。。。負けたら実証を示せないじゃないですか? 自分も乗り越えて体験、つかみたいですから・・・。 負けた方が楽です。でもそれでは信心ではないですよね? 負けたくない!! ☆------*---------*---------*---------☆    小夜子姫  v(^。^)      湘北・塚元 在住      sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp  ☆------*---------*---------*---------☆ ------------------------------------------------------------------------ ------------------------------------------------------------------------------------ ------------------------------------------------------------ ------------------------------------------------------------ (tue,sep,1,2003) 本日、月子さんとマンションを見に行きました。そして、「ここは僕の部屋」「ここは月子さんの部屋」ここは「おばばとおじじの部屋」と畳の部屋を指して言いました。すると月子さんは「いやよ」と言いました。僕はその言葉を聞いて別れる決心をしました。長男である以上、花嫁に来た月子さんが僕の親の面倒を見るのが当然なはずです。子供も居なく、親も居なく、この上等の新築のマンションに住むことは許されないからです。 ---------------------------------------------------------------------- ---------------------------------------------------------------------- Re: 『宿命ではない。使命なんだ。』 Date: Tue, 02 Sep 2003 01:50:32 +0900 From: sayoko&woshi <sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp> To: 007 <どんぐり@nifty.ne.jp> こんばんわ。 お二人でマンションを見に行かれたといことは前向きに考えてのことでは ないのですか? 007先生は真面目過ぎます。(この言葉は私も何度、言われたことか・・・) うちの夫も長男ですが、今は絶縁状態だし、将来のことはわかりません。 うちは色々、あったので私は一緒には住みたくないです。(本性を見たので・・・) 夫はどちらかがいなくなってしまったら自分達の家の近くに貸家でも借りて・・・ と言ってくれてはいますが、まだ私の心は癒されていませんので・・・。 今は考えられません。 「許されない」ことはないとは思いますが、親の心配をするのは当然のことです。 でも離婚もできないという状態ですね。 最近の先生はなんか以前と違いますね。あんなに激励して頂いたのに・・・。 奥様との関係、状態がまるでわかりませんから・・・。夫婦で一緒に生きていくことは 本当に大変なことです。奥様のことを生涯、守ろうというお気持ちはないようですね。 失礼ですが、何かあれば「別れない」、何かあれば「別れる」と振り回されていらっしゃる のではないですか? 信心に対するあの熱い思いが感じられないのですが、生意気な発言でごめんなさい。 ☆------*---------*---------*---------☆    小夜子姫  v(^。^)      湘北・塚元 在住      sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp  ☆------*---------*---------*---------☆ ----------------------------------------------------------------------- --------------------------------------------------------------------------------------- (wen, dec,10,2003) 小夜子姫。世の中の人たちは自分たちだけ良ければよいのだから、僕のことも、僕の家族のことも、あまり構ってくれない。あれから、小夜子姫に手紙を書けば夫人が嫌がるから(妻の時もニョウボの時も字が出てこない)控えてました。立ち上がったのは1週間ほど前、近田さんから励まされてでした。近田さんから題目だ題目だと言われてそれでもなかなか題目挙げないででも題目挙げて立ち上がりました。立ち上がったり寝たりの繰り返しです。 もう少ししたら対人恐怖で自殺した22歳に青年の物語がお昼にあると思うからそれをお伝えしようと書き始めました。夫婦げんかは覚悟しています。その青年は男子部でした。そしてそこの若きドクター五船が僕です。どんな格好で僕が出るのかなあと思います。 あれ以来、様々ありました。歓喜もあれば澱みもある日々。その青年は猫の絵を3枚残しています。 苦しさの中にも歓喜、他の人たちでは味わえない歓喜、それらを僕らは持っているのだとめげそうになるけど頑張っています。 他の人たちにはヨボヨボとした歓喜だけ、僕たちには張り叫ぶような歓喜、社会的地位で苦しんでも僕たちには歓喜がある、法華経の驚くような歓喜がある、他に人には信じて貰えないような歓喜がある、 社会的地位という者は見せ物だけで僕たちには歓喜がある。 ---------------------------------------------------------------------------- ---------------------------------------------------------------------------- (wen, dec,17,2003)  小夜子姫、アルコールを飲んで眠ることはどの本にも眠りが浅くなり、かつ、2・3時間で目が覚めてしまうので良くないと言われています。  自分も今は不眠症で困っているのです。でも、アルコールを飲むと眠れないことは知っているのでアルコールは飲んでいません。妻の重症の不眠症が移ったようです。なお、妻とはこの前の土曜日に離婚しました。やはり同じ信仰をしている同志と結婚したいです。  本当に朝まで眠れないのは苦しいです。  でも運動して疲れ切っているときは眠れます。でも、今は寒くて、運動がしづらいです。        ------------------------------------------------------------------------- ------------------------------------------------------------------------- (wen, dec,17,2003) (wen, dec,17,2003) (wen, dec,17,2003)
(wen, dec,17,2003)
> ???007@nifty.comというアドレスに変わってしまいました。

新アドレスでよいのですか?

> 12月14日、妻と離婚しました。早く、2人目を捜さないと生活が不便です。

そうでしたか?丁度、1ヶ月、経ちますね。何かと不便でしょうね?
ちゃんとご飯は食べていますか?
>


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   小夜子姫  v(^。^)
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こんにちわ。
お久し振りです。

> 小夜子姫の極く最近のメールが2つほど消えた。
> もし良かったらおそらくごく最近のメール一つだけ消してしまったようですので、ごく
> 最近のメールを再送してください。

最近といっても007先生からもずっとメールを頂いていないので送っていないと思いますよ。

> 小夜子姫、お元気ですか?
> 僕は昨日まで風邪を引いていました。

相変らず鬱々しています。私も先週、風邪を引いてしまいました。
寒くなりましたから風邪も流行っているようですね。
気をつけてくださいね。
>
>
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   小夜子姫  v(^。^)
     湘北・塚元 在住
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こんばんわ。

寒いですね。今日も特に寒いです。

風邪には気をつけましょうね。



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差出人

sayoko&woshi<sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp>
題 名

Re: 小夜子姫へ
宛 先

toshiro<どんぐり@nifty.com>
送信日時

Fri 03/05/2004 17:43:36 JST
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こんにちわ。

3時間唱題をされたのですか?すごいですね!私はとても座れません。
私の事も祈って頂き、本当に感謝の思いでいっぱいです。地元の組織
でもそこまでして下さる方はいません。啓蒙用紙や署名などは持って
きて下さいますが・・・。
祈りはきっと届いていることでしょう。昨日、また一人の方に署名を
お願いすることができました。

私の信仰などそんなにりっぱなものではありません。しょっちゅう、
ユラユラしては落ち込んでいます。ただ何があっても病を克服したい
し、戦いたいのです。2時間まで座ることもできませんが、少しでも
祈っていきたいと思っています。
私が信仰指導などとんでもありません。

先生には色々、良くして頂き、本当に感謝しています。
有難うございます。心にかけて下さり、嬉しいです。



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   小夜子姫  v(^。^)
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差出人
: sayoko&woshi<sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp>
題 名
: Re: お互い、無理しないようにしましょう。
宛 先
: toshiro<どんぐり@nifty.com>
送信日時
: Tue 03/16/2004 23:38:07 JST
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こんばんわ。

>  小夜子姫へ
>  このように少し無理をすると“うつ病性障害”に良くないですから、小夜子姫は於保
> 先生の指導のように少しも無理をしてはいけない、と思います。学会活動は禁止した方
> が良いと思います。勤行唱題も無理して行ってはいけないようです。“うつ病性障害”の場
> 合だけは普通の病気のときとは異なると考えて良いと思います。
>  勤行唱題も学会活動も楽しいですけど、無理をすると魔につけ込まれる、大変な病気
> です。

はい、無理はしないようにしいてるつもりですが、普段の生活だけでも私たちには負担が
大きいです。
組織の方も署名運動だ、新聞啓蒙だ、と私も今月、2時間の唱題をして3人に当たり1部、
啓蒙することはできましたが、私の病気を地区で1番、理解して下さっている婦人部長が
電話をしてきて「なんとか夫婦で1部、啓蒙してー」と言われました。
署名も10人近くの方にしてもらいました。その婦人部長が「行く所があれば車を出すから」
と言われましたが、私は精一杯、やったので提出しました。その後、3日位、疲れが出て
とてもしんどかったです。
今度は唱題表をB担がもって来られて7/11まで地区で1千万編あげるとのことです。
お題目ならと先週、2時間を何日かあげました。その時は苦痛ではありませんでしたが、
昨日、今日と抑鬱感が強くとてもだるいです。疲れが出ているのでしょう?
この繰返しで行くしかないのですね。

007先生も無理をされないように気をつけて下さいね。食事もちゃんと食べて下さいね。

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こんばんわ。

“うつ”で2時間も唱題するのは無理をしているのではないかな、と思います。ブロック長の近田さんもSGI勤行と朝夕10分ほどの唱題が普通です。ときどき、みんなでするときはSGI勤行と唱題を30分近くしますが。自分は“うつ”が治っていたときは3時間も上げていましたが、“うつ”が再発してからは題目三唱も大変です。近田さんの処へ行って何人かで勤行唱題するときは大変ではありませんが。
 自分も地区婦人部長から新聞啓蒙を頼まれて一時的でしたが“うつ”が再燃しかけました。本部の会館の相談員でないと話は通じないようです。
 今は足の裏健康法に凝っています。今度の“うつ”は丹田呼吸法を心懸けた勤行唱題で何故か良くなりません。しかし、その代わりに足の裏健康法を思い出し実践し、その凄さに自分の対人恐怖症も治ると自信がつきました。
 明日は正午頃から近田さんの処で「治ろう会」という4人ほど集まる会合がありますが、休もうと思っています。卑怯者になろう、というよりも「無理はしないで早く治そう」と思っています。

ドクター五船
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差出人
: sayoko&woshi<sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp>
題 名
: Re: 突然、治ってしまった。
宛 先
: 007<どんぐり@nifty.com>
送信日時
: Fri 04/09/2004 23:49:56 JST
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こんばんわ。

本当に治ったのですか? よかったですね。
どんな感じなんだろう??

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差出人
: sayoko&woshi<sayoko-woshi@mua.biglobe.ne.jp>
題 名
: Re: こうです。
宛 先
: 007<どんぐり@nifty.com>
送信日時
: Fri 04/16/2004 22:56:27 JST
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こんばんわ。

その後、調子は如何ですか?ほんとに不思議な体験をされましたね。
でも鬱が治ってよかったですね。時が来るのを待つしかないのでしょうか?

実は主人がEDではないかと内科を受診してみました。「ストレスから来るもの
でしょう」ということでバイアグラを処方されたのはよいのですが、半シート、
6錠で8500円でした。妥当な値段ですか? 良く輸入しているような事を聞きますが、
やはり輸入した方が少しは安価で手にはいるのでしょうか? トラブルも多いと
聞きますが・・・。変な事を伺ってすみません。

007先生は眠剤は飲まれないのですか?

食事をちゃんととられてゆっくり休んで下さいね。

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april, 21(wednseday)
 今日は昼から勤務だったので10時から1時まで勤行唱題をした。とても気合いが入った。
 
april, 22(thursday)
april, 23(friday)
april, 24(saturday)
april, 25(sunday)
april, 26(monday)
april, 27(tuseday)

april, 28(wednseday)
 題目三唱のみを最近は続けている。喉の病気を治すためだ。
 
april, 29(thursday)
april, 30(friday)
may,1(saturday)
 小夜子姫へ
 1ヶ月ほど、『勤行唱題の禁止』を守ってみてはどうだろうかと、思います。
 於保先生はきっと、小夜子姫に言われるでしょう。『勤行唱題・学会活動の禁止』と。
 しかし、自分は学会活動は行っても良いのではと言うへんてこりんな考えになっています。
 自分はこの頃は勤行唱題をしていません。広宣流布のために自分の病気を治すためです。
 医学書を読んでいて、自分はなんという変わった病気を持って居るんだ、と情けなくなるときが良くあります。自分の宿業が出てきているわけですが、勤行唱題をしないと宿業が出てこないのでは、という考えからです。喉の病気は中学一年の頃からですから、もう30年苦しんでいます。中一の冬に勤行唱題をし過ぎたためですが、自分の宿業として間違いないと思います。一時は大声で勤行唱題を行うことで治そうとしましたが、治りませんでした。
 題目三唱のみにして解ったことと言えば、題目三唱のみの方が勤行唱題をしているときより一念は定まっている、勤行唱題をしているときは『この信仰はきついなあ、辞めたいなあ。』という念が湧き上がってきますが、題目三唱のみのときは一念に揺るぎがありません。持続の信仰が大事とよく指導されます。『おまえの信仰は浮き沈みが余りにも激しすぎる』とよく言われます。浮き沈みを無くし、一念を定めるためにも、自分には題目三唱のみの方が合っているようです。
 壮年部では毎日、題目三唱のみでも上等です。壮年部で勤行唱題を行っている人はほとんどいません。10人に一人しか勤行唱題を行っていません。
 会合に出てくる人でさえ、題目三唱のみということが多いです。
 水の信仰の大切さをよく言われます。炎となって燃え続けて散っていった19歳の頃の苦い思い出が蘇ってきます。水になろう、炎にはなるまい、という考えで題目三唱のみにしています。
 創価学会の看板を背負ってこの病院中を歩いている自分は必ず勝って創価学会正義の実証を示さなければなりません。勝つためには何でもする、考えです。親戚中にも自分は創価学会の看板を背負って歩いています。
 病気を治さないことには広宣流布に役に立つことが出来ません。
 自分は今まで広宣流布のために生きてきました。19歳までは創価学会の看板を背負って毎日を生き抜いてきました。病気に悩み、病気に翻弄される毎日でしたが、『広宣流布』と思うと自分の悩みなんて何でもない、と思えてきます。
 自分のこの闘いは魔との闘いです。今のところ、題目三唱のみにしてから調子が良いです。悪知恵が凄く働く魔ですから、こっちも悪知恵をして魔と徹底抗戦してゆくつもりです。
 
                                 三船カメ太郎

may, 3(monday)
july, 23(friday)
july, 24(saturday)
 毎日、仏壇を拭く。信仰深き僕。
july, 25(sunday)

sep,3(friday)
 小夜子姫、お久しぶりです。
 今は僕もうつ病性障害で苦しんでいますが、軽症うつ病です。4回目のエピソードになります。僕は勤行唱題・学会活動の禁止を守っています。精神科は当直は楽だから出来ます。そして僕が朝が苦手なことを今の事務長は知っているので午前中はすべてフリーです。今までになく、楽な日々です。
 ひたすら寝る、という具合です。日記を書こうにも書けない毎日が1ヶ月余り続いています。1回目が3年間(長かった)、2回目が3ヶ月半、3回目が1が月余り、そして今、4回目です。
 うつ病は再発するとそのうつ病エピソードの期間が短くなるのが普通ですから、もうそろそろ治ると思います。木曜日の午前中にブロック長の近田さんを病院に連れて行った昨日は「もう治った」と思うほど元気でした。でも金曜日の今日は「疲れた。あまりにも疲れやすい。」でまだ治っていないようです。
 夜御飯の準備は大変だと思います。引っ越しの少しの作業でも「疲れた。あまりにも疲れやすい。」となります。炊事は大変すぎます。実家の人が毎日手伝いに来るとか、ご主人さんが帰りに弁当を買ってくるとかしないと大変と思います。
 一家の謗法を一身に背負って闘っている小夜子姫を実家の人は助けなければいけないと思います。また、近所の学会員さんが夜御飯の準備でもしてくれたら立派な活動になるのになあ、と思います。
 2回目のエピソードのとき、疲労があるなら「ひたすら寝ていたら良い。当直中、電話を枕元に於いて寝ていたら良い。」ということに気付き、今も、それを実践しています。
 勤行唱題はしていません。ただ題目三唱を仕事に行くときと仕事から帰ってきたとき数回ほど行うのみです。勤行はしないようにしていますが、こっちの方が広布への一念が崩れません。勤行したら自分の場合は宿業が現れるのでしないようになりました。30代の頃はひたすら題目を唱えていたのに不思議です。
 今日も午前中は寝ていて、夜6時から当直に来て、これを書いています。午後は寝室のオーデオの設定を引っ越しの作業として行いました。
 身体の苦しさを忘れるためにアルコールを飲んで小さな会合に来ていたうつ病の男性の人の心が良くわかりました。自分もこの夏、ビールや酎ハイを毎日飲むようになりましたが、もう飲まないようにしようと思っています。たしかにアルコールを飲んでいる間は疲労感がなくなり引っ越しの作業を出来ますが、酔いが醒めたときの疲労感は大変でまた酎ハイを飲んでしまうという毎日でした。今は「アルコールは不味い」と思っています。そして「アルコールは体に良くない」と思っています。でも、週に2回ぐらいは勘弁して貰おう、と思っています。
 関西創価出身の妻は、急にはツアーコンダクターを辞められないということで今、大阪にいます。9月7日火曜日の昼に帰ってきます。電話は毎日です。良く掛けてくるなあ、良く喋るなあ、と思います。女性には「ペリカン」が多いです。以前、もう昔のことですが、僕の母の姉妹も週末に来て一晩中喋り続けていましたから女性は「ペリカン」なのだなあ、と思います。
 とにかく、この4回目の“うつ病”エピソードの今は眠れなくてもひたすら横になる方法をとっています。空想の世界に沈むのは自分は楽しいです。

  
 今、日曜日の朝です。日記のようにこれを書いています。今、当直中です。
 僕には以前、小夜子姫に書いたことがあると思いますが、自分はこの信仰をしなかったら幸せだったはずという強い悔恨があります。
 中学一年の秋、自分はどんぐり市の中等部員会の司会役に任命されました。それから、それまでは朝は題目三唱、夜は三座の勤行をして題目を20分程度、中等部の部員会には誘いが有れば参加する、座談会は親が熱心でないので連絡が自分まで来ないので参加しない、という信仰でした。でも、その弱い信仰のときが自分には一生の内で一番幸せでした。弱いながらも純粋に信仰してましたし、信仰を疑ったこともありませんでした。
 それが秋から司会をするには「一日2時間の唱題、それも気合いを入れて大きな声ですること」と言われ自分はその通りにしました。すると痙攣性発声障害(疑)になり、休み時間などに友達と騒いで遊べない、小さな掠れた声しか出ないようになり、苦しみ始めました。
 また、その冬は市場の2階から建て売りの住宅を親戚からお金を借りて購入して11月3日に引っ越ししました。朝、早く起きて冷たい水で手を洗い、朝の五座の勤行。唱題は時間ギリギリまでして口の中に食べ物を頬張って走って登校。登校には五分ぐらい罹りました。チャイムの音とともに音が鳴り終わるまでに入ればセーフ。自分はいつもチャイムが鳴り終わるまでにギリギリに教室に入っていましたが、クラスメートの友達(さんかく、というあだ名で呼ばれていました)はチャイムの音が鳴り終わってから教室に入ってアウトということが多かったです。そうして担任の先生から笑いながら叩かれていました。元気でした。中学一年の僕たちは元気でした。
 思えば、小学5年から小学6年の2年間は僕の人生の内で最も輝いていました。テストはほとんど百点満点。家などで勉強したことなどほとんどありませんでしたが、いつも一番でした。「こんなに算数の出来る子は始めてだ」と先生たちの評判になっていました。しかし小学二年から中学一年の途中まで蓄膿症で非常に苦しんでいました。蓄膿症と診断され、友達と学校が終わってから自転車に乗って隣町の耳鼻科に毎日のように通っていました。毎日の学校は蓄膿症に苦しむ毎日でした。授業中、鼻から濃い液体が流れてくるのを吸うことの恥ずかしさ、休み時間にでもトイレで鼻をかめば良いのに学校が終わって家に帰るまで鼻をかまない。家に帰るとすぐに鼻をかんで溜まった鼻汁を出す、という日々でした。限界まで溜め込んだ鼻水をちり紙(当時はまだチィッシュペーパーというのが無い時代でした)に吹く。その頃の自分にはトイレなどで鼻をかむということを知りませんでした。学校に行って1時間目は鼻汁は溜まっていない、2時間目辺りから溜まり出す、3時間目以降は鼻汁がたくさん溜まって苦しむ、という毎日の学校でした。ですから苦しく、信仰を自分から行っていました。親は母が勤行を眠りかけながら行う、父は全く題目三唱もしない、姉は信仰に全く関心無し、という状態でした。母が仕事に疲れ眠り掛けながら行う勤行の姿を見て小さい頃は育ちました。小さい頃、僕の家は島原で手広く農業をやっていたのに父が農業をしたくない、とでも言ったのでしょう、僕が3歳の時にどんぐり市のダムで有名な御手水に引っ越してきました。父はクルマのセールスマン、母は内職と5歳の姉と3歳の僕の子育て、父はその頃、クルマを買うからその代わりに創価学会に入ることと言われたようで父が最初に入会しました。父は始めの頃は勤行など行っていたようですけど、次第に会合などに行かなくなり、代わりに猛反対していた母が勤行唱題をするようになりました。1年半、本河内?ノ住んで、日見に日見市場が建つと言うことで親戚に洋服屋をしているいて、その援助で洋服屋と果物屋の2つを始めました。洋服屋が母で、果物屋が父でしたが、父は朝の仕入れだけをして、そのあとはパチンコ・大村ボート・花札・飲み屋などに市場の仲間と遊び暮らす日々でした。飲む打つ買うの3拍子が揃っていました。
 僕も姉も父を憎んで育ちました。何かというと母を叱る、お金を母から取っては遊びに行く。僕や姉は怒られることはありませんでした。特に僕は全く怒られることはありませんでした。子供は叱らない優しさがありました。でも母の苦労を思い、僕も姉も父を憎んでいました。死んだらいいのに、と思っていました。僕と母と姉の3人で暮らしたらどんなに良いだろう幸せだろうと思っていました。
 僕は幼い頃から幼稚園を卒業するまでとても泣き虫で毎日一回は泣いていました。友達も母が頼んで遊んでくれていました。また、姉について遊ぶことも多かったです。
 これでは小学校に行けないと母はとても心配していました。僕は幼稚園のバス停でバスから降ろされて、いつも泣いていました。すぐ近くに家があるのに帰れないのでした。よく通りがかりの人が僕を市場の家に送ってくれてました。しかし、何故か、僕は小学一年になると自分一人で走って登校し、走って帰るようになりました。友達もクラスに何人か出来ました。それは幼稚園がキリスト教の学校という謗法があったからかもしれません。しかし、その頃、また今もそうだと思いますが、日見に住んで居る子供には何宗かのお寺が経営している幼稚園とキリスト教の幼稚園しかありませんでした。その幼稚園で僕は担任の先生からいつも集中的に怒られていました。その担任の先生は日見市場の近くに住んでいましたので母が僕を連れて「こんな泣き虫でどうしようもない子ですけれど、どうか宜しくお願いします」と頼みに行きましたが担任の先生が僕を集中的に叱るのは変わりませんでした。
 その頃、僕はとても不器用で8の字が書けない、8の字が真横になってしまう、またいろいろな工作で失敗ばかりして担任の先生から厳しく叱られていました。また、喋り方がおかしいと厳しく叱られてばかりいました。
 ある時、僕がいつも滑りたいな、と思っていた滑り台が雨の日でしたから空いていました。それで僕は念願の滑り台を滑りました。するとそれを見つけた他のクラスの先生が雨の日に滑り台を滑った自分を見つけ優しくパンツとズボンを乾いているのに替えてくれました。自分の担任の先生も、この先生のように優しくて綺麗だったら良いのにな、と思いました。
 小学3年の2学期、幼い心にも八方塞がりで地獄だ、と思い、自分から母の真似をして勤行を始めました。居眠りするのは真似しませんでした。方便品を読むのに20分ぐらい罹っていたと思います。自我解までは出来ていたか出来ていなかったか、解りません。朝は題目三唱だけでしたが夕方は遊ぶのを早く切り上げて夕方の勤行をしていました。夜になると父が帰ってきてお酒を飲み始めるので夕方にしないといけませんでした。
 しかし小学4年生になると勤行をしなくなり、題目三唱だけになりました。勤行をするのが辛かったからではないかと思います。
 小学5年の1月から再び勤行をするようになりました。それからは元気になって、友達と喧嘩したりもしました。この信仰は元気になります。しかし怒りやすくもなります。それまで喧嘩はもちろん友達を責めることも一回もしなかったのに友達を責めたりしたことが2回ほどした覚えがあります。
 小学2年のときも担任の先生から睨まれていました。鬼のような女の先生でした。小学2年生の僕たちの髪を掴んで振り回す、とんでもない先生でした。何故か、その年を最後に小学校の先生を辞めましたが、ちょっと異常な先生でした。自分が一番怒られていました。僕が忘れ物を一番良くしていたからです。家の人は仕事が大変で僕のことを構ってやる時間がありませんでした。それでいつも自分が忘れ物の一番でした。僕は髪を掴まれて振り回されても決して泣くことはありませんでした。幼稚園の頃までに泣き尽くしていたのでしょう。どんなにしても泣かない僕を先生は集中的に暴力と言って良いほどのことを行っていました。
 僕の家は母が仕事に精一杯でいつも月末、僕と姉の貯金箱は空になっていました。母は仕事が忙しくて、それに疲れていたのだと思います、夜の勤行が12時になるため居眠りしながら勤行するしかありませんでした。朝も早くから起きて仕事をしていました。母は農業の仕事で痛めた腰の痛みを我慢しながら仕事をしていました。僕が小学4年の頃まではとても優しかった祖母が「おまえたち、帰ってこんね。」と言っていたのを覚えています。しかし、父は遊びに夢中で、実家に帰ると遊べなくなるからか頑なに拒んでいました。母は「祖母はとても優しくて、嫁姑のことで悩んだことは一度もない」と言っています。
 夜逃げ寸前の我が家が経済的に恵まれてきたのは僕が小学5年生の頃からだと思います。小学5年からは担任の先生が贔屓してくれたこともあり、鼻の病気では苦しんではいましたが、小学6年の頃も同じ先生が担当で僕が一番幸せだったときと思います。勉強は全くしなくてもいつも一番で友達もたくさん居ました。鼻の病気で依然としてとても苦しんでいましたが、クラスの人気者でした。
 小学6年の頃からは少年部員会にクラスの同じ学会員であり最も親しい友人である「おっちゃん」という親友と出席していました。連絡はときどきしか来ませんでしたが、連絡が来るとその友人と一緒に参加していました。
 中学一年に鼻の病気で苦しむことは非常に少なくなりましたが、その痙攣性発声障害(疑)に罹り、今度はそれで苦しむようになりました。これが「宿命」というのであるのかと思いました。「宿命転換」のためには勤行唱題をしなければいけないと少年部員会か聖教新聞で読んで知っていましたから、もちろんしていました。折伏も親戚のおばあちゃんに手紙を書いたりしてしていました。そのおばあちゃんは遠い親戚にあたり、一度は創価学会に入会しましたが退転したということをずっと後になって知りました。創価学会の仏壇にお釈迦様の絵などが書かれた巻物が吊されていました。こんな御本尊様もあるのかなと、福岡のその親戚の家に行ったとき不思議に思いながらもその巻物の前で勤行唱題をしました。一晩、泊まりましたからその巻物の前で2回は勤行唱題をしたと思います。
 あの頃は元気でした。どんぐり市の中等部員会まで勤行はもちろん2時間の題目を挙げ続けましたし、部員会が終わっても一日1時間40分の題目を挙げ続けました。中学2年生の頃はクラブで帰りが7時半になるのとポインターと土佐犬の合いの子の犬の散歩をしなければなりませんでしたから8時ぐらいから御飯を食べ始め風呂に入ってから9時ぐらいから勤行していました。毎晩11時半ぐらいまで勤行唱題してそのあと聖教新聞や御書の研鑽をしていました。寝るのが2時半になるため睡眠時間が5時間ちょうどでした。まだ若かった自分には苦行でもありました。もちろんその頃はギリギリまで朝の勤行の唱題をして口一杯に食べ物を入れて走って登校していました。いつも鐘の音の鳴る最後頃に教室に入りギリギリで遅刻はしませんでした。
 中学2年の00会のとき、僕は英語の先生役をしなければならないようになりました。しかし僕は小さな声しか出ない病気に罹っています。僕のときだけマイクをと僕は提案しましたが、僕だけにマイクを使うことはできない、となり自分は悩み苦しみ仮病を使い風邪を引いて寝ているとなりました。本当に熱が40度ぐらいまで出て、しかし病院に行くと平熱になっていました。喉頭炎と診断されました。しかし心因性の発熱でした。
 10日ぐらい休んで学校に行くと担任の先生から「色の白うなって、よか男になったな」と言われました。
だれも10日ぐらい休んだ僕を責めませんでした。僕の代わりに「ざんぱん」という友達が英語の先生役をやってくれたそうでした。
 中学3年になると自分のようなのが創価学会員であることが知れると「法を下げることになる」と思い中等部会には出席しなくなりました。座談会は元から行っていませんでしたから学会の会合には全く出席しなくなりました。また、何故か中等部会の会合の連絡もありませんでした。そうして自分は悪い友達つまり「不良」と呼ばれる人たちと付き合うようになりました。でも、その人たちの半分以上は家が貧しく新聞配達をしており、中学を卒業したら就職する人たちでした。僕たちの時代にはまだ「いじめ」や「校内暴力」はありませんでした。
「不良」はしかし情の深い人たちの集まりでもありました。夜遅くまで遊んで帰らないので母が自分の家に来た友達に文句を言ったことがあります。僕の中学3年の頃の友達は大部分が中学を卒業したら就職しなければならない友達でした。勤行唱題も欠かすことがあるようになりました。でも、遊びで忙しくても、ときどきしか勤行は欠かしていませんでした。
 中間期末試験は急降下爆撃になりました。しかし実力テストになるといつも一番でした。過去10年間国立の医学部に行った者がいない田舎の中学校でした。秋頃から何故か「不良」の友達は離れていき、自分は本を読んだりして過ごすようになりました。そして東高へ行きましたが、柔道部に勧誘され入らされて柔道部に入り一年間苦労しました。他の人はきついことで辞めたがりましたが、自分には大きな声が出ないため掛け声を掛けることが出来ないことが最も辛いことでした。高校一年の3学期、吃音になってしまい、国語の本が読めないようになったため自分は登校拒否になりました。しかし、このとき、「自分のような病気で苦しんでいる人たちを助けるため医者になろう」と思いました。そして柔道部を辞めましたが「大検」というものがもの凄く難しいと本で読んでいたため高校中退することはしませんでした。高校の始めのテストでは学年で最後から5番でしたが成績は次第に上昇してゆき、高校2年の秋には学年で上から4番になりました。みんな、吃驚しました。しかし、その頃、運動会で応援隊の一人に選ばれクラスから2人のその応援隊の練習をしなければならなくなりました。それはちょうど僕が休んでいたときに、一人休んでいる僕が一番最後に代理の人がジャンケンをして負けたのでした。僕は苦しみ登校拒否を始めました。
 運動会が終わって登校したとき、何人かから詰(なじ)られました。運動会をサボってまでも勉強していると噂になりました。ちょうどその頃、自分がいきなり学年で4番になりましたから、これは「運動会を休んでまで勉強したからだ」となりました。妬み深い女性たちはそう言って陰口を叩きました。男性は妬み深くはないから、そんなことは言いません。その後も自分はいつも学年で4番でした。
 大学はセンター試験が良かったため九州大学の医学部を受けました。しかし、自分は2月の終わり頃、毎日気合いを入れた3時間の唱題を続けていましたが、突然、対人恐怖症になりました。そして2次試験では緊張して考えることが出来なくて落ちました。浪人の頃、毎日3時間の題目を挙げて勉強しました。もちろん、勤行を計算に入れずにの3時間でしたから実質は3時間40分くらい仏壇の前に座っていたことになります。
 対人恐怖症になり人の居るところでは考えることが出来なくなったため一浪してどんぐり大学の医学部に入りました。この対人恐怖症が主な原因となって大学を5年も留年してしまいました。
 そして一番大事なこととして、自分は一生懸命に信仰し大学入試が終わると福岡へ1週間、熊本へ1週間行き、高校時代の同級生に仏法対話をしていきましたが親しかった友人ほど話を聞いてくれなかったです。どんぐりに帰ってからも一日最低一人の仏法対話を3ヶ月半続けました。しかし11月終わり頃、200人近く仏法対話したにも拘わらず、燃え尽きたように退転してしまいました。復活まで魔が競い7年半も罹りました。
 大学最後の年に中型バイクで乗用車と正面衝突し、フルフェイスのヘルメットをきちんと被っていたにも拘わらず、頭蓋骨両側線状骨折(つまり頭蓋骨骨折)をし、4日半、意識不明になりました。その間、三蔵法師のお供をしてチベットなどを旅している夢ばかり見ていました。そして記銘力障害すなわち記憶力障害を後遺症として残しました。現場に駆け付けた警察の人は死んでいるとばかり思っていたのに1ヶ月後、生きている自分を見て吃驚していました。そのとき、事故の写真を見せられましたが良く生きていたと思います。
 記銘力障害を抱えながらも医師国家試験にはどうにか合格し医師としてスタートしました。しかし、薬の名前を覚えきれない、手術に使う器具の名前を覚えきれない、1年目、誰も入局者がいないと脳外科に入らせられましたが、手術の器具や薬の名前を覚えきれないのでは無理でした。2年目から精神科に変わりました。
 精神科の医師ながら精神科の薬を飲んでいる奴として白い目で見られていました。大学の4年目から飲み始めた精神安定剤は自分には必要なものでした。この緩和精神安定剤(マイナートランキライザー)が自分の対人緊張を和らげるのに必要でした。また吃音にも緩和精神安定剤は良く効いていました。長野の病院に勤めているとき同じく精神的病で苦しむ男子部のリーダーが自分のリーダーでした。そして「宿命ではない。使命なんだ。」と指導されたことを聞き、自分も自分の病気が使命だと考えるようになりました。長野の男子部リーダーだった人は自分よりも重い精神疾患でありますが、今も毎年、真心のこもった年賀状を送ってくれます。
 長野から夜逃げして帰り、福岡の病院に勤務し始めました。そこは脳外科の病院ではありますが鍼で有名で相撲取りも噂を聞いて来るようなところでした。自分は「鍼による精神的疾患への挑戦」として自分は鍼に一心不乱に挑戦しました。自分の鍼は痛い、と悪評が立ちました。しかし中には自分の鍼が良く効く、として通い続けた人たちもいます。下腿にしか鍼を刺さない下腿鍼という鍼の確立を目指しました。「下腿にだけ鍼をして精神疾患を治す」このことに燃えました。しかし、ちょうどどんぐりの大学時代の友人から「俺たちの精神科の病院に来ないか」と勧誘を受け、迷った挙げく、どんぐりに帰ってきました。
 脳外科の病院に勤めていたころ、過労かストレスから軽症の“うつ病”を発病し、3年間、“うつ病”を抱えながら仕事を続けました。身体がきつくて溜まらないため仏壇の前にうつ伏して3時間題目を挙げたこともあります。“うつ病”というものは朝が非常に悪く、昼や夕方になるに連れ軽くなって行くものですが、毎日、朝、起床するのが大変で遅刻でした。しかし、この“うつ病”は丹田呼吸法を心懸けた勤行唱題で3年後、一日で治りました。
 しかし、福岡のその病院とどんぐりの精神科の病院掛け持ちで3ヶ月半休み無し、週3回当直、自分は福岡とどんぐりの間をクルマで走るとき、題目を唱えながら走りました。しかし3ヶ月半後、あまりにも無理をし過ぎたため“うつ病”が再発し、起床できなくなり福岡の病院にはとても行けなくなりなりました。どんぐりの病院もかなり休みを重ねてしまいました。しかし、これも3ヶ月半後、ある葛藤(悩み)が生じ、丹田呼吸法を心懸けた勤行唱題を土曜日夜、3時間ほど上げ、日曜日、朝起きることが出来て職場に行って働くことが出来ました。日曜日の夜も3時間近く丹田呼吸法を心懸けた勤行唱題をして月曜日からは何の支障もなく働けるようになりました。「“うつ病”のときは勤行唱題は禁止」とされているほど、勤行唱題を行うのは大変であります。こうして自分の“うつ病”の2回目のエピソードは3ヶ月半ほどで治りました。
 “うつ病”の3度目のエピソードは1ヶ月余り、そして今、4度目の“うつ病”のエピソードと闘っています。負けません。
 もう、丹田呼吸法を心懸けた勤行唱題で治す気力はありません。時間が治してくれることを願っています。

 今は月曜日の夜です。日記のように書いています。日記代わりでもあります。許して下さい。
 僕は自分の病気は信仰を真面目に始めるとともに出てきました。

 転重軽受法門 (文永八年10月 50歳御作)
「涅槃経に転重軽受と申す法門あり。先業の重き今世につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦しみぱっときえて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候、不軽菩薩の悪口。罵りせられ杖木瓦礫をかほるも故なきにはあらず、過去の誹謗正法の故かと見えて其罪ひっちと説れて候は不軽菩薩の難に値う故に過去の罪の滅するかと見えはんべり…………」

 佐渡御書(文永9年3月 51歳御作)
「涅槃経に曰く「善男子、過去に無量の諸罪・種々の悪業を作らんに是の諸々の罪報・或いは軽易せられ」
「及び余の種々の人間の苦報、現世に軽く受くるは、これ護法の功徳力に因る故なり」

 兄弟抄 (文永12年4月 54歳御作 与池上兄弟 於身延)
「横(よこしま)に死横(しおう)に罹(かか)り呵責(かしゃく)・罵辱(めにく)・鞭杖(べんじょう)・閉繋(へいけい)・飢餓・困苦(こんく)・是くの如き等(とう)の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず』等(とう)云々、般泥おん経に曰わく「衣服不足にして飲食楚々なり財を求むるに利あらず貧賤の家及び邪見の家に生まれ或いは王難及び余の種々の人間の苦報に遭う現世に軽く浮くるはこれ護法の功徳力に由る故なり」等云云…………、
「文の心は我等過去に正法を行じけるものに・あだをなして・ありけるが今かえりて信受すれば過去に人を障る罪にて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正法を行ずる功徳・強盛なれば未来の大苦を招ぎこして少苦に値うなり、この経文に過去の誹謗によりて・やうやうの果報を受くるなかに或いは貧家に生れ或いは邪見の家に生れ或いは王難に値う等云云」…………
「各々・随分に法華経を信ぜられつる・ゆえに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとえばくろがねをよくよくきたえばきず(疵)のあらわるるがごとし、石はやけば灰となる金は・やけば真金となる、此の度こそ・まことの御信用は・あらわれて法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ、雪山童子の前に現ぜし羅刹は帝釈なりしび王のはとは毘沙門天ぞかし、十羅刹・心みたまわんがために父母の身に入らせ給いてせめ給うこともや・あるらん、それにつけても、心あさからん事は後悔あるべし、…………」
その上摩河止観の第五の巻の一念三千は今一重立ち入りたる法門ぞかし、此の法門を申すには必ず魔出来すべし、魔競わずば正法と識るべからず、第五の巻に曰く「行解すでに努めぬれば三障四魔奮然として競い起こる乃至随う可らず之に随えば将に人をして悪道に向かわしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云々、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門下の明鏡なり」

 兵衛志殿御返事(三障四魔事) 建治元年11月 54歳御作 於身延
「潮のひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と秋と春のさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障り(さわり)いできたれば賢者は喜び愚者は退くこれなり」

 我が身は過去に謗法のものなりけること疑いたまうことなかれ

「すでに仏になるべしと見え候へば・天魔・外道が病を付けてをどさんと心み候か、命は限りあることなり、少しも驚く事なかれ、また鬼神奴らめこの人を悩ますは剣を逆さまに飲むか」

 上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)
「法華経を持(たもち)たてまつるものは地獄即寂光と悟り候ぞ、たとい無量億歳の権教を修行すとも、法華経を離れるるならば・ただいつも地獄なるべし」

 四条金吾殿御返事(此経難持御書)
「此の経を聞き受くる人は多し。まことに聞き受くる如くに大難来たれども憶持不忘の人は希なるなり。受くるはやすく持つはかたし。さる間、成仏は持つにあり。」

 御義口伝「末法に於いて今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり」

 開目抄
「我並びに我が弟子、諸難ありとも疑う心無くば自然に仏界に至るべし、現世の安穏成らざることを嘆かざれ、朝夕教えしかども皆捨てけん。拙き者の習いは誠のときは忘るるなるべし。」

 御義口伝下「娑婆とは堪忍世界と云うなり」

「又心の病・重重に浅深・勝劣分れたり」(治病抄)」【涅槃経】」

疲れました。小夜子姫、無理はしないで下さい。僕は今、勤行唱題を行っていません。“うつ病”を治すのが自分の闘いだからです。
では。
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しかし、3回目の“うつ病”エピソードから不眠が続いています。今日も2時間ぐらいしか眠れなかっただろう。いつもいつも2時間か3、4時間しか眠れない。しかし布団のなかでいろいろと考えにふけっている。

最近、クルマを運転しながらの方便品自我解は再開した。しかし、やはり喉の病気を思うと、考える。家の御本尊様に向かって題目三唱だけですますのが良いのではないかと。しかしクルマの中だけでも方便品自我解を唱えると心は決まるし元気になる。
しかし、その「元気」が交感神経過緊張となって自分の病気となっている。宿命とどう闘うか、最低でも御本尊様に向かっての題目三唱は続けよう。この信仰を疑わずに。宿業とどう闘うか? 今のように気功法を少しでも行い続けるか?
では。

september 7 2004,

 信仰とは殉教である

 小夜子姫へ。この前、お酒を飲んで書きすぎたようですみません。今、当直あけの朝です。
 適当に信仰している人には過去世の悪業は現れず、真面目に一生懸命に信仰している人には過去世の悪業が現れると御書に書いてあります。誰よりも純真に熱心に信仰している人に過去世の悪業が競い起こると御書には書かれてあります。小夜子姫のお母さんの掛かった精神的疾患は非常に治りやすいものなのです。放っていても治るのが普通です。それを小夜子姫と同一視するのは間違っています。
 過去世の悪業が競い起ころうと少しも疑わずに信仰を貫けば仏になれる。「我並びに我が弟子、諸難ありとも疑う心無くば自然に仏界に至るべし」とあります。
「信仰とは殉教である」と池田先生は同時放送のとき言われました。15年ほど前、岡山(兵庫?)の県青年部長が真夜中に高速道路で自動車事故を起こし亡くなりました。学会活動からの帰りで居眠り運転でした。この県青年部長も誰よりも純真に熱心に信仰していたに違いないと思います。
 どんぐり県の県青年部長も誰よりも純真に熱心に信仰していましたが、心臓疾患にかかり福岡の実家に帰って療養となりました。24年前、僕にとても良くしてくれた県青年部長ですので今度、手紙を書こうとも思っています。
 僕も中学時代、非常に熱心に信仰していて病気になりました。近田さんも社会性と人間性に溢れ、そして極めて熱心で将来を嘱望されていました。そして病気になりました。
 信仰は魔と仏の闘いであると言われます。「我並びに我が弟子、諸難ありとも疑う心無くば自然に仏界に至るべし」のような経験を自分は何度かしてきました。いつもギリギリのところで疑う心を出して幸せを逃す自?ェでした。
 ロヒプノールが含まれて一層強くなった眠前薬で眠れないとは女性では考えにくいことです。男でもロヒプノールが含まれていれば眠れるのが普通です。
 もう一度、無理はしないで下さい。僕は男ですから家事をしないで良いから寝てばかりいることも出来ます。そうすると元気が少しずつ湧いてきます。
 疲れました。すみません。

oct,1(friday)
oct,2(saturday)

oct,7(thursday)
 御書を読むと、大聖人様は宿業と魔の区別を余りされていないと思いました。そのように魔と宿業を区別しない境涯に立たなければいけない、と思いました。「信仰とは殉教である」と池田先生も言われていたことを思い出しました。
 しかし、10年ほど前になるでしょう。聖教新聞に「外典を読め!」という言葉が頻繁に乗っていたときがありました。内典ばかり読んでいると考え方が狭くなってしまうということだったからでしょう。
 以前、「私の病気は魔ではありません。宿業です。」と強く言われた婦人部の方が居られましたが、大聖人様は魔と宿業の区別を余りされていません。病気を魔と言った自分が軽率だったとそのときは思いました。でも御書を読んでいると大聖人様は魔と宿業の区別を余りされていません。
 ある外典には「魔はその人の生命の一番弱いところを突いてくる、魔とは極めて悪賢いものだ」とありました。こうなると魔と宿業の区別が付かなくなります。「魔、競わずば、正法と知るべからず」と大聖人様も仰っております。
 魔と宿業を余り区別しない高い境涯、広宣流布に命をかけるとそのような境涯になれるのだと思いました。自分の病気は魔である、宿業である、とくよくよと悩んでいるのでは駄目なんだ、と思いました。
 自分も中学一年のとき、本気で信仰を始めたところ、魔か宿業が競い起こりました。それまでのように適当に信仰をしていたら良かった、そうしたらこの病気で20何年も苦しまないで良かった、と思っていました。そして、魔が競うようには信仰を熱心にするまい、と思いました。壮年部の多数の人がそう思って信仰を熱心にしないようになったのでは、とも思います。
 ある熱心な婦人部の方が聖教新聞を配達中に激しい交通事故をされて「一生、身体障害か、死か?」という危機になりました。しかしその婦人部の方は非常に熱心で有られましたから2ヶ月後には何もなかったように退院されました。魔である、宿業である、とはその婦人部の方は一言も仰らなかったと思います。魔と宿業を区別しない境涯とはこういうものか、とも思いました。
 我々は魔である、宿業である、とくよくよしがちですが、広宣流布という大目的に立つならば魔でも宿業でもどちらでも良い、となるのだと思いました。


oct,9(saturday) 出したかな?? start

 小夜子姫へ。この前は、山の上のサナトリウムのような病院からで電波の調子が悪くてすみません。
 睡眠障害は“うつ病”には必発と言って良いほど伴うものです。男性は過眠となることが多く、一日16時間も寝てしまう、ということが多いですが、女性には過眠はほとんど無いようです。しかし、男性も過眠よりも不眠が多く、過眠となっても一時的なことが多いです。男性には1週間寝ていないとか、一日1時間しか寝てないとかいう人が多いです。しかし、男性は体力があるのか、眠れなくても、比較的元気にしています。
 何故、過眠が男性だけに好発するのかは理由は解っていません。
 自分も“うつ病”のときはほとんど眠れなくなることが多いです。一睡もしなかった、ということが多いです。自分は週3回当直と当直専門のようになっているので眠れないことが多いです。最近は走ることを怠っており、良くないとは思うものの、仕事から帰ってきて走る体力も気力もなくて、家の片づけなどをしなければならないときは、酎ハイを飲んで力を付けてでなければできないことが多いです。勤行も欠かしがちです。自分は眠れなくても布団に寝て、朝まで空想の世界に浸っていることが多いです。眠れなくても寝た振りをしていたら疲労はかなりとれます。でも、最近は体力の衰えからか寝たふりでは翌日の倦怠感が激しいです。
 自分の良く知っている人が「うつ病」ということで数年間、内科で治療を受けていましたが、題目を3時間続けてできるなど“うつ病”ではないような感じでしたが、結局、血液検査を受けてGOT800と正常上限の4倍ほどで“うつ病”ではなく「アルコール依存症」と診断され、今、内科の病院にアルコール依存症として入院になりました。身体のどうしようもない倦怠感が“うつ病”ではなくてアルコール依存症ではなかったのか、その合併だったのか、解らない、という状態です。こういう患者さんが多く、見極めが非常に付けがたい、となっています。
 池田先生は「楽観主義で行け」といわれています。悲観主義は良くありません。「どうなってもいいや」という楽観主事が大切なのだと思います。またそれだけの生命力というか図太い精神が必要なのだと思います。
 僕は一度、勤行唱題を全くしないで居たら“うつ病”が1ヶ月で治ったという経験があります。魔があきれ果てて去っていったのでしょう。とにかく無理をしないことが魔につけ込まれない一番の方法だと思います。自分は睡眠薬でなくお腹一杯食べて寝る、という毎日を過ごしてました。でも、これは女性には勧められない方法と思います。(理由)女性はブタに変身するため

 三船カメ太郎
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oct,10(sunday)
oct,11(monday)
oct,12(tuseday)

oct,13(wednseday)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーtwo end
 小夜子姫、こんにちは。
 ユーロジンはロヒプノールの強さの4分の1ぐらいです。ユーロジンは長く効くが20代、30代の男性には効き難いです。ユーロジンで眠れるのは女性や老人ぐらいです。以前の12時間から13時間の睡眠は眠り過ぎになります。確かに自分も“うつ状態”でこの頃、一日10時間寝ています。そうでないと身体が怠くてもちません。
 ロヒプノールは犯罪に使われるくらい良く効く睡眠剤です。ですからアメリカではロヒプノールを所有していると診断書がなければ一日投獄などになります。
 ロヒプノールが効かなかったそうですが、“うつ”が悪化していると考えて良いと思います。
 デパスやレキソタンを眠剤の変わりによく使いますが良く効きます。自分は前立腺肥大症(三環形抗うつ薬の飲み過ぎ)で夜中どうしても3回ぐらい起きます。そしてトイレへ行ってパソコンの部屋に行ってアイスクリームを食べたりしてインターネットをしているとすぐ又眠くなり寝ます。
 今は軽症うつ病でおチンチン君も軽症うつ病になっています。セックスしようにも倦怠感でできません。
 ロヒプノールが効かないと言うことは“うつ”が悪化していると考えて良いと思います。自分は“うつ病”のときはロヒプノールしか効きませんでした。一日2mgまでとなって居ますがどんぐりは特別一日4mgまでになっています。2mgでは効きませんが4mgだと良く効きます。
 胃痛があるなら胃薬も良く効くものを飲まなければ行けません。精神科の病院は9時10時に眠らなければ行けないようになっています。そして朝は7時頃までには起きなければならないようになっています。
 そのため睡眠剤を女性にもたくさん飲ませます。この前、40代の女性に、男性並みにレボトミン50mg錠が入っていることを発見し、患者さんはどうかというと「朝までトイレに行くこともできない、朝、他患から支えられて朝御飯を食べる。自分で歩くのは午前中は歩くことが無理」な女性の患者さんを発見しました。

oct,14(thursday)
oct,15(friday)

【症例】  ハワイには空想の中で何回も行ってきました
            (以下は新婚旅行に行こう行こうと言う妻に対してです?)

                             三船カメ太郎

 どうしようもない倦怠感が僕を覆っていた。「根性だ、根性を出せ」と自分を叱咤してももはや限界であった。「ただ何もなく寝ていたい」という思いだけがあった。世の中の瑣事さえ今の自分には億劫で憂うつであった。“うつ病”が悪化するとこのように「ただ寝ていたい」となります。
 “うつ病”は安静が必要です。旅行は“うつ病”を悪化させるだけです。今はSOS の直前です。やっと、仕事に行けている状態で、旅行中に倒れるか旅行後に倒れるか、解りません。今は“うつ病”の悪化のみです。
“うつ病”の人に落ちこんでいるから旅行に連れ出そう、とは反対の効果しか有りません。
 1時間半経つと目覚め、小便にいってそのあとアイスクリームを食べながらインターネットをして眠くなりまた寝る、の繰り返しです。病院当直でもアイスクリームなどを食べたりコーヒーを飲んだりの繰り返しです。身体は常に倦怠感に覆われ、チンポコ君も元気が無くて「きついきつい」と言って立ちません。完全な“うつ病”に少なくとも1週間前から覆われています。
 小夜子姫の例を見て、“うつ病”に「旅行は厳禁」と思いました。以前、福岡の病院で働いているとき病院一同の沖縄旅行がありましたが自分は怠くて怠くて旅行の間中、寝ていました。冷房の効いたホテルのベットの上は快適だったです。みんなは実際に泳ぎに行ってましたが、僕はあまりの倦怠感のため、ずっとベットの上に寝ていました。空想の中で泳いでいました。
 今の世の中には“うつ病”“うつ病もどき”がたくさん居ます。僕は“うつ病もどき”だったのですが、それが1週間前より悪化しています。
 小夜子姫は34歳時に空虚感など“うつ病”の発症がありますから、34歳時発症で、35歳時、結婚後に“うつ病”の悪化が起こっています。そして“うつ病”の悪化が何回か起こっています。今回のは“うつ病”が中等度から重症に移行した、と見るのが正しいです。
 僕はインド製のプロザックばかり飲んでいます。毎日5錠から10錠飲んでいます。始めて服用した頃、一粒でも眠気が強かったですが、今はほとんど眠気も何も感じません。一粒か二粒服用するのが一般的ですけど、プロザックに慣れてしまった現在、一度に5錠から10錠飲んでいます。小夜子姫にサンプルを送っても良いのですけど、どうしましょうか? アメリカ製などに比べかなり安価です。安価ですから食べるように飲んでも副作用を感じません。
 小夜子姫には睡眠導入薬ばかりが出されていましたが睡眠導入薬をあんなに出して保険に通るのか不思議です。普通はロヒプノール2mgで充分に患者さんは寝ています。レボトミン、ベゲタミンは強力な睡眠剤ですけどベゲタミンはレボトミンに劣ります。ロヒプノールからユーロジンに代わって具合が悪くなったのなら「ベンゾジアゼピン系薬物で最も強力なロヒプノールを飲み慣れたためベンゾジアゼピン系薬物に対して強い耐性が付き、ベンゾジアゼピン系薬物があまり効かないようになった」と考えるのが最も適応だと思います。強い耐性を弱い耐性に変えるにはベンゾジアゼピン系薬物の服用をなるべく控えるようにしたら変わります。欧米ではベンゾジアゼピン系薬物が習慣性を持っているため不眠症にも余り使用されません。代わりに抗うつ薬や抗精神病薬が処方されています。ベンゾジアゼピン系薬物の方が習慣性があるものの、身体への害は少ないです。
 僕は自律神経失調や精神的な疾患は大部分、背中の凝りに由来しているのではないか、と思うようになりました。今日か明日、知り合いの整体師の処へ行こうと思っています。そして週に1回はその整体師の処に通おうと思っています。
 そしてハワイには空想の中で何回も行ってきました。
 福岡・大阪のように医者が余っているところは1年目・2年目の医師を簡単に捜して当直に使えますが、どんぐりは医師の少ないところです。代わりの当直はなかなか見つかりません。佐野先生も土日を挟んで5日間で旅行に行っています。国元先生も土日を挟んで5日間旅行に行っています。土日を挟むと3日しか休まずにすみます。佐野先生、国元先生は当直がないのでそんな旅行に行けますが、当直がある人は代わりの当直を見つけ出すことが大変でまず旅行には行けません。
 それと自分の体調が現在かなり悪いことです。旅行に行っても寝てばかりになると思います。“うつ病”が悪化しています。旅行に行くだけでも無理です。“うつ病”が悪化しているに拘わらず檀那さんが小夜子姫を旅行に連れて行って、そして小夜子姫は“うつ病”が悪化しました。
 “うつ病”が悪化するとただ寝ていたい、となります。旅行は“うつ病”のときは気晴らしにはとてもなりません。本人は旅行が苦しいだけです。
 “うつ病”は休養が何よりも必要です。旅行は“うつ病”を悪化させるだけです。今はSOS の直前です。今は「やっと、仕事に行けている状態」で、「旅行中に倒れるか旅行後に倒れるか」つまり“うつ病”の悪化のみです。
 疲れました。この頃は、コーヒーだけでなくビールも飲まないとワープロを打てません。疲れました。目覚めと目覚めの間もきついです。さっき、無理してテレビを見てましたが、きつくてきつくてなりません。やはりベットに戻ります。
 低温相が高温相に代わる時期が排卵の時期ですから、その日を狙ってオナニーをして注射器にため、凍らせることなく、そのまま女性器に挿入・発射したら良いのです。しかし今の自分はオナニーしても精液が出ません。チンポコ君は「きついきつい」とばかり言っています。
 疲れました。

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〒854-0067 どんぐり県どんぐり市どんぐり山999-99 三船カメ太郎
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oct,16(saturday)2004  女房は強い腕力で僕を会合に連れてゆきます。
-------------------------------------------------------------------------------------------three end

   窓の外を眺める 
      ----小夜子姫へ、激励の詩----
            ドクター五船


窓の外をぼんやりと眺める
何も考えず、ぼんやりと眺める
ウルトラマンが飛んでいる
怪獣・ガメラも飛んでいる


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〒854-0067 どんぐり県どんぐり市どんぐり山999-99 三船カメ太郎
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 睡眠障害の件でした。ソラナックスを不眠に使用するという手段もあります。またはデパスを不眠によく使用します。ソラナックスは自分も始めて飲んだときは「具合が悪くなり、そして眠くもなり、どうしようもなくなった」経験があります。ところが数年して飲んでみると全く副作用無しでした。
 家にNo23No24No39などが困るほど有るため荷物整理を兼ねて小夜子姫の処に送ろうと思います。新しい女房は怖いですけど優しいです。『この薬屋さんのようなクスリは何ね!! 家の邪魔になるから棄てるわよ。ブーブー』と言います。『漢方薬は古くなっても効く。』『漢方薬は証が合えば劇的に効くことが多い。』『男性の青壮年には少ししか効かないが女性や老人には良く効く。』と説明しますが『ブーブー』と納得しないようなのでそのうちに小夜子姫に送ろうと思います。
 身体が虚証気味になると漢方薬は良く効くようになることが多いです。身体が元気だとあまり反応しませんが体力が衰えてくるとよく効くのが普通です。漢方薬は女性と老人には効くが男性にはほとんど効かない、と思います。
 今も山の上の病院で当直中です。女房は怖いけど優しいので良かったです。いろいろと文句を言いますが最後には折れてくれます。ハワイ旅行も僕は行かず、女房と女房の姪と甥たちで行くことになったようです。また過労で“うつ病”が再発すると大変ですし、僕は旅行は大の苦手ですから。
 今回のうつ病エピソードは軽症でしたが3ヶ月間続きました。今日の朝、4時間近くしか眠っていませんでしたがいつになく目覚めが良く、いつも僕の上を覆っていた黒いモヤモヤとしたものが去っていました。これで6回目の寛解になると思います。不眠症の方はどうなるかは解りません。僕の不眠症は“うつ病”とは関係ないような気がします。前の女房は重症の不眠性障害でありましたが歩くことを始めてから不眠症は軽症になりました。今はどうなのか、解りません。
 不眠で悩む人は多いです。夜昼逆転の仕事もたくさん存在するため、気にしないようにしようと思っています。僕の小学時代からの親友も内部ですが友人と経営していたシロアリ対処の会社が倒産したため、今はパン製造工場で働いています。夜8時から朝6時までの仕事です。不景気で会社が潰れたりした人たちは再就職先が無くてとても困っています。
 前の女房も2日に一度しか眠れないなど強い不眠症で、それは“うつ病”に由来すると診断されていましたが、どうしても“うつ病”は存在しなく、単なる強い不眠性障害だったと思います。福岡中の何処の病院に行っても良くなりませんでした。
 新しい妻は病気とは無縁です。明るくしっかりしていて怖いけど優しいです。年は僕より一つ年下なだけです。勤行はしませんが、強い腕力で僕を会合に連れてゆきます。


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PS:それから現在の状態では精神障害2級に該当するはずです?? こんど生殺し先生に聞いてみたら良いと思います。状態の悪い時がチャンスです。小夜子姫のは「うつ病」でもそれが表情や声にほとんど現れないという学会員特有のものですから、かなり軽症に見られやすいのです。電話ではほとんど「うつ病」のように見えません。精神障害2級を貰うと月8万支給されます。治ったら支給停止ですが、支給停止になったら困るので病気の振りをしている患者さんもたくさん居ます。僕は優しいので騙された振りをいつもしています。精神科の病気は病気の振りをしても解りにくい、という点があります。心理検査があるかも知れませんが、そのときは重症のように書けば良いのです。人生、正直すぎては生きていきにくい、点もあります。間違ったところですが、現在の医療福祉がこのようである以上、仕方のないことです。
 また、アルコールを飲んで眠ることはどの本にも「眠りが浅くなり、かつ、2・3時間で目が覚めてしまうので良くない」と言われています。自分もアルコールを飲んで寝ると浅くしか眠れません、また2時間ほどで目が覚めて、それから眠れません。また、翌日はアルコールのため、具合が良くありません。(これらが小夜子姫の体力減退に繋がっているような気もします?)
 ですから寝る前だけはアルコールを飲まないようにしています。アルコールから覚醒してから眠るようにしています。仕事から帰ってきてすぐなんかは飲みますけど。
 そして体力の激しい低下は「うつ病」からでなく肝機能障害から来ている可能性もあります。僕の知り合いで「うつ病」と診断され長年、治療を受けていましたが、良くならなく、血液検査をしたらGOT・GPT が非常に高く「アルコール依存症」と診断されて入院し、今、もう退院直前の人が居ます。今はもう元気になっています。
 そうでした。読み返すと、強い眠剤では起きられなくなっていたとのこと。だから睡眠導入剤だけにしていたのかと合点がいきました。ロヒプノールは中時間作用型でしかもベンゾジアゼピン系眠剤のなかで最も強力なものです。ロヒプノールを飲み始めると他のベンゾジアゼピン系薬物があまり効かなくなるという欠点を持っています(製薬会社から怒られたら困るので、持っているようです、に改めます)。

oct,18(monday)
oct,19(tuseday)
oct,20(wednseday)
 小夜子姫へ
「お酒を飲んだ後に牛乳を飲むと眠れるのですが、翌日がとてもしんどい為、止めていました。」
 という以前のメールの一部を見つけました。
「翌日がとてもしんどい為」はアルコールのためと思います。男性でもアルコールを5合ぐらい飲むと翌日、二日酔いで身体がとても怠くなります。そして、小夜子姫は女性です。男性の半分程度のアルコールへの強小夜子姫考えるべきです。
 眠れないとき牛乳を飲むのは、たくさんの人が知っている生活の知恵です。自分は叔母から聞きました。自分は今は前立腺肥大のため夜中トイレに2、3回行きますが、このときにアイスクリームを食べながらインターネットをしているとすぐに眠くなってまた寝ます。以前はシュークリームを食べて寝ていたな、と記憶しています。
 アルコールを飲むと2、3時間後に目が覚めてそれから寝付けないことは自分もたくさん経験しています。
 肝臓や膵臓の方、大丈夫でしょうか? 高額医療制度があります。その制度、自分は良く知らないのですが月何十万以上のときには支払われます。精神科の病院ではなくて肝臓や膵臓が悪くて内科の病院に入院するアルコール依存症の人が多くいます。僕の父親もアルコール依存症で糖尿病になり内科の病院に入院しました。
「うつ病」になったら運動するのが億劫になるので少し体力は減退しますが、少しです。アルコールと「うつ病」を得意とする精神科医に掛かるのが理想ですが、なかなか巧く行かないものです。精神科医にも得意不得意があります。自分は神経性食欲不振症は全く駄目です。神経性食欲不振症が苦手な精神科医は多く居ます。
 アルコール中毒の患者さんには「シアナマイド??」という液状のクスリを朝飲ませます。すると24時間ぐらいそれは効いて、もし24時間以内に「アルコール」を飲むともの凄く苦しくなり救急車要請となります。それは苦しむだけで死ぬことは滅多にないと言われていますが、福岡の脳外科に当直していたとき心臓が止まった人が居ました。僕は「家族のため死なせてやろう」と思いましたが、福岡の脳外科で鍛えられて(洗脳されて)いた自分は、心臓の上を叩いてしまいました。心電図上、心臓が止まっていたのは10秒余りでした。そしてその人は生きています。精神科のアルコール病棟に4ヶ月入ってアルコール中毒を克服しました。別人のように元気になりました。でも、未だ、アルコール病棟に入退院の繰り返しのようです。
 アルコール依存症やアルコール中毒の人は内臓などが滅茶苦茶になっている人が多いです。老化もとても早くから始まります。アルコール依存症の人は極めて老人性痴呆になりやすいです。しかも60歳ぐらいから老人性痴呆になってしまいます。早い人は50代に老人性痴呆になってしまいます。脳出血・脳梗塞は必発と言って良いほど起こります。これを論文に書いて投稿すると00000などから、もの凄い嫌がらせを受けますが、今度、論文として書こうと思っています。自分の身を守るため今日ぐらいから拳銃の学校に通おうとも思っています。たしかアルコール依存症で内臓などが病気になっても保険は降りないと聞いています。でも、黙っていたら大丈夫です。みんな、アルコール依存症のことは書きません。しかし、医師の診断書に「アルコール依存に依る肝硬変」と書かれたらアウトです。
『この病を信心で乗り越えられないことが、親がふがいなく思っているようで・・・。』病気で苦しんでいる大幹部はたくさん居ます。入退院を繰り返している大幹部はたくさん居ます。「ぎょうげ、既に勤めぬれば三障四魔憤然として競い起こる」からです。適当に信仰していると魔も宿業も出ません。壮年部の大多数がそう考えて適当に信仰しています。自分も少年時代、適当に信心していたらとよく悔やみます。痙攣性発声障害(疑)は中一の頃からです。苦しみました。対人恐怖症は高校3年の終わり頃からです。苦しみました。
「すでに仏になるべしと見え候へば・天魔・外道が病を付けてをどさんと心み候か、命は限りあることなり、少しも驚く事なかれ、また鬼神奴らめこの人を悩ますは剣を逆さまに飲むか」
 大聖人様はどのような難に遭われても「これで過去世の謗法の罪が消える」と逆に喜んでおります。その境涯に立たなければいけないのですが……

 今、木曜日の朝です。7時10分前です。病院では良く書きますが、家に帰るとパソコンが具合が悪いと言って出さないで居りました。長くなりました。今日の朝は嫁さんがクルマで迎えに来てくれます。
 
 三船カメ太郎 v(˛ ?˛?˛) 


oct,21(thursday)
oct,22(friday)
oct,23(saturday)
oct,24(sunday)
oct,25(monday)
oct,26(tuseday)

oct,27(wednseday)2004
                「幸せ過ぎる罪悪感」

 小夜子姫へ。僕は今、幸せの絶頂期にいると言っても過言ではないでしょう。妻が幸せにしてくれます。今日も午後からの勤務で今、夜の当直中です。昼、妻からクルマに乗せてもらって病院へ来ました。妻は退屈しのぎにこうするのが良いのです。
「幸せ過ぎる罪悪感」というと顰蹙(ひんしゅく)ものですが確かにそうです。今の自分は自分の今までの人生に於いて最高の幸せの中にあります。思えば苦しい長い冬でした。それを耐えて来れたのは創価の信仰があったからです。
 苦しみの中にも中等部の頃の学会歌を心の中で唱えて耐えてきました。もうすぐ43歳になりますが、幸せな時期は小学校5,6年頃、そして他に何時があったでしょうか? 妻は「苦しまないで良いのに苦しんできた」と言いますが辛抱の季節が長過ぎました。努力してきたのです。そこまで努力しないでも良いのに努力してきた、いや、それよりも病気との格闘の連続でした。病気があったため努力しなければ人生に敗れる危機感からでした。今も病気に苦しんでいますが、あんまり苦しんでいません。妻から人生を謳歌することの大切さを言われました。相対的な幸せではありますが、人から見ると、羨(うらや)まれるほどの今です。幸せで勤行をしていない、今日は昼頃、家を出るとき、3分ほど唱題しただけでした。信仰心が薄くなっています。題目三唱だけの信仰になっています。今まで不幸だったから幸せになっても良い、と言った考えもあります。人の良い患者さんと人の良いスタッフと人の良い女房と人の良い同志と、恵まれすぎていて足りないのはあと子供だけです。 
 明日は朝、当直あけで妻に連れられて帰って、妻が運転してパソコンの17型のモニターを持って近田さんの家に行ってお喋りして整体してもらって妻に運転してもらって帰ります。信仰を一生懸命にするとどうしても交感神経過剰亢進になって調子が悪くなるので、題目3唱だけに留めておきます。
 ここまで幸せになって苦労して育ててくれた母や父などに感謝しなければなりません。そして御本尊様にも。それなのに今、自分には信仰への不信があります。信仰への不信があり幸せだし勤行唱題すると宿業が出るから題目三唱に留めておくような毎日です。でも、よく考えてみると、医者はみんな幸せです。僕には解雇への恐怖があります。他の医者なら悩まないでも良いのに、ここを首になると何処に勤めようか、と考えます。今までの自分には「ゆとり」が無かった。「未だ広宣流布せざる間は身命を棄て随力弘通致すべきこと」という日興上人の遺戒置文(ゆいかいおきぶみ)が中学二年の時に僕の胸に焼き付きました。それで「遊んでいてはいけない」という罪悪感が生じます。題目三唱の適当な信仰の方が少なくとも自分には向いている、という考えがあります。勤行唱題を熱心にすると宿業が出ます。信仰を熱心にすると宿業が出ると御書に書かれてあります。
 幸せ過ぎる、しかし医者はみんなこうだ、自分よりも幸せな医者はたくさん居る、これが普通だ、という考えがあります。子供が未だ居ないし僕は医者の中ではかなり不幸な方だ、という考えもあります。
 今まで苦しかったから現在の幸せを感じることができる、とも言えると思います。
 創価の信仰があったから今まで10数年の苦しみと試練を乗り越えることができた、確かにこの信仰を熱心にし過ぎたために病気になって苦しんできたのですけれど、複雑な心境です。今から生死一大事血脈抄を読みます。
 日記代わりに書いてますから気にしないでください。
「ゆったりとした自分にしてください、と祈るのだ」と言われた17年前の指導を思い起こそうと思います。 

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oct,28 2004(thursday)
 今、午前5時、12時に床に着いたが遂に一睡もできず 朝日を眺める あくびが出る でも眠れない もう寝ることは諦めてパソコンに向かい日記を書き始める 当直のコールは一回もなかった 眠剤を飲めば眠れるが眠剤は習慣性があるから飲みたくない 家で寝よう でも近田さんの処に今日は行かなければならない 近田さんのところに行くのを明日に延ばすか? 
 この不眠症は離婚と同時に起きた。今日は家に帰って風呂に入る前に走ろう。久しぶりに走ろう。長野県には自然食と鍼と整体で精神疾患などで治すところがあって、有名です。
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       朝なのに日が暮れてゆく(1)               

                                  ドクター五船    



 朝なのに日が暮れてゆく、疲れ果てた僕はそう思いながらも再び寝入った。42歳だった。でも32歳と自称していた。22歳と自称することもあった。頭は坊主頭に似たスポーツ刈りだった。独身だった。この前まで妻が居た。しかし別れ、独身貴族ではなく、独身地獄と自称していた。
 独身地獄だった。いつも玄米とボンカレー。歩く目覚まし時計が欲しかった。歩く目覚まし時計なしには遅刻を続け、解雇になるか、給与の減額になるか、するだろうと考えていた。少し、倦怠感があった。“うつ病”かもしれない、とも思っていた。しかし不眠をごまかすために毎夜、抗うつ薬を多量に服用していた。
 当直が週に3回有った。当直の夜はいつもコーヒーをたくさん飲んで論文書きしていた。論文書きの間にお経を唱えていた。   
 歩く目覚まし時計と思っては微笑んでいた。今日は9時に来るべきところを4時間半遅れて昼の1時半に来た。歩く目覚まし時計はどれにしようかとかなり真剣に考えてきていた。
 歩く目覚まし時計は東1に居るような気もした。若い看護婦さんの中から一人を選べば良いと思いながらもTさんが勧める36歳の女性をあてにしておこうかとも考えていた。ギリシャ風の美人だという。しかし長年、パニック障害などのため蟄居生活を続けているTさんのことだから、又聞きのことだから、という不安があった。
「格闘し疲れ果てた人々」という言葉が浮かんでくる。Tさんも自分も「格闘し疲れ果てた人々」なのかもしれないと思った。このまま「朝なのに日が暮れてゆく」のかと思った。
 雀が鳴いて入れる。夕暮れ時の自分の耳に雀の鳴き声が聞こえてくる。
 ここは以前、砂浜だったところ。引き潮になると海面上に現れ、満ち潮になると海面下になるところを埋め立てたところだ。
 卑怯者になろう、卑怯者になろう、そう思いながらも成りきれないでいた。Tさんもそのようだった。
「何も思わず何も考えず海を見てたら心が癒された」とTさんに語りかけていた鮮魚売りを専門にしていたが、肝臓を悪くしていて療養生活を送っているSさんの言葉が浮かんでくる。そのように呑気になれないから僕もTさんも苦しんでいるんだと、そのとき、言いたかった。Sさんはデパスを服用していたがデパスよりも海を見ていた方が癒されたと主張していた。Sさん、それができないから僕もTさんも苦しんでいるんです、そうSさんに言おう、と思った。  
 卑怯者になろう、卑怯者になろう、もう何度繰り返されたか解らない学生時代からの苦しみの言葉を思い起こしていた。卑怯者に成れれば僕の病気もTさんの病気も癒される可能性は高いと思った。
 呑気になるんだ、呑気に将棋のゲームやテレビゲームをしていたら癒される、そうとも思えた。   
 

                  (未完)(2004,春)
【略歴】本名:三船カメ太郎
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         朝なのに日が暮れてゆく(2)

                       三船カメ太郎


 おそらく、小夜子姫が姉妹の仲で一番一生懸命に信仰していたと思います。一番、熱心に信仰している人に病魔は競い起こってくるのです。
 お久しぶりです、小夜子姫。自分は病気に苦しみながらもなんとか仕事をしています。でも誤魔化し誤魔化しです。
 薬の進歩と自分の病気のための薬のストックと、どちらが勝つか、勝負です。精神科の薬の進歩も急です。日本ではゆっくりに見えるかもしれません。でも、人体実験も容易にできる外国では日進月歩です。小夜子姫の病気も癒せる薬が外国ではもう出来ていると思います。ただ、小夜子姫が今までドグマチールを除く全ての薬に強い副作用を示してきましたから、小夜子姫は飲みたくないと思いますが、外国の薬の進歩は早いです。日本も企業がかなり努力して治験(世間に出せるかどうか試す試験)が行うことが国内でもできるようになりましたから、早?ュなりました。
 僕は離婚しました。第二の伴侶は未だ見つかっていません。でも、たぶん、あの人になるだろうという、未だ写真も見たことのない人になると思います。Tさんが、又聞きで、その人が良いと決めてるような気がします。36歳の、ギリシャ風の美人の、熱心な学会員だということです。

               
                 (未完)(2004,春)
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oct,30 (saturday)
 小夜子姫へ。苦しいので書きます。僕の自律神経失調症は少しも良くなっていません。“うつ”の再発・寛解の繰り返しがあります。信仰のボリュームをアップさせて新しく入ってきた地区の活動に参加するか、大人しく題目三唱程度の信仰を貫くか、迷っています。
 喉の病気が一番僕を学会の信仰から遠ざからせています。勤行唱題すると喉の病気が悪化するようだからです。勤行唱題しないでおくと喉の病気はたしかに軽くなります。
 懐かしい創価学会、苦しい少年期を御本尊様と乗り越えてきました。しかし、中一の頃、本気で信仰するようになってから現れた喉の病気、吃音・訥音の重症化、苦しみ抜きました。
 高校3年の終わり頃、題目を一日3時間ほど上げるようになると共に出てきた対人恐怖症、宿命なんだ、過去世の法華経誹謗の罪が出てきて居るんだ。でも、この病気を背負っては生きてゆくのは大変です。
 この信仰を止めると元気が無くなる。「この歓喜は何なんだ!」そして苦しみが喜びに変わる。しかし自分には題目三唱で止めておいた方が良いように思える。
「いつもは題目三唱でときどき勤行唱題を行う」で、今の時代では信仰をきちんと行っていることになるのか? 大幹部に指導を求めるか?
 これは小夜子姫にもどんぐり県ドクター部長である中村さんにも送ろうと思います。
 宿命が出ない人は良いけど、宿命が出てきてしまう人はどうするんですか? と。
 自分の射精障害は腟内射精障害だけだったのが、4ヶ月ほどの禁欲のためか、それでなくても出ないようになった、マスターベーションして精液を注射器に吸い取り00クリニックへ急いで持っていくという作戦も不可能な感じがする。
 飲み続けているプロザックのための可能性は高いと思われるから、別の薬に変えよう。

oct,31(sunday)
『怠慢なのではないかとの自責の念。。。』こういう文章が過去のメールを読んでいて目に留まりました。
 僕も福岡にいる頃、朝、起きれなくなって、院長に『根性が無くなったのかなあ?』と言ったことがあります。しかし院長はストレス故のものと理解してくれていました。


『千鶴子さんが痛い目に遭うのだから、僕も痛みを共有しよう。』こういう考えに変わりました。

 妻が出産の苦しみに耐えるのだから、僕も精巣から精子を注射器で取り出す方法をして、少しでも苦しみを分かち合いたい。
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岡本先生へ。お世話になります。
『一思いにやらんね! あんた、男でしょう!』と妻が言いますから手術により精巣より(?)精子を取り出すことを希望します。         (尻に敷かれた檀那より)

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勤務先:どんぐり山病院
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nov,1(monday)
 小夜子姫へ
 今日、アルコール専門の先生と医局で会ったとき、小夜子姫の話をしました。アルコールの先生は「入院しかない」と言っています。
「そのまま、どんどんとアルコールに依って身体がむしばまわれてしまう前に入院が絶対必要」と言っておられました。 
 また、そのような眠剤の大量処方もおかしい、と言っておられました。
 小夜子姫は電話では元気なように聞こえます。表情も比較的元気にしていると思います。それで周囲は事の重要性を認識しないのだと思います。生殺し先生も小夜子姫の声が元気で、そして表情も暗くないから事の重要性を認識しないでいるのだと思えます。
 入院すると入院しないと処方できない(つまり注射や自殺に以前良く用いられていたクスリなど)ものが処方できます。
 サントリーなど清酒会社は政府に多額の寄付金をしています。そのために「少しづつならアルコールは健康に良い」と日本国民は信じています。たしかに少量で抑えられるなら、

nov,2(tuseday)
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nov,3(wednseday)
         怪獣・ガメラも飛んでいる

 ロヒプノール2錠、ユーロジン2錠とはロヒプノールは中時間作用型、ユーロジンは長時間作用型です。朝、起きれないのは、このためだと思います。これは睡眠薬中毒です。アルコール専門の先生も「それは睡眠薬中毒だ!」と怒っていました。
 何処の精神科病院(入院専門)もアルコール中毒を扱っています。しかし、アルコール中毒に精通している医師、アルコール中毒に精通していない医師があります。
 僕たちの病院にこの前入ってきた人は医学部合格まで11浪という猛者です。しかし、それゆえに、アルコール中毒の人たちの苦しさを解ってくれているのだと思います。
 何処かのうらぶれた精神科クリニック(内科クリニックでも構いません)が患者の話を良く効いてくれて治りが早いことが良くあります。
 一番、すぐ近くにある精神科クリニックで充分です。ほとんどの精神科クリニックは患者を実験台にしてそうして製薬会社から多額の献金をもらっています。自分の病院もそうです。ねつ造したクスリの効果を書いて多額の献金をもらっています。製薬会社もこれは「ねつ造」ではないかと思うもののクスリの販売を良くするため「ねつ造」を認可します。
 生殺し先生はアルコール依存、うつ病性障害に慣れていないのだと思います。別の精神科医を捜すべきと思います。一番近いところに一番自分に向く良い病院が有ったと言うことを経験しています。
 嫌酒薬の「シアナマイド」はほとんどの精神科のクリニックにありますが医師とは自己保身的なものです。万一、「シアナマイド」で死亡者が出たら、そのひとは医療裁判に訴えられます。
  僕が現在、服用している「プロザック」は一日2錠になっていますが、僕は一日10錠飲むためか、逆流性食道炎を併発しました。病院へ行けば高く付くのでインターネットで安いところを捜して注文しています。






            誓約書


 
 妻との苦痛を共有するため、金玉注射を希望します。
 金玉注射で自分が死ぬことになっても生命保険をかなりたくさん掛けています。生まれてくる子供と妻の生活費になると思います。

 でも僕は注射など苦痛に強いです。自分で足の三里にお灸をした大きなあとが両足に二つあります。
 妻は「男やろ、思いきらんね!」と言います。
 僕は過去世で零戦のパイロットとして華やかに死んでいったそうです。
 金玉注射ぐらい、何でもありません。
 ただし、妻は歯医者にも行ったことが無く、病気とも全く無縁な妻です。だから注射恐怖症だそうです。健康診断の時の採血は顔面真っ青になってしまうそうです。
 でも慣れたら何でもなくなると思います。
 自分が決死の決断をした以上、妻にも頑張ってもらいます。できれば一度に双子や三つ子だったら妊娠の苦しみも一回ですみます。
 妻は無痛分娩を希望しています。注射など痛いのが大嫌いの妻です。
 自分は軽症うつ病が最近悪化しています。このまま子供無しで行くより思い切った行動をして子供が欲しいです。
 宜しくお願いします。

 一応、自分の勤務体制を記載しておきます。朝、起床できないため、全て午後からとなっています。祝日などは関係有りません。
 月曜日:午後(いつも2時ぐらいからです)から勤務でそのまま当直。
 火曜日:当直あけで朝9時半頃帰宅。
 水曜日:午後から勤務でそのまま当直。
 木曜日:当直あけで朝9時半頃帰宅。
 金曜日:完全休み
 土曜日:午後から勤務でそのまま当直。
日曜日:夕方6時頃、帰宅。

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                  nov,4,2004       
〒854-0067 どんぐり県どんぐり市どんぐり山999-99 三船カメ太郎
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 地区婦人部長さんへ
 自分は日本の西の果て、どんぐりにて精神科医をしています。“うつ病”だけは他の病気と違います。頑張ったら悪化する、だから婦人部長さんもときどき訪問するだけにしておくべきです。「新聞啓蒙をあと一部」この言葉は“うつ病”の患者さんには一発で“うつ病”を悪化させてしまいます。小夜子姫は理解のある優しい檀那さんに恵まれていますが、“うつ病”は入院直前・あるいは一刻も早く入院させなければいけない厳しい状態です。このままでは衰弱死してしまいます。外来で掛かっている生殺し先生は「治ったら患者が一人減る、収入が減る」で治さない方針のようです。入院を勧めないのも患者を一人喪いたくないからのようです。
 開業医には弁護士が一人付いていることが良くありますから、自分のこの記載は内緒にしてください。名誉毀損で訴えられます。
 せめて学会の比較的時間的余裕のある人が食事を作りに行ったり手伝うべきです。それが広宣流布を目標とする学会員の行うべき姿と思います。
 小夜子姫のはこの信仰を熱心にしている故、声や顔に“うつ病”が表れません。そのため軽症に見られてしまってます。
 “うつ病”とは自身が一度経験しないと理解が困難なものです。自分も自分が“うつ病”になるまで“うつ病”を軽く見ていました。
 小夜子姫は自殺の危険性も高いです。
 “うつ病”の本を一冊買って読むことをお勧めします。


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nov,4(thursday)
nov,5(friday)
nov,6(saturday)

    僕たちの羽毛布団

僕たちは羽毛布団の中でお互い裸で寝ている
 お互いの皮膚が触れ合う
僕はわざと千鶴子さんの太股や腰に触れる
なるべく強く接するようにしている 

nov,7(sunday)

小夜子姫へ 次のようなものがありました。

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11,睡眠薬代わりの寝酒は不眠のもと
    睡眠薬代わりの寝酒は、深い睡眠を減らし、夜中に目覚める原因となる
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 自分も現在、“うつ状態”で苦しいです。自分のも「うつ病性障害」です。治ったり再発したりの繰り返しです。
 プロザックが射精障害の原因と考えて2日ほど服用しなかったのが良くなかったようです。完全に再発しています。

nov,8(monday)
 マカを食べたら、とても眠くなって病院に着くなり少し仕事をして当直室で寝た。時間を見ると夜の9時だった。やばいと思った。(日記代わり)

 小夜子姫へ。効くか効かないかマカを送ります。

nov,9(tuseday)
nov,10(wednseday) 
nov,11(thursday)

 千鶴子さんへ

 少し、誤解があります。僕が下痢をしていたのは4日ほど前からで何故、下痢するのか解らないままでした。マカを飲んで下痢が止まったと言っても良いくらいです。確かに最後の日は透明な水が出るようになりましたが。
 4日ぐらい前から体調不良・抑うつ感でした。“うつ”の悪化と思っていました。それもマカを飲んだその日に止まりました。
「何故、千鶴子さんが僕がマカを飲むのを反対するのか解らず」眠れないで考えていて、そう思い付きました。

                        三船カメ太郎より

nov,12(friday)
nov,13(saturday)
 小夜子姫へ。マカなどを贈ります。自分が試してみてとても良く効いたから、小夜子姫にも効くのでは、と思います。
 これらは信仰フラフラな自分を支えてくれる小夜子姫へのせめてものお礼です。小夜子姫と知り合うことがなかったら自分は退転していたでしょう。でも、小夜子姫の一途な信仰心に僕はとても励まされています。
 僕は今、中一の冬に罹患した痙攣性発声障害(疑)を治そうと勤行唱題を行き帰りのクルマの中でしか行っていません。中一の冬に信仰に目覚めたとき、僕の宿業は競い起こりました。
 痙攣性発声障害(疑)は少年の頃の勲章として治さないで良いのかもしれません。でもやはり痙攣性発声障害(疑)のため学会活動を行いにくい、勤行唱題すると声が枯れてしまう、など悩んでいます。
 今回のマカなどは実質的に創価学会に寄付するのであります。何故なら、小夜子姫イクオール創価学会であるからです。
 小夜子姫。早く元気になって下さい。マカを服用することにより身体は強くなり子供を造ることも可能になると思います。「創価学会は負けてはいけない。創価学会は勝たなければいけない」と僕が22歳頃受けた岸川県長からの指導を思い出しています。その指導は苦しんでいた岸川先生自身への指導でもあったようです。その指導は20年間、自分を強く強く励ましてきました。その頃は自分は退転し苦しんでいましたが、創価学会に対する愛着は強くありました。創価学会は逆転勝利する、と思います。
 一日20gから50gを夜に飲んだら良いのではと思います。水かぬるま湯に溶かして泥状(?)にして食べたら良いです。僕はこれを飲むと眠くなるので夜に集中して飲んでいます。
 この会社のマカは一番安価であるため多量に服用することができます。僕もこれでうつ病性障害だけでなく社会不安障害も痙攣性発声障害(疑)も治すつもりです。
 マカは胃に来ないはずです。もしも来るならば食後・または胃薬と共に飲まれてください。 

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〒854-0067 どんぐり県どんぐり市どんぐり山999-99 三船カメ太郎
tel/fax:0099-05-9987 mobile:080-5211-1111
どんぐり@nifty.com
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nov,14(sunday)
nov,15(monday)
nov,16(tuseday)
nov,17(wednseday) 
nov,18(thursday)
nov,19(friday)
 00はるなさま
 この前、失礼なことを書いたような気がして、再び書きます。今、当直中です。金曜日はいつもは大学からの先生が当直ですけど、今日は来れないということで、いつものように自分が代わりに当直です。女房はブーブー言っていました。今週は4回当直です。自分は家に居たら女房の面倒を見るのに疲れ果て、憂うつになりますが、ここでは誰も居らず自分勝手なことができます。
 閉鎖病棟は次第々々に慣れてくるものです。ここで退院させたら元の木阿弥になります。心を鬼にして閉鎖病棟に入院させておくべきです。病院側も大変でしょうが、息子さんを救うには閉鎖病棟に入院させておくしか方法がありません。「外出イクオール自殺」と考えてください。今の病院の他に息子さんを入院させてくれる病院はまず無いと思います。今の病院はその点、極めて良心的です。
 息子さんにもそろそろ反省の時期が来ると思います。辛抱の勝負です。看護側にも両親にも息子さんにも辛抱の時期です。ここで甘い考えを出すといけません。「外出イクオール自殺」です。
 ストレスが溜まっても、それを発散させてくれるのが抗不安薬・抗精神病薬です。
 病院側が精根尽き果てて退院・転院の方策を提示するかもしれませんが、その病院以外は閉鎖病棟に入院させてくれないと思います。また、両親さんが精根尽き果てて退院・転院の方策を提示すると病院側は「渡りに船」になります。かなりストレスが溜まったならばデパスなんか飲んででも良いからリラックスすることです。睡眠は充分に摂ってください。
では。
三船カメ太郎

nov,20(saturday)
 小夜子姫へ。マカには強壮作用はありますが、抗うつ作用はないようです。抗うつ薬(ドグマチール)との併用を勧めます。

 佐籐琢也さんへ

 F1に於いてマカを服用することを勧めます。しかし若い男性は大量に服用しないと効きません。一日50gは服用しないと若い男性には効きません。大量のマカは弱い下剤としての作用もあります。軽い下痢を目安に服用する方法と「正露丸」などの下痢止めとともに服用する方法もあります。
 マカはアポロ計画に於いて宇宙飛行士に採用されました。「頭脳が明晰で反射能力が最上の状態を維持する必要がある」F1パイロットには必要なものと確信します。
 毎日、大量のマカを服用するべきですから、安価なマカで充分です。自分は、有限会社イフ http://www.ifweb.org tel 078-271-1100 fax 078-242-2840 より購入して服用しています。また、他の人にも勧めています。

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どんぐり山病院:医師(精神科医)三船カメ太郎

(自宅)〒854-0067 どんぐり県どんぐり市どんぐり山999-99
tel/fax:0099-05-9987 mobile:080-5211-1111
どんぐり@nifty.com
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nov,21(sunday)
nov,22(monday)
nov,23(tuseday)
nov,24(wednseday) 
 10代、自分は極めて熱心に信仰していました。20代になって退転するなど信仰がフラフラなっていました。30代になって信仰がフラフラする余裕はなく比較的、真面目に信仰を続けていました。しかし40代になって妻の創価学会批判があり、創価学会に極めて批判的になっていたことがありましたが、その妻とは離婚し、創価学会の女性と再婚し、反創価学会に傾くことはありません。
 1994年の11.23「九州文化祭」のとき始めて池田先生とお会いしてからは、電話が鳴る度に「11,23,1994」と心の中で唱えて受話器を取るようになりました。

nov,25(thursday)
nov,26(friday)
nov,27(saturday)
 千鶴子さんへ。あのメールのあれは、「とても巧く行っている」と書いたら向こうがブーブー言いますので、巧く行ってないように書いたのです。また、あれも「おのろけの」一種です。自分の考えすぎ(間違い)でした。よく考えるとあの奥さんは50前後のはずです。「おのろけ」を使う必要はありませんでした。
「おのろけ」はたしか男性の大部分がそうしています。女性は妬み深く、女人成仏成らずと言われているように、女性は本当に大変です。

 宣言
 千鶴子さんへ
 僕はマイホームパパになります。マイホームパパの方が楽です。「出会い」毎日たくさんのメールが来ていますが、情熱と気力がありません。中島に紹介しようかと考えていましたが、今はやる気が無いというか、ほっとけと言うようになっています。
 でもパソコンが多くあるため、中島にも一台やろうと考えています。でも、外向的な中島には必要ないような気もします。迷ってます。            三船カメ太郎

nov,28(sunday)
 太宰治は39歳で死んだ。
 三島由紀夫は45歳で死んだ。
 僕もそろそろ死ぬだろう。

            43歳記す



nov,29(monday)
nov,30(tuseday)
 2匹のカナブン(カブトムシの雌を1cmぐらいに小さくした虫)がヨーイ、ドンと自分の左側腹部を走って駈けてくる光景が見られた。それはやがて自分の顔に駆け上ってきた。カナブンにしては重過ぎると思い、自分はパッと跳ね起きた。自分の顔の上に駈けてきたのは珍しい細長いクモだった。自分はここが自分の家と勘違いして(女房が虫類を非常に怖がるため、この家においていてはいけない、と思い必ず殺そうと思い)そのクモを追ったが、ここが自分の家ではなく精神科の個人病院の当直室であることを思い出し、また見失ったこともあり追うのをあきらめた。左の顔にクモの走ったあとの感触が残っていた。
 自分はそれから置き時計で今が朝の5時過ぎであることを見た。そして再び布団に入った。40分ぐらい考え事をしていただろう。眠れなかった。考え事の終わりに「今から朝シャンをしよう」と思い起き上がり草履を履き当直室の風呂に入った。


 1回目のエピソード は fluvoxamine が発売された1999年5月の終わりより。2年半ほど続いた。
 寛解は2001年(平成11年)10月ほど。これは新しい自分のアパートで丹田呼吸法を心懸けた夜の勤行唱題で一日で治ってしまった。このとき、アパートで内山君と二人で勤行唱題をした。このとき唱題は20分ぐらいだったと思う。未だ、三座の長い勤行をしていた。このときに治ったようだ。また良く憶えてないが、そのあと、壮年部と男子部合同の夜の勤行会へ行き、そのとき勤行中、御本尊様から光が放たれたような気がした。エピソードは3年半で終わった。
 このとき2001年3月にレオパレスより新しいアパートへ引っ越す。2001年9月2日(日曜日)に結婚。2002年8月15日にどんぐりへ引っ越す。2003年12月15日に離婚。九州ドクター部長になった00先生が当直中の福岡の病院に来た。

 2回目のエピソードは福岡とどんぐりの2つの病院掛け持ちで3ヶ月半(2003年7月半ばから10月半ばまで)、休みが無かった。そのときに疲労から再燃した。これは土曜日仕事を休み、夕方まで寝ていて、夕方7時ぐらいから御本尊様の前に座り悔しさに耐えながら3時間近く丹田呼吸法を心懸けた勤行唱題(唱題が主)をだらだらと行った。次の日、土曜日、朝早く起きれ、病院へ出勤できた。次の日も夕方再び自分のアパートにて午後7時くらいから悔しさに堪えながら三時間近く丹田呼吸法を心懸けた勤行唱題をした。これで寛解した。土曜日の夜に寛解したのかもしれないし、土曜日の夜にかなり軽症化し、日曜の夜に寛解したのかもしれない。
 
dec,1(wednseday) 
dec,2(thursday)
dec,3(friday)
dec,4(saturday)

どんぐり大学付属病院 麻酔科 後藤先生御机下

 社会不安障害(対人緊張)で高校3年の頃より苦しんでいるものです。三船カメ太郎といいます。どんぐり大学医学部平成3年卒でありますが社会不安障害(対人緊張)により5年も留年したものです。
 一時は星状神経節ブロック療法に凝っていました。しかし、星状神経節ブロック療法の限界性を感じ(もはや自分には星状神経節ブロック療法はほとんど効かなくなっています)胸部交感神経節ブロックを受けてみたく、この手紙を書いております。
 自分には大学生時代より背部痛(第二胸骨の左側)があり、そしてその背部痛および交感神経過緊張は整体院にて第二胸椎の偏位を整復してもらうと劇的に効果が有っていました。自分の交感神経過緊張はその第二胸椎の偏位から来ているものではないか?と思います。他に様々な民間療法を試しましたが、効果はありませんでした。
 現在は精神科医をしていますが、社会不安障害(対人緊張)は大変な重荷になっています。
 現在では手掌多汗症などに腹腔鏡に依る胸部交感神経節切除術が良く行われており、それが奏功しているということを知っています。また自分には痙攣性発声障害(疑)という大きな声が出ないという疾患にも罹患しています。星状神経節ブロック療法は最初の頃は社会不安障害(対人緊張)にも痙攣性発声障害(疑)にも劇的に効果が有りました。
 自分もその「腹腔鏡に依る胸部交感神経節切除術」を行ってもらいたいと強く願望しています。
 自分は病的な暑がりでこれは交感神経過緊張に由来しているもので間違いないと思われます。
 どうか「腹腔鏡に依る胸部交感神経節切除術」を行ってもらいたいです。自分は医学の発展のための実験台を希望します。第二胸椎の左側に筋肉の異常収縮によると思われる“しこり”状のものがあり、ここに強い「凝り」を感じます。毎日、モーラステープをその部分に貼っていますが、モーラステープを貼っても「凝り」は和らぐだけです。
 早く胸部交感神経節ブロックを受けたいです。
 宜しくお願いします。

〒854-0067 どんぐり県どんぐり市どんぐり台999-99 三船カメ太郎
tel/fax:0957-25-7896 mobile:080-5211-1111
どんぐり@nifty.com

dec,11(saturday)
 この前は軽く言いました。しかし、それが自分の習性でもあります。
 数ヶ月前より、歩くときにフラフラして、また後方に倒れるということを繰り返していました。どんぐり大学病院にも宮崎脳外科にも行きましたが、過労のために自律神経失調症を来しているのではないか、と言われました。自分は自律神経失調症よりも背部の激しい凝りが原因ではないかと推察していました。
 脳のMRI上、異常所見無し。今度は脳の血管撮影を行う予定ですが、自分は数ヶ月前よりの背部の激しい凝りが原因ではないかと思っています。
 歩くときにフラフラして、また後方に倒れるということは数ヶ月前よりで妻が心配して自分を病院(どんぐり山病院)への送迎をしていたときがありました。
 そして、この前、妻の一族が来崎した際、自分がまともに歩けないこと、後方へ倒れてばかりいることを妻の一族が心配して、自分はクルマの運転を許されず、またオランダ村ではベットに臥床したきりでほとんどオランダ村を散策することができませんでした。これらは疲労が強いときに良く起こるようです。
 2週間前の日曜日だったと思いますが、3階西?に呼ばれたとき、聴診器を当てるにも後方へ倒れてしまうか、また後方へ倒れないように後方にダッシュするということを起こしました。それはたしか日曜日のことで疲労が重なっていたときでありました。3階西?の看護婦さんや患者さんが知っています。後方にダッシュして倒れるとき患者さんに救ってもらいました。
 妻はそのために休暇を取るよう、また週3回を越す当直を行うことは厳禁と言っています。たしかにこれまでにも週3回までが限界であり、週3回を越すと体力的・精神的に参ってしまう、ということを繰り返していました。とにかく週3回までが限界であり、週4日当直をすると歩行困難・後方に倒れることを起こしていました。
 妻の一族および妻の心配は正しいことであり、MRI上に異常が無くとも?]血管撮影では耳の三半規管へ行く動脈のスパズムが観測されると思います。しかし、これは疲労困憊しているときであり、疲労していないときには大丈夫です。
 妻の一族とオランダ村に泊まり込みの旅行をしたとき、そのときは屈み込むだけで後方に倒れていました。水曜日の当直が終わってからのオランダ村への旅行であり、疲れがたまっていたと思います。現在は疲労しているときには後方に倒れがちであり、宮崎脳外でMRIを撮ったとき、脳に異常はなくとも三半規管には異常が起こっていたのではないか、と推察します。43歳である現在も週3回、当直をしていることで宮崎脳外の先生たちは驚いていました。
「人間は朝起きて夜眠るようになっている。それを逸脱すると原因不明の自律神経失調症が起こってしまう。これは頻繁に見られる自律神経失調症である。」と諭されました。
 妻は非常に心配しており、有給休暇を取るよう、または病院を辞めることを促します。
 そして、もう一つ、心配なこととして、夜、寝ているときに時おり痙攣発作を起こしているといいます。自分には全く記憶のないことでありますが、妻は痙攣発作を起こしたとき、いつも覚醒させている、と言っていますが自分には全く記憶にないことでした。このことを聞いた5日ほど前より、自分も心配するようになりました。
 週4回、当直をすると、以前のように倒れると思います。軽いうつ病が継続している現在、自分の身体は疲労感に包まれています。“うつ病”の第4回目のエピソードであり、これは現在のどんぐり山に引っ越したときから4ヶ月間続いています。
 週3回までの当直は続けます。却って週3階の方が非常に楽です。しかし週4回は過労がでてきて不可能になります。
                   三船カメ太郎
 

dec,12(sunday)
dec,13(monday)
dec,14(tuseday)
dec,15(wednseday)
 丸はげ病院・院長先生御机下
 三船カメ太郎 
 この前、失礼なファックスを送って本当に申し訳ございません。あれは高校・大学時代からの自分の悪い癖でした。あまり記憶が無く、アルコールを飲んで書いたのかなあ、と思います。今までもファックスによりる悲しい恋物語を幾度も経験してきました。
 自分は麻酔科に非常に造詣が深いであります。しかし、星状神経節ブロック療法の第1人者としてである麻酔科のでは限界があり要です。慢性肝炎が慢性産生のとき存在自分はきおどろきました。自分はが肝炎にかかっているとは全く記憶がありませんでしたし、感染した経路が解りません。

dec,16(sunday)
dec,17(monday)
dec,18(tuseday)
dec,19(wednseday) 
dec,20(thursday)
dec,21(friday)
dec,22(saturday) 
 今日も当直です。ひたむきな信仰の小夜子姫の存在がよく信仰不信に陥ってしまう僕に非常に大きな良い影響力を与えてくれます。勤行唱題していても「小夜子姫が信じているんだ。僕も信じよう。」となります。
 信仰とは理屈でなくて感情だと思います。
 病気で療養するのも一つの闘いです。この“うつ病”だけは特別な病気で広宣流布を阻もうと魔が躍起になっているものだと思います。勤行唱題は控えるべきだと思います。勤行唱題しなくても広布への一念は身じろぎもしないようになるべきだと思います。
 池田先生は「最高の作戦、最高の行動が勝利の原点である。」と言われています。
 また、あなたが病気で小さい頃から苦しんでいることは宿業であるが使命と捉えて広宣流布の役に立ってゆくように努力するべきです。
 近くに親兄弟が住んでいるのに掃除や夜食造りの手伝いに来ないのは間違っています。この“うつ病”だけは他の病気と異なると考えるべきです。
 ゆっくりと休養を取ってください。親兄弟が手助けをしないなら親兄弟の信仰姿勢は間違っていると思います。大聖人様が日興上人様が日目上人様が助けてくれると思います。
 僕は明日、どんぐり大学病院に胸部交感神経節切除術を受けに行こうと思っています。僕の病気は交感神経過緊張に由来しているため、効くと思います。

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〒854-0067 どんぐり県どんぐり市どんぐり山999-99 三船カメ太郎
tel:0099-05-9987 mobile:080-5211-1111
e-mail:gcc01765@nifty.com
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        ーー僕たちの闘いは未だ続くーー
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               完

http://homepage2.nifty.com/mmm23232/2975.html

小夜子姫へ(2004)

小夜子姫へ(2004)

小夜子姫へ(2004)

小夜子姫へ(2004)

  • 小説
  • 長編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-08-22

CC BY-NC-SA
原著作者の表示・非営利・CCライセンス継承の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-NC-SA