ジェラス・ガイ

「先パ~イ、またハンバーグ定食ですね」と言われる。
午後2時の学生食堂。
僕は12時になって、この学食が混むのがイヤで、いつも時間をずらして昼飯を食っている。
1時じゃまだおぼつかないから、2時。

僕の名前は律島修治、この大学の4年生。
そしていつも人が静かに食事してるところに「またハンバーグ定食ですか?」 や、「おっ、今日は豪勢にゆで卵つけてますね!」などと、いちいち実況中継する後輩がいる。
三船ズン子。

これは僕が勝手に名づけた名前だ。ホントはジュンコという素敵な名前があるのだけれども、これがまたひどい訛りで、なんの機会だったか、名前は?と問うたら「2年のミフネズンコです」と答えたので以来ズン子と呼んでいる。

「なんだ、ズン子か」と鷹揚に答えると、
「ズン子じゃないですって!ドリフじゃないんですから」
と答える。僕の長年の習癖なのか、あるいはこういう性格を
読み取ってか、そういう答え方をする。

「ドリフのズンドコ節」じゃないんだと言いたいのだろうが、 そういうのがあまり理解されないらしい。
だいたいこのズン子はそういう人だ。
でも、僕には分かる。

あるとき、珍しく学年を超えた盛大なコンパがあって、池袋駅のFという居酒屋に5時半に集合だというので、これから、あと一時限、その日最後の授業受けて、隣の席の友人と一緒に学校の前からバス乗って池袋駅行くつもりで、
「さあ、今日は飲むぞぉ」と足取り軽く教室へ向かっていたら、廊下の向こうから、おそらく全速力でズン子が駆けてくる。

「せんぱーいッ」
息が切れてる。

「おう、ズン子か。なんだ?」と聞けば、今日国文科のコンパのあるFという店が分からないという。
「いいかい? ズン子。」僕は子供に諭すように、
「・・・・校門を出て左に進むと交番がある。そこで聞けば分かるよ・・・もっとも池袋駅の交番じゃないと分かンないか」というと、あと90分、僕の授業が終わるまで待って、それから店まで連れて行ってくれと懇願する。

「しかしねえ、90分は長いよ。さき行って池袋で買い物でもしてればいいじゃんか。退屈だろ? 校内にいるんじゃ。 そうだ、バス乗って、駅に着くだろ? そこで待ち合わせしよう、な? な?」と僕は言う。

言いながら、(あー オレはこのズン子を疎ましく思ってるなあ)と思う。
「な? な?」って言いながら、それは「シッ、シッ!」なのかも知れない。

「バス停から離れたらわかんなくなっちゃいますよぅ」
ズン子は泣きそうだ。
メガネの、いまにも泣き出しそうな顔、実はちょっと苦手だ。

「そうだなあ・・・じゃあさ、バス停で待ってると紛らわしいから、ロータリーのとこに区民の像とかいう、へんなブロンズが建ってるだろ? あの前に5時20分な」

そういうとズン子は「わっかりましたー」という顔をして、 「ありがとうございます、リッシマ先輩!」
敬礼してタッタッタと廊下を走り、階段を下りて外へ向かおうとする。

「ふう・・・行ったか・・・」と友達の前で額の汗を拭う真似をしてると、ズン子がこっちへ戻ってくる。またも駆け足。そして、
「ロータリーですよね?バスのロータリーのとこの・・・」
「ああ、そうだ。バスのロータリー」
ここでいけないクセが出た。
「ロータリーって言ったってナヴォコフの小説じゃないよ」
なんて言ってしまう僕。

だいたい、僕はいつもこんなふうだからいけないんだ。
ホントはね、同じ4年生のSに恋焦がれてる。
S、黒髪の美しい、頭のいい女性。金色したハートのイヤリングが、ときどき髪の間から見え隠れする。

コンパやらゼミやら、ことあるごとに接近を試みたけど、てんで相手にされなかった。
元から美形には弱い。鼻筋の通ったところ、かわいらしい寄り目。いつもポーっと見とれてしまう。
ドラマではないが、彼女を見つめていて、英文読解で指名されて、まるっきりトンチンカンな答えをして教室中、大爆笑となったことがある。
このゼミの合間に、Sと何人かで話してて、やはりバスロータリーの話になった。
そのとき、ふと僕は
「ロータリーって言ったって・・・ナヴォコフの小説じゃないよ?!」と言った。
Sはきょとんとしていた。
「何を言ってるの律島クン?」みたいな顔で、次の瞬間にSの友人が
「それはロータリーじゃなくてロリータでしょw」と突っ込んでくれるまで、その言葉の意味が分からないようだった。
それでも僕はSが好きだ。夏休み、冬休み、春休み、憂鬱だった。なぜって?会えないからさ。

ズン子は僕に「ナヴォコフの小説じゃないよ」と言われると
「あははは!それはロリータでしょ、先輩~!」
と僕の胸元にツッコミを入れる。
そういうヤツだ。

「バカ! 先輩をはたくヤツがあるか!」などと言ってもケラケラと笑ってる。そしてまた駈けって行く。

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その年の夏・・・イヤ、夏、さすがに耐えられなくなって、 Sに手紙を書いた。断られた。電話した。断られた。
また手紙書いた。ありったけの情熱を注いだ。
秋に二人だけでおしゃべりする仲になり、冬に初めてデート
した。
とにかく僕はSの優秀なところ、そしてその美貌が好きだった。性格もよく知らないのに、毎度毎度、うわごとのように好きだ好きだと言った。

やっぱり優秀だった彼女は地方公務員になった。僕は四流企業へ。
それでも相変わらず交際は続き、26歳のとき結婚した。
それでもってわずか4年で離婚した。

お互い荷物をまとめて家を出るとき、開けた記憶の無い箱に当たった。包み紙までは解いたけど、その先まで開けていない。

ピアノの形をしたオルゴールだった。
卒業式の日、卒業証書片手に、謝恩会の会場である池袋へ移動しようと正門を出たとき、ズン子が追っかけてきて、
「律島センパイ!ご卒業おめでとうございます!」と花束と一緒にくれた小箱だ。

花はやがて枯れてしまったけれど、この小箱は、あ、オルゴールか、と思っただけで、どんな音色がするのかも知らずに、僕は所帯をもち、そしてあのきれいな顔のSも、やつれた顔になって、
「じゃあ・・・」と言って部屋を出て行った。

不動産屋への連絡、あとは立会いと自分の荷物か・・・

ズン子からもらったオルゴール。
彼女はどんな想いでこれを渡したんだろう。
門を出るとき、僕は生意気にもSと手をつないでいたような
気がする。べったりだった。

オルゴールを開けてみた。
ゼンマイ巻いて・・・どこかで聞いた曲。
僕が好きなジョン・レノンの「ジェラス・ガイ」。
ジョンを好きだなんて教えたこと無いのに、しかもこの曲が好きだなんてこと、言ったことないのに。

これはどういう意味なんだろう?
意味なんて無いのかな?
「嫉妬深いヤツ」って歌。

ん?誰が嫉妬深い?
ズン子が自嘲の意味で買ったのか・・・
アイツだったらそんなこと考えたかもしれないな。

ジェラス・ガイ

ジェラス・ガイ

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-08-10

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