離れたくない


 善昭と有沙の新居探しは難航していた。
 駅から徒歩十分以内、間取り2LDKまたは3DK、広さ六十平米以上、という条件に関しては、意見が一致している。問題は、予算と場所である。
 善昭は、先の条件に加え十五万円以内で一時間以内で通勤出来る範囲ならば、どこでも良いと思っていた。様々な場所に点在する“候補”の資料を持って有沙の家を訪ねたのだが、それらに一通り目を通しても、有沙は浮かない顔をしている。
「……遠いね」
「え、何が? 全部駅から十分以内で通勤も一時間以内なのに?」
「そうじゃなくて、うちから。ここから」
 有沙は床を指差した。
「そんな条件、言ってなかったよな」
「ごめんなさい……初めからそんなこと言わない方がいいかと思って」
 善昭は溜め息をつく。
「……まあ、初めから言われてても結果は一緒やけど」
「なんで?」
「なんで、って。ここら辺、家賃高いし」
「そうなの?」
「まずそこからかよ……」
 そう言って善昭は項垂れた。生まれてこのかた二十六年間実家暮らしをしている有沙が相場に詳しくないことくらい分かっていた。が、何も知らないまま難しい条件まで出されたのでは、どうしようもない。
「だって、ここ下町だよ? 高級住宅地じゃないじゃん」
「前に下町が好きとか言ってたからな、ちゃんと覚えてて、一応これでも下町に絞ってあるんや。江東区とか墨田区とか」
「えー、そっちの方はなんか違うよー」
「何がちゃうねん!」
 苛立った善昭の喋りは、いつの間にか完全に大阪弁になっていた。有沙は、口を尖らせるだけで、違いについて説明しようとはしない。
「じゃあなあ、検索し直してみよう。お兄さんにノートパソコン借りて来て」
 有沙は返事もせずに立ち、階段を上って行く。
 戻って来るまでの間、善昭は、有沙への質問を変えてみよう、と考える。何が“違う”のかではなく、何故この辺にこだわるのか。それを聞いた方が有益だと思われた。
 まずは検索。有沙は、ノートパソコンをテーブルに置くと、善昭の向かい側ではなく隣に座った。
「えーっと。はい、最寄駅、どの辺まで入れたらいい? 西日暮里? こっちは? 千駄木?」
 何を聞いても有沙は頷くだけだった。
「はいよ、これでよし、と……ほら、これだけ」
 五件しかないうえに、どれも有沙の実家から駅を挟んだ向こう側である。
「お、これならまあまあ近くないか? ここから三キロぐらいしかないし」
「遠い……」
 善昭は絶句した。三キロを遠いと思う、この感覚の違いはどこからくるものか、生活環境か、それとも、七歳の歳の差か――ということについては普段考えないことにしていたが、この時ばかりは首を傾げずには居られなかった。
「だってさ、こっちの方って、この辺が坂になってて、自転車で行くの大変じゃん。ここなんか通って行っちゃったら階段だしさ」
 地図を表示すると、有沙は突然饒舌になった。
「……なあ、なんでこの辺にこだわるわけ?」
 善昭の顔を見て、有沙は再び黙る。
「親から離れたくないとか?」
「ううん」
「じゃあ、何?」
 暫しの沈黙の後、有沙は口を開いた。
「出来たら、バイト辞めたくない」
「え?」
 善昭は耳を疑った。バイトというのは、家のすぐ近くの甘味処の店員だ。有沙は白玉あんみつが好物で、作っても食べても幸せになれる、と語っていたことがある。だからと言って、今の店にこだわる必要はない、江東区や墨田区にも甘味処くらい幾らでもあるだろう、と善昭は言おうとしたが、それを有沙が遮った。
「ここら辺ほど甘味処があるとこって、そうそうないんだからね」
「そうなん? で、それ以外にもここがいいっていう理由はある?」
「お祭りだって好きだし」
 祭りこそどこででもやっているだろう、と言いたいのは山々だったが、善昭は言葉を飲み込む。あんみつも祭りも口実であるに違いない、結局は実家から離れたくないのだ、という結論に達したのである。下手をすると高校生に見えてしまう風貌と同じくらい中身も幼い、素直でないところなど丸きり子供だ、そう思った善昭は、鼻で笑って有沙の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「何よ、なんで笑ってんの? んもー」
 不服そうに言って有沙は善昭の手を払い除ける。
「じゃあさ、俺が大阪に異動になったら、ここに一人で残るわけ?」
 という善昭の問いに、一呼吸置いてから俯いて有沙は答える。
「そうなったら……善昭さんについて行くよ……しょうがないもん」
「そうかそうか」
「何それ、なんかおじさんっぽくてやだ!」
 有沙に体当たりされ、善昭は笑いながらノートパソコンを閉じる。これ以上話は進みそうもないから一先ず今日の家探しは終わり、と心の中で呟いてから、
「さて、そろそろ帰ろかな」
 と立ち上がった。
「え、じゃあ、どうすんの? 家……」
「考えといて」
 気が長くないとこの先やっていけないぞ、そう善昭は自分に言い聞かせ、不思議そうに見上げる有沙の頭をもう一度ぽんと軽く叩いたのだった。

離れたくない

離れたくない

設定:2008年

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-08-05

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