花火について


一.

 僕はその夜、暗澹たる河川敷公園で煙の焦げ臭い薫りを味わいながら、級友らが来るのを今か今かと待ち受けていた。一体こんな夜更けに何を仕出かすつもりなのだろう、と言いた気な目で僕を見て通り過ぎて行く中年女性が居たが、僕はその人を同じように訝し気な目で見てしまった。僕もその女性も、他人から見れば不審な人間であろうと思われた。
 いつになれば来るのだ、と僕は待ち切れなくなったので、見え難い足元に細心の注意を払いながら短い芝生を踏み締め、堤防を登って行く。ライトアップされた橋を改めて南詰から見た。緑色の光が、他の白い光が醸し出す一種独特の清冽なイメージを払拭してしまっているのが誠に残念である。
 北に向いて僕は佇み、級友らの騒がしい声が接近して来るのを待ったが、やがて見えてきたものは声の無い姿だけの集団だった。何故なら、近くに架かる鉄橋を行く電車と此方の白い橋を行き交う数知れぬ車達が撒き散らす轟音に、僕はすっぽりと包み込まれていたからだ。級友らは僕を見付けると顔を見合わせた。まさか橋の上まで出迎えに来ていようとは、と驚き呆れているのであろう、と僕は察した。
 直ぐ傍まで来て彼らは漸くこちらに向かって言葉を発した。
「何してんねん。こんなとこまで来いって言った覚えはないぞ。乗れよ」
 宮谷はそう言って、彼の乗っている自転車の後輪を指差す。ステップとやらいう物が取り付けられているのであった。僕は恐る恐るそれに足を掛けた、否、足を掛けてから恐れたのだ。橋から堤防へ、更に川原へ降りて行くには、大変急な坂を通らねばならない。今ここで、乗れ、と指示するということは、そこを自転車で通過すると暗示しているようなものだ。ならば、宮谷ではなく他の二人のいずれかに乗せて貰いたかった、と、乗ってから考えた。宮谷は、自転車の運転が乱暴なのである。十か月前には自動車と衝突して転倒し、口を切って何針か縫ったと言っていた。僕も他人のことをとやかく言えるようなハンドル裁きの達人ではないが、未だ事故で負傷していない故、宮谷よりは上手だと言えるだけであって、これから僕が事故を起こして怪我をし、その結果宮谷と同等になってしまう可能性は大いにあるような気がする。
 そんな考えをごちゃごちゃと頭の中で捻くり回しているうちに、宮谷の自転車は斜面に差し掛かった。僕は一瞬目を固く瞑り、呼吸を止めた。がががが、とタイヤが音を立てていた。乾いた小石と砂粒を脇に飛び散らせながら自転車は滑り降りて行く。遠い昔に遊園地で乗った急流滑りというアトラクションに振動を加えたようなものだった。(笹口)

二.

 笹口は僕の背中に足をくっつけてくる。暑いからやめろ、と言うと笹口は、勝手にくっつくんやから知らん、と言っていた。気色の悪いやつだ。気色の悪いのはそれだけでなく、なぜか肩を強くつかむのだ。怖いんやろ、と言うと、笹口は、そのとおり、と言った。僕は残念ながら笹口を理解してしまったようだ。
 笹口が手に持っていた花火の束(というかなんというか……)を僕の自転車のかごに入れたら、坂の途中で何度も飛んで出そうになってひやひやした。神山は後ろから何回も、落とすなよ、と叫んでいた。そう言われても困る。落ちる物は勝手に落ちるのだ。
 僕達は、まずジュースを買いに行った。近くに自動販売機はあるはずなのに、笹口がショップ××へ行って買おう、と言いまくるので、うるさいから行ってやった。なぜその店にこだわるのか聞いても、笹口はへっへっへとかなんとか言ってごまかすだけだった。どうせ答えたとしてもわけの分からん理由だろうと思うが。
 がたがたの坂道はさすがに二人乗りでは登れそうになかった。それどころじゃなくて、一人でも乗っては行けない。押して行くしかなかった。
 薄気味悪い木の陰を通って行ったら、公園のいこいの広場みたいな所があって、そこを通り抜けたら階段に出た。階段の端を歩いて、自転車は手で押して横のに置いて……(ややこしい説明はカット)。下へ降りると笹口がポケットからチャッカマンを取り出した。花火を用意するにはしたが、笹口が、水がない! とわめき始めた。そんなんどうでもいいやろ、そのへんに捨てたら、と僕が言うと、笹口は怒り狂って、火事のもと! と言った。うるさいやつだ。
 神山が、花火の入れものに水をくむ、と言うから見ていたら、思ったとおり川の水をくんできた。汚い水だった。笹口は、ゴミは僕が持って帰る、とかなんとか言っていばっていた。
 いよいよ点火、という時になっても稲木は乗り気でないのか、ぼんやりと僕達を見守るだけだった。僕が、彼女がおらんから寂しいのか、と聞くと、別に、と稲木は答えた。殴られずにすんだのは奇跡だ。
 笹口は死ぬほど打ち上げ花火を持って来ていた。しかも名前のわりには迫力に欠けるやつばかり(どの花火もそうか)。しゅぽしゅぽ言う貧弱な花火が嫌になってきたころに、やっとジュースのことを思い出して、開けたら、噴水みたいに出てきた。(宮谷)

三.

 宮谷は馬鹿だから服をファンタでびしょびしょに濡らしてわめいていた。僕はそれを見て大笑いしてやったが、僕が買ったのも炭酸だったので少し焦った。しかし、何のことはない。僕はコーラを地面に置いていたので。
 それにしても、不思議な気分だった。この交換文章というかリレー文章というか……の提案者でもある笹口と、僕達幼馴染みの三人と(何となく気色悪い響き……)がこうして一緒に花火をすることになろうとは、去年の春には思いもしなかった。僕は初めて笹口を見た時、「ああ、卓球部やな」と感じてしまったのだが、話をしてみると、卓球部員らしさと卓球部員らしからぬ部分(?)との混ざり具合が変に面白い奴だと分かった。
 だから何なのだろう? とにかく僕達は狂ったように花火を打ち上げ続けたのだった。僕と宮谷は十三連発の筒の花火を手に持って川原を走り回った。今考えるとむなしいが、その時は十分楽しかったので、よしとしよう。
 四分の三ほど終わったところで、笹口が線香花火を出してきた。宮谷はそれを見ると、
「うわー、こんなんやめとこうや、だるい」
 と言ったが、僕は
「懐かしいからやろうや」
 と言った。宮谷は嫌々火をつけた。そのうち宮谷は、だるいだるいと文句を言い始め、うるさいなあと思ってふと見ると、五本も一度に手に持っていた。
「あほかお前はー」
 と稲木が言って宮谷の頭を一発平手で叩いた。そういえば先に笹口も書いていたが、宮谷は去年の十月に交通事故に遭ったのだった。そんな奴の頭は叩くべきでないのかもしれないが、宮谷が馬鹿なことばかりするのでみんな叩かずにはいられないのだから、仕方がない。
 やっと線香花火も終わって、そろそろ帰ろうかと思って時計を見たが、まだ早かった。
「することなくなった」
 稲木が言うと、宮谷は、
「あの坂、自転車で降りてみよ」
 と言った。言うと思った。(神山)

四.

 僕は宮谷に付き合わされて、コンクリートの急な坂を三回ぐらい降りた。宮谷は、線香花火をするのは面倒だと言っていたのに、坂を自転車で上り下りするのは面倒ではないらしい。
「そろそろ帰ろうや」
 僕はそう言ってから、そんな言葉を発するのがいつも自分であることに気がついた。
 昔、よく河川敷公園で四人で花火をした。四人というのは、僕と宮谷と神山と、そして、十年前に事故で死んだ平川……笹口は平川のことを知らないのだった。
 余計なことを思い出してしまってぼんやりとしていた僕に、
「今度またうちの近くでもやりたいよな」
 と神山が言ってきた。心の中を読まれたような気がした。
「じゃあ、そうなったらお前一人でチャリで来なあかんな」
 と宮谷が笹口に言った。
「あの辺好きやからなんぼでも行ったる」
 と笹口は言っていた。笹口もあの辺りが好きなのか、どういう所が好きなのだろうか、と考えた。笹口と、僕達三人とでは、思い出すことの内容が違う。いや、ひょっとすると、僕達三人の思い出すこともばらばらなのかも知れない。
 笹口は、橋の南端まで見送りに来た。僕達が帰る間際になって、
「そうや、リレー文章を書こう。今日のことについて。僕が書き始めるから、それに続けて書いて」
 と、笹口は言い出した。
「何をさすんやお前は。そんなんめんどいだけやんけ」
 と宮谷は文句を言っていたけれども、口調はそれほど面倒臭そうになかった。
「まあ、たまには文を書くっていうのもいいやろ」
 と僕が賛成すると、
「そうやなあ。こいつにも書かさなあかんな、絶対」
 と神山は言って、宮谷の派手なシャツの襟元を引っ張った。
「……たまらんわ」
 宮谷はそう言って逃げ出した。僕と神山は、それを追うようにして帰路についたのだった。(稲木)

花火について

花火について

設定:1992年

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-08-03

Copyrighted
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