別々の夜


 12月22日の夜だった。夕食後、ソファーに座ってぼんやりとテレビを見ていると、電話が鳴った。すぐに妻が出た。
「えっ! チケット取れてたん?」
 妻は突然素っ頓狂な声を上げた。
「何やそれ。そんなこといきなり言われても。……たー君、たー君」
 思い掛けず呼ばれ、妻の方へ顔を向ける。
「ん?」
「明後日のライブ、明梨と一緒に行く予定やった人が行かれへんようになって、代わりに行かへんかって言ってきた」
 そう言えば、妻が好きだったバンドの一夜限りの復活ライブが東京ドームで行われる、と聞いていた。妻より後でファンになって追っ掛けをやっていたという妻の妹はさぞかし行きたがっていることであろう、と思っていたら、本当にチケットを手に入れていたのだ。
「行ったらええやん」
「ほんま? ……だって、ほら……」
 妻が何をためらっているのか、暫く考えて、ここのところ体調が思わしくなく妊娠しているのではないかと言っていたことを思い出した。検査したらどうかと提案してみたが、まだ早いと言うのだ。
「しんどいんやったらやめといたらええけど。今日どうもなかったんやろ?」
「うん……」
 妻はまだ態度をはっきりさせない。
「……24日やで?」
 そう、ライブはクリスマスイブの夜に行われるのだ。
「別にええやん。無理にその日一緒でなくても、ずーっと一緒に居んねんから」
 と言ってから、少し気恥ずかしくなって足を組み直した。妻は微笑み、受話器を塞いでいた右手を離し、妹との会話を再開したのだった。

 24日の朝、車で妻を送っていくことにした。
 ときわ台の駅まででいいと妻は言ったが、あまりにも大荷物なので、新大阪まで乗せて行ってやった。
 ドライブを楽しんでから帰宅すると、留守電が1件入っていた。
――瑞帆です! ライブ、晩にハイビジョンでやるらしいから、録っといてください、お願いします! ……明梨です、私からもお願いしまっす! じゃあ!
 新幹線のホームのざわめきをバックにした2人の声は、楽しげだった。妻はしょっちゅう「信念がない」とか「ちゃらんぽらん」とか言って妹をけなしているが、実際は仲が良いのだ。きっと、姉妹というのはそういうものなのだろう。
 そんなことを考えながら、ライブの録画予約をした。

 夜遅くに近くのスーパーへ行き、20%引きになったフライドチキンとサラダを買って帰り、缶ビールを飲みながらのんびり食べることにした。
 ちょうどライブの番組が始まる時刻だったので、テレビを点けてみた。
 CDは何度も聴かされていたが、メンバーの姿を見たことはほとんどなかったので、新鮮な気分だった。生で聴くのも良いものかも知れない。
 ドームに歓声が響き、ファン達の姿が映し出される。この中に、妻とその妹が居るのだ。ひょっとしたら見付けられるかも、などと一瞬思ったことに、一人笑ってしまう。
 笑ってしまうと言えば、昔、そのバンドが初めてライブで大阪にやって来た際のインタビューが載ったミニコミ誌なるものを見せられ、メンバーの
「ホテル関西の隣の食堂の焼き魚定食が美味しかった」
 という発言に笑ったことなどを思い出しつつ、フライドチキンを齧っていると、電話が鳴った。妻からだった。
――さっきやっとホテル着いてん。
「そうなん。ライブどうやった?」
――うん。面白かったよ?。
「良かったなあ。今、ライブのん撮ってるからな」
――ああ、有難う。明日帰ったらまた見るわ。
 妻の声は弾んでいた。
「今日は疲れたやろから、はよ寝えや」
――うん。そうする。じゃあ、おやすみ。
「おやすみ」
 ライブの放映も、一人の夕食も、まだまだ終わらない。

                   *

 1月3日は、夫婦で祖父母の家へと赴いた。大学卒業まで過ごした、懐かしい家だ。
 4日は、妻が10年振りの高3のクラス会に出席した後で実家に泊まることにしたため、別行動となった。
 それ以外にも、例年と違う点があった。
 12月半ばから入院している祖母の見舞いに行く必要があったのだ。それが予定に加わっただけで、何故かばたばたして、いつものように皆一所に固まって過ごす時間が減った。
 夕方、見舞いから帰ってから、手持ち無沙汰になって、なんとなく家を出た。
 内環状線を挟んだ向かいに見える稲荷商店街のアーケードが妙に気になり、歩道橋を渡って行ってみた。
 正月休みだからなのか、シャッター商店街と化しているからなのか、どちらか分からないが、やたらと暗い。古いケーキ屋だけがぽつんと営業している。それ以外で色のあるものと言えば、稲荷社の鳥居くらいだ。
 商店街を抜け、駅の北口へと向かう。幼い頃、その辺りはパラダイスだった。チョコミント味を初めて食べてびっくりしたアイスクリーム屋も、祖父母がピンク色のビールに挑戦した食堂も、ホワイトデーのプレゼントを買ったファンシーショップも、今はもうない。
 何だか虚しい気持ちになった。気晴らしに中古CDでも買いに行こうと思い付き、再び内環状線を渡って南へと向かった。
 懐かしい商店街を歩きながら、何を買おうか、と考えていたのに、店が近付いて来ると嫌な予感がしてきた。
 そして、それは的中した。

   迎春  新年は五日からの開店と相成り候。  店主

 暫し呆然と店のシャッターの前で佇んでいたが、そうしていても仕方がないので、元来た道を引き返した。
 駅の南口に差し掛かり、本屋へふらっと入ってみたら、旅行ガイドのコーナーに見知った顔があった。中学時代の友人・荻野だった。10年振りぐらいであろうか。
 静かな本屋の中で近況報告し合う訳にもいかないので、話をしながら晩飯でも、ということになって、すぐ傍の中華料理屋に入ってみた。
 荻野は8歳も下の彼女と駅の北口近くのマンションで同棲中であるとのことだった。結婚して新居はどこに構えたのか、と聞かれて、ときわ台だと答えると、
「どこやそれ」
 と言われた。
 今日は何をしていたのか、と聞かれて、そこら辺をぶらぶらしてから中古CD屋へ行ってみたが閉まっていたと答えると、
「そんな店あったっけ」
 と言われた。
 その後、せっかくなのでカラオケにでも行こう、という誘いに乗った。
 荻野はなかなか曲を決められない様子だったので、先に歌うことにした。12年前、大学生だった頃、妻――その頃はまだ付き合ってもいなかった――に上手いと絶賛された、FIELD OF VIEWの「Last Good-bye」を熱唱したが、
「そんな曲聴いたことない」
 と言われた。1曲目だけではない、歌う曲全てについてそう言われた。ここまでくると、お前は一体何に関心を持って過ごしてきたのだ、と問うてみたくなる。
 最後に、まともに歌えないと分かっていながら、やけくそでXの「紅」を選んだら、やっと「これは知ってるぞ」と言われた。歌ってみると結構声が出た。近々妻にも聴かせてみたい。いや、妊娠していたらやめておこう。こんな重低音の曲は胎児に悪影響を及ぼすかも知れない。

 カラオケの店を出てから北に向かって歩いていて、荻野は突然立ち止まった。
「土産に何か買うて帰るわ。お前もどうや?」
「いや、ええわ」
「そうか。じゃあ、またな」
「おう」
 女性で大混雑している小綺麗なケーキ屋へと荻野は入って行った。
 ふと、あの暗い稲荷商店街のケーキ屋へ行ってみたくなった。妻ならきっとあっちを選ぶだろう、などと考えながら、北へ向かって再び歩き出したのだった。

別々の夜

別々の夜

設定:2007年?2008年

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-08-02

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