夢盗奴

 この小説は小説家志望の学生たちが発行するメールマガジンに、もう一作・怨時空とともに2年間にわたり掲載さ れましたが、読んでくれた友人が言うには、メルマガが届いて読み始めた時には、前回までのストーリも人間関係も全く覚えいなかったそうです。メルマガが月2回発行で、1話が極端に短かったからかもしれません。
 と言う訳で、今回、より多くの方に内容を理解したうえで読んで欲しいと思ったわけです。この小説は僕の初期の作品で、ちょっと幼いところはありますが、ウェブ初デビューの作品ですので思い入れも深いのです。是非お読みください。

第一章 出合

 真夏の強い日射しが容赦なく降り注ぎ、むっとするような大気は周囲の雑木林から響く蝉時雨に揺らめき、不快なざわめきと共に体にまとわりつく。男は手をかざして日射しを見上げ、手の甲で額の汗を拭う。大きく息を吐き、そして門に向かって歩き始めた。
 男は頭を垂れ塀の外へ足を一歩踏み出し、娑婆の空気を大きく吸い込む。そして、視線を上げた。しかし、その目には何も飛び込んでは来ない。万が一という男の期待は裏切られた。惨めな思いが胸いっぱいに広がり、犯した罪の重さを改めて思い知らされた。
 服役一年目の秋、妻から離婚届が送られてきた。面会の頻度が次第に遠のき、ぱたりと途絶えてから久しく離婚は覚悟していた。妻はまだやり直しがきく。だとすれば服役囚の妻という立場に縛り付けておくのは理不尽だ。すぐに判を押し、送り返した。その別れた
妻の出迎えを期待するなどお笑い種だった。男は深い溜息をついた。
 男の名前は中条翔、45歳。一人の女性を殺めて服役していたが、刑期を2年残し出所した。服役前は、ごくごく普通の会社員だった。それが、何故殺人などという重罪を犯したのか。それは復讐だった。子供が殺され、犯人達を許せなかったのだ。
 今でも女を殺した時の感触がその手に残っている。凶器を振り下ろした時の衝撃、骨の砕ける音、血の臭い、すべてが瞬時に甦る。中条の目には、激情から覚め呆然と惨劇の場に立ち尽くす自分の姿が映っている。その髪が真っ白に染まってゆく。

 服役直前、中条は狛江にマンションを建てた。その権利の半分は別れた妻に贈ったが、それでも一生食うには困らないほどの資産だ。しかし、ぬくぬくとした安逸な生活など思いもよらなかった。犯してしまった罪の重さがそれを許さない。そう感じていた。
 中条は知り合いの不動産屋に八王子でアパートを探してもらうことにした。八王子は中条が学生時代を過ごした思い出の深い街だ。その街の、ひっそりした安アパートが良い。暗くてじめじめした部屋を探してくれと言うと、不動産屋は目をぱちくりさせていた。
 ホテルに連絡が入り見に行くと、思いのほか小奇麗なアパートなので多少不満ではあったが、面倒なのでそこに決めた。家賃月8万。ワンルームだがキッチン、バス、トイレ付き。男一人、孤独に死んでゆくにはちょうどよい広さだと思ったのだ。
 そこに落ち着いてからというもの、日は徒に過ぎていった。涙ぐむことしきりで、通り過ぎる時を無為に眺めるしかなかった。全てが中条の指の隙間から零れ落ちていった。愛する妻と子、家庭と言う安らぎの場は永遠に失われたのだ。
 いっそ食を断って死のうかと思ってはみたものの、軟弱な体がそれを拒む。萎える足をふらふらさせてコンビニに向かう。そんなことを繰り返していた。今日も三日の絶食に耐えられずアパートのドアを開けて外にでた。いつものコンビニに向かうつもりだった。
 頬を撫でる涼秋の風があまりにも心地よく、少し散策してみようという気になった。しばらく歩むと、懐かしさがじわじわと込み上げてくる。八王子の街、全てがこの街から始まった。悲劇の幕切れではあったが、間違いなくそこには青春があったのだ。
 繁華街に足を向ける。駅前には予備校が多い。雑踏には大学生なのか予備校生なのか見分けのつかない男女が屯する。人も、街の佇まいも、目に入る全てが目新しい。8年という月日は人の心も、外見も、街並みさえも変えてしまった。ふと、胸騒ぎを覚え、歩みをとめた。
 誰かが、自分を呼んでいる。あたりを見回した。一本の道がまっすぐ伸びている。そうだこの道だと直感した。微かな思いが中条の脚を突き動かした。狸のような化粧をした少女達、耳飾りをした男達を尻目に異国の街を急ぐ。
 駅を通り過ぎ、大学に向う道沿いを歩いた。誰かが中条を待っている。そんな気がしてならなかった。10分ほど歩くと、細い路地が目に入った。おもむろに覗き込むと、50メートルほど先に質屋の看板が見える。
 その看板には記憶があった。かつて学生時代、何度も世話になった店だ。質草はいつも時計だった。中条はその質屋に足を向けたが、ふと歩みを止めた。質屋から若者が出て来る。若者は財布を尻のポケットにねじ込んで中条の方に向かって歩き始めた。
 中条の膝はがくがくと震え、鳥肌がたち、それが体中に広がっていった。驚愕で見開かれた目は、その若者に釘付けになっていた。喉がからからに乾いて、声がかすれた。
「あれは、俺だ。25年前の俺じゃないか」
 中条は、その若者のジャケットの柄、落ち葉の季節、そして顎髭を見て、その時の記憶が鮮明に蘇った。今歩いて来た道沿の喫茶店に、あの洋子を待たせている。金を作ってくると言ってその店を出て質屋に駆け込んだのだ。
 そして、遠い記憶の片隅から一人の老人の姿が浮かび上がった。中条は思わずうめいた。その日、質屋を出ると、頭のいかれた爺さんに出会ったことを思い出した。
「あの爺さんは、今の俺だったのか!」
ざわざわという振動が背筋を駆け登る。遠い過去から現在に至る記憶の断片が浮かんでは消え、自分を地獄の底に陥れた女性の顔が脳裏に描かれてゆく。最後にはっきりとその輪郭が現れた瞬間、中条は若き日の自分に向って駆けだした。

 中条は質屋を出た。月半ばにして親からの仕送りが底を尽き、洋子とのデート代にもこと欠くありさまだった。親父の残してくれた時計は質屋で20万の価値があると言われたが、引き出す時に苦労するので10万だけ借りることにしている。
 喫茶店で待っている洋子の姿を思い浮かべた。自然に顔がほころぶ。ホテルに行って、それから、洋子の好きな焼肉屋にでも連れていこうと考えた。するとそこに白髪の老人が息せき切って駆けより、目の前に立ちふさがった。
 老人は、目に涙を浮かべ、何かを訴えようとしている。一瞬、何が言いたいのか興味を惹かれたが、すぐに待ちわびている洋子の顔を思い浮かべ、適当にあしらうことにした。
「おじいちゃん、申し訳無いけど、今、急いでいるんだ」
老人は大きく口を開き、ぱくぱくと唇を動かした。言いたいことが山とあるのに、なかなか言葉が出てこないといった案配だ。笑いをかみ殺していると、老人の口からようやく言葉が吐いて出た。
「洋子とは別れるんだ。今すぐに。今なら間に合う」
きょとんとして中条は尋ねた。
「おじいちゃん、洋子のこと知っているの?」
老人の唇はわなわなと震え、そこに唾液の泡を浮かべている。中条は困惑したまま老人の顔を見詰めた。その時、老人が叫んだ。
「知り合いなんてもんじゃない。いいか、よく聞け。俺は25年後のお前なんだ。そしてお前である俺は洋子を殺した。お前は人殺しになりたいのか」
中条はすぐに悟った。狂人だ。何処かで中条と洋子のやり取りを聞いて、洋子の名前を知ったに違いない。にやにやしながら中条は老人の横を擦り抜けると走りだした。しばらく行って振り向くと、
「分かったよ、おじいちゃん。ご忠告有難う。それじゃあね」
と哀れな老人に言葉を掛けた。踵を返し小走りに立ち去る中条の耳に、老人にしては若い野太い声が響いた。
「洋子は性悪女だ。根っからの性悪女なんだ」

 洋子との出会いは正に偶然が与えてくれた賜物と言ってよい。中条は大学の演劇部で演出を手がけていたが、公演の一月前に主役が下らない理由で降りてしまったのだ。主催者である中条達は焦って、急ぎ一般公募のオーディションを行った。
 そこに現れたのが洋子だった。審査委員全員で洋子を選んだ。もしかしたら、その時、全員が洋子に惚れたのかもしれない。洋子は純日本的な美人タイプだが、そのスタイルは白人のそれだったし、皆、その豊かな胸に視線を奪われたのも事実だ。
 その洋子の心を最初に捕らえたのが、演出を手がける中条だったのは、或は役得ともいえるが、中条もなかなか魅力的な男であることは誰もが認めるだろう。二人は急接近し愛し合うようになった。そんななか、中条はあの老人と出くわしたのだ。
 喫茶店に戻ると、洋子は唇をとがらせている。
「随分待たせたじゃない、すぐ戻るって言ったのに」
「ご免、ご免、ちょっとそこで友達に会って話しこんじゃったんだ」
中条は頭を掻いて、ちらりと洋子の顔を覗った。老人の言った「性悪女・洋子を殺す」と
いう言葉を思い出したのだ。きらきら光る瞳が悪戯っぽく動く。見詰められるとその瞳に吸い込まれそうになる。中条は、微笑みを返した途端、老人の言葉を忘れた。

 中条は大学を卒業すると大手自動車メーカーに勤めた。卒業間際まで、演劇の道を模索していたのだが、その道を選んだクラブの先輩諸氏の惨めな生活を見るにつけ、夢のみで生きてゆくことに自信を喪失していた。
 散々迷った挙句、最終的には、母親のコネの効く就職先に決めたのだ。洋子は諸手を上げて喜んだ。洋子にしてみれば、結婚を前提に付き合ってきたはずなのに、演劇の道に進まれては、それが遠のくと思っていたようだ。
 一年後、中条は洋子を家に招き母親に紹介した。結婚を前提に付き合っていることを告げるためだ。しかし、洋子の帰った後、母親の一言は意外なものだった。
「翔ちゃん、私はこの結婚に賛成できないわ。別に年上だからというわけじゃないの。何故か分からないけど、最初に彼女を舞台で見たとき何か胸騒ぎがしたの。彼女の瞳の底にある冷たさみたいなもの、それが胸騒ぎの原因だと思う」
 静かに言う母親の言葉に思わず背筋がさわさわと震えた。あの老人の言葉をふと思い出したのだ。しかし、この3年の付き合いで、洋子の性格は知り尽くしていた。純粋で繊細、正義感が強く、こうと決めたら意志は固い。意外に涙もろいところもある。
 性悪女の影はどこにも見出せなかった。しかし、見出せなかったからこそ、母親の言葉に衝撃を受けた。老人の言葉など笑い飛ばしていた中条だが、母親の発したこの言葉は記憶の片隅に太文字で刻まれたことは確かだ。

 社会人2年目の春、同じ課に配属された新人の片桐舞が猛烈にモーションをかけてきた。中条に婚約者がいることを知っての行動だった。何故なら、洋子はしょっちゅう会社に電話を掛けてきたし、中条もそれが婚約者だということを隠したりしなかったからだ。
 舞は、男性社員達の一躍アイドルになるほど可憐な女性だった。そのやや大きめでふくよかな唇は、どこかエロチックな印象を与えるが、子供のような無邪気な一面を併せ持ち、何とも不思議なフェロモンを発散させていた。
 その舞からモーションを掛けられたのだから、中条も悪い気はしなかったが、洋子を裏切る気はなかった。しかし、舞の積極性は徐々に中条の心を開いていった。そして或ることをきっかけに、中条は一歩舞に近づくことになる。
 それは、中条が舞ともう一人の部下に、急遽残業を頼んだ時に始まる。翌日の会議資料が間に合いそうもなかったのである。これに舞が唇を尖らせて抗議した。
「主任、残業なら残業と前もって言ってくれなきゃ困ります。だって今日、叔父が、この
先の四丁目に勤めているんですけど、私と恵美にステーキをご馳走してくれることになっ
ているの。ねえ、恵美」
恵美が眉を上げにこにこしながらそれに応える。叔父さんの話は怪しいとは思ったが、ここは下出にでるしかない。
「そう言わず、頼むよ。この埋め合わせはするから」
舞は、この言葉を聞いて目を輝かせた。
「本当、主任、本当なんですね。じゃあ、その店、今度予約してもいいかしら。今週の金曜日。ねえ、恵美、それだったら今日の叔父さんのお誘い、断ってもいいわよねえ」
恵美の反応は最初と同じで、その笑いにはどこか困惑の色が見え隠れする。
「よし、分かった。予約を入れておいてくれ。僕が奢る。それじゃいいね、残業してくれるんだね」
「勿論よ、さあ、さっさとかたずけちゃいましょう」
これを聞いて、ほっと胸を撫で下ろしたのだが、何故か胸騒ぎがしてならなかった。金曜日、恐らく恵美は来ない。舞と二人だけのデートになる。婚約者を裏切る行為に足を一歩踏み出したような気がして心が騒いだ。
 
 金曜の夜、店に入ってゆくと、案の定、舞が一人でテーブルに着いて待っている。近づく中条にいたずらっぽく笑う舞に対し、微笑みで応えている自分を意識しながらわざとらしく声を掛けた。
「あれ、恵美さんは」
「恵美は急に都合が悪くなったんだって」
こう言うとぺろっと舌を出した。この瞬間、中条は、心の底から舞を抱きしめたいと思った。いとおしいと感じたのだ。しかし、その感情を押し殺した。
「最初から、その予定だったんじゃないの。叔父さんの話もでまかせなんだろう」
「ご免なさい。だってちっとも誘ってくれないんですもの。だから……こうするしかなか
ったの」
「でも、君も知っての通り、僕には婚約者がいる。そんな僕が他の人とデートするわけに
はいかないんだ」
舞はうつむいて唇を噛んだ。下から見上げるようにしてぽつりと言った。
「でも、好きなんだもん」
中条はごくりと甘酸っぱい唾を飲み込んだ。あまりの可愛さに胸が震えた。揺れ動く心、疼く下半身、いかんともしがたい。その思いを気取られぬよう、きっぱりと言った。
「まあ、いい、兎に角、注文しよう」
食事をしながらのたわいない話が続く。ステーキは確かに美味いのだろうが、味などさっぱり感じなかった。口の中がからからに乾いてビールを何杯も頼んだ。思いのほか酔ってきている。酔って早めに良心を捨ててしまおうとしているかのようだ。
 食事が終わりに近づいた。これからどうするかが問題だった。これで勘定をすませ、「それじゃあ、また明日」と言えば全てが終わる。しかし中条の体の芯が疼き、いとおしいという思いは抑えがたく、このまま終わらせることは不可能に思えた。
 沈黙が二人を包んでいたが、暗黙の了解は絡み合う二人の視線に込められていた。中条が席を立ち、レジで清算を済ませていると、後ろを舞がすり抜け、ドアの外に消えた。レジで渡されたレシートをくちゃくちゃに握りつぶし、中条がそれに続く。
 タクシーがゆっくりとブレーキをかけ止まった。その時、中条の脳裏に洋子の悲しむ顔が浮かんだ。タクシーに乗り込もうとする寸前だった。ドアに左手をかけ、自らの動きを封じた。その手に力がこもった。「くそっ」と呟き、意を決した。
 体を開いて、戸惑う舞の背中に手を回し車に押し込んだ。一万円札を運転手に握らせ、
「荻窪まで」と言うとドアを閉めた。舞が窓から顔を覗かせている。悲しげな目が中条に注がれている。その顔がゆっくりと遠ざかる。中条はタクシーのテイルランプをいつまでも見詰め続けた。

 翌日、舞は休んだが、翌々日には元気に出勤してきた。いつもと変わらぬ笑顔で中条に笑いかけてくる。中条もにこりと笑ってそれに応えた。その日、舞から内線電話がかかっ

てきた。舞の忍びやかな声が響く。
「見直しちゃったわ。主任って、どこまでも誠実なのね。あらためて惚れ直しちゃった。
私、諦めない」
「そう言うな。僕は婚約者を傷つけたくない。それを分かって欲しい」
中条は深いため息をついた。舞のふふふっというひそめくような笑い声が耳に残った。
 それから一月後のことだ。夕刻、一週間ほど会社を休んでいた舞から電話が入った。今、
駅前ビル5階の喫茶店に居るという。
 事務所がひしめくフロアーの一角にその喫茶店はあった。入ってゆくと、舞は奥のボックス席に思いつめたような顔で座っている。溌剌とした新人がやつれ果て、目の下には隈さえ見受けられる。中条は座るなり声をかけた。
「一週間も休んでいるから心配したぞ。恵美さんに頼んで、様子を見てきてもらおうと思っていたところだ。風邪だと言っていたけど、もう大丈夫なのか?」
そんな中条の質問など聞こえなかったかのように、舞が堰を切ったように話し出す。
「ごめんなさい、こんなところに呼び出したりして。でもこうするより仕方なかったの。というのは、どうしても話しておきたいことがあるの。この話を聞いたらきっと主任も目が覚めると思う。主任はあの人の本当の姿が見えていないの。お願い聞いて。ねえ、聞いてちょうだい」
中条は憮然として答えた。
「ああ、聞くだけは聞く」
舞は洋子のことを言っているのだ。まさか、舞は洋子と接触したのだろうか。不安が胸をよぎった。中条の迷惑顔に舞はたじろぎもせず話しを続ける。
「あの人は異常よ。この一週間、私がどれほど怖い思いをしたか分かる。あの洋子さんが私に何をしたと思う?」
やはり舞は洋子と接触していた。驚きが中条の胸をざわつかせた。まさかそこまでするとは思ってもみなかった。
「そんなことは知らない。僕にとって問題なのは、僕の意思を少しも尊重してくれない君の行動の方だ。その気はないと最初に断ったはずだ。本当を言えば迷惑している」
「分かったわ、もう私は主任のこと、諦める。好きで、好きでどうしようもなかった。でも、もう、諦めるしかないもの」
そう言うと両手で顔を覆ってわっと泣き出した。そして、ハンカチで涙を拭きながら話し始めた。
「あの人が怖いの。怖くて怖くてしょうがないの。私だって最初は少しもひるまなかった。呼び出されて文句言われたけど何ともなかった。ほっぺたをひっぱたかれたけど、二倍にして返したわ。でも、……、思い出しただけで身震いしちゃう」
「いったい彼女は君に何をしたというんだ」
それには答えず、舞は話し続ける。
「あの時、そう、頬を叩き返した時のことよ。彼女の顔が凄かったの。あれほど憎しみに満ちた顔を私は見たことないわ。口から血を流して、その血をぺろりと舐めた。そして私を睨みつけていたの。怖くて体が震えたわ」
中条はそのあまりに大げさな言葉と表情に苦笑いを浮かべた。すると、舞が血相を変えて叫んだ。
「本当なの、本当なんだから、信じて。私はこの世が一瞬にして地獄に変わっちゃったんじゃないかと思ったくらいよ。本当なの、ねえ、信じて」
声は震え、その目には涙を湛えている。心底怯えているのだ。ふと、老人の言葉が脳裏をかすめ、冷たい振動が中条の背筋を駆け抜けた。中条が重い口を開いた。
「いったい、彼女は君に何をしたんだ」
「それが、とんでもないことよ。あそこまでやる人だとは思いもしなかった」
ここで一呼吸間をあけて、話し出そうとした正にその時、舞の目は一瞬にして凍り付いた。大きく見開かれた瞳は一点を凝視している。中条は振り返った。そこにはお茶目な笑みを浮かべ、手を小刻みに振っている洋子がいた。
 ガタッという音に続き、グラスが倒れコーヒーがテーブルにこぼれた。舞が我を忘れて立ち上がった拍子に、テーブルにぶつかったのだ。舞はそのまま駆け出していた。洋子を避け、入り口を目指した。何度か躓いて倒れそうになったが漸く店を出て行った。
 洋子は口を押さえて笑っている。ウエイターがテーブルを整え、何事もなかったように立ち去った。洋子が席に近付いてくる。洋子は二人がこの喫茶店にいることをどうして知っていたのか、まさか舞をつけていた?中条の心に暗い疑念が浮かぶ。
 洋子が席に着いた。にこにこといつもの可愛い笑みを浮かべている。ぞくぞくという恐怖が中条の背筋を登ってゆく。舞に取り憑いていた恐怖のウイルスが中条に感染したのか
?あの老人の言葉が脳裏に蘇った。『洋子は性悪な女なんだ』
「何故この喫茶店が分かったんだ?」
「簡単よ、野田さん、貴方の隣の同僚。この間、一緒に飲んだじゃない。その野田さんが、貴方の言葉を覚えていたの。『えっ、交通会館の5階、そんな所に喫茶店なんてあったっけ』これ貴方が言った言葉よ。だからここに来たの。そしたら彼女がいるじゃない。驚いちゃった」
なるほど、納得がいく。確かに、舞の電話にそう答えて切ったのだ。
「彼女は君を怖がっていたが、君は彼女に何かしたのか」
洋子は見る見る表情を曇らせ、終いには目に涙を滲ませた。今にも泣きそうな顔を俯かせ、ぽつりぽつり話し始めた。
「冗談じゃないわ。何かしたのは彼女の方よ。執拗に無言電話を繰り返し、しまいには会社にまで電話してきて、あることないこと言いふらして、全く信じられない。彼女、貴方に夢中なのよ。貴方に対する執着が彼女を狂わしたのかもしれない」
中条はウエイターが入れてくれた二杯目のコーヒーを口に含んだ。苦い。中条は心の内で一人呟いた。本当だろうか、舞が常軌を逸したというのは?確かに舞の様子は尋常ではなかった。言われてみればそんな気もしてくる。洋子の言葉が続く。
「あの人、どうかしてるわ。何度呼び出されたか分からない。その度に、貴方と別れろってしつこく迫るの。今の会社にいられなくしてやるって。最近では上司も私に不審な視線を向けている」
ここで言葉を切った。そして涙声で言った。
「あの人が、私のこを、誰とでも寝るって、尻軽な女だって、会社の同僚に言いふらしたのよ」
洋子は突然テーブルに突っ伏した。その肩が小刻みに震えている。
 何が真実なのか分からなくなった。恐怖に顔を歪ませる舞も、目の前で泣き伏し肩を振るわせる洋子も、ともに演技しているとは思えない。しかし、明らかにどちらかが嘘をいっている。結局、真実は分からずじまいで、二人の交際もずるずると続いていった。

第二章 別れ

 病院に駆け付けると洋子の病室のドアには面会謝絶の張り紙があった。呆然と立ち尽くしていると、ドアが開き、白髪混じりの女性が洗物を持って出てきた。出会いがしら、二人は互いに見詰め合った。女の顔がにわかに強張った。
「あなた、中条翔さんじゃありません?」
「は、はい」
「娘から貴方のことは聞いています。でもまさか、貴方があの子をこんなにまで追い詰めるなんて思いもしませんでした。今年のお盆休みには貴方を連れて来るって、私に紹介するって言っていたのに……」
ここで言葉を切ると、ハンカチを取り出し、涙を拭ったが、直後に、その赤く濁った瞳をまっすぐ中条に向け、きっとなって言い放った。
「この責任はきちっと取ってもらいますから、そのつもりで。さあ、帰って、さっさと帰ってください。貴方をあの子に会わすわけにはいかないわ。貴方の顔を見れば、あの子は情にほだされ、貴方を許してしまう。それほど貴方を愛していた、だから自殺をはかったのよ。いい、自殺よ、自殺。貴方のしたことは、婚約不履行よ」
「お母さん、それは違います。私は彼女を裏切ってなどいない。彼女の勘違いなんです。分かって下さい」
「お母さんなんて、気安く呼ばないでもらいたいわ、けがわらしい。貴方は、自分のやったことの責任を取るのよ、それしかあの子に対する贖罪の方法はないの、分かった。兎に角、帰って、帰ってちょうだい」
中条を押しのけるようにして憤然と歩いて行く。そして廊下の角を曲がって消えた。振りかえり、部屋のドアに視線を戻した。面会謝絶の文字は中条を拒否するように、そこに掲げられていた。

 とぼとぼと四谷の街をさ迷った。確かに、洋子に対する愛情は以前ほどではなくなっていた。彼女との関係に何か漠然とした不安が常に付きまとっていたからだ。だからと言って、別れ話を持ち出すほど冷え切っていたわけではない。
 中条は女たらしではないが、経験は豊富だった。初体験は中学3年のことで、先輩の女性に童貞を奪われた。大学で演劇をやっている頃など女からの誘いは引きも切らず、女に苦労したことはない。
 そんな女遊びも洋子に出会ってからぴたりと止めた。洋子ほどの女はこの世にいないと思ったからだ。精神的にも、肉体的にもである。その精神的な部分に不安を覚えたとはいえ、愛し合う喜びは何物にも代えがたかったのである。
 しかし、何故、洋子が中条の見合のことを知ったのか不思議だった。それは母親の友人の紹介で、母親に言わせると、曖昧に返事をしているうちに、のっぴきならない状態になってしまったらしい。母親に会うだけ会って欲しいと懇願されたのだ。
 その見合いは新宿のホテルで行われた。中条は堅苦しい席を早々に立ち、見合い相手を新宿御苑に連れ出した。そして正直に打ち明けた。婚約者がいること、母親が結婚に反対していることも。相手は一瞬顔を曇らせたが、深い溜息とともに笑顔を返してきたのだ。
 ただそれだけのことだった。裏切ったわけではない。しかし、洋子は中条の秘密を嗅ぎ付け、そして絶望のあまり左手首を切った。もしかしたら、新宿を歩いていた二人の姿を偶然見かけ、その日の晩、中条に電話を掛けてきたのかもしれない。洋子の涙声が蘇る。
「私、知ってるの。貴方がお見合いをしたことを。私に黙って。まるで、だまし討ちじゃない。幾らなんでも酷過ぎる。貴方を後悔させてやるわ。このまま死んでゆくの。貴方の声を聞きながら…」
慌ててアパートに駆けつけると、既に救急車で運ばれた後だった。
ふと気が付くと信濃町駅前に出ていた。病院から、どこをどう歩いてきたのか覚えていない。深い後悔の念に胸が締め付けられた。見合いの事情を打ち明けておくべきだったのかもしれない。もう、終わりだと思うと胸が疼く。切ない思いが心に風穴を開けた。

 洋子に対する未練も、洋子の母親が要求してきた法外な慰謝料の額を見るに及び、ため息とともに徐々にではあるが薄れていった。途方もない金額だった。通常の十数倍、3000万円が要求されていたのだ。思わず、「性悪女」という言葉が甦った。
 最終的には示談が成立し、1000万円が支払らわれた。母親は小切手を見せ、中条にこう言った。
「高い授業料だったわね。でも、これであの娘と手が切れるのなら払う価値はあるわ。あの娘は貴方に相応しくなかったから。最初から分かっていたの。計算高いのよ、親子揃って」
「母さん、そんな言い方はよせよ。彼女は自殺するほど思いつめていたんだ。ましてその責任はこっちにあったんだから」
「翔ちゃん。私、彼女が担ぎ込まれた病院に行って確かめて来たの。彼女の傷はたいしたことはなかったって、先生がにやにやしながらそう仰っていたわ」
「だって、面会謝絶の張り紙があったじゃないか」
「あのお母さんが貼ったんじゃないかしら。そんな気がする」
「それじゃあ、お母さんは、あれが狂言だとでも言うの、そんなことあり得ないよ。確かに迷い傷程度であったとしても、彼女が死のうとした事実にかわりはないんだから」

 中条が結婚したのはそれから2年ほどしてからだ。相手は例の見合い相手だった。二人はまるで運命の糸に操られるように再会したのだ。縁は異なもの味なもの、というが、二人の再会劇はまさにこの言葉通りである。
 その日、中条は下請けの部品製造会社を訪ねた。応接に通され座っていると、一人の事務員がお茶を運んできたのだが、その顔に見覚えがあった。一瞬、二人は見詰めあった。その女性が「あらっ」と両目を丸くし、お盆を胸に押し抱いた。中条もあの見合い相手だ
と思い当たり、声を詰まらせつつ、言葉を発した。
「た、確か、山下るり子さん……でしたよね」
「ええ、でも、まさか、こんな風にまたお会いするんて、不思議な縁ですね」
「全くです。僕も驚きました。それで、あの、その後……」
るり子がにこりとして言った。
「あれ以来、すっかり男性不信に陥って独身を通してます。一年半も」
ぷっと吹き出し、中条を見上げた笑顔が可愛いらしかった。中条も釣られて笑った。
 二人の会話はノックの音に遮られ、るり子はそそくさと出ていったが、ドアを閉める時、
中条にちらりと笑みを見せた。
 商談が済んで、総務のカウンター越しにるり子を探したが見当たらない。見送ろうとする担当者と歩きながら後ろ髪引かれる思いでエレベーターに乗り込んだ。しかし、このまま会社に戻る気にはならなかった。中条は決意を固めた。
 1階に着くと早速受付嬢に総務の山下るり子との面会を申し入れた。受付嬢の声が響く。
「お客様が下にお見えですが、11階にお通しして宜しいですか。えっ、ロビーでお待ち頂くのですね、はい、はい、分かりました」
受付嬢は受話器を置いた。
「山下はロビーに下りてくるそうです。そちらでお掛けになってお待ち下さい」
しばらくして5基あるエレベータのうち一基が11階で止った。そしてゆっくりと降りてくる。彼女が乗っているに違いない。もし、一度も止らなければ、自分たちは結ばれる。
そう思った。そして、エレベーターは一気にロビーまで降りてきた。ドアが開かれ、微笑むるり子がそこにいた。
 こうして二人は交際するようになり、半年後には結婚した。そして一年後には勝が生まれ、二年後には孫に見送られ母が逝った。小さなマンションから親子三人には広すぎる家に引っ越してきたのはそれから間もなくのことだ。
 幸せに暮らしていた。広い敷地に瀟洒な家、美人妻に可愛い子供。休日には日がな一日芝生で勝と戯れ、疲れると木陰で昼寝をした。二人目が出来ないのが唯一の不満といえば
不満だったが、それは勝が物心ついてからでも遅くはないと思っていた。
 そんな幸せな日々が壊れてゆくなど思いもしなかった。子供の成長を見守り、家庭から巣立つのを助け、そして夫婦して老いてゆく。そんな人生を送るものと漠然と考えていた。ゆっくりと時間は流れ、勝は5歳になろうとしていた。

 その頃、大学時代の演劇部の同窓会通知が舞い込んだ。主催者は一年先輩の阿刀田だった。彼は唯一人初心を貫徹し、演劇で飯を食っている男だ。中条のように最初から日和って一般企業に勤めた人間を心のどこかで軽蔑しているようなところがある。
 中条は行く気はなかった。どうせ阿刀田の独壇場になることは分かっていた。何年か前、偶然、阿刀田と新宿ですれ違ったことがあった。るり子と見合いし、新宿御苑へ向かう途中だった。阿刀田は、るり子にねっとりとした視線を送って、「ちょっと紹介しろよ」と下卑た口調で言ったものだ。
 中条は適当にあしらって、その場をやりすごしたが、そんな短い時間でさえ、大学の先輩である有名な演劇評論家の名前を出し、対等に酒を飲み演劇論を戦わせているなどと自慢するような男なのだ。
 しかし、学生時代、阿刀田の芝居を洋子と何度か見に行った。二人して楽屋に花を届けたこともあったのだ。同窓会の招待状は洋子と過ごした青春の思い出を呼び覚ました。いつの間にか懐かしさが心を満たしていた。そして呟いた。
「洋子はどうしているのだろう?阿刀田さん主催の会に来るなんてこと…ないか…」
あの自殺騒ぎや慰謝料問題の修羅場が遠い日の出来事となり、時間というフィルターを通して懐かしさだけが抽出されていた。自分のために命を投げ出そうとした健気な女のイメージだけが膨らんでゆく。思わず欠席の文字を消していた。

 会場は中野サンプラザの小ホールで、50人ほどの先輩後輩達がグラス片手に談笑している。懐かしい顔を見出し近付こうとした矢先、阿刀田が目ざとく中条を見つけ、人を掻き分け寄ってきた。
「おい、久しぶりだな、新宿でばったり会って以来だろう。あの時は、確か子供が生まれ
るとか何とか言っていたと思ったが」
どうやら誰かと勘違いしているようだ。るり子を紹介しろとしつこく迫ったことなど、すっかり忘れているようだ。苦笑いしながら答えた。
「お久しぶりです。先輩、それ、誰かと間違えていません?確か先輩と会ったのは女房と結婚する前ですから、子供なんて生まれてなんかいませんよ。まあ、それはそうと、お元気そうじゃないですか。相変わらず派手にやってるんですか?」
「ああ、相変わらずだ。そうそう君にも紹介しておこう」
こう言うと、阿刀田は中条に覆い被さるように肩を組み中央へ進んでゆく。そこには白髪の老人が数人の紳士達に囲まれ談笑している。阿刀田はそこに強引に割って入った。その強引さは、ゆとりを失った人間の焦りに誘発されている、そう感じた。
 恰幅のよい白髪の老紳士が迷惑げに顔を歪めた。阿刀田はかまわず口を開く。
「飯田先生、紹介いたします。こちらは東都大学演劇部55年卒の中条翔君です。飯田先生と同じように彼の御母堂は我が演劇部に多大な貢献をなさった方です。中条君、この方は我々の大先輩で演劇評論家の飯田久先生だ」
中条が挨拶すると、飯田先生はにこりと微笑んで挨拶を返した。そして先ほどからの相手と話しの続きに入っていった。中条はその場を離れたが、阿刀田はその輪の中に入ろうと必死で耳を傾けている。その額に玉の汗を浮かべているのが見えた。
 その時、中条の背後から、男が耳打ちした。
「奴も必死だ。奴が立ち上げた劇団が潰れかけている。もう、お前は寄付の話しを持ちかけられたのか」
驚いて振り返ると忘れられない顔がそこにあった。学生時代の悪友、桜庭がそこに佇んでいた。目顔で挨拶し、なるほどと言った表情で何度も頷いた。
「いや、まだだ。だけど、俺にはそんな余裕などない。親父の遺産はお袋があらかた食いつぶした。狛江の土地も相続税が払えず物納だ。残ったのは300坪の土地と家だけだ。
とはいえ、そんな家の事情を話すのも癪だな」
「そんなことないよ。ない袖は振れんと言うべきだ。俺なんて50万小切手切らされた。阿刀田先輩には昔から泣かされっぱなしだ。でも、怒ると怖いからな」
「ああ、まったく。ところで樋口洋子はどうしているんだろう。お前聞いているか」
「ああ、横浜の金持ちのぼんぼんと結婚したって聞いている。一度横浜で会ったことがあるけど、とにかく派手な女だよ。上から下まで金ぴかで、こてこてだった。お前別れて正解だよ。あんなんじゃ、いくら稼いだって追付きゃしない」
二人の背後に佇んでいた後輩の上野が割って入った。
「いや、それがそのボンボンってのがかなりのやり手で、洋子に不審を抱いて私立探偵をつけたらしいんです。結局、彼女の浮気がばれて家を追い出されたってことですよ。その後、六本木のうちの店にもよく来たけど、相変わらず派手だった。あのスタイルだから目立ってましたよ」
上野はその店のオーナーだ。桜庭がにやにやしながら聞いた。
「もしかして、お前、洋子を食っちまったか、それとも食われちまったか、どっちかだろう?」
上野は真っ赤になって否定したが、桜庭はにやりと笑って意味深な視線を中条に送ってきた。中条は深い溜息とともに色褪せた青春のマドンナの思い出を屑籠に放り投げた。
 結局、上野も寄付を迫られているという話しにうんざりして、中条は、阿刀田に気付かれぬよう会場を後にした。その日は桜庭等二人と六本木で飲み明かしたのだが、数日後、阿刀田から電話が入った。案の定寄付の話しだったが、やんわりとお断りした。

第三章 殺人

 夫婦は、相変わらず二人目に恵まれなかった。しかも、勝が小学校3年になったばかりの頃、狭心症の発作に襲われ、入院すると言う事態に見舞われた。るり子はおろおろするばかりで、その精神的な脆弱さは中条を苛立たせた。
 勝は半年後に退院出来たのだが心臓に爆弾を抱えていることに変わりはなく、ニトロの錠剤を肌身離さず持たせて、万が一の事態に備えさせた。か細い首に太めの金の鎖、そのなんとも言えぬアンバランスさが痛々しく、中条は思わず勝を抱きしめたものだ。
 絵に描いたような幸せな家族に影を射した小さな不幸が、最悪の結末への序曲になろうとは夫婦ともども考えもしなかった。ただ、るり子は一人息子の不幸に、時に涙を流し、時に嘆息し、中条を更に落ち込ませるばかりで、家は暗く沈みがちだった。
 そんな或る日曜日、中条は夕食前の犬の散歩に出かけた。発病前は、勝と二人で出かけたものだが、今は一人だ。門を出ると右に行くか左に行くか迷ったが、すぐに左の道を選んだ。勝が友達から貰った柴犬は大谷石の塀に沿ってぐいぐいと中条を引っ張ってゆく。
このまま行くと、最後にあの忌々しい住宅地に出てしまう。かつては中条家の裏庭で、そこにはブナ、楓、栗等の樹が雑然と植えられていて、子供の頃からの思いでの場所だが、今では6軒の住宅地になっている。中条は、左に折れススキの繁る川沿いの道を選んだ。
 しばらく歩いて、悲鳴をきいたような気がした。散歩の途中だったが、中条はすぐさま引き返した。家に駆け付け、るり子を呼んだが返事はない。遠くで勝を呼ぶ声が聞こえ、それが徐々に近付いてくる。るり子は勝を探して家の近所を必死で駆けまわっていたのだ。
 曲がり角からるり子が飛び出して来た。中条は駆けよって取り乱するり子を抱きしめた。るり子が見覚えのあるペンダントヘッドを掌に載せて涙声で言う。
「これ見て。このペンダントを見て、門の前に落ちていたの。どういうこと、ねえ、これってどうゆうことなの」
中条はペンダントを取り上げ、じっと見入った。ペンダントの蓋を開けると、ニトロの錠剤が二つとも残っている。見ると金の鎖の留め金がなくなっていた。
「どこに落ちていた?」
「この辺よ。確かここだと思う」
るり子の指差す場所を、中条は這いつくばって探した。案の定、その留め金がそこに落ちている。それを拾い上げ重い口を開いた。
「引っ張ったんだ。引っ張って留め金が飛んだ」 
「誰が引っ張ったの。勝が自分で引っ張ったって言うの」
「分からん」
「ねえ、ちょっと、ちょっと、ねえ、聞いて、家で電話が鳴っているわ。厭な予感がする」
そう言うと、るり子は駆け出していた。中条も、まさか警察から?と思ったが、いくらなんでも早すぎる。すぐさま不安を振り払うと、るり子の後を追った。
 居間に入ると、るり子の絞り出すような声が響いた。
「お願い、勝を返して。お願い、何でもするから。そんなこと、そんな、警察なんかに電話なんてしないわ。言われなくたって分かっています。お願い、勝が生きて帰れるなら、何でもします」
るり子の顔はくちゃくちゃで涙も洟も一緒になって口元を濡らしていた。
 中条は、るり子から受話器を奪うと耳に当てた。男の潰れたような声が響く。
「奥さんよ、分かってりゃあいい。万が一にも警察に届ければ、間違いなく息子の命はない」
中条が受話器に向かって叫んだいた。
「おい、聞いてくれ。勝は心臓が悪いんだ。もし発作に襲われて、ニトロがなければ死んでしまう。金は何とかする。いくら欲しいんだ」
「おや、旦那さんか。その方が話しは早い。いいかよく聞け、一億円を用意するんだ。びた一文まけない。きっちりと揃えてもらう」
「今日は日曜だ。ましてそんな金などない。現金はせいぜい4千万、証券はあるが現金化には時間がかかる。家を売ればなんとかなるが、すぐにというわけにはいかない」
「現金が4千万だと、おい、ふざけたことを言うな。近所の噂じゃあ、金庫に金が唸っているそうじゃねえか」
「内実は違う。親父の残してくれた財産はあらかたお袋が使ってしまった。俺に残されたのはこの土地と僅かばかりの現金だ。だから一億作るとなると土地を売るしかない。」
「その辺の土地は一坪幾らくらいするんだ?」
「100万がいいところだ」
「ヒュー、6億か。すげえな。ではこうしようじゃねえか。いいか、よく聞け。坪50万で大手の不動産会社に打診しろ。明日、朝、一番で電話するんだ、いいな。そして内金として一億早急に用意してもらえ。明日、午後7時に電話する。くれぐれも言っておくぞ。仲間がお前の家を見張っている。変な動きがあれば、子供の命はない。これは脅しじゃない。分かったな」
「待ってくれ、せめてニトロを子供に持たせたい。どうすればいい」
「子供は大事に扱っている。安心しろ」
そこで電話は切れた。
「どうするの?」 
るり子の声は震えていた。中条は、それには答えず、すぐさま駅前の不動産屋に電話を入れた。裏庭を処分して以来、そこの社長とは親しい。社長は坪50万という言い値に飛び付いた。明日、午後3時までにありったけの現金を用意することも承諾してくれた。
 社長は売り急ぐ中条の様子に不審を抱いたようだが、チャンスをつかんだ興奮の方が勝った。るり子に明日一番で4千万円を銀行からおろすよう指示し、中条は出かける用意を整えた。1億には足りないが、万が一の時の用意だ。実は犯人の目星はついていた。

 犯人の言った「6億」という金額が鍵なのだ。100万で6億。犯人は土地が600坪だと思っている。母親が死んで相続税を払うために止む無く300坪を売ったのが28歳の時。つまり、犯人の情報は中条が28歳以前のままだ。つまりそれ以前に交友があり、その後途絶えた奴が犯人ということになる。
 そして、それは洋子以外にありえなかった。家に招待し裏庭を散策した時、洋子が聞いた。「随分広い土地ね。これって何坪あるの」と。中条は止む無く答えた。小さな頃から自慢していると思われるのが厭で、殆ど人に喋ったことなどない。その例外が洋子なのだ。
 その洋子を手繰り寄せるには、上野に会う必要がある。何故なら、同窓会の折り、桜庭は上野と洋子の関係を怪しいと匂わせた。桜庭はその方面の勘が鋭い。学生時代、洋子を巡って一時険悪になったことがあったが、その時そう感じたのだ。

 上野はすぐにつかまった。六本木の店ではなく新宿のバーで待ち合わせた。上野は20分ほど遅れてきたが、席に着くなり聞いた。
「でも、洋子が勝ちゃん誘拐に関係しているっていうのは本当なんですか。なにかの間違いじゃありません」
「間違いない。洋子は表には出ていないが、絶対に関わっている。洋子が何処にいるか知りたい」
「僕に彼女の居場所を聞くなんてお門違いですよ。僕が知っているなんて、何故思ったんですか?」
中条はいきなり胸倉をつかんだ。
「勝の命がかかっている。貴様の嘘や言訳に付き合っている暇はない。お前が洋子に惚れていたのは俺が一番よく知っている。自分の店に来た洋子をお前が見逃すはずはない」
上野の目はすぐに真っ赤に染まった。
「分かりましたよ、苦しいから手を離してください。先輩、お願いします」
と震える声で答えた。
上野が話し始めた。確かに阿刀田主催のパーティのあった頃、上野は洋子と付き合っていた。熱をあげ、女房には内緒で赤羽にマンションを買い与えていたのだ。しかし、次第に、上野は自分以外に男がいるのではないかと洋子を疑いはじめた。
そして、ある時、思い切ってマンションを見張ったのだが、上野はそのエントランスから出てくる男を見て自分の目を疑った。それが阿刀田だったと言うのである。
「阿刀田はまだ演劇で食っているのか?」
「いいえ、奴はあのパーティの直後、公演を開けず劇団を解散して、姿を消していましたから、本当にびっくりしました。まさか阿刀田先輩が洋子と出来ていたなんて」
「それでどうした」
「洋子は諦めました。マンションの借金は残っていましたけど、それは引き受けることにして、手を切ったんです。洋子は、それからも僕の友人やらに粉をかけて歩いたらしいけど、誰も相手にしません。だってそうでしょう。当時、美人とはいえ、既に36を過ぎていましたから」
「まだ、そのマンションにいるのか」
「多分いると思います」
「よし、案内しろ」
 怖がる上野を無理やり赤羽まで引きずって行った。途中の商店街で警棒を買い込んだ。上野が恐れる阿刀田の粗暴さは演劇部の誰もが知っていた。そんな男が何故演劇なのか、皆、首を傾げたものだ。そんな男に素手で立ち向かうわけにはゆかない。
 マンションの前までくると、上野はしゃがみ込んで抵抗した。ここで帰らせてくれとしきりに懇願する。しかたなく解放することにした。
 マンションを見上げると、上野の示した部屋は電気が灯っている。もし、中条の勘が正しければ、勝はそこに居る。もしいなければ、阿刀田のねぐらということだが、そのねぐらは、洋子が知っている。警棒で脅せばすぐにでも口を割るはずだ。
 エレベータで8階まで上がった。806号室のドアの前まで音も立てず近付いた。ドアに耳を当てるが、テレビのニュース番組の声が微かに聞こえるだけだ。ノブを回しドアを少し開けた。アナウンサーの声がはっきりと聞こえる。
 玄関には男物の革靴が置いてある。廊下の先は居間なのであろう、ドアの隙間から明かりが漏れている。後ろ手にドアを静かに閉めたつもりが、バタンと大きな音を立ててしまった。廊下の先のガラス戸が開いて男が顔を覗かせた。阿刀田である。
「誰だ、そこにいるのは」
見つかってしまったからには、覚悟するしかない。中条は意外に冷静な自分に驚いた。
「先輩、お忘れですか、後輩の中条です」
居間の空気が大きく揺れ、阿刀田の顔が歪んだ。
「上がらせてもらいます」
後ろで女の囁くような声がする。すると阿刀田が叫んだ。
「おい、勝手にあがるな。いま取り込んでいるんだ。用事があるなら外で聞こう」
こう言うと、ガラス戸を開けて出てきた。玄関まで来ると仁王立ちで中条を睨み付けた。190近い大男だ。無理やり作った険しい顔。しかし、そこには疚しさと恐れが貼り付いている。中条は笑みを浮かべながら口を開いた。
「いいマンションじゃないですか。ちょっと中を見せてください。」
上がり込もうとすると恐ろしい力で突き飛ばされ、ドアに頭をぶつけた。怒りが炸裂した。体勢を立て直し、右手に隠し持った警棒を振り上げ、阿刀田の脳天に思いきり振り下ろした。阿刀田は声もなく、その場に崩れるように倒れた。靴をはいたままずかずかと廊下を歩いてガラス戸に向う。
 居間の空気が激しく動いた。玄関での異常を察知したのだろう、中で洋子が蠢いているのが手に取るように分かる。中条は急いでドアを開け、中に踏み込んだ。洋子は背中を見せ、サイドボードの抽斗を探っている。
 洋子が振りかえった。目は血走り、唇をわなわなと震わせている。
「この嘘吐き。やっぱりあの女と結婚したんじゃない」
この言葉に、中条は一瞬十二年まえにタイムスリップしたような感覚に襲われ、生真面目に言い訳の言葉を捜した。しかし、すぐに勝のことを思いだし、憎しみを顕に睨みつけると、そこには醜く年を重ねた女が、中条以上に憎しみを剥き出しにして見上げていた。
 艶やかだった肌はかさかさに乾いて、額に寄せた皺の深さを際立たせ、無理なダイエットでもしたのだろうか、たるんだ皮膚が首に二重の線をえがいている。一瞬にして現実に引き戻され、怒りが爆発した。
「勝はどこだ」
自分でもびっくりするような怒声が響き渡る。洋子はそれにもたじろがず、ふてぶてしく笑った。さっと振り向くと、その右手には拳銃が握られている。
「私達の一億円はどこなのよ。手ぶらで来るなんて、どこまで、あんたは私をコケにする気なの」
その顔には憎しみと卑しさがあるだけで、疚しさの欠片もない。
「やはり、貴様等だったんだ。勝はどうした。何処にいるんだ」
「死んだわよ。苦しがって死んだわよ」
この冷酷な言葉が中条の心を襲った。心が絶叫し、絶望が目の前から光りを奪った。気がつくと床に頬をつけて倒れていた。一瞬にして全ての筋力を失ったのだ。視線が洋子の勝ち誇った顔を捉えた。涙が止めど無く流れる。
「何故なんだ。何故、あんないたいけない子供を殺す必要があったんだ」
洋子の、あくまでも冷静な声が響く。
「殺してはいないわ。勝手に死んだのよ」
「勝は薬を持っていた。お前じゃないのか、勝を誘拐したとき、首のペンダントを引き千切ったのは、お前じゃないのか」
中条は洋子の目をじっと見入った。しかし、洋子の目に邪な激情が走ったことには気付かない。一方、洋子の脳裏には若き日の無念の思いが彷彿と蘇った。自殺するほど悩んだのだ。憎悪の刃が鎌首をもたげた。
「そのペンダントの中に薬が入っていた。発作が起こった時、それを飲ませれば勝は助かった。それともあのペンダントに薬が入っていることを知っていたのか、知っていて引きちぎったのか?」
洋子は、憎しみに歪んだ顔を更に歪ませ、肩を大きく上下させている。洋子の邪な激情が思索を重ねている。相手を最も効果的に傷つける言葉を探していたのだ。その顔を見ているうちに、中条の頭に恐ろしい考えが浮かんだ。もしかしたら、
「お前は知っていたんじゃないか。勝の病気のことも、薬のことも知っていたんじゃないのか」
沈黙があった。洋子はじっと中条を見詰めている。一瞬その顔が奇妙に歪んだ。洋子の表情を読み取ろうとしている中条には笑ったようにしか見えなかった。実は洋子はようやく相手をより深く傷つける言葉を探り当てたのだ。
ゆっくりと薄い唇が開かれた。
「ええ、知っていたわ。だから薬を捨てたのよ」
この瞬間、中条は、すっと血の気が引くのを感じた。洋子は最初から知っていて、勝の命を守る薬を捨てた。自ら手を下し殺そうとは思わないまでも、発作を起させ死を誘発させたのだ。それは中条に対する復讐に他ならない。
絶望が憎悪へと変わってゆく。
 中条はゆっくりと体を起こし、床に転がる警棒を拾い上げた。膝を立て、起きあがろうとした。洋子が叫んだ。
「じっとしているの。そのまま座りなさい。どうしても一億いるの。だから今度はあなたが人質よ。動かないで。撃てないと思ったら大間違いよ」
洋子の言葉を無視して立ちあがり、一歩踏み出した。洋子は銃口を中条の太ももに向けた。同時にカチッという金属音が響いた。弾が入っていなかったのか、或いは不発だったのか。
 中条は、恐怖に顔を歪ませた洋子を見下ろした。洋子は両手で拳銃を握り直し中条の胸に向けて引き金を引き続けた。カチッカチッという音が空しく響く。洋子の顔が恐怖で歪むのを、中条は眺めていた。
 洋子の右腕に向けて、警棒を渾身の力を込めて振り下ろした。骨の砕ける音がした。洋子は悲鳴を上げ、顔を歪ませた。なおも警棒を振り上げる中条を見て、左手で後頭部を抱えながら床に這い付くばった。
 最初の一撃で、頭にかざした左手が潰れた。それでも頭を守ろうと血だらけの手を頭にかざして蠢かせている。二発目で、その手も動かなくなった。三発目で、頭蓋骨が割れ、脳漿がこぼれた。四発、五発と数えて十五発目で警棒が飛んだ。血でぬるぬるしていたのだ。
「えへへへ」
照れたように笑いながら、警棒を拾うと、また殴りはじめた。

第四章 目覚め

 結局、裁判で明らかになったのだが、洋子は勝の病気のことなど何も知らなかった。金のペンダントは勝が暴れた時に、阿刀田が誤って引き千切ってしまったようだ。そして、車に押し込んだ時に発作が起こった。二人は苦しむ子供をどうしたらよいか分からず、手をこまねいていただけだと言う。
 勝はその発作で事切れた。それでも二人は気を取り直し、必死の思いで中条の家に脅迫電話を入れたというのが真相である。そもそも誘拐そのものが、朝思い付き、昼行動を起すという杜撰極まりないものだった。
 洋子と阿刀田はその日のお金に事欠くような生活から抜け出そうと知恵を絞った。そして洋子が上野から聞いた話を思い出したのだ。それは中条が無類の子煩悩だという話である。二人は近くのファミリーレストランで昼食を済ませ、その足で中条の家に向かった。
 二人が犯行のため事前に準備したものは何もない。あったとすれば車だけで、その車のトランクから勝の遺体が発見された。犯行があの時刻になったのも、洋子が中条の家までの道程を覚えておらず、探し回った結果だった。
 二人は夕方近くなって、ようやく中条という表札を見つけ車を止めた。その時、子供が門から顔を出したという。洋子が道を聞く振りをして、ウインドウを開けて話しかけた。阿刀田は運転席から降りると、後ろへ回り、勝の首をつかんで後部座席に押し込んだのだ。
 計画性の欠片もない。阿刀田は、大きな体をすぼめるだけすぼめ、震える声で証言した。二人の犯行のお粗末さ、身勝手な思考と行動、中条は、阿刀田のその歪んだ口からこぼれる言葉をただ呆然と聞いていた。
 それでは何故、洋子は勝の病気を知っていたと言ったのか?知っていて薬を捨てたと言い放った。もし、あんなことさえ言わなければ、中条もあれほどの凶行には及ばなかったはずだ。知らなかったと許しを請えば、まさか殺すまで殴りはしなかった。
 中条は裁判で終始無言のまま通した。妻の雇った弁護士の前でもそれを通した。何を言っても空しく、魂が体から離れて、裁判の成り行きを上の方から見ていた。その目には、明らかに自分自身も映っていたのだ。髪の毛が真っ白に染まり、やせ衰え、まるで老人のようであった。

 一瞬、中条の脳裏に、前世の惨たらしい記憶が甦りそして消えていった。ふと、我に返ると、質屋から出てくる若き日の自分に釘付けになっている自分を意識した。次の瞬間、若者に向って足早に近付いていった。
 何かを言わなければ。彼を、いや自分を説得しなければ。再びこの世の地獄へと突き進んでしまう。前世では闇雲に自分の激情をぶっつけてしまった。果たしてあれが良かった
かどうか、迷いが脳裏で渦巻いた。ではどうすればいいのだ。
 若者は中条を見て、驚いたように立ち止まった。白髪の男がじっと自分を見詰めながら近付いて来たからだ。若者の驚いた表情を見て、一瞬、中条の脳裏に前世の過酷な結末が思い浮んだ。中条の足はぱたりと止まった。若者が唐突に声を掛けてきた。
「僕に、何か?」
中条は、荒い息を整えながら言葉を選んだ。
「君は、喫茶店で、彼女と待ち合わせしているんだろう」
「ええ、お爺さんは、彼女を知っているんですか」
中条は一瞬迷ったが、思い切って前世とは別の道を選ぶことにした。
「いいや、知らない。ただ、さっき、君と彼女が喫茶店で話しているのをたまたま見たんだ。彼女は、昔別れた女房にそっくりだった。その女房には随分と酷い仕打ちをしてしまってね。もしかしたら、彼女はその人の縁者じゃないかと思ったんだ。さしつかえなければ、彼女の名前を教えてもらえないか?」
「樋口洋子です」
中条は首を傾げ、ふーんと唸っただけだ。若者はすぐにでも立ち去りたい素振りで中条を見ている。中条は若い自分に一言だけ言葉をかけた。
「彼女を大事にしなさい」
一瞬怪訝な表情をしたが、解放される安堵感の方が勝ったのだろう、笑顔を浮かべて若者は通りに向って歩き出した。中条はその後姿をじっと見詰めた。
前生では、自分であるあの老人の言葉に洋子のイメージが大きく傷付けられた。その傷つけられたイメージは大きく膨らむことはなかったが、人生のどの局面においても脳裏にふわっと浮かんできた。
 それがために洋子と別れる道筋を自ら作っていってしまったのだ。洋子とは結ばれるべきだった。そうすれば、あんな悲劇を招くことはなかった。勝という愛する者を失い、自暴自棄に陥って人生を狂わせた。前世ではその憎しみのあまり洋子を殺してしまった。
 考えてみれば、洋子の自殺未遂も、中条を失うという恐れに端を発していたのかもしれない。人は誰しも愛する人を失えば自暴自棄に陥る。洋子は中条を心から愛していた。だから自殺を試みたのだ。そして、相手を憎む気持ちを極端に増幅させたことが道を大きく誤らせる結果を招いた。
 まして、前世では12年ぶりの再会で、洋子が最初に言った言葉が中条を困惑させた。「この嘘吐き。やっぱりあの女と結婚したんじゃない」
洋子はずっと中条を憎み、そして愛していたのだ。やはり洋子を許すべきだ。中条は先ほど過去の自分に投げかけた言葉を反芻した。
「彼女を大事にしなさい」
 その言葉は中条の胸に心地よく響いた。そうだ、これで良かったのだ。中条は目を閉じ勝が再び生まれてくることを願った。中条の分身である勝が、今度は洋子を介してこの世に生をうける。これも一つの道かもしれない。そう思った。

 意識が遠のいた。地面がぐるりと回り、空も回った。砂利が頬を傷つける。確かアスファルトで舗装されていたはずだ。薄目を開けて地面を見ると、砂利道がすっとアスファルトに変わった。大通りから人が歩みよってくる。その足取りが速くなった。
 しばらく気を失っていたらしい。体が浮いたような感覚がして目覚めた。目の前に白衣を着、白いヘルメットを被った男の顔があった。何かを話しかけている様子だが、声は聞こえない。
視界の周辺がじわじわと黒く染まり、終いには漆黒を塗りたくったような暗闇に変わった。

 目覚めるとそこにはやはり暗闇が広がっていた。額の真ん中あたりに意識の核があり、そこで自己を認識しているだけだ。今の自分の状態がどうなっているのか、目蓋を開こうにもその目蓋の筋肉がどこにあるのかさえ分からない。すべての感覚がないのだ。
 いや、唯一、感覚だけはある。廊下を行過ぎる人々の足音や話し声が聞こえてくる。楽しそうな笑い声、スリッパのぱたぱたという音、そこは音に溢れていた。人が入ってくる。カーテンを開ける音。そしてその人が話しかけてきた。若い女性の声だ。
「中条さん、今日の御加減はいかがですか」
何度も聞いた優しい声だ。いや、そんなはずはない。ほんの少し前、若き日の自分に出会ったばかりだ。そう、前世の失敗を省みて、若い日の自分に、洋子の悪いイメージを植えつけるのを思い留まった。今、その鮮明な記憶が残っている。
 若き日の自分に話しかけた直後、気を失った。そして病院に運ばれたのだ。だから、その看護婦の声にこれほど馴染んでいるはずはない。それとも、若き日の自分と出会ったのは夢だったのだろうか。その時、もう一度その声が聞こえた。
「さあ、体温を測りますよ」
確かに聞き覚えのある声だ。もしかしたら、救急車で運ばれてから何度か目覚めて、この看護婦の声を聞いているのかもしれない。そのことを思い出そうと神経を集中すると、激しい頭痛に襲われた。そして朦朧としてきた。
 いつの間に寝てしまったのだろう。物音に気付いて目を覚ますと、人の動き回る気配を感じた。そして先ほどの看護婦のことを思い出した。あの女性がまだ部屋にいるのか?鼻
歌が聞こえる。清んだ優しそうな声だ。その声が話しかけてきた。
「中条さん、寝巻きを替えて置きましたからね。また明日来ますから」
この言葉を聴いて微かに記憶が甦った。彼女は「また明日来ますからね」と言い残して部屋を去る。それは幾度も繰り返されているような気がする。記憶の糸を必死で手繰り寄せた。そして漸く一つの感情に思い当たった。
 それは、その声を聞いた時の喜びの感情だった。その声を聞きたくて、毎日毎日心待ちにしていた。その声が唯一の心の支えだった。そう思った瞬間、全ての記憶が甦った。俺はここで気の遠くなるような時を過ごしてきている。やはり、若き日の自分に会ったのは夢だったのだ。
 そうだ、俺は植物人間状態になってしまったのだ。今から三年前、二度目の脳卒中が引き金だった。心がゆっくりと落ち着いてゆくと、目覚めるたびに味わう不安と動揺が胸を締め付ける。そして、今度は絶望という奈落へ落ちてゆく。

 再び目覚め、虚ろな意識に鮮明な記憶が蘇る。そして思い当たった。不安と動揺、そして絶望へと繰り返される毎日から逃れたい、もう一度やり直したい、という儚い思いが、あんな夢を見させたのだ。何ということだ、絶望という奈落の底にまたしても絶望が!
 最初の発作に襲われたのは寒い冬の朝だった。会社に遅れそうになって駅まで走って電車に飛び乗った。そして発作に襲われた。目覚めると目の前に不安そうに自分を見つめる洋子の顔があった。一瞬、その顔に歓喜の表情が広がった。
「あなた、あなた。目覚めたのね、ねえ、私が分かる、洋子よ」
「ああ、大丈夫だ」
「よかった。電車に乗ってすぐに発作が起きたから、駅前の病院に担ぎ込まれたの。だから大事に至らなかったみたい。駅前に病院があったのだから本当に不幸中の幸いだったわ」
「俺の体はどうなっているんだ。下半身の感覚がない」
「ええ、正直に言うわ。麻痺が残っているの。でも、リハビリすれば何とかなるって、先生が仰ったわ。ねえ、頑張りましょう。私も協力する。出来るだけ頑張るのよ。会社のことは忘れて」
地獄のリハビリがその時から始まった。

 何度も投げ出しそうになった。何度も喧嘩して罵り合った。何度も二人で泣いた。勝はそんな二人をおろおろしながら見ていた。二人は勝が嫉妬するほど仲睦まじく、争ったことなどなかった。勝にとって、こんな二人を見るのは初めてだったからだ。
 少しづつだが右足が動くようになった。続いて左足が引きずるようにだが、何とかそれに倣った。それを見て、洋子の目に涙が滲んだ。中条はようやく洋子の胸奥を覗いた気がして、自らの弱さを克服しようと決意を新たにしたものだ。
 そして、それまで心の奥底で燻り続けていた洋子に対する疑惑など吹き飛んでしまった。洋子に対する疑惑は全く馬鹿げた妄想だったのだ。洋子は中条を心から愛している。中条
を必要としている。そのことが分かった。
 その妄想の発端は、最初の発作よりだいぶ前に遡る。演劇部の先輩である阿刀田から夫婦宛にパーティの招待状が届いた。テレビで活躍する阿刀田は遠い世界の人間だと思っていただけに、二人は飛び上がらんばかりに喜んだ。
 帝国ホテルで行われたパーティにはテレビでお馴染みの文化人の顔もちらほら見られた。二人は遠くから主役である阿刀田を眺めていた。そんな二人に後ろから声がかかった。
「おい、相変わらず見せ付けるじゃないか。そろそろ倦怠期に入ってもおかしくない時期
だ。まして子供までいるんだろう」
振り返ると、桜庭と上野がグラス片手に微笑んでいた。演劇部の悪友達だ。洋子が嬉しそうに応じる。
「うわー、懐かしいー。二人とも何年ぶり。桜庭ちゃんに昭ちゃん。昔と少しも変わってないわ。ねえねえ、私はどう?変わった」
昭ちゃんこと上野がすぐさま答えた。
「洋子は変わったよ。美少女から妖艶な美人妻にね。本当に翔がうらやましい。こんな美人と毎日暮らしていられるなんて」
「でも、毎日だと飽きるんだ。古女房でよければ、…」
洋子が睨んでいる。中条は笑いながら続けた。
「冗談、冗談。毎日が新鮮で、朝起きる度にときめいている」
「なによ、今更。許さないから、家でお仕置きよ」
みな、どっと笑った。ひとしきり昔話で盛り上がった。そんななか、桜庭がにやにやしながら言った。
「しかし、阿刀田先輩がこれほど出世するとは思いもしなかった。でかい図体して、ただただ舞台の上を右往左往していただけなのに、今じゃどうだ、映画、舞台、テレビと乗りに乗ってる。人生、どこで、どう変わるか分かったもんじゃない。でも、奴も思い切ったもんだ。しかし、そこまでやるかね。いくら出世と引き換えだとしてもだ」
上野もにやにやしながら頷き、グラスのシャンペンを一気に飲み干した。中条は桜庭の言っている意味が分からず聞いた。
「おいおい、ふたりとも何にやにやしているんだ。それに、思い切ったというけど、阿刀田先輩は何をどう思い切ったんだ?。俺達にも分かるように教えてくれよ」
「業界じゃ有名な話さ。それに一部女性週刊誌にもすっぱ抜かれたこともある。阿刀田先輩は、その週刊誌の記者にそうとうの金を積んで黙らせたって話だ」
桜庭は広告代理店の営業マンだから、この業界の噂にも長じている。顎をしゃくって彼方の一団を示し、小声で言った。
「あそこにいる白髪の老人を知っているか。取り巻き連中に持ち上げられて、ふんぞり返っている脂ぎった老人がいるだろう。あいつだよ」
「いや、知らん」
「わが大学の先輩で、演劇評論家の飯田久だ。そして、あの飯田先生のお気に入りはみんなホモ達だってことさ」
「つまり阿刀田先輩も、ってことか?」
中条は思わず絶句したのだが、洋子の反応は意外だった。
「信じられない。私、阿刀田先輩に憧れていたのに。でも、芸術家ってみんなその気があるみたいよ。だってミケランジェロやダビンチだってそうだったって言うじゃない。でも、それって本当の話なの?」
「ああ、本当のことだ。この業界じゃ有名な話よ。おっと、おい、おい、こっちに来るよ。奴がこっちに近づいてくるって」
四人は引きつった顔に笑顔を載せて、主役の登場を迎えた。阿刀田はその長身をゆらゆらさせて歩いてくる。その顔は得意満面で、ゆとりの笑みをうかべ四人の前に足をとめた。
「おい、おい、懐かしい顔ぶれだ。洋子ちゃん、幸せになれて良かったな。中条君は君の憧れの的だった。おい、おい、中条、新宿で偶然出会ったのは何年前だ。確か、子供が生まれたって言っていたよな」
中条が、それに答える前に、洋子が答えた。
「息子はもう小学五年になります。ところで阿刀田先輩のことは、いつもテレビで拝見しております。主人と違い阿刀田先輩は初心を貫徹なさって、演劇の道を邁進なさった。本当に立派で…」
中条が、横目で窺うと、洋子の顔が上気しているのが分かった。中条が話しを引き取った。
「おい、おい、俺が日和ったのは、お前との結婚のこともあったんだ。お前だって、ちゃんとした所に勤めてくれって言ってたじゃないか。忘れたのか?」
「忘れてなんかいないわ。でも、貴方に才能があるとは思えなかったから、貴方のためにそう言ってあげたの。一生、陽の目を見なかったら、貴方が可哀想じゃない。当時の阿刀田先輩には、やはり光るものがあったのよ」
阿刀田が笑いながら答えた。
「おいおい、そんなに俺を持ち上げるなよ。たまたま、たまたまなんだ。おれより才能のある奴が、埋もれて消えてゆくのを何度も見ている。それはそうと、中条夫妻は、美男美女の取り合わせだ、きっと可愛いお子さんだろうな」
洋子が答えようとするのを、桜庭が強引に割って入った。
「阿刀田先生。ご招待頂きまして、本当に感謝しております。今度、うちの企画にも、是非乗って頂きたいと思っておりますて、…。あつかましいとは思いましたが、企画書を先生のプロダクションの方に提出しております」
「おい、おい、先輩後輩の間柄で先生はないだろう。それはそうと、その企画書には目を通した。今度、僕の意見も聞いてもらおうと思っている」
「ありがとうございます」
桜庭は90度以上、腰を曲げてお辞儀した。

 その日以来、洋子は阿刀田の熱烈なファンになり、舞台は必ず見に行くようになった。最初のうちは夫婦連れ立って見に行っていたのだが、中条は次第に足が遠のいた。そうそう舞台を見に行くほど暇ではなかったからだ。
 最初のうちはそれほど気にしなかった。いくら物好きな阿刀田でも、中年の子持ち女に手を出すとも思えなかったし、ホモの噂もあったからだ。しかし、洋子の外出の頻度が増し、次第に帰りが遅くなると、不安が頭をもたげ始めた。
 まして、勝の中学受験にあれほど熱中していたのが、嘘のようにその熱が冷め、自ら着飾ることに執念を燃やしているように思えた。とはいえ、残業も多く妻の後を付いて回る
わけにもいかず、中条は次第に疑惑と焦燥に苛まれていた。
 しかし、最初の発作、そしてそれに続くリハビリを通して、洋子の献身と誠意には心を打たれた。洋子の本質、その優しさに触れたように思った。不幸な出来事が、逆に中条の疑惑に終止符を打つという結果をもたらしたのだ。洋子に対する愛おしさが膨れ上がった。

第五章 夢の中

 二度目の発作のことは覚えていない。会社でのことなのか、それとも家にいるときなのか、はたまたその通勤途中だったのか?気が付くと病院のベッドの上に縛り付けられていた。聴覚以外の感覚を失って、孤独と絶望の日々を送っていたのだ。
 初めて洋子の話しかける声が聞こえた時、中条は必死で叫んだ。
「洋子、俺はここにいる。ここに居るんだ。助けてくれ」
しかし、その声は洋子に届かなかった。洋子は何事もなかったように語り掛けるだけだ。それまで中条は絶望の淵をさ迷っていたのだが、この瞬間、その淵から奈落の底にまっさかさまに落ちていった。
 それからどれほどの時を重ねのか。来る日も来るも自分の不幸を嘆き、その運命を呪い、終いには、発病の原因を洋子の作った脂っこい食事のせいだと結論し、最愛の妻、洋子さえ憎しみの対象にして罵った。
 そして、洋子がベッドサイドに座ることもなくなった。薄情女といくら罵っても、現状に何の変化もなかった。何度も呪いの呪文を唱えたが、その結果を確かめるすべもない。毎日が苦痛と絶望の連続だった。
 いつの頃からか、白髪の老婆が迷い込んでくるようになった。老婆は明らかに狂っていた。中条を自分の息子だと思い込んでいる。部屋のネームプレートを見たらしく、中条を「翔ちゃん」と呼ぶのである。もしかしたら、息子が同じ名前だったのかもしれない。
 狂人の話など聞く気はなかったのだが、朝の心地よい看護婦の声の他、人の話を聞くこともなく、時間つぶしになると思い、耳を傾けることにした。老婆の子供は交通事故で死んだという。じっと動かない中条を、自分の子供だと勘違いして話しかけてくるのだ。
「まったく、翔ちゃんには泣かされっぱなしだった。出産の時だってそうだ。翔ちゃんは私の腹を散々蹴っ飛ばして二度と子供が生めない体にしたんだ。翔ちゃんは私を独占したかったから、妹や弟が産まれないようにしたんだ、そうだろう、分かっているんだ」
『おいおい、おばあちゃん、考え過ぎだって。そんなこと赤ん坊が、考えるかよ。腹を蹴ったからといって、赤ん坊のすることだ、たかが知れてる』
「分かっているんだ、惚けるんじゃない。お前は覚えていないだろうが、公園で可愛い女の赤ちゃんがいて、私はお母さんに抱かせてって頼んだんだ。抱き上げて、頬ずりして、高い高いをしてあげた。ふと、バギーにいるお前を見下ろしたら、お前は憎憎しげに私を睨んでいた。そして火がついたみたいに泣き出したんだ」
『それも婆さんの思い込みだよ。赤ちゃんが人を睨んでいる顔なんて想像もつかない。やっぱりお婆さんは病気だよ。お医者さんに見てもらった方がいい。とにかく、まさに思い込みだ。それ以外にない』
「いいや、思い込みなんかじゃないよ。私は見たんだ。憎憎しげに睨むお前の顔を見たんだ。まさにホラー映画を見ているようだった。確か、昔あったじゃないか、二人で見た映画、そうそうダニアンとかいう悪魔の子供の映画だ。それを思い出したもんさ」
中条はおやっと思った。中条は心で語りかけたのだが、婆さんはそれに反応するように言葉を返した。もしかしたらという思いが胸を急激に熱くした。コミュニケーションが可能かもしれないと思ったのだ。中条は必死に叫んだ。
『婆さん、婆さん。俺の言ったことが分かったのか?おい、分かったら返事をしてくれ。頼む、答えてくれ』
「父さんが死んだのも、お前のせいだ。お前は父さんに嫉妬していた。だから、お風呂場で倒れたお父さんを放っぽらかしにして、ピヨピヨアヒルで遊んでいた。もし、すぐに救急車を呼べば助かったんだ。分かっているのよ。私を独占したかったんでしょう?」
何を話しかけても、ただただ子供に対する恨み辛みを訴え続けている。期待し過ぎた分、その反動も大きかった。中条は、まるで階段を踏み外したかのように絶望の深みに落ちてゆくしかなかった。
 狂人の言葉が続く。涙も出ない。こんな狂人にすがろうとした自分が情けない。しかし、中条は、人とのコミュニケーションを欲していた。それは、洋子が何故来ないのか、そして勝はどうしているのか、それを確かめたかったからだ。
 洋子は、最初のリハビリで、あれほど親身に、そして時には厳しく、励ましてくれた。それなのに、今度の発病では、最初の頃何度か顔を出しただけで、その後はぷっつりだ。ましてあれほどなついていた勝が何故見舞いに来ないのか。
 訪問者は相変わらず、朝の看護婦、そして月に一回やってくる老婆の二人。朝の愛しの君はいつも優しく声をかけてくれる。老婆は来るたびに30分ほど息子の悪口を言いまくって帰って行く。中条に語りかけるのは、この二人と時折迷いこむ虫達だけだ。
 老婆の話は、最初は赤ちゃんの頃から始まったが、ふた月目は幼稚園、み月目には小学一年と順を追って進んで行く。次第に煩わしく、嫌気がさして来て、この頃は頭の中でビートルズを歌いまくって聞かないようにしている。
 老婆が帰るとほっとする。確かに性悪の息子だったのだろう。しかし、それは自分の育て方にも問題があったのではないかと思う。何故なら、全ての責任を息子に押し付け、自ら省みることはない。子供は愛情をかけてさえいればまともに育つものだ。
 勝を見ればそれが分かるはずだ。勝が見舞いに来て、この老婆と鉢合せしないかと思うのだが、そんな機会など巡ってこない。何故、勝は来ないのか。きっと何か訳があるにちがいないのだ。洋子が俺の知らぬ間に離婚届けを出している可能性もある。
 もしかしたら、と思う。元気だった頃に抱いた疑惑、洋子と阿刀田先輩との疑惑が突如浮かび上がった。狂おしいほどの嫉妬が胸を掻き毟った。
『許さんぞ、貴様、許さん、阿刀田そして洋子、殺してやる。呪い殺してやる』
突然、大きな吠えるような声が聞こえた。中条は思わず、辺りを窺ったが何の気配もない。不気味な静寂の音がしーんと鳴り響いているだけだ。

 どれほどの時が重ねられただろう。それは孤独と絶望、そして嫉妬の世界だった。老婆の話はうるさいハエのように、憎しみを倍加させるだけの音に過ぎない。老婆の顔に唾を吐き掛けたいと思うのだが、自分にはその力もない。
 しかし、突然、それは訪れたのだ。椅子のきしむ音。そして荒い呼吸。何が起ころうとしているのか耳に神経を集中させた。
「お父さん。ご免」
ポツリと男の声が響いた。この時の衝撃を何と表現したらいいのだろう。動かぬ体が衝撃で飛び上がったように感じられたほどだ。そして叫んでいた。
『勝、勝じゃないか、どうしていたんだ。お前に会いたかった』
涙が頬を零れ落ちたように感じた。それは錯覚に過ぎなかったのだろうが、本当にそれは流れ落ちたとしか思えなかったのだ。勝の声にじっと耳を澄ませた。
「俺はアメリカに三年間留学していたんだ。お袋は、親父のことを俺に知らせてくれなかった。知っていたら、すぐにでも帰国した。ご免。お袋のことを許してやってくれ。俺に心配させたくなかったと言っていた」
『分かった、分かった。許すよ、全て許す。お前も知っているだろう。俺が誰に対しても寛容で忍耐強いことを。お前はそんな俺に育てられたんだ。そんなこと、お前が一番よく知っているじゃないか』
またしても涙が頬をつたわるのを感じた。
「親父、堪えて生きてくれ。親父が生きていてくれるだけで、俺は力が湧いてくる。そうだ、交換に、俺が親父の力になってやる。俺の人生を話して聞かせてやるよ。毎週来るから、約束する。そうだ、今日は、今までの話をするよ。俺は三日前までアメリカに留学していたんだ。」
勝は一時間ほど話して帰っていった。熱い思いが波のように後から後から打ち寄せてくる。感動の波が、勝の語り口とともに甦ってくる。楽しそうな暮らし。刺激を求める若者の情熱。懐かしさがこみあげてくる。確かに、自分にもそんな時代があった。
『勝、生きろ。そして俺に聞かせろ。お前と一緒に生きていこう。老婆よ、お前さんも、勝と会って話してくれ。勝はきっと、お前さんの心を癒してくれるはずだ』

 幸せの日々が続いた。毎週日曜日が待ちどおしかった。勝は、授業のこと、先生のこと、友人達やクラブの仲間の話、ありとあらゆることを語って聞かせてくれた。小一時間ほどで帰ってゆくが、まさに至福の時であった。
 勝が帰った後も、中条は想像の世界で遊んだ。息子の視線で世界を見る。そのエピソードを思い出し、個性的な友人達の顔を思い浮かべる。くっきりとその顔が見えてくる。まるで写真を見せられたかのように。
 勝が、心ときめかせ電車で出会う女子高生を見詰める。その視線の先にあるのは、中条が昔、電車で見初めた女学生だ。脳裏にその時の情景が浮かび上がる。初めは輪郭があやふやであったが、意識を集中させると、細部まで映像を作り上げることが出来た。
 女学生の名は山下るり子。清新女学院3年。中条と同じ年だ。セイラー服姿が楚々として、お嬢様を絵に描いたような女性だ。話しかける勇気はなく、ラブレターを何度も書き直したが結局捨てるはめになった。
 映像が変わる。中条がそのるり子と手をつなぎ、新宿の雑踏を歩いている。そうだ、大学一年の時、偶然山の手線で出会って話しかけたのだ。彼女も高校時代、中条を意識していたと言う。道すがら、厭な男と出くわした。その男の下卑た顔が大写しになる。そして男が言葉を発した。
「中条、いい女連れてるじゃねえか。俺にも一発やらせろよ」
俺はかっとなって言ったものだ。
「阿刀田先輩、先輩だからといって、それは言いすぎじゃありませんか。言っていいことと、悪いことの区別もつかないんですか」
「おい、おい、そうかっかするな。冗談だ、冗談だよ。それに俺はもう大学は辞めたんだ。先輩、先輩って言うな。俺は今、文学座の研修生だ。あの世界に入ったら、その程度の女なんて掃いて捨てるほどいる」
この言葉を聞いて、俺は思わず殴りかかった。結果は悲惨なものだったが、その行為そのものに意味があった。るり子にとっても、結局別れることになったとはいえ、あの時のことは忘れられない思い出になったはずだ。
 るり子と別れることになったのは、洋子との出会いが原因だった。「凄い新人が見つかったんだ」俺がそう言った時、不安そうに見上げるるり子の視線に出会った。俺はるり子に言った。「そんな心配するな。お前を裏切ったりしない」
 しかし俺は洋子に心を奪われていった。彼女の面影が脳裏に刻まれて、片時も離れなかった。そんな様子を心配そうに見詰めるるり子。るり子は次第に身を引いていった。まるでそうすることが自分の清廉さの証だとでも言うように、つつましく視界から消えていっ
た。心優しい女だった。
 数年して、阿刀田先輩から家に電話があった。その卑屈な声が甦る。
「あの時は悪かったな、本当に謝る。あの頃の俺は心が荒んでいて、しかも精一杯悪ぶっていた。自分でも恥ずかしいよ。でも、そんな突っ張ることが出来たのも、若者の特権みたいなものだ」
俺は努めて冷淡に答えた。
「でも、脳震盪で気を失った僕を置き去りにしたのは納得できませんね。打ち所が悪くて死んでいたかもしれないじゃないですか」
「あの頃は、喧嘩に明け暮れていた。だから相手がどの程度のダメージかは手に取るようにわかったんだ。だいいち、あの時は、かなり手加減して殴ったんだ。おいおい、もういい加減許してくれよ。さっきも謝ったじゃないか」
「ところで、何年も前の事なのに、こうして先輩がわざわざ謝りの電話を掛けてきたってことは、他に用事があるんでしょう」
かなり皮肉っぽく言ったが、相手はそれを理解できるほどの感性など持ち合わせてはいない。
「実は、ちょっと、言いにくいんだが、お金を拝借したい。二十万、いや、十万でいい。必ず返す。必ず返すから頼む。後生だ。頼まれてくれ」
最初から分かっていた。阿刀田先輩は、たとえ自分が悪いと思ったとしても謝るような人ではない。しかし何かの都合が生じ、その必要があると思えば、いくらでも頭を下げられる、そんな人なのだ。
 ふわっと、別の女の顔が浮かんだ。大手自動車メーカーに勤めて2年目のことだ。同じ課に配属された新人の片桐舞だ。舞とは2年ほど続いた。若い肉体の魅力に抗することは至難の業だった。待ち合わせて、その姿を見ただけで勃起したものだ。
 舞の眼差しが、パソコンに向かう中条に注がれる。いつもの店で待つという合図だ。中条は窓の外に視線を向け、OKの合図を送る。舞との浮気は地雷源を勘だけで歩いていくようなものだった。洋子に気付かれぬよう細心の注意を払った。
 いつもの喫茶店で、舞が重い口を開いた。
「貴方の子供が欲しいの。決して離婚を迫ったり、生まれた後で認知して欲しいなんて言ったりしない。誓ってもいい。ただ、あなたの赤ちゃんを産みたいだけなの」
俺はあの時、何と言ったのだろう。どうしても思い出せない。青い顔して呆然としていただけかもしれない。でも洋子の顔が浮かんだのは確かだ。結局、妊娠したというのは舞の早とちりだったけど、あの時は本当に焦った。
 しかし、思い返してみれば、舞は可愛い女だった。後先も考えず、浮気で出来た子供を生みたいと言ったのだ。中条は、そういう女性もいるということに感動した。利己的な人間ばかり見てきた中条にとっては新鮮な驚きだった。
 次々と思い出がリアルな映像となって額の前あたりに浮かぶ。懐かしい顔、情景、そして季節の移り変わり、全てが生き生きとして中条の眼前に展開する。まるで、視覚があるのかと錯覚するほどそれはリアルだった。
 これは新たなる世界の創造だった。あの、悪夢の発作以来、何十年と見てきた目映い世界が闇に閉ざされ、暗黒の世界で生きるしかなかった。しかし、勝の言葉が強烈な刺激となって暗黒の闇を取り払ってくれたのだ。世界を創造してくれたのだ。
 新たな世界の中で、中条は想像し、夢想する。ふと、あれは夢ではなく、この想像の世界での出来事だったのかと思ったりする。あの若き日の自分に出会ったことだ。その遠い記憶を呼び起こそうとするのだが、切れ切れの情景しか浮かんでこない。
 何はともあれ、新たな世界が開けたのだから、そんなあやふやな記憶など、どうでもよいことかもしれない。この世界に居る限り、中条は自由を満喫し、失われた青春を謳歌することができた。それを可能たらしめているのは、勝が常に新たな息吹を吹き込んでくれるからだ。
 半年ほど前、勝が打ち明けた。演劇の道に進みたいと言う。文学座の研修生の試験を受けるか、大学を受験するか悩んでいたのだ。中条は話せないもどかしさはあるものの、勝の気持ちが手に取るように分かった。蛙の子は蛙だ。中条と同じ感性を持っている。
 中条は高校時代その両方を、大学と演劇を求めて進学の道を選んだ。大学で法律を勉強し、演劇部に在籍した。もちろん、勝は中条よりよっぽどしっかりしており、二股をかけるつもりなどない。そう、演劇の道に進みたいのだ。中条は心から声援を送った。
 勿論、勝に不満がないわけではない。それは勝が決して洋子のことに触れようとしないことだ。もしかしたら既に離婚が成立しているのかもしれない。しかしそれも割り切ることにした。この小さな幸せで満足するしかないのだから。そして洋子の身勝手も許した。
しかし、そんな幸せは、突然、音もなく崩れることになる。
最近の勝の様子がおかしい。話す言葉に力がない。心ここにあらずというか、言葉が単調で抑揚がないのだ。今日も、元気のない話し声が響く。心配で心配で心が張り裂けそうになる。と、突然、勝が声をだして泣き出した。中条は驚愕し、叫んだ。
『どうしたんだ、勝。勝、何でも、お父さんに話してみろ。勝』
ガタンという音が響いた。椅子から立ち上がった様子だ。そしてしゃくりあげながら部屋を出て行く。ドアが軋み、そして勝は部屋を後にした。
『勝、勝、戻ってこい。何でも話してみろ。俺が受け止めてやる。どんなことでも、たとえ母さんのことでも、俺は受け止める。お前が、母さんのことに意識的に触れようとしなかったことを、俺は最初から気付いていた。だから、何でも話してくれ』
中条の叫びは空しく暗黒の世界に響き渡った。

第六章 因果

 どれほどの時間に耐えただろう。じりじりと、歯噛みしながら待った。待つことしか出来ない自分の非力は如何ともしがたく、それを呪ったところで、何の解決にもならないことは分かりきっていた。だからじっとその時間に耐えたのだ。
 そして、その時はやってきた。勝が部屋に入ってくるのが分かった。闇の彼方のドアが開かれ、そこに浮かび上がった影は、暗い予感を含み、ただそれに耐えろという前触れのように感じた。だから中条はじっと待った。勝の声を。
「父さん。ご免。今日で、お別れだ」
覚悟はしていたつもりだったが、胸が締め付けられ息ができないほどだ。
『勝、それはどういう訳だ。いったい何があったと言うんだ』
長い沈黙があった。心が張り裂けんばかりに膨張し波打った。それでもじっと待った。
「俺は、母さんを殺してしまった。自分の母親を殺してしまったんだ」
勝の涙声が響いた。衝撃が中条の体を走った。微かに光が射し始めていた薄闇の世界が再びどす黒い暗闇に戻ってゆく。その時、どこからともなく、あのうめき声が響いたのだ。
『なんということだ。前世では洋子が勝を殺し、今生では勝が洋子を殺した』
その声に驚いて、中条は見えもしないのにきょろきょろと辺りを窺った。しかし、この声の主の気配はない。勝が話し始めた。中条は不気味な声に動揺しながらも、勝の声に耳を傾けた。
「親父、信じられないことだけど、俺は親父の子供じゃなかった。俺は信じたくなかった。でもそれはどうしようもない事実なんだ」
頭が混乱していた。いったいお前は何を言っているんだ。お前は俺の子供だ。それは間違いのない事実だ。そんなことあり得ない。
「違うんだ、親父。ふと疑問を抱いてDNA検査をした。そして真実を知った。だから、今日、問い詰めた。そしたらお袋はこう言った。『勝は、あの有名な阿刀田さんの子供なの、だから演劇の世界での貴方の将来は約束されているのよ』って」
中条は叫んだ。
『馬鹿なことを、なんて馬鹿なことを』
「そうだ、まったく馬鹿げている。俺はお袋に言ってやった。俺はそんな薄汚いコネクションを利用して世にでようなんて思ってもいない、と。お袋は俺を見くびっていた。だから俺はあんたとは違うと言ってやったんだ」
『たとえ、洋子がそんなことを言ったとしても、どんなに洋子が卑劣な人間であったとしても、殺すなんて。お前の人生、これからどうなる。そのことを考えたのか』
「勿論考えたさ。でも、俺は親父が大好きだった。だから、だから、思わず、首を絞めた。お袋は、戸惑いと驚愕の目で俺を見た。俺は親父の顔を思い浮かべた。だから、だからこそ、指先に力を込め続けたんだ」
勝のむせび泣く声が響く。狂おしいほどの無念さが胸を掻きむし毟り、煮えたぎるような憎悪が心に渦巻いた。もはや、互いに意思疎通している不自然さなど気にならない。
『卑劣な女、洋子!勝を殺しておきながら、少しも反省しようとしない女』
あのどこからともなく聞こえて来る声が再び響き渡る。中条の心が何故かこの声に反応し、打ち震えている。前世の記憶がじわじわと脳裏に浮かび上がり、勝が洋子と阿刀田に殺された時の悲しみが甦ったのだ。心がその言葉に共鳴する。そして、
『今度は、勝に有名人の血を引いていると自慢する女。息子は苦しみながらも、俺の愛情に応えようとした。だからあの女に怒りの鉄槌を振り下ろしたのだ』
またしてもあの声が響く。この言葉は、まさに中条の今の悲しみと怒り炸裂させるに十分すぎるほどの起爆剤となって、中条の脳に働きかけた。中条の声が響き渡った。
『思い知ったか、洋子、お前は殺されて当たり前だったんだ。勝は、こんなにも苦しんだ。
その代償としての死は、お前自身が引き寄せたんだ。全てお前のせいなんだ』
中条のその怒鳴り声はまさしく、何処からともなく聞こえていたあの声そのものだった。前世の恨みを含むこの怒気に中条は何の疑念も抱かない。怒り心頭に発し、ただその爆発に身を委ねているだけだ。
 こうして憤怒が頂点に達したとき、中条は、めくるめくような恍惚に満たされ、波のように打ち寄せるエクスタシーを味わっていた。背徳のエクスタシー、殺して恨みを晴らした時に上げる勝利の雄叫びだったのだ。中条は、その残滓まで味わい尽くし、ふーとため息をつく。悦楽の常として、このエクスタシーも一瞬だ。
 恍惚の時はいつも瞬時に終わってしまう。くだらないジョークで皆と馬鹿笑いした後に訪れる静寂に似て、このエクスタシーには虚しさが伴う。或いはそれもやむを得ないのかもしれない。何故なら、これは全て夢の中の出来事なのだから。

 ふと、我に返ると部屋は静寂が支配していた。急激に萎んでゆく興奮。中条は勝の気配を探った。人の気配はある。しかし、それは勝のそれではない。そうだ、勝の話はもう既に終わったのだ。
 中条は舌打ちし、薄目を開けて、その狂った婆さんの姿を見上げた。また来やがった。ふんと鼻をならし睨みつけた。老婆は椅子に腰掛けて話し始める。
「翔ちゃん。この前は、何処まで話したっけ。そうそう、先月は、翔ちゃんが洋子さんと結婚する前までだったわね。そう、洋子さんは、本当に心の優しい人だった」
『うるさい、俺の世界の邪魔をするな。死ね、糞ババア、貴様の顔など見たくない』
中条がいくらわめこうが叫ぼうが、婆さんは喋りつづける。そう、中条は最初からそれが誰なのか分かっていた。婆さんは中条の母親だった。
「翔ちゃんは、結婚式は帝国ホテルじゃなきゃ厭だって、暴れた。どんなに謝っても許してくれなかった。翔ちゃんの暴力にはなっれっこになっていたけど、あの時は死ぬかと思った。髪をつかまれ家中引きずりまわされたんだから」
『そんなことしてない。俺はそんな男じゃない』
「それに、大学の演劇部の寄付は、ほとほと参ったわ。桜庭や上野には負けたくないって、怒鳴った。お金がないと言うと土地を売れってすごんだ。思い出がいっぱいの土地を手放すのは、本当に辛かったわ。でも翔ちゃんの暴力には逆らえなかったもの」
『貴様など、知らない。お前の顔なんか見たこともない』
中条はいつもそうしてきたように怒鳴りわめき続けた。しかし、母親は容赦しなかった。
「勝が自動車事故で死んだ時は私も辛かった。翔ちゃんは、車を運転していた洋子さんを責め続けた。洋子さんが勝を殺したも同然だって。でも洋子さんは居眠り運転するほど疲れきっていた。翔ちゃんが、家にお金を入れないから、一日中働きずめだった」
『嘘だ、嘘を言うんじゃない』
「とにかく、翔ちゃんは、何でも責任を人に押し付けて、人を恨んで、糞味噌にやっつけていれば満足だった」
『クソ婆が、死ね、死んでしまえ』
「言われなくとも死んでいるわ、つい昨日のことよ。翔ちゃん。あなたと同じ世界に一歩足を踏みいれたの」
『嘘だ。嘘をつくな。俺は死んではいない。俺はここにこうして生きている。このベッドを見ろ。この体を見ろ』
「違うわ。翔ちゃん、よく見て。ベッドに寝ているのはまだ子供よ。貴方は今何歳だと思っているの?翔ちゃんが死んだのは45歳の時よ」
『俺が死んだって、嘘を言うのもいい加減にしろ。俺は、脳溢血で倒れ、そして全ての感覚を失った。しかし、意識だけははっきりとして、ここに寝ているんだ』
母親は思わず吹き出し、可笑しそうに声を上げて笑った。
「それって、洋子さんに復讐するために夜毎紡ぎ出された作り話の一つにすぎないわ。この子は良く夢を見る体質だから、今晩は二回も夢を作り出せた。でも、今回の設定は正に今の翔ちゃんとそっくり。身動き出来ないで、そこに縛り付けられている」
『止めてくれ、作り話なんかじゃない。俺はこうして生きているんだ』
「いいえ、よく見なさい。この子は翔ちゃんじゃないの。翔ちゃんは死んだのよ。舞さんと一緒に車で事故にあった。舞さんは救急車の中で、翔ちゃんはこのベッドの上で死んだの。あの世にも行かず、ここに留まっているってことは、よっぽど死にたくなかったのね」
そう言うと、母親は、ベッドの斜め上の天井に視線を向けた。その瞬間、中条の意識はベッドに横たわる少年の体からすーっと離れ、母親と面と向き合うことになった。荒い息をはきながら、母親を睨みつけている。
「そろそろ目を覚ます時よ。翔ちゃんは、この病室に来る人来る人の夢の中に入り込んで、人の夢を横取りして自分の思いを遂げてきた。物語を紡ぎ出し、洋子さんや阿刀田先輩に対する恨み辛みを何度も何度も晴らしてきた。空しいと思わないの」
『空しくなんてない。俺は勝を本当に愛していた。その責任を洋子に取らせなければ俺は浮かばれない。死んでも死に切れなかった。だから……だから……』
「確かに、翔ちゃんは、勝の葬式のとき声を上げて泣いていたわ。そして勝のことで洋子さんを責め続けた。でも、翔ちゃんが、洋子さんを責め続けたのは、何もそれが理由ではないわ。お母さんは知っているのよ」
『いったい、何を知っているというんだ。変な言いがかりはよしてくれ。俺は純粋に勝のことで洋子を憎んだだけだ』
「翔ちゃんが、残った300坪のうち200坪を売って事業を起こした時、雇った事務員が片桐舞さん。翔ちゃんが入社2年で辞めてしまった会社の部下。舞さんの洋子さんに対する嫌がらせはその時から始まっていたのよ」
『……』
「そして追い討ちをかけるように勝が亡くなった。翔ちゃんは、これを機に一気に離婚に追い込もうとした。だから洋子さんが最も傷つく言葉を吐き続けた」
『……』
「洋子さんが離婚届に判を押さなかったのは、舞さんの存在があったからよ。嫌がらせを続ける舞さんを心底恨んでいた。だから洋子さんも意地になってたみたい」
『舞とは愛し合っていた。あいつも焦っていたんだ。俺と結婚したかったんだ』
「焦ったから、あんなことまでしたの、二人して」
ぎょっとして母親を見た。まさかそこまで知っているとは思いもしなかった。中条の視線が落ち着きなく揺れ動く。
「洋子さんは、バックミラーで貴方たち二人の顔をみているの」
母親は視線を合わせようとしない息子を睨みつけた。
「洋子さんは昼の仕事の後、夜、お弁当屋さんに勤めていた。貴方たちは、夜、帰宅する洋子さんのミニバイクに後から車を追突させた。幸い洋子さんはかすり傷で済んだけど、でも、洋子さんは、その時、貴方たち二人の顔をバックミラーで見ているのよ」
じりじりとした焦りが、中条の心を追い詰めてゆく。
『あいつが、悪いんだ。なかなか離婚届に判を押さなかったあいつが悪いんだ』
それは中条にとって自明の理なのだ。あまりにも洋子は頑なになりすぎていた。
「翔ちゃんの会社はとっくの昔に破綻していた。舞さんとの生活にはお金が必要だった。
だから洋子さんに死亡保険を掛けたわけね」
まさかそこまで知っていようとは。焦りは胸を圧迫して息も出来ない。逃げ道はなくなっていた。思わず叫んでいた。
『それもこれも、お前が悪いんだ。お前は実印を隠して100坪の土地を売ろうとしなかった。お前が、意地を張らなければ、俺だって、そこまで思いつめはしなかった』
母親は優しくその言葉を受け止めた。
「はいはい、悪うございました。翔ちゃんが、そこまで思いつめていたとは気付きもしなかったわ。それより、翔ちゃん、そろそろ自分が死んだことを認めなさい」
『ああ、そうだ。俺は死んだ。あのクソ女にあの土地を残して死んだと思うと、悔しくて、悔しく死に切れなかった』
「それは違うわ。洋子さんは貴方のお葬式が済むと、家を出たの。厭な思い出ばかりのあの家から逃れたかったんだと思う。葬式は盛大にあげたわ。懐かしい顔ぶれが揃った。上野さん、桜庭さん、そうそう阿刀田さんも来てくれた。阿刀田さん覚えている?」
『忘れるわけがないだろう。あいつにどれだけ金をせびられたと思っているんだ。あいつは俺にとって疫病神だった』
「そんなことないわよ、確かに私が二度ばかり用立てたけど、ちゃんと返してもらったもの。役者では挫折したようだけど、実業家としては立派に成功された。そうそう、お葬式の時に仰っていたけど、阿刀田さんの奥さん、翔ちゃんが阿刀田さんに紹介したんですって?」
『ああ、そうだ。散々遊んで飽きたから、女に縁のない阿刀田先輩にくれてやった』
中条は悔しさで顔を歪めた。るり子と新宿でデートしていた時、阿刀田先輩と偶然出会ってしまった。るり子は阿刀田の文学座の研修生という肩書きにころっと参ってしまったのだ。二人が付き合いだしたと知った時、どれほど阿刀田を憎んだことか。
 二人を付け回し、行く先々で嫌がらせをした。ところが、あの日、二人がホテルに消えた後、るり子の名前と電話番号、そして「誰とでも寝ます」と文字を大書きした紙を塀に貼ろうとしていたその時、ホテルの入り口から二人がぬっと現れたのだ。軽蔑しきった二人の視線は、中条のプライドをずたずたにした。
「翔ちゃん、ようやく思い出したようね、なにもかも。昔を思い出して、良い子だった昔を。父さんが早くに亡くなったから、母さんは貴方を甘やかし過ぎた。だから翔ちゃんは、こんな子に育ってしまった。悪いのはみんな私なの」
中条は、老母の顔を盗み見た。暴力に怯える弱弱しい母親の姿はそこにはない。どこか毅然として自信に溢れている。
「翔ちゃんが舞さんと一緒に事故で死んだ後、洋子さんは家を出た。とうとう私は一人ぽっちになった。でも、そうなって初めて分かったの」
中条の目に涙が滲んだ。そうだ、舞も死んだ。お袋の実印を盗み出し、金を手に入れようとした矢先だった。かわいそうな舞、そして俺。しかし、今は、この地獄から抜け出せるチャンスかもしれない。中条には独り善がりとしか思えない母親の言葉は続く。
「結局、全ては自分に返ってくるってこと。甘やかしたことも、翔ちゃんの暴力に屈して言いなりになってしまったことも、借金をして後になってその付けが回ってくるように自分に返ってくるってこと」
母親は遠くを見るような目をして微笑んだ。
「もし、翔ちゃんに我慢するということを教えていたら、翔ちゃんは家庭内暴力に走ることもなかった。それが出来たら、どんなに良かったか。でも、今となっては後の祭りね。全ては私の犯した過ちなの。それがすべて私に返ってきただけ」
 母親の言葉は左の耳から右の耳に抜けていった。それより、中条は、今、重大な岐路に立たされていることを意識していた。どのくらいここに縛り付けられていたのか見当もつかないが、お袋の老けようから見て、10年以上経っているような気がする。
 じめじめした暗黒の世界、人の夢の中でしか生きられない人生、ここから抜け出さなければならない。藁にもすがる思いで、中条は母親に話しかけた。その声は上ずっていた。
「母さん、俺はどうしたらいいの。俺はずっとここで動かずにいた。誘う奴がいたけど無視して追い返した。だから、俺はここしか知らないんだ」
「心配いらないの。私が連れてってあげるから。昨日、私、死んだって言ったでしょう。そしたら、迎えに来た父さんが、翔ちゃんも連れてこいって、ここを教えてくれたの。だから心配しないで。さあ、涙を拭いて」
中条は母親にしがみついた。その胸に頬を押し付け、子供のように甘えた。
「僕もあっちに行けるの。僕も一緒に連れてってくれるの。お父さんのところへ」
「お父さんと一緒という訳にはいかないの、私たちは」
「何故、何故父さんと一緒じゃないの」
「だって、翔ちゃんは罪を犯したのよ。洋子さんを殺そうとしたでしょう。前科のある人は、無いひととはちょっと違うあの世に行くの」
「も、もしかして、ぼ、僕は地獄にゆくの」
「馬鹿ね、あの世に地獄なんてないわ。翔ちゃんが、今まで居た所が地獄じゃない。地獄は常に人間が作るものなの。翔ちゃんの地獄はまだいい方よ。お父さんが言うにはもっと凄い地獄があるんですって」
「でも、お母さんは、罪を犯した訳じゃないんでしょう。何でお父さんの所に行けないの」
母親は一瞬たじろいだが、気を取り直し答えた。
「だって、翔ちゃんだけじゃ寂しいでしょう。だから私は翔ちゃんと一緒にあの世に行くことにたの。そうよ、もう一度、やり直す時がくるまで、一緒よ、心配しないで」
この言葉を聞いて、中条は赤子のように母親に甘えて抱きついた。中条はほっと安堵のた
め息をつき、胸を撫で下ろした。

 この時、私は、あのことだけは、息子に漏らすまいと心に決めた。もし知られれば、あの世へ行ったとしてもそこが地獄と化すのは目に見えている。この世で地獄を味わったのだから、せめてあの世では心安らかに暮らしたい。
 翔ちゃんには悪いけど、私は洋子さんにあの家を残すことにした。弁護士の先生に相談して遺言書を書いたの。あの百坪の土地と家は洋子さんが相続することになる。それこそ、洋子さんは吃驚すると思うけど、私はずっとそうしようと思ってきた。
 洋子さんは私のことを大事に思い、尽くしてもくれた。翔ちゃんが死んで、家を出ると言い出した時はちょっと寂しかったけど、納得するしかなかった。翔ちゃんの思い出の残る家にはいられなかったのだ。何故なら、翔ちゃんを殺したのは洋子さんなのだから。
 洋子さんは追突事故直後、離婚を決意していた。その決意を翻させたのは私だ。だって、本当に、洋子さんがあの家に来てからというもの、何もかもが変わった。翔ちゃんの暴力は洋子さんに向かった。私を庇ったからだ。それでも洋子さんは、言うべきことをはっきりと言って、翔ちゃんを諌め続けた。
 だから、あの時は本当に必死だった。離婚を思い止めさせなければならないと思った。そして、とうとう私の本心を伝える決心をした。そう、こう言って引き止めたの。「二人で、翔ちゃんを何とかしましょう」って。そしたら洋子さんはきょとんとして聞いた。
「二人で翔ちゃんを何とかするって、どういう意味?お母さん、それってどういうことなの?」
私は何も答えなかった。言わずもがなのことだと思ったから。私はじっと洋子さんの目を見ていただけ。私は何も指示なんかしていない。洋子さんにしてみれば殺される前に殺す。私は何もかも失う前に息子に死んでもらいたい。これよ。
 そして洋子さんが動き出した。深夜、パソコンに向かうことが多くなった。恐らくインターネットとかいうやつで、何かを調べていたのだ。翔ちゃんの車に何か細工するつもりみたい。私はぞくぞくという興奮を味わった。そして心から声援をおくったものだ。
 だから翔ちゃんが実印を持ち出したと分かって、すぐさま洋子さんに知らせた。何とかして欲しいと懇願すると、洋子さんは、すぐに出かけた。二人の愛の巣に向かったのだ。私はいらいらしながら待った。いても立ってもいられなかった。洋子さんが帰ってきたのは夜中過ぎだ。疲れきっていた。私はかまわず聞いた。
「上手くいったの。ねえ、上手くいった?」
洋子さんは深いため息をついて答えた。
「明日にならなければ、それは分からないわ。ブレーキがきかなくなって事故は必ず起きる。でもその事故で彼が死ぬとは限らないの。それは運命よ。彼が死ぬか、それとも生きるか。つまり、私たちが勝つか、それとも負けるか、それを知っているのは神様だけ」
 それでは困るの、だから私は必死で食い下がった。
「ねえ、もし生きていたらどうなるの。この家はどうなっちゃうの、ねえ、何とかして、ねえ、何とかしてちょうだい。お願いよ」
洋子さんは自信たっぷりに微笑んだ。そして静かに答えたわ。
「大丈夫、お母さん。何とかする。次の手も考えてあるの。もし、今日のことが駄目だったら次の手よ。兎に角、早めに準備にかからないと」
「そうよ、急がないと、あの子が残っている100坪の土地も売ってしまう。そうなったらこの家を追い出されてしまうわ。だから、今度こそ、確実に……」
洋子さんはにこりと微笑んだ。
「貴方の息子の息を止めろと言いたいの?」
私は自分の言おうとした言葉に戦慄したが、割り切るしかない。そして強張った顔でぎこちなく微笑んだ。洋子さんには笑ったようには見えなかっただろう。言いたいことは分かっているのに、洋子さんも意地悪だ。そしてやぶれかぶれで言ってやったんだ。
「そうよ、そう言いたかったのよ。貴女だって同じ思いでしょう。この土地を売ったお金だって、いつか使い切ってしまう。そしてら、あの時みたいに、また貴女が狙われる。保険はまだ掛かったままよ。だから、そうなる前に、今度こそ、確実に翔ちゃんの息の根を止めるのよ」
洋子さんはゆっくりと首を縦に振った。そして、きっとなって居間の窓から真っ暗な庭先を睨んでいた。窓ガラスに洋子さんの顔が映し出された。その顔が奇妙に歪んだ。笑っているように思えた。
 私はあの時の洋子さんの顔が頭から離れない。ぞっとしたのを覚えている。でも、その顔は翔ちゃんも見ているはずよ。そうあの時よ。あの時の顔にそっくり。翔ちゃんの作り話、勝が洋子さん達に誘拐されて死んじゃう話よ。翔ちゃんは洋子さんに聞いたわ。
「お前は知っていたんじゃないか。勝の病気のことも、薬のことも知っていたんじゃないのか」って。洋子さんは、顔を奇妙に歪めて笑った。そして答えた。「ええ、知っていたわ。だから薬を捨てたのよ」ってね。あの時の歪んだ顔がそれよ。復讐心は人の心を鬼に変えるの。
 翔ちゃんは復讐に凝り固まって、洋子さんを酷薄な人間として夢の中で思い描いた。でも、私の必死の思いは洋子さんの心の深層に眠っていたそんな一面を引き出したのよ。人間はどんな人間にもなれる。置かれた状況によってどうにでも変わるの。
 結局、翔ちゃんは酔っ払った挙句、首都高の壁に激突してくれた。病院で息を引き取った時、私たちは抱き合って泣いた。それまでの緊張が一挙に氷解した安堵感、日常的な暴力から逃れられたという解放感が二人を包んでいた。何とも言えない瞬間だった。
 もっとも、私達の涙に誘われて、もらい泣きしている看護婦さんたちには、思わず二人して苦笑いしてしまった。確かに嫁姑が抱き合って号泣しているのを見たら、誰だって涙腺は緩んでしまうものね、まったく笑ってしまったわ。
 さてと、世迷言はこれくらいにして、そろそろあの世に向かおうかね。時間も限られていることだし。どっこいしょと。だけど、洋子さん、幸せそうだったな。最後のお別れだから会いに行ってきたけど、彼女、再婚して子供まで出来て。
 胸元をみると、翔は安心しきって寝息をたてている。よほど疲れているのだろう。でも、私にとってもあの世は初めて。いったいあの世ってどんな所だろう。父さんはあの世もこの世と大差ないって言っていたけど、ちょっと心配。
そうそう、あの世に行く途中に凄い地獄があるから近づくなとも言っていた。そうは言っても、自分は覗いてきたみたい。私も興味あるから覗いて行こうかしら。この世の見納めに。そう、地獄って、この世の側に在るんですって。この世の地続きみたいな所にぽつりぽつりと。ここもその地獄のひとつ。
 さあ、翔、だっこしたまま安住の地に連れてってあげる。この狭っくるしい地獄からお前を救ってやったのは母さんだよ。よく覚えておいて、あの世では孝行しておくれよ。ふっふっふ、さあ出発。
 この時、「ぎゃっ」という息子の悲鳴を聞いた。母親は慌てて胸に抱いた息子を見た。しかしその輪郭が失われつつある。その中心に必死の形相で自分を見つめる息子の顔があった。その顔さえ曖昧模糊となって消えかけている。母親が叫んだ。
「翔ちゃん、翔ちゃん、どうしたの。ねえ、何処に行くの。何処にも行かないで、お願い。」
すっと胸の感覚が消えた。母親は悲鳴をあげて立ち上がった。辺りをきょろきょろ見回し、そして駆け出した。あちこちをさ迷いながら必死で時間の限り探し回ったが、息子をあの世に連れて行くことは出来なかったのである。

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  • 小説
  • 中編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-06-19

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 第一章 出合
  2. 第二章 別れ
  3. 第三章 殺人
  4. 第四章 目覚め
  5. 第五章 夢の中
  6. 第六章 因果