花牢

座敷牢から出た鳥は、どこか幸せそうな顔をしていました。

 あら、こんにちは。見ない顔やね。初めましてかしら。アハハ。そりゃそうやなあ。妾、ここから出た事ないもの。まあ、よくこんな所がわかったなあ。こんな薄暗うて湿っぽい所、好き好んでくる輩なんてよっぽどの狂人や。妾?妾は勿論狂ってはるよ。見てわかるやろ。お兄さんは探偵さんかえ?目が鋭うてなんでも見透かされてしまいそうやわ。怖い怖い。ああ、本家の人、皆死んでしもうたんか。成程、どうにで血生臭い思うたわ。膳も昨日から来とらんし。…もう誰も生きとらんのか。そりゃ、寂しいなあ。けど人間なんてあっけないもんやからねえ。それもまた仕方なし。
 ほうほう、お兄さんは北の生まれの人なんか。それで本家が皆殺されたいうてわざわざ来てくれはったん。そりゃお疲れさん。因みに妾は一人も殺しとらんよ。ほんまじゃ。幾ら妾が殺しとうてしゃあなくても、こんな所に閉じ込められたら殺すにも殺せん。ずうっと殺してやりたいとは思うとったけど、本当に叶ってしまうとはなあ、アハハ、嬉しいのう。目出度いことじゃ。アハハ。
 それでお兄さん、妾になんの用なん。まさかお兄さん妾が本家の人間、全員殺したなんて馬鹿な事思うとらんよなあ?無理じゃ。お兄さんも此処に来るまでみたじゃろ。ここは牢じゃ。地獄じゃ。私は鍵なんて一つも貰うとらんし、鉄の格子曲げれるほど力も強くない。無理じゃ。それに見てみいこの脚。細うて、棒切れみたいじゃろ。妾、産まれた時から歩けないんよ。だから、無理じゃ。
 へえ、征二郎が全員殺したんか。そりゃまあ。あいつもどちらか言うたら本家を憎んどったからなあ。まあ納得はできる。でも全員殺すことないじゃろ。あいつは一番上のボンボンやき、黙っとってもそのまま家は継げれたのに。はあ?理由が妾?馬鹿言うな、あんな奴がなんで妾なんか気に掛けるねん。あのボンクラ、死ぬまで妾を馬鹿にする気か。調子に乗りおって。ほんま、馬鹿じゃ。…そんで征二郎はどうなったん。ああ、死んだのはわかる。はあ?最後に妾を頼む言うたて?ほんま馬鹿じゃなあいつは。救い様無いのう。まあ、お兄さんが来てくれなかったら妾もここで野垂れ死にしとったし、それだけは感謝しとる。
 妾の話?妾が本家とどんな関係やったか聞きたいて?お兄さん、そりゃ長くなるで。なんや本家の人間全員死んだんなら後始末が大変やろ。坊さんも呼ばなあかんちゃうの?ああ、来るまでに時間かかるのか。それなら大丈夫やな。妾は家督なんか継がん。どうせ通夜で本家の人間が話し合って勝手に決めるんじゃ。妾はどうでもいい。こんな家、どうでもいい。そうやのう、まず妾じゃが、妾は本家の主の団一と、使用人の房子の間に生まれた子じゃ。え?それなら房子が若すぎる?当たり前じゃ。妾は房子が十五の時に産んだ子じゃ。この事は房子と団一しか知らんかった。元々房子は本家に仕える一族の出じゃった。団一は好き物やったけん、年端もいかん若い女が好きでのう、いや、女とも呼べない年の少女が好きやったんよ。だから小さい頃から奉公に来とった房子に手を出した。房子は団一の子孕んだはいいものの、本家に示しがつかない言うてしばらく遠い親戚筋に逃げとった。その時に産まれたのが妾じゃ。房子はそのまま本家と縁切って田舎で暮らしたかったらしいが、団一がまあ、ねちっこい男でのう。房子に戻ってきて欲しい言うて使用人の親戚筋に直接会いに来たらしいんやわ。そりゃ、長い間仕えてきとる家の家長が直接会いに来るなんてしたら、いくら房子を隠したくても、逆らえはせん。妾と房子は本家に戻ることになった。別れ際に妾と房子の世話してくれた爺ちゃんが泣きながら「ごめんよお、ごめんよお」なんて言うてな、こんな年寄泣かせるのは鬼くらいじゃと思うとった。
 本家に戻った時、妾は四つだったと思う。その頃には団一は大奥との間に子供が三人おったんよ。そうじゃ。団一は大奥との間に子供ができた翌年に房子に手ぇ出した。だから征二郎とは一つ違いやな。その下、なんやっけ、源太とは二つ違いで、霞子とは三つ違いじゃ。なんやまあ、大奥も物好きやからなあ、お似合いの夫婦やったんちゃう?アハハ。
 妾は房子がどこの馬の骨かも知らん奴に孕まされた子やゆうてしばらく本家で暮らしとった。使用人の子やったけど、征二郎や源太と小さい頃はよう遊んだもんじゃった。あの頃はまだ大奥も優しかったけん、二人して遊ぶ子供らを微笑みながら見とったわ。それ見ながら、ああ、麗子も馬鹿じゃのう、ここにおる妾は房子孕ませた団一の子じゃ言うてやりとうなったわ。まあ、そんな事したら房子の立場がなくなるけん、黙っとったけど。ああ、大奥の本当の名前は麗子じゃ。紛らわしゅうて堪忍な。あいつの名前呼ぶの好きじゃないんよ。なんか腹立ってな。御免御免。
 そうじゃ。その頃はまだ妾もまだ「ただの使用人の子」じゃった。あの頃はほんまに幸せやった。今思えばあの時もっといろいろ見ておけば良かった思うんよ。今はもう夕焼け空の色も上手く思い出せんもん。
 それから何年過ぎたころじゃろ。妾が十かそこらん時やったと思う。いつものように房子の手伝いして、暇になったけん裏口の三和土の近くで遊んどったんよ。征二郎も源太も霞子もその頃になると小学校いっとったけん、妾ひとりで棒切れで絵描いたり文字書いたりしとった。その頃はまだ子供らも優しかったから、妾に文字の書き方教えてくれてな。上手くかけるとあとでこっそり房子が褒めてくれるから、いっしょうけんめい書いとった。そうしたらそこに団一が来てな、妾は最初房子に用があるもんや思うて房子呼ぼうとしたねん。そしたら団一が用あるのは妾のほうやった。妾が地面に文字書いてるのみて、「本でも菓子でもいくらでもやるき、ちょっとおいで」なんていうのよ。…ここまでくればわかるやろ。団一は房子にした事と同じことを妾にもした。ただそれだけじゃ。最初は痛うて辛くて疲れて辛抱たまらんかったけど、慣れたよ。そういうもんじゃ。団一はちゃんと菓子も本もくれたから、妾は使用人やのにその頃はきちんと食べてたし、今でも読み書きできるんよ。ふふ、それだけじゃな。妾の自慢できることは。
 そんな生活が続いとったある日、ついに麗子が感づいたんよ。妾が団一に手を引かれて団一の部屋に入っていくの見られたらしいんよ。しかも妾が団一に服脱がされたとこに入ってきてなあ。そりゃもうカンカンでなあ、あの婆ァ、自分の旦那に怒らんで妾が団一たぶらかした言うて怒ってはるのよ。ああ、こりゃ救い様無い馬鹿じゃのう思うとったけど、何にも言わんかった。房子に手ぇ出してるものそういう奴やとわかってるのは妾と房子だけじゃけん。何も言わんかった。団一も団一で妾に好き勝手しといてなんも言わんかったもんなあ、大奥もそれでまた頭に血、昇ってなあ。妾を散々打った後、屋敷の池に髪ひっつかんで顔沈められたんよ。さすがに団一が間に入って。妾のことを前の愛人の子で、どこぞに貰われた子やけん房子に探してもろうた言うたんよ。まあ、自分が妾と同じことを房子にしてできた子や言うより遥かにええわな。大奥も半狂乱でなあ、なんで私がこんな小娘に旦那の愛情とられないかんのや、とか、この下賤の子が、とか言うて団一がおろおろ喋る横で妾の顔ずっと池に漬けっぱなしなのよ。もう死ぬかと思った。だんだんぼーっとしてきてな。このまま死ねた方が楽じゃと思うた。その通りやったけど。ある程度大奥の気が収まった時、妾はこの牢に蔵の入り口から蹴っ飛ばされて入れられたんよ。その時の打ちどころが悪かったらしくてな、なんか暫く腰が腫れてえろう痛うて、ずっと口やら鼻やら目やら色々なんか垂れ流しながらのたうち回ってたらしいわ。こっそり房子と団一が来てな、房子はわしに謝りながら食い物やら毛布やらなんやら持ってきてくれたんよ。団一は大奥にそれでも儂の子じゃけん、殺すのは堪忍してくれ、言うてくれはったんやけど、牢にきて死にかけの妾を一瞥して、汚いもん見るような顔しとったわ。そのあと、妾が治ってきて、ある程度体起こしておまんまも自分で食えるようになった頃、妾が立てんようになったのを見ると、団一の部屋にあった妾の本と鉛筆の束と藁半紙の束を置きにきて、それきりじゃった。それからはずっとしばらく房子だけやったな。この牢に来たのは。房子は使用人やったから朝と夜に膳を持ってきてくれる他に、妾にこっそり菓子やら櫛やら、毛布やら着物やらくれた。大奥は牢に近寄りもせんかったから、ありがたかったわ。牢から出れない割にいい生活してたんちゃうの?妾。私が牢に閉じ込められてからしばらくして、子供たちも本家に疑問持ち始めたらしくてな、霞子がしばらくして来るようになった。あんまり長い間ここに来ると大奥にばれてしまうから、房子に色々渡して、房子が膳と一緒に隠して持ってきてくれたんやけど、霞子は優しい子やけん。使用人にもきちんと接する子やったさかい、房子や私にも気かけてくれてな。あの子もそろそろ年頃じゃき私の要らんもの使うて、言うて簪やら鏡やらおしろいやら紅やらくれたんよ。そうしてちょくちょくここに来るようなってな。本家に同年代の女の子がおらんかったけん、私に色々話してくれた。本も持ってきてくれてな、本の内容について話合いしたり、お互いの髪を結ったりもした。霞子は大奥に似ないで柔らかい感じの美人さんでなあ、ほんまに出来た子じゃった。妾のことを友達じゃいうて紅を差して綺麗やと褒めてくれたりもした。妾は房子と大奥と霞子しか自分以外の女の顔見たことないから、よう美人とか綺麗っていう基準は分からんけど、霞子は眩しいくらい素敵やったし綺麗やった。卑屈なとこがなにもないねん。真昼間に咲く花みたいに凛としてて、憧れた。
 霞子の話、もうすこししてええか?ほんまに?有難う。聞いてくれる人がいるだけでも嬉しい。少しは弔いになるじゃろか。そんならええけどなあ。とにかく霞子は妾に優しくしてくれはった。あの頃の思い出だけで、今妾は生きてるんやろな。この牢に閉じ込められてもう随分経つようになったけど、飯を食って起きてその隙間の、ちいさい嵌め殺しの窓から外をみるくらいしか楽しみのなかった妾に、霞子は「生きる楽しさ」を教えてくれた。その事がなにより嬉しかったし、なによりも苦痛で仕方なかった。なんで苦痛かわかるか。妾はどうせここから出られなかったんじゃ。足もこんなだし、何より大奥と団一がおるけん。ずっとここに閉じ込められて死ぬのがお似合いじゃったんじゃ。このうす暗い灰色の牢が妾には似合ってたんじゃ。籠の中の鳥よ。霞子が妾にしたことは、その籠をそのまま外に出すような物さ。そりゃ、籠を開けて自由に飛び回ってみたくなるよな。でも妾には無理じゃけん、飛ぶ羽根も持っとらん妾にとっては、苦痛でしゃあなかった。
 ある日、霞子が征二郎が妾に会いたい言うてるて、言付をしにきてな。特に疑問もなかったけん。会うたんよ。妾と会ったのは小さい頃以来じゃけん。何の用やと思った。今更こんな妾に何の用じゃと。その頃には霞子が征二郎に色々話しとったみたいでな。二人していろいろ話し合ってたらしいんやわ。
 久々に来た征二郎はずいぶんと、まあ、背も大きなって一人の立派な大人になっとってなあ。優しい顔をしとった。そうして花瓶と牡丹を持ってきてな。昔と何も変わっとらん、腑抜けた笑顔で「霧子」って妾の名前を呼んだ。それだけじゃ。それだけで、もう、気づいたら取り返しのつかないことになっとった。妾は恋をした。征二郎に。腹違いの自分の兄に。征二郎もまた、妾の気持ちを受け入れてくれた。どうにもならんかった。お互いに好き合ってしゃあないのに、どうすることも出来んかった。辛かった。何べんも「お前の手で殺してくれ」言うたのに、征二郎は泣きそうな顔して、首を横に振るだけじゃった。籠の中の鳥が、外を見てあこがれるだけじゃなく、外に出たいと、自分で思うようになってしまった。もう、これは駄目じゃな。そう思った。妾はそう思った。ここに、ここの家にいてこの家に縛られる以外妾の生きる場所なんかないのに。
 征二郎と霞子が、妾を外に出したいと言うようになったのは妾と征二郎が恋仲になってから半年くらい経った頃じゃった。征二郎も霞子ももう結婚してもええ歳じゃった。征二郎と霞子に縁談の話が来てな。この家を捨てるつもりじゃと、二人は言うとった。霞子はこの家より多少大きな、裕福な家に嫁に行くらしいから、そこで妾を使用人として何年か匿った後、征二郎が迎えに来ると。それは、それは大層綺麗な、夢みたいな話じゃった。この牢から、この家から本当に逃げられたら、二人と一緒に並んでお天道様の下歩けたら、どれほどよかったじゃろう。
 でも団一がそれを許しはしなかった。あいつ、房子と大奥に飽きたらしくてな。新しい愛人が欲しかったらしいんよ。それに次男の源太がおるじゃろ。あいつも物好きでな。団一の悪の部分を引き継ぎよった。二人して妾を自分の玩具にしたかったらしいんやわ。その噂を立ち聞きした房子が霞子と征二郎に告げ口してくれたみたいでな、珍しく二人揃うて、妾のところに来た。二人とも団一にも大奥にも似ない優しい子じゃったのに、心底怒っておった。泣きながら憤ってな、妾は昔見た面の般若を思い出したよ。あんな感じじゃった。そうして、二人して団一に話合ってくる言うて。妾は必死に止めたんじゃ。止め言うて。そんな事せんでも二人とも妾の事なんか忘れたらええ、そうしたら幸せになれるき、二人してこの家を出て、幸せになればええ言うたのに、二人とも真剣な顔で「それだけはならん」言うてな。征二郎なんか「お前を置いて俺だけが幸せになるのはならん」なんて言うてな、ああこいつらが妾と同じように房子の子で、あの田舎で、世話焼きの爺さんと、房子と征二郎と霞子と妾とで、何も知らずに暮らせたらどれほどよかったことやら、そう思うた。
 それで、征二郎と霞子がようよう話をしてくる言うて、妾に会いに来たのがおとといの晩の事よ。え?話の流れがいささか早い?御免な、具合が悪くて早う喋っておきたいんじゃ。二人は、死ぬかもしれんし、話によってはこのままこの家を出て行方を眩ますかもしれんから、その前に妾には必ず結果と、どうするかを伝えにくる言うた。
 …房子がそこにある手紙を持ってきたのは昨日のまだ日が出ないうちじゃ。中身は読まんでもわかった。結局、大奥と団一と源太から、いや、この家から誰も逃げられなかったんじゃ。あいつらは真の底まで腐ってたけん、どうせ逃げられないなら、お前だけでも逃げれるようこの家を壊しちゃる、そう。力強い文字で征二郎の手紙には書いてあった。霞子からの手紙には、今までこの、大嫌いな家に居て、妾がいてくれて本当によかったって内容と、今までの妾との思い出やら、本当の姉ちゃんで、本当の私の友達やったって内容が書いてあった。後半は字が震えて、滲んでた。それを二通とも読んで、ああ、二人にはもう会えないんやなって、そう思った。
 でも、まさかこうなるとは思うとらんかった。まさか全員死ぬとは思うとらんかったけど、多分全て知った大奥がおおかた、団一と源太に取り乱して切りかかったんじゃろ。そうして征二郎がそれを返り討ちにして、霞子は…きっと自分で…。
 …探偵さん、もうええじゃろ。もうたくさんじゃ。これ以上妾が話すことは一つもない。妾が知ってるのはここまでじゃ。うん。そうじゃろ。妾のせいなんよ。妾が、この家を壊して、征二郎と霞子を殺したようなもんじゃ。ぜんぶ、全部妾のせいじゃ。…そうか。警察で後で話さにゃいかんのか。そりゃそうよな。探偵さん。一つお願いがある。妾を抱えて庭まで連れていってくれ。頼む。征二郎が妾にくれた牡丹がな、なくなってしもうた。先週まではなんとかそこにあったのに、茶色くてもあったのに、朝おきたら無くなってた。おかしいな、ずっと水はあげてたのに。え?ああ、枯れて腐って土に還った?…それでもよかったんじゃ、それでも…。あるだけで、よかったんじゃ。
 ありがとう、探偵さん力持ちねぇ…ああ、地面が揺れるのう。探偵さんは優しいなあ。妾が毒飲んでたの、知ってたやろ。それでも最後まで話聞いてくれてありがとなあ。…ああ、空が明るい。あれは、月か。しばらくぶりやなあ。まん丸くて黄色くて、綺麗じゃ。霞子みたいじゃ。え、そこ?ああ、牡丹やな…征二郎がくれた…ああ、綺麗、きれい、よかった。ありがとう。そこに死体並べてんのか…せいじろうのそばにいきたい…せいじろう…ありがとうおろしてくれて…ここでいい。ここがいい…征二郎…霞子…こんな冷たくなって…馬鹿。ああ、妾も行くよ…。うまれかわったら…また三人一緒に…。

花牢

花牢

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • サスペンス
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-06-07

Copyrighted
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