死に至る薬

ややホラーです、怖い話が苦手な方は なるべく御控えください。

飲み終えた水をテーブルに置き、ネクタイを緩める。

あとはゆっくり待つだけだ。

死に至る薬

そうパッケージに書いてある、なんて馬鹿馬鹿しい薬なのだろう、
だが、こんな馬鹿馬鹿しい薬で死ねるのならば、これはこれで馬鹿馬鹿しい人生の最後には相応しいのかもしれない

すべてがもう、どーでもいいのである。


紙箱を開け、中の白い袋に入った粉薬、子供の頃に飲んだ味付きの風邪薬のような、
甘くわずかに苦いザラザラとした舌触りの感傷に浸りつつ、
これでもうこの人生も終わるのだと思うと、なんだか他人事のようで笑ってしまうのであった。


大手一流企業、名前の響きも立派な会社に思えたし、時間と身体を引き換えに振り込まれる給料は確かによかった、
だが今日、今になって首を切られた。


人生最悪の日だ


いつもより早く家に帰った俺を待ち構えていたのは、いつもよりほんのりと嬉しそうな顔をした妻だった。
「大事な話がある」そう告げると、「私もよ」と妻が言う、先に君から言ってくれと頼むと、「男ができたの」と妻は言う。


やっぱり今日は人生最悪の日だ


「すまない、ちょっと出かけてくる」言い訳なんて聞きたくも無い
「違うの!、よく聞いて」と泣き出す妻を部屋に残し私はドアを開いた

私には悪い癖がある、
最後まで話を聞かないコトだ、だってそうだろう?、聞いて何になる、
嫌な思いをするくらいなら、結果だけ知っていればいい。


仕事一筋に生きてきた私には何もなかった、趣味も、特技も人格すら、
欲を捨て、何事も我慢して生活してきた、私にあるのは妻だけだった、だがその妻にも裏切られていたのだ。
私はこうして何もかも失ったのだ

日が沈み居場所の無くなった私は今まで行ったこともない古臭いスナックで酒を飲んだ
いままでなかった時間がこんなにもある。
だがその余りある時間をゆっくり過ごせるほど私の身体は強くなかった
それでも弱った自分を更に追い込むかのように、如何に酒に弱いかを知った上で、何度も何度も飲んだのだ、
何も考えたくなかった、いろんな考えが頭に浮かぶたびに酒で押し込んだのだ
そこまでは覚えている。


頭痛と吐き気で目を覚ますと、見覚えのあるビジネスホテルのベッドの上にいた、そういえば前に一度泊まったことがある
あまり記憶にないが意識朦朧の中、自分でチェックインを済ませたような気がする。
急いで時計を見ると同時に、会社に間に合うかを計算しようとしている自分が阿呆らしい、まだ薄暗い朝の5時過ぎだった

テーブルの上に紙箱が見える

そういえばスナックで出会った男を思い出す、確かどこかのセールスマンだった、
ひとしきり私の愚痴を聞いてくれた後、彼が私にくれたのは紙箱に入った薬だった。

「死に至る薬」

飲めば、すぐ楽になれます。
水なしでも飲めるタイプ
注意 眠気を伴う恐れがあります
などと、ポップな文字が目立つ

馬鹿馬鹿しい

腹の中で、昨夜の酒が踊る
天井だか自分だかがぐるぐると回っているのがよくわかる

こりゃー酔ってるなと思いつつも、どこまでが夢なのか現実なのかわからないこの酔いが心地よい

死ぬなら今だと、紙箱をあけ
粉薬を口に含み、最後の人生と共に味わいながら
冷たい水で腹の奥深くに流し込んだ

俺の人生とは、何だったのだろう
男として産まれ、何不自由なく中学高校大学を出て、恋人もでき当たり前のように会社にも入れた、
子供はできなかったが俺は幸せのはずだった。苦労はあっても幸せのまま歳をとって死ぬはずだった

今日の事だ、「君はもう、ここに来なくていいよ」と、笑いながら部長に言われた、
課長から後輩から、みんなが笑う、意味がわからず、なんとも惨めな気持ちで外に飛び出してしまった

それでも妻がいてくれれば、俺は救われたのかもしれない
だが違かった、妻には男ができたのだ、それが俺をこんなにも苦しめたのだ、最後くらい苦しませてやる、
そう思って携帯を手にする、すでに山のように妻と会社からの不在着信があった

その履歴のひとつから妻に電話をかける
「もしもし?」夜中だと言うのに、妻はすぐに電話をとった
「電話に出るの早いな」呆気にとられて、いつもの調子で話してしまう
「心配で眠れなかったのよ」と妻はたんたんと答える
「お父さんになるんだから、もっとしっかりしてよね」

いま、なんといった?
なんだって?

「いまなんて?」聞き間違いだと思った

「お父さんになるんだから、もっとしっかりしてよね って言ったの!」

「だってお前、男ができたって…」訳がわからない

「そう、男の子なのよ、ねぇ、どこにいるの?早く帰ってきてよ!」

何も言えなくなってしまった。
どうして俺は妻を信じなかったのだろう、どうして薬を飲んでしまったんだろう、
目が回る、だがそれが薬のせいなのかアルコールのせいなのかわからない

「大丈夫?、呂律回ってないわよ?、お酒??」妻の声は続く

ああ、もう死ぬのだろうか、頭がぼーっとする。
なんて自分は馬鹿だったのだろう
なぜ仕事なんかを優先にしてきたのだろう、もっと妻を大事にすればよかった、
そうすればこんなコトにはならなかったのに


いままで無理矢理抑えていた感情が止めどなく溢れ出す

死にたくない
死にたくない

やっと念願の子供ができたというのに
何が大事かやっとわかったと言うのに

「あなた?、ねぇ、本当にどこにいるの?」

妻の声は続く
でも構わない、恥ずかしくて言えなかったコト、口に出せなかったこといまならなんでも言える

「いままで悪かったな、大事にしてやれなくて、最後に話せたのがお前でよかった、愛してるよ」

「ねぇ、何を言ってるの?、そんなにお酒飲んだの??、ねぇったら!、大丈夫?」

生きたい
死にたくない
また妻に会いたい

妻の声に励ませながら、薬の紙箱から説明書を取り出す。

「アルコールと飲み合わせ禁止、効果が著しく薄れます、お気をつけください。」
またしてもポップな文字で書いてある。

またしてもつい笑ってしまう。

「返事してよー!、大丈夫なの??、そういえば、あなたの大事な話ってなに?」

「会社首になったんだ、そうでなくても辞めようと思ってた、いや思った、今になってね
今度からはもっと自分がしたいことを考えて、もっとゆとりを持とうと思うんだ」

「そう、あなたの人生だし、いいんじゃない?、でも早く帰ったきてね、パーパ、ねぇ本当に迎えにいかなくていい?」

「大丈夫だ、ちゃんと帰れるよ、起きて待っててくれ、ちゃんと顔を見たい」
すべてを失う前に気づけてよかった、安堵と生きる意味を見つけたような気がする。

「わかったわ、コーヒー入れて待ってるから、それと…」


ぐらんっ


ベッドから落ちてしまった

起き上がろうと、手探りでベッドに触ろうとしたが、そこにベッドは無かった


握っていたはずの携帯もない

いきなりの無音

電気もない、カーテン越しの街灯の光だけが部屋に広がる

どこだここ?
家でもホテルでもない
子供の頃訪れた団地の一室のような空間

ただ何もない
服も布団もテレビも胃袋にあったアルコールも何もかも

なんだこれ
あるのは紙箱ひとつだけ

「死に至る薬」

注意、まれに幻覚を見る恐れがあります。

妻は?


会社は?


俺は?


俺は??


薄暗い光を頼りに、台所の鈍く光る備え付けらしき鏡を覗き込む
見覚えのない、髭面の冴えない男が写っている

わからない
どこからどこまでが幻覚なのか

わからない
俺はいったい誰なんだ

死に至る薬

死に至る薬

  • 小説
  • 掌編
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  • ホラー
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-04-17

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