冒険会社

 カーテンがヒラヒラと舞う。僕は布団を鼻まで上げてその動きを見つめていた。吹雪の轟音が二重窓から微かに聞こえる。
 シャーと金属が擦れ合う音がした。ドキリと心臓が鳴り、僕は布団の中に潜り込む。
 大丈夫だ、空耳だと自分に言い聞かせ、布団から顔を出した。しかしまた金属が擦れ合う音が部屋の響き、今度は叫び声を上げそうになった。ベッドの中で縮み上がり僕は冷や汗をかく。
 なにかがベッドの下で這いずり回る音がした。絨毯を長い爪で引っ掻きながらその物はベッドに背中を押し付けた。
 心臓の鼓動が爆発しそうに速くなり、大粒の汗が頬を伝った。叫ばない様に口を押さえながら僕はジッとベッドの下にいる怪物が動くのを待った。
 そろそろと長い指がベッドの縁を掴み、鋭い爪が僕の肌に触れた。金縛りにかかった様な僕はただその怪物が出て来るのを見つめているだけだった。
 三フィート四(三フィートと四インチ、大体一メートル六十センチ)ぐらいなのに腹が出た太った体に怪物は顔をすっぽりと隠す紙袋を被り、薪割り用の斧を持っていた。
 彼はゆっくりと部屋の扉を開けた。ギーと軋むドアが吹雪の音を掻き消す。突然怪物は振り向き、紙袋に開けられた二つの穴から僕を見つめた。僕は慌てて目を瞑った。
 一分はまっただろうか? 永遠にそこで横になっていたと思われたがやっとドアが閉まる音がして僕はそろそろと目を開けた。
 怪物はもういなかった。
 こんな夜が始まったのは一週間前の事だった。あの怪物は毎晩ベッドの下から這い出し、何処かへ行く。そして何時も夜が開ける前に戻って来る。
 眠れない悪夢の様な夜が続いた。それに両親と先生に話しても誰も信じてくれない。皆、僕が作り出した空想だと思っている。
 だが怪物はいくつもの証拠を残して行く。ベッドは怪物の爪痕でいっぱいだし、ある晩怪物は斧で僕の本棚を叩き割った。これも父は僕が無意識に壊したと思っている。
 溜息を付き天井を見上げた。今は少し息抜きの時間。怪物は毎晩同じ時間に帰って来るのでそれまでは安心だ。
 突然悲鳴が上がった。続いてドスリと鈍い音が二回。
 僕は耳に栓をして目を瞑る。
 空耳だ、空耳だ。何も起こってない。
 いーち、にーい、さーん、しーい、ごーお、ろーく、しーち、はーち、きゅーう、じゅーう。
 頭の中で数えてから片目を開けた。何も変わってない。
 そう確信した後、ゆっくり耳からも手を取り両目を開けた。静寂な深夜だった。ただ吹雪の音が響いている。
 ホッとして息を吐いた。寝返りを打つ。視界が天井から壁へと回る。そして頬がベッドのシーツを触った時、ベッドの横に蹲った紙袋男と目が合った。
 声にならない悲鳴を上げる。怪物は斧を投げ出し、僕の口を塞いだ。
「……キサマガオキテイルコトナド、イツモワカッテイタ。キョウハプレゼントヲミセニキタ……」
 コンピュータで合成された様な奇妙な声で怪物は言い、左手を上げた。彼の指には金髪が絡まり、その髪には二つの顔が付いていた。極限にまで開かれた空ろな目に、二人とも口から血を吐いていた。
「と、父さん、母さん!」僕は呟き、怪物が僕の頭を殴るのを感じた。

 ピンポーンと言う音で僕は目を覚ました。目を擦りながら当たりを見回し、背伸びをした。カーテンの間から差し込む光りから考えてもう既に八時頃だ。授業が始まるまであと三十分と思い、僕は慌ててベッドから飛び出した。
 遅刻だ、遅刻! なんで誰も起してくれなかったんだ?
 今朝の事は僕はもう忘れていて、僕の思考は学校に切り替わっていた。スペイン語の授業の後、サイエンスのテストが二元目にある。今日も大変な日になりそうだ。
 また玄関のベルが鳴った。舌打ちをして居間に飛んで行き、壁に取り付けられた受話器を取った。そこから玄関にあるカメラを通して訪問者が見えて、彼と話せる。
 家の前に立っていたのは警官だった。帽子を脱ぎオーバから雪を払っている。
 彼はインド人らしく肌が健康的に焼け、性別が分からない可愛らしい顔で笑っていた。
「はい、なんでしょう」僕は少し不安になりながら訪ねた。
「えー、昨夜悲鳴がこの家から聞こえたと通報がありましてね。なんでもないと思いますが顔を見させていただきますか?」
 僕はあの怪物の事を思い出し青ざめた。昨日の悪夢が蘇り、父と母の残像が頭に移った。
 手を口に当てて僕は玄関のドアを開けた。彼はありがたそうに極寒の寒さから身を守る様に家の中に入った。
「僕は暑い国から来るからミネソタ(アメリカの州の一つ、冬はマイナス四十度まで下がる)の冬はもう寒くて……」
 彼は頭を上げ僕の方を向くと目を見開き僕を指差した。
「き、君血塗れじゃないか!」
 驚きパジャマに目をやると固まったレンガの様な血がこびり付いていた。両手も今までは気づかなかったが血がべっとりと肌を赤く染めていた。
「これは……?」
「とにかく動くな」警官は銃を抜き僕の腕を取った。
 そして僕は警官に守られているのか拘束されたのか分からないまま彼に付いて行った。警官はまず居間に誰にもいないのを確かめ、キッチン、トイレ、寝室と部屋を一つずつ調べて行った。
「君の親の部屋は何処かね?」
「……この廊下の奥です。で、でも二人とも今は働いているからいない……」
 しかしインド人の警官は僕を無視して最後の寝室を開けた。
 窓は完全にカーテンに包まれ、警官が懐中電灯を付けるまで何も見えなかった。
 振りかざされる光の中に映し出された光景は死ぬまで忘れないだろう。それは恐ろしくて、血生臭いと同時に、完璧さを語る芸術品だった。だがとても邪悪で悪魔的な芸術家の作品……。
 ベッドの上に横たわるのは二つの首なし死体だった。男は腕を天井に伸ばし、なにかを掴もうとしていた。苦しみながら犯人に反撃しようとしたのかしら? そのまま彼は死に硬直した、まるで一つのオブジェだった。女はその隣で安らかな姿勢を保っていた。両手を広げ、女神の翼みたいに、ちょっと優雅に広げていた。だが彼女の首は上を向いていた。無残に何回も鈍い刃物に切られたような傷口は血で注がれた花瓶を思い出させた。
 身長は大体百七十、男は少しお腹は出ているものの筋肉質、汗臭い、女はスマートな感じだが胸が小さくて顔が少し細めに長い。僕は二人の特徴を胸を抑えながらピックアップして行った。
 そして結論に達した。彼らは父と母に違いない。
 ゆ、夢じゃなかったんだ……。僕はそう思い蹌踉けた。昨日と同じ恐怖を感じ、目の前が真っ暗になった。地面が揺れる様な気がして僕は倒れた。

 次に意識があったのは病院のベッドだった。何時間も寝たのだろう窓から夕日が差し込んでいた。目を擦りながら机の上に置いてあった水を飲むと、視界がスッキリしてきた。
 窓には鉄格子が嵌り、唯一の出入り口となる扉には大きな鍵が取り付けられていた。病室と言うより監獄の様な気がした。
 しかし昨日の事を思えば不思議ではない。親が無惨にも殺されたのだ。警察は僕が見た光景を知りたいだろう。それに犯人、いやあの怪物が僕を殺しにくる可能性もある。だから僕を守っているんだ。
 念のためにベッドの下を調べたが誇り一つ落ちていなかった。あの怪物が出るのは多分自分の家だけなのだ。
 ホッとして僕は昨日の事件を頭の中でまとめた。毎晩現れる紙袋の怪物、両親の首、インド人の警官、そしてあの死体。だが寝室の光景を実体化させればさせるほど、悲しくなり涙が溢れてきた。正常には考えられなくなり、ワンワンと泣き出した。
 そのうちモデルの様に綺麗な看護婦が痛み止めと食事を持ってきた。薬を飲むと苦い後味が残ったが、少し良くなった。それでも冷たいサラダは喉につっかえ、飲み込む事など到底出来なかった。
 そして水で空腹を沈めたころ一人の刑事がやってきた。ブルドックみたいな太った刑事を期待していたが、背が高い白人の女だった。
 彼女は僕とあまり目を合わせずに簡単な質問をいくつか投げかけた。まだ僕が落ち着いていないと考えて質問しているのだろうが、いくら待っても彼女は事件の犯人に触れなかった。
 『学校から何時帰ってくるの?』『……四時ぐらい……』『夜はちゃんと眠れてる?』『……怪物が怖くてあまり……』『庭の小屋に薪割り用の斧があったの知ってる?』『……もちろん僕が薪を割ってたから……』
 こんなふうにやり取りが永遠に続き、僕はイライラとしてきた。そしてついに耐えきれなくなり僕は彼女の質問を遮って訪ねた。
「犯人はもう捕まったんですか?」
「……まだ犯人と決まったとは言えないけど、かなり怪しいやつはね」
 僕は顔を輝かせて上半身を起こした。
「僕犯人の姿見てます! その人に会わせてくれれば直ぐに分かります」
 あの怪物は太っていてチビなのだ。顔は見てなくても体系で分かる。
 だが刑事は薄笑いを浮かべ僕の申し出を断った。僕は駄々を捏ねたが、彼女は首を振り病室を出て行った。
 怒った僕は布団を撥ね除け彼女を追い掛けようとしたが、ドアには鍵がかかっていた。叩いても開かないので僕は仕方なくまた横になった。

 僕は新たな情報が入るのを何日も待った。その間は寝ていないのなら、鉄格子が嵌った窓から空を見上げていた。
 看護婦にも些細な事で当たり、僕はドンドン機嫌が悪くなっていった。外に出してくれない、テレビは見させてくれない、それにあの怪物の真相も教えてくれない。病院は明らかに僕の自由を束縛していた。
 僕は病院があの紙袋男と組んでいるのではないかと考え、恐怖心で眠れなくなった。
 そんなある日看護婦が面会人がいると僕に伝えた。彼の名前はザックヴァインベルグだそうだ。聞かない名前だと不信に思い警戒したが、新しいニュースを聞きたい好奇心に飲まれ、面会にオーケイを出した。
 僕は二人の警備員に挟まれ個室に入れられた。そこは刑務所の面会所みたいで二つの席を透明なガラスが区切っていた。
「こんにちはノエルくん。僕はザックだ」
 そう笑いながら反対側のドアを開けたのはあのインド人だった。今日はラフな私服に分厚いコートを着ていた。名前からすると男なので彼はただ女性ぽい顔をしているだけと分かった。
「……こんにちはミスターヴァインベルグ」
「いえ、いえ、僕の事はザックと呼んでくれ。元気か?」
「それより何か新しい事は? 犯人は捕まったんですか?」
 身を乗り出して訪ねると、ザックは黙った。そして声を顰めて言った。
「……もう犯人は捕まったよ。なぜなら君が犯人だからね」
「じょ、冗談はやめてください!」
 僕は怒って立ち上がったが、ザックは真剣な顔で説明した。
「君の部屋に両親のDNAがこびり付いた斧が見つかった。しかも君の指紋しか付いていなかった。それに両親の首は君のベッドの下にあった。君は僕が訪ねて来た時血塗れだった。直ぐに君は重要参考人、そしてそのまま犯人となった」
「う、嘘だ……」
 呟きながら椅子に座り込んだ。
「だったらここは刑務所……?」
「違う、精神病院だ」
 ザックの言葉が脳裏に反響した。精神病院! 映画でしか見た事がない場所だった。
「ど、どうして誰も……? 僕はどうすれば良い?」頬をガラスに押し付けてザックに囁いた。
「医者は君にショックを与えたくなかったんだ。だから誰も君が疑われているとは言わなかった。しかし僕は君じゃないと信じている。あの日君は本当に驚いていた。いくら気が狂っていてもあんな表情を出来るなんて、僕は思わない」
「ぼ、僕じゃない。お願いだからここから僕を出してくれ」恐くなって僕は咳き込んだ。目を擦ると指が湿る。泣き出しそうだった。
「嗚呼。まず君を脱走させないと話しが始まらない。食事を良くチェックするんだ。ここから出る指示を隠しておくから」ザックは小さい声で言い立ち上がった。「もう時間だ。食事をチェックするんだぞ。じゃあな!」
 彼はオーバーを羽織りニッコリと笑った。

 それから僕は配給される食事を念入りに調べるようになった。まずプラスチックのナイフとフォークに仕掛けがないかと叩いてみて、次はパンを割り、サラダを掻き回した。もし逃走ルートやメモが隠されているのなら見つかるはずなのだが、それでも僕はザックからの手紙を飲み込まない様に良く噛んで食べた。
 そしてほとんど希望を諦めかけた時、パンの中に一枚の紙切れがあった。震える手で僕は細く丸められた紙切れを伸ばし、トレイの上に置いた。
 そこには細かい字で逃げ道が書かれていた。まず夜になったらサラダの中に隠された鍵でドアを開けてそのまま天井に取り付けられた換気口に入る。
 だがその後はインクが滲んでいて読めなかった。多分迷路みたいな換気口の地図なのだろうが、どんなに目を細めても僕は解読出来なかった。
 食事をトレイごと掴んで壁に叩き付けたい気分だった。せっかくザックが隠したメモが読めないとは僕は本当についていない。
 それでも僕はカリカリと焼けた魚を食べながら脱走する事を考えた。これが最後のチャンスかもしれない。それに例え見つかったとしてもまたここに送り戻されるだけなのだから、失う物はない。
 ただ一つ問題があった。僕は閉所恐怖症で暗い所も恐かった。大体僕は昔から恐がりで、何時も父にもっと勇気を持てと怒られた。換気口は地獄の様に思えた。
 窓から見える太陽が沈むまで僕は迷い、考えた。最後には自由になりたいと言う気持ちが勝ち、僕はそろそろと銀色に光る鍵を扉に差し込んだ。
 深呼吸して、微かに震える指で鍵を回した。もう後戻りは出来ない。
 廊下で上を見るとメモに書かれていた様に換気口があった。僕は椅子を持って来てカバーを取り外し換気口に上った。
 中は窮屈で真っ暗だった。映画みたいに雰囲気を出すための薄暗さとは違う、本当に何も見えなかった。その上アルミニウムで出来た壁が僕の肩を押さえつけて、息苦しくなった。
 恐くて泣きそうになったので僕は頬を抓り、急いで進んだ。止まりさえしなければ少し気が休まると思ったのだ。
 数えきれないほど頭を回り角で打つけ、その度に僕は涙目になり頭を摩った。さらに換気扇の音やら警備員の足音が聞こえて気が気ではなかった。
 だが僕はひたすら自由になれると思い、その希望は動くためのモチベーションとなった。
 突然下から警備員の声が聞こえた。
「おい! 676番のやつが脱走したぞ! あの親殺しのやつ!」
 676番とは間違いなく僕の事だろう。
 僕は慌てて我武者らに換気口を進んだ。ここまで来たのに捕まりたくないと言う気持ちが僕を速く速くと急かさせた。
 そして頭を打ち右に回ると光が見えた。これが正しい出口かどうか分からなかったがとにかく僕は換気口から下りた。
 やっと暗くて狭い通路から出られたとホッとして、自分が今置かれた場所をキョロキョロと見回した。どうやら二階の様で大きな窓がベランダとこの部屋を区切っていた。さらに自動販売機が一つ。警備員たちが休む場所だろう。
 僕はがらがらと窓を開けて外へ出てみた。身を乗り出して下を投げめると車が何台か止まっていた。それに一人の女の人が僕に背を向けて携帯電話で話している。下までの距離は少なくとも三十フィート(十メートル)。とても飛び折れる距離ではない。
 あとちょっとと言うのに僕はまだ自由じゃない。なにか使える物はないかと見回していると樋が直ぐ横に取り付けられてあった。これを伝って下りられるかもしれない。
 だが足が竦み、冷汗をかいた。三十フィートもこんな細い棒にしがみつかないと下りられないなんて信じたくなかった。樋が体重を支えてくれる保証も、手が滑って落ちる可能性だってあった。
 しかし後戻りは出来ない。僕は震える手で樋を掴み足で踏み場を探しながらゆっくりと下りた。最初の五フィートは楽に下りられたが、いきなり風が強くなり僕はなんとか樋にしがみついた。
 下を見ると気が遠くなりそうなので僕は上を見て進んだ。足が見えないから良く踏み外しそうになった。
 突然あと十フィートと言う所で汗で湿った手が滑って僕は空中に放り出されてしまった。両手を振り回しなにかを掴もうとするが、指の間から空気が通り抜けるばかりだった。次の瞬間僕は地面に叩き付けられた。幸い雪が積もっていたので大事にはいたらなかった。少し背中が痛み、冷たかったけれど。
 僕はかじかんだ手をかばいながら、出来るだけ速く駐車場を横切り病院を出た。
 宛先もなく僕は走った。三月の終わり頃なのに今は十度(十華氏度はだいたいマイナス十五セルシウス)ぐらいしかない。パジャマ一枚では長く持たないだろう。
 しかし心配する必要はなかった。直ぐにザックが僕の前にミニヴァンを止めて助手席を開けてくれた。
「あ、ありがとう……このまま凍え死ぬかと思ったよ」
「待ち合わせ場所は反対側だったけどな。なにかあったのか?」ザックはアクセルを踏み訊いた。
「あのパンに入っていたメモ半分しか読めなかった。インクが滲んでいた」
 僕はエアコンの前に両手を置いた。暖かい風が指の間を吹き抜け腕を伝う。
「チッ。運ぶ時濡れたんだろう。まぁとにかく君が無事で良かった」
 彼はまた可愛らしい顔をしてニコニコと笑った。
 ふとある疑惑が僕の頭を横切った。ザックはなぜ僕を助けているのだろう? 脱走の手助けをしたとバレれば彼も罪を問われる。それなのになぜ彼は?
「こ、これからどうするの?」
 ザックの反応を慎重に観察しながら僕は訪ねた。
「君の家に行く。君は犯人を見たんだろ? なにかヒントがあるかもしれない」
 嘘付いている様子も、なにかを隠してる感じでもない。しかしザックを信じていいのか?
「う、うん分かった」
 僕は考えながら相づちを打った。
 黒いヴァンは高速に乗り全速力であの紙袋の怪物が出る家に向かった。

 僕の家は何時もと変わってなかった。警察の取り調べも終わったらしく彼らがここにいた形跡は一つも無かった。
「犯人の事を教えてくれるか?」ザックはマスターキーを使って玄関に入り訪ねた。
 彼が信じてくれるかどうか分からなかったが、僕はそのまま見た事を話した。やはりザックは眉毛をつり上げたが、信じるよと言ってくれた。
「だったら君の部屋が一番怪しいな。もしかしたらやつはトンネルを掘ったのかもしれない」
 ザックがそう言うので二人で僕のベッドを退かし、絨毯を捲った。
 誇りだらけの絨毯の下にはザックが言ったとおりに一つの穴がスッポリと開いていた。大人が入るのには大きすぎるが子供ならやっと通れるほどの小さいトンネルだった。
「これは僕に取って大きすぎるな。君が何処まで続くか突き止めないと」
 ザックが僕の背中を押しながら言った。まさか彼は僕がこの穴に入れと言っているのだろうか?
「い、嫌だ。真っ暗で狭くて恐い!」
 僕は換気口の暗闇を思い出して叫んだ。
 ザックは僕の顔を覗き込んで、溜息をついた。そして僕らはどちらか一人が行動を起こすのを待つ様に見つめ合った。
 突然パトカーのサイレンが近づいて来た。驚いて僕は窓から外を眺めると、一台のパトカーが家の前に止まり、制服の婦警が下りた。
「ザック! 僕たち見つかったのかな?」
 僕は窓から目を話さずに囁いたがザックは答えなかった。
「ザック!」
 叫んで振り向くと、彼は拳銃を僕に突きつけていた。
「な、なんだよ」
「脱走者とお尋ね者には賞金が出るんだ。本当は脱走者の君と殺人者の犯人を捕まえたかったがこの際君の賞金だけでも良い」
「な、どう言う意味だ」
「僕は君が殺してないなんて最初から知っていた。だから真犯人を捕まえた上、逃げた君も捕まえる。もちろん君が殺してないと証明されたら君は罪には問わないが、僕は賞金を貰える。だが見つかった以上仕方がない。共犯になるのはごめんだからね。さぁ手を挙げろ!」
 僕はザックを睨みながら両手を上げた。なんて馬鹿だったのだろう、僕はコロリとザックに騙されてしまった。最初面会に来たときから疑うべきだった。しかし今ではどうにもならない。
 ザックは拳銃を握ったまま顎で扉を差した。僕が先頭で行けと言う意味だろう。手を挙げたまま僕はゆっくりと出口に向かった。なにか武器となる物はないかと床を探すと、アクション映画に出て来る主人公の人形があった。普通後ろのボタンを押せばかっこいい台詞が出てくるのだが、これは壊れていて、ボタンを押してから数秒後に台詞が流れる。
 ザックに気づかれない様に靴で僕はフィギュアを踏みつけ、心の中で数えた。
「速く金を入れろ! ヤベェ兄貴、サツだ!」
 三秒後、フィギュアの声が轟いた。ヒーロなのになぜ銀行強盗をしてる台詞を吐くのか僕は理解出来なかったが、ザックは驚いて振り向いた。
 僕は彼の隙を見逃さずにザックに体当たりを食らわせた。よろめいたザックをさらに叩き僕はあの穴に飛び込んだ。いくらザックが小柄でもここには入って来れないだろう。
 とにかく逃げると言う一心で僕は無我夢中に進んだ。爪の間に泥が入り、小石が僕の腕を擦ったが僕は気づかなかった。
 そしてやっとトンネルは上の方へ延び、僕はぽっかりと開いた穴から出た。
 顔を出した所は古ぼけた小さな小屋だった。農工道具が壁に立てかけており、薄っぺらな窓はカサカサと音を立てていた。両手で体を支え僕は忌々しい穴から離れた。
 油断してはいけない……。ここは紙袋男のアジトなのだから。
 そう思った瞬間緑のペンキが剥げかかった窓から黒い小さな影が見えた。ほんの一瞬だけだったが、小さい陰だと分かったかった。
 リスにしては大きいし、良く庭で見かける鹿でもない。彼らはこれほど素早くないし、四つん這いだ。
 焼却法で僕は考えられる動物、もしくは人物を考えて行き、最初から恐れていた結論に達したーー紙袋男だ。
 不思議に僕は慌てなかった。目をぱちくりさせて小屋を見回した。枝鋏、放棄、草刈り機とそのコード、そして電動のこぎり。直感的にのこぎりに手を伸ばしたが、直ぐに引っ込めた。ここには電気が通じてないだろうし、例え通じていても僕自身が怪我をするだけだろう。
 何時紙袋男が入ってくるのか分からないので、僕はガタガタと揺れるドアから目を離さずに足で放棄と枝鋏をどけた。
 僕が探すのは猟銃。ミネソタでは猟りと釣りが多くの人々から愛されるホビーなので、この小屋にも絶対あると踏んだ。
 しかし出て来たのは破れた釣り糸とさおだった。これではダメだ。武器にならない。
 ピンと伸ばした前髪からぽとりと一粒の汗が垂れた。焦っていると言う証拠だろうか? 確かに外は十度以下のはずなのに全然寒くない。
 突然雪を踏みしめる音がして、ドスリと大きな物が地面に落ちる音が続いた。
 ゆっくりと丸いドアノブは回る。アドレナリンが全てスローモーションにしている。
 腰を縮めて僕は箒を取った。枝を脇の下に挟み、僕は開かれるドアとその枠の空間を見つめた。太った腹に汚いワイシャツ。よれよれのジーンズは一昔前のフックで止めてあった。
 そしてその巨体に乗っかる紙袋。既にその姿は僕のトラウマになっていた。
 彼は驚いた様に一瞬見つめたが、僕は唸り声を上げて彼に突進した。
 箒の枝は紙袋男に突撃し、彼のお腹はくぼみ、後ろに倒れた。
 雪の中で亀の様に彼はもがいたが、僕は彼に反撃のチャンスを与えなかった。
 枝鋏を掴み、寂れた金属の頭で彼の額を狙い振り下ろした。子供の力なので致死量には達しないだろうが、紙袋男は動かなくなり白い雪はワインの様な赤で染まった。
 白い息を吐き僕は雪の中に倒れ込んだ。ドッと疲れがわいてくる。それだけ体に負担を掛けたのだろう。くしゃみーーいや、咳みたいな物をして、両手を摺り合わせた。かなり寒い。
 速く警察を呼んでこの場所を離れたかったが、僕は紙袋の下に隠された人物を知りたかった。多分醜い素顔を隠すためだろうが、もしかしたら身時かな人物かもしれない。
 紙袋を取ると僕は驚いた。浅黒い肌、半分開かれた口から見える小さな歯、眉は閉まっているが大きな目。そして性別不明な優雅な顔のラインーー紙袋男はザックワインベルグだった。
 ザックイコール紙袋男と言う式が僕の頭の中で成り立たなかった。確かにザックは裏切り者でいやなやつだったが、彼は犯人と僕を捕まえたかった。彼は一石二鳥を狙っていたのだ。しかし犯人は彼自身。頭がこんがらがり僕は数歩下がった。
 良く考えてみると最初から可笑しかった。なぜザックは僕のベッドの下から出てくるのだろう? なぜ彼は僕の両親を殺すまで一週間もまった? その上なぜ僕を殺さなかった? いや、まてよ、大体なぜ僕の両親を殺した?
 つじつまが会わない。昨日、いや一昨日からかもしれないが、矛盾だらけだ。まるでジグゾーパズルのピースを当てはまらないのに強引にくっつけた感じ。
「間違ってる! これは……なにかが違う……!」
 僕は両手を眺めながら叫んだ。
 そして僕の視界は映画のフィルムが焼け付けた様に真っ黒くなり、軈て僕は深く落ちて行く様な感じがした。

「アサダゾオキロ……あさだぞおきろ……あっ、バス行っちゃった」
 理解出来ないざわめきから少しずつ英語に変わって行き、最後の部分で僕は飛び起きた。
「ば、バスは?」
「行っちゃったよ」父はカーテンの隙間から外を眺めながら言った。
「そうか、ならもう急ぐ必要はない」
 僕はそう言いまた毛布二枚と掛け布団を合わせて横になった。スクールバスを逃す事はほとんどないが、乗れなかった場合には父に送ってもらえば良い。そして父が家を出るのは七時四十分。寝直すのには十分だ。
「今日は四月一日、お前の誕生日だから別に学校に行かなくても良いぞ」
 父が夢にも信じられない事を行った。彼は例え頭が痛い、下痢した、吐いたと言っても必ず僕を学校に行かせる厳しい人だ。母に言わせれば他人に厳しく、自分にも厳しい鋼の入ったオトコだそうだ(僕が女だったらそんな人は絶対に好きにならないと思うが)。
 とにかく『誕生日』と言う甘えた理由で父が学校を休ませてくれるとは安い棒アイスの当たりくじみたいな幸運だった。
「ベッドの下の怪物はどうなったんだ? 紙袋男だったけ?」
「嗚呼、彼奴ね僕倒したよ。彼の正体は……って生きてる」
「ミスターリヴィング(Mr. Living=ミスター生きてる)? そして名前はルームだろ、ミスターリヴィングルーム」父は自分の冴えないだじゃれでクックッと笑った。
「いや、父さん生きてる! 母さんも大丈夫なのか?」
「えっ? もちろん起きてるさ。ベイコンを上で焼いて待ってるぞ」
「夢だったんだ……夢だったんだ! 父さんただの夢だったんだよ! 夢!」僕は歓声を上げて踊りながら食堂へ行った。
 紙袋男も、精神病院も、小屋も全て夢だったのだ。両親は死んでいない!
 嬉しくてたまらなかった。階段を転げる様に上がり、僕は母に抱きついた。彼女はフッフッと笑い、僕の頬にキスをした。

 黒いワイシャツ、黒いズボン。銀色に光る腕時計にクシャクシャとクールに整えられた漆黒の髪、そしてその下に微笑しながら携帯電話に耳を傾ける顔。
 彼の本名はザックヴァインベルグではなかった。と言っても彼自身も自分の名前を知らないので、ただヴァニアと呼ばれていた。
 ヴァニアは現在ミネアポリス(ミネソタの一番大きな町)からチカゴへ続く高速を走る白いヴァンに乗っていた。運転するのはブロンズ色の髪をした。白人の女だった。二十歳だろうか、それともそれ以下? 彼女の顔は世間知らずの様な幼い顔をしていたが、目をこらして良く見ると、彼女の瞳は修羅場を潜り博がついたランランと光る目だった。
 この国籍、人種、宗教も違う二人を繋いでいるのは二人ともある会社の一員だと言う事だった。会社と言っても、違法的な上、社員二人なので会社と言えるかどうか事態問題だった。
 それはともかく二人は最初の商談を成立させ、ヴァニアは客と金銭問題を話し合っていた。
「いやー君の演技は本当に上手かったねー」受話器の向こうから客が言った。
「恐れ入ります……」
「でも紙袋男とザックは君の二人一役だろう? 入れ替わりが速いね」
「なぜ分かったんです?」
「二人ともチビだからさ! 体系はなにとかなるだろう? でも身長は……」
 ヴァニアは数回深呼吸をした。彼は優秀なだけ自分の背丈に偉大なコンプレックスを抱えている。普通なら直ぐに電話を切る所だが、ありたっけの精神力で赤いボタンを押したい気持を沈めた。
「しかしね、君、あの紙袋男は迫力があったよ。紙袋のだけに恐いんだよ。もう少し背が高くても良かったかもしれないけどね……」
「変わってくれ」ヴァニアはぶっきらぼうに携帯を運転席の彼女に突き出して頭を抱えた。
「はい、お電話変わりました、タミーですわ」
「あれ、ヴァニア君はどこに行ったのかね?」
「彼は厚底の靴を買いに行きましたわ」
 ヴァニアは両手の指を折り曲げながらタミーに首を絞めるぞと脅した。しかし彼女は彼にニッコリと笑いかけて無視した。
「しかしチビのヴァニアの事は置いておいて、商談の話しに移りましょう」
「嗚呼。二千ドルだったな? もうヴァニア君が言った銀行口座に振り込んだ。それに五百ドルチップとしてたしておいた。息子のノエルも少し自分に自身を持った様だ、本当にありがとう」
「ありがとうございます。ではまたお会いしましょう。それと我々の事はくれぐれも内密に」
 タミーは早口に言い電話を切った。こう言うおしゃべりな客はどの商売でも疲れるのだ。
「……俺をチビと言うのは人種差別だぞ。インド人はもともと小さいんだ! 俺のせいじゃない!」
「インド人の中でも小さいくせに」タミーはそうとどめを刺して溜息をついた。

 冒険会社。自動車会社なら車を扱う会社、食物会社なら食物を扱う会社。世界にはありとあらゆる製品を売る会社や様々なサービスを提供する会社がある。
 だったら冒険を扱う会社があっても可笑しくないはずだ。ヴァニアとタミーはそう思いこの会社を始めた。ジェットコースタやアドベンチャーパークとは違う、本物の冒険を売る会社だ。裕福な家庭を探し、その子供たちに秘密で冒険をさせる。彼らはその冒険が本物だと思い、アドベンチャーパークでは得られない気持が深く記憶の中に植え付けられる。
 例えば今回の仕事では主に恐がりな子供にもっと勇気を与える事だった。だから彼を危険な状況に起き(もちろんヴァニアとタミーは安全を最優先させたが)自力で恐怖を克服するのが狙いだった。バジェットが少ない上、二人とも経験が少ないので結局最後は全て夢だったと思わせるしかなかったが、あの子供が自分にもっと自身を持ったのは違いないだろう。少し速いバースデイプレゼントだ。

「収入二千五百ドル。出費五千六百九十七ドルと四セント。ちなみに九十七ドルに君の頭を治療するための金だったのでこれはヴァニア個人の借金としておく」タミーはブツブツと計算していた。特に九十七ドルと治療とヴァニアの部分を強調しているようだったが、彼は黙っていた。数ヶ月しか彼女と一緒にいないが、タミーは人を馬鹿にするのがただ一つの楽しみらしく、酷く毒舌だった。
「まぁ少し赤字になったぐらいで落ち込むなよ。最初の仕事だったんだからさ。次はプラスになるよ」
「マイナス三千百九十七と四セント! 借金の方が収入より多くてどうする? この馬鹿! お前の脳みそがプラスになったら貧乏よりよっぽど増しだよ」
 ヴァニアは両目を回しパソコンを取り出した。特殊な機械を使っているので車の中でもインターネットに接続出来る。
「あっ、新しい客だ」メールをチェクしていたヴァニアは顔を上げた。「名前はスミス。ロスに住んでいて、金持ち。タミー、ロスに向かうか? 彼は結構金を出しそうだよ」
「ロスなんてヴァニアには高級すぎるが、仕方ないな」
 タイヤのゴムとアスファルトが擦れ合う音がしてヴァニアとタミーが乗った車はロスに向かって走り出した。

タミーの日記 〜ミネソタの冬〜

(注:タミーの毒舌が読者に移る可能性がある上に、目が腐る恐れがあります。必ずサングラスをかけ、目薬を用意した後、逆立ちしながら読んでください。
 もし五歳以下の幼児、ドイツ人(髭があるドイツ人はご遠慮ください)、犬、猫、カエルが読む場合には必ず腕のない外科医の付き添いが必要です。
 つーかなんでここまで読んでるの? マジ時間の無駄だよ?)

 今日やっと最初の仕事が終わった。ヴァニアと仕事を初めた記念として私は日記を付け始める事にした。いずれ役に立つかもしれない。
 まずこの州に言える言葉はただ一つ:寒い。なんど書いても足りないくらい寒い。冬の最低気温はマイナス四十度で人々は夜暖炉の前に集まり凍えている。暖炉と言っても普通の人が想像するオーペンな暖炉ではない。それは熱が直ぐに散ってしまうので効果的ではないのだ。ここの暖炉はオーブンと言った方が適切かもしれない。
 だが暖炉を付けるのには薪が必要だ。そしてこれが燃えるのが結構速い。一晩で六個ぐらい使わなければならない(ヴァニアと一緒に今回の仕事を計画していたときにいやと言うほど経験したのだ)。つまり何時も外から新しいのを取りに行く事になる。
 最初の内は誰が薪を取りに行くのかはじゃんけんで決めていたが、私がヴァニアにじゃんけんで勝った事はない。彼の反射神経が非常に良いらしく、彼は私がグーを突き出す瞬間に自分の手を開くと言った人間離れした事をやる。それで私は彼の背丈につけ込む事にした。
『じゃんけんは強くても背丈がなければなー』『白雪姫に出て来る小人も寒さに弱いんだよな』『小さいやつはスケベだよな。女のスカートの下見える』
 するとヴァニアは少し怒るだけで薪を取って来てくれる。彼はまだ素直な子供だ。
 しかしミネソタの冬は他の所でも問題を起こした。ヴァニアが紙袋男に変装して穴を掘り、毎晩その穴を使うので彼は少し風邪を引いてしまった。二日間三十九度の熱で魘され、私は彼の病気がうつらない様に彼を地下室に移し、ドアを固く閉めた。ヴァニアはそのあと地下室に閉じ込められたから風邪が長引いたと文句をブーブ言った。
 まぁヴァニアはともかく今回の客が風邪を引かない様に私たちは頑張った。換気口に暖かい風を回したり、トンネルをあらかじめ暖めておいたなど必要以上の労力を使った。そのためバジェットの二千ドルを軽く上回ってしまった。
 だが金にならなくてもヴァニアといるのは楽しい。子供ぽっくて直ぐにムキになるし、他の人間みたいに馬鹿じゃない。プラートンは『好き』と言う行動は上の物から下の物へ行くと言った。つまり飼い主はペットを可愛がってもペットはペット。飼い主を好きになる事はない。私とヴァニアの関係はそう言う関係なのかもしれない。もちろん私が飼い主だ。

冒険会社

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僕のベッドの下に怪物が住んでいる。彼は毎晩出てきて、どこかに行ってはまた戻ってくる。恐怖で怯えて何もできない日々が続き、やがて怪物は僕の両親を殺してしまう。警察に訴えても、だれも怪物のことを信じてくれず、僕は少年院にいれられてしまう(35枚)。

  • 小説
  • 短編
  • 冒険
  • アクション
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-07-03

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