ドゥームズデイ(滅亡の日)

―2012年12月7日―
東京の高級住宅街にある邸宅に8人の男が集まっていた。
屋敷の主人である54歳のキム・ヨンニョルは、同志の前で作戦計画を説明している。
彼は東京で複数の企業を経営している在日朝鮮人である。
「我々が祖国と民族の命運を握っているのだ。失敗すれば、すべての同胞を破滅に追いやることになる」
「計画は絶対に成功させます。我々の手で再び黄金期を築きましょう」
チェ・グァンピルが力強く応じた。
「そういえば今日は真珠湾攻撃の日だな」とキム・ソンイルがつぶやいた。
「あの攻撃でアメリカは激昂した。そのせいで、かえって日本の敗北を早めたとも聞いたことがある。
だが、我々の作戦では誰が加害者なのかは分からない。本国は蚊帳の外だ」
朝銀で仕事をした経験があるキム・ソンイルは、キム・ヨンニョルの良き指南役である。
「同胞にも被害が出たりはしないでしょうか?」
パク・グァンジュンが懸念を示す。
「大丈夫だ。地図を見てみろ。ウリハッキョ(朝鮮学校)は避けて通っている」
キム・ヨンニョルが即答する。
別れ際に、チェ・グァンピルやパク・グァンジュンら工作員5人に対し、バッグが渡された。
「絶対に素手で中のポーチに触ってはならない。今の日本の警察は、皮膚に付いた指紋ですら検出できる技術を持っている」
注意点を伝えると、残った3人は資金計画の打ち合わせに入った。

―2012年12月13日―
キム・ヨンニョルの元に一本の電話が入る。
「すべての口座開設が完了しました。いつでも入金可能です」
「分かった。すぐ入金しよう」
(本人確認はうまく行ったようだな。これで阻むものはない)
彼は今、50億円を自由に動かせる立場にある。
自己資金ではなく、あらゆる方面から借りまくって集めたものだ。
(10年前であれば、500億は動かせたものを。凋落したものだ)
だが、彼の表情は明るい。

―2012年12月17日―
キム・ヨンニョルは部下に指示した。
「日経平均のノックアウトオプション、プットの2013年1月限を、1社当たり8億円分の買い注文を入れろ」
「早速発注します」
程なくして約定の連絡があった。
「ふむ、我々の注文でさほど値段は動いていないようだな」
「だが、誰かがこの動きに感付いて同調する可能性もある」と隣のキム・ソンイル。
「では、早いうちに残りの口座でも注文しておこう」

―2012年12月19日―
チェ・グァンピルは、目の前のバッグを見つめていた。
(いよいよこれを使うのか。使わなければ我々同胞は滅びるしかない。
だが使えば、多くのチョッパリ(日本人)が死ぬことになるだろう)
彼は、自分の行動が日本の歴史を大きく変えることになると気付いていた。
100年後の歴史教科書にも載ることになるだろう。
(民族の命運がかかっているとはいえ、ここまでする必要があるのだろうか)
チェ・グァンピルは朝鮮学校を卒業後、朝鮮総連で献身的に働き、北朝鮮へ多額の送金をした。
しかし、長年日本に暮らしていれば、日本人が教えられた通りの悪魔ではないことも理解できる。
彼はタバコを吸いながら、数年前の出来事を思い出していた。
(あの忌まわしい、総連の事件がなければ、こんなことをしなくてもよかったのだが……
そうだ、元はといえば総連を崩壊させたのはチョッパリではないか。
総連本部を別法人である朝銀の借金のカタに売り払い、総連自体を壊滅的打撃に追い込んだのは奴らだ。
我々がこのような苦境に立たされているのも、すべて奴らのせいだ!
これはウェノム(倭野郎)に対する復讐なのだ!)
こうして日本人に対する敵意を燃え立たせ、迷いを断ち切ろうとしたのである。
しかし、彼が任務を引き受けたのは、成功報酬の3億円が大きな要因になったことも間違いない。
彼を含め5人の工作員は、みな経済的に苦しい状態に置かれていたため、キム・ヨンニョルの計画に組み込まれて行ったのである。

―2012年12月20日―
チェ・グァンピルを含む5人の工作員は、別々のビジネスホテルに泊まっていた。
いつもは朝鮮名を使い、日本名を使う同胞を小馬鹿にしていた彼も、さすがにこの時ばかりは日本人風の偽名を使った。
(いよいよ明日だ。間違えずに起床せねば)
備え付けの目覚まし時計と携帯電話の両方でアラームをセットする。
睡眠薬を飲み、布団に入った。

―2012年12月21日払暁―
チェ・グァンピルは桜新町駅にいた。
(成功すれば3億円。成功すれば3億円。3億円あれば一生暮らせる。成功すれば3億円)
ただひたすら、成功報酬のことばかりを考え、始発電車に乗り込んだ。
電車にはほとんど人が乗っていなかった。
座席の下部からは温風が吹き出ている。
(理想的な条件だな)
そして、バッグから取り出したポーチの底の両面テープをはがし、足元に置いた。
次の駅で降りる直前、息を止めながら封印を開き、すぐに降りた。
次の電車に乗り、また同じことを繰り返した。
3回目の作業を終えると、雑木林に入って服を着替え、アジトに向かった。

彼らがポーチを設置したのは、中央線、常磐線、小田急線、東急田園都市線、地下鉄東西線である。
いずれも混雑率が高い、首都の大動脈である。

全員がアジトに集結したのは正午より少し前だった。
電車を使わず、バスとタクシーを乗り継いでここまで来たのである。
着いたばかりのチェ・グァンピルが「テレビでは何もやっていませんか」と聞く。
アジトのリーダーのリ・ヒョンイルは「まだ何もない。日が暮れるまでに報道があったら、我々の見込み違いということになる」と答えた。
「ではカメラです」
工作員は、自らのカバンに取り付けたカメラを差し出した。
リ・ヒョンイルはそれらを再生し、各自の任務が確実に行われたことを確かめた。
「よし、年が明けたら全員に3億円だ」
歓声は起きず、みな無言のままだ。
「ただし、お前らが何かヘマをして、納会日までに引き出せなくなったら、そのときは払えなくなる。くれぐれも注意するように」
「大丈夫です。あと1ヶ月ですから」
工作員はやや放心状態だった。
肉体は疲れていなくても気力を使い果たしたといった感じで、呆然とテレビを見続けていた。

―2012年12月21日夜―
会社員の須藤洋一は、帰宅して食事を済ませると、家族と居間に集まってテレビを見ていた。
「なんか画面が暗くないか?」
そう言った洋一に、妻の朋子は「いつも通りだけど」と応じた。
洋一は自分の気のせいだろうとは思ったが、少し体調が思わしくないのを感じていた。
風邪を引いたのかと思い、「今日は風呂入らない」と言った。
番組が終わり、早めに寝ようと思って廊下に出ると、足がもつれた。
体が思うように動かず、その場にうずくまってしまった。
それを見た朋子が駆け寄る。
「お父さんどうしたの?」
「なんか体調悪いみたいだ。電気つけてくれ」
朋子は戸惑った。
廊下の電灯は間違いなくついている。
夫の言っていることが飲み込めず、「布団を敷いてくるから、早く休んでね」と言って寝室に向かった。
布団を敷き終えた朋子が戻ってきて見た物は、廊下に倒れて、小刻みに手足を痙攣させている洋一の姿だった。
あわてて救急車を呼ぼうと電話を掛けた。
ところが予想外にも、センターの受付職員は、
「今、救急車が出払ってしまっていますので、到着までかなり時間がかかる見込みです」と述べたのだった。
職員は、昏睡体位を取らせ、気道をしっかり確保することと、呼吸や脈拍の状況によっては胸郭圧迫を行うことを指示した。
泣きそうになりながら朋子は洋一に付き添い、救急車が到着するのを待ち続けた……

都立新宿病院では、次々に運ばれてくる救急患者に職員総出で対応に当たっていた。
救急隊からの電話に「もう受け入れられません」と答えても、「他も一杯なんです。限界までお願いします」と懇願された。
また、自家用車やタクシーで運ばれてくる患者も増え始めていた。
医師達は、何かただならぬ事態が起こったのを察した。
「これは……大変な事件になるぞ」と診療部長の大川はつぶやいた。
上がってくる報告で、すべての患者の症状がまったく同じだったのだ。
患者の眼を見ると、縮瞳が起きていた。
血中コリンエステラーゼ値は著しく低かった。
「まさか、サリンか?」
17年前の悪夢が蘇る。
(これは警察に連絡するべきだろうか)
意を決して受話器を掴んだ瞬間、その電話機が呼び出し音を鳴らした。
また救急隊からの入院依頼だった。
大川は傍らの看護師に受話器を渡すと、自分の携帯電話で警察に電話を掛けた。

警視庁の通信指令センターの当直の西岡は、119番に掛けるつもりで110番に掛けてしまった間違い電話が、
夜になってから徐々に増えていることに気づいた。
こういう場合、通信指令センターはそのまま消防の災害救急情報センターに電話を回すのである。
「また救急だよ。いつになく多いな」
そう西岡は不満げにつぶやいた。
近くにいた吉田が、「こっちもさっきから間違い電話ばっかりだ。いったい今日はどうなってるんだ」と応じた。
21時を回る頃になると、数分に1本の割合で、救急に掛けるべき間違い電話が鳴る。
そのどれもが、異なる発信地からのものであり、同一人物によるいたずらでないことは明白だった。
そして「路上で人が倒れています」といった通報も目立ち始めた。
さすがに、司令室の誰もが、異常事態に気づき始めていた。
そこに都立新宿病院の大川からの通報が舞い込んだ。
「当病院において、同一症状を示す患者が多数運び込まれています。症状は縮瞳、痙攣など……」
不安が現実化した瞬間だった。
「誰か上に報告しろ」
誰かがそう叫んだ。

警備部で残業をしていた村田警視は、通信指令センターからの報告を受け、庁内に招集を掛けた。
「今日は帰れなくなりそうだな」
だが、この先1週間も庁舎に泊り込むことになるとは、この時点では予想できていない。
会議室で、対策会議が始まった。
「現在、都内で多数の入院患者が発生しています。患者はいずれも同じ症状を訴えており、中毒と見られます。
また路上で倒れた人がいるとの通報も複数あります。現在情報収集中ですが、化学テロの可能性を考え、迅速な対応が望まれます」
バタバタと各部署から人が駆け込んでくる。
村田はホワイトボードに解説を書きながら、人数が増えるたびに同じ説明を繰り返した。
隣の建物である警察総合庁舎から、科学捜査研究所の所員が説明を聞きにやってきた。
「患者はどんな症状なんですか?」
「今病院と繋がってるか? 症状聞いてくれ」と村田。
「縮瞳だそうですと」と110番担当者。
「縮瞳だと!」
警備部の武藤が叫ぶ。
「これは、もしかすると、サリンの可能性がある」
数ヶ月前に化学兵器テロ対策の講習を受けた武藤は、とっさにサリンの症状を思い出していた。
「サリンだと……まさか」
「しかし現実に、多数の患者が出ています」
「もっと色々な人の意見を聞いて判断した方がいいのでは」
そこで都立新宿病院の大川との電話をつなぎ、スピーカーで会議室の全員に聞こえるようにした。
「患者さんに共通する症状は縮瞳、痙攣、意識喪失で、血中のコリンエステラーゼ値は著しく低下しています。
症状を見ると、有機リン剤、またはカーバメート剤による中毒の可能性が濃厚です。
サリンが原因である可能性も否定できません」
村田は蒼ざめた。
しかし現実を見つめなおして、即座に判断を下した。
「おい! 緊急連絡だ! 刑事部長と公安部長と警備部長、それから総監に連絡するんだ。
自宅にパトカーを派遣して、至急ここに呼んでくれ」
村田の脳裏には、1995年の地下鉄サリン事件の情景が浮かんでいた。
「一体誰が……まさか二度目が起きるとは……」
村田は、犯人が誰なのかをまったく想像できなかった。
95年であれば、オウム真理教だというのはすぐに推測できた。
オウム真理教は、その数年前から「我々は毒ガスで攻撃されている」と主張しており、隣接した肥料会社を告訴していた。
また実際に上九一色村のサティアン付近でサリン分解物が検出されていた。
自ら疑惑を深める行動を起こしていたのだ。
しかし今はオウム真理教も化学プラントや薬品類を破棄されており、こんなことをする能力はないように思われた。
北朝鮮という可能性も浮かんだが、北朝鮮がテロを起こしても何か利益になるような動機が思い浮かばなかった。
「化学防護隊を呼べ。官邸と警察庁、消防、自衛隊にも連絡しろ」

東京メトロの銀座線では、帰宅途中の西村俊樹が満員電車に揺られていた。
職場のある新橋から祐天寺の自宅まで、銀座線と東急東横線を乗り継いで帰る予定だった。
しかし今日はいつもと違って、ホームで座り込んだり横たわったりしている人が多く見られた。
車内で体調を崩して担架で運ばれる乗客も出始め、そのたび遅延が生じた。
車内がざわつき始める。
「何だ? また病人か?」
「まさか毒ガスでも撒かれたんじゃ」
「でも私たちなんともないわよ」
乗客の多くが不安なまま、電車は再び出発した。
しかし次の駅に着くたびに病人が搬送され、自力で動ける者はホームに降りてその場にへたり込んだ。
不安を感じて電車から降りる乗客も出始めた。
西村は、(まさかサリンが撒かれたのでは)と不安になった。
17年前の地下鉄サリン事件の時は、まだ東京には住んでいなかったため、実感は薄い。
だが、他の乗客の話す「サリン」という単語を聞くたび、不安が募って行った。
しかし倒れた乗客はごく一部で、自分の体調には変化はない。
乗客の数はそれほど減っておらず、まだ吊り革を掴んでいる人の方が座っている人よりも多い。
迷いつつも、「次の表参道駅まで待とう。そこでも倒れた人が出たら自分も降りよう」と心に決めた。
そして数分後、表参道駅に到着すると、彼を待ち受けていたのは、ホーム上の大勢の横たわる人達であった。
(なんだこれは。本当に毒ガスが撒かれたのか)
途端に車内はざわつき始める。
西村はしり込みした。
(もしかしてホームに毒ガスがあるのか? であれば出るのは危険だぞ)
そしてあることに気付く。
(そうか、どこか別の駅でも毒ガスが撒かれたんだ。さっき倒れた人は、毒ガスが撒かれた駅から乗ってきたんだろう。
毒ガスを吸って数分後に症状が現れたんだ。だから乗客の一部しか倒れなかったんだ)
そう判断し、車内にいるのが一番安全だと断定する。
開いた扉から流れ込んでくる空気を吸うまいと、息をこらえる。
(次の渋谷駅で降りて東急東横線に乗り換えれば帰宅できる。降りたら息を止めて改札まで走ろう)
なお、表参道駅は、半蔵門線や千代田線との乗換駅であり、半蔵門線とは同じホームで乗換えが可能である。
西村が見たものは、東急田園都市線と直通していたために被害者が多かった半蔵門線の、車内で具合が悪くなって、
外に出た乗客達の姿だったのである。

テレビ局員の三浦良太は、帰宅途中の駅構内で倒れている人が多いことに気付き、即座に局に電話した。
近くでファッション店を取材中だったスタッフ達が急行し、この非常事態を中継で報道した。
それを見た他局も、慌てて後追い報道をするために取材陣を現地に飛ばした。
この時点ではまだ、一つの駅だけの出来事と認識されていた。
だが、取材陣は現場に向かう車内で救急車の台数が尋常ではないことに気付き、特番編成の準備に取り掛かった。
そのうちに局内でも体調不良者が発生し始め、フロアは戦場と化した。
オンラインになっているのも気付かずに「ここで緊急ニュースをお伝えします。
都内各所の駅構内で多くの人が倒れている模様です」と7回もリハーサルを繰り返したキャスターもいた。
30分ほどで、テレビ東京以外の全ての地上波局がこの多数被害事件の報道に切り替わった。

アジトでテレビを見ていたチェ・グァンピルは、(ついに始まったか)と思った。
30分ほど前にも近くで救急車の音がしたが、関係があるかどうかは分からなかった。
全員の目がテレビに釘付けになる。
こんなに真剣にテレビを見たのは東日本大震災以来初めてだ。
「さて何人死ぬだろうな」
「1000人は行くだろう」
「俺達一人当たり200人殺したことになるのか。9.11テロに次ぐレベルだな」
「ひょっとすると超えるんじゃないか」
高揚感が彼らを包んでいた。

警視庁の会議室では各所から入る電話で混乱を極めていた。
「まず現場を封鎖する。発生源を特定しろ」
村田はそう指示したが、部下からは戸惑いの声が上がった。
「どうやって特定すればいいんですか?」
「すぐ病院に電話しろ。被害者がどこにいたのかを聞き出せ」
「はい」
ところが、病院からの回答は期待外れだった。
「自宅や帰宅途上で具合が悪くなったそうです」
「自宅だと? その自宅はどの地域だ?」
「新宿区だそうです」「八王子市です」「文京区です」
いずれもバラバラである。
「では帰宅途上の患者は?」
「新宿駅です」「東京駅です」「杉並区の路上です」
こちらもバラバラである。
村田は戸惑い、途方にくれた。
「そもそも、一体どこでサリンを吸ったんだ?」
「患者は東京全域に散らばっています。特定の場所に集中していません」
「どういうことだ? まさか東京全体にサリンが……撒かれたということか?」
「そんなことは……」
と言いかけて、小野は空中から散布された可能性に思い当たる。
「ヘリコプターで、ですかね」
「とすれば、相当大規模な組織だな」
「オウムもヘリでサリンを撒く計画はあったようです」
(現在、こんな大規模なことができる組織は……やはり北朝鮮が裏で操っているのか?)
そう疑念を深めたところに、機動隊の化学防護隊の津田が到着する。
「神経ガス検知器の準備ができました。いつでも出動できます」
「わかった。だが、まだどこに持っていけばいいのか分からない」
津田は拍子抜けしたように「電車じゃないんですか?」と問い返す。
「倒れた地点がバラバラなんだ。しかも自宅から運ばれている例もある」
「現場」がどこなのか五里霧中では、どこに派遣すべきなのかも決まらないのだ。
「野村! 各病院の最寄りの署から刑事を送って、患者の家族に面会して通勤ルートや勤務先を調べ上げろ」
「了解! すぐ手配します」
村田はコピー用紙にフローチャートを書きながら考えた。
(全員が同じ路線を使って通勤していれば、その電車内にガスが撒かれたと判断できる。
しかし、患者の発生場所は広い範囲に点在している。同じ路線ではないような気もするな)
「食中毒という可能性はないですか?」と小野。
「そういえば以前にあった毒餃子事件は、有機リン農薬が使われました。サリンと同じく、縮瞳を起こします」と科捜研の伊藤。
「そうか、その可能性もあるな。食べた物の特定を急げ」
と病院に向かう捜査員達に追加指令した。
程なくして病院から情報が集まり始めた。
「中央線、小田急線、東急田園都市線、地下鉄東西線などで通勤していた模様です。なお、全員に共通する路線はありません」
「勤務先は役所、大手メーカー、証券会社、また通学中の例もありました」
「見事にバラバラじゃないか。全員別の路線で通勤してるし、勤務先にも共通点がない」
「とすると、交通機関でガスを吸った可能性はなさそうですね」
「しかし、自宅の場所もバラバラだ。やはりヘリか何かで上空から散布されたのか?」
村田は途方にくれそうになる。
そうこうしているうちに通報業務はパンクし、混乱に拍車がかかった。
駅などからの通報も多く、患者数は数千人に上る可能性すら考えられ始めた。
「一体なぜだ! 食中毒でこんな多数になるか? それとも毒ガスなのか?」
村田は次々に来る電話に、いらつき始めた。

患者数の多い病院では複数の捜査員が、共同して聞き取りに当たった。
巡査部長の鈴木は、付き添いの家族から状況を聞くうちに、あることに気づき、上司の望月にに報告した。
「家族に色々聞いてみたんですが、家族はまったく具合が悪くなっていないんです」
「そうか、患者は家族のうち一人だけか」
そして、自分の考えが正しいか確認しようと質問をした。
「被害者は全員、今日外出したことがあるわけだな?」
「そうです」
これで事件の構図は読めた。
食中毒であれば、家族も同一症状が出る可能性が高い。
明らかに、外出時にどこかで毒物を体内に取り込んだものと考えられた。
望月は本庁の野村に調査結果を報告した。

「……ということです。外出した人物だけが被害を受けています」
「そうか。これで食中毒の線は消えたな。考えられるのは交通機関、あるいは帰宅途中の路上だが、
それにしては関連のない場所で発生しているな」
「外食店で食中毒を起こした可能性はないですか?」
「念のため調べてくれ」
「了解! あ、でもこれは家族に聞いても分かりませんね。本人は意識不明なので店名を言えませんし」
「それもそうだな」
そこに、各警察署からも署員が体調不良を訴え、倒れ始めているとの連絡が舞い込んだ。
「我が社も大分やられてるな!」
「夜8時頃から具合が悪くなり始めたそうです」
「とりあえず該当署員の通勤ルートを調べろ」
「あと署員が外食したことがあるかも聞いて下さい」
情報はすぐに上がってきた。
「外食はしていないそうです。通勤手段はいずれも電車だそうです」
「そうか。これで外食は原因ではないと分かった。待てよ、彼らは帰宅途中に具合が悪くなったのか?」
「いえ、署内でだそうですが」
村田は矛盾に気付き「とすると、電車には朝しか乗っていないのか?」と聞いた。
「あ、そういうことになりますね!」
「朝にサリンを吸って今頃症状が出るということがありえるか?」
その場にいた誰もが、即答できる知識を持ち合わせていなかった。
「こういう問題は陸自が強い。化学学校に問い合わせろ」
さいたま市にある大宮駐屯地の化学学校の教官は「サリンは即効性なので、
致死量を吸入して数時間後に初めて症状が現れるということはありません。
吸入する量が少なければ、発症までしばらく時間が空く場合はありますが、重症にはなりません」と即答した。
「つまりどういうことなんだ?」
「朝の電車は無関係と見ていいんじゃないでしょうか」
「だとするとどこで浴びたのかまったく分からんな。説明が付かない」
この時点で毒物がサリンでないことに気付くべきであったのだが、村田は立て続けに舞い込む報告に忙殺され、
論理的に考えるゆとりをなくしていた。
だが、署員の事例の報告により、自宅内、飲食店での食中毒の可能性は消滅した。
しかし、次に待ち受けているのは、一体どこに毒物があったのかという問題である。
村田はしばし考えた末、患者全員が鉄道を利用しているという共通点に気づいた。
バスのみ、自家用車のみの通勤ルートを取る被害者は存在しない。
「鉄道だな」
村田は力強くつぶやいた。
(これで絞り込めた。スジは鉄道で間違いない)
「今のところ、患者の全員が鉄道利用者です。ヘリなどにより東京中にサリンが撒かれたという可能性はないと思われます」
村田がそう宣言すると、会議室内に安堵の空気が広がる。
「しかし、利用していた路線は多岐に渡ります。今後は、路線の絞り込みに注力してください」
そこで武藤が憔悴した感じで言った。
「これ、明らかに複数箇所でやられていますよ」
「やはりそうか。薄々気付いてはいたが、予想以上に大規模だ」
村田は思考の外に追いやっていた同時多発の可能性を、武藤の冷酷な指摘によって認めざるを得なかった。
「地下鉄サリン事件では5箇所で撒かれました。今回も同様だと思います」
化学防護隊の津田が「検知器を使用すれば場所の特定は可能です」と言った。
村田は部下に対し、鉄道会社に連絡して被害車両の現在位置を聞き出すように命じた。
ところ意外なことに、どの鉄道会社も、どの車両に毒物が撒かれたのかを把握していなかった。
「複数の車両で数人の病人が出てはいるものの、他は体調に問題はないという状況です。
つまり集中的に被害を受けた車両というもの自体が存在しないようです」
会議室の一同の頭は混乱した。
(電車ではないのか? 電車内で倒れた乗客がいるのは間違いない。だが、大部分は無事だと?)
「電車はまだ運行してるのか?」
「そうみたいです」
村田は運行停止を求めるべきか逡巡した。
「どうする? 電車を止めた方がいいか?」
「あの……」
それまで様子を見守っていた新人が言った。
「列車じゃなくて、駅の可能性はないですか?」
「その可能性を見落としていたか!」
鉄道会社に確認を取ると、いくつかの駅で多くの乗客が倒れているという。
また、帰宅中の警察官からも同様な報告が寄せられた。
「よし、化学防護隊は新宿駅など、被害が大きい駅に向かえ」
隊員は色めき立ち、水を与えられた魚のように飛び出していった。

東京メトロの輸送司令室では、謎の急病人の多発に、列車運行を停止すべきかで激しい紛糾が起こっていた。
「ですから車内にいた旅客のうち、倒れたのはほんの一部なんですよ! 車内に毒があるという根拠はありません!」
「安全第一だよ。列車を止めてでも、一人でも死者が減る方がいい」
「駅のホームに毒物がある可能性だってありますよ」
「だが、車内で倒れた旅客も多いんだろう」
「ですが……」
「あのー、列車を止めたあと、お客様は駅構内にとどまるのでしょうか? それは却って危険なのでは?」
議論は収拾がつかない。
地下鉄サリン事件のときは、特定車両で体調不良者が続出し、刺激臭もしたので、車両の絞込みは用意だった。
実際、さほど時間が経たないうちに被害列車は運行停止になっている。
しかし、今回は原因車両がどこなのかすら分からず、さりとて全列車を停止させるような重大な決断を下すほどの材料もなかった。
そこへ警視庁からの連絡が入る。
「毒物が撒かれたと思われる車両でガスを採取したいそうです」
「たくさんの車両で病人が出てるんだ。場所の特定なんて不可能だ」
「むしろ、外部のどこかで被害にあった旅客が乗ってきたのでは?」
「そうだ。テレビを見ても路上や自宅で倒れた人も多いと言ってるぞ」
彼らもまた、当事者意識はそれほど高くはなかった。

そんなこんなで、一体どこが毒物発生源なのかも分からないまま、化学防護隊のメンバーは検知器を持って駅に乗り込んだのである。
彼らは防毒マスクをつけた重装備だ。
そんな彼らを見て驚く人、「何が起こったんですか?」と話しかける人もいた。
「みんな普通に歩いていますね」
「でも具合が悪そうな人もいる」
ホームに降りると、あたり一面に人が倒れていた。
彼らを介抱する人もいたが、忙しそうに帰宅を急ぐ乗客の姿もあった。
隊員は検知器のスイッチを入れた。
しかし、タブン・サリン・ソマン・VXのいずれも検出されない。
念のため、ガス検知管を使用することで確認した。
「リン酸エステル検知管」の先端を折り、ピストンに接続し空気を濾過する。
しかしまったく変色は見られない。
一同は首をかしげた。
「患者を実際に見てみよう」
近くの床に倒れていた中年男性の様子を見ると、意識はなく、駅員に昏睡体位を取らされたまま放置されていた。
手足が小刻みに痙攣している。
眼を開けて観察すると、瞳孔がかなり小さかった。
「少なくとも神経ガスを浴びてることは間違いないな。だが、場所はここではないのか」
「救急車はまだなんですか! 1時間も待ってるんです」と近くにいた女性が叫んだ。
「警察の管轄ではないので……」と答えるのが精一杯だった。

警視総監が本庁に到着したとき、時刻は22時を過ぎていた。
村田は部下を引き連れ、17階の総合指揮所に向かった。
「これより総合警備本部を設置する」
警視総監がそう宣言した。
総合指揮所では、東京メトロの一部の駅の防犯カメラの画像を閲覧できるようになっている。
東京メトロに要請し、通信回線からデータを送ってもらった。
大手町駅のホームなどでは、倒れている人が見受けられるが、帰宅時間帯ということもあり雑踏の中である。
マスコミからはひっきりなしに電話が掛かってくる。
そろそろ記者会見を始めなければ、後で初動の遅れと叩かれることは目に見えている。
東京中の救急車が出払っており、病院もパンク状態だ。
だが、いまだにガスの発生源も分からず、ガスの種類も断定できていない。
そもそも本当にガス中毒なのかすら、断定できるだけの情報は入っていないのだ。

そこに化学防護隊からの連絡が入る。
「駅でもガスは検出されませんでした」
指揮所の空気はいっそう暗澹とした。
「その検知器が対応していないガスの可能性があります。現場の空気をテドラーバッグに採取して科捜研まで持ってきて下さい」
と科捜研の伊藤が言った。
すでに病院には患者の血液を提供してもらうように連絡してある。
「彼らにはリン酸エステル検知管を持たせてあります。これは検知器では対応していないガスも検知できます。
これで検知されなければ神経ガスは存在しないはずです」
と化学防護隊の崎山が反論した。
「一体どうなってるんだ? 現場は鉄道ではないのか?」
警視総監が苛立って言い放った。
「今の所、鉄道利用者のみに被害が出ている、としか申し上げられません」と村田。
(もうすぐ終電の時間だ。客がいなくなれば全車両をくまなく調べられる)
「終電が車両基地に入った時点で、車内の空気を採取し、科捜研で鑑定します」
そこに神奈川県警からの連絡が入る。
「神奈川県警管内でも多数の急患が発生している模様です」
「おそらく都内の路線の利用者だろう。県警本部とのホットラインを確保しておけ」
「あと、都内では治療薬の不足が起きると思われます。確保の手配をすべきです」
サリンの解毒薬はPAMと硫酸アトロピンだ。
だが、各病院の在庫のみでは足りないだろうと思われる。
実は地下鉄サリン事件以降、都内各所にある程度の備蓄がなされている。
しかし、今回はそれでも足りなくなりそうな気配だ。
全国からかき集める必要があるが、今は夜なので、取り扱い業者はすでに営業を終えている。
サリン中毒においては、エイジングと呼ばれる現象が起き、5時間たつごとにPAMの効果は半減する。
投与が10時間後になれば、25%しかコリンエステラーゼは回復しないのだ。
「とにかく急げ。全国の警察や自衛隊駐屯地に連絡してありったけを東京に集めるんだ」
「業者の社員の自宅にも連絡を」
「輸送には飛行機も使いましょう」
「JRに協力してもらって新幹線を夜間に走らせてもらえば……」
地下鉄サリン事件の時は、名古屋の業者からPAMが新幹線で集められたことがある。
だが今回は夜間で、しかも被害者数が多いという悪条件が重なっている。

警視庁には総合指揮所のほか、刑事部と公安部にも指揮所がある。
刑事部の指揮所では中田が荒れていた。
「糞! もう一度被害者の行動を洗いなおせ!」
部下が被害者の行動記録を読むうち、妙な部分を見つけた。
「あの、ある被害者なんですが、朝に中央線を利用して、夜に具合が悪くなったので、
会社からそのまま病院に直行したという例があります」
「何? 朝から列車には乗っていないのか?」
「はいそうです」
「その人の行動について重点的に調べろ!」
そう指令を受け、部下達は動き始めた。
その結果、本人は意識不明のため話をすることは不可能であったが、間違いなく電車に乗ったのは朝の1回だけであることが判明した。
また、内勤であり、出社後1回も外出せず、食事も社員食堂を利用していたことが判明した。
「これは、朝に乗った電車でガスを吸ったということなのか?」
「半日も何も変化がないものなのでしょうか」
「サリンってこんな中毒なんだっけ?」
「さあ?」
「もしかすると、遅効性の毒ガスなのか? そんなものがあるとは知らなかったぞ」
「とりあえず上に報告した方が」

都立新宿病院では、懸命な治療が行われていた。
診療部長の大川は、症状や発生状況から、原因物質はサリンで間違いないと判断した。
サリンの特効薬はPAM(プラリドキシムヨウ化メチル)だ。
しかしPAMの在庫は患者数に対して決定的に不足している。
薬剤部からは「夜間なので卸売業者に電話が繋がらない」との報告があった。
テレビを見ると、東京全域で同様の中毒者が出ているようだ。
(もはやPAMは入手困難だろう。硫酸アトロピンならある程度在庫がある。これでしのぐしかない)
「PAMは重症者のみに使え。他は硫酸アトロピンだけで対応しろ」
PAMは農薬や神経ガスの中毒くらいにしか用途がないが、硫酸アトロピンは他にも色々な用途があり、ある程度在庫があった。
とはいえ硫酸アトロピンは対症療法のような薬であり、症状は軽減するものの、根本的解決にはならない。
こうして重症者に対してPAMが使われることになったのだが、注射後しばらく様子を見ても、どうも効き目がないように思える。
血中コリンエステラーゼ値は復帰せず、意識状態は遷延するばかりであった。
(おかしい。有機リン剤であればPAMが効果あるはず。もしかするとカーバメート剤だろうか?)
だが、カーバメート系の神経ガスはその存在をほとんど知られておらず、大川は有機リン剤の可能性を捨てきれない。

総合指揮所ではみな頭を抱えていた。
「列車または駅に毒物があったのはほぼ間違いない。しかし、携帯型検知器では検出されていない。
未知の毒物の可能性もある。採取した空気を科捜研で詳しく鑑定する予定だ」
ある人が異議を挟む。
「撒かれてから時間がたったので、風で飛んでしまったという可能性はないですか?」
「携帯型の検知器では、確かにごく微量のガスは検知できない。科捜研の機材ならそれも可能だ。いずれにせよ分析待ちだ」
そこに刑事部指揮所からの連絡が入る。
「朝に電車に乗ってから1回も外出していない患者がいるんですよ。遅効性の毒物ではないですか?」
「遅効性?」
予期していなかった概念に一同がざわめく。
「ということは、やはりサリンではなく、別のもの?」
「朝にサリンを吸って、夜に具合が悪くなるということはないんですか?」
武藤は、「サリンといえば、吸ってすぐに症状が出ると思っていましたが……」と応じた。
そこへ病院からの連絡が入る。
「PAMを注射しても効果がありません。毒物は有機リン剤かどうか判断が付きません」
「やはりか。サリンだとすると腑に落ちない点はあったが」
「科捜研に特定作業を急がせろ」
そして、被害者の見積もりが出た。
「現在の入院患者は3千人以上。病院が満床で搬送できない患者も多数存在することが判明しています。
また、ひっきりなしに各家庭や駅などから通報が来ています。そして、ついに死亡した患者も出ている模様です。
最終的な犠牲者は、この10倍になることもありえると思われます」
報告に改めて衝撃が走る。
「この事件は、地下鉄サリン事件を上回ることになるだろう。まずは毒物の特定が最優先事項だ。
そして病院には治療方法の周知徹底を行う。そして毒物の発生箇所の特定も並行して迅速に行え」
そう警視総監が訓示した。

東京・埼玉県境に位置する陸上自衛隊の朝霞駐屯地には、化学兵器に対する治療を担当する対特殊武器衛生隊がある。
医師の資格を持つ隊員の正木裕也が、事件を伝えるテレビを見ながら、何かが決定的におかしいことに気付いた。
画面には、改札から中に入ったカメラによる、電車から運び出される急病人の姿が映し出されていた。
(大部分の乗客はまったく健康に見えるのに、一部の乗客は重体だ。これはどういうことだ?)
「これはサリンではないと思う」
正木の発言に他の隊員から異議が上がる。
「でも、サリンとまったく同じ症状ですよ」
「他の有機リン剤でも同じ症状が出ます。縮瞳だけではサリンとは特定できません」
「でもサリンの可能性もあるでしょう」
「サリンは即効性です。仮に車内に撒かれていたとしたら、近くにいる乗客の全てが倒れているはずです。
駅で撒かれた場合でも同じことです」
「確かに、その場にいる人の大部分は何事もないようですが」
正木の説明で、他の隊員も違和感の正体に気付いた。
「おそらく、他の場所で毒物に曝露した後、移動中に中毒症状が現れたのでしょう」
「つまり遅効性の毒物ということですね」
「もしかすると、これ農薬じゃないのかな」
正木は農薬中毒の文献症例を思い出していた。
「こんなに毒性の強い農薬が存在しますか?」
「例えばパラチオンならば、曝露後数時間たって初めて症状が現れます。毒性も申し分ない」
「パラチオンですか。古い農薬ですね」
農薬という可能性を予想していなかった彼らは、意外な言葉に戸惑った。
昔は良く使われたが、現在、日本では製造が禁止されている。
しかし、合成にはさほど高度な技術はいらないだろうことを考えると、ありえないことではないと思い直した。
「パラチオンのようなチオン型の有機リン剤は、神経ガスのようなオキソン型の有機リン剤より発症が遅れます。
一度肝臓でオキソン型に変換されてから毒性を発揮するためです」
「ある意味、サリンより対処が厄介ですね」
「発生場所を見つけるのは困難でしょう」
正木とてこれといった妙案があるわけではない。
そして出動要請に備えて治療機材の準備に戻った。

総合指揮所に科捜研の伊藤が駆け込んできた。
「患者の血液から、メチルホスホン酸ピナコリルおよびピナコリルアルコールを検出しました」
「そうか。それはどういう毒物だ?」
「この物質は、神経ガスのソマンの加水分解物です。つまり毒物はソマンだと推定されます」
(ソマン……その名前は聞いたことがある。サリンより毒性が強いガスだ)
武藤はサリンでないという疑念が的中し、畳み掛けるように質問した。
「そうか。それでソマンは、吸ってから半日くらい症状が出ないんだな?」
「いえ、ソマンも即効性です」と自衛隊から派遣された隊員は言った。
「ではなぜこんなことになるんだ」
「分かりません」
指揮所は静まり返った。
しばらくして、誰かが発生時刻の矛盾を説明できる説を述べた。
「もしかすると皮膚に接触して中毒したのではないでしょうか? 座席にしみこんでいたのが付着したとか」
「確かに皮膚吸収での中毒もありえます。それにしては人数が多いですが……」
「皮膚吸収の場合も即効性なのか?」
「いえ、おそらくしばらく掛かるでしょう」
こうして、中毒原因はソマンの皮膚吸収だという方向に議論が収斂していった。

警視庁記者クラブではマスコミ各社が記者会見を待っていた。
地下鉄サリン事件のときは、朝8時の事件発生から3時間後の11時に当時の捜査一課長が記者会見を開き、毒物はサリンだと断定した。
今回の事件では20時頃から救急搬送者が急増している。
そろそろ開かれてもおかしくない時間だが、一向に開かれる気配がない。
テレビではコメンテーターがサリン説を唱えていた。

一方、総合指揮所では記者会見を開くかどうか迷っていた。
「そろそろ毒物がソマンだと発表すべきでは?」
警視総監が「だが確実なのか?」と念を押す。
「ピナコリル基がありますので、ソマンと見て間違いないと思います」
「汚染源を回収してからの方が確実です」と慎重論を唱える者もいた。
「どこにあるかも分からないだろう。仮に電車内にあるとしても終電を待たねばならん」
「遅くなるほどマスコミに叩かれる。拙速でも結果的にあってればいいんだ」
「もうすぐ日付が変わります。当日中にやった方が、あとあと迅速な対応という印象を与えられるでしょう」
「1時間の差が1日の差になる、か」
科捜研の鑑定結果を信用しようという意見が強い。
「分かった。記者会見を開くことにしよう」
警視総監の鶴の一声により、記者会見の開催が決まった。

記者会見では、血液検査の結果、毒物名はソマンと推定されるが、発生源は調査中であることが伝えられた。
質問をする報道陣を残して、会見はすぐに打ち切られた。
もともとこの時間のテレビの視聴率は非常に高く、この記者会見は非常に注目されていた。
毒物発生源が未特定という情報は、視聴者に大きな恐怖を引き起こした

自衛隊中央病院では、警視庁の記者会見を受けて、治療方針が検討された。
「ソマンであればPAMは効きません! 今すぐ各病院に使用停止の連絡を!」
「では有効な解毒剤は?」
「HI-6という物質が有効なようです。しかし日本では製造されていません……」
「では硫酸アトロピンで対応するしかないのか……」
薬さえあれば目の前の患者を助けられるのに、何もできないという無力感が彼らを貫いた。

―2012年12月22日―
時刻は0時を回り、車両基地には続々と列車が集結した。
待ち構えていた消防・自衛隊の防護服姿の隊員が乗り込み、不審物を探し、また空気を採取した。
網棚や床には単なる忘れ物に見える物品がいくつかあったが、急病人が残していったと思われるカバンもあった。
ある隊員が座席の下にあったポーチを発見した。
まったく不審に思わずに拾おうとしたが、まったく持ち上がらない。
よく見ると床に両面テープで強く接着されていた。
「おーい、変なのがあるぞ」
他の隊員が集まり、掴んで取ろうとする。
「これは怪しいな」
「とりあえず回収しよう」
無理やり床からはがし、袋に入れた。
一気に緊迫感が高まったのは、他の編成からもまったく同じポーチが発見された時である。
隊員達は一種の確信を持ちながら、まず手付かずの状態での写真を撮った。
そして検知器を近づけて様子を見た。
しかし何の反応もない。
念のため、検知管を使用して周辺の空気を吸引したが、何分待っても色が変わらない。
落胆しながらもまた回収した。
車内で回収された物品はすべて密封され、科捜研に送られた。

無骨な外観の警察総合庁舎にある科捜研では、床に広げられたポリ袋の山を所員が見渡していた。
全員の目が、10個以上ある同型のポーチに集中していた。
「これはどこにあったんですか?」
「床に接着されていました」と隊員。
袋の表記を見ると、ある物は中央線、ある物は小田急線と、別の路線または別の編成から拾われている。
(同一犯が置いたのだろう。これに間違いない)
所員はガスマスクを付けると、ポーチをドラフトに置いて中身を採取し始めた。
座席の下の温風吹き出し口の前面にあったこともあって、中身は大分蒸発していたが、少量のサンプルが回収できた。
現代の分析技術では十分すぎるほどの量である。

指揮所では不審なポーチの回収に沸き立っていた。
これでもはや新たな中毒者を出すことはない。
後は中身がソマンであることを確認するだけだ。
しかし、新たな話題が持ち上がった。
「そのポーチは一体いつから車内にあったんだ?」
「早速、目撃証言を集めます」
確実を期すために指示が下された。
新たに記者会見が行われ、電車内から複数のポーチが発見され、中身を鑑定中であることが発表された。
またポーチの写真が公開され、目撃証言を募集した。
原因が取り除かれたことで、都民に安心感が広まった。

科捜研ではNMRやGC/MS、LC/MSを使って分析を行った。
その結果、分析機器の全てが同一の物質名を表示した。
その物質とは、チオソマンである。
チオソマン発見の報告は指揮所に届けられた。
「チオソマン? それはソマンと関係あるものか?」
科捜研の伊藤は「ソマンのリンと二重結合している酸素が硫黄に変わった物質です。それ以外のことはよく分かりません」と説明した。
「ソマンではなくてチオソマンか」
その場にいた誰もが、初めて聞く物質であった。
「ああ、記者会見で訂正しないといけないのか?」
「早まってしまったな」
物質名を誤って発表したことを悔いる声も上がった。
「いずれにせよ一歩前進だ。後はこの物質について情報を収集すればいい」
ところが、自衛隊の化学学校に電話しても、その物質については知らなかったと言われた。
自衛隊すらも情報を持っていない新型毒物に、どう対処すべきなのか、彼らには分からなかった。
しかし、対特殊武器衛生隊に電話すると、正木から、「ソマンのチオン型であるからソマンに似た毒性を持ち、
摂取してからの潜伏時間は長いだろう」という推測を伝えられた。
「ということは、半日近い潜伏時間があってもおかしくないのか」
「謎が氷解した! 原因はこれか!」
「だが、これは朝の電車からあったのか。目撃証言はまだか」
昼に乗車した目撃者は容易に見つかったが、なかなか朝の目撃証言が集まらない。
ラッシュ時は足元がよく見えない上、朝の目撃者はすでに中毒症状を発症しているためだ。
しかし、朝6時台の電車に乗った中毒者が確認されたことから、状況証拠でポーチは朝に設置されたと判断された。
「朝の電車にこれが置かれていたんだな。遅効性だったおかげで、捜査は混乱した」
そこへ自衛隊中央病院から連絡があった。
「ソマンが原因であれば、PAMは無効です。HI-6なら効きますが、日本では製造されていないようです」
「ソマンは誤りで実はチオソマンだったと判明しています。チオソマンの場合はどうなんですか?」
「チオソマンですか。その物質は聞いたことがありません」
村田は「都立新宿病院の先生の話だと、実際効かなかったそうだ。ソマンと同じで効かないのだろう」と結論付けた。
特効薬が効かないことが分かり、一同は途方にくれた。
ある者が「そのHI-6を製薬会社に製造させればいいのでは? 間に合えばいいが……」と妙案を出す。
「よし、この際許認可は度外視しよう。早速製薬会社に連絡を取ってくれ」

夜が明けた。
重症者の見積もりは1万5千人を越えていた。
地下鉄サリン事件のときは死者13人、負症者は多く見積もって5千人だから、桁違いも桁違い、千倍もの差である。
やっと原因を突き止めたものの、捜査本部には沈鬱な空気が立ち込めていた。
犯人は誰なのか、目的は一体何なのか、そして再発の懸念もある。
何から何まで、考えても答えは出なかった。
そしてなぜ、地下鉄サリン事件よりはるかに犠牲が多いのかも、まだ明確な答えを出せなかった。

朝方に警視総監が記者会見を行った。
この時点になるとフリージャーナリストも警視庁に駆けつけていたが、参加できるのは記者クラブ加盟社のみであり、
例によってフリージャーナリストは締め出された。
記者会見では、警視総監自らがテレビカメラの前で説明した。
「毒物の種類をチオソマンに訂正します。この物質の毒性などは今の所分かっていません」
「死者は現時点で500人、重症者は1万5千人以上と見られます」
「PAMでは解毒できません。しかし硫酸アトロピンは効果があります」
この言葉は一般人には希望を持たせたが、医療関係者にはむしろ絶望をもたらした。
そして、視聴者が最も衝撃を受けたのは次の一言だった。
「犯人は不明です。この事件は、再発する可能性があります」

自衛隊の化学学校ではチオソマンを製造し、動物実験を行って効果を確かめた。
すると、この物質はソマンと同等の毒性を持つが、症状発現は吸入後12時間程度遅れるということが判明した。
また、当日の電車内での中毒状況のシミュレーションが行われた。
その結果、遅効性毒物は滞在人員が定期的に交代する空間では即効性毒物よりはるかに甚大な被害をもたらすという、
衝撃的な事実が判明したのだ。
まさに電車内がその典型である。
即効性毒物の場合、どれほど大量に散布されようと、その時点で車両内にいた乗客以外は死亡せず、
発症者が倒れるなどしてすぐ発覚するので、乗客は現場から逃避し、被害は拡大しない。
ガスが一点より広がった場合、乗客の1割程度が致死量を吸った時点で昏倒し、その段階から回避行動が始まるので、大部分は死を逃れる。
地下鉄サリン事件の実例では刺激臭があったために回避行動が早く、この試算よりも死者数は少ない。
しかし、遅効性毒物の場合、その場にいた乗客が致死量を吸入しても無症状のまま降車し、
新たに乗車した乗客がまた致死量を吸入するのである。
21日には、これらのサイクルが10回近く繰り返されたと思われた。
満員電車の乗客数は約200人である。
チオソマンの入ったポーチは15箇所に置かれ、計3万人が死亡または重症を負うとの計算結果が出た。
解毒剤がなければ、重症者はやがて死者となるだろう。
夕方ごろになると、中の液体が減ったこともあって、短時間の乗車では致命的な被害を受けなくなった。
しかし、12時間の時間差は夜間の就寝中に中毒症状を起こす形になり、搬送率を押し下げた。
教官は結果に驚愕し、チオソマンのような遅効性物質はサリンのような即効性物質とはまったく別個の危険性があることに気付いた。
以前からマスタードガスのような遅効性毒ガスに対する訓練はなされていた。
しかし、ここまで大きな被害を生むとは想像だにしていなかったのである。

東京消防庁では、日頃から行っていた化学テロに対する訓練が何の意味も成さなかったことに衝撃を受けていた。
あらゆる事例想定が地下鉄サリン事件をモデルにしており、化学物質の散布直後に発生源が認知できるとの前提条件が付与されていた。
原因の特定が不可能であるケースは想定外であり、全ての訓練計画の抜本的見直しを余儀なくされた。

また、機動隊の化学防護隊は、リン酸エステル検知管が反応しなかった理由を突き止めた。
この検知管はコリンエステラーゼを阻害する物質には反応するが、チオソマンは肝臓で化学変化しないと毒性を持たないため、
検知管では反応しないのである。
これを受け、部隊は適切な検知管を配備することに決定した。

22日は土曜日であり、株式市場はない。
しかし、為替は一時的に大きく円安に動いた。
金価格と原油価格は高くなった。

―2012年12月23日―
関東圏以外の病院が連合して、病床確保に動いたため、収容待ちの患者はいなくなった。
その一方で、新たに不調を訴える患者も続出した。
落ち着くにつれ、深刻な被害の実態が次々と明らかになって来た。
上場企業の要職にある人物の死が判明するなど、社会的な影響は甚大だった。
死者は1万人を超した。
特に、一人暮らしだったために発見が遅れた例が多かった。
また硫酸アトロピンも不足気味になっていた。
これは病院に対する飽和攻撃であった。

―2012年12月24日―
この日は天皇誕生日の振り替え休日である。
インターネットでは妙な噂が飛び交っていた
「21日のチオソマン事件、朝鮮学校がある路線はなぜか被害にあってないんだよな」
「これはどう見ても北朝鮮の仕業だろ」
「いや、朝鮮総連がある中央線が被害にあってるじゃないか」
「おいおい、総連本部はもう売却されて他人の手に渡ってるよ」
もちろん、これだけでは北朝鮮との関連を判断するには薄い。
しかしネット上に元からあった反韓・反北朝鮮感情をベースに、コピペは広がってゆく。
しかし、一部保守系雑誌は取り上げたものの、一般メディアは北朝鮮説に見向きもしなかった。

―2012年12月25日―
事件以降、初めての平日であるが、東京では鉄道利用者が激減した。
その代わりタクシーが大繁盛し、配車が不足した。

日経平均株価は2000円を越す値下げを記録した。
大企業の役員にも死者が出ていることなどから、人的被害の凄まじさは株価に反映された。
なお、過去に起きた大事件の際の株価変動は下記のとおり。
阪神大震災:数日間掛けて1500円程度下落。しかしまもなく半分ほど戻した。
地下鉄サリン事件:その週は数百円程度下がったが、すぐ元通りになった。
9.11テロ:700円ほど下がったが、1ヵ月後には元に戻っていた。
リーマンショック:約1ヶ月で5000円下落。7ヵ月半後にやっと3000円戻した。
東日本大震災:一時的に2000円下がったが、その後は1000円ほど戻した。

そして25日夕方。
福岡で縮瞳を主症状とする入院患者が大量発生したのだ。
この毒ガス攻撃再発の報は、日本全体を恐怖に陥れた。
東京だけならまだしも、地方都市も狙われるとなれば、日本のどこにいても狙われるということなのである。

―2012年12月26日―
福岡で起きた同様の事件により、日経平均はさらに1000円の値下げを記録した。
先物取引のストップロスを巻き込みながら、前日より下げ幅はいっそう拡大したのである。

首都圏のチオソマンによる死者は1万8千人となった。
重体者は1万2千人であり、回復しても後遺症が残ると思われた。
一方、製薬会社に急遽製造させたHI-6により、一部の入院患者は急速な回復を見せていた。
低酸素脳症などが起きなかったレベルの中毒であれば、視力低下などの後遺症は残るものの、
リハビリを続ければ日常生活を送れるようになると考えられる。

一方、福岡での中毒は1編成にとどまり、死者・重症者は1000人規模と推定された。
企業の中には、正月休みを繰り上げて長期休暇に入るところも出てきた。

キム・ヨンニョルはオプション価格表を眺め、成功を確信していた。
この時点で原資産は20倍以上に膨れ上がっている。
後は1月の納会日まで、日経平均がこの水準にとどまってくれればいい。
もし反発するなら、また毒を撒いて下げればいいだけだ。
(1000億円あれば、総連は必ず復活する。
その暁には、私がそのトップとなるのだ。
本国のことはもうどうでもいい。
無益な拉致を繰り返し、あまつさえその犯行を認めて在日朝鮮人に対する感情を悪化させた金正日。
あれほど送金したのに、総連の危機には何もしてくれなかった。
あんな豚はどうなろうとよい。
我々は我々式で行くのだ)

―2012年12月28日―
チェ・グァンピルは作戦のあまりの効果に驚嘆していた。
(まさかここまでとは! たった5人で2万人を超す死者をだす事ができるとは驚いた!
貧者の核兵器と呼ばれるだけのことはある)
しかし、ちょっとやりすぎた感がしないでもない。
何しろ本国の軍事大学出身者と違って彼は日本で育ったのである。
どちらかといえば思考は日本人に近い。
逡巡しながら、報酬が手に入ってから身の振り方を考えようと思った。

―2013年1月16日―
首都圏の鉄道車両に、簡易型のガス検知装置が備え付けられた。
事件を受けて不眠不休で開発されたものである。
複数種類のガスに対する検知管が備わっており、常に空気を通すことでガスが発散された場合に即座に変色し、
一目で分かるようになっている。
誰も見ていなければ無意味だが、少なくとも乗客の不安を解消する心理的な効果は大きかった。
これが設置されるまで、冬なのに電車の窓を常に開けようとする乗客と、
寒さに抗議する乗客の間で喧嘩が起きることがたびたびであった。
なお、ポンプには熱帯魚用のポンプが流用されており、コスト削減に貢献している。

この日、死者の数が2万4千人を超えた。
東京都の人口の548人に1人が死亡した計算になる。
原爆投下による死者数には及ばないものの、「貧者の核兵器」の威力をまざまざと見せ付けた事件だった。
もし実行役の人数が10倍であれば、死者数は最低でも10倍にはなっていただろう。
医療機関の能力限界や治療薬の不足を考えれば、さらに被害が何倍にも増幅してもおかしくない。

一人暮らしの人の家では、21日の事件による死亡者の孤独死が相次いで発見されていた。
孤独死自体はさほど珍しいことではないが、事件以後は桁が違った。
「便りがないのは良い便り」とばかり思っていた親族は、突然の悲報に打ちひしがれることになる。

―2013年1月25日―
新年を迎えたが、事件再発不安から日経平均株価はいっそう落ち込み、世界各国の株価もつられて下落した。
いまだに犯人どころか目的や組織もつかめず、残存するチオソマンの量も計り知れない。
そもそもある程度の有機化学の知識さえあれば、工業用原料で製造が可能であり、慢性的に再攻撃の可能性が継続している。
外国からの観光客の数も減り、観光産業は悲鳴を上げていた。
国会では対テロ戦争を叫ぶ声が上がった。
しかし、敵の姿が見えないのに対テロ戦争を始めようとするのは、雲をつかむような話である。

キム・ヨンニョルの目の前には札束が積みあがっていた。
「報告しよう。プットオプションの価値は30倍になった。50億が1500億に化けたのだ! これで朝鮮総連は復興するだろう。
今日この日、同胞社会は新たな船出をするだろう。さて、これが3億円だ。今日持ち帰るか?」
透明な包装がなされた1億円の束はかなり大きく、簡単に持ち運ぶことは不可能であった。
何しろ一つ10kgもあるのである。
5人の工作員は、一時的にそれぞれ数千万円だけを持ち帰り、残りは後日受け取ることにした。
自分の口座に入れれば税務署や警察に怪しまれるだろう。
「金庫を買うことだな」とキム・ヨンニョルはアドバイスした。
「本国に送金なさるのですか?」とパク・グァンジュンが質問した。
「当然、そうしたい。だが今は世界の目が厳しい。第三国を経由して、探知されないように行う必要がある」
キム・ヨンニョルはそう答えた。
しかし、彼は利益の大部分を本国に送金するつもりなどはなかった。
本国の金の使い方をよく知る彼は、たとえ1兆円を送っても蕩尽されてしまうことを知っていた。

この後、日本には消えない傷跡が残った。
防毒マスクを装着して電車通学する子供の姿が地方都市でも見られるようになった。
電車内に監視カメラが設置されるようになったが、ラッシュ時間帯には客の頭しか写らなかった。
影響は海外にも波及した。
世界各国ではこれまでの化学テロ対策が無意味だったことに衝撃を受け、防衛担当者が集まって国際会議を開いた。
また、世界中の反体制組織が化学兵器の有効な使い方に気付き、蠢動を始めた。
1995年の地下鉄サリン事件の死者は13人のみであり、化学テロは爆弾テロに比べると大したことがないという印象を植え付けた。
その後、多くの死者を生んだテロは爆弾や航空機突入などの物理兵器によるものばかりである。
しかし、その幻想は17年で崩れ、9.11テロの記録を塗り替えてしまった。
今後、非対称戦争の様相は一変するだろう。
半世紀後の歴史家は、2012年の12月が世界の転換期となったと記述することになる。

ドゥームズデイ(滅亡の日)

この作品はいわば習作です。
考証など、不完全なところが結構あると思います。
またポーチの内部、設置場所については、ややぼかして書いてあります。
著作権については気にせずに、ご自由に改変・転載・漫画化・映画化などして下さって結構です。

ドゥームズデイ(滅亡の日)

東京が化学兵器で攻撃されたら? 現実に起こる可能性がある事態を取り上げたシミュレーション戦記。

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-06-27

CC BY
原著作者の表示の条件で、作品の改変や二次創作などの自由な利用を許可します。

CC BY