Remember me? ~teenagers~

Remember me? ~teenagers~

この物語は「Remember me? ~children~」の続編です。
今作は第二部にして最終部となります。
平井優子(Yuko Hirai)
沙耶原麗太(Reita Sayahara)
榊原梓(Azusa Sakakibara)
佐々滝佐々美(Sasami Sasadaki)
天美マミ(Mami Amami)
光原綾瀬(Ayase Mitsuhara)

Prologue Reminiscence

 孤独な少年と、純真無垢で苦というものを知らない少女がいたらしい。
 少年と少女は家族や友情、愛という言葉の意を知った。
 それは今から五年以上も前の話。
 私が少年と出会ったのは、高校三年の夏。
 そして今、私は大学一年生。
 十二月下旬の、世間ではジングルベルの鐘が鳴り始める頃。
 クリスマスから初春に掛けた、彼の物語。

Episode1 Reita Sayahara

 冬の夕暮れというのは早いもので、学校の授業を終えた頃には、既に西日が強くなっている。
 ビルとビルの間に挟まれて見える夕陽は、いつもと同じ様に都心を照らし、いつもと同じ風景を、ここから見える景色として、映写機の様に空に映している。
 学校の屋上。
 フェンス越しのここからなら、夕陽に照らされた都心を一望できる。
 いつもと同じ夕暮れ、オレンジ色の空の下の街。
 全てがいつもと同じで変わろうとしない。
 怠惰な俺と同じ。
 惰性だ。
 もし、神様っつーのがいたとしたら、そいつは休む事もなく毎日決まった時間に陽を落としては翌日に朝陽を登らせているという事になる。
 きっと本人も飽き飽きしている筈さ。
 そんな神様って奴がいるとするのなら、俺は言ってやりたいね。
 おお、神よ、たまには別の風景を映してみては如何?
 切り取られた四角い空に、毎日の様に同じ景色を映すだけなら、たまにはもっと違うものを俺に見せてくれって。
 そういえば四角い空って、よく歌の歌詞に使われてるなぁ。
 特に中二病臭いバンドとか。
 まあ、そんな事はどうでもいいや。
 とにかく俺が言いたいのは、もうちょっと日常に刺激的な何かが欲しいって事だ。
 空からペンダント付けた女の子が降って来るとか、祖父ちゃんの家の碁盤に宿ってた平安時代の霊に取り憑かれるとか、実は自分は千年以上も前からある暗殺教団の末裔でとか、そんな漫画やゲームみたいなのじゃなくて……ただ、俺が不満に思ってるのは……。
 一度、舌打ちを鳴らし俯く。
「一回くらい……いいじゃん」
 俺には、二年付き合っている二つ年上の彼女がいる。
昨日の夜、彼女の家での事だ。
 キスとかして、ちょっとエロい話とかして……その場のノリで、いざセックスしようと服を脱がせたところ、頭を引っ叩かれた。
『麗太は、まだ高校生でしょうが! 早すぎるわ、このマセガキが!』
 いきなり怒鳴られた上に何を言っていいのか分からず、俺は唖然とした。
 そんで出てきた言葉が『はあ、すんません』。
 何だよ、それ。
 格好悪過ぎんだろ。
「おう、麗太。まだ、しょぼくれてんの?」
 後ろに誰かが来たようだ。
 そいつはガサガサと音を立てて何かを取り出し、パチンと高い音を鳴らした。
 白い煙が背後から俺に掛かる。
 手で煙を仰ぎ、振り返る。
「何度も言うけど、俺がいる所で煙草吸うなって。ピアスごと耳、引き千切るぞ」
「おお、怖い怖い」
 そうは言っているものの、おちゃらけた顔して煙草を吸い続けている。
 久仁江涼。
 中学からの友人で……とまあ、見ての通りのチャラ男。
 茶色のメッシュの入った髪に耳のピアス。
 よくぞこんな輩が、割と難度の高いこの進学校に入学できたものだと、つくづく思う。
 人は見掛けに寄らないとは、正にこの事。
 おまけに成績も良くて人当たりも良いときた。
 まったく、人間のパラメーター制限ってのは、本当に狂っている。
「教室、誰か残ってた?」
「いや、俺が荷物取りに戻った時には、もう誰もいなかったなぁ」
 ヒロかカズとかいれば、帰りにゲーセンっていう手もあったけど……一人で夜まで時間を潰すってのはなぁ……涼はこれからバイトだし。
「俺、これからバイトだけど。お前どうすんの?」
「仕方ない。今日は、もう帰るよ」
「その方が良いだろ。親父と、あんまり顔会わしてないんだろ?」
「まあ……ね」
 親父は、週に二、三度程、しかも夕方に帰って来たと思うと、夜には仕事に出ている。
 どこぞの女の家にでもいるのか、それとも会社に泊まり込みで熱心に働いているのか。
 今朝、家を出る前に見た書き置きには『今日は夕方には帰る。明日から有休』と書いてあったが、どうだろう。
 仕事が忙しいというのは分かっている。
 昔から、ずっとそうだったから。
 普段は会う事のない親父と、会った時に何を話すべきか分からなくて、ずっと避けてきた。
 だから親父の帰って来る頻度の多い日には、家に帰らず友達の家に泊まる事もあった。
 あの日、親父は俺と一緒に住む事を望んでくれた。
 それなのに肝心の俺ときたら……。
親父は、もしかしたら後悔しているのかもしれない。

涼のバイト先であるコンビニは駅前。
 そんで俺は電車で帰宅。
 駅までは涼と一緒だ。
「じゃあな、麗太」
「また明日」
 涼と別れた後、適当に駅周辺をぶらつこうかと思ってはいたが結局、一人では特に面白くもないので、数分後には駅のホームに降りていた。
 こんな時、梓がいればなぁ。
 今は大学生一年生で二つ年上の彼女。
 俺が高校一年の時にバイト先で知り合って、そんでお互いに同じ学校って事に気付いて、なんやかんやで仲良くなって、付き合う事になって……。
 一年の頃は毎日、帰宅は梓と一緒だった。
 バイトの日は一緒に学校から行って、都合の合う日は彼女の家に行って。
 それが今となっては……。
 色気ねぇ。
「あ、麗太!」
 エスカレーターから降りて来た誰かが、俺の名前を呼び近寄ってくる。
 うちの学校の女子。
 微かな風に吹かれた、肩に掛かる程のセミロングからシャンプーの匂いが香る。
 やっぱ女子高生ときたらこれだよなぁ。
 程良く折ったスカートと、ブレザーから微かに浮かぶ胸の曲線美。
 微かにってのが、また心を擽る。
 ああ、梓も去年までは制服を着ていたんだよなぁ。
 女子制服を見る度に思い出されるぜ。
 制服から浮かぶ胸の……胸の……。
 俺は一度、溜息を吐いて言った。
「色気ねぇ」
 目の前にいるのは、俺を呼び止めた色気のねぇ中学時代からの友人。
 笹滝佐々美。
 ちくしょう、なんて発音しにくい名前なんだ。
 どうして“ささ”って発音が名前に二つもあるんだよ。
「誰が色気ないって?」
「あれ? 本音が勝手に」
 佐々美は小さな足で、俺の脛に蹴りを入れる。
「痛って!」
 そしてニッコリと笑って
「もう一発いく?」
 と、またニッコリ。
「え、遠慮しときます」
 まったく、こんなのを俺のクラスの男子の誰かが見てたら羨ましがる事間違いなしだ。
 こんなチンチクリンのどこが良いのやら。
「珍しいじゃん。麗太が、こんな時間にここにいるなんて」
 ようやく笑顔な裏に怒りが静まった様で、普通に話を切り出してきた。
「たまには、いいじゃん。俺が早く帰ったら何か不都合でも?」
「そんな事、言ってないでしょ。ただ、ほら麗太ってさ……」
 言い掛けて、佐々美は言葉を詰まらせる。
「何だよ?」
「今更なんだけどサッカー、また本格的に始めない?」
 サッカー……か。
 佐々美は中学時代、陸上部に所属していたのだが、なぜか高校に進学するなり俺のいるサッカー部にマネージャーとして入部した。
サッカー熱心だった俺に、中学からの友人という事もあり、かなり共感してくれていた。
 でも佐々美だって、俺が辞めた一カ月後にはマネージャーを辞めていた筈だが。
「だってほら、中学から続けてて高校一年であんな辞め方しちゃったらさ……」
 あの時、俺は周りからどう見られていたのか。
 きっと偽善者とか、考えを勝手に押し付けてトンズラしたとか思われていたのかもしれない。
「それにさ、たまに休み時間に皆とサッカーしてる麗太、なんか凄く楽しそうだったから」
 楽しそうに見えていたのか。
 内心、確かに俺は楽しんではいたが、まだ不完全燃焼だ。
 休み時間に一緒にサッカーをしていたのは、サッカー経験の浅いクラスメイト数人。
 そいつらとサッカーする度に、俺は内心でもっと上を求めてしまう。
「じゃあ、今日はそれだけだから。考えといてね」
 それだけ言うと、佐々美は駅のホームの先頭車両の方へ足早に歩いて行った。
 思えば、佐々美が俺に対して少しばかりの距離を置く様になったのは、俺が部活を辞めてからだっただろうか。
 佐々美だって、俺が辞めてすぐ辞めた身だ。
 部活にコネがある訳でもあるまい。
 俺に、どうしろってんだよ。

 電車で三駅過ぎた所、駅を出て徒歩で五分程の距離にあるマンションの三階、エレベーターを出てすぐ右側の部屋が俺の家だ。
 玄関の鍵は掛かっていて、やはり家の中には誰もいない。
 なんだよ、結局いないんじゃん。
 キッチンの冷蔵庫から缶のコーラを一本だけ持って、自室へ向かった。
 部屋のドアを開け、落胆する。
 散らばった服や漫画に雑誌、ゲーム機等々。
 年明け前だしなぁ、そろそろ片付けねぇと。
 冬休み前の定期テストが明けた後のここ数日、四日連続の一夜漬けの反動もあり、その後の怠けっぷりは半端のないものだった。
おかげで、俺の生活リズムは狂いっぱなしだ。
まあ、その甲斐あってか、テストの結果は思いの外、満足のいく出来だったが。
 今日、起きた時間は午前十時。
 昨日、梓の家での事もあって、目覚めはあまり良くなかった。
 おまけに、そんな時間に起きたものだから、学校には完全に遅刻。
 昼休みに、昨日の梓との事を涼に話したら『ドンマイ(笑)』と爆笑される始末。
慰みとして、以前から涼に貸して欲しいと頼んでいたるろ剣の漫画を一巻から五巻まで貸してくれたが、まだ読んでいない。
 そんで帰宅。
 で、今。
 これが今日の俺の、無機質な一日。
 振り返ってみると、自分の自堕落さには、ほとほと嫌になる。
 せめて今日は掃除だけでもして『まあ、意味はあったかも』とだけ思える様な一日として締めよう。
「よし!」
 とりま制服からラフな部屋着に着替え、涼から借りた漫画の入っているスクバを部屋の隅に、先程持ってきた缶のコーラは冷蔵庫に戻した。
 漫画とコーラは自分へのご褒美だ。
 掃除が終わってから、ゆっくり楽しむとしよう。


 床には塵一つ落ちていない。
 服も箪笥にしまったし、雑誌だって本棚に納めた。
 フローリングには掃除機を掛けて、その上に雑巾掛けもした。
 机の上だって、それなりに必要な物だけを残して、他は引き出しや本棚にしまった。
 完璧だ。
 これなら……梓も呼べそうだ。
 ていうか今まで、俺が梓の家に行くばっかりで、来てもらった事はなかった。
 今度、呼んでみようかな。
 どうせ親父は、たまにしか帰って来ないんだし気を使う必要もない。
 そうだ。
 家に呼んだら飯でも振る舞ってやるかな。
 飯は、いつも自分で作っている。
 親父は飯を作る事が出来ないし、家にいる事も少ない。
 この街に引っ越してきた最初の年は、殆どを市販の物で済ませていた。
 家事全般も、家にいる僅かな時間帯で親父がやってくれていた。
 もしかしたら自分が重荷になっているのではないか。
 なら、重荷である俺が、僅かな面倒を軽減する事はできないものか。
そう思い始めた俺は親父に頼んで、家事全般を引き受ける事にした。
 掃除や洗濯なら、教われば簡単に出来る。
 しかし炊事は、そうもいかない。
 教えてもらう以前に、親父は料理が出来なかったのだ。
 だから俺は、中学一年時に仲の良かった佐々美に料理を教わった。
 休日に部活が終わった後、よく佐々美の家に行ったものだ。
 少しずつ料理も上達して、今では大抵の物ならレシピを見れば作れる様になった。
 洗濯や掃除をして、自分の分だけの飯を作って……。
何かが出来るようになる度に、自分が成長する度に段々、親父に対して顔を合わせて話す事もなくなった。

「さて、と」
 部屋の隅に置いてあるバックから漫画を取り出し、いざ読もうかと思ったのだが、時計の針は既に七時を示している。
 掃除に時間を掛け過ぎたか。
 一先ず夕飯にしよう。
 昨日の夜、多めに作ったチャーハンが冷蔵庫に残っていた。
 今日は、これを温めて夕飯として済ませる事にした。

 残り物のチャーハンとコーラをテーブルに置く。
「栄養のバランスもクソもねぇな」
 まあ、何も食わないよりはマシか。
 以前、作るのが面倒で何も食わなかった日があった。
 あの時は、翌日に全く力が出ずに学校を休んだんだっけ。
 テレビを点け、適当にチャンネルを回す。
 あ、ポケモンとかめちゃくちゃ懐かしい。
 もう何年、見てないんだろう。
 内容は全く分からない展開になっていたが、とりあえずはポケモンを映したまま放置して、チャーハンを完食した。
 両手の平を合わせる。
「ごちそうさま……おそまつさま……」
 ……何してるんだろう、俺。
 リビングにポツンと一人だけで、他には誰もいない。
 部屋に響くのはテレビの音だけ。
 まるで独身の中年男性だ。
 やべぇ、冗談抜きで本当に寂しい。
 ていうか泣けてくる。
 誰かいればなぁ。
「あ、そういえば」
 ……今日は木曜日で、明日は学校が終わった後にバイト。
 しかも梓と同じ時間……か。
 携帯を開き電話を掛けた。
 数度のコールの後、聞き覚えのある声を聞いて、まずホッとする。
『麗太、どうしたの?』
「いや、なんつーか暇だったから」
 俺の下手な口実を聞いてか、携帯電話の向こうからクスクスと小さな笑い声が聞こえてきた。
『嘘』
「え?」
『寂しかったんでしょ?』
 見透かされていた。
 梓には、前にも同じ様な状況で電話を掛けた事があったからだろうか。
『麗太が自分から電話してくる時って大抵、今みたいな感じだよ?』
「そうかな?」
 少しの含み笑いで、照れを誤魔化した。
『そうだよ。麗太は甘えん坊で寂しがり屋なんだから』
 いつもの様にからかわれて、少しだけ赤面する。
 頬が熱くなって、声が震える。
「あのさ……」
『何?』
「明日、金曜日じゃん。休みの前の日だしさ……俺の家、泊まんない?」
 梓の家には、何度も行っているんだ。
 俺の家に呼ぶくらいなら、断られる事はないと思うが。
 電話越しから、紙をペラペラと捲る音が聞こえる。
 手帳でも見ているのだろうか。
『明日かぁ、授業は午前中だけで……。バイトが終わってからだね。いいよ』
「本当?! じゃあ、明日。とりあえずバイトで」
『うん。また明日ね』
 電話を切って、携帯をテーブルの上に置く。
 拳を握り、盛大にガッツポーズを取った。
 どうやら昨日の事に触れなかった辺り、あまり気にしてはいないのだろうか。
 とりあえず今は、そうであると願おう。

 夕食を片付け、上機嫌に部屋に戻った。
 さて、楽しみにしていた漫画でも読むか。
 置いておいた漫画を手に取り、ベットに寝転がる。
 るろ剣か。
 前に実写の映画を見た事があったが、漫画の方はどうだろう。
 映画のクオリティを見ただけに、かなり期待出来そうだ。
 ページを開いたところで、俺は目を丸くする。
 最初のページに写るのは、刀を腰に付け着物を着た優男の絵ではなく、妙に目をキラキラさせたパンツ一丁の女の子。
「これ……ふたりエッチじゃん」
 どうやら、外側のハードカバーを付け替えてあるようだ。
 ご丁寧に五巻まで全て。
 どうしたものかと悩んで数秒。
「仕方ない……か」
 その日の夜は、ふたりエッチの一巻から五巻を熟読した。


 目が覚めると、俺はふたりエッチを手にうつ伏せで寝付いていた。
 そういえば昨日、風呂に入った後も続けて繰り返し読んだんだっけ。
 ふざけた風に見えて、意外と為になる事ばかりが書かれていたのを覚えている。
 でも、こういうのって、絶対に内容がマンネリ化するんだよなぁ。
 5巻までだけで、もう五回以上はエッチしてるって、どういう事だよ。
 手に持っていた漫画を枕元に置き、溜息を吐く。
 なんか……シコッた後みたいで格好悪い。
実際、してないんだけど。
 とりあえず学校へ行く支度しないと。
 ダルイ体を無理やり起こして制服に着替え、リビングへ向かった。
 椅子にネクタイが掛かっている。
 洗面所の方へ行くと、シャワーの水が流れる音が、浴室から聞こえてくる。
 どうやら親父が帰って来ているようだ。
 まあ、俺にとってはどうでもいいけど。
 顔を合わせても、話す事なんてないし。
 洗面所で身支度をし、部屋に戻って漫画をバッグに詰め込んだ。
 俺は廊下で親父に鉢合わせないよう、足早に家を出た。

  =^_^=

 道路の真ん中に倒れている、一人の女の人へ向かって、ただ叫んでいた。
 駆け寄り彼女の体を揺らすも、既に遅かった様で息はない。
 何度も、何度も、発せられている筈もない声を叫び続けていた。

「ほら。沙耶原君、起きて」
 頭をポンッと何かで叩かれた。
 瞑っていた目を開け半身を起こすと、教科書を片手に古典担当の教師がすぐ側に立っている。
 授業中に眠ってしまっていたようだ。
 おまけに変な夢まで見てしまった。
「テスト終わってから、怠け過ぎなんじゃないの?」
 先生の言葉に、周囲から笑いが漏れる。
「はあ、すんません」
 へこへこと謝って、渋々と教科書を開いた。
 先生が俺から離れて、ふと、すぐ側の席の佐々美と目が遭った。
 佐々美はノートに何かを書いて、俺に示す。 
『バーカ』
 は?
 負けじと俺も自分のノートに大きく文字を書いて示す。
『この低能。てめぇよか頭良いわ』
『頭脳の事じゃねーし。このバーカ』
『バーカ』
「沙耶原君に笹滝さん? 痴話喧嘩は余所でやってくんないかな?」
 くだらない筆談を繰り返すうち、結局は先生に注意されて終わった。

 昼休みに皆で飯を食った後、俺と涼は屋上に来ていた。
 たまに授業をサボる場所。
 まあ、頻度は一カ月に一度くらいなんだけど。
 サボる場所として以外にも、放課後の溜まり場とか、涼の喫煙スポットとか。
 ここからの街の眺めも良いし。
 冬だからかな。
 雲一つない空は、めちゃくちゃ高く感じる。
 その直下に広がるのは、いつもと変わらないビル群の風景。
 変わらないからこそ、つまらない。
「あーあ、ダルい」
「いつもの事だろ?」
 俺が切り出した話を隣で聞きつつ、涼は銜えた煙草にライターで火を点けた。
「調子良くなりたいんだったら、どう? 吸う?」
 一箱差しだされた。
「吸わね」
 いつものように素っ気なく受け流した。
「そーかよ。ふたりエッチでも読んどけ」
「やっぱり昨日の!」
 咄嗟に涼の方を振り向いて、彼がニカニカと笑っている事に気付く。
「やっぱワザとか」
「どうだった? 勉強になったっしょ?」
「まあ……」
 段々、内容がワンパターン化してきて、これからの行く末が正直心配な漫画だった。
「なあ、涼」
「?」
「俺、もしかしたら今日……。貸してくれたふたりエッチが役に立つかも。そんで、イケるかもしんない」
「は?」
「いや、だからさ。今日、梓が俺の家に泊まりに来んの」
「でも一昨日の夜、拒否られて結局ヤれなかったんだろ?」
 確かに。
手に汗握って、ガチガチに緊張しまくって頑張ったってのに、あの梓の反応はさすがの俺も傷付いた。
 でも、もしかしたら……。
「もしかしたら、の話な。さすがに、また拒否られたら二度と自分からは攻めねぇよ」
 内心では、もしかしたら、よりはヤれる事を望んでいた。
 部屋に呼ぶとなれば、そこは俺のテリトリーだ。
 空気の流れで、もしかしたらってのがあるかもしれない。
 でも梓の事だ。
 なるべく下手にいこう。
 そうすれば、もしかすると……。
 ああ、駄目だ。
 もしかしたらって、俺はどんだけ期待してんだ。
 駄目だったら、その時はスッパリ諦めよう。
「そういえば、佐々美とはどうなん?」
 今の話題とは一切関係のない人物を上げられ、少しばかりの間を置いて、俺は「は?」とだけ返事を返した。
「だってめちゃくちゃ仲良いじゃん?」
「佐々美とは、ただの友達だよ」
 中学の頃からの友人。
 ただ、それだけ。
 涼と同じだ。
「佐々美の奴、俺と話す時も、お前の話ばっかりなんだよなぁ……」
「そりゃあ、中学の頃はよく三人で遊んでたしな」
「ああ……まあ、そうなんだけどな。……友達かぁ……」
 不服そうな顔をして、涼は短くなった煙草を銜えた。


 バイトの日は、必ず誰よりも早く一番に学校を出ている。
 三時半に学校を出て、四時までにバイトに間に合わなければならない。
 学校前のバス停から、六つ目のバス停の側に、俺のバイト先がある。
 店の名前は『AMANO』
 小さな喫茶店で、名前は元店長の名字から取ったものらしい。
 今の店長は女の人で、名前は天野。
 ……たかだかバイト一年目の俺が踏み込んではいけない、複雑な大人の事情が入り組んでいるようだ。
 時計を見ると、まだ四時ちょっと前。
 少しばかり早かったかな。
 入口付近には、名前は分からないが、幾つかの植木鉢が並べられている。
 花を咲かせているものもあれば、よく分からない細かい葉だけのもある。
 中でも、それが店長のお気に入りらしい。
 名前は……たしか、ベビーティアーズだっけ。
 どうして花も咲きそうにない、こんな殺風景なのがお気に入りなんだろう。
 ドアには『open』と表記された看板。
 ドアを開け、店の中に入った。
 チリンと呼び鈴が高く鳴る。
 店の中にはカウンター席に客が数人。
 殆どが中年の婦人だ
 この時間帯は、ご近所のおばさん同士のガールズトークが盛んのようだ。
「麗太、今日は早いね」
 カウンター越しに梓が呼び掛けた。
「うん。バスの時間が早かったから」
「じゃあ、余分に働いてもらっちゃおうかな」
「はいはい、喜んで」
 カウンターからキッチンを通りロッカールームへ行く。
荷物を置いて、制服の上にエプロンを羽織りキッチンへ出た。
 この時間の分担は、梓が接客、俺と店長がキッチン……なんだけど、店長はどこへ行ったのやら。
「店長は?」
「なんか町内会の役員になっちゃったから、顔を出してくるとか」
 またか。
 あの店長は、いつもバイトに任せて一人で出掛ける癖があるからなぁ。
 まあ、この時間なら注文も少ないから心配なさそうだけど。
 先程まで、おばさん達とカウンター越しで話していた梓が、俺のいるキッチンの方へ来た。
「麗太。今日の夕飯、楽しみにしてるからね」
 泊まりの話か。
 朝から、その事で頭がいっぱいだった。
 バイトが終わったら、とりあえず夕飯の買い物を一緒にして、そんで俺の家で……。
 やる事は一つ。
 今日こそは……。
 それにしても、狭いキッチンの中でこうも接近されるとなぁ。
 エプロンの下のセーターの胸元に、どうしても目がいく。
 堪えろ!
 家までの辛抱だ。
「麗太?」
「は、はい!」
 焦って声が裏返る。
 そんな俺を見て、梓はクスッと笑て「ホットケーキ」と一言。
「え?」
「ホットケーキ三人前、注文入ったよ」
 なんだ、注文か。

 まったく、俺は何を期待しているのか。
 バイト先のキッチンでの、いけないシチュを期待した自分が腹立たしい。
 六時以降になると、閉店一時間前という事もあり、客はサッパリ来なくなる。
 ていうか、店長がまだ帰って来ない。
 いくらバイトだからって、俺達を信用し過ぎなんじゃないのか。
 閉店後の後片付けを二人で済ませていると、ようやく店長が戻って来た。
「店長、今まで何やってたんですか?」
「いやぁ、ごめんね。町内会の集まりが長引いちゃって」
 この人が喫茶店の店長、天野美夏だ
 ギリギリ三十路前なのだが、梓がバイトを始めた少し前に旦那がいたと聞いている。
 そのすぐ後に、ロングだった髪をバッサリ切ってベリショにしたとか。
 あまり本人の前では、髪型や旦那の話題には触れない方がいいらしい。
 しかしベリショでも、整った顔立ちと合間ってかなり似合っている。
 ロングの頃の写真等があれば見てみたいものだ。

「じゃあ店長。お疲れ様でした」
「はーい。もう暗いから、二人とも気を付けてね。あと麗太君、梓ちゃんに変な事しないように!」
 ビシッと指を差される。
「それは……まあ、気分次第って事で」
 目を反らして澄まし気味に言うと、梓は細身な腕を強引に俺の肩に回し、ウリウリと頭を撫でる。
「ちょっ、いきなり何?!」
「このマセガキめぇ!」
 やべぇ、悔しいけど……ずっとこうされてたい!
 内心で、そう思っている事は絶対に内緒だ。

 店を出るまでは、いつもと同じ金曜日。
 普段、梓はオフロードバイクに乗って店まで飛ばして来ているのだが、今日は俺の家に泊まるとの事で、ここまでバスで来たそうだ。
 いつもなら彼女の後ろに乗ってバイクで家に遊びに行くか、一人で真っ直ぐ帰るかのどちらか。
 でも今日は、真っ直ぐ帰る俺の隣に梓がいる。
 やべぇ、めっちゃテンション上がってきた。
 店の前の停留所でバスに乗り、駅前のスーパーで夕飯の買い物をして、電車に乗る。
 やっぱり人が多い。
 いつもの事だ。
 電車を降りたら、後は俺の家まで歩くだけ。
 駅前に位置する居酒屋やコンビニ、それと……ラブホテル。
 ラブホに行くノリなら、俺がどうにか頑張る必要もない。
 そんなノリは到底ありえないだろうけど。
「麗太、寒くない?」
「いや、別に」
 梓は溜息を吐く。
「こういう事って本当なら、彼氏の方が訊くべきなんだけど?」
「え? あぁ……そうだね。梓、寒くない?」
「遅いわ!」と、斜め四十五度からの軽いチョップが俺の頭をヒットする。
「しょうがないなぁ」
 左手に急激な冷たい感触を感じた後、やがてそれに少しずつ温度が込もる。
 柔らかくて、細くて、俺よりも小さな梓の手。
「私は寒いの。だから手、家まで繋ごうよ」
「うん」
 多少、照れ臭いと思いながらも、家までの道は片手に買い物袋、もう片方に梓の手を繋いで歩いた。

「あれ? 開いてる」
 玄関の鍵は開いていた。
 もしかして……。
なんか嫌な予感がする。
「梓、ちょっとここで待ってて」
「え? うん」
 靴を脱ぎ、玄関へ上がった。
 リビングからはテレビの音が漏れている。
 湧きあがる歓声と、饒舌な実況者の声。
 テレビの野球中継だろうか。
 そして追い討ちを掛けるように……。
「よっし! いいよ! そこそこ! ……ああ、もう何でそこでエラー?!」
 明らかに親父の声だった。
 部屋に入ろうとリビングのドアに手を掛けた時、突然ドアが向こう側から開き、親父と鉢合わせになった。
 掛けられたハンガーには親父が仕事に着て行ったであろうスーツが掛けられている。
 親父はというと……どうしてパンツ一丁?!
「おう、麗太!」
「……もう帰ってたんだ。今日は、どうしたの?」
「いやぁ、仕事が早く終わってさ! 明後日からは年末の仕事納めで、もっと忙しくなる。たまには、こうやって家にいるのも良いと思ってな!」
 顔が赤いところを見ると、俺が帰って来る前に飲んでいた様だ。
「あの……寒くないの?」
「なぁに、気にすんな!」
 こいつ、もう駄目だ。
「麗太、大丈夫? 何かあった?」
 玄関から梓の声。
 ヤバい!
「何だ麗太? 彼女でも連れて来たのか?」
 玄関越しに彼女の梓、リビングドア前の廊下にパンツ一丁の親父。
 もう、どうにでもなれってんだ!

 どうして、こうなったのか。
 誰か教えて下さい。
 俺、何か悪い事しましたっけ?
 キッチンで晩飯を作っている俺を差し置いて、梓と親父はリビングのテーブルで酒を飲んでいる。
 しかも何が面白いのか、お互いに大爆笑。
「いやぁ、まさか麗太が彼女を連れて来るとはなぁ。もう本当にビックリだよ」
「麗太の事だから、お父さんがいない事を見計らってたんじゃないんですかね?」
「そうなんだよ。麗太の奴、あんまり俺と顔合わせようとしないんだよ。いつの間にか料理まで出来るようになっちまってなぁ」
 夕飯として作ったパエリア二人分を、梓と親父の座るテーブルに置いた。
「おお! 凄いな、麗太。あれだろ、パエリアだろ?」
「へぇ、麗太って、こういうのも作れるんだね。私も見習わないと」
「梓だって喫茶店で、料理くらいしてるだろ」
「しょっぱい料理って苦手でさ」
 二人で感心しながら、テーブルに置かれたパエリアを見つめている。
 自分の分も持って来て、俺もテーブルの椅子に座った。
「パエリア美味しいね」
「ねー」
 既に二人で意気投合して、パエリアにガっ付いている。
 梓も完全に酔ったテンションだ。
 俺、梓、親父の三人の食卓。
 こんな感じで、夕飯を食べたのはいつ以来だろう。
 昔……本当の家族ではなかったけど、俺に対して家族同然に接してくれていた母娘がいた。
 綺麗で面白い母さんと、可愛くて無邪気な同級生の女の子。
 その人達と一緒に日々を過ごしていくうち、俺はいつしか、その女の子を好きになっていた。
 たまに夢を見る。
 あの日の昼下がり。
 ここにはいない、本当の母さんの事も。

 俺も少しばかり酒を入れた。
 ビールじゃなくてジュースみたいな酎ハイだけど。
 パエリアを食べ終えた頃には、既に親父と梓は意気投合していた。
「アズちゃん、柿ピーとチータラあるけど?」
「あ! おじさんナイス!」
 こいつら、まだ食って飲む気か……。
「ほら、麗太も飲もうよ!」
「ああ、はいはい」
 今夜は悪い意味で長くなりそうだ。

 結局、訳の分からないノリで俺も含め三人で馬鹿騒ぎした挙句、親父が真っ先に酔い潰れてしまった。
 その後に梓も、食器を片付けて目を離した隙に床でダウンしていた。
 親父は椅子の上で、梓は床。
 冬だし、このままだと確実に風邪を引くな。
 家には、俺と親父の布団が二つしかない。
 問題は梓をどこに寝かすか……客人をソファーにってのも悪いし……親父の布団にだけは絶対に寝かせたくないし。
 仕方がない。
 梓を背中に背負って、俺の部屋の布団まで運んだ。
 布団に寝かせてやり、その上に掛け布団を敷いてやった。
 酒臭いし……明日の朝一番でシャワーを使わせてやろう。
「おやすみぃ」
 思わず梓の口から出た可愛らしい寝言に吹き出しつつ、俺も小さく挨拶を返した。
「おやすみ」

 リビングの椅子で寝ている親父も同様に、布団に寝かせた後、俺は毛布を抱きソファーの上で寝た。
 おかげで翌日、体の節々が痛んだのは言うまでもない。


 目が覚めると、窓から差し込む朝陽が直に俺を照らしていた。
 暖かくて心地が良い。
 今日は休みだし、ずっとこのままでいても、誰も文句は言わないだろう。
 リビング外で足音がする。
 梓が起きて来たようだ。
 ドアが開き、彼女が入ってくる。
 かなり気だるそうで、足取りも不安定だ。
「うぅ、頭が痛い……」
「そりゃ、あんだけ飲んで騒げばな」
「そうだね……」
 梓はソファーのすぐ側に座り、俺の頭を軽く撫で始めた。
 この時、どうしてか照れ臭いという感情は湧かなかった。
 ただ、ダルかっただけかもしれないけど。
「何? どうしたの?」
「私を布団まで運んだの、麗太でしょ? しかもあれ、麗太の布団なのに……」
「気にしないで。ここで寝過ごす事なんて、よくある事だから」
「そうなんだ……」
 梓の手が離れる。
 その瞬間に、俺は彼女の手を掴んでいた。
 一瞬、驚いた表情を見せ、すぐに微笑んだ。
「麗太は寂しがり屋なんだから。こんなとこ、お父さんに見られたら恥ずかしいよ?」
「今は親父なんて、どうでもいいよ」
 ただ梓に……側にいて欲しい。
「ここに……いてよ」
「うん」
 お互いに、酔った翌日だからまともな考えが出来なかったのか……それとも本心?
 まあ、いいや。
 なんだか今、こうしているのが凄く心地良い。
「麗太って……弟みたい」
「なんだよ、それ」
「違うな。なんていうか……守ってあげたい……みたいな」
 それは俺の台詞なんだけど。
 結局、俺は……いつも女の子に支えられてばっかりだ。
 今も……昔も……。
「麗太にとって、私は何?」
「梓……さっきから言ってる事が恥ずかしい」
「たまには、いいじゃん。ほら、答えてよ」
「梓は……」
 梓は……俺にとって彼女であり、大事な人であり……俺を守ってくれる人……。
「ほら、あと五秒。五、四、三――――」
「母さん……」
 急かされ、咄嗟に出た答えがそれだった。
 少しだけ恥ずかしい。
 梓はどう思ったんだろう。
 少しだけ構えていると、彼女は小さく呟く。
「そっか。母さん……か」
 昔、母さんがまだいた頃。
 風邪を引いた時は、いつもこうやって側にいてくれた。
 だから……こんな事を言っちゃったのかな。
「聞いても……良いのかな?」
 梓は遠慮がちに俺を見て、一瞬だけ間を置いて聞いた。
「麗太って……お母さんはいないの?」
「俺の……母さんは……」
「あぁ、ごめんね。別に、どうしても気になったとかじゃなくて」
 申し訳なさそうに、梓は謝っている。
 どうしてだろう。
 俺に対して、こんなに弱気な梓は初めてだ。
「謝らないで。別に……もう、昔の事だから。ただ……」
「ただ?」
 母さんを失い、大事な人を失い……俺の周りにいた人は、どんどんいなくなる。
 不安だった。
 だから誰に対しても、まず自分は害のない人間であると認識させるように努めてきた。
 楽しいと皆が感じれば、皆に合わせて笑い、その逆であれば皆と悲しむ。
 そんな風に誰かに合わせていれば、他人に不愉快な想いをさせる事もないし、きっと何かを失ってしまう事なんてないと思うから。
「梓……」
「ん?」
「ずっと側にいてよ」
 泣きそうな位に掠れた声だった。
「うん。ずっと、麗太の側にいてあげる。だから、もう寂しくないよ」
 俺の体を優しく抱き込み、互いにキスをした。
 いつもと違う。
 もっと深くて、温かい。
 舌同士が絡まり合い、互いに合わさる唇がそれを受け入れ合う。
 唇を離した瞬間、交わった唾液が糸を引いて切れた。
 頭にボヤが架かったような感覚に堕ち、セックスとか梓との永遠とか、もうどうでもよくなってくる。
「ねえ、麗太」
「何?」
「いつかは……お互いの事、何でも話せるようになりたいね」
 俺は……いつか梓に、幼い日の事を話さなければならないのだろうか。
 ふいに浮かんだ問いもそっちのけで、俺は梓に聞いた。
「梓は、俺に何か隠している事があるの?」
 近付けていた体を離し、ソファーにぶら下がっている俺の左手を取る。
 そして、自分の胸に押し付けた。
「おい、え?」
「私、今まで麗太とキスとかしてきたけど、ずっとそれ以上の事は拒否ってばっかりだったよね」
 きっと梓は、俺が望んでいる事すらも知っている。
 だからこそ、こんな事を言われると余計に辛い。
「何か理由があるの?」
 一度頷き、深く息を吸う。
「私……怖いんだ」
「何が?」
「私が、まだ高一の最初の頃の話なんだけど……。電車に乗ってたら痴漢に遭ったの。スカートの中に手入れられて……それよりも奥に手が入って来て。私、何も言い出せなくて」
 痴漢か。
 この近辺の路線ではよくある事だ。
 それに高一ともなれば、未だ慣れない学校への緊張にも折り重なって……きっとどうしようもなかった筈だ。
「やっと降りれる駅に着いて、そこから全力疾走で駅から出たよ。その日から……なんだか男の人に……体を預ける事に抵抗を感じるっていうか……」
 伏し目がちに俺を見て、少しだけ笑う。
「あ、でも麗太とはキスとかもしちゃってるか。じゃあ、麗太は特別だね」
「どうして?」
「高校に上がって……麗太に出会ってからの今まで、何人かに告られた事はあったけど、全部断ってきた」
 息が詰まったのか、その場で苦い顔をして下を向く。
 呼吸の調子を整え、まっすぐに俺を見る。
「だって……麗太の事が好きだったから。出会って付き合って、その後もずっと。でも麗太と、痴漢が求めていた事をするのは、正直言うと怖い……かな」
 今まで、梓が俺にこんな発言をした事があっただろうか。
 いつもなら率直に意見を言う筈の梓が、これ程までに困惑している。
 今日、始めて彼女の弱々しい一面を見た気がする。
 梓が、俺に対してこんな一面を見せてくれた。
 だからこそ俺も、改めて梓に告白しよう。
「俺も、ずっと梓が好きだった。今まで、付き合ってるって実感がなかったけど……。ありがとう、話してくれて。大丈夫だよ。まだ俺は高校生なんだから。それに――――」
 ソファから起きあがる。
「それに、梓に手を出すような奴は、まず俺がとっちめてやるから」
 彼女の頭に手を置いて軽く撫でた。
「たまには、麗太にこういう事されるのも、悪くないかも」
「なら、ずっとこのままでも」
「それはない!」
 立ち上がった梓に、腕を引っ張られ、強引にソファに倒された。
 倒れた俺の腹に、梓は股を挟んで乗る。
 女性的な小柄な体型の割に、俺よりも思い切りは良いし、性格もハッキリしている。
 梓は得意満面に笑う。
 ああ、いつも通りだ。
 こんな風に、ずっと梓といるのも悪くない。

Episode2 Ayase Mitsuhara

 土手の上から見えるのは、川。
 そして、そのずっと向こう側に見えるのは、折り重なったビル群から溢れる光。
 それらは夜になっても休む事なく、街を照らし続けている。
 頭上には幾つかの星々。
 透き通った雲のない夜空に、星が一つ、二つ。
「綺麗だね。綾瀬」
 後ろで誰かが俺の名前を呼ぶ。
「明日から冬休みだけど、何しようか?」
「俺はいつも通りだけどな。用があるなら、バイト先に来てくれ」
「ガソリンスタンドなんて、何も用ないよ」
 後ろの彼女は、俺の背中に抱き付く。
「温かい……」
「ああ」
 いつも、ここへ来る時は夜遅く、暗くなってからだ。
 昼間は仕事が忙しくて、こんな所へ来れる余裕なんてない。
 どうしてだろう。
 来る必要なんてないのに……。
 今日みたいな寒い日は、どうしても来てしまう。

 家に戻り、マミの作ってくれた夕飯を食べた。
 今日のおかずはハンバーグ。
 彼女の作ってくれた夕飯を食べる度に、つい数年前の事を思い出す。
 食べなくて良いから、と泣きながら喚くマミを宥めながら、彼女の作ってくれた黒焦げの苦いハンバーグを食べた事。
 彼女の料理の腕の成長っぷりは、今にしてみれば大したものだ。
 彼女ことマミは俺の幼馴染で、小学生よりも前からの付き合いだ。
 中学を卒業した後、家を飛び出してアパートを借り、学校へ行かず働く俺の為に、学生にとっては大切な放課後の時間を殆ど割いてくれている。
 仕事から家に帰れば、必ずマミがいてくれた。
 こんな生活がいつまで続くのか。
 きっと、そう長くは続かない。
 少なくとも、マミが高校を卒業するまでは……。

「綾瀬……また?」
「いいじゃん。明日から休みだろ?」
 布団の中に感じる、もう一つの温もり。
 隣で横になっている、制服のスカートやブラウスを着崩した半裸のマミは、俺に寄り添う。
 互いの肌が触れ合い、体温が伝わり合う。
「マミ。前に比べて胸、でかくなったな」
 掴んだ感触でいうと……Cくらいだろうか。
 いや、女子高生ともなれば、これが平均だろうか。
 ウエストもよく絞まっていて、良い具合に胸が強調されている。
「前って、いつの話?」
「小五くらいかな。あの頃は、かなり小さかった」
「ああ、普通に揉んでたもんね。小六くらいの頃になると」
 俺は密着するマミの、太股から腹部、胸部までを五本の指でゆっくりとなぞる。
 そして到達した乳首を、指で軽く摘まむ。
「ヤらなかっただけ、まだ良かった方だ」
 多少は感じたのか、少しだけ表情を歪めつつも言葉を返す。
「んっ……マジ有り得ないから」
 触れていた五本の指は、彼女の手に握られ、先程までの動作を止めた。
 マミとの初体験は中三の終わり。
 でも、マミの処女喪失は小学五年生。
 あの日、俺は何があってもマミを守ると決めた。
 それなのに今の俺は、こんなにもマミの体を求め、何度もセックスをしている。
 以前、マミがこんな臭い事を言っていた。
『綾瀬とのセックスには、愛を感じる』
マミの初体験は、連中にアイスをアソコに突っ込まれて腹を蹴られた時。
人間とだったら、経験は俺としかないくせに、何を威張っているんだか。
 そういえば、あの日マミを虐めていた数人の女子グループは今、どうしているのだろう。
 連中のマミに対しての仕打ち以来、俺は毎日のように彼女等への嫌がらせを続けてきた。
 机の中に爆竹を仕込んだのは、特に印象深い。
 授業中に教科書を取ろうと、連中がそれぞれ机の中に手を入れた瞬間、教室中にポップコーンの弾ける様な音が響いた後、連中の手は起爆時の火花による火傷で爛れていた。
 その他には典型的に、連中の上履きの中に細かく刻んだカッターの刃を、底の方へ幾枚も敷き詰めたりもした。
 まだまだ語り切れない程の、仕打ちの数々を覚えている。
 手を焼かれ、足を切り刻まれでもすれば、どんな馬鹿でも自分達は狙われていると気付く筈だ。
 やがて連中は、マミを虐めるという娯楽を忘れ、自分達の身を守る事を最優先とする生活を、当時の俺によって強制されるようになった。
 連中への仕打ちが教師間でも問題に上がったが結局、誰も犯人である俺に辿り着く事は出来なかったようだ。
小五の頃の一件もあってか、マミは自分から、目指していた私立中学への入学を拒否し、そのまま俺と地元の中学に上がった。
その後、気が付けば連中はいつの間にか、この街から引っ越していた。
 マミにあれだけの事をしておいて、今は別の街でノウノウと暮らしているのかと思うと、どうしようもない程の怒りが込み上げてくる。
「ねえ、綾瀬。今、何を考えてた?」
「え?」
「顔、凄く怖いよ」
 言われてようやく気付いた。
 考え事をしている時、必ず不機嫌そうな顔をしてしまう。
 昔からの癖だ。
 マミは俺の露わになった体、右手で胸部から腹部へ、左手で脇下へ、両脚で股の間へ、濃厚に体を絡めて来る。
 細い指先でなぞる胸部には、幾つも傷痕がある。
 昔、親父につけられた傷。
 煙草の火を押し付けられ、数度も繰り返し蹴りや拳で殴打された。
「この傷跡も、この痣の痕も……私が綺麗にしてあげるから」
 舌を使い、体を舐める。
 いつも俺とマミがしているセックス。
 このボロボロになった体を見る度、マミは悲しそうな顔をする。
 こんな彼女の顔は、もう見たくないのだが。

 疲れてしまったのか、マミは舌を出し舐める動作を止め、俺の胸部に頬を寝かせる。
「そういえば、お正月前に小学校の同窓会やるって話。聞いてる?」
「ああ、知ってる。博美先生から聞いたよ」
「へぇ、会ったんだ」
「ああ。同窓会もあるし、暫くはこっちにいるらしい」
 博美先生。
 俺の小学五、六年の頃の担任で、今は都内の私立小学校で教師をしている。
 どんな生徒に対しても平等で、生徒を順位ごとに並べろと言われれば、クラスメイト全員を一位にしてしまう先生。
 当時の俺からしたら、只の偽善者にしか見えなかった。
「同窓会って言っても、どうせ小学校に集まるだけだろ?」
「それだけじゃないよ。ほら、覚えてないの? タイムカプセル」
 ああ、そういえば卒業前……クラス合同で校庭の隅に埋めたんだっけ。
 クラス合同と言っても、たったの二クラスしかなかったけど。
 おまけにタイムカプセルなんて幼稚な提案をしたのが、二クラスの担任だったから、全く気乗りなんてしなかった。
 未来へ宛てた自分へのメッセージ……そんなテーマで書かされた手紙を、タイムカプセルの中身としたんだっけ。
 くだらない。
 この一言に尽きる。
 実際、誰もが気乗りなんてしていなかった。
 クラス全体が暗くなっていたというか、五年生の頃の一件もあったし……。
 それに……俺の手紙は白紙だった。
 白紙の手紙を、タイムカプセルの中に入れた。
 あの時の俺は、どうかしていたのかもしれない。
 マミを守る為に、どんな事も厭わなかった、あの時の俺は、親友の最も大切な人を……。
 もう終わった事。
 これ以上、考えるのは止めよう。
 彼女の首の付け根に手を添え、互いに顔を寄せてキスをした。
 互いの舌が絡み合い、離した瞬間に糸を引く。
「昔の事を思い出して、不安になった?」
「は?」
「私、知ってるから。綾瀬は不安になると、キスをして落ち着こうとする」
 キスをすれば、確かに落ち着く。
 マミを直に感じる事が出来るセックスよりも、表情を認識できるキスの方が、俺にとっては互いが繋がり合っているような気分さえした。
 マミは言葉を続ける。
「綾瀬のせいじゃないよ。あの子の事も……全部。私は、綾瀬を選んだんだから」
「そうだよ。殺す気なんてなかった。それなのに……あいつは……」
 真冬の冷たい川に落ちた少女は、必死にもがいて、岸に上がろうとしていた。
 その時、俺は何もせずに、その光景をただ見ていた。
 やがて寒さに体力を奪われ、力尽きていく少女の姿を……。
「もういいよ。綾瀬は何も考えなくていい」
「でも、あいつは言っていた。また、この街に戻って来るって。俺がここ数年間、一番会いたくなかったアイツが……俺に会いに戻って来るんだ。きっと今度の同窓会で……」
 今はどこで何をして、どう過ごしているかも分からないアイツに、未だ恐怖している。
 本来なら今更、こんな所へ来る可能性の方が低いんだ。
 でも、もしアイツが当時の事を知ってしまったら……きっと俺は、アイツに殺される。
「アイツは……俺の事を」
 言葉を紡ぎ掛けた時、彼女は俺の唇を再びキスで塞いでいた。
 二人で体温を感じ合い、ゆっくりと目を瞑った。

 握り合った手に汗が滲む。
 俺が動けば、マミは喘ぐ。
 彼女の喘ぎとシーツや肌の擦れる音が、暗い部屋の中に響いていた。
「なあ、ゴムなしでヤりたいんだけど」
 マミが一度イってから、雰囲気に任せて聞いてみた。
「ダメ。子供できたら、綾瀬は責任取れるの?」
「べつに、構わねえよ。俺、働いてるし金はあるんだ。ガキが一人増えるくらい、どうって事ねぇ」
「さっきまで、あんなに弱気だったのに」
 マミと触れ合って安堵した。
 ただ、それだけの事だ。
 所詮、昔の話。
 もう、誰にも分かりやしない。
 だから少しだけ強気になってみる。
「男ってのは女を圧倒出来れば、いつでも強気になれんだよ。それに……気持ち良過ぎて、どうでもよくなった」
「テキトウだなぁ。ていうか私、綾瀬に圧倒されてるんだ」
「そう、お前は俺にヤられてる。だから、良いじゃん」
 至近距離で合っていた視線を反らし、マミは布団から出て立ち上がった。
 窓辺から畳みへ差す暗く青い月光が、下着も一切着けていない彼女の裸体を照らす。
 色白で細い脚から上半身へ、俺を見下ろす彼女の顔へ視線を上げる。
「おい」
「私、高校生だから。ちゃんと将来の事も考えてるし、夢もある。だから子供は無理」
 そう言うと、マミは風呂場の方へペタペタと裸足の足音を立てて歩いて行ってしまった。
「夢のないフリーターの子供なんて、孕めないって事かよ……」
 深く溜息を吐いて、再び横になった。
 風呂場の方から聞こえてくるシャワーの音が、余計に眠気を誘い、やがて俺は目を瞑った。

 翌日、目が覚めるとマミはいなかった。
 テーブルの上には、マミからの書き置きが一枚。
『高校の友達と約束があるので帰ります』
 どうやら昨日の夜、シャワーを浴びてすぐ帰った様だ。
 時計は午前六時丁度。
 今日は七時からガソリンスタンドでバイトが入っている。
「やべぇ、急がないと」
 シャワーを浴び、身支度を整える。
 ハイブリーチやらブラウン染めを繰り返した後、放置していたら、いつの間にか赤茶色に変色していた髪。
「また、染めないとダメだあなぁ」
 溜息を吐き、ドライヤーだけで軽く髪を整え、耳朶に空いた一つの穴にピアスを通して家を出た。
 下の駐車場に停めてある250ccのネイキッド。
 中学卒業後、フリーター一年目の夏、実家からパクった金で免許を取得し、バイトで溜めた金で買ったものだ。
 スズキBandam250。
 中古車という事もあり、所々に赤い錆びが目立つものの、走る分には何の気にもならない。
 一年以上も乗り続けた、愛着のある人生一台目だ。
エンジンを掛け、フルフェイスのメットを被り、バイザーを降ろす。
 サイドスタンドを跳ね上げ、ウインカーを出した後、アイドリングが安定した事を確認すると、アパート駐輪場から道路側へ向かうと、俺はアクセルを捻った。

  =^_^=

 ガソリンスタンドには、一日だけでかなりの客が来る。
 家族連れ、リーマン、トラックの運ちゃん、バイクに乗ったオッサンや郵便配達、原チャリに乗った学生等々。
 今日ここに来た全員の顔を覚えているかと聞かれれば、素直に「はい」と答えるには難しい。
 つまり、こんな地方の街のガソリンスタンドでも、客は何人も来るって事だ。

 休憩時間にスタッフルームで昼食を取った。
 ついでに携帯を見ると、メールが一件。
 マミからだ。
『さっき大地に会ったんだけど。夕方くらいに駄菓子屋に来てだって』
 ああ、大地か。
 もう小学校も冬休みだしな。
 こっちに来てるのか。
 今、駄菓子屋を経営していた婆さんは、もういない。
 元々、一人暮らしで店を切り盛りしていた婆さんは、俺が中学に上がった頃、ついにダウンした。
 その後、残った駄菓子屋は婆さんの孫である霧原苗に委ねられた。
 大地は、婆さんの孫である苗の弟だ。
 たしか……小四くらいだったか。
 そんな反抗的になりそうな年にも関わらず、もう姉貴にベタベタで、前の夏休みにも苗に会いにこっちへ来ていた。
 それにしても苗は、駄菓子屋なんて不定な職業じゃなく、いつ定職に就くのやら……。
 聞いた話では大学卒業後、この就職難で就ける職もなかったので、暫く駄菓子屋に入り浸る事にしたとか。
 十七歳でフリーターの俺が言うのもおかしな話だが、さすがに彼女もこのままでは拙いだろうに。
 何よりも死んだ婆さんが報われない。

 バイトが終わった後、車の通りの多い大きな道を外れ、住宅街に入った。
 住宅街を少し進んで抜けた細い路に駄菓子屋がある。
 停めたバイクを隅に寄せ、店の戸を開けた。
「ちわ」
 何気なく入ると、小さな店の中には大地が一人だけ。
「綾瀬!」
 そう言って駆け寄って来た大地は、少しだけ大きな箱を抱えている。
「おう、大地。俺に用があるって聞いたんだけど?」
「うん。マミ姉ちゃんに言ってたから」
 持っていた箱を俺に差し出す。
 箱にはガンダムの絵。
 見た所、プラモデルの様だ。
「それで……」
 控えめな表情で俺を見上げる。
「ああ、作るの手伝って欲しいのな」
「うん!」
 元気良く答えたかと思うと、プラモデルの箱を持って奥の炬燵がある部屋に入って行った。
「そういえば苗は?」
 奥の部屋から大地が答える。
「コンビニ行ってくるって。綾瀬も上がってよ」
「そんじゃ、お構いなく」
 靴を脱いで部屋に上がる。
 奥の部屋で、大地は早速プラモデルの箱を炬燵の上に広げていた。
「手伝うよ」
 骨組やパーツは鋏で切り取る為、一つにまとまっている。
 それが四つずつ袋に入っている。
 二人で数枚の袋を開け、説明書を広げる。
 完成像を説明書で見る限り、かなり大きい。
 これを大地だけで作るってのは、さすがにキツイな。
 ていうか、こん大きいプラモ、どうしたのだろう。
「なあ、このプラモ。苗が買ってくれたのか?」
「うん。ここに来た日に貰った」
「ふぅん」
 フリーターですらない、あのケチな苗が……。
 まあ、弟は特別ってわけか。
「よし。サッサと作っちゃおうぜ」
「うん!」

プラモ作りに取りかかって数分、大地は黙々と作業を続けている。
「大地。結構、慣れてるんだな」
「まあね。よく友達とプラモ作ったりしてるんだ」
「ああ、それで」
 プラモなんて作るのは、何年振りだろうか。
 以前、俺自身も友達と二人で、大きな戦艦のプラモを作ったのを覚えている。
 あのプラモは……まだ俺の実家に飾ってあるだろうか。
「プラモ作ったらさ、次は一緒にサッカーしようよ」
 サッカーか。
 小学生なら誰しもが一度は熱中するスポーツだと、俺は思っている。
 現に、俺が小中学生でやっていたスポーツといえば、サッカーしかない。
 中学時代はサッカー部に入っていたけど、結局は途中で断念して退部した。
 たかだが小学生時代に遊び程度でサッカーをやっていた俺は結局、クラブチームで本気になっている奴らには敵わなかったんだ。
 それに小学生当時は気付いていた筈だ。
 いくら俺が、他の奴らより上手くても、自分と同じ境遇で、クラブチームにも属さずにサッカーをしていた、あいつにだけは劣っていると思えてしまっていた。
 だからこそ強敵として、親友でいられたんだ。
「サッカーねぇ。大地は、クラブチームとかには入ってるのか?」
「うん。ギリギリでレギュラー守ってる感じだけど……」
 レギュラーと補欠。
 チームメイトが試合に出ている間に、補欠はひたすらベンチを温め続ける。
 自分がそうならない為に、必死でレギュラー位置を守る。
 小学生の子供には多少、この現実はキツイのかもしれない。
「辛くないか?」
「近所にいるお姉ちゃんや、お母さんとお父さんは、必ず試合を見に来てくれるんだ。だから頑張れる!」
 小学生ながら、色々なモノを背負っているな。
 大地は「それに……」と言葉を続ける。
「楽しいから!」
 そう言った大地の顔は、笑っていた。
「綾瀬、この後、一緒にサッカーしてくれる?」
 今日はバイトで疲れてるし……。
「寒いし、もう夜だから。また今度な」

「ただいま」
 店の戸が開く音と共に、苗の声が聞こえた。
「あ、帰って来た!」
 作業途中のプラモを放置して、大地は部屋を出て苗を出迎えた。
「今ね、綾瀬が来てるんだよ!」
「ああ、やっぱり。表のバイクで分かったよ」
 大地が苗を連れて部屋に入って来た。
 彼女の右手には、数本のビール缶とツマミ、弁当やおにぎりの入った袋。
 こんなんでも数年前までは大学生。
 なかなか可愛い方なんだけど……なんだか残念だ。
「綾瀬がね、プラモ作るの手伝ってくれてるんだよ」
「ああ、それで」
 着ていたコートを脱いでハンガーに掛けると、速やかに炬燵へ腰を落とした。
「ふぅ、暖かい」
 幸せそうに笑って、炬燵の上のプラモに目を向ける。
「へぇ、けっこうできてきたじゃん」
「まあ一応、俺が手伝ってたんだけど。大地が思ったよりも手慣れててな。殆ど、こいつが作ったようなもんだよ」
 炬燵へ戻った大地は照れ臭そうに、先程の作業を再開する。
「私も何か手伝おうか?」
 大地はページの右端を示し、苗に差し出す。
「ここからここまで、お願い」
「よし! 姉ちゃんに任せて!」
 そんな大口を叩いて良いものか。
「苗って、プラモとか作った事あるの?」
「食玩ならよく作ってたよ。セーラームーンとかプリキュアとか」
「ああ、そんなの流行ってたなぁ」
 俺達の世代はプリキュアだっただろうか。
 マミがよく見ていたのを覚えている。

 炬燵の上に―――ガンダム、大地に立つ―――なんてサブタイトルがあったようななかったような。
 三人でパーツを分担して、ようやく完成した。
 途中で苗はダウンして、今は炬燵で寝ているが。
 割と格好良い……というかすげぇ重装備だ。
 最近のガンダムだろうか。
 俺は宇宙世紀しか見た事がなかったからなぁ。
 そんで主人公機体よりも、なぜか敵機が大好きだった。
 そう、ガンダムよりはザクの方が好きだったのだ。
「綾瀬はガンダムの中で何が好きだった?」
「俺は……やっぱあれだな。サザビーとか」
「サザビー?」
 今の世代の子供に言っても、やっぱり分からないか。
 何しろ初代ガンダムの後日談、劇場で公開されたシャアの逆襲だ。
 主人公の宿敵、シャアが搭乗していた機体。
「ガンダムの敵だよ。すげー強くて格好良いんだぜ」
「家一個、吹っ飛ぶ?」
 なかなか物騒な発想だな……。
 まあ、小学生だし。
「おう! もう街一個は吹っ飛んじまうぜ!」
「すっげー!」
 俺も、こんな感じだっただろうか。
 良いなぁ、小学生はどんな事にも楽しそうで。

 苗が起きないので、大地の夕飯は俺が作った。
 と言っても、苗が買ってきた弁当をチンしただけなんだけど。
 その後、帰ろうかとも思ったが、苗を寝かせて大地をこのままってのも心配なので、ここに残る事にした。
 マミには、今日は帰れないと連絡もした。
 同じ様な事は前にも何度かあったし、彼女からどう思われる事もないだろう。
 何よりも、苗の家だし。

 大地が炬燵のある部屋の別室で寝た事を確認した後、寝そべっている苗に毛布を掛けてやった。
 世話が焼ける。
 どっちが年上なんだか。
 そう思い俺が立ち上がったと同時に、苗が目を覚ました。
「ぅん? 綾瀬?」
 ゴシゴシと目蓋を擦り、掠れた声を出す。
「ああ、悪い。起こしちゃったか」
「いや、別に大丈夫。勝手に寝ちゃった私の方が悪いんだし。てか今、何時?」
 壁に掛けられた古びた時計は、夜中の十一時を示している。
「かなり寝てたみたい……。ヤバい! 大地に夕飯!」
 焦って立ち上がろうとしたところで、足のバランスを崩し、再び床に崩れる。
 更に、長い髪は炬燵の脚に挟まっていて、なかなか抜けない。
 もう、見てられねぇ。
 炬燵の脚を少しだけ持ち上げ、挟まっていた髪を払ってやった。
「大丈夫。大地にはお前が買ってきた弁当、食べさせたから」
「そう……なら良かった。でもさぁ――――」
「え?」
 あまりにも最後の方の声が小さくて聞きとれなかった。
 もう一度、彼女は言う。
「でも、私の夕飯はまだなんだけど?」
「えっと、それはつまり俺に何を要求しているわけで?」
 苗は、よっこいしょ、とでも言わんばかりに立ち上がり、俺の手を取る。
「え?」
「ちょっと付き合ってもらうよ」
 やばい。
 この二ヤケ顔は……。

 苗は頬を赤くして、俺に愚痴を垂らし続ける。
「やっぱりさぁ、こういう事してないとやってられないわけ! 分かるでしょ?」
「ああ、はい」
 その愚痴に俺は、ただ頷く。
「あ、オジサン! 瓶ビール一つ!」
「はいよ!」
 カウンター越しのオジサンに、苗は空のビール瓶を振る。
 ああ、どうしてこうなったのか。
 速攻で帰れば良かったものを……。
 あの後、俺が苗に連れて来られたのは、駅前の居酒屋だった。
 以前、初めて入った居酒屋もここ。
 その時は、バイト先の年上の仕事仲間で来ていた。
「本当にバイトとか疲れるよね! 私も綾瀬の気持ち分かるわぁ!」
「え? バイト始めたのか?」
「うん。夜のコンビニ。昼は駄菓子屋の店番……と言っても、殆どダラダラしてるだけなんだけどねぇ」
 定職ではないが、駄菓子屋よりは安定する職業を見つけられた様で、少しだけ安心した。
「ついに苗もフリーターか。まあ、俺もだけど」
 一緒にされたのが嫌だったのか、少しだけむくれる。
「ちょっと、私だって来年には就活するからね!」
「え? 冗談じゃ……」
 ジッと俺を睨む。
 どうやら冗談じゃないらしい。
 しかし、大学卒業後の空白の数年間は、就活での書類上、大きな弱点になってしまう筈だ。
 例えば面接官に「卒業後は何をされていたんですか?」と聞かれた際、病の類ならまだしも、彼女の場合は「駄菓子屋で働いていました」なんて言って良い筈もない。
「せめて、大地にプラモを買ってやれる位の収入は安定させとけよ」
「分かってるよ。あのプラモだって、大地が来るのを見越して九月頃に買ったんだから」
 九月?
 夏休みの終わり、大地が帰ってすぐ。
「あれって夏休み明けからあったのか?!」
「うん。ずっと大地が来るのを楽しみにしててさ!」
 せめて、大地が帰る前に買ってやれば良かったものを。
 まあ、お互いに満足してたみたいだから良いんだけど。
「大地はシスコンだし、苗もブラコンだな」
 先程までケラケラと笑っていた苗が突然、俯き鼻を啜り出す。
 それに応じて、俺は身構える。
「だって、来年は来てくれるか分かんないじゃん」
 鼻を啜り、ビールを飲み、焼き鳥にかじり付く。
「大地にプレゼントを用意しておけば、絶対に来てくれるって思えるんだもん。だから大地が帰った後、私、凄く寂しくて……」
 どうしてか言っている事が現実的過ぎて、俺にも彼女の言葉が突き刺さってくる。
 しかし大地が中学生とか、もっと大人になれば話は別だが、あいつはまだ小学生だ。
 しかも姉貴にベッタリの。
 とりあえず、来年からパッタリ来なくなる様な事はないと思うが。
 俺にとっての問題はマミだ。
 あいつは、いつまで俺と一緒にいてくれるのか。
 いや、俺みたいな男といつまでも一緒にる程、あいつは馬鹿じゃない。
 現に、言っていたじゃないか。
「ちゃんと将来の事も考えてるし、夢もある」
 だから……俺の子供は孕めないか……。
 バイトへ行って、家に帰ればマミがいてくれる。
 こんな生活がいつまでも続く筈がないんだ。
 無駄に夢を見て……結局、痛い目を見るのは俺だ。


 互いに千鳥足で、苗を家まで送った後、酒が入っている為、バイクは引いて帰った。
 家に着いたのは深夜の二時頃。
 さすがに飲み過ぎた。
 めちゃくちゃ気持ち悪い。
 明日のバイトは夕方からだし、水飲んでゆっくり寝よう。
 アパートの階段を登り、部屋に入る。
 敷いたままの布団に身を倒し、目を瞑った。

  =^_^=

 川岸の深い泥にはまった少女は、激しく体をバタつかせていた。
 まるでクモの巣に引っ掛かった蝶の様だ。
 やがて彼女の意識はなくなり、川の底へ沈んだ。

 ずっと目を反らしていた。
 見たくなかった。
 思い出したくもなかった。
 それなのに……。

  =^_^=

 布団から体を起こし、先程まで見ていた光景が現実でなかったと判断した。
 夢だったんだ。
 安堵の脱力と、びっしょりと汗で濡れた体に鳥肌が走る。
 小五の頃の担任に会って、同窓会の話を聞いてから、不定期にこんな夢を見る。
 気にする必要もない不安だけが、俺を悩ます。
 体を丸め、再び布団に転がる。
「うぅ」
 二日酔いだ。
 頭が痛い。
「アイツが悪いんだ……全部、アイツが……」
 唸っていたその時、インターホンの高い音が部屋に響いた。
 くたびれた体を起こし、ドアを開ける。
 マミだった。
「綾瀬、大丈夫? 汗びっしょりだよ」
 心配そうに俺を見ている。
 怖い夢を見た……なんて言えない。
 でも、もう……。
 立っている事さえも間々ならなくなり、俺は前に倒れた。
 マミは驚いた表情を浮かべつつ、俺を両腕で抱き支える。
「嘘っ、ちょっと! しっかりしてよ!」
「もう……嫌だ……」
「え?」
「マミ……ずっと側にいてよ……」
 もう、どうなってもいい。
 マミさえ側にいてくれれば、それでいい。

 マミがコップに汲んでくれた水を飲み、一先ず布団の上に座った。
 マミも俺の向かいに座る。
「お酒臭いけど、飲んでたの?」
「うん……飲んでた。昨日、苗と……」
「ああ、苗さん。そっか、駄菓子屋に行ったんだっけ」
「うん……それで……」 
 頭が回らず、上手く言葉が出ない。
 ただ、ここにいてくれるマミが恋しい。
 
 いつか、マミは俺から離れていく。
 
 重なった不安は俺を追い詰め、アイツへの恐怖心を抱き、夢まで見させた。
 小学生の頃の出来事……ただの夢。
 もう終わった事。
 それなのに只事の様に思えなくて、どうしようもない程の不安に駆られる。
「何があったの? それともただ、酔ってるだけ?」
 マミが苛立たしげに俺を睨んでいる。
 話さないと……。
「俺、怖い夢を……見た」
「夢?」
「女の子が川に落ちて……俺は、ただそれをジッと見ていて……」
 俺の怯えた声に、彼女の溜息が重なる。
「綾瀬。もう昔の事なんだから。それに私は、あの子よりも綾瀬を選んだ」
「だけど」
 言い返そうとした俺の言葉を遮り、マミは俺の首に腕を回して身を寄せる。
「それにさぁ、私はどこへも行かないよ」
「だって……俺の子は産めないって……夢があるからって」
 マミは戸惑いつつも、少しだけ声を張り上げる。
「バカ! 私、まだ高校生だよ? こんな時期に産めるわけないじゃん。それに、私はどこへも行かない」
 マミはジッと俺の目を見る。
 その表情には、先程の苛立ちは見られなかった。
 そして言葉を続ける。
「正直な話。夢なんて、まだないよ。だから私の夢は、これから綾瀬と見つける」
「マミ……」
 彼女の小さくて細い指が、俺の頬を伝う涙を拭う。
「ほら、らしくないよ。いつものクールな綾瀬はどうしたの?」
「俺、クールだったのかな?」
「うん。皆の人気者で、イケメンでクールな優等生」
 そんな風に印象付けられていた小中学生時代もあった。
 でもマミが、このままずっと俺に付いて来てくれるのなら、俺はあの日の俺であり続けよう。
 そんな風に思う。

Episode3 Boys will be boys

 夏の日。
 家の庭に置かれたプランターの前に、俺達はしゃがみ込んでいた。
 すぐ隣にいる少女は、俺に語り掛ける。
「これはママが大事にしてるお花。葉は摘んで紅茶に出来るんだって」
 少女は自分の母親が育てている紅茶の葉について、自慢げに俺に説明している。
「二人とも、仲が良いのは感心だけど、もうすぐ夕立が降ってくるわよ。早いとこ家に入っちゃいなさい」
 家の中から彼女の母親が、俺達を呼んでいる。
「オヤツある?」
「勿論。美味しいハチミツのマフィンがあるから、いらっしゃい」
 少女は大喜びで母親に抱き付く。
 そして
「ほら、麗太君も!」
 俺の名を呼ぶ。
 少しだけ、照れ臭いと思いながらも、充分に幸せだった事を覚えている。

  =^_^=

 目が覚めると天井。
 自宅の、マンションの一室。
 先程まで見ていた光景が夢であったと、布団から起き上がってようやく気付いた。
 少しだけでいいから、戻ってみたい。
 そう思う日が幾度かあった。
 今もたまに……思う事がある。

 冬休みに突入して、三日が経っていた。
 先日のクリスマスは、梓の家で過ごした。
 一緒にケーキを食べて、酒を飲んで、適当に騒いで、結局はいつもの泊まりと、そう変わらなかった。
 先日までの詰め過ぎだった予定とは逆に、今日からは少しだけ増やしたAMANOでのバイトの予定しかない。
 ここ最近、予定が詰まり過ぎて疲れちゃってたのかな。
 連日連夜、似たような夢を見るのは、そのせいでもあるのかも。
 まったく、どうかしている。
 体を起こし、ヒーターの電源を点けて部屋を暖めた。
 その間、俺は室内をグルグルと迂回する。
 体の疲労以外に原因があるとするなら、高校二年生の特殊な能力に目覚めつつある俺への警告か、それとも宇宙からのメッセージ?
 いやいや、そんな事ある筈ない。
 イタイ中二病の考えだ。 
 じゃあ、あまりにも性欲が抑え切れなくなって、こんな夢を見るにまで至った?
 結局、梓とヤれなかった事が原因か。
 なんだか言い出しにくいんだよなぁ。
 それ以前に先日の彼女の発言は、和姦オッケーという事だったのだろうか。

ふざけている場合じゃない……。

 事の深刻さに俺は、薄々ではあるが気付きつつあった。
 こんな夢を見る事自体おかしいんだ。
 それでも、きっと俺は目を反らし続ける。
 もう終わった事として、出来る限り些細な現実逃避をしながら。


 今日も親父は仕事で家にはいない。
 年末だし、更に忙しいのだろう。
 時間は午前十一時。
 今日は十二時頃から、涼と佐々美に会う約束がある。
 なんかダルイなぁ。
 佐々美だっているし……。
以前、彼女が話していたサッカーの件。
まだ明確な返事は返していなかった。
本人が言うには、その話は年明けから、との事だ。
でもサッカーとか、もう今更って感じだし。
 温まった部屋の床に座り呆けていると、置いてあった携帯のバイブが鳴りだす。
 涼からだ。
『駅前のマック集合な』
 メールは佐々美にも一斉送信されている。
 仕方ない、行くか。

 駅前は、いつも通り人でごったがえしていた。
 実際、家にいる方が楽だったかも。
 でも結局、ずっと家にいたところで一日の大半をゴロゴロしているだけで潰してしまうんだけど。
 まあ、いいや。
 とりあえず昼飯を済ませられるし。
 店内に入ると、奥の四人席に座っている涼と佐々美が見えた。
 どうやら既に注文を済ませて、食べていた様だ。
「おう、麗太!」
 手を振り、こちらに合図する。
 それに軽く手を振り、レジで注文をしてから席に座った。
 今日の昼飯はビッグマックのセットMサイズ。
 昼飯には丁度良い分量だ。
「これ食ったらどうする?」
 俺が聞くと、佐々美は財布を確認し出す。
「お金ならあるから、カラオケとかゲーセンとかならオッケーだよ?」
「俺、ボーリング行きてぇ」
「え? じゃあ私はバッティングセンター」
 なぜか疲れる提案ばかりが上がる。
「お前等、元気だな」
「そりゃあ、麗太は梓さんと毎晩お楽しみで疲れてるだろうからなぁ」
「え?! そうなの?」
 からかい気味に言う涼の隣で、佐々美だけが真剣に俺を見る。
 いったい、どんな返答を期待されているのか。
「いや、別に……特に何かしてるってわけじゃねぇし」
「へぇ、まあ麗太と梓さんの事なんて……私には関係ないけどさぁ」
 そう言って、そっぽを向く。
 まったくコイツは、考えが行動に出過ぎていて分かりやすい。

 昼飯を済ませた後、俺達はゲーセンやらカラオケで時間を潰した。
 いつもの休日と同じ。
 何事もなく、一日が終わった。

  =^_^=

「あなたさえいなければ、――――は死ななかったぁ!」
 叫んだ女は俺を床に押し倒し、首に手を掛けた。
 首が圧迫され、掠れた声だけが出る。
 喋る事は出来ない。
 いや、元々できなかった。
 喋れなかったんだ。
「あなたのママが死んだのだって、あなたのせいよ! ――――だって……」
 母さんを失って――――までも失った。その翌日、俺は……。

  =^_^=

 目が覚め、起き上がった時、ここが現実であるかを疑った。
 あまりにもリアルな……夢。
 俺の首を絞めた女。
 どうして、あんなに怒っていた?
 俺が……。
 ――――を殺したのは……俺?
 違う!
 誰のせいでもない。
 彼女が勝手に死んだんだ。
 俺のせいじゃない。
 母さんだって……。
 小学五年生の春で終わってしまった、俺の中にある母さんの記憶。
 それはほんの僅かな、極断片的なものでしかなかった。

 こんなに寒い冬の日なのに、体は汗で濡れていた。
 暫く経って、部屋から出てリビングへ行くと、スーツを着た親父が椅子に座って新聞を眺めている。
 テーブルの上にはコーヒーとトースト。
「麗太、どうした?」
 茫然とドアの前に立つ俺に、親父が話し掛けた。
 上の空になっていた俺は、咄嗟に応える。
「いや……なんでもない」
「珍しいな。麗太が、こんなに早く起きるなんて」
 時計を見ると、まだ朝の五時半。
 見たところ、親父はこれから出勤のようだ。
「ちょっと早く起きただけ。特に意味はないよ」
 声が震えている。
 俺は何に怯えているんだ?
 さっきの夢?
 いや、ただの夢じゃないか。
 何も怖がる事なんてないんだ。
「麗太、大丈夫か?」
 俺の異変に気付いた親父は、読んでいた新聞を置き、心配そうに俺を見る。
「いや……えっと、親父……」
 今まで、もう終わってしまった事として、ずっと目を反らしてきた。
 忘れようとしてきた。
 だから、あんな夢を見たんだ。
 だから本当の母さんの事すら思い出せなかったんだ。
 あの母娘や実母の事を、ただ知りたい。
 そうすれば何かが変わるかもしれないから。
 もう終わってしまった事であっても、知らないといけないと思った。
 
「親父、話があるんだけど」
「それは、今からじゃないと駄目か?」
「うん。今、知りたい」
 知る事で、あの日、生み出されたトラウマや夢から逃れる事が出来ると期待していた。
 母さんの事も……。
 それもまた、一つの逃避であると知らずに。

親父の向かいの椅子に座った。
 出してくれたコーヒーを一口だけ飲み、俺は話を切り出す。
「俺が小五の時ってさぁ……どんな事があったんだっけ……」
 やや控え気味に話す俺に、親父はどこか物悲しげに語りだした。
 俺の知っている事も知らない事も……あの日の事の全てを。

 始まりは、俺が小学五年生だった頃の春休み。
 母さんが交通事故で亡くなった。
 そのショックからか、俺は声を出す事が出来なくなった。
 医者の話では、精神的なショック。
 仕事で単身赴任中だった親父は、俺を隣家に住むクラスメイトの家に預けた。
 それから始まる、隣家に住む母娘との楽しい日々。
 しかし、それも長くは続かず、娘の失踪の後の死亡という形で終わった。
 娘の母親は、彼女の死の原因は俺だと思いこんでいた様だが……今はどうしているのか。

「まあ、お前が日々、ここの生活に違和感を感じている事は、なんとなく気付いていたよ」
 違和感?
 そうだ。
 俺は確かに、ここの生活には違和感を感じている。
 しかし、それも一時の事。
 ここに引っ越して来て、もう五年以上は経つ。
 ようやく、この生活にも慣れてきたところだ。
「お前にも、隠していた事はあったしな」
「隠していた事?」
「ああ、そうだ。あの日、母さんを車で撥ねた男は、保険や慰謝料の請求の話が終わった今でも、俺に送金を続けている」
「送金?!」
 保険や慰謝料。
 そういったゴタゴタした話を、当時の俺は理解していなかった。
 今になって初めて知る、新しい事実だった。
「彼は、お前の母さんを殺してしまった事を、あの日からずっと悔い続けている。必死になって働いて、ようやく貰った給料を、俺に送金している」
 最初の方は、親父も送金を断っていたようだ。
 しかし男は、俺の大学進学までの間、送金を続けさせて欲しいと、親父を説得したらしい。
 幸せな家庭の未来を奪ってしまった。
 自分は、憎まれて当然の存在。
 だから、せめて事故現場にいた俺の為に、送金を続けたいとの事だった。
 大学への進学。
 男のからの送金は、その為の費用として蓄えているらしい。
 母さんの事故の原因は俺だった。
 その筈なのに……。
 男の話を聞いてから、自身のしでかした事の愚かさを、改めて実感した。
 母さんも、車を運転していた男の人生も……俺は壊してしまった。
「このままじゃ、ダメだ。知りたいんだ、あの日の事。母さんの事も、俺が、あの街にいた事も」
 知って、俺はどうするんだろう。
 もう母さんはいないし、あの母娘だって……。
「お前は、これからどうしたい?」
「俺は……」
 俺は、どうしたい?
 今更、親父の話を聞いたところで、もう取り返しの付かない事だって分かっている。
 全部、終わった事。
 それでも……。
「昔、俺が住んでいた街に行く。そこで……」
 言葉が出ない。
 ただ、明確な目的というものがないのだ。
 しかし、あの街に行く事によって、何かが変わるかもしれない。
 なんの目的もなしに、そんな淡い期待すら抱いていた。
「分かったよ」
 親父は立ち上がり、メモ用紙を持ってきたかと思うと、そこに何かを書いて俺に渡した。
「うちの墓がある霊園の住所。そこに、お前の母さんがいる」
 そういえば毎年、親父は盆になると、あの街へ日帰りで行っていた。
 俺はあの街を離れて以来、一度も訪れてはいない。
「お前の金の心配はいらないな」
「バイトで貯めた金がある」
「冬休みだし、時間は好きに使え」
 俺に話をしてからの親父は、どこか寂しそうで、いつもより冷たかった。
 仕事ばかりで家にいる事のすくなかった親父でも、母さんが死んだ時は悲しかったんだ。
 人生で一番、幸せだった時期に、一番大切な人を失って……俺みたいな奴を、ここまで育ててくれた。
「なあ、親父」
「なんだ?」
「ありがとうな」
 柄にもなく親父に言った言葉は、そんなにもチンケな一言だった。
 でも少しだけ、親父は歯を出して笑い掛けてくれた。

 バイトの店長には「急用の為、今日は休みます」と電話を入れた。
 梓には、どうせ日帰りだし、連絡する必要もないだろう。
 身支度を整え、財布や携帯をジーンズのポッケに仕舞う。
 ショルダーリュックと、ポケットには財布と携帯。
 外へ出て、玄関のドアに鍵を掛けた。
 もう親父は家の中にはおらず、俺が支度をしている間に出勤してしまったようだ。
 現在の時刻は、朝の八時半。
 電車の発着時刻と向こうの街までの路線を調べたところ、八時半発の電車で、一時間半程で着くらしい。
 マンションの階上から見える雲一つない空は、冬である為か真っ青に透き通っていて、より高く見えた。
 遠出には絶好の日和だ。


 路線を一度乗り替え、ラストに下り電車に揺られる事、約四十分。
 聞いていたウォークマンのイヤホンを耳から外し、電車を降りた。
 見上げた空は、出発時に見たものと同じ。
 しかし眺める街の景色は全く違う。
 然程、大きな建物はなく、駅周辺にはコンビニが一つと居酒屋が数件、進学塾が二つ。
 見渡した向こう側には、集合住宅が立ち並んでいる。
 やはり都心と比べると、あまり人も歩いていない。
 こんな感じだったか。
 俺がいた頃に比べると、多少は工事等で発展した様だ。
 それにしても……。
 線路の下り行きの、向こう側を見上げる。
 そこには線路を跨いで、一本の誇線橋が架かっていた。
 昔は、あんなものはなかった。
 たしか、その真下に踏み切りがあった筈だが……あれを作った際に取り壊したのだろうか。
 懐かしい……という率直な感想が浮かぶと予感していたのだが、まさかこうも裏切られるとは思わなかった。
 浮かんだ感想は予想していたものとは違い、ここが本当に、かつて自分の住んでいた街なのか疑わしい、という疑問だった。

 三台しかない改札を通り抜け、まず俺は親父から受け取った住所を確認した。
 携帯で住所を検索し、霊園を探す。
 この駅の東口からバスが出てるな。
 東口は……探すまでもないか。
この駅は何とも単純な構造をしていた。
 中は吹き抜けになっていて、改札口を向かいに、右側へ真っ直ぐ行けば北口、左側へ真っ直ぐ行けば南口。
 駅構内には券売機と売店が一つしかなく、壁に掛けられた妙なオブジェとベンチしかない。
 こんな所だったんだ。
 あの頃の俺からしたら、きっとこんな殺風景が当たり前だったんだ。

 東口には駐輪場と隣接して、バス停があった。
 停まっているバスの電光掲示板には、霊園付近の団地の名前もある。
 これだな。
 バスに乗り、座席に腰掛ける。
 乗客は老人や青年が数人。
 なんだかノンビリした街だ、と改めて実感させられた。


 バスから降り、霊園に入る。
 そういえば、こんな感じだったか。
 この霊園に来たのは、母さんの葬式の後。親代わりとして育ててくれた母親と来た
のが最後だった。
 僅かな記憶を頼りに幾つかの角を曲がり、ようやくそこに辿り着いた。
 沙耶原家之墓。
 墓標には、そう刻まれている。
 沙耶原なんて名字、そうはない。
 きっと、これで合ってる。
 墓石は綺麗に手入れをされていて、敷地の土からは雑草も生えていない。
 親父が最後に行ったのは今年の盆の筈だ。
 他の誰かが手入れをしてくれているのだろうか。
 ふと気付いたが、線香を買っていなかった。
 とりあえず拝む事くらいは、しておこう。
 両手を合わせて目を瞑る。
 拝んでる間って、何を考えれば良いんだろう。
 墓参りなんて、保護者代わりだった母さんと、本当の母さんの墓参りに来て以来だったから、よく分からない。
 結局、何かを考える事もなく、ただ手を合わせて目を瞑っていた。
「あれ? どなた?」
 後ろから女の人に呼び掛けられた。
「え?」
 沙耶原家之墓の敷地より外に、一人の女性が立っている。
 整った顔立ちや身なり、まだ充分に残る頬の張り、歳は三十程だろうか。
「あの……俺は、沙耶原の息子の……」
 一歩踏み出し、敷地に入ってくる。
「もしかして……麗太君?」
「え、どうして俺の名前を?」
 彼女は眼を見開き、俺を凝視する。
「へぇ、変わったねぇ」
「いや、誰ですか?」
「覚えてないの? ほら、麗太君が小五の頃の担任」
 お調子者、若い、綺麗、ノリの良い先生。
 そんな評判が当時、保護者や生徒の間で出回っていた。
 あとは……生徒に順位を点けるとしたら、皆を一番にしてしまう事。
 なぜなら人それぞれに、個性があるから。
 それぞれに違う個性は、他の誰かに負ける事はない。
 道徳の授業での、そんな言葉が印象的だった。
「博美先生」
 自然と彼女の名前を呼んでいた。
「そうそう、覚えててくれたんだ!」
 嬉しそうに笑っている。
「どうしてここに?」
「私、この街に来るのは半年振りなのよ。麗太君が引っ越した次の年、他の学校への転任が決まってね。なかなか来れる機会も見つけられなかったし、こっちへ来たんだから、お墓参りくらいはしようかなって」
 俺が引っ越した年、――――が死んだ日の翌年。
 色々と大変だったんだろうな。
 まさか、自分のクラスの生徒の一人が死ぬなんて。
 その上、その母親は彼女にとっての友人だった。
 転任の理由は――――に関した事だろうか。
 いや、あまり聞かない方が良さそうだ。
「麗太君に会えて嬉しいわ。まさか同窓会に来てくれるなんて」
「同窓会?」
「そう、午後から小学校の校庭で。こっちの友達から聞いて来たんじゃないの?」
「いえ、何も……」
 変に偶然が重なってしまったようだ。
 どうせ行ったところで、誰も俺を分かりはしないが。
 この街に住み続けて互いに顔を見知っている奴等からしたら、俺なんて記憶の隅っこにしか位置していないんだ。
 記憶の殆どは、昔から付き合いのある限られた友人と、新しい友人で上書きされる。
 現に、俺自身がそうだから。
 ここに来たのは昔の友人に会う為ではない。
 ただ、母さんの事が気掛かりだっただけ。
「そっか……でも、聞いたからには行くしかないよね?」
「いや、俺は……」
「それに綾瀬君も来るって」
「綾瀬」
 なぜか、その名前だけは鮮明に覚えていた。どこか安心する懐かしい名前。
 放課後は綾瀬を交えて皆と外で遊び、二人
で駄菓子屋へ行ったり……たまに衝突して嘩
したりする事はあったけれど、俺にとっては最
も頼れる親友だった。
「綾瀬か……」
「そういえば、綾瀬君と仲良かったよね」
「ええ、まあ」
 よく一緒にいたし、やはり誰から見ても仲の良い友人だったのだろう。
「綾瀬君に会ってみたくない? それに他にも友達は来るよ」
「どうせ皆、俺の事なんて覚えてませんよ」
 博美先生から目を反らし、そっぽを向いて苦笑する。
 そんな俺に、然も真面目な返答が返ってくる。
「大丈夫。皆、麗太君の事を忘れたりなんてしてないから」
 少しだけ間を開けて、言葉を紡ぐ。
「それに私は、麗太君を信じてるから」
 博美先生の放った最後の一言が、どうしてか気掛かりだった。

 その後、午後の同窓会へ行く事を半ば強制的に約束され、駅前のバス停で彼女と別れた。
 同窓会の開始時刻は午後二時、小学校の校庭に集合。
 まだ昼前だし、暫く街を歩く事にした。
 駅周辺から少し離れた住宅街へ歩いていくと、おぼろげに記憶している風景が少しずつ見えてくる。
 住宅と住宅の間に伸びる大きな車道には、数台の車が行きかっている。
 あの日は……もっと暖かくて気持ちの良い陽気だった。
 そんな白昼の中で、母さんは俺を庇って……。
 気が付くと、俺はかつて住んでいた家の前に来ていた。
 見た事のない車や自転車が置いてあるところを見るに、今は別の誰かが住んでいるのだろう。
 その家の隣……母さんを亡くした後、俺を本当の家族も同然に住まわせてくれた母娘の家。
 あの日と何も変わっていない。
 ――――がいなくなっても、ただそれだけで街は何も変わらず、今まで通りにその場所に位置し続ける。
 この家には今、あの亡くなった娘の父母が住んでいるのだろうか。

 住宅街を抜けると、昔からある建物が隣接して並ぶ区に出る。
 細い道を幾度か抜け、妙に曲がりくねった路地を抜けた場所に、それはあった。
 昔、よく綾瀬と二人で来ていた場所。
 入口の戸の前には変わらずに、三人が座れる分の大きさのベンチが設置してある。
 やっぱり、ここは何も変わらないな。
 正直、何も変わらずにここにあり続けていた事に、俺は驚いていた。
 駄菓子屋の戸を開けて、中に入る。
 やはり店内には誰もいない。
 あの婆ちゃんの事だ。
 どうせ奥の部屋で昼寝でもしているんだろうな。
 幾つか駄菓子を買って、それを昼飯に食べる事にした。
 駄菓子なら安く済むし、ここで食べて小学校まで歩いて行けば丁度の時間だ。
 店内を物色し、幾つか駄菓子を取る。
 ブタメンとビッグカツに、それから……いか串も捨てがたいなぁ。
 ブタメンとビッグカツとイカ串を、それぞれ二つ。
 それほど腹も減っていないし、これだけあれば充分だろう。
 駄菓子なんて久しぶりだ。
 俺の住んでいるマンションの近くには、こんな店はないから、やっぱり珍しい。
「婆ちゃん!」
 奥の部屋に大声で呼び掛けてみた。
 反応がないので、もう一度。
「おい、婆ちゃん!」
 おかしい。
 以前なら、すぐに出て来てくれたんだけど。
「あの……」
 小さな声が聞こえた。
 声の聞こえた方、奥の部屋から誰かが、こちらを覗いている。
 僅かに壁から見え隠れしている誰かは、およそ小学生くらいの少年だ。
 婆ちゃんの孫か何かだろうか。
「お会計したいんだけど、婆ちゃんいるかな?」
 少年は頷き、奥の部屋へ消える。
 僅かな間の後、奥の部屋から床の軋む音が聞こえてくる。
 それは徐々にこちらへ近付き、廊下から少年ではない誰かが出て来た。
「婆ちゃ――――」
 そこで言葉が出なくなる。
 奥から出て来たのは婆ちゃんではなく……若い年上の女の人だった。
 年齢は梓よりも、やや上くらいか。
 起きたのが今だったようで、ボーダー柄のパジャマを着ている。
 彼女はダルそうに、長く胸元まで伸ばされた髪を背中へ流し、置いてあるサンダルに素足を通して店内に入る。
 ダルそうに、ゆっくりとレジの方まで向かい、俺から受け取った駄菓子の会計をし、手を差し出す。
「三二〇円」
 酷く寝起きで掠れた声だった。
「ああ、はい」
 財布から小銭を取り出し、彼女に渡すと共に、袋にまとめられた駄菓子を受け取る。
 なんというか……愛想の良かった婆ちゃんに比べて、無愛想という言葉が彼女には合いそうだ。
 それでも俺は無愛想な彼女に、爆弾を投下してみる。
「婆ちゃん、若返ったね」
 次の瞬間、大きな衝撃が頭に直撃し、視界が暗転する。
 何かで叩かれた。
 目を開けると、彼女は大きなハリセンを持っていた。
 ハリセンにはウルトラマンやら戦隊ヒーローのイラストがプリントされている。
 レジの隣に、束になって置かれているやつか。
 小学生の頃から、こんなのがあったのを覚えている。
 たしか、お菓子の詰め合わせが当たるクジのハズレ商品だ。
「前にも、私に同じ事を言った奴がいたよ」
 彼女は、レジ横に置いてある椅子に座る。
「私が、まだここに来たばかりの頃。二、三年くらい前かな。中学生のくせに一丁前に彼女なんて連れてさ。こう言うわけ。婆ちゃん、若返ったね」
「そいつにもハリセンを?」
「まあね。そいつら小学生の頃から、よくここには来てたらしいし。今でも、その二人はここの常連さんだよ」
 ここに来る小学生といえば、やはり近隣の、もしくは俺と同じ小学校だったのかもしれない。
 この人は、ここに来てまだ日が浅いのか。
 見たところ、彼女が店を経営しているようにも見える。
 勿論、先程の俺の言葉は冗談のつもりだ。
「あの……昔、もう五年くらい前……ここに婆ちゃんが一人で住んでた筈なんですけど……」
 彼女はクスッと笑う。
「あの婆ちゃん……やっぱり良い人だったんだなぁ」
 昔を懐かしんでいるようにも見える。
 俺自身、この駄菓子屋自体が懐かしく思えるのだが。
「こうして会いに来てくれる人がいるなんて。あの婆ちゃん、猫ですら自由に出入りさせてたでしょ?」
「そういえば、いましたね。たしか……マルって名前の猫が」
 ――――に懐いていて、よく一人と一匹でジャレ合っていたのを覚えている。
「で、婆ちゃんに会いに来たんでしょ?」
「ただ……こっちに用があって、立ち寄っただけです。小学生の頃、世話になってたんで、会っておこうと思って」
「えっと……君、名前は?」
「麗太です。沙耶原麗太」
 彼女はピクッと目元を振るわせ、俺の顔をジックリと見る。
「ふぅん、綾瀬とは違って……けっこう可愛い系なんだね」
 綾瀬。
 この街に戻って来て、綾瀬という名前を他人の口から聞いたのは、これで二度目だ。
「光原綾瀬。知ってるでしょ? 君の事は、綾瀬とマミちゃんの話題にも、よく出てくるから」
「じゃあ、もしかして、その中学生って……」
「綾瀬とマミちゃんだよ。今日は小学校の同窓会があるから、その後にマミちゃんと来ると思うけど」
 あいつがここに来る。
 もう何年も会っていない親友。
 しかし、会う場所はここじゃない。
 俺は博美先生の約束通り、小学校の同窓会へ行く。
 ただ興味があっただけ。
 その興味の大半は、綾瀬だけど。
 彼女は近場にあった冷蔵庫から、缶のコーヒーを取り出し、俺に差し出す。
「ほら、コーヒー飲みな」
「え?」
『ほら、サイダー飲みな』
 来る度にサイダーをおまけしてくれた婆ちゃんの言葉が蘇る。
 デジャブとは違うが、場面が重なる。
 この人はコーヒーだけど。
「駄菓子。ここで食べて行きなよ。話したい事もあるし。主に、婆ちゃんについてね」
 彼女は俺に、ここ数年間のこの街での出来事を話した。
 三年前、ここに住んでいた婆ちゃんが亡くなった事。
 目の前にいる彼女、霧原苗。
 先程の少年、彼女の弟の霧原大地。
 綾瀬や天美が、よくここへ来る事も。

「ちょっと、ショックだったかな?」
 俺が、まだこの街にいた頃、あんなに元気だったのに。
「やっぱり、もう歳だったんですよね。本当に良い人だったのに」
 あの日、俺がまだこの街にいた頃、――――が亡くなったのと同じで、たとえ婆ちゃんがいなくなっても、街は今まで通りにその場所にあり続ける。
 いなくなってしまった人に構わず、ただ横たわっている。
 やっぱり最後に会ったのが何年も前だったからか、近しい人が死んだという悲観的な感情は生まれなかった。
 奥の部屋から足音が聞こえて来る。
 先程の少年、霧原大地は、また壁に隠れてこちらを覗っている。
「ほら大地、こっちおいで」
 軽い足音を立て店内に降り、彼女の横に立つ。
「大地、東京の方でサッカークラブに入ってんの。綾瀬から聞いたけど沙耶原君、サッカー経験者なんでしょ?」
「ええ、まあ」
「食後の運動って事でさ、大地の練習に付き合ってやってよ」
 彼女の隣に立つ霧原大地は、俺と彼女の両方に目線を配っている。
 戸惑っているのだろうか。
 当然か。
 俺みたいな知りもしない奴と、いきなり練習しろ、なんて言われたら。
「ねぇ、いいでしょ? まだ同窓会まで時間はあるし」
「別に俺とやらなくても、綾瀬だってサッカーは出来ますよ?」
「そうなんだけど、綾瀬君も忙しくて、最近は相手してあげられないし」
 彼女は少年の頭をワシャワシャと撫でる。
「なんか大地ったら、私にも一緒に練習に付き合って欲しいとか言い出してさ。私の高校の頃の体育の成績、二だよ? どう考えても無理じゃん」
 だからお願い、と両手を合わせて上目使いで懇願される。
 年上にしては、どこか抜けているというか、なんというか……愉快な人だ。
 綾瀬も、こんな人と毎日のように会っていたら大変だろうな。
 勿論、良い意味で。

 駄菓子屋近くの空き地で、大地とリフティングパスの練習をした。
 霧原苗は、寒いし着替えるのが面倒との事で、駄菓子屋に残った。
 何度か、大地とパス回しを続けているが、思っていた以上に上手い。
 大地くらいの歳の頃の俺って、こんなに上手かったっけ。
 やっぱりクラブチームに入っていると違うなぁ。
 聞いた話によると、ポジションはフォワードらしい。
 これは将来に期待出来そうだ。
 少し体が慣れてきたところで、徐々に距離を開けた。
「ちょっと回転掛けてみるよ」
 大地は頷く。
 大地からのボールに回転を掛け、少々、強めに蹴る。
 試合では、回転したボールが基本だ。
 試合に関して効率的な練習方法といったら、たぶんこれが一番だろう。
 たかだか高校一年の最初で挫折した、元サッカー部員の持論だけど。

 練習が終わった後、大地と店に戻った。
 彼女はこれからバイトがあるとの事で、着替えて準備をしていた。
「じゃあ大地、店番よろしく!」
 そう言うと、店脇に駐輪してある自転車に跨って、サッサとペダルを漕いで行ってしまった。
「よく、店番とか任されるの?」
「うん。姉ちゃん、来年からちゃんとした仕事、始めるんだって。だから、姉ちゃんに不自由のないように協力してあげたくて」
 この年にして、なんて出来た子だろう。
 俺が小さかった頃は、こんなに健気にはなれなかったと思う。
「お前、偉いな」
 小さな大地の頭をワシャワシャと撫でてやる。
 兄弟なんていないから、よく分からないけど、弟がいるって、こんな感じなんだろうな。
 家族か。
 俺には、もう親父しかいない。
 でも、家族がたった二人きりになった孤独の最中、あの母娘は、俺を家族も同然の様に親ってくれていた。
 そして、この街にいた最後の日、俺を親友として、家族として認めてくれたやつもいた。

 光原綾瀬。

 外から聞こえてくるバイクのエンジン音が、鼓膜を揺らす。
 それが止まり、開けられた戸口から若い男の声が聞こえた。
「珍しいな、大地。いつもは小坊ばっかりなのに」
 大地の頭から手を離し、声の方へ振り返る。
 目の前に立っているのは、一人の青年。
 細身の体の割には、しっかりとした肩の形や堂々とした出で立ち。
 赤茶に染められた、肩まで伸ばされた長く鮮やかな髪。
 一見するとヤンチャしてそうな風貌ではあるが、どことなくそれとは違う雰囲気もある。
 身に着けているのは黒いコートや革のレザーグローブ、先程のバイクの音はたぶん彼だ。
「綾瀬!」
 大地は彼を、そう呼んだ。
 綾瀬と呼ばれた彼は、俺の方を向く。
「あ、どうも。なんか大地が世話になってたみたいで」
「あ……いや、別に……」
 光原綾瀬。
 家族も同然の様に思っていた親友が今、自身と同様に青年へと成長した姿でここにいる。
 小五以来の再会を果たしたというのに、俺は自分の名前さえも彼に名乗る事が出来なかった。
「じゃあ、俺はこれで」
 じゃあね、と大地の声が後ろから聞こえたが、俺は振り返る事もなく店から出て行った。


 小学校の校庭の隅には、既に十数人の高校生が集まっていた。
 その中に博美先生もいる。
 制服を着ている奴もいれば、私服の奴もいる。
 皆が楽しそうに笑い合っている。
 どうせ誰も俺の事なんて覚えていない。
 先の綾瀬だって、そうだった。
 俺自身、名前を聞いて綾瀬だと確信したんだから。
 見たところ校舎に変わりはない。
 強いて変わったところを挙げるとすれば、遊具の数が減っている事くらいだ。
 今は鉄棒や登り棒しかないが、昔はジャングルジムや土管があったのを覚えている。
「こっちだよ!」
 集まっていた十数人の中から声が聞こえた。
 博美先生だ。
 彼女はこちらへ駆け寄ってくる。
 誰にも話し掛けられないし、話し掛ける事も出来ない俺からしたら、ある意味で博美先生は救いだ。
「これからタイムカプセル掘るの」
「え?」
 タイムカプセルなんて埋めた覚えはない。
 博美先生は俺が、それを知らない事に気付いたのか、少しだけ表情を変える。
「言ってなかったっけ?」
「いえ、全然」
 聞いたところによると、卒業前に二クラス合同でタイムカプセルを埋めたらしい。
 中身は未来の自分へ宛てた手紙。
 今日の同窓会は、それを掘り起こす為の催しだったそうだ。
 博美先生が考えそうな事だ。
 それにしても、二クラスなら五十人はいた筈だが、たったの十数人しか集まらなかったのか。
 おまけに片方のクラスの元担任は来ていない。
 もう、いつまでもガキじゃないんだから。
 ただ、そう言ってやりたい。
 そんな事を思っている俺こそ、ここにいる奴等の中で一番ここにいる資格なんてないな。

 結局、俺は博美先生以外の誰と話す事もなく、集まる十数人の元クラスメイト達の外側にいた。
「ほら、こっちに来なよ」
 と、博美先生には言われたが、どうしてかあの輪に入るのが嫌だった。
 皆が求めるタイムカプセルの中には、ここにいる全員の手紙が入っている。
 ただ、俺だけにはそれがない。
 かつてのクラスメイト全員が、この街で経験した事を、俺は何も経験していない。
 ここにいる皆とは違う。
 そう考えただけで、あの輪の中へ入る事を自然と躊躇してしまう。
 やっぱり帰ろう。
 もう、ここにいてもしょうがない。
 校庭の隅から歩き出そうとした時、目の前から歩いて来る青年と目が合った。
 その隣には女の子が一人、彼の腕に自身の腕を絡めていたが、そんな事は気にも止めなかった。
 目の前には、先程の駄菓子屋にいた青年。
 光原綾瀬がいた。
 彼は擦れ違う寸前、俺に声を掛ける。
「あれ? さっき駄菓子屋にいた……」
 俺の歩は、そこで止まる。
 しかし上手く言葉が出ない。
 綾瀬と会ったところで、何を話せば良い?
「もしかして、ここの生徒……だった?」
「ああ、うん」
 頷き、綾瀬の顔を見る。
 彼も俺の顔を見る。
 綾瀬の隣にいた彼女は、自分が場に相応しくないと感じたのか、彼の隣を離れ、皆が集まる所へ行った。
 お互いに、妙な観察のし合いが始まったが結局、彼は今の容姿から、昔の俺を連想する事は出来なかったようだ。
「えっと、名前。いいかな?」
 申し訳なさそうに自己紹介を要求された。
五年以上も間が空いていたんだ。
 しょうがない。
「麗太だよ。沙耶原……麗太」

 俺の名前を明かしてから、綾瀬の俺への対応は、赤の他人へ対するものではなくなった。
 五年以上も間を開け再会した俺達が意気投合するのには、そう時間も掛からなかったのだ。
 よく見れば小学生の頃、綾瀬以外にもつるんでいた奴は、この場に何人かいるように思える。
 綾瀬と意気投合していた俺は、その場にいた数人とも話をした。
 更に、綾瀬の隣にいた先程の彼女は、元クラスメイトの天美だった。
 元々、綾瀬とは仲が良かった様で、今は付き合っているという。
「まったく、何年振りだよ。すげぇ、久し振り!」
 綾瀬に軽く背中を叩かれる。
「ああ、マジで懐かしいな!」
 俺も彼の背中を軽く叩く。
 こんな風にじゃれるのは、涼や佐々美、今の学校では毎度の事だが、やっぱり綾瀬はどこか特別に思える。
「てか、お前。ここまで、よく来たよな」
「まあね。母さんの墓参りに来てたから。それで偶然、博美先生に会って」
「そっか。あれから、もう五年以上は経ったよな」
 綾瀬は気を使ってくれたのか、あの年に起こった出来事を深く言及する事はなかった。
 彼の口から――――の名前が出る事もなかった。
「おい、出て来たぜ!」
 掘り出した穴を囲む数人の後ろで談笑していた俺達は、タイムカプセルを掘り起こしていた元クラスメイトに呼ばれ、穴の周りに集まる数人の中へ入る。
 俺が書いた物は入っていないけど、どうせ来たなら皆がどんな事を書いていたのか、見てみたいと思った。
 掘り出したタイムカプセルはチープなもので、煎餅の詰め合わせに使われている様な、アルミの四角い箱を何重かの袋に包んだ物だった。
 穴を掘っていた元クラスメイトの彼は、箱を包んでいた袋を剥ぎ取り、蓋を開けた。
 中には二クラス全員分の手紙が、ぎっしりと詰まっている。
 一枚ずつ全ての手紙が、個人の名前の書かれた封筒の中に入っている。
 たしか一クラス二十五人前後程だったから、二クラスでこれが五十枚はあるのか。
「じゃあ皆、手紙配るから」
 博美先生は開けられた箱から一枚ずつ、手紙を取り出しては、封筒に書かれた名前を読み上げる。
 名前を読み上げたは良いが、この場にいない奴も何人かいた。
 ここで持ち主の手に渡らなかった手紙は、後から郵便で本人に送る手筈になっているそうだ。
 この場にいる俺以外の十数人に手紙が渡り、どことなく自分が一人だけ取り残された様な疎外感を感じた。
「うわ! マジで俺、こんな事書いてたんだ!」
「ちょっと、これは恥ずかしいかも」
 各々が手紙を読み合い、笑ったり恥ずかしがったりしている。
 俺がいない数年間、ここに住み続けたクラスメイト達は、この街でどんな経験をしてきたのだろう。
 中学、高校……いろんな事があった筈だ。
「何が書いてあった?」
 綾瀬は手紙を二つに折って、ズボンの後ろポケットに仕舞う。
「くだらない、ガキっぽい事だよ」
 そう言いつつも、無邪気に笑っていた。

 数人で話をして、俺や綾瀬、その他の男女も交えて、計五人で飯を食いに行こうという事になった。
「マミ、お前も来るだろ?」
 学校から出る時、綾瀬は天美も誘ったようだが、彼女の返答は「私はいい。先に戻ってる」との事だった。
 学校近くには、隣町までを繋ぐ大きな道路が通っていて、飲食店やカラオケボックス、ボーリング場等が軒を連ねている。
 小学校から歩いて五分程の距離だったろうか。
 綾瀬はバイクを引き、俺達は、まるで昔を懐かしむ様に笑い合いながら歩いた。

  =^_^=

 ボーリング場やカラオケボックス、皆とファーストフード店で夕食も取った。
 冬という事もあって、陽は予想以上に早く沈んだ。
 八時頃に皆と別れた後、俺と綾瀬はまだ一緒にいた。
 皆、家には親がいるし、遅くなるとうるさく言われるから、との事だった。
 俺と綾瀬には、門限のようなものはなかった為、この場に二人で残る事にした。
 綾瀬はバイクに跨り、後部のバイクボックスからヘルメットを取り出して、俺に差し出す。
「ちょっと時間を潰そう。ほら、後ろ乗れよ」
「あ、うん」
 ヘルメットをかぶりバイザーを降ろすと、綾瀬の後ろに跨る。
 バイクにニケツで乗るのは、梓のバイクの後ろに乗って以来だ。
 本当なら、俺が彼女を後ろに乗せてやりたかったのだが……。
「どこに行きたい?」
 取り立てて行きたい場所などなかった。
 それ以前に、俺の覚えている限りで、この街の地理など充てにはならない。
「お前に任せるよ」
「よし! じゃあ、掴まってろよ」
 綾瀬の腰に腕を回す。
 それを確認すると綾瀬は、サイドスタンドを跳ね上げ、アクセルを手前に捻ってバイクを前進させた。
 徐々にスピードが付き、俺達が乗るバイクは道路へ出た。
 心臓を揺らす様な、かっこいいエンジンの轟音。
 広い道路の向こう側の景色、側面に広がる幾つかの建物、前方から向かう風。
 それら全てが一気に視界を、体を擦り抜けていく。
 先程、皆で食事した時に聞いた話によると、綾瀬は高校へは行っていないらしい。
 親とは別居していて、今はアパートに一人で住み、幾つかのバイトで生計を立てていると言う。
 フリーターになって、一人でアパートに住んで。
綾瀬は今、俺とは全く違う境遇に立っている。
 それでもこの瞬間、俺は彼の後ろで同じ景色を、同じ風を感じている。
 これが、いつも綾瀬が見ている景色なんだ。

 バイクで走る事、数分。
 そこは街から正反対の位置にある、河川沿いの土手だった。
 土手の上へは、隣町へ渡る為の川を股に掛けた、大きな橋の手前から舗装された道へバイクで入る事が出来た。
 川沿いの向こう側に見えるのは、隣町の夜景。
 そして、そのずっと向こうには大きなビル群が照らす街の光。
 凄い。
 人気のない河川沿いの土手から、こんな景色が見えたんだ。
 この街に住んでいた頃の俺は、ここに来る事は一切なかった。
 学校や回覧板からの連絡で、この場所へ子供だけで入る事は禁止されていたからだ。
 皆が馬鹿正直に言い付けを守っていたから、結局は俺もここへ入る事はなかった。
 何よりも俺が転校する寸前、一人の女の子の死体が河川で見つかった事で、皆のこの場所に対する恐怖心には拍車が掛かっていたのだろう。

 土手の舗装された道を少し進んだ所で、綾瀬はバイクを止めた。
 俺と綾瀬はヘルメットを脱ぎ、バイクから降りる。
「ここ、俺のお気に入りの場所」
 そう言うと、彼は止まっているバイクの上に腰掛け、俺達の頭上真っ直ぐ上を指差した。
「真上、見てみろよ」
「真上?」
「いいから」
 これでもか、と言う位に顔を上げ、真っ直ぐ頭上を見上げた。
 視界に広がったのは、まず夜空の闇。
段々と暗闇に眼が慣れ、真っ暗な冬の夜空には幾数の小さな星達が浮かぶ。
 冬の澄んだ夜空の中で、それぞれが小さく光を放ち続けていた。
 昔、母さんから聞いた事がある。
『冬の空は澄んでいるから、見上げるだけで幾つも星が見えるの。
勿論、夏にだって星は見えるわ。来年の夏と冬、父さんも連れて一緒に見に行きたいね』
 一緒に星を見に行く前に、母さんは交通事故で死んでしまった。けれど今は、ここで綾瀬と一緒に星を見上げている。
 視線を綾瀬の方へ戻す。
「ありがとう、綾瀬。……粋な事してくれるじゃん」
 綾瀬は照れ臭そうに笑い、俺から目線を反らす。
「この場所……よくマミと来るんだよ。お前が転校した日からは頻繁に……。引っ越しの日、駄菓子屋の前で……覚えてるか?」
「うん、覚えてる」
 あの日、綾瀬はいなくなってしまう俺の為に泣いてくれた。
 もしかしたら、綾瀬の涙を見たのは、あの時が初めてだったかもしれない。
 最後の時まで一緒にいてくれた……だからこそ、俺は綾瀬の事を親友として、記憶の内に留めておく事が出来たんだ。
 母さんが亡くなった後も……学校では必ず側にいてくれた。
「麗太。お前、泣いてる?」
 一筋の涙が、頬を濡らしていた。
 慌てて、コートの袖で目蓋を隠す。
 恥ずかしいところを見られてしまった。
 まさか、高二にもなって泣いてしまうなんて。
「泣いて、良いと思う」
「え?」
「麗太。俺と別れた日、泣いてなかっただろ?」
 あの日、俺は泣く事もなく、この街を後にした。
 後悔する事を諦め始めた、今日の俺へと繋がる日。
「綾瀬は、諦めたくないから泣いてくれたの?」
「ああ、お前が転校するって知った日は落ち込んだ。そうだな、諦めたくはなかった。俺は今でも、諦める事のないように頑張ってるつもりだよ」
 親友であり、家族も同然であり、そして憧れでもあった。
 どんな漫画の主人公やスポーツ選手なんかと比べても、綾瀬こそが俺自身のヒーローだと思っていた。
 絶対に諦めない。
 そんな綾瀬のような人間になりたくて、どんな時でも最後まで諦める事はしなかった。
 それが、あの日までの俺。
「成長していく度に、諦める事を覚えたから。だから優子の事も、この街の事も全部、忘れようとしてた」
「平井優子か……」
 その名を呟いて、少しだけ表情を歪める。
 綾瀬は俺の方を見る事もなく、完全に黙っていた。
 数秒の沈黙が続き、綾瀬はようやく言葉を発する。
「来いよ」
 バイクを置いたまま、綾瀬は土手の下の暗闇へ降りて行く。
 俺も彼の後に続いた。
 河川の水面に僅かに映る月光と、そこに浮かぶ波紋や水の音だけが唯一、川辺と陸との境界線を示していた。
 境界線ギリギリの所で、綾瀬は歩を止める。
「綾瀬、どうした?」
「もう――――終わったと思ってた……」
「え?」
 あまりにも小さな声で、聞き取る事が出来なかった。
「何だよ? どうしたんだよ?」
 綾瀬は俺の方を向く。
 今までに見た事のない程の、虚ろな表情。
「平井優子の事。まだ覚えてたんだな」
「当然だろ。転校する日まで、ずっと一緒に過ごしてきたやつなんだから」
「そうだ……。そうだよな」
 今、綾瀬は何を考えているのだろう。
 彼女の話題を持ち掛けてみてからというもの、綾瀬の考えている事がまるで見当も付かない。
「なあ、どうして死んだんだろうな」
 この街を離れた日から、彼女の話題を口に出した事はなかった。
 どうして?
 怖かったからだ。
 殺したのは俺じゃないのに……彼女の母さんは俺の首に手を掛けて……。
 転校して暫く、彼女の死の原因は自分であると思い込んでいた時期があった。
 誰かに相談する事も出来ず、一人で泣く日々が続いていた。
 彼女の事も、この街で過ごした事さえも、ただの思い出に成り果てたのは、いつからだっただろうか。
 どうして今更、あの日の事を詮索しようなんて考えたのか、自分でも分からない。
 でも、もし未だに俺の知らない事があるのなら……。
 それこそが、俺が再びこの街へ戻った目的でもあったから。
 綾瀬はゆっくりと言葉を発する。
「そういえば平井は……お前の知らないところで虐められてたんだったな」
「ああ、知ってる」
 俺と優子が二人で学校に遅刻した日、クラスメイト全員の彼女へ対する態度が変わっていた事を覚えている。
 なぜなら彼女の机から、クラスメイト数人の、キーホルダー等の紛失物が見つかったからだ。
 本人のしでかした事だったのか……いや、あの穏和だった彼女に限って、そんな事をするとは思えない。
 彼女が亡くなってしまった今となっては、もう探りようもないが。
「なあ、麗太。マルって名前の猫。覚えてるか?」
 駄菓子屋にいた猫か。
 優子が可愛がっていた事を覚えている。
「あの猫……もうずっと見てないんだよ。どこに行ったんだろうな」
「そういえば、転校する少し前から見なくなったな」
 どうして優子の話から、こんなにも進展性のないマルの話になったのか。
 昔の話を始めてからの綾瀬は、どこか不自然だ。
 土手の下の、こんな暗闇にまで降りて来て、どんな話をするのかと思えば、駄菓子屋にいた猫の話だ。
「綾瀬……さっきから俺に何を言いたいわけ? なんか変だぞ」
「俺さぁ……」
 綾瀬の声は震えている。
「博美先生から同窓会の話を聞いて、ずっとお前の事を考えてた。もしかしたら、お前が同窓会に来るんじゃないかって。少しだけ、不安だった」
 不安。
 俺に対して、そんな感情を抱く必要があったのか。
 不安である理由に心当たりはない。
 だから余計に、彼の言葉は俺の不安を煽る。
「不安だった?」
 綾瀬は頷き、言葉を続ける。
「もう黙って、ビクビクしているのは嫌なんだ。いつ会えるかも分からないような奴に、一生の間ずっと怯えているなんて」
 さっきから綾瀬が何を言いたいのか、まるっきり分からない。
 ただ綾瀬の口から出る不気味な言葉を前に、俺は何も言い返す事が出来なかった。
 そして、綾瀬は最後の言葉を発する。
「平井を殺したのは、俺なんだよ」

  =^_^=

 幸せな奴が許せなかった。
 だから彼女を殺した。
 河に落として殺した。
 彼女をクラス内で虐めのターゲットに仕立てて、学校に来られないようにもした。
 クラスの奴等は皆、俺の言いなりだった。
 やっぱり皆、強い奴にばかり引っ付きたがる金魚の糞だった。
 マルも殺した。
 俺の手を引っ掻いたから、俺に懐かなかったから。
 マミを虐めていた奴も八つ裂きにした。
 虐めて虐めて虐め抜いた。
 もう、俺に怖いものなんてない。
 麗太、ただ一人、お前を除けば――――。

 =^_^=

 綾瀬は俺から目を反らし俯く。
「今日の事は全部、誰にも話さず、一切を忘れてこの街から出て行って欲しい」
 言葉が出て来なかった。
 知らなかった事の全てが一気に流れ込んでくる。
「皆、俺が平井を殺しただなんて思っちゃいない。むしろ、疑われているのは平井と親しかった、お前だった。同窓会に来ていた皆が、お前の事を妙な目で見ていた」
 あの時、母さんの墓石の前に一緒に立った、博美先生の言葉が蘇る。
『私は、麗太君を信じてるから』
 博美先生は、こんな俺を未だに信じてくれていたんだ。
「あの博美先生は最後まで、お前を疑う事はなかったけどな」
 俺が引っ越しをした事も、ここ最近、俺が見る夢も……全ては綾瀬が遠因だった。
 きっと、あの日……幼い日の俺だったら、この事実を知った時点で、彼の首に手を掛けていたのかもしれない。
 それなのに今は……。
 この街を離れてから経過した五年以上の歳月は、俺自身をここまで歪ませるには、充分な歳月だったようだ。
 ただ俺は……こんなにも信頼していた友人が自分を裏切った事だけが、悔しくて堪らなかった。
 ただ、それだけ。
「お前にも、俺にも、自分の生活がある。お互いが平穏でいる為には、もうこれ以上、会わない方が良いだろ」
 綾瀬は俺に背を向ける。
「駅への道は分かるよな。ここから十分もあれば着くから。じゃあな」
 それだけ言うと、綾瀬は土手の上へ登って行った。
 バイクのエンジン音が、広い土手に響き渡る。
 どうやら、この場から去って行ったようだ。


 駅構内にアナウンスが掛かる。
『一番線上り列車――――行きは、十九時――――』
 優子を殺したのは、綾瀬。
 その事実が、頭の中でグルグルと駆け巡る。
 今まで、親友のように思っていた。
 憧れでもあった。
 そんなあいつは、俺自身をずっと拒んでいたんだ。
 向こう側のホームの後ろに通っている、下りエスカレーター。
 そこに見知った奴がいる。
 こちらを見て、目が合った瞬間、僅かに表情を歪めて視線を反らした。
 綾瀬。
 もしかして俺が、この街から出て行く事を確認する為だけに、ここに来ていたのだろうか。
 そんなに、俺は邪魔な奴だったのか?
 そんなに、俺や優子が憎かったのか?
 目蓋から頬を、熱いものが伝う。
 クソッ、クソッ、クソッ……。
 堪らず涙が出て来る。
 止まれっ、止まれっ、止まれっ。
 内心で自身に言い聞かせ続けても、涙は止まらない。
 このまま俺は、また諦めるのか?
 サッカーを辞めて、佐々美の事も突き放すような真似をして、いろんな事から目を反らし続けて……。
 あの時の俺と、何も変わっていない。

Episode4 Sasami Sasadaki

 毎年恒例の家での大掃除を済ませ、冬休みの課題を机に広げた矢先、梓さんから電話が来た。
 電話の内容は、喫茶店内の大掃除を手伝って欲しいとの事。
 そういえば去年、こんな感じで店長さんから招集が掛かった覚えが……。

 自宅から店までは、自転車で十分程。
 手が冷えないように毛糸でモコモコの手袋を嵌める。
 風は冷たいし、耳は霜焼け寸前だしで、とにかく昼の通りを自転車で思いっ切り走った。
 店の脇に自転車を止め、『close』と表記された掛札を無視して、ドアを開ける。
「こんにちは」
 挨拶して中に入ると、梓さんがモップを持ってキッチン奥から出て来た。
「ああ、やっと来てくれた」
 来て早々、もう一つモップを渡される。
「まあ、分かってましたけど。毎年、恒例ですもんね」
「いやぁ、ごめんね。この店の関係者で、誘えそうなのササちゃんくらいしか思い付かなくて」
 梓さんは陽気に笑う。
 まったく、しょうがない人だ。
 でも、まあ……こんな事を頼まれるのも、付き合いが長いからこそだ。
 小学生の頃の縦割り班の班長と、ここまで親しくなるとは、当時の私も思っていなかっただろうに。
 店内を見渡したところ、いつも壁に掛けられている絵や装飾がない。
 店内の物という物が殆ど片付けられていて、不思議と広く見える。
 来るお客さんで賑やかだった店内には、私と梓さんの二人しかいない為、いつもと比べると、かなり静かだ。
 身に着けていたマフラーや手袋、コートを畳んでカウンター席に起き、袖を捲る。
 濡らしたモップを床に滑らせ、お互いに店の片隅からモップを掛けた。
 去年は麗太もいて、三人だった。
 そういえば今年は、麗太を含め店長すらいない。
「梓さん。麗太と店長は?」
「店長は正月前の買い物に行ったよ」
「麗太は?」
「来年の開店まで休むって」
「えぇ?! まったく、あのバカは。こんな忙しい時期に」
 梓さんは私を宥める様に笑う。
「まあ、そんなに怒らないであげて。ここ最近の麗太、なんだか元気なかったから。今はそっとしておいてあげようよと思って」
 元気がない?
「インフルとかですか?」
 最近、はやっているようだし。
「さあね。本人は体調を崩したって言ってるけど。実際のところは、どうだか」
「お見舞いは?」
「仮病にお見舞いなんて必要ないでしょ?」
「え?」
 仮病?
 梓さんは、その事を分かっていて、麗太を放置しているというのだろうか。
 そうだとしたら、なんだか薄情だ。
「仮病って……」
「麗太から連絡が来てね。私には教えてくれたの。店長には言わないでくれって」
 まあ、言っちゃったんだけどね、と付け足して無邪気に笑う。
 これは……絶対に何かある。
 それなのに梓さんは、彼の事について何があったのか探ろうともしない。
 普通、彼氏に何かあったなら、少しは動揺の一つもする筈なのに。
「店長は、若いから好きにさせてあげようって」
 年上の、大人の勘というやつか、未だ高校生の私には理解する事が出来なかった。
 バックから携帯を取り出す。
「ササちゃん、何するの?」
「麗太、ここに呼んどきます」
 梓さんは溜息を吐く。
「たぶん、呼んでも来ないよ?」
「来ます! たぶん私が呼べば」
 いつも一緒に遊んだり、メールや電話だってするんだ。
 友達なんだから!
 電話を掛けたところ、数度のコールがプツリと止まり、電話の向こうからは切られた事を知らせるツーツーという無機質な音が、ひたすら鳴り続ける。
 切られた。
 鳴り続けるコールを凌ぐだけの居留守なら、まだしも……切られた。
「あいつ、切りやがった!」
 あと数度、同じように電話を掛けたが、出なかったのは言うまでもない。
 仕方がない。
『梓さんが待ってる。すぐにAMANOに来て』と、メールを送信した。
 もし、これで来なかったら……どう、とっちめてやろうか。

 一通り掃除を済ませた頃、丁度よく店長が大荷物を抱えて帰って来た。
 正月の準備の為だろう。
「二人とも、お疲れ様」
 カウンター席に荷物を置き、大きな袋から四角くて長い箱を丁寧に取り出す。
「ドーナッツ買って来たから。梓ちゃん。紅茶、いつも私が飲んでるの入れて」
「あ、はい」
 カウンター席に三人分の紅茶と、買ってきたドーナッツを並べた。
 私、梓さん、店長で、一人二つずつ。
 ココア味のドーナッツにシュガーを塗したショコラフレンチ、ふわふわで中にはカスタードクリームの詰まったドーナッツだ。
 ドーナッツを一口かじった後、店長に聞いてみた。
「麗太。最近、バイトに来てないですよね?」
「そうね。まあ、ヤンチャなお年頃だから、存分に好きにさせてあげるのも、ありだと思うわ」
「普通だったらクビですよ」
「そうね。まあ、うちは人手が少ないから」
「たしかに大変ですよね。麗太がいないと」
でも、と梓さんは言葉を続ける。
「店長も思いますよね。麗太に何かあったとして、自分の問題は自分の問題。それが抱えきれなくなったら、私達が助けてあげればいい。もしかしたら、その前に自分で勝手に解決策を見つける場合だってある。きっと麗太の事だから、後からひょっこり戻って来るでしょ」
「そうね。下手に私達が彼の問題に分け入っても、余計に彼が混乱するだけよ」
 二人とも、どうしてこんなに冷静なんだろう。
 バイトを暫くの間、休んでしまう事が彼の身に起こっているというのに。
 こうなったら麗太の家に行って――――。
 咄嗟に、梓さんは私の額を手人差し指で軽く弾く。
「ササちゃんが考えてた事、当ててあげようか?」
「え?」
「麗太の家に行って、彼を連れて来る気でしょ?」
 私の考えている事は、彼女に対しては完全に筒抜けだった。
 やっぱり表情に出てしまうのだろうか。
「でも、私……」
 何も言い返せない。
 なんだか悔しい。
 まるで梓さんが、私以上に麗太の事を理解しているみたいだ。
 違う。
 麗太は梓さんの彼氏なんだ。
 もう私とは、ただ仲の良いだけの友達でしかない。
 私なんかが、麗太の為になれる事なんて……。
 言い返す事も出来ずに俯く私へ、梓さんは言う。
「ササちゃんが麗太の家に行くのに、反対はしないよ。でも一つ、お願いがあるの」
「お願い?」
「麗太がここに来ない事を責めない。ていうか、その話題には触れちゃダメ。あと一つ、サッカーの件、麗太に詳しく話しておいて」
「サッカー、ですか?」
「うん。麗太も、少しは気になってたみたいだから」
 自分の彼氏の家に他の女を上げさせるなんて、きっと私だから頼めたんだ。
 彼女に信用されているからこそ、期待に答える事が私の義務であると思った。
 かつて……いや、違う。
 今も昔も変わらず、私は麗太の事を好きでいるから。
 そんな自分に罪悪感を抱きつつ。


 AMANOからの帰り道、麗太の家のマンションに寄った。
 ここに来るのは、丁度一年振りくらいかな。
 エレベーターで麗太の住む部屋の階へ行き、降りたすぐ右側のドアの所で止まった。
 沙耶原、と印字された表札が、部屋番号と共に壁に貼ってある。
 それを確認すると、私はすぐインターホンのボタンを押した。
 鉄製のドアの向こうで、僅かに物音が聞こえてくる。
『はい』
 インターホンのスピーカーから麗太の声がした。
「あ、私。佐々美」
『ああ、ちょい待って』
 ドアの向こうから徐々に足音が近付くと、ゆっくりとドアは開いた。
 開けたのは麗太だ。
 グレーのスウェットを着ていて、髪は額に掛からないようにヘアバンドで全て上に上げている。
 おでこ丸出しの麗太なんて、初めて見たかも。
 寝起きだったのか、かなり気ダルそうだ。
「あ、寝てた?」
 会って瞬間、ややぶっきらぼうに訊ねた。
「いや。昨日から、ずっとゲームやってて」
「へぇ、戦争系?」
「うん。FPSな」
 ファーストパーソン・シューティングゲーム。
 戦争ゲームのジャンルの事だ。
 麗太はダルそうに眼を擦る。
 昨日からっていうと……夜通しやっていたのか。
 涼もだけど、どうして男っていうのは、たかがゲームで、こんなにも時間を使えるんだろう。
 面白い事は分かる。
 以前、何度か麗太や涼と、その手のゲームで対戦をした事があるから。
 でも結論を言えば、たかがゲームなんだ。
「で、何?」
 予想はしていたが、まずここに来た理由を問われた。
 メールは見ていないのかな。
 いや、聞くのはやめよう。
 梓さんが言っていた通り、慎重に事を進めなくちゃ。
 それに、なんだか今日の麗太には、いつもと違って刺があるというか、とにかく近寄り難い雰囲気もある。
 やっぱり梓さんに会おうとしない理由と相俟って、機嫌が悪いのかもしれない。
「家にいても暇だからさ、遊びに来ちゃった」
 麗太は少しだけ首を傾げ、頷く。
「そう。じゃあ、上がって」
「あ、うん」
 玄関で靴を脱ぎ、そっと廊下に上がる。
 廊下に立って、すぐ右側に麗太の部屋。
 私は彼の後に続いて部屋に入った。
 室内は暖房で温められていて、フローリングの中央には布団。
 その目の前には、テレビゲームの繋がれた、中型の液晶テレビが置かれている。
 布団に寝そべってゲームをしていたのだろう。
 麗太は布団の上に座り、放ってあったコントローラーを取る。
 ポーズ画面で静止していた液晶画面がゲームを再開すると、テレビのスピーカーから、激しい銃撃戦の音が部屋に響いた。
「その辺に漫画とか置いてあるから、適当に読んでなよ」
「あ、うん」
 着ていたコートを脱いで、壁際の本棚付近に座る。
 部屋の中は何も変わっていない。
 それなのに、麗太の私への対応は以前に比べると、まるっきり違う。
 普段から感じていた事だけど、あの日以来、私と麗太の間には大きな溝があった。
 よく、一緒にどこかへ遊びに行ったり、学校では普通に話をしたりするけれど、溝を埋めてくれる涼があっての私達だった。
 たった一回だけの出来事が、麗太の私へ対する態度を変えてしまったんだ。
 今更、悔やんだところでどうしようもない事だけど、やっぱり悔しい。
 本当なら今頃、麗太の側に居続ける事が出来たのは、梓さんじゃなくて私だったのに。
「おい、佐々美」
 無機質な彼の声が私を呼んだ。
 不意に呼ばれた為、ビクッと僅かに肩が震える。
「何?」
「お前もやれよ」
 もう一つ、コントローラーを差し出される。
「うん」
 彼の隣に座り、二人で同じ液晶を見る。
 ちょっとデジャブかも。
 前にも同じ様に、二人でテレビゲームをした事があった。
「ねえ、麗太。覚えてる?」
「何を?」
「私達……付き合ってたよね」
 あの日以来、お互いにこの話題には触れないようにしてきた。
 ずっと、友達のままでいたかったから。
 それでも、あの楽しかった日々に戻りたい。
 もう手遅れかもしれないけど、もしかしたらまだ間に合うかもしれない。
 麗太のすぐ側に梓さんがいない今、私が麗太の隣にいられるのは、この時しかないんだ。
 たとえ梓さんを裏切る事になっても、私は誰よりも麗太の側にいたい。

  =^_^=

 麗太と付き合い始めたのは、中学二年生の夏頃。
 特に変わった経緯もなく、ただ気付いたら付き合っていた。
 最初は只のごっこ遊びのようなもの。
 ふと、涼から出た言葉。
「お前等、付き合ってみれば?」というのが事の発端だったと思う。
 それからというもの、麗太の家に遊びに行く頻度が格段に増えた。
 セックスまではいかなかったが、何度かキスやハグもした。
 そうしているうちに、私達は互いに魅かれ合っていった。
 高校へ上がる時も、彼の受験する学校の学力へ追い付く為に必死で勉強した。
その甲斐あって、彼と進路を共にする事が出来た。
 私は、飲み込みが悪く救いようのない馬鹿でなければ、当然の様に何でも越なせてしまう天才タイプでもない。
 努力するタイプだったのだ。
 麗太と付き合いたくて、努力した事なんてなかった。
 付き合い始めて、友達という感情が、だんだん好きという感情に変わっただけの事。
 麗太と同じ高校へ行きたいという一心で、初めて彼の為に、自分自身の恋愛の為に努力をした。
 たぶん、私の人生初の努力だったと思う。


 その日の放課後は、やけに西日が眩しかった。
 気付けば、もう陽は傾き掛けている。
 教室には私と麗太の二人しかいない。
 私達は互いに、机上の自身の入部希望用紙と睨めっこをしていた。
 入りたい部活が決まらず、二人で考えているうちに、こんな時間になってしまったというわけだ。
 別段、高校は中学とは違い、部活への強制参加はないので、帰宅部でも構わないのだが、それでも何かしらは、やっておきたい。
 出来る事なら、麗太と一緒にいられる時間を多めに作れるくらいの……。
「決まった?」
「サッカー部かな。最初は弓道とかも希望には入れてたけど、ガラじゃないし」
「ふぅん。サッカーねぇ」
 内心、嬉しかった。
 彼のサッカーをしている姿は、中学の時から見てきたから。
 必死にグラウンドを走り回る彼の姿は、私にとっては正にヒーローだった。
 そして、そんなヒーローにずっと恋焦がれてきた。
 麗太を思うばかりの馬鹿な考えだったかもしれないけれど、その数日後、私は彼を追い掛けて、サッカー部のマネージャーとして入部した。
 中学では陸上部に所属していたが、陸上を続けようなんて思ってすらいなかった。
 ただ、麗太と一緒にいられる時間が欲しかっただけ。
練習が始まって数日、部員とはすぐに打ち解ける事が出来た。
 勿論、麗太も練習を通じて、チームメイトの同級生や先輩達と打ち解けていった。
 私以外のマネージャーは先輩を一人を含め三人。
 皆、それぞれ違う中学出身で、誰かが孤立する事もなかった。
 マネージャーの仕事は主に、ユニホームの洗濯や部員への差し入れ、他校との練習試合のスケジュール、試合スコアの記録等だ。
 地味な仕事ばかりでも楽しかった。
 何より、麗太が楽しくサッカーをしているところが見られるから。

 五月の連休に合宿があった。
 合宿といっても、学校の宿舎に泊まって、翌日は早朝からミッチリ練習をするというものだ。

 合宿最終日の夜、連休明けの提出課題を、校舎内の教室に忘れていた事に気付いた私は、携帯で麗太を呼び出して、一緒に校舎へ着いて来てもらった。
 部活の顧問の目もあり、校舎内の電気を点けるわけにもいかない。
 私と麗太は、なるべく身を寄せ合って歩いた。
「ごめんね。本当なら一人で来るべきだったのに」
「いいよ。先輩の変なノリに付き合わされるより、ササと一緒にいたかったから」
 麗太は笑いながら言い、私の体を抱く。
「……あ、ちょっと。ここ廊下だよ?」
「いいよ、別に」
 普通に考えて、部活中にこんな事は出来ない。
 それ以前に、私達が付き合っているという事は、部内では誰一人として知らなかったのだ。

  =^_^=

「もう終わった事だろ」
 ゲームをしつつ話していた私の隣で、麗太は呟く。
「今更、こんな話をする為に、佐々美はここに来たの?」
 少しだけ不機嫌そうだ。
 こんなに尖っている麗太は初めて見た。
 どうしよう。
 怒らせちゃったかな。
 頭が混乱する。
 麗太の家に来る時までは良かったけど、逆に怒らせちゃったら何の意味もないのに……。
「違うよ!」
 混乱しているうち、つい大きな声を出してしまった。
 それだけ必死だった。
 麗太の事を、まだ好きでいる自分がいる。
 諦めきれない。
 それだけの事を伝えたいのに……。
 持っていたコントローラーを置き、一呼吸だけ置く。
 一向にテレビ画面を見続ける麗太から、コントローラーを取り上げ、こちらへ向かい合うように促す。
 反抗されるかと思ったが、渋々とこちらを向いてくれた。
 少しだけ、子供みたいに剝れている様に見える。
「えっと……サッカーの話。考えておいてって言ってたでしょ?」
 結局は、私の意志に反して話題が反れてしまう。
「記念公園の隣にある、九段小学校って分かる?」
「知ってる」
 それが当たり前、なんて顔して言葉を続ける。
「ていうか、俺が小六の頃に通ってた所だから」
「え? ああ、そうなんだ」
 半端に言葉を返す私へ、麗太は再び不機嫌そうに表情を歪めた。
「で、何?」
「私の親戚の人が、ボランティアで少年サッカーチームのコーチをしてて。来年から新人がいっぱい入ってくるんだって。それで忙しくなるから、誰か経験者の友達とかいたら、連れて来て欲しいって頼まれてるんだけど、どうかな?」
 実際、今の麗太がサッカーをやりたがっているのか、私には分からない。
 でも、もし気晴らし程度になるのなら、麗太も続けていくうちに楽しめると思うし、現に、中学時代ずっとレギュラーでフォワードという役割をこなしてきた。
 元々が上手いんだから、多少のスランプなんて屁でもない筈だ。
 頬をポリポリと掻いて「いつから?」とだけ質問を返す。
「年明けの十二日から」
 麗太は難しい顔をして、側に置いてあった携帯を開き見る。
「学校が始まった後の……土曜か」
 少しだけ考えているようだ。
 麗太には、バイトや梓さんの付き合いもある。
私は強制できる様な立場ではないので、彼の好きにさせようと思っている。
「麗太なら、すぐに皆に気に入ってもらえると思うけど?」
 控えめな口調で、麗太は言葉を返した。
「……やって、みようかな」
 先程まで沈んでいた彼の雰囲気に、少しばかりの活気が付いてきたように思える。
 ここに私が来ただけでも、ちょっとは意味があったのかな。


 彼の家を訪れた日より後、麗太に会ったのは、店長、私、梓さんで初詣に行った時の事だった。
 麗太は、涼やクラスの男友達と来ていたようだ。
 その時、梓さんと麗太が私達から離れて、二人で何か楽しそうに話していた時は、胸の内で少しばかり怪訝な気持ちになった。
「やっぱり……喧嘩してたわけじゃなかったんだ……」
 安心したように、小声でそっと呟く。
 麗太と梓さんが一緒にいる光景を見ては、妙な気持を抱き、次の瞬間には安心した様にホッと息を吐いてしまう。
 私って、何がしたいんだろう。

 モヤモヤした気持ちで正月を迎えた。
結局、学校の課題も終わらず、冬休みの最終日は、部屋で缶詰になった。
 翌日の朝、学校生活の始まりは、気持ちの良いものでなかった事は、言うまでもない。
 いつも乗っている時間の電車には乗り遅れるし、始業式後の初日の授業では、生物のテストがあった事を忘れていたし……もう色々と最悪だ。
「ササ、生物のテストできた?」
 隣の席の友人が聞く。
「もう全然だよ。昨日は宿題で部屋に缶詰だったし」
「課題キツかったよね。もう今年から三年だし」
 三年。
 どうしてか身に突き刺さるような響きがあった。
 高校生の最後、三年生の年が始まる。
今、進級が近付いている。
 受験の為の自由登校で、やがて友達とも会えなくなる。
 卒業してしまった後、それはずっと続いてしまう。
 彼の進路にもよるが、麗太とも会える確率は少なくなる。

  =^_^=

 私と麗太が夜中の校舎でキスをした、合宿明けの翌日。
 何事もなく学校へ行き、それとなく授業を受け、放課後には部活へ行った。
 部活へ行けば、今日一日の中で会えなかった日でも、必ず麗太に会う事が出来る。
 それが当たり前だと思っていた。
 いつもは男子が着替えるよりも先に、私達マネージャーが前以て、荷物を置いておく事になっている。
 しかし今日は違った。
 部室のドアの前に来たところで、ドアの向こうからは話し声が聞こえてきた。
 聞き覚えのある先輩や……私と同じ一年生、他のマネージャー……顧問までいる。
 そして麗太の声も聞こえる。
「だから俺達が言っているのは、そういう問題じゃなくて、合宿の日に、そんな事をしているってのが、どうかしているって事なんだよ」
 やや怒り気味の先輩の声。
 それに返答するのは、冷静な麗太の声だ。
「俺とササの関係なんて、先輩が気にする事じゃないでしょ。何か問題でも? キスの一回や二回」
 麗太の声に続いて、先輩マネージャーの声。
「キスの一回や二回って、沙耶原君ってさぁ、前から思ってたけど、けっこう性格悪いでしょ? 練習には出てるし、それほど回数もないけど試合にも出てる。でも、それだけが全部ってわけじゃないんだから」
「今は性格の話じゃないでしょ。ていうか、あんた達、どうして俺が合宿の日に、校舎で俺がササとキスした事なんて知ってんだ? 誰かがチクったんだろ? その時間に校舎に入るのは拙いのに、そいつも校舎に入ったんだぜ? その事に関して、先生は何か意見ないんですか?」
 意見を転嫁させられた顧問は「うぅん」と唸る。
 練習の時には声と共に大きな態度を取っているが、この時ばかりは何故か弱気で小さく感じた。
 彼の発した言葉は、私と麗太を校舎で目撃した誰かがいて、それをチクッタ人の事とは全く関係なしの返答だった。
「そういう事があると、部のイメージが下がるんだよなぁ。周りの先生の目もあるし……」
 数秒の沈黙の後、麗太の声が聞こえた。
「分かりました。俺がいる事で部のイメージが下がるのなら……もう辞めますね。その方が、皆にとっては都合も良いし」
 足音がドア越しの私の方へ近付いて来る。
 ヤバい。
 部室棟の狭い廊下には、隠れる場所なんてない。
 どうしよう……。
 右往左往している間に、ドアは開き、中から麗太が出て来た。
 私のいる事を確認すると、彼は溜息を漏らす。
「聞いた通りだよ。じゃあな」
 いつもと同じ、穏やかな口調で呟き、愛想笑いを浮かべていた。
 それっきり、麗太が部室に戻って来る事はなかった。
 全部、私のせいだ。
 私が麗太を、夜の校舎に連れ出したりしたから。
 私が、麗太のサッカーをダメにしてしまったんだ。
 先の件が発端で部内のギクシャクとした雰囲気に耐えられなくなった私も、三カ月後に部活を辞めた。

  =^_^=

 気が付くと、机の上には教科書が散らばっていた。
 私、何してたんだっけ。
 たしか放課後の教室で、授業で出た課題だけ終わらせて帰ろうと思って……。
「お、ササが起きた」
 教室の後ろから、麗太の声が聞こえた。
「待て待て。まだ何も言うな」
 続いて涼の声。
 二人とも、一番後ろの窓側と廊下側に着いて、互いに距離を取ってキャッチボールをしている。
 投げ合っているのは、紙とガムテープで作った軽めのボールだ。
 そういえば涼が授業中、珍しく静かだと思ったら、熱心にそれを作っていたのを覚えている。
「二人とも、まだ残ってたんだ」
「ああ、まあね」
「ん?」
 なんだか麗太の声に違和感があるような……。
 妙に引き攣った微妙な笑顔というか、とにかく、どことなく変だった。
 ゴホン、ゴホン、と涼がわざとらしい咳払いをする。
「二人とも、なんか変じゃない?」
 麗太が涼の方を見て、涼は堪えるような引き攣った顔で頷く。
「ああ、えっと……ササ、鏡、見てごらん」
「え?」
 机横のフックに掛けてあるバックから小さな鏡を取り出して、自分の顔を見てみる。
 その時、思わず私は噴き出してしまった。
 鏡に映るのは私の顔。
 いや、マジックでペイントされた私の顔。
 顎に点々と点けられた髭、鼻の下のちょび髭。
 もしかして……目蓋も……。
 そう思い、左目だけを閉じて右目で目蓋を見た。
 ああ、やっぱりだ。
 目を瞑った時に現れる、目蓋にマジックで描かれた目。 
 あと……。
 後ろから涼が言う。
「ササ、前髪めくってみ」
「え?」
 前髪を捲ると、額にあったのは第三の目!
 あはは、これって天津飯か何かかなぁ。
 そんな事は、どうでもいい。
 ジッパーペンケースを漁り、油性マジックを取り出す。
 私の方を見ていた二人は、何かを察したのか少しだけ後ずさる。
 そうだよ、二人とも。
 思っている通りさ。
 満面の笑みを麗太に向ける。
「二人とも、覚悟は出来てるのかなぁ?」
「あ、いや……まあ、水性だし。すぐ落ちるって」
「そうなんだ。でも、私が持ってるのは油性なんだよね」
 咄嗟に、涼が廊下から出る。
 それに麗太も続く。
「あ、コラ!」
 私も二人に続いて廊下へ走り出した。

 思えば、今が一番楽しい。
 でも、そんな今がずっと続くわけじゃないんだ。
 きっと麗太は、私の下を離れて梓さんのところへ行ってしまう。
 もう、何もかもが遅かった。


 数日が過ぎ、今日は一月十二日。
 麗太が少年サッカーチームの練習に参加する日だ。
 お互いに場所は知っているから、現地集合という事になっている。
 九小の校庭で、既に練習が始まっているようだ。
 砂埃の発つ校庭に、大きなサッカーゴールが二つ。
 皆が、その中で練習に励んでいる。
 皆というのは、小学三年から六年までの生徒達だ。
 数か月ではあるがマネージャーをやっていた私でも、専門的な事には疎いが、練習風景は見てすぐに何をやっているのか分かる。
今はウォーミングアップとして、パス回しやシュートの練習を各自で行っているようだ。
 それを見ているのは私の叔父、このチームの監督だ。
 隣には麗太もいる。
 私は二人のもとへ駆け寄った。
 私が来た事に気付くと、叔父はこちらを振り返る。
「ああ、ササちゃん。麗太君みたいな子が一緒にいてくれると、俺も心強いよ」
「いえ、そんな」
 鼻の頭をぽりぽり掻いて、すこしだけ照れている。
「じゃあ、ちょっと集合しようか」
 叔父が笛を鳴らし「集合!」と声を張り上げる。
 それを聞いた皆が、ボールを持って小走りで集まって来る。
 ちょっと退いていた方が良いかな。
 歩を後進させ、すぐ背後に設置してあるベンチに腰掛けた。
 一つ息を吐く度に、白い息が出る。
 マフラーを巻いて来ていて良かった。
 こんな寒い中、防寒具もなしに体を動かしていないと、風邪を引いてしまいそうだ。
 それにしても麗太を含め皆、この寒い中で頑張っているんだなぁ。

 休憩時間になると、麗太はチームメイトの一人、大地を連れて私の方へ来た。
「ササ姉ちゃん、また来てくれたんだ!」
 大地は私を見ると、すぐに駆け寄って来た。
 その後ろから、続いて麗太も私の方へと歩み寄る。
「大地と、知り合いだったの?」
「うん。近所に住んでる好でね」
「へぇ」
 大地は、麗太のウィンドブレーカーの裾を掴む。
「麗太兄ちゃん、すげぇサッカー上手いんだよ! 姉ちゃんの所に旅行に行った時にも、サッカーを教えてくれたし」
「姉ちゃんの所? 旅行?」
 麗太とは関連性のなさそうな話が出て来て、思わず言葉を返した。
 隣から麗太が言葉を挟む。
「俺が前に住んでた街。この前、行ったんだよ。そこの駄菓子屋で、大地と知り合ってさ」
「大地のお姉ちゃんって、麗太がいた街に住んでるの?」
「うん。そういう事」
 世間とは狭いものだ。
 私の叔父が少年サッカーチームの監督をしていて、一員の大地と麗太が既に知り合っていたなんて。
 それにしても、大地とジャれている麗太は、とても楽しそうだ。
 ここ最近、あまり元気がないように見えたから、なんだか嬉しい。
 それは別の意味でもあるが。
 今の麗太が笑顔を見せるのが、梓さんの前だけでなくて良かった。
 こんな事、本当は考える事自体がおかしいんだけど。

  =^_^=

 サッカー部を辞めて以来、麗太と話す事が少なくなった。
 ただノウノウと過ごす彼。
 家に帰りゲームをして、テレビを見て、寝て、食べて、嫌な顔して学校に行って、たまにサボって。
 その繰り返し。
 完全に腐抜けた彼を見ているのが辛くて、一緒にいる事を苦痛の様に感じてしまっていた私は、やがて彼との間に距離を置いた。
 明確に別れを告げたわけではない。
 自然消滅というやつだ。
 お互いに、それは承知の上だった。

 一カ月程が経った、高一の夏休み直前。
涼が私に相談を持ち掛けた。
 この日は終了式だった為、クラスの女の子数人と教室を出ようとしていたところ、涼に捕まった。
 周りには、僅かに生徒が残っている。
 それを見計らってか涼は私を、一年教室棟の屋上へ連れ出した。
 彼の相談は、やはり麗太に関しての事だった。
 私が麗太を避けている事を承知の上での相談事らしい。
 ただし避けているのは彼も同じだ。
「ちゃんと、麗太と話してやって欲しいんだよ。このままお前等がギクシャクしてると、俺も辛いし」
 いつものデタラメでオチャラケタ表情や雰囲気は、今の彼には見受けられなかった。
 ただ真剣に、私の事をジッと見ている。
 中学時代からの付き合いなだけに、こんな真面目な顔をした涼を見るのは初めてで、少しだけ萎縮してしまう。
 涼は本気なんだ。
 彼の顔を見てすぐに、そう思った。
「涼は優しいね。あんなへタレの為だけに、普通なら面倒くさくて、そんなに一生懸命になんてなれないよ」
この時の私は、本当に臆病者で……天邪鬼だった。
「いつまでも私や麗太の事ばかり気にしてないで、勝手に彼女とか作っちゃえば良いのに。それに麗太意外に友達がいないってわけじゃないんだから」
 涼の願いを断った私は、自分自身の言動を軽蔑した。
 どうして、こんな事を言ってしまったのか。 
 その理由は、たった一言で済まされてしまうようなシンプルな事。
 麗太、涼、私。
 この三人の仲が再び元に戻ってしまえば、また私は以前の自分に戻ってしまう。
 また、麗太を好きになってしまう。
 それだけの事に、ただ恐怖していた。

 頬に一瞬の痛みが走る。
「は?!」
 思わず声を上げ、指先で自身の頬をなぞる。
夏場の照り付ける陽射しのせいだったのか、それとも……。
頬から指先を伝って、微かに熱を帯びているのを感じた。
 咄嗟に瞑っていた目を開けると、涼は広げた右手の平に左手を添えている。
 それを見て、ようやく理解した。
 私、涼にビンタされたんだ。
 小学生の頃、家の花瓶を割った時。
母さんから受けたビンタ以来、人生で二度目のビンタだった。
涼は大きく息を吐き、ほぼ叫びの様な怒声を発する。
「いいか! そいつがどんなに面倒臭せぇ奴だろうが、ウジウジしていようが、へタレだろうが、助けてやんのが友達だろ‼」
 涼は今にも泣き出しそうに、顔をクシャクシャにして、息を荒げている。
「クソッ、何なんだよ。俺、チョー恥ずかしいじゃん」
 言った後で後悔したのか、顔を赤くして私から目を反らす。
「クソッ、マジ何なんだよ」
 手の甲で頬を流れる汗を拭い、ブツブツと罵詈雑言を呟いている。
 そんな彼へ、私は言葉を返そうとした。
「私は……」
 麗太の友達だった。
 彼女でもあった。
 好きになっちゃうから近付かない?
 そんなのは、逃げる為の口実だ。
 彼女じゃなくていい。
 今まで通り、私は麗太の友達として、彼を助けてあげたい。
「私はさぁ」
「なんだよ?!」
 涼は鼻を啜り、潤い掛けた瞳でキッと私を睨む。
 なんだか遠周りしちゃったみだいだ。
 始めから、逃げずに立ち向かっていれば良かった。
 ただ、それだけの事だった。
「涼」
「なんだよ?!」
 いちいち怒鳴ってくる。
 もう一度、今度は彼に負けないくらい大きな声で。
「涼!」
「おう!」
 気合注入にもう一回。
「涼‼」
「ぁおう‼」
 彼の声が変に裏返り、つい私はその場で吹き出してしまった。
 歯を食い縛り、膝に両手を付いて息を荒げている。
「ササ、なんなんだよ? もう、クソッ」
「涼、分かったよ。麗太と話してみる」
 僅かな涙と汗で濡れた顔で辛そうに息を吐く涼に、ポケットティッシュを差し出す。
「ほら、顔拭きなよ」
 それを受け取ると、涼は豪快な音を発てて抜き取った一枚のティッシュで鼻を咬む。
「マジ、ありがとう。麗太の事……頼むから。あと……」
「何?」
「ビンタしてごめん」
 そんな事、正直どうでも良かった。
 涼の軽いビンタで泣きだす様な私じゃない。
 こんな頬の痛み、どうって事ない。
 麗太の事に関しても、涼への冷たい態度に関しても、謝るべきは本当なら私の筈だった。
「痛くも痒くもないよ、涼のビンタなんてね」
 少しだけ強がってみた後で、涼に笑い掛ける。
「それに、当然の事だよ。麗太は友達なんだから」
 そう、友達なんだから。
 次は、しっかりと麗太と向かい合ってみよう。
 たとえ私が麗太と、かつての関係を再び築く事が出来なかったとしても、私は彼の友達であり続けようと思う。

  =^_^=

「あ、ササちゃん!」
 ベンチに座っている私へ駆けて来るのは、梓さんだ。
 こちらに手を振っている。
 私も反射的に手を振り返す。
「こんにちは」
 いつも通り、愛想良く笑い掛ける。
 今日、梓さんは麗太に、店長からの差し入れを持って来ると言っていた。
 彼女の手には、AMANOで使われている紙袋がある。
 もうすぐ昼だし、丁度良い頃合いだろう。
「今日は一日ずっとなの?」
「はい。朝から夕方まで練習みたいですよ」
「ふうん」
 梓さんが見ている先には、麗太がいる。
 子供達数人を前に、何かを話しているようだ。
 それが終わると、皆が散らばりボール回しが始まる。
「麗太、けっこう頑張ってるみたいだね」
「はい。でも結局、麗太が何に悩んでたのかは、よく分からなくて」
「もう解決したのか、それとも諦めたのか。もしかしたら、決心が付いたのかも」
「何の?」
「それは私達が知るところじゃないよ」

 暫くして叔父がホイッスルを鳴らし、皆に呼び掛ける。
「限の良いところで、昼にしようか」
 皆がボールを持って、荷物の置いてあるベンチ近くに集まって来る。
 麗太も小走りでやって来た。
 立ち上がり、彼の方へ行こうとしたが、その場で歩を止めた。
「麗太!」
 私よりも先に麗太の名を呼び、彼の所へ真っ先に行ったのは彼女だったから。
「梓、来てたんだ」
「うん、店長からの差し入れを届けにね」
 二人はニコニコと笑っている。
「麗太、汗びっしょりだよ」
「ああ、久しぶりに運動したから」
「ちょっと待ってね」
 梓さんは持っていた紙袋からタオルを取り出すと、それを麗太の首に掛けた。
「これで拭いて」
「準備いいな。ありがとう」
「ちゃんと拭かないと、風邪引いちゃうから」
 こうして見ると、あの二人の遣り取りは恋人っていうより、まるで母子のようだ。
 でも、麗太にとってはそれが一番かもしれない。
 麗太を安心させ、笑顔にさせてあげられる。
 それが出来るのは、きっと私ではなく彼女だ。
 梓さんなら、私の様にはならずに、麗太の助けになってあげられる。

 私じゃ、麗太には釣り合わなかった。
 どうして、また付き合えるかもしれない、なんて我儘を思い付いてしまったんだろう。
 それは梓さんをも裏切る事にもなりかねないのに。

 叔父には用事が入ったと伝え、九小を後にした。
 元々、サッカーの練習なわけだし、私が来る必要はなかったんだ。
 麗太にとって、私は何でもないし。
 それに梓さんが来て、彼女が麗太と一緒にいるところを見ただけで、このザマだ。
 我儘で、天邪鬼で、臆病な自分がみっともない。
 このマンションやアパートの連なる通りを抜けて、バスに乗れば家はすぐだ。
 帰ろう。
 帰って寝よう。
 そして起きて、また学校へ行けば、友達としての麗太に会える。
 梓さんと一緒にいる時の麗太じゃなく、私が好きだったのは、友達としての麗太だったんだ。
 一つ溜息を洩らすと、白い息が出る。
 ふと、その時、強い風が吹き、首元に巻いていたマフラーが捲れる。
 肩まで伸びた髪の毛が、静電気で毛糸と絡まって、少しだけ乱れる。
 ああ、もう!
 これだから冬は嫌なんだ。
 ロクな事がない。
 ……夏だって同じか。
 冬は寒いから嫌。
そう言っていて夏になれば、夏は暑いから嫌。
 やっぱり我儘なんだ。
 歩きながらマフラーを巻き直している最中、ポツリ、と指先に雫が一滴落ちる。
 徐々に数滴が落ち、やがて雨は本降りになった。
 天気予報では夕方からだった筈なのに。
ニュースを信用して傘を持って来ていなかった。
もう最悪!
 雨に降られるは、麗太に振られるは……。
いや、振られたわけじゃない。
 最初から相手にされていなかったじゃないか。
 最初から、麗太は梓さんしかみていなかった。
 本当に私って情けないなぁ。
 一人で頑張っちゃったりして……自意識過剰も良い処だ。
 雨が雰囲気を作り出しているのか、自問自答して失意の底に陥ったからなのか、悲しい気持ちがいっぱいに込み上げて来る。
 泣き出したい。
 でも、それは家に帰ってからだ。
 ここじゃ人が多い。
 でも、もう限界……。
 雨が髪を、肩から腕を濡らす。
 濡れていれば、泣いているのなんて誰にも分からないか。
 鼻を啜り、俯いてトボトボと歩く。
 いつもなら走っていたと思う。
 でも、今日はそんな元気もない。
 ああ、惨めだ。
「うおっ! お前、何やってんだ?!」
 すぐ側で聞き慣れた声がした。
「え?」
 振り向いたすぐ側。
 学校へ行けば毎日のように顔を合わせる、見慣れた存在。
 透明のビニール傘を差し、寒そうにモッズコートの袖を伸ばして手の甲を包んでいる。
「あ、ぁ……あ」
 こんな所で涼に会うなんて想定していなかったものだから、上手く言葉が出ない。
 どうしよう。
 変なところを見られてしまった。
 容赦なく私を打ち付けていた雨の滴が止む。
 しかし雨の音は変わらず鳴り続けている。
 顔を上げると、涼は私に傘を差し出していた。
 雨の滴が、涼の頭や肩を濡らす。
「いいよ、やめて。涼が濡れちゃうから」
 傘を出ようとすると、涼は私の腕を強引に引っ張って、その場に留めた。
「傘、貸してやろうか?」
 私は首を横に振った。
 すると涼は、呆れたように溜息を洩らして言う。
「あのなぁ……何があったかは聞かないけど、このままじゃ風邪引いちまうだろ。とりあえず、どこかコンビニとかで雨宿りするか、さっさと帰るかしねえと――――」
 少しだけ、涼が焦り出す。
 私が泣いてる事がバレてしまったのだろうか。
 それでも構わない。
 涼だったら、笑わないでいてくれそうだし。
 それにしても、どうしてだろう。
涼といるとホッとする。
 その安心感のせいか、河の水をせき止めていたダムが決壊したかのように、涙が一気に溢れ出した。
 同時に声も出てしまう。
「お前、マジ泣いてんのかよ。……あぁ、えぇっと……」
 笑わないでいてくれる、というよりも困らせてしまったようだ。
 そんな事は、お構いなしに泣き続ける私を前に、涼は少しだけ周りを気にしている。
「ああ、えぇっと……一人で帰れるわけ……ないか。じゃあ……どうすっかなぁ」
 先程から、私に傘を差し出している為、彼は既にびしょ濡れだ。
 雨に濡れる自分の事などお構いなしに、、私の事を焦りながらも案じる彼は、私に言う。
「じゃあ、俺の家に来る? 近いし」
 彼の言葉に、私は目を合わさずゆっくり頷いた。


  =^_^=


 夏休みの講習が始まって数日間、何度か麗太と話をしたけれど、あまり良い雰囲気にはなれなかった。
 当然だ。
 別れる寸前にまで自然消滅しかけている事を、私達は互いに悟っているのだから。
 以前の様に話が弾む事もなく、麗太は受け答えしかしない。
 それに私が相手だから、少しだけ警戒しているようにも見えた。
 でも今日の私は、そんな事にはお構いなしに、ガツガツと彼に喰らい付くつもりだ。
 きっと何の準備もしなかったら、話も広がらずに雰囲気が白けて終わりだったろう。
 でも今日の私は、そんなヘマはしない。
 しっかりと話し掛ける口実になる話題を持って来た。
 目標も、やる事もない、その上そっけない麗太を、今日こそは振り向かせてみせる!

 私が麗太に持ち掛けた話は、梓さんが働く喫茶店でのバイト募集中の情報だ。
 この頃、梓さんはまだ私達の通う高校には在学中だった。
 高校三年生のこれからの時期、受験勉強の為に、AMANOでのバイトを来年の春まで休んでしまうそうだ。
 だから人手が足らず、今は梓さんに変わるバイトを、切実に募集中との事。
 バイトに際しての条件は、ただ一つ。
 料理が出来る事。
 中学生の頃、何度か私は、麗太に料理を教えている。
 その甲斐あってか、今や麗太は進んで自炊をする程に至った。
「麗太なら、店長にもすぐ気に入られると思うし。どうかな?」
「バイトねぇ」と麗太は呟き、少しだけ考える。
 数秒してから、私の方を見て言った。
「やってみようかな。今は、する事もないし」
 彼に、この話を持ち掛けたのは私の義務でもある。
 やはり責任を感じていた。
 麗太の居場所を奪ってしまった原因は、私にもあったから。
 だから今度は、私が彼に居場所を設けてあげたい。
 そう思っての事だった。

 講習からの帰り道、店長や梓さんとの顔合わせに、麗太をAMANOへ連れて行く事になった。
 その道中、彼は疑問を口にした。
「ササは、もしかして責任とか感じてるわけ?」
 責任という言葉が、酷く重い。
 正直、それは無意識にも感じてしまっている。
 だから麗太の前では、少しばかりぎこちなくなってしまうんだ。
 でも、なるべくその事を悟られない様に振る舞っているつもりだ。
「責任なんて感じてないよ。ただの店長の御遣いだからね」
 私は笑顔で言った。

  =^_^=

 結局、麗太がバイトを始めて、気付いたらたまに店に顔を出す梓さんと仲良くなってて、更に気付いた時には、二人はもう付き合っていたんだっけ。
 付き合っている事を知ったのは、高二の夏。
 正直、ショックだった。
 何もせずに、自然消滅という楽な行程を見過ごした私が悪かったんだけど。
 やり直す事も考えていたけど……それが先程までの私だ。
 心が折れまくった上に雨に濡れて、今は涼の家のお風呂に入れさせてもらっている。
 風呂場の曇り硝子の付いたドア一枚を挟んで、隣接する洗面所から涼が私に呼び掛ける。
「お前の服、濡れてて着れそうにないから、出来るものは乾燥機に掛けとくな」
 少しは照れてくれているのだろうか。
 なんとなく声が震えているのが分かる。
「姉ちゃんのパジャマだけど、いいか?」
「うん、大丈夫」
 こんな私みたいな貧相な体で、緊張する事もないのに。
 湯船の中で露わになっている自身の胸に、両手を当ててみる。
 高校二年生にもなって、未だにバストサイズがAとは、どういう事だろう。
 今、着けているブラだって、サイズはAなのに、なんだかゆとりがある気がする。
 ブラを着け始めたのは最近で、高一の頃まではスポブラだった。
 実を言うと、そっちの方がゆとりを作らず胸を引き締めてくれるから楽だったんだけど。
 結局、大人っぽいかなぁ、なんて考えでブラを着けてみても、自分自身の体型自体が成長していないと意味がないのだ。
「涼は、私の裸でも興奮するの?」
「はぁ?!」
 度肝を抜かれたような亮の声が、ドアの向こうから返って来た。
 バスタブから身を乗り出し、続けて質問をする。
「やっぱり麗太は、スタイルで女の人を選ぶのかな?」
「はぁ?!」
 訳が分からない、といった調子で困惑する涼へ、更に質問する。
「梓さんの方がスタイル良いから、それで麗太は私よりも――――」
「はいはい、分かったから!」
 大きな声で言葉を遮られた。
「お前が麗太を好きっていうのは、よく分かってるから」
「ちょっと?!」
「まあ聞けよ」
 そう宥められ、バスタブの水から浮いていた腰を、ゆっくりと再び沈める。
「麗太は、そんな軽い奴じゃない。お前だって分かってるだろ? それとも、ただ認めたくないだけなんじゃねぇの? そうじゃなきゃ、妬けになってるだけ」
「私は……」
「まあ、湯に浸かってじっくり考えろよ」
 言われた後、そっとドアを開けて確認すると、洗面所に涼の姿はなかった。

「あ、ブラとかは残しておいてくれたんだ」
 私が、濡れた服を無造作に放り込んだ洗濯籠の中には、ブラとパンツ、ジーンズやセーターが残っている。
 こればかりは乾燥機には掛けられない。
 乾くのを待つしかないだろう。
 それにしても、籠の中に無造作に置かれている下着。
 洗面所で、涼がやや緊張気味だったのは、これのせいだったのだろうか。
 私の色気って、下着以下?
 溜息が洩れる。
 どうして私って、こんなにマイナス思考な考えしか出来ないんだろう。
 もっと良い方向に考えよう。
 数分前まで私が着ていた下着だ。
 私が着ていた、というのが重要だ。
 男の人からしたら、下着は身に着けていて何歩なんだから。
 また一つ、溜息が洩れた。
 何をバカな事を考えているんだろう。
 さっさと服を着よう。
 下着だけが残っている洗濯籠の隣には、暖かそうなベージュでチェック柄のパジャマが入っている。
 置かれているパジャマの底に、薄い布で出来た何かが置かれているのに気付いた。
 それを手に取り、広げてみる。
 水色でフリルの付いたパンツ。
 その下には、それと同系等のブラ。
 しかもサイズは……。
「うっ、Dとか……」
 涼のお姉ちゃんのパンツにブラ。
 気を遣ってブラまで置いてくれた涼には悪いが、さすがに人の下着を身に着ける気にはなれなかった。

 涼のお姉ちゃんの身長や胸囲が、私よりも大きいのか、パジャマには多少のゆとりがあった。
 ドライヤーで髪を乾かした後、丁度良く、ドアの向こうから涼の声が聞こえた。
「ササ、着た?」
「うん」
 答えると、涼はドアを開け、私を部屋に案内した。
 この時間になると、父母姉が一気に帰って来るらしい。
 父は会社から、母はパートから、姉も勤め先から。
 家族が一気に三人帰って来て、一人だった家庭が一気に団欒とは、平和な家庭である事この上ない。

 涼の部屋は広くもなく狭くもなく、机とベット、箪笥や本棚等の家具に占領されていた。
 床には漫画や雑誌やゲームソフトが散らばっている。
 麗太の部屋と、それほど変わりない。
 男の子の部屋って、皆こうなのかな。
 でも、どこか暖かい。
 エアコンが点いているからっていうのもあるけど、友達の部屋っていうのは、無意識に安心できる。
「テキトウに座ってて」
「うん」
 ベットの上に腰掛けた。
「ぁあ、えっと……」
「ん?」
 仕切りにこちらを見たり、目を反らしたり、咳払いを頻繁にしていて、どこか挙動不審に見える。
「どうしたの?」
「あ、いや。えっと、何か飲み物持って来るよ」
「うん」
 やや慌て気味に部屋から出て行った。

 暫くして、涼は手にマグカップを二つ持って戻って来た。
 マグカップを一つ、ベットに座る私へ差し出す。
「ココア、大丈夫だよね?」
「うん、ココアは好きだよ。ありがと」
 机に収納していた、ローラー型の椅子を取り出し、涼は私の前に座った。
「服、乾きそうにないけど、どうする? パジャマで帰るわけにもいかないし、もし良かったら、姉ちゃんの服、着て行くか?」
 私は首を振った。
「だって、涼のお姉ちゃんの服……ていうか、あの……あれが大きくて、それに下も」
「は?」
 意味が分からない、といった風な顔をされ、私はつい声を荒げる。
「バカ! 分かんないの?! 涼のお姉ちゃんのブラはサイズが大きくて着けられないし、パンツだって穿くのは悪いって言ってんの!」
 ハッと気付いた様に、二、三度の瞬きをした後、涼は声を震わせる。
「じゃあ、まさかパジャマの下は?」
 私は頷くと共に俯いた。
 恥ずかしくて頬が熱くなり、涼の方を見られなくなる。
 ああ、もう!
 何やってるんだ、私はぁ!

 少しの沈黙が続く。
 こんなハプニングは、いつもなら涼が笑い飛ばしてくれる筈なのに。
 どうして今日は、こんなに大人しいんだろう。
 部屋に女の子を呼んだ事がないとか?
 ピアス穴が空いている上、髪まで染めいてる。
こんなチャラ男に限って、まさか、そんな事はないと思うんだけど。
 実際のところは、どうなのだろうか?
 高二になって、もう何人かとは付き合っては別れて、という経験を繰り返しているらしいが。
「そろそろかな」
 沈黙が続く中、涼は立ち上がる。
「どうしたの?」
「乾燥機、もう終わったと思うから、ちょっと行ってくるな」
「あ、うん。ありがと」
「べつに、いいって」
 笑いながらそう言うと、涼は部屋を出て行った。

 暫くして、乾燥機に掛けた服と、濡れたままの服の入った洗濯籠二つに、何故か玄関で脱いだ私の靴を両手に抱えて持って来た。
「ちょっと、何してんの?」
「皆が帰って来たら、色々と面倒だからな」
 抱えていた洗濯籠や靴を床に置くと、涼も床に腰を置いた。
 手際良く乾いた服だけを畳んでいく。
 涼だけに面倒を掛けては、なんだか申し訳ない。
 床に座り作業をする涼の隣に座る。
「私もやるよ」
「じゃあ、こっち頼むわ」
 視線を反らされながら、洗濯籠を一つ渡される。
 中には乾燥機に掛けられなかった、セーターやコートと……下着。
「これで乾かして」
 渡されたのはドライヤーだ。
「けっこうワイルドだね」
「一晩ここにいるわけにもいかないだろ」
「そうだよね」
 そう、一晩中ここにいるわけにはいかない。
 涼には、既にこんなに気を遣わせてしまっているんだ。
 きっと、また麗太の事で何かあったんだと思われているに違いない。
 ああ、また面倒な心配掛けちゃったなぁ。
 麗太には、真正面からぶつかって、結局、諦めた筈じゃないか。
 しかも、それはついさっきの出来事だ。
「はぁ」
 小さく溜息を洩らし、ドライヤーのスイッチを入れた。
 温風が出るのと同時に、耳障りなドライヤーの音が部屋に響いた。

 涼の家の人達が帰って来て、部屋の外が賑やかになった。
 一戸建てであるこの家の二階に、涼の部屋は位置している。
 だから家族の団欒とした雰囲気が、部屋を出てすぐの階段を通って、ここへ伝わって来る。
 涼の家族が帰って来て、彼は「すぐ戻る」とだけ言って、部屋から出て行ってしまった。
 しかし、それからもう五分以上は経つ。
 ドライヤーを持つ手を止め、大きく伸びをしてからベットの上に腰掛けた。
 なんだか今日は色濃い一日だった。
 失恋を実感して、雨に濡れて、涼の家に御邪魔して。
 とにかく疲れた。
 背中を後ろへ倒す。
 ふかふかのベットに、暖かい部屋。
 こんな所にいると、帰るのが億劫になってくる。
 今日一晩、ここに泊まるのも悪くないかも。

 なんだか視界が暗い。
 体もダルイ。
 大きく伸びをすると同時に、無意識に欠伸が出る。
 あのまま寝ちゃってたんだ。
 部屋の中は暗くなっていて、エアコンの電源も消してある。
 寒い筈なのに、なんだか暖かい。
「あれ?」
 体には毛布が掛けられている。
 涼が掛けてくれたのかな。
 それにしても、今の時間を知りたい。
 深夜まで寝過ごしてた、なんて事になっていたら、本当に涼に対して申し訳ない。
 ベットを降りると同時に、何かを軽く踏んだ感触がした。
「わっ」
 驚いて再び身をベットに戻し、恐る恐るすぐ下を覗く。
「ん、ぅん……」
 敷布団と掛け布団の間に足を放り出し、携帯を片手に大の字で寝ている涼の姿があった。
 私をベットに置いて、わざわざ床で寝てくれていたんだ。
 友達としていつも思っている事を、改めて思う。
 何て良い奴なんだろう!
「う、ぅん……ん?」
 鈍い動きで目を擦り、私を下から見上げる。
「ああ、起きたのか」
 掠れた声で言うと、涼は半身を起こす。
「うん。なんか、ごめんね。寝過ごしちゃったみたいで」
「いいって。間抜けなお前の寝顔が見れたから、面白かったよ」
 悪戯に歯を出して笑っている。
 こんなにまで迷惑を掛けたのに……。
「ねえ、涼。駄目だったよ」
「何が?」
「前に言ったみたいに、麗太に真正面からぶつかってみても結局、麗太自身は、私の事なんか眼中になかったみたい」
 今、こんな時だから涼に話す事が出来る。
 一昨年の夏、私が言った事を今更。
「そろそろ、麗太の事は諦めようと思う。私が好きだったのは、友達としての麗太だったから。私は、友達としての麗太と、ずっと一緒にいたいから」
 最後に出た、私なりの答え。
 自分に正直に、そして麗太に対して真正面にぶつかった結果がこれだった。
「悔いはないんだな?」
「勿論!」
 笑ってみせた。
 目の前の涼を安心させる為、何よりも自分自身にそう言い聞かせる為。
「俺もさぁ」
 涼も自身の話を切り出した。
「告られたりして、付き合い始める時までは嬉しいんだけど、やっぱり少しずつボロが出るんだよ。なんか、麗太とかササとかといる方が楽っていうかさぁ。やっぱり、俺も友達が一番なんだ」
 涼も、私と同じ事を思っていた。
 中学時代からの付き合いだ。
 どこか波長が合うのだろう。
「気が合うね」
「ああ、付き合い長いからな」
 出会った中一の頃から、もう五年になる。
 小学校なら、もうすぐ六年生。
「付き合いの浅い、すぐに別れるような彼女なんかよりも、友達の方が大事だって。そんな事、早くに気付いていれば良かったんだけどな」
 どこか残念そうに、それでいて口調は穏やかだった。
 もう諦めかけている、というような印象さえ感じた。
「もっと友達を大事にしておけば良かったなんて……。そんな事、言わないでよ」
「あ?」
「涼は、私にとっては、本当に良い友達だった。彼女が出来て振られても、涼はずっと、そのままであってくれたから」
 我乍ら、本人を前に恥ずかしい事を言ってしまった気がする。
 なんだか気まずいなぁ。
 そう思った時、涼はいつもの様に、ひょうきんに笑いながら答えてくれた。
「ササって、けっこう臭せぇ事、言うのな」
「内心では嬉しかったくせに」と、ベットに置いてあった枕を涼目掛けて投げ付けた。

 深夜に目を覚ましてから、涼と朝まで話した。
 学校での事や、くだらない世間話、そして麗太の事。
 いつも以上に踏み行った話も出来たような気がする。
 何でも話せたっていうのは、部屋を暗くしていて、お互いにはっきりと顔を晒していなかった事が一因だったのかもしれない。
 煙草を止めたい。
 涼は、私にそう言った。
 今年で、もう受験生。
 いつまでもガキじゃないんだから、もう大人にならないといけないって。
「俺は煙草を止める。じゃあ、ササはこれから何をする?」
「私は……」
 何も答える事が出来なかった。
 麗太を諦める事は、既に決まっている事。
 私は、更にその後を見越さなければならないと思っていた。
 だから
「まだ分からないよ。でも、麗太の事を友達として、これからずっと見続けようと思った今だから言えるんだけど……」
 私の答えは
「これから見つけるよ」

 上着はドライヤーの温風に当てた上に、室内のエアコンに照らしていた事もあり、陽が昇った頃には完全に乾いていた。
 当然、昨日、着ていた服も完全に乾いている。
 午前六時を回る前、私と涼は廊下を忍び足で歩き、家を出た。
 涼は寝巻のジャージを着ている。
 一月の朝靄の中では、少し外に出るだけでも寒い筈なのに。
「涼、ありがとね。わざわざ泊めてもらちゃって」
「いいって、友達なんだから」
 なんだか安心できる。
 そんな言葉、本当は使わなくても分かっているんだ。
 そう、私達は友達。
 麗太だって、私と涼の大切な友達だ。
「じゃあ、また月曜な」
「うん、じゃあね」
 手を振って、互いに言葉を交わして別れた。
 まだ六時も回っていない為か、いつもなら車や通行者の多い道には、私一人しかいない。
 今まで見た事のない風景の中に、私は足を踏み出す。
 ああ、足取りが軽い。
 きっと、昨日までの私だったら、こんなにも帰り道で清々しい気分にはなれなかった筈だ。
 寒々しく、少しばかり長い帰路を、私は楽しみながら歩いた。

Episode5 Run for your lives!

 残冬の冷たい風が、僅かに開けたベランダ窓の隙間から吹き抜けた。
 着込んだウィンドブレーカーの袖で手の甲を覆い、手際良く指先だけで洗濯物を籠に放り込む。
 いっぱいになった洗濯籠をリビングのソファ上に置くと、しっかり一枚ずつ衣類やタオルを畳んだ。
 後は、親父が帰って来たら適当に自分の服を持って行ってもらおう。
 テーブルの上に置いてある、家の鍵と自転車の鍵、そして梓の家の鍵の付いたホルダーを取ると、家を出た。

 息切れも、脚の筋肉痛も、最近ではそれほど気にならなくなった。
 週二回、土日の朝は、必ず自宅マンション付近を走る事にしている。
 始めたのは一月の中旬。
 少年サッカークラブのコーチの手伝いとして、勤め始めてからだ。
 
 練習は週に二回、どちらも一時間半程だ。
 土日には、他クラブとの練習試合も入る。
 バイトとコーチの手伝い。
 最近では、両立する事にも慣れてきた。
 少しではあるが、部活を辞めてナマっていた体に、筋肉も戻って来たような気もする。
 でも、これだけじゃ、まだ足りない。

  =^_^=

 高校二年生の後半、一月下旬にもなると、周りでは将来という言葉が目立ち始めた。
 将来といっても、高校卒業後の進路の話だ。
 俺は、周りの話題に流されるように、自分自身のこれからについて、頻繁に考えるようになった。
 親父とは、何の相談もしていない。
 先日から、サッカークラブのコーチ手伝いを始めた事。
 その程度の報告しかしていなかった。
「もう高校生活も最後の年か」
 涼は溜息混じりに言った。
 平日の放課後、俺は涼と校舎の屋上にいた。
 放課後に、ここを訪れるのは、俺達二人の決まりのようなもので、寒い日も暑い日も(雨の日は別だが)、必ずここを校舎内で落ち合う為の集合場所としている。
「ここにいられるのも、今のうちだな」
 涼が遠目に見ているのは、俺達のいる校舎の屋上の向かいにある棟。
 三年生の教室が集まる校舎だ。
「来年には俺達、あそこにいるんだろうな」
「うん」
 三年の校舎の屋上。
 来年も、あの場所で、こんな風に駄弁っているのだろうか。
「そういえば、今日は吸わないの?」
 思えばいつも、涼はここで煙草を吸っていた。
 その度に、俺は不機嫌そうに応対していたが、それが日課となってしまっていた今日、彼が煙草を吸わない事を、つい疑問に思ってしまった。
「あ? 吸わないよ。いつまでもガキじゃねえんだから、こんな事ばっかりしてられないって」
「ああ、そっか」
 ヒョウキン者を気取っている裏で、やっぱり色々と考えてるんだ。
 まあ、そうでなければ定期テストで学年上位の成績なんて取れやしない。
「そういえば涼って、大学どうする? やっぱ推薦とか?」
「いや。俺、国立受けるからさ、上位取ってるだけじゃ推薦は狙えないんだ。たぶん一般入試だろうな」
「すげえな。もう、そんなとこまで考えてんのか」
 感心する俺に向けて、涼はクスッと小さく笑う。
「ササも同じ事を言ってたよ。お前ら、相変わらず、その日暮らしだな」
 皆が焦る様に、進路について考え始めている中で、まだ俺と同様に迷っている奴はいる。
 ただ、それだけの事。
 安心なんてしていられない。
 ササだって、近いうちに自分にとって何か、やり甲斐のある事を見つけて進路を決める筈だ。
「俺も、そろそろ考えないと」
「まあ、やりたい事を見つけて、悔いなく高校生活が終わるのなら、俺はそれで良いと思ってるよ」
「え?」
「大学なんかよりさ、今だから出来る事があるんだよ。ササだって頑張ってるし、俺は煙草を止めた。じゃあ麗太、お前はどうする?」
 質問を振られ、言葉に詰まる。
 進路なんて、まだずっと先の事のように感じていた。
 そう思っていた一年前の自分を、今日までズルズルと引きずって来た。
 その結果が今の俺。
「まあ、ゆっくり考えろよ。お前にはサッカー経験だってあるんだから。勉強だけが進路じゃないかもしれないぜ?」
「サッカーか……」
 涼と話していて少しだけ、悔い、という言葉に重みを感じた。
 悔いなく高校生活を終わらせる。
 冬休みの始まりから、ずっと気に掛かっていた事がある。
 何をしている時でも、忘れた事はなかった。
 光原綾瀬。
『もう会わない方が良い』
 そう言われた。
 このまま二度と、あの街に戻らなかったら、これからの人生の中で、やはり後悔するのだろうか。
 あの日、もしかしたら俺に何か出来る事があったんじゃないか、と。
 もう終わってしまった出来事として、いつかは気に掛ける事もなく忘れてしまうのだろうか。
 優子と過ごした僅かな日々も、親友だった綾瀬の事も。

 ここ数日の間、ひたすら悩み続けた。
 悩み続けて何かが変わる事もなく、時間だけが過ぎていく。
 水曜、木曜、金曜と刻々と平日が終わり、休日の土曜。
 少年サッカークラブのコーチ手伝いを始めて、五度目の練習日だった。
「今度、また姉ちゃんの所に行くんだけど、麗太兄ちゃんも一緒に行こうよ!」
 休憩時間、コーチと二人でベンチに座り休憩していると、大地が俺の元へ駆け寄って来た。
「姉ちゃん? ああ、あの駄菓子屋の」
「うん、今度の春休み!」
 冬休みが終わってすぐの時期に、春休みの話。
 子供というのは、どこまでも気が先を向いている。
 進路に悩んで、明日の事さえ見えない俺とは大違いだ。
「いいじゃないか、麗太君。大地と一緒に行ってくるといいよ」
 コーチも大地に賛同する。
「そうですねぇ……」
 あやふやな答えしか返せない。
 あの街の駄菓子屋には、きっと綾瀬がいる。
 彼の心を許し切っている場所。
そして綾瀬だけの場所というわけではない。
あの場所は、俺にとってもそうだった筈だ。
 婆ちゃんや優子がいなくても、俺達がいた証明として、あの場所はあり続けている。
「麗太兄ちゃんが来てくれれば、綾瀬兄ちゃんも入れて皆でサッカーできるよね!」
 何も知らない大地は、無邪気に笑っている。
 あの街には、もう行こうとは思わない。
 断らなければならない筈だった。
「ああ、そうだな……」
 小さく、そう言った。
 思えば、くだらない事だったんだ。
 たかが俺達二人の仲の問題だけで、大地のような小学生の誘いすら聞いてやる事が出来ないなんて。


 母さんが交通事故で亡くなった、小学五年生の春。
 俺は声を出す事が出来なくなった。
 医者の話では精神的なショックによる言語機能の欠落。
 週に何回か、優子の母さんと、彼女には内緒で通院していた時期があった。
 人との接触に関しては、基本的な日常会話をメモ用紙に書き留めて、相手に自分の意思を伝えるよう努めた。
 これは優子の提案だった。
 母さんが亡くなって、気分が塞ぎ妬けになっていた俺に、ただ笑顔を向け続けてくれていた彼女。
 優子は諦めを知らなかったんだ。
 そんな彼女に対して俺も、身に起きた出来事をそういうものだ、と諦めるのではなく、抗い続ける事を止めなかった。
 どんな時でも、諦めようとはしなかった。
 自室の隅に置かれている机。
 引き出しの中には、数々の言葉がある。
『おはよう』『こんにちは』『こんばんは』『ごめん』『うん』『いや』『はい』『違う』
 優子と過ごした日々の中で、何度も言葉の代わりに、相手への意思表示として書き続けた幾万の文字。
文字を書いた後の紙も、この引き出しの中には残してある。
 そして、優子がくれたメモ用紙の束。
 文字を書いては一枚を捲り、少しずつ千切る事を繰り返していた為、もう残りも数枚しかないし、束になっている用紙の角は擦り減っている。
 あの街で過ごした日々の全てが、この引き出しに詰まる何枚ものメモ用紙だった。
 いつかは忘れる?
 忘れる事なんてない。
 あの街で過ごした日の事。
 母さんの事も、優子の事も。
 全部が、忘れてはいけない事だったんだ。

  =^_^=

 マンション周辺の近所を走った後、家に帰ってシャワーを浴びた。
 これからバイトだが、サボるという連絡を直接、店長に言いに行くつもりだ。
 シャワーを浴びた後、服を着替え、携帯をコートのポケットに、充分な金の入った財布をジーンズの後ろポケットに仕舞った。
 昨日の晩に作った三人分のカスタードプリンを紙袋に詰め、それを持って家を出た。


 店前の脇に、乗って来た自転車を止めた。
 籠に入れていた紙袋を取り、『open』と表記された掛板の吊るされているドアを開ける。
「こんちは」
 普段通り、カウンター向こうに立つ店長に挨拶をし、店内に入った。
 もうすぐ昼時という事もあってか、店内には近所のおばさんや昼休みのOL等の客が目立つ。
 そろそろ梓が入る時間だ。
 彼女が来る前に、店長に休むと伝えておこう。
 カウンターに紙袋を置いた。
「店長、すみません。これから大事な用があるんです。今日はサボります」
 頭を下げて単刀直入に告げた時、店長は眉一つ動かさず、先より変わらない穏やかな表情で告げる。
「そう、きっと大事な用なのね。分かったわ」
で、これは? と、カウンターに置かれた紙袋を示す。
「ああ、これ。昨日の晩に作ったプリンです。梓とササ、店長の分もあるんで、皆で食べて下さい」
 年末は、バイトや毎年恒例の大掃除をサボって家に籠っていた。
 あの街での一件が気掛かりで、とにかく家から出る気にはなれず、ずっと塞ぎ気味だった。
 そのせいで皆に迷惑を掛けてしまった。
 このプリンは、せめてものお詫びのつもりだった。
「ありがとう。後で、梓ちゃんが来たら、ササちゃんも呼んで食べるわね」
「ありがとうございます」
 軽く会釈して、立ち去ろうとした時、店長が後ろから呼び止める。
「ちょっと待って」
 呼び止めた彼女は、キッチンの方へ入って行くと、何かを持って来た。
 グラスに入った濃いオレンジ色の液体。
「はい」
 それを差し出される。
「あの、これは?」
「野菜ジュースよ。風邪気味のお客さんが多いから、今日からメニューに加えるの。それに生野菜全般がダメな麗太君だって、これなら飲めるでしょ?」
 渋々と受け取り、グラスに入った濃いオレンジ色の液体の水面を見つめる。
 見たところ、なんだかバナナジュースのようにドロッとしている。
 炒めた物や煮た物、ドレッシングを掛けたサラダ等のように、何かしらの調味料が含まれた物なら食べる事に問題はないが、野菜ジュースとなると話は別になる。
 用は、色々な生野菜を、そのままミキサーでミックスしているわけだ。
 混ぜた生野菜イコール野菜ジュース。
そんな式を、自分の中で決めていたから、今まで野菜ジュースに手を出す事はなかった。
「これ、美味しいんですか?」
「見た目はミルクセーキみたいにドロドロだけど、お客さんに出す時のトッピング次第でなんとかなるわ」
 そう言って胸を張って見せる。
「はあ、そうですか」
 トッピングじゃなく味の事を聞いたのだが。
 ゆっくりとグラスを唇に運び、それを一気に口の中へ流し込んだ。
 ドロドロとゆっくり、野菜ジュースが流れて来る。
 味は、思っていたものとは違った。
 野菜じゃない。
 もっとこう……果汁的な……。
 そう、オレンジだ。
 果物系に近い味がした。
 一気に全部を飲み干し、空になったグラスを彼女へ返す。
「おいしかった?」
「商品化できるくらいには美味しいですよ」
 店長は一息吐いて答える。
「もうちょっと素直になれると良いんだけどね」
「根っからの性格なんで、もう直せませんよ」
「でも、たまには違う事をしてみるのも悪くないでしょ?」
「ええ、まあ。たまには無茶をしてみるのも良いかも、ですね」
 自分の中では、既に無茶をし続けている気でいた。
 母さんを亡くして、優子を亡くして、この街に転校して来てから今まで、充分に苦労してきたと思っていた。
 そんな事はなかったんだ。
 無茶なんかじゃなかった。
 何も不自由なんてしてこなかった。
 涼やササ、梓や店長の様な理解者にも恵まれて、何が苦労だ。
 俺は、もう充分に幸せだったんだじゃないか。


 以前と同じ、あの街への路線。
 昼過ぎという、乗客の乗り降りの少ない時間という事もあって、車両の中は閑散としていた。
 長椅子の端に身をもたれ、ただ窓の外を眺めた。
 目の前に流れる車窓の風景は、段々と建物の多い都市から、地方の風景に変わっていく。
 マンション、住宅街、パチンコ店、ホテル、居酒屋。
 この景色を、俺は冬休みの始め、あの街へ戻った時にも見ていた。
 あの時の俺と比べると、この短い期間で少しは変われたのだろうか。
 自分を客観的に見る事しか出来ず、目の前で起こった事は、そうであるものとして抗おうともしなかった、あの時の自分。
 こんな事だから、サッカーに関しても佐々美の世話になっちまったんだろうなぁ。

 電車を降りると、かつて見た風景が視界に飛び込んでくる。
 建物が少ないせいか、広く遠くの景色まで見通してしまえる街並み。
 遠くに見える住宅街やコンビニ。
 線路を跨ぐ、一本の大きな誇線橋。
 俺が生まれた街。
 俺が小学生時代を過ごした街。
 また、戻って来たんだ。

 駅の北口を出て、一先ず駄菓子屋へ向かった。
 今、綾瀬はアパートを借りて一人で住んでいると、以前ここを訪れた時に聞いていた。
 彼の実家を訪ねたところで意味はない。
 彼の気に入りという土手に行ったところで、昼間にいる筈もない。
 だから綾瀬の手掛かりといえば、彼がよく行く駄菓子屋くらいしかないのだ

 元々、駄菓子屋の場所は知っていた為、駅周辺の住宅街を歩いて十五分程で到着した。
 以前と同じように、何も変わらずに駄菓子屋はそこにあった。
 戸の前にバイクが停まっていないところを見ると、綾瀬はここには来ていないのだろう。
 どうせ中には婆ちゃんもいないし、どこか別の場所を当ろう。
 そう思った時、急に戸が開いた。
「あ」
 咄嗟に声が出て、彼女も数秒遅れて同じく声を出す。
 戸を開けて出て来たのは、婆ちゃんに変わる今の店主。
 霧原苗だった。
 コートにジーンズ、サンダルではなくブーツ。
 以前ここで彼女を見た時は、昼過ぎまでパジャマを着ていたのを覚えている。
 こんな格好をしているという事は、どこかへ出掛けるのだろうか。
「何してんの?」
 警戒する風もなく、極普通に問われる。
「ちょっと綾瀬に用があって、せっかくだから駄菓子屋に寄っておこうかなって」
「あ、そうなんだ!」
 彼女は突然、俺の手を取り鍵を預ける。
「え、ちょっと?」
「私、これからバイトなんよ。だから店番、よろしくね!」
 それだけを言い残すと、足早に駄菓子屋のある路から出て行ってしまった。

 鍵を開けたまま、綾瀬を探しに行くわけにもいかず、俺は言われるまま店番をしていた。
 彼女が強引に鍵を預けたのも、俺が綾瀬や駄菓子屋の婆ちゃんと親しかった事を考えての事だったのだろう。
 それにしても静かだ。
 店内のレジ横の椅子に座って数分。
 聞こえてくる音といえば、壁に掛けられた時計の針の音と、たまに戸の外から聞こえて来る車の音くらいだ。
 客なんて来るのだろうか。
 以前、俺が綾瀬と頻繁にここに立ち寄っていた頃は、今のような時間帯にもなると、隣町の小学校の生徒や、近くの幼稚園の園児達を店前で見掛ける事も多かった。
 その殆どが、駄菓子を手にしていたのを覚えている。
 もう駄菓子を買う子供なんていないのかもしれない。
 現に、霧原苗がバイトをしているのだって、駄菓子屋の経営だけでは生計が保てない、という事態があるからだろう。
 ていうか、あんな無愛想な姉ちゃんじゃ、子供も寄り付かない筈だ。
 やっぱり、ここには婆ちゃんがいないと、しっくりこないんだよなぁ。
 そんな風に、しみじみと思う。

 彼女が戻って来ないまま、早い陽は落ちて夕方になってしまった。
 ここまでで、駄菓子屋に来た客は僅か五人程。
 来た客の容姿を全て言え、と言われれば、全て答えられる自信がある程だ。
 大きな音を発てて開かれる戸は、客が来る度に店内の静寂を破る。
 その度、突然の音に肩を震わせたものだった。
 もう暗くなるし、駄菓子屋に来る様な小さい子は来ない筈だ。
 立ち上がり、店内の向こうの居間を塞ぐ障子に手を掛ける。
 店の奥の居間。
 先程から入ろうと悩んではいたが、今は婆ちゃんの家というわけではない。
 勝手に入るのは、さすがに拙いか。
 仕方ない。
 彼女が戻るまで、やはり椅子に座っている事にしよう。
 障子から手を放し、椅子に腰を降ろした時。
 おそらく、本日中では最後になるであろう客が、店内の静寂を破った。
「あ」
 店内に入って来た客は、俺を見て間の抜けた声を出す。
「あ」
 同じく、俺も似たような声を出し、互いに睨めっこして数秒。
 先に動いたのは天美の方だった。
「苗さんは?」
「俺に店番を任せてバイト行っちゃったよ」
「そう。で、なんでここに?」
 天美は鋭い眼つきで、睨む様な視線を送る。
 綾瀬の事もあったし、やっぱり彼女にも警戒されているのだろうか。
「いや、なんていうか……ちょっと寄ったっていうか……」
 睨む様な視線を避けて応答した。
 すると天美は、足早にこちらへ近付き、俺の肩を掴む。
 突然の出来事に言葉を失くす俺に、彼女は詰め寄る。
「綾瀬に仕返しとかだったら、本当に止めて。もう昔の事なのに……あんたがここに来るだけで、迷惑なのは綾瀬も私も同じなの」
「おい、ちょっと」
 強引に彼女の手を、掴まれていた肩から外した。
 途端、彼女はバランスを崩し、俺の目前で床に尻モチを付く。
「くっ、ぅ」
 そして再び俺を睨むと、大声で叫んだ。
「これ以上、綾瀬を苦しめないでよ!」
 目蓋に涙を溜め、歯を食い縛っている。
「なあ、綾瀬から聞いたのか? 優子の事」
 言葉なしに頷く。
「じゃあ、どうして綾瀬の事を?」
 天美はゆっくりと立ち上がり、小さく口を開いた。
「綾瀬は、私の事を助けてくれた、唯一のクラスメイトだったから」


 私と綾瀬はクリスチャンだった。
 幼い頃から互いに神を信じ、日曜日には隣町の教会へ通っていた。
 しかし私の両親は、次第にミサには参加しなくなった。
 お父さんは仕事ばかりで家には帰らず、お母さんは私を、お父さんから押し付けられていると、勝手な被害妄想を抱く様になる。
「あの人は、本当に最低よ。人間のクズよ。私達を奴隷のようにしか思っていないなんだわ」
 たった二人だけの食卓の中で、お母さんは口々にお父さんへ向けた呪いの言葉を吐いていた。

 小学五年生へ上がった頃の春休み、お父さんとお母さんは、珍しく私をディズニーランドへ連れて行ってくれた。
 お父さんは、仕事ばかりで、なかなか家に帰る事が出来なかった、私達のせめてものお詫びとして。
 お母さんは、私立の中学校へ行く事を決断してくれた私への、これから頑張って欲しい、との激励の意として。
 ただただ嬉しかった。
 家族三人で、どこか遠くへ遊びに行くなんて、本当に久しぶりだったから。
 それなのに……。
「どうして……お前は、いつもいつも!」
「あなただって、今まで私やマミを家に放ったらかしにしてぇ!」
「お前達を食わせていたのは誰だと思っているんだ‼」
 アトラクションに並んでいる最中、列の中で二人は私を挟んで口論になった。
 口論の原因は、ほんの些細な事。
 そんな些細な原因が、別の話題に転換し、やがて二人の溜まりに溜まった鬱憤が解放される。
 周りにいた人達がざわめき出し、それを見兼ねたのか、父さんは私達を置いて先に帰ってしまった。
 その場に私と二人で残った母さんは、父さんに対する呪いの言葉を、ただひたすら私へ吐き続けていた。

 春休みの後、学校へ行き始めてからは、母さんの私へ対するプレッシャーには拍車が掛かった。
「来年は受験なんだから」
 その言葉が鬱陶しくて堪らなかった。
 学校へ行けば、いつも呑気に微笑んでいる優子と一緒。
 そんな彼女の笑顔には、いつも癒されていたように思える。
 それでも彼女を妬んでしまう事は多々あった。
 優しいお母さん、楽しくて賑やかな家庭。
 その全てが欲しい。
そう思った時、私の妬みは怒りに変わっていた。
 そして私は、やがて彼女を避けるようになった。
 時を同じくして、私はクラス内の強権な女子達の虐めのターゲットにされていた。
 体操服や教科書を破られ、公園で処女を奪われて……本当に散々な目に遭った。
 優子が私を助けてくれる事なんてなかった。
 私自身が、嫌いになった彼女を避けていたから。
 やがて優子が亡くなって、沙耶原も転校した。
 六年生まで続いた私への虐めを断ったのは、綾瀬だった。
 彼の実行した、私の為の彼女達への倍返しは、想像を絶するものだった。
 やがて倍返しを恐れた彼女達は、どこか別の中学へ行き、私と綾瀬は付き合い始めた。

「綾瀬だって、辛い思いをしていた。お父さんから虐待を受けてた事、知ってた?」
「虐待?!」
 綾瀬に関した、未だ俺の知らなかった事実。
 虐待なんて言葉は、あの綾瀬からは連想すら出来なかった。
「煙草の火を肌に押しつけられたり、体の所々に痣も作って。綾瀬とエッチしてる時とか、本当に痛々しくて、見てられなかった」
「それは今でも続いているの?」
 無意識に声が震えていた。
 あの頃の自分にとって、親友の様な存在だった彼が、俺に向けていた笑顔の裏で、そんな境遇に立たされていたなんて。
「今はアパートに一人で住んでいるから、そういう事はないみたい。実家も出てるし、もう両親の事なんて、これっぽっちも感心ないって」
「そっか……」
 綾瀬がアパート暮らしを始めた理由は、それだったのか。
 俺がこの街にいた時、どうして言ってくれなかったんだ。
「言ってくれれば、俺にも何か出来る事くらいは……」
「無理だよ。綾瀬、人一倍プライド高いから」
「どうして、その程度の事で……」
 天美は声を張り上げる。
「あんたが何とかしてくれたの? 無理だよね。たかが小学生五年生に何が出来たの?」
 彼女の怒声に圧倒され、俯く。
 でも、もし相談してくれれば、俺も一緒に悩んでやる事が出来た筈だ。
 もしくは博美先生にも相談は出来た。
「それに優子が死ぬ事なんて、なかったんだ」
 小さく呟いた。
 その一言を、天美は見逃さない。
「私は、私を救ってくれた綾瀬を選んだ。ただ、それだけだよ」
「その程度だったのかよ」
 椅子から立ち上がり、声を張り上げる。
「天美も優子も、お前等、あんなに仲良かったじゃねぇか‼ それなのに、お前等の仲って、その程度だったのかよ?!」
 自然と、堪えていた感情が爆発し、大きく声を張り上げていた。
 大きい声で怒鳴るなんて、今までの俺らしくもない。
 その事に気付いたのは、怒鳴ったすぐ後だった。
 頬が熱い。
 たぶん今の俺は、けっこう赤面して息を荒げている。
 クソッ、なんかダサイっていうか、本当にこういうのは俺の柄じゃない。
「もういい!」
 引き止めようとする天美を振り切り、俺は早々と店を後にした。


 細い路を思いっ切り走って、駄菓子屋から離れた。
 荒げた息を整え、手の平を両頬に当てて冷やす。
 どうかしている。
 つい感情的になった。
 とりあえず一つ呼吸し、顔を上げる。
 かなり暗くなってきている。
 携帯で時間を確認したところ、既に十五時は回っていた。
 綾瀬を見つける筈が、駄菓子屋にいた分、かなりの時間を浪費してしまったようだ。
 さっき、天美に聞いておけば良かった。
 いや、きっと教えてはくれないだろう。
 天美は、俺と綾瀬が会う事は望んでいない。
 むしろ会わせたくない筈。
 こうなったら、一人で探すしかないな。
 傾いていた陽は次第に見えなくなり、辺りは少しずつ暗くなる。
 家々の玄関や窓には明かりが灯り、道の隅に立っている街灯は路を照らした。
 夜になった。
 この時間、綾瀬が訪れる場所には心当たりがある。

 隣町へ続く大きな橋から、舗装されたコンクリートの道へ入る。
 下に位置する家々と、河川に挟まれた高位にある場所。
 土手の上。
 河川沿いに面しているこの場所は、河の向こう、隣町を超えた更に向こう側のビル群すら一望できる。
 振り返れば広がるのは、かつて俺が住んでいた街の風景。
 そして思いっ切り頭上を見上げれば、以前に来た時とは何ら変わりのない星々が、藍色の夜空を背景に輝いていた。
 綾瀬を探して来てみたは良いが結局、彼はここにはいない。
 ただ、他に宛もなかったし、知っている限りではこの場所しかなかった、というのが正直なところだ。
 道から少し外れて、斜面上の芝生に座り、河川より向こうの街並みを眺めた。
 光を発し、街を照らし続けているビル群は、ひたすら夜の闇を照らし続けている。
 こんな眺めを、あの日の俺に見せてやれば、きっと大はしゃぎする筈だ。
 あの頃は、まだ幼い上に無知だったからこそ、諦める事を知らなかったんだ。
 成長して、知識も豊富になれば、徐々に頭も良くなる。
自分にとって最善の道を選ぶように努め始める。
 たとえ、それが何かを諦める事であっても。

 広い土手の舗装された道、遠くから、バイクのエンジン音が背後に向かって聞こえて来る。
 やがて、それはこちらへ近付くと、すぐ後ろで音は止まった。
 振り返ると、そこには中型のバイクと、それに跨る運転手がいた。
 黒いコートにジーンズ、河のレザーグローブにブーツ。
 被っていたヘルメットを脱ぎ、彼は重い足音と共にバイクから降りた。
 座っていた芝生の斜面から体を起こし、舗装された道に立つ。
「マミが言ってたよ。また麗太が来たって。いるとしたら、ここかなって思ってさ」
 意外だ。
 彼女は、あんなに俺と綾瀬が会う事を拒んでいたのに。
「俺、お前に言ったよな? お互い、もう会わない方が良いって。俺は平穏でいたいって」
 怒っているのだろうか。
 ああ、きっとそうだ。
 このまま会わないでいる事が、お互いの為だったのだから。
 それなのに俺は、ここに来てしまった。
 このままでは終わらせたくなかったから。
 綾瀬の事、何よりも優子と過ごした日の事を。
「ああ、言ってた。でも、綾瀬はそれで良いの? このまま何もなかったみたいに、終わらせて良いの?」
 綾瀬は舌打ちを鳴らし、腕を組む。
「お前は、何がしたいんだ?」
「さあ、まだ分かんないよ。でも、このままで終わらせたくないんだよ。綾瀬の事も、優子の事も……全部。だから、俺は自分が何をしたいのか知りたいから、ここに来た」
 綾瀬は少しだけ表情を緩め、グローブやコートを脱ぎ、バイクの側に放る。
「ほら、お前も上着くらいは脱げよ。それじゃあ動きにくいだろ」
 屈伸や伸びをする綾瀬を前に、俺は訳も分からず「何?」とだけ返す。
「お前、このままじゃ終わらせたくないって、俺の顔面に一発くらいは拳をブチ込みたいって事だろ?」
 スポーツ選手が試合前に体操をする様に、体を温めているのだろう。
 両足を交互に動かし、小さくフットワークをしている。
「ほら、平井の敵討ちだ」
 指先を立て、小さく手招きする。
「ああ、そういう事か」
 喧嘩。
 分かりやすくて良い。
 俺は何がしたかったのか。
 その答えは、まだ見つかってはいないけど、今、俺に出来る事だけは、はっきり分かったような気がした。
 着ていたコートと、重ねて着ていたパーカーも脱いで、すぐ側に放る。
 肌の上に一枚だけになったシャツの袖を捲り、首や肩を回して関節を鳴らす。
 同じ様に、綾瀬も生々しく体の節々から音を鳴らした。
「麗太、彼女いるんだよな?」
「うん」
「じゃあ、顔面と股間はなしだ。エッチ出来ない体にはなりたくないだろ」
 見縊られている。
 そう思い、俺も人差し指を綾瀬に向けて言い返す。
「綾瀬にも、天美がいたよな。じゃあ、俺も顔面と股間は狙わない。それ以外のところは、容赦なくいくから」
『たまには違う事をしてみるのも悪くないでしょ?』
 店長の言葉通りだ。
 確かに悪くない。
 天美を怒鳴った事も、今にしてみれば全然、悪くない。
 むしろ気持ち良いくらいだ。
 たまには、自分らしくない事をやれ!
 両頬を両平手で叩き、自身に言い聞かせた。
 綾瀬が一歩前進すると同時に、俺も一歩前へ踏み出した。


 揉み合いになってすぐ、数度、鳩尾を殴られた上、土手の斜面に背負い投げで落とされた。
 あっけない。
 まるで殴られるだけのサンドバックのようだ。
 小学生以来、派手な喧嘩の一つもせずに平凡に過ごしていたのだから、当たり前か。
「ほら、まだ立てるだろ?」
斜面に倒れている俺の胸倉を掴み、軽々と持ち上げる。
「喧嘩、弱くなったな」
 上がりっぱなしの呼吸を整える間もなく、綾瀬は容赦なしに、俺の腹部に拳を入れた。
「ぅぐっ」
 掴んでいた胸倉が放され、俺はその場に這いつくばる。
 開始から、およそ五分も経たず、彼の足元にダウンした。
「もう帰れ。これじゃあ、ただの虐めだ」
 呆れたように言うと、斜面上に這っている俺を置いて、バイクの元へ戻ろうとする。
 綾瀬を相手に、喧嘩で勝とうとするなんて無茶だったんだ。
 あの頃、クラス内で一番、喧嘩が強いと言われていたのは綾瀬だった。
 それを聞き付けた上級生が、綾瀬に喧嘩を吹っ掛けに教室まで来て、逆に返り討ちにあっていたのを覚えている。
 自分は強い。
 そう威張る事もなく、誰に対しても優しかった。
 それが俺の見ていた綾瀬。
 目指していたヒーローだった。
 体の節々が悲鳴を上げる中、俺は半身を起こし、彼の服の裾を掴む。
 勝てないなら、せめて最後まで足掻き続けてやる。
 諦めたくはない。
 その一心でしがみ付く俺に、綾瀬は溜息を洩らす。
「もう、いいって。無駄だよ」
 裾を掴む手を振り払い、再び背を向ける。
「その程度だったのかよ?!」
 去ろうとする彼に、俺は怒鳴った。
 俺や綾瀬が過ごした日々は、この程度の数発のパンチで終わるようなチープなものじゃない。
 まだ終わっていないんだ。
「この程度じゃないだろ? 綾瀬が親父から受けた痛みも、天美が受けた痛みも」
 半身を、足を、少しずつ立ち上げ、彼の背中を睨んだ。
 去ろうとしていた彼の足は止まり、こちらへ振り返る。
「それ、マミが言ったのか?」
「うん。全部、聞いたよ」
「あいつ、余計な事しやがって」
 先程の冷静な態度から一変して、苛立っているように見える。
 俺の言葉に、少しは動揺したのだろうか。
「そうだよ。本当に痛かった。俺もマミも、これから一生、残るくらいの傷を負わされた」
 辛かった筈だ。
 だからと言って、何もしていない優子を責める事は間違っている。
 綾瀬や天美を救う為には、他の方法もあった筈だ。
「もう、放っておいてくれよ……」
 綾瀬は震えた声で小さく呟いた。
「あんなに辛い思いして。やっと今、幸せになれたのに……。麗太、今度はお前が俺達から幸せを奪うのか? 今になって、俺を務所送りにでもするつもりか?」
「違う! 俺は」
 綾瀬や天美を助けてやりたかった。
 そう言おうとした時、続けて綾瀬は俺の言葉を遮り怒鳴る。
「家も学校も大嫌いだったんだよ‼」
 怒鳴り、彼は拳を握り、俺の顔面目掛けて殴り掛かる。
 瞬間、それを避けようとしたが遅かった。
 彼の放った拳は俺の頬を殴打し、そのまま体は後方へ傾く。
 もう先程のルールなんて、彼の中では関係ないようだった。
 更に追い打ちを掛け、坂の下へ向けて倒れる俺に、彼は体当たりで突っ込む。
 これほど妬けになっている綾瀬を見たのは、初めてかもしれない。
 完全に我を忘れて、キレている。
 互いの体が重なり、そのまま揉み合いになるうち、掴んでいた服の袖を互いに引っ張りあう形で、俺達は斜面を転がり落ちた。
 川岸スレスレの一番下まで落ちたところで、互いにルール無用の殴り合いが始まる。
 顔面、首、腹、脚、。
 俺達は互いに、体の部位を容赦なく殴り合った。
 腕や脚、頬にも熱が宿る。
 それでも俺達は構わず、互いを殴り続けた。

 やがて体力も尽き、気が付けば二人して地面に大の字で寝そべっていた。
「クソッ、クソッ、なんなんだよ。最初の方で、すぐダウンしたくせに……顔面ばっかり狙いやがって」
「伊達に昔、綾瀬の絡んだ喧嘩に加勢してたわけじゃなかったから」
 俺と綾瀬の不自然な呼吸が、交互に折り重なり聞こえていた。
 体中を流れる汗が服を濡らし、寒い冬の気温が体を冷やす。
 背筋や腕に鳥肌が立ち、少しだけ体が震えた。
 限界を感じた体力は、立ち上がろうとする体を地に伏せ続ける。
 体の節々が痛い上に、上手く力が入らない。
 綾瀬も同じに、俺の隣で先程から動こうとはしなかった。

 どれ程の時間が経ったのだろう。
 互いに動く事もなく、口を開く事もなく、その場の静寂は幾分か続いた。
 暫くして、土手から少しばかり離れた距離にある線路から、列車の通過する音が聞こえた。
 車輪と鉄の軋む音が、静かな夜の街に響いていた。
 それが過ぎると、綾瀬は言葉を発する。
「なんだか、ばかばかしくなってきたな」
 小さな呟きが、静寂の中にポツリと響いた。
 地に寝そべりながらも、俺は綾瀬の方へ顔を向ける。
 今、どんな顔をしているのか、暗くてよく確認は出来なかった。
 ただ、先の妬けになった様な勢いが、今の綾瀬にない事だけは確かだ。
「最初から、こうしておけば良かったんだよな」
 言葉を続けると、綾瀬は這いつくばりながらも、少しずつ体を起こす。
「このまま終わらせたくない。そう言ってたな」
 綾瀬は、地に這う俺の眼前に立つ。
 目の前。
 目と鼻の先に彼を挟んで広がるのは、ひたすら続く黒い闇。
 闇の中に僅かに映し出されているのは、空に浮かぶ小さな星の光と、雲から顔を出し掛けている月。
 少しばかりの風が、水面を揺らしていた。
 綾瀬は俺に背を向け、河川に広がる闇へ向かい立つ。
「お前が転校した後、一度だけ、この場所で死のうと思った事があった。何もかもが嫌になって、今日みたいな日が、いつか来る事を恐れて。全部、投げ出して終わらせようと思った」
 クスッと静かに笑い、震えた声で続ける。
「でも、死ねなかったよ。マミが必死になって俺の事を止めるからさ。もう少しだけ生きてみようって」
 それに、と彼は言葉を続ける。
「マミが言ってくれた言葉が、ずっと耳に残っている」
 その言葉を、綾瀬は淡々と口にする。

 死んでしまった人は戻って来ない。
 その原因を作ってしまった奴は、こんな中途半端なところで死んではいけない。
 ましてや務所なんかに入って、懲役を済まされたなんて、甘い戯言を吐く事も許されない。
 これからの一生、苦悩し続けなければならない。
 苦悩して、迫る現実に、死んでしまった人へ向き合わなければならない。
 だから生き続けろ。
 死んでしまった優子の分の人生を背負って、生き続けろ。

「そう、言ってくれた」
 土に汚れた体を、ゆっくりと地から起こし、俺は綾瀬に向き合う。
 死んでしまった人の分まで、これからの人生を苦しんで生き続ける。
 それが、当人を死に追いやってしまった者の義務。
 かつて俺は、自分の不注意が原因で、母さんを交通事故で死に至らしめてしまった。
『死ぬのは僕だけでよかった』
 言葉を口に出す事すら出来なかった、あの時の俺は、毎晩のように心の中で、そう嘆き続けていた。
 やがて親しくなった優子に諭され、母さんの分まで人生を謳歌しようと決意した。
 俺が死ぬ事なんて、母さんは望んでいなかった。
 だからこそ助けてくれたんだ、と。

「何だよ? それ」
 天美の言葉を語った綾瀬は、やや不機嫌そうに呟いた。
「平井を死に追いやった俺の罪を、これからの人生で苦悩して背負い続けろ? ふざけんな。平井は、もう死んでる。生きている人間が、ただ生きて苦悩し続けたところで、どうなるってんだ?」
 問いを投げ掛け、言葉に詰まる俺に対して首を横へ振る。
「どうにもならない。相手は死んでるんだぜ? 償いようなんてないだろ。改心しただなんて、いくらでも言葉で告げる事は出来る。だから、死んでしまった奴への償いは、死ぬ事でしか償えないんだよ」
 生きて償える道はなく、改心したと言い張れば、長い懲役を許される。
だから死んで償う事を選ぶしかない。
 それが綾瀬の答えだとしたら、やはり死ぬ気でいるのだろうか。
 嫌だ。
 死なせたくなんかない。
 それでも、優子を死に追いやったのは綾瀬だ。
 以前までは、この街で過ごしていた事なんて、ただの思い出として、いつかは忘れていくものだと思っていた。
 それなのに今は、ただ諦めたくはない。
 綾瀬も、優子の事も、この街で過ごした日々も。
 全てを忘れたかの様に、冷めた振りをして、これからの日常に身を投じる自分自身がいたとしたら、おそらく俺はそんな自分自身を一生、許す事も誇る事も出来ないと思う。
 先程から背を向けている綾瀬は、闇へ一歩ずつ前進する。
 その直前、一言だけ言葉を残した。
「じゃあな。親友」
 彼の右足が、左足が、川辺の水面に沈む。
 水面の高さは、やがて一気に彼の肩程の高さまで浸かった。
 駄目だ。
 こんなところで終わらせてはいけない。
 親友。
 家族。
 互いに、そう認め合った仲間を、こんな所で見殺しになんて出来ない。
 死んでしまった優子には、死ぬ事でしか償えない?
 違う!
 そんな事を優子は望まない。
 生きて苦しみ、現実へ向き合い、死んでしまった優子に向き合う。
 例え、それが自己満足だと思われようと、俺は償おうという誠意を見せ続ける彼を貶さない。
 むしろ尊敬する。
 誇りに思う。
 大いに称える。
「待てよ!」
 叫び、川へ足を踏み入れた。
 冬の気温で冷やされた水が、浸かった全身を突き刺し、体温を奪う。
「離せよ!」
 水中で、咄嗟に彼の右腕を掴み、岸へ上げようとするも抵抗される。
「もう止めろって!」
 水中で揉み合い、互いに叫ぶ。
 二人分の怒号が夜の土手に響き、体が水面を荒々しく弾く。
 水中であっても、彼の蹴りは俺の腹を突き、拳は頬を打つ。
 とどめに水中から彼の肘が突き出て、俺の顔面の中心を強打した。
 先程の殴られた以上の鋭い痛みが、鼻を中心に突き刺さる。
 鼻や唇からは血が垂れ、口内に気味の悪い味が広がっていく。
 ヤバい、もう限界だ。
 唯一、握っていた彼の腕が、掴んでいた自身の手より解けていく。
 駄目だ、ここで綾瀬の腕を離したら……。
 思いとは裏腹に、体から力が抜けていく。
 俺の手は完全に握力を失い、水中を浮遊した。
 綾瀬は俺を岸辺に置いて、そのまま闇の中へと進んで行く。
「駄目だ……行くな」
 震えた小さな声で呼び止めるも、彼には聞こえていないようだった。


 このまま、今度は親友をも失うのか……。


「綾瀬!」
 すぐ隣で、聞き覚えのある誰かの声が聞こえると同時に、水面が大きく揺らいだ。
 誰かが川へ飛び込んで来たようだ。
 飛び込んで来た誰かは、不器用に泳ぎながらも、先に見える綾瀬の方へ進んで行く。
 それを見た瞬間、背後の岸から、もう一人の誰かに両脇を掴まれ、少しずつ岸へ引っ張り上げられた。
「沙耶原君、大丈夫?! しっかり! 気を確かに!」
 引き上げられ、ペチペチと平手で頬を軽く叩かれた。
 水に濡れた目を擦り、視界を明かす。
 見えたのは、上から垂れる長い髪。
 彼女は、俺に息がある事を確認すると、ホッとしたように安堵の息を漏らした。
「駄菓子屋の……」
 霧原は、着ていたコートを脱ぎ、俺の体に被せる。
 先程まで彼女が着ていたコートに、未だ残る体温。
 内ポケットには使い捨てカイロも入っているようだった。
 どうして、ここに来たのか。
 先程、川へ飛び込んだのは誰だったのか。
 おそらく天美だろう。
 駄菓子屋に残った二人が、心配になって様子を見に来たところ、この惨事だったというわけか。
 正直、助かったとホッとしている。

 やがて、二人が岸から上がって来た。
 なぜか、助けに飛び込んだ筈の天美が、綾瀬に抱えられている。
 岸に上がると彼女は数度、胸を抑え、苦しそうに噎せる。
「まともに泳げないくせして、余計な事してんじゃねえよ」
 満身創痍といった具合に、綾瀬は震えた声で悪態をつきつつも、噎せる彼女の背中を摩る。
「だって、こんな……死ぬ事なんてないのに」
 苦しそうに噎せながらも、彼の胸倉を弱々しく掴み、そして怒鳴った。
「バカ‼ 前に言ったよね?! 死んだ優子の分まで生きてって……それなのに、どうして……」
 天美は涙を流し、鼻を啜る。
「私が、ずっと一緒にいるから大丈夫って、そう言ったのに! ずっと一緒って……」
 二人を、俺と隣の彼女は言葉なく見ている事しか出来なかった。
 あの二人に、どんな言葉を掛ければ良いのか、分からなかったから。
「マミ、俺は……。平井を死なせたんだぞ? ずっと不安だったんだよ。本当なら、お前は俺を憎むべきなのに」
 その言葉を、天美は咄嗟に否定する。
「違う……違うよ! だって綾瀬が殺したんじゃないから!」
 泣きじゃくる彼女の口から出た言葉は、俺の中で疑問を発生させた。
 平井を死に追いやったのは綾瀬の筈だ。
 それなのに、なぜ今更、弁解をする必要があるのだろうか。
 天美は掴んでいた彼の胸倉から手を離し、俺の方を見る。
「綾瀬は、故意に優子を死なせたわけじゃないんだよ。あの日――――」
 ふと、綾瀬が彼女の言葉を遮る。
「マミ、もういい。俺から話した方が良いだろ」
 綾瀬は語りだす。
 あの日、俺が優子を探して街中を駆け回った日。
 あの寒い夜の出来事。


 あの日、俺はいつものように土手を訪れた。
 辺りが完全に暗くなった夜中。
 駄菓子屋の猫の死骸を確認する為だ。
 その時、偶然、土手にいたのが平井だった。
 泣いていた。
 その日、学校であった事を思えば、僅か小学五年生の女の子が泣くのは当たり前だ。
 俺は平井に話し掛け、彼女を土手下まで連れて行った。
 そして駄菓子屋の猫の死骸を見せた。
 頬を流れる涙が量を増し、俺が発した彼女への罵声は、やがて動揺し、ふらつく彼女を川の中へ落とした。
 死なせる気なんてなかった。
 ただ、彼女が川に落ちて、俺はそれを助けなかった。
 ただ、それだけ。


「殺したも同然だよ」
 彼の語った出来事は、この場に沈黙を落とした。
 誰も口を開かず、ただ俯いている。
 俺自身、この話を聞いたのは初めてだった。
「本当はね」
 天美が綾瀬に語り掛ける。
「本当は、この話をしてくれた綾瀬を、最初は憎んでた。優子は、たった一人の親友だったから。本当に良い子で、可愛くて、私が悲しんでいる時は一緒に悲しんでくれる。そんな、親友だった」
 先程、駄菓子屋で言っていた事とは違っていた。
 あの時の怒りに任せた様な口調に対して、今度は優しげで穏やかな口振りだった。
「私が虐められていた事も、ただ優子にだけは打ち明けたくなかった。あの子が悲しむ姿なんて見たくなかったから。でも段々、一人で抱え込むのが辛くなって、綾瀬が助けてくれるまで、優子の幸せに妬いていた私がいた」
 止め処ない涙を流し、細い指先で目蓋を擦り続けている。
「全部、私が悪かったの。綾瀬の事しか見えなくなって、優子がクラスで虐められるところを見ても、何もしてあげられなかった。それが後から、綾瀬が仕組んだ事だって気付いても、私は……何も言う事が出来なかった。私は優子よりも綾瀬を選んだ、とか言って、ずっと強がってた」
 地面に蹲り、丸めた背中を震わせて、更に泣き続ける。
 横たわる俺の隣で、話を聞いていた霧原は、天美の元へ駆け寄ると「大丈夫だから」と、優しく言葉を掛け、嗚咽を漏らし震える彼女の体に優しく身を寄せた。
 その光景を見ていた綾瀬は、重い口調で呟く。
「……マミ、ごめんな。俺のせいだったんだよ、全部。俺が、皆を不幸にした。マミから親友を奪って、一人で優越感に浸って。その事にずっと怯えて……。麗太も……あんな事がなければ、転校する事もなかったのに」
 泣いていた。
 あの日、駄菓子屋の前で別れを告げた時と同じ様に、綾瀬は涙を流していた。
 あの日、綾瀬が俺の為に流してくれた涙は本当のものだったのだと、今になってようやく気付けた気がした。
「ごめん……本当に、ごめん」
 俺の前で、地に額を押しつけ、泣き声と共に謝罪の言葉を口にする。
 綾瀬も辛かったんだ。
 だから、あんな事をした。
 もしかしたら……いや、確実に他の道があった筈なんだ。
 綾瀬のとった最悪の方法ではなく、俺やクラスメイト達仲間に相談するという、最善の方法が。
 フラフラと体を起こし、泣いて謝り続ける綾瀬に寄り添う。
「一人で抱え込む事なんて、なかったんだよ。言ってくれれば俺達が、クラスの奴等がお前の為に一緒に悩んでやれたんだ。一緒に、何とかしてやれたんだ。優子だって、きっと力になってくれた。博美先生だって」
 涙や鼻水、泥でグショグショになった顔を上げる。
 歯を食い縛り、鼻水を啜る、泥に塗れた彼の顔。
「でも、もし、どうにもならなかったら」
 弱音を吐く綾瀬を、俺は怒鳴り付ける。
「どうにかするんだよ! お前が困っていたら、皆でどうにかする。仲間なんだから!」
「麗太……」
 俺の胸に顔を埋め、泣きじゃくる。
 皆から、勉強もスポーツも抜群で、イケメンだとか言われていたけど、やっぱりこんな風に泣く事もあるんだな。
「ほら、イケメンが台無しだぞ」
 綾瀬は埋めていた顔を離す。
「そうだな。ずっと、そうでありたいよな」
「ああ、綾瀬はいつになっても、俺のヒーローだから」

 この後、俺達四人は駄菓子屋へ戻った。
 綾瀬は徒歩の俺達に合わせて、バイクを引いてくれた。
 俺が転校してから今日までの事。
 綾瀬と天美が付き合い始めた時の事。
 霧原と大地が、綾瀬や天美と知り合った日の事。
 あの時はどうだったとか、こんな事があったとか、未だ半ベソをかいている綾瀬や天美を励ましながら帰路に着いた。
 駄菓子屋に戻ると、霧原は風呂を貸してくれた。
「男共、先に入っちゃいな」
 彼女の言葉に甘えて、俺と綾瀬は彼女達よりも先に風呂に入った。

 俺は湯船に浸かり、綾瀬は先に体を洗った。
 あの古びた駄菓子屋の外観とは似もつかず、風呂場だけは俺が住むマンションと同じ様な、現代らしい雰囲気がある。
 この古い建物の事だから、風呂窯の様な物を想像していたのだが。
「ビックリしたろ、この風呂場。なんでも、婆ちゃんが生きてた頃に、風呂場とトイレだけ改築していたらしいぜ」
「ああ、そうなんだ」
 彼の体の節々に見られる切り傷や痣の痕。
 それらは、これまで綾瀬がどんな境遇に立たされてきたのかを物語っていた。
 バスチェアに座り、土手で付いた擦り傷に気を遣いながら、ボディーソープで泡立てたタオルで体を洗っている。
「綾瀬、ごめん。凄く痛そうだけど」
「いや、麗太の方が重傷だろ。顔に痣できてるし、口元に擦り傷はあるし」
「ああ、まさかルール無視してくるとは思わなかったよ」
 綾瀬は申し訳なさそうに、こちらを見て言う。
「背中、流させてくれ」
 銭湯の親父か?
 ふざけているのかと、そう言ってやろうと思った。
 でも、彼の目があまりにも真っ直ぐに俺の目を見ていたものだから「分かった」と、つい呆気に取られ答えてしまった。
 湯船から上がり、綾瀬に替わりバスチェアに座る。
 新しいタオルを濡らし、ボディソープで泡を発てる。
「もし痛かったら、言ってくれ」
「うん」
 傷口に気を遣いながら、少しずつ、丁寧に背中を洗ってくれている。
 水の中で揉み合いになるうちに、綾瀬に引っ掻かれた傷、脚や拳で強打された腰周りの痣。
 たったの数分で、これだけの傷を負わされてしまうんだ。
 何日も親父に虐待されてきた綾瀬にとって、こんな痛み比べ物にならない程、ちっぽけな物の筈だ。
 本当に、辛い目に遭ってきたんだな。
「なあ、お前の彼女の話をしてくれよ」
 何の脈絡もなく咄嗟に言われ、少しだけ戸惑う。
「え、なんで?」
「気になってさ。お前が今、どんなやつとつるんでいるのか。お前は俺のマミをとっくに見ているんだから、話くらいは聞かせろよ」
「そうだね」
 今、俺が働いているバイト先。
 そこで出会った梓の事を綾瀬に話した。
 優しくて、誰にでも気を配れる。
 いつも明るくて、年上らしい冷静さっていうか、大人っぽくて……それでいて、たまに子供っぽい一面を見せる。
 そんな可愛らしい彼女。
「まあ、皆の母さんみたいな人だよ」
「母さんか。なんか良いな、そういうの」
 穏やかな彼の声に頷いて見せる。
 俺の母さんの記憶は、小学五年生より前の、ほぼ断片的なものしかない。
 それでも覚えている事はある。
 優しくて、誰にでも気を配れる。
 いつも明るくて、たまにおっちょこちょいな人。
 そう、梓のような人だった。
 彼女には母さんの様な一面がある。
 だからこそ俺はバイトを始めてすぐ、彼女に魅かれていたのかもしれない。
「天美とはどうなんだよ?」
 少しだけ照れた様に笑い、綾瀬も天美について話し出す。
「マミは、本当に良い奴だよ。俺は今日まで、あいつの事をしっかりと分かってやる事が出来なかった。でも、これからは、ちゃんと理解しようって。そう思うんだ」
 天美が綾瀬を慕っているのは、彼女の言動や行動を見て、すぐに分かっていた。
 綾瀬の為に、あんなに俺に対して妬けになった事や、まともに泳げもしないくせして、綾瀬の為に迷わず川に飛び込んだ事。
 本当に、綾瀬は良い彼女に恵まれたと思う。
「天美は幸せ者だな。綾瀬みたいなイケメンを彼氏にできて」
「イケメンって、お前なぁ」
 困ったように言いつつ「まあな」と付け足す。
「綾瀬は、俺にとってはヒーローだったからさ、今も昔も。本当に憧れだったから」
 振り返り見た綾瀬は、得意気に笑っていた。
 そんな彼に、俺も笑い返す。

 翌日、俺達四人は優子の墓参りへ行く事にした。
 昨晩は、もう時間も夜遅くになってしまっていた為、俺や綾瀬、天美は駄菓子屋に泊まった。
 布団は二つしかなく、男二人、女二人に分けて、思っていたよりは快適な夜を送れたというわけだ。
 綾瀬の寝像や、夜中に起こった出来事は別として……。

 駄菓子屋の外へ出ると、朝方の眩しい陽射しが、民家の間から細い路を照らしていた。
 冬だけれど、陽射しだけは暖かくて気持ちが良い。
 店内から、綾瀬と天美が出て来る。
「ちょっと不格好じゃないかな」
 頬にできた擦り傷に貼られたバンソウコウや痣を、綾瀬は指で摩っている。
「そんな事ないよ。俺も同じだから」
 俺の頬にも、綾瀬と同じ位の擦り傷や痣がある。
「ああ、そうだな」
「うん、大丈夫だよ」
 横から天美も助言した。
 それにしても以前から思っていたのだが、どうしてかこの二人は距離が近過ぎる。
 昨日の夜、布団で寝ていた時もだが、隣にいた綾瀬の懐には、いつの間にか天美が眠っていた始末だ。
 綾瀬の隣の布団に、俺が寝ているにも関わらずだ。
 現に今も、天美は綾瀬の腕をギュッと抱いている。
「バカップルだな」
 からかって見せると、彼女は容赦なく痣だらけの俺の脛に小さく蹴りを入れた。
「あ、痛っ」
「マミ、ナイスだ!」
 綾瀬は隣でガッツポーズを取り、感心している。
 まったく、マジでバカップルだ。
「そういえば苗は?」
 綾瀬は店内を振り返る。
 彼女は一向に出て来る気配を見せない。
 そういえば以前、始めて彼女を見た時の第一印象は、まず眠そうで無愛想だった。
 となると寝起きの機嫌は、あまりよろしくはないのだろう。
「私、見て来るね」
 そう言うと天美は、店内の奥の障子を開けて中へ入って行った。
 数分が経ち、ようやく出て来たかと思うと、天美に引っ張られるような形で出て来た彼女は、妙な呻き声を上げる。
「ぅう、眠いよぉ。朝は低血圧なんだってぇ」
「いや、行きましょうよ。ちゃんと四人揃って」
 隣で綾瀬は、クスッと小さく笑う。
 それに釣られて、俺も一緒に笑った。

 平井家之墓がある霊園。
 この四人の中で、場所を知っているのは天美だけだった。
 その場所へ彼女が最後に訪れたのは、小六の頃だったらしい。

 彼女に案内された霊園は、俺の母さんが眠る霊園とは逆方向。
 駅から出るバスで数分の距離に位置する、隣町の小学校に隣接していた。
 降りたバス停は、小学校の校門前だった。
 廃校になってしまったのか、錆びれた門は固く閉ざされ、隅には、これからの予定を知らせる看板が立て掛けられている。
 取り壊しか、別の施設としての再利用か。
 出来る事なら、再利用として新しい施設として使ってやる方が望ましいな。
 いつか、俺達が通っていた小学校も、こんな風に固く閉ざされてしまうのだろうか。

 古びた小学校と隣接した小さな霊園。
 辺りには、霊園を管理する寺もない。
 ただ墓地という各々の敷地が詰められた、殺風景な場所だった。 
 本来。墓地に良い風景も悪い風景もないが。
 ここまでの道中、バスに乗る前に近所の花屋で買った花束。
 ここにいる誰もが、墓参りに関した知識も経験もなかった為、店員に事情を話し、適当に見繕ってもらった。
 線香は、駄菓子屋にあった物を。

 優子の眠る、平井家之墓は霊園の隅に位置していた。
 どこの墓とも何ら変わりのない大きさの敷地と墓石。
 敷地には、細かく小さな石が敷き詰められていて、雑草は生えていない。
 墓石のすぐ手前に、綾瀬は先程の花束を置いた。
「マミ、線香」
 彼女は無言でそれを手渡し、綾瀬は持っていたライターで器用に火を点ける。
 線香の束を均等に四人分に分け、彼は俺達へ配った。
 一人ずつ、順番に線香を供え、俺達は四人で並んで手を合わせた。

 この霊園に入ってから、空気が重かった。
 当然だ。
 友達の墓参りなんだ。
 それほど気分の良くなるものでもない。
 合わせていた手を解き、綾瀬は小さく言葉を発した。
「俺が死に追いやった命だ。これから、責任を持って償う。しっかりと、生き続けようと思う」
 言葉だけなら、何とでも言える。
 だから死ぬしかない。
 昨日までの綾瀬は、そんな考えを胸に秘めていた。
 でも今日は違う。
「自己満足でも、どんなに格好悪くても構わない。俺は、そんな綾瀬を支え続けるから」
「麗太……」
 今にも泣き出してしまいそうな声で、綾瀬は俺の名前を囁いた。
 俺はそんな彼の手を取る。
「ほら綾瀬、私もいるから」
 天美も俺に続く。
「まったく、綾瀬は幸せ者だね。じゃあ私も」
 照れ臭そうに笑いながら、彼女もそれに続いた。
 俺、天美、霧原の三人の両手が、綾瀬の両手を包んでいた。
「皆、ありがとう」
 やがて溢れだした涙を頬に流しつつ、綾瀬は俺達に微笑んで見せた。

  =^_^=

今度は、いつ会えるんだ?

 さあ、長い休みができたら、彼女も連れて、こっちへ旅行にでも来ようかな。

 泊まりは駄菓子屋しかないな。苗、布団を五人分だ。

 私は綾瀬の布団で一緒に寝るから、四人分でオッケーだよ。

 コラコラ、ちょっと待った。なんだか勝手に、私の駄菓子屋に泊まるって話が進んでるようだけど?

 霊園からの帰り道、俺達は笑顔を絶やさなかった。
 皆で一緒に、笑っていればなんとかなるものだ。
 今まで忘れようと必死になってきた、この街での出来事は、俺にとって最も心を許せる場所での記憶、思い出であると気付く事が出来た。
 長い間、会えなかった親友にも会う事ができた。
 何もかも、大切な思い出だった。
絶対に忘れない。
 そして、これからも俺は、大切な思い出を積み重ねていく。
 そこに優子がいなくとも、俺は彼女の為に、彼女が生きられなかった分の人生を、綾瀬や仲間達と共に謳歌しようと思う。
 どうか綾瀬を許してやって欲しい。
 あいつも辛かったんだ。
 これからは大切な友達として、微笑んでやって欲しい。
 大切な仲間として……。
 今の俺は、こんなにも幸せな気持ちでいっぱいだ。
 だから、もう大丈夫。
 支えてくれて、ありがとう。
 五年以上も前に言えなかった言葉を、俺は内心で彼女に語り掛けた。

Episode6 Azusa Sakakibara

 店長が店の新メニューに野菜ジュースを追加した日から、今日で四日が経っていた。
 それは、麗太に会わなかった空白の時間も意味していた。
 普段、メールはあまりしないし、麗太も頻繁なメールを嫌っている為、私達は用のある時にしかメールをしない。
 勿論、プリンのお礼はメールでした。
 それ以外には特に用もなく、直接会わない空白の時間ができたというわけだ。
 私は、その気持ちの悪い空白の溝を埋めるかのように、彼を自宅に招いた。
 私の部屋。
 本棚やテレビや箪笥、そしてベット。
 さして何の変哲もない私の部屋へ麗太を招いたのは、これで何度目になるだろうか。
 私と麗太は二人でベットに腰掛け、暖まりきっていない薄ら寒い空間で、自然と身を寄せ合う。
「なんだか久し振りに会った気がする」
 頬にバンソウコウや痣を残した麗太を前に、私は驚いた素振りを見せなかった。
 彼の傷や痣については、私が振れていい範囲の問題ではないと判断したから。
「うん、久し振りだね」
 私が驚いたのは、正直に言うと傷や痣の事ではない。
 彼の面持ちが、少しだけ変わった気がする。
 以前の様に、冷めた振りをして格好付けていたのとは違う。
 なんというか、少しだけ大人に近付いたという感じがする。
 服装や髪形は、いかにも最近の高校生って感じだけど。
「今日は、どうしたの? バイトもない日に、いきなり呼び出すなんて」
 確かに、麗太が私の家に来る日は、大抵がバイトの前後だ。
 バイトがない日に、呼び出された事に違和感を感じてしまうのも分かる。
 彼の肩に頬を傾け、至近距離で呟く。
「最近、会ってなかったから。少し寂しかったかも」
「そうだね。ちょっと遠出する事があったから」
 遠出。
 私が振れてはいけない、彼の問題。
 ササちゃんに対しては強がってみせていたけど、内心では、やはり彼の事が心配だった。
 彼女の私には何も告げず、一人でどこか遠くへ行ってしまう彼。
 もう、心配ばかりするのは嫌。
「心配だったの」
「え?」
「一人で、勝手にどこか遠くへ行っちゃうから……私に、一言くらいは相談してくれても良かったのに……」
 私の言っている事が、ズルイとは既に分かっている。
 ササちゃんの事を知っていながら、麗太と付き合い出して、おまけに今の私は、彼の事をより深く知ろうとしている。
 最低だ……私。
 寄り添う状態で、麗太は私の頭を撫でる。
「前に、梓が俺の家に泊まりに来た時、言ったよね。いつか、お互いの事、何でも話せるようになりたいって」
「うん」
 私は今、彼の抱えている何かに踏み込もうとしている。
 堪った唾を飲み込み、彼の言葉を待つ。
 そして麗太は重い口を開いた。
「暫くはテストがあるんだ。もうちょっと、待って欲しい」
「どういう事?」
「梓と一緒に旅行へ行きたいんだ。一緒に行きたい場所があるから」
 彼の言う場所。
 それは、どこにあるのか。
 これより後日、麗太は私にこの話をする事はなかった。
 彼の抱える問題は、その日になるまで知るべきではないと思ったから。


 二月になると、大学での授業はなくなり、友人と会う事も少なくなった。
 二月中旬、大学では既に春休みが始まっている。
 大学へ行かない分、AMANOでのバイトの量を増やしてもらった。
 それ以外では、友人と買い物に行ったり、一人でバイクに乗って遠出したり。
バイトのない大抵の日でも、AMANOに入り浸っている事は頻繁にあった。
 カウンターを挟んで、店長が私に言う。
「こう毎日のように来てくれると、私も嬉しいわ。お客さんの来ない暇な時間もあるから」
 時間は朝の十時頃。
 店内の隅の席、サラリーマン風の青年が、一人ノートパソコンを叩いている。
 その反対側の隅には、少しばかり大人し気な、中学生くらいの小柄な少女が一人。
 どちらも常連でないところを見るに、私の知り合いではなさそうだ。
「そりゃ暇ですよね」
 店長に笑い掛け、脇に置いてあった女性向けのファッション誌を手に取る。
「ああ、それ。私にって、朝方のお客さんが置いて行ったの。最近よく来てくれる、OLさんで」
「へぇ」
 やや奇抜な容姿をしたモデルさんが写る表紙の、女性雑誌をパラパラと捲り、ページを流し見る。
 わっ、凄い。
一見して、こんな感じの人が目の前に現われたら、驚く上に爆笑しちゃうんだろうなぁ、という率直な感想が浮かぶ雑誌だった。
ゴスロリ服を着て、カメラ目線に笑っているモデルさんが、どこか痛々しい。
 店長はカウンター越しからページを見て、溜息混じりに言う。
「私も、もうオバサンね。最近の子って、こういうのが好きなの?」
「こういうのは一部の人ですよ。それに店長は、まだまだ若い方ですよ」
「そうかなぁ、もうすぐ三十路だし」
 三十路。
 結婚の話について、実家からしょっちゅう連絡は来るそうだが、断固拒否し続けているという。
 そろそろ良い男を見つけて、身を固めても良いと思うのだが。
「そういえば、良い人は見つかりました? もしくは結婚する気にはなりました?」
「結婚?」
 目を丸くし、やや裏返った声で返される。
「はい。結婚」
「いやいや、無理無理。絶対に無理。だって、独身ほど自由な身分はないよ。そりゃあ、今の梓ちゃんみたいに麗太君とかがいれば、楽しい事も多いと思うけど、それは人によるじゃない?」
「ええ、まあ」
「いつ離れて行っちゃうか分かるかも知れないんだから。そんな事になる前に、すっぱり諦めて、独身を楽しむ事を選ぶわ、私はね」
「はあ、そうなんですか」
 店長に圧倒され、やや曖昧に返事を返す。
 この人に、結婚という言葉は禁句なのか、弱点なのか。
 この言葉を彼女の前で出す度に、マシンガントークを喰らわされる。
 恋愛に、何か嫌なトラウマでもあったのだろうか。

 コーヒーだけで三十分も一人で居座り続けていた、先程のリーマン風の男は、勘定を払い店から出て行った。
 店内に残ったのは私達二人と、先程の小さな中学生くらいの女の子。
 誰かと待ち合わせでもしているのだろうか。
 紅茶一杯だけを頼み、やや緊張気味な面持ちでカップを啜っている。
 そしてテーブルに置いた携帯を気にしては、再びテーブル上に戻す。
「あの子、可愛いね」
 店長は抑え気味の声で言った。
「ええ、そうですね」
 私も小さく声を返す。
「梓ちゃんは、あの子が何をしてると思う?」
「え? そうですねぇ……」
 私服を着ている中学生くらいの女の子、頻繁な形態のチェックに、やや緊張気味な面持ち。
「デートの待ち合わせですかね」
「私も思ったよ」
 店内の幾つかのテーブルや椅子を挟む、私達と隅にいる彼女。
 彼女に気を遣い、私達だけでコソコソとお喋りを続けていると、不意に店のドアが開く。
 ドアに付けられた鈴が鳴り、彼女はビクッと肩を震わし、俯いていた顔をそちらへ上げる。
「あ」
 一言だけ声を発した。
 彼女の次に、今度は店長が愛想良く声を発する。
「いらっしゃいませ」
店内に入って来たのは、彼女と同じく中学生くらいの男の子。
 短めの髪、派手なダウンジャケットに暗めのジーンズ。
 彼は隅に座る彼女を確認すると、足早にその席へ向かい、彼女の正面に座った。

 やはり待ち合わせをしていた様で、二人は一緒にケーキと紅茶(女の子はおかわり)を頼んだ。
 暫くして二人は、ケーキと紅茶を食べ終え、店長に勘定を払って店を後にした。
 勘定を済ませた店長は、悪戯気に笑いながら言う。
「あの子達が帰る時に、デートがんば! って言ってあげちゃったの! どうしよう、も!」
 やや照れている。
 二人が恥ずかしそうに頬を染めて、店を出て行ったのは、その為か。
「店長、自分の事はそっちのけで、他人の恋愛を見るのは好きなんですね」
「勿論よ。だって素敵じゃない? 毎日、ここにはいろんなお客さんが来て、その一人一人にいろんなドラマがあるの。その中には恋愛だけじゃなくて、まだまだ私の知らない事が沢山、詰め込まれているのよ」
 ここに来るお客さん全員。
 私や麗太のようなバイトも含めて、それは全員に言える事だ。
 じゃあ、私と麗太はどんな風に見えていたのだろうか。
 その事を梓さんに聞いたところ、彼女は笑顔で答えた。
「うん。お似合いのカップルだと思うよ」
 カウンターに両肘を着き、少しだけ腰を浮かして確認する。
「本当ですか? 麗太にはササちゃんと付き合い直すっていうのも、ありだった筈じゃないんですか? 私なんかで……良かったんでしょうか……」
 俯く私に「ちょっと待ってね」とだけ言い、調理場の奥へ行くと、何かを持って戻って来た。
 小さなカップに入ったオレンジ色で、ゼリーのような物体。
「はい、どうぞ」
 小さな受け皿の上に置かれたそれは、何のトッピングもされていない、ただのオレンジ色のゼリー。
「あの、何ですか? これ」
「新メニューの野菜ジュースをゼリーにしてみたの。今日から新しく出そうと思うんだけど、どうかな?」
 野菜ジュースは、お客さんの中では好評だった。
 しかしゼリーとは……。
 まあ味は変わらないんだろうけど、やはり何のトッピングもされていないと、食欲はそそられないように思う。
 店長は期待した眼差しでこちらを見ている。
 受け皿に添えられたスプーンを取り、ゼリーの上面を掬い出し、口へ運んだ。
 味は野菜ジュースそのまま。
 食感はゼリー。
「良いんじゃないですか。あとは何かトッピングでもすれば」
「そう、そうよね」
 私の予想通りの解答を待っていたかのように、わざとらしく頷く。
「何ですか?」
「麗太君がバイトを休んだ日。彼、野菜ジュースを飲んで行ったの」
「あれ? 麗太って、野菜ジュースとかダメだった筈」
「そう。でもね、麗太君に言ってあげたの。たまには違う事をしてみなさいって。そしたらね、美味しいって。普通に飲んでくれたの」
 麗太にしては珍しい。 
 あの食べず嫌いが、自分から嫌いな物を口にするなんて。
「この意味、梓ちゃんには分かる?」
 たまには違う事をしてみなさい。
 店長は、麗太に何を伝えたかったのだろうか。
「さあ、私には……」
「そう。でもね、それを麗太君は、しっかりと自分なりに理解して帰って来た」
 あんなにボロボロになって、帰って来た。
 バイトをサボって、どこか遠くまで一人で行って、一体、彼は何をしてきたのか。
 そこから先は、私が踏み込んではいけない、彼の領域。
 聞いてはいけない。
 詮索してはいけない。
 それでも気になってしまう。
 でも、これで良いんだ。
 麗太が訪れた場所。
 そこで決定的な何かが起こって、帰って来た彼は、暫く会っていないうちに、少しだけれど今までとは違う、どこか成長したような雰囲気を見せた。
 麗太は、私のいない所で、一人で何かを得た。
 ただ、それだけの事。

  =^_^=

 三月も下旬になると、枯葉を散らし殺風景だった木には、桜の花びらが少しずつではあるが実っていた。
 駅前ロータリーや大通りの街路樹。
 いろんな場所で桜を見るようになった。
 麗太の通う学校は、もう春休みに入ったようで、私は早速、彼をデートに誘った。
 今日はバイトもないし、一日をノンビリと過ごせる。
 彼に連絡を入れ、私は自宅からバイクを走らせた。
 ここから彼の家までは、そう離れてはいない。
バイクで三十分程の距離にある、マンションの三階だ。
「やっぱり春は良いなぁ」
 ヘルメットの中で呟き、周りを見渡す。
 大きな道路の脇に、並べるようにして植えられている桜の木は、私の視界より先へ、どこまでも続いていた。
 この大きな桜の木がある道路を抜ければ、麗太の家はもうすぐそこだ。

 麗太はマンションの入り口で待っていた。
 すぐ側にバイクを止め、ヘルメットを脱ぐ。
「おはよう、麗太」
「ああ、おはよう」
 布団から抜けにくい冬の時期が、徐々に終わっている為か、彼の顔色はいつも以上に良い。
 先月まであった傷や痣の痕も消え掛けている、というのも一因だろう。
 前までは、私が来てもギリギリまで家にいたのに。
 やっぱり、少しは大人になったのかな。
「ほら、乗りなよ」
 後部に括りつけておいたバックから、フルフェイスのヘルメットを取り出し、彼に渡す。
「おう、ありがとう」
 受け取ると、活き活きした表情で笑い、ヘルメットを被って私の後ろに乗る。
 私の腰に、彼の手が回ると、確認の意を問う。
「準備はいい?」
「いいよ」
 彼の言葉を合図に、スタンドを降ろし、バイクを走らせた。

 以前、麗太は言っていた。
 いいなぁ、梓。
 俺もバイク欲しいよ。
 そう言った彼に、私はこう返した。
 バイクは危ないから、私は麗太を一人では乗せたくないな。
 いつもは私の運転だから、麗太を後ろに乗せてあげてるんだよ。
 私がバイクの免許を取った理由は、大学で仲の良い友人の影響だった。
 ただ単純に、彼女の運転するバイクの後ろに乗った時、切る風邪や前方から迫る景色に魅力を感じたから。
 たった、それだけの理由だった。
 AMANOでバイトを始めたのだって、免許の取得やバイクを購入する為だ。
 バイク欲しさに始めたバイトで、こんな素敵な彼氏が出来るなんて、あの頃の私からしたら想像も出来なかっただろう。
 今はこうして、その彼氏をバイクの後ろに乗せているわけだ。
 どうしてか、最近になって思う事がある。
 今の麗太なら、免許を取っても心配ないかも。
 一緒にツーリングへ行きたいかも、と。

 都心の雑踏を離れるように、数十分の間、私はバイクを走らせた。
 行先は決まっていたから。
 大学の友人とは、もう何度も訪れている。
 走り続けて、最後には目的地で一緒に自販機で買ったジュースを飲んで、休憩してから帰路に着く。
 これがお決まりだった。

 駐車場にバイクを停車させ、麗太と二人で歩く。
 駐車場から出てすぐ、そこには体育館があり、近くには大きな噴水が水を通していた。
 すぐ側のベンチには、桜の木が木漏れ日を作りだしていた。
「梓、喉乾かない?」
「え? うん、そうだね。ちょっと乾燥しちゃったかも」
「待ってて。途中に自販機あったから、買ってくるよ」
 そう言うと、走り出す麗太。
 私は彼を呼び止める。
「あ、ちょっと待って。私、コーヒーね。微糖だよ」
「うん、分かった」
 手で合図し、彼は走って行った。
 なんだか、気が利くようになったなぁ。
 前は、私が半ば強制的にジュースを奢ってもらう感じだったのに。
 麗太の分のスペースを開け、一人ベンチに腰掛ける。
 桜の木から降る木漏れ日は、ベンチの一帯を影と陽の光で、マダラ模様に照らしている。
 もう春休みになる。
 それなのに今の私は、未だ彼が告げた旅行の話を切り出せないでいる。
 旅行の目的地。
 麗太が今まで抱えてきた何かが、そこにあるのだろうか。
 一向に麗太は、旅行に関した話はしてくれないし、このまま流れるなんて事にはならないといいのだが。
 少しだけ不安な面持ちを浮かべていると、コートに付いているフードに、急な重みを感じた。
「え? わっ、ちょっえ?!」
 足や手をジタバタさせつつ、フードへ手を伸ばし、重みの正体を掴む。
 まだ残る、缶に宿る熱いくらいの温度。
 手にしていたのはコーヒーだ。
 後ろから、漏れ出したような笑い声が聞こえると、私は振り向かずに言った。
「麗太、ちょっと隣に座りなさい」
「あ、ああ。はい」
 反省しているのか、やや控え気味に私の隣へ座る。
 私は麗太の買ってくれたコーヒーの缶を隣に置き、やや冷たい両手を彼の首元の襟から服の中へ突っ込んだ。
 ひっと、裏返った声を上げ、先程の私と同じく、手足をジタバタさせる。
「わっ、ちょっと、梓! そこはダメ!」
「ふぅん? どこがダメなのかなぁ?」
 これでもか、というくらいに彼の着る上着、セーターの下のシャツ、その下の肌を弄った。

「ごめん、マジごめんね」
 暴れ過ぎて出た小さな涙を拭いながら、麗太は乱れた服を整える。
「うん。許してあげる」
 温かいコーヒーを啜り、満足したよ、とだけ言葉に付け足した。

 二人でベンチに座ってコーヒーを飲み、私はふと呟く。
「麗太も、もう受験だね」
「そうだね。あーあー、勉強したくないなぁ」
 そう言って、大きく伸びをした。
 麗太は、やはり大学には行くのだろうか。
 今の時代、大多数の高校生の進路は大学だ。 
 それでなくとも就職。
 でも、もし麗太が進路に行き詰って、最終的に進路が決まらなかったら……。
 浪人?
 ニート?
 それとも私の紐?
「ねえ、麗太は進路とか決まったの? やっぱり大学?」
「うん。といっても専門だけどね。スポーツ系の学校で、トレーナー科」
 以前までのサッカーの経験や、コーチの手伝いの影響だろう。
 やっぱり自分にとって最も興味のある事の為に、進路を選ぶのが一番だ。
「凄いね、麗太は」
 照れ臭そうに目を反らし、少しだけ口元を緩める。
「うん、まあ……。涼が言ってくれたから」
「何て?」
「自分の好きな事をやれって。あと、悔いを残すなって」
 悔い。
 一つ大人になる前に、やり残した事。
 麗太には、やりの残した事はあるのだろうか。
「麗太は今、悔やんでる事はある?」
 私の質問の重要性を知ったのか、麗太は立ち上がる。
「梓、ちょっと歩こう」

 噴水やベンチの設置された広い広場を抜けると、広い並木道に出る。
 両脇に植えられているのは桜の木。
 吹き抜けて小さな風は、僅かに木を揺らし、木漏れ日を受ける地面を桜の花びらが埋める。
 桜色の並木道を、俺と梓はゆっくりと歩いていた。
 辺りに人は数人。
 両親に連れられた小さな子供、初老の夫婦や、俺達と同い年くらいのカップル。
 皆が頬笑み、桜を眺めていた。
「桜、綺麗だね」
 ゆっくりと落ちてくる数枚の花弁を手で受け、麗太は私に見せる。
「うん、そうだね」
 彼の手に落ちた花弁を指で摘まむ。
 小さくて薄い、桜色の花弁。
 私は、それを手放し、再び宙へ落とす。
「ねえ、麗太」
 言わなくちゃいけない。
 私が思っている、正直な事。
 たぶん、この時を逃したら、ずっと麗太に通じる事はないと思う。
 だから今、言おう。
「私。麗太の事、もっと知りたい。全部、知りたい。前に顔にあった傷や痣の事も。麗太が私と、どこへ一緒に行きたいのかも。そこがどこなのかも。全部、知りたい」
 たまには違う事をする。
 店長が言っていたのは、つまりそういう事。
 たまには、らしくない事をやってみろ。
 彼の事を何も理解せず、自分が踏み込んでいい彼のラインを勝手に敷いていた。
 そんな事じゃ、いつまで経っても前に進めない。
 麗太は、一人でこんなに進歩する事が出来た。
 私だって……。
 麗太は数度、瞬きをして私を正面から見る。
 先程と同じ様に、穏やかに微笑んでいる。「ありがとう、梓」
「え?」
 不意に、素直に礼を言われ、少しだけ困惑する。
「あ、あぁ、えっと……」
 言葉が出ず、彼から目を反らしてしまう。
 肩に垂れる髪を触りながら、心の中で、どうしようと慌てふためいていると
「旅行、一緒に行こう」
 そう言った彼の手は、私の頭を優しく撫でていた。
 私よりも背は高く、少しばかり筋肉の付き始めた、細身の体。
 最初に会った時と比べると、けっこう頼れそうな容姿になった事が分かる。
 今は、大人しく彼に撫でられているのも悪くないかも。

 旅行は今週の土曜。
 終電より少し前に駅を出て、丁度よく最終列車で家に着く予定。
 ちょっとした日帰りの小旅行。
 行先は、超が付くほど田舎だから覚悟しておけ、との事。
 運賃は往復で四千円程度で済むらしい。
 一体、どのような所なのか、詳しい事は、当日に話すそうだ。

  =^_^=

 空は青く澄み、小さく吹く風がやや心地良い。
 冬とは違って、外へ出る事に苦を感じない、そんな旅行日和。
 麗太と改札前で落ち合った後、私達二人はホームに降り、朝の十時代の電車に乗った。
 通勤ラッシュは数時間前には去っていて、車両の中は程良く空いていた。
 私達二人は、窓辺を横目に出来る四人席に、向かい合う様にして座る。
 窓の外を流れる、澄みきった空の下に広がる街並み。
 未だビル群の広がる景色は、私達の住む街から出発して、それほどの距離を離れていない事を意味していた。
「麗太。お弁当作って来たよ。食べる?」
「マジ? 朝飯まだだから嬉しいよ」
 バックからサンドイッチの入ったお弁当箱を取り出す。
 ふと、バックの中に見える、古びたピンクの携帯電話。
 昨日の夜、麗太から急な連絡が入った。
『明日の事なんだけど、持って来て欲しい物がある』
 持って来て欲しい物。
 それは、もういらなくなった物。
 それでいて思い出深い物。
 私が持って来た物は、機種変するまで三年間、高校生活で使い続けた携帯電話だ。
 昨日の夜、大慌てで高校時代の物品を漁って、ようやく見つけた。
 麗太は、こんな物を持って来て何をしようというのだろうか。
「ねえ、麗太は何を持って来たの?」
「まだ内緒。その時になったら教えてやるよ」
 そんな事より弁当、早く食べようぜ、と急かされる。
「はいはい」
 蓋を開けたお弁当箱を、言われるままに窓辺の小さなテーブルに置く。
 ツナや卵、ベーコンや玉葱にマヨネーズを伸ばして挟んだサンドイッチ。
 今日の朝、別に早起きという程の時間でもないが、眠たい眼を擦って作った物だ。
「梓、美味しいよ」
 言葉通りの笑顔を見せて、サンドイッチを頬張る。
「うん。よかった」
 私も彼に笑顔を返し、自販機で買ったお茶の缶を啜った。


 一度、路線を乗り換え、一本の電車に揺られる事、約五十分。
 先程まで見えていた、ビルやホテルの様な建物が広がる多彩な景色は、やがて水田や小さな建物が多く見える景色へと変わっていく。
 都会の雑踏が、徐々に遠のいていく。


「ここが旅行の目的地?」
「うん。昔、俺が住んでいた街」
 建物の数は少なく、どこまでも遠くを見渡す事が出来る。
 周囲には人も少なく、駅のホームには数える程の人しかいない。
 私達が住んでいた街と比べると、とても静かな、それでいて穏やかな街に見える。

 三台しかない改札を通り抜け、麗太に案内されるまま駅を出る。
 駅の建物と隣接する駐輪場。
 一本の道路を挟んで位置する居酒屋や、コンビニ。
 駅前に、数える程度の人しかいないとは、今の私にとっては、あまり現実味のある風景ではなかった。
 この街で、麗太は小学生時代を過ごしたと言っていた。
 以前、麗太がバイトを休んで訪れた遠くの街。
 この街で一体、彼は何を学んだのだろう。
「これから、どうするの?」
「うん。とりあえず、近くの駄菓子屋に寄って、そこで知り合いと会う事になってるから」
 私達は駅から歩き出した。
 まだ陽も高い時間、やや小さく吹き抜ける春の風が、心地良かった。
 駅前に位置するコンビニやホテルのある通りを抜けると、まだ新しい一軒家が並ぶ住宅街に出る。
 大きな道路を挟む、住宅の群れ。
 道路脇を歩く事、数分。
 突然、麗太は歩を止めた。
「どうしたの?」
 その場で立ち止まった彼は、ある一軒家を眺めている。
 周りの住宅と比べても、建てられてから、それほど年代も経っていないのだろう。
 まだ新しく見える。
 家の敷地には、一台の青いクーペが駐車されている。
 その脇には小さな三輪車とママチャリ。
 よく手入れされた植木が、玄関のドア横に並べられている。
「この家が、どうかしたの?」
「ああ。ここ……昔、俺が住んでた家なんだ」
 家の外見を見たところ、今は別の家族が住んでいるのだろう。
「そうなんだ」
 気の利いた言葉が思い付かない。
 こんな時、何て声を掛ければ良いのだろうか。
 今の麗太は何を思い、この一軒家を眺めているんだろう。
 懐かしい?
 悲しい?
 それとも決別の意?


 かつて麗太が住んでいたという一軒家を後にして、私達が辿り着いたのは、古びた駄菓子屋だった。
 ガタの来ている古びた硝子戸の側に置かれた、これまた古いベンチ。
 そこに小学生程の小さな女の子が二人、お菓子を食べながら座っている。
 少女達に構わず、麗太は私の横をすり抜け、駄菓子屋の硝子戸を開けた。
「こんにちは、苗さん」
 入るなり、苗という人の名前を呼ぶ。
 私も彼に続いて、店内に足を運んだ。
 小さな店の中に、沢山の駄菓子が棚の上に並べられている。
 店の正面には白い障子。
 その奥から、床を伝って足音が聞こえて来る。
「はいはい」
 若い女性の、気だるそうな声と共に、障子が開かれる。
「ああ、沙耶原君。来てくれたんだ」
「はい。この前は、どうも」
 軽く会釈する麗太から、彼女は私へ目を配る。
「で、そちらは……」
 ああ、なるほどね、と何かを納得したように頷く。
「二人とも、よく来てくれたね。とりま上がんなよ」
 言われ、私と麗太は靴を脱いで居間へ案内された。
 部屋の隅にはテレビ、中央には炬燵。
「そろそろ炬燵、片付けた方が良いんじゃないですか?」
 呆れた様に言う麗太へ、彼女は手を振り返す。
「いいの、いいの。今年の四月から就職するし、忙しいんだから、今のうちに炬燵を堪能しておかないとね」
 上着を側に置き、三人で炬燵へ足を通す。
「この時期の炬燵も、いいもんでしょ?」
 突然、彼女は私へ問い掛ける。
「ええ、はい」
 咄嗟に答えた控えめな言葉。
 この状況を、完全に掴みきれていない私にとっては、こんな返答が精一杯だった。
 彼女は麗太に詰め寄り、小声で話し掛ける。
「ちょっと沙耶原君。この子に、まだ何も話してないの?」
「ええ、まあ……ちょっと、こっちでもゴタゴタしてて」
「しょうがないなぁ」
 小声でも、やはり目の前で話されれば、普通に聞こえてしまうものだ。
「じゃあ、ちょっとコンビニ行ってくるわ」
 立ち上がり、私達に言葉を付け足す。
「え? ちょっと」
 咎めようとする麗太を振り払い、私達へ手を振る。
「じゃあ、二人とも、ごゆっくり」
 それだけ言い残すと、彼女は部屋を出て行ってしまった。



「家っていうのは、住んでいた奴がいなくなっても、この場所にあり続けるんだな」
 二人だけしかいない、この部屋で、麗太は呟いた。
 彼の視線は、真っ直ぐに私を見つめている。
「梓には隠し事とかしたくなかったんだけど……やっぱり、難しいや」
 そう言って陽気に笑って見せた。
 私は炬燵から出て、彼の方へ寄り添う。
 無理に笑おうとする彼の頬を撫で、私は囁く。
「これから少しずつ、教えてくれればいいよ。全部じゃなくていい」
 少しずつでいい。
 私達には、まだ時間がある。
 これから、話せる事を少しずつ教えてくれれば良いんだ。
 麗太は頷くと、重い口を開いた。


 話している時の麗太は、まるで昔を懐かしんでいる様に見えた。
 彼の思い出は、言葉に乗って色鮮やかに流れていく。
 共に日々を過ごし、不幸な事故により亡くなってしまった平井優子。
 彼女の親友であった、天美マミ。
 麗太達の担任、博美先生。
 そして彼の親友、光原綾瀬。
 先程の女性、霧原苗。
 未だ続いていた過去への葛藤。
 全てが、彼にとって大切な、忘れてはならない出来事の数々だった。
 この街から帰って来ても尚、彼は悩み続け、そして、ようやく答えを見つけ出す事が出来たんだ。
 過去を忘れず、そして親友を長い葛藤の日々から救うという答えを。
 そんな麗太を、私は自分の彼氏として誇りに思う。


 部屋を出ていた彼女は、両手にコーヒーを持って戻って来た。
 コンビニへ行っていたのではないのか。
いや、そこは気にするべきではない、と判断した。
 彼女は炬燵に足を通し、私達に缶コーヒーを勧める。
「ほら、コーヒー飲みな」
 そう言った彼女はニッコリと笑った。

 駄菓子屋の苗さん、麗太、私の三人で炬燵を囲み、色々な事を話した。
 主に、私が住んでいる街での麗太の事だ。
 バイト先の事や、一緒にデートをした事。
 彼との出来事。
 それを聞く度に三人で笑い合い、私は次第に、この場に打ち解けていった。

「そろそろ来たんじゃないかな」
 一時間程して、麗太は呟いた。
 苗さんもそれに答える。
「うん、そうだね。二人とも、準備して」
 何が来るのか。
 それを麗太に聞いたところ、これから迎えの車がここへ来るそうだ。
 誰が迎えるに来るのか、と聞くと、彼は小五の頃の担任と答えた。
 どこへ行くのかと聞くと、それはお楽しみの為、ご想像にお任せ、との事。
 上着を着て、荷物を持って三人で外に出る。
 駄菓子屋の外で待って数分後、一台の赤いセダンが細い路を器用に走って来た。
 私達のいる駄菓子屋の側に、車は停車される。
 窓が開き、中から一人の女性が顔を出す。
 見たところ、三十代半ば程の年齢だろうか。
 先程の麗太から聞いた話によると、年齢的に考えて、この人が博美先生だろう。
「ほら、三人とも。乗って、乗って」
 窓から腕を振り合図する。
 私と麗太は後部座席へ、苗さんは助手席へ乗車した。
「あなたが梓ちゃんね。麗太君の彼女なんですってね」
 ハンドルを切りながら、彼女は私に話し掛ける。
「はい。博美先生ですよね。麗太がお世話になっていたようで」
「そうなのよ。ヤンチャ坊の相手ばかりしていた、あの頃が懐かしいわ」
 博美先生は今、東京の方の私立小学校で教師をしているらしい。
 なんでも私立の小学校の母子や周りの教師には、妙なプライドばかりが目立ち、日々それに悩まされているとか。

 住宅街や公共団地を抜け、私達が乗る車が辿り着いたのは、この街の小学校だった。
 駐車場に停められた車から降り、私達は校庭へ歩きだす。
「ねえ、麗太。これから何をするの?」
「ああ、ちょっとな。親友の我儘に付き合ってやるんだよ」
 彼の言う親友とは、話に聞く光原綾瀬という少年の事だろうか。
「あいつら、まだ来てないみたいだな」
「どうせ、いつもみたいにマミちゃんを後ろに乗せて、バイクで素っ飛ばして来るんでしょ」
 そう言うと苗さんは、ほら行こう、と言い私を促す。
「あの苗さん。この学校は?」
「ああ、ここね。沙耶原君の母校なの。だから、これからするイベントには、博美先生が必要だったって事」
 先を麗太と並んで歩く博美先生は、振り返り親指を立てた拳を着き出す。
 グッドラックだ。
「しっかりと学校に、許可は取ったからね」
 隣で麗太が溜息混じりに呟く。
「そうじゃなきゃ困りますよ」
「まあね」
 見たところ、なかなか波長の合った生徒と先生のように見える。
 博美先生みたいな人が担任だったら、きっと毎日が楽しかったんだろうなぁ。

 僅かしかない遊具から離れた、校庭の隅の影。
 私達はここで歩を止めた。
「ねえ、そろそろ何をするか教えてくれてもいいんじゃない?」
「ああ、そうだな」
 彼は持っていたバックの中を漁り出す。
「あった」
 そう言って、彼がバックから取り出したのは、ゴムで強引に止められたメモ用紙の束。
 紙同士がボロボロで、バサバサにかさばっている。
「これ、俺が喋る事の出来なかった小五の頃に使っていた、大切な会話道具。今の俺には、もう必要ないから」
「ああ、懐かしいわね。そっか、あの頃は麗太君、これで会話してたんだよね」
 隣で見ていた博美先生も、持っていた鞄から何かを取り出した。
 彼女が出した物。
 それは赤い丸つけペン。
「皆のテストの採点をする時に使っていた物で、麗太君の担任をしていた頃から、インクの交換を繰り返して使ってたの」
「俺にとっては、容赦なく答案に付けられたバツ印が印象的でしたけどね」
「うん、容赦なく付けてた。あれは気持ち良かったわぁ」
「それじゃあ、私も」
 続いて、苗さんもポケットから何かを取り出す。
「私は、これ!」
 彼女が手に持っているのは、瓶のコーラやサイダーの蓋になっている王冠。
「婆ちゃんが死ぬ前にくれた、サイダーの王冠」
 婆ちゃん、というのは、おそらく話に聞いた駄菓子屋の元店主の事だろう。
 麗太も小学生時代にお世話になったと聞いている。
「梓は何を持って来た?」
 咄嗟に麗太は、私へ質問する。
 昨日の夜に連絡をして来た、もういらなくなった、それでいて思い出深い物。
 私も持っていたバックからピンク色の携帯を取り出した。
「携帯?」
「そう。高校三年間、使い続けた携帯電話」
「へぇ、三年間。物持ち良いのね。私なんて携帯を強く開いちゃって、逆パカした事が何度あるか」
「今は、もう新しいのに変えちゃいましたけどね」
 手にあるピンク色の、古びた携帯。
 中身の写真やアドレス、その他のデータは今の携帯に写してあるけれど、三年間も持ち歩き続けた、思い出の品。
 麗太のメモ用紙の束、博美先生の丸つけペン、苗さんの王冠。
 皆が手にしている物、それぞれに深い思い出が詰まっている。
「あ、来たな」
 校門の方を見る麗太の目線の先。
 そこに二人で歩いて来る男女の姿がある。
 一人は麗太のようなタイプとは、また違う、どこかヤンチャしてそうな風貌。
 もう一人は、それとは対照的に、どこいでもいそうな普通の可愛い女の子。
 どこかササちゃんに近い風貌がある。
 二人はこちらへ来ると、まず私の方を見た。
「どうも、いつも麗太が世話になっているようで」
 礼儀良く頭を下げる、ヤンチャな風貌の少年。
「ああ、いやいや。逆にこっちが世話を掛けちゃってる、みたいな」
 彼の隣にいた女の子が、綾瀬の腕を抱く。
「もう、綾瀬。緊張し過ぎだって」
「いや、だって麗太の彼女が来るって言うから」
 彼の隣にいる彼女は、私に軽く会釈する。
「なんか、すみません。綾瀬、年上の女の人には、苗さんにしか耐性なくて」
「え?! そうだったの?!」
 隣で聞いていた麗太は、素っ頓狂な声を上げて、彼をからかう。
「おいおい、マジかよ」
 続いて苗さんも、彼に参道する。
「へぇ、意外と可愛いところあるじゃん」
 このこの、と彼の頭をグリグリと撫でる。
 それを見ていた私と博美先生は、つい愉快な気持ちになって、互いに吹き出してしまった。

 この二人が麗太の話に聞いていた、光原綾瀬君と天美マミちゃん。
 小学生の頃からの仲良しで、もう五年は付き合っているというのには、正直なところ驚いた。
 ところで二人が持って来た物は何だったのか。
 先に見せたのは、マミちゃんの方だった。
 小さなテディベアのストラップ。
 小学生の頃、親友とお揃いで買った物らしい。
 何でも、今日ここに持って来たのは、その親友が持っていた方のストラップ。
 自分の分は、未だに携帯に付けているらしい。
 続いて綾瀬君が持って来た物。
 それは未来の自分へ宛てた手紙だった。
 その場にいた誰もが、その意外性に驚いたのは言うまでもない。
 それでも最後には皆、しっかりと彼の事を理解しているように見えた。

 皆で持ち寄った、それぞれの品。
 それをこれからタイムカプセルとして、この校庭の隅に埋めるのだそうだ。
 これが麗太の言う親友、綾瀬君の我儘。
 もう一度、皆でタイムカプセルを埋めたかったそうだ。
 タイムカプセルに使うのは、煎餅の詰め合わせ等に使われるチープなアルミの箱。
 実はこれが、けっこうタイムカプセルとしての活用性が高いそうだ。
 それぞれに持ち寄った物を敷き詰めて蓋を閉め、何重にも袋を重ねた。
 麗太と綾瀬君が、学校から借りたスコップで、手際良く穴を掘っていく。
 大体、七十センチ程の深さまで掘った後、袋で厳重に縛ったタイムカプセルをゆっくりと土の中へ降ろし、後は皆で一斉に土を掛けた。
 作業の後、麗太は皆に尋ねた。

そういえば、これ何年後に掘り返すの?

 俺は十年後っていう設定で手紙を書いたんだけどな。

 十年後か……私も、ついに四十路過ぎかぁ。

 十年後には、私も綾瀬と結婚とかしちゃってたりして。

 ちゃんと駄菓子屋から卒業出来てると良いんだけどなぁ。

 なあ、梓。
 梓は、俺との、どんな未来を想像する?

 私は……。
 ただ、麗太といられれば、それで良いよ。
 今、ここにいる皆も……地元にいるササちゃんや店長の皆と一緒にいられれば、私はそれだけで幸せ。
 だから亡くなってしまった、麗太の母さんや優子ちゃんの分まで、私が麗太を幸せにしてみせるから。

  =^_^=

 十年後、この場所に皆で集まって、タイムカプセルを掘り返す。
 そう約束し、私達はこの場所を後にした。
 私達の道程は、きっとこれからも続いていく。
 どこまでも、ひたすら先へ。
 ただ未来の向く方向へ。
 たかだが今年で二十歳の私が、人生なんていうものを語るには、まだ早い気もする。
 きっと、これからも長く険しい道のりは続いていくのだろう。
 それでも私は、麗太や仲間達と一緒なら、これから先、どんな未来でさえ素敵なものだと想像する事が出来た。
 だから私は進み続ける。
 皆と共に、未だ岐点にすら達していない、この長い道程を……。

Epilogue Run to the future!

 夜空を見上げれば、視界に広がるのは暗闇に点々と光る幾数の星々。
 街の夜景に負けじと、それぞれが小さな輝きを放っていた。
 川の向こう側に見える、隣町の夜景、その向こう側に見える明かりで夜の暗闇を照らし続けるビル群。
 小さな光、大きな光、全てが夜の中で輝き続けていた。
 土手の斜面の芝生、隣に座る彼女は呟く。
「綺麗だね」
「うん」
 星の形や名前の知識なんて、俺にはないけれど、この景色を梓と見れただけで、俺は充分に満足している。
「いつか、また一緒に見に行きたいね」
「うん。いつか、また一緒に来よう」
 今日、綾瀬達とタイムカプセルを埋めた後、俺達は各々に別れて帰路に付いた。
 本当なら駅に行って、そのまま帰るつもりだったけど、帰る前に一度だけ、この景色を彼女に見せてやりたかった。
 タイムカプセル、綾瀬達、そしてこの景色。
 あの日、優子にも見せてやりたかった。
「さあ、行こうか」
 終電までには、まだ時間はあるけれど、早めに行って損はない。
 俺は立ち上がり、梓に手を差し伸べる。
「ありがとう」
 俺の手を取って立ち上がり、二人で歩きだそうとした時、舗装された道路、俺達の座っていた近くに佇んでいる男がいる事に気付いた。
 スーツ姿に、手に持っているのは黒い鞄。
 年齢を見たところ、三十の後半か四十程か。
 俺達二人と同じ様に、彼はただこの景色に見入っていた様に見える。
 俺達が彼の存在に気付いた事を察知したのか、彼はこちらに視線を向ける。
「珍しいな。ここに、若い男女が二人で来るなんて。いや、今だから珍しいのかな」
 口調は穏やかで、目線は俺達を向いているものの、実は別の、どこか遠くを見ている様にも見えた。
「星を、見に来たんですか?」
「うん、そうだよ」
 彼は頭上に広がる夜空に人差し指を向け、俺達に問い掛ける。
「君達、あれがどんな星か知っているか?」
「いえ、俺は星に関しては何も」
 梓も愛想良く笑いながら答える。
「私も、あんまり」
 男は頷き、夜空を示していた指を下げる。
「今日は、きしちょう座ベータ1星が見える日だ」
「きしちょう、鳥?」
「そう。今日の星座は、きしちょう座なんだ。最も、俺には、これと言って星の知識はないから、昔、友人に教わった程度の覚えしかないけどね」
 男は言葉を続け、俺達に語り掛ける。
「きしちょう座の星言葉。恋多き行動力。若いうちに、恋は多くしておく事だ。いろんな行動も出来るし、いろんな経験も出来る。嬉しい時もあれば、傷付く時もある」
 だからこそ、いろんな事を経験して後悔のないように過ごしておきたかった。
『誰だって……後悔だけはしたくないからね』
 後悔。
 その言葉を呟いた時の彼は、どこか物悲しくて、切な気な表情を浮かべていた。
 男は最後に、こう語る。

 後悔したままじゃ、いつまで経っても大人にはなれない。
 嫌な事を忘れたり、諦めてしまう事は、大人になる事じゃない。
 だからこそ俺達は、常に未来を目指していた。
 ただ、がむしゃらに先の見えない未来だけを目指して、全力疾走をしていたよ。




To be continued in The future.

Remember me? ~teenagers~

一部、二部、と二つの物語が終わりました。
本当なら、この後に三部「Adults」を予定していたのですが、それは私の文章力や知識の未熟さ故、断念せざるをえませんでした。
今後、また新しい物語を公開していくつもりです。
次回作は、これまで以上に内容の整った、最も長い物語になると予定しています。
今まで以上に、質の高く良い物語を、再び読者様へ届けられるよう精進しようと思います。
これからも、よろしくお願いします。

Remember me? ~teenagers~

前作LITTLEから七年。 それは、――――の死から七年が経過したという事を意味していた。 都心の高等学校へ進学した麗太は、新しい仲間に囲まれ、どこか物足りなくも平々凡々な日々を過ごしていた。 一方、麗太が小学生時代を過ごした地方の街。 そこの高校進学を自ら拒否し、バイトに明け暮れる綾瀬も、麗太と同様に日々を過ごしていた。 しかし、過去の記憶は二人を離さない。 過去に囚われた少年二人の物語が始まる。 主人公達の高校生時代を描く「LITTLE」第2作目。

  • 小説
  • 長編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-04-07

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. Prologue Reminiscence
  2. Episode1 Reita Sayahara
  3. Episode2 Ayase Mitsuhara
  4. Episode3 Boys will be boys
  5. Episode4 Sasami Sasadaki
  6. Episode5 Run for your lives!
  7. Episode6 Azusa Sakakibara
  8. Epilogue Run to the future!