ギフテッド

ギフテッド


 プロローグ


女は立ち止まり、またあの感覚が来たことを知った。忘れようとした感覚、忘れようとした思い。忘れたくても忘れられない記憶。
――嫌だ。嫌。
 女は思う。
――もうたくさん。
しかし女は自分がまた立ち向かわなければいけない事を知っている。それが女の運命なのか。それは誰も知らない。

 管理人である中原達夫は軽トラックのエンジンを止めると、しばし森の音に身を浸した。ドアを開けると、暖房の効いた車内に冷ややかな空気が混じり肺を満たしていく。
 軽トラックの前、白が広がる世界は中原が去年買ったキャンプ場だ。高校を卒業し、地元の自然観察員として過ごした後、北海道のキャンプ場に働きに行った。そこでは様々な経験をした。初めてキャンプ場の近くの森で羆に会ってその大きさ、檻越しで見るのとはまったく違う生々しさに興奮、緊張しパニックになったのを覚えている。もちろん中原は自然のカモシカや猿にあったことはある。でも羆はそれらとは違うし、テレビを通して見るのとも違った。隣で猟銃を持ったハンターにそれを悟られまいとした。舐められるのが嫌だったというのもあったし緊張がハンターに伝わると良くないと思ったからだ。そしていつしか羆の姿にさえ慣れた自分がいることに驚いた日。「調査」と称して真冬に雪の中を分け入ったが日帰りの予定が遭難してしまいビバークしたテントで見た一人ぼっちの夜空。自然は美しくも怖くもあったった。
――本当は遭難を望んでいたんだろうか? 何かをつかむ為に?
 中原は思う。夜空は自分の生命の先にあった。そして自分も自然の中の一人であり、神を感じさえした。でもそれは後から思ったこと。その時に思ったのはただ言葉が失われた感覚だった。
 畏怖の情念。それは長い間祈り続けたイスラム教徒がユダヤ教徒がキリスト教徒がそれぞれの祈りの場所で感覚するものかもしれなかった。「ただの思い込みかな?」妻には言ったがそれは、恥ずかしかったからかもしれない。
――自然が俺の祈りの場所なのかもしれない。
 言葉に出してしまうと、思いは時に平凡な言葉になってしまうのだろう。しかし平凡な言葉こそが場合によって大事なのだ。夜空の下では人間と動物の区別もなかった。平等さえなかった。ただみんなが宇宙の中にいるだけだった。そして私たちは宇宙そのものなのだ。

 中原はつかの間の追想からもどりトラックのドアを開ける。森は雪解けが始まっていたがまだ、町に比べると地面にも管理棟の屋根にも雪は残っている。僅かに溶けた管理棟の赤い屋根が早春の日差しの中で輝いている。解けた沢の流れと森を抜ける風の音。そして重みに耐えられなくなった雪が木々から落ちる音だけが聞こえる。
――まだ、少し早かったかな?
 中原は思う。キャンプ場は街から一時間走り、そして近くの集落へ着き、そこから県道を曲がり未整備のキャンプ場へと続く、道路を三十分も走った森の奥にあった。このキャンプ場を買ったのには訳がある。まず生まれ育った県にあるということ。静かなこと。そして一番大きいのが安かったことだ。

「あの事故のことは知ってるよね?」キャンプ場を仲介した不動産屋は言った。キャンプ場が売りに出されていることを、中原は前の職場のアウトドアショップで働いているとき聞いた。それは中原が何度か行ったこともあるキャンプ場で、以前の管理人であるベテランの大沢という人がが痛ましい事故で亡くなったキャンプ場だった。
 事故のことはすぐに噂になった。木材を加工する電動のこぎりによる不可解な事故、「まるで生き物のようにのこぎりが向かっていったとしか思えない」饒舌な不動産屋は言った。あるいは殺人じゃないかとの噂もあった。酒場で店の裏側で他人には聞かれない場所で噂は広がっていった。大沢さんが木材を加工していた場所は、倉庫の隣の作業小屋で警察による鑑定では漏電と大沢さんの不注意だということだった。
 不注意? 信じられなかった。中原は生前の老齢ながら良く笑いよく動いていた大沢さんの姿を思い出す。電動のこぎりは大沢さんの首を半分切り、おそらくのこぎりを取ろうとした手のひらを傷つけ、中指を落とした。のこぎりは下腹部に刺さったまま婦人である由美子さんに発見されるまで大沢さんの下腹部でうなりをあげていたそうだ。「普通は手を離しても動いてることなんて電気のこぎりの構造上ありえないんだよ」誰かが言った。「呪われてるよね。映画みたい。13日の……」そしてまた誰かが。

 中原は気にしないことにしたが、それでもやっぱり気になった。「本当にいいの?」嫁は心配そうに聞いた。中原はわからなかった。中原は霊感を感じたことは無かったし、UFOさえ見たことが無かった。キャンプ場には昔からの古い建物の他に真新しいコテージがあった。とてもお洒落なつくりだった。ヨーロッパ風とでも言うのかアーリーアメリカンとでもいうのか都会のカフェとしても使えそうな感じだった。一目見て気に入った。「あれはねえ、けっこうお金かかったみたいですよ。ほとんど大沢さんとその知り合いの方で作ったみたいですがね」不動産屋が言う。炊事場、エントランス、シャワー室等、本当に細かいところまで管理は行き届いていたから自分はそこに行くだけであとは何もしなくて引き継げた。
 「お父さん、あれなに?」
家族でキャンプ場に線香をあげに来たときのことだ。帰ろうと車に乗り込むとき息子が言った。指差す先には何も見えなかったが息子には霊が見えたそうだ。
「隼人。ホントなの?」
 妻の葵が聞く。頷く隼人。中原は、霊をまったく信じていないかというと、そういうわけでもなかった。テレビで夏にやってる怖い話の番組なんか好きだったし、UFOも見たかった。でももちろん大沢さんの霊を見たいわけはないし、第一、考えることも不謹慎だ。
「隼人。お腹すいてない?」
 帰りに寄ったマクドナルドで息子はいつもと変わらずにハンバーガーを頬張っていた。
――あんまり気にすることも無いかな?
 その時は、まだキャンプ場を買うか決めてなかったから、子供の直感みたいなものを信じて買うのをやめるのも一考しようと考えたのだ。
――もし買うとなったら作業小屋はしばらく入らないようにしよう。
 そして中原は自分のチーズバーガーを頬張った。

 中原はまだ雪残る大地を歩き管理棟の鍵穴に鍵を差し込んだとき嫌な感じがした。電気が流れたとでも言うのか。
――気のせいさ。
 そう頭では思ったが、気のせいで片付けるられるような感じとは明らかに違うと体は言っている。「逃げろ。今すぐに」体は言っているような気がした。中原は後ろを振り返って意味も無く軽トラックを見ても、ただ雪の上に乱れた直線が続いているだけだった。「お父さん。あれはおばけ?」あの日に帰りの車内で隼人が言った一言が突然に聞こえた。
――落ち着け。霊なんかじゃ無いったら。
 中原はガラスが嵌め込まれたドアから管理棟の中を覗いたがカーテンがかかってよく見えなかった。中は暗く。何も見えない。

「おおい。誰かいるのか」
点検と偽って怖さを紛らわせるためキャンプ場をぐるっと回った後、もう一度、管理棟に向かってようやく鍵を開けた。嫌な感じは無かった。そして誰もいるはずは無い、馬鹿なことだと思いつつ管理棟の中、受付の裏にある明かりを付けるためにスイッチに行く前に、ドアの開けたまま中に向かって大声を出した。管理棟の中には食堂というか本棚やトランプなど雨の日でも楽しく過ごせるような大きなテーブルいくつかと椅子があったが開けたドアのせいで見えるようになった。
「いたら。出て来い。警察には言わないから」
 自分が子供になった気がした。声を出すことで恐怖が具象化したように思った。あの見えない奥のキッチンに何かが誰かがいると思って声を出した。そいつはナイフを持っていて俺に襲い掛かるだろう。なぜなら、そいつは異常者で冬の間、ここで寒さをしのぎ倉庫の食料を食べていたのだ。そんなのは妄想だとわかっている。長い間、空気の入れ替えをしなかった場所特有の匂いがしたからだし、荒らされた雰囲気も無かった。
「いたら。俺が帰ったら、出てってね」
 自分が馬鹿になった気がしたが笑えなかった。そのときだった。見えない何かが動いた気がした。土地の観光用のポスターが水を通して見たように揺れたような気がした。それは空気は風のように動いたが風ではなかった。それがテーブルと壁の間の通路で固まって目に見える何かに変わる予感がした。中原は、なぜか懐かしかった。子供の頃、そして大人になっても恐れていた正体のわからないままだった幽霊、モンスター、物の怪にやっと会えるという不思議な感情。ウルトラマン。あの怪獣に今やっと会えるのだ。やった本物だ。
うれしいな。
――嘘です。私はそんなもの見たくない。会いたくない。嫌です。神様。嫌ですお願いです。ごめんなさい神様。
 その見えない何かは、通路にいて中原を見ていた。中原には分かった。
――俺を見ている。俺を殺すかどうか考えている。いや、何も考えていない。ただ見てるだけだ。
 中原は動くことが出来なかった。逃げても追いつかれると知っていたが一瞬後、体は勝手に動いた。 意思とは無関係な体の原始的な生存本能。気づいたときには玄関で転び、雪の上に転がっていたが雪と恐怖で足が震えてうまく立つことが出来なかった。
――まるでお笑いタレントのリアクションみたいだ。
 頭の片隅で思った。分かっていても立ち上がることが出来ない。背中に気配を感じる。あいつが近づいてくるのが分かる。
――逃げろ。逃げなさい。逃げなくては死ぬのですよ。
 頭の片隅は冷静だったが、本能に従っていた体が今度は邪魔をしている。見えない影はゆっくりと中原に近づいていった。ゆっくり。しかし確実に。中原が雪の上で立ち上がることに成功して軽トラックまで近づいたとき、その影は中原の体に入り込んだ。

 美咲はベッドの上に座りその方角に目を向けた。その能力が世間で超能力と称されるものであろうことは知っていたが、自分にそんなものがあるとは認めたくなかったし、一時的なもの大きくなれば消えてしまえばいいといつも思っていた。幼い頃、母親に言ったらしい。
「ひーおばあちゃんが、もうすぐいなくなるかも知れない」それから一ヶ月、たたないうちに山梨に住んでいた、ひいおばあちゃんが死んだ。老衰でいつ死んでもおかしくなかったから両親は偶然だろうと思ったらしいが、それは多分違う。美咲には、ひいおばあちゃんが死ぬと予言したことを覚えてなかったが小学生になりそのことを聞かされたとき思ったのは「小さい頃から私はその能力があったんだ」ということだった。

 二度目の予言は両親には言っていない。友達のミヨちゃんのお母さんが自殺したことだった。「ああ、もうこの人は世の中にいなくなるんだ」ミヨちゃんの家に遊びに行ってミヨちゃんのお母さんを見て美咲は思った。誰かに言ってはいけない気がしてミヨちゃんにも誰にも言わなかった。そして去年、フルートのレッスンに行った帰り、吉祥寺の駅で階段で若い男の人とすれ違ったときのこと。「この人は自殺するんだ」美咲には分かった。駅ビルの本屋で時間をつぶしていたらしばらくして電車が止まり駅員が乗客に説明していた。ああやっぱり美咲、は思った。そして今度はもっともっと大きいこと。
 おばけ。おばけじゃない。でもそんなもの。もっと人を殺すかもしれない。それは、もうお年寄りを殺した。たぶんそう。新聞でそのことが載っていないか調べたが分からなかった。「あんた新聞なんて読むの?」母親は言ったが美咲は黙っていた。場所は北のほう。山の近く。そいつは人間じゃないけど、人間の形をしている。美咲は考えようとする気持ちと考えまい、気のせいだとしようとする気持ちの両方があった。そんな遠くで起きてる夢みたいなことなど私に分かるわけが無いじゃない。遠くのほうでおばけが人を殺そうとするなんて。だけど分かるのだ。今日、両親に言おうと思った。でも言えなかった。両親は私がおかしくなったと思うだろう。あるいは警察に言ったらいいのだろうか? 警察だったら何とかしてくれるかもしれない。北のほうに変なものがいるよって。私自身にさえ、なにか分からないのにこれから殺される人のことをどうやって警察に伝えたらいいのだろう? そもそも信じてもらえるのか。
――私には関係ない。
 美咲は思う。なんで私なの? ベッドに入り電気を消すとそいつがやってくるような気がした。「お前を食うんだよ。お前をね」そいつは美咲の想像の中で言っている。美咲はベッドから跳び起きると茶の間の両親まで駆けていって洗いざらい話した。はじめからすべて。ひいおばあちゃんのこと、自殺する人が分かったこと。唖然とする両親の顔。美咲は知らない間に泣いていたが恥ずかしくなかった。ただすべてを両親にしゃべりたいだけだった。
苦しみを吐き出したいだけだった。
「美咲……」
 お母さんが私の頭をなでた。そして話し始めた内容に美咲はびっくりした。
「そのおばけには私が小さかった頃、会った事があるの。おばけ――私は『幽霊』と名づけてたけど、私が『感じる』ことを知っていたと思う。でも幽霊にとって私は重要じゃなかったんでしょうね。何もされなかった。群馬に温泉があって私は母親と――美咲のあばあちゃんと温泉に入っていたの。紅葉がきれいでね。でも子供って温泉ってあまり興味ないでしょう? 私がつまんないなあと思って腰掛けてたら温泉に何かがいるの感じがした。変なもの。そこだけ風景が歪んでるみたい。でもそれは人間の形をしているの。他人にはそう見えると思う。たぶん取りつかれているって言うんでしょうね。そいつはおばさんに取りついていた。それで私のほうをじっと見てるの。目では見てないのよ。おばさんは景色を見てたんだけど、私のほうを見ている。怖かった。おばあちゃんにも温泉出たいって言えなくて、どうしようかと思った。だから別の湯船に行っておばさんがあがるのを待ってた。お風呂から上がったと両親と食事をしようと温泉のレストランに行ったときにも、そのおばさんはいてね、私を見てた。おばさんにも子供がいたのを覚えてる。でもそれっきりだけどね」
「おじいさんを殺したのはそのあばさんなの?」
 美咲は聞く。
「たぶん違うでしょうね。だって人間に取りついてるだけで、『幽霊』は誰にも乗り移れるの。もしかしたら私がドラマや本で読んだ、怖い話と現実が混ざってる部分があるかもしれないけどそんなには間違っていないと思う」

 中原はバイト先のコンビニの休憩室の椅子に座りしばらく動かなかった。冬の間だけバイトをさせてもらっているコンビニだった。椅子に座って深く腰をかけ動くことが出来ない。それは肉体の疲労のためだけでは無かった。心労。そう心労といえばよいのか。自分でも良く分からない。先週、キャンプ場に行ってからどうもおかしい。不思議なのは、キャンプ場から街に帰ってくるまでの記憶が無いことだった。街に入り見慣れた交差点で信号待ちをしているときアッと気づいた。目が覚めるような感じで、一瞬、俺は寝ていたのかと思ったけど眠気は無かった。心臓が高鳴り体中に汗をかいたようなまま、信号が青になった。車を発進させたが後ろからのクラクションも無くそれほど自分がおかしな行動をとっていないとわかる。ファミリーレストランの駐車場に入って息を整えた。
――何が起こったのだろう?
 中原は斜めに駐車された車の中で考える。心臓はまだドクドクしていて自分がどこにいるか分からないような感じだった。何かおかしい。何かおかしいが自分でも分からない。そんなことを休憩室の椅子でぼんやり思い出していた。キャンプ場の借金がまだ払い終わってなかった。冬の間は雪が多くキャンプ場を開けておくことが出来ない。妻の葵にも別の場所でアルバイトをしてもらってる。中原は自分の夢、(良く言えばだ)悪く言えばわがままなのだと自分で知っている、のために家族が犠牲になっているかもしれないことを考えると胸が痛んだ。「キャンプ場に引っ越してしまうのはどうかしら? 別に住めないわけじゃないし、冬の間もキャンプ場をオープンさせておくことが出来る。隼人が学校に行くのが大変になるだろうけど、どうかしら?」と妻は
言う。悪くない提案だと思うし、大賛成だった。だけど冬の間にそれほどお客が来るとも思えなかった。借金。借金。もちろん買うときにキャンプ場の借金を月にいくら返していけばいいか計算した。そして足りない分は自分がアルバイトをすれば大丈夫だと分かった。
――ただ疲れているだけなんだ。
 自分をそう納得させられなかった。
――あのキャンプ場で俺は何かを見た。そう幽霊だ。あれは大沢さんの霊だったのだろうか?俺がキャンプ場を買ったことを怒っている? まさかそんなことでは無いだろう。ではなんだ?
 あれは間違いなくリアルな体験だった。空気が動いた。色の無い見えないものが動いたのが見えた。それを思い出すと中原は寒気、恐怖、風邪を引いたときに体中に感じる悪寒を感じるのだった。あれはなんだ? 中原は思う。分かるわけは無かった。ウルトラマンの怪獣と思ったのを良く覚えている。怪獣に会えるのだと。すると突然、あの日の管理棟の玄関に自分はいた。何かが俺を見ている。そいつはああそいつは俺を……中原は椅子に座ったまま休憩時間が過ぎても、もう一人のアルバイトが呼びにくるまでそこを動けなかった。

 美咲の母である奈々子は自分がその場所に行かなくてはならないと直感した。そうあのあばさんに乗り移った『幽霊』にもう一度会うために。何のために自分がそこへ行かなくてはいけないか分からなかった。あるいはこれから殺されるであろう人を助けるためか。あるいは自分が犠牲になって世界を救うためか。
――私が世界を救う?
 まるでお笑いだった。自分が世界の救世主になったつもりでいるのか? 奈々子は知っている。『幽霊』を消すことは出来ない。ただ……。その先のことは奈々子にも分からなかった。『幽霊』は乗り移る相手を探している。それはきっと強い力を持った者だ。幽霊は美咲のことを知っているのだろうか? 美咲が持っている力。すごく強い。私が持っている力。行きたくない。でもそこへ行かなくてはならない。北。北のほうだ。雪がとけ始めたら幽霊は動き出すだろう。

 中原は家族が寝た後、テーブルに座ってテレビを見ていたが頭は見てはいなかった。別なことを考えていた。夕食のとき、それは恐ろしい衝動だった。妻と息子を殺したい、首を絞めたいという強い衝動。それは熱い欲望となって自分の体を震わせた。コロセコロセコロセ。妻は食事の後片付けをしていて、息子はゲームをしていた。妻を殺し、息子を殺すんだ今すぐ。どこかで誰かが自分に命令している気がした。その命令は強く、否定するのが困難な感情だった。殺すことはすばらしいことに思えた。妻がこの世からいなくなる。なんてすばらしいのだろう。中原は思った。食器を洗っている妻の後ろに立つ。妻は俺の殺意に気が付かないだろう。気が付くわけは無いのだ。その無防備な妻の首に手をかける。生生しい首の柔らかい肉の下に血管と気道が通っている。それを握りつぶすのだ。妻は暴れるだろう。唖然とするだろう。俺が何をしてるかわからないだろう。その時。俺は愉快な気分になるに違いない。暴れろ暴れろ。お前は死ぬのだ。男の力に逆らえるわけは無い。中原は息子の視線を感じる。恐怖で動けなくなった隼人。「お前も殺す!」そう俺は隼人に言うだろう。あるいは笑いかけるだけかもしれない。そう考えると気分が良かった。そして今すぐ実行しなければならないと思った。それがまったく正しいことに思って立ち上がりかけたとき何かが俺を抑えた。
――お前は騙されてるだけだ。お前は操られてるんだ。
 その声は自分の理性だったかもしれない。あるいは社会の倫理? 中原はあれはなんだったのかと思う。分かっている。キャンプ場だ。あそこで何かが起こったのだ。あの見えるようで見えない空気のような化け物。そいつは俺に魔法のようなものをかけたに違いない。あるいはここにいるのかも? 中原は自分の頭上を見上げたがアパートの蛍光灯と天井が見えるだけだった。
――医者に行ったら良いのか、占いにでも行ったら良いのか?
 中原は思った。
――神社に行こう。明日、神社に行ってお祓いをしてもらおう。
 中原は椅子から立ち上がり冷蔵庫から缶ビールを取り出すと喉に流し込んだ。きっと不味いだろうと思ったがいつもと、変わらない味がして涙が出そうになった。

「あなたキャンプに行かない?」
奈々子はそう夫に提案を始めた。いや提案じゃない。絶対の要求だ。キャンプ場に『幽霊』がいる。昼間にテレビを見ていた。リポーターが田舎から季節の便りを紹介するよくある番組だった。奈々子はそれを見て、ここに『幽霊』いるに違いないと思った。そして『幽霊』も私が見ていることを知っているかもしれないと。画面の遠く山の中だ。そのキャンプ場へと続く道路の近くの畑でリポートをしていた。陽気なリポーターが春の訪れを教えている。奈々子はこれも運命なのかもしれないと思った。誰かがこれを見せているのだ。それは『幽霊』なんかじゃない。もっともっと宇宙的なもの。
――神?
 そうかもしれなかった。
――幽霊の次は神ですが? ずいぶん忙しいこと。
 心の中で誰かが悪態を付いた。神でもなんでもかまわない。私はあそこへ、行くのだ。私だけじゃない。美咲も行かなくてはいけない。美咲。美咲のことを考えると奈々子は悲しくなった。どうして美咲なんだろう? 私だけじゃいけないのだろうか? 幽霊が狙っているのは美咲なのだ。それが奈々子には分かる。いや、幽霊は気が付いているんだろうか? 美咲の力の大きさを。そして私の持っている力を。とりあえずキャンプ場に、行かなくてはならない。そこに行くまでに距離が近くなれば何か感じられるものが多くなるような気がした。
――神様。
 奈々子は祈る。助けてくださいと。そして自分の運命を呪うとともに愛し始めた。

 中原は遠くで誰かが自分を呼んでいるような気がした。南のほうだ。東京。東京で二つの魂が俺を呼んでいる。そいつらは俺に会いに来るだろう。
――そいつらを殺すんだ。いや大人だけだ。子供はパワーを持っている。お前はそいつと性交しなければならない。そいつと赤ん坊を生むのだ。赤ん坊はより大きなパワーを持つことだろう。お前のエネルギーと子供のエネルギーが合わさればより大きなパワーを生むのだ。そして世界を立て直すのだ。この世界をお前と子供と赤ん坊、そして新たな仲間も手に入れ未来を作るのだ。それはきっとすばらしいものになるだろう。
 中原は自分が東京に住んでいる子供と性交をするのかと思うと、胸が高鳴った。そして自分が毒物になった気がした。
――子供と? 俺は何を考えているんだ。
 それでも思いは止まらなかった。性交は素晴らしいものに思えた。きっと子供は満足するだろう。俺のものが子供の中に入る。子供は嫌がるかもしれないがきっと分かるだろう。間違いでないことを。中原はむずむずしてマスターベーションをしたくなった。
――お前は腐ってるよ。自分のしようとしている事を考えろ。
 中原はどうしたらいいのか分からない。
――死んでしまったほうが良いのだろうか? 俺の中に取り付いている奴。そいつと一緒に死んでしまったほうが良いのではないか?
 きっと練炭で自殺すれば楽に死ねるに違いない。中原はさっきから同じところを堂々めぐりしていた。死にたい。死にたくない。死にたい。生きていたい。二つのパワー。それは俺を良い方向に導いてくれるのだろうか? この俺の取り付いてる奴を殺すことが出来るのだろうか? その時、気がついた。大沢さんは殺されたのだ。大沢さんは取り付かれたのだ。取り付いた奴は次の獲物をキャンプ場で待っていたに違いない。それで……中原はまた、あの日、管理棟で自分を見ていた目を思い出す。
――あいつは大沢さんを殺したのか?
 中原は鏡の前に行って自分の姿をうつしてみた。いつもと変わらない自分がいるような気がしたが、やつれているような気がした。
――取り付いているやつは、俺を利用しているだけなんだ。もし赤ん坊が。子供の赤ん坊が生まれたら俺を自殺させるかもしれない。
 日に日に妻と息子への殺意は強くなってきていた。妻が俺を見る目。妻は警戒している。なにか不穏なものを俺に感じている。妻を殺したくは無い。どうしたらいいのだ? 中原は顔を手でぬぐうと無精ひげを感じる。
――髭を剃って熱い風呂に入ろう。
 そして中原は服を脱いだ。

 ゴールデンウィーク


 奈々子と夫、美咲は高速道路を降りると道の駅に車を入れた。キャンプ場はもうすぐそこだった。街を抜けて山を上がる。それは奈々子が子供の頃、あの取り付かれたおばさんに会った群馬の温泉のすぐ近くだった。
――『幽霊』はこの三十年何をしていたんだろう?
 奈々子は思う。私が知らないだけで人に取り付いていたのだろうか? 分からなかったし、そういうことに思いをめぐらせたま幽霊に会うのは危険だと思った。
――美咲の体には触らせるものか。
 奈々子は思ったが自信が無かった。帰りたくなった。なんで自分がこんな目に合うのか。奈々子は思い出す。「おかあさんがんばろうね」美咲の言葉。美咲は知っているのだろうか? 幽霊はあなたと、そう……セックスして赤ちゃんを作ろうとしている。それだけじゃない、それだけじゃ。奈々子は心が重かった。美咲に話しかけようとしたが何を話していいか分からない。無邪気にご飯を食べている美咲。あなた大変なのよ。窓の外の日差しは暖かかった。幽霊なんか知らずに、ここへ家族と温泉に来ただけだったら、どんなに幸せだったろう。私がしっかりしなきゃ。 そう思った奈々子はキャンプ場に行く前に神社に行っておかなくてはならないと閃いた。

 中原は覚醒した。4月29日。予約者名簿の一番上に書かれた今日の宿泊客の名前を指でなぞる。見高賢治。見高奈々子。他、子供一名。コテージ利用。――パワーだ。中原は思う。予約の声は女だった。 中原と女は互いに相手がどんな正体を持っているか知りつつ事務的な会話をした。「4月29日なんですけど予約できますか?」予約できますかだと? はっ! 予約できるに決まってる。俺はお前らをずっと待っていた。お前らのために素敵なプレゼントを用意してな。猟銃がいいか? ナイフが良いか?それとも素手で殺してやろうか? 「だいじょうぶですよ。何名様ですか?」「大人二人と子供一人なんです。コテージが良いんですけど。ホームページに素敵なコテージがあるって書いてあったもので」「ああ、見てくださったのですか。お勧めですよ。まだちょっと山のほうは雪が残ってますからねテントは避けたほうが良いかもしれませんが、この時期にテントで宿泊する方もいらっしゃいますよ」「そうですか。でも今回はとりあえず、コテージでよろしくお願いします」「わかりました。お子様もいらっしゃいますし、コテージのほうが良いと思います。では何時ごろいらっしゃいますか?」「たぶんお昼ごろには行けると思うんですが、東京から車なんでゴールデンウィークだと夕方になっちゃうかもしれません」「わかりました。お待ちしております」
 こいつも力を持っている。中原には分かった。しかし過信してるし、俺の力を見くびっている。中原は思う。この女に俺の力が分かってたまるものかと思う。女を油断させておいて子供を奪うのだ。男は殺しても良いだろう。そして子供と性交をするのだ。熱い迸るような濃厚なセックス! 中原は祈る。神でも悪魔でも無かった。いつか見た夜空、あのどこかに俺を選んだものがいるはずだった。そのものに俺は仕えたかった。命さえ渡すつもりだった。俺の命を使って成し遂げてほしい。パワーが欲しかった。それはもうすぐやってくる。
「セエエエエエクススウウウウウ!!」
 中原は雄叫びをあげた。

「これなあに?」
 そう奈々子に問いかけた美咲が愛しくて奈々子はこのまま時が止まって欲しいと思った。
――この子は、なんてきれいな瞳をしているんだろう。
 それでも急速に大人に成りつつある部分が表情の中に見え隠れする。
――この子は子供だと思ってたけど、いつのまにこんなに大人っぽくなってたの?
 その強い意志を秘めた表情は、今回のことで成長したのだろうか? あるいは母親である私にも気づかぬうちに美咲は大人に成りつつあったのだろうか? ごめんね美咲。気づいてあげられなくて。幽霊を感じることを教えてあげられなくて。もっと早くあなたに教えてあげるべきだった。
「破魔矢って言うの。貴方の味方よ」
「ふーん。お守りみたいなもんだね」
「そうね。離しちゃだめよ」
美咲はそれに見覚えがあった。初詣だ。近所の神社に初詣に行ったとき着物を着た女の人が持っていたような記憶がある。美咲は破魔矢を持って投げるしぐさをした。
――これにそんな力があるのだろうか?
 分からなかった。美咲はまだ会わぬおばけが乗っ取った人のことを考える。ホームページに載っていた若い男の人。
――この人もある意味で私と一緒なんだ。
 美咲は思う。家族の写真もあった。私より少し幼い男の子も一緒だった。二年生ぐらいだろうか? この男の人におばけが取り付いてるなんて信じられなかった。男の人が木をナイフで加工している写真。周りには同じような服を着た子供がいっぱいいた。ボーイスカウトだろうか? 野生のタヌキの写真。「タヌキに餌をやらないでね」と書いてある。美咲は破魔矢を握りしめた。
――美咲。やるべきことをやるだけよ。
 自分に言い聞かせて神社の鳥居を抜けた。

「皆さん、本日はキャッスルロックキャンプ場へ、ようこそおいでくださいました。今日はキャッスルロックキャンプ場の本年度初日であり、私が管理人になって迎える三回目の春でございます。そこで私、管理人の中原、妻の葵、そして息子の隼人から皆様にワインのプレゼントをご用意いたしました!」
 湧き上がる拍手。管理棟の中、大きなテーブルに座る宿泊客の目の前にはさっきまで中庭で全員で協力して焼いていた串刺しの肉があった。そして中原が近所の農家の方からいただいたと言うたっぷりの小松菜のサラダ。中原の妻手作りのパン。
 「本日は東京からバイクでお越しの三人の男の皆様。駐車場にあったかっこいいバイクはこの方たちのですね。私も妻の許しが出ればバイクの免許を取りたいのですが……」
 中原が悪戯っぽい目で妻を見る。怒った振りをする妻。宿泊客に笑い。
「それから車でお越しのそちらがカップルの木村様と中井様キャンプが大好きで、キャッスルロックに来ていただけるのは二回目です。いつもありがとうございます」
 立ち上がる木村と中井。
「そしてご家族でいらしていただいた見高さま。お待ちしていりました。それでは皆様、ごゆっくりお食事をお楽しみくださいませ」

「そのワイン、飲んじゃだめ」
 奈々子が小さな声で夫の賢治に言った。賢治はグラスにかけた手を止める。
「睡眠薬が入ってるかもしれない。あとで私がタオル持ってくるから飲んだ振りして染み込ませて捨てて」
 そんな二人を別のテーブルから中原がじっとこっちを見ていた。蛇のような目。奈々子の力をはかっている。なんでもお見通しという目だ。奈々子は怖かった。自分が中原の力を甘く見ていたことを中原に会って知った。
――力をセーブしていたんだわ。私が『感じて』いるのを知って。私は馬鹿だった。ここに来るべきでは無かった。食事が終わったら買い物をしに行く振りをして逃げてしまおう。
 奈々子はそう思ったが、それさえも中原は知っているようだった。

「どうなってるんだ! ちくしょう! ぶつかるところだぞ!」
 賢治は車のドアを開けて闇に向かって叫んだ。静かな森の中にエンジン音と賢治の声がこだまする。そこはキャンプ場からの県道へと出る未整備の道の途中で大きな木が道路上に行く手を阻むかのように横たわってヘッドライトに浮かんでいた。キャンプ場と国道の中ほど。叫んでも誰にも届かない深い深い森の中だった。
「ちくしょう!」
 夫が駆け寄っていって大木を退かそうとするが人間の力で動くような代物ではなさそうだった。車で押そうにも長い幹は他の木と噛み合って車のほうが負けてしまいそうだった。
――中原の仕業だ。
 震えてながらも冷静でいなきゃと自分に言い聞かせながら奈々子は思う。
――あいつは知っていたのだ。私たちが逃げようとすることを。
 愚かだった。馬鹿だった。見くびっていたのだ。中原の力。
「車を置いて逃げるか?」
 そう夫が車の外から奈々子に話しかけたとき闇の中から猟銃を持った中原が亡霊のように現れた。いや亡霊よりひどいものだった。

「皆様。お揃いでお出かけですかぁ?」
中原は笑った。中原が胸の前で持っている銃口がそれにあわせて揺れる。とても楽しいそうだった。悪趣味な女だったら好きになってしまうかも知れないと奈々子は思った。ニット帽を被りスノーボードをやる人のような服を着ている。目はランランと輝き頬は上気している。地獄の世界のカマキリがハイになっているように見えた。すごく気持ち悪いのだが奈々子は目を背けることが出来なかった。
「まあ、ハリウッド式に言うならぁ。パーティーは始まったばかりっていう感じですかぁ? うぅん? どうですぅ? パアアアアアティイイイイイイイイイ!!!!!!ほいほいほいどかーん」
 興奮した中原が引き金を夜空向けて撃ったので奈々子は耳が遠くなった。

「お前はな。ここにいるんだよ。なぜならな、雑魚キャラだからだ。そうだなホラーで役名も無くて死んでいく役者いるだろ? それがお前。でもなケビンベーコン知ってるか? ケビンベーコンは13日の金曜日に出てるんだぜ? 驚いたか? 答えろ! 見高!」
 中原の声色が急に変わった。顔は良く見えない。奈々子は両手を手錠で繋がれ美咲も別の手錠に両手を繋がれたまま車の前で背中合わせになって森を見るようにしていろといわれたからだ。夫が怯えているのが分かる。
――お願い。殺さないで。
 奈々子は思う。背中に美咲の体温を感じていたが美咲は平常心のようだった。我を失っているのだろうか? 奈々子は思う。お願いお願い。誰も殺さないで。奈々子は思った。そして怒りが沸いてくるのを感じ始めていた。そして夫は両腕の間にハンドルを通され手錠をかけられた。
「歩け。メスども」
 中原が銃口を奈々子の後頭部に付け促した。
「そっちじゃない森の中だ。パーティーは森の中って決まってるだろ? それとなあ、美咲。靴下の中にあるものをそこに捨てろ!」
 ああ。もう駄目だ 奈々子は呟いた。

「あれは狩猟のための掘っ立て小屋だよ。美咲。今夜は素敵な夜になりそうだね二人で忘れられない夜にしよね」
 森の中に明かりが見えた。美咲の引きつった笑い。それを聞くのは何よりも残酷だった。すべてをあきらめた笑い。自分もだめになりそうだった。
「破魔矢はなあ。おじょうちゃん。あれはイケナイ。危険なもんだ。子供の触るもんじねえ。おじさんはあれが大嫌いなんだ。食事中も靴下に入れてたんだねえ。おじさん、そんなことする美咲は嫌いだな。あれは触りたくも無い。だからポイ!
おしまい。ゲームオーバー」

『女は立ち止まり、またあの感覚が来たことを知った』
女は闇の中でこっちにやってくる音を聞く。中原、美咲、そしてわが娘、奈々子。
『忘れようとした感覚、忘れようとした思い。忘れたくても忘れられない記憶』
もちろんこれですべてが終わるわけではない。アレが消えるのはもっと先のこと。
ただ取り付くいている人から抜けさせるだけ。またいつかアレが戻ってくる
まで。遠い遠い未来。あるいは美咲が年をとったとき。
『――嫌だ。嫌』
すぐそこにアレはいる。
『女は思う』
私は知っている。
『――もうたくさん』
過去の記憶、そして現在。
『しかし女は自分がまた立ち向かわなければいけない事を知っている。それが女の運命なのか。それは誰も知らない』
それが運命なら……
女は弓を引いた。奈々子の母親であり、美咲の祖母である女。女は矢を放った。

中原は痛みの中にいた。胸が苦しかった。森の香りと木々の隙間から夜空が見える。なつかしかった。
――同じだ。
 中原は思う。
――あの日に見た夜空と。
 流れ星が見えたような気がした。幼い頃の思い出や初恋の日、悪友と露天風呂を覗いて警官に怒られた日が蘇った。みんなが中原の心の中にあった。大地はやさしく柔らかな布団のようだった。
――眠い。眠りたい。
 ただそれだけを中原は思う。
――俺は疲れすぎているんだ。

「奈々子! 早くキャンプ場に戻ってオートバイの人を呼んできて! あの人たちなら森の中を走って倒木を超えられるから! 集落の携帯の電波が届くところまで行ける筈だから! 早くしなさい!」
 奈々子は母親がなぜここにいるか分かった。母も感じるんだ。そして来てくれたんだ。『幽霊』は母のことだけは知らなかった。それは私が母が力を持っていることを知らなかったから。そう力は家系だった。母、美咲、私。きっと、ひいおばあちゃんも。
『幽霊』は中原さんの体から抜けた。破魔矢が刺さったままの中原から。
――命が危ない。
 奈々子は走る。
――間に合って。
 奈々子はそう思いながら闇の中をキャンプ場に向かって走り続けた。


 エピローグ


 美咲は自分の部屋に入ると中原さんから手紙をもう一度手に取った。大きなお腹の奥さんの葵さん息子さんの隼人君が中原さんを囲むように写っている病院のベッドでの写真とともに。
『拝啓 皆様お元気ですか? 私はご覧のとおりまだ病院ですが今日は外出許可が出ました。体を動かせる喜び、太陽の下で生きるすばらしさを今更ながら実感しております。すべて皆様のおかげです。ありがとうございました。ところで先日、お電話でお伝えした妻と隼人の手作り宿泊招待券、同封させていただきました。皆様で良かったら、もう一度いらして下さいませんか? 夏のキャンプは何と言っても最高です。そのおりはキャンプ場近くの素敵な温泉に案内させていただきますので。  
敬具 中原達夫』

 美咲は思う。きっとこうなるって信じてた。おばあちゃんがきてくれることそして破魔矢を拾ってくれること。あの日、中原さんの手術が行われてる夜中、不思議なものが見えた。赤ちゃんだ。それは葵さんのお腹にいる。「おかあさん。葵さん。妊娠してるよ」病院の待合室で警察の事情聴取がバイクのお兄さんたちに行われているとき、ベンチに座っている隣のおかあさんとおばあちゃんに言った。病院の外ではパトカーの赤い光が音も無く回っている。おばあちゃんは容疑者として警察署に行かなくちゃいけないのだ。
「妊娠?」「そう、葵さん。中原さんの新しい子供」
 おかあさんとおばあちゃんは互いに見合い首をかしげている。わからないのかな?
「あなた見えるの?」
「うん」

 美咲にはクラスにとっても好きな男の子がいる。梶原君だ。とってもハンサムで面白いから人気がある。梶原君が面白い格好をすると美咲はうれしくなる。そして胸がきゅんとなる。この前、梶原君がお笑いタレントの真似をした。あれはチョー面白くて美咲は涙が出てしまった。
――来年のバレンタインでーには梶原君にチョコをあげようかな?
 それを考えると美咲はどきどきした。
――好きになるってすごく不思議。
 美咲は思う。そうすっごく不思議。

 お父さんは最近、抜け毛が多くなって禿げを気にしています。いろんな養毛剤を試しているので洗面所に行くと臭いです。
「俺って雑魚キャラだからさ」
いじけるお父さんは困っちゃいます。あんまり気にしないのがいいのにと私は思います。お母さんは、あれっきり何も感じないのでうれしいと言っています。あまり怒らなくなったのは、私を気遣っているんでしょうか? 良くわかんないけど、別に普通にしててくれればいいのに。
 おばけがまた来たら……そう考えると怖いです。怖いときは破魔矢を手に持って目を閉じてお祈りします。おばあちゃんが遊びに来て山梨のお餅を持ってきてくれました。ひいおばあちゃんも好きだったそうです。私も大好き。
 以上 美咲でした。それではさようなら!


 おわり

ギフテッド

ギフテッド

よろしくお願いします。 ちょっと長めです。

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更新日
登録日
2013-04-05

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