真夜中に目が覚めた

真夜中に目が覚めた

決め手

決め手

 真夜中に目が覚めた。

 喉が少し渇いていた。サイドテーブルの上に置いたまま、フタを閉めていなかったペットボトルのお茶を一口、口に含みフタを閉める。

 足元の誘導灯を頼りにトイレに向かった。用を足しまたベッドに戻ると、ふとんを自分の身体にこれでもかと巻き付け、浴衣を腹の上までめくり上げて眠っている洋二がいた。

 ああ、そうだ。私は洋二と寝たんだ。洋二は会社の同期だった。一週間前、離婚して夫が家を出て行った。夫の浮気には薄々気付いていた。まさかその相手が妊娠し結婚まで話が及ぶとは思いもよらなかったが……聞いた時悲しいと言うよりやっぱりね、という感じだった。

 この春、結婚して六回目の春を……二人で迎えるはずだった。夫は結婚した時からずっと子供を欲しがっていた。私も人並みに欲しいと思っていた。

 けれど五年が過ぎ一向に妊娠の兆しが見られない私に夫は言葉にはしなかったもののすでに期待はしておらず……それが証拠に夫婦の間に夜の営みはなくなっていた。

 最後の夜、私は夫に頼んで寝室のベッドで添い寝をしてもらった。ひとつのふとんで眠るのは久しぶりだった。

 ふとんに入り電気を消すと彼はすぐに規則正しい寝息を立て始めた。そして一度寝るとほとんど寝返りを打つことなく、朝まで仰向けの姿勢のままだった。

 私は付き合い始めたばかりの頃を思い出していた。寝相のいい人だな、と思った。それが結婚の決め手だと言っても過言ではなかった。

「ギリッ、ギリッ……おい!ふざけんじゃねーぞ、コラー!」

 相変わらず、引っ切りなしに寝返りを打ちながら洋二はふとんを一人身体に巻き付けていた。その上……歯ぎしりに寝言まで。

 洋二は入社した時から一番気の合う同期で唯一の男友達だった。仕事帰り、居酒屋で夫と別れたことを話すと酔いが回った頃洋二は

「俺は子供がいなくても佐知子が隣にいたら幸せだと思うんだけどな……」

 と少し恥ずかしそうに話した。私はその言葉に胸を打たれた。やはり弱っていたのかもしれない。けれど……

「クシュン!」

 ホテルの暖房は乾燥して喉をやられるからつけたくない。私は仕方なく洋二から無理やりふとんを奪い返し、ふとんにくるまった。枕元にあったケータイを見るととっくに4時を過ぎていた。

 ……洋二とは無理だ。

 結論はやはり一晩で出た。目をつぶり必死に寝ようとしていた私は急に、元夫の規則正しい寝息が恋しくなっていた。

開けドア

開けドア

 真夜中に目が覚めた。

 見慣れない天井に一瞬戸惑うがすぐに昨夜のことを思い出し、体が熱くなった。……ようやく想いが叶ったのだ。

 俺は隣でふとんにくるまって小さくなっている佐知子の寝顔を見ながら、愛しさで胸がいっぱいになって、思わずその髪に触れ、頭を撫でた。

 しばらくそうして幸せに浸った後、俺はまた佐知子を起こさないように、そっとふとんの中に潜り込んだ。

 佐知子は会社の同期で入社から10年、気の合う友達としてやってきた。出会った時、佐知子には既に学生の頃からつきあっていた彼氏がいた。

 五年後、佐知子が結婚した時には自ら結婚式の二次会の幹事を買って出た。それでさすがにあきらめがつくと思っていたのに、結局俺の中にはずっと佐知子がいた。

 自分の気持ちなのになんで自分でコントロールできないのか……腹立たしいったらありゃしない。

 だから余計、佐知子がひとりになったと聞いた瞬間、10年分の想いが堰を切ったように溢れ出してしまったんだ。

「俺は子供がいなくても佐知子が隣にいたら幸せだと思うんだけどな……」

 酔ったふりをして呟いた言葉に、佐知子は頬を赤らめた。もう死んでもいいと思った。

 翌日、仕事帰りに改めて佐知子を飲みに誘った。佐知子は何故か少し考えるそぶりを見せてから「わかった」と答え、すぐに目をそらした。

 なんだろう?妙に胸騒ぎがした。

 店はこれまでも2人でよく行った居酒屋。先に仕事が終わった佐知子はカウンター席で俺を待ちながらすでに一杯飲んでいた。

 俺が隣に座り、ビールを頼むと、佐知子はいきなり俺に頭を下げた。

「ごめん!昨日のことはなかったことにして今まで通り、友達でいてくれないかなあ」

 ……頭の中が真っ白になった。


「へい!生お待ち」

 カウンター越しに店員からビールジョッキを手渡されて我に帰る。

「あ……だよな~了解、了解、お前が元気になったなら俺はそれでいいよ」

 そう言ってビールを一気に飲み干した。瞬間、涙がポロリとこぼれ落ちてた。

「ちょっ洋二どうしたの?」

 佐知子が驚いておしぼりを差し出した。

 ああ……やっぱりもう無理だ。

 一度こじ開けてしまったドアは簡単には閉まらない。これ以上、普通になんてできない。

「ごめん!用事思い出した!帰るわ」

 カウンターに千円札をたたきつけて、俺は店を飛び出した。それでも、走り出そうとした足を止め、かすかな期待に立ち止まる。

 ……けれど、いくら待っても店のドアが開くことはなかった。

ごちそうさま

ごちそうさま

 真夜中に目が覚めた。

 枕元の時計を見ると午前2時。ここ数週間、毎日夜泣きが続いている。そして先に目が覚めるのは必ず自分の方だった。隣で寝ている結花理は相変わらず起きる気配がない。

 仕方なくベッドから這い出しベビーベッドに向かう。泣いている娘を抱き上げてあやす。もちろんすぐに泣き止む気配はない。

 ベビーベッドにはもう一人スヤスヤ眠っている娘がいる。2人同時に泣かれたら埒があかない。

 俺は娘をブランケットにくるんで胸に抱き、寝室を出て一階にあるリビングに向かった。

 このところ、毎日こうだ。いくらあやしても娘は泣き止まない。朝までだ。

 俺はソファーに座りうつらうつらするが、また娘の泣き声で現実に引き戻される。テレビの砂嵐も効果なし。返ってその音は自分をイライラさせた。

 リビングをうろうろ歩き回りながら、なんで俺ばかり……こんなことしなきゃならないんだとまたイライラした。

 佐知子なら……ちゃんと俺より先に気づいて、俺を起こさないように子供を連れ出してくれたはずだ。

 佐知子なら……朝俺が起きた時に

「昨日ちゃんと眠れた?夜泣きうるさくなかった?」

と眠い目をこすりながらいってくれたはずだ。

 佐知子なら……。

 ……佐知子、ごめんな。俺にこんなこと思う資格ないよな……。

 泣き止まない我が子の体温と重みを感じながら、胸がきしんだ。



「また夜泣きですか?」

 会社で朝からあくびを連発している俺に部下の吉田が声をかける。

「ああ、もうこのところ毎晩だよ。朝まで泣き止まないから寝れたもんじゃない……」

 さらにあくびをしながらぼやく俺に吉田はニヤニヤしながら

「ま若い奥さんもらったんですから、そのくらい我慢しなきゃ~。それに待望の我が子でしょ~?そんな愚痴いってたら佐知子先輩に怒られますよ~あっ……」

 そこまでいって吉田は急にシュンとした顔をして口をつぐみ、俯いた。俺も何も言わずにパソコンに目をやった。会話はそこで途切れた。

 吉田は大学の後輩でもあり、佐知子のことも知っている。俺が若い女と浮気して子供作って、佐知子と離婚してその浮気相手と再婚したことを……会社で唯一知っている人間だ。

 愚痴をこぼせるのはありがたいが、弱味を握られているようで、たまに疎ましく思うこともある。

「な吉田、今夜飲みにいかないか?」

 気まずさを振り払うように明るく吉田を誘うが

「すんません!今日は彼女とデートなんで」

 と顔の前で手をあわせつつもあっさりと断わられた。まったく……上司を、先輩をなんだと思ってるんだ……。

 でも吉田には強く出られない。あきらめてまた仕事に戻った。


 帰宅すると、結花理は居間でテレビを見ながら「おかえり」といった。

「飯は?」

「また食べて来なかったの?」

 結婚当初、妊娠中はつらいだろうと家事の手抜きを大目に見ていたら、子供が産まれてからも結花理の手抜き具合は変わらなかった。

「カップラーメンなら買い置きあるからお湯入れて食べて」

 笑顔でいう結花理に

「いらない」

 と吐き捨ててまた外に出た。歩きながらタバコに火をつける。

 佐知子なら……また思っても仕方のない思想にとらわれる。

 佐知子は自分も仕事をしているのに、俺が帰る時間までには料理を用意してくれていた。帰ったら、料理を温めて出してくれた。ごはんを食べる俺の横に座り、お茶を飲みながら俺の話を聞いてくれた。俺は……それを当たり前に思っていた。

 駅前まで戻り、洋食屋に入った。オムライスを注文する。無心で食べ終えると、自然と手をあわせて「ごちそうさま」と呟いていた。

「……ははっ」

 その台詞を、結花理には一度も口にしたことがないことに気づく。思わず渇いた笑いが漏れた。

 ああ……佐知子のオムライスが食べたい。

 無性に佐知子の味が恋しくなっていた。

計算違い

計算違い

 真夜中に目が覚めた。

 隣にいるはずの忠幸さんがいない。耳を済ますと泣き声が聞こえた。

 また、美優の夜泣きか……毎晩、毎晩なんでそんなに泣くんだろう、あの子は。美幸の方は夜泣きもせず朝までぐっすりなのに。

 子供がこんなに面倒なものだとは思わなかった。

 あたしはただ『専業主婦』になりたかった。相手は誰でもよかった。経済力さえあれば……誰でも。

「結婚しよう」

 あたしが妊娠したと告げると忠幸さんの口からは予想通りの台詞が返ってきた。あたしは戸惑っている表情を作り、返事をせずに俯いた。

「妻とは別れて、君と一緒になる。一緒に子供を育てよう。」

 忠幸さんがあたしの肩を掴んで力強く言った。もう一息……。

「3人で幸せになろう」

 あたしはゆっくりと顔を上げ、涙を浮かべながらコクリと頷いた。

 けれど……産まれたのは双子だった。それだけは少し、計算違いだった。


 あたしは昔からボーッとしてるのが好きな子供だった。小さい頃からずっと夢は『お嫁さん』。なりたいものなんて別になかった。

 結婚して誰かに養ってもらえればそれでいいと思ってた。なのになんでか、付き合う男はみんな夢追い人のフリーターばかり。結婚なんて夢のまた夢だった。

 短大卒業後、就職してから付き合っていた男、優也は中でも最低だった。はっきりいってただのヒモ。

 でも一緒にいるとなんだか憎めなくて世話の焼きがいもあって……最低って思うのに結局別れられずにいた。

 そんなある日、あたしは忠幸さんに出会った。当時あたしは眼科の受付で働いてて彼はそこに患者としてやってきた。保険証を見たら事業所名称の所に一流企業の名前が見えた。

 この人に決めた、そう思った。

 あたしはわざと保険証を返さずに会計を済ませた。彼が帰ってしばらくしてから、彼に電話をかけると、翌日遅い時間なら取りに来れるといわれ彼を待つ。

 けれど翌日、診療時間が過ぎても彼は来ない。当然だ、あたしが時間を一時間、上乗せして伝えてたから。

 近くのカフェで時間を潰し、彼が来る時間の少し前に外に出て、病院の前に立つ。そこへ彼がやってくる。

 外で待っているあたしに気付き慌てて駆け寄る彼に、あたしは笑顔で保険証を返す。あたしの冷たくなった指先が彼に触れる。

 「それじゃあ」

 帰ろうとするあたしに彼は、寒い中待たせたお詫びにと食事に誘う。時間を間違えて伝えたのは自分だから待つのは当然だとあたしは断る。けれど

 「こんなに手が冷たくなってる」

 彼があたしの手をつかみ、少し強引に歩き出す。あたしは少し戸惑いながらついていく。


 ……全て計算通り。

 自分でゆうのもなんだけどあたしルックスだけは自信があった。作戦は見事成功。

 結局その後飲みにいき、彼が既婚者だと聞いて最初はがっかりしたけど、子供がほしいのにできなくて奥さんとうまくいってないと聞き、あたしは内心ほくそ笑んだ。

 それからは優也とつきあいながらも、時々忠幸さんと会った。そうして数ヶ月後、まんまと妊娠、そのことを告げると優也は翌日から帰って来なくなった。

 ……チャンスが来たと思った。あたしは忠幸さんに妊娠した事実だけ伝えた。

 こうしてあたしは、夢に描いていた『お嫁さん』になれた。これ以上の幸せはない……はずだった。

 なのに何でだろう?ちっとも幸せじゃない……。

 子供はかわいいと思えない。家事もやる気にならない。忠幸さんとは思ったほど話もあわない。全てを手にしたはずが……前よりも満たされていなかった。

 ふと、美優の顔を見る。美優は珍しくご機嫌で、抱っこしてやると嬉しそうに笑った。その瞬間、優也の笑顔が思い出され、途端に涙が溢れた。

 一番の計算違いは……あたしの優也に対する気持ちだった。

 あたしは美優の体を力いっぱい抱き締めた。びっくりして美優が泣き出した。昼寝をしていた美幸もその声に驚いて泣き出す。

 あたしも無性に悲しくて、二人に負けないくらい大声でわんわん泣いた。

夢

 真夜中に目が覚めた。

 忠幸と離婚してから……毎晩のように暗闇で目が覚める。寝つきも悪いし、夢見も悪いし、とにかく朝までぐっすり眠れたためしがない。

 もう一年は経つと言うのに、私はまだ、心も体も立ち止まったままだ。

 何か新しいことでも始めて気分転換でもしてみようかと、スクール雑誌に目を通してみても、活字は頭を素通りしていくばかり。

 結局、雑誌を閉じ、目を閉じて……考えても仕方のないことを思想する。

 もっとすがりつけばよかった。不妊治療でもなんでももっと頑張って、頑張って……浮気なんか許さなきゃよかった。別れさせて、堕胎させて……忠幸を無理やりにでも奪い返せばよかった……。

 そう思った次の瞬間、やはりかぶりをふる。そんなことしても、忠幸から笑顔を奪うだけ、二人とも幸せになんかなれない。

 私は、ただ忠幸が隣にいればそれだけで幸せだった……けど忠幸にとってはそうじゃなかった。

 子供を産めない女に価値はないの?私は一体、忠幸の何だったんだろう?

 あの日からずっと……自問自答している。


 真夜中に目が覚めた。

 手を伸ばすとそこには温かい小さな手がある。私は暗闇の中その先にある小さな塊を優しく抱きしめ、また眠りにつく。

「ママ!急がないと遅刻するよ~」

「うわ~ヤバいヤバい、忘れ物はない?」

「あたしは大丈夫。それよりママ、鏡見て?お化粧左目忘れてる」

「やだ、もっと早くいってよ」

「ママあたし先いくね」

「あ、美幸お弁当忘れてる !」

「あちゃ~よし、んじゃいってきます!」

「いってらっしゃい。車に気をつけてね」

 毎朝繰り広げられる慌ただしい親子の会話。ありふれた光景……といっても私と美幸には正確には血のつながりはない。

 ……けれど自分が愛した人の忘れ形見だから……私はこの子を育てていこうと思った。

 美幸の母親になろう、そう決めたんだ。

 忠幸と別れて二年後……忠幸は小さな美幸を抱いて私のところにやってきた。詳しいことは聞かなかった。

 ただ……忠幸が余命半年と聞いて、私はその命を受け入れようと思った。私が育てていこう、そう思った。

 内側から力がみなぎるのを感じた。渇いていたはずの心の奥底から
なにか暖かいものが湧き出してくる。

 そうして私は初めて気づいたんだ……掛け値なしに誰かを愛せる……そのことが、それだけで幸せだってことに。


 朝、心地よく目が覚めた。夢に忠幸が出てきた。子供のようにオムライスをねだる忠幸に、私はしょうがないなあといいながら、オムライスを作る。

 忠幸はうまい、うまいと言いながら、あっという間にオムライスを平らげた。「ごちそうさま」という忠幸の声を聞きながら、幸せな心地で目が覚めた。

 暖かいふとんの中その余韻に浸りながらまどろむ。五分後アラームが鳴り、私はそれをとめてふとんから起き上がった。

 お湯を沸かし、一人紅茶を入れる。美幸は昨日から修学旅行にいっていて、今朝はいない。久しぶりに独りの夜を過ごした。

 寝る前に忠幸のことを考えていたからか、久しぶりに夢に忠幸が出てきた。

 今はもう……真夜中に目が覚めることはない。きっと今、満たされているからだろう。

 自分の血を分けた子でなくても、この世にたった一人でも全身全霊をかけて守りたいと思える存在がある……それは何物にも代えがたい充足感だった。

 忠幸は二度も私の前から姿を消したけど、最高の贈り物を私に残していってくれた。彼をちゃんと愛せなかった分、私は美幸を愛そうと思う……私の人生をかけて。

 紅茶の暖かさが喉を伝って降りていき、体が内側からじんわり暖められていく。その感触はどこか、美幸を想うときに沸き上がってくる愛しさと似ている。

 生まれ変わってまた忠幸と出会えたら……今度こそ彼をちゃんと愛したい。そしてその愛の結晶として二人の子供を授かりたい。

 それが私の夢だ。

ありがとう

ありがとう

 真夜中に目が覚めた。

 明日、いやすでにもう今日だけど、私は25になる。と同時に結婚式の日を迎える。

 しっかり寝ておきたかったのに……母があんな話をするから……気になって仕方なかった。

 物心ついた時、すでに父親はいなかった。母ひとり、娘ひとり。ただ自分の名前が父親の名前から一字とってつけられたことだけは知っていた。

 けれど……双子の妹がいてその子の父親はまた別にいて、彼女もその父親の名前から一字もらってつけられているなんて……ハッキリ言ってうまく理解できない。一体この事実をどう受け入れたらいいのだろう。

 時間ばかりが過ぎていき目は冴えるばかりだった。私は暗闇の中、携帯を開き「双子 父親 違う」と入力し、検索してみた。

 そのとき初めて「異父重複受精」という言葉を知った。

 携帯を閉じ暗闇の中、天井を見上げる。まだ目立たないけど、新しい命が宿っているお腹をさすりながら、私は大きくため息をついた。

 なぜ母は今になってこんなことを私に話したんだろう。正直知らないままの方がよかった。……知りたくなんかなかった。


「美優、おはよう」

「あ、喬おはよ~」

「どした?緊張してあんま寝れなかったか?」

「うん、そんなとこ」

 式場で会うなりあくびを連発している私に喬が笑いながら言った。今日私はこの人の妻になる。

「おはようございます」

「あ、池田さん!おはようございます。今日はよろしくお願いしますね」

 池田さんは私達の式を担当してくれているウェディングプランナーだ。最初の打ち合わせの時に同い年だとわかると単純だけど、私はすぐに彼女と意気投合した。

「妹の名前は美幸というの」

 その瞬間、急に昨夜の母の言葉が思い出された。池田さんの名前も美幸だ。妙に胸騒ぎがした。

「お誕生日おめでとうございます」

 池田さんはそういって私にブーケをくれた。

「ありがとう!嬉しい」

「よかった。差し出がましいかなと思ったんですけど……一応私の手作りなので」

「これ自分で作ったの?すごい!」

「趣味でアレンジメント習ってまして」

 池田さんは少し照れたように、でも嬉しそうに笑って言った。

「私、式のときにこれ使うわ!てかもらってばっかじゃ悪いからお返ししたい!池田さん誕生日いつ?」

 私は池田さんの手を掴んで食い入るように聞いていた。

「実は私も今日、誕生日なんですよ」

 池田さんが笑顔で答えた。

「へーすごいじゃん!じゃ池田さん、美優と生年月日同じなんだ」

「そうなんです!最初聞いた時ビックリしました。世の中、偶然の一致ってあるもんですね~」

 それからしばらく池田さんと喬は誕生日トークで盛り上がっていた。私は……別のことを考えていた。

 彼女と双子である可能性について……だ。


「美優……キレイ」

 真っ白いウェディングドレスを纏う私をみて、母が涙ぐんだ。

「ありがとう」

 私は花嫁姿に変身していく間、母にひとつ聞こうと決めた。ゴクリと息を飲む。

「ねえ、お母さん……妹に会いたい?」

 私は母の目を真っ直ぐ見て言った。母は……一度目を伏せた後、再び顔を上げて真っ直ぐ私の目を見つめながら……こう言った。

「私の家族は美優、あなただけよ。あなたがいたから私……幸せだった。若いときに自分が犯した過ちは消えないし、忘れることはないけど……愛する人の子供を育てることができて、それだけで私は幸せだったの。それじゃ答えにならない?」

 聞きながら……母の顔がぼやけて見えなくなった。あふれてくる涙をとめられなかった。

「花嫁が泣いちゃダメじゃない。って泣かせたのはお母さんか」

 自分も泣きながら母は自分のハンカチで私の涙を拭いてくれた。そして私のお腹をさすりながら

「喬さんとこの子を……大切にしてね」

 そう言ってまた涙を溢した。

―コンコン

「失礼します」

 その時、池田さんがドアをノックして入ってきた。

「あら、大変」

 涙で化粧が崩れた母娘を見て、池田さんは慌ててメイクさんを呼びにいってくれた。

 私は母と顔を見合せて笑いながら、今ある幸せを大切にしていこうと心に決めた。

「お母さん……私、お母さんの子供でよかったよ」

 私がそう呟くと母は私をそっと抱き締めて、背中を優しくトントンとしながら「ありがとう」と囁いた。

ひとり

ひとり

 真夜中に目が覚めた。

 「ひとり」だということが、こんなにも心許なくて、不安でさみしいことだなんて、私はいままで知らなかった。

 もう、立派な大人で、小さな子どもがいてもおかしくないぐらい年を重ねているのに……私は今、迷子になった子どもみたいに不安に押しつぶされそうになっていた。


「洋二さん」

「ああ、美幸ちゃん」

「ちゃんはないでしょう、私もう25だよ」

「しょうがないだろ、今更呼び方なんて変わらないよ」

 葬儀場の喫煙所でタバコを吸う洋二さんを見かけ、私は声をかけた。洋二さんは母の友人の一人で、昔から私もなにかと世話になった。私にとっては、小さい時に亡くなっている父の代わりのような存在だ。けれど、久しぶりに見る洋二さんの背中は自分の知ってるそれよりもなんだか一回り小さく見えた。

「お母さん、しあわせだったのかな」

 私は洋二さんに聞くともなく、煙になって空に上っていく母を見上げながらつぶやいた。洋二さんは、タバコをふかしながら、私を見つめた。

「美幸ちゃんは?」

「え?」

「美幸ちゃんはしあわせじゃなかったの?」

 そういいながら、洋二さんも青空に漂う煙を見上げた。

「私はしあわせだったよ。でもお母さんは!……お母さんは……お父さんに裏切られて、それでも私を育ててくれて……私、なんか申し訳なくて……」

 言いながら、涙があふれてきた。

「佐知子はさ、しあわせだったと思うよ。」

「そうかなあ……」

 自分が母と血のつながりがないことは、20歳になった時に母から聞いた。最初は信じられなかった。正直動揺して、しばらく母とまともに顔を合わせられなかった。

 けれど、変わらない愛情で接してくれる母を見ているうちに、私は血のつながりなんて関係ないのだと肩の力が抜けた。一緒に過ごしてきた時間の分だけ、共にしてきた食事の数だけ、重ねてきた思い出の分だけ、人は家族になれるのだと気づいたから…。

 母は女手一つで働きながら私を育ててくれたけど、できる限り一緒にご飯を食べてくれた。ご飯を作ってくれた。特に私は母が作るオムライスが大好きで、小さな頃は毎日のようにオムライスをねだったほどだ。

「美幸ちゃん、ほんとはわかってるだろ?佐知子が、しあわせだったこと。俺は羨ましかったよ。俺だって佐知子と家族になりたかったのに」

 洋二さんがタバコの火を消しながら、そう言って笑った。

「洋二さん……」

「まあ、なんかあったらあいつの代わりに手貸すからさ、いつでも連絡してこいよ」

 洋二さんはそう言って、私の頭をポンポンとたたいた。

「うん……」

 私はぼやけた視界の向こうに、遠ざかっていく洋二さんの背中をずっと見つめていた。


 暗闇の中、私はふとんの中で何度も寝返りを打つ。明日は大事な仕事がある。ずっと担当してきたお客さんの結婚式当日。休むわけにはいかない。早く寝て体調を万全にしておかなくては。そう思うほど、目は冴えていく一方だ。

「お母さん……」

 写真でしか知らない父もがんだったという。母までががんだなんて、神様は意地悪だ。仕事もしていて、母が遺してくれた家もあって、私は親がいなくても生きていけるだけの大人で、なのに……心はまるで子どもみたいに母を求めている。いや、無条件に心許せる家族という居場所が急になくなって戸惑っているのかもしれない。

 友達もいるし、恋人もいる。でもそれじゃ埋められない、大きな穴が、ぽっかりと空いたまま……私はひとりうずくまっている。

 それでも私は明日笑顔でいなければならない。人様の結婚式という、人生の中で一番輝かしい瞬間に立ち会い、祝福する、そういう仕事を自分で選んだのだ。

「ふー」

 大きく深呼吸をする。私は再びふとんに潜り込みぎゅっと目をつぶった。

「おやすみ」

 その囁きは暗闇に悲しく響いただけだった。

探し物

探し物

 真夜中に目が覚めた。

 また夢を見た。居酒屋を飛び出し、開かないドアをただ見つめて立ち尽くす自分。叶わない想い。届かない気持ち。あの時から、俺は立ち尽くしたままなのかもしれない。


「まあ、なんかあったらあいつの代わりに手貸すからさ、いつでも連絡してこいよ」

 佐知子の告別式の時、俺は美幸ちゃんにえらそうに言ったけど、本当は人の心配をしている身分ではなかった。還暦を独身で迎え、定年退職。

 家族もいない、仕事もない、自分にはただ有り余る時間だけがあった。膨大な白い時間とゆう壁が、目の前を塞いでいて、息が詰まりそう。打ち込める趣味でもあればよかった。けれど、自分にはなにもない。仕事にずっと逃げてきた代償は、あまりに大きかった。


 葬儀から一週間たった。

「洋二さん、家で鍋しない?」

 美幸ちゃんからの突然の電話。なんの予定もない俺は二つ返事で家を出る。

 手ぶらではなんだなと途中、チーズケーキを買っていこうと思い立った。佐知子と俺は食の好みが似ていて、特にチーズケーキが大好物だった。美味しいチーズケーキを見つけたら教えあっていた。むしろどちらがより美味しいチーズケーキを知っているか競い合っていたようなものだ。

 その店は佐知子の家の近くにある地元の小さなチーズケーキ専門店。ふわふわのスフレチーズケーキをホールで買っても600円とゆうなんとも良心的なお店だった。店主は当時からさすがに代替わりしているようで若い女の人が切り盛りしていた。

「チーズケーキひとつ」

「レギュラーサイズでよろしいですか?ミニサイズもありますが。」

 そういって、ミニサイズのチーズケーキを見せてくれた。うん、こちらの方が手土産にいいかもしれない。鍋の後、食べられなければ、そのまま美幸ちゃんに食べてもらえばいい。

「じゃあミニをひとつ……あ、いやふたつ」

 見ていたらやはり自分でも食べたくなったのだ。なにか欲しいと感じたのは久しぶりの感覚だった。


「洋二さん、いらっしゃい」

「お、すき焼きだね」

 しょうゆと砂糖が織り成す甘辛いハーモニーはどうしてこんなに日本人の食欲を掻き立てるのだろう。

「うん、お母さんの味には勝てないけどね。あ、それ、マイキーのチーズケーキだね。ありがと。後で食べようね」

 美幸ちゃんは俺が手にしていた袋を見るとすぐに、中身を理解した。きっと佐知子がいつも買って帰っていたんだろう。


 若い頃、同期のみんなで佐知子のうちに集まって鍋パーティをよくやった。佐知子の作る鍋、特にすき焼きは絶品で、男性陣は大絶賛、もちろん俺は胃袋を鷲掴みにされていた。


「洋二さん、ビールの余り飲んでね」

 そういいながら、コップに缶ビールに半分くらい残っていたビールをついで、美幸ちゃんも食卓についた。

「いただきます」

 手を合わせてまずはビールを一口飲む。佐知子はすき焼きを作るとき必ずビールをいれていた。肉が柔らかくなるんだかなんとかいって。そして必ずビールが余るので、それを俺が飲んでいた。美幸ちゃんも佐知子の作り方を真似ているらしい。

 卵を割り、軽くといたところに甘辛い味をまとったお肉を絡ませ、口に運ぶ。

「うまい」

「ほんと?よかった。」

 美幸ちゃんが嬉しそうに言った。

 大した会話をするわけじゃない。ただおいしいごはんを一緒に食べる。それがとても幸せで満ち足りた時間なのだと、お腹が満たされる以上に、心が満たされるのだと、この年になって実感するなんて……。

 不覚にも込み上げてきた涙を、俺は美幸ちゃんに気づかれないように大げさに何度もあくびをしてごまかした。

 結局、締めにうどんまで食べてお腹がいっぱいになり、チーズケーキは各自食べることにして、俺はチーズケーキをひとつ手土産に自宅に帰った。


 帰宅すると少しお腹に余裕ができ、俺はすぐにチーズケーキを食べた。

「うまい」

 スフレチーズケーキはふわふわで口に含むと泡のように溶けてなくなった。甘さ控えめでいくらでも食べられる。ミニサイズのチーズケーキはあっという間に胃袋の中に収められた。思わず口角があがる。にんまりという表現が正しいか。顔の筋肉が自然と緩む。

 うまいものは人を笑顔にする。萎んでいた心に空気を吹き込まれたようだった。やりたいことを見つけ、年甲斐なくワクワクした。


『うまいチーズケーキ探し』


 還暦を越えた親父の趣味にしては、乙女過ぎるか、まあいい。時間はたっぷりある。

 ふと気付くと目の前を塞いでいた膨大な白い時間の壁は消えていた。俺は埃をかぶっていたノートパソコンを立ち上げ、インターネットの検索サイトを開いて、「チーズケーキ うまい」と入力していた。

原動力

原動力

 真夜中に目が覚めた。

 ふとん争奪戦で敗北した結果、寒さに目を覚ましてしまう。他人だった二人が一緒に暮らし出すと、いろんな発見があるものだ。美優がこんなに寝相が悪いとは思わなかった。結婚する前、よく一緒に旅行にいったけど、ホテルの予約は必ず美優がしてくれて、段取りいいやつだなと思っていたけど、思えばいつもツインルームだった。

 もちろん結婚して新居に引っ越す際、布団を敷いて1人ずつ寝るか、でっかいベッドを置いて二人で寝るか、揉めた。議論は平行線を辿った結果、公平にじゃんけんで決めることになり、見事勝利を勝ち取って念願のキングサイズのベッドを購入し、2人で一緒に寝ることになったのだが……。

 美優はすこぶる寝起きが悪い。俺の方が先に家を出るのだが、かろうじて、いってきますをいってくれるものの、まだ半分夢の中だ。まあ、朝飯を毎日作れとは言わないがもう少し笑顔で送り出してほしいなあとは思う。

 そんな、気になる生活の癖はいくつかあったけど、やっぱり毎日楽しかった。特に、二人ともスイーツが大好きでおいしいスイーツのうわさを聞きつけては、買いにいったり、カフェ巡りをしたり、趣味があうのがこんなに楽しくて、日々が潤うなんて知らなかった。美優の「おいしー」が聞きたくて、くしゃってする笑顔が見たくて、俺は日々スイーツの情報収集に余念がない。

 美優が寝返りをうち、こちらに寄ってきたタイミングで、なんとかふとんに滑り込む。いつもなら、それでまた眠りにつけるのに、今日はなんだか目が冴えてしまった。

 仕方なくスマホをいじり出し、お気に入り登録しているスイーツの達人たちのブログやらTwitterやらを徘徊した。けれど、今日はたいした収穫がなく、新しいネタを探そうと真夜中だというのに、検索を始めた。

 美優はスイーツの中でチーズケーキが1番好きで、自分も一緒に食べるうちに大好物になった。

「チーズケーキ 絶品 東京」

 検索結果から気になったページに飛んでいく。検索結果を何度か次のページに進んだ後、目についたのは「還暦おやじのうまいチーズケーキ探し」というタイトルだった。すぐにリンク先を開く。あまり上手とは言えない写真に、食べた感想がポツポツ書かれているだけの、簡素なブログ。けれど、何故だか無性に食べてみたくなる、彼の「うまい」という言葉。俺は思わずコメントを書き込んでいた。そうして還暦おやじのブログは、お気に入り登録された。

 翌日、出勤途中に気になってまた還暦おやじのブログを見に行くと、コメントが返されていた。還暦おやじだけに朝は早いらしい。とゆうのは偏見か。

「喬様 コメントありがとうございます。初めてのコメントに年甲斐もなくテンションが上がっています。チーズケーキお好きとゆうことですが、私のお勧めは中野にあるマイキーのスフレチーズケーキです。よかったらお試しください。私がこのブログを始めるきっかけとなったお店です。」

 丁寧な言葉遣いなのに親近感が湧いた。

「還暦おやじ様 早速、お返事ありがとうございます。仕事帰りにお店に買いにいってみようと思います。」

 まだ、これから仕事だとゆうのに帰りにチーズケーキを買いにいき、それを美優と食べることを考えたら、ワクワクした。美優の喜ぶ顔が見たい、それが俺の原動力だ。

半分こ

半分こ

 真夜中に目が覚めた。

 暗闇で寝返りを打つと、ふとんから追い出されて少し冷たくなってしまった喬の手の平が指先にふれた。ぎゅっと掴むと寝ているはずの手が握り返してきて、思わず顔がにやける。そうして、寝相の悪さで丸めとってしまったふとんを元に戻して、喬の肩にかけ直した。

「いってきまーす」

「いってらっしゃい」

 まだ半分眠ったままの頭で喬を送り出すと、私は湯呑に注がれたばかりのあたたかい緑茶をすすりながら、頭を覚醒させる。

 喬とつきあうまで、お茶といえば2ℓのペットボトルの爽健美茶だった。母親がそれを箱買いし、常にストックしていたからだ。冷蔵庫には常にそれが2、3本入っていて、なくなれば冷蔵庫の脇におかれた段ボールから補充するシステムになっていた。だから、私の中ではお茶といえば、ペットボトルに入った冷たくて茶色い液体のことを指した。

 喬とつきあって、家に遊びにいくようになって、最初に出されたお茶に私は衝撃を受けた。もちろん、その存在は知っていたし、外食した際に出されるあたたかいそれも飲んだことはある。でも、お茶が、いや、緑茶がこんなにおいしいものだとは……知らなかった。

 喬はお茶の産地、静岡の出身で、だからなのか、その家には男の一人暮らしにも関わらず急須があり、茶葉を保管する茶筒があり、マグカップでなく湯呑があった。もちろん湯呑は喬のだけだったから、私にはマグカップで出されたのだけど。それでも、その、私のためにいれられた緑茶は、私の顔の筋肉を一瞬で緩めた。お茶には香りがあるということを、初めて実感した。お茶が、食事のお供や喉の渇きを潤すためだけのものじゃないことを初めて知った。

 私がしきりに感動するので、次に喬の家にいった時には私専用の湯呑が用意されていた。しかも、お揃いで。それだけでもう、しあわせだった。

「俺と結婚したら、毎朝これが飲めるよ」

 喬は緑茶をすする私を眺めながらよくこう言っていた。それは私にはものすごく魅力的で、それがもしかしたら結婚の決め手になったのかもしれないとさえ思う。内緒だけど。

「ただいまー」

「美優、おかえり。ごはん作っといたよ」

「わーありがと、遅くなってごめんね」

 今日は珍しく私の方が残業で、先に帰宅していた喬が、得意のチャーハンを作ってくれていた。二人が食べ終わるのを見計らって、喬がキッチンに戻ると、

「あとチーズケーキあるよ」

 と笑顔でいいながら、ホールのスフレチーズケーキを白いお皿にのせ、フォークを二本そえて運んできた。

「緑茶でいい?」

「うん、緑茶がいい」

「なんか、美優もすっかり緑茶派になったねー」

 喬がにんまり私の顔を見ながら、手際よく緑茶をいれてくれた。

「へへ。いただきまーす」

 私は照れ隠しに威勢良くチーズケーキにフォークを突き刺し、一口分をすくいあげ、口に入れた。

「うわあ、なにこれ。ヤバい。ふわふわ!とろける!うますぎる」

 フォークが止まらなくなるうまさ。これならホール一個ひとりでいけそうだ。

「美優ほんとチーズケーキ好きだよね」

 いいながら喬が口をあーんと大きく開けた。

「あーん」

 喬の口にフォークで突き刺したチーズケーキのかけらを運んでやると、かなり食い気味で、食いつかれた。

「おー!んまい!還暦おやじすげぇ」

  喬がそういいながら、自らフォークを掴み二口目に突入した。

「え?還暦おやじって誰?」

 私は喬が口走った聞き慣れない単語を拾い聞く。もちろんその間も、手と口はせわしなく、チーズケーキを胃袋におさめていく。

「や、うまいチーズケーキないかなーってネットで探してたら、還暦おやじのチーズケーキ探しってブログ見つけてさ、そこの管理人がイチオシ教えてくれたんだよ。お礼書き込んでおかなきゃな」

「へーそうなんだー」

 私は還暦おやじがどうこうよりも、喬が私のためにおいしいチーズケーキを探して買ってきてくれてる、そのことが嬉しくて、にやける顔をとめられなかった。

「喬」

「ん?」

「ありがと」

「いや、俺が食べたかっただけだし。中野は帰り道通るし。別にお前のためにわざわざ買いに行ったわけじゃないし」

 なんていいながら、喬の目は笑ってるから……

「おいしいね。これ、リピート確定だね」

「だな。また買ってくる」

 喬が好きな緑茶を私が好きになり、私が好きなチーズケーキを喬が好きになる。好きなものが広がっていく。それが、楽しくて仕方ない。

 生活を共にするということは、すべてを半分こすることだって、前になにかで読んだけど、楽しいこと、好きなものを半分こしたら、幸せは反比例して増えていくんだね。だったら半分こって最強の幸せの魔法かもしれない。

 喬が最後のチーズケーキを頬張っている隣で、私は緑茶をすすりながらそれを噛み締めていた。

泣き笑い

泣き笑い

 真夜中に目が覚めた。

 手を伸ばすとそこには温かい小さな手がある。私は暗闇の中その先にある小さな塊を優しく抱きしめ、また眠りにつく。

「ようじぃ、今日くる?」

「さあ、どうかなあ?」

「ねえ、ようじぃ、まだ?」

「幸子は、ほんとにようじぃが好きだねえ」

 日曜の朝、目を覚ました瞬間から、幸子はようじぃはまだかとうるさい。確かに、ようじぃは毎週日曜やってきて、日がな一日幸子と遊んでくれる、幸子のよき遊び相手だ。

 ようじぃ、……洋二さんをそう呼ぶようになったのはいつからだろう?

 母が亡くなって、私はお腹に新しい命が宿っているのに気付いた。当時つきあっていた彼の子供だ。

 けれど彼は、仕事もまだまだこれからだし、お金も貯まってないし、まだ結婚するには早い、今回は堕ろしてほしいと言った。

 ……唯一の家族を亡くしたばかりの私に、新しい命まで消せと言うのか。

 悲しみに暮れている私に寄り添うこともしない、共に人生を歩き出す覚悟もない。

 思えば、彼とは楽しいことしか共有していなかった。でも、生きていればつらいことも、悲しいこともある。そんなとき、頼りにならない、助け合えない人とは、一緒にいる意味なんてない。

 私は彼と別れて、一人で産んで育てることにした。

 だって、この子はきっと……お母さんの生まれ変わりだから。

 どこかで聞いたことがある。身内が亡くなった後に産まれてくる子は、亡くなった家族の生まれ変わりだって。

 もちろん、母とは血のつながりがないし、そんなのただの迷信だとわかっている。けれど、信じたかった。母が私をひとりにしておけなくて、帰ってきてくれたんだって……そう、信じたかった。

 だから、我が子には「幸子」と名付けた。いまどき名前に子をつけるのは流行らないと、友達に散々言われたけど……この子がお腹に宿ったときから、もう決めていた。自分の名前、美幸から一字「幸」をとり、母の名前、佐知子の読みを借りて、幸子と書いて「さちこ」と読む。これしかないと思った。

 幸子が産まれてくると、洋二さんがよく手伝いにきてくれるようになった。とはいっても、洋二さんも子育ては初体験。二人して手探りだった。でも、誰か一緒にいてくれる、それだけで頑張れる気がした。

 子供が産まれた後に、元彼が復縁と結婚を申し込みにきたけど、もちろん丁重にお断りした。一番支えてほしかった時に、手を伸ばしたらそれを払いのけた男に、もう用はない。

 ちょうど洋二さんが家にきてくれているときで、玄関で私と彼のやりとりが平行線なのに痺れを切らして、洋二さんは泣き叫ぶ赤ん坊を抱えながら、

「美幸ちゃん、幸子、お腹空いてるみたいだぞ」

 と顔を出してくれた。それを見た元彼は、

「なんだ、新しいやつできたなら、最初からそういえよ。俺、一応責任とらなきゃと思ってきたのに、もう必要ないんじゃん。」

 と言って鼻で笑った。その瞬間、もう金輪際、顔も見たくないと思った。こんなやつに真面目に事情を説明するのも馬鹿馬鹿しい。私は淡々と言った。

「まあそういうことだから、もう私のことは気にせずに、草太は草太で楽しい人生送ってください」

「ああ、そうするよ。しかしお前、男見る目ねえな。……ジジイかよ。」

 そう吐き捨てながら勢いよくドアをバタンと閉め、不機嫌そうな靴音を鳴らしながら帰っていった。

「美幸ちゃん、あんなやつと別れて正解だったな」

「……うん、でもやっぱ、ちょっとつらいね。あんなやつでも、最初は優しかったし、楽しかったからさ」

「ま、そうだよな。泣いてもいいけど、とりあえず幸子にえさやってくれる?あ、えさじゃない乳」

 そう言いながら、洋二さんは幸子を私の方に差し出した。

「ちょっと、洋二さん、えさって!乳とか!間違いじゃないけど、私も幸子も人間なんだからね」

 私は幸子を抱き受けながら、笑い泣きした。

真夜中に目が覚めた

真夜中に目が覚めた

『真夜中に目が覚めた』のフレーズから始まる短編連作。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-04-01

Copyrighted
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  1. 決め手
  2. 開けドア
  3. ごちそうさま
  4. 計算違い
  5. ありがとう
  6. ひとり
  7. 探し物
  8. 原動力
  9. 半分こ
  10. 泣き笑い