なき事件(将倫)

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この作品は、東大文芸部の部誌で掲載されているなきシリーズの第五作になります。初出は2012年2月発行のNoise39です。

 一週間のちょうど真ん中。週の長さが実際以上に長く感じられる憂鬱な日。しかし俺はそういった感情を抱くこともなく、教室で一人本の頁を捲っていた。授業はもう終わり、放課後という開放的な時間帯だ。
「ねえねえ、ちょっといい?」
 俺は背後からの声に振り向こうとして、わずかに思い留まった。声の主の見当はついている。軽い調子で耳に響くこの声を聞き違えるはずもない。問題は、その用件だ。声音から判断するに、今回のそれはどうやら普段とは違うものと思われたので、俺は十分に気を付けつつ振り返った。
「どうした、日奈?」
 俺の背後で柔和な笑みを浮かべている淵戸日奈は、正面に回り込むと椅子に腰掛けた。俺も体でそれを追い、結果俺と日奈は向かい合う形になった。
「特に用事はないんだけどね。今日の英語は大丈夫だった?」
 日奈が何を問うているのか一瞬分からなかったが、直ぐにその意を汲み返答した。要するに、小テストの出来映えを聞いているのだ。
「うん? まあ、昨日はゆっくり出来たからな。問題なかったよ」
 俺は一つため息をつき右手で頬杖をついた。英語が苦手なのはむしろ日奈の方だ。人の心配をしている場合でもないだろう。そのことを指摘してもよかったのだが、後で何を言われるか分かったものではないし、日奈が何か言いたげでもあったのでぐっと言葉を呑み込んだ。
「そういえば知ってる? 最近起きてるあのこと」
 何やら意味深な口調で話題を振る日奈を胡散臭い目で向かえながら、俺は何か思い当たる節がないか記憶を探った。しかし、ここ何日かで気になることは思い付かなかった。少なくとも、ここで話題にしてほしいようなことを俺は挙げることが出来ない。
「ほら、例の通り魔事件よ」
「ああ、それか」
 事件自体はニュースで聞いたことはあるものの、俺はその事件が世間でどの程度取り沙汰されているのかを知らない。確かに近所で起きていることは関心を引く出来事ではあるだろう。話題にするにはうってつけではあるかもしれない。日奈は揚々とした表情で話を進めた。
「ここ二ヶ月でもう六件目だもんね。それでまだ犯人捕まっていないんだから、ちょっと気にならない?」
 なるならないで言うならば、当然なる。だが、通り魔事件など、一高校生がどうこう出来る問題でもないだろう。事件の経過をメディアを通じて知れれば十分なはずだ。少なくとも俺はそうだ。ただ、好奇心に任せて厄介事を抱え込む日奈からすれば、この件は見過ごせないのだろう。
「最初に起こった事件がね――」
 俺の思惑をよそに、日奈は事件の概要を口にしていった。諳じることが出来るほどに興味を示しているようだ。俺は日奈のそんな努力を水泡に帰さないよう、しかしさして気乗りしているわけでもないので、楽な姿勢を変えないままでメモを取った。無駄なコメントを挟みながら進む日奈の報知から、必要最小限の情報だけを抽出していく。
 それらをまとめるに、以下のようになっている。
「つまり、場所で分けると、事件の現場は一件を除き全て同じ町内で起きている。またその一件も隣町で起きていて距離的には徒歩圏である。時間帯を見ると、六件の内四件が夜間で二件が昼間起きている。被害者は老若男女、とまでは言わないものの、共通点は特に見られない。事件は全て刃物を用いた傷害事件である、と」
 これだけの情報では、確かに犯人が未だに捕まっていないのも致し方ないように思える。無差別で起こされる事件からは、動機から犯人にたどり着くことが難しい。
 俺がしばらく考えている間、日奈も頭を悩ませているようだった。やがて俺の方に顔を向けた日奈は、少し困惑したような表情をしながら呟いた。
「うーん、郁太ならどう思うかな?」
 そんな期待のこもった目をされても、俺の胸は鈍く痛むだけだ。何せ全く分からないのだから。俺は少し投げやりに言葉を返した。
「さあな。ただ、事件のことならちょっと気になることはある」
 俺がそう言うと、日奈の表情は一変して明るくなった。身を乗り出して、俺の発想を聞き出そうとしている。発想自体は別段突飛なものというわけではない。しかし、これを足掛かりにしていけばかなり犯人を絞ることは出来る。我ながら考えれば出来るものだと、自分でも少し内心で呆れていた。
「何々? どんなこと? もしかしてもう分かっちゃったの?」
「いやな、事件が起きてるのは夜間が多いだろ? それで昼間起きたときの日付を見てて気付いたんだ」
 俺はメモした中で事件の起きた時間と日付を指差した。日奈もそれを覗き込むが、どう考えてもそれだけで日奈に分かるはずもない。俺はそのまま続けた。
「これ、先月の二十日と今月の二日に起きてる。先月二十日は中間考査の中休みの日だ。そして、今月の二日は開校記念日。つまり、昼間に事件が起きた日は俺らの学校が休みの日だ」
 俺の推理を聞いた日奈は目を丸くしていた。ここまで言えば日奈にも俺の言わんとしていることは分かるだろう。ただ、それを信じたくない気持ちも分かるし、きっと信じられないだろう。
「じゃあ、まさか――」
 それでも、俺はその先を口にした。
「ああ、通り魔は我が校の生徒である可能性が高い」
 日奈の言葉を遮って告げられた可能性ならば、主に夜間に犯行に及んでいるのも、犯行現場が学校の近辺に集中しているのにも納得がいく。とはいえ、そこから先をどう絞っていくかは、まるで見当がつかない。これでは容疑者は未だ数百人いることになる。
 日奈は顎に手を当ててしばらく唸っていたが、やがて眉間に皺を寄せたままどこかへふらっと行ってしまった。いつも楽天的な日奈に小難しい表情は似合わない。早くこの事件のことを忘れてもらいたいものだ。
 やることもなくなった俺は荷物をまとめると学校を後にした。今日も今日でまたやることが出来てしまった。

 翌日、相変わらず俺は本を片手に教室で時間を潰していた。日奈を待っているわけではないが、今日日奈と会えば事件について何らかの情報が得られるかもしれない。期待やら懸念やらを抱えたまま、俺はただ紙上に踊る活字に視線を合わせていた。
 昨日よりも少し遅れて、日奈はやってきた。その表情から言って、やはり進展はあったようだ。緊張のせいか興奮のせいか、少しばかり硬い面持ちだ。
 必要以上にゆっくりな動作で俺の正面まで来ると、日奈は深く呼吸をしてから口を開いた。
「私、昨日は朝のニュース見てなかったから知らなかったけど、一昨日また事件があったんだね。しかも昼間に」
 日奈はまずそのことから情報の共有を図ってきた。そして、ここで昨日の俺の推理を揺るがすような状況になっている。日奈は続けて、その事実から当然帰着する結論を言った。
「一昨日は別に記念日でもなんでもない、平日で学校もあった。だから、普通に考えれば通り魔はうちの生徒ではなくなる」
 やはりそういう風に考えるだろう。しかし、それで必ずしも我が高校の関係者が容疑者から外れるわけではない。
「でも、その日に休んだり早退した生徒がいれば、その限りではなくなるぜ?」
 日奈は何度かこくこくと首を縦に振った。その様子から、日奈もそのことには気が付いているのだろう。だが、我が高校に犯人がいるという仮定に固執さえしなければ、無秩序な無差別犯罪でしかない。日奈としては、十分にその仮定が成立する可能性を削っておきたいのだろう。誰だって身近なところに犯罪者がいるとは信じたくないだろう。だからこそ、日奈の表情は堅いのかもしれない。
「うん、それは分かってるの。それで友達に聞いてみたんだけど、その七件目の犯行が起きた日に学校を休んでた生徒は三人だったんだって」
 三人にまで絞れたのは俺としても意外だった。全学年なら、一日の欠席者数はもっと多いものかと思っていた。ともかく、日奈がまた大事な情報を話そうとしていたため、俺はメモの準備をした。
「一人目が、三年で野球部の納所剛太。エース右腕の名ピッチャーなんだって。二人目が二年で書道部の黒縫空斗。結構な腕前で何度かコンクールでも賞を貰ってるって。そして三人目が、一年で文藝部の露木地彩人。他の二人に比べて功績があるわけではないけど、幽霊が多い文藝部では珍しく真面目に活動しているって」
 日奈は挑むような目で俺を見詰めた。これで犯人を特定しろということだろうか。丁寧に部活紹介までして、通り魔と何の関係があるというのだろうか。俺は思わず笑いそうになってしまった。
「さてどうだろうな。それでも事件についての情報が少ないからこれ以上は絞り込めないんじゃないか?」
 容疑者を三人にまで絞り込めたのは上々だ。だが、そこからもう一歩踏み込むには、今度は犯人ではなく事件の状況などについての情報が必要になる。特に今回の事件では傷害に留まっているのだから、既に七人から証言が得られているはずだ。
「あ、そういえばね、今朝のニュースで、昨日の夜にまた通り魔が出たって言ってた」
 一日を空けることなくもう次の事件を起こしたということだ。これまでは大体一週か二週に一度だったのに、最近はえらくペースが早い。歪みが生じてきているのがよく分かる。下手をすれば、もう直ぐにでもぼろを出すかもしれない。日奈は今朝得た新鮮な情報を、相変わらずの硬い真っ直ぐな目をして話した。
「昨夜の十時頃に、帰宅途中の女性がすれ違い様に刃物で切りつけられて、左腕を負傷したんだって。その人の証言だと、犯人の身長は一六〇から一七〇くらいで、顔はフードを被ってたし暗がりだったからよく分からないって」
 事件に関して言えばこれまでとほとんど同じ状況で起きているし、証言も既にされているものと大して変わらない。これでは新しい推理要素は得られないだろう。俺は小さく息を吐いた。
「次の事件が起こらないことを祈るばかりだな」
 日奈もそれに頷いた。九件目が起きたとしても、それで新たな情報が出てくるとも限らない。無駄に被害者を出すだけだ。
 それから日奈は用事があるといって教室を出ていった。帰り際に見せた横顔は、どこか嬉しそうにも見えた。残された俺は窓越しに陽の傾きかけた空を眺め、先程までの日奈との会話を思い出していた。果たして、本当に意味のない事実しか得られなかったのか。
 容姿だけからでは、男か女かも分からない。そもそも、容疑者に挙げられた生徒は三人とも男子なので、それもあまり意味はない。では他には。例えばそのときのアリバイだとか。しかし、完全に個人の領域に踏み込むことになるため、そう易々とは知ることが出来ないだろう。
 そこまで考えたとき、俺はふと日奈の情報に気になるところがあるのを思い出した。被害者の女性がどうなったか。それを考えていくと、確実に犯人の特徴が一つ浮き上がってくる。
「――ああ、そうか。それなら犯人の特定も可能だな」
 とはいえ、これはあくまで蓋然性が高いというだけに過ぎない。絞り込めるのは二人までの可能性もある。しかし、俺にはこれで全てが決まるような気がした。去り際の日奈の表情が、そう物語っている気がしてならなかった。

 翌日の放課後、明日は休みだという事実に、学校の空気もどこか晴々しい。俺は帰ろうかそれとも日奈が来るのを待とうか悩んでいたが、結局待つことにして鞄から文庫本を取り出した。もう終局も近くなっている。
 ばらばらと教室から人が減っていく中、俺は普段と変わらないペースで頁を捲っていく。あまり面白くはなかったが、倒錯した主人公の行動については感心する箇所もあった。
 そうしてしばらく時間が経過し、物語も読み終わりあとがきに入ろうかというところで、俺は顔を上げた。見ると、日奈が俺の方に向かって歩いてきている。俺は日奈の講釈に備えて、一応筆記具の準備をした。ペンを手に持ったところで、俺に近付いてきているのが日奈だけではないことに気が付いた。日奈の隣には男子生徒が立っており、鋭い目をしてこちらを見ている。その顔には見覚えがある。忘れるはずもなかった。
 しっかりとした歩調で日奈とその男子生徒は歩を進め、俺の目の前に立った。そして、その男子生徒――天谷郁太は口を開いた。
「君が通り魔事件の犯人だったんだな、露木地彩人」
 俺は来るべきときが来たと、深く息を吐いた。椅子の背もたれに体重を預けると、天谷の目を真正面から見返して尋ねた。
「どうして俺だと分かった?」
 天谷も視線を逸らすことなく、自信がある調子で答えた。
「三人に絞ったところまでは、君が日奈に言った推理と変わらない。昼間学校に行っている間は犯行を起こせないから、事件は基本的に夜になる。昼間に事件がある場合は学校が休みの日。事件の起きたエリアを考えるなら、犯人はうちの学校の生徒だ。そして、七件目では学校が休みでないにも関わらず、事件が起きた。なら、犯人はその日休んだ生徒になる。これで三人だ。ただ、もしも事件に着目するのが前後していたら、この可能性は気付けなかったかもしれない」
 やはり天谷も俺と同じように推理していたわけだ。だが、それでもまだ容疑者は三人いる。そこからはどうやって絞り込んだのだろうか。まさか勘だなどとは言うまい。
「そっから先は?」
 俺の挑発的な言葉にも眉一つ動かすことはなく、天谷はあくまで冷静に答えた。だが、その冷静さの奥に激しい感情が沸いているのが、俺には分かった。つまり、俺も天谷も同じ穴の狢なのだ。天谷は決して認めないだろうが。
「八件目の事件で、被害者はこう証言した。『すれ違い様に左腕を切られた』と。すれ違い様ということは被害者は抵抗する暇すらなかったということだ。なら、犯人は直前まで刃物を隠していたことになる。その状態で左腕を切り付けることが出来るのなら、犯人は左利きだ」
 天谷はそこで言葉を区切った。俺は口を挟まなかった。それだけでは、三人のうち誰が左利きか分かるまで特定には至らない。天谷もそのことは十分に承知だろう。再び口を開き、推理を続けた。
「容疑者のうちの一人、野球部の納所剛太は名右腕というくらいだから確実に右利きだ。よって除外される。黒縫空斗についても、右利きである可能性は非常に高い。書道をする人は圧倒的に右利きが多いからだ。たとえ左利きでも、矯正してまで右手で書く人もいるくらいだ。高校の部活で書道をやるような人なら、高い確率で右利きといえる。よって除外。となると残るは君だけなんだよ、文藝部の露木地彩人」
 天谷はペンを持つ俺の左手を指差しながらそう断じた。俺の口許は自然と緩んでいた。やはり今日で決着がついてしまった。俺は最後の強がりとばかりに、天谷に質問を投げた。これが天谷にとっても楔になるはずだ。
「その様子だと、動機も分かっているのかな?」
「犯罪者の考えることなんて、俺は知らない」
 だが、天谷は淡々とそう答えた。日奈も動機という点については気になっているようだ。懇願するような目を俺と天谷の両方に向けている。どうして日奈は天谷のような、人の気持ちを考えようともしない人間と一緒にいようとするのだろうか。俺には全く分からない。
「まあ、お前みたいに自分の気持ちから逃げているような人には分からないだろうね」
 自分がしたことを正当化しようとは思わない。動機を一言で言ってしまえば憂さ晴らしにしかならないのだから。それで無関係な人達を巻き込んだ俺は、歴とした犯罪者だろう。そして、そんな犯罪者を日奈の傍から遠ざけたいとする天谷の気持ちも分からないでもない。ならば、天谷に犯行を指摘された俺は今後日奈に近付くことは許されない。
 俺は手早く荷物をまとめると、席を立った。その意味を瞬時に理解した天谷は、だがしかし何も言うことはなく、鋭い視線を俺に刺すだけだった。日奈は不安げな顔で俺と天谷の顔を見比べている。
「さて、けじめは自分でつけないとな。……最後は少しだけ楽しかったよ」
 二人の下を離れ、教室のドアまで近付いてから、俺は最後に二人を振り返った。日奈はいつか見せた期待のこもった目を天谷に向けていて、天谷は先程とは一変してひどく安堵の窺える柔らかい表情をしていた。
 そんな二人を見て、お似合いの二人だなと、そう思ってしまった。
 そして、俺はそっと戸を開けて、廊下へと足を向けた。

なき事件(将倫)

一度はやってみたかった叙述物。それを成功させるために、同部誌で発表された前作では一人称視点になっていたり郁太が右利きであるらしいことを臭わせたりと、作品自体が一つの伏線になっていたりします。

なき事件(将倫)

最近頻発している通り魔事件に興味を示す淵戸日奈。当然のように事件の解決を求められる天谷郁太。しかし郁太が示す犯人は思いも寄らない人物だった。なきシリーズ第五作。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-03-15

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