鬼と矜持

嗤う、嗤う、鬼たちよ。主を失くした鬼たちよ。復讐に燃え、孤独でわらう

鬼と矜持

真っ白な空間に、重厚な机を挟んで私と男が戦っている。
戦っているというのは比喩であるが決して全くの嘘ではない。男は細身の姿にきっちりとしたピンストライプのスーツを着ていて、ネクタイもお揃いの黒である。もしこの男のスーツにピンストライプが薄く入っていなければ喪服かと思うだろう。肌が白いのを引き立たせていて、まるでなにかのモデルにでもなれそうな爽やかな好青年だが、彼が放っているのは明らかに私に対しての威圧だった。整った顔立ちと左右対称に吊り上げられた口角からもそれが見て取れる。両手を組んで頬杖をつく様は確かに絵にこそなれど決して関わりたくなどない。少なくとも私は。だって今この瞬間をもってしても眼鏡のフレームから覗く目は冷静に状況を観察している。
だがしかし私も負けてはいない。普段接客するときのように人格すら入れ替える勢いでやんわりとした至極毒気の無い完璧な微笑みで返す。瞬間、男が眉を少しひそめたような気がしたが瞬きするとそれが嘘のように消え去っていた。私はお気に入りのダークグレーのスーツをきて、この場でこの男のすべてを暴いてやろうとしている。
「何か飲みますか?コーヒーと紅茶がありますが」
「紅茶でお願いします」
「わかりました、持ってきますから少し待っていてください」
男は隙を見せずに席を立ち、扉を開けて部屋を出て行った。少しの間気がゆるんで、ふう、と息を吐く。
あの子はあんな男のどこがよかったのだろう。確かに表面上は完璧だ。だがそのあまりの完璧さに人間味が薄れてしまっている。その完璧さは以前なかった。結婚前にあの子が嬉しそうな顔をして彼を私に紹介してきたときはその顔は完全にだらけていて照れながら幸せそうな笑みさえ浮かべていた。あの頃の彼はどこへ行ったのだろう。それすら虚構で最初から本当の顔はさっき見せた顔かもしれない。いや、それも嘘で本当のこの男など私はこれっぽっちも知らないのかもしれない。どうでもいい。本当の事だけが知りたい。
「お待たせしました」
そう言って男は自然な動作で私の前に紅茶を置く。男は自分用にコーヒーをもってきたらしかった。私の目の前にスティックシュガーとマドラーを置いて自分の前には何も置かないということはブラックか。
「ありがとうございます」
そもそも、男はどこからコーヒーと紅茶をもってきたのだろう。ここには二脚の揃いの椅子と重厚な黒い机と扉が一つあるのみで、他は何もない。時計も私の持ち物すらない。どうやってここに来たのかもおぼろげだ。私は少しそのことを不思議に思った。否、それまで不思議に思わなかった自分を不思議に思った。まあ、いい。どうでも。私はこの男と話をしに来ただけなのだから。本当のところこの男と話させできればここがどこであろうと、この先、どうなろうと至極些細な問題にしか過ぎない。
ぼーっとしているとどこからか猫の鳴き声が聞こえた気がする。野良猫だろうか。
互いに飲み物を飲み終わったタイミングを見計らって私が口を開く。
「いくつか質問したいのですが」
「ええ、どうぞ」男の完璧な笑みが顔に張り付いている。
「あの子が死んだとき、どうおもいましたか」
私は忘れずに突飛な質問で申し訳ありませんが、と付け足しておく。
「ええ、そりゃあショックでしたよ。なんせいきなりで。会社に電話がきたときは頭が真っ白になってしまいましてね。正直のところ記憶がおぼろげなんですよ」
「私もです。というか、あのときから記憶がもやがかかったようになってしまって。なんとも」
白く靄がかかった思考をすこしでも晴らすため私は紅茶を飲む。香りはとてもいいのに味がうすっぺらくてびっくりしてしまった。
「…いちおう自殺、ということになったらしいですが。納得いきません」
「ええ、僕もです。妻が自殺したときいて真っ先に何か自分に否があったか思い起こしました。結婚してとくに揉めた覚えはなかったし、お互い浮気なんてものに縁はなかったですし」そういって男は眉をひそめる。自然な動作であるはずなのに何故かこの男にたいして心の底で常に疑問をもちつづけているのはなぜなのだろうか。
「何か変わったことはありませんでしたか。なんでもいいんです。あの子がしゃべった事とか、行動パターンが変わったとか、ささいな事でかまいません」
「…そういえば、前の日におなじ団地の奥さんと話をしたって言っていましたね。内容自体はごくありきたりの日常会話だったらしいんですが」
「それについて何か心当たりがおありで?」
「いえ、特に気になる点は。ただその奥さんが少々噂好きのようでして。あの人の話は話半分で聞いているとおもしろい。と妻が言っていたような気がします」
「噂、ですか」
「ええ。言ってることは大体間違いではないのですが幾分誇張されているらしくて」
「それは厄介ですね。間違いじゃないぶん弁明するほうも面倒でしょう」
「そうですね」
ひっかかった。なぜ男はこの状態で今まで三人称で物事を語っていたのに素直にここで肯定したのだろう。ただ単に相槌をうっただけに過ぎないかもしれないが、もしかしてその噂はあの子とこの男の夫婦に該当する部分があったのではないか。そう考えてみる。ここではすべてを疑わなければいけない。そうでないといけない気がする。
「…それと、非常におぼろげな記憶で申し訳ないのですが」
「なんでしょう」
「妻が首を吊ったとき、検死官が、微笑んでいるようにみえる、と言っていたような気がします」
「死ぬ間際に微笑み、ですか」
「実際の遺体をじっくり見た訳じゃないので詳しくは言えませんが、首吊りをして死ぬ場合、ほとんどが最後は苦しさにもがいてひどい有様だそうです。でも、妻は…」
「まるで微笑んでいるかのようだった、と」
「そうです」
お互いにない知識を必死にかきあつめて謎を解こうとしている。誰か専門家のひとりやふたりでもいれば違う結果になるのかもしれないが、そうはいかない。
紅茶を飲んだら思い出したことがある。
「そういえば」
「なんでしょう」
「あの子の死には直接関係ありませんが思い出したことがあります」
私の右手には普段たまにつける腕時計とは別の時計のようなものがついている。秒針や単身がなく、長針のみが唯一表示されている文字盤の「88」を指している。
「このやりとり、88回目のようです」
「え…ああ、そういえば。」彼も自分の利き手についている腕時計のような機械を見て急に記憶があふれ出るように戻ってきたようである。私が紅茶のカップを持つ際にこの時計もどきに気づいたのは確か37回目だ。
「ああ…思い出してきましたよ…」彼の顔から表面的な無機質さが消えた。
「いつもここまで来るのが大変なんですよね。最初の頃はあなたがあの子の死に触れようとすらしなかった」
「まあ、それはそうですよ。実際仮面をかぶってやりすごす事しか考えていなかったし」
「今回はあなたが冒頭で飲み物を持ってきたこと、それと団地の噂好きの奥さんの話をしてくれたからお互いに気付けたんでしょう」
「一応僕も歩み寄る努力はしているんですよ。心の底できっと。そうじゃなきゃ永遠にこの場が繰り返されるなんて普通なら発狂ものですからね」
お互いのスーツがすこしずつ血に染まっていく。もっともこれも何回か経験したものでお互い気にも留めずに話を続ける。私は主に胴体と足から。彼は頭と胴体から。まるで雨漏りでもしたかのようにしずかに、血が滴ってあっというまに二人とも血まみれになった。
「そうですねえ、そうじゃなきゃ死んだあの子も、私たちも報われませんからねえ」
「この奇妙な空間が終わってもあっちで妻に怒られる気しかしないんですがねえ」
彼の顔には完全に最初の頃のような威圧感は消え、私が生きていたときに見た、あの人間らしい彼に戻っていた。この状態を安定して出すまでに50回はくだらなかった。
「もう全部思い出しました?」
「ええ、大体は」
お互いポケットから煙草を出す。いつのまにか黒光りする机の上には灰皿とライターがそれぞれ一個ずつ置いてある。彼はタバコをくわえようとして流れた血液がフィルターに付いたらしく、チッ、っと小さな舌打ちをして口まわりを強引にぬぐったあと、新しいタバコに火を付けた。
「それでは、次の段階の話、お願いします」
ブラウスが血を吸って肌に張り付いて嫌な感触がする。
「俺がなぜ妻を殺さなかったか、なぜ妻が死んだのか、でいいですか」男は鬼のような顔で笑う。
「それと、前話さなかった、そこに至るまでのいきさつをかいつまんで、お願いします。まだそこの部分の記憶が曖昧で」
「俺思うんですけど、俺を何回か鬼と言ったあなたも、俺からすれば十分鬼に見えますよ」
「まあ、お互いの目標が違っただけで、道筋も生き方も半生もよく似てますしね」
「そうして、同じ人に惹かれ、片方は彼女を自分の人生すべてをかけて守ろうとし、片方はすべてをかけて利用しようとした」
「結局、どちらもうまくいかなかったんですがね」思わず下を向いて笑ってしまう。諦めと、彼女に対する尊敬の笑みだった。彼も意図がわかったようでお互いに力の抜けた笑みを見せる。
「彼女が上手だったのか、それとも俺たちが非情になりきれなかったのか」
「たぶん、どちらもでしょう」
わらう、鬼二人。
「そろそろこの長いゲームもお開きにしてもいい頃ですよね」
「はい、そうだと思いますよ」
「正直あなたの本心の隠し方の上手さには霹靂しました」
「俺もあなたの抉り取るような質問には疲れましたよ」
「「では」」
どちらともなくここまで危うげだった記憶を掘り起こすように「彼女」について話しだす。

私には大事な幼馴染がいた。日菜と書いて「ひさな」と読む。最初は変な名前だとおもった。彼女の母親が日に当たる植物の葉のようにたくさんの愛をうけとれるように、と付けてくれたらしい。しばらくたった時に彼女がふと教えてくれた。彼女にぴったりの名だった。あまり人付き合いの上手でない私を暗い淵から救い出してくれた彼女にぴったりの名だと思った。きっと彼女がいなければ私は仮面をすてて唯一親身になれる人などこの世に存在しなかっただろう。私はその彼女の広い海のような心に感動した。救われた。そうして「何がなんでも彼女を守り抜く」ことを心の底で、誓った。この子の人生が名前の通り他人からの愛やおもいやりをたくさん受けられるように、と。
そこにこの男が現れる。何年前だろう。22の時だったか。彼女が好きなひとができた、と私に言った。誰にもひみつよ、夕子ちゃんだけだからね、こんな相談できるの。
そういった彼女のはじらいと嬉しさが混じったような顔を今でも覚えている。彼の名前は涼介、といい、彼女の職場の上司で、3つ年上の25歳だった。初めて彼女と一緒に居る時みた彼はとても爽やかで優しそうな笑みを浮かべており、彼女が惚れた理由がなんとなくわかった気がした。その時はまだ彼の本心に気付くことができなかった。私より、日菜のほうが、鋭かった。
 彼には人生での目標があった。「ある人物を社会的に抹殺すること」。それは日菜の父だった。表向きには好々爺で資産家の父だったが、裏でいろいろ悪名高いことばかりしていたらしい。家庭内で日菜や母に手をあげたり高圧的に振る舞うことも少なくなかったそうだ。日菜はそんな父親が嫌で女子短大を卒業したあと自分で職を見つけ、父親と縁を切った。母親はそんな娘に対して苦労をねぎらう言葉をかけると間もなく他界した。癌だった。娘と違って結婚という楔で縛られてしまった母が父親から逃げるには、死ぬしかなかったのだろう、と日菜は言っていた。実際、彼女の母親はかなり身体症状がつらいはずにもかかわらず死ぬその時まで全く病院に行かなかったという。母親は死ぬ間際に「やっと楽になれる」とさえこぼしていたと言う。当然母親の最期に父親は現れることはなく、身内向けの葬儀のときはさすがに体裁をあわせるために泣きはしたものの、終わると同時に「仕事の邪魔をしおって、屑が」とさえ吐き捨てていたらしい。彼は、日菜の夫である目の前の男はそんな日菜の父に人生を食いつぶされたうちの一人だった。直接彼が手を下されたのではない。手を下されたのは、彼、涼介の父だった。
 涼介の父は日菜の父と同時期に配属された同僚だったという。二人は意気投合し、互いに信頼しあっていた。もっとも、そう感じていたのは俺の父だけだったかもしれないが、と彼はこぼした。涼介の父のほうが優秀だったのだ。それに対してふつふつと怨念を燃やしていたのは日菜の父だった。彼の父は同僚で気の置けない友人である日菜の父にいたわりや思いやりの感情を持って接していたらしいが、それすら彼の心情には嫉妬の種になったのだろう。もはや正攻法では勝てる位置にすらいないと確信した日菜の父は曲がった方向に努力をし始める。
 ある日、朝会社に来ると、何やらデスクが騒がしい。見ると、その中心にいたのは友人の日菜の父であった。なにかしでかして怒られているのかと心配したが、いざ輪の中に入ってみると彼がすばらしい事をした、と皆口々に彼を褒め称えていた。いままでの友人の努力が実を結んだ、と彼は喜びさえした。その内容を知るまでは。
 彼は、日菜の父が自分の提案を盗んで会社に貢献したのを上司の口から知った。誰にも言っていない、友人のよしみで日菜の父だけに話したアイディアを自分の企画として成立させ、日菜の父は会社に自分のものとして提案した。そしてその提案が会社自体に対して利益を生み、あっというまに昇進した後、跡形もなく別の会社に転勤した。彼、涼介の父は二つの物を同時に失った。気の置けない友人と自分の会社内での地位を、同時に失った。
「それからの親父は見るも無残だったよ。一気に覇気も生気も失ったみたいでさ」
彼はこのことを迷った挙句、上司に報告した。その旧友にかける情けすら日菜の父は計算として入れていた。
「何を言っているんだ」
会社の上司は訝しげな顔でそう、返したという。
その頃にはもう上司や会社全体に根回しがすんでいたのである。それに転職した日菜の父は涼介の父に悪評すらつけて恩を仇で返した。
「彼は自分といるときしつこく自分のアイディアを求めてくることがある。もしかしたら自分のいなくなった後、何か言ってくるかもしれない。自分も旧友に情けをかけるため黙ってこの会社から離れることにするが、何かあったら教えてほしい」
そういう根回しをすでにしていたそうだ。涼介の父は、それからほどなく帰らぬ人となり、母は父の遺産と貯金を残してどこかへ蒸発したという。
「いや、でも俺の引き取り手が見つかって苗字が変わったとき、これはしめた、と思ったよ。これで親父の敵討ちができるって」
そうして彼は復讐に生きる鬼となった。その過程で見つけたのが、娘の日菜だった。
「最初は、日菜も標的だったんだ」煙草をくゆらせ彼は言う。
「でもさ、わかったんだ。彼女も俺と同じだって。そうしたら、なんだか彼女に申し訳なくなっちゃってさ。」
別れよう、そう告げたという。日菜の答えは、きっぱりとした否定だったという。
「涼介さん、私と別れるのなら、私をくたくたになるまで利用して、父をこらしめてからでも遅くないんじゃないかしら」
日菜はすべてを知っていた。彼女の父がいままでしでかしてきたことも、その犠牲も、涼介の目的も。
「ぜんぶ知ってて、それでも俺を愛して応援してくれるってさあ。そんな事されちゃったら、情が生まれないわけないじゃないか」
そういった彼はすこしだけ、泣きそうな声をしていた。
「私はここまでしか知らなかった。日菜に教えてもらったのはここまでだったし。まだ完璧にすべて思い出せた訳じゃない。まだ私があなたに疑問を覚えて警戒していた頃ね。それがなぜ、あの子が」
「日菜の親父さ」彼は遠くを憂うような表情で見つめていた。
「俺が根回ししている頃はよかった。多分俺一人潰せばどうにでもなると思ったんだろう。でも、そうもいかなかった」
「…日菜が、いたから」
「そう、日菜は全部知ってた。俺自体もうまく立ち回ってたけど、日菜の親父のほうが上だった」
日菜の父が標的にしたのは実の娘だった。
「…思い出した。私も、うかつだった。もうとっくに縁は切れて日菜のことなんて放っておいているものだと思ってた。それに」
「奴は、君のことすら計算に入れていた」
思い出して怒りで手が震える。私の出張と日菜の夫である涼介の出張が重なった時点でなぜ気づかなかったのか。気づくきっかけはいくつでもあった。直接的ではないにしろ、なんどかそれ、と思う猶予はあったはずだ。
泣きじゃくる日菜の電話で慌てて日菜の家に駆け込むと、そこには生気を失ったようなうつろな日菜と、冷たい怒りで我を忘れる一歩手前の涼介が居た。
「やられた」涼介はそう言った。
「奴、俺と日菜を同時にぶちのめしやがった」その一言ですべてわかった。日菜の電話の「わたし…あかちゃん、あかちゃん、」という意味も。私は自分のふがいなさと日菜の父に対する怒りで我を失うところだった。
日菜は、彼女の父の手で、腹の中の涼介の子供ごと、生殖機能を失っていた。
日菜を至急病院に送り、私は涼介とある作戦を練っていた。二人の目標がここで初めて明きらかになり、そうして合致した。病院で虚空を見つめる日菜をみて二人で日菜には内緒でこう、誓った。
「「奴を、生かしてはおけない」」
それからまず涼介が動いた。まず、妻の流産で会社の人間の同情を買い、それとなく周りに日菜の父親のおかしな点も同時に漏らしておいた。あとは噂が噂を呼ぶ。火が付いたように瞬く間に噂が広まった。
「奴はどこかおかしいんじゃないか」
「娘が流産したのに一回も病院に顔出さないで翌日も会社にきていたそうよ」
「そういえば黒い噂をよく聞くなあ」
「ああ、なんか結構あくどいらしいよ」
「もしかして娘の流産って…」
「そういえば日菜ちゃん、昔お父さんに酷いことされたって」
当然、日菜の父をよく思っていない人も少なからず居た。それに、涼介と日菜は会社で好意しか持たれない。涼介は意図的であったが、日菜も涼介も誰からも愛されるような人だった。それに涼介は地位も実績も、復讐のために積み上げていった。
「妻が流産して、とても仕事が手につかない。辞めようと思うんです。それなのに…彼女の父は…平気な顔をして、また産めばいいだなんて!!」
実際に、日菜の父はそう言っていたそうである。日菜と日菜の父の一部始終を録音していたのには、さすがに気づかなかったのが幸いした。
涼介は信頼できる上司にすべてを話した。もちろんその上司に信頼を置いていたのは確かだが、きっかけはその上司が日菜の父に対し不信感を持っていたことらしい。
「その上司に全部話すのもよかったんだけど、それじゃああの人が潰される。だから、フェイクをいれて、社会的地位を奪うのを手伝ってもらった」
その上司の計らいもあって、日菜の父はすべての子会社から縁を切られた挙句、自分の経営する会社でも地位を失った。
「マスコミに垂れこんでおいた。過去の悪行と証拠。でも、それだけじゃあ社会的地位を失うだけだ」
日菜の父の悪行が明るみに出て、彼の社会的地位はすべてなくなった。涼介は彼をどん底へ落とした。
「ここまでは俺の元からの目標。でも、もう、これだけじゃ足りなくなってた」
「そこからは、私とあなたの個人的な目標」
そこから私が動いた。もちろん涼介にも少し協力してもらったが。彼と協力して、まずは日菜の父親が日菜にしてきたことをすべて警察にばらした。
「私のことは警戒していても、私に警察のツテがあるとは思わなかったでしょうね」
私と涼介を追いやるのに精一杯だったらしく、その犯行にはボロがたくさんあった。また、日菜の父も私と日菜を見くびっていたのだろう。日菜はおどろくべき早さで回復し、証言をして私たちを手伝ってくれた。いままでの日菜しか知りえないことも含めて。
「彼も警察に根回ししたみたいだけど、私のほうが早かったし、コネがあった。私の家族の情報までは調べなかったみたいだし」
正直言うと、親に泣きついた。父親が警察の上層部に居たのだ。頼るときは今しかないだろう、とここぞとばかりに泣きついてみた。結果、うまく転んでくれた。
「あと、早い段階で社会的に追い詰めていたからマスコミもうまくやってくれた」
日菜の父親は今までの社会的悪事と実の娘に対する暴行で一気に世間から非難を浴びた。投獄自体は金を積んで猶予がついたが、はやく塀に入ったほうが安全だったかもしれない。というか、私がいくら金を積んでも投獄行きは免れないようにした。そうして彼が金を積んだら猶予が引き伸ばされる、という風に小細工したのも私だった。追い詰められた日菜の父は、たやすく私たちの筋書き通りに動いてくれた。
「普通に考えれば気づきそうだけど、その可能性も封じておいたのよねえ」
「まさか私が昔心理カウンセラーをしてて、塀の中にお友達がたくさんいるなんて彼もさすがに知らなかったでしょうし」
仲のいい監視官には本当の事を話し、監獄内で多少暴行があっても目をつむってもらうように仕向けた。また、犯罪者の心理カウンセリングを行う傍ら、ちょっとしたすり込みを行っていたのが功をそうした。
「馬鹿よね、塀の中で何日か酷いことされたからって外に逃げ出してくるなんて」
もっとも、私がそうなるように仕向けた。友人が自分よりうまくやれるから、それだけで相手の地位を奪うような人間だ。忍耐強い訳がない。
「外に出たって私たちと世間の目から逃げられないのに」
実際、そうして金を積んで猶予を伸ばしたところで塀の中も外も変わらない。皆「正義」の名のもとに、相手を潰すだけだった。
世間の非難が集中し、過激になったところでやっと私と涼介が同時に動く。
暴動にみせかけて、日菜の父の家に火をつけた。
彼が家から出られないのも、前日に何回か不審火騒ぎを起こして何回か通報させ、消防団員に通報してきた男が世間を騒がせている悪人と同一人物だとわからせたのも、全部計算していた。そうして彼が愛煙家であったこと、乾燥注意報が出て風が強くなり、なおかつ彼の家以外にも焚火程度の不審火を何件か起こして消防の目をそらすことに成功し、人手が少なくなったこと。これは運の部分が大きかった。
「でも、鬼が二人いてただ火を付けるだけじゃあ済むわけない」私も彼もひどく乾いた笑みを漏らす。たまらなくなって二人とも大声で笑ってしまう。笑うたびにお互いの傷口から血がどぽ、どぽ、と出て血だまりが出来るが気にしない。だって、あんなの。傑作すぎて笑わないわけにはいかない。
「冬にやったのは正解よねえ!灯油ぶちまけても不審がられないし!」
「俺もあれは傑作だと思うよ!よく燃えれば燃えるほど骨以外の異常なんてまず気づかない!くわえてあの生活ぶり!」
「どこから燃えてもおかしくなかったわ!でもあんな状態でも酒とタバコをやめないなんて!酔って寝タバコ、灯油のポリタンクはボロボロ、まわりは可燃性のゴミだらけ、空気は乾燥して風は強い!正直なにもしなくても焼け死んでたと思うけど」
「それで俺たちが許すわけない!」
「だってさ、ピッキングで窓の鍵あけてさ、二人で半殺しにしようと思ったら、もう泥酔してるのよ!」
「あの時あいつが何て言ったか覚えてるよ」
「「鬼だ!!化け物だ!!」」
「あーはっはっは!!どっちが鬼よ!うるさいからまずはしゃべれないようにしたのよねえ!」
「そうそう。そうして骨が折れない程度にサンドバックにした」
「もちろんあの子がやられたように下腹部を中心に」
「あと燃やしたんだっけ、ばれない程度に」
「そうそう。痛みを感じるように手とか足とか末端から」
「泣きわめいて、ざまあなかったわ」
「本当に」
鬼は二人で笑っている。口だけが乾いた音をたてて笑っている。至極痛快な話のはずなのに。二人とも目が死んでいる。
「でも、殺して火つけて。全然ばれなくて。やっと終わったと思ったら何もする気がなくなっちゃった」私は二本目のタバコに火をつける。
「俺も」彼はすっかり冷たくなったコーヒーを流し込む。そうして彼もタバコに火をつける。今度はフィルターに血がついても何もしなかった。お互いの血はさっきからとめどなく出ていて、どんどん血だまりが大きくなっていく。
「そんな最中に、日菜が死んだ」
彼はもう笑っていない。白い壁越しにずっと遠くを見ていた。たぶん私も今同じような目をしているだろう。
「ずっと、なんで自殺したかわからなかった。でも、今はわかるわ」
「結局、全部ばれていたんだ。警察には言わなかったけど、出勤するときに俺の鞄に遺書が入ってた。ばれないように、俺がいつも使うメモの一ページにマジックで書いてあったよ」


「わたしはすべての罪をひきうけます」


「…感づかれたのは、最初に話してたマンションの噂好きのおばさんから?」
「多分。俺らが侵入したのは見つかってないはずだから、不審火が連続で起きたってことから疑問を感じたんだと思う」
「その発生する時期と私とあなたの帰りが遅くなったり連絡がとぎれた時期が重なるからねえ」
「うかつだったよ。実にうかつだった」
「二人で車に乗って向かうときもね」
「あれもうかつだった。二人とも日菜の死に動揺していたし。事情聴取をうまく終えるので精一杯だった」
「めずらしく雪が降って、道路が凍って」
「飛び出してきた猫をよけきれなかった。日菜は、猫がすきだったから」
「そうして、二人ともこのざま」
お互い目を合わせる。血は止まらないまま、どんどん血だまりとシミだけが大きくなっていく。
「…あの猫、日菜がよこしたのかもね。これ以上私たちを苦しめないように。悪事に手を染めないように」
「…実際、日菜の父親を殺した時点で俺たちの生きる目標はなくなったんだ。そうして日菜が死ぬことで、生きる意味さえなくした」
「そういうところ残酷よね、あの子。怒っていたのかも」
「ああ」
「…本当にうかつだったのは、あなたが日菜を本当に愛してしまって、それが彼女の父親に感づかれたところだったのかもね」
「それさえなければ、四人も死ぬことはなかったのかもな」
ずいぶんと冷たくなった紅茶を一気にすべて飲み干す。彼のコーヒーはもう空である。
「…やっと、終わったのね」
「ずいぶんあっけなかったよ」
「本当。ここまでたどり着くのが嘘みたいに長かったのに。思い出して話してみると、やるせなさしか残らなかった」
「君じゃなくて最後ぐらい日菜と話したかったよ。もっとも俺らは地獄行きで、きっと日菜は天国行きだから、無理だと思うけど」
「わからないわよ。日菜はやさしいから、最後ぐらい私たちに会ってくれるかもしれない」
「…いこうか」
「ええ」
互いにどちらともなく扉を開けて何もない空間を歩いていく。やっとこの永遠に終わらないであろうと思っていたゲームが終わったのに、どちらもちっとも開放的にはならなかった。彼がタバコに火を付ける。タバコを持つ手が血でべとついているのを見てまたチッ、と舌うちをする。
私は口から漏れる血液をそのままにしながら喋る。今までで一番時間を取ったので内臓から口まで血液が逆流してきたらしい。時々のみこんでしまって口の中に血の味が広がる。まずい。
彼が頭をかく。その後頭部は相変わらず血が流れ出している。スーツにだらだらと血がしみるがそんな事お互いもう気にしていない。血だらけのまま、びしょびしょのまま歩く
「この廊下、毎回思うけど、長い」
「いいかげんこの合間の会話も喋りすぎて何言っていいかわからないわ」
私も腹部から生暖かい血が漏れ、最初白かったブラウスもお気に入りのダークグレイのスーツも真っ赤だが、もうどうだってよかった。血だまりを踏みつけるようにして歩く
「いつになったら会えるんでしょうかねえ」
「まあ、お互いやったことがやったことだし。そもそもこのゲーム今まで一回もクリアしてなかったからこれから先どうなるか知らないし」
歩くたび血の跡がお互いの足跡に続く。
「正直廊下に出るまではもう何回もやりましたよね。次の扉に入るのも、何度も、何度も」
「そうねえ。正直もう飽きたわ」
「最初の頃なんてお互いもう死んでることに気付いたらクリアだと思ってた。死んでることに気付くだけじゃ、扉を開けてもまた次の扉に行く道ができるだけで」
「私毎回あなたが飲み物持ってきてくれるから終わる前に扉あけるとどうなっているのか知らないのよ」
「ああ、給湯室になってますよ。お湯の入ったポットと、インスタントコーヒーとかあって」
「もし次があったなら私が飲み物入れるわね」
「よしてください縁起でもない」
そういってどこからともなく二人で笑ってしまう。
「今度こそ」
「ええ」
そうして私たちはいままでのような黒い扉じゃなく木でできた白い扉に手を掛ける。
主がいなくなった鬼たちは死を迎え、死を認め、そうして主のもとへ還ってった。

鬼と矜持

鬼と矜持

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • サスペンス
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-03-12

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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