なき原稿(将倫)

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この作品は、東大文芸部の部誌で掲載されているなきシリーズの第四作になります。初出は2012年2月発行のNoise39です。

 週の始めの一日を乗り切った翌日、心に少しだけ余裕が生まれる日。放課後の自由な時間を、俺は昨日発売されたばかりの本を読むことで過ごしていた。そのとき、背後から声が掛かった。
「ねえねえ郁太、ちょっといい?」
 いつもの台詞に一瞬身を硬くした俺――天谷郁太だったが、声の調子が原稿を読ませるときのそれとは違っているような気がする。なので、警戒を怠らないようにしながら、俺はゆっくりと振り向いた。
「どうかしたか、日奈?」
 俺は素早く目の前の少女――淵戸日奈を観察した。やはり、その手に原稿用紙は持っていない。だとすれば今日の用件はどんな厄介事だろうか。
「原稿用紙が切れちゃったから、買いに行くのをちょっと付き合ってほしいんだけど」
 俺は日奈のその提案を吟味してみた。日奈の書いた作品を読むことに比べたら労力は遥かに軽い。それに、最近は外に出ることも少なかった。散歩だと考えればそう悪い話でもない。
「ああ、別にいいけど、そこじゃないのか?」
 俺が窓の向こうを指差しながら言うそことは、高校の正門からなら徒歩で一分少々の場所にあるショッピングセンターだ。そこには文房具を扱うエリアも存在しており、原稿用紙ならばそこで買うことも出来る。
 だが、日奈は首を横に振った。そうなると、残る選択肢は一つになる。
「ううん。そこじゃないの。いつも使ってる原稿用紙はあっちで買ってるから、今日もそこに行くつもり」
 日奈は廊下側を指して言った。ショッピングセンターとは反対側には個人経営の文具専門店がある。やや遠くはなるが、品揃えにはこだわりが見られ、あえてそちらを使う生徒も多い。俺は文房具に別段こだわりを持つタイプではないが、日奈にはあるらしい。俺にとってはどちらにしたところで散歩という意味では変わらないから、それでも構わない。
 行くと決めると、荷物を鞄に仕舞い学校を出る仕度を済ませた。
「あれ、そういえば――」
 ふと気付いたことがあり、俺は左腕の時計に目をやった。
「郁太、どうかした?」
「……いや、何でもない」
 何でもないことはなかったが、それを日奈に言う気にはならなかった。これは少し面白いことになりそうだ。
「そうそう、ここのところは私が推理ものを郁太に読んでもらっていたから、今度は郁太が何か問題を出してよ」
 教室を出たところで急に日奈はそんなことを言ってきた。いきなりの無茶振りに俺は幾分辟易としたが、この機を上手いこと利用すればさらに爽快感が得られるかもしれない。
「突然そんなこと言われたってなあ」
 そう漏らしつつ、俺の頭の中では既に問題の骨子が組み上がっていた。以前読んだ小説の焼き直しではあるが、日奈に出す問題としては十分だろう。あとはどう組み入れるかということだ。
「今日は私が探偵役になるから」
 日奈は意気込んでそう言った。
 下校口を背に正門を出たところで、俺はふと立ち止まった。このまま右に曲がり真っ直ぐ進むと文具店への最短ルートではあるが、工事をしていて道が狭くなっているところもあったりと、景観的に楽しくない。
「折角だし、向かいの道を歩こう」
 俺の提案に日奈は快諾した。少し行けば直ぐに向かいの歩道に渡る横断歩道がある。そうして、俺と日奈は正門から右手へと歩き出した。それと同時に、考えをまとめた俺は問題を話し始めた。
「秋口に、河原で首のない死体が発見された。
 初動捜査は難航すると思われたが、身元不明の死体には特徴があった。
 双方の手がポケットに入れられていて、物を硬く掴んでいることだ。
 やはり捜査員が期待した通りそれは証拠品で、左手には指輪が、右手には写真が握られていた。
 して、この二つの遺留品から捜査を進める内に、被害者の身元が判明すると同時に容疑者も浮上してきた。
 会社員だった被害者には気の弱そうな妻と小さな子どもがいた。
 生き写しのようにそっくりな双子の兄がいて、資産家の兄には妻がいた。
 給料が少なかったために被害者一家の暮らしは貧しく、被害者は家庭内暴力を振るっていた。
 押収された遺留品の指輪は、被害者と妻の結婚指輪だった。
 指輪とは反対側、つまり右手に握られていた写真には、兄の妻の不倫現場が写されていて、兄の妻はそれをネタに強請られていた。
 まだ確実な証拠は出ていないが、この段階で犯人と思しいのは一体誰でしょうか?」
 俺は一息にそこまで言い切った。即興であるから多少強引になってしまった節はあるが、まあ上出来だろう。途中で横断歩道も渡り、左を見れば、江戸時代に建てられたという木造藁葺きの町内で最古の民家が見える。
「え? 問題文ってそれだけなの? 情報少なすぎない?」
「まあな。問題文にもあるように、当然これから物証が上がるわけではないから、確実に犯人を絞り込めるわけじゃあない。あくまで、一番犯人である可能性が高いのは誰かってことだ。あと、初めから容疑者はこれで決まっていたと考えてくれ」
「それにしてもさー、何かヒントちょうだいよ」
「考える前からヒントを望むなよ」
 俺は小さくため息をついた。いくら何でももう少し考えてから音を上げてほしいものだ。
「うーん、そうだなあ。――二重の意味で、『頭を取ることの意味』を考えれば分かるかな」
 俺がヒントを出してからは、日奈は押し黙って考え始めた。俯きがちに視線を地面に這わせたまま、真剣な表情をしている。とても散歩といった感じではない。日奈がそんな状態なので、通い慣れた道ではあるが、むしろ俺は周囲の景色を堪能することにした。
 視線を右に向けた道路の向こう側、そこでは大規模な工事が行われていた。昼だというのに大きな音を立てて重機が作業を続けている。あと二年もすれば巨大なマンションが出来上がるらしい。
「まだ分からないのか?」
 左手に釣場を眺めながら、俺は日奈に尋ねた。よくよく考えたら、この問題は文具店に着く前に謎解きまで終わらせなければならない。あまりのんびりとも構えていられないのだ。
「うん、全然。だって誰にも疑わしい要素があるんだもん」
 日奈のその発言を聞き、俺はいささか不安になった。日奈は見当違いなことを考えているのかもしれない。正面から自転車に乗った人とすれ違った。
「――もしかしてで聞くけど、容疑者は何人だと思ってる?」
「え? 妻と兄と兄の妻の三人じゃないの?」
 やはり俺の予期した通りだった。これでは話にならない。
「……もういい。いくら考えても日奈には分かりっこないよ」
 俺は少し間を置いてから、答えを口にした。道端に立つ電話ボックスの横で、校帽を被る小学生と行き違う。もう小学校も終業している時間帯か。
「犯人は――被害者の子どもだ」
 俺の口にした人物を聞いて、日奈は驚きの表情でこちらに顔を向けた。ちょうど横断歩道までやってきた。ここで右に曲がればあとは真っ直ぐだ。しかし、信号は赤色で点灯している。俺らは交通規則に従いその場に立ち止まる。
「え? 何でどうして? だって小さいって」
「小さいイコール幼いではないだろ。むしろ身長とか体格での方がよく使う。だから、『小さい』という形容詞で子どもを容疑者から外したのなら、それは日奈の早とちりだ。それに、容疑者には被害者自身も含まれる」
「ええ? だって殺されちゃったら殺人なんて出来ないよ?」
 コンビニの前を通り過ぎる。同じ高校の生徒が買い食いをしてたむろしている。堂々と校則違反をしているが、俺は別に目くじらを立てることもなく答え合わせを始める。
「ここからは順を追って説明するぞ。日奈、首のない死体と聞いてまず何を思い浮かべる?」
「えっと、それは、入れ替わりトリック?」
 全く、日奈の考えていることは理解出来ない。俺が出したヒントをきちんと汲んでいるじゃないか。バス停を通り過ぎ、北門へと通じる曲がり角も越える。
「それが分かっていて何で被害者を容疑者から外すんだよ……。まあいい。つまり、死体の首がなくて、かつ被害者に双子の兄がいるという時点で兄弟には疑いの目が向けられるんだ。この場合だと疑われるのは兄だと思われている人物だけだけどな。次に、遺留品に指輪と写真が握られていたことから、疑いは妻と兄の妻にも向けられる。首を切られた人間が物を掴める訳がないから、それは犯人の仕業になる。わざわざそんなことをするってことは当然自分から疑いを背けようと意図してのことだ。要するに、被害者の状況から誰が一番疑わしくないかを考える問題なんだよ、これは」
「――? でも何でそれで子どもが一番になるの? 兄もそうじゃないの?」
 ここでもそうだ。俺の発言から、瞬時に兄は一番疑わしくないという事実を弾き出してくる。日奈は不知というわけではなく、単に発想と論理の繋ぎ方が分かっていないだけなのかもしれない。
「確かにそうだ。一人ずつ考えていくぞ。まずはっきりとした物が残されていた妻と兄の妻。動機は二人ともはっきりしている。家庭内暴力と強請だ。ではこの二人を比べた場合どちらがより疑わしくないかというと、それは妻の方だ。なぜなら、指輪は常にしているものであって、うっかり外れて手の中にあるということも、写真よりはあり得るからだ。一方、写真が握られていたことには作為を感じずにはいられない。これはいいな?」
 日奈はこくこくと頷く。ここまでは理解も追い付いているようだ。通り過ぎていく右手のマンションは二階部分が学習塾になっている。俺は塾に通ったことがないが、通ったとして果たしてどれくらい学力の向上を望めるのだろうか。俺はそんな回顧を経てから次の説明へと移った。
「次に兄弟を比べよう。弟、つまり今回でいうところの被害者を考えると、入れ替わってまで殺人を犯す動機はある。兄の資産だ。そして、首を切らねばならない理由も非常に明確だ。遺留品を残して妻と兄の妻に疑いを向ける必要性も十二分にある」
「ならそれこそ一番犯人の可能性が高いんじゃないの?」
 普通に考えればそうなる。だが、前提として、容疑者は予め四人と分かっているということがある。それを考えるとそうは言えなくなる。歯医者の前でまた小学生二人組とすれ違う。
「ところがそうでもない。確かに動機の面では一番疑わしいが、それだと子どもにも疑いを向けさせなかった理由がつかない。首なしという、真っ先に自分が疑われるような状況を作り出し、身内に疑いを向ける工作までしたのに、子どもにだけそうしなかったのは腑に落ちない。
 兄に至っては、疑う余地すらない。まず弟を殺す動機がないし、首を切り入れ替わりを疑わせる理由もない」
 俺は一つ区切りを入れて日奈の様子を窺った。小難しい顔をしてはいるが、ちゃんとついてきているようだ。これで説明も最後だ。俺は小さく息を吸ってから話を続けた。
「最後に子どもを考えると、指輪、写真、首なし、いずれにおいても他者を疑わせる要素であり、この四人の中では一番疑いがかかりにくい立場にある。だが、これらが犯人による工作であることを考えた場合、子どもが一番疑わしい。動機も、妻と同様に家庭内暴力としっかりもしている」
 説明が終わってから少しの沈黙が俺と日奈の間に流れた。バイク店の前に来た辺りで、日奈は納得したのか、一つ頷いてから口を開いた。
「おおー、そっか。やっぱり郁太すごいね! 即興でそんな問題考え付くなんて!」
 日奈の感想がそれだけだったので、俺は続けて促した。少し先の曲がり角に小学生の一団が見える。そこを曲がり真っ直ぐ行けば小学校だ。
「で? もう一つの方は解けたのか?」
「――何のこと?」
 やはり日奈は気付いていない。咄嗟に頭を巡らして考えたのにこれでは、張り合いがない。しかし、だからこそパンチを食らわしたときの日奈の顔は見ものだ。
「ヒントの時に言っただろ。『二重の意味』だって。もう一つ問題があったんだよ」
「何それ知らないよ。どこに問題があったの?」
 美味しそうな匂いを漂わせる鍋物屋の前を過ぎ、目的の文具店もかなり近付いている。正面に見えるバス停のところがそうだ。
「ヒントは覚えてるな?『頭を取ることの意味を考えろ』だ。これを問題だけではなくて、問題文にも当て嵌めるんだ」
「んーと、つまり、各文の頭文字を抜けってこと? えー、そんなの覚えてないよ」
 俺は自分が語った文章を頭に思い起こした。花屋に飾られた色とりどりの花を横目に、話し出した。
「いいか? 問題文の書き出しは、
 あきぐちに、かわらで
 しょどうそうさは
 そうほうのてが
 やはりそうさいんが
 して、このふたつの
 かいしゃいんだった
 いきうつしのように
 きゅうりょうがすくなかった
 おうしゅうされたいりゅうひん
 ゆびわとははんたいがわ、
 まだかくじつなしょうこは
――だ。これらの二文字目がどうなってるか、もう分かるだろ?」
 日奈は俺の言った文の出だし、その二文字目だけを拾いながら、その文字群を口にした。ちょうどそのタイミングで、俺達は文具店にたどり着いた。しかし――。
「ええとね……、『今日は定休日だ』?」
 文具店のシャッターは無情にも閉まっており、そこには一枚の貼り紙があった。いわく、『本日火曜日は定休日です』と。
「えぇーっ! 郁太分かってたなら何で早く言ってくれないのよー?」
 あまりの無駄足に日奈は頓狂な声を上げて反駁したが、俺は用意していた言葉を素っ気なく言い放った。
「俺は散歩がてら日奈の買い物に付き合うつもりだったから、別に文具店が開いていようがなかろうがどっちでもよかったんだよ。それに、日奈が早く解いて気付いてればこんな無駄足も踏まずに済んだだろう?」
 日奈はぐうの音も出ない様子で黙り込んでしまった。ほんの十分弱の散歩ではあったが、改めて自分の通う高校の周囲の日常というものを感じられ、俺にとっては予想以上に有意義だった。日奈からすればそんなこともないだろうが。

 その後、日奈は不本意ながらもショッピングセンターで原稿用紙を手に入れた。その買い物に俺が付き合ったのはもはや言うまでもない。

なき原稿(将倫)

この作品は基本的に散歩をしているだけなので、実際の高校をモデルにしています。そして、地の文を毎分七〇〇字、会話文を毎分五〇〇字程度で読むと、小説と現実は時間的空間的にリンクします。――というどうでもいい仕掛けが施してあります。
合評会の際に言われて気付いたのですが、首を切断する理由は入れ替わり以外にも普通にありました。まあ、そこは解き専の郁太のミスということでどうか一つ。

なき原稿(将倫)

淵戸日奈の買い物に付き合うことになった天谷郁太。普段とは異なり今度は郁太が謎解きを作ることになる。果たして日奈は郁太の問題を解くことが出来るのか。そして、問題に隠された郁太の真意とは。なきシリーズ第四作。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-03-08

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