ファン・クラブ

ファン・クラブ

結婚を機に、国民的人気を誇った歌手が引退した。
以降、メディアへの露出は一切せず、彼女はそれを貫き通した。それから十余年。
再来を渇望するメディアは注視するも、世間はアルバムを見返す様に暖かく一家を見守ったのだった。
それが伝説の域に達した頃、事件は起こった。張り巡らされた WEB を巧みに利用する犯行グループの目的は一体・・・。

【序章】 -1-

 『 開演まで、あと1時間を切りましたね・・・ 』

煙草を横銜えした飯田は、袖に立つ桐島にも KENT を差し出した。掴みかけた桐島は、手を止め言った。

『 いや・・・やめとこう 』

『 おや、まさか緊張なんてしてませんよね?』

わざとらしくフカした飯田は、旨そうに目を細める。

『 そうじゃないさ。感覚を研ぎ澄ましたい。それに、火の気は厳禁だろ? 君だって立場上、まずいんじゃないのか?』

そう言うと桐島は、クジ棒の様に飛び出した煙草を人差し指で押し戻した。飯島は、この ” ファイナル・コンサート ” の
フロア・ディレクターであった。

『 さすが、桐島さんだ。アタシはね、さっきから震えが止まらないんですわ・・・ 』

飯田の仕草が可笑しくて、桐島は吹き出した。飯田が銜えている煙草をもぎ取ると、手のハンカチに灰を落とし深く吸い込む。

[ 味がしない・・・しかし、覚醒してゆく手助けにはなるかも知れんな・・・ ]

『 緊張だったら、ボクだって負けはしないよ。何たって、世紀の大歌手が引退するんだ。必死で取り繕っているんだよ・・・ 』

その言葉に、嘘は無かった。
 緞帳の隙間からスタジアムを窺う飯田の背に、言う。

『 どうだい、入りは?』

飯田は、無言で振り返る。

『 ハハハ・・・』

『 何だい?じれったいな・・・』

『 いや、ここは 6万入るんですけどね、大方、埋まってます・・・』

『 入ってるかい。ま、チケットの売れ行きから、分かってはいるんだけどね?』

『 それが、皆、押し黙っています。たまに、口笛が聞こえるだけですよ。分かるなぁ・・・複雑なんですよ、みんな 』

それで桐島は、合点がいった。珍しく動揺する理由は、それだったのだ。開始時間が迫るのと同調して、喧噪も押し迫って来る。
その盛り上がりが、無いのだ。忙しく走り回るスタッフを避け、機材が入ったケースに腰を下ろした。

『 じゃ、私もこうしちゃ居られないんで・・・』

走り去る飯田を見送りながら桐島は、水澤 瞳との出会いの当時を想った。
 

 平成 6 年 7月。
桐島は、灘プロ恒例 ” タレント発掘シルクロード ” の準備に追われていた。東洋と西洋の出会う道。ジャンルを問わない
逸材発掘のツアーを称して、社長の神崎はそう呼んだ。

『 どうだい、桐島くん。今回は、いい出会いがあるといいんだがな・・・』

トレードマークの蝶ネクタイにパイプを燻らせながら、スケージュールに目を通す桐島に訊いた。

『 そうですね・・・社長は、どう思われます?』

『 オイオイ、スカウトのプロが、自信なさそうじゃないか 』

パイプを二度吸い、神崎は意味ありげに笑った。プロダクションの社長と言うより、どこか学者然とした男である。見掛けだけではなく、
頭の切れと人材を見抜く目は、図抜けていた。新興のプロダクションの者など、本気で ” せんせい ” と呼んだ。

『 ” トレンド ” は何かね?』

[ 来たな!]桐島は身構えた。出陣前の、指さし確認である。企画段階では一任してくれるが、最終でのこの一言。

社運を、桐島に問うのであった。

『 ”心に残る ”、ですかね? 臭い言い方ですけど・・・』

ビートだけや、アメリカの亜流ばかりが巷には溢れている。エンジニアの実験の様な楽曲もある。ロックの基本は不変であると思うのだが、何不自由なく育ったくせに、流行だけでスラムを語る輩には虫酸が走る。

[ 最早、俺もロートルなのか?・・・いや、違う。良くも悪くも歌は、心に残り訴えるものであると思いたい。歌は、人を殺しもするし、
生かすものでなければならない。己を諫める時、鼓舞する時、そこにある歌でなければならない。自分の子供に語り継げる歌を唄う者 ]

時代はようやく、それに気づき始めている。桐島なりの確信があった。

 『 ふむ・・・いいね、” 心に残る ” か。今のウチには、堂々とそう言えるのは君しか居らんよ。皆、” ポスト○○ ” だとか、そんなんばっかりだ。オレもね? 所属タレントの歌、唄えないのよ 』

灰皿を派手に鳴らし、神崎はパイプの灰を落とした。

『 はあ・・・ 』

『 いいじゃないか、それでいこう!』

『 はい 』

桐島は、一つ荷が下りた気がした。ま、新たな荷に替わるだけなのであるが、準備が整った事は事実だ。

『 ” スター候補 ” は、居るかい?』

『 そうですね・・・ 』

リストに目を落とした。” 発掘 ” には違いないが、お膳立てはある程度出来ている。地方在住のスカウトや、提携している
テレビ局がふるいに掛けるのだ。しいて言えば、こちらの思惑とのギャップが面白い。醍醐味とも言える。しかし社運が掛かっている以上、楽しんでばかりも居られない。

『 私、デモ・テープは聴かない主義なんでハッキリした事は言えないんですが、変わり種は何人か居ます。

社長、今年も ” ぶっつけ ” で行かせて貰えませんか!』

返事を待つまでもなかった。神崎は立ち上がるとブラインドを開け、陽光に目を細めた。

『 暑くなりそうだな、今年も・・・。磨きの砥石を用意して待っとるよ。体には気を付けたまえ 』

出発の時は来た。

【序章】 -2-

 桐島は、浮かぬ顔で書類に目を通していた。煙草の数ばかりが嵩む。
眼鏡を外し、階下を眺めた。発光した外界とその熱を、分厚いガラスが嵌め込まれた窓は完全に遮断していた。
手をかざすと、ひんやりとした感触が伝わってくる。

[ これじゃ、自殺など出来ないな・・・]

勿論、そんな気持ちは微塵も無いが、まるで真空の容器に封じ込められたかの様な感覚に息苦しさが重なり、
期待に副えるかという重圧からふと、そんな想像をしてみたりする。
 関東ブロック予選結果。原因は、その審査書評であった。
エントリーに際しては、参加者は一応、業界のプロ達に篩いに掛けられている。しかし、プロダクションの意向とは裏腹に
業界人達は、時代の先鋒へとの思いに先走っていた。皆、一応の基準には達している者達であったが、聴いて桐島は、
何も感じる事が出来なかった。歌は確かに上手い。中には、今すぐにでもプロで通用しそうなレベルの参加者も居た。

[ テクニックはまあ、そこそことしよう。加えて、訴えかける情念の様なものが感じられたらな・・・]

『 無理もないか・・・。今や、食うに困るって時代じゃなんだからな 』

最近の例として、ライターは少ない。煙る部屋を掻き分け、イベント・ディレクターの吉積 早苗がコ?ヒ?を持って現れた。

『 どうしました? 浮かない顔ですね 』

桐島はコーヒーを受け取ると、代わりに書類を手渡した。吉積は [ 十分、目は通してある ] と言いたげであるが、再読する。
 訳あって音大を中退し、その後クラブのホステス経験もありという経歴を持つ。経歴と言えば大袈裟だが、その確かな理論と
世俗経験という武器を以て、桐島の右腕として無くてはならない存在である。立派な経歴だ。
 腕を出すのを嫌う彼女は、半袖のシャツを着ない。理由はあった。左の肩口に、龍のタトゥーがあるからだ。昔、入れ込んだ
男の名にちなみ彫ったものだそうだ。以前、大酒を喰らい酩酊した折り、勢いに任せて桐島にうち明けた事があった。
ジーンズの上に羽織ったシャツの袖を捲り、再び桐島を見る。

『 どう思う?』 桐島は訊ねた。

『 書評に、間違いはないですよ。” もしかして ” って子も、何人かは居たんじゃないかしら・・・』

『 いや、評はボクも認めるよ? たださ・・・[ お前は ” 歌手 ” になりたいのか? それとも、有名になりたいだけか?]って言うか・・・ 』

吉積は机へ書類を放り投げるとコ?ヒ?を啜り、片方の眉をつり上げた。”?”

『 フフフ・・・』

『 何だい!』

『 ま?た、難解な悩みですね?桐島さんらしい 』

『 ・・・でもさ、この、この坊主・・・ ” 夢は世界制覇 ” って、こりゃ何だい?』

吉積は、笑い出した。

『 そのセリフ・・・私、父親を思い出しちゃった、アァー可笑しい。そりゃ、今年のテーマは聞いてますよ。でも桐島さんは、人格者の

スカウトに来てるんですか、それとも歌手?』

『 ま、言ってみりゃ、” 人格を持った歌手 ”、だよ!』

『 ハハッ、オペラ座でも探して下さい!私、音合わせに行って来ます 』

ジーンズの尻を手で叩くと、吉積は部屋を後にした。ソファーの背もたれに大きく体を預け、桐島は天井をボンヤリと眺めた。


 楽屋へ向かおうとした桐島は、呼ばれた方へと振り向いた。

『 マネージャー・・・』

純白のイヴニングドレスに身を包んだ、水澤 瞳であった。開演、20分前である。

『 ” 桐島 ” でいい・・・って、前にも、おんなじやり取りがあったよな?』

『 ホント、あの時も、始まりもこんな感じだった・・・』

微笑む瞳の頬を、涙が伝った。

『 瞳ちゃ・・・あぁ、失礼!桐島さん・・・』

ディレクターの飯田が駆け込んで来る。桐島に向かい、時計を指さすジェスチャーをした。

『 瞳?スタッフに気を揉しちゃいけないよ。顔を見に行こうと思ってたんだが、色々あってな・・・でも、君の方から来てくれた 』

桐島は瞳の髪飾りを直し、ドレスの皺を払った。

『 アタシ・・・』

瞳は、唇を噛んだ。

『 何も言わなくていい。言う必要なんか、無い。 6万を超えるお客さんが待ってるんだ。その想いを、歌って来なさい 』

『 ・・・はい 』

面を上げた瞳は、緞帳を見つめた。降臨の瞬間だ。
差し出した桐島の手を、瞳は両手で包み込んだ。洩れるライトを受け、薬指の指輪が光を放つ。
桐島は、いつものセリフを言った。

『 さあ、聴かせてくれ!』

飯田は、瞳を促した。

【序章】 -3-

 『 皆さん、今日はホントに、ありがとう・・・』

エコーを伴った瞳の声は、スタジアムに響き渡った。歓声と言うよりも、引退を惜しむ声が多く返る。一部には、号泣している
ファンもいた。瞳が再びマイクを口元に近づけると、それらの声は止み静まり返る。大きく息を吸うと、全ての物音が消えた。
三原色のスポット・ライトがドレスの胸で交差し、瞳の顔を白く浮かび上がらせる。

『 皆さん既に・・・ご存じですよね?』

照れ笑いしながら小首を傾げた瞳の頬を、涙が伝う。観客達は思い思いの言葉を口にした。それが津波の様に押し寄せる。
ステージの袖に佇む桐島には、スタジアムの息吹に聞こえた。
 瞳は、ドラマや映画での共演俳優、嶋 邦彦 と結婚する。
新進俳優の嶋と ” 平成の歌姫 ” と謳われた瞳は、純愛路線のドラマで数多く共演した。ジュニア小説そのままのストーリーと、
甘く初々しいの二人のキャラクターは、上手くマッチした。続編が続編を呼び、設定は違えども二人の純愛は続くといった傾向は、
芸能史に一時代を築いたのだ。
 世俗にまみれた大人達は、イメージを損なわない様、” ピュアな素材 ” 探しに腐心した。最も苦労したのは、構成作家や脚本家であったと聞く。情報が氾濫しあらゆる既成概念が打破された今日、民衆の心を掴む素材探しは、文明に必須であるレア・メタル発掘の如く
困難を極めた。手詰まりになると彼等は、古典にまでその触手を伸ばしたのである。そうした脚本が嫌味にならなかったのは、二人の
ルックスに因るところが大きい。正当派の二枚目である邦彦に対して、一見、身近にいそうな美人で、実はそうではない気品と哀愁を
湛えた瞳。この二人の雰囲気が相まると、” メロ・ドラマ ” だと一笑に付される演出も、” アリ ” となった。
 民衆の心を鷲掴みにした二人には、ドラマ・映画の企画が目白押しだった。
ティーンエイジャーはドラマの展開を学校で語り挨拶代わりとし、娘の前では鼻で笑う父親達も、帰宅途中の一杯呑み屋で、瞳に初恋の
相手を投影したりしていた。下世話な放送枠を持っていても、二人の作品を放映する事によってそれら全てが浄化される。
そんな幻想を各局は抱き、こぞってその列に並んだのである。

 間奏に乗せて、瞳が言う。

『 まずは、この曲を。若い方からお年寄りまで、多くの方が一番好きだと言って下さいます。” この路の向こうに ”・・・』

叙情派のアーティストから提供された、JRのCMとタイアップした楽曲名を告げた。
歓声に包まれた瞳は、深々と頭を垂れる。秋色のスポットが、彼女を包んだ。

 吉積から差し出された瞳の経歴書を見た時のその驚きと、ほろ苦い感情を桐島は忘れる事が出来なかった。

『 目標とする歌手が [ 美空 ひばり ] はまぁ、分からんでもないが・・・将来の夢が、[ 家計の助けとなり、母に楽をさせる ] か・・・』

吉積は無表情を装ってはいるが、桐島の反応に興味津々である事が窺える。隙の無い緻密な女ではあるが、返って仕草は分かり易い。

『 基礎は、しっかりしていますよ、その娘 』

『 そうか・・・』

『 古いナンバーを歌って、地元の のど自慢は総ナメです 』

視線を避ける為、桐島はコーヒーに手を伸ばす。一口・二口啜るが、堪りかねてカップを置いた。と、頬杖を付いている吉積に顔を近づける。知らない者が見たら、このまま口づけでもすると思うだろう。

『 で、何が言いたい?』

待ってましたとばかりに、吉積はメンソールの残り香と共に言った。

『 エントリー、いいですよね?』

『 そりゃ、落とす根拠はボクには無いよ・・・』

『 よかった!』

背を戻した吉積は、メンソールをチェーンする。

『 君が買ってるんだ。相当の娘なんだろうさ。買ってるんだろう?』

『 分かります?』

『 ・・・ 』

これだけ分かり易い女も少ない。それを本気で惚け仰せると思うところが、この女の女たる所以だ。

 『 見た目、地味なんですよ・・・』

『 オイオイ・・・ボクぁ別に、派手好きじゃあないぞ?』

『 中音域が通る、いい声してるんですよねぇ。でも・・・売り出し方が難しいかも 』

『 と、なると・・・男はカラオケで唄えない、か。母子家庭なのか。それで、家計を助けたいと?』

『 そうそう、キーが合わせづらいですからね。はい、今時、珍しい娘です 』

家庭環境など、問題ではない。経歴書を信じる限り、モチベ?ションはある訳だ。15才の割には、大人びた顔をしている。

『 三田 仁美、か。早く聴いてみたいな・・・』

桐島は、吉積のメンソールを一本、失敬した。

【序章】 -4-

” タレント発掘シルクロード ” 関東ブロック決勝。
桐島は、吉積の言葉が頭から離れなかった。普段はドライな彼女が、” 三田 仁美 ” について熱く語った。
” 音楽のプロ ” と言うより女、女性としての個体に興味をそそられるらしい。女としても茨の道を歩んで来た吉積である。
その勘に、間違いは無いだろう。音響の調整作業が続く中、桐島は思った。

[ もし、彼女の目に狂いが無ければ・・・その通りの逸材なら ]

『 残る ” 東北 ” は、キャンセルしてもいいな・・・』

それを聞いたフロア・ディレクターの飯島は、イン・カムを押さえながら問い返す。

『 ハイ? ” 残り物には福がある ” と?』

『 ん?』

桐島は、溜息と共に俯いた。

『 君は、どう聞いたら、そう取れるんだね?』

『 いえ、” 残り ” が、どうとかこうとか・・・』

桐島はとうに放り出してあった自身のイン・カムを掴むと口に近づけ、噛みしめる様に言った。

『 ディレクターは、作業に集中する様に!』

飯島はバツが悪そうに頷くと、作業に戻った。

『 オイ、 2番・3番、ハウリングしてるぞぉ?・・・』

 祖母から仕込まれた民謡が自慢の少女。そのプロ顔負けのこぶし回しには、舌を巻く。
リズム感は文句ナシだが、歌を披露したいのかダンスなのか、いまひとつハッキリしない若者。
それぞれが自前の応援団から、やんやの喝采を浴びた。司会者のインタビューを経た後、専門分野の審査員達による批評に晒される。
が、強烈な ” ダメ出し ” は、慎重に避けられた。最近の風潮だ。いやハッキリと、社の方針でもあった。
仮にも予選を勝ち抜いて来た者達である。その自尊心を傷つける事無く且つ、納得のいくアドバイスを心がけた。それらが的確であり、
落選した者にとっても将来の指針となった。故に、灘プロ主催のコンテストは本格派に人気があり又、権威を維持しているのである。
背後に居る吉積が、桐島の背を突いた。いよいよ三田 仁美の登場だ。
 腰に ” 7番 ” の番号を付けたは仁美は、静々と現れた。
成る程、吉積の言うとおり、端正を通り越して地味な印象だ。経歴書の写真だけでは分からない雰囲気を、吉積は伝えたのだ。

『 三田・・・仁美といいます。15歳。歌は、” ジョニィへの伝言 ” 』

前奏が始まった。

[ 15歳で、”ジョニィへの伝言” か・・・ ]

最期の時に掛け、恋人を待つ女。しかし、相手は現れない。そうなる事は分かっていたし又、逢えたとしても、後の別れを悟っていたかの
如き心情が窺える名曲だ。年齢が歌を左・右する訳ではないが、この ” 訳あり女 ” の旅立ちを、少女がどう歌い上げるのだろう。

「 ジョニィが来たなら 伝えてよ・・・」

聴く内、桐島は自身の考えを表現する言葉を失った。吉積を振り返るが、腕を組んだまま目を閉じている。

「・・・上手く 伝えて 」

 『 どうでした?』

背後から吉積が問いかける。耳元と言うより首筋に近い所へ息が掛かるので、桐島は眉をしかめた。この女は時々、こういう悪戯をする。
歌を終えた仁美は、審査員達の批評を聴いていた。

『・・・いや正直、驚いたよ・・・』

『 で?』

『 成りきってるな・・・』

『 んもぅ、歯切れがわるいな。桐島さんらしくないですよ!』

『 済まん・・・いや、勿体ぶってる訳ではないんだ。・・・ど?もこの、ボキャブラリー不足で申し訳ない 』

『 フフフ・・・』

『 なんだい 』

吉積は、イン・カム外した。

『 正直、私も、最初は上手く表現出来ませんでした。桐島さんならこう、ズバッと表してくれると思ったんですけど、誰でも同じ印象を持つんですね 』

『 買いかぶり過ぎだよ、そりゃ。一言で言うなら・・・』

『 ハイ・・・』

『 上手いかどうかなんて次元は、とうに超えている。あの娘は、” 無垢 ” なんだよ 』

『・・・』

『 楽曲に、いかようにも染まれるんだ。その直前までは、無垢なんだよ。自分に対しても無頓着。それが ” 地味 ” に見えるんだろう 』

『 染まる、か・・・』

『 つまりそれは聴く者に感情移入させ、最期には共感を湧き起こさせるんだな 』

『 なるほどね 』

『 その内、涙を流すんじゃないかと思ったよ 』

『 甘いですねぇ、桐島さん。ああいう場合、女は、泣かないもんですよ 』

桐島にとって目下の課題は、残るエントリーに神経を集中させられるかどうかだった。

【序章】 -5-

 口をへの字に曲げた神崎は、パイプを銜えたまま椅子を背後へ向けた。
窓外のギラつくビル群を眺めると、頬に溜めた煙りを ” フゥー ” と吹き出す。椅子の向きを、桐島に戻した。

『 なるほど。で、本命は一人なんだね?』

長い儀式を眺めていた桐島は、考え抜いたこれ以上ない言葉を返す。

『 はい 』

『 そうか・・・』

神崎はパイプの中身を灰皿に空け、桐島を見るとニヤリと笑った。

 『 ま・・・君の意気込みと、その娘に懸ける情熱は認めようじゃあないか 』

『 何とも申し上げようが・・』

『 ハハハ、早まっちゃいかんよ 』

”やはり”、桐島は思った。自分を買ってくれ故に、絶大な信頼を寄せている神崎は、桐島の意見に異論は無いのだろう。しかし、ただでは転ばない男でもあった。ましてや、社の威信が係った事業である。そう簡単に退く訳がない。自らのゲームを、簡単に投げる男ではない。

『 ”キャラバン” は、続け給え 』

『 はい・・・』

『 うん、決めた。残るラウンドで、その娘に匹敵する者を選びなさい。いやこの場合は、”発掘” なんだな 』

『 社長・・・』

『 ”ユニット”・・・んん、”好敵手の併走”か 』

『 ユニット、ですか 』

『 まあ、ユニットに拘らんでもいいさな。ただね、”噛ませ犬” にするんじゃあないぞ?』

『 ”併走”、か。・・・はい 』

『 どうかね、君にとっちゃあ、チョットした試練、違うか?』

『 デビュー出来ても、安泰にはならない、ですね?』

『 んん 』

『 大仕事になりそうですね。燃え尽きて私、カラカラになるかも知れませんよ 』

『 アハハハ、何を言ってんだい。そりゃ、私の方が先だよ。若いんだ、バリバリ行きなさい 』

桐島は、脇の汗がヒンヤリするのを感じた。

 ところが、夏の喧噪も終わりを告げる頃、日本各地で執り行う予定であったキャラバンは、期間途中であるにも拘わらず異例の終了を迎えた。熟考の末の、苦渋の決断であった。理由は明快である。総合プロデュースの桐島が、代わりが思い浮かばぬ程の逸材を見つけてしまったからであった。三田 仁美である。
 灘プロ社長の神崎は終始無言であったがしかし、桐島に寄せる全幅の信頼を見失う事は無かった。
しかし、ユニット若しくはシナジ?効果を狙う施策の遂行は、最後まで譲らなかった。三田 仁美の他、関西と東北のブロックから
一人ずつ、各プロデューサー推薦の候補者を入賞としたのである。東北各地の民謡コンク?ルで賞を総ナメした実力を持つ山根 聡子、
日本人離れしたダンスセンスでストリートパフォーマンスを中心に活躍し、既にインディーズでは注目されている新座 亜紀の二人だ。
共に予選ではその片鱗をいかんなく発揮し、高評価を得ていたのである。
 各自キャラクターの違いに頭を抱えた桐島ではあったが同時に、神崎の親心を強く感じていた。
桐島のプライドも燃え上がった。素材の魅力は、三者三様に素晴らしい。生かすも殺すも、桐島のプロデュース次第である。
自らの我が儘を聞き入れるだけではなく、より高みに上げるべく試練を与えてくれる神崎は、桐島にとって無双の師であった。
 これを期に灘プロは、長年、新人発掘の柱としていた ” キャラバン ” を止めると記者発表をした。
社の命運を託すタレントの発掘に、ともすれば ” 歌謡コンクール ” と成りかねないキャラバンは相応しくない、という英断を下したのだ。各プロデューサーの手腕を信じ又、彼等の先を見通す目を養う為にも既成の概念を排すると、世間を説いた。

 [ 散々、世間を煽った挙げ句にこれか!]、[ これを目指してレッスンに励んでいる若者達に、どう説明するのか!]、

というマスコミに批判に対し社長の神崎は・・・

『 ご批判は、甘んじてお受けします。しかし、その先頭を走っていたと自負している我々が言うのも何ですが、今のままのやり方では、
短命で使い捨てのタレントを増産してしまうと、そう気が付いたからに他ならない事をご理解頂きたい。近年のキャラバンを通して思うのは、” 流行の後追い ” や ” 信念の無い模倣 ” の多さです。” 売れる線 ” を纏うことで皆、登竜門を飛び越そうとしている様に見えます。そういうタレントは簡単に ” 流行遅れ ” となり、修行を挫折と捉えてアッと言う間に、潰れます 』

神崎の鬼気迫るコメントに、記者達は茶化しの質問を止めた。

[ まぁ確かにな・・・三食喰って親の脛を囓っている連中が、なぁにが ” ラップ ” だよって正直、俺も思うよ ]

記者の一人は、誰にともなくそう呟いた。

『 我々としては、本人さえも気が付いていない才能を持ったタレント、原石を発掘したいのです 』

神崎がそう言い終わると、桐島は目を閉じた。

【序章】 -6-

 『 ・・・で、桐島さん? まさか、泣いているんじゃないでしょうね?』

吉積 早苗に肩を小突かれ、袖の桐島は我に返った。例によって吉積の顔は、口づけしそうな勢いで接近していた。
もう慣れっこだと思っていた桐島も、完全に意表を突かれた形だった。ステージでは瞳に加え、同時期にデビューした山根 聡子、
新座 亜紀が駆けつけ華を添えた。スクリーンに大写しされた当時の映像をバックに、トリオではしゃいでいた。

 『 瞳のファイナル・コンサートで、僕が泣くと思っているのかね?』

この女に、桐島の強がりは通用しない。

『 勿論! 飯田さんも気を遣ってらしてよ? ” 考え込んじゃってる ”って 』

『 あの男また、余計なことを・・・』

『 アラ、いいじゃないですか、当然ですよ、手塩に掛けた ” 歌手 ”のファイナル なんだもの。それとも、文字通り ” 嫁に出す父親の心境 ” なのかしら?』

『 ヘン! チョットそのさ、昔に想いを馳せていただけさ。それより君、進行の方は抜かりなく・・』

『 ” 完璧 ” です!怖いくらいだわ 』

吉積は進行表を丸め、頭を掻く真似をした。

『 だろうね。君が係わったイベントで、ミスがあったことはない 』

『 光栄ですわ、お父様!』

『・・・』

『 あ、そうだ!』

『 何だいっ!!』

『 号泣する時は言って下さいね? デジカメに収めて、社のブログにアップしますから!!!』

桐島は、苦笑いしながら吉積を手で追いやった。


 ファンの歓声の中、瞳はマイクを取った。

『 時間が流れるのは速いもので、次で最後の曲となりました。新しい門出なので、最後まで泣くまいと思っ・・・ 』

[ ヒトミぃー泣くなー ]、[ ヒートーミっちゃーん!]、[ 泣かないでぇー ]

嗚咽を堪えて面を上げる。無理に笑みを作るが、それが却って涙を溢れさせた。

 『 皆様の前ではありますが、この場を借りてお礼を言いたい人が居るんです・・・ 』

『 やめろって!』

それを聞いて袖から離れようとした桐島を、脇から吉積と飯田が押さえつけた。

『 こちら、対象捕獲。スタンバイ、オーケー!』

照明担当に指示を出す。神崎が、パイプを燻らせながら笑いを堪えていた。

『 色々、我が儘を聞いて下さった社長・・・ 』

聞いて、神崎も血の気が引く。だがもう遅い、飯田に腕を捕まれていた。

『 こちら飯田、” ダブル ” でオーケー!』

『 そして、私を一人前の ” 歌手 ” にして下さった、桐島マネージャー!』

瞳が袖の方を仰ぐと、ピン・スポットが緩やかに交差する。桐島と神崎は顔を見合わせた。が、しかし、どこで用意したのか神崎は既に、
大きな花束を抱えていた。

 [ 社長ぉー ]、[ いいぞぉー社長ー!]

花束を瞳に渡した神崎は、ファンに大きく手を振りながら早々に袖へと引き上げた。取り残された桐島は、瞳に促されてマイクの前に立った。瞳の成功と共にメディアに取り上げられたので、桐島の顔は売れている。

『 えー・・・皆様に愛された水澤 瞳のファイナル、いや、新しい門出の場にこうして居られる事を、光栄に思います 』

[ 桐島さぁーん、頑張って!]

タイミングを外した声援が目立ち、スタジアムを湧かせた。

『 すいません、裏方がこんなとこまで・・・ 』

横を見ると、瞳が大きく頷いた。

『 ・・・既にご存じの通り、瞳は嶋 君と結婚し、今日のファイナルを以て芸能活動から引退します。” 三田 仁美 ” に戻る訳です 』

スタジアムは、静寂に包まれていた。気付いた桐島は、声のトーンを落とした。

『 ですが、これまでの楽曲を通し深く、皆様の胸に残るシーンであったと確信しています。企画にも気を遣いましたが何より、瞳の歌唱に

そうする力があった事を、私は忘れません。段々、女々しくなりますので、この辺で。瞳、おめでとう!』

 瞳が再びマイクに向かうと、この日の為に用意した曲のイントロが始まった。

『 僕が紹介していいのかな?』

瞳は満面の笑みを返す。

『 それでは、” 国境の駅 ” 』

スポットと一緒に、桐島は消えた。


” 差し込む光とざわめきが私の髪を撫でた時、汽車が大きく溜息をつく

向かいの席に、貴方はいない

そうこれは、愛しい人へと向かう列車

旅の終わりそして、始まりの街で・・・”


 コンサートが終了してもファンは中々、席を立たなかった。
午後10時にコンサートが終わり最後の観客がスタジアムを後にしたのが翌、午前2時。機材の搬出とは別に、スタッフ総出での片づけは
今も続いている。打ち上げは、無い。次は披露宴で顔を合わせるであろう瞳に今、桐島は掛ける言葉が見あたらなかった。
スタッフに挨拶を済ませると、スタジアムを後にした。

 水澤 瞳の新曲はまず、有線から火が点いた。
これは、飲食客は素より、そこに働く従業員達からの支持も意味している。あっと言う間に登り詰め、CDの売り上げが後を追った。
邦画界の衰退と共に映画への出演は無くなったがこの間、ドラマやCFなど、水澤 瞳はメディアを席巻した。
 それらの曲は、瞳自身にも演出はあったろうが、聴く者達の様々なイメージを喚起した。
歌の文句に ” 列車 ” とあればそのイメージは固まるが、テーマが ” 旅 ” であった場合、ある者はジプシーの踊り子を連想し又、ある者は傷心を癒す女の一人旅を想う。どちらも、心情的には共通点が窺える。ジプシーの踊り子であったって、色々な事で傷心しているはずだ。旅から旅で終着を知らぬ人生、それそのものに傷心しているのかも知れぬ。
 これを可能にしたのが、情感溢れるメロディーラインだ。
作曲家は素より、桐島や吉積は吟味に吟味を重ねた。そして、瞳のイメージに重なる共通項として堅持したのは、” 望みを捨てない ”、
希望というキーワードであった。旅情的なメロディーで始まり、苦難を乗り越え明日の希望へと繋ぐ。聴く者達に、” 今日を生き、明日に託そう ”との思いを抱かせる。どんなに素晴らしいアトリエや画材を与えられても、アーティストが未熟では成功はない。
瞳はこれらを吸収し、思惑以上のパフォーマンスを実行した。
 バブル崩壊以降、先行き不透明な世の中にあって瞳の曲は、ジャンルを選ばず支持され続けたのであった。
茶の間、働く女達、男は男で感化され、周りの女達を気遣った。疵を追った人々、夜に働く孤独な者達。引退、結婚に際しては、非公式ながらも皇室関係者からもコメントが寄せられた。
 デビューしてからの10年間で、出したシングルは23枚。ベストを含むアルバムが5枚。アジア各地にも輸出されたそれらの総数は実に、4000万枚強。メディア出演他、興業収益の総額は何と、2000億円に迫った。瞳は文字通り、” ドル箱スタ? ” であった。最早、死語になりつつあるこの言葉も、瞳の場合、的確に形容していた。
 瞳の活躍は、株式会社 灘プロダクションを東証・大証の一部上場に押し上げる、強力な原動力となった。
引退によりその業績を危ぶむ声が内外からあったが、神崎も桐島も、瞳の決断を最初から受け入れた。老舗ではあったが、一介の芸能プロダクションが” 一部上場企業 ” にまで登り詰めたのである。これ以上、望むものなど無い。残された財産を生かすも殺すもそれは、神崎を始めスタッフ達が負うべき責務に他ならない。
 水澤 瞳 と 嶋 邦彦の結婚式は、” 全国民 ” が見守る中、絢爛に執り行われた。
彼等を真似た訳ではないのだろうが、逡巡していた ” 結婚予備軍 ” 達は、俄に活気づいた。各地のブライダル産業は息を吹き返し、微細領域ではあるが、この年の国民総生産を押し上げた。エコノミストがこの話題に触れるにつけ、” 水澤 瞳 効果 ” は決定的となり同時に、伝説化したのである。

 引退後、瞳は一切、表舞台に出る事は無かった。
スキャンダルの匂いもしない彼等にしかし、芸能各紙は強引に群がった。大衆は、興味本位よりも偶像の維持を望み、そんな取材合戦には批判的であった。業を煮やしたマスコミは、二人の第一子誕生を機会にここぞとばかりに囃し立てた。だが、そこにあるのは平和な親子像そのものであり、後ろめたさを感じた彼等は徐々に、介入する事を止めた。極、たまに、目線入りの子供の顔を掲載する写真週刊誌があったが、他人の幸せをブチ壊すその行為に世間は背を向けた。時代の流れと共に興味の対象も移り、ゴシップが売りの彼等は廃刊に追い込まれるに至ったのである。
 復帰を望む声は毎年の様に揚がったが、瞳のリアクションは無く又、神崎も桐島も、瞳に問うつもりすらない。
広告代理店からのCF出演の依頼は、引きも切らない。3億とも5億とも言われる契約料を提示する企業もあったが、瞳サイドは誰一人、耳を傾ける者は居なかったかった。本物の ” スター ” は、活動の終わりが全ての終わり。ズルズルと世間に未練を残さず、伝説として生きながらえるのだ。故に、人々の心に残り、語り継がれていくのである。

[序章] 終わり

【祥子】 -1-

 観測史上最大の寒波が、街を覆っていた。
陽は照っているものの薄雲が掛かり、温度計の針は低空飛行を続けている。その針は正午を過ぎても、5℃を越える事はなかった。
 終業の鐘と共に、学童達は一斉に表へ飛び出した。上は濃紺のブレザー、スカートと半ズボンとが、男・女を分けている。
エンジのベレー帽には、校章をあしらったピン・バッジが付き、その交差した ” 旗 ” の色が学年を表している。1年生の女の子が数人、
喧しく通り過ぎた。話題の中心は専ら、学期始めの席替えについてであった。

『 元気出しなよ・・・ショウコちゃん!』        

『 そうよ、そうよ、あんなやつ、こんど何か言ったら、アタシがひっ叩いてやるんだから、ねぇ?みんな!』

同志達が口々に励ますも、祥子と呼ばれた少女は押し黙っている。無造作に振り回した空のランチ・バッグが、横にいる子にぶつかった。

『 あ、ごめんね?』

『 うん、平気だから・・・』

被害者はそう言うも、肘をさすりながら半泣きになった。

 席替え自体、祥子は嫌いではなかった。
学期を通して肩を寄せ合っていた友達と離ればなれになるのは辛くはないと言えば嘘になるが、” 次の巡り合わせ ” に寄せる期待が
それを上回った。

[ どうか、ヒロト君の隣になりますように!]

 祥子は、クラスの人気者、佐々木 寛人 が第一志望であった。両親が税理士の寛人は、おっとりとした性格ながら、仲間に媚びず正義を
貫く気概を持った男の子である。ある体育の時間にドッジボールをやった時、敵方の腕白坊主の一人が祥子の顔をめがけて高速球を投げた。咄嗟に手で庇ったが、勢い余って祥子は尻餅を付いた。それを見た、これも敵方の寛人は、センターラインを越え祥子を助け起こしたのである。そして、味方であるはずの男子に食ってかかった。

『 あのね、スポーツにはね、ルールがあるんだよ!』

担当の教師は、笛を口の手前で止め唖然とし、一同は固唾を呑んだ。

『 それはね、” 当てたら勝ち ” じゃなくて、弱い者は守るって事なんだ 』

『 ”?” でもそれじゃあさ、ドッジになんないじゃん・・・』

腕白坊主は反論するも、寛人の ” 奇行 ” に圧倒されてトーンが低い。

『 だからね、祥子ちゃんみたいな女の子が相手だったらさ、足に軽く当てるの!』

クラスの全女子が目にハートマークを浮かべ見つめる中、教師が笑いながら割って入った。

『 先生、ラインをまたいだから、ボクも外へ出ます 』

勿論、親の受け売りであろうが、それを素直に体現出来る児童は少ない。その一件を期に寛人の人気は決定的となり、今や崇拝する
女子も居る程だ。
 がしかし、運命の悪戯か、今度の席替えで祥子の隣に座るのは、ドッジの時に卑劣にも祥子の顔を狙った腕白坊主、小菅 裕也だった。
隣が祥子と見るや開口一番こう、言い放った。

『 よっ、”お姫様”!今度はオイラが守ってやろうけ?』

[ イェェーイ!!]

遠くのシンパが声を上げる。祥子にとってこの新学期は、最低のスタートとなったのである。


 『 じゃあね、祥子ちゃん。元気出しなね?』 [ ママァー!]

学友達は口々に声を掛けると、いともあっさりと駆け出して行った。向かう先は、迎えに来た保護者達の車列だ。裕福な親たちが多く、
高級車がズラリと並んでいた。
 祥子の両親は、目立つことを好まない。迎えの車はいつも、車列の端の方が習わしであった。
鞄を後ろ手に持ち、祥子は膨れ面で歩いていた。

[ 裕也のやつ・・・ママに何て言おっかなぁ・・・ ]

膨れながら、車列を目で追った。いつもより車の数が多い。普段は一番端にあるはずの我が家の愛車は、前・後を別の車に挟まれて佇んでいる。祥子はその、見慣れたモスグリーンのボルボに走り寄った。一瞬、得も言われぬ違和感を感じるが、祥子にはそれが何なのかは分からない。通りに面した、助手席側のドアが軽く開いた。勢い良く開いた祥子は、中に向かって叫んだ。

『 ねェママァ、聞いてよぉ?・・・あ!』

 運転席には、見知らぬ女が座っていた。野球帽を目深に被り、濃い色のサングラスをしている。良く見れば車のウインドーも、同様にスモークで覆われていた。型式や色もまったく同じ車だがしかし、ウインドーがスモークだったのだ。それに対する違和感を、祥子は感じたのである。

『 間違いちゃった、ゴメンなさい・・ 』

シートに両手を着こうとした祥子は寸でで踏み止まり、女に言った。その時、背後から強い力が祥子を掴み上げると、助手席へと押し込んだのである。同時にドアが閉まり、女はロックのボタンを押した。

『 嶋木・・祥子ちゃんね?』

ギヤを ” ドライブ ” に入れながら、真っ赤な唇の女が言った。車内には苦み走った匂いの香水が充満し、祥子は気分が悪くなりそうだ。ニュッと斜めに吊り上がったその唇からは、今にも血が滴りそうな感じがした。

『 お母さん・・ママは嶋木 仁美、昔、歌手をしていたわよね?』

『 ・・・だれですか? ねぇ、ママは?』

祥子の胸の名札を見た女は、答えず車を発進させた。窓外では祥子を車に押し込んだ男が後続車を制し、車道へと誘導している。
携帯を取り出した男をその場に残し、ボルボは走り去った。男は、車に押し込む時に祥子が落とした鞄をしげしげと眺めながら、携帯に相槌を拍つ。

『 ああ、終わった。チョロいもんだったぜ。後で落ち合おう 』

 暫くして、もう一台のボルボがやって来た。色は、モスグリーンである。
ふたブロック手前で、軽い接触事故に巻き込まれてしまった。どちらも怪我の無い軽いものだったが、相手が自分の素性を知るに至り、しつこく話し込まれたのには参った。隠し立てする気は無いが、今はひっそりと暮らしている身である。それでも場合が場合なだけに、相手に夫の事務所の住所を渡し、這々の体で駆けつけたのだ。迎えの約束から 5分程過ぎてしまったが、歳の割にはおませでしっかりした子である。

[ ゴメンね、ママ、事故っちゃったわ ]

そう笑いながら、我が子を抱きしめてやろう。そうすればきっと、膨れるふりをしながらもあの子は許してくれる。嶋木 仁美、旧姓 三田 仁美は、そこで待つであろう我が子を探した。
 妨害工作は巧妙且つ、慎重に行われた。余りに早過ぎれば学校の担任へ連絡されてしまうし、学校に近ければ人目を引く。
ギリギリの線がタ?ゲットの冷静さを失わせ、計画実施の猶予を生んだ。たった一台、取り残されたボルボの中で、仁美は明からな異変を感じていた。車から飛び降りるとロックも忘れ、校門へ向かって駆け出した。

【祥子】 -2-

 仁美は、校門で見かける顔見知りの子供達に祥子の所在を訪ねるも皆、既に ” 門を出た ” 、と告げる。
水澤 瞳、と言う親から聞かされた ” 生きた伝説 ” に相まみえ、頬を紅潮させながら目を潤ませる子もいた。
 行き違いは今までにも、何度かあった。大体は、門の近くにあるケヤキの木、その脇の鉄棒で逆上がりに挑戦する
祥子が居た。パンツ丸出しのその様子に仁美は吹き出し、遅れを詫びながら我が子を抱きしめたのだった。
が、今回は違う。得体の知れない胸騒ぎに、仁美の心はざわついた。校庭の隅々に目を向けながら、職員室を目指す。
早足がいつの間にか、小走りになった。
 天井の高い”回廊”の突き当たりに、職員室はあった。
入り口で箒をバトン代わりにした女子生徒は、息を切らした仁美を見てそのバトンを吹き飛ばす。脇にあった消火栓の
赤いボックスに当たり、甲高く派手な音をたてた。そして、入り口の柱を抱きかかえると、顔だけを室内に突っ込んだ。

『 センセ、センセぇ、祥子ちゃんのお母さんっ!』

 担任の阿達 貴子は、仁美の話を反芻した。

『 それで、同級の子は、祥子ちゃんが校門を出るのを見た、と 』

『 ええ、多分、忘れ物をして取りに戻ってると思うんです。それともあの子、どこかで遊んでるのかしら・・・』

現役当時、仁美のファンであったという阿達は、この緊迫した状況を楽しんでる風でもあった。

『 わたくしも、ご一緒に探しますわ・・・そうだ!』

[ どうかなさったんですか?]、と言いながら出てきた教頭の脇を、阿達は小走りで駆け抜ける。

『 ”校内アナウンス”、してみまぁす!』

仁美は、焦る気持ちを押し殺した。この女の仕草と同様に、滑稽な顛末であって欲しいと願うのだった。

 女は、鼻歌でハミングを刻みながら、サングラス越しに祥子の様子を窺った。
祥子には、それが分かっている。が、驚きを恐怖が打ち負かし、それに全てを支配された今の祥子に出来るのは、
化粧品の広告に出て来そうな女の横顔をただ、見つめる事だけだった。

『 どうしたの祥子ちゃん、泣いてもいいのよ?』

意地悪そうに、女は言った。涙目になりながらも祥子は、口をへの字にして堪えている。赤信号で止まった女は、
シフトレバーを乱暴に ” P ” に入れるとおもむろに帽子を取った。肌の白さとは対照的な漆黒の髪が、ハラリと落ちる。
前髪は、眉のやや下の辺で一文字に揃えられていた。” クレオパトラ?”、祥子がそう連想した次の瞬間、女は
掛けていたサングラスを外しリヤのシートに放り投げると、祥子に向き直った。瞳孔部分だけ残した、金色のコンタクト
が祥子を凝視する。縁を、赤い毛細血管がとりまいていた。
くっきりと浮かび上がった瞳孔が、祥子に眼光を注ぐ。祥子は堪らず、堰を切った様に泣き出した。

『 いやぁ・・・』

『 そうそう、そうこなくっちゃ。手間の掛かる子!』

女は、声を上げて笑った。信号が変わり、後続車がクラクションを鳴らす。舌打ちをした女は、シフトを動かすと乱暴に
アクセルを踏みつけた。ハミングが、1オクターブ高くなった。

 その日の夜、嶋木 邦彦・仁美 夫妻から娘、祥子の捜索願が所轄署に提出された。
嶋木一家に対し、今までも主にマスコミ達の犯罪スレスレの干渉はあった。ただ、あくまでもスレスレであって、非難の中では
萎縮して行くものが殆どだった。
 両親の知名度や、犯行前後の ” 計画性 ” の匂いを見て取った警視庁 刑事部 捜査一課は、事故との二面性を精査した後、
極秘裏に捜査本部を立ち上げたのである。日本では珍しい、本物のセレブを標的にした誘拐犯罪であると共に、このところの
初動捜査での失態を重く見た警視庁は、万全の体制で臨む所存であった。

【祥子】 -3-

 見慣れた風景が夕闇に閉ざされた頃から祥子は、女から目隠しと耳当てをされてた。闇が車内を覆い隠し、外部から
不審がられないタイミングを見計らっていたのだ。祥子に与える視覚情報を遮る為の処置である。女は、周囲がまだ
明るい内は、本来の目的地とは逆の方向を走ったのである。相手が子供と言えども、周到な攪乱作戦を取ったのであった。
 自分が何処かへ連れ去られる恐怖よりも、女の顔を見なくて済む事の方が有り難かった。しかし、目に当てた部分が
涙で湿ってしまい心地が悪い。祥子は、残るもう一つの苦行を如何にして封じるかに苦心した。この鼻を刺す、苦く
扇情的な女の香水が我慢ならなかった。

[ どうせなら、鼻にもマスクがほしいのに ]

希望通りに祥子が泣き出した事にご機嫌な女が、祥子のそんな思いを察するはずがなかった。この状況から
逃げ出したい。目と耳とを奪われた祥子は、必死に思いを馳せた。楽しかった事を、思い出そうとした。
両親と過ごした休日。友達と笑い転げた事。
 秋の学園祭に出展する絵を祥子は、仲のいい友達の肖像画と決めた。その彼女は、祥子を描く。
祥子が描いた友の顔、その輪郭に本人がクレームを付けた。” 丸過ぎる ”、という実に女性らしい注文だった。

[ アナタ、その顔はないわよっ!]

頬を軽く膨らませた祥子は、そこに ” 髭 ” を追加してやった。耐えきれずに肩を震わせている祥子のスケッチブックを、
彼女は手繰り寄せた。そして呟いた一言が、二人からリミッターを取り去った。

[・・・って、キモすぎでしょ ]

餌を欲しがるヒナ鳥の様に、二人は笑い転げた。次いで、叱ろうとした担任の教師が笑い出し最後は、クラス中を笑いが
包み込んだ。

[ あの時は、笑い過ぎて泣いちゃったね・・・]

 踏切を通過した事を祥子は、シートのクッション越しに感じた。
ふいに、女の香水が強まったと感じた瞬間、耳当ての左側が女の手により乱暴にズラされた。車外の雑踏を遮り
女の、唇を開く ” ニチャッ ” 、という音が聞こえる。

『 さぁて、泣き疲れてさぞやお腹が減ったかしらね、” 祥子ちゃん ” は?』

『 ・・・ 』

” 犯人 ” は、自分の空腹具合を気にかけている。差し迫った身の危険が無い事を祥子は、本能的に感じた。
黙る祥子に、女は苛立った。

『 意地張るのもいいけどね、暫くは食べ物にありつけないわよ。それとも・・・その時は又、泣いてねだるのかしらね?』


尚も祥子は、黙っていた。” フン ”、と鼻でくくった女は、耳当てを前にも増して乱暴な手つきで元に戻した。差し迫った
危険は無いが、それを誘発させる要素はある。この女の気性、である。学校で、友達の誰かが言っていた。” 大人の言葉 ”。
人を嬲り、甚振る事に喜びを見いだす。この女の性格は正に、それに当てはまる。

[ このひとは、アタシを泣かして楽しいんだわ ]

経験した事のない大人の所行を目の当たりにして、祥子は震えた。子供の悪戯レベルではない。” サディスト ” に魅入られた自分に、
これからどんな運命が訪れるのか。今になって祥子を、本当の恐怖が襲った。

 嶋木家では邦彦・仁美夫妻が、あらゆる連絡を待ちながらジリジリとした時を過ごしていた。
邦彦は次から次ぎへと、立ち回り先を思い立っては連絡しようと試みる。都度、仁美が止めた。現実的に、とても子供が一人では行けない
様な場所ばかりである。邦彦にしてみれば、何とか仁美を安心させたいが為の思いからであるのだが今や、完全に空回りし、狼狽していた。

『 お前、よく黙っていられるな 』

『 あの子が・・・お迎えをすっぽかしてそんな所へ行くはずないもの! ねぇお願い、落ち着いて』

仁美自身、落ち着いている訳ではない。腹を痛めて産んだ我が子が、邦彦と自分の良い所だけを受け継いだ様な我が子の行方が知れぬのに、平静で居られるはずがない。ともすれば髪を掻き乱した挙げ句に発狂しそうになるのを、必死に堪えているのだった。狼狽えて騒ぎが大きくなればそれだけ、祥子の無事を左右する。母親としての本能が、辛うじて精神の均衡を保たせていたのだった。

 『 やっぱり、アレか!』

邦彦は、祥子の姿が見えなくなったと連絡を受けた時、仁美が言った事を思い出した。仁美は頷いた。

『 佐和子ちゃんのお母さんが言ってたのよ。[ お車で帰られたんじゃないんですか?] って 』

件の事情で迎えが遅れた仁美は、校内からその周辺を祥子を捜して歩いた。出くわした父兄の一人が言っていた事だった。仁美が乗っているのと、色も形もまったく同じボルボだった、とその母親は言った。いつも見かける光景に、まったく不審は感じなかった、と。

『 誘拐されたとしか思えないのよ・・・』

この事実から二人は、早急に捜索願を出したのである。”些細な手違い”である事を望む気持ちが、思考を堂々巡りさせた。

『 ワタシだって・・・心配で心配で気が狂いそう・・』

嗚咽を漏らした仁美を、邦彦が抱き寄せた。


 警視庁の刑事部 捜査一課では、本部の設置が着々と進行していた。
警視正の小田島は、捜査員に続きを促した。

『 ハイ、なんせあれだけのスタ?だった人物が母親ですから、行き過ぎた取材やなんやかやで、所轄も苦情を受けていたそうです 』

『 ここ暫く、落ち着いてたんだろうによ 』

別の捜査員が言う。

『 母親の嶋木 仁美が言っていた ” 嶋木家の自家用車と同じクルマを目撃した父兄がいる ”、と言う事ですが、裏を取りました 』

『 うん 』

『 間違いありませんでした。色も形も、まったく同じだったそうです 』

『 乗っている人物は見たのかね?』

皆の視線が集まった。

『 いいえ、普段からその・・・余り、注視しない様にしていたそうなんですよ 』

『 [ いつもの光景 ] だった、か 』

『 ハイ 』

小田島は煙草をもみ消した。

『 もし、そいつがホシで犯行に及んだのなら、相手はかなり周到だな。大事件だ。一歩やり方を間違えると、大騒ぎになって

収集がつかなくなる。その辺の初動はどうだ 』

『 所轄も、対象が対象だけに慎重を期しています。その辺は改めて・・ただ・・・』

『 なんだ 』

『 母親が当日、血相を変えて探し回ったそうです。ただでさえ、話題の一家ですから 』

『 やむを得んだろう。母親なら、誰だってそうするさ。それが当たり前だよ 』

小田島は遠・近両用の眼鏡を外し、眉間を揉んだ。
 事件はその後、捜査陣も思いもよらない展開を見せた。
前代未聞、驚愕の手段によって広く、白日の下に晒される事となるのだった。

【祥子】 -4-

 翌朝から、嶋木家内部は慌ただしくなった。
尤も、外から見た分には平静そのものである。が、宅配業者の大型の荷に紛れ又、隣家の境界を潜り一人又一人と、
捜査員が集結しつつあった。嶋木夫妻から事情聴取する者、電話に逆探知機をセットする者、それぞれの担当が各自の
仕事をこなしていた。言うまでもなく付近一帯では、電線や下水管等、捜査員が扮した作業員によるあらゆる ” 工事 ”
が始められた。
 カーテンの隙間からそんな戸外の様子を窺っていた ” 便利屋 ” の男は、左手に持ったレシーバーに向かって話し込んで
いる。登校する学童達の声が今では、仁美にとっては疎ましい。聴取に答えながらも、そんな男の様子をぼんやりと見ていた。

『 ・・・ですから状況からして、犯人は短絡的な行動にはでないと思われます。あの・・奥さん?』

捜査員に促され、ハッと我に返る。

『 すいません・・・』

『 いえ、無理もありません。心中、お察し致しますよ。ですが、お気をしっかり持って、犯人からの接触に備えねばなりません 』

『 ・・・ 』

『 よろしくお願いします。妻は、自分を責めているんです・・・』

仁美に代わって邦彦は答えた。

『 全員、配置に着いたな。よしっ、指示を待て 』

” 便利屋 ” は、レシーバーにやや大き目な声で答えると、周囲の捜査員を見渡した。聴取を受ける仁美達に歩み寄りながら、
帽子と肩に掛けた手拭いを取った。夫妻の前に立つと懐に手を入れ、おおよそ便利屋らしからぬ仕草で名刺を差し出した。

『 警視庁 捜査一課、捜査本部長の小田嶋です 』

捜査員達は、一斉に襟を正す。

 捜査本部の別班は、科警研自慢の ” 手配車両自動記録装置 ”、通称 ” L システム ” のチェックを始めていた。
事件発生当時、都内全域を走る ” '96年式 ボルボ:850エステート/ダーク・グリーン ” の足取りを探る為である。
中央情報管理室内、広域交通監視システムにオン・ラインされた端末には、オペレーターの脇に二人の捜査員が張りついた。

『 ボルボです、ボルボ。” '96年式の850エステート ”。色は、” ダーク・グリーン ” 画像は・・このファイルだったよな?、中村 』

警部の石田は、着任したてのキャリア、警部補の中村に尋ねた。中村は携帯モバイルに映し出したボルボの画像を、あたふたと
オペレーターに差し出した。ナンバー不詳の当該車両故、マッチングの為のサンプルが必要なのだ。

『 こ、これです!』

髪を後ろで結った女性オペレーターは、イン・カムを手で遮り笑った。石田は苦虫を噛む。

『 ・・・大丈夫ですよ。過去20年、正規若しくは平行で輸入された外国車は、殆どをサンプリングしています 』

『 オイオイ、凄いねぇしかし・・・あ、失敬! じゃ、引き続きお願いします 』

石田は先を促す。中村は頭を掻いた。
 オペレーターは、” サンプリング ” の画面に車種と年式を打ち込んだ。画面に、ボルボの外観が映し出される。

『 ありました。グリーンは・・” ダーク ” でしたね?』

3色もあるグリーン系の中から ” ダーク・グリーン ” 選び、クリックする。ボルボの外観画像に、ダーク・グリーンが反映された。
次いで ” 完了 ” ボタンを押すと、モニターの中のボルボは命を吹き込まれた様にクルクルと向きを変えた。更に、ひとりでに
走り出しては止まり ” ノーズ・ダイブ ” と、加速での ” アップ ” を繰り返す。画面の端に ” 平坦路 ”/” ドライバー1名乗車 ”、と点滅した。依頼された ” 開始時間 ”を打ち込み顎を軽く持ち上げたオペレーターは、満を持して ” 検索 ” をクリックした。モニターの中では、路線の画像が目まぐるしく切り替わっている。照れ隠しに、中村が言った。

『 進歩しましたねぇ、ハハハ・・・』

蚊帳の外の石田は、中村とオペレーターを交互に見比べた。

 『 暫くお待ち下さい 』

『 じゃ、一服・・・っと 』

『 ”HIT” しました 』

『 って、ええぇっ!』

腰を上げ掛けた石田は、観念して座り直した。吹き出している中村を睨み付ける。

『 は、早いもんですなぁ・・・しかし、夜間に色の判別なんて出来るんですか?』

『 ええ。レーザー照射で、高感度レンズとエンジンとが・・・まぁ、未だ広範囲には普及していませんが、首都では試験稼働していますの。ええ・・・ご指定の時間以降、確認出来る当該車両は3台で、表示は記録時間順です 』

モニターには、運転者とナンバーとが確認出来る鮮明な画像が3通り映し出されていた。それぞれの画像の左上には、運転者を含めた
乗車人員数が記されている。先ほどのサンプルより路面とフロント・フェンダーとの間隙を測定し、サスペンションの沈み具合より掛かる
荷重を推測する。その計を、日本人の平均体重と相対比較しているのだった。

『 この、” 大柄な大人1名若しくは、大人1名と小人1名 ” ってのは?』

中村が口を開いた。

『 恐らく、ご想像の通りですわ。体重だけでは、それだけでは単純に乗車人数を断定出来ません。なので、可能性を列挙しているんです。

これだけは、相当に技術が進歩しないと無理ですわね?』

石田は、己の体を指摘されたが如く腹をさすった。

【祥子】 -5-

 一日が、これ程に長いと感じた事はない。
依然として ” 事故 ” との知らせが無い以上、翔子の失踪は犯罪が絡んでいると言わざるを得ない。心の片隅に辛うじて残していた
一縷の望みも、微塵に砕かれた思いの仁美であった。
 片時も側を離れず寄り添っていた邦彦も、仁美や所属事務所との相談の上、都内での仕事に限り出かける事とした。

『 本当に、それでいいのかい?』

それでも尚、邦彦は釈然としない。何より、気持ちが収まらない。心労と怒りで苛つく邦彦に、目を赤く泣きはらした仁美は言った。

『 ワタシは・・大丈夫だから。公にしない方がいいんだったら、それも仕方ないのかもしれないわよ・・・』

『 でもな、仁美・・・』

『 お辛いでしょうが、この場は我々がお預かりしますので、どうか・・』

捜査員のこの一言に、気持ちが張りつめていた邦彦は切れた。

『 アンタ等の都合で動いているんじゃあないんだよ、こっちは! アンタに促されて行く訳にはいかないんだ! そんな事もアンタ・・・ 』

言葉の勢いとは裏腹に、邦彦の頬に涙が伝う。胸ぐらを揺さぶられた捜査員はただ、黙って唇を噛むしかなかった。

『 すいません・・・アナタに当たってしまっ・・。許して・・下さい 』

崩れそうになる邦彦を、様子を見ていた小田嶋が支えた。捜査員は邦彦の肩を宥める様に叩き、無言で下がった。クシャクシャになった襟元を、直そうとはしなかった。

『 ご主人、気が進まなかったら、残って頂いていいんです。並の人間だったら、仕事のこと等、考える事すら出来ないのですから 』

” しかし ”、と言いかける小田嶋を、邦彦は大きな溜息で遮った。

『 いいえ。客観的に見て、ウチの ” 動揺を悟られない方がいい ”、それは承知しています。[ ハァ・・・・・] 気持ちを吐き出したら、踏ん切りが付きました。さっきのあの方に・・・』

『 大丈夫。皆、数々の修羅場を潜ってますから。ご主人の気持ちの整理が付いたのなら、奴もそれで本望でしょう 』

邦彦はこの、頼もしい捜査員達を信じた。自信が漲る小田嶋を始め、各ポジションに着く者を一人ひとり目で追う。皆、複雑な表情ながらも、邦彦の心中を察していた。件の捜査員は、襟元もそのままに頷いた。

『 どうも有り難う・・・後は、宜しくお願いします 』

同僚の捜査員は、仲間を労った。

 三人は揃って顔を付き合わせ、モニターに見入っていた。
思わず近付き過ぎた中村の鼻孔を、オペレーターの香水が擽った。ドギマギしながら徐々に、遠ざかって行く。その、インド人ダンサーの様な仕草を見た石田は、苦笑いする。が、モニター内の画がステップ毎にズームされるに連れ、二人は事の深刻さに引き戻された。

『 運転しているのは、女性の様ですね・・・。助手席には、子供っ。黄色の帽子を被っています』

オペレーターが言った。

『 もっとこう・・寄れますかね 』

帽子の前部にある ” モヤモヤしたもの ” を、中村は確認したかった。オペレーターはキーを打つ。

『 修正して、露出を変えました 』

” 鼻先 ” までしか写っていない ” 子供 ” が被っている帽子には、翔子が通っている小学校の校章が描かれているのが見て取れた。

『 うん、運転しているのは女だ。間違いない、ハッキリと映っている。そして助手席に居るのは、攫われた嶋木 翔子ですね 』

『 オイ、本部に ” 確認 ” の一報だ!』

石田が言った。

『 ハイ、分かりました。でも ” 女 ”って、 変装の可能性はないでしょうかね 』

中村は考え込んだ。例え子供一人とは言え、すんなりとクルマへ連れ込む事が可能だろうか。事件当時、目立った不審者やそれに纏わる
騒ぎは目撃されていない。実行犯が ” 女装 ” で周囲を欺く事自体、発想としては今や珍しくない。

『 まあ、確かにな。でも、やり方ひとつによっちゃあ、大した仕事でもないぞ?』

『 あ・・・』

『 そうさ。共犯が居りゃあ、それほど難しい事じゃあない 』

石田は、初動の基本を説いた。

『 余分な先入観や疑問は捨て、現任出来る事のみを報告する。それが遅延してはならない、ナンツってな 』

『 今は、” 女 ” ですね 』

『 そうだ。推理するのは、それからだ。そして決定するのは、捜査会議の場、なんだよ 』

『 ハイ 』

 『 アラ・・・』

中村が席を立とうとした時、オペレーターは怪訝そうな声を上げた。

『 ん、あなたも何か?』

『 いえ・・・この人物の目、光っているでしょ? ” 赤目 ” の修正しようとしたんですけど、出来ないんです・・・』

『 つまりは?』

『 つまり、この人物の瞳は、最初から光っている、と言う事になります・・ね 』

『 なんちゅう奴だ・・・不気味な 』

ほぼ同時に三人は、同じ思いに駆られた。この様な人物に蹂躙される、幼い翔子の身を案じたのである。
そして、この様な手段で犯行を実行する人間に最早、慈悲など望めない、と言う事を。

【祥子】 -6-

 『 最近、流行の、カラー・コンタクトか何かですかね?』

中村がオペレーターに訊ねた。

『 さぁ・・・ご覧の通り私、この様な趣向とは無縁ですから 』

確かにオペレーターは、色物趣味とは無縁であった。しかし、地味ながらも一部の隙も無い着こなしやその振る舞いからは、ギミックでは
補い切れない気品が漂っていた。何よりそんな彼女が、最新鋭のアプリケーションを自在に操る様は、ある種の神々しさを醸し出す。

『 何れにせよ、だ。こんな物を付けようって神経が、普通じゃないよ。こんな奴に、年端もいかない女の子が捕らわれていると思うと・・・不憫でならんな 』

石田は大きな溜息をついた。

『 石田さん、確か同じくらいの姪御さんが居ましたよね?』

中村は以前、石田が警察手帳の間から抜き取って見せてくれた写真を思い出した。

『 ああ。妹の子供なんだがな、丁度この娘、嶋木 祥子と同じ6歳だ・・・』

『 ほかの手がかりが無いか、解析を進めて見ます 』

重い空気を跳ね返す様に、オペレーターはキーを叩く。

『 オマセでさ、” 伯父ちゃんはまだ、結婚はしないわけ? ”、なんて小生意気なクチを利いてやがるよ。おんなじ様にさ、黄色い帽子を被って・・・学校へ行ってる 』

本庁きってのタフ・ガイも、思わず身につまされる。技術の進歩の、ある意味では残酷な側面が、モニター一杯に広がっていた。

 『 済まん。さっ!しんみりしてばかりも居られんな。こうしている間にも、この娘の身に何が起きているのか分からんからな。気合い、入れんべ!』

” パーン!”、と石田は自らの両頬を張った。その余りの切れの良い音に、中央情報管理室内の他のオペレ?タ達は一瞬、肩が跳ねる。

『 そうだっ、補足した経路は分かりますかね?』

武士の情けである。愚痴は聞かなかった事にして、中村は本題に戻った。

『 ハイ、当該車両は確定しましたから、全配置端末に検索を掛けて見ます 』

Lシステムが設置された路線の中から、祥子達が乗ったボルボを捕捉した端末の番号が映し出される。

『 最初の捕捉が、” 環八2号機 ” で・・・3号機まで確認出来ました。それ以降の、4号機には該当無しです 』

オペレーターは中村を見た。 

 『 最初は、攫われた小学校の近くです。合致しますね。やはりまだ、都内での潜伏も視野に入れるべきでしょうか 』

中村は気色ばむが、石田は合点がいかない様子であった。

『 まぁ、待てまて。裏読みすりゃあ考えられなくもないが、そんな感じはしないんだなぁ・・・』

『 と、言うと?』

『 お前ら若手が馬鹿にする ” 勘 ” なんだがな、この女、って言うかこの一味はだ、もっとこう・・・引き離す 』

石田独特の言い回しが、中村むらには俄に理解し難い。

『 いやさ、自家用車とそっくりな車両を用意したり、目撃者も殆ど残さない犯行の手口からして、こいつらは緻密、且つ大胆なのは分かるな?』

『 はあ・・・』

『 で、だ。その割には、何の擬装も施さずにこうして、システムのカメラに捉えられている。この女の顔を見てみろ。気のせいかこう、笑っている様に思えるんだよ 』

『 私もそのぉ・・・何かそんな気がします 』

オペレーターが同調した。一人、取り残された感の中村は焦りを覚える。口を開こうとしたが、石田にタイミングを奪われた。

 『 そんな奴らが、だ。肖像権の侵害だ何だって騒がれたこのシステムを、知らない訳がないんだよ。近頃じゃあ、ニュースでもやってるだろ? これで犯行後の足取りが割れるホシも多い 』

『 はい・・・で?』

調子が出てきた石田は、中村のお惚けも気にならない。

『 キツネ、居るだろ? 狐狩りの 』

『 ま、” 狩り用 ”って訳じゃないですけど居ますね、キツネ 』

『 元は、困った貴族連中の半分、遊びだがな。で、キツネをおびき出す為に、撒き餌とも言えるウサギを放すんだが奴ら、これが ” 囮の餌 ” だって知っていやがるんだよ 』

『 猟犬で追い立てるんじゃないですか?』

『 そういう連中も居るがそれは、 ” 粋 ” が分からない貧乏貴族のやるこった。で、キツネの奴ぁ、それと分かっててウサギに食らいつき、全力で逃げ切る。楽しんでいやがるんだ 』

『 つまり・・・』

オペレーターは目を輝かせた。

『 そう、アンタ・・・お名前は何て言ったっけ? 察しがいいねぇ。一味の奴ら、目くらましなんてセコイ手は使わない。” 捕まえてみろ!”、と言わんばかりにだな、俺たちに挑戦しているんだよ。間違いない、あの女、キツネの一味だ 』

『 で、我々は哀れな貴族である、と 』

中村は嘆息した。

『 バぁカ、哀れんでなど居られるか。ウサギ・・嶋木 祥子は絶対、親元へ帰す!』

『 も、勿論ですっ!』

『 オペレータさん・・・ってのも変だな 』

『 情報管理室の、設楽です 』

『 よし、設楽さん、この先は第三京浜と東名があるね?』

『 はい、料金所の監視カメラですね。検索してみます 』

 石田がそんな気になったのは、モニタ?に映し出された女の容姿に因るところが大きいが、犯行前後の経緯と照らし合わせてのベテランらしい総合所見でもあった。そんな石田は、自身を猟犬だと思っている。喩え話しが些か横道に逸れたが、犯行グル?プの本質を見抜き、のど笛に食らいついてやる、といつにも増して力が入った。

『 図星ならそれはそれで・・・広域になるなぁ・・・』

中村の呟きをうち消す様に、設楽は最後のエンター・キーを叩いた。

【祥子】 -7-

 中央情報管理室に出張る石田達から入った一報は、澱んだ空気に包まれた嶋木邸の捜査員達にとって紛れもない朗報であった。
狙い通り、犯人の逃走経路の足がかりが掴めたからである。それと、実行犯と思しき者の特徴も捉えた。初動の段階で、これが把握
出来る意味は非常に大きい。

 『 ああ、そうか・・・うん・・うん、転送は出来そうか? よし、そのまま続けてくれ、頼むぞ 』

携帯を切った捜査員は、仁美と話し込む小田嶋を呼んだ。

『 課長、本部から連絡が入ってます。定時の 』

仁美を動揺させぬ様、捜査員は気を遣う。

『 ・・ああ、分かった。そうですか、お嬢さんは正義漢が好きなんですね 』

捜査員の目線で様子を悟った小田嶋は、仁美の話しに相槌を打ちながら鷹揚に立ち上がる。

『 ちょっと、失礼しますよ 』

 小田嶋は捜査員と共に、ラップトップの液晶を食い入る様に見つめた。

『 ナンバーは、確認出来るか?』

『 ハイ・・・ですが恐らく 』

『 盗難品か偽造だろう。私もそう思う 』

別の捜査員が、ディスプレイ隅の ” 拡大 ” にカーソルを合わせ、二度・三度とクリックする。有機ELのディスプレイ一杯に、無機質な女の顔が広がった。

『 整った顔しちゃいるが、何ちゅう・・・不気味な女ですな、課長 』

『 ・・・ 』

小田嶋は、ディスプレイに見入っていた。白っぽいハレーション気味の女の顔。その唇は、周囲の闇と同じ様に黒かった。真っ赤なルージュでも曳かれているのであろうか。異様に光った目と、黒い唇。顔の輪郭は判るもののその殆どは、背後のバックレストの色と解け合って見える。小田嶋は、子供の頃に読んだ H.G.ウエルズの ” 透明人間 ” を連想した。挿絵は無かったが、日本語翻訳版の本の表紙は、この感じと良く似ている。尤も、ディスプレイの女は顔を包帯でグルグル巻きにしていなければ、サングラスも掛けてはいない。しかし小田嶋は、この透明人間の記憶にリンクが掛かってしまったのである。

 『・・・課長?』

『 ああ・・追跡は、どこまで成ったんだ 』

『 ハイ、東名を小田原厚木へ分かれて、大磯の出口で確認されたのが最後です 』

『 大磯か・・・』

ここに本件が、広域捜査となる事が確定した。

 捜査員達の動静がいちいち気になる仁美であったが、そこから先は思考が逡巡するばかりである。
少し前、小田嶋に話していた祥子の武勇伝を思い一時、微笑んだものの、反芻する内に、それを失ったのが全て自分の不甲斐なさのせいに思えて来る。彼女が得意の絵をしたためたスケッチブックを手に取り、その縁が軋む程、握りしめた。

[ あの時、私が遅れずに迎えに行ってさえ居れば・・・なぜ、あんな詰まらぬトラブルになんか・・・]

悲しさよりも、悔しさが勝った。悔し涙がスケッチブックに落ちた。ポタポタ、ポタポタと。周りの捜査員達の耳に届くのではないか、と思われる程。皆に ” 気をしっかり ” と言われ続けそれを装っていたものの、夫が居ない今となっては最早、その堤が崩壊しそうだ。いや、そうなっても構わない。むしろそうなって、いっそ狂ってしまいたかった。
 仁美のジレンマが最高潮に達しようとしたその時、居間の電話が鳴った。
逆探の担当は、デジタルレコーダーのスイッチを入れる。廊下で話し込んでいた小田嶋達は、音もなく滑り込んで来た。コールが3回過ぎるのを待って担当者は、仁美に出る様、促した。

『 ハイ・・嶋ですが 』

聞き慣れた声に堪えきれず、仁美の目に涙が溢れた。

『 主人です・・・』

そう言うと、捜査員達を見回した。担当者は、レコーダーのスイッチを切った。[ ガッカリした ]、と言うのが本心だが、それを現す訳にはいかない。仕切直すつもりで、顎を引く。容疑者からの初の接触だと思っていた捜査員達は、一様に緊張の糸が切れた。小田嶋も踵を返し掛けたが、続いた仁美の言葉に足が止まる。

『 えっ? テレビがどうしたって言うの?』

[ どうしました、奥さん ]

小田嶋は、耳が不自由な者に聞かせる様に、仁美に声のない形で示した。

『 ” テレビを見ろ ” って、主人が・・・』

仁美は憑かれた様に受話器を置くと、隅にあるテレビへと駆け寄った。久しく灯の入っていないテレビの電源を入れると、リモコンを忙しなく動かした。幾つ目かの民放に変わった時、手が止まった。画面には ” 衝撃 ” の文字が踊り、パネルを背負ったコメンテーターが何やら喋っている。その内容を把握するに連れ、捜査員達に動揺が走った。

『 そんな・・・酷い 』

へたり込む仁美の脇に、小田嶋が立った。画面を見つめる。握りしめた拳からは、その余りにも強い力ゆえ血管が消えていた。庁内では ” キレ者 ” で通り、文字通り数々の難事件を解決して来た冷静沈着な男が今、逆上している。

『 事実確認を急げっ!』

[ もしもし、オイ・・・仁美っ ]

サイドテーブルでは、聞き手を失った受話器から邦彦の声が響いていた。

[祥子] 終わり

【ファン・クラブ】 -1-

 『 じゃ ” イ っちゃん ”、そう言うことだからさひとつ、堪えてよ 』

直属の上司である生産部長からそう言われた 一木 聡 は内心、” またか ” と舌打ちした。複数ラインのリーダーとして部下に下した指示の反論が、自分を通り越して頭ごなしに鉄砲水となって降りかかった。

『 いや、それではウチの品質を確保出来ませんし、その為の指示であったわけで・・だ 』

『 わかるわかる! でもね、” お客さんの論理 ” もこれ又、大事なんじゃないの?』

[ ナニが ” 客の論理 ” だ。ムチャクチャな納期に合わせる為に、どれだけの間接費が掛かるかは、アンタだって良く分かっているじゃないか、クソッタレが!]

『 そうやった結果、この間だって返品の山でしたよ・・・』

 一木は、前期に行った強行軍を穿り出した。顧客の無理な要求に応える為、ラインを昼夜兼行で フル回転させたのだ。勿論、一木は責任者として不本意であった。無理が祟って、品質上のミスが連発したのだ。一部には、体調を崩した社員も居た。しかし、それらの現実は、当面の入荷の見通しの立った顧客からの表向きの労いと、天井知らずに支払われる残業手当で潤う、多くの若手社員達の歓喜の声に掻き消されたのであった。体調を崩した者達の殆どは、一木の意を汲んで品質の確保に躍起となった者であった。それが、一木にはやりきれなかった。
 事実、全てが円満に収まったかに見えたのは初めの内だけで、後に不具合の後始末に忙殺され、他の製品のシフトに大きな影響を与えたのである。そう言う時に限って、最終判断を下した者は知らぬ顔を決め込む。” 皆、頑張った。これは、不幸にして起こった事故なのだ ”、と被害者を装う。当然ながらその損失は、真綿で首を絞めるが如くジリジリと社の経営を圧迫した。その張本人を前にして、今回の一木は退かなかった。

 『 君の言いたい ” 理想 ” も分かるよ。でもさ・・ 』

『 理想じゃありません、” 信用 ” の問題ですよ。無理に無理を重ねた結果、最終的にそのツケを払わされるのは我々、社員じゃありませんか。” 対策費 ” が嵩んだのを言い訳に、暮れのボ?ナスだって減額されてんですよ、こっちは! それにね、部下に下した指示への反論がどうして、上司の部長から来るんですか!!』

抑えようとすればする程、一木のボルテージは上がって行った。

 『 ・・・相変わらず強硬な物言いだね、君はァ 』

一木の繰り出す怒濤の正論に気圧され、旗色の悪くなった部長は自らの薄くなった頭を撫でた。

『 それは、君が心配する事じゃあないよ。そんなに品質が心配ならね、現場が好きな君には申し訳ないけど、こっちだって別の選択肢を考えなきゃならん様になるよ?後だって詰まってるんだ 』

『 それは ” 脅し ” ですか?』

『 そんな君、人聞きの悪い・・・本懐を全うさせてやろうか?、と言っている 』

『 やってみろっ!!』

現場の喧噪を掻き消し、一木の声はフロア中に響き渡った。皆が聞き耳を立てているのが分かる。しかし、そんな事はどうでも良かった。
叩き付けたキャップを拾い歩き出した一木は、付いたホコリを払いながら振り返った。動揺した上司は、子飼いの班長達に声を掛けていた。

 決済の無い退社届けを上司の机に放り投げながら、一木 は帰り支度を始めた。

『 一木 さん・・・』

フロアを出るまでに、何人ものシンパが声を掛けた。歯を見せぬ笑顔で、一木 はそれらを遮る。駐車場でクルマのドアを開ける頃には、携帯へのメールが 10 件を超えた。

[ まま、課長、取り敢えずはアタマ冷やして下さい! ( ^ _ ^ ) v ]

[ ハゲったら、あの言い草はないですよ。何の為に課長が・・・ ]

[ 戻って来ますよね? 課長・・・ ]

『・・・・』

一木 は取り敢えず [ 心配するな ]、とそれらに返信する。
仕事上の問題ではあるが、ここまで拗れるのには一木自身、それ以外の伏線があった。四十も折り返しだと言うのに、世に言う ” 不惑 ” とはほど遠い状態に一木は在った。
家庭の事を含め自分自身 ” これで良いのか? ”、との思いの数々に急かされていたのである。
 妻との間に、子は居ない。
出来なかったのではなく、作らなかったのだ。互いに長男・長女であったにもかかわらず、実家をサッサと下の兄弟に明け渡し、良い歳になるまで勝手気ままな暮らしを選んだ。その兄弟達が子沢山であったのを良い事に、本来なら一番、脂の乗りきった旬の時季を、それぞれが親としての ” 疑似体験 ” に費やしてしまったのである。それがいつしか ” 自分達には必要無い ” 、と錯覚を生み、” そんなものには頼りたくない ”、との傲慢さへと繋がって行った。傲慢さはエゴを増長させ一木 夫婦は、互いを一切を省みない同居人と成り果てたのであった。
 次第に物事が長続きしなくなり、すぐに全てが見通せる気になり味気なくなっていた。パッションは瞬く間に消え失せ、それにのめり込んでいる自分が滑稽に映った。最近では天気だと言うのに、あれほど好きだった渓流釣りからも足が遠のき、家に籠もる日が
多くなった。知ってか知らずか、そんな一木を気にもとめない妻は、己の用事へと出掛けて行く。そう思う一木 自身、今の妻の気持ちなど考えた事も無かった。

[ 人はこうやって、精神のバランスを崩して行くのかも知れんな・・・ ]

それらのモヤモヤと鬱積した物が、今日の一件で一気に吹き出したのである。そう言う意味では、上司である部長は犠牲者だ。彼に能力が無いのは、分かっている。それを哀れんでいる普段の余裕すらも、今の一木 は失っていたのであった。
 一木 はカー・ナビの HDD 内を検索し、発売と同時に手に入れた ” 水澤 瞳?ベスト・アルバム ” を全曲、引っ張り出した。” 再生 ” ボタンの前で、指が止まる。引退後から 5 年を経ても尚、人気の衰えない 水澤 瞳 を惜しみ満を持して発売された ” ベスト ” であった。癒され縋り付きたい反面、

[ こんな所でクサっている今のお前に、それを聴く資格があるのか?]

” 水澤 瞳/ファン クラブ?東京支部長 ” として青春の大部分を費やしていた頃、その頃のもう一人の自分が、助手席から語りかけた。

[ ないよ・・・]

ほどなくして携帯に、一木 を心配した部下達から ” 慰労会 ” への誘いが入った。
 

 『 ささ、” タコ ” の事は忘れて、パアァーっと行きましょう、課長!』

『 おいおい・・・こんな所まで来て、 ” 課長 ” もないだろうよ・・・』

週末だというのに客足のまばらなフィリピン・パブの一角で、一木 と部下達は酎ハイを啜っていた。隣にドッカと腰掛けた ” 自称:ダンサー ” が、辿々しく怪しい日本語で訊ねる。

『 コチラ、” シャッチョー ” さんデスカ? ハイ、” アーン ”』

チーズ・ビスケットの上に梅肉を載せたダンサーは、有無を言わせずそれを男の口に押し込んだ。

『 ハハハハハっ!、社長じゃ・・・ないよ。けどな・・・強ぇんだぞこの人は!!』

『 いいよ吉田、そんなこたァ 』

既にメートルの上がっている部下の吉田は、それでも収まりがつかない。

 『 自分っ、アッタマ来てんですよ、あのタコには!』

『・・・』

『 だってぇ、そうでしょうがぁ!・・・課長はね・・・・いいですか? 聞いてます? 俺たちのぉ、いや会社の為を思ってこそ、ああ言ったんですよ、ね?』

[ そうだ!]

皆が同調する。

『 いや、俺もな・・・大人げなかったと思ってるよ 』

『 そんなっ・・・課長がそんなことを言っちゃ ダ・メ・な・ん・で・すっ! 課長はぁ・・・』

一木 は、泣き出した吉田の頭を抱えた。

『 ホラ、泣くな。お前が泣いてどうする。でもな、嬉しかったよ。みんな、今日は有り難うな 』

酔いも手伝って、他の若手も泣き出した。

『 確かにな、ああ言った要求だってこなさなきゃ、ウチは成り立たないんだ。俺にだって、そんな事は分かる。でも、抑えられなかった。
お前等を前にしてなんだけど、” 若気の至り ” って事で勘弁してくれ・・・ってオイオイ、今日は俺を慰労してくれるんじゃないのか? そんな湿っぽくてどうすんだよ 』

『 ・・・サぁセぇン 』

通夜の様な慰労会は続いた。

 『 さあさあ、楽しく行こうぜ。君、名前は?』

一木 は、隣でポカンとしている ” ダンサー ” のネームプレートを見た。読めた通りに口にする。

『 み、” ミンディ ”?』

『 ちがうヨ、” シンディ ” よぉ、ナマエ!』

『 あ、ごめん ごめん、字がそのぉ・・・アバウトなんでさ、そう読めちゃったんだ 』

『 ” ミンディ ”って、どこの国の人ですか、課長っ!』

復活した吉田ががなり立てる。

『 分からんぞ? 世界は広いんだ。どこかに居るかもしれんだろ・・・ ” ミンディ ” が 』

皆がドッと沸いた。

[ よしよし ]

一木 はホッとした。

『 じゃあさ シンディ、何か一曲歌ってくれないか 』

『 うたぁ? イイネぇー! なにをぉいれる?』

『 そうだな・・・じゃあテレサ・テンの、 ” つぐない ”。知ってる?』

[ そうだっ!つぐなってぇぇーっ ]

『 ハハハ、吉田っ、もういいから!』

いつもながら、何とかして場を持ち直させた一木 であった。フィリピーナに ” つぐない ” を歌わせたところで、何が解決する訳でもない。もしかして、何かに償わなければならないのは、自分なのではないか? そして、そうして彼等の世話を焼きながらも現実から逃げ続け、救われている自分が居る。それでもいい。そう、一木 は思った。
 週が明け、一木は何事もなかったかの様に出社した。
あの後、粋がってはみたものの早々に音を上げた生産部長は、一木との間を取り持ってくれる様、常務に泣きついた。大学が同窓であり、一木に何かと目を掛けてくれた常務が動くとあっては、折れぬ訳にはいかない。一木は説得に応じた、フリをした。いや、一木自身にもう、戦い続ける気力が無い。以前の様に、己の信念を貫き通す行動も、今となっては茶番に思えた。” どうでもよい ”、これが偽らざる本心だった。

[ それでいいさ ]

形ばかり部長に詫びた。ホッとした部長は喜んで受け入れ、いつものC調に返った。
 社食は、喧噪に包まれていた。
皆、” 食べる ” という本来の目的からは目を逸らせ、味わう価値のない総菜を口に運びながらそれぞれにさえずっていた。上の手では、観る者も居れば、観ない者からしたら景色でしかないテレビが、騒がしさに拍車を掛けている。一木も構成要素のひとつとして、ボンヤリとその中に溶け込んでいた。
 一木の席とは反対側のフロアが、俄に騒がしくなった。上の手に固まった幹部達は、口を動かしながら眉をしかめる。
騒ぎの中心人物は席を立ち、バタバタと掛けだした。食事を口いっぱいに頬張りながら、耳に付けたイヤホンと繋がった携帯を持ったまま走る。喧噪がざわめきに変わり、皆が彼を目で追った。幹部達の前に来た彼は、携帯を指差しながら必死に何かを訴えている。喋る度に口から中身が飛び散るので、すぐ目の前の幹部は盆を手で覆った。訴えが終わると彼は、胸の辺りを拳で叩きながら更に前方へと走った。衆目を一身に集めながらテレビまで辿り着くと、リモコンを手にチャンネルを替えボリュームを上げた。

[ えぇ・・もう一度、お伝えします。俳優の嶋 邦彦さん、本名 嶋木 邦彦さんと、平成 16 年に引退した歌手の水澤 瞳さん、本名 嶋木 仁美さんご夫妻の長女、祥子ちゃん 6 歳が、何者かに誘拐された模様です。後 5 分少々で、捜査本部が設置された警視庁で記者会見が行われる予定ですが、ここまでの経緯を説明致しますと・・ハイ、始まりますか? 捜査本部前に居る、佐々木さぁん? ]

[ いいですか?・・・いい?ハイ、こちら捜査本部前です。記者会見を前に、本部前は非常に慌ただしくなって参りました。今回、犯行の凶悪性にも増して、マスコミ各社に対して犯人側がそれを公表すると言った前代未聞の出来事に、捜査本部は基より現場は騒然としています。しかも犯人側は、ネット上の ” Blog ” に ” 今日の祥子ちゃん ”と称して、攫われた祥子ちゃんの様子を載せたのです。ここで一旦、スタジオにお返しします ]

[ ハイ。実は、わたくし共を含めた民放・マスコミ各社と NHK に対し昨夜、E-mail による犯行声明が寄せられました。わたくし共は、事実確認を急ぎました。これが、問題の Blog です。調査の結果、嶋木さんご夫妻の長女、祥子ちゃんに間違いない事を確認致しました。あ、会見が始まる模様です ]

一木は、味噌汁の椀を持ったまま立ち尽くしていた。中身は既に、盆にぶちまけて空であった。
 民放の中には、事実を伏せ ” タチの悪い悪戯 ” として、Blog の模様をワイドショーで放送している局もあった。写真と名前には目隠しする配慮を忘れなかったが、それらが騒ぎの発端となったのである。尤もそれは、このセンセーショナルな事件の幕開けとして犯行グループが周到に計算した上での事であり、狙い通りに最大限の効果を発揮したのであった。大写しになった画面では、フラッシュに照らされた小田嶋が苦悩の表情を浮かべていた。

つづく

ファン・クラブ

ファン・クラブ

非道、且つセンセーショナルな犯行、それらが WEB を介した時、表には現れない民衆の深層はどの様に反応するのか。 そんなとこに焦点を当ててみました。

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-06-06

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 【序章】 -1-
  2. 【序章】 -2-
  3. 【序章】 -3-
  4. 【序章】 -4-
  5. 【序章】 -5-
  6. 【序章】 -6-
  7. 【祥子】 -1-
  8. 【祥子】 -2-
  9. 【祥子】 -3-
  10. 【祥子】 -4-
  11. 【祥子】 -5-
  12. 【祥子】 -6-
  13. 【祥子】 -7-
  14. 【ファン・クラブ】 -1-