人と猫と(将倫)

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文芸部で執筆会を行ったときに書いた作品です。お題は「五センチメートル」でした。これも三年前ですね。


――ピンポーン

 家の呼び鈴が鳴り、秀人はモニタに映された映像を見た。家のドアの横に付けられたカメラが、レンズに映されたものをそのままモニタに伝えている。だから、ドアの前に誰かが立っていれば、そのモニタに映るはずだった。
 だが、モニタが映すのは見慣れた共用廊下と、その先にあるマンションの別棟だけだった。つまり、人影が無いのである。高級とまではいかないまでも、セキュリティはしっかりしているはずのこのマンションで、そのようないたずらをされるとは思えない。というよりも、この時代になってもピンポンダッシュなどをやる子供でもいれば見上げたものだと思う。
「いたずらかな?」
 モニタに何も映っていない以上、それはいたずらだと考えるしかなく、秀人はモニタを見詰めるのを止めた。モニタに背を向けると、録り溜めていたドラマを消化するべくテレビの前へ移動しようとした。

――ピンポーン

 その時、またしてもインターホンが鳴り、秀人は再びモニタを見遣った。しかし、相変わらずモニタは何も映さない。誰かがドアの前に立つ気配はない。
「気のせい……ではないよな。それとも故障かな」
 秀人は困惑気味にモニタを注視した。機械に詳しいわけでもないので、あちこちを見ていても外的に壊れでもしていない限り何かが解決されるわけではない。そしてやはり、そのような故障は見受けられなかった。

――ピンポーン

 三度目の正直と言おうか、秀人がモニタを見ている間にまたしてもインターホンが鳴らされた。そして、この時になってようやく秀人は今まで呼び鈴が押されていた理由を知った。
 モニタに黒い影が動くのが確かに映し出されていたのだ。秀人はわずかな間に映されたその物体を見て、それが何であるかを知った。
「猫? 猫が俺の家のインターホンを押してたってのか?」
 猫が跳躍してインターホンを押し、秀人が出てくるのをドアの前で待っている。そのような光景は秀人にも直ぐに想像出来たが、その意図はまるで分からなかった。そもそも動物に思考回路があるのかすら秀人は知らないが、少なくとも今まで人間以外の生物にインターホンを押されたことはなかった。
 どうしていいか困惑してしまった秀人だが、一応来客は来客だ。インターホン越しに出ても、何か間抜けだ。追い払うにしても直接出ていった方がいいだろう。もしかしたらドアを開けただけで逃げ出すかもしれない。
 秀人はそう考えながら玄関の方へと移動した。猫ごときにこのような労力を払うのは癪だったが、ずっとインターホンを鳴らされ続けていてはおちおちドラマも見ていられない。
 秀人は錠前を回してドアを開こうとして、ふと思い止まった。もしも猫がいきなり家の中へと侵入してきたらどうしようか。猫はかなり俊敏だ。捕まえるのに手間取って、そうしている間に家の物を壊されでもしないかと秀人は不安になった。なので、秀人は鍵は開けつつもロックだけはしておいた。これならドアを開けたとしてもせいぜい五センチメートルくらいだ。流石に猫でも入っては来れないだろう。秀人は準備万端と意気込み、直後猫相手に張り切る自分に嫌気がさした。そんな妙に不安定な心持ちのままドアを開けた。
「はいはい、どちらさま?」
 当然、猫なのだから応えるはずがない。秀人は足元の黒い猫に視線をやった。こんな訳の分からないいたずらをする猫の割りに、毛並みはかなりいい。そして、そのすらっとした身体の猫は、秀人が想像だにしない行動を取った。
「何度呼び鈴を鳴らせば出てくれるのかしら? 待ちくたびれちゃったわ」
「は?」
 ひどく高く耳によく残る声音が秀人の耳には聴こえた。秀人は一瞬訳が分からずに周囲を見回した。人語を話すような存在は視界にはいない。ということは、つまり――。
「どこを見ているのよ? 私はここにいるのよ?」
 少し怒ったような声が秀人の足元から再び聴こえた。相変わらず聞き心地の良い声が、秀人の耳に届く。この猫が喋っていることは疑いようがなかった。秀人は目を丸くして眼下の存在を凝視した。
「え? お前が喋っているのか?」
 秀人が、人間としての一般常識を持つものならば当然抱く疑問を猫に突きつけると、猫はわずかに頬を膨らませてすねたような表情をした。猫に表情があるのかどうか知らないが、秀人にはそう見えた。
「まあ! 私には『ミミィ』という名前があるのよ。『お前』呼ばわりされるなんて、失礼しちゃうわ」
 猫好きな人からすれば垂涎ものであろうミミィと名乗る猫の態度も、今の秀人には何の可愛げも感じられなかった。動揺がそれを遥かに上回っていたのだ。人語を解し、そして自ら話すことの出来る猫など、秀人は見たことも聞いたこともなかった。
わずか五センチメートルの合間から見える場所に、そのような存在がある。
 秀人は自身の動揺を何とか抑えながら、とりあえずミミィに話し掛けてみた。
「あ、ごめん。それで、君……ミミィは俺に何の用なの?」
 秀人が問い掛けると、ミミィはそれまでの態度を一変させた。ようやく、自分が何しに来たのかを思い出したようだ。
「そうよ、そうよ。秀人の態度が失礼だから、つい忘れちゃったわ。用と言っても大したことじゃないわ。私はね、ただ挨拶しに来たのよ」
 ミミィが秀人の名前を知っていることにも別段疑問は抱かなかった。抱くべき疑問は他にいくらでもある。
「挨拶?」
「そう、これからお世話になります、ってね」
 冗談ではない。誰が好んで猫の世話など見てやるものか。秀人はまるで人間と対話しているかのように、反論していた。
「猫の世話なんて嫌だね」
 すると、ミミィは元々丸い目をさらに真円に近いほど丸くした。よほど驚いているのだろう。即座に断られたことが予想外だったのだろうか。だが、まるで人間と変わらない感情の表し方に、秀人は内心で妙な引っ掛かりを覚えた。
「あら、私、猫じゃないわよ。歴とした人間よ」
 今度は秀人の方が驚愕する番だった。どの口がそんな戯言を言うのだろう。いや、そもそも戯言を言うことが出来るのがおかしい。
「ちょっと待て。何で人間が猫のなりなんてしてる? というか、猫の姿の時点でミミィは猫だろうが。『猫を被る』なんて冗談は先に禁じておくからな」
 秀人は頭の中がぐしゃぐしゃにかき混ぜられたまま、思い付くがままに言葉を発した。秀人が捲し立てたのを聞いていたミミィは、やがてくすくすと声を立てて笑い始めた。
「あらあら、『猫を被る』だなんて、秀人も面白いことを言うのね。でもね、じゃああなたは私が人間でないということを証明出来る? 確かに秀人は容姿のことを口にした。でも、私はこうして秀人と日本語で会話をしているし、人間だけが出来るとされている記憶と思考もしている。感情も表せる。これでどうして私が人間でないと言い切れるの? どうして私が猫だなんて言い切れるの?」
 鋭い指摘で切り返された秀人は思わずたじろいでしまった。確かに、今まで自分は何を以て人間と他の生き物を分類してきたのだろう。おそらく、先程自分が口にしたように容姿だけだったのだろう。中身についてなど、考えたこともない。だが、現在の常識からすれば、生物の定義はおおよそが容姿だ。
「だって猫は哺乳綱ネコ目ネコ科だろ? 人類は哺乳綱サル目ヒト科。生物学の分類上は全く違う生物だ」
 秀人がなけなしの知識でそう言うと、ミミィは大きなため息をつき明らかに落胆の意を示した。
「そんな分類、何の役に立つの? あなた教わらなかった? 人は見掛けで判断しちゃいけません、って」
 ミミィはそう言うが、それにしても見掛けが違いすぎる。ここでいう「人」は、その人の内面のことで、「見掛け」というのはその人の外観や言動のことだ。間違っても、猫の外観をした者に当てはまる言葉ではない。
「秀人は単に世の常識に惑わされているだけなのよ。人間と猫の違いなんて、そう大したものじゃないわ。それこそ、秀人と私を隔ててるこの五センチメートルの隙間と同じ。要はその人が認めるかどうかという、ただそれだけだわ」
 秀人はミミィの言葉に何か気付かされたような感じがした。秀人と五センチメートルの隙間を隔てた先には人間と名乗る猫の容姿をしたミミィがいる。秀人が五センチメートルだけ考え方を変えれば、ミミィは人間になるし、逆に秀人だって猫になる。自分が人間であるか猫であるか、その分類などそんな大した問題ではないのだ。
 秀人は目の前のミミィを見ながら、徐々に落ち着きを取り戻していった。もう、ミミィに疑問を抱くことはない。いや、あるとすればもう一つだけ。
「それで、俺は何をすればいいんだ?」
 秀人は最初にミミィに言われた事を反芻して尋ねた。
「何もしなくていいわ。言ったでしょ?」
 そうしてミミィは、人間と同じように満面の笑みを浮かべた。
「これからよろしくね」
 秀人は初めて、ミミィのことを可愛らしいと感じた。

人と猫と(将倫)

これのちょっと前に友達に嘘をつかれまくるというお話を書いていて、それの影響が非常に強く出ています。

人と猫と(将倫)

人と猫が会話をして人になったり猫になったりするお話。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-03-01

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