あ
『【声劇夢十夜】紅銀杏』
ホラー 作者:七枝
舞子
母親。若年性アルツハイマー。
琴音
子。性別不問
修二郎
叔父。15年前に兄が失踪した。
――― 本文ここから。Mはモノローグ。
――― 夜中。神社の境内にて。
舞子
いーち、にーい、さーん
琴音
(M)それは夜毎に繰り返される夢。
舞子
よーん、ごー、ろーく
琴音
(M)遠い日の、虚ろな残骸。
舞子
なーな、はーち……ほら、琴音もいっしょにかぞえてみよう?
琴音
母さん、帰ろう。
舞子
きゅーう、じゅう。やった、これで100回目だ。100回神さまにお願いしたら叶うんだよ。
琴音
風邪ひいちゃうよ。
舞子
お父さん、きっともうすぐ帰ってくる。そうでしょ、琴音?
琴音
うん。そうだね、母さん。ほら、靴はいてよ。帰るよ。
舞子
ねぇ琴音?
琴音
なに?あーあ。足血だらけじゃん。
舞子
お父さんはいつ帰ってくる?
琴音
……いまに。
舞子
本当?
琴音
……今に帰ってくるよ。
舞子
ふふふ。
琴音
(M)童女のように笑う母を前に、ずっしり身体が重かった。秋の空気は冷たく、母の靴を握る手はかじかんで震えている。
舞子
いーち、にーい。
琴音
あ、しまった。
琴音
(M)また始まってしまった。途中でやめさせると暴れるから、きりのいいところで帰らせなきゃいけなかったのに。
舞子
琴音―?いいこにしててね。お母さん、ちょっと神様にお願いしてくるからね。
琴音
うん。
琴音
(M)悪夢だな、と思った。随分前から、終わることのない悪夢の中で生きている。
――― タイトルコール「紅銀杏(べにいちょう)」
――― 翌日の昼時。自宅で仕事をしている琴音。修二郎が訪ねにくる。
修二郎
やあ、琴くん。
琴音
修二郎さん。
修二郎
舞子さんの具合はどう?これ、差し入れ。
琴音
いつもすみません。仕事は?大丈夫なんですか?
修二郎
今日は日曜日だよ?
琴音
え。
修二郎
……おつかれみたいだね。ちゃんと休めてる?
琴音
へへ……
修二郎
目の下にクマ。
琴音
眠れなくて。昨夜も母さん、脱走したから。
修二郎
今は?
琴音
寝てます。さすがに階段往復50回は堪えたみたい。
修二郎
それはすごい!琴くんもお百度参り付き合ったの?
琴音
まさか。死んじゃいます。
修二郎
だね。おじさんも無理だなあ
琴音
またまた。修二郎さんはおじさんなんて歳じゃないですよ。
修二郎
そうみえる?実は最近ジムで鍛えてるんだ。
琴音
道理で。
修二郎
君たちを少しでも支えたいと思ってね。
琴音
それって、
修二郎
なぁ、琴音くん。そろそろちゃんと考えてみてくれないかい?君一人で舞子さんの介護をするのも限界だろう?
琴音
修二郎さん……
――― 背後で物音。
舞子
琴音―?誰かお客さん来てるの?
琴音
母さん。
修二郎
あ、舞子さんお世話になってます。修二郎です。
舞子
あら、修二くん?やだ、私すっぴんのまま来ちゃったわ。お恥ずかしい。
修二郎
舞子さんはそのままで十分お綺麗ですよ。
舞子
お世辞はいいわ。ちょうどいい時間だし、何か食べてく?琴音、いつまでもお客さんを玄関に立たせてないでご案内して。
修二郎
そんな、悪いですよ
舞子
いいの。気にしないで。
修二郎
大丈夫かい?
琴音
ええ。どうぞ、居間まで案内します。
――― 修二郎を居間に案内する琴音。
修二郎
……舞子さん、元気そうだね。
琴音
昼は比較的まともなんです。
修二郎
そっか。それでさっきの話なんだけど、(ちょうどいいし、舞子さんにも)
琴音
(さえぎって)そうだ、母さんに差し入れ渡してきますね。ちょっとまっててください。
修二郎
……うん、わかったよ
――― 間。舞子が親子丼を持ってくる。
舞子
おまたせ。簡単なものでごめんなさいね。
修二郎
わ、美味しそうな親子丼!
琴音
多かったら残してもいいですからね
修二郎
いやいや、ジム帰りでお腹ぺこぺこだったんだ。助かるよ。
舞子
ジム?
琴音
修二郎さん、最近鍛え始めたんだって。
舞子
へぇ~!すごいわね、私なんて全然だめ。最近歳のせいか朝起きたら足が痛くて。
修二郎
それは……
琴音
ちゃんと薬のんでないからだよ。薬のんでしっかり睡眠とれってお医者さんも言ってたでしょ。
舞子
だってあの薬のむとボーっとするんだもの。それにすごく苦いのよ。
琴音
子どもみたいなこと言わないで。
舞子
まあ生意気。
琴音
ふくれっ面したってかわいくないよ。
舞子
かわいくなくて結構です。
修二郎
まあまあ、ふたりともそのくらいにして。ご飯たべましょうよ。ね?
舞子
……修二くんのいうとおりだわ。もう、琴音が余計な事言うからご飯冷えちゃう。
琴音
はいはい。私が悪うございました。
舞子
はいは一回。
琴音
はーい。
舞子
琴音。
修二郎
……っぷ。ははは。
舞子
ほら、修二さんに笑われちゃってるわよ。
琴音
母さんのせいでしょ!
修二郎
くくくっはははは、いやあふたりとも本当に仲がいいなあ
舞子
あたりまえでしょ。修(おさむ)さんと私の、たったひとりの子どもだもの。
琴音
そう言うなら困らせないでよね。
舞子
このとおり生意気すぎるぐらいのはねっかえりだけど。
琴音
母さん!
修二郎
ははは。
――― 修二郎、笑いながら親子丼のさじを口に含む。異変を感じて少し止まる。
修二郎
……ん、これは……いや。
舞子
修二さん、どうかしました?
琴音
まって。
――― 琴音、親子丼をひとくち食べる。
琴音
親子丼、味濃すぎ。めんつゆの量間違えてる。
舞子
ええ~?……んん。そうかなあ?これぐらい普通じゃない?
琴音
食べられたもんじゃないよこれ。修二郎さん、貸して。作り直してくる。
修二郎
いいよ、琴くん。僕、味濃いの好きだから大丈夫だよ。
琴音
でも。
修二郎
大丈夫だから。
舞子
修二くんだってこう言ってるでしょ。琴音の気にし過ぎ。
琴音
…………母さん。
舞子
なによその目。
琴音
(ためいき)もういい。
舞子
親にむかってその口の利き方はないでしょう。
琴音
母さんに何言ったって無駄。
舞子
忘れるから?
琴音
…………
舞子
私が忘れるから無駄だって言いたいの?
修二郎
舞子さん、おちついて。
舞子
修さんはだまってて!
――― 間。
琴音
……母さん。その人、父さんじゃないよ。
舞子
(いきをのむ)
修二郎
……いいよ。僕、気にしないから……大丈夫だよ。
琴音
(M)ひどく、空虚な音だった。
舞子
(崩れ落ちて泣き出す)
琴音
…...…...
――― 場面展開。再び夜の神社にて。
舞子
いーち、
琴音
(M)また、母が神社でお百度まいりをしている。
舞子
にーい、
琴音
(M)そんなことしたって無駄なのに。
舞子
さーん、しーい
琴音
(M)ひらひらとイチョウが石段に降り積もる。あれを踏んですべって転んだら危険だな、と頭の端で考えて、もしそうなったら母はどうなるだろうと想像する。
舞子
ろーく、なーな
琴音
(M)すべって、階段から転げ落ちて、もし頭から落ちたら。もし病院につくのが遅くなったら。
舞子
はーち、きゅーう
琴音
(M)もし、そのまま母が死んだりしたら。
舞子
じゅう
琴音
(M)この悪夢は。
舞子
琴音―?
琴音
なあに母さん?
舞子
100回目。
琴音
よかったね、母さん。お願い叶うね。
舞子
お父さん、もうすぐ戻ってくるわよね。
琴音
そうだね。
舞子
いつ帰ってくるかな?
琴音
今に。
舞子
本当?
琴音
うん。
舞子
ふふふ。
琴音
(M)この悪夢は、いつまで続くのだろう。
――― 場面転換。修二郎と夜道を歩く琴音。
修二郎
琴くん?琴音くん?
琴音
……あ。すみません、ボーっとしてました。
修二郎
みたいだね。
琴音
なんで笑ってるんです?
修二郎
嬉しくてさ。最初の頃は「母さんに近づくな!」ってすごく僕を警戒してただろう?
琴音
あー……
修二郎
それが今やこうして見送りしてくれて、無防備な姿をみせてくれる。
琴音
あの頃はすみませんでした。
修二郎
いいや。仕方ないよ、兄さんが消えてすぐのことだったからね。
琴音
……あの、修二郎さん。
修二郎
なあに?
琴音
……その……いえ、すみません。
修二郎
言ってよ。気になるじゃないか。
琴音
……どうしてこんなに良くしてくれるんですか?
修二郎
僕たち、家族だろ。
琴音
父が消えてもう15年以上経ってる。ほぼ他人みたいなもんでしょう
修二郎
寂しいこと言うなあ
琴音
……母に気があるとか?
修二郎
おや、そうみえたかな。
琴音
あなたが「いい人」じゃないの、しってます。
修二郎
……どういう意味?
琴音
父さんってどんな人でした?
修二郎
なんだい急に。どんなって……そうだな。僕にないもの全て持っている人だったよ。凄い人だった。
琴音
仲よかったんですよね。
修二郎
うーん、普通の兄弟だったと思うよ。よくある感じの。
琴音
わざわざ、こうして義理の姉の面倒をみているくせに?
修二郎
……なにがそんなに気にかかるんだい?
琴音
……不安なんです。このまま何も返せないと。
修二郎
……
琴音
父さん、死んでるんでしょう?
修二郎
……なぜ?
琴音
ずっと考えてました。だっておかしいじゃないですか、仕事も家庭も放り出していきなり、だなんて。借金やトラブルがあったならまだしも。
修二郎
そうかな、誰しも逃げ出したくなる時はある。
琴音
……修二郎さんはいつもそうですよね。母みたいに待つことも、探しに行くこともない。まるで父の行方がわかってるみたいに。
修二郎
……兄さんは「失踪」したのさ。
琴音
貴方は何を知っているのですか?
修二郎
(溜息)
琴音
修二郎さん、
修二郎
日が暮れるのも早くなってきたね、見送りはここまででいいよ。
琴音
説明してください。
修二郎
またね、琴くん。
琴音
あなたが、殺したんじゃないんですか?
修二郎
…...殺した?
琴音
だって、そうでもなきゃ…...
修二郎
違うよ。
琴音
なら誰が。
修二郎
君は、どこまでおぼえているんだい?
琴音
え。
修二郎
わからないなら、そのままで。
琴音
どういう、ことですか。
修二郎
じゃあ。
琴音
まって。
修二郎
帰り道、気を付けてね。
琴音
まってください!
――― 琴音、追いかけようとして、ためらう。間。
琴音
修二郎さん……
舞子
琴音。
琴音
か、母さん、あのね、
舞子
お父さんはどこ?
琴音
……今に帰るよ。
舞子
そうなの?お父さんにも困ったものね。相談したいことがあったのに。
琴音
……家にかえろう、母さん。
舞子
ああ、そうだわ。きっとあそこにいるのね。
琴音
どこにいくの。
舞子
神さまにお願いしなきゃ。
琴音
母さん!
琴音
(M)暗い木立の横を、裸足の母が駆け出していく。止められなかった。止めたって無駄だろうという気がした。重い足をひきずって、母の背中を追った。
――― 場面転換。神社前にて。
舞子
いーち、にーい。
琴音
(荒い息)……また……
舞子
さーん、しーい。
琴音
もう、やだ……
舞子
ごーお、ろーく。
琴音
母さん、帰るよ。
舞子
なーな、
琴音
母さん!
舞子
はーち、
琴音
こんなのやったって無駄だ!もうやめて!
舞子
……無駄?
琴音
何回やったって叶うわけない。
舞子
どうしてそんなこと言うの?
琴音
見ればわかるでしょう!
舞子
じゃあ私はどうすればよかったの。
琴音
家にいてよ。心配させないで。
舞子
心配?
琴音
そうだよ。寝る暇もないのに。
舞子
(鼻で嗤う)
琴音
(M)その時、母は見たこともないような冷たい目をしていた。
舞子
貴方っていつもそう。
琴音
かあ、さん……?
舞子
毎晩毎晩家をあけて、そのくせ私の事は閉じ込めようとする。
琴音
え。
舞子
貴方が外で他の女に会っていること、私が知らないとでも思ってるの?
琴音
……誰と勘違いしてるの?
舞子
心配だなんて口ばっかり。帰ってこないのは修さんの方じゃない。
琴音
……とう、さん?
舞子
家族行事ぐらい付き合ってよ。琴音の三つのお祝いなのよ。
琴音
こと、ね……?あ……っ!
琴音
(M)頭が痛い。どうして。この光景、この言葉。知っている気がする。
舞子
こうして神さまにお願いすることのなにがいけないの。
琴音
かあ、さん……!やめ、て。
舞子
放して。
琴音
(M)鈴の音がうるさい。いや、鈴なんて鳴ってない。イチョウがひらひらと石段の上に落ちて降り積もっている。割れた銀杏(ぎんなん)に赤い影。鉄さびの匂い。これは何の匂いだった?
舞子
放してったら!
琴音
きゃっ!
琴音
(M)衝撃と共に、ふわりと宙に浮いた感触がした。
琴音
(M)視界が裏返る。何かを掴もうと手を動かすけど、空を切るばかり。驚いた母の顔がスローモーションで遠くなっていく。
琴音
(M)神社のぼんぼりに照らされたイチョウの木がやけに近くみえて、それで。
琴音
(M)また、銀杏が割れた匂いがした。
修二郎
……はっー!ナイスキャッチ!
琴音
修二郎、さん……?
修二郎
怪我はないかい、琴音くん。
琴音
どうして、ここに……?
修二郎
なんだか後味悪くてね。戻ってきたんだ。
琴音
……ありがとう、ございます。
修二郎
間に会ってよかった。あんな夜はもう二度とごめんだ。
琴音
あんな夜?
修二郎
いや……それより、舞子さんを。
琴音
そう、ですね。
琴音
(M)石段の上で、母はしゃがみこんでいた。小声でぶつぶつ父の名を呟いている。
舞子
おさむさん、おさむさん、おさむさん……
琴音
母さん、かえろ。
舞子
ちがうちがうちがう。
修二郎
舞子さん。
舞子
私じゃない私じゃない。私じゃ、ない。ねぇ違うでしょう?帰ってくるでしょう?
琴音
…………
修二郎
落ち着くまで少し時間がかかりそうだね。
琴音
……はい。
修二郎
僕がみてるよ。君は先に帰ったほうが良い。今、彼女の相手をするのつらいだろう?
琴音
……あの。
修二郎
なんだい。
琴音
……父は、どこにいるんですか?
修二郎
……あっち。
琴音
あの、樹は…...
舞子
(回想)お父さんはどこ?
琴音
(M)ああ、そうか。母はわかっていたのか、父の居場所を。
修二郎
あの夜は今よりもっと暖かくてね。……土が、やわらかかった。
琴音
……そう、ですか。
修二郎
僕は、みていた。
琴音
…………
修二郎
みていることしかできなかった。
舞子
……ことね?
琴音
............
修二郎
おっと。気にせず帰りなさい琴くん、ここは僕が…...
舞子
(上から被せて)琴音、返事をして。
琴音
……どうしたの、母さん。
舞子
どこにいってたの?お母さん、探したのよ。
琴音
ここにいたよ。ずっとここにいた。
舞子
そう?
琴音
(M)ふふふ、と母が笑う。いつもと同じ、こどもような笑みだった。まるで夢をみているような、とろけた瞳。
舞子
さっきね、怖い夢をみたのよ。お父さんと一緒に、琴音もいなくなっちゃう夢。夢でよかった。
琴音
そうだね、母さん。
舞子
琴音はどこにもいかないわよね?
琴音
…...…...もちろんだよ。
修二郎
いいのかい?
琴音
母には私しかいませんから。
修二郎
…...そう、か。
琴音
…...…...はい。
修二郎
さあ、舞子さん。肩を貸しますから手を出して。
舞子
あら?修二くんもいたのね。ありがとう。
修二郎
……どういたしまして。
琴音
かえりましょうか。
修二郎
ああ。
琴音
(M)もう、この人を拒む理由を思い出せなかった。母の夢は、夢のままでいい。醒めないまま朽ち果てていけばいい。
修二郎
……ん?何か言ったかい?
琴音
いいえ。
琴音
(M)目をあけても、夜は続く。まだ銀杏の匂いがする。
――― おわり。
あ