二期会 フランス歌曲研究会
10月4日、二期会10月例会、「フランス歌曲研究会」を聴講しに、千駄ヶ谷にある二期会会館へ出かけた。9月の「第102回 フォーレ研究会」に引き続き、この日の講師は私が尊敬してやまないピアニスト・井上二葉先生である。私には降って湧いたような話であったが、フォーレ研究会で知遇を得た二期会メンバーのO女史からこの日の前日、「歌曲伴奏は二葉先生の演奏活動の柱の一つ、先生のピアニズムに触れられる貴重な機会」という、私にとっては殺し文句のような誘いのメッセージをいただいていた。私が二葉先生を大変尊敬していることを知っているO女史が、せっかくの機会だからと誘って下さったのである。
しばらくすると、開場前の入口の前で待っていた私の後ろからO女史がやって来た。「来てくれたんですね!」と、開口一番底抜けに明るい声でO女史は私に声をかけて下さった。「あんな殺し文句を言われては来ない訳にはいかない」と答えると、O女史はまた屈託なく朗らかに笑った。
それから少しして二葉先生がお見えになった。この日の二葉先生は、水色の生地に小さな花模様がいくつもプリントされているジャケットに、黒のタイトスカートという装い。すかさず私は二葉先生に歩み寄り挨拶をした。二葉先生は穏やかな微笑みを投げかけて下さった。
会場を覗くとまだ準備がされておらず、椅子を出したりテーブルを並べたり、二期会の方々に混じって準備をした。2時10分から勉強会が始まった。
講師である二葉先生は挨拶を終えると、はじめにフランスは音楽に関しては国家事業であり、日本とは大きな違いであるとおっしゃった。確かにフランスの名門であるパリ国立音楽院が設立されたのが1669年。一方、東京芸術大学の設立は1949年であるから、その歴史には280年という開きがある。それを考えただけでも、国家事業という表現が決して大袈裟ではないことが分かる。そういった時代背景や歴史について少し話された後、二葉先生は古い言葉には詳しくないので間違っていたら指摘するようにとおっしゃって、「ドビュッシー 連作歌曲」の勉強会が始まった。楽譜がないと理解し難いかもしれないが、私のメモしたことを以下にいくつか曲ごとに書き記す。
【シャルル・ド・オルレアンの2つのロンデル】
【時は脱ぎけりその衣を】
ピアニストが弾き始めて早々、二葉先生は楽譜と演奏の違いを指摘された。譜面に書いてあることを良く見ること。作曲家の指定通りに弾くこと。ピアノが歌よりも被りすぎないようにバランスを考えて弾くこと。
【プレザンスみまかりたれば】
ピアニストの手元をじっと見て、和音感を出すようにと的確なアドバイスをされた。自分が主役にならずヴォーカルに譲る気持ちで弾くように。和音に対して重みをつけていくこと。クレッシェンドは音が出すぎるから、いつでも和音感で進めていくようにすること。
とにかく二葉先生の口から、この「和音感を大事に」という言葉がよく聞かれた。
和音になると皆テンポが早くなりがちである。和音感を大事にバスで引っ張って行くように弾くこと。残る音の方を大事に聞かせていくこと。歌と一緒の音は頑張って出さなくて良いこと。ピアノは長く響かせることが難しい楽器なので、音が切れないように弾くことが大事であること。ペダリングにも細かい指導をされた。
歌唱に関しては、ピアノに任せるところは任せること。悲しみの歌であるからクレッシェンドになっても迫っていくような感じにせず、思い出(追想)くらいの気持ちで歌うように。
他にもたくさん指摘があったが、フランス歌曲自体が未知の世界であった私には、フォーレに引き続きまたしても猫に小判であったが、それでも声楽やそのピアノ伴奏も突き詰めて勉強すると奥が深いのだと、この2曲を勉強しただけでしみじみと感じた。
【恋人たちの散歩道】
【この暗き洞窟のほとり】
この曲は暗い曲であるが、残り2曲は明るい幸せな歌である。何をイメージするかを聴衆に聞かせること。和音感を大事にしつつ響きも大事にすること。ドビュッシーのオーケストラ曲を想像して弾くこと。音符の長さを大事に弾くこと。残る音の響きが大事であること。
【我がすすめを信ぜよ】
ピアノは下に行くと指が強い指になっていくので、ピアニストに弾きやすいように運指をアドバイスされた。速度の微妙な指摘をされ、手の都合で音楽を妨げないようにと指導。歌唱に関しては死んでいるかの確認ではなく、優しく問いかけるように歌うこと。
どうしてドビュッシーはこのような曲をピアノ曲で書いてくれなかったのかと、二葉先生は大変残念そうに嘆かれた。
【われはおののき】
曲は暗くても言葉は明るく発すること。ヴォーカルは細かいところで音程がはまっていない時があるので、和音に合わせる練習をすること。フランス語を話す時と歌う時とでは発音がちょっと違ってくるので、聴講者にも念入りに聞いたりして何度も確認をされた。
受講者がそれぞれの課題曲をすべて演奏し終わると、二葉先生は柔らかな笑顔を湛えて拍手をされた。フランス歌曲はそれまで聴いたこともなかったから、前回のフォーレ研究会同様、造詣の深い方々に混じって私のようなものが聴講して迷惑になりはしないかと気を揉んだが、私の心配よそに何事もなく勉強会は終わった。
たった一度、フランス歌曲に触れ、勉強会に参加したところで、その世界が分かるというものではないが、それでも音楽学校で学んだ声楽家の歌唱を間近で聴くのは初めてであったから、その豊かな声量と歌唱には圧倒された。歌手の淡谷のり子さんがその昔、ポリドールレコードのテストを受けた際、マイクロフォンのことを忘れて、オペラのアリアを歌うように声量を抑えずそのまま歌い、音が割れたせいで不合格に終わった話を思い出したが、きっとこんな感じだったのだろうと思った。
歌曲はあくまでも声楽家が主役であるが、その声楽家がいかに気持ちよく歌えるように、その歌声がさらに魅力的になるように、それぞれの奏でる音がどこまで一つの音楽として溶け合うかは、伴奏ピアニストの腕の見せ所というのだろうか、大変な役回りであることを知った。
指導する二葉先生は、ソリストの時には余り見せることのない笑顔を見せ、指導の合間にはユーモラスな瞬間もあり、終始楽しげな様子であった。二葉先生の人柄を考えると、ソリストとしてピアノを弾くよりも、さり気なくそっと寄り添い他者の演奏を輝かせる、縁の下の力持ち的な伴奏ピアニストの方が、本領発揮といったところがあるのかもしれない。ソリストとしての二葉先生も大変素晴らしいが、そこに秘めた思いとはまた違ったものを秘めているようであったし、他の演奏家と共演し、一つの音楽を作り上げることの醍醐味や、その役割の楽しさを十二分に知っていらっしゃるように感じた。
二葉先生のピアニズムに触れたことは言うまでもないが、二葉先生のふわっとしたたおやかな佇まいと、その口から発する現代では余り聴くことの出来なくなった気品ある美しい日本語を耳に出来ることも、その演奏を聴くことと同じくらい、私にとっては大変心地よい時間なのである。
二葉先生と出会ったことで、それまで奥深く知ることのなかった後期ロマン派のフォーレやフランス歌曲、近代フランス音楽を知ることが出来た。
「美しいと思うものに仕えて過ごせることは幸せなこと」
毎日芸術賞を受賞した際、二葉先生が語った言葉を思い出す。私自身、いつまでも二葉先生に仕えて様々なことを学び、美しいものを美しいと感じて生きていきたいと強く思う、今日此の頃である。
二期会 フランス歌曲研究会
2026年10月23日 書き下ろし
2026年10月25日 「note」掲載