沈む夕力学
もはや空き缶のような乾いた音は昨日の過去と言える。
黄色い目をした人たちは己の意思で広場に避難していた。それは永遠に続くような警告音、ラジオ、テレビ、ネットの中でも続いてたせいだが何時しかそれも聞こえなくなっていた。おそらくほとんどの人たちがこの街からいなくなった、つまり、避難を終えたからといえる。暑い日差しの太陽は相変わらず少しも体調不良にならずにこのボロいアパートの空にもあり生温い風がベランダの中を行き来していた頼んでもいないのに。
携帯電話が鳴る。さっきから何度もなっていた。そしてその後に画面上に、いまどこにいるの? と言った心配の一文が見えた。
しかしその画面を見ても溶けたアイスクリームの残骸のようにしか見えない。何も感じないのだ。そう、なぜなら暑いから。
眠たいあくびをすると、突然大きな、そう。鉄のタイヤがドラム缶にぶつかった衝撃が部屋に響いた。玄関の扉をノック、いや破壊の音が鳴った。それで僕はそのカギをかけてある扉を開いた。
「避難指示に従ってください」
部活の新入生のような小さな声だった。
「なぜ?」
「指示だからです」スーツを付けた。真っ白のスーツ。プラズマで周りの汚れを焼き切っているともいえるその白いスーツには白い首、白い顔、白い髪の毛が揺れていた。瞳の色だけは黒く笑み一つもない身長の低い女だった。
僕はその威厳に満ちたたいそうな女に対して初めて幼稚園児が信号機を渡る際に言葉を投げかけるそんな感じで答えた。
「いやだね」
「ダメです。これは命令です」
「僕は命令が従いたくないんだ」
「従ってください」
「いやだ」
「他の住民さん、区長さん、転売ヤーさん、学校の先生さん、一般市民さんも全員避難しているんですよ。あなたもするべきです」
「僕は避難したくないんだ。分かるか? いちいちそんな遠いところまでいって人が大勢いる場所でダラダラと生き続けたくないんだ? 分かるか?」
僕はそういうと玄関を閉めようとして女を押しのけようとしたが僕の腕をつかんで「私は他の白スーツどもとは違いますよ」と言って靴も脱がずに僕の部屋に入ってきた。
「おい、勝手に入ってくるな」
「汚い部屋ですね。たまには清掃したほうがいいですよ。頭のゴミも清掃できますし」
そういうと女は僕の30万相当はする高い椅子に座った。
「僕の椅子に座るな」
「なんと座りにくい椅子なんでしょ。公園に放置されているソファーの方が100倍いいです」そう言ってから「喉が渇きました、麦茶でも出してください」というから僕は唾を吐きながら「あるわけないだろ。水道水しかないわ」と答えた。
女は床に投げ捨ててある携帯電話を見て「あらら、心配の連絡がきておりますよ。あなたみたいな偏屈物にもご友人というものがいたのですね」と言った。
「勝手に向こうがそう思っているだけだ」
「ふーん」
そう適当に女は返答してから答えた「M011、K021、L254、J551、M020、T554」。
「なんだそれ」
「あなたのボロアパートに派遣した白スーツどもの個体番号です」そして一度大きく天井を見た後に「全員帰ってこないんですよね」と言った。
「お前らもブッちするやつがいるんだな」
「破壊、故障、破損、そのようなことがあった場合にすぐさまにこちらにデータが送信されますがそんなこともないです」
「仮に、破壊行為の受信があればこちらの対応としては『正当』としてあなたに『派遣』をすることもできますが、一度もそんなことはない」
「なにがいいたいんだ?」
「避難勧告にも従わない。白スーツどもの行方も不明。そしてあなたはまだ此処にいる。それはつまり」
「バグなんですよね」
女は椅子に座って足をパタパタとさせながら言った。
「ひとのことをバグあつかいするな。君はスーパーでミカンをかったことがあるか? そう。ひと箱だ。するとどうだ。ひと箱の中には必ずと言っていいほど青いミカン。腐ったミカンが入っているものだ。何が言いたいかというとだな。僕はバグではない腐った存在なんだ。腐ったものは処分する。オーケー? そうだな。腐ったものはすぐさまに処分する。価値がないからだ。だから僕は捨てられる存在。だから避難区域にいく必要はない。腐っているからだ。そして、君も僕に関わる必要はない。なぜならバグではなくて腐った存在らからだ僕は」
「私はスーパーで買い物をしたことがないのでわかりかねますが、自分自身で腐ったミカンとい卑下するにはいささか謙遜すぎますね。こちらではあなたをバグだと判断しています」女はそういうと椅子にあぐらをかいて「質問一、なぜ避難をしないのか? 質問二、白スーツどもの個体はどうなったのか? 質問三、あたなは何者なのか?」と言った。
僕はその問いに対して非常に疲れた表情をした。どうして、どいつもこいつもみな同じ質問ばかりをするのか、ベランダの外には青い空と入道雲が浮かんでいた。同じ表情はないその空間こそが地球という舌ではないのか、味をする、味をして苦味を感じる、その舌なのにだ。
「君に対して質問を答えると君は僕に何をしてくれるのか?」
僕は汚れた窓を撫でながら答えた。
「即刻に強制退去して頂き、エリア963に連行する予定です」
女は表情を変えずに答えた。
僕は深いため息を吐いてから「始まりとは何から始まるか? 分かるか」と言った。
「説明もなく概念ですか? あなたのような腐ったミカンに始まりとは答える必要はありません」
「これからあの夏の太陽はどうなるか?」
「それは沈むでしょう」
「それから?」
「夜になる」
「そうだな」と言ってからは僕は「沈む前に夕日となる」と言った。
「だから?」女は困った表情で言った。
「ズレ落ちるんだ。下に。層がずれて落ちるんだ。太陽が沈む。その時に夕日が、ずれる。青い空と雲とオレンジがずれて落ちる。そして沈む。それらか始まる」
僕はそういうと女の方に近づいて顔を向けた。僕の目はまばたき一つもしなかった。ピノキオの木の瞳のように。それで女は無表情から無になる。それから口元だけを少し無理やりあげてから「あなた頭おかしいんですか? と言った」それから「私の質問と全然関係ないですよね」と言った。
「いや僕は君の質問一から三まですべて答えた」
「いいえ、答えていません」
「答えている」
「これの何が答えているといえますか?」
「白いスーツはみんな、同じことを言うな? 少しは自我というものを学ぶべきだ」
「やはり、ここに全員の個体が訪れていた……」
女がそう言うと僕は女の腕をつかんでベランダの方に立たせた。
「痛ッ!」
僕はいつもベランダのほうに白スーツの女を案内するといつもこのように腕をつかんでしまう。少し力を入れすぎてしまうらしい。
「ごめんごめん。でもこうでもしないと君は外に出ないだろ」そう言ってから僕はそらに指をさして言った。
「な、なにこれ。さっきは」
「あんなに青かったのに? その言葉、他の白スーツの女たちもいっていたよ」
晴天の青い空、白い入道雲は消え去り。赤い空。舌のようなべったりとした赤い空が沈む夕日が広がっている。
「音も聞こえない、風もない、人の気配もない、生きているけど生き続けることができない世界? なによこれ? 私をどこに連れ込んだ。いやどこに飛ばした? さっきとは違う場所?」
「説明の通り始まりの始まり。これから始まるんだよ。ほらあの太陽を見なよ。沈んでいく太陽をさ」
絶対見てはいけない。女はそのような直観が働く。見てはいけない。これを見ると私は何かに飲まれてしまう。そう女の脳みそがガンガンとアラームが働いた。見るな、見るな、見るな、見るな、見るな!
「シンショウの一日を見ないようにするとはね。どんな生き物も食べ物を食べる瞬間というものが面白いものだ。君も沈む瞬間をみないといけないよ」
そう言うと私の頭を両手でつかんで無理やり太陽の方に顔を向ける。目を開けてはいけない。まぶたを強く閉じ続ける。
「最初の観測は1852年だった。微力を感じた。観測しても中々詳細をつかめない。1881年ようやく少しの特定、1910年夕日が生じた際に計測の数値が上昇。1931年、太陽が沈む際に膨大な空間の破壊行為が生じズレが発生。強行して観測した結果、原因不明の放射線を浴びる。1966年観測中に徐々に落ちていく空間のズレが大きくなっていくと理解。その後の1985年からは……」
なにこいつ。意味わかんない。いきなり何を言い始めているの? それに生きている年数がおかしい。それにこんなこと私の方の『組織』でも聞いたことはない。
「まさか初めてって言わないだろ。夕力学。こちらとら、何年も計測してんだからさ」
それから私に向かって「いい加減、目を開けてよ。こんなに美しい沈む夕が見えるんだから」
指が私のまぶたをゆっくりと持ち上げる。あか。
沈む夕力学