シャルウィーデカダンス
1
視界は緋色に灼けていた。悲鳴と足音が耳を塞ぎ、家屋の焼けていく匂いが鼻を刺す。サフィールは年老いた祖母を探した。だが、呼ぶ声は咆哮に掻き消される。
焔光によって夜空には巨大な異形が浮かび上がる。
魔族の襲撃だという。
聖騎士の一行がこの町に来ていたのは幸いというべきか、将又(はたまた)、そのために町は灰と黒煙と化しているのか。
サフィールは祖母を探さなければならなかった。足腰の弱い祖母が一人で逃げ出せるはずはなかった。ただ、祖母の家に向かうということは、異形の足元に向かっていくということだった。
彼女は向かった。煙と炎のかぎろう小路を駆けた。
生まれ故郷はもはや原形を留めていなかった。異形の長い爪が地面に穴を空け、家屋を薙ぎ倒していた。
変わり果てた町を闊歩する怪物と対峙する聖騎士一行の姿が見えた。彼等は魔族の親玉を討ち滅ぼす存在だ。悪い輩を懲らしめる、"正しき"人々で、この国の希望だ。異形もたちどころに打ち倒すはずなのだ。実際、建物の瓦礫のほかに、異形の子分たちの遺骸が散らばっていた。
サフィールは安堵した。彼等はまだこの町に留まっていた。今まで、耳に入ってきた哀れな町村とは違う。
逃げ惑う民を守りながら、剣林が異形の子分どもを次々と斬り伏せていく――はずだった。けれども厳しい風采の剣士はもはやその武器を引き摺っていた。負傷が目立つ。
辺りの小異形はすっかり全滅させられたようだ。ところがまだ、大きな異形がいる。
「一緒に戦ってくれ」
揺らめく緋色を帯びた剣士が言った。呻くような声だった。
サフィールは何を言われたのか分からなかった。
「君は若い。一緒に町を守ってくれ」
流れ出る血によって片目も開けられない剣士の顔立ちは、サフィールと同年代のように思えた。
「逃げずに、戦ってほしい」
剣士は、彼の足元に転がっていた者から剣を奪い取った。この町の人の身形(みなり)ではなかった。
赫々明々と町は燃え続けた。
鎮火する頃には、サフィールの躯体は大きな噛み跡を携え、生まれ故郷に転がっていた。
*
エストラステッラは戸惑っていた。彼は一先ず、肺に相談することにした。
魔王城と呼ばれた城の瓦礫に腰を掛け、燃草に火を灯す。先日寄った街で買えたこの燃草は彼にとって外れだった。
苦味に潜む清涼感に喉を灼かれる。無いよりは有るほうが良い。否、有ってしまったために、迷った。
不味い。
鼻から煙を吹く。鼻腔の奥も清涼感に荒らされる。
「どうするんだい、エスト」
燃草を吸わない人間というのは呑気だ。
同行者のシュテリゼートが訊ねた。彼の長い金髪が、天井に開いた大穴から日の光を浴びて煌めいている。
エストラステッラは答えなかった。まるで仲間のように隣に居座るカラスも、シュテリゼートの問いには答えない。てっけくてっけく頭を揺らすばかりだ。黒光りする嘴は開こうともしない。
「エスト」
「うるせーな。ヤニくらい吸わせろ」
シュテリゼートは練り歩く。短い距離を往復する。エストラステッラの視界を行きつ戻りつする。
「うるせぇ」
「何も言っていないだろう、ボクは」
「目にうるせぇ」
「借金相手に偉そうだね、キミは」
シュテリゼートは立ち止まった。微笑を湛えている。彼はエストラステッラの仲間ではない。彼は借金の取立屋だった。
「肺に八つ当たりして、決まったのかい」
エストラステッラは舌打ちをした。そして頭を悩ませる原因を見遣る。裸体の女が落ちていた。玉座の前に仰向けに倒れていた。
「くそガラス」
カラスが嗄れた鳴き声をあげる。今朝まで魔王城と呼ばれていた城の謁見の間に谺(こだま)し、耳を劈(つんざ)く。
エストラステッラが口を開く前に、カラスは天井の大穴から羽撃(はばた)いていってしまった。
「逃げやがった」
「ボクが仕留めるかい?」
シュテリゼートの手に握られた鏢(ひょう)が軋る。
エストラステッラは決断が面倒臭くなった。彼の口は喋るためにあるのではなかった。酒を飲み、燃草を咥えるためにある。
すると、城の破壊とともに拉(ひし)げた扉が叩かれた。左右の隙間から身体を通そうとする人影がある。魔族は大方打ち倒したが、斬り損ねたのがいたようだ。
エストラステッラは深く煙を吐いた。そして首飾りを握る。
「ボクが殺るよ」
だがシュテリゼートは武器を握っておきながら、扉の狭間から現れた人影に襲わなかった。それが一見して真人だったからだ。明らかに魔人ではなかった。
現れたのは真人の少年で、エストラステッラたちのことなど脇目も振らず、裸体で倒れている女に向かっていった。
「ヴェスパ様……! ヴェスパ様……! そんな……、嫌だよぉう、嫌だよぉう……!」
少年は裸女に縋りつき、泣き喚いた。
「ヴェスパリアは死んだよ」
人の好いシュテリゼートは教えた。
「あああ……! 嫌だ! ヴェスパ様!」
しかし、何故、この少年は、今し方倒したばかりの魔王女とはまったく外貌の違う真人の女を魔王女の名で呼ぶのか。
エストラステッラは悲嘆する少年の後姿を眺めていた。人の好いシュテリゼートは落ち着かない様子でいる。
器官に吹き荒ぶ清涼感と、視界を蠢く連中が、エストラステッラに休息を許さない。
挙句に、シュテリゼートが目配せをよこした。
エストラステッラは腰を上げた。
少年がやっと2人の存在に気付いたとばかりに、涙で潤む目を向けた。
「お願いです、ヴェスパ様を殺さないで……」
「それは魔王女じゃねぇべな」
少年は首を振った。
「ヴェスパ様を助けてくれたら……ヴェスパ様を助けてくれたら、大事なこと教えます……本当です。本当に大事なことを……」
少年は眼球ごと溶かしそうなほど水膜を張った双眸でエストラステッラを見上げた。
◇
エストラステッラは玉座の前に立っていた。
「何故生きている?」
王がお訊ねになった。
「母親と父親が番(つが)ったからですな。そして聖騎士育成制度によって――」
エストラステッラは答えた。だが、王のご尊顔にはお皺がお寄りになるばかりだった。
「違う! そうではない。"地剣"は使わなかったのかと訊いておるのだ」
エストラステッラは王のお唾を浴びた気になって、顔を背けた。
「使わんでも倒せました。聖騎士の先輩方皆々様のお陰で、魔王女はたいへん疲弊しているようでした。褒美の話ですが――」
王もまたたいへん苦りきっていらせられる。ところなエストラステッラの知ったことではない。この一国の主の感情的なところは、第一王子にも色濃く遺伝している。
「エスト。王様の御前(おんまえ)だよ」
借金の取立屋は跪(ひざまず)き、断頭台に身を委ねるがごとく頭を垂れている。
「今、てめぇの借金を返そうって交渉してんだ」
「税金で返済するつもりなの」
「建替えだ」
謁見の間に、乾いた音が響く。基壇の下に佇む参謀が手を打ち鳴らしたようだ。まだ10代も半ばの面構えをしているが、この城を牛耳っているのはこの子供のような官吏だ。そしてこの少年顔の参謀というのが――
「おい、くそガラス」
エストラステッラはまだ酒も飲めなそうな見た目の参謀に詰め寄った。
「はあ」
硝子玉のような目がエストラステッラを見上げる。
「てめぇ、逃げたろ」
「判断をお任せしました」
「それを逃げたって言うんだんべがな」
「はあ」
王が咳払いをする。
「すまないが、シュテリゼート君といったかな。其方からお話をお聞かせ願えるかな」
シュテリゼートは深々と辞儀を済ませると、王のお求めになるように説明をした。
エストラステッラが一行から見放されたこと、自分は借金の取立のために彼についていったこと、魔王女は討ち滅ぼしたが、その後に魔王女から真人の女が現れたことを順序に従い述べていく。
エストラステッラは感心した。高額な借金を背負わせ、人から金を巻き上げるためには口が達者でなければならないようだ。この狡猾な口巧者(くちごうしゃ)から金を借りてしまうことは自然の成り行きだとさえいえないか。
「それで、その女というのは……」
「魔王城におります。一先ずはご報告をと思い……」
シュテリゼートが答えると、王はエストラステッラをお睨みになった。
「報告ならば、ウィルゲンリートから済んでおる!」
エストラステッラはウィルゲンリート、つまり目の前の少年顔を睨んだ。
「てめぇ、大事なときにいねぇで……」
「魔王女は倒しました。エストラステッラさんのご無事も確認できましたので報告を優先しました」
「ほぉ……? "地剣"使ってねぇって王様に今難癖つけられたけどな。それで、"ご無事"ねぇ? 二枚舌も大概にしやがれよ」
「二つとも事実です」
「いい! それで、何故、その魔王女の後に現れた女というのを討たなんだ……」
王は頭をお抱えになった。ご詰問でありながらお嘆きであらせられた。
「真人でごぜぇました。ワタクシどもは、魔王女とその仲間の殲滅は仰せつかりましたが、真人を殺れとは聞いておりませんでした。それから――」
「だが魔王女の城にいて、魔王女から現れたのだろう?」
「城にいたという点では、王様……聖騎士1人と真人の捕虜が1人、つまり計2名、捕らえられておりました。それからもうひとつ、魔王女の側近を名乗る真人が1人いたので、女と併せて計4名が真人の身で魔王女にいたことになりますが、皆、仕留めればよろしかったですかね」
エストラステッラは王を見詰めた。王はご尊顔をご両手で覆いになる。
ウィルゲンリートは王を一瞥した。
「少しお時間をいただきます。王のご体調を鑑みてから再開します」
◇
城内の庭園で燃草を吹かす。吸い慣れた味が血肉に馴染む。
「よく打首にならないね」
シュテリゼートは噴水の縁に腰を下ろす。2000年間、人々の不安の種になっていた魔王女が滅びたのだ。空は晴れ渡り、木々は青々と茂っている。小鳥の囀りが水の音と調和していた。
「そんなばかすか処刑こいてたらお国様も収入がねぇだろ。処刑人雇って、手当て出して、清掃費と葬儀費用でいくら嵩むと思ってんだ」
シュテリゼートは苦笑し、肩を竦める。
「何より、俺様は聖騎士サマだからな」
「歓迎されてなかったけれど?」
「魔王女を倒せと言われたんだ。死んでこいとは言われてねぇぞ」
「言われてたら死んでいたの?」
「死んでほしかったか」
「お金返してもらってないのに死んでほしいわけないだろう。お金は命より尊いんだよ。借金を返済されていないのに、まさか、"死んでほしい"だなんて思うわけないじゃないか」
エストラステッラは雲ひとつない空に紫煙を吹く。
足音が近付いてきている。駆け足だ。
「エスト! おかえり!」
庭園に目にも留まらぬ速さで飛び込んでくる者がいた。止まれず、生垣に衝突する。
シュテリゼートは噴水の縁から腰を上げ、跪いた。
「あれ……」
葉や枝を戴いた青年はシュテリゼートを見て、たじろぐ。そして振り向き、エストラステッラの姿を認めた。
「エスト!」
「相変わらず多動なようで」
「忙しいだけだよ。でもおかえり。無事で良かった。ああ、いいよ、立って、立って。で、こっちの方は?」
青年は屈託のない笑みを浮かべ、立ち上がったシュテリゼートを示す。
「……」
エストラステッラはシュテリゼートに目配せする。微苦笑が返ってきた。
「まぁ、あれだ。一宿一飯の――」
「借金取りです」
「え」
「借金取りです」
青年はエストラステッラを見た。
「またしちゃったんだ、借金」
「また? 返しましたけどね」
「返してもダメだろ、借金したら。返すアテあんの?」
「ありますよ」
「そっかそっか。で、何くんだっけ」
青年はシュテリゼートを向いた。
「シュテリゼートと申します。シュテルンとお呼びください」
「うん、分かった。よろしくね、シュテルン。ゆっくりしていってね! じゃあオレ、ウィルグのところ行ってくる!」
青年はまた駆け足で庭園を去っていく。参謀のところに行くと言ったが、とても会話が成り立つような組み合わせではなかった。
「彼は?」
「知らずに跪いたのか」
「身形が高貴でしたから」
「王子だからな」
シュテルンは片眉を上げた。あれが王子か、とでも言いたげだった。
「歓迎されていたね」
「訳が分かってねンだろ」
エストラステッラは苦味を吸う。
「君みたいなのにも友人がいたのだね」
「友人じゃねぇや。王子」
「距離感が友人だったよ」
「おっと……王子の人格批難か? 打首だぞ」
しかし王子を批難して打首ならば、この城の大半は打首になる。そして費用がかかる。
「ボクは嫌いじゃないけれど」
「騙くらかして借金背負わせられそうだもんな」
「まさか。ボクは善良な人間にお金は貸さないよ」
「は?」
「自分が善良な人間だとでも?」
エストラステッラは口角を吊り上げた。
「命賭けて守ってやったろ」
「何を?」
「国」
*
サフィールが起きたのは、粉塵まみれの寝台の上だった。彼女は裸だったが、大振りな外套が身を包んでいた。
辺りを見回す。穴の空いた天井から振り注ぐ日の光によって、崩れた壁と倒れた家具が見えた。
暫くは目に見えるものだけを追っていたが、軈(やが)て、何故自分はここにいるのかを考えはじめると、彼女は訳が分からなくなった。
外套を引き寄せ、蹲(うずくま)る。知らない匂いがした。甘い香りが布から漂う。だが花のようでいて花の青臭さはなく、菓子のようでいて菓子の温かみはなかった。
彼女は考えようとした。けれども知らない香りが思考に靄をかける。
すると、物音があった。顔を上げる。少年が盆を抱えて立っていた。
「ヴェスパ様、おはようございます!」
10代半ばの茶髪の少年で、少女と見紛うまろさを帯びていた。だが骨格から男性だと分かる。彼は寝台の脇にやって来た。
サフィールは、異性であることも相俟って、驚嘆し、外套を抱き締めた。
「ヴェスパ様……?」
サフィールはそういう名前ではなかった。他に人はいない。少年は一体、誰に話しかけているのか。
「ヴェスパ様、気分が優れませんか? ワタクシ、城下でお粥を………お粥を……」
少年は話しているうちに玉の涙を溢しはじめた。
「ごめんなさい……お粥を、作って参りました」
彼は涙を拭いた。
「持ってくるうちに冷めちゃって……でも、何か食べなきゃだから……」
下唇を噛み、少年は嗚咽を堪える。
サフィールは粥を一口食べた。冷えていた。だが浮かんでいる麦は柔らかく、甘みが強い。良い麦だと彼女は思った。
「美味しい……」
少年はまた涙を落とし、首を振った。
「城下もぼろぼろで……こんなものしか……」
サフィールは少年を見詰める。何の話をしているのか、まったく分からなかった。
「あなたは、どなた……?」
赤くなった目がサフィールを捉えた。そして喉から擦り切れた喘鳴(ぜんめい)を漏らす。だが口は笑みを形作っている。
「ヴェスパ様……ご冗談を……」
「ヴェスパ様って、誰…………なの……?」
少年は何度も首を振った。
「ああ……そんな………そんな……ああ……」
少年の目元はさらに赤みが強くなっていく。顔中を皺まみれにして水分量を増やす。
「あ、ああ……、あの連中から、か、隠れなきゃいけないんですもんね……? あの連中から……」
少年は俯いた。
「でも……」
そして肩が落ちる。
「ヴェスパ様………ワタクシ、地下牢獄のこと、教えてしまったんです……ワタクシ………ワタクシ、ヴェスパ様に生きていてほしかったから……」
彼の声にはもはや、力が込められていなかった。
「ごめんね。何も、分からなくて……ここは、どこなの……?」
少年は寝台に顔を伏し、ただ涙を流すのみだった。サフィールの問いに答えようという様子はなかったし、答えられる様子でもなかった。
「うっう……うっう……ヴェスパ様………何故ワタクシのことすらもお忘れになったことにするのですか……」
サフィールは年下の男の子を泣かせてしまったことに狼狽える。何がこの少年を泣かせるに至ったのか、彼女は皆目見当もつかない。
「ヴェスパ様ってどなた? お偉い方なの? わたしはサフィール……」
「ヴェスパ様は、ヴェスパ様です……ヴェスパ様………ここには誰もおりません。あの連中も……だから、本当のことを……」
「あの連中って……?」
「…………ヴェスパ様ぁ!」
少年は慟哭する。
「聖騎士の連中です! なんとご無体(むたい)な! なんと……」
「聖騎士……」
サフィールの脳裏に、緋色の光景が閃いていった。だが一瞬のことだった。
「あ、あなたは? あなたの、お名前は……?」
「パレノアです……ヴェスパ様、貴女様が付けてくださった名前です……」
「ま、まぁ……、そうなの……」
パレノアという少年はまだ、サフィールに心当たりのない呼び方をする。
「ワタクシを赦してくださいますか。赦してくださらないから………そんな真似をなさるのですか……?」
サフィールは返答に窮した。赦すか否かを問う相手を、この少年は勘違いしている。
「お、落ち着いて……」
「ワタクシは落ち着いています……ただ、悲しいのです。ワタクシはヴェスパ様を一心に思って……ワタクシ……ヴェスパ様がお赦しにならないのならば、死んで償います。ヴェスパ様がお赦しにならないのに、生きていたって仕方がないから……」
サフィールは身震いした。彼女は"ヴェスパ様"ではなかったが、この少年にとっては"ヴェスパ様"だった。
「赦します……! 赦しますから……どうか、早まったことはしないで」
パレノア少年はまた泣きはじめた。そのうち、静かになる。嗚咽は寝息に変わっていた。
サフィールは徐ろに寝台から降りた。足の裏に瓦礫が刺さる。跳び上がり、そして音を殺す。パレノア少年が入ってきた崩れかけの壁の間をすり抜け、部屋を出た。煤けた絨毯の敷かれた廊下へ繋がっていたが、砂礫に覆われ、足裏を攻撃する。
行くあてもなく彷徨(さまよ)った。長い長い廊下は大豪邸を思わせる。壁に掛かった絵画や、花瓶も、とても一町民の暮らしには相応しくない。
延々と続く廊下を歩いていくうちに暗がりに差しかかる。燈火の存在に彼女は気付いた。揺らめく火を見上げる。
夜空に巻き上がる煙と火の粉が、目蓋の裏に描かれた。彼女は屈んだ。夜空の下には、黒煙のなかには何があったのか、分かりそうで、分からない。そして分かるのが怖かった。外套に染み込む香りを吸う。
また歩く気になると、サフィールは廊下の暗がりを進んだ。
町よりも広い。
町……
サフィールは立ち止まる。町に住んでいた。彼女は自身が町に住んでいたことを思い出した。
その町は――
ところが、彼女の思案は、廊下に響き渡る絶叫と揺れによって遮られた。壁をいくつも隔てているような曇った響き方だった。
何かいる。恐ろしいものがいる。その声量から察するに、大きなものだ。
サフィールは左の肩口を押さえた。痛む。胸と肩の間が鋭く疼く。外套を捲くる。塞がってはいるが、穴の跡が肌に刻まれている。だが、覚えがない。
傷跡を撫で摩する。頭の中にも黒煙が渦巻くようだ。
耳の奥にまで咆哮が行き渡り、廊下の余韻が消えたのかどうかも彼女には分からなかった。
このまま進むべきか、否か。暗い廊下の先と、燈火の揺らめくもと来た道を見比べる。
早く帰らなければ、祖母が心配する。だが祖母などいただろうか。
サフィールは頭を抱えた。これが"ヴェスパ様"なのだろうか。パレノア少年の云う"ヴェスパ様"は確かにサフィールのなかにあるのかもしれなかった。
彼女は廊下を戻った。パレノア少年は間違っていなかった。あの少年は戸惑ったことだろう。啼泣し、疲れ果ててしまうのも無理はない。
寝台のある部屋へ戻った。パレノア少年はまだ眠っていた。
砂埃と破片の散らばる掛布を払い、少年の背中に掛ける。
そして冷えた粥を啜った。美味いが、口馴染みのない味だ。
「ヴェスパ様……」
パレノア少年は寝たまま呟いた。爪と肉の間に砂が入り、汚れている。元々の細さに加えて、窶(やつ)れたような毳(けば)立ちが手から窺えた。
サフィールはおそるおそる、茶髪に手を伸ばした。質感自体は悪くなかった。しかし砂煙に曝された硬さがある。ぎこちない所作で、何度か撫でた。この男の子しか、己を知る術(すべ)がない。
パレノア少年を見詰め、途方に暮れている彼女は気が付かなかった。天井の穴から差し込む光の届かないところで、パレノア少年ではない人影が、ひとつ、ふたつと増えていくことに……
2
◇
敷物型転移装置(ワープポータル)というたいへん便利なものを、シュテリゼートは持っていた。彼の友人の錬金術師が作ったものだという。
2つ一組で、片方を敷いておけば、もう片方から自由に出入りができるという。
「魔族の技術ですね」
歩く計算機こと参謀ウィルゲンリートが言った。
「半魔人の友人なので、はい」
エストラステッラは参謀と借金の取立屋の睨み合いを横から眺めた。出された茶の湯面が揺れている。波紋を絶えず作り出しているのは隣の王子だった。膝を忙しなく揺すっている。だが機嫌が悪いのかといえばそうではないようだった。無表情の参謀と、微苦笑に苛立ちを孕んだ取立屋と、悲嘆に渋面をやめられない父親を見て面白がっている。
エストラステッラは茶を啜る。下からの振動に曝され、冷めていた。乾かした葉を湯で戻した味がする。
「酒とかねぇのか」
「ありません」
ウィルゲンリートの首がエストラステッラに回る。真人の関節の可動域を越えていた。
「生還した聖騎士様を饗(もてな)す気がねぇなァ?」
茶を呷る。
「会議にお酒出すワケないじゃん」
王子が言った。
「酒はあんだンべ? 厨房案内しろや」
「王、いかがされます」
先々代の先々代、さらに先々代からこの城に仕えているという少年面の参謀は王を見る。
「もう好きにしてくれ……話が進まん……」
王はお顔をお覆いになる。エストラステッラの帰還がお気に召さないようでいらせられた。
「魔族の技術品について、いかがされます」
若作りの参謀はさらに王に問う。王はお目元をお揉みになられた。
「好きにせい。寡人は聖エーリュシカ様に顔向けできん……」
今まで、2000年前の初代聖騎士にどう顔向けしてきたのだろう。エストラステッラは茶とともに呑んだ空気を吐き出した。
「きゃはは、エスト、きったな!」
「王の御前(おんまえ)だよ」
「さっさと話つけろ。ちんたらちんたら移動手段なんざ、そんな時間をかけて話し合うことでもねぇだろ。こちとらてめぇ等の駄弁(たべ)り代のために税金納めてんじゃねぇんだが?」
エストラステッラは燃草を取り出した。
「禁煙です」
「うるせぇ」
「話進まないのエストのせいじゃん」
「はぁ、じゃあ使え、その敷物型転移装置(なんたらかんたら)。歩いて行って何日かかると思っていやがる」
シュテリゼートは憐れみの苦笑を参謀ウィルゲンリートに向けた。
「王も好きにするようにとおっしゃられました。承知しました。使用します。ですが安全を確認できません。エストラステッラさんと僕で使用します」
「は? それで帰ってきたんだが?」
「はい。ですが万が一のことがありますから」
「まぁ、いい」
「ボクも行くよ。いいですか?」
シュテリゼートは手を挙げた。
「殊勝なこったな」
「逃げられると困るんです、この人に。300万ベイ、耳も口も鼻も揃えて返してもらわないことには」
取立屋の言葉に、王子は目を輝かせた。
「そんなに借りたの? お札いっぱいってこと? 札束風呂とか入ったの?」
「入ってねーです」
「自己責任ということならば、僕から止めることはありません」
エストラステッラは燃草に火を点けた。直後に、ぢゅッと音がたつ。燃草の先端には火消し石が当てられていた。
「禁煙です」
転移装置(ワープポータル)を抜けると、王城とは一転して廃れた城内の様子が見えてきた。
寝台がある。その上に、シュテリゼートの外套を被った小さな背中が見えた。魔王女を斬り伏せた後、忽如(こつじょ)として現れた裸の女は目が覚めたようだ。
「女」
外套に包(くる)まった身体が跳び上がる。砂塵まみれの黒髪が振り向いた。怯えた目がエストラステッラを捉える。彼は口を開きかけたが、突然、背中を引っ張られる。
「なんだ!」
転移装置を抜けてきたウィルゲンリートだった。硝子玉の目がエストラステッラを見上げる。
「魔族です」
「真人だろうが」
歩く計算機、喋る学術書にも勘違いをすることがあるようだ。
「魔族です」
ウィルゲンリートはエストラステッラを放さない。
「じゃあどうする? 殺すか? ならてめぇでやれ、くそガラス」
少年面に相応しい華奢な手を払い、エストラステッラは壁際に退くと、腕を組む。
「何、何……?」
シュテリゼートが転移装置を抜け、床を攀(よ)じ登る。
「あの女、魔族だそうだ」
燃草を咥え、彼は外套ひとつを身に纏う女を顎で差す。
「そんなはずは……」
シュテリゼートの眉間に皺が寄る。
「王様よりお偉い参謀サマが言うんだから間違いねーだろ」
エストラステッラは鼻を鳴らす。
「ヴェスパ様に触るな!」
寝台の脇で寝ていたらしき少年が起き上がる。そして外套の女の前に立ち、両腕を開く。
「地下牢獄のことを教えたら、ヴェスパ様のことは助けてくれるって……」
少年が叫ぶ。彼の衣服は汚れきり、少年もまた痩せこけ、髪に色艶はない。対してウィルゲンリートはいつ見ても弔問に行けるような有様だった。
「まずはお話をお聞かせください。僕はウィルゲンリートと申します。お名前を頂戴します」
少年はエストラステッラとシュテリゼートを順に見た。誰だこいつは、とばかりの眼差しだった。しかしエストラステッラは目を逸らした。
「パレノア……」
「真人ですか」
「真人じゃ、ない」
エストラステッラは苦煙を吸う。
「キミは魔族ではないよね」
シュテリゼートが口を挟んだ。
「魔族でも真人でも、どっちだっていいだろ! 嘘吐き! ワタクシがお守りします。ヴェスパ様は逃げてください!」
パレノアと名乗った少年の後ろで、外套に身を包む女はたじろいでいた。身体は逃げようとしていたが、パレノア少年を気にしている。
「裸の女と、ヒスったクソガキ。どういう関係なんだ?」
エストラステッラは煙を吐いた。
「主人と下僕で……恋人関係です」
パレノア少年の声がか細くなる。明らかにパレノアは子供だった。丸裸の女は、子供か大人か、見方に幅がある。
「へぇ……」
シュテリゼートの声音には好奇に満ちている。この男は金が好きだが"色"も好きだった。
「よく分からんが、その女は先に逮捕したほうがいいんじゃねーか」
「そうだね。参謀さん、あの子の外套(マント)はボクのですから、あまり手荒な真似をされると困ります。汚損の場合は、この債権者さんに50万ベイ上乗せさせていただきたく……」
「ふざけんな」
ウィルゲンリートの小柄な背中は動かない。前方に回れば、寝ているのかもしれなかった。
「この場で、僕に裁量権はありません」
ウィルゲンリートがエストラステッラを振り返った途端、パレノア少年は寝台の上の女の手を引いた。2人で逃げるつもりのようだった。
ウィルゲンリートの掌が火を吹く。平生(へいぜい)は頭の回転の速さと反比例する鈍い所作が、今や比例している。
パレノア少年が、外套の女の前に割り入って庇った。
「ああ!」
しかし悲鳴をあげたのは女のほうだった。パレノア少年を引き寄せ、直撃を免れさせている。壁に新たな罅が入り、廃れた城がさらに壊れていく。
重苦しい身形の参謀は一息に距離を詰めると、2人の前に立ちはだかり、外套の女の腕を掴んだ。だが、彼女は巧みに躱す。伸ばされた腕を撥ね、膝を払い、拳を受け止める。互角の攻防が続く。
真人ではないかもしれない。
禁煙を強いられ、飢え死にしそうな肺が毒煙を味わう。エストラステッラは体内の友に餌を食わしながら、徒手空拳(ステゴロ)を眺めていた。
「そろそろ止めたほうがいいんじゃないかい」
「止めたらいくら分返済だ?」
シュテリゼートは肩を竦めた。彼が半歩踏み出す。と同時に、ウィルゲンリートが寝台へ女を投げた。外套が翻り、裸体が露わになる。肩を押さえつけ、布団に縫い留めていた。
「やめてよ! やめてよ! お願いぃ!」
部屋の隅にひとり取り残されたパレノア少年が金切り声をあげる。参謀は女目掛け、魔術を放とうとしている。至近距離だった。
エストラステッラは首飾りを握る。真人はこの首飾りの主部の晶石なしに、魔術は使えない。ところがウィルゲンリートはどうだ。彼はその素手で魔術を扱える。
エストラステッラの放った斬風撃がウィルゲンリートを吹き飛ばす。新しい砂埃が肌を撫でていく。
「エストラステッラさん」
ウィルゲンリートはすぐさま体勢を整えた。床を引っ掻き、尻から滑っていく。硝子玉はどこかへ消えていた。その双眸(そうぼう)は妖光を秘め、燈火よろしく揺らめいている。
「不愉快だ」
「はあ」
「服着せてからやれ」
「はあ」
「裁量権がねぇってのは?」
「逃亡がない場合に限っては、僕に裁量権はありません」
「てめぇも高利貸しやったほうがいいぜ。才能がある。契約書を作る、才能が」
「ありがとうございます」
「褒めてねぇよ。貶してんだ」
「はあ」
徐々にウィルゲンリートの眼窩には硝子玉の光沢が戻ってきた。
「あーあー。ボクの外套が。仕方がないね。弁償してもらわないと」
シュテリゼートが大仰な溜息を聞かせ、寝台の傍にやって来た。そして焦げめのついた外套の裾を捲り、裸体に被せる。
「見積書を僕宛に送っていただければお支払いします」
「当然」
ウィルゲンリートは硝子玉を女に向けた。
「お名前を頂戴します」
「ヴェスパ様です! ヴェスパリア様! その方はヴェスパリア様です!」
答えたのは裸の女ではなくパレノア少年だった。
「見た目が違う」
エストラステッラは言った。魔王女は仮面をしていたが、この裸の女とは背丈も髪色も違った。
「その方はヴェスパ様なんです! "ぼく"はその恋人の魔族なんです!」
パレノア少年は喚いた。自暴自棄になっているようだった。
「真人って答えりゃ生きてられるかもしれねぇんだぞ。真人って答えとけ」
「誰が愚人だなんて答えるもんか! 愚人なんか……! みんないなくなればいいんだ!」
「ンじゃ、2人仲良く断頭台いくってか。好きにすりゃいい。お国サマがぶち殺す分には俺の知ったことじゃない」
案内は済んだ。事は解決した。あとはウィルゲンリートと、得体の知れない女と、情緒不安定な少年の決めることだ。エストラステッラの爪先は転移装置に向いた。彼は忙しかった。絵牌並べと鋼球弾きをしに行かねばならなかった。早々に借金を返済しなければ、金だ借金だ返済だとうるさい男に付き纏われてしまう。
「今の段階では断頭台とは決まっていません」
ウィルゲンリートが言った。
「わたしは"ヴェスパ様"かも知れませんが、この子は違います……」
足音に消えそうなほどの女の声が混じる。エストラステッラは足を止めた。
「ヴェスパ様! 何を……! 2人で断頭台に行きましょうよ! ヴェスパ様となら、"ワタクシ"は何も怖くありません! "ワタクシ"は愚人の世の中で生きていたくありません。ヴェスパ様だって、常々そうおっしゃっていたではありませんか!」
パレノア少年の声は震えていた。
「あなたは、生きなきゃダメよ……」
女は外套に身を包み、裸身を守っている。
「ヴェスパ様……! どうしてですか! ワタクシに、愚人として生きろと……そうおっしゃるのですか……」
気付くと、エストラステッラの隣にはシュテリゼートがいた。
「帰ろうか」
取立屋も、金の匂いが消えた途端に転移装置に吸い寄せられていく。
「エストラステッラさん、どちらへ」
部外者同然に痴話喧嘩を見せつけられているウィルゲンリートは目敏かった。
「用は済んだんべに」
「いいえ。地下牢獄にまだ行っていません。現場検証と事実確認が必要です」
「は?」
「聖騎士が1人、捕虜が1人、地下牢獄に投じられているとのことですが、エストラステッラさんはその目で確認しましたか」
「してねぇ。そこのガキに聞いた。まずは、報告、だろ。報告(ほう)、連絡(れん)、相談(そう)、能率給(の)、訴訟(ソ)、鉄拳制裁(テ)ーだ」
ウィルゲンリートはエストラステッラの返答を聞くやいなや、話のついていない2人の間に割り込んだ。
「処遇についてはこちらからはまだ何とも言えません。地下牢獄へ案内してくださいますか」
「この子はまだ子供です……」
裸の女は違うことを答えた。
「はあ」
「だからどうか、死罪だなんて……」
「まだ決まっていません」
「そ、そうでは、なく……」
「ヴェスパ様! ぼくは一人で生きていたくないんです! どこへでもお伴(とも)しますから……!」
「地下牢獄へ案内してください」
「………分かった。いいよ。餌の時間だから、どうせ行かなきゃだったし……」
パレノア少年は項垂れ、肩を落とした。
「でも条件があるよ」
「はあ」
「あんた等、強いんでしょ。牢屋、開けるんだよね。ヴェスパ様のこと、守ってくれるって約束して」
「はい」
ウィルゲンリートは詳細も知らずに快諾している。
「エストラステッラさん、同行お願いします」
「あ゛~」
「たいへんだね。ボクも行くよ。何かいるんだろう? 死なれちゃ困る」
地下牢獄に着く前に、どこからか雄叫びが聞こえていた。獰猛な魔獣でも飼っているに違いない。
裸の女から片時も離れなかったパレノア少年が先頭を行き、裸の女はエストラステッラの隣に置かれた。決めたのはパレノア少年だった。
黴臭く、冷えた地下に入っていく。ウィルゲンリートに明かりを持たせ、パレノア少年は粗末な粥を2つ盆に乗せている。
「担当者はあんた等が殺したじゃん……」
シュテリゼートは、魔王城の雇用形態を根掘り葉掘り訊いていた。パレノア少年は鬱陶しげであったが、ひとつ、ひとつ答えていく。律儀な気質なのかもしれない。
「だからぼくがやってるの。そっちの牢屋のは大丈夫だけど、こっちの牢屋は愚人だから、弱いんだよ」
パレノア少年は"こっちの牢屋"を先に案内した。ひとつ油灯があるだけで、全体的に暗く、湿気が多い。とても人間が正気でいられる環境ではなかった。
「餌の時間だよ」
最奥の囹圄(れいぎょ)でパレノア少年が止まった。ウィルゲンリートが明かりを掲げる。人影が見えた。若い女だった。身形は悪くない。貴族か、富豪の生まれといったところだろう。この囹圄と無縁の暮らしをしていたならば、波打った栗色の髪が軽やかに肩を踊っていたのかもしれないが、今は萎びて見えた。
「保護します」
ウィルゲンリートは即座に柵を壊してしまった。
「裁量権はどうした」
「人質の保護が最優先です」
パレノア少年は何も言わない。興味も無さそうだった。踵を返し、次の囹圄に向かおうとする。
「ヴェスパ様をお願い」
彼はシュテリゼートに裸の女を押し付ける。ウィルゲンリートも、怯えきっている娘をシュテリゼートに任せた。彼は駄賃も求めずに承諾する。
パレノア少年はウィルゲンリートとエストラステッラを待つこともなく、"そっちの牢屋"に向かっていった。
聖騎士が1人捕まっているという話だった。
石でできた分厚い扉を3つを越えなければならなかった。明かりはない。ウィルゲンリートの持っていた燈火も、シュテリゼートに渡してしまった。
視界は機能していなかった。かといって聴覚もあてにはならなかった。
耳の穴に岩を詰め込むような咆哮が聞こえ、耳鳴りを残していく。魔王城ごと揺れる。王子の膝運動よりも強い。
「ライオンでも飼ってんのか」
「そうだよ」
パレノア少年の肯定は乾いている。今、まさに、そのライオンの檻を目指しているようだった。
「粥じゃ足らねぇな」
少年は黙った。
エストラステッラには見えなかったが、獄(ひとや)は先程とは違い、2つしかなかった。その片方から、金属の軋る音が聞こえた。暗闇に沁み入る。荒い息遣いは獅子どころか手負いの猛獣が潜んでいるようだった。
音は、片側の檻房から聞こえる。
「ア、ア、ア、ア………アアアアア!」
低い呻きが響く。徐々に大きくなり、地を揺らす。エストラステッラは耳を塞いだ。耳殻ごと潰さんばかりの大声だった。
「こちらが例の聖騎士ですか」
ウィルゲンリートは淡々としている。
「くそガラス。出立した聖騎士はてめぇの管理下にあるんじゃなかったのか」
双の硝子玉は暗闇に紛れている。
「すべてではありません」
この烏参謀は魔王女を倒した直後にやって来た。ある程度は確信があったのだろう。だが信じてもいなかった。半ば聖騎士団体から追い出すようにエストラステッラを出立させたのだ。彼に与えられた任務は魔王女征討ではない。彼に望まれた任務は斃死だ。
「牢屋、さっきみたいに壊さないでね。さっきのは愚人だけど、こっちはそんな事情(の)、通用しないから」
金属の擦れる音が前方から聞こえるが、エストラステッラには何も捕捉できない。
「ま、壊せないけど……」
パレノア少年が呟いた。
「こちらが聖騎士ですか?」
「だからそうだよ。他に誰がいるのさ。あんた等がみんな殺しただろ。殺戮しただろ。侍女さんも子供たちもみんな綺麗さっぱり、殺していっただろ」
エストラステッラは燃草の煙が恋しくなった。
「聖騎士にしては、魔族の匂いが強いです」
「魔族だからね」
「聖騎士は魔族ではありません」
「魔族になったんだよ」
パレノア少年は小さく呻いた。そしてエストラステッラの視界に眩光が現れる。目を逸らす。一瞬にしてそれが何か認められた。枝切れを思わせる指と炎が見えた。
「アアアアア!」
目の前にある格子が折り曲がって見えた。絶叫とともに城が揺れる。天井が軋んだ。
「コロス………! コロス………! コロス!」
金属と金属の衝突する音が耳を劈く。エストラステッラは首飾りを握った。
「これが聖騎士? ざっけんな」
「ゥガアアアアアアアアア――!」
牢屋のなかでおそらく巨体の動物が暴れている。獅子よりも凶暴で、羆よりも獰猛だ。
一灯が消える。咆哮も消え入る。
魔王城は一体何を捕らえているのか。
「ヴェスパ様は――」
どこに誰がいるのかも分からない暗闇がまた訪れる。パレノア少年が喋った。直後に、エストラステッラは乾いた雨を浴びた。砂埃だった。天井が爆ぜる。
「は?」
状況を把握する間もなく、エストラステッラは腕を掴まれた。引っ張られる。小さな手はパレノア少年か、ウィルゲンリートかどちらとも判じられなかった。視覚は閉ざされたまま、進行方向に足を回すので必死だった。分厚い石扉が次々と粉砕されていくのが聴覚で分かる。
明かりのあるところまで辿り着き、引っ張っていたのがウィルゲンリートだと気付く。
「ヴェスパ様、逃げなきゃ!」
パレノア少年は焦燥していた。シュテリゼートから裸の女を引き剥がし、走り出す。ウィルゲンリートが後を追う。
「何があったんだい」
シュテリゼートのしかつめらしい顔と、怯えた捕虜の娘を見ると、エストラステッラは身体の奥底から溜息を漏らした。
「さっぱり分からん」
「追わなくていいのかい」
「ヤニが切れた」
「さっき吸ったばかりだろうに」
足元が大きく揺れる。横揺れに、縦揺れが加わっていた。天井が軋む。石畳が波打っている。
「崩れるな」
「え、ボクの売却物件が……」
「焼き海苔になる前に逃げるぞ」
「逃げるぞ、ってキミ……」
シュテリゼートは怯え、膝を震わせる娘を一瞥した。エストラステッラは口を動かすのが嫌になった。娘を小脇に担ぐと走り出す。
順路の紛らわしい廊下を取立屋は正確に覚えていたようだ。エストラステッラは足を動かすだけで済んだ。揺れは続いていた。後方に崩落の気配があった。
転移装置のある部屋へと辿り着く。
見慣れた顔触れ3つの他に、巨大な姿があった。上半身は裸で、発達した筋骨が溝を作っている。長い髪は雑木林のようで、丸太のような両腕には巨大な枷が嵌っている。入れ墨も肥大していた。
討ち損ねた魔族がいたというのか。だがエストラステッラにとって、それは真人だった。
「コロス………!」
得体の知れない生き物は手枷を鈍器に、パレノア少年に襲いかかる。
「ヴェスパ様!」
少年は裸の女を背に追い遣る。だが避けきれない。
『お師匠ぉ!』
エストラステッラは舌打ちをした。首飾りを握り、魔斬撃を繰り出す。隆々とした上半身に当たる。だが囚人がエストラステッラを振り向くことはない。その手枷はただひたすらパレノア少年を、その後ろの女を狙っていた。
「女をポートに投げろ」
エストラステッラはシュテリゼートに言った。彼は頷いた。そしてすぐさま、裸の女とパレノア少年の首根っこを捕まえ、転移装置に落ちていく。
「くそガラス」
ウィルゲンリートもまた重要参考人となるパレノア少年と裸の女を守っていたようだ。だが彼の場合はすでに弾かれ、壁に埋もれていた。
「はあ」
「動けんのか」
「はあ」
「そこの女連れてとっとと帰れ」
「エストラステッラさんはどうするのです」
「ここで"地剣"使えってか」
ウィルゲンリートは瓦礫から這い出てきた。そして呑気にも、魔族とも人間とも判じられない巨大な囚人の前に佇む。攻撃はない。囚人は座り込み、項垂れた。首に巻かれた人の頭大の石ころが軽やかな音をたてている。丸く、灰色で、3つ並んでいる。すべて同じ型をしていた。大きな穴が2つ並び、その下に小さな穴が空いている。髑髏だ。3人分の人骨を首に飾っている。
「くそガラス」
「死亡確認のとれなかった聖騎士が5人ほどいます」
「逆に5人しかいねぇのかよ」
「はい」
2000年のあいだ、何百人、何千人と聖騎士が魔王女討伐に赴き、帰ってこない。そのうちの5人だという。
「で、それがこれか」
「服装からして50年は経っていません。刺青が40年前のものです。となると、1人だけ……」
「結論から言え」
「エイデンリンガさんかと思われます」
3
*
サフィールは長い金髪の男に巻き込まれ、沼のような真っ黒い穴に落ちた。目を固く瞑る。
着地の衝撃はなかった。おそるおそる目を開くと、穏和な顔立ちがまず見えた。色の白い、瓜実顔の青年はサフィールより年上のように思える。
「どこか痛めていないかい?」
彼女はこの青年に抱き抱えられていた。
「あ、あ……、あの………」
外套を裸身に巻き付ける。だが抱き抱えられていては、自由ではなかった。
「ちょっと、ちょっと、何。説明してよ。どういうことなの? 行けたの? 魔王城」
サフィールは床に降ろされた。だが膝に力が入らず、壁まで後退り、尻から落ちた。
金髪の青年は、癖毛の茶髪の青年に話しかけられている。
「彼女が、例の……」
金髪の青年はサフィールを一瞥し、躊躇いがちに言った。だが茶髪の癖毛の青年は蜂蜜色の眼差しを遠慮なくサフィールに向ける。この青年は歳が近いように思えた。
「そうなんだ! オレ、ゾンネソレイユ。よろしく。ゾンネって呼んでね。あ、お茶飲む? 君は? あ、そうだまずはお風呂入ろうか。でもウィルグは?」
ゾンネソレイユと名乗った青年は捲したて、終いには金髪の青年に訊ねる。
「それが、怪物のような男に襲撃されまして……」
サフィールは辺りを見回した。パレノア少年もいた。壁に寄りかかり、座り込んで頭を抱えている。
「大丈夫……?」
パレノア少年は頷いた。
「地下牢獄なんかに案内するべきじゃなかったです。ごめんなさい、ヴェスパ様……」
「"ヴェスパ様"……?」
蜂蜜色の眼差しが金髪の青年との会話を切り上げた。
パレノア少年は跳んで立ち上がると、サフィールを背に隠した。
「やめて。ダメよ。ダメ……!」
サフィールはパレノア少年を引き寄せ、彼をこそ壁際に寄せた。
「な、何……」
ゾンネソレイユと名乗った青年は狼狽していた。
「王子から見て、彼女たちは真人ですか、魔族ですか」
「真人だと思うけど、なんで?」
「参謀サンと意見が合わないんです」
ゾンネソレイユは人懐こげな顔に皺を寄せた。
「……魔族ってこと? でもエストは真人だって言ってたよね? ウィルグは"敏感"だもんな。とりあえずお風呂入ったら。服も着たほうがいいよ。お腹は? 減ってる? 厨房に頼んで来よっか。そういえば今日の献立って――」
サフィールはパレノア少年の肩を抱き寄せる。
「大丈夫よ、大丈夫……」
彼女はパレノア少年の腕の傷に気付いた。服が破れ、血が滲んでいる。
「この子、怪我しています。助けてください……」
「大丈夫ですッ! ぼくは平気です! それより……」
パレノア少年は傷を手で隠してしまった。
「いけないわ。もし膿んでしまったら、お手々を切り落としてしまわなければならないのよ」
町ではそうだった。祖母がそう言っていた。
町では――
祖母が――
サフィールの頭が軽くなる。立ち眩みを起こした。パレノア少年が支える。だが彼は支えきれなかった。段階をつけ、共に床に降りる。
「ごめんなさい……なんだか……」
サフィールは頭を押さえた。中で小魚が泳ぎ回っているようだ。
すると、金髪の青年が目の前にやって来た。長身痩躯を折り、顔を覗き込む。目元と口元は笑っているが、それが微笑だとはサフィールには思えなかった。
「君も疲れているんだと思うよ。とりあえずは体調を整えたほうがいい。服も替えないと。買ってきてあげるから、まずは駄賃に3000ベイ……」
「お金なんかないよ。それに通貨違うでしょ」
「それなら建替えようか。お金、貸すよ。1万ベイから」
「要らない!」
パレノア少年が腕を振って金髪の青年を遠退ける。
「それならどうするの? "お姉ちゃん"にずっと裸のままでいさせるの?」
パレノア少年が呻いた。顔を背けている。
「ああ、姉弟なんだ。お姉ちゃん想いで偉いね。オレは長男だからなぁ。でもすぐ下の弟はしっかりしてて――」
「姉弟なんかじゃない! ぼくに家族はいない! 愚人はぼくを捨てたじゃないか!」
少年は叫んだ。ゾンネソレイユは金髪の青年と顔を見合わせる。
「愚人って何」
「おそらくは魔族の云うところの真人かと……」
「ああ、そうなんだ。捨てられちゃったのか……」
「助けてくれたの、ぜんぶ、ヴェスパ様だった。あんた等なんか嫌いだ!」
「イヤイヤ期? オレの下の下の弟もイヤイヤ期あったからなー。大丈夫、大丈夫。大丈夫だよ。お兄ちゃんが守ってあげる」
ゾンネソレイユはパレノア少年を掴み、無理矢理に引き寄せ、抱擁を交わす。
「放せ! 放せよ! 放せ~ッ!」
ゾンネソレイユは暴れるパレノア少年を腕に閉じ込めてしまった。
サフィールはその横で微苦笑を浮かべている金髪の青年と目が合った。
「この御方は王子だよ。君は敗戦国の王女……としての疑惑が持ち上がっている。ボクは信じていないけれど……立場は分かっているのかい」
サフィールはパレノア少年を見た。ゾンネソレイユ王子を押し退け、叩いている。
「やめなさい。いけないわ。おとなしくしなきゃ……」
だが止め方が分からなかった。
「死罪なんか怖くない! ぼくはヴェスパ様と断頭台に上がるんだ! 死ぬことなんか、何も怖くない!」
ゾンネソレイユ王子はパレノア少年を放す。
「断頭台って何のこと? 死罪って絞首刑だよね。断頭台にするって……っていうか死刑にするって、ウィルグが言ってるの?」
「いいえ。彼が勝手に言ってるだけです」
「今、反死刑団体から色々言われてるから……でも、なるのかな、死刑……」
金髪の青年は引き攣った笑みを浮かべる。
「決定事項でないことを立場が立場の方が不用意に口にすると、秩序を乱しかねませんよ」
「ああ、うん、そうだよね。不用意だった。多分絞首刑じゃないかも知れないし、断頭台かも知れないし、死刑かも知れないし死刑じゃないかも知れない」
ゾンネソレイユ王子は苦りきった表情をする。
「それじゃ嫌なんです! ぼくをヴェスパ様と死刑にしてください!」
少年は地団駄を踏む。
「公金で心中とはまた乙なものだね。ところが往々にして実際の心中事件というものは非合意が多いものだよ。心中として片付けてはあげるけれど……ほとんどは殺人事件だ。お姉ちゃんはどうなの。お姉ちゃんではなかったね……恋人のほうは?」
ふっさりとした睫毛に覆われた空色の瞳が尖る。
「この子はわたしとは関係ありません……おそらく……いいえ、絶対に……」
「そんな! ヴェスパ様……!」
少年は叫んだ。
「何、何、どういうことなの?」
「これをずっと繰り返していて、ボクたちも何が何やら」
そうこうしているうちに、サフィールが落ちた真っ黒な沼のようなものから人が転がり出てきた。栗色の髪の少女がまず先に、口の悪かった黒髪の男性と、パレノア少年と同年代くらいの人形のような少年が現れる。
「おかえり、エスト、参謀さん」
「その女、隠しとけ」
「隠すってどこに?」
金髪の青年が訊ねた。
口の悪い男と人形少年は黒い沼から何か引っ張っていた。
壊れかけていた城で幾度か聞こえた咆哮が響き渡る。ゾンネソレイユ王子は両耳を塞ぎ屈んだ。
「ァアアアアアアア! ヴェスパリアアアアアア!」
円卓ひとつと椅子がいくつかあった小部屋が壊れる。砂埃がサフィールを包んだ。風圧が外套を靡かせ、彼女は身動きがとれなかった。
「コロス!」
陰がサフィールを覆う。
上から来る。
足が勝手に床を蹴っていた。背後が爆ぜる。部屋を飛び出すと、外だった。生垣が瑞々しく茂り、空は青く澄んでいる。雲ひとつなかった。サフィールはよく手入れのされた庭に出た。巨大な気配が近付いてきている。
逃げた。だが捕まった。
「世話の焼ける……」
口の悪い男に抱えられていた。背後では砂埃が舞っている。
「あの男の子は……」
"ヴェスパ様"が何者なのか、そしてそれは自分なのか、パレノア少年だけが知っている。何よりも彼は子供だった。
「てめぇの心配しろ」
大きな衝撃があった。風圧に押され、口の悪い男と共に吹き飛ばされる。
咆哮が空に轟いた。
サフィールは檻に入っていた。隣の檻にはパレノアが入っている。彼も彼女と同じく後ろ手に縛られ、口に布を咬まされている。
「とりあえずお風呂入れてからでもいいじゃん。可哀想だよ。砂煙でカピカピ。白黒熊(パンダ)じゃないんだから」
ゾンネソレイユ王子が言った。
「いいえ。まずは処遇を決めてからです」
人形少年が檻の脇で答えた。
サフィールの目の前には煌びやかな肘置きのついた荘厳な造りの椅子が置かれていた。そこに座しているのが王なのだろう。ゾンネソレイユ王子と顔立ちの相似が見つかる。
そしてその豪華な椅子とサフィールの入った檻の間には、口の悪い男と金髪の青年が並んでいる。金髪の青年のほうは跪いていたが、口の悪い男は腰に手を当て、立っている。
「それで、どうなったのだ」
王と思しき壮年後期の男が訊ねた。冠が光芒を携え、サフィールには眩しかった。
「これが例の、魔王女征討の後に現れた女と、その側近を名乗る真人です」
口の悪い男が言うと、パレノア少年は喚いた。布が言葉を消す。
「それで、あと2人、捕虜と聖騎士がいるという話であったな」
聖騎士。
『この町には今、聖騎士御一行様がいらっしゃるのだから――』
サフィールの脳裏に、揺らめく炎が過った。左肩が鋭く痛む。何か刺さっている。外套を捲って見てみるが、傷痕があるだけだ。
「捕虜のほうは医者に診せてます」
「………で、聖騎士のほうは。城を壊して回っていると聞いたが……」
「捕縛しました」
「捕縛」
「気が狂いやがったんですよ」
「気が狂いやがった」
王は復唱する。
「ウィルゲンリートよ、どういうことだ」
人形少年はウィルゲンリートという名らしい。
「魔王城で長らく監禁生活を送っているうちに、精神に異常を来(きた)したのではないかと推察しています」
「出立した聖騎士の管理は卿(けい)に一任しているはずだが」
「足取りの掴めない聖騎士も何人かいました。エイデンリンガ卿(きょう)はその一人です。魔王城に至ってからの足取りが掴めず、20年前に生存は絶望的と見做し、帳簿上では消息不明として処理しました」
王は俯いた。そして目元を揉む。
「いずれ、顔を見にいく」
「状態が状態ですので、容態が分かり次第、手配します」
「生きておったか……そうか………」
「次に、この2名の処遇についてですが」
王は掌を見せた。
「待て……暫し………暫し………」
「体調が優れませんか」
「……、エイデンリンガが生きていたことが……嬉しくての………最年少の聖騎士だったものだから……」
「ヤニ休憩でもしますか」
口の悪い男が肩を竦めた。
「王、いかがなさいます」
ウィルゲンリートとかいう人形少年が訊ねる。
「ウィルゲンリートよ」
「は」
「魔王女は死んだ」
魔王女は死んだ。では"ヴェスパ様"とは何者なのだろうか。サフィールは"ヴェスパ様"らしい。では生きている。
「いいえ、王。それを今、この場で決めるつもりでいます」
「……寡人は、生前退位をしようと思う。いい節目だろう」
跪き、頭を垂れていた金髪の青年が身動(みじろ)いだ。ざわめきが聞こえ、サフィールは他にも人がいたことに気付く。
「今、この時機での退位の表明を、僕は推奨しません」
「今は後始末の段階にある。それは、寡人の3人の息子たちで決めてほしい」
「え、え、え、パパ、あっ、お父さん、違った、父様! 聞いてないよ、そんなの! ウィルグ、聞いてたの? セレス、リュンヌ、知ってたの?」
ゾンネソレイユ王子は慌てふためいていた。そして段下の反対側にいた2人の身形の良い人物に首を伸ばしていた。
「聞いておりません」
ウィルゲンリートが答えた。そしてゾンネソレイユ王子の呼んだ2人も同じようなことを返した。
「父様、無茶だよ!」
「後始末こそ……次代を担うお前たちにも関係のあることだ。何、ウィルゲンリートがいる。エストラステッラもいる。寡人もこの国の繁栄を、聖エーリュシカに祈ろう」
「今この場での決定ならば考え直しをお願いします」
ウィルゲンリートは淡々としていた。
「なんでこんな急なの、お父さ、あ、父様!」
「寡人には息子が3人いる。その息子とそう変わらない聖騎士を何人も何人も見送ってきた。そしてそれももう終わった。寡人の治世はここで一区切り。2000年の争いを終えた節目だ。あとは……次代に相応(ふさ)う王を育てるだけ。先に誰かに話してしまえば不公平であろう。悪く思うな、ゾンネ、セレス、リュンヌ……」
「困るよ……困るよ、そんなの困るよ、ね、困るよね、セレス、リュンヌ……」
ゾンネソレイユは王の目の前に立った。そして反対側の2人に同意を求めた。
「狼狽えすぎでは、兄上。いずれはこうなることは分かっていたはずです。それに、大切な会議の最中。ご自重を」
黒と灰色ばかり身に纏った青年が言った。
「おではなんでもいいよぉ」
パレノア少年よりもかなり若い男の子が言った。まだ声変わりもしていない。彼等がゾンネソレイユの弟たちのようだ。
「王子、燃草吸いに行きましょうや。一旦、落ち着かないと、決まるもんも決まりませんや」
口の悪い男がゾンネソレイユを誘った。
「あ、あ、でも……"処遇(ショグー)"が決まらないとお風呂も入れないんでしょ? 可哀想だよ、お風呂入れないのは。それにお腹だって……」
「ゾンネよ。今だからこそ言えるが……聖騎士にはな、洞窟に迷い込み、出られず、飢えと渇きで死んでいった者もいるそうだ。そう、ウィルゲンリートの報告書にはある。お前の優しさはよく分かる。分かるが………いいや、ウィルゲンリート、息子たちに智謀を授けてくれ」
「は」
「そうです。酒とヤニ無しに、飢えと渇きで死んじまいます」
口の悪い男は出て行ってしまった。
◇
王子は荒い息をしていた。そして庭で蹲ってしまった。気に入りの喫煙所はエイデンリンガ卿の襲撃を免れ、噴水がちゃぽついていた。
「まさか丸投げするとは思いませんでしたな」
高い空に、紫煙を吹く。
「丸投げだったのかな……オレどうしたらいいのかな……セレスと仲、きっと悪くなっちゃうよな……リュンヌもセレスがいいに決まってる……」
膝を抱えながらも、低木から折った枝をさらに細かく圧(へ)し折っている。
「リュンヌ王子が王になる可能性もありましょうが」
「そっか……そうだよな。ああ、ウィルグがさ、王になったらいいと思わない? そしたらさ、兄弟(オレたち)は仲良くいられるのに」
「あのくそガラスが王になるなら、俺は建国でもしますわ」
「煙そう。酒臭さそう。治安悪そう」
枝が折りきれると、今度は揺籃(ゆりかご)よろしく前後に揺れる。
「聖騎士みたいな立派な人が、王になったらいいんじゃんね。聖騎士が王になったら、きっと誰も文句言わないよ」
「言う」
「誰が?」
「俺」
「なんで?」
王子は頭を上げた。
「言うほど立派じゃねーです」
「そうかな」
「へえ」
「立派だよ」
「立派に聞こえるよう語ってるだけですな」
エストラステッラは灰を捨てた。
「エストのことを言ってるの?」
「違ぇます。成り手がいなきゃ困るからです。それに俺は名実ともに立派でごぜぇます」
「そうかな……うーん、そうか。借りたお金もちゃんと返してるもんね、確かに。聖騎士としても、ちゃんと魔王女倒してきたもんね。立派かも」
王子は、聖騎士の内容を知らないようだった。そして今後、知る必要もない。魔王女を倒せる唯一の方法とされた"地剣"を使えるのが聖騎士だ。そしてそのための旅だが、それが使用者の命をも奪う技だとは、王にならなければ知らされないのだろう。そして多くは魔王城に至る前に散っていくことも語られないのだろう。或いはこの王子に打ち明けることは不適当とされているのだろう。
「崇めてくだせぇな」
「崇めるよ。ありがとな。元気付けようとしてくれたんでしょ」
エストラステッラにそのような意図はなかった。王子と共に抜けることができれば、喫煙の時間が取れる。
「まぁ、そうですな」
「たまにはセレスやリュンヌのことも誘ってあげてね」
「嫌です」
「え」
第二王子のセレスシエルは居丈高で尊大な野心家で、第三王子のリュンヌセレーネは鞭打たれ役の学友をいかに嬲ろうか画策している異常者だ。
「とりあえず、第一王子としての威厳は誇示することですな。何事も年功序列です。長幼の序ですな。怯むことなく」
おそらく第二王子が最も王に向いている。口では三兄弟平等と言っているが、腹の中では決めているのだろう。だがこの第二王子というのがウィルゲンリートと並んで口煩い。禁煙、禁酒、禁賭博を強いる。
「エストは、威厳、ある?」
「はい。どう見ても」
「そうだよね。だからお金も人も逃げ出していっちゃうんだよね。オレも持たなきゃな、威厳」
「は?」
「え?」
「いえ……」
エストラステッラは短くなった燃草を押し潰す。放置されて錆びた缶のなかに捨てた。
謁見の間には卓が用意されていた。すでに第二王子と第三王子、ウィルゲンリートが座している。そして取立屋もいた。だが王はいなかった。
シュテリゼートを睨むと、彼は微笑を返す。
「ボクも現場にいた以上、部外者というわけにはいかないだろう」
卓に茶が配られていく。
「趣味の悪ぃ茶会だな」
「そうだよ。あの子たちにも何か飲ませてあげてよ」
王子は給仕長に告げた。
「口枷は取らないようお願いします」
ウィルゲンリートが容喙(ようかい)した。
「ストローつけてあげて」
「随分と情け深い」
第二王子が言った。
「結石になったら痛いからね。ちゃんとお水は飲まないと」
「処されるかも分からないのに?」
「処されないかも知れないじゃん。それに処されたとして、それまで飲まず食わずなの? それって刑罰じゃなくて虐待っていうんじゃないかな」
「虐待! 刑罰って虐待していいの?」
第三王子が卓に両手を乗せた。栗鼠のような目が輝いている。
エストラステッラは踵を返そうとした。
「エストラステッラさん、お座りください」
「俺も要るか?」
現場についてはシュテリゼートが知っている。
「同席なさらないのであれば、エストラステッラさんの現在の見解を教えてください」
「エストの責任は重いな~」
取立屋が嗤う。
「この場で決めようという話ではありません」
「俺はその女もガキも魔族とは思わなかった。ただエイデンリンガ大先輩がその女を狙うなら、或いは」
「或いは、とはどちらですか」
ウィルゲンリートは問う。王子の膝運動によって茶面が揺れている。
「見た目が違った。魔族の気配もない。俺の見解はこの2つ。あとはそのガキに聞け。どうせ1人じゃ舌も噛み切れん」
ウィルゲンリートはシュテリゼートを向いた。
「シュテリゼートさんの見解は」
「彼と同じ。身形も背丈も違った。声質も違う気がするな。それに、魔族の気配を感じなかったのはボクもそう」
ウィルゲンリートは手元の紙に筆を走らせる。走り書きを差し引いても字に癖がある。
「魔王女の外見についてお訊きします。お二人からみて、魔王女の見た目とはどういうものでしたか」
「取立屋が言え。女のことはお前のほうが詳しい」
シュテリゼートは小首を捻る。
「髪は肩くらいでしょうか。少し外に跳ねているような。想像より若いな、と思ったので印象に残っています」
「エストラステッラさんは?」
「顔も違った。ああいう草食動物みたいな面構えじゃなかった」
シュテリゼートも同意する。
「第一参考人の口枷を外してください」
パレノア少年が檻から引き摺り出される。彼は、裸の女は魔王女であると語った。そして次に第二参考人として裸の女の口枷が外された。彼女は自分が魔王女であるか否か、判別がつかないと言った。
「旧聖騎士エイデンリンガについて、何かご存知ですか」
第二参考人は不安げな表情を見せ、首を横に振る。
「ヴェスパ様はおそらくあの聖騎士について何も知らない……忘れてしまったと聞いています。牢屋番から。今から、えーっと……」
第一参考人パレノア少年は宙を見回した。
「30年くらい前からいるらしいですけど、途中から頭がおかしくなったって、牢屋番が」
「忘れてしまったとは、何を根拠におっしゃっていますか」
「牢屋番です。――ぼくから訊くのも怖かったので、聞きませんでしたし、言いませんでした」
途中、パレノア少年は外套の女を一瞥していた。
「分かりました。次に、捕虜の女性についてお訊きします。あの捕虜の女性はいつ、どこで、何のために魔王城に連れてこられたのか、ご存知ですか」
パレノア少年はまた宙を見た。
「5日前。ルマロン市を焼いたときです。ヴェスパ様は、"ワタシは生まれ変わる"とか、そのようなことを言っていました。目的は分かりません」
「いつ聞きましたか。どこで?」
「ルマロン市を焼いた夜です。閨(ねや)で」
ウィルゲンリートは第二参考人に目を遣っていた。
「どういう関係なのですか」
「恋人関係です」
パレノア少年は食い気味だった。だが第二参考人の女は肝を潰している。
「違います……」
「この人は記憶がないんだ。だからそんなことを言えるんです。ぼくとヴェスパ様は夜毎(よごと)仲睦まじく戯れていた関係なんです! 本当なんです! だからぼくと一緒に処してください!」
シャルウィーデカダンス