やぎしず現パロ「微熱」
現パロやぎしずがお泊まりする話。
しんと静まり返った部屋。暖房を抑えた、しんしん、冷え込む部屋。
仲居さんらしき女性が敷いてくれた布団、2組。ぴたりと隣り合ったその距離を離すのは、意識しすぎていることが伝わってしまいそうでできなかった。
衣擦れの音。寝息。むにゃむにゃという擬音がよく似合う寝言。
緊張で喉を通らなかった食事はほとんど志津摩の胃袋に収まった。そのためか、志津摩は憎たらしいほどよく眠っている。
──期待するなという方が、どうかしてんだろ。
指一本触れてこなかったといえば噓になる。募る思いが、欲がないかといえば、それもまた嘘だ。
しかし、まだ残る緊張感のために、天井を見つめたまま、寝返りさえ打てない。情けないことだ。
その時、志津摩が寝返りを打った気配がして。
「……八木さん?」
ちいさな声だった。気持ちよさそうな寝息を立てていたくせに、起きたのか……、しかし、固まった身体をとっさに動かすことはできず、眠っている振りを決め込む。
「夢、みたい。夢?」
頬を叩く音がする。ぱちん、ぱちん、弱い音。「痛いじゃん」そりゃそうだろ、と笑いそうになるが、堪える。
なぜ、俺は寝ている振りなんかしているのだろうか。
夢じゃないぞと言ってやれば済むことを。
「……今日は寝相がいいんですね。宿だからかな。いつもあんなにすごいのに」
あんなにってなんだ、俺は知らない。
くすくすひそめた笑い声。
それにしても、食事中も、食後も、散々目を逸らして俺を直視しなかった志津摩から、今は痛いほど視線を感じる。
「八木さん……」
鼻先にボディソープが香り、志津摩が身を寄せたことがわかる。だが、待てど暮らせどなにも起きない。飽きもせず、ただ俺を見ているらしい。
そうさせておいてやりたい気持ちに、少しずつ勝っていく欲で、俺はようやく言葉を発した。
「……起きてる時も、好きにすりゃいいだろ」
「ひっ」
志津摩は一気に飛びのいて、その拍子に端に寄せてあったテーブルにぶつかり「あいたっ」と声を上げた。
「起きてたんですね、あぁ……、おかしいと思ったんです」
「俺、そんなに寝相悪い?」
「はい、かなり」
「あっそ」
志津摩はいそいそと布団に戻りながらも、明確に距離を取り、こちらをうかがっている。
「……志津摩……、寒い」
「へ? 暖房上げますか?」
リモコンを置いたテーブルの上を手探りする音。
「そうじゃねえ」
「え、じゃあ……、あっ、あの……」
「お前のしたいように、したら」
ずるい言い方をしている自覚はあったが、志津摩の意思を確かめたかった。
志津摩は自分の枕を抱えると、一歩、こちらへ近づいた。
「や、ぎ、さん……」
「ん」
掛け布団を持ち上げる。枕に顔を埋め考え込んでいた志津摩は、やがて「……失礼します」と律儀な挨拶を添え、枕を抱えたまま、そっと布団にもぐりこんできた。
「枕邪魔」
「あ……ちょっと、待ってください」
「なにを?」
「もう少し、このままで、お願いします」
「しょうがねえな」
布団の中で向かい合うも、志津摩はやはりこちらを見ない。
「枕ばっか見たって、俺の顔は映んねえぞ」
「う……、わかってますよ」
「さっきはやたら見てたくせにな」
「……八木さんだって」
「え?」
「八木さんだって、寝てる振りして、ずっと……俺のひとり言、聴いてたんですよね」
頬を膨らませ、ちらと上目遣いに見て、また視線を枕へ戻す。「おんなじですね」そして、嬉しそうに微笑んだ。
「……っ」
「俺、旅館とか、ホテルとかの、枕のにおい、好きなんです」
でも……、と、志津摩は、再び上目遣いに視線を寄越して。
「ここ……八木さんのにおいでいっぱいで、枕のにおいなんて、全然、わかりませんね」
理性の糸が切れる、という表現は、これほど的確だったのか──、
「もういいだろ」
志津摩を枕ごと抱き寄せ、酸欠になるほど、深く深く息を吸い込む。あたたかい。もう岩盤浴で蓄えた熱なんか、とっくに消え去っているはずだが。
あたたかい。
「枕」
志津摩は首を横に振り、「待って、ください」と抗議している。それが志津摩の理性だとでも言うように、頑なに抱きしめて離さない。
「おい、どけろって」
「だめです」
「なんでだよ」
「……準備、してない」
「は?」
「温泉……、岩盤浴の後に、入ったっきり、じゃないですか」
「だから?」
「だから……、準備、してないんです」
「あ……」
準備。
「いや……ああ、あー……、大事、だよな」
「……ごめんなさい、でも俺、八木さんと一緒に、眠りたくて」
「うん、わかった、俺が悪かった」
盛りのついたイカれた獣……、くそ、罵倒の語彙まで貧弱で、俺は一体どこまで情けないのか。
「それじゃあ、あの、お邪魔しました」
「あ、おい、待て」
布団から逃げ出そうとする志津摩を引き寄せ、浴衣越しに足を絡めて移動手段を奪う。
「くっ、す、ぐったいです」
「こんぐらい、いいだろ」
「……はい」
その許しを得て、俺はようやく少し、呼吸を落ち着けることができた。
「枕、そんまましとけよ」
枕は、邪魔な存在から一転、今や至高のお助けアイテムになってしまった。
「え……、俺、枕なしで寝るんですか?」
「腕貸してやるから」
「滅相もありません!」
「なんだそれ、いいから」
無理です、だめです、と駄々をこねる志津摩の頭の下に、腕を滑り込ませる。右腕は背中に回して固定しているため、志津摩はもう、逃げられない。
「ひっ、わ、わかりました、から」
「……おい、そこに落ち着くな。二の腕にしろよ、いてえ」
「あっ、そんな……作法を、知らないもので」
「ぶふっ……、作法って」
「八木さんは、お詳しいですね」
「は? お前以外に貸したことねえよ」
「……そう、でしたか」
「言いたいことはそれだけか?」
志津摩は無言でうなずいて、そろそろと近づいてくる。そして、「二の腕……」そう言って、感触を確かめるようにひとさしゆびでつついた。いちいち、とんでもないことをするやつだ。
もどかしいほどの時間をかけ、志津摩はようやく、二の腕に頭を乗せた。
「結構、やわらかいんですね」
「星いくつだ?」
「えっ……」
「……冗談だろ、絶句すんなよ」
志津摩は目を丸くして、それからころころ楽し気に、目に涙を浮かべて笑った。なんとか、失態を巻き返せただろうか。その表情がもたらした安堵からか、眠気がじわりと押し寄せてくる。
「あぁあ……」
「八木さん」
「なに」
「次は……、ちゃんと、準備しておきますから」
「おっまえ……」
「おやすみなさい」
枕を抱いていた左腕を俺の背中にそっと添えて、志津摩は目を閉じた。
それに倣って目を閉じるが、どうにもこうにも、眠れそうにはない。
まあ、いいか。
志津摩を、「かなり」悪い寝相で押しつぶさなくて、済むのだから。
やぎしず現パロ「微熱」