『すきまのことば』ためし読み

 歩きながら、クルマを運転しながら、ローカルな看板を眺めるのが好きだ。
 著作権侵害グレー寄りのイラストが描いてあったり、シュールな駄洒落が書いてあったり、にやりとする表現が多い。大手企業のものとは異なり、個人事業主の裁量でそのデザインが決められているからか、とくにカタカナ表記はフリーダムな印象を受ける。
 以前見かけた看板は、多くは「ディーゼル」と表記されるであろう部分が「ジーゼル」になっていた。違和感があることにはあるのだが、Diesel の頭文字は「D」、つまりダ行だから「ヂーゼル」になる……ではないだな、と妙に感心してしまった。

 また「もみじ」のローマ字表記についても、おやっと思ったことがある。
 一般的に「もみじ」のローマ字つづりは「Momiji」であるようだ。「じ」の部分は「J」で表され、これってザ行の表記ではない(Z)けどそれっぽく見えるな~と思う(かな表記とローマ字表記が一致しているように思う)。
 しかし、「もみじ」の隣に「Momidi」と書いてある何かしらを見たことがあり、記憶に残っている。
 このローマ字表記を正確に発音しようとすると「モミジ」なのか、「モミディ」なのか。いやしかし、この書き方をした人は「モミジ」のつもりで書いた可能性が高い。
 それに、ひらがなであえて「もみぢ」と表すことだってある。更にあえて忠実にローマ字表記すれば、これこそ「Momidi」になるのではないか。それとも「Momizi」なのか。
 どちらにしろ「そうかぁ、もみじじゃなくてもみぢなんですよ、って主張したいこだわりなんだなぁ!」と初見で読み解ける自信は、ない。
 このように、なぜ我々(私)は「じ」と「ぢ」の違いに翻弄されてしまうのか。

 そもそも、ダ行側の発音がぐちゃぐちゃしている気がする。「D」を「デー」と読むのはリポビタンDだけだと聞いたことがある(他はディーと読む)し、「じ」と「ぢ」を区別して発音している意識を持ったことはない。
 いったい、何がどうなっているのか。
 調べてみると、「ジ」と「ヂ」の音に区別がなくなったのは江戸時代にまで遡ることができることが分かった。とうにぐちゃぐちゃしていたのか……。
「ジ」「ヂ」「ズ」「ヅ」は「四つ仮名」と呼ばれる。
 元々は音の区別があったのだが、十五世紀、室町時代の終わりころには「ジ」と「ヂ」、「ズ」と「ヅ」の音は近付き、文献資料上も混同が見られるという。そして十七世紀~十八世紀の初め、江戸時代には音の区別がなくなったとされている。
 日本全国で一気に変化が起こったというより、差がありながらも多くの地域で「かな四つに音二つ」の状態になったらしい。
 音の混同はなるほど、言われてみれば納得できる。しかし今は「ジ」と「ヂ」、「ズ」と「ヅ」の表記のルールもよく分からないのである。
 今野真二『かなづかいの歴史』、山口仲美『日本語の歴史』では、私たちが普段使っているかなづかい「現代仮名遣い」について、以下の決まりが示されている。

① 「ち」や「つ」に続くときは「ぢ」「づ」を使う

② 複合語になる前に「ち」や「つ」ではじまる場合は「ぢ」や「づ」を使う

(中略)

 さて、四つ仮名の歴史と現代語のルールを確認したところで、改めて「ディーゼル」と「もみじ」を見てみよう。正直、何も解決した気はしませんが……。
 初めに「ディーゼル」だが、この単語は外来語であり、決まり①②では想定されていない語なのでは? という疑問がある。決まりの例外、「とりあえずそういう感じにする」枠に置かれるものではないか。
 リポD以外の「D」についても「デー」ではなく「ディー」と書こう、その方が英語の発音を聞いたまま表記している感じがするから、という取り決めが歴史上どこかでなされたのだろうか。「デー」に対してなんとなく昭和レトロだなと思ってしまうのは、それこそ「ディー」への変化が強制された時代(?)があったことの痕跡ではないだろうか。分からない。それに昭和は長い。
 そもそも、日本語を英語の発音にまるきり当てはめるのは不可能に近い。逆もしかり。違うパズルのピースを無理やりはめようとするようなものだ。
「もみじ」と「もみぢ」にしたって、一般的な表記は分かってるよ、でもあえてこの書き方をすれば多くの人の目に留まって、お客さんが増えるかもしれないだろ? という店側の工夫である可能性を捨てきれない以上、そうなのね~と思いながら看板を眺めるしかない。広告看板が目立ち、まさにその役目を果たしている姿を眺めるのである。

 ああでもない、こうでもないと考えている時点で、四つ仮名およびカタカナ語の落とし穴に落っこちているのかもしれない。
 細かいことを大げさに気にせず、鷹揚に構えるのが、陥穽から抜け出す秘訣だったりして。



《参考》
・日本語の歴史 岩波新書 山口仲美 2013
・かなづかいの歴史 日本語を書くということ 今野真二 中公新書 2014

『すきまのことば』ためし読み

先日大正~昭和初期に発行された印刷物を見る機会があったのですが「ディ」の音が「ヂ」表記になっていました。
自由がいちばん。

『すきまのことば』ためし読み

『すきまのことば』という冊子を作りました。ことばって楽しい~!

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-10-19

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted