軍事論文

第一話 鈴木眞哉の日本刀不要論を嘲笑う

では第一話 鈴木眞哉の日本刀不要論を嘲笑うに行ってみよう。

主な根拠は鈴木眞哉の「刀と首取り」「戦闘報告書が語る日本中世の戦場」の二つの日本南北朝時代と戦国時代の刀や槍や鉄砲など各種武具の負傷率統計データから来ているが「戦闘報告書が語る日本中世の戦場」の方がデータが新しいのでこちらを引用させてもらおう。

その後にそれを論破する根拠となる「日本社会の史的構造古代・中世」や近藤好和氏の「中世的武具の成立と武士」などに載っているトーマス・コンラン氏の「南北朝期合戦の一考察」の南北朝時代の負傷率データを示す。

そして更に論破する根拠となる樋口隆晴氏の「図解武器と甲冑」の説の引用や横山雅始の「ガチ甲冑合戦」の日本刀不要論の否定を宣教師「パードレ・ガスパル・ヴィレラ」の記録が載っている平山優氏の「長篠合戦と武田勝頼」もしくは「検証長篠合戦」(どちらかに載っていた)を引用して大体は終わりだ。


ではまず「戦闘報告書が語る日本中世の戦場」の負傷率引用だ。

日本南北朝時代(1333年から1387年までのデータ)負傷率統計581人
弓傷が86.04%。
切傷(太刀傷や薙刀傷など)が9.64%。
石傷が2.58%
槍傷が1.55%
その他が0.17%
まずこの時点で漫画「逃げ上手の若君」の「日本南北朝時代は刀傷よりも石傷の方が多いは「エンタメ優先のデマ」だとわかる」」

日本戦国時代前期(1467年から1561年までのデータ)負傷率統計747人
弓傷が61.18%
槍傷が18.74%
石傷が16.20%
切傷が3.21%
刀傷が0.67%

日本戦国時代後期(1563年から1638年までのデータ)死傷率統計825人
鉄砲傷が45.21%
槍傷が20.61%
矢傷が17.33%
石傷が8.97%
刀傷が6.42%
薙刀傷が0.85%
切傷が0.36%
その他が0.24%
この時点で戦国時代後期は刀傷が増えているので戦国時代後期の日本刀不要論は矛盾している。

日本戦国時代全体(1467年から1638年までのデータ)死傷率統計1572人
弓傷が38.17%
鉄砲傷が23.73%
槍傷が19.72%
石傷が12.40%
刀傷が3.69%
切傷が1.72%
薙刀傷が0.45%
その他が0.13%

確かに刀傷は少ないが「この説には矛盾がある」

そして「南北朝期合戦の一考察」の日本南北朝時代の負傷率引用だ。

日本南北朝時代(1333年から1394年までのデータ)721人。
弓傷が73%
太刀傷(と書かれているが実際は切傷だと考えられる)が25%
槍傷が2%
石傷が1%

トーマス・コンラン氏の説を実は鈴木眞哉は「戦闘報告書が語る日本中世の戦場」で引用しておきながらこの切傷がそれなりに多い「負傷率データ統計自体は隠ぺいした」これは「データ捏造の可能性がある」

そして樋口隆晴氏の「図解武器と甲冑」によれば、日本南北朝時代は鈴木眞哉の説でもトーマス・コンラン氏の説でも弓傷が一番多いが、重要なのは太刀、薙刀、大太刀、長巻など各種の打物を持った打物騎兵と打物歩兵による敵軍の撃退効果だと示している。

これは日本戦国時代にも当てはまる。

弓傷などが多くとも接近戦のメインウェポンの槍と乱戦用のサブウェポンの打刀の敵軍を撃退する効果は無視できない事だ。

そして鈴木眞哉は「刀と首取り」を読むとわかるが日本刀が必要なのは「首取り。槍が折れた場合。普段の護身用。攻城戦や市街地戦など閉所での戦だけだ」と主張しているが軍事史の基本である「刀剣類。斧。打撃武器などのサブウェポンは長柄武器戦列崩壊後の乱戦での重要性がある事を理解していないのだ」ちなみに短剣類は「組討ちで使われる事が多い」

そして「ガチ甲冑合戦」では槍での戦と短刀と脇差による組討ちと弓矢などの遠距離戦のみで打刀による「乱戦」は発生しない「戦国模擬合戦」だったが、平山優氏などの説に載っている「宣教師パードレ・ガスパル・ヴィレラ」は実際の戦国合戦でも京都での模擬合戦でも「弓矢から槍から剣の順番で武器が使われたと示している」

そもそも近世ヨーロッパと合戦形式が似ている日本戦国時代のみ刀剣類乱戦が起きなかったとは考えにくい。

槍を主武器とする古代ギリシアでさえ刀剣類の乱戦があったのだから。

以上だ。

鈴木眞哉の日本刀不要論はデマである。

日本南北朝時代でも日本戦国時代でも日本刀は役に立ったのだ。

南北朝時代の日本刀は太刀と大太刀と長巻がメインウェポンの一つ。

戦国時代の打刀は乱戦用のサブウェポンとして役に立つ。

第二話で取り上げる軍事書籍を何にするかは迷うところだ。

第二話 マーティン・J・ドアティ氏の図説古代の武器防具戦術百科

さて、軍事論文第二話はマーティン・J・ドアティ氏の著作「図説古代の武器防具戦術百科」の軍事論文考察だ。

中々に分厚い本なのでできれば書きながら考えるがコンパクトにまとめたい。

第一章がメソポタミア

第二章が古代エジプトとパレスチナ

第三章が古代ギリシア(マケドニア含む)

第四章が古代ローマ。

第五章がローマ帝国後の戦士となっている。

メソポタミアは組織化された軍隊の発祥地だ。

シュメール兵の主な武器は長槍。乱戦用にはメイスや斧や剣や短剣などを装備。

斧兵もいた。

鎧はほとんど着ておらず、盾と兜を装備。

斧にはウォーピックのようなものがある。

チャリオット兵もロバから馬に変化してからは有力兵器。

ヒッタイトの戦車は素早く、頑丈な兵器。

ヒッタイト歩兵もまた軽装備。

コピスという鎌剣もあった。剣と斧と鉈の性能を兼ね備えた乱戦用の武器だと思われる。

弓兵や投石紐兵など遠距離兵科も無論、存在。

様々な民族や時代が入り混じったが王や指導者の処刑はよく行われていた。

アッシリアの時代になると近衛兵は鱗鎧を身に着けるが民兵はやはり軽装兵。

アッシリアは戦車の他に攻城鎚と騎兵隊を利用。

アッシリアの弓矢は複合弓である。

アケメネス朝ペルシアの不死隊はエリート兵だがイラストを見る限りは割と軽装だ。

アッシリアもまた他国の指導者の虐殺をよく行った。

メソポタミアのチャリオットだが、ナポレオン軍の騎兵隊と同じく重要でナポレオン・ボナパルトは「騎兵無くして勝利無し」と語っている。

現代日本人はナポレオン戦争を語る際に砲兵隊ばかりに注目して胸甲騎兵など騎兵隊を舐め腐る癖があるが、愚かな認識である。

では第二章の古代エジプト。

エジプト軍もまた主な武器は弓矢と槍と斧だが剣やメイスなども使われていた。

剣盾兵もいた。

サブウェポンの種類は鎌剣。剣。短剣。斧。メイスなど。

チャリオット兵も活用。

海の民もまたチャリオットを使用。

海の民にも剣盾兵と槍兵がいた。

海の民のシェルデン人は歴史上、最初の剣による戦いを専門とした部族と「戦闘技術の歴史1古代編」には書いてある。

ラクダも一部、エジプトでは軍事活用。

やはりメソポタミアと同じく、様々な民族や部族が入り混じる時代だ。

では第三章の古代ギリシア。

古代ギリシアではミュケナイ時代はチャリオットと投げ槍と剣などで戦ったが、その後は槍襖のファランクスが主だ。

ギリシアの主武器である槍の頭部には様々な形があり、乱戦用の剣は主に長剣だ。斧やメイスはギリシアではほとんど使われていない。

そして裕福なギリシア兵は重装備の鎧も盾の他に身に着けた。

軽装歩兵の投げ槍と弓矢と投石紐も補助兵科として重要だ。

騎兵はファランクスの槍襖には無力だが、追撃戦では役に立った。

そしてマケドニア時代になるとファランクスの槍が両手槍の長槍になる一方で主力は重装歩兵ではなく、重騎兵の槍となる。

ギリシアにはカタパルトやバリスタの初期の形もあった。

ガストラフェテスというクロスボウは連射力が低いために攻城戦以外では次第に使われなくなった。

マケドニアには長槍のマケドニア式ファランクス重装歩兵だけではなく、機動力の為にギリシア式ファランクスの部隊もいた。

そして不整地戦の為に長槍の他に投げ槍と剣や短槍などで戦う訓練も受けていた。

マケドニア軍は次第に戦象兵も取り入れたが戦象は暴走しやすく信頼できる兵器ではない。

ヘレポリスという攻城塔を使ったこともある。

セレウコス朝の重装歩兵はローマの脅威を認識してローマ重装歩兵型の剣盾兵も一部採用した。

では第四章の古代ローマ。

ローマも初期にはギリシアファランクスで戦っていたが山岳民族のサムニウム人などに不利なのが露出した。

イラストを見る限りはサムニウム人はやや重装でもあるが、極端な重装備ではない。

ローマがいつごろから剣グラディウスと大盾スクトゥムと投げ槍ピルムの密集隊形レギオンになったかは不明だが恐らくはサムニウム人との戦の途中か第二次ポエニ戦争の途中のどちらかだと考えられる。

後継者時代のマケドニアは極端な長槍を使っていたが、ローマのレギオンには接近戦で不利でサブウェポンの剣に切り替えてもローマンレギオンに大虐殺された。

カルタゴもヌミディア投げ槍軽騎兵やギリシアファランクスやケルト剣士や戦象兵など様々な兵科を揃えたがローマに敗北して滅んだ。

ケルトガリア人もガリア大剣やガリア槍などで猛攻を仕掛けたが、ローマの前には征服された。

ローマの剣は主に短剣のグラディウスだが騎兵隊は槍や投げ槍や長剣スパタなどを使った。

ローマでは一部だが、斧やメイスが重装甲の兵士相手に使用された例がある。

ローマの第一列と第二列が短剣と投げ槍と大盾で第三列が長槍と盾だ。

ローマ重装歩兵もまた重装甲である。

ローマ歩兵は工兵としても優秀であった。

ローマは騎兵が弱いとよく言われるが「複数著者の戦闘技術の歴史1古代編」や「長太龍太氏の古代ローマ軍団の装備と戦法」によるとそうでもなかった可能性がある。様々な部族の騎兵隊を採用したからだ。

軽装歩兵もまた重要で投げ槍や弓矢や投石紐の遠距離兵科と剣と投げ槍と盾、もしくは槍と盾の近接兵科がいた。

ローマのグラディウスはフィリップ・マティザック氏の「古代ローマ帝国軍 非公式マニュアル」によれば下から突き上げるのでパルティアなどの鱗鎧にも有効だった可能性がある。

またローマの投げ槍ピルムは突き槍として槍襖を組むのにも使えた。

そしてローマもまた攻城兵器を活用。

この章はローマ帝政末期はあまり扱っていない。

ローマ帝国が崩壊した後、現代になるまでローマ軍に匹敵する規律のある軍隊はほとんど見られなかった。

ではいよいよラストの

第五章 ローマ帝国後の戦士だ。

ゴート人などの蛮族は次第に馬を使ったが裕福な者しか騎兵隊にはなれなかった。

この章はローマ帝政末期をも扱っている。

ガリア人戦士はやはり剣と突き槍と盾など軽装備だ。

ゲルマン人戦士もまた軽装備。

ローマ帝政末期の時代になると全体的に各軍の歩兵は軽装化する。

故にローマ帝政末期の投げ矢などが有効だった。

古代ブリテン人。すなわちピクト人もまたガリアケルト人と同じく剣と盾や槍や斧などで蛮族式猛攻撃を仕掛けたが、ローマ帝政末期軍には通用しなかった。

フン族人は非常に優秀な騎馬弓兵だ。だが、槍騎兵や重騎兵カタフラクトもまたいた。

パルティア軍もまた騎乗弓兵として優秀だ。

西ヨーロッパの蛮族もまた東ヨーロッパの重騎兵を真似する様になり、これが中世ヨーロッパの騎士へとつながった。

ランスは折れたりすることがあったのでサブウェポンが重要だったが主に剣が使われたのは携帯性が高いという長所があったからだ。

ビザンツ帝国の重騎兵は長槍と弓矢と乱戦用の剣とメイスで武装した重騎兵として知られているが、重装甲破壊の為の両手剣も装備していたという資料がある。

では、コンパクトに他の軍事資料との考察も交えつつ第二話は終わりだ。

第三話は恐らく「ハーピー・J・S・ウィザーズ氏著の世界の刀剣歴史図鑑」になる。たぶん。たぶん。

第三話 ハーピー・J・S・ウィザーズ氏の世界の刀剣歴史図鑑

では軍事論文第三話「ハーピー・J・S・ウィザーズ氏の世界の刀剣歴史図鑑」に行ってみよう。

そこそこ分厚い本なのでコンパクトに書きながらまとめたいところだ。

古代エジプトでは古王国時代と中王国時代では兵士は軽装備で装備も、盾、弓、槍、斧を携える程度だった。

だが新王朝時代になると板金鎧の一種とチャリオットと剣と合成弓などが登場する。

古代ギリシア人は優れた刀剣を開発したがあくまでも槍襖ファランクスの戦列崩壊後の乱戦用のサブウェポンだ。

古代ケルトガリア人は槍の他にガリア大剣もメインウェポンだ。

古代ローマ人もまた短剣グラディウスという剣と投げ槍ピルムなどをメインウェポンとした。

中世アングロサクソン人は主に槍と斧とスクラマサクスという鉈の様な刀剣で戦い、高価な普通の剣は貴族の武器であった。

中世ヴァイキングも槍を第一の武器として第二は斧だ。第三に剣が来る。その他に補助武器として弓矢、投げ槍、投石紐、鉈スクラマサクス、棍棒なども使われている。

中世の騎士の武器だが日本の一般的な理解では騎士の剣は「ロングソード」とされるが一部、誤解がある。

中世ノルマン騎士の剣は「ブロードソード」とこの本には書いてある。

その後の中世盛期の騎士の一般的な片手剣は「アーミングソード」「ナイトリーソード」などと呼ばれる。

で、中世後期になると板金鎧への対策として「片手半剣ロングソード」「両手剣グレートソード」などが現れる。

ロングソードは軽装甲の一般兵を斬撃と刺突で殺し、重装甲の兵士は「殺撃」で柄や鍔をメイスの様に叩きつけ、更に「ハーフソード術」で鎧の隙間を突き刺す合理的な武器だ。

グレートソードは単純に板金鎧の切断は無理だが、恐らく叩きつければ打撃のダメージはあったと推測する。

というか板金鎧の切断は斧槍ハルバードなども無理だと思われる。

中世の長柄武器各種だが、東欧とロシアで好まれたのは戦斧バルディッシュ。威力は高いが、重いので斧槍ハルバードよりも汎用性は低いと推測する。だが、近世ではマスケット銃の台尻として使うなど合理的運用も見られる。

イングランドではビルという鉈鎌が好まれた。マイナーな武器だがウェルシュフックというのもある。

グレイブは薙刀上の武器だ。

斧槍ハルバードが長槍パイクと並んで最も汎用性が高い。近世の主力武器だ。

パルチザンも使われたが、他の長柄武器よりはあまり役に立たなかったとこの本には書いてある。

斧槍ハルバードと長槍パイクの密集隊形への切り込みでは、イングランドでは鉈鎌ビル、スイス傭兵は斧槍ハルバードや片手半剣ロングソード、ドイツ傭兵ランツクネヒトは大剣ツヴァイハンダーと斧槍ハルバード、スペインでは剣盾兵ロデレロとバリエーションがある。

近世ルネサンス期には両手剣に加えて、エストック(刺突剣)や片手半剣やファルシオン(鉈の様な安い刀剣)やランツクネヒトの乱戦用の喧嘩剣カッツバルゲルなども使われた。

レイピアを単なる護身用の武器と認識するのは勘違いだ。

近世では三十年戦争などで乱戦用のサブウェポンとして歩兵に活用されている。

17世紀には銃剣が登場して歩兵が長槍や刀剣などを使う頻度は減るが、逆に16世紀末期にピストルと剣の騎兵が槍騎兵を射殺して、更にコストパフォーマンスも良かったので東欧を除いてヨーロッパではしばらく槍騎兵はほとんどいなくなる。

騎兵の主な武器はブロードソードになったのだ。

だが、スコットランドのハイランダーは近世になってもマスケット銃の他に剣と盾と両手剣クレイモアと戦斧ロッホバーアックスやジャッドバラアックスなどで武装してイングランド軍を苦戦させたが、マスケット銃と銃剣と騎兵剣と砲兵隊の前には敗れた。

最後の戦場が湿地帯だったのでマスケット銃射撃後の刀剣類や戦斧でのハイランダーチャージが無力化されたのだ。

18世紀になるとそれまでの戦場でも騎兵に使用されていたサーベルが騎兵の一般的なメインウェポンとなる。

そしてナポレオン戦争では騎兵がサーベルを振るう原始的で野蛮な戦いが繰り広げられた。

またナポレオン戦争では騎兵槍が復活した。

胸甲騎兵など重騎兵の重サーベルが最強で、軽騎兵枠の槍騎兵の細長い槍がそれに続き、その他、竜騎兵やユサールなどの軽サーベルが騎兵戦の正面激突では不利に当たるが、それぞれ独自の役割と長所と欠点があったのでどの時代のどの武具もどの兵科も万能ではないのだ。

現代日本人はナポレオン戦争を語る際に砲兵隊ばかりに注目して胸甲騎兵の衝撃力を忘れる癖がある。

これは日本戦国時代の「騎馬武者戦闘なんてデマ」という既に否定された「俗説」や「日本刀不要論」という学者や軍事ライターの間では「問題視」されている「俗説」に等しい。

私は世界大戦以降の軍事はニワカなのだが「戦車不要論」みたいなモノ(机上の空論)ではないかと考える。

19世紀前半では騎兵サーべルと騎兵槍は重要な武器だが、南北戦争になると状況が変わる。

南北戦争における銃剣とサーベルと騎兵槍など刃物武器の負傷率は2%に過ぎない。

だが、騎兵サーベルには心理的ダメージ効果があったという考察を目にしたこともあり、負傷率だけでは片付けられない可能性もある。

ちなみに歴史上、銃剣による死傷者はほとんどいない。あれは銃兵の騎兵からの護身用と銃剣突撃の心理的ダメージが重要なのだ。

19世紀の海軍の刃物武器にはカトラスやハンガーという刀剣。斧。短めの槍などがあるが、海軍で長槍パイクを振り回す奴がいたらそいつは「アホ」だと私は考える。

で、アメリカインディアン戦争では歩兵隊がほとんど役に立たなかったので騎兵が逆に主力。

普墺戦争や普仏戦争や19世紀植民地戦争でも騎兵サーベルと騎兵槍は役にたったが、いよいよ第一次世界大戦だ。

第一次世界大戦になると騎兵サーベルや騎兵槍など騎兵の効果はほぼ失われる。機関銃などが大量配備されたためである。

歩兵も狭い塹壕での白兵戦はしたが、長い銃剣よりもスコップやナイフや棍棒や銃で直接殴るなどの方が役に立った様だ。

では最後に。

私の観測する範囲で両手剣が使われた地域は日本と中国と西洋とインドと中東と南北アメリカ大陸(ただし、南北アメリカ大陸のは黒曜石製の剣や槍などなのでコンキスタドールのマスケット銃と鉄製の剣盾兵ロデレロと鉄製の穂先の長槍パイク兵と騎兵隊などにあっさりと蹂躙された)

では軍事論文第三話 終わり。

第四話で取り上げる軍事書籍は「市川定春の武器甲冑図鑑」になるかもしれない。

これは西洋世界史軍事史を古代エジプトシュメールから19世紀の植民地戦争時代まで網羅した「名著」だ。新規元社の書籍の中でも「トップクラス」の。

まァ、要はオスプレイ社の「オスプレイメンアットアームズシリーズ」を「一覧化」したようなモノではあるのだが。

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更新日
登録日
2026-10-18

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  1. 第一話 鈴木眞哉の日本刀不要論を嘲笑う
  2. 第二話 マーティン・J・ドアティ氏の図説古代の武器防具戦術百科
  3. 第三話 ハーピー・J・S・ウィザーズ氏の世界の刀剣歴史図鑑