塚橋現パロ「ディス・ディスコミュニケーション」

「あ゛っ、ん゛ん゛ーーーーーー、っ♡」
 寝室に響く嬌声は、一段と、大きい。普段の和さんは、我慢しようとしてもうまく我慢できず、次第に声が大きくなっていくことが多いがーーそしてそんな和さんも本当に愛おしいーー、今日はひと味違う。我慢など始めから一切なく、思うさま、声を出してくれている。
 理由は明確。今日から三日間、隣に住んでいるご夫婦が、旅行に出かけるという情報を仕入れたからだ。角部屋に住んでいるため、ご夫婦がいないということはつまり、声を聴かれてしまう心配をしなくていい……、そんな状況がもたらす開放感からか、和さんはこれまでに聴いたことのない、愛らしく激しい声をひっきりなしに上げた。
 できるだけ引き抜き、一気に奥へ突き上げる。和さんは気持ちよさそうに声を上げ、また、達してくれた。

◇

「………………」
「あ、和さん……その、本当に、なんと言ったらいいか……」
 無言で俺を睨みつけている。だが、そんな視線はちっとも怖くない。もし和さんが本気で怒ったとしても、恐ろしいより、心配や焦燥が勝って、俺はそんな感情で、泣いてしまうかもしれない。
 今はただ、目線で強く、抗議している。ソファにどっかり身を預けて、いつもより不遜な態度で足と腕を組んでこちらを見上げる和さんの抗議の念を、代弁してみる。
「羽目を、外しすぎましたよね……、その、でも、可愛かったです……」
「っ、ぁっ、ゲホッゴホッゴホッ」
「無理に喋らないでください和さん、今日は一日、ゆっくりしましょう?」
 そう、和さんは、昨夜あまりに激しく声を上げたために、喉が枯れ、声が出なくなってしまっていたのだ。寝起きの和さんは、信じられないという顔で目を丸くし、俺の顔を見て、何度も肩をばしばし叩いて……、そんな風に焦っている様子は珍しく、そんな場合ではないのに、すこし微笑ましかったりもした。
 さて、足を組み顎を上向きに逸らした和さん、無言で自分の唇を指差している。どうしたんだろう?
「……っ、あ、そうですよね、とりあえず、温かい飲み物を淹れてきますね。喉に優しいのは緑茶か……、はちみつを入れたお湯とかもいいって聴きますよね、どっちがいいですか?」
「…………」
 首を振っている。
「うーん、他に何かあったかな……、確認してきますね」
 言い残し、キッチンへ移動する。ネットで調べてみると、ホットミルクなんかもいいというので、ちょうど冷蔵庫に残っていた牛乳を取り出し、さっと鍋で温める。はちみつ湯には首を振られてしまったが、はちみつを入れても美味しいそうなので一緒に準備し、和さんの元へ戻った。
「ホットミルクにしてみました。どうですか……?」
 無言で頷いてくれた。すこし、微笑んでもくれた。よかった。隣に腰掛け、ホットミルクをそっと手渡す。
「熱いので気をつけてくださいね、ゆっくり……」
「っ、」
 和さんは、カップを手で押し返しながら、首を振っている。
「あれ、これも気に入りませんか……」
 首を振り、和さんは俺にカップを持たせると、カップを指差してから、その指をゆっくり自分の方へ向け、首を振り、今度はこくこくと頷いている。
「え、えっと……、ああ、わかりました」
 はちみつ用に準備していたスプーンを手に取り、ホットミルクを掬う。ふう、何度か息を吹きかけ、冷ましてから和さんの口元に運んだ。
「はい、どうぞ……」
「……っ!?」
 和さんは首を猛スピードで横に振っている。
「あは、照れないでください、いいんですよ、あ、あーん……」
 真っ赤な頬が、濡れたように艶めいて、美しい。和さんは小さく唇を開いてスプーンを受け入れてくれ、ミルクをゆっくり嚥下した。
「どうですか? 味は、何の工夫もない、牛乳だと思いますけど」
 料理をうまいと褒めてくれる時の穏やかな木漏れ日のような笑顔で、和さんは頷いた。
「ああ、よかった……じゃあ、もうひと口」
 同じように、丁寧にスプーンを運ぶ。ホットミルクをスプーンで、なんて、飲みづらいだろうし、一度に掬える量も少なくもどかしくて、けれど今日のこの緩やかな時間に、ふさわしいような気がした。
 和さんはそれから何口かかけてホットミルクを飲み終えると、一度深く頷いて、俺の手に触れた。優しくさすられる。温かい目線が降り注いで、くすぐったかった。
「ふふ、どうしたんですか」
「…………」
 俺をじっと見つめて、小さく首を振った。なんでもない、ということのようで、すぐに手が離れた。
「あ、そろそろ薬局も開きますし、俺、のど飴とかスプレーとか、買いに行ってきますね」
「ん゛っ、あ゛あ゛」
「あ、まだ無理に話さなくていいですよ。それじゃあ、行ってきます」
 盆を持ち立ち上がった俺の服の裾を、和さんはぐいと引き戻した。
「えっ、あ、危ないです……っ!?」
 触れるだけの可愛らしいキスだった。離れると、和さんが何やら、唇をぱくぱく動かしている。
「、っえ、い、あ、う、お、う?」
 その動きに倣って自分も発声してみるが、その意図まではわからなかった。


「俺、まだまだだな……」
 薬局へ向かいながら、思わず声が漏れる。和さんと出会って、互いを知り、恋人になり……、すこしずつ理解を深め、和さんの望みを、掬い取れるようになってきた……そんな慢心があったことに気づき、ため息を吐く。
 でも、これだけはしてはいけないと考えていることがある。
 そのひとつ。俺は、謝ってはいけない。和さんがあれほど喉を枯らすほど、気持ちよくなってくれた……、そのことに対して引け目を生じさせてしまうような、そういった言動は、絶対にしてはいけない。俺に謝らせてしまったなんて、思ってほしくない。声を出せずに辛そうでも、それだけは、してはいけないのだ。
 和さんには、心の底から、気持ちよくなってほしい。迷いなく、揺るぎなく、思うままに。もちろん、他のことでも同じ。思うまま主張し、思うまま感情表現をし、思うまま振る舞い、思うままに、生きてほしい。
 そんな和さんが好きなのだ。社会で生きる以上そうできない場面が多いからこそ……、せめて、俺といる時だけは。
 

「ただいま帰りました」
 リビングへ入ると、和さんが、ひらひら手を振ってくれた。普段は言葉で表現してくれることが多い和さんのボディランゲージは新鮮で、思わず目に焼き付けるように見つめる。
「……っ」
 む、と唇を結び、上目遣いに抗議されてしまった。俺は一体どんな顔をしていたんだろう。きっと、締まりのない表情には違いない。
「これ、のど飴と、のどスプレーと……、薬も念のために買ってきましたが、風邪ではないので、これは最終手段で」
 頷いて、和さんは早速のど飴に手を伸ばす。レモン味のそれを口に含み、頬に転がして、からころと感触を楽しんでいる。
「美味しいですか? 俺も食べてみようかな……」
 袋へ伸ばした手を引き止められ、身体を和さんの方へ向けられる。
「どうしたんですか、っ、ん!?」
 和さんは俺の唇を舌で割り開いて、飴をそっと押し込んできた。そして、どうだ、と言わんばかりににやりと笑った。喉の痛みで多少は弱っている様子だったのに、もうかなり、この状況を楽しんでいるようだ。
「美味しいですね、これ……」
 飴を口内で転がす。優しいレモン味。ほんのり、和さんの味もする。
「あ、でも、和さん、ちゃんと食べてください」
 新しい飴を開け、俺は和さんの口に飴を運んだ。和さんは何やら不服そうにしながらも、飴を受け入れてため息を吐くと、喉を癒す行動に集中することに決めたようで、喉スプレーの説明書に目を通し始めた。

◇

「ん、んんっ、うん、大分いいな」
 まだ多少掠れてはいるものの、和さんの喉は、できるだけ使わず一日丁寧に休めたおかげもあり、かなり回復していた。
「ああ、よかったです本当に。辛かったですよね……」
 和さんの喉に指先を添え、労るつもりで撫でる。すると和さんは小さく跳ね、俺から距離を取った。
「だ、駄目だ、明日は月曜だ……」
「そっ、そんなつもりは!」
「え? あ、そう、か……」
「……でもがっかりさせるつもりだって、ありませんよ」
 喉を撫でながら、和さんを抱き寄せる。
「そうだ和さん、今日俺が薬局に行く前、なんて言ってたんですか?」
「え?」
「ほら、キスしてくれましたよね? その後何か、」
「なっ、なんでもない! 改めて言うようなことではない。そんなことより、お前の方こそ、あ、あーん、なんて、大胆なこと、してくれたな?」
「え!? だって和さんが……」
「俺は、俺のタイミングで飲むからいいと、言っていたんだ」
「あっ……、そう、だったんですね。……、でも俺、したかったので」
「そっ、そうか」
 和さんが話せなかった間の、答え合わせ。
「今日は……キスが少なかったな?」
「えっ、ああそうか、あの時キスして欲しかったんですね? うわー俺、でも今日は、和さんを労ることに集中していて……、う、これは言い訳です。すみません」
「いや、いいんだ。大事にされていることが伝わってくるのも……、嬉しかった」
「でも俺、まだまだだなって反省してたんです。和さんの言いたいことを、全然汲み取れていませんでしたし」
「? そんなことはいい。塚本は、色々気にしすぎだ。お前にはいつも、俺の望みを叶えてもらってばかりだって、どうしてお前が気づいていないんだ? 反省する必要なんかないぞ、本当に、いつも感謝している。不安になった時こそ、言葉を交わせばいいんだ」
 ……ああ、このひとは本当に。未熟でも、不足していても、和さんはいつも、言葉ひとつで俺を満点にしてくれる。
「かっこいいです、好きです和さん」
「俺もだ、塚本」
 すこし深いキスを交わす。のどスプレーのミント味がして、それがすこしおかしくて、笑った。
 俺が労る日だったはずなのに、結局こうして、包み込んでくれている。こうしてさらに好きになっていく。愛おしさに拍車がかかる。でも、止めなくてもいい。何も怖くない。どれほど好きになろうと、和さんはきっと、許してくれるから。

塚橋現パロ「ディス・ディスコミュニケーション」

塚橋現パロ「ディス・ディスコミュニケーション」

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-10-17

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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