やぎしず現パロ「冷めやらない」

現パロやぎしずが岩盤浴に行く話

 その岩盤浴場は、最寄駅から電車で1時間半の、寂れた田舎町にひっそり佇んでいた。
 忘年会で志津摩が当てた『岩盤浴ペアチケット』を使用するため、なんでも、幹事が「すべてを忘れたい」時に愛用している場所だというそこへ、年末年始休暇を利用してふたりで訪れた。タクシーから降り、しばらく、広がる景色に視線をさまよわせる。
「静かで、いい雰囲気ですね」
 楽しげな志津摩を見て、すでに満足している自分がいる。これまでは、ふたりで外出することを、どこか避けてきた日々だった。一緒に暮らし始めてから約2か月、慌しかったこともあり、また、志津摩が進んでそうしたい、と思えるようになるまで、待っていたこともあり、今回はいわば、『初デート』なのだ。
 駅から乗ってきたタクシーも、運転手の休憩が終わったのか、すでに姿がない。
 360度、どこにも人影がないこの場所で、ふたりきり。いや、岩盤浴場にはスタッフがいるはずだし、客もいるかもしれない。駐車場に車がいないからといって、ふたりきり、は、おい、はしゃぎすぎだろ。
「行くか」
「はい」
 荷物を肩にかけ直して、岩盤浴場の入り口へ向かう。晴天のおだやかな陽射しに威勢を削がれた冷気が、それでも志津摩の頬を染めているのを横目に、緩慢に開いた自動ドアを潜り抜けた。

*

 受付で説明を受けた後、更衣室で館内着に着替える。今のところ、客らしき人間を一切見かけていない。どこか夢のような感覚にぼんやりしたまま、ロッカーの扉を閉める。右手には、すでに着替えを終えじっと俺を待っている志津摩がいる。
 その姿を見つめていると、志津摩が、一度ちらりとこちらを見て、すぐに前方へ視線を戻した。館内着は、厚手のやわらかい生地で、上下とも七分丈だった。
「八木さん……つんつるてんですね」
「あ?」
「ふふ」
「……お前は、ぴったりだな」
「あ、はい、そうみたいです」
 半袖短パンのような状態になってしまっている己の姿を見下ろしてから、もう一度志津摩に視線を移す。志津摩は小柄なわけではない。しかし、こうも、差が可視化するものか……、「八木さん、あの、そんなに見ないでください……」志津摩が上目遣いに眉をひそめるので、視線を外す。
「行きましょ」
「あ、ああ」
 なにをしに遠出してきたのか、忘れるところだった。岩盤浴。冬だからと油断せずに水分補給を、とのスタッフの言葉を思い出し、自販機で水を購入しておく。
「八木さんは、岩盤浴は初めてですか?」
「いや、学生ん頃に、何度か」
「そうなんですね……」
「あ、おい、あれだぞ、橋内と鞆浦と、だからな」
「えっ、あ、はい、全然、その、だれとだって、いいと思います……」
「嘘つけ」
 笑みがこぼれる。志津摩も、安心したように微笑み返して、水を購入した。
「お前は?」
「俺は初めてです」
「ふうん……」
 更衣室を出て、階段を降りる。通路を進み、暖簾をくぐると、休憩室、その奥に、何種類もの岩盤浴室の扉が並んでいる。
「寒い部屋もあるんですね」
「入るか?」
「嫌ですよ」
 扉の上には、各部屋の室温が表示されている。「57℃、あの部屋からですかね?」志津摩の言葉に頷いて、扉に向かう。開けると、早速熱気が押し寄せ、冷えた身体に心地よく纏わりつく。右手には石が敷き詰められており、左手は、なにもない平らな床。やはりだれもいない。貸切状態のようだ。志津摩が、迷いなく右手を選んでタオルを敷いた。
「これ、痛くないんですか?」
「寝てみろよ」
 促すと、志津摩は恐る恐る、手を伸ばして石の感触を確かめた。
「あったかいですね」
 まなじりをほころばせ、志津摩は吸い寄せられるようにタオルに膝を乗せると、ゆっくり横たわった。
「あぁあ……」
「ふ、情けねえ声」
「えええ……、八木さんも、早く」
 志津摩が両手を広げ、こちらへ伸ばしている。「……っ」その一瞬の躊躇を捉え、志津摩はすぐに腕を引っ込めた。そして、控えめに、右手の方に手を向ける。
 そこへタオルを敷き、俺も寝そべる。丸石の凹凸が、タオル越しに身体に程よい刺激を与え、気持ちがいい。デスクワークで溜まった凝りや澱が、溶け出していくような感覚。肩も、腰も、ふくらはぎも熱気に包まれ、身体の輪郭がとろけるような、浮遊感に似た心地よさ。
「ああー……」
「八木さんだって、声、出てますよ」
「うるせえー……、ああ、あったけえ」
「そうですね……」
 宙にたゆたう蒸気を見つめる。中央に据えられた加湿装置から、時折蒸気が噴き出す音が響く以外は、静寂に包まれている。志津摩の呼吸音まで聴こえてきそうだった。
 それから目を閉じて、しばらくじっとしている。熱気が身体の芯まで溶け込んで、ぼうっと幸福感に支配される。その時、隣で石がぶつかり合う音がして、見ると、志津摩がこちらへ身体を傾けていた。
「あ……、あ、八木さん、起きて、ましたか……」
「覗き見か? ……別に、好きに、したら」
「えあ、えっ、あ、はい……」
 志津摩は身体の向きはそのままで、視線だけ逸らしてしまった。言った手前、見つめているのもどうかと思い、天井へ視線を移すと、そのうち左から、ちりちりと視線を感じる。
「あぁあ」
 心地よさと、程よい緊張感。目を閉じると、眠気に似た鈍い重みを感じるが、眠れはしない。すっかり自分の輪郭に馴染んだ丸石の凹凸が、だんだん気にならなくなってくる。
 そのうち、視線も気にならなくなり、一定のリズムで呼吸を繰り返していると、また、隣から音がする。今度は驚かしてやろうと思い、目を閉じたまま、じっとしている。
「……八木さん?」
 真上から、志津摩の声が降りかかる。反応しないように、耐える。志津摩はしばらく黙って、じっとしていたようだったが、そのうち、頬になにかが触れた。
「……へへ」
 今すぐ目を開けてその表情を確かめたかったが、志津摩のあまりに幸せそうな声色に、そんな気も失せていく。頬にはもうなにも触れていない。だが、やさしく撫でられた余韻が、しばらく尾を引いた。

*

「……っ」
 うとうとと引きずられるような睡魔から逃れ、気づくと、全身から汗が噴き出し、ペットボトルの水が4割は減っていた。起き上がって志津摩を見ると、志津摩もつられたように身体を起こした。
「ああ……寝たような、寝てはいないような、変な感じでした」
「ああ、出るか、一回」
「はい、俺、水ほとんど飲んじゃいました」
 見ると、志津摩の方はもう1割しか残っていない。厚手にも関わらず、志津摩の館内着には汗の染みが広がっており、肌が見えている部分は、どこもかしこも濡れている。
「汗、かきました……」
「あ、ああ、見りゃ、わかる」
 上気した頬を、汗が伝っていく。蒸気越しに見る志津摩の、どこか現実離れした存在感に、思わず手を伸ばす。
 ぐい、ぐい、頬を押す。「え、八木さん?」志津摩は目を見開いて、それからくすぐったそうに首を引っ込めた。
「あえ、なに、するんれすか」
「いや、汗が……」
「八木さんもですよ」
 ばちっと視線がぶつかって、どちらからともなく逸らす。
「……いや、だから、出るか」
「あ、はい、そうですね、休憩しましょう」
 ゆっくり立ち上がって、タオルを回収する。別で用意された小さいタオルで、汗を拭う。志津摩が同じように拭うさまに、なぜだか、もったいない、と感じてしまい、その感情をどうにか醒まそうと、俺はさっさと浴室の扉を開けた。

*

 休憩室の椅子の背もたれに頭を預け、目を閉じて汗が引くのをじっと待っていると、頬に冷たいものが当たった。
「ほれ」
「あ、ありがとうございます」
 八木さんが、新しい水を買ってきてくれたのだ。受け取って、早速ひと口飲む。見ると、空にしたペットボトルがない。
「あ……、捨ててくれたんですか?」
「ついで」
「ありがとうございます。ここ、こんなにいいところで、外観にしては設備も綺麗なのに、繁盛していないんですね」
「そうだなあ……」
 八木さんは、10センチほどを空けて隣にどさりと腰掛けた。
「あー……、気持ちよかったな」
 低い、絞り出されたような声。ココアみたいに甘くはなく、でもブラックみたいに苦くもない、中庸の、深い声。
「志津摩」
「は、い」
「汗、ほら、拭かねえと、風邪引く……」
 深く腰掛ける八木さんと対照的に、背もたれから背を離した俺の首筋に、八木さんのタオルが当てがわれる。
「ひっゃい、」
「なんだって?」
「びっくりしたんです!」
「はは、ざまあみろ」
 見ると、八木さんは目を細めて、顔のパーツを全部中心に集めるようにくしゃりと笑っている。すぐに視線を戻す。
 慣れない。八木さんの、無邪気な笑顔。ずっと見ていたいのに、まだ慣れない。慣れたいわけではない。ただ、ずっと見ていたいだけ。それがこんなに難しい。
「あ、あの、自分でやります」
「いい」
 八木さんのぶっきらぼうな言葉遣いを、だれかは怖いと言った。でも俺は、シンプルな言葉だからこそ、素直に受け取れる。たとえば、選び抜かれて、丁寧で、優しさに満ちあふれた言葉には、もう、全然、縮こまってしまって、駄目なのだ。
 でも八木さんの言葉遣いは、八木さんが、そうしたくて選んだものだとわかる。それを聴いていると、俺も自然でありたいと思えるし、無理をしなくても、次第にそう振る舞えるようになってきている。
 すごいのは、それが俺のためじゃなく、どこまでも八木さん自身のための言葉であり、態度であること。
 だから、離れたくないんだ。こんなに、愛したくなるし、愛されたくなるんだ。
「……ふふ」
「なに?」
「なんでもありません」
「あっそ」
 こんな風に、考えられるようになった。それを嬉しいと感じることもできる。これがどれほど奇跡めいているか、きっとだれにもわかってもらえない。
 俺だけが知っていればいい。
「次は、73℃の部屋に、入ってみますか?」
「冷凍室はいいのかよ」
「……風邪引きたいんですか?」
「そしたら、年末年始、ずっとベッドだな」
 八木さんは軽く言って、伸びをして、立ち上がった。
 ああ、それもいいな、と、思ってしまった。けれどその考えはすぐに振り切って、俺も立ち上がる。
「どっちが長く中にいられるか、勝負しましょう」
「ガキかよ」
「えー、自信ないんですか?」
「は? あるわ」
 その時、休憩室に男性がふたり、姿を現した。温泉に入ったのか、タオルを頭にかけており、顔まではわからない。まっすぐに先ほどまで俺たちがいた部屋へ入っていく。
「貸切は、終わりか」
「……こっちの部屋は、今ならまだ、ふたり、ですよ」
 こんな大胆なことも、言えてしまえる。八木さんは、目を見開いて、それからじわりと頬を染め、言った。
「暑いからって、簡単に逃げ出すなよ?」

*

 休憩しながら、何度か部屋を行ったり来たりし、満足して、温泉で汗もさっぱり流した。
 荷物を整理し、ロビーに移動して、控えめな土産物コーナーを眺めていると、遅れて出てきた八木さんが、ちょうど奥から現れた店員さんに呼び止められている。
「あー、ちょっと、相談します」
 八木さんは、困ったような、嬉しそうな、複雑な表情を湛えながら、こちらに近寄って、囁いた。
「併設の宿に泊まれるらしいが、どうする?」
「と、まり?」
 頭が真っ白になって、でも、答えは決まっていた。
 一度強く目を閉じて、開いて、それから頷く。「……いいと、思います」遅れて出た返事に、八木さんは、初めから知っていたみたいに笑って、店員さんのところへ戻っていった。
 まだ、終わらない。帰宅を前に心を満たしていた寂寥感が、幸福感に塗り変えられていく。
 八木さんに手招きされ、そちらへ向かう。深呼吸しよう。落ち着いて、冷静でいなければ、覚えていたいすべてを取りこぼす。
 店員さんの説明が、すでに右から左、ひとつも頭に残っていないけれど、八木さんが聞いていてくれるだろう。
 そう思ってから、ぶわっと、顔に熱が集まった。
 それは、ふたりでいるからできることだ。
「……っ」
 立ち止まって、額に手を当てる。浮かれているんだ。本当に熱が出てしまったのではないかと疑ってしまうような熱が、八木さんに呼ばれて歩き出しても、店員さんの案内が終わっても、余韻のように、いつまでもいつまでも、火照っておさまらなかった。

やぎしず現パロ「冷めやらない」

やぎしず現パロ「冷めやらない」

現パロやぎしずが岩盤浴に行く話

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-10-17

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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