問一、 世界とは何か。
「知覚しうるすべてのもの、だな。」
教授はぶっきらぼうにそう答えた。私がそうなんですかと聞き返すと、そうなんですよーと重低音で返してくる。
「じゃあ、例えば目の見えない人には世界って小さいんですかね。」
「うーん、どうだろうなー。」
教授はなんの気なしに言葉を返してくるが、目線は手元の雑誌から動くことはない。つくづく器用な人だなとは思うものの、真面目に考えているかはわからない。
「いくらでも想像できるけど、そうなんじゃないかな。」
「そうって?」
「目の見えない人には世界が狭い、って話。君が聞いてきたんでしょ。」
ああ、と私は返事をする。一応はちゃんと聞いてくれていたらしい。
「例えば君、絵画が趣味だったよね。」
「ええ、まあ。」
「それは君の目が正常に機能してるからだ。絵を見て、ここが美しいだのここが上手いだの、考える。そこには視神経から脳の運動までに及ぶ一連の流れがある。」
「そこまで本格的に考えたことはありませんが。」
「まあ、でも、何らかの感動があるわけでしょ。感動ってのは脳の活動だよ。それが盲目の人にはない。と考えるとさ、ある種世界は狭いのかもしれないね。」
なるほど、まあたしかに。私は納得して頷く。
「結局、私も見えないわけじゃないからわかんないけど。あーでもさ、」
教授はそのまま手元のコーヒーをすすった。
「見えなかったほうが幸せだったな、ってこともあるよね。」
教授はどこか遠い目をしているような気がする。こればかりは学問でなく、実体験なのだろうか。私はどこか心につっかかりを抱えながらも、脇にかけてあったコートに手を伸ばす。
「お帰りかい?」
「ええ、お先します。」
「ん、お疲れ。」
私はコートを羽織りながらドアのところまで行き、一礼をした。
「頑張ってね、パパ。」
教授がからかってくるが、私は曖昧な苦笑いを返すだけ。からかわれるのはまだいいが、まさかおっさんに言われるとここまできついとは思わなかった、というのが本音である。
バスを待ちながら、携帯でニュースを眺める。「戦争」「殺人」「不景気」ネガティブな単語が所狭しと踊り狂う。自分の子供を殺したというニュースを見つけ、私は吐き気にも近いものを感じる。なんて汚く歪(いびつ)な世界だ、こんなニュースを見るたびにそう思う。殺す側も、それを報道して食い物にする側も、もちろん見てる側も。それも全てひっくるめて狂ってる。おかしな世界だ。
街を歩けば、世界中で起こっている不幸な出来事が否応なしに刷り込まれてくる。望む望まぬにかかわらず、情報社会という正義のもとに。不幸にも、私たちの世界は広がってしまった。もう知らぬ存じぬは通用せずに、この世界から他人事が排除されつつある。地球の反対側で起こっている飢餓に心を痛め、日本のどこかで起こっている暴力に涙し、それでもって身近な不幸からは目を背ける。なんておかしな世界。
私が、私だけの幸せを願うのが許されない時代になってしまった。隣人に愛を、世界に愛を。そんな単語と横並びに児童虐待が報道される。
いったい誰が幸せになっているというのだ。
病院に着くと、看護師さんが待ってましたみたいな顔で私を病室に案内する。個室には、お腹を大きくした妻が横になっていた。
「やあ、大丈夫かい。」
「ええ、あなた。お仕事は大丈夫なの?」
「ああ、教授に行って少し早く上がらせてもらった。」
「あらそう。」
こうして妻と一時間ほど会話をするのが、最近の習慣だ。なんてことない世間話、私の仕事の話、未来の話、子供の話。医者によると予定日は2週間後だから、この習慣はあと半月ほと続く予定だ。
そうして決まって子供の話をする時、なにか目に見えない影に私の心は縛られる。
今から生まれてくるこの子を、私は幸せにすることができるだろうか。
この嘘みたいに不幸なこの世界で。
いつかこの子も、世界を知覚するだろう。
汚くて、歪なこの世界。
神様なんて全然こっちを見てなくて。
世界の歯車はどんどん狂っていく。
教授の発言が、頭をぐるぐる回る。
この子が、こんな汚い世界を見る必要なんてない。聞く必要なんてない。
そうだ、と、私はハッとする。
私がずっと、この子の目を塞ごう。私がずっと、この子の耳を塞ごう。
君が見るものを代わりに私がずっと見続けよう。君が聞くものを代わりに私が聞き続けよう。君は何にも見えないかもしれないけど、何も聞こえないかもれれないけど。
それでも君の世界は、君の世界だけは幸せであってほしい。
君に愛を。君と君のお母さんだけに愛を。
そんなこと言ったら、「あなたったら、心が狭いのね。」なんて言って君のお母さんに笑われるのだろうけど。
問一、 世界とは何か。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。