詩集 内省に連なる信徒らに 終章

終章

 君が歌に込めた歌詞は、自らの、そして誰かへの志。
 辞めても止められない歌声だ。
 置くペン先を再び研ぐ挑戦だ。
 相棒が闘っている、志ひとつを携えて。
 私も闘いを始める、志ひとつの為だけに。
 生きる事の目的が成長であるならば、
 私達は、成長の為の術を選ぶ、勇敢な蝶のつがい。

 温かい手が運んできてくれた、錠剤二つ、キャップ一杯のシロップ、
 そして、コップ二杯分の水道水。
 ありがとう、私はまだ、人間でいられる。

 私が一人、思案を深めている姿を、論争と呼ぶ君は、
 一人の頭脳に二人分の人格でも住まわせているのかい。
 私は、仏法、神道、儒教、基督教、多くから学びを得る。
 その教えから、中道の在り方を見つけ出す思案が、
 何故に、宗教論争と呼ばれる所以があるのだろうか。

 人の善意を受け取る度に、私自身の未熟さを学べるのだから、
 この世は棄てた物じゃありません。
 人の悪意を見かける度に、私自身、善に成りたいと願えるのだから、
 この世は学び舎に違いありません。

 私は自らの地獄の中で田畑を耕し、
 ゆっくりと息吹を繰り返して、
 穏やかに夕飯を囲い、常夜灯を見上げる。
 それ以外にできる事は無い。
 それ以上に成すべき事は無い。

 愛する人に手を差し伸べる私。
 愛する人の手を取る君。
 手と手を重ねて、浜の風に揺られて。
 私達を出迎える、気高い白猫。
「君はどこからやって来たのかな」
 暮れ方の輝き、磯の香、温かくて、
 永遠を感じた、二人きり。

 親しい人から「君は生きるんだ」と告げられた時、
 私の中で「俺の事を何も知らない癖に」と恩知らずな自分が愚痴を言う。
 しかし、しかしだ、私の中心で、声高々に叫ぶ己もいる。
「ありがとう」
 たった一言、私はただその一語を叫んで生きるよ。
 私は震える足で地に立ち、震える手で道を指さす。
 志は西の浄土へと、その旅路は最も遠回りの東から。
 多く傷つき、幾度と裏切られ、全てを奪われて、
 一切、希望の持てない旅路になるだろう、それが何だ。
 彼らにも奪えない物、傷つけられない物が無数にある。
 家族に、恋人に、友達に、隣人に、知人に、怨敵に、
 皆から愛された、心が覚えた感動は、決して奪えない。
 痛みを、哀しみを、怒りを、ひとつひとつを覚えて、
「私も皆も、一緒に自由にしてあげよう」
 赦すために、耐え難い努めを喜んで引き受けよう。
 いつの日か、私があなたの、恐れを取り除けます様に。
 いつの日か、私があなたの、怒りを取り除けます様に。
 いつの日か、私があなたの、辛苦に寄り添えます様に。

 僧院にて、サンガの僧達が相互に学び合っていた。
 ある者は怒りを制して、ある者は憎悪を制して、
 またある者は、色欲を制した。
 しかし、一人、哀しげな顔をした若い僧がいて、
「どうしたのだ」と皆が傾聴した。
「私は自らが老いて最期を迎える事は、寂しくありません」
 ですが、と一言間を置いて、彼は話した。
「出家を認めた父母が、老いて死にゆく定めに在る事が、哀しい」
 若い僧は続けて語る。
 家の軒端で、母と二人きりで歌を唄った事。
 父と二人で、里端まで散歩をして、夜空の星を見上げた事。
 家族三人で、夕涼みをした暮れ方、空が美しかった事。
「思い出を共にした、大切な家族が、いつか世を去る事が寂しい」
 すると、年長の僧が「善いかな、善いかな」と賛美した。
 我が子の成長を願い、その子は親の健康を願った。
 仏の心に、親も子も無く、等しく宿る事を証明された。
 年長の僧も、他の者達も、若い僧の慈愛を賛美した。

 貴方達が恐れているのは、孤独ではなく、孤独感という体感だ。
 孤独は全ての生命、全ての物質が前提として持っているものだ。
 人々の中にいて、寂しい、独りぼっちだ、と訴える事はあれど、
 無数の礫の中に在る、小石のひとつが喚く事は無い。
 ガンジス河の砂の数ほどの孤独を、学びなさい。

 沈黙を以て我が身を守り、沈黙を恐れる相手を退ける。
 寡黙な姿を、信頼と受け取る隣人と手を取り、
 互いの沈黙を苦に想わず、相互に寡黙である事を証とする。
 貴方の事を尊重します、余計な踏み込み方はしません、
 という不文律の証、静かな友情の証なのだ。

 日々の時間を漫然と、浪費する悪癖を棄て去りたかった。
 私には、これだけの覚悟が必要でした。
 朝六時十分前。昨晩から続く豪雨と雷鳴を外に聴きながら、
 私は、阿修羅としての声、自らの声に傾聴していました。
「仏道に励め、文学に努め、この生涯を挑め」
 血の気が立ち、闘志を燃して、しかし同時に、心は安堵を覚えました。
「嗚呼、私はやっと、自らが望んだ生き方ができる」
 八正道から学び直せる、内省派文学に邁進できる。
 仏典に学び、師に習い、心に問い、ペン先で答える。
 喜んでください。私はやっと、私に成れたのです。

 心を求める者は皆が聖フランチェスコです。
 西の浄土への道を求める者は、皆が菩提心を持っています。
 しかし、私には、その差異が解らなくなりました。
 いいえ、差異を付ける、その分別が過ちでした。
 心を求め、道を辿る者は皆、皆が皆、神仏の子ですから。
 私達は、その呼称の差や教義の差を、恰も咎める様に、
 論戦を続けてきたと云います。不自然ではありませんか。
 どうして、教義の共通点を探し、そこに真理を見出さないのか。
 この私も、かつては西洋を甘く見て、東洋を贔屓に考えました。
 解りました、私は在家の身でありますから、文学に身を投じよう。
 文学を通して、誰かの一助に成れば善い、と念じて闘おう。
 西も東も、どの教義も受け入れ、その共通項に真理を求め、
 轍を追う人々の為に、灯りを燈して行きます。
 私の贖罪を、無様だ、矛盾だ、嘘だ、灰色だ、と責め立てられても、
 その声は最早届きません。貴方達にも解るはずだ。
 人間一人、使命を燃した時、怯える事は無い事実を。

 農奴の人々が、鉄鎖に繋がれぬ歌を唄えば、
 その心の自由を誰が奪えようか。
 領主の支配に抗うでもなく、ただ雨が降る様に、
 田畑を潤し、人の頬を濡らす。
「神様、仏様」と彼らが囁いた、その証に、
 彼らの魂の自由ばかりは、神仏が与えたものである。

 自らに問う正しさと、他者への優しさ、その中道に暮れる。
 朝が来ても変わらない事だ。私は未だに修羅のまま。
 カーテンを照らす、東の空の明るさが、青白さが、
 私の内省を促す、ただ続きを、とペンを執らせる。
 信念を築き上げて、傷つけ合って、不可逆の赦しを繰り返す。

 人の不実を嘆くより、自身の義を誇るより、
 無口な儘に仏典を読み、誰も咎めず日を過ごし、
 ただ、誰からも必要とされない私でいたい。
 しかし、君達を想うと僅かばかり、世界と繋がりたい。
 手を重ねて、或いは向き合って、言葉を交わす。
 私は再び苦楽を繰り返す、自ら望み、飛び込む姿で。

 正直に生きた私と、正直に息絶えた私の、
 二人分の屍を背負い、嘘をつき続ける私。

 想念こそ最も自由の象徴である、と私は信じていました。
 しかし、不自由の最たるものこそが、想念でありました。
 砂上に城を築く事、浜辺に波が押し寄せる事の、相関図でした。
 ですが、逆の事象、心象も在り得るのです。
 砂上の偏愛を取り除き、波打ち際で敬愛を受け取る様に。

 倫理を尊び、妄執的正義に従って、人々を断罪した私と、
 かつての仲間達に裏切られた私は、誠実に重なっているのだろうか。
 自身が受けた痛みを、人に与える側に立っていた姿を、
 皮肉に思ってか、或いは留まる術を渇望して、内省に耽る。
 一条の輝き、私は鉄筆を手に取った、紙の上に我在りと。
 痛みが招いた正しさが、次の痛みを招いたなら、私は、
 常しえに阿修羅道の性を背負って、生きられるでしょうか。
「自分以外の全てが敵」だなんて、口にできるでしょうか。
 いいえ、言葉にせずとも体現し続けてきた。全てを敵と思い込んで。
 三、六、九、照らす御仏の救い。私は人間に成りたい。
 人間に成れば正しいだろうか、それとも選択の連続だろうか。
 選択をするよりも、ただ助ける側に立ってはどうかな、私よ。
 菩提心を持たせた、里に咲く蒲公英の姿に、項垂れる。
 気高い白猫の姿の菩薩様が、浜の芝生にて振り返った時、
「私が咎を背負う理由が解りました」と呟いた。
 事実と正しさは、似て非なる物と教わりながら。

 勇敢になる心積もりは無かったのに生きている。

 不思議な事です、どれほどに内省を積み重ね、俯瞰を継続して、
 自他の苦しみ哀しみ、縛られた環境に気付く事ができても、
 一度、マッチの小さな火から引火して、私の正義を燃した時、
「私以外の全てが敵だ」と闘争心が燃え盛り、眼は血走り、
 虎の毛皮で拵えた面を被り、阿修羅に立ち戻る。
 気づいているんだ、私も。妄執的正義に従って争った末に何があるか。
 深く、暗い、自身の心の獄である。その囚人と看守の役を担い、
 私は今日も、自由と罰する心の同居を認めてしまうのだろう。
 しかし、他の道はあっただろうか。
 あったとして、選び、進み、踏破する事など、できただろうか。
 唯物論、唯心論、唯識論の三種の術を用いて内省を繰り返し、
 看守であり同時に囚人である自らが、人間の姿形を取り戻す時、
 この心底に、礫の底に、砂金の粒の様な実学が残る。
「光が見えた、道が見えた、神仏の導きで在り東西だ」
 砕かれた様に、しかし確実に人間の道から離れつつ、
 菩薩行に努めるサンガの僧達の、呼ぶ声がする、今日も聴こえる。

 秋が暮れつつあり、今年の終わりが見えてきて、
 ラムネ瓶に取り残されたビー玉が、清い儘に光を弾いた。
 ビー玉を取り出したら、ラムネ瓶はただの瓶になり、
 ラムネのビー玉は、ただのビー玉へと変わっていく。
 ね、素敵な事を考えたよ。
 繰り返す四季のいつだって、貴方を愛したい。

 神様が皆に飴玉を配っている時、
 まだ飴玉を受け取っている人達はいるけれど、
「君の分は無いよ」と告げられて、
 それでも、私は神様に申し上げる。
「私は充分に頂きました」
 口で飴玉を転がす人々は、強がりだと言う。
 次の朝も、その次の朝も、
 やはり、私は飴玉を受け取りに行って、
 私の分が無い事だけを言い捨てられる。
「私は充分に頂きました」
 人々は甘美な飴玉に、夢中になっていた。
 私が哀しませてしまった友人達に、
 詫びる事ができないならば、私は神の施しを受けただろう。
 私にも、ひとつだけ棄て難い麻酔がある。
 生きる麻酔を全て棄てようとした時、
 自分の身が可愛くて、保身に走れば、甘い味がした。

 自らが咎人である様に、他者の咎に気付いた時は、
 咎めず、追わず、ただ内省の孤忠に生きていたい。

 誰も約束をできない筈だ。けれど約束を交わしている。
 私は、人々の姿に耐え難く、誓わない自分を守った。
 しかし、誰もかれもが確約を求める。
 裏側では、宣誓の形で利潤を求める。
 嫌になってしまって、私は、約束をしない自分を愛した。
 私が人々の心を傷つけ、短い日々に喜びを学び、
 貴方達は最大の幸福を、効率よく享受している。
 これが、私なりの約束と成り果てた。嗤ってくれるか。
 私は自身に、卑下も、憐憫も、尊重も、一切施さない。
 約束を求められ続けた、心を砕いて最善を尽くした。
「ねえ、続きを」
 明日は無いよ。鳴らない通知音に怯えないで。
「優しい人に成りたかった」と胸中から繰り返す言葉。
 私が自らに求める口約束は、守り切れずに繰り返す。
 生まれ変われ、と胸を叩く、善心の呼ぶ声に肩が震える。
 盲目的な正義に囚われているから、と諦めていた。
 扉の向こう、声の主は「誓いなさい」と認めてくれる。
 私は今日も、約束をしたくて、街に出る。

詩集 内省に連なる信徒らに 終章

詩集 内省に連なる信徒らに 終章

  • 自由詩
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2026-10-16

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